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このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。

過去の日記

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2017 5月26日(金)

☆夜明け前は肌寒く冷え込む。

日中は、さんさんと太陽の照りつける真夏日。

気温は31度まで上昇して、ほとんど真夏であった。

しかしアンジェラスの森は膚寒い涼風が吹き抜け、午後は風が冷たくなって寒くてたまらず長袖を着る。

☆妻は一晩寝たら落ち着いたようで、今朝はほぼ日常に回復。

車は勤務先に置いてあったので、出勤は私が職場まで送る。

朝一の大事な仕事だけこなして、そのあとは年休を取って帰宅し、くつろいでいた。

やはり仕事のストレスなのだろうか。

妻は無意識の緊張が体の変化で現れやすい体質のようだ。

☆私は、一日、アンジェラスの森で作業。

昨年ロシアのUFAで作った”To the future”のタイプを横長にロケットタイプに引き延ばしたものを作っている。

春に高鍋高校OB展で作ったものがずんぐりむっくりで良くなかったので、横にスマートに伸ばしてみた。

9月のトルコのエントリーマケットの一つ。

☆H.I.Sから中国・Putuiaへのチケット(福岡ー福州)の見積もりが届いた。

思ったよりも安い。

ビザの手続きについては、何ビザが必要かを伝えなければならない。

☆先日から中国大使館のHPを開いてみるのだがよくわからない。

Putianの担当者に尋ねても、大使館に問い合わせて、という返事。

それで中国のシンポジウム経験豊富なViktarに問い合わせたら、直ぐに返事をくれて、ツーリストビザ(観光ビザ)だと教えてくれた。

☆妻の体調も回復したので少し安心していたら、夕食時にワイングラスを倒して粉々に割ってしまった。

高いワイングラスである。

我が家ではガラスが割れはじめると家族全員のバイブレーション異変の印である。

気を抜かず、要注意は持続しておかなければならない。


5月25日(木)

☆午前は時折り小雨の混じる曇天。

午後からは少しずつ空が明るくなる。

蒸し暑い一日。

☆午前に保険代理店来訪。

空港展の会場作品保険の契約。

☆昼に、中国・Putianから材料リスト提出の催促が来たので、昨日作成していたリストに材料の画像を加えて編集し、送付。

☆午後後半にアンジェラスの森へ上がって、次の作品の粗落とし作業。

☆午後6時から、高鍋町観光協会総会。

商店街の組織からは籍を抜いたが、まちづくりとは関わっておかなければならないので、観光協会にはそのまま籍を置く。

無一文なので、懇親会には出席せず。

☆我が家のヴァイブレーションがちょっと要注意。

夕刻に勤務先の妻から、体調が悪く、倒れそうなので今保健室で横になっている、帰宅は同僚の車で送ってもらうという電話があった。

観光協会の総会から帰宅すると、リビングに横になった形跡はあったが、寝室に上がると電気もつけずに寝ていた。

眩暈がして吐き気がするという。

先日も夕食時に眩暈がして吐いたことがあった。

熱はないので風邪ではないようだ。

以前にパニック障害になったことがあるので、その時の状況と似ているのかと問うと、なんとなくそんな気もするという。

妻はそのまま入浴もせず夕食も撮らず寝込んでしまった。

妻がこんな風に寝込んでしまうのは、結婚して初めてのことである。

この春から職場で主任になり、精神的にも緊張が高まってきているのではないのではないのだろうか。

もし再びパニック障害になったら、私は7月から40日間家を留守にするので、心配である。

☆実はお昼を摂っているときに、リビングの東外で何かが落ちる音がした。

猫が何かを落とした感じでもないので、外を覗いてみると、網戸が外れて落ちていた。

先日、蔦を取った時に網戸が浮いてしまっていたようだ。

そして夕食にかかろうと思ったら、換気扇のフィルターが落下していた。

普段落ちることもないものが立て続けに落ちた。

ちょっと要注意である。


5月24日(水)

☆夜中は蒸し暑かった。

夜明け前に小雨。

雨は午後からという天気予報だったので、軽トラの窓を開けていたのであわてて起きて窓を閉め、幌を下す。

午前中は雨は止んで小康状態だったが、午後から雨となり激しく降る。

下校中の小学生たちが大声で騒いでいたので、児童たちはみんな傘を持たずに登校して、下校時に大雨にあったようだ。

日中は気温は上がらず肌寒かったが、夜には蒸し暑くなる。

☆中国・Putianから、問い合わせていたチケットのことで返信。

旅費の払い戻しはPutian到着時に現金ですぐに払い戻すということなので、クレジット決済でチケットを購入出来る。

問題の、いつPutianを発てばよいのか、ということだが、作品が完成した時点でいつ帰ってもよいという。

私が望めば最終期限の8月11日までPutianに留まることはできるが、基本的に作品が完成したらその時点で帰国してよいという返事。

これではきちんとしたチケットの手配ができない。

取りあえずは旅行代理店にチケットの手配はしたが、40日滞在のチケットでは現地での変更はできないのではないのだろうか。

☆空港展の会場作品保険申請一覧が事務局田村から届いていたので、保険代理店へデータを送付。

☆空港展作家の顔写真も届いていたので、ウェブサイト用に写真をトリミングし、リサイズする。


5月23日(火)

☆今日も好い天気。

気象予報では湿った大気が近づいているので幾分蒸し暑かったということだったが、蒸し暑さは感ぜず。

☆午前は、昨夜にウクライナのカテリーナから依頼のあった質問への回答に費やす。

質問は、あなたの作品のテーマは何ですか?人々に何を伝えたいですか?そして古典の彫刻についてどう理解していますか?というもの。

翻訳ソフトを複数使って、すり合わせて文章を纏めて送る。

夜になって”Perfect!”という嬉しい返事が届く。

☆午後は、午後にあたらに撤去した蔦(今日、我が家を裏から見たら全面に蔦が茂っていてびっくり!)と昨日作業した竹と蔦を軽トラに積んで、アンジェラスの森

の作業場へ運んで廃棄。

☆そのまま、次の制作用の石を準備。

道具は下ろしてきたので、墨入れだけする。

☆もう空港展まで10日となった。

そろそろ空港展のウェブサイトの準備をしておきたいので、すべての作品データと作家の顔写真を事務局・田村に送ってもらう。


5月22日(月)

☆今日も五月晴れの上天気。

☆朝一に朝食前に、気になっていた浴室外庭の竹を切ったり、裏庭にはびこった蔦などの撤去作業。

朝日を浴びて汗だくになった。

☆遅い朝食を摂ってから、空港展パンフレットの校正作業にかかる。

事務局から届いたPDF原稿と元原稿を照らし合わせてチェック作業。

校正が終わって、PDF原稿をWordに変換して、Word文書で校正箇所を赤文字で変換。

そしてWord文書を再度PDFに変換する。

そのそれぞれの変換作業で元の原稿構成がかなり乱れてしまったが、変更部分は赤文字部分だけなので、印刷所にとっては問題はないだろう。

事務局に校正を送ったのはもう午後3時であった。

☆空港ビルに届いていた台湾・Pengの作品は、お昼前に奥村の立ち合いで空港ビルの石尾さんに開梱してもらった。

損傷のないことを確認。

開梱の画像を石尾さんに送ってもらったので、Pengへ送付する。

☆夕刻に、中国・Putianへチケットの件で問い合わせ。

Putianへ入るのは7月1日と決めたが、Putianを発つ日を確定してチケットの手配をしたい。

折り返し、必要な材料のリストを早急に送ってほしいとの連絡が届く。

☆第4回シルクロード国際美術展の事務局からConfirmation Letter(入選通知書)が届く。

☆ウクライナのカテリーナから、再度、メッセンジャーでカタログのための質問が届いた。

前回はメッセンジャーの不都合でうまくやりとりができなかったのである。

ちょうど夕食中だったので、明朝返事することにする。

今夜中に返事が欲しいということだったが、彼女の質問はとても哲学的な内容なので、夕食を摂りながらは返答できない。


5月21日(日)

☆陽射しの強い暑い一日。

天気予報では午後から曇りだったが、幾分雲は多かったもののずっと上天気が続いた。

陽射しは強いものの、爽やかな気候。

☆午前は日向市へ出かけ、3年ぶりに日向市砂の造形大会(主催 日向かぼちゃ会)の審査をする。

今回は30回記念大会ということで、商品も個人(家族)チームの優勝チームには10万円分の旅行券、団体チームの優勝チームには10万円分の商品券という豪

華さであった。

そのせいでか、参加者も1400名ほどだったという。

すっかりこの時期の日向市のメインイベントとなった。

何より、参加している市民の皆さんが心からこの大会の参加を楽しんでいるのが伝わってくる。

家族で、職場やクラスの仲間と、海辺の自然の中で泥んこになって半日過ごす経験は何物にも代えがたいであろう。

☆この大会の主催団体である日向かぼちゃ会は、日向市を中心とした異業種の経営者の集まりで、この砂の造形大会は、日頃地域の皆様のお蔭で経営 させて

頂いているため、その恩に報いる目的で毎年開催されている。

今年で30回ということなので、私が結婚した年に始まっている。

その時の審査委員長は、かぼちゃ会のメンバーと懇意にされていた亡き義父であり、翌年から私も請われて審査員に加わった。

しばらくして義父が病に倒れてしまったので、宮崎彫刻グループのメンバーが審査員に加わり、私と奥村との審査体制になった。

そう言う縁で、この日向かぼちゃ会の皆さんには日向現代彫刻展でも大変お世話になった。

☆また会場には、最後の日向現代彫刻展実行委員会のメンバーだった某氏が来られていた。

私と奥村に会いに来られたという事である。

最後の実行員会はほとんどが一般市民で構成されていて、ようやく実現できた本当の意味での市民による実行委員会であった。

某氏は歯科医院に勤務されていて、現在は定年退職されているということだったが、自分の人生の中であの彫刻展実行委員会の日々が楽しくて楽しくてならな

かったという。

最後は国際シンポジウムだったので、一般の人にとっては、海外の彫刻家と触れ合う機会はほとんどないし、職場の仕事以上に彫刻展実行委員会の仕事が楽しく

てならなかったという。

某氏からは初めて告白されたことだったので、やはりあの実行委員会組織に持っていったことは、本当に日向市民にとって有意義なことだったのだと嬉しかった。

おそらく同じ感慨を、今、行橋市の方たちが感じていることだろう。

☆砂の造形大会を終え、日向市を出て帰路に都農町「石井記念 都農保育園」に立ち寄る。

例のH家に納入していた私の陶板壁画工房時代の製品で、不動産会社から引き取り石井記念友愛社の児島理事長に引き取ってもらっていた陶壁画を、この新設

された都農保育園の玄関外壁に取り付けてもらった。

今日はこの都農保育園の落成式が午前に開催された。

私にも出席の案内が届いたのだが、砂の造形大会と重なってしまったので、帰路に挨拶がてら立ち寄ったのである。

式典はすでに終わって児嶋理事長は友愛社に戻られていたが、友愛園各保育園の園長さんたちがまだおられて、挨拶をする。

友愛園の各保育園には私の彫刻が設置してあるので、各園長先生たちとは顔なじみなのである。

H家の玄関ポーチから保育園の玄関壁にきちんと移動できた陶壁画に安堵する。

☆帰宅してすぐに妻のボーカルレッスンが始まった。

私はパソコンを開いたら、宮崎空港ビルの石尾さんから台湾のPenの作品が届いている連絡や、事務局・田村からののパンフレットあいさつ文の原稿問い合わせ

や、パンフレット校正データが送られてきていたの、2階の書斎に上がってパソコンのやり取りをする

☆夕刻にパンフレットの校正作業を少し。

文字が小さいので、目が疲れて、あまり進まず。


5月20日(土)

☆今日も快晴の一日。

全国的に気温が上昇。

アンジェラスの森もずっとTシャツで作業。

☆アンジェラスの森で制作。

午後2時前には研磨が完了。

しかしずいぶんこれまでに大理石の研磨はこなしているのだが、800#のペーパーで赤鉛筆の色が取れず、地肌に赤鉛筆がかなり残ってしまった。

こんなことは初めてなので、どこかで手順を間違ったのかもしれない。

それにシンプルなフォルムなので、研磨すると大理石の色むらが出てきて作品の印象を弱めてしまった。

☆遅い昼食を摂って、3時前に海辺へ走って画像を撮る。

今日は土曜日でもあり暑かったので、渚では素裸の幼児たちと興じる家族連れや、水遊びに興じる中学生たちの姿があった。

☆帰宅して、空港展のパンフレット用の画像を選ぼうと画像をチェックして愕然となる。

おおよそ海辺で大理石の作品の画像を撮ると、大理石がハレーションを起こして、大理石に焦点を合わせると青い海と空が暗くなり、大理石も争点が定まらずとて

もフラットな画像になる。

今回の作品も、作品自体がフラットなので、海辺での写真は完全なヌッペラボーで、最悪の写真となってしまった。

アンジェラスの森での陰影のある作品の印象とはまるで違う。

暗澹たる気持ちになる。

☆結局、踏ん切りをつけて事務局の田村に画像を送ったのは夜に入ってからであった。

Facebookにも重い気分でUP。

現物は空港展会場で見ていただきたい。


5月19日(金)

☆今日も爽やかな五月晴れ。

☆アンジェラスの森で制作。

今日中には手磨きが終わるかと思ったが、やはり仕上げには充分な時間がかかる。

手磨きに入れたのはお昼前になってからであった。

☆今朝の夢の中で、制作中の作品のタイトルが決まった。

”静謐の風 / Quiet wind”。

風を表現している作品ではないのだが、昨日の制作中に”風”を感じた。

もちろん私のこれまでの作品同様、窓は風が抜けるためのものであるが、それよりも本体の波のような動きのあるフォルムが風に押されている印象を受けたので

ある。

それも強い風ではなく、静かなそれでいてしっかりと穏やかな風である。

その風は、窓を吹き抜ける風よりも、今の私自身を支えてくれている追い風である。

相変わらず金銭的には困窮を極めているが、私自身の生き様の充足感は今が最も充実している。

そっと見えない力での追い風が私を支えてくれている。

そうした今の私の心象風景を表現した作品なのだということに気付いた。

☆午後3時から、高鍋町美術館にて平成29年度第1回高鍋町美術館協議会。

今日から新役員組織(任期2年)でのスタートで、協議の前に委嘱状交付と会長・副会長の選任。

会長は私が再任となり、副会長は委員が一部入れ替わったので、巣山和枝さんが新しく選任された。

協議の内容は平成28年度事業報告他。

今の高鍋町美術館は青井学芸員の着任以来、高鍋町美術館独自のスタンスを確立して美術館本来の姿に移行しつつある。

町外からの評価も高くなっているが、町内からの評価が低いのが問題である。

評価が低いというのは、美術館そのものへの認識不足、評価不足ということに他ならない。

美術館協議会で、この高鍋町美術館の前向きな姿勢を支えていかなければならない。

☆夕刻に再びアンジェラスの森へ戻り、手磨き作業の続き。

なんとか荒目砥石での磨きが終わった。


5月18日(木)

☆今日はすっきり晴れた爽やかな五月晴れ。

朝のうちは肌寒かったが、日が昇ると気温は上昇。

しかし湿気が少なく、蒸し暑さはなし。

アンジェラスの森は午前は陽が射すので暑かったが、午後は日陰になりぐんぐん冷えてくる。

緑のまばゆい気持ちの良い気候だった。

☆アンジェラスの森で制作。

小型リューターと、砥石を薄くしたものを薄板に接着剤で張り付けた手製の磨き棒を使って窓の内側の成形作業。

残すところ窓の天部の成形のみになったので、明日には手磨きへ持っていけるだろう。

午後には空港展のカタログ用の写真が撮れるところまで持っていけるだろう。

☆なんとかFacebookにアップしても大丈夫なところまで作業が進んだので、夜に今日の作業の様子をFacebookにアップする。

たちまちに反応がある。

これがFacebookのたまらないところ。

瞬時に世界中の作家たちからの反応が得られる。

おおむね、好評でほっとする。

某氏からは”新しい展開ですか?”と言うコメントがあったが、全体のフォルムはこれまでの作品の流れであり、そこにセントジョンで目覚めた窓の開け方をシンプル

なフォルムで展開したものである。

先年のイポーでも展開を試みたがうまくいかなかった。

今回はシンプルなフォルムに絞ったことで、客観的には私の新しい展開として成功したようだ。

☆中国・Putianから正式な招待状が届いた。

その中で旅費について、作家が事前に購入して、現地払いであることが分かった。

近年はEチケットを送ってくれるところが多いので、PutianもEチケットを送ってくれるものと思っていたので、頭を抱えてしまった。

なにせ、私はこの先何の仕事もなく、収入の予定は全くない。

現在のところ全くの無一文なのである。

中国滞在が40日間なのでビザも取らなければならない。

どうしたものなのか。

Putianへ行くまでにもう一月ちょっとしかないので、できるだけ早めに手配しないと旅費も高くなってしまう。

毎回、毎回の難題。

どう解決されるのだろう。

今回の空港展出品の作品も作家には評価が高いけれど、素人受けはしない作品なので、売れることは考えられないし。


5月17日(水)

☆今日も晴天ながらうす雲がかかって、気温は上がらず。

午後からはぐんぐん冷え込んでくる。

☆朝一にネットで調べたら、エアーチッパーFCH-20は、それぞれの部品の単体を販売していて、とても部品交換が容易で使いやすい工具だということが分かった。

それで、昨日跳ねて紛失してしまった回転止めピンを5個注文した。

☆アンジェラスの森で制作。

リューターを、海外持参用の小型のものに変えたら、細い窓の内側にビットが入ってくれたので、今日はかなり作業が進んだ。

明日には仕上げ作業にかかれるのではないだろうか。

うまくすれば、空港展のカタログ編集に間に合うかもしれない。

☆イランのEsfandyyarは、今から作品を作るという。

それでは空港展開催までに作品も届かないので、手持ちの作品はないのかと問い合わせる。

しかし、スタジオにはあるが、今テヘランの大学にいて、スタジオとは900km離れているので無理だという。

データの締切日はきちんと伝えてあるので、この時期にテヘランのシンポジウムに参加して身動きが取れないことは分かっているのだからどうして事前に準備して

おかないのか、腹が立つ。

Esfandyyarが抜けると、編集中の空港展カタログのレイアウトが変わってしまうのだ。

本当にいい加減な男だ。


5月16日(火)

☆一日、重い曇天。

気温は冷え込んだまま。

気象の解説では、雲は高い位置にあるので雨にはならないということであった。

夕刻に雲が薄くなり、燃えるような夕焼け。

ネットの情報では、全国的に夕焼けがすごかったようだ。

☆一日、アンジェラスの森で制作。

今日もずっと細い窓の作業。

昨年暮れにイタリアから買った電着ビットを使ってみるが、ビットの長さが私の手持ちのダイヤビットと同じなので、なかなかに進まない。

夕刻までに全体のフォルムの見直し。

☆エアーチッパーの鑿を交換しようとして、回転止めのピンが飛んでしまった。

このピンはバネになっているので、よく飛んでしまって、屋外の作業中は見失ってしまう。

今日も用心して外したのだが、鑿を交換してはめようとしたときに、弾んで飛んで行ってしまった。

落下地点を確認したのだが、落ち葉の溜まった地面なのでいくら探しても見つからない。

予備のチッパーのもので代用するしかないか。

☆Facebookで第4回シルクロード芸術展の掲載ページがUPされた。

私のページもUPされた。

Li Zhaoからの案内では9月開催となっていたが、今日のFacebookでは、展覧会が始まったとある。

Facebookでの記載によると、88国から600アーティスト、2000作品(1作家3点のエントリー案内だった)の応募があり、その中から184アーティスト、212作品

が選ばれたということである。

内訳は彫刻家が54作品、絵画が154作品、ビデオが1作品ということで、かなり厳しい選考だったようだ。

この展覧会は、会場では絵画のみの展示で、彫刻はパネル写真のみの展示である。

☆行橋市の岩村誠氏が福岡銀行設置のGeorgiの作品写真をFacebookにアップしていただいた。

”彫刻の効果。街の波動が整って見える。”というコメントが素晴らしい。

やはり行橋市は文化レベルが高い。

いろんな方が今回のまちなかオブジェプロジェクトの作品を効果的にFacebookにアップしてくださる。

高鍋町の住民が、あかりプロジェクトの作品をこんな風に発信してくれたのを見たことがない。


5月15日(月)

☆午前は好く晴れたが、午後からは雲が出て曇天となる。

空気はひんやりと冷え込む。

アンジェラスの森は、平地より3度ほど気温が低いので自宅を出るときはTシャツで充分だが、作業場に近づくにつれひんやりとしてくる。

特に午後からはぐんぐん冷え込んできて、長袖を着ても寒かった。

まるで春先の冷え込みに戻った感じ。

☆一日、アンジェラスの森で制作。

午後からは作品に細い窓を開ける作業で、ドリルやリューターを使って作業するが、リューターも中のほうまで届かないので、かなり苦労する。

空港展に出品予定の作品だが、カタログに写真を載せるためには木曜日までに写真を撮る必要がある。

しかしこの分では間に合いそうにない。

☆空港展海外作家宛、作品の送付先と諸注意についての案内を送付。

今回は空港へ直接送ってもらう。

☆空港展参加予定作家で、唯一まだデータを送ってきていないイランのEsfandyyarからようやく連絡が来て、昨日までテヘランで第8回テヘランシンポジウムを開

催していたので、全く時間が取れなかったということ。

今週中にはデータを送ると言って来たが、カタログの編集に間に合いそうにない。

場合によってはキャンセルせざるを得ない。


5月14日(日)

☆上天気の一日。

雲はなかったが、霞がかかってすっきり快晴とは行かない。

日中は暑かったが、夕刻からは肌寒くなる。

☆今日も一日、アンジェラスの森で制作。

考えながらの作業なので、なかなかスムーズに進まない。

☆東京の息子たちは、川崎の上の妹の家でのバーベキューにそれぞれの彼女を伴って招待された。

彼女たちにとっては親戚に初めて紹介される場なので、私たちのほうが案じたが、楽しい時間を過ごしたようだ。

これからは私たちが上京していったほうが、家族や親族と過ごせる機会が持てる。

☆今日は母の日なので、私は日ごろの妻に感謝して、全財産をはたいてステーキをごちそうする。


5月13日(土)

☆天気予報では晴れだったが、青空は姿を出さず、一日重い曇天。

午前はかなり肌寒かった。

午後からは少し気温も上昇して、並行してアンジェラスの森は蚊が多くなってきた。

☆久しぶりに、一日、アンジェラスの森で制作。

昨日の雨は、宮崎県内では5月の降雨量では観測史上最大を記録したということ。

特に夕刻からかなり激しい雨だったようで、作業場までの途中の山肌が崩壊していて、午前は復旧作業が続いた。

私の作業場のプレハブも雨漏りで、水浸しだった。

幌を張った軽トラも、どこから雨が入るのか、強い雨が降ると荷台はかなり雨水が入る。

☆中国・Putianからスケジュール通りにPutianに来れるかの確認と、アシスタントの仕事内容についての連絡。

私はアシスタントは制作も手伝ってくれるものと思っていたが、単なる作業場の片付け等の小間使いで、制作作業の手伝いはできないということである。

これはかなり厳しい状況になりそうだ。

Putianには7月1日には入れる旨、返事する。


5月12日(金)

☆朝のうちは上天気。

気温は昨日ほどにはあがらず。

天候は次第に下り坂となって、お昼過ぎから雨となる。

午後からは本格的な激しい雨となり、雷交じりの嵐となった。

☆午前のうちにアンジェラスの森へあがり、制作を少し。

☆夜中に水元さんからメッセンジャーで連絡が入っていて、先日の来訪時に又木さんが石井記念友愛社に行けなかったので、今日またKさんの車で3人で茶臼原

に出かけてくるという。

このことは、昨日の又木さんと水元さんと私とのやり取りの中でそうなりそう、ということでほぼ了解済みだった。

☆午前に水元さんも出品している宮崎県立美術館の「今日の世代展」を見てから茶臼原に向かうということだったので、茶臼原に着くのはお昼くらいになるだろうか

ら、どこかでお昼でも摂ってから友愛社へ、と考えていた。

☆ところが、又木さんが私の作業場を見たいという希望もあって、彼女の提案で途中のスーパーで食料を買って来て、私の作業場で”森の中のピクニック”というこ

とになった。 (水元さんは、一度、息子さんとカブトムシ採収のために、私の作業場には来たことがあるらしい。)

期せずして、33年前の日之影町の昌龍寺手前での雪の田んぼ落下の4人組が私の”アンジェラスの森”の作業場にそろった。

ほぼ、33年目の同窓会という気分であった。

この33年間の間に、4人ともそれぞれに劇的な辛い人生を歩んできたが、なんだか今が最も生き生きしていて、あの時に雪の中に落ちたからこそ私たちはこうし

て生き延びられたのかもしれない、とさえ思う。

又木さんが”次は33年後ね!”と言うが、その時は私はちょうど100歳である。

天国での同窓会になるね、と冗談を言う。

☆お昼を済ませて、友愛社へ。

児嶋理事長には昨日に今日の来訪を伝えてあったので、理事長に3人を託して、私は今にも雨になりそうな気配の中を帰宅し、洗濯物を取り入れる。

雨が本格的になった中を友愛社に戻ると、友愛社の若い職員の方たちが3人を案内していただいていた。

水元さんはこれまでに何度か友愛社を訪れているが、近年建った児嶋虎次郎資料館は初めてだった。

又木さんとKさんは初めての友愛社訪問であった。

☆帰路に高鍋町美術館へ寄る。

昨日の日記に書いたように、又木さんの亡くなったパートナーの岡野氏がにわかに高鍋町美術館と急接近してきたので、青井学芸員に岡野さんの資料を渡すた

めであった。

私や水元さん、Kさんはこれまでに亡くなったパートナーのことはほとんど又木さんからは聞いていなかった。

又木さんも私たちにはあまり積極的には語らなかった。

しかし今日は岡野氏の天才的な画業や様々な不思議な因縁等について、又木さんからお話しいただいた。

やはり、今回の一連の出来事も、何か必然的な流れを帯びている。

おそらく、日之影町・昌龍寺の又木さんの襖絵を見た時に私がオーブ(たまゆら)を感じたのは、こういう一連の魂のつながりを感じたのかもしれない。

不思議な濃密な人のつながりを感じる日々だった。


5月11日(木)

☆一気に夏日。

西都市で31,4度の日本最高記録。

高鍋も30,5度。

しかし風が強かったので、空気自体は蒸し暑さはなく、爽やかな気候だった。

☆朝一に、バーレンのKhalid宛、空港展懇親会への招待状をEMSで送る。

☆さて、今日の午前から空港展の作品にかかろうと思っていたら、とんでもない動きがあって、午前はずっとパソコンの前に張り付く有り様となった。

昨日の又木さんと高鍋町美術館の青井学芸員との話の中で、又木さんの亡くなったパートナーであった画家・岡野耕三氏について、又木さんに教えてもらったネッ

ト情報をメモの形で青井さんが朝一にFacebookにUPしていたので、私もシェアした。

ところが思いもかけない形で、濃厚な”縁”が渦巻いてきたのである。

私のFacebookを見た元・倉敷美術館長の岡本悍久氏から、次のようなメッセージが届いたのである。

”岡野耕三さんは私の地元倉敷市の児島出身です。生前親しくお付き合いをさせてもらっていました。亡くなられた時、又木さんも来られ関係者(私も出席)とともに

地元の児島の瀬戸内海に散骨されましたよ。私は館長時代、耕三さんの作品の調査をする一方、倉敷市立美術館にも作品を所蔵しました。名前をお聞きし懐かし

いです。又木さんによろしくお伝えください。”

まさか!、の縁である。

岡本氏は、倉敷まちかどの彫刻展の時の担当者で、しかも私の作品は岡野氏の出身地の倉敷市役所児島支所に設置されている。

その岡本氏と又木さん、又木さんの亡くなったパートナーの岡野氏がこういう濃密な関係だったなんて。

しかも又木さんも岡本氏も空港展参加作家である。

☆このことをすぐに又木さんと青井学芸員に伝えると、縁はさらに深まっていった。

又木さんとはメッセンジャーの電話でずっと岡本氏とのかかわりなどを話していたのだが、同時に青井学芸員からも驚くべき報告が届いた。

実は高鍋町美術館は高鍋町出身の石井十次との関係で、倉敷美術館とは開館当時から密接な関係を持って来ている。

高鍋町美術館はもう間もなく開館20周年を迎えるので、青井学芸員はその企画に石井十次と縁の深い岡山の画家を紹介できないかとプランを練っている。

この作家についての情報提供は、石井記念友愛社の児嶋理事長からだということである。

ところがその作家の作品は倉敷美術館に所蔵されていて、青井学芸員と倉敷美術館の学芸員とで打ち合わせを進めているのだという。

その倉敷美術館には、又木さんの亡くなったパートナーの岡野氏の作品も所蔵されているのである。

なんだか、いろんなことが一気に結びついてきた。

そしていつも中心にいるのは石井十次なのである。

☆あっという間にお昼になった。

又木さんとの共通の友人である画家の水元博子さんが、又木さんと1日入れ違いで、今日に木城町茶臼原の「仮面美術館」の高見館長を訪ねるということだった

ので、連絡を取ると、今「仮面美術館」に来ているのですぐに来て!という返事。

すぐに車を走らせていくと、水元さんは彼女の同級生のKさんと来ていて、高見さん夫妻とお昼を摂っているところだった。

私もお昼を摂っていなかったので、一緒に高見館長奥さんのカレーをごちそうになる。

☆実はKさんは私の大学後輩で親しくしていて、その関係で彼女の同級生の水元さんとも飲み友達になったし、Kさんが又木さんのファンでその関係で水元さんと

又木さんも親しくなり、私たちはいつの間にか飲み仲間になったのである。

そして、例の33年前に雪の夜の日之影町の山道で、昌龍寺手前の雪の田んぼに車ごと落ちたメンバーである。

私たちは33年後に、こうしてそれぞれに劇的な人生経験を経て再会したというドラマのようなシチュエーションである。

そしてまた何か新しいドラマが始まりそうな感じである。

☆水元さんは、美術集団フラクタスの関係で高見館長とは交流が深く、今回は高見館長が近年ライフワークで取り組んでおられる神楽の33番を長巻の和紙に描

かれている墨絵を見に来られた。

私も初めて知ることだったので、興味深くていろんなお話を聞かせていただいた。

長尺の墨絵は現在で75mに達しているということである。

☆彼らと別れていったん自宅へ戻り、作業服に着替えてアンジェラスの森の作業場へ。

「仮面美術館」と私の作業場は同じ森続きのすぐそばである。

ようやく、今年の空港展の作品に取り掛かる。

☆夜は火産霊神社夏祭りの奉賛会役員会総会。

今年の夏祭りは7月21日・22日。

私は今年も海外滞在で夏祭りには不在だが、長男が太鼓台を担ぎに帰ってくるので、長男に祭日を連絡する。


5月10日(水)

☆天気予報では晴れだったが、雲の多い一日で、ほとんど曇天。

夕刻にようやく青空が広がる。

気温は上がらず、春の寒さに逆戻りした。

☆午後に画家・又木啓子さん来訪。

又木さんは、この後7月に湯布院の由布院駅アートホールでの個展開催が決まっていることは先日の日記に書いた。

このアートホールでの企画は一般の画廊のように作家からの申込みを受け付けるのではなく、アートホール側からのきちんとしたキュレーターによる作家選定作業

による依頼だということである。

それで昨日から泊まり込みでスタッフが数名で都城市に打ち合わせに来ていて、今日は帰りしなに、宮崎市のアートセンター、木城町茶臼原の「仮面美術館」(館

長の高見さんが、もともと湯布院で「空想美術館」をやっておられて、来られたスタッフの中にも高見さんの実弟がおられた)を経て、高鍋町美術館に来られた。

又木さんはついでに同行されて、高鍋町美術館に連れてきてもらったということである。

湯布院のスタッフたちはレンタカーで来られていたので返却の時間がぎりぎりだということで、美術館前で又木さんを下ろされて、私も彼らに会釈をしただけで終わ

った。

☆又木さんは高鍋町美術館の運営や青井学芸員に関心を持たれていたので、閉館までの時間を青井学芸員と様々な意見交換、情報交換をされた。

高鍋町美術館のことは大変気に入っていただけたようである。

☆帰りは電車で都城まで帰られるので、高鍋駅まで送る。

☆今年の空港展の海外作家のデータ締め切り日だったので、今日までにおおむね作家のデータがそろった。

唯一、イランのEsfandyyarのみ、何も言ってこない。

いい加減な男なので、作品の準備もなく逃げているのだろう。

☆出品作家にはDMが届いているので、FacebookでDMをアップしてくれる作家が多くなった。

そのうちの一人が、DM画像だけではなく文字原稿でもアップしていたので、Viktar CopachをKopachに訂正してもらった。

その人は、今最も多くの海外シンポジウムに参加している日本人彫刻家なので、海外の作家たちが多く見るからである。

そうしたらDM画像のほうも修正してくれた。

それで修正したDM画像を、海外参加作家へ再送する。

☆Khalidには、昨年暮れに私が泊まったカプセルホテルの英語予約ページの情報を送る。


5月9日(火)

☆一日雨。

特に午後からは本格的に激しく降る。

午後からは気温も急降下。夕刻からはジャンパーを着る。

☆今朝の宮崎日日新聞県北版に、日之影町・昌龍寺の又木さんの記事が掲載される。

昨日のワイワイケーブルテレビでも放映されたので、又木さんの許可を得て、Facebookに襖絵の画像を公開。

又木さんからは最終段階の画像も送ってきた。

☆バーレンのKhalidから、ビザはバーレンの日本大使館で簡単に申請出来ることが分かったので、招待状の原本を送ってほしいということ。

これでほぼ空港展懇親会への参加来日が実現できそうだ。

日本には10日ほど滞在の予定。

また日本での滞在期間中の宿泊について、芸術家専用の滞在システムはないかと問い合わせてきたが、私には心当たりはない。

台湾には芸術家村という芸術家滞在用の格安滞在システムがあるが、日本にもあるのだろうか。

現在は海外からの旅行者たちはカプセルホテルに泊まっているし、カプセルホテルは思ったより清潔で快適だった。(枕元のイビキを除けば)

このあたりの情報を調べて知らせてあげたい。

☆フランスの新しい大統領マクロン氏の奥さんが、彼の高校時代の教師で24歳も年上の方だというニュースに、妻が朝食時にニュースで知って驚いていた。

”あなたは知らないかもしれないけれど、昔ね、同じような高校生と女教師との禁断の愛を描いたフランス映画があったよ”と応えた私。

ところが、それからしばらくして、今日も過去の日記帳をめくっていて、私が大学4年時の初冬の日記の中に、その映画、’愛のために死す”(1971年 フランス・イ

タリア合作)を観に行ったことが書いてあり、あまりの符号にびっくりした。

この映画は、五月革命が吹き荒れる1969年のフランスで、実際にあった、高校の女教師と教え子との恋愛事件を材に取った悲劇の純愛映画で、当時大きな話

題を呼んだ。

マクロン氏同様、この映画の主人公も17歳の時に母校の女教師と熱愛に陥ってる。

マクロン氏は大統領になったが、映画のほうは悲劇に終わった。

☆さらに日記をめくっていたら、その映画を観た直後に、私の青春時代の中で極めて突出して忘れがたい事件が起きた。

その事件によって、私はとても大切な人を某施設に入所させなければならなかった。

そして、私はこの観たばかり”愛のために死す”の中の悲痛な情景と目の前の情景が重なってしまって、その人を某施設に入所させることに大反対している。

この事件にかかわった人たちも、もうほとんどの方がこの世にいない。


5月8日(月)

☆今日も天気予報では晴れの予報だったが、概ね晴天ではあったが午後からは雲が出て陽射しが陰る。

黄砂も少しあったようで、遠景は霞がかかっていた。

それで布団を干すのは止した。

☆午前に空港展のDMが事務局より届く。

さっそくスキャンして、海外作家へ添付メールで送る。

折り返し、Viktarから、彼の姓のKopachがCopachになっているとの指摘。

私が事務局・田村に渡した開催要項の原稿ミスである。

カタログの原稿はKopachになっているので、その旨伝える。

☆午後に、預かっているGeorgiとViktarの作品写真を撮る。

初め、玄関で撮ったが暗かったので、海辺へ走って撮り直す。

折よく、雲が多くて陽射しがなかったから、陰影の強い写真にならなかったので助かった。

写真をいくつか選んでGeorgiとViktarへ送る。

☆折り返し、Viktarから選んだ写真の連絡と、近況が届く。

VikatarもBenQと今日発表された中国・長春は選外だったということ。(長春は私も選外だった)

Viktarは、はた目には1年中、世界のシンポジウムを飛び回っているように見えるけれど、私同様そうでもないようだ。

私も彫刻仲間からは1年中シンポジウムに参加しているように見られているが、この日記に書いているように、最近はエントリーしたシンポジウムはことごとく選外

の憂き目にあっている。

私の近年のシンポジウム参加はほとんどが招待である。

Viktarも今年は5月のカナダしかシンポジウム予定は入っていないということ。

ああ、私と似たようなものだとほっとする。

☆バーレンに帰国したKhalidからもデータが届く。

私はもう記憶に残っていなかったが、彼の経歴をチェックしていたら、空港展には2006と2008の2回参加している。

つまり今回が3回目の参加ということになる。

招待状の送り先の住所も記載してあったので、やはり懇親会参加のための来日希望はそのままのようだ。

すぐにEMSで発送できるように、招待状等の準備をする。

☆先日の日之影町・昌龍寺訪問の件で、33年前(昭和59年)の日記を読み返そうと思ったが、いくら探しても昭和55年までのものしか見つからない。

昭和56年以降は日記をつけていなかったのだろうか。

それで、昭和54年、55年あたりの日記を読み返してみたり、今日は別の調べものでインドへ発つ前の日記(昭和49年)を読み返したりした。

当時は実に丹念に日記をつけていて、読んでいてすごく面白い。

私は今もこうやって日記は付けているが、このネット上での日記は公開前提のものなので、プライベートなことは記せない。

昔のプライベートな日記は、忘れていたことも多く、もうほとんど客観的な内容で、まるで私小説である。

この日記を活字にして読みたいとさえ思う。

今日読んだインド以前の毎日は様々な出会いがあって、こうした出会いが今の私につながっているのだと痛感した。

と同時に、今日の日記に登場した友人知人の多くがもうこの世にいないという衝撃。

今の私はこうした今は亡き人たちによって導かれてきたのだという自覚。

これからも好く生きていかなくては。


5月7日(日)

☆天気予報では晴天の一日だったはずだが、晴れていたのは早朝のみ。

次第に雲が出て曇天の一日となる。

黄砂のせいかなとも思ったが、夕刻に雲が切れて青空が広がると、黄砂の影響は微塵もなし。

夕刻からは冷え冷えとしてくる。

☆午前はプランターに支柱を立てたり、午後は次男からLINEで送られてきたライブ動画のダウンロードに振り回される。

☆結局、このゴールデンウィークは、だらだらと過ぎてしまった。


5月6日(土)

☆爽やかに晴れた一日。

日中はかなり蒸し暑かった。

高鍋町は27,8度。

ようやくこの季節の感覚になってきた。

☆午前は、リビングの身の回りの片付け。

身の回りにはすぐにいろんなものが積み重なって溜まってしまう。

☆午後半ばに妻が帰宅。

東京は暑かったようだ。

☆妻が昨夜の大学同窓生たちとの宴の時に、”彫刻家のご主人は収入はどのくらい?”という質問を受けたらしい。

妻がさらりと、”収入はないよ”と答えたら、みんなびっくりして、”普通じゃあ考えられない!どこか隠し金でも貯めてるんじゃあないの?”と突っ込まれたそうだ。

しかし本当に定期収入などない状態だとわかって、”それじゃあ、やっぱりきちんと家事をやってもらうしかないね”。

ということで、私はきちんと夕刻からは主夫業を果たす。

周りの私の友人たちはみな同じような立場なので、妻もよくわかってくれてはいるが、芸術家は定期収入の職業には就けないので、全くもって面目ない。

☆ところでやはり不安が的中した。

台湾・BenQからは選考結果も届かないので、確認のために私のエントリーデータは届いているのか、事務局に確認のメールを送っていた。

今日の午後に返事が来て、やはり受け取っていないという。

メール先が間違っていたのだろうという返事だった。

やはり、私のメールはどこかで消えてしまったのだ、データ受信のリプレイがないときは必ず確認すべきだったと悔やんだ。

メールを送った時には、必ず受信されているかの確認が必要なのだ。

☆ところが、私がエントリーデータを送信したときのメールを確認したら、容量が大きかったので2回に分けて送っていたことに気付いた。

2通のメールともが送信途中で消えてしまうことはない。

☆実は、要項に記載してあるある2017****@gmail.comというメールアドレスをクリックすると、2017のない****@gmail.comというアドレスにリンクが張られ

ている。

何度やってもそうだったので、それで正しいのだと思って、私はそのままデータを送った。

ところが、今日の事務局のメール文では2017****@gmail.comが正しいアドレスで、私は別なアドレスへデータを送ったのだろうと書いてある。

しかも事務局から送られてきたアドレスは2017****@gmail.comで、きちんと頭に”2017”がついている。

つまり、要項に記載されている2017****@gmail.comが正しいメールアドレスで、そこにリンクが張られていた****@gmail.comは今年の2017BenQのエント

リー受付用のアドレスではなかったということになる。

私のエントリーが受け付けられていなかったのは私のミスではなかく、事務局のリンクミスだったのだ。

ということは、私同様にリンクミスでエントリーデータを送ってしまった作家が大勢いるはずだ。

事務局はどうしてそのことに気が付かなかったのだろう。

誰か作家が気がついて事務局に問い合わせれば、Facebook等で訂正の案内がある。

先日エントリーしたのにメールが返ってきた別のシンポジウムは、やはりアドレスが間違っていてFacebook等で訂正の案内があった。

なんともやりきれない!

☆じゃあ、私の質問を事務局はどうして受け取ったのだろう。

私が送信した質問メールを見ると、なんと送り先のアドレスが2017****@gmail.comとなっている。

なぜ?

試しに開催要項のアドレスにクリックしてみると、”2017”の部分をクリックすると2017****@gmail.comにリンクが飛び、”****@gmail.com”の部分をクリッ

クすると、間違ったアドレスの****@gmail.comにリンクが飛ぶ。

事務局の完全なリンクミスで、私は”****@gmail.com”の部分にクリックして、データを送ってしまったのだ。


5月5日(祝・金)

☆朝のうちまで雨。

午前は小康状態で、お昼から一気に青空が広がる。

しかし再び夕刻から曇天となり、気温も冷え冷えとなってきた。

☆昼前に、空港展出品の台湾・Lienの作品が届く。

先日2日に送ったというから、早い。

開梱して破損の有無を確認。破損はなし。

開梱画像をLienに送付。

☆午後から気持ちよく晴れてきたので、高鍋町美術館で開催中の「第14回高鍋町美術展」に足を運ぶ。

気軽に出品できる無鑑査の展覧会だが、今年はあらたに地域ならではのテーマを設定した。

今年のテーマは「尾鈴山」。

また、アンデパンダン展は気軽に出品できる敷居の低さがあるが、同時に何らかの評価や反応が欲しいという出品者の声もずっとあった。

それで今回からは、各部門に人気投票制を取り入れて、各部門の人気投票一位獲得者を表彰し、また投票用紙に書かれた各作品へのコメントを出品者に届ける

シスステムも導入した。

今のところ平面のみの展示だが、陶芸人口もあるので立体部門の導入について美術館事務所で検討してみたが、無審査ゆえに”工芸”の範疇を超えたもろもろの

立体物が搬入される恐れも強いので、もう少し突っ込んだ検討が必要だろう。

☆美術館から帰ってきたら、我が家の庭の白藤が青空に向かって満開なのに気が付いた。

このところ雨ばかりだったので全く気が付かなかった。

☆今夜も独りで、パソコンのGAOの映画を2本見て過ごす。

邦画の凡作。おかしさも切なさも今一つ。

酒も進まず。

妻たちは、次男のバンドのワンマンライブを見て、大学同窓の友人たちと渋谷で楽しく飲んでいる由。


5月4日(祝・木)

☆ゴールデンウィークだというのに、一日雨。

かなり本格的な雨。

☆もっとも、ゴールデンウィークと言っても、私は何の予定もなく家でぼんやり過ごす。

妻は息子たちと大学同窓生たちに会うために上京した。

今夜は息子たちと美味しいラムシャブを食べている画像がLINEで送られてきた。

私は5月の予定が全然立たなかったのと、無職無収入の身で上京するのは不可能の身分で、自宅待機である。

☆夜は一人さびしく、パソコン画面でGAOで”テルマエ・ロマエ”と”おとうと”を見る。

”テルマエ・ロマエ”は一度飛行機の中で少し見ていたので気になっていた映画である。

発想の面白さに楽しめた。

”おとうと”(2010年 山田洋次監督)は吉永小百合扮する姉・吟子の美しさと、大衆演劇に入れ込んで兄姉や親族に迷惑ばかりかけている笑福亭鶴瓶扮する弟・

鉄郎の哀れさが、やはり定期収入のない”彫刻家”という生き方で妻や家族や親族に迷惑ばかりかけて生きているわが身と重なって、涙が出て止まらなかった。


5月3日(祝・水)

☆夜中に凄い雨。

午前中は小康状態だったが、午後から雨模様となり、午後半ばからは本格的な本降りの雨となった。

どうやらこのゴールデンウィーク中はずっと雨模様らしい。

☆昨夜はかなり飲んだ。

又木さんは私が寝込んだ後も、あれから襖絵を描きこんだようだ。

☆午前に延岡ワイワイケーブルテレビの取材。

ケーブルテレビとしては制作中の様子を明日に放映したかったようだが、又木さんとしてはこれからが一番精神を集中させて完成に持っていかなければならない時

期なので、この連休中にお客が見に来ると仕上げに集中できないということで、放映を来週に延ばしてもらって内容も襖絵が完成したという内容での放映としてもら

うように変更してもらった。

私との関わり合いは丈法住職のインタビューの中で語ってもらった。

☆午前はお寺に法要が入っていたので、取材も一時中断。

私はその間、不動明王像の安置されているお堂の天井を見上げていたら、古い天井画に気づき、それが延岡城二の丸書院の天井画で、延岡牧野藩から譲り受

けたものを旧本堂の天井画として使用されていて、本堂を立て替えた時にこの不動明王のお堂の天井に移転保存されたということを初めて知った。

☆又木さんは5日まで制作を続けて6日に山を下りる予定とのこと。

7月には湯布院の由布院駅アートホールでの個展が控えているということ。

残念ながら7月は中国・Putianなので見に行くことはできない。

☆私はお昼に昌龍寺を発ち、途中、北方町道の駅でほとんど味のないまずいラーメンを摂って帰路に就く。

午後2時前に帰宅。

☆日之影の昌龍寺に又木さんたちを連れて行ったのは、父の亡くなった翌年の正月明けだったので仏壇の位牌を調べたら、父の没年は昭和58年となっている。

つまり翌59年の正月明けなので1984年ということになり、又木さんの言うようにやはり33年前であった。

よく正確に覚えていたものだ。

☆帰宅後は妙に疲れが出てボーっと過ごし、早めに9時過ぎに寝る。

しかし妙に暑かったり寒かったりと体温の調整がうまくいかず、すぐに目覚めてなかなか眠りに入れなかった。


5月2日(火)

☆午前のうちはよく晴れたが、午後からは曇天となる。

気温は上がらず。

☆午前に空港展海外作家データ未返信者へ再・再・再の催促メール。

☆午後1時に我が家を発ち、日之影町へ向かう。

昨日処置した軽トラの高速道路風圧への対策は見事に成功した。

走行中はこれまでのような幌のばたついた音もなく、日之影町までまったく幌はめくれなかった。

☆高速を使って初めて日之影町へ向かったら、隣の北方町の道の駅にちょうど1時間で着いてしまった。

予定時刻より早めに着いてしまったので、しばらく道の駅で時間を潰して、3時前に日之影町の昌龍寺へ着く。

☆昌龍寺へ出向くのは何年振りだろうか。

六地蔵の最後を納めてから久しく来ていないように思う。

実は昌龍寺ではスペイン在住の画家・又木啓子さんがお寺の本堂の襖に絵を描くために滞在制作中なのである。

☆襖絵は本堂に隣接する待合室の襖24枚に描かれている。

本堂と接する襖絵をたどって行くと待合室に入っていくという流れである。

本堂側の襖には大きな白と黄色が主体の丸いフォルムが乱舞し、待合室に折り返すと青が加わり色彩が増してきて、最終的に待合室の燃えるような赤いフォルム

に収れんしていく。

生命が、人の魂が浄土の世界へ導かれていく流れである。

たまたま私は今日の午前に調べ物をしていて、久しぶりにオーブ(たまゆら)の写真を見ていたばかりだったので、それはまさにオーブの世界だった。

それで私は一目で又木さんの表現する世界を感得した。

しかし、私が”おっ!オーブ!!!”と叫んでも、又木さんも昌龍寺の霊元住職夫妻もオーブのことはご存じなかった。

☆襖には上部に般若心境の写経が2枚ずつ張られていた。

又木さんは最初戸惑ったようだが、写経もデザインの要素としてとらえ直して、私はとてもお寺らしくて良い効果を出していると思った。

☆しばらくして夕刊デイリーの取材が来た。

この昌龍寺には私の制作した不動明王坐像や六地蔵があり、その関係でずっと昔に又木さんや画家の水元博子さんたちを連れてきたことがある。

又木さんに襖絵を描いてほしいという住職の願いはそれ以来であり、今回ようやく又木さんのタイミングが合って制作にたどり着けることができた。

又木さんと住職の霊元丈法さんの話では、又木さんが昌龍寺に来てから33年ぶりに願いが実現したということである。

それで夕刊デイリーの取材には私も又木さんと昌龍寺の縁を取り持った取材対象となり、襖絵の前で又木さん、丈法住職、私の3人がそろっての写真となった。

☆実は33年前は又木さんや水元さん、彫刻家の佐藤弘徳君たちと夜神楽見物に出かけてきたのであるが、その前に昌龍寺へ立ち寄ろうとしたところ、積雪の山

道で車がスリップして雪の田んぼの中に落ちてしまった。

それで丈法さんにヘルプをお願いしたら、檀家の農家の方がトラクターで引っ張り上げてただいた。

無事に昌龍寺にたどり着くと、私は暮に父が亡くなってまだ忌がかかっている状態だったので、汚れた身で神楽へ行こうとした天罰だと丈法さんに説教され、結局

は夜神楽は断念して、そのまま昌龍寺で飲み明かしたのであった。

☆又木さんの襖絵はほぼ完成の手前まで進んでいたが、ちょっと行き詰っていて専門家としての私のアドバイスを聞きたいと、私の到着を待っていたということ。

取材の後はそういう話もしながら、そして作品タイトルも私が来てから相談して決めたいということだったので、又木さんと丈法さんの素案を基に、私が感じた魂が

浄土世界へ帰っていくというコンセプトを念頭に置いて、”臨光”というタイトルに決まった。

☆夕食の後は、又木さんと待合室の襖絵の前で宮崎の美術界のことなどあれこれ飲みながら語る。


5月1日(月)

☆今日も爽やかな五月晴れ。

日中は気温は高かったが、夕刻からは冷え込んでくる。

☆空港展のパンフレット用文字データの締切日だったので、今日まで届いている4名分の海外作家のデータを事務局・田村まで送付。

いまだ返事のない海外作家宛に再・再・催促のメール。

夜中までに2名からデータが届く。

残りは3名だが、1名からは国外にいるので帰国するまで待ってという返事。

1名はFacebookでの情報でシンポジウムに参加中。

1名からは返事がない。時期的に多忙なのだろうか。

☆明日、高速を走る予定なので、高速に入った途端に軽トラの幌がまくれ上がって大変な状況になることへの対応をする。

骨組みの高さを縮めて幌の引張りを強くしてみたが、やはり高速の強風に向かえば骨組み自体が浮き上がってしまうのであまり効果は期待できない。

それで幌自体の浮き上がりを最小限にするためには、運転席側の幌を固定すればよいことに気が付く。

しかし、荷積みの時に運転席側の幌もまくり上げなければならないことがあるので、簡単に取り外しできるように、ねじ止め式のワイヤー固定用のステンレスリング

をホームセンターで調達。

はたしてうまくいくか。



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