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このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。

過去の日記

2021   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12

2020   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12


2021 4月30日(金)

☆晴天。

一日中強風が吹き荒れて、午前は冷え込んだ。

☆明日から読売新聞での長谷川櫂氏解説・「四季」に、「MOON DROPSー月の雫」からの10首が掲載されるので、読売新聞販売所に10日間の短期配達をお願いする。

☆木版画のプラン。

夕刻に下絵に這入る。

☆昨日、6月の二人展用に追加のマグネットを注文した。

先日に作成した私の「MOON DANCE」のマグネットの出来が良かったので、今回も私の海外設置彫刻から3点をマグネットにしようと思ったのだが、2点はマグネットの

比率に合わせると作品の上下が切れてしまうので、昨日の発注を見送った。

それで今日は作品画像の周囲に背景色を付け足した画像を作成して、追加注文した。

発送は、昨日注文した分と一緒に送ってもらえることになった。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は15人で、都城市の県立高校でのクラスターが発生した。

日向市の感染者は出なくなってきたので、明日から日向地域に出されていた感染急増圏域(赤)のレベルから、感染警戒区域(オレンジ)にレベルが下がる。

連休中に再拡大しないことを望む。

連休明けにただちに、6月に延期した江川春江ギャラリーでのDMを再注文しなければ間に合わなくなるのである。


4月29日(祝・木)

☆昼過ぎまで雨。

今日も冷え冷えと寒い一日。

☆午後に妻と宮崎市へ出て、MRT Miccのダイヤモンドホールで開催された宮崎ジャズデイ2021を聴きに行く。

宮崎ジャズデイのことは以前から知っていたが、今回はお世話になっている照沼さんが出演されるので、照沼さんのお誘いで初めて出かけた。

コロナ対策で300名の限定席だった。

☆第一部は鹿児島のリトルチェリーズの演奏。

このリトルチェリーズは小学生だけによるビッグバンドとして発足し、私は2007年に枕崎市に私の作品が設置された時の”アートストリート”オープンセレモニーでこの

リトルチェリーズの演奏を聴いている。

その驚愕的な演奏レベルの高さにビックリした。

2010年にはNPO法人として認証を受け、現在は20名の小中学生のバンドとなっているようだ。

海外公演も6回に渡っている。

☆第二部は宮崎在住のミュージシャンによるスペシャルバンドの演奏。

コロナ自粛によって県外からのミュージシャンを招待できないので、今回は宮崎在住のミュージシャンでバンドを組んだということ。

多くはアメリカやブラジルで本場のジャズを学んだ方たちで、とても素晴らしい演奏だった。

充実した午後を過ごすことが出来た。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は21人。

そしてこれまでの感染者から変異株が29人も判明し、これで宮崎での変異株疑いは91人となり、宮崎でも変異株が主流になっているようだ。

さらに九州では福岡の感染拡大が凄まじく、その波が熊本、大分、長崎にも及んでいる。

連休明けには宮崎でも大きな感染拡大が見られるのではないのだろうか。


4月28日(水)

☆午前まで雨。

午後からは曇天となり、空も明るくなってきたが、夕刻から再び雨が降り始める。

今日も気温は上がらず。

☆昨日から、次の木版画のプランを考えるが、まとまらない。

最近、彫刻のコンペや海外シンポジウムの案内が届くようなったので、木版画のプランを考える間に、それらの開催要項をチェックする。

そろそろ彫刻家に復帰しないと。

6月で版画展等が一段落するので、7月からは彫刻制作に戻りたい。

☆海外シンポジウムに関しては、昨日も記したようにワクチン接種がどうなるかわからない状況なので、まだ当分は海外渡航は無理ではないかと思う。

取りあえず可能性のある来年開催の海外シンポジウムのエントリーデータをまとめてはみたが、外務省の海外安全ホームページを見ると、その国は入国できたとしても、

日本人は指定された施設で強制的に2週間の自己隔離をしなければならないとあるし、原則、外国人の入国を禁止とある。

シンポジウムに行って、2週間も隔離されたらシンポジウムが終わってしまうし、よくもこんな規制状況の中で国際シンポジウムを開催するものだ。

この外務省の海外安全ホームページの記述に因れば、日本からの渡航者や日本人に対して入国制限のある国が95カ国もある。

来年に招待が延期になったオーストラリアもこの規制があるが、シンポジウム招待の場合は出張などの仕事の目的で入国は出来るようだ。

さらに日本からの渡航者や日本人に対して入国に際して条件や行動制限措置があるのが164か国で、9月に開催が延びたエジプトはここに含まれる。

エジプトの場合は、PCR検査の陰性証明書があれば大丈夫らしい。

いずれにせよ、そこまで無理して海外へ渡航することもないし、いまだにこうして国際シンポジウムを開催しているのが信じられない。

多くの作家は入国規制でエントリーも出来ないはずだ。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は21人で、殆どがクラスター関連の人たちばかりである。

高校の部活でもクラスターが発生して、その高校は昨日から休校措置になっている。

やはりこの状況では連休中にさらなる感染拡大が起きそうで、日向市の状況で判断しなくても、連休明けの二人展は開催できなかっただろう。


4月27日(火)

☆日中は晴れ。

今日も空気の芯が冷え込む。

午後からは雲が出て、夜には雨となる。

☆朝一にO内科へ血圧の定期健診。

今のところ、前歯の義歯による不具合以外は、何も異常は無い。

O先生から、足の具合はその後いかがですか?と問われて、一瞬、何処か足が悪かったっけ?

すぐに痛風のことだと気が付いたが、瞬発的に想い出せない程、今は何ともない。

☆コロナウイルスワクチンの接種が、かかりつけの医療機関でも摂取できるので、他の患者さんたちも予約をしていたので私も予約をする。

役場から接種券が届いた時の文書では、まだかかりつけの医療機関については調整中とあり、O内科でも接種できるのかは解らなかった。

先日、週報と一緒に届いた文書には町内の医療機関が明記してあったのだが、どこにも予約開始日が記してない。

それで、今日の検診日に予約開始日を聞こうと思ったのだが、ところが病院に行くと皆さん予約をされていて、しかもすでに多くの予約が這入っていて接種は何時になるか

分からないと看護師が対応されていた。

予約はすでに4月15日から始まっているという。

私の予約番号は394番であった。

ところが、実は町内の医療機関には1週間に20人分のワクチンしか届かず、接種は何カ月先になるか解らないという。

単純に計算して、5月10日から接種が開始されても、私に廻って来るのは20週後、つまり9月末か10月初めになる。

国は7月中に高齢者接種が完了すると言っているが、実際はそれどころではない。

☆看護師は、こういう状況なので、当院では接種が何時になるか分からないので、集団接種に申し込まれて、先に接種が出来たら当院をキャンセルして下さいと言われる。

集団接種だと、接種できる人数が多いのだという。

だが高鍋町役場のサイトからネット予約をしようと思ったら、すでに予約はいっぱいで受け付けは締め切られていた。

この集団接種も30人分のワクチンしか届かず、しかもワクチンが届いてからでないと次の予約の受け付けもできないのだという。

ということは、毎朝ウェブサイトをチェックして、予約受付が開始されたタイミングで直ぐに予約をしなければならないと言うことである。

一体、日本の政府は何をやっているのだろう。

こんな情況でオリンピックなんて開催できる訳が無い。

海外ではすでに多くの国民がワクチンの接種を済ませ、感染状況が劇的に改善されているというのに。

☆先日断念したエジプトのシンポジウムから、9月に開催を延期したという案内が届いた。

だが今日の状況では、9月までにワクチンを接種して海外渡航が出来るようになるとは考えられない。

☆宮崎県の今日のコロナ新規感染者は10名で、多くはクラスター関連の接触者だが、お隣の川南町で1名の感染者が出た。


4月26日(月)

☆晴れ。

風が強く、しんしんと冷え込む。

陽射しは強いので、暑いのか寒いのか定まらない不安定な体感温度。

☆伊藤先生より、「短歌」5月号掲載の「MOON DROPSー月の雫」への書評コピーが届く。

これまでの女流歌人の方たちの書評とは丸っ切り違って、私の彫刻への言及が多くて意外だった。

そしてクーパーの英訳に対して、”それ自体が見事な英語短詩である”と絶賛してある。

伊藤先生からのお電話だと、書評を担当していただいた三井修氏は、三井物産勤務で中東勤務が長く、アラビア語と英語が堪能で、それで英訳の付いている私たちの本の

書評担当に割り当てられたのでは、ということであった。

また締めは、”伊藤は多くの才能ある教え子に慕われているのだ。”と結んであった。

この”才能のある教え子”の代表格は堺雅人を指しているのだと思うが、伊藤先生も”「才能のある教え子」に恵まれ幸福です。”とコメントが添えられていた。

☆読売新聞の「四季」担当の写真部の方から、5月に掲載予定コラムの私の作品写真等の確認のゲラが届いた。

掲載は5月1日から11日までの10日間である(6日は新聞休日)。

「MOON DROPSー月の雫」から10首が、俳人・長谷川櫂氏の解説で紹介される。

こちらも楽しみである。

☆昨日、今日と宮崎県内でも聖火ランナーが走ったが、以前にもこの日記に書いたが、1964年の東京オリンピックの時には、当時中学3年だった私はボーイスカウト

で平和台公園での聖火台の番をした。

その画像を、Facebookにアップする。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、宮崎市内の5人のみ。


4月25日(日)

☆朝方はまだ冷えるが、日中は気温が上昇して、今日は一日中ワイシャツ姿で過ごす。

爽やかな行楽日和。

☆朝一に江川春江ギャラリーと連絡を取り、6月中旬での日程を押さえていただく。

6月6日に搬入、会期は6月7日から6月13日というスケジュールで仮押さえをする。

関係する方々にも連絡を取り、スケジュールを調整していただく。

今後のコロナ展開次第でどうなるかわからないので、DMの印刷はぎりぎりまで待とうと思う。

6月のこの時期の例年は空港展の会期で、連日が雨である。

雨の中では軽トラでは私の彫刻作品の搬入搬出ができないので、晴れた日に前もって搬入し、晴れた日に後日に搬出と言う措置を取る必要があるだろう。

☆午前に昨日の木版画の刷り直し。

色のバランスがまったくバラバラだったので、何度か重ね刷りをして調整する。

☆午後は妻のボーカルレッスン。

今日の午後は高鍋町内も聖火リレーでの道路規制が這入っていたので、講師の片貝さんにはいつもより早めに来ていただいて、レッスンの前に”しんやまいちご園”に

イチゴソフトクリームを食べに行く。

今日のレッスンは、5月の日向での二人展会場のライブが中止になったので、6月に延期した会場ライブの打ち合わせ。

時期が5月から6月の雨の季節に変わったので、演奏曲目を一部変更する。

私もハーモニカでジョイントする。

妻がコロナ対策でマイクシードというものをネットで買ったので、そのマイクシードを使ってみる。

☆レッスンが終わって外に出ると、我が家の前は交通渋滞であった。

聖火リレーの道路規制で、我が家の前が迂回路になっていた。

そして夏祭りの時のように、大勢の家族連れや仲間連れがぞろぞろと家路に向っている。

皆さん、聖火リレーを観に行かれたようだ。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は16名。

宮崎市で新規のクラスターが発生している。


4月24日(土)

☆雨上がりの上天気。

夜中から蒸し暑くなり、日中も蒸し暑かった。

☆朝一に、私がこすった妻の車を修理に出す。

夕刻にはフロントバンパの取り替え終了。

さて、この無収入の状況で、どうやって修理代が捻出できるのか。

☆一日、木版画の制作。

夕刻までに刷る。

☆日向の江川春江ギャラリーでの二人展は、3週間開催延期になった日向市美術展の会期に合わせて、6月中旬に開催できないかと妻と打ち合わせる。

その前提で、妻が借用している油彩額と展示用に作品を預かり戻してもらっている方たちに、借用延長の許可を取る。

☆ところが今日の宮崎のコロナ新規感染者は一気に35人となった。

そのうちの25人が美郷町の高齢者施設でのクラスター発生であった。

午後からの河野宮崎県知事の会見で、知事はこの美郷町のコロナ感染の火種は日向市であると思われると語っていた。

実際に美郷町の方が区域外に出るのは日向市か西都市・木城町経由しか無く、コロナが発生していたのは日向市のみである。

こういう状況の中では、やはり5月の連休明けでの日向市での二人展は開催は出来なかった。


4月23日(金)

☆午前は晴天。

午後からは曇天となり、夕刻から雨。

雨は夜になってどしゃ降りとなる。

風の強い一日。

☆朝のうちに日向市の江川春江ギャラリーへ電話を入れる。

作品展示自体はギャラリーが密になることも無く、何の問題も無いけれど、コンサートは無理だと言うこと。

そして、やはり連休明けにコロナ感染が一気に拡大する懸念が大きいし、その状況では連休明けには誰もギャラリーには来ないだろうから、5月開催は避けた方が良い

でしょう、ということであった。

江川さんも、家から一歩も出れない状況だと言う。

それで、日向市での5月の二人展開催は断念した。

☆昨日DMをお渡しした方たちや関係者に5月の二人展の開催中止を伝える。

概ね、その方が好いでしょうと言う返答であった。

追加注文したDMもまだ印刷に這入っていなかったので、キャンセルできた。

6月の金子メガネ店は、作品展示だけなので問題はなく、予定通りに版画小作品展を開催する。

☆5月の二人展中止の連絡が終わって、ふっと気が付いた。

私は5月の江川春江ギャラリーで「MOON DROPSー月の雫」を売らなければならなかったし、マグネットや作品を売って少しでも収入を得なければならなかったのだった。

つまり、この先、まったく収入の目途が立たなくなってしまった。

☆それで妻とも相談して、江川春江ギャラリーでの二人展は、コロナが完全に収まるまでの延期と考えていたのだが、6月に延期して、金子メガネと同時開催に出来ない

だろうか。

江川春江ギャラリーは、当面は何も展覧会の予定は這入っていないということだったので、明日、また江川さんと打合せをしてみよう。

現実的な問題として、妻はあちこちから油彩額を借りたり、売れた絵を展示のために預かり戻ししてもらっているので、むやみに延期できないのである。

☆注文していた額とマットが届いたので、午後は最新の木版画と葉書き絵の追加分を額装する。

額装していると、やはり直ぐにでもギャラリーに並べてみたい。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は9名で、日向市からは出ていなかった。

そして、今日から発売予定だった宮崎県内旅行割引キャンペーンは開始が延期になった。

河野宮崎県知事も今日の会見で、連休期間中の県外往来自粛を要請した。

やはり連休明けの二人展中止は、妥当な判断だったと思う。


4月22日(木)

☆少し霞がかかった快晴。

朝夕は冷え込むが、日中はとても陽射しが暑かった。

☆午前に次の木版画のプラン。

及び、午後に日向で手渡して広報を依頼する二人展DMの区分け。

必要な手渡し先に区分けして行ったら、郵送分と会場に置く分が全く足らなくなった。

500枚を追加発注する。

しかし、これが正しかったのか・・・・・。

☆午後に妻と日向市へ出て、知人関係に二人展のDMを手渡して行く作業。

しかし繁華街のクラスターが収まってきたとはいえ、今日廻ったのは日向駅周辺の繁華街ゾーンで、感染急増圏域に指定されて夜の飲食店街は殆ど店を閉じ、公共施設も

すべて閉鎖されている。

妻と私の知人たちはにこやかに対応してくれたが、実際はやはり相当にシビアで厳しい状況で、みなさんがピリピリされているのを感じざるを得なかった。

高鍋町が昨年の第2波で悲惨な状況になり、私たちも家から一歩も出れなかった状況と同じであった。

☆帰りの車中では、私たちの二人展が日向の方たちへの負担になったりするのではないかと思えてきた。

昨年の高鍋町の第2波の最中に、もし私たちが町中で展覧会を開催し、ましてライブなどを実施したら、どれ程のバッシングを受けたであろうか。

今の日向市はそう言う状況である。

私たちの二人展とライブの広報をしてくれる友人知人たちが、日向市民から相当なバッシングを受けてしまうのではないのか。

☆そして、今日も宮崎のコロナ新規感染者は2桁の12人となり、都城市役所ではクラスターが発生し、日向市でもまだクラスターにはなっていないが小学校と介護老人

施設でも感染が広がり始めている。

今日の河野宮崎県知事の会見は、日向市は治まって来ていると言う先日の会見とは打って変わって、宮崎県の感染拡大危機を強く訴えた。

☆夜になって、日中はにこやかに対応してくれた妻の同級生から、夕刊の写メが届いた。

夕刊には今日の情報が反映されるから、一番新しい情報である。

そこには日向市美展が3週間開催延期になった記事や、明日から開始される宮崎県内旅行割引キャンペーンが期間中に中止になるかも、という記事が掲載されていた。

今日一日で状況は大きく変わってしまったのである。

また別な知人からの電話では、彼女の会社の社員の家族がクラスターで感染し、彼女も家から一歩も出れず、二人展に顔を出せる状況ではないと言う。

問題ないと思っていた日向市での二人展は、どうやら日向市の知人たちに大きな精神的負担をかけてしまい、延期したほうが好いのではないのか。

まして、アフタヌーンコンサートなどやっている場合ではないのではないのか。

確かに、何もこの時期にどうしても日向市で二人展をやらなければならない理由は全く無い。

金子メガネ店での展示は問題ないが、江川春江ギャラリーでの展示はコロナが完全に収まるまで延期したほうが好いのではないのか。

今朝発注したDMの追加は早まったのではないのか。

ちょっと私たちの状況判断と見通しが甘すぎた。

☆さらに、緊急事態宣言が全国にも拡大される懸念が極めて濃厚になってきた。

そうなると全てのイベントは出来なくなり、伊藤先生との公開対談も開催が危ぶまれる懸念が大きくなってきた。


4月21日(水)

☆快晴。

朝夕は冷え込むが、日中は気温が上昇し、宮崎県内では10地点で25℃以上の夏日を記録。

☆午前に木版画の刷りの続き。

刷り上がりに重しを掛けるが、午後にチェックしてみたら延びが悪かったので、もう一度湿して圧を掛ける。

☆午後に妻と”ギャラリーしんとみ”へ。

日向市での二人展のDMを持って行く。

2月に二人展を開催した時に、ギャラリーの設備で、頑丈なボックスが有り、それを積み重ねて私の大理石彫刻を展示した。

日向市の江川春江ギャラリーには彫刻の展示台が無いので、このボックスはどう調達されたのかを尋ねたかった。

そうしたら、このボックスはギャラリーをオープンした時に、他の設備と一緒に大工さんに特注で作ってもらったものだと言うこと。

5月のギャラリーのイベントを調べてもらったら、4個くらいは貸せそうだということであった。

あのボックスなら大理石彫刻を乗せても問題ないので、貸してもらえると助かる。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は12名で、県内各地に広がってきた。

全国的に感染が広がっているし、緊急事態宣言が全国に広がっていけば、イベントの中止と言う判断も出て来るので、6月の公開対談も影響が出てくるかもしれない。

日向での二人展への影響はないと思うので、そろそろDMとリーフレットを配り初めても大丈夫だろう。


4月20日(火)

☆快晴の一日。

朝夕は冷え込んで家の中に居ると冷え冷えとするのだが、外に出ると半袖でも好いくらいの暑い陽射しである。

こういう時には体調を崩しやすい。

☆午後に、高鍋町美術館へ出向いて”タウンみやざき”の取材。

6月に高鍋町美術館で開催予定の伊藤先生との公開対談の案内を、”タウンみやざき”6月号のイベント紹介で掲載していただくとのこと。

担当記者の名前に覚えがあったのだが、やはり以前は宮崎日日新聞社の文化部記者だった方で、私が宮崎市内のギャラリーで個展をした時に取材してもらっていた。

文化部記者の時には伊藤先生とも取材を通じて懇意にされていて、彼女は伊藤先生の大ファンであった。

「MOON DROPSー月の雫」の出版に至る経緯、公開対談を開催することになった経緯、そして本に収録されている作品のエピソード、本の反響などを語る。

対談の内容についての打ち合わせはこれからなので、どういう展開になるかは来てのお楽しみ、ということになる。

やはり、この本は出版を取り巻く全ての条件が見事に重なって、この時期にこの内容での必然的な出版であったのだという共通の想いであった。

背景に今のコロナの状況が無かったら、伊藤先生の歌がこれほど多くの人々を癒し、明るい光を感じさせてくれるものには成らなかっただろうし、彫刻写真を見ながら

涙を流される方も居られなかっただろう。

☆私の本の出版と”タウンみやざき”は同じ出版社なので、昨日届いた書評のコピーと、出来たての"MOON DANCE"のマグネットを社長に届けていただくように手渡す。

彼女は「MOON DROPS―月の雫」は自費で買われたそうで、この"MOON DANCE"のマグネットも欲しいと言われるので、美術館を出て私の家に寄ってもらった。

彼女の本にサインを入れ、木版画付の中封筒もプレゼントして、"MOON DANCE"のマグネットと私の版画の缶バッチも買っていただく。

☆午前に木版画の彫りの残りを終えて、午後後半から刷りにかかる。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は3名で、お隣の新富町からも感染者が出たが、これまでの感染者の濃厚接触者であった。

今日の河野知事の会見では、日向市の感染は落ち着いて来ていると言うことだった。


4月19日(月)

☆快晴の一日。

陽射しは強いが、今日も空気の冷たい冷え込み。

☆午前に、高鍋町役場の担当課へ、「高鍋町商工業者緊急対策支援金」の申請書類一式を提出。

だが、確定申告の写しが受付印の無い下書きでは受理できないということだったので、税務署へ確定申告をした時の受付印のある写しをもらいに行く。

高鍋町役場に戻り、無事に受付が終了した。

☆伊藤先生から、「MOON DROPSー月の雫」の書評の掲載された「歌壇」5月号(4月14日発売)と結社誌「玲瓏」のコピーが送られてくる。

やはり歌人の書評はそれ自体が作品なので、読み返すたびにしみじみとした深さを感じる。

☆スキャンして、画像をFacebookにアップし、ラインでも友人知人たちに送る。

ラインでは多くの反応が返ってきたが、佐賀大学の後輩からは、先日の職場の方の披露宴でこの本からとった伊藤先生の歌を新郎新婦に贈ったと言う嬉しい報告も

届いた。

この「MOON DROPS―月の雫」は歌集としても高い評価を得て、幾つかの名歌を生みだしているようだ。

今日の2人の歌人による書評に共通しているのは、伊藤先生の歌が人々の心を明るくさせ、コロナ禍の人々を癒し勇気づけていると捉えられていることだ。

実際にラインからの返事でも、毎日眺めて癒されていると言う方たちのコメントが目につく。

この本は、コロナによって、生れるべくして生まれた必然の本だったと思えてくる。

私の彫刻と伊藤先生の短歌とのコラボが、期せずして多くの人たちの心に力を与えているということがとても嬉しい。

☆木版画の下絵をまとめて、版木の彫りを進める。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は宮崎市の1名だけであった。

しかし、日向市ではこれまでの感染者に小学校の先生が含まれて小学校が今月いっぱい休校になったり、介護施設の職員と入所者からも複数の感染者が出て、

大がかりな検査が進められているようだ。

ここからまたクラスターが発生して来るかも知れないし、今後の展開は予断できない。

ただ、二人展会場の江川春江ギャラリーは来場者が密になることも無いので、予定通りに開催して行こうと思っている。

いまはコロナ感染者が出ても閉鎖しない公立美術館の姿勢に準じようと思う。


4月18日(日)

☆全き快晴。

新緑の美しい爽やかな季節になってきたが、空気はまだ春先のように冷え冷えとする。

☆新しい木版画のアイデアスケッチと下絵。

☆昼前にジャズシンガーの片貝さん来訪。

今日は妻のヴォーカルレッスン日だったが、午後から”ピムリコ”のセッションに参加するので、セッションで演奏する曲のリハーサル。

私もハーモニカでジョイントする。

☆午后2時から、木城町川原の”ピムリコ”でのセッションに参加。

今回で3度目の参加で、メンバーが固定した顔なじみなので、演奏に緊張してしまうことも無くなった。

アンプを通したハーモニカの音がとても良くて、気分好く吹けたのだが、やはり何時もの我が家での妻とのジョイントとはテンポが違ったりするので、1ステージ目は

かなり私のテンポが速かったようで、妻にさんざん忠告されて落ち込んだ。

しかし2ステージ目はキチンと合わせることが出来て、気持ち好く演奏を終えることが出来た。

新緑の川原公園周辺は気持ちの好いドライブであった。

☆知人の方が所用での出先で追突事故を起こされて、車が動かなくなり、代車に乗っていたところ今日になって代車のブレーキオイル漏れが見つかり、身動きが取れ

なくなって仕舞われた。

何だか最近、車をぶつける事故を起こす方が多らしい。

なにかそういう磁場の狂いが生じているのだろうか。

私も先日に自損事故を起こしたばかりだから細心の注意を払って車を運転しているのだが、昨日今日とあわや車と接触しそうな状況になってしまう。

だから”ピムリコ”への往復の運転は妻にお願いした。

☆伊藤先生からお電話があり、色んな短歌雑誌が5月号から「MOON DROPS―月の雫」の書評を載せてくれるようになったらしい。

概ね好評だということ。

短歌界での全国展開はこれからである。

☆今日の宮崎県のコロナ新規感染者は5人で、宮崎市が2名、日向市が3名であった。

いずれもこれまでの感染確認者の濃厚接触者のようである。


4月17日(土)

☆夜中から激しい雨。

雨は午前中まで続き、午後からは晴れる。

気温は上がらず、今日も冷え冷えの一日。

☆木版画を刷る。

版木を片面しか使わないようにしたので、彫り込みを深くできるようになり、以前のような縁の絵具垂れや周囲の彫り込み部分に付いた絵具の刷込みによる汚れは

少なくなった。

刷ったばかりの時はあまりいい上りではなくても、重しを掛けてしばらく置いておくといい感じになるのが木版画の面白いところだ。

☆注文していたマグネットが届いた。

私の分はブロンズの”MOON DANCE”をマグネットにしたが、すごくいい感じだ。

妻の分も、マグネットの方が実物の油彩よりもずっと感じの好くなった物や、逆にマグネットでは見栄えの悪くなった物もある。

絵画の場合は、キャンバスの縦横比率とマグネットの縦横比率とが異なるので、どうしてもトリミングがうまく行かない画面構成が出てくる。

☆公開対談の高鍋町教育委員会の名義後援承認通知書が届く。

☆今日の宮崎県のコロナ新規感染者は4人で、宮崎市が3人、延岡市が1人で、いずれも日向市のクラスターとの関連は不明ということ。

日向市の方は落ち着いてきたようだ。


4月16日(金)

☆日中は曇天。

夕刻より天候は崩れて、夜には本格的な激しい雨となる。

気温は上がらず冷え込む。

☆昼食を摂りながら、午前に届いた町の週報を見ていたら、「高鍋町商工業者緊急対策支援金について」という案内に目が留まった。

時短営業の飲食店関係への補助だろうと思ったが、どうもそうではない。

しかも、時短要請に伴う支援金を受給していないこと、という要件がある。

それで高鍋町のHPを開いて、詳細を見てみると、昨年のコロナウイルス支援金と要件が似ている。

役場の担当課に電話を入れてみると、やはり昨年のコロナウイルス支援金同様に、私も対象になるようだ。

とりあえず申請してみることにして、午後は申請書をダウンロードして記入したり、提出書類をコピーしたりする。

昨年はコロナ感染防止対応で郵便のみでの受付だったが、担当者の話では書類のチェックが有るので窓口へ来て貰うのが良い、ということであった。

☆宮崎県立図書館で所蔵・公開されている「宮崎この人」の私のDVDは好評で、今日も貸し出されていると言う。

県立図書館のHPで検索すると、貸出し状況が確認できるというのでHPを開いてみた。

そうしたら確かに最近制作されたうちの3枚が”禁帯出”となっていて、禁帯出とは現在貸し出し中であるという表示である。

「宮崎この人」を含む宮崎県に関するDVD等の資料は、県立図書館の「郷土資料室」に常設してある。

でも一体どういう人たちが、わざわざ図書館へ行って私のDVDを借りているのだろうか。

☆公開対談への、新聞社の名義後援承認通知が届く。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は5人。

お隣の西都市から1名の感染者が出ていたが、日向市のクラスター関連の方だと言う。


4月15日(木)

☆晴天。

まだ空気はひんやりとして夕刻からは冷え込む。

☆午前に所用で妻の車で外出中に、某所の駐車スペースにバックで這入ろうとして、漫然とハンドルを切ったら植込みの壁面を激しくこすってしまった。

幸いボディーには傷はつかなかったが、フロントカバーが大きく削れてしまって、カバーの交換となってしまった。

私の車だったら放っておくが、妻の車なのでそうはいかない。

先日の車検の支払いも整備工場の経費の分が残っていて、目の前が真っ白になって堕ち込む。

某所の駐車場は建て替え工事のための仮の駐車場で狭いのである。

おそらく私のような方がたくさん居られるのではないのだろうか。

☆今年はパスポートも車の免許証も切り替えである。

先日、車の免許証の高齢者講習通知書というものが届いていて、早目に予約しないと受講できない場合があると記載してあるので、自動車学校へ電話を入れた。

やはり予約が一杯で、一番間近な予約日が5月24日だった。

講習手数料に5,100円も納めなければならない。

☆今日は木版画の制作に掛かる。

下絵を描いて、午後は版木を彫る。

☆今年の空港展は空港ビル側の意向が明確にならないままで過ぎてしまい、もう例年の6月開催は不可能である。

もし開催すれば昨年同様に、1年延長された国民文化祭に合わせた9月、10月あたりの開催になりそうなのだが、やはり今はコロナの第4波に這入って来ているので、

空港ビルとしても私たちの主催側の判断にゆだねるしかないようである。

昨年同様に、宮崎のメンバ―の意見を聞いて判断することになった。

しかし、人の往来が出来ない状況なので、従来のように全国から作品を送ってもらっても、半数が公務員である宮崎のメンバーだけでは搬入・搬出の作業が不可能では

無いのだろうか。

宮崎のメンバーだけに規模を縮小すると、空港ビルのオアアシス広場の空間に対応できない。

☆発注していた二人展のDM、私の宮崎県県北地域の設置作品一覧リーフレット、ウッドラックパネルが届く。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は4名でほぼ日向市のクラスター関連。

日向市のクラスター関連者の検査はすべて終了したと言うこと。


4月14日(水)

☆午前中は曇天。

今日もお昼から一気に雲が切れて晴れる。

夕刻からは冷え込んでくる。

☆午前に高鍋町役場と教育委員会へ出かけて、伊藤先生との公開対談の名義後援申請をする。

新聞社は現在はコロナ対策で名義後援申請の受付は郵送だけになっているので、書類をダウンロードして郵送する。

☆午後から、版画の新作の制作に這入る。

今日はアイデアデッサンのみ。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は9人。

多くは日向市のクラスター関連。

所用が有って日向市の方へ電話を入れたら、それほどの危機感は伝わって来なかった。

もうそろそろクラスター関連の検査も行き届いているのかもしれない。

しかし他の市では経路不明の新規感染者も出ている。


4月13日(火)

☆夜中からの嵐のような雨は午前中まで続く。

昼には嘘のように雨が上がり、午後は一気に快晴となった。

☆5月の二人展の準備。

新規に追加展示予定の葉書絵を額装する。

葉書絵のサイズが幾種類かあって、マットの合わないものがあるので、追加で必要なマットや額を注文する。

☆安井雄一郎君の「松田正平 飄逸の画家」(みすず書房)をようやく読む。

私は元々活字が全く読めない人間なので、読書のスピードが小学生以下であるうえに、最近は入れ歯の関係で首筋のこわばりが目の痛みとこめかみの痛みに

現れて来ていて、涙目になって全く本が読めなかった。

後半から少し速度が加速して、終盤まで一気に読む。

資料の照合が実に細かくて、1ページを書くのにどれ程の手紙や資料を読みこなしているのかと思うと、安井君が上梓までに1年かかったのがよく解る。

山口県立美術館勤務時代から、香月泰男と並行して松田正平にも直接取材をしたりしていた長期間の安井君の努力が結実した労作だ。

それにしても残された手紙類がどれ程に松田正平の足取りの克明さ、心境の細かさを把握できたかということに圧倒される。

松田正平からの手紙をすべて丹念に保管しておられた方など、こうした資料が残されていないと評伝の類は書けない。

私もいつかは宮崎の彫刻の流れをまとめたいと思っているが、長年ずっと細かな資料を保存して来たのに、近年の断捨離作業で、手紙類も殆ど処分してしまった。

いまになって、捨てるべきではなかった資料や本に気付き、後悔することがある。

☆エジプトのモハメッドから、6月のシンポジウムへの参加打診が届いた。

ギザのピラミッド観光もある。

可能ならば飛んで行きたい。

しかし6月は伊藤先生との公開対談や、日向市での金子メガネギャラリーでの二人展がある。

それ以上に、まだこの状況では海外シンポジウムへは行けない。

ああ、もったいない。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、日向市のクラスター関連の5人のみ。

少し落ちついて来ているようだ。


4月12日(月)

☆夜明け前から雨。

雨は激しく降ったり雨脚が止まったり。

夜には本格的な雨となり、夜中には嵐のような強風雨となる。

☆一日、5月の日向市・江川春江ギャラリーでの二人展の準備事務作業。

妻はほぼ出品作品が決まったので、妻の出品一覧を作成する。

私はまだ何も考えて居なかったので、彫刻作品で出品できる作品をチェックする。

近年の作品とDMに掲載したブロンズの”MOON DANCE”を含めて15点ほどは出品できそう。

いずれも半数以上はまとめて展示するのは初めてである。

勿論、日向市では小作品は展示したことはない。

問題は、展示台がないので、これをどう解決するかである。

☆版画は、江川春江ギャラリーには新作のみを展示する予定なので、これから一気に制作に這入らなければならない。

昔の葉書絵も何点か追加したいので、ファイルをチェックする。

☆ ロシア・UFAのNellyから、私の作品と一緒に写っている最新のショットがインスタグラムで届いた。

海外に設置した作品の最新の状況がこうして届くのもネット時代ならではの嬉しさである。

スナップショットで画像を保存してFacebookにアップする。

折り返し、NellyからFacebookにコメントが届いた。

”My favorite sculpture in town! I come here to clear my thoughts, to think about life and creativity. It's like going to a temple”

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は18人で、殆どが日向市のクラスター関連。

高鍋町では感染者は出ていない。


4月11日(日)

☆晴れ。

今日も空気の芯の冷たい一日。

☆午前に、妻の油彩用の額を借りに、別のお宅を訪問。

今日伺った辺りも、初めて足を踏み入れた地域だった。

この地域は新制の高鍋町が発足する前に行政の中心地域だったので、門構えの立派な格式のある佇まいの家が多い。

なにせ私たちが小中学時代は学校区が違うと完全に敵地だったので、殆ど足を踏み入れることは無かった。

普段通ったことも無い町内を走っていると、新しいおしゃれな家があちこちに建っているのに驚かされる。

私は高鍋町内に生れて住んでいても、日常的に行動するのは郵便局と3つのスーパーだけである。

いかに自分が、自分の住んでいる町を知らないか。

☆高鍋高校OB美術展、最終日。

午後3時から搬出。

結構な来場者があったようで、宮崎市内からもたくさん来ていただいている。

☆三兄の画集への寄稿文をようやくまとめて、兄へ手渡す。

☆宮崎のコロナ感染は、今日は少し落ちついて8名であった。

殆どが日向市のクラスター関連で、高鍋町からの新規感染者は無かった。

日向市が今月中に落ち着いてくれれば、5月中旬の二人展の開催も見込めるが、こればかりはこの先にどういう展開が待ち受けているのかは解らない。

準備だけは進めておこう。


4月10日(土)

☆晴れ。

今日も風が強く、空気の冷たい一日。

☆午前に、5月の二人展のために妻の油彩額が相当数必要になるので、妻のサークル仲間から借用することになり、借用に廻る。

お訪ねした方たちの家の周辺は、高鍋に生れ住んでいながら、ほとんど行ったことも無い筋道にあり、また町内あちこちに真新しくおしゃれな家がたくさん建っている

のに驚かされた。

そう言えば私の家の周囲でも、あちこちで大型クレーンが動き、あっという間にマンションが建ったり、新しい家が建ったり、古い家がリノベーションされたりしている。

こんなことはかつてなかったのではないのか。

☆午後は庭の草を芝刈り機で刈る。

草が柔らかくて水分が多いので、直ぐに刃が詰まってしまう。

しかし庭がすっきりとなって気持ちが好い。

☆宮崎のコロナ感染は大変なことになってきた。

今日は26人の新規感染が確認され、高鍋町からも1名が確認された。

しかし大きなショックは、日向市の繁華街から21人の感染者が確認され、クラスターが発生した。

この21人は先日からの新規感染者の濃厚接触者で、日向市の繁華街のクラスターは27人となった。

27人の利用した飲食店が10店舗にのぼり、繁華街全体がクラスターとなった。

この繁華街は、昨日観たばかりの”酒場放浪記”DVDの日向編で、若山牧水記念館で伊藤先生と会話を交わした後に、吉田類が訪ねた居酒屋のある繁華街である。

日向市の飲食店では、今日から30日まで時短営業となり、公共施設も明日から閉鎖となる。

そうなると、私たちが予定している江川春江ギャラリーでの二人展への影響への懸念が一気に現実的に成って来た。

ギャラリーでの二人展の初日が、丁度一月後の5月10日である。

日向市では飲食店の時短要請だけではなく、日向・東臼杵圏域への外出自粛も要請される。

つまり、このクラスターが長引いて外出自粛要請も延長されれば、誰も日向市のギャラリーには来れない。

実際、江川春江ギャラリーは、昨年のコロナ感染が激しい時はずっと閉館措置を取られていた。

これではDMを送った後に開催中止となった”ギャラリーしんとみ”と同じ事になりかねない。

しばらくは慎重に状況を見ていかなければ。


4月9日(金)

☆今日も薄雲のかかった晴天。

空気は冷たい。

☆高鍋町美術館での公開対談では、コロナ感染予防対策のために、受付で本を売る時の非接触対応の人員手配や、出入り口やトイレへの混雑整理の人員配置、そして

終了後の会場内の消毒作業の徹底等が義務付けられている。

そうなると私の身裡や友人たち数人ではとてもでは対応できない。

高校同窓生たちの応援体制がないと不可能だと気付いた。

同窓生の連絡幹事をやってくれている同級生に開催案文書を添付して、対応依頼の手紙を送る。

☆伊藤先生にも、近況報告をする。

折り返しお電話を戴いて、昨日の読売新聞の件は、担当の俳人・長谷川櫂さんとも親しくされていて、以前にも歌集を出版された時に同じように10首を掲載していただいた

と言うこと。

通常は「四季」で採り上げられる俳句と短歌は毎日違う作家なのだが、気に入った句集や歌集からは今回の様に10首を10日間連続で掲載されることがあるということ。

ネットで調べると、この長谷川さんの「四季」コーナーで掲載された内容は、1年ごとに本になって出版されている。

5月には、また角川「短歌」で「MOON DROPSー月の雫」の書評が一ページ枠で掲載される。

私たちの本が全国的に広がっていくのはこれからなんだよ、と伊藤先生は言われる。

☆先日、友人が吉田類の「酒場放浪記」の宮崎編のDVDを送ってくれた。

今年の秋の国民文化祭のイベントの中で、伊藤先生と吉田類氏との公開対談と酒宴が企画されている。

それで夕刻にDVDを観てみたら、吉田類氏は大の若山牧水ファンで、日向市の牧水記念館には何度か訪れておられて、館長の伊藤先生とも懇意にさているようで

あった。

DVDを観終わった直後に伊藤先生からお電話が有り、つい先ほどDVDのなかで吉田類氏と話をされていた伊藤先生本人からの電話だったので、不思議な感じであった。

☆宮崎のコロナ感染はしばらく落ち着いていたが、昨日に門川町で2人の感染が確認されたのに引き続いて、今日は5人の方の感染が確認された。

そして第4波に這入って、高鍋町からも感染者が確認された。

これで高鍋町のコロナ感染確認者は100名となった。

人口20,000人の小さな町で100人と言うから、高鍋町民の200人に1人はコロナに感染したということであり、極めて濃厚な感染率である。

今後さらに増えて来るだろうからこの感染密度はさらに高くなる。

気になるのは、今日の5名の感染確認者のうちの2名から、宮崎県で初めての変異株感染の疑いが確認されたと言うことである。

全国的に、感染力の強い変異株が主流になって来ている。

連休明けの日向市での二人展、6月の公開対談も開催できるかどうか、予断できなくなってきた。


4月8日(木)

☆時折り薄日が射すが、ほぼ曇天の一日。

空気の芯が冷たく、冷える。

☆5月の日向での二人展でもパネルやキャプションにウッドラックパネルが必要なので、ネットで注文。

江川春江ギャラリーでは、私は彫刻を中心に展示したいのだが、当然、ギャラリーには彫刻展示台は無い。

以前に木工所に作ってもらった展示台は、白蟻にやられてしまったので廃棄した。

ネットで安価なアングル彫刻展示台は売っていないか検索してみたが、見つからない。

何か使えそうなものは無いのかと思案する。

☆6月の公開対談のチラシに畏友の安井雄一郎君の”松田正平 飄逸の画家”(みすず書房)も、当日の受付で販売と言う表示を入れることにした。

対談の2部は、「MOON DROPSー月の雫」の伊藤先生のあとがきに出てくる同窓生たちとの座談を予定しているのだが、彼らの簡単なプロフィールを紹介する中で、

安井君が昨暮れに出版したこの本を紹介することになるし、やはりチラシに情報を入れて、受付に現物の本を置いておけば、宣伝効果も高くなる。

チラシには「MOON DROPS―月の雫」と「伊藤一彦が聞く 牧水賞歌人の世界」を会場受付で販売する旨を表記してあるので、そこに安井君の本も加えることにして、

本人の了承も得た。

☆読売新聞の写真部の方からメールが届いた。

読売新聞写真部が担当している、朝刊の[四季]というコーナーがあり、俳句や短歌に108文字の解説を俳人の長谷川櫂さんが解説をつけそこにカット写真を添える

コーナーで、その写真撮影を担当されている方からであった。

5月に10日間、「MOON DROPSー月の雫」から伊藤一彦先生の歌を10首長谷川さんが選び、そこに写真をつけるということ。

元々「MOON DROPSー月の雫」は私の彫刻作品に歌をつけた本だということなので、歌の中に出てくる言葉から別な写真をつけるのだが、1回は私の作品の写真を

使いたいので、東京近辺に設置してある私の彫刻作品を撮影させてほしい、ということ。

主旨からわかる通り、これは「MOON DROPS―月の雫」の本そのものを紹介するものではない。

しかし、10日間も連続して伊藤先生の歌が紹介され、私の彫刻作品も紹介されることになれば、これで読者が「MOON DROPSー月の雫」に関心を持ってもらえる機会

になる。

とても嬉しいことだ。

私の作品に呼応して詠まれた伊藤先生の短歌に、俳人の長谷川櫂さんがどういう解説を付けられるのか、とても楽しみである。

☆夕刻に、庭の除草作業の続き。


4月7日(水)

☆概ね青天だが、薄雲のかかったボンワリした空。

空気の芯がまだ冷たく、朝夕は冷え込む。

☆一日、デスクワーク。

マグネットのフォトショップでのデータ作成の再再トライ。

やはりフォーマットに画像をはめ込んで、名前を付けての保存作業から先に進まない。

ずーっと画面をクリックし続けるが、たまに一瞬だけ保存の指示画面が見えるだけである。

☆それで、ネットでフォトショップの不具合の解消法を検索するが、フォトショップを初期状態に戻せば解決する方法もあるらしいけれど、私の頭ではサッパリ操作の

内容説明が理解できない。

だが長時間のフリーズ状態の後に、ようやく保存指示画面が開いて保存することが出来た。

試しに2点目のデータ作成をやってみたら、何と言うことはなく、2点目以降は全く普通にサクサクと作業が出来て、すべてのデータを作成できた。

けれども、やはり横タイプのデータは、フォーマットのラインが見えない。

果たして、キチンとデータが作成できているのかの確認ができない。

念のために、取りあえず作成したデータで発注してみることにした。

そうしたら、直ぐに業者からのデータ確認完了のメールが届いた。

やはり私のパソコン画面上の表示の問題だけで、データはキチンと作成できていた。

無事に振込み手続も終えて、さっそくマグネットの作成に取り掛かってもらった。

☆気が付いたら、日向の江川春江ギャラリーでの二人展は、もう一月後である。

妻は着々と準備を進めているが、私は版画の新作はまだ1点しか出来ていないし、こうした事務仕事に忙殺されている。

私自身の準備はまったく出来ていない。

☆今日は妻以外に言葉を交わしたのは、夕刻に携帯に電話がかかってきたマグネットの担当者だけである。

ところが携帯で喋り始めた途端に、入れ歯が浮いて来て、フガフガとした喋り方しか出来なかった。

これは一大事だ。

伊藤先生との公開対談はこんな状態では不可能だ。

夕食を摂り始ると、たちまち入れ歯が外れて床に落ちる。

一日に何度も入れ歯が床に落ちる。

妻はそのたびにゲラゲラ笑っているが、他人と話したり会食中にそんなことになったら大恥である。

実際、先日の気功師の丸山先生との酒宴でも、宴が始まった途端に前歯が外れて大恥をかいた。

今の状況では、伊藤先生との公開対談中に、大勢の聴衆の前で入れ歯が外れてしまう確率は100%以上である。

どうにかならないのか。


4月6日(火)

☆晴天の一日。

午前は少し雲が出ていたが、午後は快晴となる。

陽射しは強いが、今日もまだ少し風があって、空気の芯は冷たい。

☆朝一に、昨日ほぼまとまった私の宮崎県北地域の作品設置一覧を少し修正。

これまで利用していた業者とは別のもっと価格の安いオンライン業者を探し、Word原稿をPDFに変換して、PDF原稿でリーフレットを500枚発注する。

☆昼前と午後に、庭の除草作業。

庭の草が一気に伸びて来ているのだが、連日の雨模様でなかなか作業できなかった。

今日は天気が好かったので、あちこちの庭で除草作業をやっていた。

☆春めいた陽気になってきたので、昼に妻と”しんやまイチゴ”のイチゴソフトを食べに行く。

隣の野菜売り場の店舗では、軽トラの荷台でもうスイカが売っていた。

☆夕刻に、マグネットのフォトショップデータ作成に再トライ。

縦型タイプにはなんとか正常に作品画像を入れることが出来たが、それから先の名前を入れての保存作業が出来ない。

ほとんどフリーズ状態で、2,3時間そのままにして居ても何も変化が無い。

確かにこの作業は、以前から時間がかかってはいたのだが、しかし今日は微塵も次の作業に這入れない。

画面上を何度もクリックしていたら、瞬時に作業指示の画面が出るので、クリックを繰り返していたらようやく保存の画面が出て作業は終了した。

こんな状態では、何点ものデータを作る作業に膨大な時間がかかる。

やはりサポート切れのWindows7の不具合が出て来ているのか。

メールのOutlook Expressも、最近は受信トレイの中の削除済みアイテムフォルダが突然消えてしまうことが頻発するようになった。

その都度、システムの復元を掛けなければならない。


4月5日(月)

☆快晴の一日。

しかし風が強く、殆ど春の嵐。

夕刻からは冷え込んでくる。

☆取りかかっている私の宮崎県北地域の作品設置一覧をまとめる。

結局、イラストレーターではなく、昨日まとめたWord文書を整理したら、これで十分対応できるものに仕上がった。

☆日向の江川春江ギャラリーでは、妻は版画ではなく油彩を展示する予定である。

それで油彩作品のマグネットを幾つか新しく作ることになり、私も版画だけでなく彫刻も展示するので彫刻作品のマグネットも作ろうと思っている。

ところがフォトショップのフォーマットに作品画像をはめ込む作業が出来ない。

それに前回発注したフォトショップのデータを開いてみると、フォーマットにきちんと作品画像が納まったものと、作品画像のみでフォーマットの表示されないものがある。

どうやら、パソコンでフォトショップがうまく機能しなくなってしまったようなので、パソコンのシステムの復元を掛けたりしてみるが、結果は変わらない。

☆携帯に電話が入ったので対応すると、入れ歯のせいでまったく普通に喋れなくなっている。

ほとんど90歳過ぎの歯の無い古老のような、ふにゃふにゃの喋り方しかできない。

こんな状態では伊藤先生との長時間の公開対談(予定では休憩を挟んで3時間)なんて全く不可能だ。

妻との会話も、妻から毎回のように”ナニ?ナニ?何を喋っているのかわからない!”と返される。

入れ歯を装着した秋口より、言葉の明確さの喪失感がひどくなって来ている。

☆ここ数日、鼻詰まりがひどく、只でさえ耐え難く息苦しい。

私には花粉症は無いとずっと思って来たのだが、春になると鼻詰まりや涙目になる。

やはり軽度の花粉症なのかと思うことがあるが、こんな症状の時にマスクをするとまったく呼吸困難になる。

先日の高鍋高校OB美術展の搬入の時も、マスク着用での作業が息苦しくてたまらず、時々マスクを外して深呼吸をしなければならなかった。

☆新年度に這入り総会の時期になってきたが、今年度も地区公民館の総会は書面表決になった。

もともと私の中町公民館は戸数がおそらく宮崎県で最も少ない12戸ほどなので、全員役職で役員の交替の仕様が無いし、コロナ禍で公民館活動もまったく実施で

きなかったので、決算報告も審議する必要が無い。


4月4日(日)

☆朝のうちに少し青空が広がったが、直に再び強い雨。

雨は午後には止む。

☆午後は妻のボーカルレッスン。

今日は5月に予定している日向市・江川春江ギャラリーでの二人展期間中の、アフタヌーンコンサートの打ち合わせ。

当日の演奏曲目を決定して、その演奏順にリハーサルをする。

私もハーモニカで3曲、口笛で1曲をジョイントするので、私もリハーサル演奏に参加。

今毎日練習している新曲は、この数日でようやく吹きこなせるようになったのだが、今日はいきなり片貝さんのピアノに合わせて演奏することが出来た。

今日はどの曲も大きなミスが無く、いい感じで演奏することが出来た。

終盤に照沼さんも来られて、先日のギャラリーでの音響チェックの状況を顧みての、楽器の組み合わせなどの打ち合わせをしていただく。

☆昨日は片貝さんと照沼さんが曲と演奏を担当された、鹿児島の曽於の”曽於 ふるさとソング4部作”のCD発売日だったので、サイン入りのCDを戴く。

☆私はジョイント演奏の後は、妻と片貝さん、照沼さんとの打ち合わせの傍らで、昨日から取り掛かった県北作品設置一覧をWordで作成する。

夕刻までに一応打ち込みが終わったが、単なるレイアウト案なので、これを基にイラストレーターで作り直そうと思う。


4月3日(土)

☆夜中から雨。

雨は午前中まで本格的に激しく降る。

午後は少し小康状態になったが、雨は一日続く。

☆一日デスクワーク。

日向での二人展のときに提示する、私の県北地域設置作品の一覧表作成に取り掛かる。

先ずはデータに取り込んでいない設置作品の画像を捜すに時間を取られる。

さらに、HPにUPしたことのある作品画像はHDDに残っているが、HPにUPする画像はサイズを小さくしてある。

ところが、その元の画像がいくらHDDの中を捜しても見つからない。

ついでにHDDの中にバラバラに保存してある私の作品画像を、一つのフォルダに納める作業もする。

そして一覧表に入れる県北の地図をネットで捜すが、なかなか使えそうなものが無い。

一覧表作成にはまだ数日間はかかりそうである。

☆高鍋町から、高齢者用のコロナウイルスのワクチン接種券が届く。

実際の接種は5月上旬からになるようだ。


4月2日(金)

☆一日、曇天。

午前に少し雨がぱらついたが、午後には雨にはならず。

☆今日は58年前の1963年に大火で我が家が燃えてしまった日。

春は大火が多い。

☆午前に、昨夜注文のあった本を宅急便で送る。

5冊だとレターパックで送るより、宅急便で送った方が安い。

☆午後3時から高鍋町美術館にて、高鍋高校OB美術展の搬入。

私はここ1年、まったく彫刻制作から離れているので、昨年6月に制作した最後の作品を展示。

☆OB美術展のメンバーは、ここ1、2年で先輩方が相次で亡くなったり、老齢による体調不良で退会される方が多くなってきた。

完全に世代交代の時期に這入って来た。

若手の後輩たちを捜すのだが、なかなか居ない。

今回は、私の推薦で佐賀大学の後輩に這入ってもらったが、それでもすでに定年退職された年齢で若くはない。

他のメンバーの皆さんにはそういう後輩との接点も無いようだ。

☆OBの皆さんからは本を8冊買っていただいた。

昨日今日で15冊購入していただいたので、出版社から追加購入した50冊は残りが17冊となった。

おそらく5月と6月の二人展の間に売り切れて、私の保管分から切り崩してゆくことになるだろうし、やはり伊藤先生との公開対談の時には出版社に増刷してもらうことに

なりそうだ。


4月1日(木)

☆時々薄日の射す曇天。

日中は暖かし。

☆今日から4月。

正月からあっという間であった。

妻は今日から新学期だが、今年も同じ職場で再任用で勤務することになった。

☆午前に高校美術部の後輩のTさんと、喫茶店で落ち合う。

彼女は足を傷めていて、車が無いと動けないので、彼女の家の近くの喫茶店で打合せをすることが多い。

彼女は石井記念友愛社の会報の編集委員をされていて、今号に私と妻のことを書いていただいた。

私の「MOON DROPSー月の雫」はこれまでに何冊も買っていただいているのだが、今日もプレゼント用に2冊買っていただいた。

そしてカンバッジとマグネットも、たくさん買っていただいた。

有り難い。

☆帰宅すると、以前に高鍋高校の校長をされていた方から本の礼状と、新聞投稿への原稿が届いていた。

先生には、同僚だった三兄が献本してくれたらしい。

私も高鍋高校の評議員をしているので当時の校長先生とは面識があり、MRTテレビの”わけもん!”放映を三兄宅で観ていた時にも、放映直後に三兄宅へお電話を戴き、

お話ししたことがあった。

☆午後は集中して、日向での二人展のDMのイラストレーターデータ作成。

夕刻までに何とかデータをまとめ、帰宅した妻にチェックしてもらい、業者にオンラインで発注する。

☆明後日から高鍋町美術館で高鍋高校OB美術展が始まる。

夜に、パンフレットの画像を知人たちにラインで送った。

そのうちの一人の友人から思いがけない返事が届いた。

彼からはこれまでに2回、本を注文してもらっているのだが、さらに5冊の注文が届いた。

奥さんの知人たちの反響が大きく、知人たちに贈呈したいということ。

☆まだまだ私の本の反響は続いている。

追加購入した本も捌けそうだ。


3月31日(水)

☆一日、曇天。

☆日向での二人展のイラストレーターDMデータ作成にかかりっきりになる。

作品画像を入れ替えたりレイアウトを修正したりで、一日かかってもうまくまとまらない。

イラストレーターを使うのは1年に1度あるかないかなので、文字の位置修正などの操作がうまく使いこなせない。

とうとう、今日中にはデータは完成せず。

☆昨年秋に前上歯に義歯を装着してから、以来、ずっと首筋にギンギンした凝りが生じて、そのせいだろう目の奥が痛くて本も読めず、こめかみの鈍痛が続いている。

それでここ1週間くらいは、ハーモニカを吹くときと外食の時以外は義歯を外しているのだが、話し方が次第に歯抜けジジイのフニャフニャ喋りになって来てしまった。

妻が、毎回のように、何を言っているのかわからないと言う。

それで昨日から再び義歯を嵌めたのだが、義歯を装着してもフニャフニャした喋り方が治らない。

これでは伊藤先生との公開対談なんて出来ない。

昨夜は義歯を装着したまま床に就いただが、夜中に耐え難い目の奥の意痛みとこめかみの痛みで、思わず義歯を外した。

義歯のせいなのか、前歯を抜いたせいなのか、困ったものだ。

痛風の方は、まだ足の腫れは残っているが、日常の動きには何の支障も無くなってきた。


3月30日(火)

☆午前は晴れ間が残っていたが、次第に曇天となり、午後には小雨混じりとなる。

気温も次第に下がって来る。

☆午後に軽トラックの車検が終わり、取りに行く。

おかげで無一文になった。

今年は5月にパスポートが切れ、7月には自動車免許証も更新が来る。

☆日向での二人展の打ち合わせも進んだので、イラストレーターによるDMのデータ作成にかかる。

☆宮崎県のコロナ感染確認者は、先日の確認者の濃厚接触者が一挙に7人も感染確認者となり、クラスター発生となった。

いよいよ第4波が始まって来たのか。

5月の連休明けの日向での二人展もどうなるやら。

☆14世紀のペストの流行でヨーロッパの人々の半分が亡くなったとされる。

そういう字面だけ見るともの凄いことなのだが、この日記にも書いたように仮にコロナで今の世界中の半分の人が亡くなったとしても、その半減した人口はたかが50年前の

人口に戻るだけである。

50年前と言えば私が21歳の時であるから、何も地獄の様相は微塵も無い。

平和な好い時代だった。

先日、気功の丸山先生を訪ねた時にこの話をしたら、先生は”いや、今の日本の人口が半減した時代は江戸時代だと思います”と言われた。

私は世界の人口で考えていたが、この50年間で人口が急増したのは第3世界の発展途上国であって、日本の人口増減の比とはまた別なのだ。

では今の日本の人口の半分の人口は何時の時代だったのだろうと思ったら、江戸時代ではなく、なんと昭和の初期だった。

今の日本の人口は1億2、548万人だが、この人口のほぼ半分だったのは昭和5年の6、445万人である。

今の日本は2010年の1億2、805万7000人をピークに人口は減少している。

動物は、生息数のピークを迎えると以降は減少するだけで、再び増加することはないという。

やがて日本の人口は縄文時代の人口に戻ると言われているが、なんとこの自然の人口減少グラフでの予測で、今の日本の人口はピーク時の2010年の半分になるのは

わずか85年後の2095年なのである。

今年は2021年だから、コロナで人口が大きく減少しなくても、74年後には昭和初期の人口に戻ってしまうのである。


3月29日(月)

☆快晴の一日。

春霞のかかった春らしい陽気。

宮崎県には黄砂が飛来してきている。

気温もぐんぐん上昇して、この春一番の暖かさ。

☆朝一に軽トラを車検に出す。

毎回頭の痛い車検費用の捻出に先日から気分は重い。

幸い、毎年の様に不具合が出てかなりあちこち修理して部品を交換しているので、法定車検費用以外の整備費用にあまり出費が無いのが助かる。

☆午後から日向市へ。

5月の連休明けに二人展を予定している細島の江川春江ギャラリーへ、展示スペースの確認とアフタヌーンコンサートの音響チェック。

今回もライブのサポートをしていただく片貝さんと照沼さんに同行していただいて、それぞれの音を出してコンサート当日の音響についてチェックする。

ギャラリーの天井が高く、音がすごく反響して籠るのである。

☆ギャラリーオーナーの江川さんは、中学3年間の美術の授業を義父に習い、その影響がご自身の小学校教諭時代の子供達への指導にとても活かされたという

ことである。

このギャラリーの名前である江川さんの義母”江川春江”さんも絵をたしなんでおられて、義父と同じ絵画グループに属して居られて、江川一家は義父に大きな影響を

受けて来られたと言うこと。

義父は、日向市では教育者の枠を大きくはみ出した”野人”(江川さんの表現)のような大きな存在の人だったようだ。

江川さんに”父娘展”をここでやられたらどうですか、お父さんにお世話になった方たちがたくさん観に来られますよ、と言われて妻は唖然としていた。

父の作品は宮崎県立美術館で遺作展を開催してからは離散してしまったので、妻は戸惑っていたが、面白い企画かもしれない。

☆ギャラリーを出て、片貝さんと照沼さんをグリーンパークに案内する。

お二人とも日向市の海岸沿いの風景は初めてだったので、素晴らしい景観に大感激されていた。

日向市は何もない処だが、海景色だけは素晴らしい。

日向市内はもう桜は散ってしまったと思っていたが、それは潮見川添いの桜並木だけで、市内の各所の桜は満開状態だった。


3月28日(日)

☆夜中から雨。

天気予報では午後からは晴れだったが、雨はいちにちずっと本格的に続き、青空が広がってきたのは夕刻になってからであった。

☆6月の公開対談の開催案文を一部修正。

それを画像にして短歌を英訳してくれたクーパーへ送り、Zoomでのオンライン対談の可能性について打診。

折り返し、当日は予定も這入っていないのでスケジュールに入れておくという返事。

私のパソコンにはZoomはダウンロードしてあるが、自分で使ったことはないので一度、試験的にクーパーと会話してみよう。

☆しかし、今日になって宮崎県では26日ぶりにコロナ感染者が確認された。

今日は九州は全県でコロナ感染者が確認されている。

これから本格的な新年度の移動時期である。

そして、全国的に再拡大が鮮明になって来ているようで、第4波への懸念が高まってきている。

5月の日向市での二人展も6月の公開対談も、まだ予定通りに開催できるかどうかは予断が出来ない。


3月27日(土)

☆今日も麗らかな春日和。

午後からは曇りの予報だったが、日中は暖かい晴天が続く。

☆木版画の刷り。

やはり薄手の鳥の子紙は、水の湿し具合がまだ掴めない。

どうしても波打ってしまう。

ダマシダマシで何とか刷り、刷った後に圧をかけて延ばしたら落ち着いてくれた。

☆妻が知人の家の新築時にレンタルした100号の油彩画があって、そのままになっていたので午後に状況の確認に行く。

玄関を開けると、突き当りの吹き抜けの正面壁にその絵は飾ってあって、自分の絵がこの家の大切なポイントとなって活かされていることが確認出来て、妻も安心

していた。

5月に日向市で予定している二人展会場のギャラリーが、天井の高い本格的なギャラリー壁面なので、先日の”ギャラリーしんとみ”での版画小作品とは趣向の異なった

大きめの作品を展示したいと妻は考えていて、この100号の作品も出品したいので、現況を確認したかったのであった。

二人展への出品を快諾していただいた。

☆ウクライナのカテリーナから、やはり私の作品はシンポジウムパトロンのYuraの自宅庭に設置されていて、キエフ市から近い距離であり、訪問はいつでも大歓迎という

返事が届いた。

私も行けなかったYuraの自宅へ知人の知人が訪問できるなんて、本当に人生、面白い。

☆夜、寝入った途端に”揺れている!”と妻に起こされる。

震度1の地震だった。

私は寝入ったばかりだったので、まったく気が付かなかった。


3月26日(金)

☆晴天。

暖かい一日。

夕刻からは少し花冷え。

☆今日は色んな思わぬ展開があった。

まず40年来の親交のある友人から、朝日新聞に連載されていた佐佐木幸綱氏へのインタビュー記事”語る”のコピーと、伊藤先生と吉田類との酒場放浪記のDVDが

届いた。

佐佐木幸綱氏の”語り”は、先日読んだばかりの”伊藤一彦が聞く 牧水賞歌人の世界”と重なる部分が多く、また佐佐木幸綱氏の生き様は、伊藤先生を通して観ていた

世界でもあり、情況がとてもよく理解できて、12回の連載コピーを一気に読んだ。

実はこの友人には先日にサンデーラジオ大学の対談を文字起こしした冊子と「宮崎この人」DVDを送っていたので、そのお返しの品だったのだが、「宮崎この人」を観ての

驚きの事実がラインで届いた。

「宮崎この人」には、東京オリンピックの聖火リレーの時に、私がボーイスカウトで宮崎の平和台公園で聖火台の聖火の守り番をしていたことが収録されている。

その同じ時に、「宮崎この人」制作担当の森川氏が報道各社のマイクの総括担当で私たちの直ぐ傍らに居られたことはこの日記に書いた。

実は、なんとこの友人もトランペットのファンファーレ隊の一員として、同じ場所に居たのだと言う。

彼は私より一学年上の方だが、中学校時代にブラスバンド部でトランペットを吹いていて、その指導者がボーイスカウトの指導者でもあり、急遽ファンファーレを吹けと

命じられて、にわかに練習の時からボーイスカウトの制服を着せられ、当日はボーイスカウトとしてファンファーレを吹いたのだと言う。

私たち3人は、すでに57年前の1964年に東京オリンピックの聖火台で出会っていたのである。

私たちボーイスカウトは、記念品として聖火の薪の燃え残り木の木片を貰った。

友人からその聖火の燃え残り木の写真が届いた。

私もその木片を大事に保管していて、昨年に予定通りに東京オリンピックが開催されたら、その木片をFacebookに上げるつもりだった。

それで保管してある机の抽斗を捜してみたのだが、いくら捜しても影も形もない。

最近まで見かけた気がするのだが、何度かの引っ越しで行方不明になったのだろか?

☆午後には、先日の二人展に何度かお出でいただいた方から、Facebookの友だち申請が届いた。

普通ならそこで終わりである。

だがその方の経歴を見たら、北海道教育大札幌校卒業とある。

私が初めて北海道名寄の雪像大会に参加した時に、学生チームとして参加していた北海道教育大札幌校の学生たちとホテルのレストランで一緒になった。

彼らと話していたら、彼らは私のこのHPを観ていて私をすでに知っていた。

さらに年配のチームメイトから、”田中さん、お久し振りです”と声を掛けられた。

何と、彼は某新聞社宮崎支局の記者として日向現代彫刻展の取材に来られ、私に取材された方であった。

其の後、学び直しのために新聞社を退職され、北海道出身の方だったので、北海道教育大札幌校に入学されていたのだった。

本当に、人生、どこでどうつながっているのか不思議な体験であった。

そういうやりとりがしばらく続いた。

☆ところが、その後に思いもかけない展開となった。

私のこのHPの作品画像のページを見られたらしく、ウクライナの作品に目が留まり、その方の友人がウクライナのキエフに居て、私の作品を見たいと言っているので、

どこにあるのか教えて欲しいと言って来られた。

それでつい先日に、私の本が届いたと連絡してくれたカテリーナと連絡を取ることになった。

おそらく私の作品は、シンポジウムのパトロンだったYuraの自宅の庭に設置してあり、キエフ市内ではないかと思う。

カテリーナの電話番号を伝えて、彼女と連絡を取ってもらうようにお願いする。

人生、どこでどうつながっていくか、本当にわからない。


3月25日(木)

☆夜明けてから雨。

雨は午前のうちに上がり、急速に青空が拡がって、春本番の暖かさ。

☆朝食前に温泉へ。

今朝は松泉宮の手前の”新月”湯へ。

温泉へ行く辺りから雨が本格的になったが、雨の中の露天風呂はまた格別だった。

☆朝食は昨夜と同じパインテラスで。

シェラトン・グランデ・オーシャンリゾートは”日本でいちばん美味しいリゾート”というキャッチフレーズで運営しているということ。

新鮮な宮崎県の野菜や畜産品、海産品の食材をふんだんに使ってある。

どれもとても美味しい。

久々に美味しい朝食を満喫した。

☆10時過ぎにチェックアウトしたが、1泊5食のうちの残りの2食は”風待ちテラス”での、サンドイッチとマカロンが提供される。

しかしここはチェックアウト後も利用できて、皆さんは朝食のビュッフェでお腹いっぱいになっているので、テイクアウトされる方が多い様だ。

私たちもサンドイッチとマカロンはテイクアウトにして、”風待ちテラス”でくつろぎながらコーヒーをいただく。

この”風待ち”テラスはとてもリラックスできる空間で、空や月や自然の写真集が自由に閲覧できるようになっているし、宮崎で出版された本のコーナーもあった。

私の「MOON DROPS―月の雫」がぴったり合う空間である。

是非私の本も置いて欲しい。

☆シェラトンを出て、宮崎県立美術館へ。

開催中の写真展”オードリー・ヘプバーン”を観る。

妻とのライブで演奏した”MOON RIVER”の練習中に、”ティファニーで朝食を”の中でオードリーがギターを弾きながら歌う”MOON RIVER”を何度も聞いたし、サンデー

ラジオ大学でもこのオードリーの”MOON RIVER”を流してもらった。

だから私たちにとってはあまりにもグッドタイミングのオードリーの写真展であった。

☆文化公園はいま桜が8分咲きくらいで、これからが満開を迎える華やかさだった。

昨日も高鍋を出ると、ずっとどこの桜も8分咲きくらいで、満開はこれからだった。

我が家と日向市の桜はとっくに葉桜になってしまっている。

☆美術館の駐車場の車の中で、”風待ちテラス”からテイクアウトしたサンドイッチを摂ったが、しっかりした分厚い生ハムが挟んであり、とても美味しかった。

☆美術館を出て、三兄が個展を開催している画廊喫茶へ立ち寄る。

そこに、例の宮日出版文化賞で賞候補になった本が山積みしてあった。

以前にチラリとは見たのだが、あらためて手に取って本を開いてみると、あまりにもペラペラの製本レベルの低い本に唖然となってしまった。

こんな本とも言えないものが、私の本よりも優れていると言うのか、と怒りが込み上げてきた。

宮日出版文化賞って一体何なのだろう、とあらためて思う。


3月24日(水)

☆日中は晴天。

気温は暖かくなる。

夕刻からは雲が出て、天候は下り坂。

☆一昨日版木に転写した木版画の版木を彫る。

先日にホームセンターで買ったこのシナベニヤはすごく彫り易い。

メーカーによって材質に大きな差があるようだ。

☆今夜はシーガイアのシェラトン・グランデ・オーシャンリゾートへ。

九州在住者限定の1泊5食という宿泊プランに、私の主夫業への感謝として妻が招待してくれた。

私はシーガイアには結婚式や何かのパーティーで来たぐらいだし、シェラトン・グランド・オーシャンリゾートになってからは初めて来たと思う。

まして宿泊するなんて、初めてのことである。

宮崎県民でありながら、ほとんど利用したことはないのだ。

☆部屋は20階のオーシャンビューの素晴らしいツインルームだった。

それだけでわくわくする。

夕食の前に温泉に這入る。

温泉は松泉宮といって、屋外の長い渡り廊下を渡っていくと、手前の”新月”湯と奥の”月読”があったので、奥の”月読”湯に行く。

松林の中の露天風呂が有り、お湯も塩っぽくて気持ちが好い。

☆夕食はガーデンビュッフェ”パインテラス”での”3シェフの渾身のスペシャリテ”+ディナービュッフェ。

3シェフの渾身のスペシャリテというのは、・Ristorante ARCOの ウニのクリームスパゲッティ、・寿司処「八潮」の春の握り4種、・鉄板焼「ふかみ」の宮崎牛と菜の花の

天ぷら 黒潮水晶 さくら塩、というスペシャルメニュー。

それに、ディナービュッフェは食べ放題のビュッフェで、これがどれも美味しくて、まだまだ食べたいものがたくさんあるのに、私も妻もお腹いっぱいになってしまった。

還暦過ぎてから胃が小さくなってしまったので、直ぐにお腹がパンパンになってしまう。

☆部屋に戻ると、ベッドの上に身を投げ出したまま身動きできず、テレビを観て過ごす。

本当は夕食のあとはバーでのカクテルサービスが組まれていたのだが、二人とももう出かける気分になれず。

でも美味しい夕食で満足であった。


3月23日(火)

☆晴天。

一気に真冬に戻った冷え込み。

風も強く、寒々しい一日。

しかし、この春は暖かすぎて大きな寒の戻りが無く不安だったので、むしろ寒さが戻るとほっとする。

☆痛風の痛みはかなり落ち着いてきた。

☆今日も、一日デスクワーク。

昨日リストアップした私の県北地域の設置作品一覧の再確認作業。

設置年度の記録の無い物や、記憶から抜けていた作品の確認作業。

また以前に宮崎空港で兄弟展を開催した時に、私の宮崎県内の設置作品一覧を作成したことがあったので、その一覧作成以降の設置作品の追加と墓碑を含めた全設置

作品一覧を補正する。

やはり設置年度のはっきりしないものや、作品タイトルの記録も無いものなどあって、確認作業にまる一日要してしまった。

今日の段階では、墓碑も含めた宮崎県内の私の設置作品は83点になる。


3月22日(月)

☆晴天。

今日も風が強く、冷え込む。

☆私は尻に火がつかないと動かないタイプなので、直前になって慌てないように今のうちに伊藤先生との公開対談の概要をWord文書で作成する。

これは単なるたたき台で、これから詳細について伊藤先生と打ち合わせて行く。

Word文書をJPG画像に変換したりして、事前打ち合わせのために伊藤先生はじめ関係者に送る。

夕刻に伊藤先生からお電話をいただき、もうこのままでいいのでは、ということであった。

公開対談はまだ3カ月先のことではあるので、これから対談の内容の事前打ち合わせ等を進めて、一般に案内するのは5月初めくらいになるだろう。

会場に108名しか収容できないので、おそらく開催案内を公開すると数日以内に予約で埋まってしまうだろうから、あまり早めに公開すると行きたくても行けない人が多く

なる。

それに5月の連休明けのコロナ第4波の拡大が懸念されるので、その状況も見極めて公開を判断しなければならないだろう。

☆午後は妻のボーカルレッスン。

5月の日向市でのギャラリーの二人展会場で、コロナ感染拡大が無ければミニコンサートをやりたいので、その打合せもする。

☆その日向市の二人展の会場で、私の県北地域に設置してある作品のマップを配ったら、と妻が提案している。

それで、妻のレッスンの傍らで、私は県北地域に設置してある作品の一覧を作成する。

市庁舎移転によって取り壊された日向市市役所のモニュメントも含めて、県北地域には16点の作品を設置している。

これまでこうしたデータをきちんと作成していなかったので、私の経歴から漏れているものもあったし、まだ抜けているものもあるかもしれない。

一度、県内に設置してある作品の一覧も作成しておくべきなのだろう。

☆夕刻に、新作の木版画の下絵作成と、版木への転写作業。


3月21日(日)

☆朝のうちは青空が拡がっていたが、直に曇天となる。

日中は暖かかったが、午後からは強風が出て冷え込む。

☆午前は日向市へ、妻の実家の墓参。

☆昨日の雨と今日の風で、我が家の桜はあっというまに葉桜になってしまった。

しかし日向市までの道筋でも、殆どの桜はもう葉桜になってしまっているし、すでに山躑躅や藤の花が咲いている。

何だか、何時もより季節が一月ほど早く来てしまった感じだ。

こんなに早く春が来てしまったら、夏の暑さはどうなってしまうのだろうと思ってしまう。

☆ロックタウンで妻の買い物に付き合ったら、痛風で足が痛い。

車の運転は控える。


3月20日(祝・土)

☆一日、本格的な雨。

今日の雨で、我が家の桜もおおかたが散ってしまった。

☆朝に、田中家の墓参。

考えてみれば、彼岸の墓参で雨が降ったのは初めてではないのか。

雨の中で線香に火を点けた記憶が無い。

☆午前に、大森静佳”この世の息 歌人・河野裕子論”読了。

本のタイトルの”この世の息”と言うのは、河野裕子の亡くなる前日の最後の歌、”手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が”から採られている。

あの鮮烈な相聞歌集”森のやうに獣のやうに”のデビューから出発した河野裕子の歌は、またも壮絶な相聞歌で終った。

最後まで河野裕子を慕った大森静佳が、全ての歌集を丁寧に濃厚に分析したこの河野裕子論は、余りにも切なく、しかし命がけで歌に向かって生きてきた河野裕子の紛れも

ない優れた歌人の生涯を明らかにしてくれる。

なみ優れた感性で、いつもこの世界と異世界とを自在に往来しつつ最後まで相聞歌を詠い続けた稀有な女流歌人・河野裕子。

大森静佳の文体も極めて筆力に優れている。

この河野裕子論は、伊藤一彦先生の誘いで、伊藤先生の主宰する”現代短歌・南の会”の会誌”梁”に連載されていたものである。


3月19日(金)

☆朝のうちから雨。

雨は小降りで傘は必要なし。

午後は曇天模様。

夜中はとても蒸し暑かったが、日中は花冷えで気温は上がらず。

☆痛風はかなり痛みが和らいできたので、今日から一気に動く。

結果的に、これが再悪化の原因となった。

☆午前に、高鍋町美術館へホール使用の打ち合わせに行く。

幸い、5月6月はまだ週末は空いていたが、伊藤先生の都合のよい日は限られているので、その中から使えそうな複数日程を仮押さえする。

コロナ感染対策で主催者が守らなければならないことは多々あるが、今回の場合は県外からの来訪者の入場は出来ないということの周知が必要になる。

ホールの使用時間は、換気をこまめにすれば規制は無いと言うことである。

日程の候補を伊藤先生に連絡する。

そしてその中から伊藤先生に日程を決めていただき、対談は6月26日(土)の午後と決まった。

昨日も記したように2部制にして、1部は「41年目の返歌」と題して、「MOON DROPS―月の雫」を元にした私と伊藤先生との対談。

その中で、Zoomを使っての英訳をしてくれたクーパーとのオンライン対談も出来ないかと思っている。

2部は「われらが高鍋」という題で、高校同窓生たちを加えた座談に客席の方たちも参加できるような形で、進めたいと言う案を考えている。

収容者数が108名と限定されているので、完全予約制にしなければならないだろう。

コロナの次の波が来ない事を祈るのみである。

☆午後は、木版画の版木が切れたので、ホームセンターでシナベニヤを買ってきて、カッティングをする。

他にも郵便局に行ったり薬局に行ったりと結構動き回った。

やはりこうした作業を一気に展開したせいだろう、暮れて夕食の買い出しに出掛けたら、再び痛風の足先が痛くなってしまった。

☆薬局でクエン酸を買ってきて、今夜から朝と夜にクエン酸水を飲むことにした。

痛風の原因である尿酸は酸でアルカリに良く溶け、クエン酸塩が分解すると血液はアルカリ性となり、クエン酸水を摂取することによって痛風を抑えている人が多いらしい

のである。


3月18日(木)

☆朝のうちは青空が広がっていたが、午前のうちから曇天となる。

我が家の桜はもう花弁が舞い始めた。

朝の青空の広がっているうちに桜の写真を撮り、息子たちや妹たちにラインで報告する。

☆痛風はかなり痛みが和らいできたし、腫れも少し減ってきた気がする。

しかしまだ外出するには辛いので、今日も一日、デスクワークで過ぎる。

☆版画の次の作品のアイデアスケッチをしながら、大森静佳「この世の息 歌人・河野裕子論」を読んでいたが、次第に読書に集中する。

考えてみたら、私は結婚してからは殆ど独身時代のようなプライベートな時間は無くなり、日記も付けられず、読書もできない毎日を過ごすことになった。

それで、独身時代によく読んでいた短歌の本は殆ど読まなくなった。

だから河野裕子の歌集は第一歌集の「森のやうに獣のやうに」と第4歌集の「はやりを」しか持っていないので、それ以降の河野裕子の歌はまったく知らない。

それだけにあの鮮烈な「森のやうに獣のやうに」の河野優子の世界が、母となり、老いを感じ、乳がんが見つかる前から死を感じ取っていた流れは衝撃であった。

河野裕子は第9歌集「歩く」で第6回若山牧水賞を受賞しているので、授賞式で宮崎に来られているのだが、牧水賞の授賞式にはいつも出かけていた私はなぜか憧れの

河野裕子の授賞式には行っていないし、「歩く」も読んでいない。

大森静佳の河野裕子に対する分析は実に濃密で(大森静佳は河野裕子の最後の弟子)、読んでいて切なくてたまらなくなる。

☆伊藤先生と、対談の打ち合わせをする。

やはり伊藤先生は国民文化祭が始まると身動きできないので、その前の5月か6月中に高鍋町美術館で開催しようと言うことになった。

人数は108席でも好いと言うことなので、明日にでも高鍋町美術館ホールのスケジュールを確認してみよう。

時間は3時間くらいで、構成は2部制にしようと思う。

1部が私と伊藤先生による「MOON DROPS―月の雫」に関する対談。

2部が、「MOON DROPSー月の雫」の伊藤先生のあとがきに登場する同窓生たちを交えての、高鍋高校時代の想い出や高鍋町の文化等についての座談。

本については、増刷が間に合わなければ、私の保管分と先日追加購入した分とで80冊はあるので、それで対応できるのではないかと思う。

来場者の2割から3割の方たちは、すでに本を購入されている方たちだろうと思う。

☆お世話になっている方から、嬉しいメールが届いた。

” 先日は素敵な展覧会、ありがとうございました。

当日購入させていただいたご本を、本好きの知人にプレゼント(郵送)したところ、

「哲学的な歌と力強い彫刻、佇まいも背景の色も何もかも素敵ですね!どきどきしながらページを繰りました!素晴らしい本をありがとうございました!」 と、

速攻でお礼がきました。

こんなに喜んでいただけて、プレゼントしてよかったです。

ありがとうございます。 ”


3月17日(水)

☆薄曇りの一日。

暖かい一日。

連日の暖かさで我が家の山桜も大きく花びらを開かせているが、青空が広がらないので薄らぼんやりとしている。

☆痛風は痛み止めのお蔭で、少しずつ痛みが和らいできている。

しかしまだ歩行は容易ではないので、今日も一日家に籠って過ごす。

☆版画を刷るとまた足に負担がかかるので、本を読んだりして過ごす。

大森静佳「この世の息 歌人・河野裕子論」を読む。

徹底した河野裕子の心の流れの分析で、河野裕子の世界が透けてきてしまって、むしろ切なくなって来る。

☆このところ宮崎のコロナ感染は連続15日で感染者ゼロが続いている。

この状態がずっと続いてゆけば、色んな規制が解けて来るだろうから、懸案の伊藤先生と私との対談を実現させたい。

私たちの出会いは高鍋高校からなので、高鍋町美術館のホールでやりたいと思っている。

しかし秋口までにコロナの次の第4波が来なくても、国の規制はまだ続くと思われるので、美術館に問い合わせてみたら、やはり入場者規制は来年度一杯は

続く見込みだと言う。

現在は242席のうちの108席しか使えず、しかも秋口は国民文化祭のイベントで週末はほとんど埋まってしまっているのだと言う。

国民文化祭自体は10月17日までだが、今年実施できなかったイベントが繰り越していて、11月まで予定が這入っているのだと言う。

108席以上の入場者が望ましければ中央公民館ホールは、と提案されたが、中央公民館ホールは1000席なので大きすぎて、200人来てもガラガラである。

それに伊藤先生本人が国民文化祭の企画会議委員長なので、国民文化祭の期間中は多忙ではないのだろうか。

あまり先に延ばし過ぎると、本を出版して1年が経ってしまい、もう周りの関心も無くなってしまう。

色々ハードルが高い。


3月16日(火)

☆天気予報では最高23度の暖かい一日となる筈だったが、雲が多く、花冷えの寒い一日であった。

☆痛風の痛みで、夜中はトイレに起きても身動きができず、辛かった。

朝一にO内科で診てもらった。

O先生は、パンパンに赤く腫れている足を見て、これは痛いですね、薬を出しておきます、2週間くらいで納まると思いますよと、あっという間の診断だった。

今日は患者も少なく、待ち時間もあまり無かった。

湿布薬と痛み止めの薬が出た。

日中は、亡き父が使っていた杖を使って動いたが、夕刻からは少し痛みが楽になってきた。

☆伊藤一彦先生から、「心の花」3月号が届いた。

3月号の特集は「伊藤一彦を知る」で、堺雅人のエッセイや歌人たちによる伊藤先生への質問で構成されていた。

その中で、俵万智と大口玲子(二人とも宮崎県在住)による質問の中の教師時代への質問で、私のことに触れられていた。

”ともかく青春まっただなかの高校生が好きでした。授業では哲学や宗教などをテーマに生徒たちとよく論議しました。そんな彼らと今でも交流があります。

最近『MOON DROPS 月の雫』という共著を出した彫刻家の田中等さんもその一人です。”

☆ウクライナのカテリーナから、彼女の元にも船便による「MOON DROPSー月の雫」が届いたと言うメッセンジャーが届いた。

ウクライナ・カネフのオルガナイザーであるYuraも大変喜んでいると言うことである。

☆痛風で身動きできないので、今日はデスクワークで過ごした。

先日、「宮崎この人」のDVDを届けていただいた森川さんが、先日にNHK-BSプレミアムで放映された”英雄たちの選択 上杉鷹山”を録画したディスクを持って来て

いただいたので、観る。

しかし、構成が不充分である。

藩の建て直しのために、若い藩主の上杉鷹山は従来からの上杉家の格式を重んじる家臣たちからのクーデター(七家騒動)に遭うのだが、鷹山はそのクーデターを阻止し、

首謀者の2名に切腹を命じ、他の家臣たちには隠居閉門と知行召し上げという処分を行っている。

さらに真の首謀者に斬首を申し付けている。

鷹山が米沢藩主となったのが17歳、米沢入りが19歳、そしてこの七家騒動の始末で家老3名に切腹と斬首を命じたのはまだ若干23歳である。

鷹山は高鍋藩の出身だから、米沢には地縁は誰一人居ない。

そういう状況での、一見穏やかな鷹山の内なる激しさ、厳しさが描かれていない。

そして鷹山の改革はまるで順当に行ったかのように語られるが、改革は順調では無く、鷹山は35歳で一旦隠居している。

彼の改革の成果が見えはじめたのは上杉鷹山が50歳になる辺りからである。

改革には実に長い年月がかかっている。


3月15日(月)

☆春爛漫のとても暖かい一日。

午後からは春霞がかかったような薄らぼんやりした空となったが、中国の黄砂はまだ日本には到達していないようだ。

☆午前に所用で高鍋町役場へ。

☆午後は本の中封筒に貼る木版画の続き。

この作業が堪えた。

痛風の痛みがますます強くなって来たのだが、午前はまだ役場に出向いても軽いビッコを引くくらいだった。

しかし午後から立ったまま版画を刷っていたら、痛風で腫れた足先への負担が相当だったのだろう。

夕刻にはとうとう身動きもできず、おまけに小さな版画の作業だったので首筋もギンギンに凝って、首筋が折れてしまうのではないかという状態になった。

おそらく水分の補給が不足しているのだろう。

痛風の激痛で、何も出来ない。

明日は病院で診て貰おう。


3月14日(日)

☆晴天の暖かい一日。

庭の桜が一層大きく開いた。

☆朝の9時22分に少し大きな揺れ。

熊本が震源の地震で、高鍋は震度2。

☆起き抜けに右足の親指付け根が痛い。

寝相が悪かったのかと思ったが、次第に痛風だと分かった。

とりたてて暴飲暴食もしていないので、痛風の再発には心当たりが全く無い。

5年前のロシア・ウファーのシンポジウム期間中に一度痛風が突然再発したが、翌日には痛みは消えた。

今日は次第に痛みが強くなって、夜には右足が赤くパンパンに腫れて来た。

痛風の薬は毎朝服用しているのだが。

☆堂門冬二「秋月鶴山」を一応目を通す。

内容が行政組織論のビジネス書で、小説としての面白味は全く無い。

しかし、種茂(鶴山)公の業績について、これほど詳細な記述は初めて知った。

もっともこれらの記述は、名著「高鍋藩史話」(安田尚義著)に寄っているのだが、我が家の本棚にあるこの本を私は読んでいないだけのことなのだ。

残念ながら、今の高鍋町には種茂公のその想いは全く面影も無い。

☆出版社から追加購入した「MOON DROPSー月の雫」に サインを入れる。

当然、中封筒に貼る木版画も不足するので、午後から木版画を刷る。

ところがいくら注意深く作業しても、周囲の溝の色が付いてしまう。

作業の後半になって、紙を見当に合わせる時に紙を強く押さえるので、それで溝の中に紙を押し込んでいたことが判明。


3月13日(土)

☆晴れ。

午後は一時的に雲が多くなるが、春爛漫のとても暖かい陽気。

今年の春はとても暖かいので、もうあちこちで桜が咲いている。

我が家の山桜も、昨日までは全くの無表情だったが、雨上がりの今朝には一気に桜が咲いた。

☆そろそろ本の船便での海外送付を終えてしまいたいので、送り先を調べる。

これがかなり中々な作業である。

シンポジウムのオルガナイザーとはメールでのやり取りがメインなので、住所が分からない。

メッセンジャーで問い合わせたり、要項のファイルを開いて送り先を調べたりと手間がかかる。

☆午前に、森川さんが追加注文の「宮崎この人」のDVDを10枚届けていただいた。

☆旭川彫刻フェスタの報告カタログが届く。

事務局の北海道新聞は、米子シンポジウムに取材に来られた時以来の付き合いで、名寄の雪像大会の帰りに旭川に立ち寄って関係者にお会いしたこともある。

折り返し私の「MOON DROPS―月の雫」を献本で送る。

☆午後は妻のボーカルレッスン。

今夜はセッションがあり、私も参加するのでハーモニカでジョイントする。

今日は大きな失敗は無く練習できた。

☆夜の7時半から、木城町川原の”ピムリコ”でのセッションに出掛ける。

少し早く着いたので、久し振りに暮れ落ちた川原キャンプ場へ降りてみた。

キャンプ場はライトアップされて、駐車場は満杯だった。

気候が良くなったので、キャンプ客やロッジ宿泊客が多いのだろうか。

私の制作した「0の豊穣」へボーカル講師の片貝さんを案内する。

☆ピムリコのセッションに参加するのは2回目である。

やはり少しは緊張するので、昼間の練習のようには行かなかったが、大きなミスも無く、締めでは片貝さんのピアノと息がぴったり合ってうまく納めることが出来た。

ほっと安心であった。

やはりこういう場数を重ねていくことが必要だろう。


3月12日(金)

☆一日雨。

本格的に降る。

☆朝から、三兄の作品の写真撮影作業。

宮崎市からプロのカメラマンが来られての撮影。

昨日に車庫の中に運び出していた作品を、狭いアトリエの中に1点1点運んでの撮影。

あいにくの雨の中、画面が濡れないように作品を移動させなければならないし、アトリエも狭くて引きが無いので、カメラマンは雨の降り込む軒下に出ての撮影。

また額装したままでは撮影できないので、私は額を外しながらの作業で、なかなかに大変な作業であった。

☆昼にゆくはしビエンナーレの植田事務局長が来訪。

宮崎へ来るついでがあり、私の本の出版と二人展のお祝いを兼ねて来られた。

高鍋町美術館で落ち合い、三兄たちが昼食を摂っている喫茶店で合流し、そのまま植田氏と近況を語る。

植田氏にお会いするのは、一昨年暮れ以来である。

ゆくはしビエンナーレやまちなかオブジェについての近況状況や今後の流れ等について、いま取り組んでおられる”ガラミ”を使って1627年に細川藩が現在の

稲童ギャラリー近辺で日本で最初に醸造したワインの復元等についてお話を伺う。

☆出版した「MOON DROPSー月の雫」については、絶賛していただいた。

本の内容のみならず、装幀等を含めて、地方の出版社ではありえない本だと言われる。

昨年の宮崎県での一大エポックではなかったのか、とさえ言われた。

植田事務局長は朝日新聞の取締役西部本社代表や熊本朝日放送社長を歴任された方であり、呑み仲間には人間国宝の方が何人も居られる。

そういう植田氏が「MOON DROPS―月の雫」を絶賛される。

つまりとても客観的に高い評価なのである。

それでこの本を全国的にアピールしてくれそうな方に植田さんから直接アポを取っていただいた。

☆高鍋町と行橋市は何の関係も無いと思っていたが、実はそうではなかった。

堂門冬二の「秋月鶴山」を読んでいたら、次のような経緯が書かれていた。

豊臣秀吉の九州征伐によって、筑前甘木では36万石だった秋月家は高鍋に居封されて3万石となってしまった。

その高鍋藩の初代藩主の秋月種長には男子の相続人が居なかった。

それで種長の妹が嫁いでいた行橋市にあった馬ヶ岳城城主の長野三郎左衛門の嫡子の采女を、種長の娘の夫として養子に迎えた。

その采女が「種貞」として、次期藩主になる段取りであったが、種貞に男子(種春)が生まれ、そこにそれぞれの家老の思惑による相続人争いが起き、それが「上方・下方

騒動」という大殺戮騒動に展開してゆくのである。

つまり高鍋藩第2代藩主の秋月種春は、行橋の長野家から養子となった種貞の子なのである。

高鍋町と行橋市は濃密に繋がっていたのである。

☆植田氏は、友人の指揮者・佐渡裕氏の演奏会が今夜宮崎市で開かれたので、佐渡氏に会いに行かれた。

私は三兄宅に戻り、作業を手伝う。

☆夕刻に、植田氏に指示された方たちにレターパックで献本を送る。


3月11日(木)

☆晴天の一日。

朝のうちは冷え込んだが、陽射しが強く、ぐんぐん気温は上昇。

とても暖かい陽気となる。

☆三兄が画集を出版するので、午前は兄宅で収録する作品の選別作業。

☆日中は、事あるごとにリビングに山積みしていた書類等を和室にそのまま移動させていたので、その片付け。

所在が分からなくなっていたものが出て来たり、私は整理能力に欠けるようだ。

いくら断捨離しても、直ぐに色んな書類が溜まってしまう。

☆夕刻は、三兄の画集に寄稿する文書の作成に取り掛かるが、まだ何を書くかも全く決めていないので、手つかずに終る。

三兄は私が高校1年の時に、結核で入院された平原先生の代わりに臨時で高鍋高校に美術教師で勤務しているので、私は兄の教え子でもある。

寄稿の依頼は「卒業生の皆様へ」となっているので、弟としての立場と教え子としての立場での寄稿になるのか。


3月10日(水)

☆晴天の一日。

午後からは雲が多くなる。

ぽかぽか春の陽気。

☆一日、デスクワーク。

リビングの身の廻りの整理作業。

本の出版関係や二人展の関係書類が山積みになっているので、整理する。

☆先日の二人展で売れた作品のうち、補充の作品を湿して圧を掛け、額装する。

妻は次の展覧会に向け、エッチングの作業に這入った。


3月9日(火)

☆午前は曇天で冷え込む。

午後からは陽が射して来て、気温も上昇。

☆午前に、レターパックで本を送る。

保管部数50冊を除いた販売用の残部は34冊。

なんとか捌けるだろう。

☆日中はリビングの身の廻りの片付け等の雑務。

☆「サンデーラジオ大学」を文字起しした冊子を、送る約束していた友人に送付。

文章に起こしておくと、何時でも開いて読める。

とてもいい対談だったので、多くの人に読んで欲しい。

また「宮崎この人」のDVDも、もう在庫が切れてしまったので、10枚追加のお願いをする。

このDVDは殆ど私の彫刻家としての履歴の語りなので、よほど私個人に興味のある人でないと面白くないだろうと思っていたが、意外や買い求めていただいた方たちは

感動される方が多い。

こちらも多くの人に観て貰ってもよい内容のDVDである。

☆スロヴァキアのスラヴァから、12月10日に船便で送っていた「MOON DROPSー月の雫」が届いたと言う連絡。

やはり船便では3か月かかるようだ。


3月8日(月)

☆午前は曇天。

お昼過ぎて、一気に青空が広がり、快晴となる。

午後からは気温も上昇。

☆午前は二人展の礼状DMに切手を貼って、昼前に投函。

これで今回の二人展の残務処理はほぼ終了。

次の5月と6月の日向市での二人展開催に向けての準備を始めなければならない。

☆午後に確定申告書の清書。

いつものように高鍋税務署の投函箱に投函。 

☆夕刻にまた友人から本の注文が入った。

こうして少しずつ売れていくと嬉しい。

先日、宮崎市へ向かう車中で、Eさんが本の中封筒に貼った木版画が素敵なので、額に入れようと思って画材店で額を探したけれど丁度好いものが無く、100円ショップ

で買った額に入れたと言う話をしてくれた。

確かにあの版画はとても人気で、私も版画作品として額に納めたいと思っていた。

それで、マット紙に納めれば良いことをEさんに伝えたのだが、一般の人には画材店でマット紙を調達してもらうことは困難なので、5月の日向市での二人展の時にこの

版画をきちんと額装したものを展示してみたい。


3月7日(日)

☆本格的な雨。

気温の冷え込みは無し。

☆メールで本の注文が入ったので、レターパックで送る。

またラインでも、以前に本を買っていただいた方からの再注文があった。

これからもまだまだ売れて行くのかも。

50冊を追加購入したので、そうあって欲しい。

☆一日、昨日届いた二人展の礼状の宛名書き。

☆午後は妻のヴォーカルレッスンだったが、私は傍らで宛名を書く。

終盤に久しぶりにハーモニカでジョイントしたが、緊張してしまって這入るタイミングがずれてしまう。

☆夕刻に、確定申告の申告書下書き。

さんざん頭を悩ませたが、いろいろ調べたら、所得の公的年金等控除は私の場合は年金額が少ないので全く関係なく、昨年までと同じ申告で良いことが分かった。

下書きを済ませたので、明日には清書して提出できる。


3月6日(土)

☆曇天の一日。

気温は高め。

☆午前に、寸法間違いで注文した額を返送。

梱包サイズが大きいので、送料がかなり高かった。

☆注文していた大森静佳「この世の息 歌人・河野裕子論」が届く。

第一章の「森のやうに獣のやうに」を少し読んでみたら、極めて濃厚な分析による河野裕子論で、大森さんが感じた”ふるさとの井戸を覗きこむような不思議な暗さ”に

ついて読み解かれていて、私が感じた青春歌集としての「森のやうに獣のやうに」とは全く別な世界を知らされた。

現代女流歌人の中で、河野裕子は私の最も好きな歌人である。

しかし、河野裕子さんが高校時代に精神の病で1年間休学したこと、自殺未遂で最初の子供を失ったことなど、私の全く知らなかった河野裕子さんの抱える闇に、同じ

女性の立場で読み解いていく過程は、非常に衝撃的である。

☆確定申告の準備。

しかし昨年までとは異なった公的年金等控除など申告の仕方が変わっているものがあって、それでサッパリどうやっていいのかわからず、先に進まない。

☆夕刻に発注していた二人展の礼状DMが届く。

それで発送の準備がしてあったアンケート投票でミニ額が当たった方たちに、礼状を入れてレターパックで送る。


3月5日(金)

☆晴れ

午後は雲が多くなる。

とても暖かい一日。

☆気功の丸山先生は、先生との宴会ではいくら酒を呑んでも、誰も二日酔いはしないと言われた。

酒豪の伊藤先生も、楽しいお酒は絶対に悪酔いしないと言われる。

確かに、今朝の私はスッキリとして酒が残っていない。

☆一日、確定申告の準備。

経費の算出が終わって、申告書の下書き。

しかし昨年は事業収入は1月のインドのシンポジウムと暮れの本の売り上げだけである。

持続化給付金は収入として申告しなければならないが、定額給付金は申告しなくてよいらしい。

本の出版もどういう経費としてあげるのか、例年と状況が違うので、申告書の書き方がよく解らない。

何時もは経費の算出が終われば申告書は一気に書き終わるのだが、今回は戸惑う事ばかりで先に進まない。


3月4日(木)

☆朝のうちまで青空が広がっていたが、直に重い曇天となり、午後過ぎて雨となる。

☆昼に日向市からEさん来訪。

彼女の車で宮崎市へ出て、まず出版社へ寄って追加購入の「MOON DROPSー月の雫」を50冊受け取る。

例の気功師の丸山気功研究所は、出版社からすぐ近くの大淀川沿いにあるマンション6階にあった。

☆Eさんはもう30年来、丸山先生の元に通っていると言うことであったが、今日に丸山先生を訪ねることになった直接のきっかけは、Eさんの知人を通じて丸山先生の元へ

通うことになった日向市文化交流センターの太田氏の計らいであった。

今日は太田氏は仕事の都合で同行できないので、Eさんが同行していただいと言うことであった。

☆初めてお会いした丸山先生は白髪の愛想の好い老婦人であった。

私はどこかでお会いした様な気がしたのだが、丸山先生も「MOON DROPS-月の雫」の私と伊藤先生の写真を見られて、何か昔から知っているという印象をうけられた

と言う。

☆名刺代わりに、気功の施術をしていただいた。

気功の施術は生れて初めての経験である。

普通はみなさんは施術中や施術後に色んな体の変化を感じられるようだが、Eさんから施術の感想を聞かれても、私は何も変化は感じなかった。

☆ただ、丸山先生が私の体で幾つか予想外の驚きを感じられていた、

先ず、会った途端に私の右足のかかとに異変を感じられ、変だなと思われたと言うこと。

普通の人は左足のかかとに異変があるのだと言うこと。

それで私の石を彫る作業中の体勢について聞かれ、私が作業中に右足のかかとに全体重がかかっていることを知られて、その右かかとの異変の理由に納得された。

また手の親指の先にこれまでの数十年の作業の疲労が蓄積しているが、硬い石を彫っているのなら右手の親指が疲労蓄積している筈なのに、なぜか左の親指の疲労

が激しいと言われる。

これも実は作業中は左手でグラインダーを持って作業するのだと言う私の説明に納得された。

丸山先生は、石は硬いというイメージが有るので、私の体が硬い石に向かっての疲労蓄積の度合いが相当に高いだろうと言う予測に全く反して、体自体が全く疲労して

いないのにとても驚かれていた。

そして、この人は硬い石に力の限りで立ち向かっているのではなく、石を彫っている時にこの人自身が石になっているのだと納得されたのだと言う。

これは伊藤先生が私の石の作品に対して、”石の声が聞こえて、その声がそのまま短歌になった”と言われたのと同じである。

おそらく私が石材店に生まれ、石片をおもちゃ代わりに育ってきた環境が大きいのだろう。

私にとって石はとても暖かいのである。

☆私は体力的には何の問題も無く、あと40年は現役で頑張れると言われる。

40年後と言えば私は110歳である。

私は今の地球の未来には怖ろしさしか感じていないので80歳でもうこの世とおさらばしたいと願っている。

これから40年も生きたくない。

しかし丸山先生は、これからは人生120年と言われますからね、とこともなげである。

丸山先生は、最初に”あなたの作品は2000年後にもこの世に残りますから”と言われた。

”ということは、この地球は滅びずにまだ2000年後も地球として在ると言う事ですか?”と問うと、静かに頷かれた。

☆気功の研究所が大淀川沿いのマンションの6階と言う、あまりにも世俗的な場所なのに違和感を抱いていたのだが、それには理由があった。

ご自宅は別にすぐ近くにあるのだが、あるときにこのマンションの6階を歩く河童の姿を感じられたのだと言う。

大平洋に向かって歩いていく河童の姿を感得されて、すぐに施術室をこのマンション6階に決められたのだと言う。

丸山先生も、色んな超常現象は感得されるが、それと気功による人助けとは無関係なので、そういう霊的なことは積極的には仕事の中では語られないと言うことである。

☆驚くべきことに、気功師は仙人のような人格者かと思いきや、丸山先生は大変な愛煙家で大の呑兵衛なのであった。

それで、施術の後は美味しい日本酒(高知の”南”という酒。今年は方位的に南が好いのだという)と料理での宴会となった。

今日は私がたらふく呑めるようにと、Eさんに車の運転をお願いされたようだ。

さらに驚くべきことに、どれだけ呑まれても、夜はキチンと2名ほどの施術をされるのだと言う。

☆私はたらふく呑んだので、帰宅後に夕食の準備をして夕食を摂った後は寝入ってしまった。


3月3日(水)

☆午前は全き快晴。

午後は雲が出てくる。

朝夕は冷え込んだが、日中は陽射しが強くて暖かく、どこも子供たちが体全体で春を感じて駆けずり回っていた。

☆一日、デスクワーク。

確定申告の準備に這入る。

その過程で、私の本がどれ程売れたのか算出してみた。

11月の出版から2月までに売れた本は290冊。

最初に自費出版分で受け取った本が350冊で、その後に50冊ずつ100冊を仕入れて購入しているので、私が預かったのは450冊である。

そのうちの献本分が約120冊なので、手持ちの残部は40冊となる。

今後の私の活用のためには50冊は保管しておかなければならないし、まだこれからも少しずつ売れていくと思うので、50冊の追加仕入れを出版社にお願いした。

皆さん、これだけ本が売れると私が儲かっていると勘違いされる方が多い。

しかし、これは自費出版なので、本の売り上げは単なる出版費用の回収である。

しかも追加購入の分は、著者割引での本の購入販売なので、幾ら売っても私に這入って来るお金はわずかである。

売り上げを集計してみたら、支出した自費出版費用の回収には20万円以上も届いていない。

自費出版とはそう言うものである。


3月2日(火)

☆夜明け前まで強い雨。

雨は朝には上がり、午後からは晴れて来る。

日中の気温は高かったが、夕刻から冷えてくる。

☆間違ってサイズの異なった額を注文したネットショップから、返品は可能だと言う返事が届いた。

だが当然、返送料と再送料は自己負担であり、大きい作品を作れば返品しなくても良いので、一度検討してみよう。

☆カレーカフェ”静”に委託販売していた「MOON DROPSー月の雫」が2冊売れていたので集金に行く。

委託手数料を差し引くと、私は出版社から仕入れたものを売っているゆえ私の利益は全く無い。

しかし一人でも多くの人にこの本を購入してもらえると嬉しい。

補充しようかと思ったが、近日に店内を改装して、キチンとした物品委託販売コーナーを作ると言うことである。

そこに私の紹介パネルも貼って販売したいと言うことなので、改装が終わって本を補充することにした。

☆先日、住所不明で本が返って来ていたマレーシアのギャラリーへ、新しい住所宛に再びEMSで本を送る。

郵便局で確認したら、やはりまだアメリカとカナダにはEMSは送れないと言うこと。

年末年始は郵便局はてんやわんやだったし、正月を過ぎたら私が二人展の準備でそれどころではなかったので、本を船便で海外へ送る手続が出来ていない。

落ちついたら、キチンと送ろうと思う。

☆今日は妻の誕生日。

私の手料理でお祝いをする。


3月1日(月)

☆一日、雨。

風が強く、激しい風雨。

気温は上昇して、とても暖かくなる。

☆あっという間に3月になった。

☆本の中封筒に貼った木版画に使わせてもらった「田中等」の篆刻印の作家から、美味しい宅急便が届いた。

添えられた手紙によると、あの篆刻の印は彼のお弟子さんが彫った物だと言う。

キチンとした印鑑店で彫ってもらって、朱肉も書道作品用の印泥を使ってくださいということ。

今後、木版画にまた使うこともあるだろうから、そうしよう。

お礼に「MOON DROPSー月の雫」をレターパックで送る。

☆そして、伊藤先生から角川短歌3月号が送られてきた。

「この世の息 歌人・河野裕子論」を上梓された女流歌人・大森静佳さんと伊藤先生との対談が掲載されており、その中で「MOON DROPSー月の雫」も表紙写真入りで

言及されている。

大森 石の彫刻の写真と一緒に歌が載っている本ですよね。一ページ一首のとても贅沢なつくりです。

伊藤 ありがとうございます。田中等という僕の教え子が彫刻家で、コロナ禍で仕事が無くなったというので、持続化給付金も使って作ったものなんです。

大森 これは書き下ろしなんでしょうか?

伊藤 そうなんですよ。全部新作なんです。僕の以前作った歌に彫刻写真を合わせる案もあったんだけど、せっかくだからということで、二十日くらいで熱中して詠み

    ました。大森さん、石の声が聞こえたんですよ。

大森 !?

伊藤 石の表情、石の声が聞こえたんです。石を彫った田中等という人が五十年来の仲だからね。彼が作った作品を見てると、石の声が聞こえる気がしてね。もしかしたら

    その声がそのまま歌になったのかもしれないですね。

編集部 他の芸術とのコラボレーションは短歌界にとって大きなメリットになり得ると感じております。

伊藤 本当にそぅですね。実際にやってみて、とても刺激になりました。違う方法で彼と勝負している気持ちになったんです。負けないぞってね。

☆この「この世の息 歌人・河野裕子論」は、伊藤先生の主宰されている「梁」に掲載されていたものである。

大森さんは河野裕子さんの最後の弟子になる。

この「梁」には、私も伊藤先生に頼まれて44号から46号までの3回連載でのコラムを書いたことがあり、そのコラムを読んだ当時の宮崎日日新聞の文化部記者だった

故・山口俊郎氏から、宮日文化欄への連載コラムを依頼されるきっかけにもなったことがある。

この「この世の息 歌人・河野裕子論」は、私も読みたいと思っていた本なので、アマゾンに注文する。



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