2020 | 2月29日(土) ☆朝方は強い雨。 昼前には青空も見えて、一気に暖かくなったが、午後は再び雨となる。 夜には雨脚は止まる。 ☆朝食時に、使いこなしている小皿と日本酒用の片口を割ってしまった。 食器の割れが続く。 要注意。 捨てるのは勿体ないので、接着剤で接合する。 ☆夜は中町公民館の庚申講。 夕刻6時に火産霊神社境内の庚申塚に参拝。 通常はそこから講宿の自宅へ向い、三種の庚申講肴を摂って、2次会の宴会場で宴を持つ。 しかし、近年は住宅事情も変わってきて、講宿での開催が難しくなってきたので、今年の講宿はいきなり2次会会場での会食となった。 時代の流れでむべなるかな、という面もあるのだが、三種の庚申講肴と一緒に2次会の食事も一緒に出てきてしまった。 これでは庚申講肴を出す意味がない。 先ずはおごそかに庚申講肴を摂ってけじめをつけ、それから宴会に這入るべきだろう。 2年後には私が講宿になるので、その辺りのけじめはしっかりさせたい。 ☆中町はみんな商売人なので、コロナウイルスの影響は何処にも深刻なダメージを与えているようだ。 2月28日(金) ☆一日曇天で、冷え込んだ。 夕刻からは雨となる。 ☆午前5時41分にグラリと震度1の地震。 ☆午前と午後後半にアンジェラスの森で作業。 ☆やはり宮崎県内の小中・高は3月2日から休校となった。 ただ春休みまでではなく、2週間の休校で、その後についてはその時の状況で判断するということになったようだ。 急急のことなので、その対応のため明日と明後日は登校となったということ。 余りにも突然のことなので、2週間も子供達を家に置き去りに出来ない家庭が殆どだろう。 ☆コロナウイルスの感染が急激に拡大しているイタリアでは、美術館も閉鎖されているようだ。 おそらく日本もそうなるのではないか。 そう思っているところへ、北海道が緊急事態を宣言して、外出を控えるように呼びかけている。 それに合わせて大型商業施設も臨時休業を決めたりしているので、そうなると日本でも美術館の閉鎖の可能性が高くなってくるだろう。 2月27日(木) ☆午前のうちはよく晴れて暖かかったが、風が強くて次第に冷え込んできた。 午後からは雲が多く出て、夕刻からはぐんぐん冷え込んでくる。 ☆午前にアンジェラスの森へ。 オーストラリアのマケット制作。 ☆午後は高鍋町美術館にて、令和元年度第2回高鍋町美術館協議会。 会長の私が議事進行を勤める。 内容は令和2年度の事業計画内容等。 ☆コロナウイルスの影響が高鍋町美術館にも出てきた。 3月にワークショップが予定されていたのだが、私は美術館の作業場は狭く少人数での開催なので、問題ないのではないかと思っていた。 ところが昼になって、フェイスブックでワークショップ中止の案内が届いた。 実はワークショップの担当作家から、具体的なワークショップの内容等が今朝届いたばかりで、ホッとしているところへ、博物館(日本では美術館は博物館の一種) を管轄する文化庁からの指示で、一切の美術館での共催イベントの中止が下されたと言う。 ☆会後に、教育長からの申し出のあっている、叔父の道北昭介の顕彰についての打ち合わせ。 地元の高鍋町美術館で、道北昭介の作品を把握して顕彰活動を進めて行きたいということ。 先ずは作品の所蔵先の確認と作品リスト作成の作業を進めて行きたいということで、私もできることから協力していくことになった。 ☆夜になって安倍首相の”3月2日から春休みまでの全国小中学校、高校の臨時休校要請”という、とんでもないニュースが飛び込んできた。 身うちに教育関係者が居るのでラインで憤りが届くし、妻も3月で退職し、最後の教え子たちの入試と卒業式を控えているので絶句状態である。 日本中がとんでもない事態になって来たと、私も体が震えて来た。 本当に日本社会全体が崩壊しかねない。 2月26日(水) ☆夜中から気温がめ。 日中も暖かかったが、殆ど曇天。 ☆午前にアンジェラスの森へ。 オーストラリアのマケット制作。 ☆午後に漏水の水道工事。 午後一番に現場を見られて、午後半ばに作業に入る。 やはり下水管に添った水道管の継ぎ手が劣化して、あちこちから水が噴き出していた。 こんなに激しく水道水が吹きだす現場は初めてだという事であった。 普通は水道管の劣化は30年後あたりから始まるそうで、我が家はまだ家を建てて21年目なので、劣化が早すぎる。 家を建てた時の水道工事の手抜きではないのだろうか。 工事は継ぎ手をやりかえるだけなので、心配した難工事にはならなかった。 ☆コロナウイルスの感染が拡大の勢いだが、とうとう韓国・大邱からの日本入国は禁止措置となった。 昨年の空港展にも大邱から数名来てくれて、今年も来ると言っていたので残念だ。 おそらく秋までには終息しないのではないのか。 今の状況では、日本からの入国も禁止する国が増えて行くと思われるので、そうなると私も海外のシンポジウム参加が出来なくなってくる可能性が非常に高い。 現在、ただでさえ日本国内での仕事が全く無く、海外のシンポジウムに参加することによって細々とやり繰りしている私にとっては、海外シンポジウムが閉ざされる と完全に収入ゼロになってしまう。 妻も3月で退職なので、4月からはわが家は収入が激減する。 真剣に彫刻家廃業を考えて行かなければならない事態になりつつある。 ☆人類最初のパンデミックは1918年のスペイン風邪である。 全世界で5,000万人から1億人が亡くなっている。 余りにも多くの死者が出たので、兵士が激減し第一次世界大戦が終わったとも言われている。 日本では35万人が亡くなっているが、田中家でも祖母が28歳で父たちの末弟の産後に、母子ともにスペイン風邪で亡くなっている。 それに較べると、今回のコロナウイルスの致死率は低いが、予断はできない。 2月25日(火) ☆今日も暖かい一日。 午前はよく晴れたが、午後からは雲が出て影って来たが、夕刻からは再び雲が切れた。 ☆夜中も右足の踵が疼いて痛かった。 日中も痛みが残っているが、ずっとデスクワークであまり動かなかったので日常の動きには影響は無かった。 ☆今日は水道工事に来てくれることになっていたので、外出もできず、デスクワークをしながら業者が来るのを待った。 しかし夕刻になっても何の音沙汰もないので設備会社に電話してみたら、なんと受付の方が私の名前を聞き間違えていた。 明日の午後に来てくれることになった。 ☆下書きしていた確定申告書を清書して、夕暮れて高鍋税務署の時間外受付ボックスに投函。 昨年の事業収入は、彫刻工房設立34年間で、過去2番目に少ない収入だった。 昨年は長期間海外に居たのでよほど儲かっているとみんなから思われているが、実際はこんなものである。 働いても働いても・・・・。 この先年を取るごとに海外へ行く機会も激減するから、過去最低収入記録を更新してゆくばかりなのだろう。 ☆インドから帰国して今日で2週間。 今のところ発熱も無く、コロナウイルスの感染の懸念は晴れた。 一方、エントリーしていて落とされた某海外のシンポジウムは、どのみち選ばれれば香港ドラゴンを使う予定だったので、選ばれてもその国へ行くことは出来なかっ ただろうとオルガナイザーに伝えたのだが、昨日になってその国へは日本と韓国からは入国禁止措置となった。 招待された日本人作家はその国の日本大使館に作品を設置されることになっているので、日本人作家のどなたかが選ばれていることは確実なのだが、結局は入 国できない事態になった。 シンポジウムはもうすぐ始まるのでチケットの手配など済んでいる筈だから、大変だろう。 そうなると、いよいよ私もオーストラリアへ行くことが出来るのか、予断できない状況になってきた。 2月24日(祝・月) ☆春のような麗らかな陽気の一日。 ☆午前に、高鍋町美術館で開催中の谷澤菜緒さんの”紫木蓮”展へ。 小学時代から不登校の傍ら、独学でイラストレーションを描いてきたという彼女。 我が家の次男と環境が似ていることもあり、出かけた。 又木啓子さんが昨秋に二人展を開催した折り、何度か訪れた高鍋駅前のカレー店”静”で彼女の作品と出会い、又木さんが高鍋町美術館での作品発表を勧めた ということであった。 カレー店のオーナーの長友さんも会場に居られて、いろいろお話を伺う。 現在は土曜日にお店に滞在して作品を制作し、彼女のファンを拡げているということ。 独学という事だが、技術レベルはかなり高く、コンピューターグラフィックも駆使している。 頑張ってほしい。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 私もハーモニカでジョイントする。 ☆夕刻に、高鍋に所用で来られていたジャズミュージシャンの照沼さんも来訪。 コロナウイルスの影響でいろんなイベントが中止になり、彼の出演する予定だったステージが次々にキャンセルになってしまっているということ。 プロのミュージシャンにとっては死活問題だ。 ☆確定申告の下書き。 2,3日内には提出できる。 ☆夕食後に、35年前に骨折した右足踵に激痛。 立てなくなった。 インドからの帰路の各空港内での移動が長くて、その時に痛みが出ていたのだが、何故今夜になってこんな激痛が?! 2月23日(日) ☆晴天の一日。 よく晴れて気温も上昇。 しかし空気自体は昨日より冷たかった。 ☆夜中、肩凝りがひどくて、いったん目が醒めるときつくて眠れなくなってしまった。 ☆午前に水漏れ場所をスコップで掘ってみたが、一向に水道管が出てこない。 水漏れ検査の業者がチェックした場所からは水が出て来なくなって、下水道のパイプの下から水が湧き上がってくる。 これはちょっと厄介なことになってきた。 業者との点検の時には、エアーと水の吹き出ている所に水道管があり、そこが破れているのだから、素人の私でも簡単に修復できると思っていた。 ところがいくら掘っても水道管は出てこないし、思いもかけないところから水が湧き上がっている。 どうして下水パイプの下にある水道管が破れるのだろうか。 以前に、下水道の工事をした時から水道料が一気に高くなり、ほかの子供が沢山いて我が家より水道使用量が多いはずの家庭よりもべらぼうに水道料が高くなっ たことがあった。 皆からもおかしいと指摘されたし、私も水道課に行って状況を話し、一般家庭の平均水道料のデータを見せて貰うようにお願いしたが、取り合ってもらえなかった。 それで、ひょっとすると下水工事の時に既設の水道管を傷めたのではないかと、15,6年前からの水道料を調べてみた。 確かに子供たちが我が家に居る間の水道料は、昨年に漏水が始まったときより各段に高い水道料だが、子供が家を出て行って夫婦2人だけの生活になってから は水道料は半額になっている。 そして子供たちが居る間には宅内漏水の報告は無かったので、やはり下水工事中から漏水していたことは無かったのだろう。 下水道のパイプの下だと、水道工事は厄介な事になってしまうのではないのか。 ☆午後後半から、アンジェラスの森で制作。 ☆今日は行橋に久保健史君が訪ねてくれたようだ。 招待作家のオスカルとアンナとはエジプトのハルガダシンポジウムで久保君と一緒だったのだ。 その画像をフェイスブックに挙げたら、夜に台湾の張さんからメッセンジャーで電話が這入った。 何やら背後が騒々しい。 そうしたら、いま嘉儀でシンポジウム開催中で、同じエジプト・ハルガダで一緒だった張さん、オレーナ、ブットリントたちが参加していて、次々に電話を替わってくれ た。 有難う、みんな素敵な仲間たちだ。 張さんとは4月にオーストラリアで一緒になる予定である。 2月22日(土) ☆朝のうちは雨。 午後からは雲が晴れて一気に快晴。 4月上旬並みの暖かい一日。 ☆昼に、3月末に予定している中学校同窓会の古希同窓会準備委員会の会合。 メインは出席者の集約だったのだが、当然、コロナウイルスの問題で開催できるのか、という大きな難題が付きつけられた。 基本的には予定通り開催する、ということで全員一致。 ただ状況は毎日変化して居るので、開催日直前に高鍋町周辺から感染者が出れば、同窓会開催は不可能となる。 同窓会の会場である宴会場も、10日前には予定通り開催するか中止にするかの連絡が欲しいという事であった。 とうとう感染者が九州でも福岡、熊本と相次いだので、宮崎でも感染者が出てくるのは時間の問題だろう。 最悪の場合は、この準備員会が同窓会となってしまうかも、とみんなで冗談を言ったが、可能性は日々高くなってきている。 ☆宴会場も大変な事態のようだ。 あちこちで、毎日のように色んなイベントが中止になっている。 宴会場も明日の宴会を今日になってキャンセルしてくるという状況なのだそうだ。 ☆午後からアンジェラスの森へ上がって、オーストラリアのマケットの制作。 コロナウイルスの拡大で、果たして一月後にオーストラリアへ入国できるのだろうか。 2月21日(金) ☆よく晴れて、暖かい一日。 ☆朝一に、水漏れ調査の水研テック来訪。 メーターをチェックすると、すっぽ抜けではなく、流しの蛇口を開けっ放し程度の漏水だという事。 長い金属製の聴診器のようなもので色んな場所の水道管の音を聴いてゆく。 そうしたら意外や、自宅工房からは全く音はせず、自宅の裏から強い反応がすると言うこと。 次に水道管にエアーを加圧して漏水の場所を捜すと、自宅裏の倉庫の前の地中でエアーと水が噴き出していた。 水道管の破裂の場所が下向きだったり横向きだったりしたら、漏水は地中に吸い込まれていって、地表には一切出てこないのだという。 漏水が始まったのは昨年2月の検針からなので、ひょっとすると凍結で割れたのかもしれないが、近年はそんな冷え込みの記憶はない。 幸い、土の中での破損なので修理の手間もかからないので、修理代もそんなにかからないのではないか、という事だった。 これが工房のコンクリート床の下だったら、大変なことになっていた。 ☆水道設備会社に電話すると、今仕事が詰まっているので、来週の火曜日に修理に伺うという事であった。 水道設備会社の書類を提出すれば、水道料は還って来るらしい。 どれくらいの割合で還って来るのかは分からない。 ☆午後3時から、今年の宮崎国際現代彫刻・空港展の打ち合わせ。 事務局の田村の勤務する佐土原高校で打ち合わせる。 宮崎の作家は奥村も出席して、空港ビルの事業部との打ち合わせ。 どうして佐土原高校で打ち合わせなのかというと、今年は宮崎で国民文化祭が開催され、空港ビルとしてもオアシス広場での文化的な催事で参加することになり、 そのためには毎年6月に開催している彫刻展を国民文化祭に合わせて開催していただきたい、という空港ビルからの開催時期変更のお願いとなったからである。 そして他の関連事業が、国民文化祭の窓口である県のスケジュールで動いているので、搬入や搬出が例年の曜日では行えなくなり、そういう変化に対応できるの かという打診もあった。 私達作家側としてはやり方を工夫して、問題なく実施出来るだろうという判断を下した。 今日の打ち合わせを元に、空港ビル側で最終決定をしていただき、作家へはいつもの時期に会期変更の案内をする。 ☆コロナウイルスがどう展開していくのかはまったく判断が出来ないが、今のところは予定通りのスケジュールで動く。 また韓国では、大邱で多くの感染者が出ていて、大邱には空港展に参加してくれた作家が多く、宮崎に来てくれる作家もいる。 なんとか秋までには、また韓国作家達との交流が出来るようになって欲しいものだ。 ☆午前に漏水の場所の地面を掘って、また腰を痛めてしまった。 ☆夕食中に、大事にしていた小樽グラスのワイングラスを割ってしまった。 我が家では、グラスが割れると要注意! 2月20日(木) ☆朝のうちは曇天気味で、放射冷却による冷え込みは無し。 日中は雲が切れで陽射しも暑く、春の陽気となった。 ☆10時にアンジェラスの森へ上がると、すでに九電工の担当者が電灯線のアンペアを替える工事に掛かっていた。 私はその間、9か月ぶりに作業場周辺の除草や片付け。 あちこちに不法投棄がある。 私が殆ど居ないから致し方ない。 無事工事も終わり、午前中はオーストラリアのマケットの石を捜す。 午後半ばから切削作業に入る。 ☆昼に自宅へ帰ると、水道使用料量の検針票がポストに這入っていた。 昨年12月で一気に漏水量が増えたので、今回はどうだったのだろうと検針票を見て我が目を疑った。 桁が違う。 なんと請求金額が215、798円!!! 一体どういうことなのだ。 ほとんど24時間、大量に水を垂れ流していることになる。 通常の使用量のほぼ20回分、約3年間の使用量の水をこの2か月間に垂れ流したことになる。 これだけの水が漏水していれば、敷地内の何処かに出てきている筈だし、工房のコンクリート床下の水道管ならとっくにコンクリートに水が滲んでいる筈だ。 もう一度敷地内を点検してみるが、排水溝にも何処にも水は流れていない。 一体どういうことなのだ。 明朝に水漏れ調査の会社が調べてくれる結果は、どんな結果が出るのだろう。 こんな21万円なんて水道料など、払えない。 ここ5年間ほどの水道料の一覧を作ってみた。 不思議なことに、漏水が始まってから、昨年8月の検針ではいったん通常並の水道使用量になっている。 そして12月に一気に倍増している。 ☆今年に入って、インドからの帰路便の直前変更による大出費、インドでの両替失敗による大損失、そして水道料の途方もない請求額、これでもか、これでもか、 と想定外の大出費が続く。 何か、そういう代価を支払わなければならないバイブレーションの時期なのだろうか。 それにしても、一昨年の白蟻事件から、波動が大きい。 2月19日(水) ☆今朝は車のフロントガラスが少し氷結。 冷え込んだ一日だったが、陽射しが強く、それほどの冷えは感ぜず。 ☆九州電力の関連会社から、アンジェラスの森の電灯線再契約の電話が這入った。 明日から使えるようになった。 ただこれまで30Aで基本料金が437円余だったのに、同じ30Aで基本料金が800円余だと言う。 理由は分からない。 これまでアンジェラスの森の電灯線の料金は、毎日作業しても800円も引き落としされたことは無い。 それで20Aに下げて契約することになった。 明日は現場での立ち合いが必要ということで、10時にアンジェラスの森へ上がる。 ☆引き続いて、小売り電気事業者に電話して、アンジェラスの森の動力を解約した。 こちらは手続きは直ぐに終わった。 しかし解約料が9800円かかると言う。 小売り電気事業者は3年契約縛りなのだ。 もう小売り電気事業者との契約はこりごりだ。 インターネット契約も安くなると言う契約で、逆に高い解約金を取られて大損したことがある。 再契約した電灯線は小売り電気事業者との契約は2度としない。 安くなると言われて、逆に手続きが煩雑になった上に、安くなるどころか大損失を被ってしまった。 ☆水漏れ検査の会社から何も言って来ないので問いあわせたら、担当者が忘れていたようだ。 金曜日の朝一に来てくれることになった。 ☆夕刻に役場税務課へ納税相談。 滞納している税金をインドから帰ったらいくらか納入すると約束していたのが、出来なくなった。 再びオーストラリアから帰国するまで待って貰うことになった。 ☆妻の知人の娘さんがオーストラリアに滞在していて、香港経由で帰国しようとしたら便そのものが休止になってしまったと言う。 ネットで調べると、私が利用するはずだった福岡ー香港のキャセイパシフィックも17日から便が半減されている。 ということは、私の帰国が1週間遅れたら、フライトそのものが休止になってチケット代が払い戻されたのかもしれない。 ☆左足太ももの痺れが一向に良くならない。 腰の痛みは無くなったので、これは本当に坐骨神経から来ているのか、不安になって来た。 2月18日(火) ☆今日も冷え込んだが、風が無かったので、体感的な底冷えは無し。 ☆そろそろアンジェラスの森で制作に復帰しなければならない。 オーストラリアへ発つ前に2つの展覧会の作品を作っておかなければならないし、オーストラリアへもマケットと小作品展の作品をいくつか作って持っていかなけれ ばならない。 しかし、昨年に私の日本不在中に料金未払いで電灯線が解約されてしまっているし、動力もコンプレッサーのスイッチ不良で不要なまま毎月電気料金を引き落とさ れてしまっている。 それで午後に九州電力の営業所へ出かけて、電灯線の再契約と動力の解約手続をお願いした。 ところがアンジェラスの森の電気料金は小売り電気事業者に切り替えているので、営業所にデータが無い。 メーターの7ケタの番号が判れば特定できるし、再契約と解約手続きは電話でもできますよ、という事だった。 営業所を出てアンジェラスの森へ上がり、メーターの番号を調べ、電話で手続きをする。 しかし、やはり電話でもアンジェラスの森のデータはなかった。 担当者の対応では、再契約は契約している小売り電気事業者へ申し込むのが一般的だということであったが、小売り電気事業者からの電話では九電で再契手続 きをしてくださいということだった。 その旨を伝え、メーターの番号を伝えると、後程、今日中に担当者から電話をさせます、ということだった。 しかし、今日中の電話は無かった。 また解約については、小売り電気事業者に申し込むのだと言う。 何だか小売り電気事業者の参入によって、手続きが実に煩雑で面倒臭いことになってしまった。 これまでは九州電力の営業所窓口で簡単に手続が出来ていたのである。 ☆一方の水道水の洩れも、訪問日を追って連絡しますということだったが、今日も何の連絡も無かった。 それほど大量の洩水があれば何処かに滲み出ているはずだと思ってもう一度敷地内や工房の中を点検するが、何処にもそういう痕跡はない。 工房のコンクリート床下の水道管が破裂しているのなら、コンクリート床が水で滲む筈だし、水の流れる音もするはずだが、耳を澄ましてみても工房の中で水の音 は一切しない。 ☆行橋まちなかオブジェプロジェクトに参加しているアンナとオスカルに、今年の空港展への参加を打診してもらおうと、小林氏宛に昨年の空港展のパンフレットを 送る。 事務局の植田氏からの連絡では、各作家の石の手配と石材店での切削の作業も順調に進み、明日から制作に掛かれるということである。 ☆確定申告書の下書きを始めたが、経費が多すぎて、経費算出を再度やり直さなければならない。 2月17日(月) ☆昨夜から強い風が出て、しんしんと冷え込んできた。 よく晴れた一日だったが、強風が吹き荒れて底冷えの一日。 九州北部は雪だったようだが、宮崎県内でも山間部は積雪した。 ☆午前に中京医薬品のライフアドバーザーの方にお出でいただいて、がん保険について説明してもらう。 我が家は父方も母方も癌家系で、父も72歳で癌で亡くなっていて、古希を迎えた私にとっても癌はもはや他人事ではない。 しかし仕事が殆どなくなってしまった私には、がん保険を掛ける経済力は無い。 ただ近年は、保険金の見直しが進んでいるので、何か安い掛け金のがん保険は出ていないかと情報を求めていたら、先日置き薬の交換に来た中京医薬品の 担当者が、掛け金の安い癌保険を扱っているという事だったので保険の担当者に来ていただいた。 だが女性に比べて男性は癌の罹患率が高く、女性なら3,000円台でかけられるが、男性はどうしても最低で8,000円前後になって仕舞うのだと言う。 そういう余裕は全く無い。 ☆経済的にどん底の身に、さらに驚愕する事態が待ち受けていた。 滞納していた水道料をコンビニで払ってきて、領収書を見てえっ?となった。 あまりにも高額な水道料だったので、2回分の請求が来たものと思っていたのだが、領収書を見ると12月に検診した分だけの領収書だった。 慌てて、確認のために上下水道課へ飛んで行った。 一昨年春に漏水が発覚して以来水道使用量が跳ね上がっていたのが、やはり12月の検針で一気に3倍以上の水量になっている。 漏水していた水道管が破裂したようだ。 これまで水道工事費用が無く、費用が捻出できるまでと放置していたものが、すでに工事費用をはるかにオーバーする水道使用量になってしまっている。 お金が無いのに、水道でお金を垂れ流してしまっている。 直ぐに水漏れを調べる会社に電話を入れる。 おそらく自宅工房のコンクリート床下の水道管の老朽化が原因だと思う。 ☆国内でのコロナウイルスの感染が拡大している。 そこへ、インドで一緒だったヤオから日本国内の感染状態のデータがWeChatで送られてきた。 中国でも日本の感染状況が報じられているようだ。 自分たちが大変なのに、私に気を使ってくれている。 ”あなた自身とあなたの家族のケアをしてください!混雑した場所に行ったりせず、充分な食料を蓄え、頻繁に手を洗ったり、日光浴をしたり、喚起のために窓を開 けたりしないでください。外出時にはマスク、保護メガネを着用する必要があります。” 国内では色んなイベントが中止になり始めている。 前回のSARSの時は終息までに8カ月かかっているらしい。 このまま感染が拡大していくと、オーストラリアが中国に次いで日本からの入国者を規制する事態も考えられる。 2月16日(日) ☆朝に展望風呂。 雨の降りそぼる海辺を見ながら心地良いひと時。 ☆8時半に青島サンクレールを発つ。 ☆午前まで雨。 午後には陽が射してくる。 暖かい一日。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 私は不在中の新聞をチェクしながら、ジョイントできる曲にハーモニカで参加。 今日の演奏はうまく行った。 ☆ここ数年不要になったインターリンクのマイIPサービスを解約する。 このマイIPは、海外でメールの送信が出来ないことが続いたので加入したのだが、近年はメール送信のトラブルもないし、ソフト自体が起動しなくなって、毎月無駄 な使用料を払っていた。 ☆明日からの行橋プロジェクトで、参加作家が今日中に行橋に揃ったのをフェイスブックで確認した。 私は会期中に一度は作家たちに会いに顔を出そうと思っていたのだが、不在中に溜まっていた支払いでほとんど無一文なってしまったので、高速で行橋へ向かう のは相当に厳しくなってしまった。 2月15日(土) ☆朝から雨。 昼前後にはいったん小康状態となったが、午後後半からは本格的な雨となる。 気温は高め。 ☆午後から本格的な雨になり、よくぞ行橋プロジェクトのアドバイザーを小林氏に引き継いでもらってよかった。 本来なら今日は道具の積み込み作業だった。 しかし幌のない軽トラに大量のシンポジウム道具を積んでは、シートでは被い切れず、大事な道具が水浸しになってしまうところだった。 ☆オーストラリアのEチケットが届いたので、オーストラリアのオルガナイザーに送る。 ☆今日は私の古希祝いと妻の還暦祝いを、青島サンクマールで細やかに行う。 古希は家族で大々的に祝う方が多いようだが、古希の誕生日には私はマレーシアで独りぽっちで誰にも祝ってもらえなかった。 幸い、今のところは健康である。 妻も健康で、間もなく定年退職を迎える。 料理はお世辞にも美味しいとは言えないが、JAの施設なのでこんなものだろう。 2月14日(金) ☆夜中から雨。 雨は午前の前半までは本格的に降ったが、昼前から雨脚は弱まり、午後には一気に青空が広がった。 しかし午後後半からは再び曇天となる。 ☆今日も夜中に何度か寝汗をかいた。 気温自体も高かったようだが、起き抜けがきつい。 インドに滞在中は食事がベジタリアンだったので便通は好かったのだが、帰路が長くて殆ど野菜の摂れない不規則な食生活だったからだろう、我が家に帰ってか ら酷い便秘になってしまった。 体調のきつさは便秘から来ているのだろう。 ☆来週から第3回行橋まちなかプロジェクトが始まるので、午前のうちにアンジェラスの森へ上がって、コンプレッサーの分配ボンベを持ち帰り、行橋の事務局へ送 る。 実は今回からアドバイザーを岡山の小林照尚氏にバトンタッチしてもらった。 行橋プロジェクトは最低限の予算で始まり、実行委員会に彫刻家の居ない組織で運営しているので、勢いアドバイザーの私が自分の道具を提供してプロジェクトを 実施してきた。 そういう体制だと、私が病で倒れたりしたら、道具の準備が出来ず、プロジェクトは開催できなくなる。 隔年開催になった時点から、数回開催すると私はもうあっという間に80歳前になってしまい、早い時期にシンポジウムの道具の準備のできる若い作家に引き継い でもらう必要があった。 そこへ昨年は身内に癌の発症者や70代で亡くなる方が出てきて、その不安は一層強くなっていた。 我が家は癌の家系で、父は72歳で亡くなっており、いつ我が身にアクシデントが降りかかって来るか、戦々恐々の日々となっている。 自分自身の彫刻家活動は、今のうちにやれるだけのことをやっておこうと言う気持ちで充実しているのだが、行橋プロジェクトの場合は私が倒れたらプロジェクト 自体が倒れてしまうのである。 現実的に、これまでは軽トラに幌を取り付けて道具を運んでいたが、幌は高速を走るとすぐにボロボロに破れてしまう消耗品で、今の経済力では新しく幌を買う余 裕は無く、シートでは大量の道具は被い切れず、行橋への行き帰りに雨でも降ったら大事な道具が傷んでしまうのである。 それで、作家選定等の下準備が終わった時点で、思い切って、後任者へ引き継いでもらうことにした。 行橋市へ打ち合わせに来れる距離内で、シンポジウムの道具を準備できる作家は岡山の小林氏しか思い浮かばなかった。 幸い、小林氏は快く引き受けてくれた。 私は今後も裏方で、全面的にプロジェクトを支えて行く。 分配ボンベを送ったのは、小林氏の持っている物が多勢での制作に必要なサイズのもので無かったので、取りあえず私の物を送り、それを見本にプロジェクト用 の分配ボンベを作ってもらうためである。 ☆昨年の台風被害で自宅の損害を補修してもらった時に、2年前の台風から急激に外壁が落ちたり、白蟻が発生したりしている工房の補修作業の見積もりを工務 店にお願いしていた。 その工事見積もりが午後に届いた。 やはり屋根瓦をすべて取り替え、屋根を支えている天井の梁の雨漏りによる腐敗等への工事を含めると180万円近い工事費になる。 今のところそんな工事費を捻出できる余裕は全く無いが、しかし今のままでは10年以内には自宅工房は崩壊してしまう。 自宅工房はブロンズ原型の作業場でもあり、私の作品の保管倉庫でもある。 白蟻もそのままである。 頭が痛い。 ☆午後からは、確定申告の経費を出す。 2月13日(木) ☆春のように暖かい晴天の一日。 ☆夜中にまた大量の寝汗。 何か、本調子ではない。 ☆午前にO内科で血圧の定期検診。 やはり太腿の痺れは坐骨神経痛だろうということ。 今日も一日、腰が痛い。 また昨年暮れ辺りから、体を少しねじったりした時に猛烈に左胸が痛んで、しばらく呼吸が出来なくなる。 この症状は以前にもあって、前回の診たてでは肋間神経痛でしょうという事だった。 今回も、昨年の心電図検査では何の異常も無いので、やはり肋間神経痛でしょうということであった。 ☆病院の入口ガラス窓に、中国及び香港から帰られた方の当院への入室を禁じます、という張り紙があった。 あのまま香港経由で帰国していたら、私は血圧の薬をもらうために、病院へ行くことも出来なかったのだ。 ☆溜まっていた支払いを処理していたら、オーストラリアのチケット料金を確保できなくなる事態となってきた。 それで、今日のうちにチケット料金を振り込んだ。 残りの支払いをすると、私はまたも無一文になってしまう。 背筋がぞっとなる。 しかし香港経由便のキャンセルは、お金は安心には代えられない。 2月12日(水) ☆一日、雨。 ☆H.I.Sへオーストラリアへのチケットの手配を依頼。 あらかじめ日程を伝えてあったので、直ぐに2通りの見積もりが送られてきた。 1つはシンガポール経由。 もう一つは成田からの直行便。 成田からの直行便の方が料金は高いが、預け荷物の制限がシンガポール経由より大きい。 オーストラリアにはマケットを持っていかねばならないので成田直行便にする。 それにこれからコロナウイルスがどう拡大するかわからないので、アジア経由は避けたい。 ☆昨夜、湯船につかっていて、左足の太腿が痺れていてあまり感覚が無いのに気付いた。 そして、今日もずっと痺れたままである。 脳梗塞の前兆ではないかと不安になってネットで調べてみたら、どうやら坐骨神経痛の可能性が高い。 インドの私の部屋での机と椅子の高さが合わずにずっと腰を痛めていたが、今回は飛行機に乗る前に空港で椅子に座っている時から臀部が痛く、しかも飛行時 間が長く、バンコク空港での待ち時間もずっと椅子に座りっぱなしだったので、坐骨に負担がかかっているのだ。 そして飛行機に乗っている間、バンコック空港で椅子に座っている間、凄く肩が凝ってしまって、今日は左手の肘が痺れてきた。 夕刻に中京医薬品が来たので症状を話すと、やはり腰は足に来て、肩は手に来るという。 ころころ手で転がすマッサージ器具が効果的だと言う。 2月11日(祝・火) ☆ほぼ定刻の午前1時にバンコクを発つ。 福岡国際空港には予定より早く7時45分着。 機内はタイの観光旅行帰りのシニア世代が多かった。 おそらく出発前には、タイもコロナウイルス患者が急増していると言う情報がまだそれほどクローズアップされていなかったのだろう。 ☆入国審査を経て、道具のスーツケースを空港宅急便で送る手配。 そう言えば、宮崎から送った時にスーツケースが壊れていたのだが、帰国して預けて頂ければ修理をしますということだったが、その破損の証明書ももらって居な いのに、自宅に届いたスーツケースを空にして修理に出したところで、破損証明書も無ければ高鍋の営業所では対応できないのではないのか。 ☆残りのドルを両替したら、一昨日よりレートが良くなっていて、1ドル=107,23円であった。 あのままドルを日本に持って帰ってくれば3,000ドルは321,690円だったから、私のミスで31,690円を溝に捨ててしまった。 ☆直ぐに国内線ターミナルへ移動して、チェックインを済ませて搭乗ゲートへ。 しかし、驚くべきことに、宮崎行きの航空会社のカウンターの女性たちは全くマスクをしていなかった。 宮崎への乗客も半分もマスクをしていなかった。 ちょっと、日本は、そして宮崎はゆる過ぎるのではないのか。 ☆何時ものように福岡空港発は20分ほど遅れて(滑走路の混雑)、宮崎へ12時20分着。 13時20分発のJR特急で高鍋へ。 高鍋駅には、今日は祝日なので妻が迎えに来てくれた。 ☆帰宅して洗濯物を出し、不在中の郵便物をチェックして、夕刻に散髪に行きサッパリとする。 ☆夕食は日本食が食べたくて、スシローで持ち帰りを頼んで摂る。 時差ぼけではないが、帰路は長旅だったので疲れていて、夕食後は早目に寝る。 2月10日(月) ☆2時20分のほぼ定刻にボンベイを出発。 そしてほぼ定刻の8時25分にバンコク空港へ着いた。 やはり多くの乗客は(ヨーロッパ人を除いて)マスクをしている。 降りるときにキャビンアテンダントがマスクを配っていたが、ヨーロッパ人たちは全く無関心である。 ☆バンコクへ来るのはそれこそ、45年前にインドへ旅発った時の往復で訪れて以来である。 ここではイミグレを通らずにそのままセキュリティーチェックを受けて搭乗ゲートのフロアーへ上がることが出来た。 スマホは無料Wi-Fiが接続できたので、ルピーの両替について調べてみた、 そうしたら、やはりインドはルピーの国外持ち出しを禁じているので、日本ではルピーを取り扱っていない。 しかし東南アジアはインドからの出稼ぎ等で多くのインド人がルピーを持ち出しているので、マレーシアやタイでは両替が出来るとある。 それで両替所で訪ねると、ルピーからダイレクトに日本円への両替は出来ず、ルピーをいったんタイバーツに両替して、バーツを日本円に両替できるということ。 レートが2段階になるので、3000ドル分のルピーがわずか24,000円となったが、日本では両替できないので仕方がない。 こういうことをもっと事前にきちんと調べておくべきだった。 ☆日中は何もすることが無く、パソコンのネットもつながらず(やっと7時過ぎの今になって接続できた)、椅子に座って仮眠をしたりして過ごす。 しかし、日中はとても暑く、それに息苦しいマスクもしているので、非常に窮屈な居心地の悪い滞在である。 フライトは明日の午前1時である。 2月9日(日) ☆夜明け前、4時前にミンチェフとズドラフコが帰国の途に就いた。 ☆夜中に、また大量の寝汗をかいた。 ☆朝食は私独りだった。 今朝もあちこちで孔雀が芝をついばんでいる。 インドの朝はとても素敵である。 ☆11時半にデバシュッシュとファウンデーションを発って、アーメダバードへ向う。 アーメダバードの街の様子が実に面白い。 45年前と殆ど変わっていない。 変わったのは車が圧倒的に日本車が多くなったこと、リキシャ(人力車)が姿を消したこと、サドゥー(修行僧)を見かけなくなったことくらい。 そして今は結婚シーズンらしく、派手な結婚式の行列があちこちで見られた。 3時前に空港へ着き、デバシュッシュとはターミナルが違うので、ターミナルで別れる。 ☆4時からチェクイン開始。 チェックインが終わってイミグレへ行くと、職員はみんなマスクをしている。 私も、ファウンデーションで分けてもらったマスクを付けたが、夜中に寝汗をかいてまた風邪気味で鼻詰まり状態なので、暑いうえに息が出来なくてイミグレを通過 して搭乗ゲートへ這入ったらマスクを外した。 ☆7時20分発のフライトが、搭乗機の到着遅れで、8時40分発となった。 やはり飛行機の中ではマスク姿が目立つ。 私の隣の席がえらく咳込む大柄な男だった。 やばい奴が隣に来たなと思っていたら、逆に自分の隣の席に中国人みたいなマスク姿の男が座っているので感染してはかなわんと思ったのだろう、飛行機が動き だしたらほかの空いている席に移動した。 ☆10時にボンベイ着。 ボンベイ空港では、タイからの入国者もコロナウイルスの検疫対象になっていた。 ☆ところがいくら待っても私たちのフライトの荷物が出てこない。 かなり待たされてようやく荷物を受け取ったが、チェックインまでにはまだ時間があったので、先に報酬と旅費払い戻しのドルを日本円への両替しようと思った。 ところがこれがとんでもない大誤算だった。 ☆ここ数年の経験で、ドルを日本円に両替するのは上海が断然レートが良い。 今回、香港経由をキャンセルしなければ香港で両替しただろう。 ネットで調べたら、欧米での両替より日本での両替の方がレートが良いが、手数料の違いで東南アジアで両替したほうがレートが良いことがあるとあった。 それでてっきり、インドもそうだろと思ってしまったのだ。 ☆出発フロアーに上がる前に、到着フロアーの両替所で、ドルの日本円の両替をお願いした。 ところが、そこには日本円の在庫が無い上に、インドではルーピーからしか日本円に両替できないので、このドルをルピーに換えて、それで3階の出発フロアーの 両替所で円に両替してくれと言う。 ドルをルピーに換えたら、その手数料を取られるではないかと言うと、それは取らないと言うので安心してしまった。 ドルをルピーに換えてもらったレシートの金額を円に換算してみると、なんだか安すぎる気がする。 この時、それをきちんと確認するべきだった。 これまで慎重にレートを比べながら少しでも有利にと両替して来たのに、今回はその肝心のレートを確認しないまま、それも3,000ドルという大金をルピーに換え てしまった。 ☆3階の出発フロアーの両替所で日本円に換えて貰ったら、なんと3,000ドルが220,000円だと言う。 我が目を疑った。 今朝、ファウンデーションで今日の両替レートを調べて置いた。 今日は1ドル=109,73円で、日本では1ドルにつき3円の手数料を取られるので、日本で両替すると1ドル=106,73円なので、3,000ドルは320,190円 である。 インドでの両替率がそれより悪かったら、日本に帰って両替しようと思って、そこまできちんと調べていたのだ。 にもかかわらず、確認を怠ったために、インドで両替したら100,000円もの大金が失われてしまう! 両替でそんなに大金を失ってしまう何て事があってたまるか! 今回に直前にフライトをキャンセルしたので、その新しいチケット代とドル両替による損失金を加えると、報酬の半分を失ってしまう。 このままでは引き下がれない。 1階の両替所の担当者は、ドルをルピーに変換する手数料は取らないと言った。 なのになぜこんなに10万円もの大金の損失が出るのか。 私はこの両替はキャンセルする。 どうか私の3000ドルを返してくれと懇願するが、この出発フロアーから到着フロアーにはもう2度と戻れない。 私たちも管轄が違うので、1階へ行くことはできない。 両替のキャンセルはできない。 しかしこのまま帰る訳には行かないので、ルピーを叩きつけて戻した。 そうしたら、順次、250,000円では?、最終的に290,000円までなら対応できると言って来た。 290、000円でなら、30,000円の損失で済むし、その損失は私の確認ミスへの大きな代償だとして、受け入れた。 ☆チェックインを済ませ、更に残っているルピーを日本円に両替しようと思った。 初日にみんなで買い物に行った時に、報酬から300ドルを差し引いた額が、買い物用にルピーで渡されていたのだが、私は殆ど買い物をしていないので丸々ルピ ーが残っているのである。 ところが、私は規定以上のルピーを両替しているので、これ以上は両替できないと言う。 日本で両替しろと言うが、日本ではルピーは両替できない。 そうすると損失は更に大きくなる。 どうして、ようやく久々の収入だと思っていたのに、こんなに私は無慈悲にお金を奪われてしまうのか。 2月8日(土) ☆朝のうちにH.I.Sから新しいチケットのEチケットが届いた。 ここにはプリントアウトの設備が無いので、スマホに保存する。 しかしPDFのアプリを入れていなかったので、アプリをインストールして直ぐに見れるようにした。 預け荷物制限重量は来た時と同じだったので、問題は無い。 ☆午前はスーツケースの荷造りをする。 作業していたら、何時も洗面室の掃除をしてくれるおじさんにバクシーシ(喜捨)を催促された。 そう言えば、インドはそういう国だった。 僅かだか渡すと、大層喜んでくれた。 ☆お昼からクロージングセレモニー。 と言っても、いわゆるセレモニーは何もない。 お昼前から続々とお客さんたちが集まり、作品を見て回って、セレモニー会場で振舞われた飲み物や軽食を摂る。 先日も書いたが、グジャラート州はガンジーの出身地なので禁酒州である。 公での禁酒は厳禁である。 1時くらいから、レストランでの食事が始まり、食事を終った皆さんはそれぞれに帰宅する。 挨拶も作家の紹介も何もない。 何もしなくて良いし、かさばる記念品も持って帰らずに済むので、楽は楽なんだが、ちょっと肩すかしに遭ってしまった。 ☆私のフライトは明日の夜で、私が一番最後にグジャラートを発つ。 それまで何もすることは無い。 ☆妻からの連絡だと、タイもコロナウイルスの感染者が出ているので、キチンとマスクをするようにとの事。 日本はもうどこもマスクは底をついているようだ。 ☆夕食前にユーリが、夕食後にジョニゴヴァ、ラッシャ、ヴァシリーが帰国の途に就いた。 ミンチェフとズドラフコも明日は夜明け前に出発するので、今夜でお別れである。 私はインドの作家・デヴァシッシュと一緒に明日のお昼前に発つ。 みんな素晴らしい作家達だった。 2月7日(金) ☆この部屋は、やっぱり昨夜からインターネットが接続できなくなった。 モバイルWi-Fiのサーバーからのチャージ案内の表示が出るのみである。 ☆この部屋に何か居る。 ドアを開けた時に、何か黒い物がソファーの上から、壁際のテーブルの下からさっと動く。 最初は錯覚だと思ったが、昨日は2度目を見たので錯覚ではない。 ドアを開けていると、小リスが部屋に這入って来て食べ物を物色するのだが、リスよりずっと小さい。 他の部屋にはヤモリが居るが、ヤモリはわが家にも居るので、ヤモリでは無い。 トトロに出てくる、”まっくろけ”に似ている。 しかし、浴室に動物の糞があったので、やはり何かが時々這入って来るのかも。 ☆昼食前に、ガオ・メン、ヤオが、昼食後にジョルジが帰国の途に就いた。 ☆妻からの連絡で、妻の仕事柄、香港経由で帰って来て周りに不安を与えて欲しくないという事で、ガオ・メンが忠告したように、香港経由をキャンセルことにした。 H.I.Sに問いあわせると、ボンベイーバンコク経由のフライトが確保できると言うので、手配をお願いした。 ただバンコクは早朝に着いて翌日の夜中発なので、日本帰国が一日遅れる。 そしてフライト直前のキャンセルなので、チケット料金の払い戻しは見込めない。 コロナウイルスによるキャンセル措置は、乗継便の場合には適用されないとのこと。 大きな出費にはなるが、安全には換えられない。 コロナウイルスがこんなことに影響して来るなんて想像だにしなかった。 ☆念のため、スマホでH.I.Sに電話を入れてみたらなんと通じた。 そしてH.I.Sからの電話も普通に受け取れた。 2月6日(木) ☆ガオ・メンの忠告が気になって、旅行代理店に問い合わせてみた。 しかし今のところ、香港で乗り継いで帰国した日本人でコロナウイルスの患者は出ていないと言う。 ” 今のところご帰国してからの外出などに関しても細かい制限もなさそうではありますが、少なくとも潜伏期間として14日間という情報があるのでその期間はご自 宅でゆっくり過ごされる方がいいかもしれません。” これは帰国して検疫官に訪ねようと思う。 またオーストラリアでは、 全外国籍において14日以内に中国本土・香港に滞在(乗継)した履歴を持つ新規入国者のオーストラリアへの入国拒否をしているという ことで、入国自体は問題はないが、香港経由では行けないということである。 ☆全ての作品は昨日の午後に設置作業が終わったようで、午前はそれを観て廻る。 FRPの作品を着彩していたので何故だろうと思っていたら、FRP作品はブロンズ作業に入るまで、FRPのままで設置展示されるようだ。 ☆ファウンデーションで作家のインタビュービデオを撮っていて、私はまだだったのでインタビューを受ける。 一発でOKだった。 ☆やはり部屋のチャージ切れのWi-Fiではメールの受信が時間がかかるし、昨夜はレストランのWi-Fiもネットがつながらなかったので、インタビューの後にレストラ ンでメールのチェックとメールの送信、昨日分のフェイスブックの投稿をする。 ☆ランチを摂っている時にアシスタントたちが帰って行った。 手を振って見送ったジョルジが涙を拭きながら戻ってきた。 一月ずっと一緒だったので、感傷的になる。 ☆結局のところ、日本への銀行振込みはできなかったということ。 したがって、作家報酬は半分を現金で、半分を振込みでということだったが、私の口座に振り込めなかったので私だけすべて現金での報酬支払いとなった。 もし私が期間中に振込みをお願いしておらず、規定通りに報酬の半分を現金でもらって帰っていたら、残りの半分は振込み不能で受け取れなかったのだ。 何が幸いするか分からない。 ☆昨夜、フェイスブックでアシスタントたちとのどんちゃん騒ぎを投稿したが、削除した。 と言うのはグジャラート州は禁酒の州で、そのために私たちは酒の購入許可証を取るために面倒臭い手続をしたのである。 したがって、どんちゃん踊っている画像は何の問題も無いが、飲酒している画像は厳禁なのだと言う。 迂闊だった。 画像には酒のボトルは映っていなかったと思うが、念のため削除した。 2月5日(水) ☆矢張りこの部屋のネット環境が悪くなったのは、Wi-Fiのチャージ切れが原因だった。 しかし微弱電波ながらもメールの送受信はできるし、このHPの更新も出来る。 フェイスブックの投稿は無理なので、昨夜はレストランのWi-Fiを使った。 ところが今朝は、ガオ・メンのスマホが通じないと言う。 彼は2カ月有効のSIMカードを使っているのである。 しかし今日はなかなかメールの受信が出来ず、お昼にレストランのWi-Fiで受信し、メールのやり取りをしていたら、突然ネットが切れてしまった。 ☆ガオ・メンの街・広州市はコロナウイルスの患者が今日時点で870人で、中国国内で3番目に多い。 彼は今日も夜中に咳込んでいたが、戦々恐々の心境だろう。 ☆ ガオ・メンは香港経由では絶対に帰るなと言う。 彼の同僚が家族でカナダから香港経由で帰国したら、家族7人が肺炎に罹患したと言う。 それに香港のすぐ隣の深セン(土に川)は広州でもっとも患者の多い所で、非常に危険だ、直行便で帰るか、韓国経由で帰るべきだと言う。 しかしこれから便自体を変更するとかなりのキャンセル料が派生してくる。 ☆今日は朝とお昼に作品の画像を撮る。 日中はデスクワーク。 ☆アシスタントたちが明日にみんな故郷へ帰るので、今夜の夕食はとても楽しいひと時となった。 私も思いきりタブラもどきで机を叩き、踊りまくった。 私は70歳である。 その私が一番元気がいい。 2月4日(火) ☆今朝からネットの状態が凄く悪い。 私とミンチェフとで共同で買ったモバイルWi-Fiが28日間有効の物だったので、再びチャージしないとネット環境が無くなるので、そのせいだろうと思った。 だが、時間はかかるがメールの送受信は出来るし、ルーターとも接続できている。 しかし朝食時のレストランのルーターも、接続できているのにスマホが全くネットにつながらなかった。 このファウンデーション自体の環境にネット障害が生じているのかも知れない。 ランチを摂りに行っている間に、レストランも部屋も正常なネット環境に戻ったが、午後にはまたウェブサイトが開かなくなった。 ☆シンポジウム28日目。 私の作品は仕上げが終わっていたので、ファイサルにホースで汚れを洗い落としてもらった。 これで全ての作業が終わった。 ☆ガオ・メンとヤオが朝から日向ぼっこをしている。 ウイルス予防には太陽光を浴びるのが効果的だと言う。 しかし私はずっと太陽光を浴びながらアシスタントの作業を監督していたから、太陽光線は厭と言うほど浴びている。 そしてガオ・メンはまた言う。 ”タナカ、仕事なんかするな!彫刻なんてまたここに来れば作れるではないか。 お前は香港経由で帰るのだから、無駄な体力の消耗はするな。 作業はするな、体を大事にしろ!” オーケー、私の作品は完成してしまったので、もう何も作業することは無いよ。 そしてガオ・メンとヤンは街へ出て、マスクなど防疫備品を山のように買って来た。 彼らは中国に帰ってももはや買うことはできないから、必死の思いである。 私はここでみんなが使っている簡易の防塵マスクを分けて貰った。 私も日本に帰ったら、10日間くらいは人混みには出れないだろう。 ☆オーストラリアのビザが届いた。 オーストラリアのビザ取得は難しくて長い時間を要するので、チケット購入はビザ取得後にするようにとのネットでのガイドラインがあったので、チケットはこれから 購入する。 ☆何もすることが無いので、確定申告の経費を出す。 ☆昨日、私が作品の仕上げ状況を確認に行った時に、丁度この施設で働いているサリー姿の女性たちが頭に布で包んだ草を乗せて通りがかった。 それでファイサルを介して彼女たちに私の作品の前に並んでもらった画像を撮って、昨日のフェイスブックに投稿した。 そうしたら、友人から私の作品と彼女たちの頭に担いだスタイルとフォルムが同じだというコメントが届いた。 ホントだ、と思っていたら、昨夜の夕食時に作家達からも同じ指摘を受けた。 さらに今日は、彼女たちを意識して作ったフォルムなのですか、というコメントが届いた。 ひょっとするとこれは偶然ではなかったのかもしれない。 やはり私はここに導かれて来て、この作品を作るようになっていたのかも知れない。 45年前のインド大陸放浪の時からの感性がずっと繋がっていて、今回の作品になったのかもしれない。 2月3日(月) ☆シンポジウム27日目。 午前に私の作品の様子を見に行ったら、 ファイサルが一人で作業していた。 私の作品は、また窓の内側の研磨が終わっていなかった。 午後に再び出掛けたら、ファイサルは他の仕事をしていて、夕刻に再再度出かけると、他の作家の設置作業を手伝っていた。 クレーン作業中には声掛けは厳禁なので、黙って作業を見ていた。 ファイサルもその私の怒りの視線を感じながら作業をしていたのだろう。 私が部屋に戻りかけたら、慌てて私の作品に戻った。 まあ、ファイサルのことだから、明日にはきちんと仕上げてくれるだろう。 ☆ やはり帰りは香港経由なので、福岡空港で検疫を受けなければならない。 旅行代理店に問い合わせていたら、返事が届いた。 ”福岡空港に確認をとったところ、香港経由の方に関しても検疫所でサーモグラフィーによる体温の測定と健康状態の質問をさせて頂いてるようです。特に問題が なければそのまま通過できるようです。” マスク着用が必須だが、幸い、昨年のマレーシアの大気汚染で買ったマスクが数枚カバンに入っている。 ☆ガオ・メンとヤオは来るときに買ったチケットが、復路は中国へのフライトがキャンセルとなった。 ガオ・メンは昨日、フライト可能な新しいチケットを買ったが、ヤオもなんとか帰国できるフライトが確保できたと、ほっとしている。 ニューデリーから北京へ飛べば大丈夫なのだと言う。 ☆ガオ・メンが午前はマスクをしてFRPの修正作用をしていた。 ”やあ、ガオ・メン、仕事をしているのか?” 昨日の見え切りの後なのでバツが悪かったのだろう、”ワシもとうとうコロナウイルス患者になったよ。”とマスク姿の自分を自嘲した。 ☆ヤオも、絶対に帰りの飛行機の中で咳をしてはいけない!と忠告する。 ガオ・メンも、私とタナカは街へ行って、マスク、メガネ、手袋、消毒液を買ってから飛行機に乗らなければならないぞ、と言う。 帰国が近づいて、段々と恐怖が実感となってきた。 2月2日(日) ☆シンポジウム26日目。 今日は午前中にサインを入れて終わりと思っていたが、アシスタントたちの仕上げ作業が終らず、サインは午後になった。 私のサインだけではなく、アシスタントたちのサインも入れてあげた。 アシスタントの名前はファイサルに彫らせたが、さすが石工職人である、凄く作業が馴れていて、早くてきれいである。 私自身が字が下手な上に、石屋の息子のくせに文字彫りがまったくできないので、アシスタントたちのサインの方が上品になった。 今日は2020年2月2日。 記念すべき日となった。 ☆アシスタントたちは5日に故郷へ帰ると言う。 それで私の作品の仕上げも、それまでにのんびり片づけるようだ。 みんなラジャスタン州から来ている。 みんな寺院の石工職人たちで、寺院の彫像なども彫るのだと言う。 ☆ガオ・メンが粘土の原型作業が終わってから、全く作業をしない。 同じブロンズ作品の作家たちは、FRPの修正作業をやっている。 それで、ユーリが、お前はなぜ仕事をしないんだとガオ・メンを問い詰めていた。 ガオ・メンの答えはこうだった。 今、中国はコロナウイルスで大変である。 これから中国に帰る自分は体力を保持しておかなければならない。 私にとって自分の命が大事だ。 自分の命に比べ、彫刻なんてちっぽけなものだ。 私の仕事は原型制作までだ。 無駄な体力消耗の仕事はしない。 分からない訳ではないが・・・。 ☆ネットニュースを見ていたら、コロナウイルス対策で、成田空港では中国・香港・マカオからの入国者は別レーンで検疫をすることになったとある。 これは、私のように乗継で香港空港に降りた乗客も含まれるのだろうか。 そして、ガオ・メンは、”タナカ、帰りの飛行機の中で絶対に咳をするな!捕まるぞ!”と言う。 ガオ・メンも私もまだ風邪が治り切らず、毎日咳込んでいる。 そうなると中国経由で帰国して咳込んでいたら、やばいのではないのか。 ☆先日エントリーしていた某海外シンポジウムから選外の通知が来た。 このところ、コンクールは軒なみ選外が続く。 しかし、半面、ホッとした。 なぜなら、招待されたら、香港ドラゴンエアで行く予定だったからだ。 ☆インドは、今日から中国人へのビザ発行を停止した。 またオーストラリアも中国人の入国を禁じたので、4月に私が参加するシンポジウムの中国人招待作家は自動的にキャンセルになった。 私も、オーストラリアへは中国を経由せずに行けるのだろうか ☆ 今朝、大井秀規君からメッセンジャーで連絡があり、なんと彼は2年前にここへきているのだと言う。 その時は他のシンポジウムに参加した流れだったので、体力を考えて版画を制作したと言う。 その時の参加者が空港展に参加している村松・栗栖夫妻だったと言う。 ここには、国内外の空港展参加作家が結構参加しているのだ。 ☆このHPトップページのアカウントが回復した。 2月1日(土) ☆午前3時に床に就いたが、何時もより遅く起きた程度で、通常に朝食を取る。 ☆シンポジウム25日目。 ☆朝一に不在中のメールをチェックすると、やはり先日オンラインでエントリーした某海外シンポジウムからのシリアルナンバーが届いていない。 エントリーがうまく行ったら、シリアルナンバーが届くので確認できるのだ。 それで事務局に問い合わせてみると、私のデータは届いていないと言う。 それでもう一度オンライン登録をやってみたが、”Success" false"と表示されて、右にエラーの項目が表示される。 私は先日、この”success”しか見ていなかったのだ。 ☆それでひとまず、作業に出て、作業の指示をして直ぐに部屋に戻ってエントリー作業をする。 ところがエラー項目のエラーの意味が解らず、事務局に問い合わせて、返事を待って修正する、そして再エントリーするとまた別のエラーが出る。 その繰り返しで、エントリーが出来ない。 ☆そうしているところへアシスタントのファイサルが、石を移動すると呼びに来た。 作業場へ戻ると、ナヌーからこれから台座を設置し、順次他のパーツもすべて設置して仕上げは設置場所で行うと言う指示があった。 ランチ前に台座の設置が終わり、本体も設置場所まで運んだ。 ☆ランチの後に、エントリー作業をしようと思っていたら、これから設置作業に入る、とナヌーから連絡があり、作業場に出向くと、もう月部も無く、アシスタントたちも 居ない。 設置場所へ行くと、すでにスタンバイ状態で、あっという間に何の問題も無く設置は完了した。 アシスタントたちが大喜びだった。 アシスタントたちは、これから残りの作業を済ませる。 私も明日の午前にサインを入れて、完成となる。 ☆それで思わず時間が空いたので、シンポジウムのエントリー作業に集中。 何度やっても新しいエラーが出るので、事務局から必要データを送ってくれたら、私たちの方でオンライン登録をやってあげると言って来たので、データを揃えて添 付メールで送る。 ほどなくして、オンラインエントリー完了とシリアルナンバーを記したメールが届いた。 やれやれである。 ☆夕刻に家族や友人知人にラインで組上がった作品の画像を送る。 ☆そして、昨日の観光旅行の画像をフェイスブックに投稿する。 ☆夕食時にみんなが私の作品の完成に祝福してくれた。 こういうことは殆どないので、正直嬉しかった。 1月31日(金) ☆5時前に起床。 5時半出発だったが、バスが中々来ず、6時半の出発となった。 結局、ガオ・メンはみんなに説得されて参加した。 ☆アーメダバードを経由して、第一の目的地、モディラの太陽神殿に着いたのは、午後の1時半だった。 この太陽神殿は11世紀にビムデフ1世により建てられた、ヒンドゥー教の太陽神スーリヤを祀った寺院。 太陽神殿と言えば、オリッサ州コナラークの太陽神殿が有名で、コナラークには45年前に訪れている。 このモデラーの太陽神殿は初めて知ったが、年に2日だけ、春分と秋分の日の出時に太陽神スーリヤが祀られる本殿に陽が差し込む造りになっているとのこと。 彫刻のレベルとしては、私はかなりインドの寺院彫刻は見てきているので、風化が激しく、あまり好いとは思えなかった。 ただ内部にびっしり、バロック的に彫刻が施されている寺院は初めて見た気がする。 内部の彫刻は小規模ながら、カジュラホの寺院群に似たカーマスートラの世界、歓喜仏が彫られていた。 ☆太陽神殿を出て、途中で昼食を摂って、夕刻5時過ぎに、パタンの女王の階段井戸”ラニ・キ・ヴァヴ”へ。 こちらは2014年に世界遺産に登録されている。 1050年の建造。 私はこの階段井戸については、多分、初耳だった。 これは凄い! 単なる井戸なのに、殆どエローラの岩窟寺院のスケールで、壁面に施された彫刻群も劣化が少なく、素晴らしく見ごたえがある。 ☆階段井戸を7時半に発つ。 長い長いバスの旅。 途中で、アーメダバードで遅い夕食を摂り、ファンデーションへ帰ってきたのは午前3時。 1月30日(木) ☆今朝は寝汗はかかなかったが、体が少しほてっていたし喉もまだ痛かったので、今朝まで風邪薬を飲む。 日中は落ち着いてきた。 ☆シンポジウム24日目。 私の作品は残る作業は研磨だけで、後は本体を起てて窓の内側の底を仕上げれば日曜日のうちには完成しそう。 ☆それで私が付いていなくても大丈夫なので、午前は部屋に戻って明後日が閉め切りの某海外シンポジウムのエントリー図面を描く。 午後にウェブサイトからのオンラインでエントリーする。 ☆マイソールの美術大学の学生たちがファウンデーションの見学に来た。 ☆毎朝起きると、パソコンを開いている私にガオ・メンがコロナウイルスの死者数と患者数を聞いてくる。 彼は毎日中国に電話しているのだが、そういう詳しい情報は中国国内では這入ってこないらしい。 しかしどこで発生したかと言うような情報は頻繁に確認しているようで、ついにインドでも感染者が出たらしい。 そして夕刻には苦りきった顔で部屋に入って来て、ついに彼の勤務する広州の大学でも感染者が出たと言う。 果たして自分は広州に帰ることが出来るのかと頭を抱えていた。 広州に残っている家族を他に移さねばと言う。 今の中国では、咳をしただけでも逮捕されるとも言っていた。 コロナウイルスの発生を隠蔽してきた中国体制に、激しい怒りをぶつける。 ☆私は5月に中国で石彫シンポジウムの予定が這入っているのだが、会期は決まっているのに何の連絡も無い。 おそらく開催はできないのだろう。 ガオ・メンは開催は不可能だと言う。 私もこんな時期に中国へは渡れない。 果たして、東京オリンピックまでに収束できるのだろうか。 今の日本人にとってそれが大きな関心だろう。 ☆明日は観光で早朝5時起きなので、夕食後に早々に床に就く。 ガオ・メンは状況が状況だけに、むやみな移動は避けるということ。 1月29日(水) ☆今朝は冷え込んだので、日中も木陰は肌寒かった。 風邪の方は薬が効いて来たのか、少しは楽になった。 ☆朝起きてパソコンに向かっていると、ガオ・メンの方から中国の肺炎の死者の数を聞いてくる。 そして中国の体制に激しく怒る。 8年前の反日運動も体制側の仕掛けたもので、ガオ・メンの奥さんは日本車(ホンダ)に乗っていたが、夫妻とも広州の大学教授なので、車は学内に在って被害を 受けずに済んだと言う。 ヤオ・ヤンリン(彼女も西安の大学で教えている)のご主人も日本車に乗っているということ。 マスメディアから流れてくる中国の反日は仕掛けられたものだ。 ガオ・メンは日本の懐メロや映画が大好きである。 ☆シンポジウム23日目。 後半に入って、もう設置作業に入った作家が出てきた。 私の作品も本体の仕上げ作業に入ったので、来週頭には設置まで持って行けるだろう。 ☆今日は作業場に大きな猿が出てきた。 孔雀と猿はよく現れるが、芝生の上に一匹で現れた猿はかなり大きな猿だった。 ☆夕刻から冷え込んできて、夕食中にいきなり冷蔵庫の扉が開いたように底冷えしてきた。 食後にしばらく呑みながら歓談していたが、足先が冷えてたまらず部屋に戻った。 部屋に戻ったら、ガオ・メンが外は寒くてかなわないとベッドの上で丸くなっていた。 1月28日(火) 昼過ぎまで曇天。 気温もひんやりしている。 ☆夜中ずっと何度も寝汗をかく。 喉も痛い。 隣のガオ・メンも一晩中激しく咳込んでいた。 朝起きると、頭が重くてぼんやりしていて気分も悪い。 風邪をひいてしまったようだ。 持参の風邪薬を飲むが、一日中体がだるくてきつい。 ☆シンポジウム22日目。 本体の心棒穴あけ作業と突起部の成型作業。 台座は研磨が終わり、設置面の角を落として作業が完了。 月も中国の乾式セラミカを掛けて、水磨きに入る。 ☆ジョルジが、銀行の振込みはうまく行ったか?と問う。 入金を確認するまでうまく行ったかどうか分からない。 彼と話していたら、実はセルビアも同じように第3国のアカウント経由での送金になるとのこと。 ドル送金はニューヨークの銀行、ユーロの送金はイタリア・ミラノの銀行への送金になるのだと言う。 しかもシンポジウム開催の国の状況によっては、入金が2年後、3年後になったこともあったと言う。 さらに、イタリア経由の受け取りでは何度も手数料を取られて、3000ユーロの報酬が、受け取った時にはわずか7ユーロになってしまったこともあったと言う。 そんなことがあるのか?! ビックリである。 ここでは、過去に何度か招待されている作家が居るので、送金トラブルがあれば2度と参加しないだろうから、うまく事が運んでほしい。 ☆夕刻から冷え込んできて、夜はまた寒さが戻った。 風邪で体調が優れないので、夕食を摂ったらすぐに床に就いた。 1月27日(月) ☆今日も陽射しの強い暑い一日。 次第に木陰に居ないと汗が出るようになってきた。 ☆シンポジウム21日目。 ☆お昼前にオルガナイザーのゴピナスと、粘土原型の完成したヤンリンとで市内のファウンデーション・オフィスへ行く。 私の送金のための第3国のアカウントの件で、宮崎銀行に問いあわせた。 高鍋支店の担当者では対応が困難だったので、本部の国際部で対応してもらった。 オフィスのマネージャーと国際部の方と遣り取りしていただいて、メールで第3国の銀行(Intermediary Bank)アカウント情報を送ってもらった。 宮崎銀行と提携しているのはニューヨークの銀行だった。 つまりインドから宮崎銀行と提携しているニューヨークの銀行へ送り、ニューヨークから宮崎銀行へ送られることになる。 なんだか手数料も送金時間も倍かかるのではなかろうか。 日本だけではなく、今回の招待作家ではジョルジアのジョニゴヴァとラッシャが同様にニューヨークの銀行経由での送金段取りになっていた。 ☆私は先日はパソコンからネットで送金してくれたものと思っていたら、色々難しい書類を作って銀行へ行って送金の手続きをするので、時間がかかるという事だっ た。 しかし、ネットでインドから日本の口座へ送金した人のブログを見てみたら、インドの銀行で送金に必要な銀行情報は私がいつも使っている情報でちゃんと送れて いる。 だがこれまで招待された日本の作家の皆さんは、私同様に第3国のアカウントを通じて送金してきたと言う。 ☆オフィスでは私の携帯が使えたので、カード会社等に電話をして、事情を説明して対応等のアドバイスを受ける。 ☆オフイスに行っている間にクレーンが来て、作業の指示はファイサルにきちんと出しておいたので、本体が返されていた。 月部も上部のハツリ作業が終わって、返して研磨作業の段取りをする。 ☆このHPのアカウント等の機能が停止しているのは、提供側の障害だった。 管理画面を開いたら、障害のお詫びとお知らせが次のように表示されていた。 ”障害が発生しているため、ご利用中のツール管理画面に遷移することができません。 現在復旧に向け対応を行っておりますため、今しばらくお待ちいただけますようお願い申し上げます。 ご迷惑とご不便をおかけし、深くお詫び申し上げます。 ” やはり私のパソコンの問題ではなかった。 1月26日(日) ☆じりじりと陽射しの強い一日。 ☆シンポジウム20日目。 本体突起部は、日本から持って来た3インチのダイヤカップをかけてもらい、その後は中国で買った乾式のセラミカで研磨してもらう。 台座の研磨は、チェックしたら、結構磨き残しがあったので、磨き残しを処理してもらう。 月の上部のハツリ作業は、担当のザキールがまったく要領を理解していないので、私が手を入ながら進める。 ☆ブロンズの作家達は、今日で全員が粘土原型の制作を済ませた。 ☆今日は日曜日なので、観光客がバス3台でやって来た。 ランチはそのため、特別メニューだった。 ☆中国のヤオ・ヤンリンにスマホで私の作品画像を見せていて、葉書き絵も見せたら、葉書き絵を始めたころの絵のフォルムに、今作っている私の作品のフォル ムと同じものが沢山あると指摘された。 私は今日まで全く気が付かなかったが、指摘されたらその通りだった。 36年前に落書きした絵の中に、すでに私のオリジナルなフォルムがあったのだということは、すごく力づけられた。 1月25日(土) ☆どんよりと雲の多い一日。 ☆シンポジウム19日目。 今日も本体突起部の成形作業と、台座の研磨。 月部はアール出しを終えてから起こし、上部のハツリ作業に入る。 ☆気が付いたら、首の周りの痒みが無くなった。 腰痛もかなり楽になった。 ☆オーストラリアから、先日送ったプロモーション用の簡単な伝記が、簡明な英文にまとめられたものが送られてきた。 なかなかいい感じでOKの返事をする。 ☆HPは今のところ正常に開けているが、今日なってカウント等のツールの管理ページが開けなくなった。 したがってトップページのカウントが表示されない。 そのせいか、トップページの起動に時間がかかる。 何なのだろう。 このパソコンがおかしいのなら、私のHPはこのパソコンで開かなくても日本では他のパソコンでは開くハズである。 しかし、ここで開けない時は日本でも開けなかった。 原因がさっぱりつかめない。 1月24日(金) ☆今日は昨日より陽射しが強く、汗ばんだ。 ☆シンポジウム18日目。 今日は金曜日なので、例によってイスラムのアシスタントたちは昼からモスクへ出かけて、作業はあまり進まず。 しかし作業自体は順調に進んでいる。 ただザキールが、全く作業の要領を理解していないので、また削られ過ぎてはかなわないので、付きっきりで指導する。 ☆夜は、スタジオでユーリーの作品完成レセプション。 ユーリー自身の主催で、美味しいウオッカを頂いた。 ☆報酬の半分は後日振込みにすると言う。 作家達はみんな、何の問題も無いと即答する。 しかし帰国して色んな支払いのある私にとっては大問題だ。 みんな経済的に余裕があるのだろう。 ☆それに第一、先日に再び銀行情報を伝えたのに、本当なら4日で日本の銀行に届くので今日には入金している筈なのに、まだ入金が無い。 そうしたら、私の銀行情報に抜けているものがあって、それで送金できないでいるという。 そんな筈はない、これまでどの国からでもこの銀行情報で問題なく送金できている。 怒りを抑えながら問答しているうちに、やっと事情が呑み込めた。 実は日本とインドには銀行間の直接取引が無いのだと言う。 他の国への送金は何の問題も無いが、日本へ直接送金することが出来ず、第3国のアカウントが必要なのだと言う。 それで日本の銀行へ問い合わせて、その第3国のアカウントを教えて欲しいと言う。 月曜日に、事務所から電話することになった。 1月23日(木) ☆今日も日中は陽射し強し。 ☆シンポジウム17日目。 今日から会期は後半に這入った。 ☆私のアシスタントたちは今日も良く働いてくれた。 ファイサルは凄く呑み込みが良くなった。 今日は本体の突起部の成形に這入った。 ☆午前に作家達は市内へ出かけて色々道具を買って来た。 私は別に必要なものも無いので、留まった。 なにしろ、入国時にエアインデアの重量制限がギリギリだったので、これ以上荷物を増やすことはできない。 ☆ここではブロンズの作家達のFRP取りや、ブロンズ鋳造を毎日やっていて、FRPの作業も私の全く知らない方法で速攻でやっている。 見ていてすごく面白い。 ☆同室のガオ・メンは、毎朝スマホをチェックして武漢の新型肺炎の死者について報告してくる。 中国体制の隠蔽体質が招いた惨事だと怒っている。 武漢は封鎖されたが、中国はこれから国民大移動の春節を迎えるので、中国全土、世界中に拡散することを危惧している。 ☆今のところ、このHPは正常に見れている。 このまま正常を保つのだろうか。 ☆今日も一日、腰痛に悩まされる。 1月22日(水) ☆今日も日中は陽射しが強く、むし暑かった。 ☆シンポジウム16日目。 丁度会期の中日となり、明日から折り返しとなる。 ☆台座の磨きに這入った。 昨夕に私が少しやってみて、セラミカの使用番数を決めていたので、今日は私からの指示は不要で、若いシャキールが異常なほど丁寧に一日中作業してくれた。 シャキール自体は作業は凄く丁寧なのだが、面をキチンと出すのが不得意だけで、形を出す必要のない研磨作業は完璧にこなしてくれる。 月部のアールを出してくれていたファイサルは、今日は真剣な表情で、呑み込みも良く、実によく作業をしてくれた。 月部を返して、アールの面出しをファイサルがザキールに作業指示を伝えて作業させた。 ファイサルは本体の窓の内側の面出し作業を完璧にこなしてくれた。 今日はアシスタントがとても良く働いた。 終り際にファイサルに今日の作業を褒めてあげたら、ニコリと喜んでいた。 ☆私は今日は指示を出す必要も無かったので、隣のジョルジのグラインダーを借りて、某海外コンペのマケットを作ってみたが、ドローイングのイメージが半端だっ たので、うまく行かず途中で放棄した。 ☆私の部屋でパソコン作業をしている椅子とテーブルの高さがうまく釣りあっておらず、昨日から腰が痛くなってきた。 今日は更に痛みが増して、腰が伸びない。 ストレッチをやってみたが効果は無い。 ☆今朝からこのHPが普通に開けた。 また直ぐに見れなくなるかと思ったが、一日中開けた。 原因は結局はさっぱり分からずじまいである。 1月21日(火) ☆朝は冷え込んだが、日中はぐんぐん気温が上昇して蒸し暑くなった。 ☆シンポジウム15日目。 ザキールに台座の面出しをやってもらったが、あまりにも要領が悪い。 目先しか見ていないのでどんどん面が下がって行って平らにならない。 とうとう我慢できなくなって叱りつけると、”オーケー、オーケー、ノープロブレム”と何時もの答えで私の指示を避ける。 何が”問題ない”、だ。 グラインダーを取り上げて、こうやるんだ!と実演する。 ザキールは英悟が判らないので、その後をファイサルがヒンディーで説明してくれた。 ”オーケー、オーケー、ノープロブレム”は45年前のインド大陸放浪の時にも日本人旅行者の間で話題になったことを想い出した。 これはインド人の口癖なのだ。 無視しなくてはならない。 面出しの仕上げはファイサルにやってもらった。 ☆面が出たので台座と、本体の心棒穴を開けてもらう。 ☆もう一つインド的な大きな問題が露見した。 今回のチケット料金の支払いのために、オーナーにお願いして報酬の内金を送ってもらった。(はずだった) 直接、事務所に出向いてパソコンに銀行情報を打ち込んでもらって、その場で送金の手続きをしてもらった。(はずだった) オーナーは、日本には4日で届くと言われたが、もう2週間以上経つのに日本の銀行から入金の知らせがない。 ネットで調べると、インドから日本の銀行への送金は2週間かかったという記事があったので、やはり実際はそんなにかかるのかと思ったが、念のために事務所に 問い合わせて貰った。 そうしたら、今日になって銀行情報を教えて欲しいと言って来た。 えっ、まだ送金をしていないのか?! 返答は、まだ送金はしていないということ。 何と言うルーズさ。 やはり、インドだ。 日本の感覚で居ると、とんでもない目に遭う。 昨年は展覧会に送った妻の版画が消えてしまったし、主催者は何の責任も取らなかった。 1月20日(月) ☆朝は昨日より幾分冷え込んだ。 ☆昨夜のうちに新たに体のかゆみが増えた。 中国・ホ田(プーチアン)でダストアレルギーで大変な目に遭ったことを想い出した。 ガオ・メンの話だと、やはりプーチアン辺りは大気汚染がひどいのだと言う。 私たちの部屋は一日陽が当たらないので、ダニが発生しやすいのだろう。 ☆シンポジウム14日目。 午前は殆ど停電状態だった。 クレーンが来たので、台座の水平レベルを出してもらい、本体を横に起こしてもらった。 もうシンポジウムの中盤であり、間もなく折り返しに這入る。 私の作品が一番遅れているので苛立っていたが、本体が横に立ったら少し先が見えてきてほっとした。 ☆しかしアシスタントたちの面出しの作業が荒い。 面は凸凹で削り過ぎて波打っているし、あちこちえぐれが出てしまって、再度面の位置を下げて削り直しをしなければならない。 本体の窓のコーナーを無造作にハツリ落としてしまって、接着剤で埋めなくては成らない。 作業の手順を伝えると、”オーケー、オーケー”と拒否する。 やれやれアシスタントを使うのは気が疲れる。 ☆昨夜の夕食時の私のタブラモドキと口笛と即興ダンスが凄く好評で、ジョルジがスマホで撮った動画をWechatでみんなに流していたので、今夜の夕食時にみん なそれを観ていた。 あちこちのスマホから私の口笛が流れていた。 そこでどうしても今夜はハーモニカを吹けとみんなに催促されて、ハーモニカを吹く目に遭ってしまった。 正月以来吹いていないので、ミスばかりであった。 1月19日(日) ☆今日は昨日までの冷え込みは無し。 ☆ここに来てずっと体が痒い。 特にここ数日は首筋が痒くてたまらず、今日も夜中はそれで眠れなかった。 朝食後に同じ部屋のガオ・メンがラッシャに首筋にクリームを塗ってもらっている。 ガオ・メンに質すと数日前から首筋が痒くてたまらないと言う。 私と同じである。 私もクリームを塗ってもらった。 どうも私たちのベッドに問題があるようだ。 ガオ・メンは、それで寝る時に毛布を被らずに、上着を重ね着して対応していると言う。 45年前のインド大陸放浪で悩まされた南京虫とシラミを思い出した。 ☆シンポジウム13日目。 今日の作業は月部の心棒穴あけ、台座の斜め面落とし、本体の窓開け。 どうにもアシスタントがやりにくい。 面出しが全然できないので、要領を伝えると、”オーケイ、オーケイ”と言って私の口出しを遮る。 そして何もしていない時間が多すぎる。 他の作家たちは自分も作業しているし、アシスタントも一生懸命働いているからもう見る間に形が出ている。 私の作品が一番遅れている。 私が独りで作業したほうがはるかに進んでいる。 私がグラインダーで作業すると泣きだすし、困ったものだ。 1月18日(土) ☆今朝もとても冷え込んだ。 日中は昨日より気温が高めであった。 ☆シンポジウム12日目。 ここにきて、殆ど動かずにじっと作業を見つめている毎日なので、エネルギーを消費する場が無くて、毎日のカレーで胃が重くなってきた。 次第に胃がきつくなってきたところへ、お昼にまたカレーを食べたので、午後は胃がキリキリと痛くてたまらなくなってきた。 何時もは胃薬を常備しているのだが、今回は持っておらず腹下しの丸薬を呑んだ。 何もせずに監督をしていると言うのも、次第に耐えられなくなってきた。 ☆そこで、午後に本体の窓を開ける作業が遅遅としているので、もうそろそろ深切りしたら窓が開きそうだったし、窓が一部でも開くと作業展開が早いので、グライ ンダーを借りて窓を開ける作業をした。 そうしたら、作業はアシスタントのオレ達がやると言って、私に作業させないようにする。 途中で彼らに替わってあげたら、苛々しているのが伝わってくる。 窓が開いて、これで気持ちが楽になって、これからの作業が捗るよ、と言ったら、リーダー格のファイサルが”あなたは見ていればいいと言っただろう!作業はアシ スタントのオレ達がすると言っただろう”、と涙ぐみ始めた。 ファイサルが泣きだしたのでびっくりして、”いや、オレは怒ってなんかいないよ。窓を開けておくと気持ち楽になって作業がしやすいから、どうしたら窓が開くかをお 前に見せてあげただけだよ。” ファイサルは英語が母国語として話せる。 彼に対して、英語力の無い私の説明が拙くて、私が怒って彼らの作業を取り上げたように感じたのだ。 ファイサルは、”ほら、あなたはこんなに服が汚れてしまったではないか”とブロワーを持って来て、汚れを吹き飛ばしてくれた。 心優しい青年なのだ。 明日からはもう作業に手を出すことは止めよう。 丁寧に指示だけしよう。 ☆フェイスブックに制作過程を載せて欲しくないと、作家からお願いがあった。 私は何時もシンポジウムの全体の流れが判るように、出来るだけ全ての作家の制作過程を投稿してきた。 中にはフェイスブックに挙げて欲しいという作家もいる。 自分の制作中の写真は撮れないからだ。 しかし、時として完成した時に投稿して欲しいと言う作家も居て、気にはなっていた。 シンポジウムは公開制作だから、制作途中の様子を公開してはいるのだが、本質的に作家は制作途中の様子は見せたくないし、ましてやネットで公開されるのは 心外なのだ。 今日はクレームと言うより、丁寧に頭を下げてお願いされたので、その気持ちが好くわかり、私の配慮不足を反省した。 それでこれまでの投稿の画像から、本人がいいねした写真以外の他の作家の写真を削除した。 これからも完成までは、私の制作工程を中心に投稿していく。 ☆このHPが開けなくなってしまって、原因が分からない。 しかしネットで検索すると、開けるページがあるし、リンクも活きているページがある。 それでURLにこの日記のページURLを加えてみたが、やはり開けない。 いよいよ、どうしてこういう状況が起きているのか、まったく分からない。 ☆妻が職場で流行っているインフルエンザAに罹患した。 予防接種をしていたが、予防接種には有効期間があるということ。 1月17日(金) ☆今日は朝夕がとても冷え込んだ。 ☆シンポジウム11日目。 午前は停電時間が長く、余り仕事がはかどらず。 そして今日は金曜日なので、モスレムのアシスタントたちは昼から夕刻まで礼拝に行って、今日は作業はあまり捗らず。 ☆私のアシスタントからは、ヒトシは作業は一切しないでくれ、作業はすべてオレたちに任せて、あなたはただ見ているだけでいい、と釘を刺されているので、彼らが 居ない間に作業をする訳にはいかない。 それで午後からは、暮れに図面を描いていた某海外シンポジウムのエントリーデータをパワーポイントにまとめて(パワーポイントでのデータ提出と言う規定)、午後 にエントリーを済ませる。 ☆オーストラリアのシンポジウム・オルガナイザーからプロモーションのための作家の簡単な伝記を送って欲しい、日本語で構わないと言う連絡が這入っていたの で、朝のうちに日本語で書いて送る。 ☆このHPが全く開けない。 サーバーではすでにhttpsで表示されていると言うので、Chromeで開いてみようと思ったが、やはりChromeでもサーバーに接続できない。 システムの復元を掛けてみようと思ったが、HPが表示されなくなった辺りにシステムの変更はされていない。 ホームページビルダーでページ編集からプレビューへクリックすると、プレビューではきちんと見れるのである。 何故開けないのか、さっぱりわからない。 1月16日(木) ☆今日は空気がとても冷たくて、日陰では寒かった。 夕刻からは冷え込んできて、夜にはまた寒さが戻った。 夜半には10℃まで下がる。 ☆シンポジウム10日目。 会期のほぼ3分の1まで進んだ。 午前は停電の時間の方が長く、あまり作業は進まなかった。 私の作品は本体の厚み落としは終わり、突起部と窓のカッティング作業に這入る。 ☆昨日、一番若いアシスタントの作業にクレームを入れたら、もう故郷に帰ると言い出した。 彼は英語が喋れない。 それでポケトークを使って、ヒンディー語で丁寧に作業のやり方を説明してあげようと思ったら、肝心のポケトークがインターネット接続がありませんと言うエラーメッ セージが出る。 このポケトークは内臓のSIMカードで、どこでもネット接続が出来るのだ。 ポケトークはネット接続で、最新の翻訳が出来るのがウリなのである。 実際にハルピンの雪像大会では、ネット環境の無い会場で使えた。 色々設定するが、やはり使えない。 何のために高いポケトークを買ったのやら。 ☆昼にオーストラリアのシンポジウム参加者がネットで公開された。 知人は台湾の張さんだけ。 ☆HPは今日も全く開かない。 更新の転送もできない。 色々不都合ばかり。 1月15日(水) ☆雲の多い一日でしのぎやすかった。 ☆シンポジウム9日目。 今日も停電時間が長く、あまり作業は進まず。 ☆カイト(凧)フェスティバルはしばらく続くのか、今日も朝から川向こうからディスコサウンド。 そしてファウンデーションにも来客が多かった。 ☆再びこのHPが開けなくなった。 サーバーからはすでにドメインが「https」になっていると連絡があったが、クリックしても開けない。 ホームページビルダーも設定の変更でhttpをhttpsに変更しようとすると、既存のサイトマップを削除してくださいとメッセージが出る。 そのサイトマップがどこにあって、どう削除するのか全く分からない。 サーバーに問い合わせると、共有SSLを利用する変更作業にサイトマップの削除は必要ないと言うが、しかしホームページビルダーでは設定の変更が出来ない。 これまでHPのURLは何度か変更したが、こんなややこしい操作をした記憶はない。 ☆もうひとつ大きな問題が発生している。 日本の某所へ電話で確認しなければならないことがある。 ところがスマホで電話をすると、”モバイルネットワークが接続出来ません”と表示されて電話が出来ない。 ネットでその対策を調べて色々やってみると、”圏外”が表示された。 ああ、ここは山の中なので私のスマホは電話が通じないのだ。 それで妻にラインを送って、妻から電話を入れてもらうことにした。 しかし、夕食時に海外の作家たちはみんな家族に電話しているのだ。 家族や友人ならメッセンジャーのようなアプリで電話出来るが、某所にはメールアドレスもないし、ましてアプリでの連絡も出来ない。 1月14日(火) ☆今日は朝の冷え込みもなく、日中の暑さも25℃と昨日のような蒸し暑さは無かった。 ☆シンポジウム8日目。 インド的と言えば、45年前とほとんど変わっていないと思われるのが、電気が良く落ちること。 このロッジも作業場もよく電気が落ちる。 今日はその頻度が高く、午後は電気が落ちて作業にならない時間の方が長かった。 本体の裏面は概ね、厚みが落ちた。 ☆今日はカイト(凧)フェスティバルで、昨夜から川向こうではディスコサウンドが鳴り響いていた。 フェスティバルに合わせてのダンスパーティーだということ。 オーナーの話では、バドーダラーの街の空は凧だらけになると言う。 スリランカ・コロンボのゴールデン海岸でもみんな凧揚げをしているから、こちらの人は凧揚げが好きなようだ。 夕刻にはアシスタントたちも凧揚げに興じていた。 私にも凧糸を渡されたので、久しぶりに凧揚げを楽しんだ。 ☆このHPのサーバーから、”初期ドメインは「共有SSL」を有効化することで「https」にて が、ではどうやったらhttpからhttpsに変更できるのかがまったく分からない。 1月13日(祝・月) ☆今日は朝からどんよりした薄曇り。 午後には一時的に小雨がパラついた。 小雨の後は晴天となる。 気温は上昇して、蒸し暑かった。 ☆シンポジウム7日目。 私の作品は本体の反対面の厚み落としと、月部のアウトライン落とし。 ☆アシスタントたちが、私が幾つかのヒンディー語を喋れるのを不思議に思っている。 それで私が45年前にインドを放浪したことを話したら、納得していた。 彼らは日本人を尊敬している。 ここのシンポジウムには何人かの日本作家が参加しているが、彼らアシスタントにとっては、日本人作家のアシスタントに成れるのは大変な喜びなのだと言う。 ☆私は殆ど一日、彼らアシスタントの作業を眺めていて、時々指示するだけだ。 グラインダーもアシスタントの分しかないので、私が作業をすると、アシスタントの仕事を奪うことになる。 インドは時間がゆっくり流れているので、何時もはアシスタントの作業の粗さにカリカリするが、ここではそういうことも無い。 もう70歳になったので、こういう関わり方も悪くは無いと感じる。 だから持参した道具で使っているのは、赤鉛筆、カッターナイフ、チョーク、ポケチョーク(線を引く)だけで、後はたまにマスクをして作業をするくらいである。 もし再びここへ来ることがあれば、道具は最低限度で済むので、その分、セーターやジャンパーを持って来ることが出来るし、優秀なアシスタントも多いので、大き な作品も出来る。 ☆このシンポジウムはブロンズ部門もあるので、鍛冶屋が居たり、ブロンズ鋳造屋が居たり、見ていてとても面白い。 ブロンズ原型の作業も、見たことも無い作業過程があり、興味を惹かれる。 1月12日(日) ☆今日は気温が上昇。 日中は31℃まで上がって、蒸し暑くなった。 ☆シンポジウム6日目。 午前のうちに、真っ二つに割れてしまった月部の新しい石と、ミンチェフの巨大な石が届く。 そして本体を返してもらった。 午後からは、返した本体の厚み落としと、台座の天部の面出し作業。 私は月部の墨入れと、月のフォルムラインをカッターで切り込む。 ☆このHPは、今日は何事も無かったように普通に開いてくれた。 一体、何が原因だったのだろうか。 1月11日(土) ☆今日は冷え込みは和らいで、日中はTシャツでも暑いくらいだった。 ☆シンポジウム5日目。 アシスタントたちの名前を覚えようと、”アープカ ナム キャーハイ?”(あなたの名前は何ですか?)と45年前のインド放浪時に覚えた問いかけをすると、直ぐに” メラナーム・・・”(私の名前は・・・)と返事が返ってきた。 45年前に覚えたヒンズー語は結構覚えている。 ☆本体の側面のフォルム落としと、正面の面の仕上げ作業、そして台座の天板面出しを進めてもらった。 明日にはクレーンが来るので、本体を返してもらう。 ☆夕刻に作家たちはみんな街へ出た。 私は何のために街へ出るのか聞いていなかったので、急に言われても特段買いたいものもなく留まった。 ☆彼らが街へ出た後に、何やらアシスタントたちが大騒ぎを始めて、インドの作家の制作場所の竹藪に集まってきた。 様子から、何か大きなものが出たらしい。 聞くと大きなコブラが、Zdravkoの作業場の近くの石から出てきて、あっという間にインドの作家の制作場所の竹藪に逃げたと言うのである。 コブラは5フィート(約1,5m)あって、動きが俊敏だと言う。 ☆皆が帰って来ての夕食に、このコブラ騒動の話をした。 そうしたらこのラジャスタン州にはインドライオンが生息していると言うのを初めて知った。 500頭ほどのインドライオンが居るという事であった。 トラはベンガル湾のオリッサ州に住んでいる。 ☆先日からこのHPが表示されない。 転送にもエラーが出て、なかなか転送できない。 Chromeなら表示されるかと思ったら、”保護されていない通信”というメッセージが出る。 ネットで調べてみると、URLのアドレスがHTTPのものはセキュリティーの問題で、接続されないようになっていて、SSLを導入してHTTPをHTTPSに換えなければな ならないとある。 こんなことはこれまでなかったので、使っているモバイルWi-Fiの影響かなと思って、私のHPをよく訪れてくれる日本の友人に確認してもらったら、やはり日本でも私 のHPは数日前から見れなくなっているという。 それでサーバーに、HTTPをHTTPSに換えてもらうにはどうしたらよいかをメールで問い合わせる。 1月10日(金) ☆今日は昨日以上に底冷えた。 セーターと作業ジャンパーを持って来ていないので、上着や長袖シャツを何枚も重ね着してしのぐ。 ☆シンポジウム4日目。 今日は金曜日でモスレムの祝日である。 ラジャスタン州はモスレムが多く、アシスタントの多くもモスレムで、昼から夕刻まではみんなで礼拝に出掛けた。 そういう訳で今日の作業は少ししか進まなかった。 時間はあるし、のんびり構えよう。 1月9日(木) ☆今日はとても冷え込んだ。 風もあって寒い一日であった。 ☆シンポジウム開始3日目。 私の作品は前面の厚みを落としてもらって、夕刻から側面のフォルミを墨入れして側面のカッティングに這入ってもらう。 しかし仕事がとても荒い。 面はえぐれてしまっているし、切ってはならない部分にカッティングを入れてしまっている。 私は一日、アシスタントのそばに居るのだが、やはり私も適時に作業状態をしっかり点検していかなければならない。 アシスタントたちは、日ごろはお寺の作業をしていて、手作業は得意だが、電動工具の使い方はあまり得意ではないという事だ。 でも中には、キチンと垂直の面を出していく優れた技術者もいる。 1月8日(水) ☆朝夕の冷え込みはかなり和らいできた。 過ごしやすい一日。 ☆シンポジウム開始2日。 私は昨日セリ矢で落とした石がアシスタントの作業に邪魔になっているので、パレットトラックで移動させる作業。 ☆月部の厚みも昨日ドリルで落としていたのだが、真ん中に大きなクラックが走っているのが見つかった。 それで夕刻に繋ぎの心棒と接着剤を入れて止めようと打ち合わせしていたら、月部の加工をしている最中に真っ二つに割れて仕舞った。 どうもルーマニアからこういう石が渡る。 ルーマニアではなるべくクラック部に刺激を与えないように作業したが、ここではアシスタントが力任せに作業するのであっけなく割れてしまった。 現場の監督作家に新しい石と交換できないか尋ねたが駄目だった。 ところが午後にオーナーが見えて、月の石が真っ二つになっていたので、オーナーの指示で新しい石を取り寄せて頂くことになった。 オーナーはこの月が気に入っておられたのである。 ☆夕刻までに本体の側面が落ちたので、厚みの墨入れをする。 私は概ね作業場に居て作業の進行を確認しているが、殆ど作業場に居ない作家もいる。 指示がキチンと伝わっていればそれで問題はない。 1月7日(火) ☆今日は陽射しが強くて、Tシャツ1枚で十分な暑さであった。 ☆シンポジウム開始。 作業開始に先立って開会セレモニー。 インドらしくお香や供花、花のレイなどで演出されたセレモニーであった。 ☆各作家にアシスタントが3名付く。 作家は指示をしさえすればよい。 作業の殆どはアシスタントがする。 今日の私の作業は、カットするラインを引いただけ。 石が実際のサイズより大きいので、ドリルとセリ矢で厚みを落としてもらった。 ドリルの作業はベテランのアシスタントがやってくれた。 ☆昼前に、インドの作家のアシスタントが、服を230mmグラインダーに巻き込まれてあわや大惨事となる事故があった。 服にひもがついていて、そのヒモが絡んでしまったらしい。 幸い胸のかすり傷で済んだが、やはり230mmのグラインダーは怖い。 ☆午後に観光客を載せたバスが来た。 この施設は観光地でもあるようだ。 ☆午後は時間があったので、洗濯をする。 1月6日(月) ☆昨日までのような冷え込みはなし。 ☆午前にオーナー立ち合いで完成作品の設置場所の確認。 場所はすでにオーナーが決定していて、その場所の了承と設置位置と向きを決定。 オーナーが案内してくれた場所は入口から逆方向に下がった場所で、そこにも作品が設置してあり、敷地はかなり広大である。 また、隣接してインドの伝統的な工芸品を展示する施設もあった。 ☆午前にジョニゴヴァ(ジョージア)とLasha(ジョージア)、Vasilis(ギリシャ)が到着。 ☆午後からは市内へ出る。 グジャラート州では酒を買うのに許可証が居る。 それでシンポジウム期間中の私たちが呑む酒を購入するのに作家全員の許可証を取らねばならなかった。 これがなかなか面倒で、午後いっぱいかかった。 ☆その後に、ショッピングセンターへ行って買い物をする。 スマホの店に行ったら、モバイルのWi--Fiが売っていた。 Minchevが欲しいと言って、私も必要なので、彼とは隣部屋なので共通で使うことにして購入した。 折半の私の分は約500ルピーで約700円である。 マレーシアにもこんなものがあれば、私は苦労しなかったのに。 ☆ファウンデーションに帰り着いたのは、もう10時前であった。 夕刻にGiorgie Cpajak(セルビア)が来ていた。 1月5日(日) ☆香港の出発が大幅に遅れたので、ムンバイにも50分近く遅れて01時15分に到着。 私はエアーインデアまでの乗継時間に余裕があったが、そうではない乗客たちは入国審査ゲートまで長い通路を必死で走っていた。 私は入国審査はスムーズに終った。 ☆ムンバイからアーメダバードまでは国内線なのだが、フロアーが国際線と同じなので、チェックインに戸惑った。 チェックイン自体は、やはり2kgオーバーを申し渡されたので、その場でスーツケースを開いて、そのために昨日入れていた提げ袋に書類のデータを全て入れてス ーツケースから出したら、一発でOK。 しかし次に保安検査で戸惑った。 エアーインデアの国内線の保安検査ゲートはまったく別な処にあった。 ようや搭乗ゲートに着いた時にはもう3時になっていた。 ☆ムンバイでもスマホはスムーズにネットが出来るが、パソコンはサインインが出来無かった。 スマホで張さんとSamiaにコンタクトを取ると、すでに2人は昨日のうちに連絡を取り合っていた。 ☆5時30発のアーメダバード行きも30分ほど遅れて6時に出発。 アーメダバードに7時15分に到着。 出口で、正月の残りの日本円をルピーに換える。 ☆出口で出迎えの運転手と落合い、7時40分に空港を発つ。 33年ぶりのインドの街である。 この混沌とした佇まいが何とも言えない。 しかし、どこもかしこもゴミだらけ。 インドの街中は確かに清潔とは言えなかったが、これほどにゴミだらけだったとは。 それに想定外に寒い。 寒いのは朝夕だけかと思っていたが、ヴァドーダラーへ向かっている道中もとても寒い。 これでは持参した衣料では対応できない。 アーメダバードの街中を抜けて、高速道路でヴァドーラダーへ。 ヴァドーダラ―の街を抜けて車は延々と郊外に向って走り、やがて人気のないブッシュの中に入って行った。 一体何処へ行くのかと思ったら、ブッシュの突き当りに守衛の居る門扉があってそこを抜けて下って行くと、広大な敷地に彫刻の散在する施設が開けてきた。 そこがシンポジウムの会場であるUttarayan Art Foundationであった。 空港を出て3時間の道のりであった。 ☆すでに招待作家のGeorge Minchev(ブルガリア)、Zdravko Zdravkov(ブルガリア)、Gao Meng(中国)とインドの作家たちが来ていた。 Minchevは行橋以来、Gao Mengは昨年の西安以来である。 午後にはYuri(ロシア)もやってきた。 敷地内には宿泊施設のドミトリーも在って、私はGao Mengと相部屋である。 ☆午後は敷地内を散策した。 裏手は川になっていて、レストランの周りはリスが駆け回り、レストランのテーブルには鳥もやってくる。 これまでに招待された作家たちは馴染の作家たちも多いが、日本人彫刻家たちもかなり招待されていて、そのメンバーの構成からおそらくRobinの主催しているイ ンドでのシンポジウムに参加しているか方たちのつながりであるようだ。 ☆レストランで小休止している時にこの施設のオーナーと、その奥さんとお話したが、お二人とも日本が大好きで、オーナーの仕事のパートナーが日本の企業で日 本にはよく行かれるようだ。 この施設はオーナーが15年前に建てられたということ。 そして奥さんは箱根の彫刻の森に行かれて感銘を受けられ、その印象がこの施設の構造の元になっているという事だった。 ☆夕食を摂りながら、オルガナイザーのGopinathに聞くと、やはり今年のこの寒さは特別だと言う。 そこでバングレデシュのナルギッシュからメッセンジャーが這入り、彼女はデリーに居たのだそうだが、デリーは凄く寒くて、バングラデシュもとても寒いという事。 日本は異常な暖冬だが、インドでは異常な寒さなのだ。 Yuriが、これは中国の環境汚染の影響だと、Gao Mengをいじっていた。 夜になってYao Yanling(中国)が到着する。 1月4日(土) ☆朝は冷え込んだが、車のフロントグラスの氷結は無し。 ☆5時に起床。 もう一度2kgオーバーのスーツケースの荷造りを考え直そうと思ったが、オーバー分は色んな書類のファイルなので、エアーインディアのチェックインで指摘された ら、これらのファイルを機内持ち込みにして取り出すことにした。 ☆6時29分発の各駅停車電車で宮崎空港へ向かう。 宮崎空港は今日もごった返していた。 保安検査場への列が長蛇の列で、何とか検査通過20分前に検査場を抜けることが出来た。 8時20分発のJALにぎりぎり乗り込めたが、間に合わない客が続出して、出発がかなり遅れた。 ☆福岡空港から国際線ターミナルへ移動して、空港宅急便で送ってあった道具のスーツケースを受け取ると、なんとキャリー部の手持ちハンドルの所が壊れてしま っている。 どうしてこんなことが起きるのか理解できない。 抗議すると、預かっての修理となると言う。 帰国してすぐに行橋プロジェクトが始まるので、修理に出している時間はない。 宅急便のスタッフがアロンアルファで接着した。 腹が立つが、帰国して買い替えるよりない。 ☆キャセイパセフィックのチェックインは2時間半前から始まり、スムーズに終った。 ☆定刻の14時00発で経由地の香港へ向かい、香港には定刻より早く16時半に着く。 空港内には、香港市内で起きている抗議行動の気配は全く無い。 香港空港ではスマホは簡単にネットに接続できたが、パソコンは何度やってもサインインできなかった。 ☆待ち時間に行橋プロジェクト招待作家のSamiaとスマホで遣り取りをする。 昨夜の質問に答えていたら、インドで道具を買って持って帰ってくれないか、お金は振り込むと言う。 しかしただでさえ荷物が超過しているので、それは不可能だ。 そうしたら、インドから送ってくれないかと言うのだが、お金を私の口座に振り込んでくれたとしても、私はそれを引き出せない。 それで、台湾の張さんに送ってもらう方法を提案した。 張さんともコンタクトを取った。 多分それしかない。 ☆香港を20時10発のキャセイパセフィックは、出発が1位時間近く遅れて、ボンベイへ発つ。 1月3日(金) ☆今日も快晴の暖かい一日。 ☆午後から年賀状の宛名書き。 元旦と今日に届いた分と、それ以外に昨年に届いていた方たち宛に宛名書き。 夕刻までに投函。 ☆インドへの海外旅行保険にまだ這入っていなかったのに気付いて、保険に這入る。 ☆暮れに描いた図面に寸法を入れる。 スキャンしてエントリーの準備。 ☆夕食後にインドへのスーツケースの荷造り。 夜が冷えるので冬用の衣料を入れたら2kgオーバーしてしまった。 明朝、再チェックしなければ。 ☆明日が早いので12時前には床に就こうと思っていたら、今年の行橋プロジェクト招待作家のSamaiから、延々とした問い合わせメールが届いた。 彼女は留学で岩手に来ているので、シンポジウム道具は日本に持って来ていないのだ。 大口径のグラインダーとディスクが欲しいという事だが、日本では海外の作家たちが常用する230mmのグラインダーとディスクは手に這入らない。 他にも参加作家としては問いあわせたいことが満載のメールだが、私にはそれらに返事する時間がもう無い。 1月2日(木) ☆今日も快晴のとても暖かい一日。 ☆昼前に日向市へ。 久しぶりに10号線を北上。 ☆妻の実家の墓参をして義姉宅へ新年の挨拶。 ☆午後は何時ものようにジャスコへ立ち寄って、大御神社へ初詣。 近年はサンドーム前から大御神社へのシャトルバスが出ているので、今回もシャトルバスを利用した。 例年は海からの寒風が吹いて、拝殿への長蛇の列は凍える寒さなのだが、今年は風もなくとても暖かい参拝だった。 そして参拝の列もいつもより早めに進んでいった。 残念だったのは、獅子舞や巫女さんたちの舞いが昨日だけだったこと。 毎回楽しみにしていたので、物足りなかった。 御神籤は”吉”。 可もなく不可もなく、と言うところ。 ☆帰路に、平岩の”太平洋ドライブイン”の跡に新しくできた商業施設”STAIRS OF THE SEA”に立ち寄る。 ☆5時過ぎに帰宅して、高校同窓の新年会へ。 今年は参加者が少なく、わずか9名での新年会であった。 話題は専ら運転免許の高齢者講習会と墓じまい。 そういう話が現実として身につまされる齢になった。 2次会まで流れて、早目に帰宅して妻と次男とで家呑みする。 1月1日(水) ☆新年あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いします。 ☆朝は久しぶりに冷え込んで、車のフロントガラスが氷結。 しかし風も無く、日中は気温がぐんぐん上昇、快晴のとても暖かいお正月となった。 ☆令和になって初めてのお正月なので、妻が記念すべき初日の出を拝みたいと言うので、早起きして10数年ぶりに初日を拝みに行く。 何時もは蚊口浜へ行くのだが、今回は初めて高鍋大師へ出かけた。 初日が出るまでは耳が切れるような凍える寒さだったが、雲もなく美しい初日を拝むことが出来た。 ☆帰路に立花神社へ参拝し、帰宅して近所の火産霊神社と八坂神社を参拝して三社参りをする。 ☆昼に家を出て、宮崎空港へ帰省する次男を迎えに行く。 早目に着いたのだが駐車場が満杯で、延々と待たされる。 何とか次男が着くころには空港へ這入れたが、空港の中も大勢の出迎え客でごった返していた。 お世話になっている空港ビルの職員の方と新年の挨拶を交わすと、例年は元旦にはこんなにごった返すことはないのだと言う。 ☆空港からの帰路はイオンに寄って今夜の新年会の買い出しをする。 ☆夕刻に帰宅してすぐに今夜の新年会の準備にかかる。 今夜はお世話になっているジャズミュージシャンの片貝さんと照沼さんを招待してあった。 お二人は伊勢海老の刺身を食べたことが無いと言うので、大分の蒲江から伊勢海老を取り寄せて、伊勢海老料理での新年会となった。 そして盛り上がってきたところで、新春初ライブとなった。 最後に片貝さんの指名で、片貝さんのピアノ・ボーカルと私のハーモニカでのジョイントになった。 ところがここで奇蹟が起きた。 これまでにない最高のハーモニカ演奏が出来たのだ。 ビックリしたのは私本人だが、聞いていた妻も次男も照沼さんも思わず拍手喝采となった。 プロのジャズシンガーとジョイント出来たなんて夢みたいであった。 とても嬉しい大きな初夢を頂いた。 今年はいい年になりそう! ☆次男もプロのミュージシャンなので、今夜は延々と音楽の話で盛り上がった。 我が家にこんな時間が来るなんて。 楽しい新年会は夜中まで続いた。 |