Back to toppage このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。 過去の日記 2021 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2020 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 |
2021 | 6月30日(水) ☆午前は晴天。 午後から雨雲が出て、夕刻に驟雨。 夜に再び雨。 ☆日向市の金子メガネギャラリーでの二人展最終日。 ☆日向市へ這入ると、まず開店を待ってカメラのキタムラへ。 公開対談の録画データをDVDにする件を尋ねると、まずずらりと並んだモニター画面の席に案内された。 今のカメラ店は、こうして殆どお客がデータを持ち込んでモニター画面を操作して注文するようだ。 しかし、圧縮しての保存は出来ないと言うこと。 SDカードのデータ容量が20,4GBなので、その容量のままコピーしなければならず、DVDなら4枚、ブルーレイなら2枚必要だということ。 ブルーレイ2枚で3,300円。 以降、幾ら枚数を多くコピーしても操作は同じなので、価格は変わらないということ。 これでは、関係者にプレゼントなんて出来ないし、第一にブルーレイは最新のパソコンでないと見れない。 取りあえず、保存用にブルーレイにコピーしてもらったが、安いSDカードにコピーしたほうが配布できるのではないのだろうか。 まさか、4Kの高画質録画がこんな大問題を引き起こすなんて、思いもしなかった。 ☆午後4時から金子メガネギャラリーの搬出。 丁度激しい驟雨が来て、版画の箱を搬入するのが大変だった。 ☆私の葉書絵を買ってくれたのは、美術大学出身の若い娘さんだった。 大学を卒業してから絵が描けなくなり、彼女の作風に似ている私の葉書絵に惹かれて買ってくれたようだ。 私も自分の方向が見えてきたのは50歳過ぎてからだから、悩みながらも制作を継続してゆくように励ます。 ☆気功師の丸山先生からお電話をいただいた。 土曜日は一番の多忙な曜日なので、公開対談には行けなかったというお詫びと合わせて、”とても穏やかな時間が流れていたでしょうね”とおっしゃった。 まったくその通りで、熱気と言うより、穏やかな前向きな時間が流れているような公開対談だった。 丸山先生はそういう波動を感じておられたようだ。 ☆今日の金子ギャラリーでの二人展の終了で、文字通り今年の前半のスケジュールがすべて終了した。 帰宅すると、なんだかどっと疲れが出て来て、夕食を作りながら朝食のオムレツの準備をしてしまった。 6月29日(火) ☆晴天。 夜明け前まではとても肌寒かったが、日中は気温が上昇。 午後は蒸し暑くなる。 ☆公開対談のビデオを友人に録画してもらっていたので、DVDにコピーしてみんなに配りたい。 しかし、昔はこういう作業はとても簡単だったのに、今はかなりややこしくてどうやればいいのか解らない。 とりあえずSDカードのデータをパソコンにコピーしたが、容量が20,4GBもある。 ホームセンターへ行ってDVDを購入しようとしたら、DVDは4,7GBが最大である。 それでヤマダ電機へ行って確認すると、データを縮小するか何枚かに分けるしかないとのこと。 SDカードデータからDVDにコピーする無料ソフトもダウンロードしてみたが、使いこなせない。 「宮崎 この人」のDVDを作成していただいた森川さんに尋ねると、ビデオ録画が4Kタイプで容量が大きすぎて、森川さんのパソコンでも作業は出来ないということ。 業者に頼むしか方法は無いようだ。 ☆公開対談の出席をキャンセルされた方たちに、折角申し込んでいただいていたので、長谷川櫂さんの「窓」私家版冊子を送る。 ☆午後2時55分に、日向灘が震源の地震。 久し振りにかなり大きな揺れだったが、高鍋町は震度2だった。 被害は何も無し。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は宮崎市のみの7名。 6月28日(月) ☆一日、本格的な雨 ☆公開対談の残務処理。 ようやく対談当日の来場者と本の購入者のチェックをする。 当日朝のキャンセルや、連絡なしの欠席が10数名あった。 会場で目につかなかった方たちの中に、欠席だったら残念だなあと思う方たちが居たのだが、チェックするとそう言う方たちはみなさん来場しておられた。 マスク姿なので、ステージ上からは全員の顏を確認できなかったのである。 連絡なしで欠席された方たちは、体調不良だと判断できる方たち以外は、殆ど私の知人であった。 普段からポカの多い人たちなので、申し込みをしていたこと自体を忘れてしまっていたのだろうと察する。 短歌関係の方たちからの連絡なしの欠席は皆無であった。 皆さん、本当に伊藤先生の対談を楽しみにしておられたのだ。 ☆本も想定外に売れた。 既に購入されている方たちも再購入されていた。 私の本は、友人知人たちに勧めてプレゼントされる方が多い。 自分の本が無くなって、再購入されたようだ。 準備した本が足らず、夕刻にレターパックで送る。 増刷した本はもうとっくになく、私の保管分の本からもかなり目減りしてきた。 ☆午後に、修理に出していた軽トラを取りに行く。 故障の原因は水温センサーが壊れていて、常時マイナス25℃の水温表示になってしまい、燃料噴射量の調整が正常にできなくなっていたと言うことである ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は1名。 6月27日(日) ☆一日雨。 水冷で肌寒い。 ☆日向市の金子メガネギャラリーでの二人展が、今日で最後の週末なので、弁当を作って出掛ける。 私は、妻に撮ってもらった昨日の公開対談の画像を整理し、フェイスブックにあげる作業をする。 ☆夕刻に帰宅し、雨も小降りになったので、高鍋町美術館から搬出し、車に積んだままにしていた作品を降ろす。 ☆会場の様子を友人にビデを撮影してもらっていたので確認をする。 とてもよく撮れていた。 時間を見てDVDに焼いて、関係者に配ろうと思う。 ☆伊藤先生からお電話があり、対談は本当にやって好かったと言われた。 私もつくづくそう思う。 ☆そして本の出版を伊藤先生に相談したのが、昨年の6月12日であった。 それからずっと1年以上、この本のことで全力疾走で走ってきた。 その間に妻との二人展が加わり、本当にあっという間の濃密な1年間であった。 こんなに1年間を通じて、神経を集中して全力で走ってきたことは無いのではないのだろうか。 それで、昨夜はそのほっとした気持ちで疲れがいっぺんに出てきてしまって、2次会できつくなってしまったのだろう。 今夜は夕食を作る気力も無く、この1年間疾走の一区切りとして、お寿司の持ち帰りで妻と乾杯する。 食後はぐったりとなって、早々に床に就く。 6月26日(土) ☆午前までは曇天。 午後には雨となり、日中は激しく降る。 夕刻からは雨脚は止る。 ☆午前4時半起床。 昨夜のうちに出来なかった、肝心の対談中のスクリーン投影作品画像を整理。 必要な書類等のチェック作業を済ませ、ステージ脇に展示する作品等の必要品を車に積んで、10時に高鍋町美術館へ。 音響業者はすでに作業を始めていた。 ばたばたしているうちにあっという間に昼を廻ってしまった。 12時から、クーパーとZoom対談のリハーサルをする。 本番のZoom接続は高鍋町役場社会教育課の小森君にお願いしてあるので、小森君に接続してもらってマイク等のチェックをする。 ☆弁当を買いに行くついでに、帰宅して着替える。 ☆午後は第2部に出演してくれる同級生たちとの進行打合せ(昨夜、進行を練り直した)、進行役をお願いした黒木・高鍋町長との打ち合わせ、伊藤先生との打ち 合わせ等で、ゆっくり弁当を食べる余裕も無く、対談本番時刻を迎えてしまった。 ☆午後2時から「MOON DROPS-月の雫」出版記念の公開対談。 第1部は、「41年目の返歌」として、私と伊藤先生との対談を、パーソナリティーの黒木・高鍋町長の進行で進めて行く。 対談が盛り上がり、予定していた内容をカットしなければならなかったが、クーパーとのZoomオンライン対談もとてもスムーズに進み、伊藤先生の明快な語りでとても 楽しい充実した対談となった。 出版社の鉱脈社からも川口社長以下、5名も来て頂いたので最後に紹介する。 バックミュージックとしてCDを使わせていただいた天満ご夫妻も紹介する。 ☆休憩を挟んで、第2部は高校同級生たち3人による「我らが高鍋」と題した座談。 まず、手作りギターによる柳英明君のギター演奏から始めた。 彼は高校卒業して直ぐに、著名なギター工房でギター制作を学んだ音楽家であるが、事情によって電気工事店を営んでいるので、殆どの町民は彼がギターの名手 であることなど知らない。 伊藤先生も、彼がギターを演奏することはご存知だが、実際の演奏は聞かれたことは無い。 それで、彼の本当の姿を皆さんに見て欲しかった。 傍らには、私がインドから帰って来た直後に制作した柳君の首のブロンズ像を配置した。 ☆柳君の演奏後に、座談に這入る。 他の2名は、石井記念友愛社理事長の児嶋草次郎君と、美術史家の安井雄一郎君。 児嶋君は石井十次の曽孫で、祖父の画家・児嶋虎次郎は大原孫三郎の支援で何度か滞欧し、大原美術館の礎となる作品を収集した著名な方である。 安井君は山口県立美術館の副館長や高鍋町美術館の館長を歴任し、「香月泰男ー凍土の断章ーシベリアシリーズを読み解く」で宮日出版文化賞を受賞している。 こうした面々が高校時代の同じクラスで席を並べ、いまでも酒を酌み交わし、伊藤先生を尊愛してやまない。 第2部も黒木・高鍋町長にファシリテーターをお願いして、私と伊藤先生も会話に加わりながら、個性的な3人とのやり取りを進めて行った。 それぞれの語りをテーマの「我らが高鍋」に向けていくと、児嶋君からは田中等彫刻公園を作るべきだという提案、安井君からは高鍋大師についての保存活用 整理作業についての提案が有り、最後に篠田・高鍋高校校長からの来年の創立100周年へ向けてのメッセージもいただいた。 ☆全ての対談を終えて、私から「月の雫」の木版画を抽選で3名の方にプレゼントした。 ☆終了予定時刻を少しオーバーしての3時間を超える対談であったが、皆さん、時間の長さを全く感じないとても楽しい対談だったと言っていただいた。 長年のストレスが一気に晴れた、と報告して下さる方も居た。 参加された共同通信の上野支局長も、会談終了後にすぐにフェイスブックに上げられて、”講演とシンポの中身はこの場では要約できないくらい濃いもので、 世界20ヵ国に彫刻が飾ってある田中さんの作品を高鍋に集めて公園をつくろうという話題で盛り上がった。”と書き込んでいただいた。 大成功であった。 やって好かった。 ☆終了後は居酒屋”みなもと”で打ち上げ。 20日で緊急事態の会食自粛制限は解除されたが、解除直後なので、最小限度の8名での打ち上げとした。 ここでも大いに会話が盛り上がった。 高校同級生たちと2次会へ流れたが、やはり相当に疲れが溜まって居たようで、気分が悪くなり途中で退出した。 6月25日(金) ☆午前は雲が多いものの、午後からはスッキリ晴れる。 残念ながら、明日からは天候は崩れる。 公開対談はほぼ雨になるようだ。 ☆一日、公開対談の準備で過ぎる。 進行時間配分を再検討。 やはりどうしても時間が短くて、予定内容が時間内に消化できそうにない。 ☆コロナ対策によるお金の直接的な手渡しを禁じている美術館の規則に従い、予約していただいている本の代金の支払いはお釣りのない様に、封筒に入れて持参して いただくことにした。 その旨を、本を予約して頂いた方々に連絡をする。 ☆夜までに、対談開始前にプロジェクターでスライドショーで流す作品の画像を整理する。 ☆今日も公開対談参加のキャンセルが相次いだが、キャンセル待ちを繰り上げることでうまく調整できている。 しかし、明日の午前まではまだキャンセルが出て来そうである。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は4人。 6月24日(木) ☆晴れ。 天候は下り坂気味。 ☆今日も、一日、公開対談の準備。 午後から、音響業者のスタジオでパソコンとプロジェクターを接続した状態で、Zoom対談をした時の音声の状況をチェックする作業。 同窓生の裏方のスタッフも加わって作業する。 まず、パソコンの画像が最適にスクリーンに投影されるプロジェクターへの接続方法を点検。 さらに、こちら側は伊藤先生と黒木・高鍋町長と私の3人がクーパーと会話するので、全方位のミニジャックマイクが必要と判断、みんなで電器量販店へ走って品定めを する。 ☆機材の方の準備が出来たところで、Zoomで対談した時の音声のテストをする。 Zoom会議に馴れておられる某先生にスタンバイしてもらっていたので、Zoomを接続しようとするが、肝心の先生は自分で接続した経験が無いと言う。 何時もはZoom会議の主催者から接続してもらっておられたようだ。 それで2人であれこれ試行すること、数10分。 ようやく、私が先生にURLを送り、それをクリックしてZoomに這入って来た先生に、私が会議に参加する許可を出すと繋がるということが判明。 よくぞ、今日リハーサルをやっていて大正解だった。 こんなことを明後日の本番でやっていたらとんでもないことになった。 しかし、本番ではクーパーが私を招待する形になるので、問題は無い。 ようやくZoom会議が出来るようになったので、買って来た集音マイクとパソコンの内蔵マイクでの音声を、某先生に比較してもらう。 当初は内蔵マイクの方がはるかに音量も大きく、音もクリアだということであった。 しかしそれでは私たち3人の声が充分に拾えない。 それで音響業者と電気分野が専門の同窓生の指示で、パソコン内の外部マイクの設定をやったら、最終的に外部マイクの方が音量も大きく、音質もクリアになった。 当日は対談中にクーパーとのオンラインの接続作業をしなければならないので、その作業をスタッフにやって貰わねばならない。 それで当日に、対談が始まる前にもう一度、スタッフからクーパーにZoom接続をやってもらうことになった。 ☆作業が終わったのはもう夕刻であった。 やれやれである。 私は途中までは対談の広報と、進行のことしか頭になく、こうした現場の音響等のことは全く頭になかった。 よくぞ、想定外な形で友人たちが集まって来て助けてくれた。 感謝、感謝である。 ☆やはり対談当日が近づいてくると、キャンセルや新たな直前での参加申し込みが相次ぐ。 今のところはうまい具合に、キャンセルとキャンセル待ちの数が調和が取れてくれている。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は2名。 6月23日(水) ☆上天気の一日。 ☆一日、公開対談の準備。 午前に、長谷川櫂「四季」私家版冊子の修正シール貼り。 そして公開対談第2部の座談の進行時間配分表の作成。 ☆午後に、高鍋町美術館ホールで実務作業の打ち合わせ。 ステージ上の配置、音響接続の打ち合わせ、Zoom接続の打ち合わせ、第2部座談の進行の打ち合わせ、コロナ対策の打ち合わせ等。 裏方をお願いしている同窓生たち、音響業者、座談出席の同級生たち、そして美術館の青井学芸員とでてきぱきと打合せが進んだ。 みんなよく動いてくれて感謝である。 やはりこうしたステージでは色んな関係の専門知識が必要だ。 パソコンとプロジェクターの接続、Zoom接続時の音の問題等、機械オンチの私などまったく手も足も出ない。 まだまだ解決しなければならないことが多々ある。 ☆夕刻に、「四季」私家版の修正シールを貼り終わり、封筒に通し番号を入れて冊子を入れる。 残り2日で、まだやるべき仕事は山積している。 ☆一つ気になることが在る。 今回の公開対談はコロナ対策で完全予約である。 そのことをご存知ない方が多くおられるようで、これまでに3名の方から26日に行く予定だったが行けなくなったと連絡をいただいた。 しかしその3名の方は、どなたも申し込みをされていない。 つまり、この3名の方のようには私に連絡を下さらないまま、当日は予約制だということに気付かずに来られる方がかなり居られるのではないのだろうか。 当日の急なキャンセルは必ずある。 しかし、まだキャンセル待ちの方が居られるし、当日のキャンセルは受付を締め切らないと分からない。 せっかく楽しみにして来られた方をむげにお断りするのも申し訳ないし、かといって定数を1名でも越えての入場は美術館のコロナ対策規定で許されない。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は1名。 6月22日(火) ☆雲は多いものの、晴天。 ☆午前に妻と宮崎空港へ。 3Fギャラリーで開催中の黒木周さんの”クロスグラフ展”を観る。 クロスグラフは版木に布を張って刷る黒木さんオリジナルの版画である。 妻が一時、黒木さんの教室に通っていたことがる。 ☆久しぶりの空港は、ガラガラだった駐車場にはそれなりに車が這入っていたが、空港ビル内はあいかわらず閑散としていた。 昨年は閉鎖されていた空港内書店が再開し、私の本が置いてあると言うので確認に行く。 そうしたら、山積みされた俵万智の本と並んで、宮崎日日新聞文化欄掲載の記事コピーと共に「MOON DROPS-月の雫」が置いてあった。 願わくは私の本も山積みして欲しかった。 恐らく山積みするほどの入荷も在庫も、そして売れ行きも無いのだろう。 ☆帰路に宮交シティーへ立ち寄って、公開対談の時に着るジャケットを、妻の見立てで調達。 ☆夕刻に、クーパーとZoom対談のリハーサル。 予めZoomを起動しておいて、クーパーから届いていたURLをクリックするとクーパーと繋がった。 クーパーは大学の仕事で毎日Zoomを使っていて、Zoom用のスタジオが整備してあった。 クーパーは伊藤先生の短歌を英訳しながら、ずっと伊藤先生と話したくてたまらなかったようだ。 短歌独特の表現があるので、解釈とその英語表現にはかなり苦労したらしい。 これで対談当日は無事に、クーパーとのオンライン対談が出来る。 ☆自動車整備工場の連絡で、軽トラの故障の原因は水温センサーの故障で、水温がかなり低いままの設定になってしまっていて、ガソリンの濃度が異常に濃くなって エンジンに這入らなくなっていたらしい。 センサー自体は安価なものだが、その取り外しの作業工程が大変で、作業手間代がかなりの高額になるという。 無収入の今の私に、どこにそんな修理代が捻出できるというのか。 頭が痛い。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は1名。 6月21日(月) ☆晴れ。 午前まではとても肌寒かったが、午後からは気温は上昇する。 ☆一日、公開対談の事務作業。 第2部の座談に出席する同級生たちの簡略略歴をまとめる。 持ち時間がとても限られているので、同級生たちの略歴は進行役の町長に簡潔に紹介してもらおうと思って居たが、それでも少しでも座談の時間を確保するために、 コピーして来客者に配ることにする。 そして先日の伊藤先生との打ち合わせを基に、先生との対談の時間配分表を作成する。 ☆公開対談が目前になると、ステージ周りのことが気になり始めた。 そう言えば、普通は講演とか対談の会場には、タイトルの横断幕や、ステージに上がる出席者の肩書入りの名前が机にぶら下がっている。 ただ今回の場合は対談タイトルの横断幕は必要ないと思うし、座談参加者の名札も出席者が少ないので配布する参加者の略歴で充分でないのだろうか。 ☆夕刻4時から高鍋町長との打ち合わせ。 ところが出かけようと軽トラのスイッチを入れるとエンジンがかからない。 このエンジンのかかりの悪さは日常的で、車検の時にも症状を伝えたのだが異常は無いということだった。 だが今日はいくらキーを廻しても、まったくエンジンが始動しない。 仕方なく町長に電話を入れると、我が家に来て頂くことになった。 町長も対談の段取りを考えておられて、私の段取りとほぼ一致したので、打ち合わせはスムーズに進んだ。 ☆整備工場に電話を入れて、軽トラの点検をしてもらった。 しかし専門の彼らがいくら点検しても原因がわからない。 ラジエーターも点火プラグも正常だが、ガソリンがエンジンに這入っておらず着火しないようだと言う。 結局、整備工場で点検してもらうことになった。 また車の修理代が嵩む。 ☆午後におかしな、不思議な事があった。 今日の宮崎のコロナの状況をネットで調べようと思ったら、高鍋信用金庫の本店が落成し、今日から新しい建物での営業が始まったというニュースが載って居た。 記事を読んでいたら新しい理事長の名前に記憶があった。 前の理事長は私の同窓だったのだが、新しい理事長とは面識もないと思って居たのだが、実は公開対談のキャンセル待ちをしておられて、キャンセルが出たので 昨日連絡を取ると、他の要件と重なって参加できないという返事を貰ったばかりの方だった。 ”ギャラリーしんとみ”の二人展にも来てもらっている。 暫くすると、私のスマホから話声がする。 私は誰にも電話をかけて居ないし、着信音も鳴らなかった。 電話を取ると、なんと私の高校美術部の後輩で、妻と同じサークルに属している方で、なおかつこの高鍋信用金庫本店の理事長の姉さんからであった。 背後がざわついているし、他の誰かと話し中なので、何かの操作ミスで私のスマホと繋がってしまったようだ。 それで、今ネットでニュースを見たら、あなたの弟が理事長だったんだ、という驚きを伝えると、今、営業初日のセレモニーで新しい店舗の内覧中だという。 ☆実は気になっていたことがあった。 私は創業者の尾崎氏の胸像を制作していて、当時まだ存命中だった尾崎氏の命で、胸像を外には建てるなと言うことで理事長室に仮置きしてあった。 当然、建物が建て替えられるときは、外に建てられるものと思って居たのだが何の連絡も無く、新しい理事長とも面識はないし、と気になっていたのである。 その話を彼女にすると、彼女は今ちょうど4階の理事長室に居て、目の前に胸像が在るという。 確認してもらうと、確かに私の制作した胸像である。 私に何の相談も無く移設したのか、という心外な思いはあったが、林氏のあかりモニュメントも私には何の相談も無く移設されている。 何か、タイミングがあまりにも漫画的で、目に見えぬ力が新しい理事長室と私にコンタクトを取らせたとしか思えない。 ☆今日も宮崎でのコロナ感染者は確認されなかった。 ☆今日は34回目の結婚記念日。 仕事も全く無いので、細やかにお祝いをする。 6月20日(日) ☆晴天の一日。 ただ山手にはまだ雨雲がかかり、海辺は好く晴れている。 午後からは雲が多くなり、夕刻に少し小雨。 ☆昼前から日向市へ向かい、金子メガネギャラリーへ。 本が1冊売れていた。 今日は父の日のセールスがあったらしく、メガネ店もひっきりなしの来客があり、ギャラリー目当ての方も居られた。 ☆宮崎県のコロナ自粛が今日で終了するためか、日向までの行き帰りの国道10号線はとても車が多かった。 みんな、梅雨の合間の好天の中を一気に外に向って走り出した感じである。 ☆父の日のお祝いで、長男から焼酎の詰め合わせが届く。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は4日ぶりにゼロであった。 しかしインド変異株が宮崎県内でも広がっているので、夏場に第5波が来るのではないかと思う。 6月19日(土) ☆朝のうちは小雨が降っていたが、徐々に雲が切れて午後からは晴天となる。 気温は上昇して、宮崎県内は各地で真夏日となる。 ☆昼前に日向市へ。 細島で美味しいパンを買い、江川春江ギャラリーでの二人展のために妻が借りていた油彩額を知人へ返却し、金子メガネギャラリーへ。 私の葉書絵が1点と本が一冊売れていた。 ☆午後半ばには日向を発つ。 ☆夜は片貝さんと照沼さんをお招きして、江川春江ギャラリーでのアフタヌーンコンサートの打ち上げ。 片貝さんが撮っておられた録画を見ると、本当に江川春江ギャラリーはいい空間だと思う。 宮崎で、こんな素敵な空間でコンサートをやれるギャラリーは何処にもないと思う。 確かに画廊喫茶等でライブをするところは多いが(現に、片貝さんは今日は宮崎市内の画廊でライブをされて、我が家へ来られた)、江川春江ギャラリーのような 本格的なギャラリー空間はない。 照沼さんもずっと、美術館のような芸術作品のある空間でライブをしたいと思っておられたという。 ☆江川春江ギャラリーは音の響きも素晴らしい。 私は失敗ばかりして激しく落ち込んでいたのだが、録画での私のハーモニカ演奏を聞いてみると、全然失敗が目立たない。 おそらく来られていた方たちは、私のミスには気付かれなかったのではないのか。 ほっとする。 ☆私の手料理で夜中過ぎまで楽しく過ごす。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、お隣の新富町の方が1名のみ。 感染経路が解らないというので、気になる。 インド変異株もさらに1名確認された。 6月18日(金) ☆午前は青空も見える曇天。 午後からは雲が厚くなり、夕刻より雨が降り始める。 ☆昨日のワクチン接種の副作用は、今のところ何もない。 肩の痛さも1回目の方が痛かった。 同級生の夫妻も昨日に2回目の接種だったが、2人とも微熱と体の怠さが少しあるという。 そういう症状は多くの人に在るようだ。 ☆長谷川櫂氏と読売新聞に、長谷川櫂「四季」私家版冊子を送付。 ☆先日から催促のあった「経済センサスー活動調査」の回答を、インターネットで済ませる。 いつも思うが、私たち芸術家は事業内容の業態区分がどこにも属さない。 回答が滞っていた理由も、この判断不可の設問にある。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は5名で、そのうちの4名が日向市である。 これが1週間前だったら、江川春江ギャラリーでのアフタヌーンコンサートは来客が半減していただろう。 今日あらたにインド変異株が3名確認された。 夏には第5波が来るのではないのか。 6月17日(木) ☆午前は曇天。 午後からは青空が広がって来るが、雲の多い空模様。 ☆朝のうちに昨日届いた「四季」私家版冊子を読み直していたら、打ち込みミスに気付いた。 当初の原稿はキチンと打ち込んであるのだが、イラストレーターはWordの文字をコピーできないので(多分)、イラストレーター原稿の文字部分は全て打ち込み直した。 大事な方の名前が間違っていたので、修正シールを作って貼って行く。 ☆昨日の伊藤先生との打ち合わせを元に、公開対談の2部で座談をお願いしている同級生たちに当日の持ち時間等の連絡をする。 公開対談は3時間の予定だが、1部と2部に分けると、それぞれが語る持ち時間が実に短くなってしまった。 ☆午後にコロナワクチンの2回目の接種。 接種が終わると「予防接種済証」というものを発行してもらったが、海外シンポジウムに参加するには海外で通用する接種証明書が必要である。 その証明書は発行してもらえるのか質すと、職員はまだ状況の把握が出来ておらず、発行できるようになったら連絡しますと言うことで私の連絡先を伝えた。 証明書には"Certificate of Vaccination for COVID-19"と記載してあるので、この証明書のコピーでも通用しそうだが、そもそもこの証明書には「予防接種済証(臨時)」 とあるので、これは臨時の証明書だと言うことである。 正規の証明書はあらためて発行されるのだろうか。 政府は海外渡航者向けの「ワクチン証明書」を、「ワクチンパスポート」として7月中下旬をめどに交付できるように準備を進めているという。 その申請の受付時期等の自治体への説明はまだ先のことになるようだ。 ☆夕刻に、公開対談の時の音響を担当してくれる某スタジオと打ち合わせをする。 なかなか面白いことになりそうである。 ☆今日はまた宮崎で2人のコロナ新規感染者が確認された。 しかもお隣の新富町と、まだ二人展を開催中の日向市の方たちなので、まだまだ気が抜けない。 ☆コロナワクチン接種の2回目は副作用が強いという情報である。 特に接種した日の夜、今夜がきつくなるということだったが、今のところは何の変化もない。 6月16日(水) ☆一日、本格的な雨。 水冷で、午後からはとても肌寒くなる。 ☆午後から宮崎市へ出て、伊藤先生宅で公開対談の打ち合わせをする。 先生のお宅は周りに家が建てこんで判りにくいので、その場所探しに時間を取られると思い早目に家を出た。 ところがスマホでのナビが実に正確で、迷うことなくキチンと伊藤先生の家まで案内してくれて、約束の時間より30分近くも早く着いてしまった。 それで隣家の大学後輩K君の家にお邪魔して、時間を潰そうと思って敷地に這入ったら、室内から私に気付かれて振り向かれたのは伊藤先生だった。 K君宅の敷地だと思って居たら、伊藤先生のお宅の庭に無断侵入してしまった訳である。 ☆伊藤先生はすでに打ち合わせの準備をされていたので、早速打ち合わせに這入る。 対談の展開や時間配分などについて打合せをする。 打合せだけであっという間に1時間を超えてしまった。 これでは公開対談では、話したいことも充分に話せないままに終るのではないのか。 ☆伊藤先生宅を退出して、隣家のK君を訪ねる。 私が大学3年の8月に作った人体の小作品を彼が持っていて、首や足首が折れている、と言うので確認に行った。 確かに私の作風だし、私のサインなのだが、私は全く記憶にない作品である。 どうして彼がこの作品を持っているのかもわからない。 今は自宅工房は断捨離作業の途中で放置したままの状態なので、落ち着いて工房の片付けが終わったらこの作品を預かって補修をしたい。 ☆夕刻に帰宅してしばらくしたら、長谷川櫂さんの「四季」私家版冊子が届いた。 開梱してみると、表紙の木版画の色が全然出ていなくて愕然となった。 表紙の文字のレイアウトもイメージよりも文字が大きすぎて、バランスが悪い。 イラストレーターでの画面だけで確認を済ませ、プリントアウトして点検しなかったミスである。 色校正もキチンとすべきだったと反省。 伊藤先生にスマートレターで10冊を送る。 ☆宮崎は今日もコロナの新規感染者はゼロであった。 6月15日(火) ☆午前はまだ晴間があったが次第に曇天となり、夕刻から雨模様となる。 明日から当分は梅雨空に戻る。 ☆一日、家の中の片付けや、江川春江ギャラリーの残務仕事。 ☆浴室外庭の竹が再び一気に伸びてしまっているので、竹を除去する。 ☆午後に雨になる前に、借りていた木製ブロックを返しに”ギャラリーしんとみ”へ。 考えてみれば、来年の”ギャラリーしんとみ”での次の二人展は年明けの1月に決まっていて、もう半年後である。 これから新作の版画を作り溜めないと間に合わないのだ。 ☆夕刻に、江川春江ギャラリーでのアンケート投票で版画小品額が当たった方たちに、礼状を添えてレターパックで発送。 ☆宮崎のコロナ新規感染者は2日続けてゼロだった。 このまま落ち着くのだろうか。 6月14日(月) ☆午前は山間部の方はまだ雨雲がかかっていたが、平地は概ね晴天。 午後からは青空の蒸し暑い陽射しとなる。 ☆午前に江川春江ギャラリーの彫刻の搬出。 オーナーの話だと、先日のアフタヌーンコンサートの時は、車が止められず帰られた方も多かったらしい。 何時もは細島小学校の敷地も地区の駐車場として解放されているのだが、今は建て替え工事のため使えず、雨も激しかったので駐車スペースが確保しにくかったようだ。 でもあれ以上の来客は密になってしまった。 それだけ、多くの方たちが音楽を楽しむ場を求めておられると言うことだろう。 ギャラリーは開設して22年になるが、今回の様な本格的な作品展は初めてだったようだ。 それでギャラリーを訪れたオーナーの知人たちから、驚きの電話がかなり這入っていたという。 オーナーも、ギャラリーはサロン的な利用で十分で維持費さえまかなえればいいという考えで、これまでギャラリーの存在をアピールすることは全くして来られなかった ということ。 それではあまりにも勿体なさすぎる、と訴える。 いまどき、宮崎県内には民間でこれほど素晴らしい環境のギャラリーは何処にもない。 ☆午後は、妻が借用していた油彩用の額を返却して高鍋町内を廻る。 やはり、皆さん、高鍋町から日向市まで出かけるのはなかなかだったようだ。 ☆夕刻に、アンケートで投票していただいた方への版画小品額の抽選をする。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は、7日ぶりにゼロであった。 6月13日(日) ☆夜中にもの凄い雨音と、防災スピーカー、サイレンの音で目が醒めた。 しかし高鍋町は扇状地だからか、町場は防災スピーカーがハウリングを起こして全く何を言っているのか聞き取れない。 3・11を教訓に設置された防災アナウンススピーカーだが、肝心の津波警報が出されても、町場の町民には全く伝わらないだろう。 何かのおそらく土砂災害の警報が出されているのだろうが、大雨でも私の家は水に浸かったことは無いので、そのまま再び寝る。 朝にパソコンでメールをチェックすると、やはり土砂災害警報が出されて、該当地区には避難指示が出されていた。 各所で通行止めにもなっていたが、概ね午後には通行止めは解除された。 ☆江川春江ギャラリー二人展の最終日。 雨は一日中続いて、来客はまばらであった。 ☆午後4時より搬出。 平面作品は佐々木美術の車で搬出できたが、私の彫刻は段ボール梱包や毛布に包んだだけの作品も多く、強い雨の中を軽トラでは搬出できない。 ギャラリーのオーナーの好意で、明日は雨が上がりそうなので、私の彫刻は明日の午前に搬出する。 ☆1週間の開催で、来客数は約120名。 その半数は昨日のアフタヌーンコンサートの来客であった。 また来客の多くが延岡市や門川町からの日向市以外の方たちで、日向市美術展に出品された方たちが立ち寄られたので、日向市美術展と重ならず、コンサートも 出来なかったら、来客数はかなり少ないことになっていた。 しかし江川春江ギャラリーはとても魅力的なギャラリーだった。 日向市での二人展開催計画は、妻の出身地でも”ギャラリーしんとみ”で展示した作品を展示したいと言うだけのことであった。 だが期待もしていなかった江川春江ギャラリーの素晴らしさに、版画小作品展とは別に妻の油彩画と私の彫刻を展示するという想定外の展開になった。 コンサートもとても響きの好い空間で、大成功だった。 作品は1点も売れなかったが、展覧会としては良い内容だったと思う。 ☆実施した人気投票の結果も、1票も這入らなかったのは妻が25点中2点のみ、私も26点中2点のみであったので、”ギャラリーしんとみ”同様に2週間の開催であったら 全作品に人気第一位の票が這入ったであろう。 私の人気上位の作品は、彫刻2点、葉書き絵2点で、いずれも想定外の作品が人気だった。 作品は売れなかったが、マグネットは良く売れて発注原価は回収できたし、私の本も5冊売れた。 ☆金子メガネギャラリーでの展示は月末まで続く。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は1名。 6月12日(土) ☆一日雨。 日中は幸い大降りにはならず。 夕刻からマレーシアのスコールを思わせるような激しい雨。 ☆江川春江ギャラリー二人展、6日目。 朝一に三兄夫婦と長兄来訪。 続いて若山牧水記念館の方が来られたが、三兄も牧水記念館の職員の方(日向市の教育委員会職員)も江川春江ギャラリーには初めて来られて、日向市にこんな 素晴らしい本格的なギャラリーが在ることに、非常に驚いておられた。 何とか活用しないと、あまりにも勿体ない。 ☆午前にまた面白いことが在った。 高鍋町で大変お世話になっているご夫妻が、高校時代からの友人が日向市に居るのでと、その友人夫妻と待ち合わせて来られた。 ところが、友人だという方の奥さんと話していたら、娘さんが佐賀大学の特設美術科に這入る前に、妻と義父にデッサンを習ったと言われたが、なんとその娘さんは 私が延岡の中学校で教えた生徒さんであった。 その生徒さんのニックネームもよく覚えていて、お母さんが、私の娘に間違いないと、とても驚いておられた。 実は何かの酒宴で、お父さんと一緒になったことがあり、彼女のニックネームである”眠り姫”はお父さんから聞いたことだった気がする。 世の中、本当に狭い。 ☆午後はアフタヌーンコンサート。 大雨を心配していたが、それほどの雨にはならず。大勢の方に来ていただいた。 入れ替わりがあったので、50名近くは来られたと思う。 中には清武町や小林市という遠方から、私も妻も全く知らない方々が来ておられた。 コンサートはいつものように、片貝晴美さんと照沼剛さんのサポートで行われた。 最近は私もあまり緊張しなくなり、お昼に1人で練習した時もまったく問題なかったのだが、ハーモニカを吹いた途端に一気に緊張で体が強張ってしまい、2曲目までは 散々な演奏になってしまった。 やはり50人もの人たちが、じーっと私のハーモニカに耳をそばだてられていると、厭が応にでも緊張してしまう。 しかし結果的に、コンサートは大変盛り上がった。 片貝さんも照沼さんも、これだけの人の前で演奏するのは久し振りだったようだ。 ☆本も3冊ほど売れた。 ☆宮崎の今日のコロナ新規感染確認者は3名 6月11日(金) ☆早朝と夕刻に小雨が降っただけで、日中は曇天のまま。 明日は大雨となるらしい。 ☆江川春江ギャラリー二人展、5日目。 今日は延岡市からの来訪者ばかりであった。 三兄の延岡西高校時代の教え子、私の高校同級生が通っているヨガサークルの仲間たち、そして日向市美術展に出品された方のいるグループ。 日向市美術展と重ならなければ、来場者はかなり少なくなっていたであろう。 また夕刻には、私の岩脇中学校勤務時代の教え子から依頼されて観に来られた方たち。 マグネットが良く売れ、本も1冊売れた。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は5名だったが、これまでの感染確認者の家族関係の方たちであった。 今のままの状況が続けば、会食の4人以内の規制は20日で解除される見込みである。 それで公開対談の後には伊藤先生を囲んでの打ち上げが出来そうなので、居酒屋に予約を入れる。 6月10日(木) ☆殆ど曇天に近い晴れ。 明日から、また本格的な梅雨空に戻る。 ☆江川春江ギャラリー二人展、4日目。 今日はまたパタリと客足が途絶えた。 7名の来客のみ。 ☆日向市の方たちにお話を聞くと、日向市民にとって江川春江ギャラリーのある細島地区は漁港町であり、全くの別世界、近くてとても遠い世界のようだ。 また市内にしても、10号線から西の金子メガネギャラリーのある地区は、海側の人たちにとっては”遠い市内”で足を向けるのが面倒らしい。 これは日向市民だけではなく、世界中どこでも同じだろう。 他所から来た人にはそういうこだわりが無いので、まんべんなく市内へは何処でも足が延ばせる。 まちづくりには”他所者”が必要だというのは当然の要である。 高鍋町でも、高鍋町民は殆ど高鍋町美術館には出かけない。 日向市民は、だから、殆ど細島の江川春江ギャラリーには出かけない。 ☆今日も来られたのは宮崎市、高鍋町、東郷町という市外の方たちであった。 宮崎市から来た画家のK君は、江川春江ギャラリーが宮崎市にもない本格的な素晴らしいギャラリーであること、そして設立されて22年も経つのに、こういうギャラリーが あったことすら全く知らなかったことに大変驚いていた。 日向市民でさえ、足を向けない江川春江ギャラリー。 さらに日向市以外の作家達は、日向市の細島にこんな素晴らしいギャラリーが在るなんて、まったく知らない。 あまりにも勿体ない。 また、最近は海の駅ほそしまの周辺が活性化してきたとはいえ、海の駅を訪れた人たちが町を回遊するシステムが出来て居ない。 本当に宝の持ち腐れである。 だから私たちの二人展を契機にして、宮崎市内の作家たちがこの江川春江ギャラリーの存在を知って利用し、広くギャラリーの存在をアピールしてくれると良いと思う。 ☆日向市内の作家たちへの挨拶がてら、開催中の日向市美術展を訪れる。 日向市美展も出品者以外は一般市民は殆ど来ないと言うことで、午前に訪れた妻も、関係者は誰も居ず、挨拶もできなかったと言っていた。 だが、私が午後に訪れた時には結構、鑑賞者で賑わっていた。 しかし、今の日向市の美術界は強力にまとめてくれるリーダー的存在の作家達が居なくなったことを、痛烈に感じざるを得なかった。 ☆今日の宮崎県のコロナ新規感染確認者は2名。 6月9日(水) ☆朝のうちは曇天気味だったが、直に雲は切れて上天気となった。 今日も真夏日の暑さ。 ギャラリーにはエアコンを入れる。 ☆江川春江ギャラリーでの二人展3日目。 今日の宮崎日日新聞に二人展の記事。 そのせいか、今日は3日間の中で一番来客が多く、大半は延岡市からの訪問客であった。 今、丁度、日向市美術展が日向市文化交流センターで開催されていて、延岡市からの出品者・入賞者も多いのでその流れだろう。 ☆私は長谷川さんの「四季」私家版冊子の発注を済ませる。 イラストレーター原稿をPDF原稿に変換して、発注。 データチェックが問題なく済んで制作に這入ってもらった。 ☆ちょっとおかしな出来事があった。 午前に延岡市から来られた方が、”田中さんは田中コウキチさんの弟さんですか?”と言われる。 コウキチ(交吉)は、父の名前である。 ”いえ、息子です”と答えながら、私より若い世代の延岡の人がなぜ私の父を知っているのだろうかと不思議でならなかった。 ところが話を聞いていると、コウキチは父のことではなく、高鍋町美術館長を務めたこともある三兄・隆吉兄のことだった。 なぜ隆吉兄のことをコウキチと思われたのですか?と尋ねると、隆吉をコウキチと読まれたのだという。 そう言えば数年前に兄と宮崎空港で兄弟展をした時にも、ラジオのアナウンサーが”コウキチ”さんと言っていたので驚いたことがあった。 ずっと昔、長男が小学校に上がった時にPTAの”おやじの会”という宴席があって、その案内状が亡くなった父の名前で届き、当日の出席簿と名札も亡き父の名前だった 事がある。 その会には、民生委員の方も参加されていて、父も民生委員だったので、皆さんが亡き父をしのんで私の処に集まって来られた。 ”今日は父もこの場に来ていますよ”と、父の名前の書かれた名札を見せると、みなさんびっくりされていた。 当時は父の霊が私の周りで彷徨っていた様である。 まだ父の霊が彷徨っているのか、とラインで妹たちと混乱状態になった。 だが、父が亡くなってもう38年である。 それで、帰宅してネットで”コウキチ”と読む人名を検索してみたら、やはり”隆吉”もコウキチの読みがあることが解り、一件落着となった。 私たち田中家の人間にとって、”隆吉”は”リュウキチ”としか読まないという思い込みがあったと判った。 これで、ラジオのアナウンサーと今日の延岡の人が”隆吉兄”を亡き父・交吉と同じコウキチと読んだ理由が明らかとなった。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は1名のみ。 6月8日(火) ☆上天気の一日。 陽射しが強く、気温は急上昇。県内各地は真夏日のとても蒸し暑い一日となった。 ☆昨夜は夜中2時過ぎに寝て、今朝は5時過ぎには起きたので、睡眠不足だったが、幸い日向市までの往復は全く眠気を感じなかった。 ☆江川春江ギャラリー二人展、2日目。 昨日の夕刊デイリーの効果で今日は多くの来客が、と期待していたが、前半は殆ど来客が無く、暑くて眠くて退屈だった。 午後に、眠気覚ましにギャラリーの近所を散歩していたら(港町なので趣のある街並みである)、ようやくぼつぼつ来客があった。 今日来られた方たちは夕刊デイリーを取っておられない方ばかりであった。 DMを配っていただいた義姉の友人の方の話では、みんな土曜日のコンサートの時に来ると言われているらしい。 来られた方たちは、おおむねマグネットは買って帰られる。 ☆江川ギャラリーを閉めて、金子メガネのギャラリーに立ち寄る。 江川春江に置いておいたDMが底を尽いたので、金子メガネの分を半分廻すことにする。 DMは1,000部刷ったのだが、もう残りが余り無い。 ☆午前のうちに、長谷川さん「四季」の小冊子の印刷データの最後のページデータ作成を終える。 伊藤先生と最終打ち合わせをして、発注を掛けようと思っていたが、午後になって突然インターネットが出来なくなった。 ”ワイヤレスネットワーク接続アダプターは無効です”というメッセージが表示される。 パソコンにシステムの復元を掛けてみたが元に戻らない。 スマホで解決策を検索するが、何かとてもややこしくて、接続を諦める。 帰宅してパソコンをいじっていたら、コントロールパネルの「ネットワークとインターネット」の項目に”アダプターの設定の変更”という項目があった。 ”アダプターの設定の変更”を開いたら、”ワイヤレスネットワーク接続アダプターは無効です”という項目があったのでクリックして”有効”に変更したら、無事に解決した。 ☆今日の宮崎のコロナ感染は、再び新規感染者が2人確認された。 6月7日(月) ☆雲は多いもののほぼ晴天。 朝夕は冷えるが日中は気温が上昇。 ☆江川春江ギャラリー二人展初日。 朝一番に、夕刊デイリー新聞の取材。 ☆初日の今日はまずまずの来客。 日向市内の方たちは、金子メガネギャラリーを経て来られることが殆どである。 高鍋町からも、妻の絵の所有者夫妻が来ていただいた。 マグネットの売り上げはまずまず。 ☆夕刊デイリー新聞には大きく載せて貰った。 伊藤一彦先生は日向市の牧水記念館の館長であるし、青の国短歌大会や牧水短歌甲子園の短歌大会の審査委員長などされているので、日向市ではスーパースター である。 それで二人展の案内記事に、「MOON DROPS - 月の雫」の紹介や、公開対談の案内も載せていただいた。 新聞の効果は絶大なので、天気も良さそうな明日は多くの来客がありそうである。 ☆その公開対談に、また3名のキャンセルが出た。 コロナによる行事期日変更で、家族3名が来れなくなってしまった。 キャンセル待ちの方を1名繰り入れたが、2名の空席が出てしまった。 おそらくこれからもキャンセルが出ると思う。 申し込みのタイミングを逃してしまった方たちに連絡する方法を考えないと、勿体ない。 ☆私は今日はずっと、江川春江ギャラリーではパソコンに向って、長谷川櫂さんの「四季」私家版冊子のイラストレーターデータ作成をする。 何としても今日中には作業を終えたくて、帰宅しても夜中2時まで作業をしたが、残り1ページが終わらなかった。 ☆宮崎は今日で3日連続で、コロナ感染者は無し。 6月6日(日) ☆雲が多いながらも、青空の見える概ね晴天のいちにち。 気温は上がらず、朝夕はとても冷え込む。 ☆江川春江ギャラリー作品搬入。 作品の運搬と展示作業を佐々木美術にお願いする。 9時から車に積み込み、11時前から搬入。 彫刻を昨日搬入していて正解だった。 ☆平面作品の展示作業は佐々木美術と妻に任せて、私は彫刻作品の開梱と展示作業。 3時過ぎにはほぼ終了。 細かなレイアウト調整は明日の朝に廻す。 展示作品は私が彫刻13点、新作版画6点、未発表葉書絵7点の計26点。 妻が油彩画を中心に水彩と版画を合わせて26点の合計52点での展示。 なかなかいい空間になった。 ☆江川春江ギャラリーを出て、金子メガネ店へ寄る。 今日は日曜日だったので、妻の友人関係がかなり来ていただいていた。 ☆今日も宮崎のコロナ新規感染者は無し。 6月5日(土) ☆日中は時々小雨のぱらつく曇天。 夕刻からは雨。 ☆江川春江ギャラリーの搬入は明日だが、天候が不安定なので、今日の午前のうちに彫刻作品を搬入することにした。 作品は軽トラ一杯になった。 積み込む途中からパラパラと雨が落ちて来たので、シートで被い日向市へ。 やはり都農町の岩山を過ぎて日向市に這入るあたりから雨が降り始めたが、ギャラリーに着くころには止んでくれた。 無事に搬入が完了。 ☆搬入を終えて金子ギャラリーへ。 今日は妻が待機してくれていたので、お昼を一緒に摂る。 私は午後には高鍋へ戻ったが、私と入れ替わりにして午後は何人かの友人知人たちが来てくれたようだ。 ☆私は帰宅して、長谷川櫂さんの「四季」冊子の発注データ作成にかかる。 ようやく夕刻からイラストレーターでのデータ作成に取りかかったが、そこへ妻が差し入れのおおきな真鯛を持って帰ってきた。 ディナーに何かワインに合う鯛料理を作ってと言うが、私は今日中にイラストレーターの作業を終えておきたかったので、半ばパニックになってしまった。 夕食の時間になって来たので、イラストレーターの作業を止めて鯛を捌き始める。 しかしこんな大きな鯛など捌いたことも無いので、悪戦苦闘、クタクタに疲れてしまった。 捌いた鯛の刺身で”葉物野菜と刺身のホットナッツソース”を作るのが精いっぱい。 ☆公開対談のキャンセルが入った。 今日、ワクチンの接種に行ったら2回目の接種が公開対談の日になってしまい、泣く泣くキャンセルしなければならなくなったと言うこと。 ご夫妻での参加の予定だったので、キャンセル待ちの方を2名繰り入れることが出来た。 ☆知人が通っている病院の待合室の書架に、「MOON DROPS-月の雫」が置いてあるという写真がラインで届いた。 お医者さんか看護師の方が、この本の”浄化”の波動、癒しの力を感じて置いて下さったのだろう。 ☆今日は、宮崎でのコロナ感染者は久しぶりにゼロであった。 6月4日(金) ☆朝のうちは曇天気味。 午前のうちに雨になる。 ☆昼前に日向市へ。 金子メガネは、まだ新聞に載らないので二人展への来訪者は無し。 メガネ店自体のお客もわずか数人である。 ☆メガネ店滞在中はずっとパソコンでデスクワークをする。 長谷川櫂さんの「四季」の冊子の編集をやっていたら、冊子は中綴じなので1枚の紙に4ページ分を印刷して中綴じすることになり、冊子のページ数は4で割り切れる 数字になることに気付いた。 私が編集していた冊子は、長谷川さんの掲載が10日分なので、表紙と裏表紙をあわせての14ページの体裁であった。 つまりあと2ページを追加しないと発注できない事に気付いて、何を入れるかを伊藤先生と打ち合わせをする。 ☆日向市からの帰路は、またも眠くなり、”道の駅つの”の駐車場で小1時間ほど仮眠を取る。 ☆夜に、台湾の美立仁生から、日本に感謝と言うメッセンジャーが届いた。 日本が台湾へコロナワクチンを送ってくれたことへのお礼である。 ニュースでも、台湾の高層ビルの壁面に日本への感謝のメッセージが灯されていることが流れている。 台湾の人々はとても日本に対して友好的である。 美立仁生のおじいさんも、日本統治時代はとても平和だったと語っているという。 私も2度の台湾でのシンポジウム制作滞在で、台湾の人々が日本統治時代の文化をとても大切にしてくれていることを目のあたりにした。 それなのに、かつて故・江藤隆美国会議員が、日本は台湾ではいいこともしたと発言したことに、マスコミが猛攻撃したことがあった。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は4人。 一週間連続での一桁台である。 6月3日(木) ☆夜中から激しい雨。 強い雨は一日中続く。 ☆長谷川櫂さんの「四季」を冊子にするために、表紙と裏表紙の構成を考える。 ☆午後から宮崎市へ出る。 途中で”ギャラリーしんとみ”に立ち寄って、江川春江ギャラリーで使うブロック台座を4つ借りる。 そのまま宮崎市の出版社へ。 「MOON DROPS-月の雫」が増刷になったので、その著作料分の本を受け取りに行く。 やはり”6月10日 2刷発行”という奥付を見ると、増刷した実感が湧いてくる。 生れて初めて出版した本が増刷されるなんて、それも当初は短歌と彫刻の本なんて絶対売れないと身内からは極めて冷淡な反応しかなかった本が増刷されるなんて、 感無量である。 これもひとえに伊藤先生の力である。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は5人。 6月2日(水) ☆再び梅雨空に戻る。 朝に高鍋町を出るころから雨となり、次第に激しい雨となった。 しかし日向市に這入ると雨の気配は全く無い曇天。 都農町の岩山が天候の分岐点で、都農町までは大雨でも、岩山を越すと日向市は晴れていたり、その逆もよくある。 ☆今日から日向市の金子メガネ店での二人展が始まった。 今日は初日で、まだ新聞にも載って居ないので、二人展を観に来た人は関係者の一人のみ。 会期は1か月あるし、作品やマグネット、本の販売等は全て金子メガネが対応していただくので、行ける時に出かけるつもりで大丈夫である。 ☆日向市まで毎日通うのは、独身時代に日向市内の中学校に勤務していた時以来である。 車を運転していると、道中がどうしても眠くなってしまう。 今日も朝に日向市へ向かう時にすごく眠かったし、帰りは高鍋町に這入って坂本坂でとうとうふっと眠ってしまって山肌に激突寸前で目が醒めた。 そう言えば、日向市内の中学校に通勤していた時も運転中が眠くてたまらず、よく都農町の一の宮神社の駐車場で仮眠を取ったものだった。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は3名。 6月1日(火) ☆今日も好く晴れて蒸し暑い一日であった。 ☆昨日の彫刻作品の準備で腰を痛めて、朝のうちは腰が立たず。 石を運ぶ手押し台車を持っていたのを思い出し、朝一番にアンジェラスの森へ上がり、台車を持って帰る。 久し振りに里山を走ると、実に爽やかで気持ちが好い。 ☆金子メガネ特設ギャラリーでの二人展の搬入。 朝のうちに作品を車に積み込んで、妻を勤務先で拾って日向市へ。 ☆午後から展示作業。 思ったよりもスムーズに作業は進んだ。 展示した作品は”ギャラリーしんとみ”で展示した作品、そのままである。 会場がメガネ店の一部なので、もともとメガネの展示スペースだったところで、壁面にその名残の物が沢山あって、画廊と言う雰囲気ではない。 したがってありったけの作品を並べただけの品位の無い展示空間となったが、致し方ない。 妻と私の作品合わせて51点の展示である。 3時半には展示作業が終わった。 ☆展示作業中に宮崎日日新聞日向支局の取材。 ☆不思議で奇妙な出来事があった。 お昼をサンドイッチでも、と思って評判の店で買っていくつもりが店休日だった。 それならと細島の美味しいパン屋さんへ向ったら、店休日は水・木と表示してあるのに、なぜか店休日で閉まっていた。 金子メガネのすぐ近くにパン屋さんがあったのを思いだし、そこで店内で食べる事にした。 コーヒーを待っている間に、カウンターに立てかけてある新聞を手に取って見たら、その新聞は私たちの”ギャラリーしんとみ”の記事が開いてあった。 ビックリして、なぜこの新聞記事がここに在るんですか?とパン屋の女性オーナーに尋ねると、”私!私なんです!”という意味の分からない返答。 新聞を見なおすと、なんと私たちの記事のとなりにこのパン屋さんの記事が掲載されていた。 こんな偶然が在るのだ。 予定していたお店がたて続きに閉まっていたのも、どうしても私たちをこのパン屋に連れて来たかった不思議な力が働いていたとしか思えない。 この新聞の置き方は、まるで私たちが来る事を知っていて、待ち構えていたとしか思えなかった。 ☆福岡の女流歌人の藤野早苗さんという方から、「MOON DROPSー月の雫」のことをブログに上げたので、とフェイスブックの友だち申請が届いた。 連日、ありがたい。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は2人。 4日連続の一桁で、宮崎県内のいろんな規制が前倒しで解除されそうである。 おそらく26日の公開対談の時には、4人以内の会食規制は解除されて、公開対談の打ち上げは出来るのではないのか。 5月31日(月) ☆今日も良く晴れた一日。 明日までは晴れマークが続く。 ☆一日、二人展の準備。 午前に、ダイソーでマグネット展示関係の備品を調達。 ☆午後は江川春江ギャラリーで展示する彫刻作品のチェック作業。 この1年間、彫刻制作から離れているので体力がかなり落ちている。 重い物が持てなくなった。 昨年は秋の空港での作品展示の時に、搬出時にKAJIMAの模型入選の作品を抱え切れず、床に落下させて角を欠いてしまった。 今日も積み上げてあった作品の移動に体力がついて行かず、落下させてしまった。 そして作品の運搬自体にも体力がついて行かない。 以前は工場のシャッターを開けて、短距離で作品を軽トラに積むことが出来たが、いまはほとんどシャッターを開ける事がなくなり、シャッターは動かない。 したがって、重い石の作品を抱えて中庭を移動しなければならないので、すぐに腰を痛めてしまう。 ☆展示台は昔作ったアングルの台座が有るが、細過ぎて現在の石の作品の展示には合わないと判断。 思い切って展示は床に直置きにしてみようと思う。 床置きで作品を展示している彫刻仲間も居るので、思い切ってそうしてみよう。 ☆妻がネットを検索していたら、夕刊デイリーに公開対談の記事が載って居るという。 画面を観ると、25日付で掲載してくれたようだ。 ただ、私の連絡先が記載してないので、夕刊デイリーを見ての申込者は無かった。 一方、今日になって対談の申込者が有ったので、キャンセル待ちにしてもらった。 ☆伊藤先生から、島内景二氏からの、長谷川櫂氏「四季」への感想を記したメールを転送していただいた。 島内氏は、源氏物語研究の第一人者であり、「MOON DROPS―月の雫」のクーパーの英訳を絶賛された方である。 私の本がこんな広がりを持って来たのかと、感無量の内容である。 一部を抜粋する。 ” 田中さんの彫刻作品に触発された、なおかつ独立した文学作品である伊藤先生の短歌に触発されて、長谷川さんが「コラム=芸術的断章」を執筆する。 それに触発されて、読売新聞の写真部が、新たな写真作品を掲載する。 芸術的な「感興・感動」のバトンリレーが、無限に繰り返されています。 ここに、「創造と享受」の神秘が、起きます。 田中さんの作品は、このバトンリレーの原点であり、種子でもあります。 その種子を発芽させ、生育させ、開花させ、結実させることこそ、私たち、「優れた芸術に触れた享受者」の義務です。 新たな「種子」を受け取って、心の中に種を蒔き、新たな心の花を咲かせることこそ、私たち一般読者の仕事でしょう。 それだけでなく、長谷川さんとカメラマンの「創造的享受」を受けて、そもそもの原点である田中さんが、新たなコラムを書かれたことは、大きな意味を持ちます。 原点回帰、永遠回帰という意味ではなくて、田中さんの心の中で、「新たな種」が発芽するのではないでしょうか。 横浜市栄区の作品が、田中さんの教え子の女性の心に訴え続けていたという「偶然」は、必然のように思います。 田中さんと伊藤先生の、言わば「楕円的な二重焦点」の結実であった『月の雫』は、必ずや人々の心の中に沁み入り、大なり小なりの「心の種」を発芽させてくれる ことでしょう。” ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は4人。 5月30日(日) ☆梅雨の晴れ間の上天気。 ☆一日、二人展の準備。 会場が2会場なので、それぞれに必要な備品を振り分ける。 カンバッジとマグネットも、それぞれの会場の出品作品に対応したものに振り分ける。 やることが多くて、一日てんてこ舞い。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は1名のみ。 新規感染者が出ない県も出始めたようだ。 6月一杯はこのまま落ち着いて欲しいと願わずにはおれない。 一方で、インドより感染率の高くなったマレーシアは、1日から全土のロックダウンが始まる。 気の緩みからの感染再拡大となったようだ。 5月29日(土) ☆雲は多いものの、概ね晴天。 ☆二人展の準備。 DMの宛名の抜けていた分を書き足して、投函。 今回も会場でのアンケートに版画の小作品をプレゼントすることにしたので、版画をプリントアウトして額装する。 ☆午後半ばから妻のボーカルレッスン。 今日は6月12日に予定している、江川春江ギャラリーでのアフタヌーンコンサートのリハーサル。 ギャラリーがとても音の響く構造なので、サポートの照沼さんはフルートとギターで対応していただくことになった。 妻と私のコンサートに、フルートとギターが這入るのは初めてである。 そうしたら、ギターに合わせる私のハーモニカが、これまでに経験したことのない素晴らしい豊かな音色になった。 ちょっとしたミスや雑音は混じったが、とても気持ちよく吹けた。 妻もすごく気持ちよさそうにスイングして歌っていた。 ☆コーヒーブレイクでの談笑の中で、照沼さんはわが家のリビングで弾くギターの音色がとても柔らかく響くという。 新建材を使っていない木造の空間での音の響きがすごく好くて、音楽をやるために設計したのかとさえ言われる。 こんなに音の響きの好い空間のある家は無いという。 私と妻は、別に音楽をやる積りでこの家の構造を考えたわけではないが、私たち家族にとって気持よく過ごせる空間を考えた結果が、音楽空間にも最適な空間になった ということは、とても嬉しいことだ。 私も妻もこの家を建てて良かったと、つくづく感じた。 ☆照沼さんも演奏をしたことのあるSAKAバーが、最近、我が家の目の前に移転してきたので、みんなで顔を出す。 この頃、高鍋町の昔の中心地であった八坂神社と火産霊神社にはさまれた区域が、空き家の利活用を図る高鍋町のまちづくり会社の発足によって、古民家の リノベーションが進んでおり、町の中心が再び昔の町並みに戻りつつある。 それを意識して移転した訳ではないが、とSAKAバーのオーナーは言うが、相乗効果は生れてくる。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は7名。 夕食後に便秘らしい症状でトイレに籠ったきり、激しい腹痛に襲われた。 トイレを出た後はリビングの床で耐え難い激痛に悶絶してしまった。 ふっと、宮崎県で初めてコロナワクチン接種後に亡くなった方が、接種3日後に腹痛で入院し、その数日後に亡くなったことを思いだし、不安になった。 しかししばらくは床の上で七転八倒していたが、そのうち収まってくれたので、安心する。 5月28日(金) ☆午前は曇天。 昼前から天候は恢復して青空が広がる。 ひんやりした一日。 ☆起き抜けから、ワクチンを接種した左肩が痛い。 洗濯物を干すのにも腕が上がらず困った。 この肩の痛さが、ワクチンの作用の特徴なのだろう、接種は利き腕ではない方の肩に接種する。 ☆一日、二人展の準備。 DMの宛名書きをして投函。 今回は日向市なので、宮崎市方面からの来訪は見込めないので、県北の方を中心に案内する。 そして先日中断した各会場のポスターを作成。 今日はイラストレーターもきちんと働いてくれた。 ☆マレーシアのコロナ感染がインド以上に激しいというニュースに心が痛む。 最近、暑くなってきて、昨日もワクチン接種の順番を待って外で涼しい風に吹かれていたら、いきおいマレーシアに戻りたいと思った。 イポーの美味しいチキンライスやタウゲ(イポー独特の短いもやし)が食べたくてたまらない。 そのマレーシアが、人口比ではインドよりもコロナ感染率が高いのだという。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は11人で落ちついて来ている。 しかし宮崎県の緊急事態宣言は31日で解除になっても、当分は県内での会食は4人以下、2時間以内に制限されるのだという。 この会食制限は宮崎市と、都城地域だけだと思っていたが、そうではないらしい。 そうなると、公開対談後の打ち上げもできなくなる。 5月27日(木) ☆朝のうちは雷混じりの激しい雨。 昼前にはカラリと青空が広がる。 午後は再び雲が出て曇天となり、夜には雨。 ☆午前は二人展の作品キャプションのチェック。 不足分を作り足す。 ☆午後は2時からコロナワクチンの1回目の接種。 高鍋町健康づくりセンターで受ける。 今のところは何も異常は無い。 しかし、今日になって、宮崎県でワクチン接種後に基礎疾患のあった60歳代の女性が亡くなっていたことが判明した、というニュースが流れた。 命を守るために受けたワクチンで命を落とすなんて。 2回目の接種は6月17日。 ☆”タウンみやざき”6月号が届いた。 公開対談の案内を掲載して貰ったのだが、残念ながら発売前(今日が発売日)の昨日で満席になってしまった。 今日も複数の申し込みがあったが、キャンセル待ちにしてもらった。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は6人。 6月一杯はこのまま落ち着いて欲しい。 宮崎県の緊急事態宣言も予定通りに31日で終了するようだ。 5月26日(水) ☆午前は晴れ間の見える曇天。 午後から小雨模様となり、夜に這入って雨となる。 ☆午前は、6月の江川春江ギャラリーでの出品作品のキャプションを作成する。 ☆午後は高鍋町美術館にて、令和3年度の第1回高鍋町美術館協議会。 美術館は閉鎖中だが、協議会は問題ないということで予定通りに開催された。 新年度になったので、協議会委員の任用委嘱状の交付が行われた。 今年度からは、美術館協議会委員は同時に高鍋町美術館美術作品等収集審査委員会委員も兼ねることになった。 役員も改選され、私は会長に留任。副会長が新任となる。 協議内容は令和2年度の事業報告だったが、その他の協議に這入って、美術館の閉鎖の基準についてや教育現場への美術教育への提言など、活発な意見が 出された。 こんなに本来の美術館協議会らしい建設的な意見が出されたのは、初めてではなかったか。 ☆会議後に、公開対談の諸打合せをする。 ☆伊藤先生から、現代短歌・南の会の会誌「梁」の100号が届く。 「梁」は1978年(昭和53年)の8月に創刊されて、今年で43年になるという。 私が伊藤先生から、私のことを歌った「炬火」が掲載された「梁」第3号を送られてきたのは1979年3月のことだったので、その「梁」3号への返歌が今回の本の 出版となったのだから、私が返歌を返すまでの時間と「梁」が100号を出すまでの期間がほぼ同じだったと言うことになる。 私も伊藤先生に乞われて、「梁」の44号、45号、46号にエッセイを書かせてもらった。 それが縁で、宮崎日日新聞文化欄の「風紋」にもエッセイを連載させていただいた。 ☆伊藤先生からは、「うた新聞」5月号に掲載された「MOON DROPSー月の雫」書評のコピーも同封してもらった。 河田育子さんのその書評では「稀有なコラボレーション」と題して、”こんなコラボレーションは、滅多にお目にかかれないだろう。”と書いていただいた。 とても魅力的な書評である。 ☆「MOON DROPSー月の雫」の増刷は360部となった。 増刷になると、私たち著者への出版社からの著作権料の支払いが生じるのだそうである。 ☆6月26日の公開対談への予約は、今夜のメールによる申し込みで満席となった。 有り難い。 ぜひ内容のある対談にしたい。 対談の名手である伊藤先生と、黒木・高鍋町長とのユニークな絡みで、絶対に面白い対談になることは必至である。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は10人。 5月25日(火) ☆雲は多かったものの、概ね爽やかな晴れ。 朝夕はまだ肌寒くて冷え込むが、日中は気温は上昇。 ☆一日、6月の二人展の諸準備。 会場が2会場なので、それぞれの会場の掲示ポスターを作成しなければならないのだが、イラストレーターがうまく使いこなせない。 その他、作品キャプションのチェックなど。 ☆公開対談は残席2名。 対談は1カ月後なので何人か直前のキャンセルが出るだろうから、複数名はキャンセル待ちを受け付けていた方が好いだろう。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者はふたたび二桁台の17人。 5月24日(月) ☆午前は本格的な雨。 午後からは雨脚は弱まる。 冷え冷えの一日。 ☆午前は高鍋自動車学校で、運転免許証の高齢者講習。 最初に指導員が同乗しての車の運転。 特に問題は無し。 次に器材を使っての動体視力測定、夜間視力測定、そして視野測定。 動体視力は評価は3で普通。 しかし、夜間視力は全然判定が出来ず、要注意のC判定。 2時間の講習で、高齢者講習終了証明書が発行された。 免許更新時にこの証明書が必要となる。 ☆午後は二人展の準備作業。 ☆公開対談は今日の申し込みで、残りが4席になった。 ここ1,2日で満席になりそうである。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は5人で、28日ぶりの一桁台であった。 5月23日(日) ☆快晴の爽やかな気候。 朝のうちはとても肌寒いが、次第に気温は上昇して、午後は汗ばむ暑さとなった。 夕刻からは再び冷え込む。 ☆午前は妻と一緒に、6月の二人展のDMを高鍋町内の知人宅の郵便受けに届けて廻る。 昼前に、自宅が解らなかった某夫妻のお宅に連絡を入れて、お茶に呼ばれる。 ☆午後は庭の手入れ。 撤去した筈の蔦がまた伸びて来ていたので、広がらないうちに撤去。 まだ土の中に細い蔦の茎が生きているようだ。 そして浴室外庭の筍も伸び放題になって来ていたので、撤去。 午後後半は、庭の草を芝刈り機で刈る。 ☆今日は公開対談の申し込みは無し。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は11人であった。 このまま収まって欲しいが、お隣の鹿児島県ではとうとうインド変異株が見つかったというから、第5波の到来も懸念される。 とまれ、二人展と公開対談を予定している6月中は安定して欲しい。 5月22日(土) ☆午前は曇天。 すごく冷え込む。 午後から天候が回復して晴れ、気温も上昇。 夕刻からは再び肌寒くなる。 ☆昼前から妻と日向市へ。 江川春江ギャラリーで二人展搬入等の打ち合わせをした後、小倉が浜で潮風の中で持参の弁当でお昼を摂る。 午後から、市内の関係先を廻り二人展のDMを預ける。 夕刊デイリーに取材依頼の申し込みし、宮崎日日新聞日向支局にもDMを届ける。 最後に金子メガネギャラリーで搬入等の打ち合わせをする。 ☆夕刻に高鍋に戻ると、新築工事中の高鍋信用金庫本店に、工事で仮置きしてあった林宏氏の”あかりオブジェ”の本設置工事が行われていた。 九州電力が電気配線の工事もしていた。 自宅へ帰るや、カメラを抱えて現場へ行き、写真を撮る。 ところがパソコンで写真を拡大してみたら、”あかりオブジェ”の前にポール照明が立っているのに気付いた。 ”あかりオブジェ”の前にさらに照明設備を設置するなんて、どういうことなのだろう。 この”あかりオブジェ”に関しては、仮置きの時も、今回の本設置の時にも私には何の連絡も無かった。 ☆公開対談の申し込みが今日も相次いで、今日で95名の予約となり、残席は13席となった。 今日は全員が新聞を見ての申込者で、書店で本を求めて直ぐに電話をくださった方もおられた。 伊藤先生は日向市の牧水記念館の館長をされていたり、日向市主催の青の國若山牧水短歌大会等の審査委員長もされているので、今日の午後に夕刊デイリーを 訪ねた時に、公開対談の案内の掲載もお願いした。 もう残席が余り無いので、早目の掲載をお願いしたのだが、微妙な処である。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は20人。 宮崎市が12人、都城市が4人、延岡市、小林市、三股町、都農町が各1人。 少しずつ、落ち着いて来ているのか。 5月21日(金) ☆朝のうちまで雨。 日中は雨は上がるが、午後からは小雨状態。 夕刻からは肌寒く冷え込んでくる。 ☆今日の宮崎日日新聞地域欄に、公開対談の案内を掲載していただいた。 やはり新聞記事の効果は大きく、今日は新聞を見て、という申し込みが多かった。 今日で申込者が88名となり、残席は20名となった。 朝一番にお電話をいただいた方は、MRTテレビ”わけもん!”を観て感動され、直ぐに本を買われ、遠方の息子さんにも本を送られたという方で、ご夫妻と娘さんとの 家族3人で申し込んでいただいた。 また、宮崎日日新聞「窓」に投稿していただいた方からも申し込みがあった。 ☆”ギャラリーしんとみ”で知り合った方が「MOON DROPSー月の雫」を買いたいと言われたので、今日は”ギャラリーしんとみ”に公開対談のリーフレットと日向の二人展の 訂正DMを届ける予定だったので、ついでに本も届けることにしていた。 ところが彼女は、新富町の”きらり”で堀内景子さんの書道講座を受講していて、新富町の公共施設はコロナの緊急事態宣言で閉鎖になっているので、今日の午前は 高鍋町の堀内さんの自宅で講座が開かれるという。 それなら帰りに我が家に寄ったらと案内したところ、午後に講師の堀内さん含め教室生6名の女性陣が大挙して我が家を訪問。 しばし、賑やかな歓談となった。 ☆彼女たちが帰られた後、私は後を追うように”ギャラリーしんとみ”へ公開対談のリーフレットと二人展のDMを届ける。 やはり今回は緊急事態宣言が出てもギャラリーは閉めないと言うことであった。 ☆夕刻に本の注文が這入る。 公開対談の案内を送っていたが、遠方からは来れないので、本だけ送って欲しいということ。 この方も2度目の注文で、友人たちに送ると言うことで、レターパックで2冊送る。 ☆今日の宮崎のコロナの新規感染者は15人。 10人台になったのは久し振りのようだ。 宮崎市が9人、都城市と西都市が各2人、小林市と高鍋町が各1名。 高鍋町の方は、これまでの感染者の関係者で経路ははっきりしている。 このまま拡大せずに推移して欲しい。 5月20日(木) ☆午前は雷混じりの強い雨。 熊本方面は大雨だったようで、JRは都城から先は大雨で運休となっていた。 午後には雨脚は止まったが、夜になって再び激しく降る。 夜は蒸し暑くなる。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 6月の江川春江ギャラリーでの二人展で予定しているアフタヌーンコンサートのリハーサル。 私もハーモニカでジョイント。 ☆公開対談は今日は10名ほどの申し込みがあり、70名を超えた。 本の出版社からも社長以下5名が来ていただくことになった。 社長も公開対談の場で、この本の大きな反響を直に体感していただけるだろう。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は37名で、6日ぶりに30名を超えた。 まだまだ予断はできない。 5月19日(水) ☆午前は雨。 午後からは雨脚は止む。 ☆一日、デスクワーク。 所用で過去のデータ整理。 ☆公開対談の申し込みは、今日は数人に留まった。 郵送案内によるダイレクトな反応は一段落したのかもしれない。 それにまだ対談日が一カ月以上先なので、予定の立たない方も多いのかもしれない。 ☆読売新聞「四季」担当の俳人・長谷川櫂氏から、先日に私のコメントを入れた小冊子を送っていたことへの礼状が届いた。 大らかな文字で記された葉書きは、雨に濡れて届いた。 ”伊藤先生初担任の高校一年先(生?)。まさに兄弟という感じですね。すてきな冊子にして頂き、感銘、末長く保存します。コロナものともせず石を彫ってください。” 冊子に感銘を受けたとあり、喜んでいただきとても嬉しい。 ちなみに伊藤先生は教科担当であり、クラス担任ではない。 ☆印刷直しで注文していた、6月の日向市での二人展DMが届く。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は20人。 宮崎市が11人、都城市が4人、日向市が2人、西都市、高鍋町、福岡県が各1名。 日向市と高鍋町の感染は、これまでの感染者の友人と家族ということで経路がはっきりしているので安心だ。 5月18日(火) ☆午前中は激しい雨。 午後には雨も上がり、後半は晴れる。 しかし夜に這入って再び雨。 ☆公開対談の私への申し込みは60名を超えた。 伊藤先生の短歌会の方たちも私の方へ連絡が来る事になって居るらしいが、今日現在ではまだ数名である。 数日中にホールの定員に達する気配なので、高鍋町美術館に問い合わせて、座席の指定108人以外に、関係者の席が会場内に確保できるかの確認をする。 その辺りを明確にさせて、予約受け入れ数を確実に把握しておかなければならないからである。 関係者は13名までは這入れるということなので、純粋に一般の方を108名受け入れることが出来る。 ☆今日はとても嬉しいことがあった。 よく知った方が「MOON DROPSー月の雫」を買いに来られたのだが、実は彼はしばらく病の床に在って、入院手術をされた時にMRTテレビ”わけもん!”を観ておられて、 画面に映った「MOON DROPSー月の雫」からとてつもない波動を感じられ、どうしても本が欲しいと思っておられたという。 そこへ、昨日になって今回の公開対談のリーフレットを見られ、私から買えることに気付かれて電話をして来られたとのこと。 気功師の丸山先生がすごい浄化のエネルギーを感じられたという話をすると、やはり彼も同じようなもの凄いエネルギーを感じたのだという。 この「MOON DROPSー月の雫」を手に取った方たちからは、同じような感想を聞くことが多い。 病床にある方が毎晩本を開いて癒されているというお話を、幾人かの方たちからお聞きした。 それで知人たちに配るために1人で何冊も追加で購入していただく方が多い。 中には次々に8冊も追加購入して下さった方もいる。 この「MOON DROPSー月の雫」は、そういう不思議な力を持っているようだ。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は27人。 宮崎市15人、都城市6人、西都市と三股町が各2人、日向市と綾町が各1人。 またワクチンの接種を済ませた医療関係の方がコロナ陽性になったことも報告された。 インフルエンザでも予防接種をしてもインフルエンザにかかることがあるので、海外のようにワクチンを接種した人はマスクを外してこれまでのように自由に振舞える というのは、すごく危険な気がする。 5月17日(月) ☆晴れたかと思うと急などしゃ降りの繰り返し。 雨が止んだタイミングで外出すると急な大雨に襲われて、何度も全身びしょ濡れとなる。 日中は蒸し暑かったが、夕刻からは涼しくなる。 ☆今日も一日、デスクワーク。 公開対談のリーフレットの送付作業の残り。 ☆公開対談への申し込みは私への連絡分が今日で46名。 これに伊藤先生の指導される短歌会の分を加算すると、残りの席は30〜40となる。 これでは数日中には席が埋まってしまいそうなので、来そうな人たちにはラインや電話で確認を取る。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は28人。 宮崎市が20人、都城市が5人、三股町が2人に綾町が1人。 新しいクラスターが3か所発生している。 5月16日(日) ☆梅雨の晴れ間の晴天で、気温が急上昇。 強い熱風も吹き荒れて、フェーン現象のような真夏の蒸し暑さ。 宮崎市では国内最高気温の32,7度。 高鍋町も30,7度の真夏日。 ☆今日も一日、公開対談のリーフレット発送準備。 今日ですでに私への参加申し込みが30数名。 それに伊藤先生の短歌会確保分を合わせると、もう定員108名の半分の席は埋まってしまった。 リーフレットの案内が1日でも遅くなると、申し込みが間に合わなくなる恐れが出て来たので、明日には皆さんに届くように今日の郵便局の引き受け最終時刻15時に 間に合うように投函。 まだ一般広報前である。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は20人。 宮崎市が12人、都城市、綾町が各2人。西都市、小林市、五ヶ瀬町、高原町が各1人。 少しずつ収まりつつあるか。 5月15日(土) ☆一日雨。 午前は遠雷。 夕刻からはどしゃ降りとなる。 ☆一日、公開対談のリーフレット発送準備。 今日宛名書きをした方たちは、私の本を買っていただいた人ばかりである。 これから一般への広報をどうしてゆくか。 ☆公開対談へのFAXでの返事が届き始めた。 ところが今日FAXを送られた方たちはラインをされて居る方ばかりで、FAXをする必要のない方たちである。 電話やネットでの返信が出来ない方たちのために、FAX送信表をリーフレットに付けたのだが、逆に申し込みはFAXでしなければならないという誤解を与えたのかも しれない。 ただ、FAXで返事して下さった方はいずれも伊藤先生の対談集の注文をしてくださった。 FAXのほうが本の注文がしやすいということだろうか。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は28人。 宮崎市が23人。都城市、国富町が各2人。高原町が1名。 少し落ちついて来ているのか。 5月14日(金) ☆朝のうちは曇天。 直に雨となる。 雨は小降り。 ☆一日、公開対談のリーフレットの発送作業。 郵送が終わったら、一般に広報したい。 ☆夕刻に公開対談のリーフレットを届けに、黒木・高鍋町長を町長室に訪ねる。 そうしたら、黒木町長はすでにこの公開対談のことに気持ちが相当入れ込んでおられて、公開対談の展開の構想の下書きを5枚も書いておられた。 まだメモ書きの半分しか進んでいないということだったが、私が言葉を挟む隙間もないくらいに町長は公開対談についての想いを熱弁された。 企画プロデュース力の高い町長は、会場が盛り上がる演出まで色々考えていただいていた。 町長は、このコロナ禍の今の状況の中で、対談を”勇気と希望の対談”と捉え、公開対談に来て頂いた皆さんに勇気と希望を抱いて帰っていただくものにしたい、 ということである。 面白くなりそうである。 ☆町長室から帰宅すると、伊藤先生よりお電話。 昨日送っていた長谷川櫂さんの「四季」と私のコメントと彫刻作品画像の冊子が届いて、”素晴らしい!”と感激されていた。 是非、公開対談の会場で皆さんに配布したいし、キチンと冊子になった物を見てみたい、ということであった。 今しがたの町長との打ち合わせの内容も伝えると、半ば興奮気味の伊藤先生であった。 面白い対談なりそうである。 ☆夜遅くに、読売新聞の知的財産の担当者から、記事使用の許可のメールが届いた。 長谷川さんからは、写真部の方がすでに承諾を得ているということである。 これで記事使用料の支払いを済ませば、冊子の制作に掛かれる。 ホッチキス留めの冊子は単に見本のたたき台的な物だったので、原稿をしっかり作り直して印刷製本しよう。 公開対談が楽しみになってきた。 コロナで中止にならないことを切に望む。 ☆宮崎の今日のコロナ新規感染確認者は30人。 宮崎市が22人。 都城市が2人。小林市、日向市、西都市、高鍋町、新富町、門川町が各1名。 この感染確認者数は、昨日に感染が判明した人の結果公表なので、高鍋町はすでに昨日に小学生の感染が解っていて、小学校は今日は休校になった。 所用で小学校の傍らを通ると、雨の中の小学校の佇まいはもぬけの殻状態であった。 しかし県全体の感染者数は少しずつ減って来ている気がする。 緊急事態宣言が効果が出て、宣言が31日までで終る様に祈りたい。 5月13日(木) ☆曇天の一日。 夕刻からは肌寒くなってくる。 ☆昨日に伊藤先生から要望のあった長谷川櫂さんの「四季」と私のコメント、それに私の彫刻写真を入れた一覧を作成。 それをホッチキス留めの冊子にして、伊藤先生と長谷川さんに送付。 ☆この冊子を公開対談の資料テキストとして使えないか、伊藤先生に相談すると、使えたら好い、とのお返事だった。 それで読売新聞に問い合わせて、知的財産担当への記事利用の申請をする。 記事使用料の支払い等を済ませて許可が降りれば、公開対談の会場で来場者の皆さんに配布できる。 近所に公開対談のリーフレットを配りながら、この出来たてのホッチキス留めの冊子を見せたら、こういうものが欲しかった、という反応であった。 「MOON DROPSー月の雫」の英訳も、最初は簡単な冊子で海外発送分に添えよう、という単純な発想だったのが、結果的に本にきちんと収まり、高い評価を得た。 この「四季」のテキストも、面白い展開になると楽しい。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は37人。 宮崎市が27人、延岡市、西都市が各2人。都城市、えびの市、門川町が各1名。大阪府、鹿児島県、熊本県が各1名。 日向市からは拡大していないようでほっとする。 5月12日(水) ☆夜中から強い雨。 強い雨は一日中続く。 ☆一日、デスクワーク。 公開対談などの資料作成。 公開対談の2部に出席してくれる同級生たちに、「MOON DROPSー月の雫」の書評や長谷川さんの「四季」のコピー等をまとめて送る。 ☆伊藤先生からお電話があり、昨日送って置いた私のコメント付きの長谷川さんの「四季」一覧に感激していただいた。 私のコメントが素晴らしいので、是非、長谷川さんにも送って欲しいと言うことだし、伊藤先生ももっとコピーが欲しいと言うことである。 さらに、この一覧に私の彫刻の画像も入れて欲しいと言うこと。 ちょっとやってみよう。 ☆少しずつ、公開対談の案内をし始めているのだが、案内をした方たちからはほぼ全員が参加希望の返事が返って来ている。 もう少し高校同窓生を中心にした案内を済ませて、一般に広報したい。 おそらくあっという間に108席は予約で埋まってしまいそう。 ☆注文していたマグネットが届いた。 私の分は海外の設置作品を3点マグネットにしたが、すごくいい。 ☆夕刻に本の注文が入り、レターパックで送る。 まだまだ売れる。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は40人。 宮崎市が24人でクラスターが発生。 日向市が5人、延岡市、都城市が各4人、西都市、高鍋町、新富町が各1人。 日向市では警察官が市内の飲食店でコロナに感染している。 日向市でこれ以上は広がらないでほしい。 5月11日(火) ☆午前は晴れ。 午後からは曇天となり、夕刻から雨。 明日からずっと雨の予報で、厭な感じがしていたのだが、やはり南九州は今日から梅雨入りした。 例年より19日早く、統計を取り始めてから2番目の早さだと言う。 余りにも早い。 ☆読売新聞「四季」10日目。最終回。 ”分かれたる半身と半身が引きあへる見えぬ力に世界は動く 伊藤一彦 人はなぜ愛し合うか。プラトンはいった。頭が二つ手足が四本づつあった人間が二つに引き裂かれた。その失われた片割れを求め合う、これが愛であると。 東西冷戦後、チェコに据えられた和合の巨石。『MOON DROPS 月の雫』から。” ☆今日は、チェコに設置した私の作品を詠まれた伊藤先生の歌。 何を隠そう、このプラトンの「饗宴」に出てくるアリストパネスの語る恋愛論こそ、私たちが伊藤先生の授業で”教わった”ことなのである。 こんな愉快な話が次々に出てくる伊藤先生の授業が楽しくない訳がない。 そしてつい先日は、私の大学の後輩が結婚式での新郎新婦への餞に、伊藤先生のこの歌を贈ったという嬉しい報告も届いた。 長谷川さんの最終回、いよいよ長谷川さんも青春時代を共有した恩師に思えてきた。 この長谷川さんの連載によって、私の本を買っていただいていた方たちは、本の世界がさらに深く広くなり、とても高い精神的な昂揚を味わっていただいたようだ。 ☆高鍋町のコロナワクチン接種が、今日から一気に集団接種の大々的な予約が始まった。 9時から予約受付だったので、9時前からパソコンの前に張り付いて、9時になってネットで予約した。 無事に5月27日の予約が取れた。 しかし、多くの高齢者はネットでの予約などできないだろう。 割り当て番号やパスワード、メールアドレスを入力しなければならないし、さらにメールアドレスに届いたリンク先からの予約作業がある。 こういう作業を高齢者が出来るだろうか、ましてやメールアドレスなど持たない高齢者が殆どではないのか。 電話ではなかなか繋がらないだろうからネットでの予約にしたのだが、やはり電話は何度コールしても繋がらないようだ。 ☆高鍋町美術館が緊急事態宣言の発令によって、31日まで閉鎖になった。 これまでいくらコロナが拡大しても美術館は閉鎖しなかったのに、発令と同時に宮崎県立美術館が閉鎖になったので気になっていたのだが、高鍋町美術館も同様の 対応となった。 ニュースを見ると、国立美術館も閉鎖となり、萩生田文部科学相が美術館は最も感染リスクの少ない施設だと怒っている。 私は公開対談のチラシもできたので、高鍋町美術館と細かな打合せを進めようと思っていたのだが、照会すると私も美術館には立ち入れないと言うこと。 コロナ感染の状況によっては宣言延長の可能性もあり、いよいよ6月の公開対談も予断を許されない状況になって来た。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は53人。 宮崎市が44人。延岡市4人。都城市、西都市、高千穂町、高鍋町、国富町が各1人。 宮崎市と西都市では新たなクラスターが発生している。 5月10日(月) ☆晴れ。 気温は昨日より低く、室内は肌寒かった。 ☆読売新聞、「四季」掲載9日目。 ”いにしへの人のこころの熱かりき再生の夢託したる船 伊藤一彦 石は地球の記憶。石を彫ることは地球の記憶を彫ることにちがいない。一方、詩歌は人類の記憶を蘇らせる。言葉は人類の記憶のチップだから。この歌が 蘇らせるのは歳月に埋もれたノアの方舟の神話。『MOON DROPS 月の雫』から。” ☆ 今日は、高鍋町の持田古墳・石舟塚の墳頂にあった舟形石棺の内側に塗られていたベンガラをヒントに制作した作品を、伊藤先生が詠まれた歌である。 石舟から生まれた作品なので、伊藤先生は私の作品自体を”再生の夢託したる船”と表現されたが、なんと長谷川さんによって持田古墳とノアの方舟が繋がって しまった。 なお、この作品は高鍋町美術館の収蔵作品として、現在開催中の常設展「アートから見る高鍋ヒストリー」に展示されている。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は43人。 宮崎市が31人で、専門学校のクラスターが発生。 延岡市、西都市が各3人。都城市が2名で、都城市は連休中の帰省でクラスターが発生。 高千穂町、門川町、新富町、広島が各1名。 5月9日(日) ☆雨上がりの上天気。 黄砂で山々は霞んでいるが、快晴で気温はぐんぐん上昇。 宮崎県内は4地点で30度以上の真夏日となった。 室内でも半袖下着で気持ち好かった。 ☆読売新聞、「四季」掲載8日目。 ”先の世のいかなる人が一本の大なる石となり立ちたまふ 伊藤一彦 宮崎県日向岬。太平洋に向って立つ三メートルの巨石。南大平洋イースター島のモアイを思い起こさせる。遠い昔、アフリカを旅立った人類は太平洋にたどり着いた。 そのときのように海を見つめて。『MOON DROPS 月の雫』から。” ☆今日は、日向現代彫刻展大賞を受賞した作品で、日向岬グリーンパークに建つ私の彫刻を伊藤先生が詠まれた歌。 伊藤先生もこの彫刻は直接見ておられる。 つい先日も、私は妻やお世話になっているミュージシャンたちと一緒にグリーンパークを訪れた。 この日も碧い太平洋を背に、私の彫刻は清々しく屹立していた。 しかし、長谷川さんは”立ちたまふ”壮大なモアイを想われた。 ☆天気が好いので、午前にプランターの植え替えをする。 土を捨てに、久し振り(今年初めて?)にアンジェラスの森へ上がる。 道中の新緑の里山を走るのが、実に気持ちが好い。 アンジェラスの森もそれほど荒れていなかった。 草ぼうぼうになるのはこれからだろう。 実は、去年の6月からアンジェラスの森で作業をしていないので、電気代の請求が無かった。 ところが、先月に突然引き落としの案内が来た。 誰か勝手にブレーカーを上げて、電気を使っているのではないかと思ったが、作業場には外にはコンセントの差込口は無いので、調べてみたが誰かが倉庫の中に 這入った気配も無かった。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は36人。 宮崎市が34人で、日向と門川が各1人。 今日から今月31日まで、宮崎県は独自の緊急事態宣言が出された。 飲食店の時短要請は宮崎市だけだが、全県民に往来の自粛が求められる。 特に感染の激しい宮崎市への往来は「慎重な判断」が求められる。 これまで閉鎖しなかった県立美術館も閉鎖することになり、県内の多くの公共施設が閉鎖になる。 そうなると当然、当初明日から予定していた日向市の江川春江ギャラリーでの二人展は開催出来なかったし、6月に延期した二人展のDMをあちこち届けることも ままならないことになってきた。 5月8日(土) ☆朝のうちは陽が射していたが、昼前から曇天となり、夕刻から雨。 気温は上がらず。 ☆読売新聞、「四季」掲載7日目。 ”かなしみは秘めて語るな目にしみるアメリカのブルー日本の青 伊藤一彦 アメリカ東海岸メーン州ブルーヒル。信号機もコンビニもない町。その海岸に田中等の彫った彫刻「The window of the sea wind」が立つ。大きな円形の石がくり抜いて あって青い海風が吹き抜ける。『MOON DROPS 月の雫』から。” ☆ 今日は私のアメリカ・ブルーヒルに設置してある作品を、伊藤先生が詠まれた歌。 このブルー・ヒルの作品は、私の作品の中で最も地域のコミュニティーの皆さんに愛されている作品である。 このブルー・ヒルには、あの”ピーター・ポール&マリー”のポール・ストゥーキー(Noel Paul Stookey)が住んでいる。 ある日、ポールからメッセージ付きのCDが送られてきた。 ”Hitoshi San In hopes what we shall one day meet....in thanks for your contribution to our Blue Hill" ☆なんだかこうやってパソコンの画面で「四季」の伊藤先生の歌を読み直すと、本で読んでいた時には気付かなかった意味がズンズンと来る。 「MOON DROPSー月の雫」を購入していただいた方たちも、この長谷川さんの「四季」を読んで本を開き直し、さらに深い余韻を味わっておられるようだ。 ☆”ピーター・ポール&マリー”は私たちの世代以下はあまり知らないようで、飲み屋で自慢しても、みんな?となり、盛り上がらない。 今日のフェイスブックの投稿も、これまでで一番”いいね”が少なかったのも、多くの人が内容のビッグさを感じることが出来なかったのだろう。 HP訪問者は、今日は初めての訪問者が64名あった。 新聞の影響力は大きい。 ☆その読売新聞から、これまでの5回掲載分の新聞が送ってきた。 資料としては、切り抜く前の新聞が貴重なので、助かる。 ☆一昨日に発注した公開対談のリーフレットが、もう午後に届いた。 これは資料を大量に準備する時は、カラーコピーより断然、印刷したほうがべらぼうに安い。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は過去2番目の感染者数62人となった。 宮崎市が46人で新たに飲食店のクラスターが発生している。 そして、都城市と新富町が各3人、延岡市、日向市が各2人、えびの市、日南市、西都市、高鍋町、福岡県、広島県、沖縄県が各1名。 一気に県内各地に広がってきた。 九州各県も過去最大の感染者数となっている。 河野・宮崎県知事は、明日にでも県独自の緊急事態宣言を発令する意向を示した。 6月の日向での二人展と公開対談に影響が出ずに収まることを願いたい。 5月7日(金) ☆午前は本格的な雨。 冷え込む。 午後からは雨は上がる。 ☆やはり、今日も洗った後のワイングラスが、何のはずみか、カッパリ割れてしまった。 特段、落としたりぶつけたわけでもない。 カウンターのテーブルクロスの上に置いただけである。 ☆読売新聞、「四季」掲載6日目。 ”災厄のごとき若さの過ぎてなほ苦しむ君をわれ如何せん 伊藤一彦 伊藤と田中等は六歳差。師弟といっても兄弟のような関係だろう。この歌に感じられるのもそれ。ひとり苦悩する弟を見守る兄。ただし何の手出しもしない。自分で悩みぬく しかないと知っているから。『MOON DROPS 月の雫』から。” ☆添えられた写真は林の中にぽつねんとあるベンチ。 今日の伊藤先生の短歌も、私が”まえがき”に記載した歌である。 42年前、私が30歳の時に伊藤先生から贈られた歌である。 これらの歌への返歌が、今回の本の出版となった。 長谷川櫂さんは、この本のテーマが、私と伊藤先生との心の交流の姿と解されたのであろう。 私の彫刻作品を詠まれた伊藤先生の短歌の世界よりも、”若き田中等の苦悩”をじっと見守られてきた伊藤先生の存在が、この本の出版として結実したことへの共感が強く 感じられる。 添えられたベンチの写真がそのことを象徴している。 ☆午後に「MOON DROPSー月の雫」編集担当の水元さんから、嬉しい知らせが届いた。 出版社からの連絡で、増刷が決まったということ。 当初は、彫刻と短歌の本なんて興味を持つ人なんかいない、そんな本は誰も買わないし絶対に売れない、と冷たい反応しか示してくれない人たちが居た。 しかし、実際は多くの人たちの心に届く本となり、増刷となった。 彫刻+短歌ではなく、彫刻×短歌の本だからである。 伊藤先生のネームバリューに負うところはもちろん大きいが、支援して買っていただいたみなさんのお蔭である。 心から感謝します。 ☆伊藤先生からのお電話でも、長谷川さんの解説が伊藤先生が私の彫刻作品を詠んだ歌ではなく、私が「まえがき」に記載した歌を採用されていることについて、私と 伊藤先生の関係に長谷川さんの関心が向き、悩み続ける私を見守ってきた伊藤先生との関係が41年後にこうした本となった経緯に心を動かされているようだ、 とおっしゃった。 ”それだけ、田中君のまえがきの文章が素晴らしいということだよ”。 ☆今日は久しぶりに本の注文が相次いだ。 夕刻に2冊をレターパックで送り、1冊は近日中に直接届けることになった。 増刷になった本も、サイイン入りでの注文をいただいた。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は一気に57人となった。 宮崎市が47人で、その多くは感染経路が不明だという。 他は都城、延岡、西都、三股が各2人、えびの、門川が各1人である。 変異種の疑いも207人に達した。 感染経路不明の感染者が多くなってきたことに、宮崎県は大きな脅威を感じている。 河野・宮崎県知事は、県独自の緊急事態宣言を視野に入れていると述べた。 九州全体が爆発的増加を迎えていて、九州全体が再び緊急事態宣言を出す可能性が高くなってきた。 やはり、当初のスケジュールでは日向市の二人展は開催不可能であった。 5月6日(木) ☆快晴。 室内は空気が冷たいが、外に出ると上衣が暑い。 ☆何が何でも何かを割りたいらしい。 朝食が終わって、食器類を手に持って立ち上がるとこぼれ落ちそうになったので、持ち直して台所に行くと、冷蔵庫の前でまた手の中の食器類が崩れ落ちて、とうとう 磁器レンジパックが床に落下して、中身の漬物ごとバラバラに散らばってしまった。 どうしても何かを割って悪いエネルギーの力を放散したい、という目に見えぬ強い意志を感じた朝であった。 ☆今日は新聞の休刊日。 にもかかわらず、今日も私のHPを初めて訪れる人が多かった。 7割の訪問者が私のHPを初めて訪問して、私のプロフィールを見ておられる。 ☆連休が明け、今日から平常営業日となったので、連休前に発注していた二人展のDMが受注された。 また公開対談のリーフレットを、申し込みしやすいようにFAX送信欄を追加して編集し直し、1000部発注。 この格安ネット印刷は、前回の発注で割引クーポンが付いていたので、1000部発注してわずか280円で済んだ。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 6月の江川春江ギャラリーでのアフタヌーンコンサートのリハーサルで、私もジョイントする。 今日はハーモニカの音があちこちで詰まったり引っかかってしまったりで、残念な結果。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は26人。 宮崎市が16人、延岡市、都城市が各4人。 延岡市は飲食店のクラスターが発生。 そして三股、高鍋が各1人。 宮崎県はこの連日の感染者増を、第4波と認識し、感染爆発の瀬戸際に来ている、と強い警戒を求めた。 5月5日(祝・水) ☆夜中から雨。 夜明けてからは激しい雨となり、雨は午前中いっぱい続く。 午後からは急速に雨は上がり、夕刻には晴間が出てくる。 ☆読売新聞、「四季」掲載5日目。 ”彫刻家君に彫刻棄てさせしインドの国の尊しや否や 伊藤一彦 アメリカのヒッピー文化は日本にも押し寄せた。田中等は二十代半ばにインドを放浪。四年後、宮崎県知事賞を受賞したころ、伊藤が贈った歌。ずっと見守ってくれる人が いるのは何と幸いなことか。『MOON DROPS 月の雫』から。” ☆添えられた写真はガンジス川。 今日の伊藤先生の短歌は、本に掲載されている私の彫刻を詠まれたものではなく、私が”まえがき”に記載した歌である。 ”ずっと見守ってくれる人がいるのは何と幸いなことか。” 新聞を開いてこの言葉を目にした途端に、胸が熱くなった。 解説の長谷川櫂さんまでが恩師に思えてきた。 本当に私は幸せ者である。 ☆この「四季」は長谷川さんの選ばれた俳句・短歌への解説と、それに呼応する読売新聞写真部とのコラボである。 したがって、今回の伊藤先生の短歌は「MOON DROPSー月の雫」から選ばれているだけであって、「四季」は本の内容の紹介ではない。 だが今日までの5回の連載で、”彫刻家田中等”が3度も出て来て、読者の関心は否応なしに、”彫刻家田中等”は何者?という強い関心を惹きつけられているようだ。 それで”田中等”の登場3回目の今日は、早朝から私のこのホームページへの訪問者が殺到した。 今日のHP訪問者は、97人で、そのうちの約90%が初めての訪問者であった。 多くは私のプロフィールページを見られているようだ。 さすが、全国紙である。 私がMRTテレビの”わけもん!”やMRTラジオの”サンデーラジオ大学”に出演した時には、私を検索してきた方はほんの数名だった。 ☆何か不思議であった。 朝食の準備をしながら、何故か、私はずっと宮崎市の”QKギャラリー”のイダニさんのことを考えていた。 彼はイラク人だったか、何処の国の出身だったか・・・、など考えていた。 ところが、朝食後に今日の宮崎日日新聞を開くと、生活文化欄に、いま宮崎県立美術館・県民ギャラリーで個展を開催されているイサム・イダニさんの記事が目に留まった。 読売新聞の件で、いまの私は新聞に対して予知的アンテナが出ているのか。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は一気に50人となった。 宮崎県の一日でのコロナ感染確認者が50人を超えたのは105日ぶりである。 このうち宮崎市が43人で、殆どはクラスター関連である。 他は延岡市2人、都城、西都、美郷、新富、国富が各1名。 九州各県も増えて来ている。 5月4日(祝・火) ☆午前は上天気。 午後からは雲が出て、天候は下り坂。 今日も一日中、寒風が吹き荒れて冷え込む。 ☆読売新聞、「四季」掲載4日目。 ”わが若き多感なる友らつどい来ぬ石屋古本屋美学者電工 伊藤一彦 歌人伊藤と彫刻家田中等。二人が先生と生徒として出会ったのは宮崎県の高校だった。のちに教え子が伊藤家に遊びにきたときの歌。彼らの成長してゆく姿を目の あたりにした。このとき短歌は喜びの器。『MOON DROPS 月の雫』から。” 添えられた写真は、横浜市栄区に設置してある私の「MOON DANCE」。 最近分かったことがある。 私の宮崎日大高校の教え子の義母が、この作品が設置してある近くの施設に入所されていて、彼女は義母を車椅子に載せてこの彫刻の前を散歩したりしていたそう である。 作品のタイトルまでは確認して作品を眺めていたそうだが、「MOON DROPSー月の雫」を手にして初めて、この彫刻が私の作品だということを知ったのだという。 このエピソードをフェイスブックとラインで紹介すると、ラインでの反響がとても大きかった。 この教え子とはもう36,7年以上も会って居ない。 にもかかわらず、私の作品が彼女の日常の近くに在った。 人は何処かで不思議と繋がっている。 ☆「四季」の今日までの4回の連載の中で、”彫刻家田中等”と言う名前が2度登場した。 そして今日は、私の作品も掲載された。 それで読者の関心をかなり高めたのだろう、今日はこのHPへの初めての訪問者がとても多かった。 ついでに、本を買っていただくと嬉しい。 ☆木版画の刷りの続き。 圧を掛けて午後に額装する。 しかしこの薄い鳥の子紙の湿し方がまだよくわからないし、圧を掛けてもきちんと縮み皺が延びない。 ☆6月の公開対談の出席者一覧を作成。 この一覧に出席者の連絡先を記入しておいて、そのコピーを美術館に提出すれば、当日の入場時の記帳が省ける。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は25人。 宮崎市は16人で、2つの事業所からのクラスターが発生した。 都城が4人、美郷が2人、そして延岡、西都、高鍋が各1人。 連休明けてからの感染拡大が気になる。 5月3日(祝・月) ☆快晴の一日。 朝はまだ風が残って冷えたが、日中は風も無く、絶好の行楽日和となった。 ☆読売新聞、「四季」掲載3日目。 ”吹く風の涼しといへどなかんずく緑のなかの白の凉しさ 伊藤一彦 自然の配色は絶妙。夏の圧倒的な緑にさまざまな白い花を点じて慰めてくれる。ここにたたずむのは一部は荒く削ったまま、大部分は滑らかに磨いた白い大理石。 いずこともしれない木陰に。『MOON DROPS 月の雫』から。” 添えられた写真は花みずき。 この歌は、私のマレーシア・イポーのヤップ邸の庭に設置された作品に寄せて詠まれた。 それを長谷川さんは、普遍的な自然の配色の絶妙さへと展開されている。 伊藤先生からお昼前に電話があり、やはりこの「四季」の連載には私の彫刻写真を載せて欲しかったね、と言われた。 確かに読者としては、「MOON DROPSー月の雫」を買わない限り、長谷川さんが記述されている私の作品がどういうものなのか知りようがないからだ。 しかし、私は私の彫刻写真が無い方がいいと答えた。 私の彫刻写真が在ると、イメージが捉われてしまう。 彫刻作品の写真が無いから、読者はイメージを無限に広げられる。 さらに、本を買っていただいた方たちは、本を開き直して、本の世界がもっと深く広く味わい深くなってくる。 ☆日向圏域が感染急増圏域(赤)から感染警戒区域(オレンヂ)にレベルが下がったので、お弁当を作って妻と日向市の馬ケ背に行く。 まずイオンタウンのデサキデポとダイソーで、二人展関係の備品を物色し、次に細島の江川春江ギャラリーから直ぐの”道のえき・ほそしま”に隣接するしぶき通りの コンテナショップへ。 最近、いろんな店が出来て賑わっていると聞いているし、その中のパン屋さんがメチャ美味しくてすぐに売り切れる、と言うので妻も開店前から行列に並ぶ。 最近は細島の養殖岩牡蠣も名物になっており、江川春江ギャラリーでの二人展の時には何度か足を運ぼう。 細島から馬ケ背に行って、美しい海を眺めながら、美味しいお弁当を食べる。 至福の時間である。 ☆馬ケ背は、結構な人出であった。 「県外からの往来を自粛願います」という看板の廻りは、全部県外からの車とバイクで埋められていた。 また岬で仲良く写真を撮って居る若いカップルは、台湾からの観光客であった。 ☆午後早くに帰宅して、版画の刷りを続ける。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は、28人。 宮崎市が20人で、新たに2つのクラスターが発生している。 さらに延岡市が3人、日向市が3人、西都市が1人、鹿児島からの来訪者が1人だった。 日向が安全になったと思ったら、日向市から3人感染者が出ていた。 しかし今日の感染者は、これまでのクラスターの関係者だと言うことである。 この連日の感染者増で、宮崎県は全県下に感染拡大警報が出され、全県下が感染警戒区域(レベル3)以上となった。 5月2日(日) ☆晴天の一日。 しかし昨日同様に寒風が吹き荒れて、陽射しは強いのに風が冷たくてほとんど真冬の寒さだった。 ☆読売新聞「四季」掲載2日目。 ”人滅びたれど人の夢残れると囁かれをり光と風に 伊藤一彦 人類滅亡後、何が残るのか。渚に埋まる自由の女神のように文明の残骸が残るのか。人類の見た夢だけが残る。青空の虹のように。光と風がささやくのが聞えたのだ。 巨石にあけた細い隙間から。『MOON DROPS 月の雫』から。” 私の作品から切り離して宇伊藤先生の短歌だけを読むと、本を眺めていた時には全く気付かなかった深い世界に驚かされた。 そして長谷川さんは、この伊藤先生の短歌と私の掲載彫刻作品(トルコ・デニズリー)から、この様な広大なイメージを紡ぎだされた。 添えられた写真はイランのパルミラ遺跡である。 気功師の丸山先生は、”あなたの作品は2000年残ります!”と言われた。 そうなのだ、私は2000年後にもまだ人類は生きていると思ったのだが、そうではなく人類滅亡後の廃墟に私の彫刻は立ち続けるのだ。 ☆連休に這入った。 午前に妻とホームセンターへ出掛け、ハーブ類を買ってきてプランターに植える。 ☆午後は木版画の彫りと刷りの作業。 刷りは途中まで。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は29人。 宮崎市が17人、都城市5人、延岡市2人、そして高鍋町と新富町が各1人。 宮崎市と東諸県圏域(都城市を含む)はクラスター発生に因って、感染区分で最も深刻な感染急増圏域(赤)に今日から引き揚げられた。 この圏域は明日から23日まで、飲食店の時短要請、公共施設の閉鎖、不用不急の外出自粛要請となる。 やはり当初に予定していた会期での日向市・江川春江ギャラリーでの二人展には、宮崎市と東諸県圏域の方たちは誰も来れなかったことになる。 これまで発生したクラスターのうち、4つのクラスターが変異株のクラスターであったことも発表された。 今後の展開は全く予断できない。 5月1日(土) ☆夜明け前に激しい雷雨。 夜が明けると、爽やかな晴天が広がったが、洗濯物を干すと再び激しい雨となり、午前はその繰り返しだった。 午後はずっと晴れたが、嵐のような強風が吹き荒れ、強風は一日中続いた。 この強風で、宮崎県内のJR各線は大幅に運行が乱れたようだ。 ☆あっというまに5月になった。 昨年のコロナ禍による自粛連休からもう1年経ってしまったなんて信じられない。 この歳になると、時の経つのが鈍行から急行、そして急行から特急電車に変わってくる実感だ。 この先は新幹線並みの速さでの冥土への旅路になるのだろう。 ☆今日から読売新聞2面での、俳人・長谷川櫂氏解説「四季」への「MOON DROPS―月の雫」からの伊藤先生の短歌10首の掲載が始まった。 添えられる写真は、掲載された俳句・短歌のなかの言葉に呼応したイメージで、写真部の方が撮られた写真である。 したがって、伊藤先生の短歌への解説のみで私の作品写真は掲載されない。 今日の掲載内容である。 ”虹消えしのちは星出づ星消えしのちは虹出づ石の彼方に 伊藤一彦 高校の先生と生徒。先生伊藤一彦は歌人。生徒田中等は石の彫刻家になった。やがて二人は出会い、短歌と石が出会った。太陽や月を想像させるのびやかな巨石と 雄渾な歌のコラボ。『MOON DROPS 月の雫』の十首を紹介する。” ☆6月の日向での二人展のDMを連休明けに発注しようと思っていたが、逆算すると、連休明けでぎりぎりであるのに気付いた。 しかも今日から連休で、5月5日まで企業は休みである。 それで今日のうちに発注して、5月6日の連休明けには直ぐに作業に取り掛かって貰うようにした。 一方の伊藤先生との公開対談のリーフレットも、まだ先のことだと思っていたが、こちらもひと月前には広報を始めないと間に合わないので、逆算したらやはり連休明けに 発注しないと間に合わないことがわかった。 連休中に伊藤先生と最終校正を済ませなければならない。 ☆木版画の下絵を整理して、夕刻から彫りに入る。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染確認者は一気に34名となった。 あらたに宮崎市内でのクラスターが発生している。 嫌な感じである。 ”しんとみギャラリー”での二人展の時も、大丈夫と判断して延期した日程でのDMを発注したその日に感染が拡大して、再度延期しなければならなかった。 今日も日向市での二人展を延期した日程でのDMを発注した直後に、また感染が拡大した。 連休明けが心配である。 |
Back to toppage
2021 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12
2020 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12