Back to toppage


このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。

過去の日記

2021   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12

2020   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12


2021 8月31日(火)

☆いく分雲が多く、薄雲のかかった状態だったが、概ね晴れ。

そして残暑の厳しい一日。

8月も長雨を経て、あっという間に終った。

☆午後から宮崎空港へ。

国民文化祭と芸文祭の協力事業として開催が決まった”MEETS ART in airport”の搬入。

これまで空港ビルでの展示経験のある作家たちによるアートフェアで、絵画、彫刻、工芸の作家たちが一堂に会しての初めての企画である。

空港利用者への企画なので、密にはならない。

私たち作家もコロナ対策で常駐はしない。

彫刻家は空港展参加の作家からの個人での任意参加だが、2年前の空港展の時に空港ビルからの企画で、国民文化祭のテーマに合わせて制作展示した”神様”小作品も

展示販売する。

会期は前期と後期に分けられ、絵画と工芸作家は入れ替わるが、彫刻は通しで展示する。

空港はいく分は利用客が回復してきたようである。

ガラガラだった空港周辺の有料駐車場もかなり車が埋まって来ている。

☆空港へ行く前に、出版社へ寄って、追加購入分の本を30冊受け取る。

☆今日は残暑がすごくて、車のエアコンを強くしないと、陽射しの炎熱に負けてしまう。

それで空港から帰宅した時には車のエアコンで体調を崩してしまって、夕食の準備をするのも体がだるくてつらかった。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は週明けで感染者数がぶり返し、105人となった。

まん延防止で効果が出ていたと思われていた日向市、門川町、延岡市の感染者数がまた増加してきた。

児湯郡は川南町が5人、高鍋町が2人、西都市、都農町、新富町が各1人と、あいかわらずまんべんなく感染者が出ている。


8月30日(月)

☆快晴。

日中はまだ蒸し暑いが、朝夕はかなりしのぎやすくなってきた。

☆郵便受けに朝刊を取りに行くと、伊藤先生から新刊の歌集、「伊藤一彦の自選歌集ー宮崎に生きるー」が届いていた。

昨日のうちに届いていたようだ。

☆宮崎市の宮崎南印刷から著者献本として送られてきていて、同社の刊行している「黒潮文庫」シリーズの一冊として発行されたもので、これまでの伊藤先生の15冊の

歌集に収められている6,063首の中から783首を選んで一冊とされている。

実は私と伊藤先生の共著の本を出版する前に、伊藤先生の紹介でこの黒潮文庫の担当者にお会いして、相見積もりをお願いした。

その時にすでにこの自選歌集の編集が進んでいると言う話を伺っていたので、発行までにかなり時間をかけてこられたようだ。

783首を選ぶのに時間がかかったのかもしれない。

☆まだ一部にしか目を通していないが、伊藤先生の生き様を通しで俯瞰することが出来、ああそういうことだったのかと納得することなどもあり、俵万智が帯文に書いて

いるように、確かに”最適の伊藤一彦入門にして最良のエッセンス”歌集である。

☆先生の串間在住時代の歌に、「いくたびも来て南蛮船出入りせし湊と知りつまぼろし見えて」と詠まれたものがある。

やはり今は何の変哲もない串間市だが、かつては海洋貿易の要の港として栄え、一昨日の謎の「玉壁」などが絡んでくる素地が実際にあったようだ。

☆お礼のメールを送ったら、折り返し先生からお電話をいただいた。

私たちの本を追加注文したと言うことも伝えてあったのだが、実際に先生もいざと言う時に出版社に在庫が一冊も無くて自分の本をネットで求められたり、謹呈した方

から買い戻されたこともあったのだそうだ。

やはり在庫をしっかり確保しておく必要がある。

☆夕刻に2階の書斎で窓を開け風を通しながらデスクワークをしていると、CDから流れてくるクラシックギターの音とツクツクボウシの鳴き声が絡まって、久し振りに

ゆったりした気持になる。

そうして合間に、独身時代に愛読した佐藤よしみ「海かがやけば」や河野裕子「あかねさす」をひも解いていると、みずみずしい相聞歌に胸苦しくなり、短歌の言葉の

響きにあらためて体ごと魅入られる。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は52人。

児湯郡は西都市が2人、高鍋町と新富町が各1人と、感染者が途切れない。


8月29日(日)

☆快晴。

幾分暑さはしのぎやすくなってきた。

☆午前にアンジェラスの森へ上がり、台車を持ち帰る。

明後日の宮崎空港でのアートフェアの搬入に、台車が必要である。

帰路はそのままホームセンターへ。

雨漏りのするプレハブに波板で蔽いを被せようと思ったのだが、資材代が結構かかるので、シートで代用すればいいのではないかと気づく。

UVシートならなんとか応急対応が出来るのではないのだろうか。

☆今日は朝からまた風邪気味で体調が芳しくない。

エアコンの冷風がとても応える。

午後はエアコンを使わずに済む風通しの良い2階書斎でデスクワークをする。

しかし夜に入浴する前から鼻水が出てくしゃみもひどくなる。

夕食後にハーモニカの練習をしたら、呼吸が乱れて胸が苦しくなり、早々に床に就く。

☆今日の宮崎のコロナ患者は、昨日に引き続いて100人を切り81人だった。

しかし児湯郡は高鍋町が6人、西都市が5人、新富町が3人、川南町が1人と、県内では宮崎市に次いで感染者が多い。

西都市では飲食店での会食で11人が感染するクラスターが発生している。

まん延防止の始まった日向市、門川町はその効果が出て来たのか、感染者が激減して来ている。

この勢いだと、高鍋町を含む児湯郡もまん延防止が適用されてしまうのでは無いのか。


8月28日(土)

☆快晴。

陽射しが強く、緑が濃い、爽やかな午前。

午後はとても蒸し暑くなる。

☆午前に妻と西都原考古博物館で開催中の「百余国の”王”と「王之山」の玉壁」展を見に行く。

この「王之山」の玉壁と言うのは、宮崎県串間市の王之山というところの地下式横穴墓から、江戸時代に農民が耕作中に発見し出土した石棺から出て来たという前漢時代の

遺物である。

以前から興味はあったのだが、先日の宮崎日日新聞”くろしお”の次の記事を読んで、現物を見てみたくなった。

☆ 古代日向最大級のミステリーと言えよう。

江戸時代に串間市「王之山(おうのやま)」の石棺から出土したとされる「玉璧(ぎょくへき)」。

紀元前2世紀、中国南部で栄えた南越国の王墓から出土した玉璧と大きさや文様がそっくりだ。  完全な状態では国内唯一の出土例。

「璧」は中国古代王朝の権威の象徴で、支配国の王に授与していた宝玉だ。「完璧」という言葉の由来とされる。

だがなぜ串間で発見されたのか。「王之山」という地名が今は串間にない。そもそも玉璧は串間にあった物なのか。  

前田育徳会(東京都)が所蔵する玉璧の実物が、出土の経緯を記した箱書きがある桐箱など関連資料と共に県立西都原考古博物館の特別展で展示されている

(9月5日まで)。

レプリカはあるが、実物は初めて見た。直径33・3センチのドーナツ型。軟玉(ネフライト)製だ。

北郷泰道著「海にひらく古代日向」は出土の経緯に不明な点を提示しながらも、古代の畿内王権が中国や朝鮮半島との交易を積極的に進める対外交流史の中で

玉璧を位置づけ。

南九州における海上権益を求め、本県内の豪族と進めた婚姻関係が神話や西都原古墳群に反映したという考察は刺激的だ。  

西洋の16世紀の地図では、串間の位置に「Minato」と記され、古代にさかのぼって交易の要だったと推測できる。

謎だらけの玉璧だが、実物を見られる貴重な機会。

古代日向が海外に開いていたという想像が、本県の将来の可能性を広げてくれそうだ。

☆由来からしてナゾだらけの玉壁である。

大きさも33,3cmもあり、軟石だからちょっとしたはずみでも欠損したり割れたりする。

しかし全く無傷であり、よくもこんなものが長い間土の中に在ったものだと思う。

だが一緒に出土したとされる鉄製の武器等は、現在は所在さえ確認できず、本当に串間から出土した物なのかさえ謎のようだ。

☆西都原考古博物館は入場料が無料である。

しかし構成や収蔵物がとても充実していて、解説もとても哲学的である。

これまで何度か来ているが、その度にあまり関心も無く見過ごしたものがあり、今日あらためて気付いたことが結構あった。

例えば先日に新富町の図書館資料室で知った、縄文時代には南九州では”縄文土器”の出土はあまり例が無く、貝文土器が主であったこと。

そして南九州の地下式横穴墓に埋葬されていた女性の副葬品に鉄製武器が含まれている発掘例が多く、古代は女性も武装していたと言う全く知らなかった事実。

西都原自体も、実に広大で清閑で素晴らしい環境だ。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は74人と、5日ぶりに100人を下回った。

このまま減じてくれるか。

児湯郡はあいかわらず西都市と都農町が各3人、高鍋町、新富町、川南町が各1人とまんべんなく感染者が出ている。

そして感染者の情報が全く伝わってこない。

家から一歩出ると、どこに感染の恐れがあるのかまったくわからない。


8月27日(金)

☆午前は快晴。

爽やかな朝だった。

午後は雲が多くなり、非常に蒸し暑くなる。

☆一日、デスクワーク。

☆暑さがぶり返して来て、冷や汁が食べたくなったので、昼に冷や汁を作る。

ギンギンに冷やして、食べるのは明日。

☆先日から背中が痒い。

ところが今日は背中全体がしくしくしてきた。

この感じ、帯状疱疹が出た時の感じによく似ている。

私は最初は痛みではなく、痒みで出て来たので、帯状疱疹だと解った時には皮膚科の医者から手遅れだと言われた。

気になって、また手遅れだと診察される前に皮膚科に行こうかと思ったが、鏡で見ても背中に湿疹が出ている気配はない。

夕刻に帰宅した妻に背中を見て貰うと、確かに1カ所は痒みの原因の湿疹はあるが、他には何もないので大丈夫だろうと言う。

そう言えば帯状疱疹は体の半分に出るのだが、今の感覚は背中全体がしくしくする。

別に免疫が落ちているほどの状態でもないので大丈夫だろう。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は116人。

児湯郡内は西都市が5人、川南町が4人、高鍋町と新富町が2人、そして都農町が1人とまんべんなく感染者が出ている。

最近は10代、20代の感染者が多くなって来ている。

今日から宮崎でのまん延防止が開始された。

高鍋町内も車で走ってみると、多くの飲食店に「休業中」の張り紙がしてある。


8月26日(木)

☆今日も残暑厳しい蒸し暑い一日。

概ね晴天だったが雲の多い天候。

☆長雨の間に庭の草が延びて来たので、午前の涼しいうちに草刈り機で草を刈る。

☆昼前にアンジェラスの森へ上がる。

テントをたたむ。

作業場は一面に枯葉が敷き詰められていて、すっかり秋の佇まいに変わっていた。

プレハブの中は思ったほどの雨漏りの被害は無かった。

コンセントが水濡れする原因を点検してみたが、外部から雨水が這入ってくる気配はない。

そうすると屋根に溜まる雨水が流れ落ちて来るとしか考えられない。

矢張り早急にプレハブに屋根を掛けるべきだ。

☆午後は妻のボーカルレッスン。

10月に予定しているライブでの演奏予定曲目のうち、私がハーモニカでジョイントする曲を一通り演奏する。

最近は毎夜の妻との練習では、かなりハーモニカの響きが良くなって来ていて、最初は気持ちよく吹いていた。

しかし大半は久しぶりに演奏する曲目なのであちこち躓いてしまう。

そうなると、講師の片貝さんの前で演奏するのに緊張してしまって、とちってばかりであった。

しかし妻は私が緊張している事には気が付かなかったと言うし、片貝さんが録音していたものを聞いてみると、私のハーモニカ演奏はとてもなめらかで、口笛も豊かな

音色だった。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は127人。

児湯郡は西都市が一気に8人、高鍋町が2人、川南町が1人であった。


8月25日(水)

☆久々の快晴。

気温はぐんぐん上昇して、宮崎市では8月初めての猛暑日。

湿度も高く、非常に蒸し暑い熱風の一日。

夕刻にツクツクボウシが喧しい。

☆本の注文が4冊入った。

これまではレターパックライトだと一度に2冊しか送れなかったので2つに分けて送ろうと思ったが、レターパックプラスだと厚みの制限が無いことがわかり、

なんとか4冊を一度に送ることが出来た。

これで私の手持ち分在庫が35冊になった。

編集担当の水元さんに相談すると、今後もじわじわと売れる事を考えると、冊数を確保しておいた方が好いと言うことである。

本は時間をかけて売れていくので、手元に本の在庫がなくなるとどうしようもなくなるとのこと。

それで追加で30冊を購入することにした。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は114人。

児湯郡内は、高鍋町、西都市、川南町が各2人、新富町、木城町、都農町が各1人と全ての市町に感染者が出た。

そして宮崎市と日向市、門川町のまん延防止適用が決定した。

宮崎県民には午後8時以降の外出自粛も求められている。


8月24日(火)

☆不安定な天候。

朝のうちは晴れていたが、午前に突然の激しい雷雨。

午後は晴れたが雲が多く、蒸し暑い。

☆早朝5時過ぎに朝火事。

夜明け前のしじまに響くサイレンに、妻が何のサイレン?と聞く。

私は週報に防災行政無線の試験放送について書いてあったのを思い出して、試験放送だよと答えたら、”火災発生!火災発生!”とアナウンスが流れてきた。

この火災はネットニュースでも流れて、かなり大きな火災であった。

妻の出勤途中にある民家の火災だった。

実は3年前の6月17日の午前2時過ぎにも、すぐ近くの民芸調うどん店が全焼した。

つい先日は、この夏の大雨で近くの山肌が崩れて、最近まで通行止めになっていたし、私も日向市での二人展での帰りに居眠り運転で近くの崖に追突しそうになった。

何かあの辺り一帯には、良くないエネルギーが漂っているのではないのか。

☆昨年春に制作した作品を、陽のあたる状態でまだ撮影してなかったので、午後に海辺へ走って画像を撮る。

大気が不安定で海辺も雲が湧いていたが、むしろ快晴になると白い大理石は青空との対比でハレーションを起こしてカメラの焦点が定まらない。

今日は作品には陽が当たり、背後は湧きあがる雲となってドラマチックな写真が撮れた。

☆その写真をフェイスブックに投稿したら、なんとChoeさんから”いいね”が届いた。

一昨日の知人作家が投稿したベッドの中での管を付けられた写真も、チェさん本人が自画撮りして送った物だろうから、ベッドの中でスマホの操作が出来る状態なのだ。

少し安心する。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は136人。

しかも高鍋町は一気に7人の感染者である。

県の情報を見ると、どうやら家族間での感染の様である。

児湯郡内はあいかわらず西都市、川南町、新富町が各2名の感染者である。

そして県は、宮崎市、日向市、門川町に初めてのまん延防止初適用を国に要請し、政府は明日に決定する見込みとなった。

まん延防止が適用されると、飲食店は一切の酒の提供が出来なくなる。

高鍋町も予断はできない。


8月23日(月)

☆晴天。

しかし台風12号の影響で雲が多く、夕刻ににわか雨。

蒸し暑い一日。

クマゼミの鳴くのは消えたが、遠くで蜩が鳴き、夕刻にはツクツクボウシ。

完全に秋となった。

☆久し振りに蒸し暑い夜だったのでエアコンをつけて寝たら、また起き抜けから鼻水が出て、くしゃみが出る。

☆自宅工房で、オーストラリアへ持って行く作品の台座ピン穴加工と、作品の研磨仕上げのチェックと補正。

☆午後はデスクワーク。

先日に伊藤先生から送って頂いていた「第18回芸術の連鎖祭り」カタログへのお礼のメールを、伊藤先生へ送る。

この「芸術の連鎖祭り」は岐阜県池田町で開催されているもので、造形作家の作品に著名な歌人が歌を詠むと言うコラボ企画である。

今回の造形作家の中には、お会いしたことはないが何度かメールのやりとりをしたことのある彫刻家とフェイスブック友だちの彫刻家の方が含まれている。

☆昨日今日と、新聞書評で気になって購入した野田かおり歌集「風を待つ日」を読む。

久々に読みたいと思って購入した歌集である。

静かな声が聞こえてくる。

その旨も伊藤先生への返信に加えたのだが、気付いてみればこの歌集は青磁社の発行で、伊藤先生の「伊藤一彦が聞く 牧水賞歌人の世界」も同じ青磁社の発行である。

青磁社の発行人は永田淳氏で、「芸術の連鎖祭り」で私の知人の彫刻家の作品とコラボしていたのも永田淳氏であった。

私は野田かおりさんについては初めて聞く名前で、ネットで調べてもどうやら若手の高校教師くらいの情報しかない。

でもこうして伊藤先生の世界とも繋がっている、不思議さ。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は75人。

昨日は医療機関が休みだったので100人を切った。

相変わらず、児湯郡内は高鍋町、新富町、西都市からそれぞれ1人ずつの感染者。


8月22日(日)

☆概ね晴天。

しかし雲が多く不安定な天候で、午後にはにわか雨。

陽射しが戻って来たのに、蝉が鳴かない。

もう蝉の季節は終ったのか。

☆やはり昨日の雷雨は凄かったようで、これまでに雨漏りしたこともない1階のクローゼット内の壁が雨漏りでベロベロになっていた。

コーキングが劣化して来ているのだろう。

☆一日、自宅工場で制作。

オーストラリアへ持って行く2点目の小作品の仕上げ作業。

しかし果たして来春までに日本の入国時の2週間自己隔離は解除されているのだろうか。

ネットで調べてみると、日本を出て目的国に入るためには72時間以内のPCR検査陰性の英文証明書が必要だし、滞在国から飛行機に乗る時にも同じ証明書がないと

搭乗できないし、日本への入国もできない。

オーストラリアのシンポジウム期間は2週間である。

6月現在では、オーストラリアも入国時に2週間の自己隔離が必要である。

これらの規制は徐々に解除されていくようだが、2週間の自己隔離が解除されるのは最終の第4段階目である。

この自己隔離が来春まで続けば、自己隔離中にシンポジウムは終ってしまう。

連日のようにフェイスブックでは、海外のシンポジウム開催中の近況報告が投稿されている。

みんなどうやってこのコロナに因る渡航規制をくぐり抜けているのだろうか。

少なくとも日本人作家は、到着した国際空港から公共機関を使わずに自宅に帰れる立場の人以外は、必ず2週間の自腹でのホテル滞在をしなければならない。

☆フェイスブックで、韓国のChoe(チェ・ソ・ドン)さんが血液ガンでもう2か月も入院していると言う知人作家からの投稿があり、驚いた。

チェさんは空港展に参加して懇親会にも来てくれているし、日本の彫刻家にも友人が多い。

岩手のシンポジウムに私と参加した時には、私の次男も岩手に来て一緒に過ごしている。

私も多くの海外シンポジウムで何度も一緒になっている。

非常に聡明な人でパワーもある人である。

投稿された画像にはガリガリになった手首に繋がれた管の写真があり、痛々しい。

是非、無事に回復して欲しい。

☆宮崎の今日のコロナ感染者は116人。

高鍋町からは2人。

児湯郡内は新富町が7人、西都市、川南町が各3人、都農町が2人。

児湯郡は感染拡大の只中に在る。


8月21日(土)

☆午前は良く晴れて、暑い陽射しが戻ってきた。

しかし天候は不安定で、雲の変化が激しい。

午後は突然の激しい雷雨になる。

☆風邪の症状が長引いていて、高鍋町でもコロナ感染者が連日出て来ているし、無症状の感染者も多いというので気になっていた。

それで念のために、朝一にかかりつけのO内科で診てもらう。

胃腸がグルグル音がすると言うので、胃薬と頭痛の痛み止めを処方してもらい、コロナの心配は無く安心した。

血圧の薬も間もなく切れるので、血圧の薬も出してもらう。

☆午前に、高鍋町美術館で開催中の”書家 金澤翔子 展”を妻と観に行く。

作品1点1点に添えられたお母さんのコメントが心を打つ。

大きな感動を与える展覧会である。

宮崎県民は外出自粛中であるが、久し振りに天候が回復したからか、来場者がとても多かった。

☆美術館を出て、郵便局へ行くと、子供たちの通った保育園の元・園長さんに声を掛けられた。

子供たちの名前をよく覚えておられた。

今日は次男の30歳の誕生日なのですよ、とお伝えする。

実は、昨日だったか何かの考え事をしていた時に、ふとこの元・園長先生のことを想い返していたのである。

もうかなりのご高齢なので、どうされておられるのだろうと想ったのであったが、その元・園長先生に声を掛けられたのでビックリであった。

痴呆症が這入ってきてもうおばあちゃんですよ、と言われていたが、ちゃんと軽トラを運転されていてお元気だった。

☆午後に自宅工房で、オーストラリアへ持って行くもう1点の小作品の仕上げ作業。

こちらはまだ整形作業が途中だったので、リューター作業をする。

やはり陽が射すと、締め切った工房はとても暑い。

窓を開けて作業をしていたら、突然の激しい雷雨が立てつづけて襲ってきた。

☆ワクチンパスポートは殆ど役に立たないというニュース。

アメリカ、中国ではワクチンパスポートを認めていないらしく、アジアの諸国も殆どが通用せず、ワクチンパスポートが使えるのは23カ国のみということ。

その理由は、日本が水際対策で、入国時の2週間自己隔離を求めているためだと言う。

結局、ワクチンパスポートを申請しても、海外渡航時に2週間の隔離が免除されなければ、シンポジウム参加は不可能である。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は、またも過去最多の158人。

高鍋町は2人の感染者、児湯郡内は新富町が1人、川南町が2人と厳しい状況が続く。


8月20日(金)

☆朝のうちは青空が見えていたが、直に雨になる。

午後には雨が上がるが、夕刻に再び雨。

気温は上がらず、肌寒い。

☆午前はデスクワーク。

午後に、自宅工房でオーストラリア用の小作品の水磨き。

風邪気味の体調はまだむかつき加減だが、午後から声がかすれて出にくくなってきた。

もうこの体調不良は10日も続いている。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は106人。

高鍋町からは2人の感染者。

児湯郡は新富町が4人、西都市と川南町が2人と、油断の出来ない状況になってきた。


8月19日(木)

☆9日ぶりに晴れる。

午後は雲が出て、夜に雨となる。

☆午前は自宅工房で作業。

招待の決まっているオーストリアのシンポジウムに持って行く小作品の磨き作業を途中で中断していたので、手磨きをする。

しかし、次第に気分が悪くなって足元もフラフラとなって来た。

風邪が抜けない。

☆午後は夕刻近くまで休む。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は121人で、3日連続の100人台であった。

高鍋町は1人の感染者だが、児湯郡内は西都市が2人、新富町が5人、川南町が10人、都農町が1人とほぼ外堀が埋まってしまっている。


8月18日(水)

☆今日も一日、雨。

午前に激しい雷雨となったが、午後は大降りにはならず。

☆夜中から再び頭痛と歯痛に悩まされる。

風邪で鼻水が出ているので蓄膿症状態になり、そういう時は歯茎が腫れて疼く。

☆完成した作品をコンペに送る準備を始めたところで、外を見ると雨脚が弱まり、外へ出てみると北の空が明るい。

念のため急いで作品とカメラを軽トラに積んで海へ走る。

海に着いた時には、またも幸運に雨脚が止まった。

何とか完成写真を撮ることが出来た。

そうして帰宅した途端に激しい雷雨となった。

☆午前のうちに作品を梱包し、雨のなかを宅急便へ走る。

☆午後はデスクワーク。

宮崎空港で開催するアートフェアの資料提出締切日だったので、データを整理して送る。

☆ラインで、以前に宮崎彫刻グループのメンバーだった大石君から、”デビューしました”と言う近況が入った。

ユーチューブの動画が張り付けてある。

フェイクだろうと思ったが、動画を開いてみると紛れも無く大石君の声で、演歌を歌っている。

なんと「霧島多朗」という芸名で演歌歌手デビューしたのだ!

そんな才能が有ったのか。

☆夜になって、宮崎大学の後輩で画家のK君から、私の作品だと言う画像がラインで送られてきた。

記憶に在るような無いような首像の作品である。

K君の説明だと、69年8月というサインが入っていると言う。

大学時代のアルバムを開いてみると、69年は私の宮崎大学2年の時で、夏休みに母校の高鍋高校で美術部の後輩たちと一緒に作った作品だった。

その年の秋に私たちの学年でグループ展を開いているので、その時に出品したものをK君が気に入ってくれたものらしい。

そして彼がその作品をジャイアントビール1本と交換して譲ってもらったらしい。

何処かに仕舞いこんでいたらしく、あちこちの石膏が剥げたりしている。

先日はやはり私から譲り受けた人体の小品が傷んでいるので修復して欲しいということだったので、この首像も預かって修復しよう。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は、さらに拡大して125人となった。

高鍋町は1名だが、周辺の新富町や川南町では複数の感染者が出ている。

九州各県も軒並み100人以上の過去最大の感染者である。

宮崎県民はみんな行動自粛しているのに、県外からの観光客が緊急事態を無視している。


8月17日(火)

☆今日も一日、雨。

雨は小降り。

肌寒いいちにち。

☆完成した作品をきちんと画像に撮りたいが、ずっと雨である。

屋内であれこれ撮影してみたが、全く使い物にならず。

☆宮崎のコロナ感染者は、やはり一気に拡大して、今日は過去最大の111人となった。

高鍋町からは2人の感染者。

そして甲子園で宮崎商業高校に13人もの感染者が出て、試合への出場を辞退したというニュースはいたたまれない。

いくら感染予防対策を講じても限度があるのだ。

九州内はどこも今日の感染者が100人を超えている。

秋にはさらに激しい第6波の到来も予期されている。

これまでの感染の波の到来は予期された通りに現れて来ているので、秋にはさらにひどい状況になることは確実だろう。

国民がもう自粛慣れで、行動自粛を守っていない。

先日も、宮崎空港からの中継では多くの県外からの観光訪問客で賑わっていた。


8月16日(月)

☆一日、雨。

しかし日中は雨脚は止み、大降りにはならず。

水冷で肌寒い一日。

☆昨夜は晩酌の後が快い酔いで、風邪薬を飲むのを忘れて床に就いたので、夜中にひどい頭痛に悩まされることになってしまった。

頭が割れそうな痛みで、夜中に何度も目が醒めて、何時まで経っても夜が明けない辛さ。

朝食後に、妻がワクチン接種2回目の時に買ったEVEを飲む。

即効性のあるイブクイックだが、暫くは何の効き目も無かったが、作業をしていたら何時の間にか頭痛は消え、体調も恢復していた。

☆自宅工房で作品の仕上げ作業。

EVEのおかげで体調も楽になり、研磨作業を進め、夕刻にはほぼ作業は終了した。

1年余ぶりの彫刻制作、本を出版してから初めての彫刻作品である。

☆フェイスブックを見ていたら、昨日案内が届いたエジプトのシンポジウムの参加作家リストが公開されていた。

私は返事をしていないので勿論私の名前は無いが、殆どが前回参加した作家達ばかりである。

みんな、帰国しての2週間の自己隔離は無いのだろうか。

あるいは帰国しても、空港から自宅まで公共機関を使わずに自宅へ移動できる作家ばかりなのだろうか。

☆宮崎の今日のコロナ感染者は41人。

高鍋町からも1人の感染者。

昨日・今日の発表数はお盆休みで医療機関が休業中の感染確認者数なので、明日からはまたお盆休み意期間中の感染者数が激増して来るだろうと見込まれている。


8月15日(日)

☆一日、雨。

大降りにはならず。

☆一晩中苦しくて、朝に気が付いたらもう8時前だった。

日中も頭痛は治まらず。

☆朝一にアンジェラスの森へ上がる。

作品の研磨作業に入るので、磨きの道具を取りに行く。

やはり連日の大雨で、プレハブの中は雨漏りでびしょびしょだった。

先日補修してもらったコンセントも、壁から雨が伝って流れて来るようでびしょ濡れだった。

これでは漏電する。

天気が回復したら対応を考えないと。

☆自宅工房で仕上げ作業。

午後半ばから水磨きに入る。

風邪でフラフラ状態なので、ほとんど拷問に近い作業である。

☆延期になっていたエジプトのシンポジウムから招待が届いた。

ワクチンパスポートも申請できるようになったので参加の返事をしようかと思ったが、帰国後にホテルで2週間待機しなければならないことに気付いた。

先日にスペインから帰国した又木さんの話では、宿泊ホテルは政府の指定ホテルで高い料金の処ばかりだったと言う。

ネットで調べると、帰国後の待機を斡旋する業者がホテルの手配をしてくれるようにもなっているらしいが、やはり2週間もホテルに滞在して食事を摂っていたりしたら

それなりの金額になる。

旅費の出ないシンポジウムなので、シンポジウム報酬は旅費で消える。

そこへ2週間のホテル滞在が加算されたら、大赤字である。

やはりこの帰国後の2週間隔離が無くならない限り、地方に住む私には海外には出れない。

☆夕食前に送り火を焚く。

今夜も夕食後は早めに床に就く。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は28人で、高鍋町からの感染者は無かった。


8月14日(土)

☆一日、雨。

北部九州では記録的な大雨で被害が出ているが、宮崎の平野部では時折り激しく降る程度。

☆今日は日向市へ妻の実家の墓参に出掛ける予定だったが、日向市もコロナ感染が拡大しているので、墓参は秋の彼岸に廻すことにした。

☆午前はデスクワーク。

次第に左のこめかみが痛くなってきた。

声も鼻声になってきたし、風邪がひどくなって来たようだ。

作業をする気力もなく、昼食を摂った後は痛み止めを飲んで、休む。

☆寝てばかりいる訳にもいかないので、夕刻に自宅工房で作品の仕上げ作業をする。

☆入浴前に、妻に髪を切って貰う。

☆再び頭痛がぶり返して来て、夕食も食欲が落ちてきたので、早目に風邪薬を飲んで床に就く。

体の怠さや発熱は無い。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は46人。

高鍋町からは1名の感染者だが、これまでの感染者の家族。

県の時短要請を受けて、張り紙をして休業に入った飲食店も目立つようになってきた。


8月13日(金)

☆一日、雨。

今日も午前は滝のような雨。

☆朝のうちに雨脚が途絶えた隙をついて、妻と墓参。

直後に激しい雨となる。

☆自宅工房で制作。

今日が某コンペの作品データ締切日なので、午後半ばまで整型作業をして、雨脚が緩んできたタイミングで、作品とカメラを軽トラに積んで海辺へ走る。

幸運にも海辺に着くころには雨脚は完全に止り、無事に作品画像を撮る。

夕刻までに作品情報登録フォームを入力して、無事に登録完了。

明日からは作品の仕上げ作業に入る。

☆夕食前に迎え火を焚く。

丁度、雨は止んでくれた。

今日は一日、ラジオでお墓に亡くなった父や母をお迎えに行って、我が家に連れて帰るというリスナーの投稿が多かった。

フェイスブックでも、某寺に義父をお迎えに行くと言う投稿が在ったり、一見すると、病院にお見舞いに行って、お盆なので我が家に連れて帰るのだろうと錯覚した。

私は今日まで、お先祖様の霊は、迎え火を焚いて我が家で迎えるものだとばかり思って居たので、墓に迎えに行って我が家に霊を連れて帰ると言う投稿が続いた

のには少なからぬ驚きであった。

私の妻は、お盆になると実家の屋根の上に先祖の霊が浮いているのを幼いころは普通に視ることが出来たと言う。

だから、お墓にご先祖の霊を迎えに行って連れて帰る、という風習への感覚は全く無かった。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は、またも第5波での最大感染者の63人であった。

そして高鍋町でも3人の感染者が出て、とうとう高鍋町内の飲食店でクラスターが発生した。

この事態を受けて、河野・宮崎県知事は宮崎市の飲食店に要請していた時短営業を、全県下の飲食店に拡大要請した。

今日の感染者の発表数は昨日の確認数なので、すでに高鍋町内での飲食店でのクラスター発生は昨日の段階で判明しており、それで高鍋町長は県に時短要請を

求めたのだろう。

実は、昨夜はジモ・ミヤタビで貰ったクーポンを使って、町内の居酒屋へ生ビールでも飲みに行こうと妻と計画していた。

しかし昨日の状況では不安要素が大きくなったので、居酒屋へ出る事は断念し、町内の飲食店の営業の状態を確認したのであった。

よくぞ出掛けなくてよかった、昨日はすでに町内の飲食店でクラスターが発生していたのだ。

昨年の第3波で高鍋町内に大きなクラスターが発生した時も、妻と居酒屋に出かけたその日に直ぐ背後のビルでクラスターが発生したのだった。


8月12日(木)

☆一日、雨。

午前中は滝のように激しい雨。

☆自宅工房で制作。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は61人。

高鍋町からも2名の感染者。

☆今回の3回目の宮崎県の緊急事態宣言で、高鍋町内の飲食店にも影響が出ているようだ。

飲食店街を通ってみると、正常営業の店もあるが、店休日でもないのにシャッターが下りたままの馴染みの店もある。

人通りはほとんどない。

それで高鍋町は、飲食業界の要請を受けて高鍋町も時短対象地域とするように県に求めたようだ。

この緊急事態宣言で事業継続が困難になり、時短要請に伴う支援を働きかけて欲しいと言うことだが、県の対応は今後のコロナの発生状況を見ての判断という見殺し

の態度である。


8月11日(水)

☆一日、本格的な雨。

水冷で肌寒い。

秋雨前線の影響で、当分は雨ばかりになるようだ。

☆起き抜けが体がだるくてきつい。

鼻水とくしゃみも出るので、また夏風邪がぶり返したようだ。

☆午前にアンジェラスの森へ上がり、作業の準備をするが、テントが小さいのでどうしてもテントの中が暗い。

テントに灯りをぶら下げてみたが、細部の仕上げの作業に入っているので手元が暗すぎる。

森での作業を断念して、必要な道具類と作品を自宅に持ち帰る。

☆作業が仕上げ作業で、電動工具もルーター程度しか使わず大きな石粉も出ないので、自宅工房の中で作業をすることにした。

それを見越して、予め自宅工房にバルサンで燻煙をかけて森に上がっていた。

自宅工房は断捨離作業の途中のままで、更に昨年に工房の電気を自宅の電気線と接続した時に、配電盤周辺のものを除けていたので足の踏み場もない。

午前は工房の中を整理して、作業のスペースを確保する。

☆午後は自宅工房で制作。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は44名で、第5波で最大の感染者数となった。

高鍋町も2名の感染者が出た。

児湯郡では新富町と川南町でも感染者が出ている。

そして、河野・宮崎県知事が3度目の宮崎県独自の緊急事態宣言を発令した。

全宮崎県民に13日から31日までの外出自粛要請となった。

飲食店への酒類提供時間制限は今のところは宮崎市だけだが、状況によっては他の地域にも拡大されると言う。

児湯郡は感染者が増えて来たので、高鍋町の飲食店も危うい状況である。

だが、宮崎県は「来県止まらず危機感」として、県外からの感染流入ををせき止めるために宮崎県民に外出自粛を要請するが、国民文化祭・芸文祭については

何も言及していない。

新聞もコロナの報道と国民文化祭の扱いは正反対である。


8月10日(火)

☆午前は晴天。

午後は今にも雨になりそうな曇天。

夕刻には青空が広がる。

猛烈に蒸し暑い一日。

☆一日、アンジェラスの森で制作。

今日は森の中も風が無く、蒸し暑くてかなわなかった。

☆明日からは秋雨前線の影響で、梅雨状態になるらしいので、作業を終えてテントを張る。

倉庫に入ると、最近、誰かが触らないと落ちないはずのものが床に落ちている。

今日も、昨日まで無かったものが床に落ちていて、何かが倉庫の中で動いているようだ。

以前に棲みついていた巨大な青大将がまた戻って来たのかとも案じるが、そういう気配はない。

しかし今日、床に落ちていたものはネズミやイタチでは動かせないものだ。

何が居るのだろう?

☆今日の宮崎のコロナ感染者は23人。

今日も高鍋町からは感染者はなし。


8月9日(祝・月)

☆台風一過の爽やかな気候。

朝のうちはとても涼しく、庭では秋虫も鳴き、一気に秋の気配となった。

野山の樹々も重いエネルギーのうねりから、すっきりとキラキラ輝く佇まいとなった。

しかし日中はムッとする暑さに戻る。

☆一日、アンジェラスの森で制作。

やはりアンジェラスの森は雨が激しかったのだろう、プレハブの破れた天井からは雨水が流れ込んで、プレハブの中は水びたしであった。

午前のうちはまだ天井から水がしたたり落ち、先日に補修してもらったばかりのコンセントもびしょびしょだった。

☆制作の方は順調に進むが、コンプレッサーが故障して動かないので、細部の仕上げに入ってエアーチッパーが使えないのが辛い。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は32人。

高鍋町からの感染者はなし。

県内の感染経路は、クラスター以外は家族感染が多いようだ。


8月8日(日)

☆朝のうちは良く晴れていたが、台風9号の影響で次第に雲が出て、昼前から雨となる。

台風は枕崎に上陸。

夕刻に風雨が激しくなり、午後6時過ぎに高鍋町には「高齢者等避難」が発令されたが、直に風雨は治まり、9時過ぎには発令は解除された。

台風の影響は何事もなし。

☆午前はアンジェラスの森で作業。

午後は雨になったので作業は中止する。

テントを張ろうかと思ったが、台風の強風で飛ばされる懸念もあるので、様子を見る。

天気予報では、台風一過の明日と明後日は良く晴れるようである。

☆台風9号で午後6時過ぎに”警戒レベル3の「高齢者等は避難」指示”が出た。

ネットでは対象地域の対象世帯数と対象高齢者等数が出ている。

しかし、この「高齢者等」って何歳からなのか?

ネットで調べても明記が無い。

所謂65歳以上の高齢者と言うことになり、私も含まれるのか?

こんな警報で指示が伝わるのか?

私は高齢者と言う自覚なんて微塵も無い。

☆宮崎の今日のコロナ感染者は43人で、第5波での最多となった。

高鍋町でも感染者が1名出たが、これまでの教育施設のクラスターとは関連が無いようである。

感染者は全県下に広がって来ている。


8月7日(土)

☆午前まで雨。

とても蒸し暑い。

午後は晴れ間が出る。

☆午前は激しい雨だったので、マッサージチェアで肩と背をほぐしたりして過ごす。

☆午後は天候が回復したのでアンジェラスの森へ。

電気工事業者が点検に来る。

実は私のいない時に一度来たらしいが、プレハブの中を見れないのでそのまま帰り、何も作業はしていないのだと言う。

つまり電気工事はせずに、自然に漏電は治まったようだ。

しかし漏電していたのはプレハブの老朽化したコンセントだと思うので、診てもらうとやはりもう湿気で錆びてボロボロだった。

これまでよく保ててきたと驚いていた。

コンセントを新しく取り換えてもらい、板を張ってキチンと補修してもらった。

☆午後は雨にはならず、順当に作業は進む。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は40名。

第5波に入って最も多い。

高鍋町は今日も感染者はなし。


8月6日(金)

☆突然の雨や突然の晴れ間。

不安定な天候の一日。

夜は嵐のような激しい風雨。

☆一日、アンジェラスの森で制作。

夏バテ気味で、初めは体に力が入らず無気力状態だったが、作業に入ると正常に戻る。

昼前に雨になり、アンジェラスの森を出た途端にどしゃ降り。

夕刻も4時前に雨になり、早じまいすると、町場では雨の気配はなし。

テントを張るべきか、迷う。

☆今日の宮崎のコロナ感染は33人。

高鍋町は今日も感染者は無し。

高鍋町は教育研修施設内だけのクラスターで、市中感染は出ていない。

33人の感染者のうち、経路不明は5人だけなので、宮崎市内の飲食店の酒提供は午後7時までという規制はほとんど意味が無いように思える。


8月5日(木)

☆すっきりとした炎熱快晴の一日。

そして午前はとても蒸し暑かった。

☆今日の宮崎日日新聞くらし面”茶の間”に、公開対談に出席していただいた方からの「一冊の本」と題した投稿が掲載された。

なかなかこなれた文章で、対談の内容をよく伝えてある。

先日の宮日高鍋支局長の記事とは雲泥の差である。

新聞を読まれた知人たちからも連絡が入り、皆喜んでくれていた。

☆投稿された方は、MRTテレビ”わけもん!”を観られて感激され、直ぐ本を買われた方であった。

公開対談の時には妻の前の席に居られて、熱心にメモを取られていたと言うことである。

伊藤先生からもお電話があり、投稿された方の名前に覚えがあり、毎週のように短歌を投稿されている方ではないか、ということだった。

夕刻に本人にお礼の電話を入れると、やはり短歌を詠まれていて、これまでにも何度か伊藤先生に採用していただいたことがあると言うことだった。

対談から帰られて直ぐに原稿を書かれて投稿されたそうだが、なかなか掲載されないので没になったものだと諦めておられたようだ。

☆今だに、「MOON DROPSー月の雫」への反響が続く。

伊藤先生の話だと、書評を書かせていただきました、という連絡がまだ届くと言う。

多くの歌人の方たちが「月の雫」を読まれて、書評を書かれている。

伊藤先生との共著ゆえの大きな反響である。

☆一日、アンジェラスの森で制作。

午前のうちは作業場に陽が射すのでとても蒸し暑かったが、午後は木陰になり極めて涼しかった。

蚊も少ないが、もうツクツクボウシが鳴きはじめて、秋の気配となって来た。

☆今日の宮崎のコロナ感染は36人で、第5波に入ってからでは最大の感染者数となった。

幸い高鍋町での感染者は無かった。

高鍋町では教育施設でのクラスターのみで、市中感染は出ていないので、やはり高鍋町民が等しく外出自粛規制されるのは腑に落ちない。


8月4日(水)

☆夜中に雨。

日中は蒸し暑い熱暑。

夕刻には2日続けて、沸き立つ入道雲の中に虹がかかった。

こんな虹は初めて見た。

しかも2日続けて。

☆一日、アンジェラスの森で制作。

午後半ばから急激に肩が凝って来て、肩の凝りの痛みで作業が続けられなくなった。

グラインダーを持っての石の作業は1年余ぶりである。

体力的には何の問題も無いが、1年ぶりの石に向かう姿勢がやはり堪えたようだ。

早目に作業を切り上げて帰宅し、水風呂を浴びてマッサージチェアーに座る。

何時もはマッサージチェアーの圧が痛くてたまらないのだが、今日は圧の痛みは無く心地よかったので、相当に背中が凝ってしまっている。

アンジェラスの森から帰宅すると、町場は凄く暑い。

アンジェラスの森は風が通って、とても涼しい。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は29人。

高鍋町は今日も3人の感染者。

そして宮崎・東諸県圏域と、西都・児湯圏域は6日から24日までの期間の外出自粛となった。

宮崎市では、市の公共施設の閉鎖・休園が決まった。

しかし、宮崎県は国民文化祭・芸文祭は感染対策を取って実施すると言う。

まったくオリンピックと同じである。


8月3日(火)

☆夜中から雨。

雨は朝までには上がり、日中は入道雲の湧く暑い陽射しとなった。

クマゼミがいつもより激しく鳴く。

☆夜中は雨だれの音が激しくて眠れなかったり、軽トラの窓を開けたままだったので午前2時半に外に出て窓を閉めたりで、蒸し暑さも加わってとても眠りが浅かった。

☆午前にアンジェラスの森へ。

電源のスイッチを入れると、ブレーカーを誰かがいじった形跡がある。

それでずっとラジオを掛けていたら電源が落ちない。

電気工事業者が来てくれたようだ。

☆午後は午睡の後にアンジェラスの森へ上がり、制作に入る。

電動工具を使ってもブレーカーは落ちない。

最後にアンジェラスの森で制作をしたのは昨年の6月なので、1年余ぶりの石の作業である。

☆伊藤先生から、砂子屋書房のネットサイトでの「一首鑑賞」のコピーが送られてくる。

これは、砂子屋書房のホームページ上で、一首鑑賞を日替わりで連載する「日々のクオリア」というものを運営しておられ、今年は久我田鶴子さんと永井祐さんが執筆

されている。

そして7月28日掲載の一首が、久我田鶴子さんの「MOON DROPSー月の雫」からの伊藤先生の一首の鑑賞であった。

久我 田鶴子

君と君抱きあひたまへ酒杯置き月の光に射ぬかれながら    
 
                         伊藤一彦 『月の雫』 鉱脈社 2020年     ※「酒杯」に「しゆはい」、「射」に「い」のルビ。

「君と君抱きあひたまへ」だなんて、どういう場面かと思われる歌だ。

『月の雫』は、田中等の彫刻と伊藤一彦の短歌とのコラボレーションの一冊である。

この一首の田中の彫刻は、「MOON DANCE」。白い縦長の大理石が二つ、台の上に向き合うように立ち、それを人の姿に見立てれば腕のあたりで横縞の輪をかけ

られたように繋がっている。この作品に対して田中は、「マレーシア・ヤップ邸のオープンテラス ここに招かれた人々は月の抱擁とともに盃を傾け 常夏の夜に涼やかな

時をすごす」とコメントを付けている。

この彫刻の写真とコメントに対話するように、伊藤の短歌は作られている。

彫刻とそれに添えられたコメントがもたらすインスピレーション。

「君と君抱きあひたまへ」は、白い石の造形に向けられている。そしてまた、田中のコメント「ここに招かれた人々は月の抱擁とともに盃を傾け」を容れながら、ここに

招かれた人と人ということにもなる。

二つのものが抱き合ったまま月の光で射ぬかれるイメージは、石の彫刻と重ねられて、この世のものを超えた、なにか神聖な輝きを放っているようだ。

わざはひを黄金色(わうごんいろ)に吸ひとりて深き闇もつ彼の世に送れ

この歌の元になっている田中の彫刻は、やはり「MOON DANCE」で基本的な造形は同じだが、こちらは金色のブロンズでできている。金色の半月が二つ

向き合って、真ん中で繋がっているように見える。田中は「月は黄金色に輝く 廻りの様々を写しながら、月はやわらかく舞う」とコメントを付けている。

まさに「MOON DANCE」。黄金色に輝く月ということで、素材も石から金色のブロンズにしたのだろう。輝く金属面には、廻りのものが映りこむ。

この映りこみから、「わざはひを黄金色(わうごんいろ)に吸ひとりて」に。この世の禍を月が吸い取って、「深き闇もつ彼の世に送れ」と月の光の舞いに合わせて、

短歌は祈りへとつながる。

彫刻とそこに添えられたコメントとの対話は、どこか哲学的で格調が高い。

高校の教師になって初めて教えた人との、このコラボレーション。作者は、「教師冥利に尽きる」とあとがきに書いている。

☆久我さんは私のコメントも丁寧に読んでいただいている。

”彫刻とそこに添えられたコメントとの対話は、どこか哲学的で格調が高い。”

こんな嬉しいことはない。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は33名で、感染者は県内全域に広がってきた。

高鍋町も2名の感染者である。

そして夕刻の河野・宮崎県知事の会見では、県独自の警報レベルを「3(感染拡大緊急警報)」に引き上げる方針が示された。

引き上げられると、全県民に会食制限が要請され、「ジモ・ミヤタビ」は全県下で一時停止する。

よくぞ私たちは先月の25日にジモ・ミヤタビに参加したものである。

宮崎県は感染の拡大は県外からの流入と明言している。

にも関わらず、宮崎県民に対しては県外への旅行や夏休みの帰省を中止するように求めながらも、国民文化祭・芸文祭に中止等については一切言及しない。

オリンピックと同じ構図ではないか。


8月2日(月)

☆陽射しが強烈に痛い晴天。

☆スペインに帰国していた画家の又木啓子さんが、ようやくコロナ猛威感染拡大中のスペインから帰国でき、東京での2週間の隔離を経て、宮崎へ帰ってきた。

今回の帰国は、国民文化祭の都城市での彼女のプランの実施のためだが、実家の都城市に帰る前に、高鍋町に寄ってくれた。

昼食を挟んで近況報告。

☆コロナワクチン接種2回目の妻は、まったく副作用は出なかった。

微熱も、気怠さも無く、肩の痛みも軽いものだった。

☆高鍋町健康センターから、例のワクチンパスポートの件でお電話をいただいた。

私からの申し出にきちんと対応していただいた。

申請は役場ではなく、健康センターで行い、渡航が決まった時に申請すると言うこと。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は22人。

高鍋町は2人。

そして新富町の公官庁と、西都・児湯の教育研修施設でのクラスターが出た。

この2つのクラスターは寮生活での感染拡大なので、外に広がってゆくものではないのだろう。


8月1日(日)

☆夜中から雨。

雨は午前中まで続き、午後からは晴れてとても蒸し暑くなる。

☆今日は妻の2回目のコロナワクチン接種日。

前回同様、私も西都市の県立産業技術専門校へ同行する。

日向市の義姉も接種後に高熱の発熱があったし、廻りにはそういう人が多いので、念のために解熱剤を買っておくことにして帰路に薬局へ寄る。

そうしたら情報として廻っているアセトアミノフェンが入っている解熱剤は、接種が始まる前にとっくに売り切れてしまっていた。

薬剤師と相談して、EVEを購入。

今日の段階では接種した肩が少し痛くなってきた程度で、妻には何の副作用も無い。

☆午後から晴れて来たので、アンジェラスの森へ上がる。

昨日に作業場に搬入した石に墨を入れてみたら、用意した石が大きすぎて、以前から作業場に置いている石に丁度良いサイズの物があった。

直ぐにでも制作に入れるのだが、漏電したまま作業するのは怖いので、もうしばらく辛抱しよう。

☆リビングのエアコンが古くなって、風向きや風力の調整が出来ない。

最高温度の29度で除湿に設定しても、体中が冷え切ってしまう冷たい風がリビングテーブルの私の座る席に向かって来る。

それでホームセンターとダイソーで材料を買ってきて、エアコンの前にカーテンを垂らしてみた。

おかげで快適になったが、折りたたみ椅子に乗って作業していたら椅子がはじけてしまい、そのまま妻の目の前でフロアーに落下してしまった。

テーブル席の椅子で横腹を強打し、頭からモロに床に激突した。

妻が心配して悲鳴を上げたが、幸い額に少しコブが出来たのと横腹に打撲傷を負っただけで、何事も無かった。

しかしそれで少し体温が上がったようで、ワクチン接種した妻が私の方が体が熱いと言う。

もう70歳を越したので、こういう転倒事故が大きな事故につながってしまう。

用心、用心。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は10人で、高鍋町からも1人の感染者が確認された。

しかし、高鍋町の感染者は殆どがこれまでの感染者との接触者や家族で、経路がはっきりしている。

昨年の第3波の大規模な感染経路不明のクラスターとはまるっきり状況が違う。

☆全国知事会が、夏休み中の都道府県を越える旅行・帰省は原則として中止か延期を求める緊急提言をまとめた。

そうなると宮崎県で開催されている国民文化祭、芸文祭はどうなるのだろう。

宮崎県民には旅行に行くな、帰省するなと言いながら、国民文化祭と芸文祭にはどうぞ宮崎に積極的に来て下さいという矛盾を通すのだろうか。

都城美術館で開催中の木梨憲武展は、県外ナンバーの来訪者が多かった。


7月31日(土)

☆今日も炎熱の一日。

☆夜中はずっと蒸し暑くて、寝苦しく、起き抜けは体が動かず。

朝風呂を浴びて気合を入れる。

ところが、日中は鼻水もクシャミも止って、夏風邪は治まる。

なるべく冷たい水を控えよう。

☆午後にアンジェラスの森で作業を少し。

枝落としの続きをやって、これから制作する小作品に使えそうな石を作業場に運ぶ。

リフトも老朽化で2年前から動かなくなったので、手作業での石の運搬となり、久しぶりの重労働となった。

まだ電気工事業者が来てくれないので、作業には入れず。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は14人で、その内訳を見て”なるほど!やっぱり!”。

高鍋町から一気に5人の感染者が出ている。

感染者数の確定数発表は前日に確定した感染者数なので、昨日に宮崎県が高鍋町をオレンジ圏域に指定したのにはこの裏付けがあったのだ。

高鍋町の1人は感染経路が不明である。

だが今の状況でのオレンジ圏域指定によって、高鍋町民全員が様々な行動自粛を要請されることには大きな疑問が湧く。

今の日本の状況では、いくら緊急事態宣言を出しても、もう国民が慣れっこになってしまっていて、東京オリンピックが開催されていながらなぜ国民が自粛しなければ

ならないのか、という不満が高まっている。

今の状況では様々な産業が壊滅する。

そろそろ”コロナと共生して生きていく”ということを、日本は真剣に考えていかなければならないのではと思う。

既にシンガポールが、感染者数を重視する姿勢から転じて、ワクチン接種後の重症化の比率がインフルエンザ並に抑えられていると言うイスラエルのデータを参考に、

コロナに因る自粛を解除している。

イギリスが、感染者はいまだに1日5万人と言う日本の5倍の感染者が出ているのに、全てのコロナ規制を解除したのはこのシンガポールの例に倣った政策だと言う。

日本もワクチン接種が行き渡ったら、こうしたデータを分析して”コロナと共生していく日常生活”に舵を切る必要があるのではないかと思う。

感染者数ばかりにとらわれて緊急事態宣言を出すだけのままだと、私たちは何も出来ない。

最近のフェイスブックを観ていると、私の参加したことのあるチェコのシンポジウムが普通に開催中だし、ウクライナのカネフ・シンポジウムも招待作家の発表が成されて

いる。

ウクライナは日本以上にコロナ感染がひどくて、家から一歩も出れない状況だと言うが、チェコのシンポジウムにはウクライナの作家が参加しているし、東京オリンピック

にもウクライナの選手が参加している。

コロナと共生する日常生活に移行する時期に来ているのではないのだろうか。


7月30日(金)

☆快晴の真夏日。

とても暑い一日で、宮崎県内は6地点で今年最高気温を更新。

私は近年のこの夏の時期は殆ど日本に居なかったので、この暑さと気狂しいほどの蝉たちの絶叫は、むしろ日本の夏の風情を存分に感じられて嬉しい気もする。

☆しかし、夜中がとても蒸し暑くて、寝苦しく、とうとう夏風邪を引いてしまった。

一日、体が重くて動かず、ずっと鼻水が出っ放しで、くしゃみのしっぱなしであった。

もともとクーラーや扇風機の風が苦手で、直ぐに体調を壊してしまう。

今日もリビングのエアコンが異常にきつくて、長袖を羽織った。

☆夜明け前に、我が家の敷地に誰かがスタスタと這入って来る足音。

妻が先に気付いたが、丁度1年前に全く同じことが有った。

日記を開いてみると、昨年は7月29日の早朝で、1日しか違わないし、足音も全く同じであった。

昨年の今の時期は、高鍋町はコロナ感染拡大で、我が家から一歩も外に出れない日々だったので、新聞配達員も配達が出来なくなり、販売所の方が新聞を持って来られた

のだろうと思った。

しかし今の高鍋町はまだそういう状況ではない。

☆午睡の後は、2階の書斎でデスクワーク。

書斎は風の通りがよくて、とても涼しい。

☆マレーシア・イポーでいつもお世話になっていたPLB(電動工具店)の従業員のゴーさんからの近況報告では、お店はコロナのために5月に閉店したのだと言う。

フードコートでお世話になっていたアミーさんも、コロナで仕事が無くなったと言っていたし、ペナン島のギャラリーのスーもコロナで通りが閉鎖になって、

ギャラリーを移転したと言っていた。

マレーシアは全土が封鎖されていたが、どうなっているのだろう。

☆そしてとうとう宮崎県も、河野知事が「本県も第5波に入った」との認識を示した。

今日の宮崎のコロナ感染者は15名だったが、県は感染者が増加している宮崎市、西都市、高鍋町、新富町、川南町を「感染警戒区域(オレンジ区域)」に指定し、

8月2日から8月19日までをめどに、「4人以下、2時間以内」の会食制限などの行動自粛を要請することになった。

さらにこの「感染警戒区域」では、ジモ・ミヤタビの実施停止と、この区域の住民のジモ・ミヤタビへの参加も禁止される。

よくぞ我が家は、公開対談、その打ち上げ会食、ジモ・ミヤタビへの参加がこうした規制の外れた期間に収まってくれたものである。

すでに8月2日以降にジモ・ミヤタビに予約を入れているオレンジ区域の住民はキャンセルしなければならない。

高鍋町は第5波に入ってまだ数名の感染者しか出ていないので、今回の規制はあまりにも唐突な感じだが、直近1週間の人口10万人当たりの感染者数は、西都・児湯

圏域は14,5人で、オレンジ区域指定の目安「10人」を超えているのだという。

これからお盆の時期を迎え、高鍋町内の飲食店は再び悪夢が襲ってくる。


7月29日(木)

☆快晴の真夏日。

宮崎県内ではえびの市が36,3度の猛暑日だったようだ。

☆今日もアンジェラスの森で除草作業と枝落とし作業。

家の中では先日の除草作業で腰を痛めて体を動かすのも辛いが、アンジェラスの森では抜ける風がとても涼しくて気にならなくなった。

新しい作品に使えそうな端材のチェックなどする。

☆夕刻に、涼しくなってから庭の草刈りの続き。

☆空港展事務局の田村から、懸案であったこの秋のオアシス広場での展示企画についての空港ビルからの案内が届いた。

国民文化祭の一環として、9月と10月に「アートフェア」として開催するようだ。

この企画は、絵画、彫刻、工芸などのアートフェアで、これまでに宮崎空港で作品展示をしたことのある作家たちによる展示で、私たち彫刻家は個人としての参加になり、

会場効果として、9月と10月の両方に彫刻は展示して欲しいということ。

「アートフェア」自体の内容についてはまだ何も情報が無いが、出来るだけの協力はしようと思う。

ただ、私はこの1年間は本の出版と版画制作に集中していたので、彫刻の新作は無い。

過去の作品を展示することになる。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は16名。

3日連続の2桁感染者数となった。

全国的にも今日は過去最高の感染者数で、再び全国的な緊急事態宣言も取りざたされてきはじめた。


7月28日(水)

☆今日も快晴の一日。

蝉の大合唱が響き渡る。

☆アンジェラスの森で漏電個所のチェック。

といってもテスターなども持っていないので、プレハブの老朽化でボロボロになっているコンセントを取り換えようと思ったが、やはり素人作業ではできない作業である。

知人の電気工事業者に連絡を取り、点検を依頼する。

しかし業者も忙しくて、時間の空いた時にしか作業場には行けないということ。

暫くは作業は出来そうにない。

☆昨日の除草作業で、腰が痛くなった。

暑くて水分も摂りすぎたので、ちょっと夏バテ気味。

☆宮崎大学の3年の終わりころに制作した首像のモデルを務めてくれた方から、公開対談の資料へのお礼のメールが届き、当時のデッサンの画像が添付されていた。

当時はかならずデッサンをして制作に掛かっていたのだが、宮崎大学時代のデッサンは私の手元には1枚も残っていない。

送られてきたデッサンは私の記憶の中には全く無いので、とても驚いた。

” その時、デッサンしていただいたものは、アルバムにちゃんと貼ってありました!何だかきりっとしていて、我ながらいい顔です!

これも何十年ぶりに見ましたが、写真とは違う若い頃の自分がいます。1971/1/22。 田中さんのサインもありますね。ちょうど50年前。私は二十歳でした!”

彼女はずっと私のデッサンを大切に保管してくれていたということだ。

残りのデッサンは実家に大切に保存してあるという。

50年前にモデルをしたことはとてもいい経験だったということ。

彼女も20年前から俳句をやっていて長谷川櫂さんのこともよく知って居るし、短歌をやっている友人は私の本が伊藤先生との共著であることにとても驚いていると言う。

高野公彦氏が「月の雫」のことを詠んでいただいた一首も、彼女が「月の雫」を読んだ時に感じたものと全く一緒だったという。

大学を卒業してから、私と彼女とは一度も会って居ないにもかかわらず、50年経てもこうして繋がっていく不思議さ。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は10名。


7月27日(火)

☆朝からカラリと晴れた快晴の一日。

クマゼミたちの思いきりの好い大合唱が真夏らしい風情となった。

☆午前に、1年ぶりに作業のためにアンジェラスの森へ上がる。

伸び放題の草の除去作業。

ところがラジオの電源が切れる。

ブレーカーが落ちているので、どこかで漏電しているようだ。

ブレーカーの落ちる間隔が次第に短くなってきたので、作業を止める。

このまま作業を続けて漏電で火が出たら、アンジェラスの森が燃える大惨事になる。

困ったことになった。

電気が使えなくては作業も出来ない。

☆今日は火産霊神社の祭礼日で、コロナで昨年に引き続き祭りが中止になったので、今年は神輿だけがトラックに乗せられて各地域を巡行し祭事を行うことになった。

中町公民館は午後2時半だという案内だったので、午睡の後に出掛けた。

しかし、接待の場所には神輿の姿は無く、お供え物の準備の様子もなく、通りに誰一人居ない。

またか・・・、というやり切れない想い。

おそらく巡行時間の変更があり、私には何の連絡も無かったのだろう。

我が家は大通りに面した中町公民館の各戸から一筋外れた位置にあるので、これまでにも何度も我が家だけ連絡が洩れる事が有った。

☆午後後半に再びアンジェラスの森へ。

漏電しそうな場所をチェックしてみるが、素人の私にはさっぱりわからない。

電気工事店に点検してもらうよりない。

☆暮れ方に帰宅して、再び伸び始めた庭の草を刈る。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は13名で、西都市で飲食店関係のクラスターが発生した。

今日は全国的に過去最高の感染者が出たところが多く、完全に第5波に這入ってしまったようだ。

昨夏の第3波もこの時期からであったし、高鍋町は大規模なクラスターが発生して地獄の日々となった。

また8月は大変なことになりそうである。


7月26日(月)

☆前半は、青空から突然雨になる不安定な天気。

午後は概ね晴れ。

☆午前8時前にホテルをチェックアウトして帰宅する。

☆午後は1階の和室で午睡。

庭に面した和室はとても涼しい。

☆午後後半は2階の書斎でデスクワーク。

書斎も風が通って気持ちが好い。

☆夕刻に、スマートレターで、編集してもらった公開対談のDVDを関係者に送る。

☆ワクチンパスポートの申請が、今日から全国の市区町村で始まった。

私はワクチン接種の時にこのパスポートのことを尋ねたのだが、誰もまだ理解して居なくて、はっきりしたら連絡すると言うので連絡先を伝えておいた。

宮崎県内でも申請受付が始まったが、高鍋町役場からは何の連絡も無い。

しかし申請は渡航予定のある人に限られるようなので、私は今のところ来春のオーストラリアしか渡航が決定していないので、慌てる必要は無い。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は2名。


7月25日(日)

☆午前は時折りの雨交じりの天気。

午後は曇天だが雨にはならず。

☆午前は2階書斎でデスクワーク。

吹きぬける風が寒いくらい。

☆午後に妻と都城市へ。

宮崎県民対象のゴー・ツウー・トラベルであるジモミヤタビ+都城ミートツーリズムに参加するので出掛ける。

☆宿泊プランなので、ホテルにチェックインして、すぐに都城市立美術館へ。

4月から都城に転勤になった妻の元同僚と会うために、美術館で待ち合わせをして、開催中の木梨憲武展を一緒に観る。

木梨憲武展なんて何の興味も無かったのだが、3人で夕刻近くまで時間を潰すには丁度良かった。

案の定、何の期待もしていなかったが、美術館で開催するレベルの物ではない。

片岡鶴太郎展が高鍋町美術館で開催された時も、殆どが公募展入選レベル以下のものばかりで反吐が出た。

木梨憲武展も大半は高校生の美術部作品以下のレベルのものではあったが、中には確かになかなか面白いものもあった。

しかし公共の美術館で取り上げるべき作品レベルではない。

都城市立美術館がどうしてこのような企画を受け入れたのか、はなはだ腑に落ちない。

世の中の価値観が混沌としてしまっている状況を見た想いであった。

☆美術館を出て、近くの老舗の珈琲店で近況を語る。

☆5時前にホテルへ戻り、送迎バスで母智丘(もちお)公園入口のフランス料理店”シェケン”へ。

今回のツアーは、24,000円の宮崎牛を食す宿泊プランが、宮崎県のジモミヤタビキャンペーンの割引助成、都城市の都城ミートツーリズム助成金で、1万円相当の

宮崎牛を食べて、ホテルに泊まってなんと9,000円と言うものである。

それにジモミヤダビの地域共通クーポン券が2,000円分、さらに”シェケン”で使える食事券1,000円分が付いて来るので、実際は6,000円で1万円相当の宮崎牛

フレンチディナーと朝食付きホテル宿泊なのだから、使わない手はない。

食事もとても美味しく、超満足なディナーであった。

☆食事の量がとても多く、部屋に戻ってからは部屋飲みもせず、テレビでオリンピックの競技を観ながら寛ぐ。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は3名。


7月24日(土)

☆今日も変化の激しい不安定な天候。

晴れたかと思うといきなり激しい雨が襲ってくる、その繰り返し。

とても蒸し暑い。

☆一日、デスクワーク。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は昨日と同じ9名。

そしてとうとう高鍋町からも感染者が出た。

高鍋町はこれでコロナ感染者が111名となった。

高鍋町は近年は人口減で20,000人を切り始めている。

その中での感染者111人と言うのは、高鍋町民の0,555%、つまり180人に1人の感染率だということになる。

これは国内では相当に感染率が高い行政区になるのではないのか。

宮崎市では1727人の感染者が出ているが、感染率は230人に1人である。

幸い、今のところは今日の感染者はこれまでの感染者との接触者であった。


7月23日(金)

☆今日も一日中不安定な天気で、雨が降ったり陽射しが出たりの繰り返し。

とても蒸し暑い。

☆午後に、隣町の川南町トロントロンドームの町立図書館へ。

川南町立図書館にも私の本を献本する予定だったので、本の寄贈を申し出た。

ところが、本を収蔵するとか書架に並べるかの判断は、館内での検討協議の上決定されるので、その判断はこちらに任せて欲しい、最悪の場合は廃棄処分になり、

その際は寄贈者には返却されませんと言う。

そこまでは昨日の新富町の対応と同じだった。

だが、新富町立図書館では快く受け取って貰えたのに、川南町立図書館ではなかなか受け取ってもらえない。

図書館自体の収容能力もあり、今では県立図書館や他の公共図書館との本の貸し借りのネットワークが有るので、他の図書館に収蔵されていれば収蔵する必要もない。

また、もし内部で協議の上、収蔵することになれば、直接に出版社から購入することになる。

共著の伊藤一彦氏は宮崎県立図書館の名誉館長でもあり著名な方だが、受付の立場では寄贈を受け入れるかどうかの判断は出来ない、と言うことであった。

確かに図書館側の事情というものは良く理解できた。

しかし、頻繁に”廃棄”と言う言葉が出て来ると、持参した本は今では貴重な初版本なので、寄贈は断念し持ち帰ることにした。

☆図書館の事情と言うものはよく解るのだが、なにかやるせない気持ちになった。

昨日同様に、ロビーでデスクワークでもしようと思って居たが、ロビーにはエアコンが効いておらず、マスクをしたまま蒸し暑いロビーに居たら窒息しそうになり、急いで

退出する。

仕事柄、川南図書館を良く利用する妻の話では、すごく評価の高い図書館だったのだが、私にとっては印象の悪い結果であった。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は9名で、7月に這入って最多の感染者となった。

いずれもこれまでの感染者との接触者なのだが、西都市が2名、川南町が1名と児湯郡内での感染が広がりつつある。


7月22日(木)

☆今日も一日、不安定な気候。

雨が降ったり止んだりのほぼ雨模様。

沖縄の台風の影響か、風も強い。

☆午後に、お隣の新富町の総合交流センター”きらり”の図書館へ行く。

私の本をまだ献本していなかったので、献本する。

2人の受け付けのうち、年配の方は”新聞に出ていましたね”と快く受け付けていただいた。

☆図書館に足を踏み入れると、一方は資料館になっていて、新田原古墳群の百足塚古墳から出土した多くの埴輪が展示してあった。

この百足塚古墳のことはよくニュースで取り上げられているので気にはなっていたが、実際の出土埴輪を見たのは初めてで、その素晴らしさと豊富な表現に非常に驚いた。

百足塚古墳の埴輪の大きな特色は人物埴輪の出土で、人の形が復元できた埴輪が初めて出土したのがこの古墳だと言う。

中でも有名なのが「踊る女性」と呼ばれる埴輪で、なんとスカートをめくっていて、全国から貸し出しの要請のある人気者だという。

他にも衣服をなびかせて盃を掲げている女性など、 確かに人物の表情や動作がとても多様で、こんなに表情豊かな人物埴輪はこれまでに見たことが無い。

また家形埴輪も特徴的で、2階建の埴輪は1階と2階が分離できる構造になっている。

☆さらに展示された資料を読んでいると、知らないことが幾つかあった。

縄文時代と言う時代呼称は、土器に付けられた模様が縄を転がして付けられたことから由来しているのだが、実は九州内では縄模様の土器の出土は少ないのだと言う。

むしろ、九州内の土器に付けられたのは貝殻模様が主流で、もし縄文土器よりも貝殻模様の土器が先に発見されていたら、縄文時代ではなく貝殻文時代と呼称されて

いただろうと言うことである。

また、墳墓の”もがり”に使用された朱(水銀朱とベンガラ)のうち、水銀朱は宮崎県では産出されないものだと言う。

そして6世紀のある地下式横穴墳墓からは、須恵器に塗られ、盛られた朱が出土している。

私はこれまで石棺や壁画に塗られた朱しか見たことが無かったので、そうしたものに塗られる前の朱を見たのは初めてである。

私の”再生”シリーズの作品は、高鍋町の持田古墳群から出土した石棺に内側に塗られていた朱がモチーフとなっている。

それだけに、この朱にまつわる記述と出土品は極めて興味深いものであった。

古墳時代には色んなものが、例えば石棺に使われる石は阿蘇赤石、黒曜石の矢じりは大分の姫島産等、ブランド化した素材が全国に共通して使われている。

宮崎では産出しない水銀朱は、何処のものがブランド化されていたのだろうか。

☆図書室を出て、カフェのある回廊でデスクワークをする。

エアコンが効いていて、BGMに軽快なジャズが流れ、夏休みに這入ったので子供達や母子が寛いでいる。

外は豊かな緑にあふれている。

ふっと、ここは一体何処なんだろう、という錯覚に陥る。

高鍋町にはこういう公共スペースはない。

新富町の人たちは幸せだなとつくづく感じる。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は5名。

日向・東臼杵圏域が感染未確認圏域から感染確認圏域に引き上げられた。


7月21日(水)

☆不安定な天候の一日。

激しく雨が降ったり、陽が照ったり。

夕刻にはお隣の新富町新田周辺では突風で竜巻が発生して被害が出たようだ。

蒸し暑い一日。

☆午後から西都市の妻高校で、美術部の生徒への実技指導。

県の高校文化祭に出品する立体作品を2人の女生徒が造っていて、躯体をスタイロフォームで造っている。

以前に、高校の美術教師の実技講習会でスタイロフォームでの造型を指導したことがあるので、その時の企画担当だった教師からヘルプのお願いを受けた。

担当教師も生徒もまったくやり方がわからず、お手上げ状態だった。

基本的な作業の進め方を示して、殆ど最初からやり直す感じだったので、与えられた時間内では基本構造を建て直すくらいのことしか出来なかった。

それでも概ねの骨格はしっかりしてきたので、なんとか仕上げへ向かってくれると思う。

高校生に指導するのは何年振りだろう。

☆帰路に集中豪雨のもの凄い雨。

その一連の激しい風雨が、新富町新田の突風と竜巻を引き起こしたのだろう。

西都ー高鍋線は上新田を抜けているのである。

☆今日の宮崎のコロナ感染は7名で、宮崎市では2か月ぶりに飲食店でのクラスターが発生した。

西都市でも感染者が出て、西都・児湯圏域は感染未確認圏域から感染確認圏域に引き上げられた。

県は、過去の感染拡大は県外との接触が起点となっているので、さらなる不用不急の県外往来、来県自粛を呼びかけている。

国民文化祭・芸文祭での来県を呼びかけていながら、である。


7月20日(火)

☆夜中は時折の激しい雨。

午前も雲の変化の激しい不安定な空模様。

午後は晴れる。

野分のような強い風が吹く。

☆一日、デスクワーク。

今日も2階の書斎で過ごす。

風が気持ちよく抜けてくれる。

☆伊藤一彦先生から、公開対談のDVDと高校卒業アルバムからの写真を受け取ったお礼の電話。

何より、新聞部の伊藤先生の写真が55年前の写真とは思えない鮮やかさだったので、大変驚いておられた。

先日も書いたように、色んな雑誌関係から伊藤先生の特集記事で、若い頃の写真を求められても先生はそういう写真を1枚も持っておられない。

先日は短歌会の写真にひどく驚いておられたのだが、そこへ、新聞部のこんな鮮やかな写真が出て来たので、更なる驚愕である。

歌人・伊藤一彦の作家資料として第一級の大発見なのである。

「宮崎この人」企画の森川さんから、DVDに収録する写真を求められなかったら、卒業アルバムの中の伊藤先生の写真の存在には気が付かないままであった。

そして昨日の高野公彦氏の歌集の件について、高野氏は非常に厳しい批評眼の持ち主で、彼が本当に気に入った作品しか題材として短歌に詠むことは無いのだと言う。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は5名。

県内各地に広がり始めた。


7月19日(月)

☆夜中は雷混じりの激しい雨。

午前も不安定な天気で、空の半分は入道雲の湧く爽やかな青空だが、半分は雨雲で雨が降り続ける。

陽が照る中を傘をさして移動する。

午後には晴れたが、夜になって再び雨となる。

気温はいく分涼しい。

☆午前に、日向の二人展の礼状に切手を貼って投函。

☆伊藤先生から、高野公彦氏の最新歌集「水の自画像」に収められている、「月の雫」を詠んだ歌のコピーが届く。

          彫刻と歌のコラボ『月の雫』(田中等・伊藤一彦共著)に寄す。

     彫刻の石のいのちのしたたりを湛(たた)えて歌の言葉きらめく

高野公彦氏は第一回若山牧水賞受賞者であり、著名な現代短歌の歌人である。

こうした著名な歌人の方たちが私の「MOON DROPSー月の雫」を読んで下さったばかりではなく、こうして歌集にまで詠んだ歌を載せていただくなんて、身に余る

光栄である。

伊藤先生の添え書きには、”高野公彦氏には田中君の作ったパンフ(長谷川櫂「四季」私家版冊子)を送ります、とあった。

☆私の高校卒業アルバムには、新聞部の写真にも伊藤先生が写っていて、こちらの方が画像が鮮明である。

それで短歌会と新聞部のアルバム写真をプリントし、編集してもらった公開対談のDVDと一緒に、伊藤先生へ送る。

☆午後は2階の書斎でデスクワーク。

抜けて行く風が気持ち好くて、エアコンは要らず。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は1名で、昨日の感染者の家族。

いまの落ち着いた状態がいつまで続くか。


7月18日(日)

☆夜中は雨で、ずっと遠雷の稲光が家並みを照らし続けた。

雨は朝には上がり、日中は雲は多いものの概ね晴天。

夜になって再び雨。

☆朝一に、長男を宮崎空港へ送る。

宮崎県の県外往来自粛の要望は、県外からの宮崎県への不要不急以外の往来も自粛が要請されている。

夏休み期間中の帰省も自粛が要請されているが、自粛要請期間は明日の19日からなので、長男の帰省はギリギリセーフであった。

ただ長男は医療従事者なのでワクチンはすでに接種を済ませているし、高鍋町では我が家からは一歩も出なかった。

むしろ、宮崎県への県外からの不要不急以外の往来自粛をお願いすると言う宮崎県の対応と、国民文化祭・芸文祭への宮崎県への来訪を高らかに謳っている対応

とは真逆である。

☆やはり長男が帰ってしまうと、妻と2人だけの我が家には急に空虚感が漂ってしまう。

先日に日向での二人展の礼状DMが届いていたので、午後からは礼状の宛名書きをする。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は5名。


7月17日(土)

☆昨夜からの雷雨は、延々と一晩中激しく続いた。

早朝5時には爆弾がすぐそばに落ちた様な衝撃音で、ベッドから体が浮き上がった。

慌ててリビングへ駈け降りてパソコンの電源を抜く。

やはり高鍋町内では、昨夜に落雷の被害が在り、某会社の駐車場の擁壁が30メートルほど崩れたらしい。

雷雨は朝のうちには止んだが、雨は午前中は強く降り続け、午後半ばからは雨も上がって青空が広がる。

☆そして、夜になって8時50分にゆらりと地震。

震源地は伊予灘。

高鍋町は震度2。

☆午前に日向市へ。

長男が帰省したのは久しぶりなので、義姉に顔見せに行く。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は3名。

しかし全国的に感染拡大が広がっていて、確実に変異株による第5波に這入っているようだ。

宮崎県は夏休み期間中の、宮崎県民の県外往来の自粛を求めているが、一方で国民文化祭を大々的に広報している。

オリンピックの事前合宿や国民文化祭での海外・県外からの宮崎来訪を大歓迎しながら、宮崎県民には県外への往来自粛を求めている。

あまりにも矛盾だらけである。


7月16日(金)

☆一日、雨が降ったり青空が広がったりの不安定な気候。

夕刻から、高鍋町は激しい雷雨となった。

そして夜の11時30分に土砂災害による警戒レベル3の「高齢者等避難」が発令された。

☆午前は、帰省した長男のために「冷や汁」を作る。

見かけは汁かけ飯だが、とても手間のかかる郷土料理で、午前いっぱいかかる。

☆午後は長男と宮崎空港へ。

お土産を到着口のトイレに置き忘れていたので、受け取りに行く。

☆帰宅すると同時に、公開対談のDVD編集をお願いしていた「宮崎この人」企画の森川さんが、完成したDVDを持って来られた。

DVDを再生して、追加編集で挿入した画像の挿入場所を確認する。

やはり編集は相当に大変だったようで、編集作業の間は他の仕事は全くできずに、パソコンに張り付いておられたということ。

こうした企画のビデオを編集作成するには、それなりのプロのチームを作っておかなければならないようだ。

今回の対談はすべて私と伊藤先生の手弁当で対応したので、特別な予算は全く組めなかったので致し方ない。

☆夜に伊藤先生からお電話。

添付送付しておいた高校時代の短歌会の写真に、大変驚いておられた。

実は、色んな企画で出版社等から伊藤先生の高鍋高校勤務時代を含む若い時期の写真を求められることが多いのだが、先生はそうした写真を一枚も持っておられない

のだという。

今回の卒業アルバムの写真は初めて見られたと言う。

したがって、歌人・伊藤一彦の作家資料としては、貴重な大発見だったのである。

短歌会は部活動ではなく、同好会だったので、卒業アルバムに部活扱いで掲載されているなど想定外であったようだ。

また公開対談の時の長谷川櫂「四季」私家版冊子を、伊藤先生が送られた方たちからの反応も全国から届いているということ。

私の私家版冊子に寄せたコメントへの賞賛や、対談の司会進行を高鍋町長が勤められたことに驚きの声が届いているということ。

そして今日届いた著名な某歌人の新刊歌集の中で、「MOON DROPSー月の雫」が詠んである一首が含まれていたという報告もあった。

この本はあちこちで反響が拡がっているようだ。

”やはりこの本は、何か賞を取りたかったね、それだけの価値のある本だよ”

☆今日の宮崎のコロナ感染者は一週間ぶりにゼロであった。


7月15日(木)

☆晴天の一日。

数日前ほどの暑さは無く、夜中もエアコンは不要だった。

夕刻に少しにわか雨があり、虹が出る。

☆72歳誕生日。

父が72歳で亡くなっているので、先ずは私も72歳までは生きなければならないと思って居たので、健康な体で72歳を迎えられたことはとても嬉しい。

今年の目標は、父の生年齢を超えることである。

来年の73歳の誕生日が無事に迎えられるように祈るのみ。

そしてこの1年は想定外に非常に充実した毎日であったので、今年も出来ることから前向きに生きる、というのが今日の想いである。

☆公開対談のDVDビデオに、アンジェラスの森の画像も入れたいと言うことで画像をいくつか捜して、「宮崎この人」企画の森川さんへ送る。

☆石井記念友愛社理事長の児嶋君が、先日の公開対談のことについて、「ゆうあい通信」に”コロナ後のルネッサンス”と題して、かなりの長文を書いてくれている。

ゆうあい通信は友愛社のホームページから読むことが出来る。

PDFに保存できたので、伊藤先生に送る。

☆コロナの影響でずっと帰省できなかった長男が、ようやく帰省できたので妻と迎えに行く。

東京はまたコロナの感染が大きく拡大して来ているので、宮崎に帰って来ても公共機関等の利用はさせられない。

宮崎空港は、先月に来た時よりもかなり利用者が増えて来ている。

お世話になっている空港ビルの職員の方と話していたら、今月は毎日1,000人以上の利用者があり、少し回復してきているということ。

それに、オリンピックの事前合宿や国民文化祭の関係者・参加者が相当に宮崎に這入って来ているということ。

☆今夜は久しぶりに家族3人での、私の誕生祝。

妻が私と長男のために伊勢海老を通販で注文してくれていたので、私が捌く。

長男が還暦のお祝いに着る赤いちゃんちゃんこと帽子を送ってくれていたので、それを着用しての楽しい誕生祝となった。

☆宮崎の今日のコロナ感染者は1名。


7月14日(水)

☆午前は快晴。

午後になってにわかに雨雲が蔽い、遠雷が鳴り渡る。

夕刻に激しい雷雨。

ほとんどマレーシアのスコールと同じだが、今日の雷は爆撃に等しいすさまじさで、何発かが我が家に落ちたのはないかと思うほどの激しい間近な落雷が続いた。

慌ててパソコンの電源を抜いたが、停電にはならなかった。

☆今朝は我が家で蜩が鳴きはじめた。

まだ7月の中旬だと言うこの時期に蜩が鳴くなんて考えられない。

しかし、本来なら今が盛りの筈のミイミイゼミの鳴き声が、遠くで聞こえて来るのか耳鳴りの錯覚かわからない。

近年は、この時期殆ど日本にいなかったので、夏の風情の様変わりに驚かされる。

☆午前に、公開対談の時に作った長谷川櫂氏「四季」私家版冊子を、本を買ってくれた高校同級生や関係者に送る。

☆「宮崎この人」企画の森川さんから、公開対談の座談に出席した4人が写っている高校時代の写真も編集しているDVDに挿入したいと言うことで、再び卒業アルバムと

私のアルバムを開き、4人が一緒に写っている写真をスキャンして送る。

卒業アルバムを見直していたら、部活動等の紹介写真ページに、私は美術部、短歌会、そしてアルバム編集委員として載って居る。

中でもアルバム編集委員では、私は帝王然として女学生たちに囲まれて写っている。

どうしてそういう位置で写ったのか、全く記憶にないが、当時の私は単なる美術部員と言う存在をはるかに越えた存在だったのか。

☆午後は今にも雨になりそうな曇天で涼しかったので、遠雷を耳にしながら庭の草を抜く作業をする。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は3人。

少しずつ、感染経路不明の人が出て来始めた。


7月13日(火)

☆午前は晴れ。

午後になり、にわかに雨雲が出て、あわてて洗濯物を仕舞った途端に激しい雨となった。

雨は雷雨となって夕刻まで続き、夕暮れに虹が立つ。

宮崎は、雨が来そうだと思ったら必ず直ぐに雨になる潔さがあり、毎日のようにスコールが訪れるマレーシアと似ている。

学生時代、佐賀大学の専攻科に進んだ時に、雨雲が出て雨を期待して外に飛び出した”雨大好き”の私は、一向に雨にならない佐賀の気候に苛立った。

同じ九州でも、こんなに雨の風情は異なるのかと驚いた。

☆朝は上天気だったので、2階のベランダに布団を干していたら、桜の樹幹から蜩が数匹飛び立った。

昔は蜩が鳴きはじめるのは、もう秋の気配が漂い始めてからであった。

近年は、ミンミン蝉の鳴き音が殆どしなくなり、勢いのあるワシワシ(クマゼミ)もあの凄まじいシャワーのような大合唱も聞こえなくなり、代わりに蜩の登場が早くなって

来ている。

☆「宮崎この人」企画の森川さんに、公開対談の録画ビデオをDVDに再編集していただいている。

対談当日に対談中では出て来るが、現物をスクリーンで見せる事の出来なかった作品等の画像をDVDに挿入していただいている。

矢張り、今回の対談は私と伊藤先生とが高鍋高校で出会ったことから始まったストーリーなので、その高校時代の私と伊藤先生の写った写真が欲しいということに

なった。

しかし私のアルバムにはそういう写真は無い。

そこで、後輩の書家・石井琴月さんが、彼女も短歌会に這入っていて、伊藤先生と一緒に写った写真が在ると言っていたのを思い出して、電話を入れてみた。

だが、その写真には私は写っていないと言う。

ふっと、卒業アルバムの存在を想い出した。

アルバムを引っ張り出して確認すると、ちゃんと短歌会のメンバーとして伊藤先生と私の写っている写真が載っている。

どうしてこんなことに今まで気が付かなかったのだろう。

もっと早くに気付いていれば、「宮崎この人」のDVDに収録できたし、長谷川櫂さんの「四季」私家版冊子にも収録できたし、公開対談当日でもスクリーンに大写し出来た。

私の隣には、若くしてヨーロッパアルプスで雪崩に命を散らした秀才の重信君の凛々しい姿もある。

早速スキャンして、森川さんに送る。

☆今日の宮崎のコロナ感染は3名。

いずれも感染経路不明というのが気になる。


7月12日(月)

☆夜中に雨。

午前も雲が多かったが、午後からは晴れる。

非常に蒸し暑い一日。

☆ワシワシ(クマゼミ)の初鳴き。

いよいよ夏本番の到来。

☆一日、デスクワーク。

彫刻関係の作業に没入したいが、何時ものように精神を集中させるまでには時間がかかる。

☆今日の宮崎のコロナ感染は1名。


7月11日(日)

☆真夏の炎熱。

そして矢張り、南九州は午前のうちに梅雨が明けた。

☆朝一に、妻のコロナワクチン接種で西都市の宮崎県立産業技術専門校へ。

集団接種で児湯郡内の他自治区域からも接種出来る事になり、妻の仕事に支障のない日曜日に接種出来るので、私がネットで予約してあげた。

私は駐車場で待機して、車の中で本を読んでいたが、接種開始時間からほどなくして、接種を終えた方たちが次々に帰って行かれる。

妻も早々に接種が済んで戻って来て、開口一番に”びっくりした!”と言う。

誰か懐かしい人にでも遭ったのかと思ったら、会場はエアコンが効いていて、担当者たちもてきぱきととても親切で、接種後の待機場所もモンサンミッシェルやベニス

などの映像と心地よい音楽が流れて、超快適だったと言うのである。

妻は西都市内の職場に8年間通勤していたから、余計にリラックス出来たようである。

2回目も同じ会場での接種なので、西都市を選んでよかったと喜んでいた。

腕の痛みは、夜に少しの腕の重さ程度だったようだ。

☆午後はずっと、「宮崎この人」企画の森川さんに編集していただいた公開対談DVDのコピー作業を試みる。

しかし、先日インストールしておいたDVD作成ソフトを使っても、ファイルが取り込めない。

DVDをコピーするには、MP4等に変換しないとパソコンで再生できないらしいが、データ自体を取り込めない。

なんどやっても同じ結果である。

森川さんにダビングしてもらうのが得策か。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は2名。

大阪は第5波の入口に這入ったと言う。

ヨーロッパでもデルタ株でコロナが再拡大しているようだ。

まだまだ宮崎でじっとしておくべきだろう。


7月10日(土)

☆一晩中激しい雷雨。

雨は朝のうちに上がり、午前中には一気に青空が広がる。

鹿児島や宮崎のえびの方面では大雨の警報が出て被害も出たようだ。

午後ににわか雨があった程度で、日中は晴天が続く。

暑さはなし。

☆公開対談の録画を編集していただいた「宮崎この人」企画の森川さんから、DVDが届いた。

20,4GBのサイズを4,7GBに圧縮して編集していただいたので、画像は荒いが音声には何の問題も無い。

通しで最後まで見る。

これなら私のパソコンでコピーが出来ると思ったが、うまくいかない。

以前はDVDのコピーはとても簡単だったのだが。

時間があれば、また文字起こしをしたい。

☆今日の宮崎のコロナ感染は1名。


7月9日(金)

☆午前は晴天。

午後からにわかに雨雲が出て、2時から強い雨。

夕刻にはいったん晴れたが、夜になって雷雨となる。

今日も宮崎市が全国で最も暑かった。

☆一日、デスクワーク。

そろそろ海外のシンポジウムも、少しずつ正常に戻りつつあるようだ。

届いていた来年度のシンポジウム要項を和訳する。

☆今日の宮崎のコロナ感染者はゼロ。


7月8日(木)

☆午前は雲の多い晴天。

午後に驟雨。

夕刻からは晴れる。

今日も猛暑日で日向市は全国一位の35.8度、高鍋町も全国5位の33,8度を記録。

☆午前は雲が多かったので、刈り残していた庭の草を草刈り機で除草。

浴室外庭の竹もまた伸びて来ていたので除去して、軽トラに積み込む。

☆暑さがこたえて、昼食後は午睡を取る。

☆小一時間ほど午睡をしたところへ、高鍋町商工会議所から昨日送付した緊急支援金の書類が一部不足していると言う電話が入る。

必要な書類をコピーして、新築移転したばかりの会議所へ届ける。

これで書類は無事に受け付けて貰えた。

☆再び午睡に這入ろうとしたら、遠くで雷鳴が聞こえ始めた。

スマホの天気予報を見ると、間もなく雨と出ている。

あわてて軽トラに積み込んだ草を捨てにアンジェラスの森へ向かうと、すでに山里は真っ暗な雨雲であった。

草を捨ててアンジェラスの森を出た途端に激しい雨となる。

☆午後は彫刻関係の書類の整理をする。

そろそろ彫刻家に復帰しないと。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は3名で、いずれもこれまでの感染者の家族や接触者。


7月7日(水)

☆曇天。

昼に少し雨がパラリと来たが、それ以上の崩れは無く、夕刻からは青空が広がる。

七夕の夜が晴れているのは、ずい分の間なかったことだ。

週末は再び梅雨空に戻るという事だったが、あるいはもう梅雨が明けるのではないのか。

☆夜中は蒸し暑くて眠りが浅く、一晩中同じ夢を見続け、何時まで経っても夜が明けなかった。

その夢は、伊藤先生が私に向かって何処かに4つの書類を出しなさいと言われる夢で、延々と繰り返えされた。

何だったんだろう。

☆午前は、宮崎県文化年鑑の令和2年彫刻部門の活動報告をまとめて、事務局へメールで送る。

空港展も中止され、宮日総合美術展と宮崎県美展も”みやざき総合美術展”に統合されたので、記載する内容は第1回のみやざき総合美術展のことしか無い。

課題が山積された県内公募展の彫刻部門に対して、何の現状打破の意志さえ微塵も見られない”みやざき総合美術展”に対しては、批判しか書くことはない。

芸術表現と言うのは、プロであろうがアマチュアであろうが、初心者であろうが熟練者であろうが対等である。

芸術は全ての表現者に対して平等であり、対等であり、それゆえに厳しい。

出品者に対して、18歳以下と75歳以下と言う枠を設けるなど、この芸術の平等対等と言う原則をまったく理解していない、芸術とは無縁の人たちの発想でしかない。

宮崎県の公募展は、一地域の公民館レベルの作品発表の場であると宣言しているに等しい。

運営委員にはそれぞれの分野の作家達が加わっている訳だから、どうして作家たちがこういう馬鹿な規定を容認してしまうのか、全く理解できない。

☆午後は、宮崎県の「県内事業者緊急支援金」と、高鍋町の「町内事業者緊急支援金」の申請書類一式を作成。

受付が明日からなので、夕刻にレターパックで高鍋町商工会議所に発送する。

☆ロシア・ウファーのNellyから、また私の作品とコラボした動画が送られてきた。

彼女は本当にこの私の作品を愛してくれているようだ。

海外に設置した自分の作品の今の状態を、色んな人がこうしてタイムリーにネットで送ってくれる。

面白い時代になった。

だが、日本人にはこういう感覚は全く無い。

彫刻を受け入れる素地が全く違うのだ。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は2人。

東京では再び感染者が急増している。


7月6日(火)

☆雲が多かったものの、ほぼ晴天。

今日も気温が上昇して、宮崎市は国内最高気温の34,6度。

高鍋町も全国4位の34,1度を記録。

今にもスコールの来そうな夕暮れの気配は、マレーシアそっくり。

しかし雨にはならず。

☆一日、デスク廻りの整理。

ずい分片付いてくれた。

☆夕刻に、庭の草刈りの続き。

と、突然、桜の樹幹から蝉が飛び立った。

昨日、草を刈っていたら、草の上に蝉の死骸があって、昨夏の死骸がなぜ?と思って居たのだが、そうではなく、もう蝉が出ているのである。

それも今の時期のミンミン蝉ではなく、蜩なのである。

この連日の猛暑日、やはり地球温暖化の影響なのか。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は1名。

最近は宮崎市内のみの感染である。


7月5日(月)

☆真夏の陽射し。

夜中はとても蒸し暑く、日中もギンギンと気温が上昇。

日向市では国内最高の36度を記録。

高鍋町でも35度の猛暑日となった。

☆午前に宮崎市の運転免許センターへ出かけて、運転免許証の更新をする。

以前は、もの凄い人で、暑くて延々と待たされたのだが、今日は人もまばらで、書類記入も日付と署名くらいで、あっという間に手続は終った。

しかも、顔写真を撮ったらほどなくしてカウンターで新しい免許証が交付された。

えっ?講習会はないんですか?

”はい、ありません。”

高齢者講習を受けたから、講習会は不要なのかもしれない。

運転免許証はゴールドカードだった。

☆ちょっとあわやの出来事があった。

車を以前に留めていた駐車場に置いて運転免許センターへ向かった。

しかし運転免許センターが新しくなって、車は免許センターの前に駐車できることに気付いて引き返した。

すると路上になにやら書類が落ちている。

見ると、私の更新連絡書だった。

私はサイズの大きな高齢者講習終了書をA4封筒に入れていたので、一緒に入れていた更新連絡書が途中で封筒から抜け落ちてしまったようだ。

あのまま引き返さずに免許センターへ行き、手続きの中で更新連絡書が無いのに気付いていたら、すでに風でどこかへ飛んで行ってしまっていたかもしれなかった。

☆免許センターを出ようとしたら、おばちゃんが体温センサーで38度3分を表示され、入所を拒まれていた。

熱が在ってよくも来れたなと思ったが、体温センサーは肌の表面の温度を計測するので、猛暑日の炎熱で肌が火照っていたのではないのだろうか。

私も、何時もよりも高めの体温表示だった。

☆午後はデスク廻りの片付け。

しかし整理しながらの片付けなので、一向に片付かない。

☆夕暮れて、陽射しが柔らかくなってから、伸び放題になっている庭の草を芝刈り機で刈る。


7月4日(日)

☆とても蒸し暑く、寝苦しい夜だった。

日中も上天気で、気温が急上昇。

宮崎市では全国2番目の暑さの34,7度。

高鍋町でも33,9度の真夏日。

☆一日、デスクワーク。

日向市での二人展の礼状のデータを作成。

夕刻までにネットで発注する。

☆公開対談に出席キャンセルされた方たちに対談当日の資料をお送りした。

その中の短歌関係の方から、現代短歌・南の会の会誌「梁」に掲載していただいた私のエッセイを読みましたというお返事をいただいた。

この方は、「梁」100号の特集で、解説と資料一覧を担当されているので、私のエッセイも読み返していただいたようである。

私は伊藤先生に乞われて、44号から46号に「彫刻とかかわること」というタイトルで、異なった内容のエッセイを3回連載で書かせていただいた。

このエッセイが縁で、宮崎日日新聞文化欄の「風紋」にもエッセイを担当させていただいたことは、先日の日記にも記載した。

伊藤先生からエッセイの寄稿を依頼された時は、私のような文芸的素養のない者が、錚々たる現代歌人たちの目に留まる歌誌に文章を寄せるなんて、と相当に

悩んだ。

一体、どんなことを書いていたのだろうと、今日改めて「梁」を開いて読み返してみると、意外にもしっかりしたまともな文章を書いていて、吾ながら驚いた。

ゆくゆくはこうした寄稿等もまとめておきたいと思っている。

☆フェイスブックを見ていたら、私が参加したチェコのシンポジウムが今日から始まった。

昨年はコロナで開催できなかったようだが、今年は知人のウクライナの女流作家も参加している。

ウクライナも今はコロナ禍が大変なようだが、普通にこれまで通りにシンポジウムに参加できるようだ。

☆宮崎の今日のコロナ感染者はゼロであった。

日曜出勤だった妻の話では、今日は車の往来も多く、大型店舗も大勢のお客で賑わっていたということ。

宮崎県にはオリンピックの事前合宿で海外からの選手たちが続々入って来ているし、国民文化祭で全国からも大勢の方たちが宮崎に這入って来ている。

1週間前までは、高鍋町美術館には県外からの来訪者は這入れなかった。

にもかかわらず、僅か数日後には、なし崩し的に海外から、日本全国から多くの方たちが宮崎に這入って来ている。

それなのに、宮崎県民がいまだに行動自粛を求められているのはあまりにも理不尽である。

宮崎県民も自由に動き回ったっていいではないか。

そういう宮崎県民の気持が街中にあふれかえっているのだろう。

同じ現象が、オリンピックが始まると、日本中に拡がってゆく。

この夏の日本はどうなるのだろう。


7月3日(土)

☆朝方までは雨がぱらついていたが、日中は雨にはならず、曇天。

この時期らしい蒸し暑さ。

☆今朝の宮崎日日新聞地域統合版に、先日の公開対談の記事。

コロナ禍以降、地域版が統合版になってしまったので、県内全域のニュースが狭い紙面に詰め込まれてしまっている。

そういう狭いスペースに、あの濃密な対談をどう表現するのだろうと案じていたが、やはり対談の内容も熱気も何も全く感じられないどうでもよい記事であった。

むしろ、これまでの妻との二人展の記事の方が詳細な記事になっていた。

しかし国民文化祭も始まり、いよいよ地域のニュースは幅が広くなってきて、支局長も記事を書くのに苦労されたのだろうとは察せられる。

☆10時半過ぎて石井記念友愛社へ。

”ギャラリーしんとみ”での二人展のときに知り合いになった、新田原基地の自衛官であるO夫妻が、友愛社に前々から関心があり、間もなく異動で宮崎を離れられる

ので、友愛社を訪ねたいと言うことであった。

Oさんに友愛社に連絡を入れてもらったら、児嶋理事長も在社していて対応していただくと言うことだったので、私も出かける事にした。

Oさん夫妻とは資料館で待ち合わせをしたが、あまりにものグッドタイミングで、今朝の宮崎日日新聞”旅のひとこと”コーナーで、この資料館のことがステンドグラスの

カラー写真で掲載されていて、このO夫妻の来訪をあたかも大歓迎している様であった。

”あれは私です!”と、その記事に写っていた資料館受付の猪股さんに資料館を案内して頂き、以降は私が私の知っている限りの知識でOさん夫妻に説明役を務める。

ほどなく、会議を終えた児嶋理事長が見えられて、本館の応接室で話を伺う。

実はOさんのご主人は自衛官の傍ら、保育士の資格を取られていて、保育士の資格を取る勉強の中で必ず石井十次のことを学ばねばならないようになっていて、

それで石井十次と友愛社のことについてかなり勉強されていた。

したがって、児嶋理事長とOさんとの会話は、保育事業や児童教育に関する真剣な対話となった。

☆私は、公開対談のビデオを録画したSDカードを児嶋君に渡す。

折よく、宅急便が届いたという伊藤先生からの電話が入り、児嶋君にも電話を変わってもらう。

国民文化祭は今日が開会式で、国民文化祭の実行委員会企画会議長の伊藤先生もこれからまた超多忙になられる。

☆児嶋理事長と別れて、Oさんご夫妻を空想の森美術館へ案内し、私は先に友愛社を出る。

☆午後に、録画したSDカードを関係者に発送する。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は2名。


7月2日(金)

☆午前は晴天。

午後は重い雨雲に蔽われたが、時折り陽が射して雨には至らず。

本格的な蒸し暑さ。

☆朝一に、O内科へ血圧の定期健診。

極々正常。

☆公開対談のビデオ録画は、ネットでダビングの業者を調べてみたが、やはり2時間以上の録画はDVDへのダビングは出来ないようだ。

どうしても、複数枚のDVDになってしまう。

やはりSDカードにコピーするのが一番安く上がりそうだ。

それで町内の電気量販店を廻ってみたら、ベスト電器で32GBで税込493円というカードを見つけたので、試しに買ってデータをコピーして再生してみた。

何の問題も無い。

午後に再びベスト電器で在庫を調べてもらったら、2つしか残っていなかった。

☆買い足したSDカードへデータをコピーしている間に、伊藤先生へ長谷川櫂「四季」私家版冊子の残部80冊と、録画をコピーしたSDカードを宅急便で送る。

☆高鍋町内では、もう500円を切る32GBのSDカードは手に這入らないし、ネットで調べてもそんな格安のカードは見つからなかった。

夕刻に西都市まで走って、西都市のベスト電器へ行ってみたが、店舗が普通の小さなお店でSDカードは数種類しかなかった。

ベスト電器に紹介されてヤマダデンキへ行ってみると、高鍋のヤマダデンキとは比較にならないくらいの大きな店舗で、SDカードも多くの種類があった。

そうして物色すると、一番下の陳列スペースに32GB517円というものを見つけた。

在庫も豊富にある。

持ち金をはたいて、6枚買ってきて、コピー再生してみると、やはり何の問題もない。

夕食の準備をしながら、6枚全部に録画をコピーする。

これで、取りあえず、関係者には録画データを送ることが出来る。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は5人。

そして、インド変異株も3人見つかった。


7月1日(木)

☆一日、雨。

☆あっという間に7月になり、信じられない気持ち。

若いころは或る目標に向かって、達成するまでにはあと何年という前向きな年の重ねがあったが、古希を迎えるとこれから先は棺桶に入るまでにあと何年だろうかという

消去的な捉え方になってしまう。

だから、昨年の6月から本の出版のことで一気にあっという間に駈けぬけて来た時間の短かさは、それだけ死に向かって急いで時間を縮めて来たということである。

これから、生きて居ればあっという間に80歳になってしまうのだ。

残りの人生を、後悔しない生き方をしてゆくしかない。

☆二人展の残務整理。

アンケートを投票して頂いた方たちの抽選をして、当選された方たちにレターパックで版画小作品を送る。

☆公開対談のビデオ録画の件、高校同級生もビデオを構えていたので、彼のビデオならDVDにダビングできるかもと問い合わせると、なんと操作ミスで、前半しか撮れて

いないと言う。

やはり4K撮影のビデオを何とかするしかない。

ネットで動画圧縮の高額なソフトを見つけた。

高額だが、SDカードにコピーするよりも、ソフトで圧縮してDVDにダビングしたほうが安くなる。

しかし、このソフトも20GBを超えるデータは圧縮できないということ。

昨日もキタムラで、導入アナウンス部をカットしてみたが、それでもまだ20GB内には治まらなかった。

そうなると、SDカードにコピーするしかないのだが、安くても1,500円はするので今の無収入の財力では、とても関係者に配ることはできない。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は4名。

しかし東京では再び感染者が急増しているし、オリンピックの関係者が続々と入国してくる。

宮崎でも明後日から国民文化祭が始まり、つい先日まで県外への往来自粛制限をしていたのに(26日の公開対談でさえ、県外からの来場者は高鍋町美術館に

這入れなかった)、一気に県外からなだれ込んでくる。

なんだか滅茶苦茶である。

この夏がソラ恐ろしいことになりそうである。

確実に第5波は来る、しかもインド変異株の猛威で。



Back to toppage

2021   1-2   3-4   5-6    7-8   9-10    11-12

2020   1-2   3-4   5-6    7-8   9-10    11-12