2020 | 4月30日(木) ☆快晴の一日。 今日は陽射しも強く、気温も上昇して気持ちの好い気候となった。 ☆今日も妻に誘われて、”不用不急”の移動自粛の中を出かける。 今日は日向市東郷町の牧水公園へ出かけた。 美々津経由で東郷町へ向かったが、初めて通る道筋で、耳川沿いの景観が桃源郷のような美しさで、こんな素晴らしい場所があったのかと感嘆した。 ☆東郷町は過去に何度か牧水生家に来たことがあるが、牧水公園が出来てからは初めて訪れた。 妻は子供たちや義母と何度か訪れていて、躑躅公園が素晴らしいので出掛けたい、という事だったが躑躅はもう花を過ぎてしまっていた。 牧水公園の建物は自粛休業中だったが、駐車場は閉鎖されていなかったので、数組の家族が遊びに来ていた。 ☆牧水公園を出て、路向かいの若山牧水生家へ。 こちらも自粛休館中で、駐車場も車は無く、静かな裏山に登って牧水が寝そべって尾鈴山を眺めていた石を廻って稲荷神社から尾鈴山を見る。 この石には有名な”ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ 秋もかすみのたなびきて居り”が刻まれている。 高鍋から見る尾鈴山はいつも晴朗としていて、霞などかかることは無いのでこの歌は理解不能だったのだが、初めてこの牧水生家を訪れたときに、牧水の眺めて いたのは尾鈴山の裏側で、かすみがたなびいて居るという風情を実感した。 ☆東郷町を出て、日向市内へ這入り、妻の実家の墓参をしてグリーンパークへ向かう。 広々としたグリーンパークには2,3組の家族連れが居たが、駐車場は閉鎖されていたので、そのまま”馬が背”へ向かう。 ”馬が背”の駐車場は解放されていて数台の車が止まっていた。 あまりにも美しい日向の海を見ながら、持参したお弁当を食べる。 訪れる人はちらほらであった。 ☆”馬が背”を出て、伊勢が浜へ。 伊勢ケ浜はサーフィンで賑わう浜辺だが、サーフィンは自粛を申し渡されており、日向市民にも伊勢ケ浜へは行かない様に自粛が要請されているので、何時もは 賑わっている砂浜は誰も居なかった。 例年、2週間後には砂の造型大会が開かれて審査員で参加するが、今年は中止になった。 駐車場は解放されていたが、”地元の方以外の駐車はご遠慮ください”という張り紙があった。 ☆伊勢ケ浜を出て、義姉宅へ顔を出し、高鍋へ帰る。 4月29日(祝・水) ☆快晴の一日。 気温も春らしい陽気で、最高の行楽日和。 ☆今日は妻に誘われて、尾鈴山の矢研(やとぎ)の滝へ出かける。 GW期間中の行楽地への訪問は自粛が申し渡されているが、尾鈴山には人は殺到しない。 実際、駐車場には車は数台しか止まって居なかった。 街中でスーパーやホームセンターへ行く方が、よほど”満”で危険である。 新緑に心を洗われて、コロナの心配のない森林浴で身も心も清浄になる。 ☆結婚してから尾鈴山に来たことがあるのだろうか?と言うくらい、久しぶりの尾鈴山である。 妻は私と来たことがあると言うので、まだ子供が出来る前あたりに来ているのかもしれないので、やはり30年ぶりくらいの尾鈴山である。 私は尾鈴山は高校時代から頻繁にキャンプに訪れたし、独りで来て誰も居ない山小屋に泊まったことも何度かある。 独身時代の私にとって、青春そのものの、想い出の一杯詰まった場所である。 ☆30年ぶりに訪れた矢研の滝は、滝壺へは進入禁止になっていた。 以前は滝の上にも行けたのだが、今は道が崩れたりして閉ざされているようであった。 しかし渓谷の澄み切った淵の水は昔の儘の美しさだった。 ☆キャンプ場へ戻り、入山記録の記帳簿を開くと、なんと最後の記帳者が高校の同級生のM君だった。 彼にとっても、尾鈴山は青春の形見なのだろう。 ☆キャンプ場で、渓谷を眺めながら、持参した弁当を食べる。 おにぎりがとても美味しい。 また秋には一泊して、白滝まで行きたい、と妻と語る。 ☆それにしても山々の、山里の新緑の美しいこと。 まさに生命の息吹が燃え立っている新緑の熾烈さ。 世の中のコロナウイルス騒動がウソのような、平和で穏やかな春の盛りの野辺であった。 ☆帰路に何処かへ立ち寄ろうと思ったが、予定していた施設やお店は、”昭和の日”やGW自粛で殆ど休業だった。 結局、高鍋に帰って、”しんやまイチゴ”でイチゴのソフトクリームを食べて帰宅する。 4月28日(火) ☆よく晴れた一日。 風は治まったが、まだまだ冷え込む。 ☆午前に役場の税務課へ出向いて、短期期限の保険証を出してもらう。 コロナウイルスで海外シンポジウムが全てキャンセルになったので、今年は年金以外の収入は無く、滞納している税金を納められない。 各行政が、売り上げが落ち込んだ事業者に支援金を支給しているが、私も確定申告をしている事業者である。 それで私も仕事がなくなったので対象になる筈だが、今朝の新聞記事では、高鍋町は今年3月か4月の売り上げが前年同月比5割以上減少した町内事業者に10 万円を支給するとある。 しかし、私は例年、2月、3月は殆ど仕事が無いし、昨年は4月に”うちぬき21”に招待されたが報酬はプロジェクト終了後の5月だったので、この高鍋町の規定に は当てはまらない。 また国が国民に一律給付する10万円についても、高鍋町は未だに申請時期や給付時期について何も明らかにして居ない。 ☆続いて上下水道課へ。 漏水の工事を、町内の指定業者で行えば、減免措置が取られるという事だったが、水道料の請求書はまったく減免されていない。 減免されるときはあらかじめ連絡が来る、という事だったが、何の連絡も無い。 それで窓口で確認したら、指定業者からの書類がまだ出ていないという事であった。 帰宅して、業者に問い合わせの電話をする。 上下水道課の話では、督促状が届いていても、この減免措置が為されるまでは支払わなくても好い、という事だった。 コロナウイルスによって、公共料金も各自治体で減免措置や延納措置が取られ始めている。 宮崎市では4か月の納入猶予措置が取られているのだが、高鍋町では何の動きも無い。 ☆午後は書斎の断捨離作業。 前回の断捨離作業でかなり整理したつもりだったが、まだまだスリムに整理できる。 最低限必要なデータ以外は思い切って処分する。 ☆フェイスブックで、作家が他の作家に指名されて、自分の作品を紹介し、また他の作家へつないでいくチェーンムーブメントが起きている。 同じようなムーブメントは数年前にもあって、私も指名されて他の作家に廻したことがある。 今回も、いずれ私にも廻って来るだろうと思っていたら、全く知らないアルゼンチンの女性作家から指名が来た。 私は時々勝手に私がタグ付けされたものが届くので、そういう類のものだろうと思ってパソコンでの案内はタグを削除した。 ところがスマホに残っているメッセージをよく見たら、このチェーンイベントで、私が指名されているものだった。 メッセージにはこうあった。 ”私は親愛なる彫刻家の○○の挑戦を受け入れます. この検疫に見せるために私の作品の5つを共有し, 5人の彫刻家を招待して同じことをします。 私たちはあなたを愛しています。” フェイスブックを観ていると、このチェーンイベントには幾つか異なったスタイルがあって、何日間に渡って毎日1点ずつ異なった内容の角度からの画像をUPしてゆ くものや、今日のイベントのように単に5つの作品画像をUPして5人の作家を指名してゆくものなどあるようだ。 だが正直、私は何をどうやっていいのかわからないし、毎日断捨離作業をやったりしているので、そんなに暇ではないのである。 4月27日(月) ☆午前は曇天気味。 午後からはスッキリ晴れる。 まだ肌寒い。 ☆午前にフラワーポットの植え替えをしようと、フラワーポットの土をアンジェラスの森に捨てに行く。 野山は花の時期が過ぎ、新緑がことのほか美しい。 朝のうちは曇天だったために、夢幻的な景色が続いて、感動しながらアンジェラスの森へ向かった。 ところが作業場に着いた途端に目に這入った不法投棄の品々に、勢い怒りが込み上げてきた。 最近、私の作業場への不法投棄が多い。 今日は農薬らしいポリタンクもあった。 先だっては女性のハンドバックや車のなかのごみの山もあった。 以前はこんなことは全く無かったのだが。 やはり疑似監視カメラが必要か。 ☆午前はホームセンターで苗を買ってきて、フラワーポットの植え替え。 昨年は私がほとんど居なかったりや、長雨で何も育たなかった。 今年は何処にも行かないので、久しぶりに家庭菜園に取り込める。 ☆午後は断捨離の続き。 書斎の整理に這入ったら、大きなポカに気が付いた。 昨年の空港展のDMを殆ど廃棄してしまっていた。 空港展の事務局を譲ってから、空港展のデータ保存がいい加減になってしまっている。 今日は商店街のまちづくり関係のデータを処分したが、あかりプロジェクトの資料も山ほどあるので、大事なデータを失わない様に細心の注意が必要だ。 4月26日(日) ☆一日曇天。 午前のうちに一時的に晴れ間が出たが、午後は再び重い曇天となる。 ☆今日は断捨離は小休止。 子ども部屋の私のドラフター周辺を片付ける。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 私もハーモニカでジョイント。 音楽の世界でも、オンラインレッスンとか、オンラインセッションとか、従来にない形でのオンラインでの活動を模索しているようだ。 これからは多方面な表現分野でのオンライン活動が活発になっていくのだろう。 私たち彫刻家も、オンラインで出来ることを考えて行く必要に迫られてくるだろう。 ☆小島一慶が75歳で亡くなった。 近年、著名な芸能人や芸術家が75歳で亡くなることが多くて、私が70歳を機に色んな責任のある立場から離れたいと思うようになった危機感の要因の1つでもあ る。 私は80歳までの人生で十分だと思っているが、しかし75歳まで生きることが出来るのかもわからない。 断捨離も終活の一つではあるが、彫刻関係の膨大な資料が捨てきれないのは、宮崎の今の彫刻界の流れは私しか知らないからだ。 私が倒れてしまったら、今の宮崎の彫刻界がどうして今のような流れになって来たのかを説明できる人はいなくなる。 出来るだけ早く、そうした歴史を記録としてキチンと整理しておかなければならないと思っている。 4月25日(土) ☆晴天の一日。 今日も寒風が吹き荒れて、午前中は底冷える。 午後からは気温は上昇。 ☆久しぶりに里山を車で走ったら、新緑の美しいこと。 この歳になって、日本のこの季節の新緑のあまりの美しさに魂が奪われる思いがする。 ☆今日は粗大ごみの日だったので、午前のうちに断捨離で処分した布団や本棚、ストーブ類を資源リサイクルセンターへ搬入する。 さらに自宅工房の白蟻被害の発生していた場所に置いていた引き出しタンスを、午後に資源リサイクルセンターへ搬入する。 このタンスは実家で母が使っていたもので、捨てるには忍びなく、工房に置いておいたのだが、使い道が無いままだった。 タンスの外側は少し白蟻被害に遭っていたが、引き出しの中は全く白蟻の被害は無かった。 タンスを撤去してみると、タンスのあった場所自体にも白蟻被害はなく、工房も少し広くなってすっきりした。 工房にはまだいくつかタンス類があって、納めてあった着物類は白蟻被害を避けるために昨夏に自宅のタンスに移したので、これらのタンス類も次の粗大ごみの 日には処分したい。 自宅の断捨離が一段落したら、整理作業が中途半端になっている工房の片付けもやりたい。 ☆子供たちの部屋の整理でまた廃棄する本類が出たし、廃棄する衣類の袋も溜まって来たので、午後に紙資源センターへ搬入。 紙資源センターでは衣類も持ち込める。 地区の不燃物ごみ置き場が狭くて大量の衣類袋が置けないので、紙資源センターに搬入したほうが良いと判断したのだが、なんと持ち込みは有料だった。 私たち住民はゴミ処理料として有料のゴミ袋を買っている訳で、地区の不燃物ごみ置き場にはそのまま無料で置けるのに、資源センターに持ち込んだら料金を徴 収されると言うのはどういう事なのだろう。 お金は持って行っていなかったので、そのまま衣料袋は持ち帰りとなった。 4月24日(金) ☆晴天。 今日も風が強く、午前はしんしんと底冷えた。 午後からは気温が上昇。 ☆今日も一日、断捨離。 昨日の本棚整理で不要になった本棚を解体。 近年の棚は殆ど大鋸屑の集成材なので、本の重さで直ぐにたわんでしまって変形してしまう。 本や書類データを入れていると倒壊してしまう怖れがあったので、廃棄処分にする。 そして妻と一緒に子ども部屋の片付け。 楽器や機材はロフトに上げる。 ☆一日、ロフトに上がり降りしたりしていたので、クタクタに疲れてしまった。 4月いっぱいは断捨離作業に集中する予定。 ☆コロナウイルスの世界中での感染者が今日現在で270万人を越えた。 ガオ・メンが示した感染者数600万人の予測に急速に近づいて来ている。 4月23日(木) ☆晴天の一日。 しかし今日も寒風が吹き、気温は上がらず。 4月の末だと言うのに冬のように底冷える。 ☆今日も断捨離。 午前のうちに、本と段ボールを紙資源センターへ搬入。 我が家のように大量の書籍や美麗本を廃棄している家庭は無いようだ。 勿体ないが、前回は高価な陶芸全集を美術館か図書館に寄贈しようと思ったが出来なかったし、今は古書店も姿を消してしまった。 泣く泣く、廃棄するより無い。 ☆午後はロフトに置いておいたものをプレイルームに降ろし、本棚を配置換えしたりして収納を整理して行ったら、まるまる大きな本棚が不要になってきた。 妻は、まだまだ思い切って私の仕事関係のデータを処分しなさいと言うが、私にとっては全て大切なデータである。 それらのデータをまた整理していくには、相当の時間がかかるので、後日に時間のある時に取り組むよりない。 ☆WHOのテドロス事務局長も、コロナ終息の後には、「世界は私たちがいた元の姿に戻ることはできないでしょう。『新しい日常』になるはずです」と明言している。 私たちはいま、人類の歴史の中でも大きな転換期に這入ってしまったのだろう。 いまのパンデミック状況がこの先に1年も2年も続けば、確かにこれまでのごく当たり前の日常だったものが、一変してしまうことは確実だろう。 この何もできない日々の中で、新しい生き方を考えて行くべきなのだろう。 4月22日(水) ☆早朝のうちは曇天だったが、直きに雲は晴れて晴天となる。 しかし風が強く、空気もとても冷たく、寒い一日となった。 ☆宮崎県内の小中校は今日から連休明けまでの休校となった。 今年は今月末から大型連休なので、子供たちの授業日数にはそれほどの大きな影響はないようだ。 先生たちも在宅ワークへの切り替えが通達されて、妻も今日はその説明があり、手続きをしたということ。 ☆今日も少し断捨離作業。 和室に散在していたシンポジウムで海外へ出かける際の諸雑貨を、押入れに収納。 午後からはロフトの断捨離。 ロフトにはインド関係の本が本棚にびっしり残っていた。 インド関係の本は結構目を通しているが、もうインドにハマることは無いので全て処分する。 ロフトへ上がるには取り付け階段は無く、脚立で昇り降りしているので、重い本を抱えての作業には不安が付きまとう。 案の定、ふっと気を抜いた隙に、重い本を抱えたまま脚立を踏み外して腰から落下して、腰を痛めてしまった。 そこで、残りの作業は後日に廻す。 ☆今日は安倍首相が、連休中の移動の自粛を要請して”オンライン帰省”を呼びかけた。 最近はオンライン呑み会とかが行われているようだが、”帰省”までオンラインとなるとは。 4月21日(火) ☆午前は曇天。 午後からは雲が切れたが、夕刻からは再び曇天となり、夜に小雨。 気温はなかなか空気の芯の冷えが取れず、陽射しは暖かいのに寒々しい。 ☆午前に、黒木・高鍋町長からラインが届いた。 町内の中央公園に設置されている石井十次像にマスクが掛けられた画像が添付されていて、コメントには”田中作品でコロナウイルス感染予防アピール、図書館 前の鶴山公、鷹山公にもマスクしました。”とあった。 咄嗟に、私の宮崎市の”陽だまり”にマスクが掛けられているのを習ったのだと思って、”効果抜群ですね”と返事した。 ただ、中央公園の石井十次は私の作品ではないし、鶴山公(秋月種茂)と鷹山公(上杉鷹山)の像は図書館前ではなく、美術館前である。 それで、フェイスブックに投稿するのに私の作品ではない石井十次像を紹介するわけにもいかないので、高鍋町美術館へ向かった。 美術館の職員に話を聞くと、郷土の先覚者が率先してコロナウイルス感染対策を実施していると言う高鍋町なりのアピールをしたいとの黒木・高鍋町長の発案だと 言うことだった。 マスクをした秋月種茂公(高鍋藩第7代藩主)と上杉鷹山公(種茂公の実弟)の写真を撮り、帰宅して黒木・高鍋町長にラインで送る。 そして、多分新聞に載せないとアピールにならないので、新聞に掲載された場合に石井十次像は私の作品ではないので、町長にその旨を申し添える。 ついでに宮崎市の”陽だまり”のマスク姿の新聞記事も添付した。 町長がこの記事に触発されたのか、たまたま町長なりの発想が宮崎市の市民の”いたずら”と時期が重なっただけなのかは分からない。 ☆昼前に高鍋信用金庫本店へ出かけると、改築工事で撤去されていた林氏のあかりモニュメントが、元の設置されていた場所の近くに置かれていた。 丁寧に扱ってもらっているようで安心した。 ☆軽トラのマフラー修理が終わったので、午後に取りに行く。 現在の収入は年金のみなので、2か月分の年金の半分が修理代で消えてしまって、頭が痛い。 また以前のように、車の無い生活に戻るか・・・・。 しかし当分は断捨離作業が続くので、軽トラが無いと物事が進まない。 ☆自宅工房の台風被害の補修工事の打ち合わせに、午後に工務店が来訪。 連休明けの5月11日から工事にかかってもらうことになった。 ☆今日は断捨離の時間が取れず、和室に山積みになっていた私の書類等を整理したのみ。 4月20日(月) ☆晴天の一日。 お昼前に一時的に曇天になったが、午後には恢復。 暖かい気候。 ☆午前はアトリエの本の断捨離。 展覧会のカタログや、海外の作家達からもらった分厚い作品集も処分する。 若い時代に、芸術家を志す者、彫刻家を志す者にとっては必読であった書籍もたくさんあって、開いてみると赤線を引いてあるものもあるので読んでいる本もある ようだ。 しかしもうこれから勉強し直すことも無いので、それらの”名著”も処分する。 なんとか軽トラ1台に載せて、昼前に紙資源センターへ。 紙資源センターの収納ゲージ一個はわが家の本だけで満杯になった。 ☆本を降ろして軽トラのスイッチを入れた途端にもの凄い爆音! 先日からマフラーの異音がしていたのだが、やはり荷台満載の書籍は相当の重さだったのだろう、マフラーの接続パイプが腐蝕して完全に外れてしまっていた。 暴走族並の爆音を轟かせながら帰宅する。 午後に馴染みの修理工場へ行くと、マフラーは新品に交換しなければならないということ。 もはや年金しか収入の無い身には大打撃の支出である。 ☆夕刻に、今年の空港展の出品案内を海外作家たちへ送る。 折り返し、ヨーロッパの作家からは喜んで出品するという返事が届いたが、韓国の作家からは、出品したいが今の状況では返事できないと言う回答。 韓国の作家の気持は全くその通りであろう。 やはり今の時点では、全く見通しが立たず、返事もできないだろう。 ☆パンデミックの後に、世の中はどう変わってしまうのだろう。 明らかなことは、学校の授業や会社での会議などがオンラインになっていくことだろう。 ニューヨークでは、コロナ感染の影響で結婚式が出来ないので、オンラインでの結婚式が認められるようになった。 宮崎出身で東京芸大の副学長をされている岡本美津子さんが、今朝の宮崎日日新聞のコラムで、今年の東京芸大の卒業式がコロナ感染で中止になった代わり に、インターネットで行われたバーチャルでの卒業パーティーのことを、細かく楽しく書かれていた。 そして主宰した学生の「いろいろ大変だったけどさ、オレ今日のパーティー、結構面白かったんだよな」というつぶやきを紹介されて、情報社会と映像の明るい未来 がちょっと見えた仮想卒業パーティーであった、と結ばれている。 また我が家の次男の所属するバンドもライブが中止になったので、今夜はメンバーがそれぞれの自室から参加での会話やゲームなどをする生中継動画を配信し ていた。 そして、やはりメンバーの一人が、最後に語ったのは、どうなるか不安だったけど結構楽しかった、という感想だった。 これからこういうバーチャルな世界になって行くのだろうか。 ☆いつだったか、タモリの”笑っていいとも”に横尾忠則が出た時に、彼がUFOから招待を受けて、UFOに這入った時の様子を真顔で語っていた。 UFOの中は仮想空間になっていて、自然界の山や海と言った世界がバーチャルで存在していると言っていた。 芸術家の中にはUFOとコンタクトが取れる人たちが結構いて、そういう方たちと親しい作家たちを私は何人か知っているので、私は眉唾なく彼の話を聞いていたの だが、しかし、一般の人たちは誰も信じないような話をこんな公共放送で語っていいものだろか、と思ったものだ。 その後、別にその話がなんの話題にもならなかったので、横尾忠則だからあっけにとられて終わったのだろう。 ただ私がすごく気になったのは、UFOの中の世界、つまり未来の世界がバーチャルの世界なのか、という底知れぬ拒否感であった。 そういう世界には生きたくはない。 だが、コロナウイルスによって、世の中はオンライン世界、バーチャル世界へと進んでいるし、若い世代はそれを前向きに明るく受け止めている。 4月19日(日) ☆朝のうちは太陽が出ていたが、直に曇天となる。 夕刻から雨となり、夜は本格的な雨。 気温の冷えはなし。 ☆一日、断捨離作業。 今日は本の断捨離。 2年前の断捨作業でかなりの本や展覧会カタログ類を処分したが、今日はさらに絞り込んで、前回捨てきれなかった本を思い切って処分する。 読書家の妻は、これまで読んだ本は全部捨てる、そしてこの先にも読まないだろう本は全て捨てる、と私に指示する。 そういう妻の処分した彼女の文庫本や単行本は夥しいが、驚くことに全部読んだと言う。 私は活字が読めない。 本を開いて読み始めると、数行で眠くなってしまうので、1冊の本を最後まで読むと言うのは、余程集中力の或る時だけである。 だから私の学生時代からの夥しい本は、殆どは本棚のアクセサリーでしかない。 買ってからもう50年は読んだことも無い本ばかりで、したがってこの先も読むことはない。 しかし、アクセサリーだから青春時代の”想い出の品”に等しいので、簡単に捨てきれないのである。 だが、今日は思い切って、格別の想いがある本以外は処分した。 私たちが若いころは、大切な本は古本屋に持っていくか友人たちに譲ったりして、”捨てる”という観念は全くなかったので、捨てきれない本が溜まるばかりだった。 ☆本の断捨離は、もう数年して再度チェックして、残りの大半も処分することになるだろう。 ☆コロナウイルスの自粛は1年以上は続くだろう、と言う見解が多くなってきた。 これからアフリカ大陸、アジア大陸、南アメリカ大陸の医療制度の脆弱な大陸への拡散で、感染者と死者は相当数に上るのだろう。 14世紀に、シルクロードを通じて中国からヨーロッパにもたらされたペストによって、当時のヨーロッパの人口の半数が死亡したと言う。 その結果、労働力である農民が激減し、地主が農民に報酬を支払うシステムが生まれ、その新しいシステムによって教会と地主の力が弱まって農民が力を付けて 来てルネッサンスが起きたと言われる。 パンデミックは歴史的には、それまでのシステムを大転換させ、文明を進化させてしまう力があるようだ。 今回のコロナウイルスも、これまで当たり前のように行われていたことが行われなくなり、終息後には新しい文明が始まっているのだろう。 パンデミックをそう肯定的に考えて行くことも大事かもしれない。 だが、14世紀に起きたヨーロッパの人口が半減すると言う事態には、現代の医療制度では起こり得ないが、例えば今回のコロナウイルスでも世界の人口が半減 したとしよう。 一見、それは途方もないことに思われる。 しかし今の世界人口77億数千万の人々の半数が死亡して、世界の人口が半分になったとして、それはわずか50年前の人口に戻るだけである。 わずか50年前の1970年の世界人口は37億人なのである。 50年前と言えば、私が大学生時代、今日の断捨離作業で処分を迷った本を買っていた時代である。 すごく素敵な時代ではなかったか。 4月18日(土) ☆晴天の一日。 陽射しは暑く気温は上昇し夏日(高鍋町は23,9度)となったが、強風が吹き荒れた。 夕刻からは一気に冷え込む。 ☆今日も断捨離作業。 私は昨日に引き続き、和室押入れの整理。 昨日私の判断で処分した布団を妻にチェックしてもらったら、結婚祝いで貰った祝い布団は来客用の布団で使えるということで復活。 ☆午後半ばまでには押入れの断捨離は一段落して、外の気候が気持ち好かったので、夕刻は庭の草刈り作業。 ☆妻が先日借りた本の返却日だったので、午後に妻が町立図書館に出掛けると直ぐに帰って来た。 えらく早いなと思ったら、なんとコロナウイルス対策で今日から5月7日まで休館になっていたとのこと。 宮崎県立美術館と宮崎県立図書館はまだ閉鎖していないのに、なぜか高鍋町ではいち早く美術館と図書館が閉鎖になってしまった。 児湯郡ではまだ感染確認者も出ていないのに、何故? やはり先日からの噂話と高鍋町からの注意メールの背後に何かありそうな・・・、と勘繰ってしまう。 ☆夜になって、友人から”ご存知ですか?”とラインで写真が送られてきた。 なんと、宮崎市役所前交差点角に設置されている私の作品”陽だまり”がマスクをしている。 市民の方が掛けて下さったのだろう、嬉しかった。 対話をしている設定なので(サブタイトルは”ねえ、お話ししましょう”)、モデルが口を開いているので、市民の方が気を遣ってくださったのだろうと思った。 丁度、モデルをしてくれた妻は地区公民館婦人会の総会に出掛けていたので、妻にラインで写真を送った。 そうしたら、近所の方が、今朝の新聞で見たということで、朝刊を見直したら、県内中央版の上の方に小さく写真記事が掲載されていた。 記事では”親切心からのいたずら?”とあった。 私はよくブロンズ像に、寒いからと言って服を着せたり帽子を被せてあるのを見るととても不愉快なのだが、今回のマスクはいたずらよりも愛情を感じた。 4月17日(金) ☆曇天の一日。 夕刻から雨となる。 気温の冷え込みはなし。 ☆今日も断捨離作業。 今日は妻は出勤日だったので、一人で和室の押し入れを片づける。 最低限の布団を残して、布団類を処分する。 中には結婚祝いとして貰った祝い布団一式など、全く使わないままのものもあった。 ☆今回の断捨離で後悔したものが1つあった。 毎日使っていた汁椀を捨てて、仕舞ってあった新しい汁椀に替えたが、これが大失敗であった。 新しい汁椀は浅すぎる。 古い物でも使い勝手が勝るものがある。 今回捨てなかった台所用具の一つにお玉杓子がある。 我が家で使っているお玉杓子は母がずっと使っていたもので、アルミ製でもうヨレヨレのものなのだが、これもお玉の深さがとても使い勝手が良い。 ほかの新しいお玉杓子は浅すぎて使えないのである。 ☆夕刻に郵便局へ行ったら、郵便局もカウンターにビニールが張ってあった。 ☆今年の空港展の会期がようやく決まった。 会期は10月6日(火)から10月19日(月)まで。 今年は国民文化祭の空港でのメインイベントとして10月開催になったが、ほかの関連イベントとの調整が中々うまく行かず、例年通りの土曜日搬入・日曜日搬出 が出来なくなった。 コロナウイルスの状況で開催できるかどうかは全く見通しが立たないが、準備だけは進めておく。 また先日にも書いたが、海外の作家については飛行機が飛ばない現在、作品が送れるかどうかも分からないので、場合によっては海外作家の参加は出来なくな るかもしれない。 しかし、一応、海外作家にも例年通りの案内をする。 4月16日(木) ☆晴天の一日。 今日は風もなく、陽射しの暑い暖かい春日和。 ☆今日も一日、断捨離作業。 妻は今日は在宅日なので、朝から妻と作業する。 私は昨日に引き続き、勝手口倉庫片付け。 捨てきれずに居た若い頃のインド大陸放浪や新婚旅行でインドを廻った時のバックパックや、バーベキューのコンロ等、倉庫の棚のものを思い切って処分。 棚の上の方は、野良猫の棲家になっていたので、猫の毛が多く、マスクをしながらの作業となった。 おかげで、勝手口がスッキリとなった。 また勝手口倉庫とブロック塀の間には、撤去できなかった蔦の枝が生きていて、蔦延び始めていたので、枝にドリルで穴を開けて除草剤を流し込む。 ☆午後からは、和室入口のクローゼットと引出タンスを断捨離。 ☆スーパーに買い物に行くと、どのスーパーもレジにビニールシートが下げられていた。 しかし、客同士が2メートル以上離れるようにレジ前の床に停止線のシールが貼ってあるのに、そこへ並んでいると、つかつかと私の前に割り込むおばちゃん。 まだこのルールを知らない客なんだろうと、ムッとは来たが、それ以上は腹は立たず。 あるいは、マスクをしていない若いおばちゃんが、友人と立ち話をしながら、何度も激しい咳をしている。 それって、今最も危険なマナー違反でしょう。 あるいは、家族全員、誰もマスクをしていず、そういう家族の子供達はスーパーの中を走り回っている。 別なスーパーでは、レジに停止線は無いので、私の前の若いおばちゃんが、私の後ろに居た友人のおばちゃんに向って、彼女の買い物かごの中のものを自分の 籠に移して一緒に会計しようとする。 その分、私の待ち時間が倍になるんだが・・・。 色々あります。 4月15日(水) ☆午前は曇天気味。 昼前から雲は切れるが、午後半ばからは再び曇天気味。 気温は高めだが、空気の芯が寒気を催す。 ☆今日も一日、キッチン周りと勝手口外の断捨離。 再任用の妻は、今日は午前中のみの出勤。 ☆コロナウイルスの影響は今年いっぱいは続くと思われるし、各方面からは今の自粛態勢は1年以上は継続されるだろうと言われ始めた。 すでに日本各地の8月の夏祭りは中止を決定しているところが多いので、おそらく高鍋町の夏祭りは今年は全て中止になるだろうし、宮崎県で開催される予定の 国民文化祭も中止になる可能性が高いのではないのだろうか。 国民文化祭は各県持ち回りなので、開催県は数年先まで決まっていて、宮崎県開催を来年に延期することはできない。 ☆海外彫刻シンポジウムも年内は多くが中止になっているのだが、にもかかわらず、幾つかのシンポジウムはエントリーを受け付けている。 その中で気になるのが、今年の1月に私が招待されたインドのシンポジウムが、次回は公募になって現在エントリーを受け付けている。 しかし、シンポジウム開始が12月1日なのだ。 余りにも見通しが甘すぎるのではないのだろうか。 とてもではないが、人口密集度が極めて高いインドで、しかも貧富の差の激しいインドでは貧しい人たちの医療制度はほぼ無きに等しいので、12月までにコロナウ イルス禍が治まるとは到底考えられない。 なにしろ、感染者を収容する病院のベッド数が全く足りないので、列車を改造して病室にすると言う施策を打ち出したばかりである。 ☆インドで同室だったガオ・メンは、自国のコロナウイルス拡大を見つめながら、こうして彫刻シンポジウムに参加できるのは今回で最後だと言っていた。 つまり、彼は世界中のコロナウイルス感染者は600万人に達すると言う専門家の見解を支持していたので、今回のコロナウイルスが世界のシステムを変革させ、 彫刻シンポジウムも今後は開催されないだろうと感じていたのである。 私はそこまでは無いと思っていたが、想像以上のコロナウイルスの打撃を見ていると、あながち考えすぎとも思えなくなってきた。 私が招待される予定だったオーストラリアのシンポジウムは、2021年に開催延期となったが、開催時期については未定である。 1年後の同じ時期の開催という事ではない。 私は、それでは来年の予定が立たないと思っていたが、今の状況を見ていると、1年後の4月に開催が出来るかどうかはまったく見通しも出来なくなっているから、 オーストラリアの主催者の判断は正しかったと思えるようになった。 ☆午後に所用があって、妻と隣町の新富町まで行ったら、わずかな距離なのにあちらこちらで白バイとパトカーに捕まっている車。 今日は春の交通安全週間の最終日だったのだ。 4月14日(火) ☆晴れ。 今朝はかなり冷え込んだが、日中は暖かくなる。 ☆朝は交通安全の立ち番。 今回初めて気が付いたが、商店街の幹線道路(旧・国道10号線)は、県道305号日置南高鍋線へ抜ける通勤道になっていて、宮崎銀行高鍋支店交差点からの 中町商店街への侵入車が非常に多い。 朝の通学時間に、商店街がこんな通勤車のラッシュになっているとは知らなかった。 ☆今日もキッチンの食器棚の断捨離。 今日は妻は出勤日なので、独りでのんびり片づける。 ☆高鍋町から次のようなメールが届いた。 ” 新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴い、さまざまな情報がインターネットやSNSなどで流れていますが、その中には事実と異なる情報が混ざっています。 宮崎県内では、感染者が確認された場合、県が発表を行います。 町民の皆さまにおかれましては、国や県、町が発信する正確な情報に基づき、冷静な対応を心掛け、根拠のない情報に惑わされることのないようにご注意くださ い。 ” おそらくこれは、先日から町内外で駆け巡っている”高鍋町内でコロナウイルス感染者が確認され、町内の某所で会食をしていて、某所は消毒された”とか、これ までに宮崎県内で感染が確認された人が、高鍋町内の某所で会食をして、某スーパーに立ち寄っており、それぞれの施設が消毒された”という噂への対応だと思 われる。 ”感染者”が会食したと言う某所の前は、私は殆ど毎日通っているが、全く正常に営業されているし、今朝の交通安全立ち番で見ていても、集団登校する児童たち の集合場所にもなっている。 コロナ感染者が立ち寄ったので消毒をされた、と言う場所に集団登校の児童たちを集合させる訳はないし、全くのデマであろう。 日本中で同じようなデマが駆け巡っているのだろう。 ☆一方、昨日は私と妻のラインに”日本赤十字医療センタードクターからのメッセージ”というものが届いた。 内容は、以前の”コロナウイルスは26度ー27度の熱で死滅します”という悪質なチェーンメールのような内容ではなかったが、最後にある”このメッセージを出来る 限りの家族や友人にシェアして下さい。”というコメントが、デマのチェーンメール共通のものなので、私も妻も無視していた。 そうしたら、案の定、今日はネットでこのチェーンメールがデマであることが案内されていたし、私のラインに送った友人からもお詫びのラインが這入った。 熊本県副知事までが、このチェーンメールを拡散してしまって、謝罪している。 噂やデマには惑わされまい。 4月13日(月) ☆朝のうちは雨上がりの上天気。 風が強く、真冬なみに冷え込む。 宮崎県では、えびの高原でも積雪した。 昼前から雲が出て、午後には重い曇天となるが、夕刻までには雲は晴れる。 ☆再任用の妻は、月曜日は非出勤日なので、今日は一日妻と断捨離作業。 今日はキッチンの断捨離作業。 私はキッチンの一升瓶とビール瓶を片付けて、酒店で引き取ってもらう。 キッチンの足元がすっきりした。 午後は食器棚の断捨離作業。 機会あるごとに溜まっていた食器類や、母の時代から実家に備蓄してあった食器類を思い切って処分する。 夫婦2人になり、使う食器も限られているし、ハウスパーティーや息子たちの帰省、あるいは妹たちの帰省時に使う分だけを確保すれば充分である。 我が家は本家なので、昔は大家族が集まっての食事の機会が頻繁だったが、それぞれが家庭を持ち、父母も亡くなってからは、我が家でみんなが集まることはな くなった。 それに食事の習慣も変わってしまったので、昔は頻繁に使っていた食器でも今は全く出番の無くなった物もある。 思いきりのいい妻の判断に従って、残す食器と捨てる食器を分別。 おかげで食器棚の中がすっきりとなった。 なにか新しい生活が始まったようで、清々しい気分になる。 ☆ネットを見ると、コロナで外出自粛で家に籠らなければならなくなった方たちが、この機会にみなさん断捨離作業をされているようだ。 私の後輩も、やることがないので断捨離をやってみるが、それぞれに愛着のあるものだったり、仕事上の資料で捨てきれないものばかりで、なかなか物を捨てきれ ないという事だった。 それは私も同様で、思い切ってゴミ袋に入れながら、なかなかゴミ収集車に処分を託せない。 実際、資料を捨てて処分してしまったあとに、調べ物でその資料が必要になった経験が何度かあるので、物を捨てるのはなかなか明快には行かない。 その点、妻は物に殆ど未練を持たない思いきりのいい性格なので、妻と一緒に断捨離作業をすると、作業は進まざるを得なくなる。 尤も、妻は時々、捨ててはいけないものまでポイポイ捨ててしまうリスクは抱えている。 だが、私ももう人生は残り10年あるかないかなので(80歳以上まで生きたくはないと思っている)、資料の保存もこの先には余り重要ではないのだろう。 4月12日(日) ☆夜中から本格的な雨。 午後には雨脚は止まるが、夕刻から再び小雨。 気温は上がらず、冷え込む。 ☆午前は断捨離作業。 2階に張り巡らされて、現在では不要になったインターネット回線を撤去する。 ☆午後3時から、高鍋高校OB美術展の搬出。 何とかと会期中の閉鎖にならず、最終日までこぎつけた。 期間中は殆ど来館者は無いのではないかと思っていたが、180名ほどの来場者があった。 私の友人知人も何名か来てくれていて、有り難かった。 ☆高鍋町美術館は、明日から5月12日までの1か月間の臨時休館に入る。 従って5月に予定されていた企画展は来年に延期になったし、7月開催予定の企画展も現在、開催可否についての検討中だということ。 秋には国民文化祭の企画展が這入っているが、展示にはコロナウイルスの影響はないにしろ、現在は国民文化祭関係のあらゆる準備作業が出来ない状態で、コ ロナ禍が長引けば国民文化祭の開催そのものが危い状態である。 ☆これまでコロナウイルス感染者が出ていなかった鳥取県で、初めての感染確認者が出たが、なんと鳥取砂丘で開催される砂像大会のために来県していた海外 からの彫刻家たちの、歓迎式で接待された方であった。 先日もこの日記に書いたが、もし今年中に海外でのシンポジウムが開催されると、招待される彫刻家は多くはヨーロッパの作家達であり、非常に危険なコロナ感染 リスクを持って集まることになる。 それを今回の鳥取が実証してしまった。 やはり、今年1年間は、海外彫刻シンポジウムには参加すべきではない。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 美術館から帰宅したらまだレッスン中だったので、私もハーモニカでジョイントする。 4月11日(土) ☆天気予報では曇りだったが、お昼前に太陽が隠れたくらいで、概ね青天。 夕刻からは曇天となる。 陽射しは暖かいが、空気の芯が冷たく、夕刻からは冷え込む。 ☆午前は断捨離作業。 2階のプレールームの子供たちが使っていたパソコンデスクを解体。 解体してみると、結構いい素材が使ってあって高価なものだったようだが、もう使うことも無いので処分する。 昼食後に布団類と一緒に資源リサイクルセンターへ搬入。 ☆午後は妻と西都原の高取山へ躑躅を見に出かける。 先日、桜を観に行った時に、次の目的地へのスマホのナビで西都原を一周してしまい、その時に考古博物館裏の山手に見たことも無い美しい花樹が咲き群れて いて、多くの人々で賑わっていて気になっていた。 今朝の宮日新聞児湯版で、その花々が躑躅であることを知り、明日は雨の予報だったので今日出掛けることにした。 妻は高取山へ行ったのは初めてだったそうだが、私は子供たちの保育園時代に遠足で来たことがある。 しかしこんな美しい躑躅の群落があったのは初めて知ったし、私の知っている躑躅とはまったく趣の異なる花群れに心が晴れた。 ☆高取山を下りて、久しぶりに考古博物館を訪ねた。 この考古博物館は素晴らしい展示施設でありながら、入場無料である。 しかもその展示内容が極めてエキセントリックで、啓示に満ち満ちている。 いったい誰れがこの博物館の構成をして、解説文を書いたのか、来るたびに気になってしまう。 解説文を全て読み、全ての展示物にきちんと目を通していたら、丸々一日あっても足りないくらいである。 いつか、ゆっくり時間を掛けて訪ねて来たいと思いながら、なかなか西都原まで足が伸ばせない。 ☆つくづく、西都原は素晴らしい場所だと再認識する。 妻と結婚した当初は、お弁当を持って古墳群の中の梅林に梅を観に来たこともある。 ☆宮崎県では、新たに今日、1名のコロナウイルス感染者が確認された。 職場の仕事上、東京から来られた関係者の対応にあたっていたということで、感染経路ははっきりしている。 私は夜中にコロナ感染への恐怖で目が醒めてしまった。 宮崎での感染者はすべて海外、東京、福岡からの持ち込み感染で、感染経路の不明な確認者はいないのだが、状況的にいつ感染経路不明の感染が広がるとも 限らない。 宮崎に居てさえ、こんな恐怖を感じてしまうのだから、非常事態宣言の出た都市に住んでいる方たちの恐怖はもの凄いものがあるだろう。 戦争と言う物理的な物による破壊と異なって、ウイルスは姿が見えないモノだけに恐怖が募る。 ☆もうすでに指摘されて始めているように、このコロナウイルス禍で、世界中のこれまでのシステムが一変してしまうだろう。 おそらくオリンピックも無くなるだろう。 直近では、今年の宮崎県での国民文化祭もほとんど開催は不可能になって来ているのではないかと思う。 国民文化祭自体が、もうすでに全く意味の無いものになっている。 過去の事例でも、大規模なパンデミックによって世の中のシステムが変わらざるを得なくなっているようだ。 ここ1,2年で、世界は全く新しいシステムに変換していくということだろう。 4月10日(金) ☆晴天の一日。 午前は春霞のかかった状態だったが、午後にはスッキリとした青空となる。 朝夕は花冷えでとても冷え込む。 日中は気温が上昇。 ☆断捨離の続き。 新聞と書籍類を紙資源センターへ持って行く。 しかし、まだまだ書籍類は整理が必要だ。 シンポジウム関係のカタログ等や私のデータの掲載された書籍は2,3部ずつ保管しているのだが、ここ10年ほどは紙媒体でのデータ提供の機会はほとんどなく なったし、そういう資料の保存は必要ではなくなったのかもしれない。 また新聞記事のデータも、以前はクリアファイルにきちんと整理していたのだが、収入が激減してからはクリアファイルを買うお金も無くなったし、本棚も満杯で置く スペースも無い。 それで新聞記事が山のようにたまった状態なので、これらの必要な資料はすべてスキャンしてデータ化すべきだと悟る。 仕事の無くなった今のうちに、こういう整理作業を進めよう。 ☆宮崎県では、昨日今日とコロナウイルス感染の確認者は出なかった。 今のところ、宮崎県内では感染経路不明の感染者は出ていないが、いずれ出て来るだろう。 マスクをしてスーパーへ行くと、マスクをしていない人たちが気になるようになってきた。 私自身、慢性的に鼻詰まりなのでマスクをすると息苦しく、今日もスーパーで品物の値段を見ようとしたらマスクから漏れる息で眼鏡が曇って見えなかった。 マスクの効果も、自分の口内の飛沫をまき散らさないためで、感染を防ぐためのものではないので、今まではマスクは付けなかったのだが、そうとも言っておられな い状況になってきた。 4月9日(木) ☆概ね青天。 しかし午後からは春霞のかかった状態。 気温は高め。 ☆午後からは、妻の断捨離作業に合わせて、妻のアトリエに置いていた私の美術関係書籍を整理する。 溜まってた段ボールも整理して、段ボールを夕刻に紙資源センターへ持って行く。 ☆自宅工房の台風被害の火災保険が降りたので、工務店と打ち合わせをする。 工事に這入れるのは来週か再来週になるという事だが、雨のシーズンまでにやってもらえたら好い。 ☆高鍋町でもコロナ感染者が出たと言うのは全くのデマだったようで、その”感染者”が立ち寄ったと名指しされた近所の施設も全く普段と変わりなかった。 このデマが多くの人たちの間で流されたとしたら、全くの名誉棄損である。 しかし、状況的にそうなってもおかしくない事なので、今日から外出にはきちんとマスクを着用し、帰宅したら消毒薬で手を消毒し、うがいを心がける。 ☆今日は宮崎県内でのコロナウイルス感染者は確認されなかったが、児湯郡内でマダニの感染症患者が出ている。 3月末から発熱していたということなので、おそらくこのマダニの感染者がコロナウイルスの感染者と疑われて、周囲に噂話で広がったものなのだろう。 4月8日(水) ☆晴天の一日。 今日の日中はグングン気温が上昇。 ☆一日、昨年不在中の宮崎日日新聞チェック。 夕刻までには終了。 その中に、文化欄での石川・宮大教授による昨年の空港展の美術批評があった。 空港展事務局からは届いていない大切なデータだったので驚き、やはりどうしても不在中の新聞チェックは必要なのだと痛感。 何時もは空港展に対しては批判的な傾向の石川教授が、”よくぞ続いたものだ。”という書き出しで、これまでの日向現代彫刻展を含めた流れを紹介していただい ている。 客観的なスタンスで批判的な辛口批評もされながら、私たちの展開を冷静に見守っていただいていたことが伝わって来て嬉しかった。 また、私は宮崎県の文化年鑑の彫刻部門執筆も担当しているので、丹念に新聞に目を通していないと、私に何の案内も無い彫刻関係の展示などがあって、見落 とすと文化年鑑に掲載できなくなる。 ☆今日も高鍋町でコロナウイルス感染者が確認されたと言う噂が、あちこちで飛び交っていたようだ。 その内容が実に具体的なので、本当の事かと思ったが、宮崎県の発表では今日の感染確認者は、昨日の感染確認者である日南市の方の家族のみであった。 だが、あるいは高鍋町内での事例と言うのが、実際には陽性反応は出なかったものの、疑わしい事例があったのではないかと思う。 そしてぞっとしたのは、その”感染者”らしき方の立ち寄り先とされているのが、我が家のすぐ近所なのだ。 状況的に、ありえない事ではないのだ。 もしその噂話に、何らかの根拠があったとすれば、私も感染リスクの区域内に居ることになる。 明日から、徹底的に感染予防の対策を取らねばならないだろう。 ☆一方で、高鍋町美術館は私たちの高鍋高校OB美術展が終了した翌日から、しばらくの間休館となることが公表された。 もし高鍋町内で感染者が出ていれば、すぐに行政側には連絡が行くだろうから、高鍋高校OB美術展の開催中の美術館閉鎖は無いという事から、感染者は出てい ないのだろう。 臨時休館は、県内の連日の感染者確認を鑑みての対応だと思う。 フェイスブックを見ていると、各地で美術展や個展が開催中止になっているし、感染リスクの殆どないはずの野外彫刻展も中止になっている。 そうした流れの中では、美術館閉鎖もやむなき対応かもしれない。 4月7日(火) ☆今日も快晴の上天気だったが、空気の芯がとても冷たく、寒い一日であった。 ☆一日、昨年不在中の宮崎日日新聞チェック。 なにしろ3か月余の間、日本に居なかった。 ☆再任用の妻は、今日は始業式で出勤。 ☆昨夜に宮崎市で確認されたコロナウイルス患者は、濃厚接触者が少なかったためか、県内の公共施設の閉鎖にまでは至らなかった。 今朝の宮崎日日新聞児湯版に高鍋高校OB美術展の取材記事が掲載されたので、高鍋町美術館は閉鎖されなかったことが確認できた。 しかし、今夜はまた新たに県南の日南市で感染者が確認された。 また今日は高鍋町内でも感染者が出たらしいと言うまことしやかな噂が、あちこちで飛び交っていた。 高鍋町は宮崎市のベッドタウンであり、公官庁の支所等も多いので、ほかの町と較べて人の出入りが非常に多く、何時感染者が出てもおかしくない。 ☆スーパーに行くと、レジでは隣の人と2メートル以上離れて下さいと言うアナウンスがあって、床に黄色の停止線テープが張ってあった。 しかしレジを出たら、支払いは横並びのセルフ支払いの機械に並ぶので、客同士は50cm以内で接しなければならない。 やっていることがまったくちぐはぐである。 ☆昨日、今日の宮崎でのコロナ感染確認者は友人同士で、福岡へ家族で出掛けて感染して来ている。 もはや福岡市は空気中にコロナウイルスが蔓延しているようだ。 ネットで今日の宮崎空港の様子を見たら、空港内もガラガラだし、駐車場にも車は無い。 6月に空港3階ギャラリーで個展の予定だった友人の画家・水元博子さんにも、私から来年開催への延期を進言して、来年秋の開催に変更してもらったようだ。 私たちの宮崎国際現代彫刻・空港展も、国民文化祭による10月開催になっていなかったら、今年の開催は完全に中止になってしまっていた。 ☆今朝の宮日新聞児湯版の高鍋高校OB美術展の記事上に、高鍋町がクラウドファンディングで事業を行う町内の事業者に、クラウドファンディング運営会社に支 払う手数料を負担し、地域活性化につながる挑戦を支援する、という記事が掲載されていた。 そして町内でのクラウドファンディングの活用事例として、4年前に私が行ったあかりプロジェクトでのクラウドファンディングが紹介してあり、それが事例となって町 では町民にもっと活用を促したいと補助を決めた、とある。 私としては、何をイマサラ?という感じである。 私が4年前にクラウドファンディングを提案した時には、高鍋町内でクラウドファンディングを知っている者は皆無だった。 クラウドファンディングはインターネットネットを通じての事業支援なのだが、殆どの方がこのシステムを知らなかったので、現金を直接持参される方や、大口の支 援者がインターネットでの支援と言うシステムを知らずに、行き違いで我が家に怒鳴り込んでこられた方も居られた。 商店街の活性化事業で、すでに八王子などでは地域の活性化事業に商工会議所が積極的にクラウドファンディングの活用を促していたにもかかわらず、高鍋町 商工会議所では誰もクラウドファンディングを知らず、商工会議所は募金活動は出来ないと、窓口になることさえ拒否された。 肝心の商店街の受け入れ態勢も殆どなかった。 多くの支援者は、商店街以外の町民や、クラウドファンディングを理解されている町外の方たちだった。 したがって、私は商店街の積極的な支援なしに、殆ど私と商工会議所の担当のO氏とで80日間のクラウドファンディング”闘争”を闘わなければならなかった。 それで、翌年のあかりプロジェクトもクラウドファンディングで資金を確保しようと思って準備を始めたが、クラウドファンディング運営会社の担当者と打ち合わせをし ていたら、一度成功したクラウドファンディング事業は2回目も成功する確率が高いが、一度支援した方達は2度目にはもう支援してくれないので、さらに3倍から 4倍の支援者を異確保する必要があるとアドバイスされ、やむなく私は2回目のチャレンジを断念した。 商店街の方たちに積極的に支援者を増やしてもらわないと、私独りの力では支援者を3倍、4倍に増やすことは不可能だからであった。 そして、商店街の方たちの一致団結した支援なしに、私独りで孤軍奮闘してプロジェクトを成功させても、それは街づくりではないので、私は商店街の組織からも抜 けた。 当時は行政の支援も微々たるものだった。 それが今になって・・・・、である。 まあ、私の孤軍奮闘が今になってこういう形に繋がってくれたのかと思うと、やった甲斐はあったのかと思う。 ☆午後2時21分に、日向灘震源の地震。 高鍋町は震度2。 4月6日(月) ☆今日も快晴の行楽日和。 しかし空気はとても冷たかった。 ☆午前に、昨年不在中の宮崎日日新聞チェック。 ☆午後は妻に誘われて、西都原へ桜を観に行く。 コロナウイルス対策で車の中から観るだけにしようと思っていたが、あまりにも好いお天気で、人出も密集している感じではなかったので少し歩く。 桜と菜の花の対比が見事で、来てよかったと思った。 西都原に桜を観に来たのは何年ぶりなのだろう。 前回に妻と桜を観に来た時には、昨年で100歳を迎えられた弥勒祐徳さんが、まだ元気にキャンバスを立てて桜の絵を描いておられた。 ☆帰路は”峠の茶屋”で海を眺めながらソフトクリームでも食べようかと思ったが、スマホで調べたら休業日だったので、ママンマルシェに寄ってソフトクリームを食 べる。 私は、ママンマルシェへ行ったのは今日が初めてであった。 なかなか地元の施設には行かないものである。 ☆昨日、また宮崎市で2名のコロナウイルス感染者が出た。 新聞を読むと、宮崎市では学校の休校を20日まで延長し、屋内の公共施設も可能なものから順次閉鎖する、とある。 宮崎県も、県立学校、県の公共施設などの取り扱いについては市からの情報を分析・検討し、6日に方針を示す、とある。 これはいよいよ、県立美術館も高鍋町美術館も再封鎖が確実だと思ったが、一日ネットで検索してみたが、何処にも県の公共施設閉鎖のニュースはない。 再任用でまた中学校に勤務する妻にも、明日から通常通り授業開始との連絡があり、休校延長は無い。 ☆そして夜になってまた宮崎市であらたな感染者が出て、4日連続の感染者確認である。 にもかかわらず、妻の中学校は明日から授業開始である。 なんだか対応がバラバラな感じではないか。 宮崎市内の小中学校は20日まで休校となり、ほかの市町村は明日から授業開始となる。 同じ宮崎県内で、こんな教育機会の格差が生じていいものなのだろうか。 ☆高鍋信用金庫の前を通ったら、撤去されたあかりモニュメントは、工事現場の傍らにきちんとシートを掛けられて保管されていた。 4月5日(日) ☆晴天の一日。 気温は下がって冷え込む。 ☆妻が退職して断捨離を始めたので、私も断捨離を再開する。 今日は台所の断捨離。 ☆午後に妻のボーカルレッスン。 私もハーモニカでジョイント。 今日からは新曲に這入ったので、私はハーモニカのパートのチェック。 講師の片貝さんもライブハウスの閉鎖やイベントの中止で、大変な状況だ。 やることが無いので海に行ったり、公園を散歩したりと、久しぶりにゆったりと内面を深める時間を持てるようになったということ。 コロナが一段落したら、生き延びたお祝いをしましょうと語り合う。 ☆ネットでコロナウイルスの様々な情報に目を通していると、感染して亡くなった方たちは病院に隔離されたまま、身内と会うことも許されず、非常な孤独の中で死 を迎えなければならないと言う状況に、今さらながら背筋がぞっとしてきた。 そして日本の感染状況のここ数日の爆発的な感染拡大を見ていると、これまではほんの序の口で、これからが本格的な無差別拡大に突入してゆくのが確実にな ってきた。 都会では半数以上が感染経路さえわからなくなって来ていると言うから、宮崎でじっとしていれば安全だという事は無い事態になってきた。 間もなく宮崎でも感染経路不明の感染者が出て来るだろう。 本当にこれからは明日は我が身という覚悟が必要になってくる。 生き延びたお祝いが出来る日が来ることを祈りたい。 ☆今日は新たに8月開催の某国のシンポジウム案内がフェイスブックに投稿されていた。 事務局に要項を請求してはみたのだが、その国はすでにコロナウイルス感染での死亡者が425名も出ている。 日本はまだ70名の死亡者なのだから、その国で8月にシンポジウムを開催するなんて狂気の沙汰ではないか。 万が一、シンポジウムが開催されても多くはヨーロッパからの作家達が参加するだろうから、日本人の私にとっては感染地に飛びこんで行くようなものだ。 やはり、完全にコロナウイルス禍が終了するまでは動けない。 治療薬が開発されない限り、1年以内には状況は治まらないだろう。 そう覚悟を決めて、これからの生き方を考えて行かなければならない。 4月4日(土) ☆快晴の行楽日和。 ☆朝刊を見てびっくり。 昨夜のうちに、宮崎市で新たに3名のコロナウイルス感染者が出ていた。 これでは美術館も再閉鎖だと思って、記事を丹念に読んで行ったら、今回の感染者は濃厚感染者が限られているので公共施設の閉鎖は無いということであった。 ほどなく高鍋高校OB美術展の事務局からも、高鍋町美術館の再閉鎖は無いとの連絡が入る。 ☆しかし、春の移動時期と重なって、日本中でコロナウイルス感染者が爆発的に広がっている。 何時、再び美術館が閉鎖されるとも限らないので、午前のうちに妻と高鍋町美術館へ出かける。 私の作品の写真を撮っておきたかったのである。 ☆美術館の帰りに、久しぶりに高鍋町図書館に寄る。 退職して少し時間の余裕の出来た妻が、また高鍋町図書館に通いたいと言うので同行した。 図書館は貸し出しと返却のみを行っていて、館内滞在は30分以内という事になっていた。 ☆夕刻に伸び放題になってきていた庭の草を取る。 ☆高鍋信用金庫本店の建て替え工事が始まった。 先日からあかりモニュメントを設置してある植込みの撤去工事が始まって、林氏のあかりモニュメントだけがぽつんと残っていた。 しかし今日はそのあかりモニュメントも姿を消してしまっていた。 再設置されるとは思うのだが、私たちには何の連絡も無いので不安である。 と言うのも2年前の夏に、宮崎市まなび野に設置してあった私の彫刻が、設置場所に新しく店舗が建って、私の彫刻が勝手に移設されて、見るも無残な配置になっ てしまった経緯があるのだ。 その時、私はチェコに居たのでどうすることも出来なかった。 4月3日(金) ☆午前のうちは曇天で、花冷えの冷え込み。 午後からようやく雲が切れる。 ☆午前に高鍋高校OB美術展の作品の仕上げ作業。 ☆午後3時前から、高鍋町美術館にて第19回高鍋高校OB美術展の搬入展示作業。 直前に延岡市でコロナウイルスの感染者があらたに見つかり、戦々恐々の展示作業となった。 OBの中には、すでに美術館が再封鎖されてしまったのではないかという不安を抱えて来られた方も居られた。 状況によっては、期間中の美術館再封鎖もあり得る。 ☆4時過ぎには展示作業も終了。 今回は高齢で退会された方や、多忙や出産で出品できない方が複数名あり、例年と比べるとかなり規模の小さい展覧会となった。 ☆展示終了後に美術館近くの”御船”で懇親会。 懇親会の参加者も例年より少なく、会食後は早々の解散となった。 ☆春の人事異動で、高鍋町美術館は青井学芸員以外は全て職員が入れ替わってしまった。 ようやく美術館の職務に馴れて来た職員を総替えするなんて、行政は何を考えているのだろう。 どうしてじっくりと、特異な施設の専門職員を育てようとしないのだろう。 ☆一方で、お堀と美術館周辺のあの醜悪な中国製灯籠がすっかり撤去されて、ようやく20年前の落ち着いたたたずまいの景観に戻ってくれた。 ☆2日前にエントリーしようとしても先方のメールボックスが満杯だった件は、フェイスブック上での情報では、シンポジウムはキャンセルになったようだ。 しかしデータが送れた作家も居て、彼等にはシンポジウムはキャンセルになったが、受け取ったデータは保留されると言うメールが届いたようだ。 どのみち、コロナウイルス騒動は長期化しそうで、今年はシンポジウム開催は殆ど全滅だろう。 4月2日(木) ☆晴天の一日。 野山が一気に花々、樹々の新芽で明るく賑やかになってきた。 気温は上昇したが、しかし空気の芯はまだ冷たく、アンジェラスの森は午後からは冷え込んだ。 ☆アンジェラスの森へ上がる前に、高鍋高校OB美術展のパンフレットを置きに祈りの丘空想ギャラリーへ行ったが、桜は満開までにはもう少しという感じだった。 ☆一日アンジェラスの森で、明日搬入の高鍋高校OB美術展の作品の磨き直し。 砥石での水磨きをやり直して、夕暮れまでにペーパーの800#までの作業を済ます。 やはり冷たい水での水磨き作業で、一気に指がひびとあかぎれでボロボロ、ガサガサになってしまった。 ☆昨日、今日と異変が続く。 昨日はデスクワーク中に、突然、デジカメのスイッチが這入ってレンズが動き出した。 今日はアンジェラスの森での作業中に、、ブロワーのスイッチが勝手に這入って動き出した。 ちょっと、気を付けよう。 ☆57年前の1963年の今日は、我が家が火事で焼失した日だ。 我が家だけではなく中町公民館の4分の1近くが焼ける大火だった。 この日は東京・日暮里でも大火があり、テレビの全国ニュースでこの日暮里の大火と一緒に高鍋町の大火も放映された。 当時、大阪の叔父を訪ねていた三兄は叔父と一緒に食堂で夕食を食べながら、食堂のテレビで我が家が燃えているニュースを観て仰天した。 あの時はまだ家庭には電話は普及していなかったので、兄は昼間に我が家が火事に遭っていたことを知らなかった。 ☆コロナウイルスの感染者が世界中で100万人を越した。 50万人を越したのはわずか1週間前である。 やはりガオ・メンが示した、世界中で600万人が感染するだろうという初期のデータはほぼ現実的なものとなりつつある。 当初はコロナウイルスは4,5月には治まると言う見通しであったが、しかし今では長期戦になることが確実になってきた。 すでに秋の世界的なスポーツイベントも中止になってきている。 そうなると宮崎国際現代彫刻・空港展が例年通りの6月開催であったら、確実に開催中止になっていた。 今日は河野・宮崎県知事が、宮崎県民へ東京・大阪への往来自粛を要請した。 事態が長期化すれば、10月の国民文化祭も開催できなくなるだろうし、10月に開催が変更になった宮崎国際現代彫刻・空港展の開催も暗雲が漂い始めた。 ☆マレーシア・イポー在住の岩出さんのフェイスブックを見ていると、イポーもレストランは持ち帰りか配達しかできなくなっている。 マレーシアは日常的に持ち帰りシステムが機能しているので、何の問題も生じないだろうが、日本でも都会ではレストランが持ち帰りステムを導入しているようだ。 4月1日(水) ☆夜中から朝方まで本格的な雨。 天気予報では昼から晴れという事だったが、スッキリ晴れたのは午後半ばから。 晴れると陽射しが強くて、とても暑くなったが、夕刻からはまた冷え込んで来る。 ☆今日から4月。 本当なら今日からオーストラリアだったのだが、来年に延びたのでこの先何の予定も無くなってしまった。 退職した妻は、今年度は再任用で週に3日の勤務になる。 妻にも時間の余裕が出来るので、2人で出来ることを考えて行きたい。 ☆一日、今日がエントリー締め切りだった某海外シンポジウムのエントリー作業。 会期的に予定通りの開催は不可能だが、もし招待が決まれば延期された時にそのまま保留されると思うので、今の何も仕事が無い状況では藁をもつかむ思いで ある。 午後半ばにデータを揃えてエントリーを済ませた。 ところが、暫くしてメールが配達できなかったと言うエラーメッセージが返って来た。 メッセージを読むと、先方のメールボックスが一杯で、受け入れられないという事である。 データを小分けして送ってみても同じである。 それでウェブサイトを開いてみると、別のメールアドレスが記載してあったので、そちらに問い合わせてみるが、返答は無かった。 どう仕様もないので、エントリーは断念する。 ☆4日から始まる高鍋高OB美術展の作品を水磨きしていたので、夕刻に海辺へ行って画像を撮る。 画像をフェイスブックに投稿したら反応は好い。 この作品は某海外シンポジウムにエントリーしたものだが、エントリー期間が短くてデッサンでのエントリーだったのではかなく落選となった。 しかし実際にマケットを作ってみると、私のイメージ通りの作品となってくれて悪い作品ではない。 いずれ、ほかのシンポジウムで実現出来る時が来るだろう。 ☆申請していた自宅工房の台風被害への火災保険が、保険金が降りるとの連絡があった。 昨年の台風は相当に風圧が強かったようで、あちこちの傷みが激しく、今のうちに補修しておかないと朽ちてゆくばかりなので、本当に助かる。 この保険も、妻の退職に伴っての教職員共済の火災保険への切り替え案内の見積書を見て、工房にも保険を掛けていたのが判ったのであった。 妻の退職の時期と重ならなかったら、工房の台風被害への補修作業は出来ないままで終ってしまった。 3月31日(火) ☆一日、曇天。 夕刻から小雨。 ☆私の自動車保険が明日で切れる。 妻が退職して、自動車保険を教職員共済の自動車保険に切り替えると言うので、私も家族として切り替えようと思っていた。 だが手違いで申込書類が届くのが遅れ、私の自動車保険の見積もりもお願いしていなかったので、今回は私の教職員共催への切り替えは見送ろうと思った。 しかし明日で保険が切り替わると言うのに、現在加入している保険代理店からは何の連絡もない。 それで念のために教職員共済へ電話で問い合わせてみると、現在の保険の加入内容をFAXで送ってもらったら、すぐに見積もりが出せるし、今日中の郵便局の消 印であれば、明日から保険に加入できると言うので、担当者と遣り取りをして申込書類を作成。 電話をするたびに電話口で対応される方が違うのだが、私と妻の情報は共有されていて対応が実に迅速であった。 それで無事に夕刻までに書類を作成し、妻と私の申込書を郵便局で投函することが出来た。 ☆郵便局で書類を投函しようとすると、カウンター横の投函口に何やら注意書きが貼ってある。 読むと、コロナウイルス対応で、現在、中国への飛行機が飛ばないので、普通郵便以外の荷物等は送ることが出来ないと言う注意書きであった。 実は中国の某彫刻コンクールの締め切りが今日で、そのエントリー作業を進めていた。 本来の締め切りは3月1日だったのだが、コロナウイルスの影響で締め切りが今日に延びていた。 このコンクールには1度入賞して、妻と表彰式に出掛けたことがある。 だがしインドで同室だったガオ・メンから、もう一度エントリーしろと強く言われていたので、準備をしていた。 入賞したらマケットを送り、拡大制作は中国の工場で行われるので、中国に渡航できなくても問題ないと思っていた。 しかし、中国へ荷物が送れないとなると、もし入賞してもマケットを送ることが出来ないのだ。 それでエントリーは見送ることにした。 ☆だがそれで気になってきたのが空港展である。 今の状態で海外から日本への飛行機が飛ばない状況が秋まで続けば、海外からの作品が届かないことになる。 今年の空港展は10月開催になったが、海外からの作品は9月中に届いておかなければならない。 そのころまでに状況は落ち着くのだろうか。 ☆妻の正教員としての勤務が今日で最終日だった。 38年間、大病もせず、無事に勤めを果たしてくれた。 私自身、近年の日本国内の不況で国内の彫刻の仕事は全く無くなったので、妻に扶養されて生き延びている。 妻と結婚していなかったら、とっくに私は野垂れ死にしている。 今夜くらい何か私の手でお祝いをしてあげなければ、と思いあぐねているところへ、昨夜の宮日美展の企画委員会で手当てが2回分支給された。 今年度の手当は銀行振り込みになると言うことだったが、事務手続きのミスで銀行口座振り込みが出来なかったのだと言う。 それで前回の手当てが支払われていなかったので、今回は2回分の手当支払いとなったのであった。 思いがけないお小遣いが這入ったので、今夜は妻に御馳走を振舞うことが出来た。 妻も喜んでくれて、私の面目も保てた。 ☆今日でこのHPの開設が19年目になった。 これからもよろしくお願いします。 3月30日(月) ☆一日雨。 気温は上がらず底冷える。 ☆昨夜の夕食前から差し歯が激痛がして、一晩中痛くて眠れなかった。 差し歯を受ける元の歯は神経は抜いてあるはずだから、歯が痛くなるなんてありえない。 しかしやはり痛いのは差し歯なのである。 元の歯の根っこが炎症を起こしているのかもしれないので、歯科医院で診て貰った方がいいのだが、国保税の滞納で保険証が切れてしまっている。 仕方なくバファリンで痛みを少し和らげる。 どうやら歯茎が炎症を起こしているようだ。 ☆午後にアンジェラスの森で制作。 搬入間近の高鍋高校OB美術展の作品の水磨き。 暖かくなってから水磨きしようと思っていたら、もう時間がなくなり、真冬に戻った雨の中の冷え込みの中で作業する。 ☆夕刻から宮崎市へ出て、宮崎日日新聞社にて第71回宮日総合美術展の第2回企画委員会。 宮日総合美術展は昨秋の第71回展で終了したので、質疑応答は専ら来年2月に開催される宮日総合美術展と宮崎県美術展を統合した”みやざき総合美術展” についてだった。 5月には開催要項が発表されるので、殆どの統合展の開催内容等は既に決まっている筈なのだが、次年度のことであるので今日の場で詳細を明らかにすること は出来ず、私たちの疑問や問いかけには何ら明快な返答は無かった。 私たちにとっては、あまりにも問題の多すぎる統合展なのである。 すでに新しい統合展の在り方には、今夜の私たちからの疑問点は論議されているだろうし、今夜出席の企画員の中にも新しい統合展の運営に関わっている方も 多くおられるだろうが、何の関わりもたらされていない私たちからすると、あまりにも問題が多すぎる。 私は宮日総合美術展の企画員を務めて来て、近年の彫刻部門の状況を見ていると、今のままの部門存続では何の解決にもならないことを実感している。 私は以前は宮崎県美展の運営委員も務めていたが、両方の美術展で同じ問題が論議されていて、同じ対処しかできていないので、私は県美術展の運営委員の 方は辞退した。 だから今の2つの県内公募展の衰退の原因は同じなのに、今回の統合展を進める上での有識者会議や準備委員会では、この部門再編の話はまったく論議もされ なかったと言う。 ☆志村けんが、コロナウイルスで死去したというニュースは衝撃的だった。 私と志村けんは同じ70歳である。 志村けんには特段の持病もなかったと言うのに、17日の発症からわずか12日後に亡くなるなんて、まったく他人事ではない。 こうなったら、感染されるリスクのあるところには出かけないようにする自己防衛しかない。 今年いっぱいは行動自粛が続くだろうから、可能な限り宮崎から出ないようにしよう。 ☆行橋プロジェクトの資料を送っていたISSAのウェブサイトに、行橋の報告がアップされた。 3月29日(日) ☆雨上がりの上天気。 東京では雪が積もったが、宮崎は麗らかな春日和だった。 野山の桜はまだ2分咲きくらい。 ただ我が家の桜はもう葉桜になってしまったので、今年は満開にならずに散ってしまうようだ。 ☆午前と午後にアンジェラスの森で制作。 明日からまた雨の予報なので、テントを張る。 ☆午後に海辺へ行って、オ−ストラリアへ持っていくはずだった小作品の写真を撮る。 今日は新月過ぎで大潮だったらしく、大勢の人が磯で貝等を採っていた。 ☆高鍋高校OB美術展の事務局から、美術館正常開館の連絡が来ないなと思っていたら、朝一番のフェイスブックでOB美術展の開催告知をしていたのでびっくり。 出品者に何の連絡もなく、いきなりフェイスブックに投稿して、更に搬入にはマスク着用などの注意書きを添えるなど本末転倒なので、事務局に連絡を入れる。 私には連絡済みだと思い込んでいたようだ。 バタバタしていたのだろう。 そうしたら、夜に事務局から連絡があり、出品者のK先輩の訃報。 K先輩は近年は内臓の手術をされるなど体調は万全ではなかった。 しかし今回のOB展のパンフレットにはK先輩のデータも掲載されているので、急な展開だったのだろう。 病院に入院されていた訳ではなく、今朝、自宅で永眠されていたらしい。 色んなことが重なる。 かくいう私も、この先ずっと雨模様なので、作品が間に合うのか心配な状況である。 3月28日(土) ☆一日、小雨模様。 ☆今日は夜のハウスパーティーの準備で過ぎる。 ☆朝のうちにメニューを決めて、午前中に買い出し。 ☆午後は妻のボーカルレッスンだったので、私は仕込みをしながら、ハーモニカでジョイントする。 ☆夜は、妻の元の職場の同僚の皆さんとの女子会。 妻を含め、元同僚の中にもこの3月で退職の方が居られ、今回のコロナウイルス騒動で職場でのお祝いの場も無かったので、我が家で細やかにお祝いをすること になった。 話は尽きず、気が付いたらもう午前1時前であった。 ☆小雨の中の桜をライトアップしてみたが、昨日の雨でかなり花が散ってしまっていた。 ☆ようやく高鍋町美術館の4月からの正常開館が決まったようだ。 美術館のフェイスブックでアナウンスされたので、高鍋高校OB美術展の事務局からも連絡が来ると思っていたが、今日の処は何も連絡はなし。 3月27日(金) ☆一日雨。 時折り陽が射したりの不安定な気候だったが、夕刻からは本格的に降る。 この雨で我が家の山桜もかなり花弁が散った。 ☆朝食時に、コーヒーカップを倒して、思いっきりテーブルの上にこぼしてしまった。 山積みしている書類がコーヒーまみれになってしまった。 幸い提出したり保存したりする書類は無かったので助かった。 差し歯が抜けたり、コーヒーをこぼしたり・・・注意しないと。 単なる老化現象に過ぎないのだろうけれど。 最近よく転んだり、躓いたりする。 ☆雨脚が止まって陽が射した時にアンジェラスの森へ上がろうと思っていたが、片付け物を済ませて外に出るともう雨になっていた。 午前も午後もその繰り返しで、アンジェラスの森へは上がれず。 ☆高鍋町美術館から、「高鍋町美術館館蔵名品選」が届いた。 このカタログは美術館開館20周年の事業で、約800点の美術館所蔵品の中から高鍋町や宮崎県にゆかりのある作品48点を厳選して刊行されたもの。 高鍋町美術館としては、初のカタログ刊行である。 私の作品も収録されている。 ☆宮崎県立美術館は今日から開館となったことがメディアで告知された。 しかし、高鍋町美術館は今日も何もアナウンスはなし。 ☆とうとうお隣の鹿児島でもコロナ感染者が出て、これで九州は全県で感染者が出た。 今日は日本国内の感染者が初めて3桁台になってきた。 これからまだまだ拡大していくのではないのだろうか。 当初はコロナは肺炎なので、暖かくなったらウイルスは活動できず、5,6月には治まると言われていたが、最近は常夏のマレーシアやアフリカ、南米でも猛威を振 るっているので、夏になっても治まらないだろう。 ガオ・メンが言っていたように、世界中の感染者が600万人に達すると言う予測は、もう目前である。 3月26日(木) ☆朝のうちから雨。 ☆一日雨なので、デスクワークで過ごす。 ☆宮崎県は県有施設を24日から再開するという事だったが、県立美術館が開館するのかどうかのアナウンスはまだない。 一方、市町村の対応も県の方針に従うという事だったが、高鍋町美術館の開館時期についてもまったくアナウンスが無い。 私は状況的な流れで、おそらく4月1日からは高鍋町美術館も開館するだろうという”見込み”で、4月4日からの高鍋高校OB美術展の準備を進めている。 閉鎖する時には、突然に一気に閉鎖するが、開館する時にはアナウンスも無いのか、と高鍋町美術館のウェブサイトを開いてみるが、3月5日に閉鎖の案内があ ったっきりである。 OB美術展の搬入は一週間後なのである。 それで美術館の方へ問い合わせてみたら、開館には色んな行政手順を踏まなければならないらしい。 従って、現時点では何も確定できていないということ。 OB美術展の事務局も、展覧会実施確定の案内が出来ない状況だと言うことである。 私たちは”見込み”でしか動けないということらしい。 3月25日(水) ☆晴天の一日。 暖かい一日だったが、黄砂で霞空。 ☆一日、デスクワーク。 ISSA(国際彫刻シンポジウム連盟)のヤン・リューから、ISSAのウェブサイトに掲載するために、今年の行橋プロジェクトの情報を送って欲しいと言ってきていて、今 日がその締め切りだった。 私はもうアドバイザーではないから、今年は行橋にも行っていないので何も情報を持っていないと断ったのだが、お前なら出来ると言って聞かないので、後継のア ドバイザーの小林氏から写真を、事務局から新聞記事コピーを送ってもらっていた。 そうしたら、写真だけではなく、行橋プロジェクトのコンセプトと、新聞記事の英訳が欲しいという事であった。 小林氏の写真も殆ど要所しか撮っていなくて、肝心の市民との交流の画像は殆ど無い。 それで招待作家達のフェイスブックを開いて投稿された画像をコピーしようとするが、意外や使える画像が殆どない。 むしろ商店街の方たちが熱心に交流の様子を投稿したものを、シェアしたものばかりであった。 それらの画像を取りまとめて、なんとかプロジェクトの全体がつかめるようになったので、画像をヤン・リューに送る。 ☆次に、行橋プロジェクトの概要を英文にまとめ、ヤン・リューの指定した新聞記事をいったんWord文書に書き起こして、それを英訳する。 夕刻までにヤン・リューへ送付。 折り返し、ヤン・リューからOKの返事が届く。 ウェブサイトも求められたが、アドバイザを退いた私がウェブサイトを作る訳にもゆかないので、こちらは小林氏に作業をお願いしている。 次回からも同じことを求められるので(行橋プロジェクトはISSAのメンバーなので)、今後の対応は事務局と小林氏にお願いしてゆくしかないだろう。 ☆AIESMのメンバー情報が届いた。 この状況下で、シンポジウムの情報など皆無だと思っていたら、意外や韓国のインチョン・シンポジウムが8月開催で作家を募集している。 ほかにもフランスが7月初めのシンポジウム、ロシアが8月のシンポジウムの募集をしている。 今の状況で、7,8月にシンポジウムなど開催できるわけがないだろうと思うのだが。 ☆午後に思わぬハプニング。 マレーシア滞在中に外れた前歯の差し歯が、再び先日も外れたのだが、歯科医院へ行くお金も無く、何時ものように瞬間接着剤で止めておいた。 その差し歯が、昼食中に再び外れた。 それで午後に再び瞬間接着剤で止めようと思ったら、瞬間接着剤の蓋が外れなくなっていて、ペンチでねじってようやく蓋を外した。 そのせいで瞬間接着剤の形がいびつになってしまい、何時ものように差し歯への丁寧な塗布が出来ず、差し歯を差し込もうと思ったら瞬間接着剤が差し歯を掴ん でいた左指に大量に流れて来て、親指と中指がくっついてしまい、その状態で差し歯も中途半端な差し込み位置で固定されてしまった。 くっついた指をお湯に浸して外そうとするが、全く外れない。 結局、午後は親指と中指がくっついたまま、行橋プロジェクトのパソコン作業をする羽目になってしまった。 指の方は、夕刻にはやっと外れてくれたが、夕食の準備中に差し歯の中途半端な固定の問題が発露した。 パスタをゆでながら、パスタの湯で加減を確認しようと思ったら、パスタが噛めないのである。 つまり、差し歯が途中で固定されてしまったので、物を噛もうとしたら、突き出た差し歯が下歯に当たってしまい、他の周りの歯がまったくかみ合わないのである。 差し歯を外そうとすると、しっかり固定されてしまっているので外れない。 仕方なく、食べ物が咀嚼できないまま、ほとんど呑み込む形で夕食を摂ることになってしまった。 夕食後に何時ものように妻とライブの練習をしたら、ハーモニカ演奏と口笛演奏には支障は無かった。 その後、何とか差し歯を捩じりながら外すことが出来て、今度はきちんと再固定することが出来た。 3月24日(火) ☆上天気の一日。 気温は上昇して、車の窓を全開にして海岸沿いを走るのがとても心地よい季節になった。 ☆11時30分より、宮崎空港レセプションルームにて、宮崎空港ビルのターミナルビル30周年直会に出席。 空港ビル屋上に、宮崎神宮から分社してもらった宮崎空港の安全を祈願する五所稲荷神社があり、その神事後の直会にご招待いただいた。 私たちの宮崎国際現代彫刻・空港展も、30年前のターミナルビルオープン時に声を掛けていただき、その年の秋に開催したのが始まりである。 その翌年から6月開催となり、今に続いている。 本来ならば、大々的な記念パーティーを計画されていたそうだが、今般のコロナウイルスによる自粛によって、空港ビル関係者だけでのささやかな直会となった。 そして30年前からオアシス広場でのイベントに関わっている団体・個人を代表して、私たち宮崎国際現代彫刻・空港展と、村上三絃道、そして”アートリーフ”の空 間デザイナーの岡美智子さんの3団体が直会にご招待いただいた。 ☆現在は空港ビルのオアシス広場は、イベント自粛で何も行われていない。 それで自粛期間中に、人との濃厚接触の無い彫刻やフラワーデザインなどの展示は出来ないだろうかと思案中だという事であった。 ☆今年の宮崎国際現代彫刻・空港展は、秋の国民文化祭に合わせて10月での開催が決まっているのだが、色んなイベントの開催期間がダブったりしていて、そ の調整でまだ正式な開催期日が決定できていないということであった。 しかし東京オリンピックも延期になったし、秋にこのコロナウイルス禍が終息しているかも見通せない。 3月23日(月) ☆朝のうちは薄雲がかかっていたが、次第に雲は晴れて晴天の一日。 今日も暖かかったが、午後からは風が出て、風は花冷えでまだ冷たい。 アンジェラスの森は日に日に新緑が芽吹いて来て、明るくなってきた。 我が家の山桜も一気に花が多くなってきた。 そしてここ数年花を開かなかった桃の花が、なぜか数輪開いている。 ☆午前と午後にアンジェラスの森で制作。 昨年の愛媛・うちぬき21で22mm軸径のグラインダーが壊れてしまってから、20mm軸径のグラインダーに変換リングを取り付けて22mm穴径のディスクを使っ ている。 先日、ディスクが擦り切れて新しいディスクを取り付けたら、ブレが激しくて作業にならない。 ディスクは全て22mm穴径のディスクで統一して購入しているので、困ったことになった。 今日も変換リングを取り換えたりの調整作業で手間取る。 ☆宮崎県はコロナウイルス対策で閉鎖していた県有施設の一部を、明日24日から再開することを決定した。 県内市町村にも県の方針を踏まえた対応を求めると言うので、高鍋町美術館も同様の対応になるだろう。 これで4月4日から開催の高鍋高校美術OB展は、予定通りの開催となるだろう。 3月22日(日) ☆朝から曇天。 午前のうちから雨となる。 しかし雨は本格的には成らず、午後からは雲も切れて夕刻には快晴となる。 気温は高め。 ☆午前のうちにEDIONへ出掛け、壊れたパソコンのデータを入れて貰った新しいパソコンを受け取る。 壊れたパソコンはデータを取り出した後に再起動を掛けてみたが、やはり動かなかったという事で、廃棄処分にする。 帰宅して新しいパソコンのインターネット接続等の設定。 ☆午後は妻のヴォーカルレッスン。 私もデスクワークをしながら、ハーモニカでジョイントする。 講師の片貝さんもコロナウイルスで仕事が激減してしまい、レッスンの後に、私たちのことも含め色々これからのことについて語る。 ☆コロナウイルスが武漢で拡大し始めた時、インドで同室だったガオ・メンは当時の情報源として、感染者は世界中で600万人に達するだろうと言っていたが、最 近の世界中への爆発的な拡大を見ていると、この数字はあながち誇大予測でもない気配になってきた。 おそらく、今年いっぱいは様々な規制が続くのではないのだろうか。 本気で何か対策を考えて行かないと、年金だけではやっていけない。 こういう状況だからこその可能性を考えて行く必要があるのだろう。 ☆本来なら今日は中学校の古希同窓会だった。 同窓会を予定していたホテルは駐車場には車は無く、閑散としている。 3月21日(土) ☆今日も快晴の暖かい春日和。 我が家の山桜もちらほら開花してきた。 ☆午前はアンジェラスの森で制作。 ☆お昼に帰宅すると、妻が妻のパソコンが調子が悪いと言う。 昼食を摂って、パソコンを操作すると起動しない。 ネットで調べるが、症状に対応できる説明が見つからない。 それでカスタマに電話を入れて、カスタマと遣り取りした結果、リカバリーが必要という事になった。 リカバリーのディスクを作っていれば対応できるらしいが、そういうものは作成していないので、メーカーに修理に出すことになった。 その際、データを取り出す必要があるかと問われたが、妻は必要ないと言う返事だったので、修理のお願いをして電話を切った。 ☆しかし、考えてみたら、旅行好きの妻は、デジカメになってからの旅行写真はすべてパソコンに入れたままで、外付けHDDも持っていないので、それらの写真が 全て消えてしまう。 メーカーのデータ取り出し手数料が高額だったので、町内の電気店で安く取り出してもらえるのではないかと、妻に町内の各電気店に電話させる。 EDIONだけが対応が可能だと判り、しかし現物を見てみないとわからないという事だったので、EDIONにパソコンを持ち込む。 しかし、担当者と色々話していたら、メーカー送りの修理代とデータ取り出し費用は相当な金額になり、パソコンの劣化等を考えると、買い替えた方が特だという事 になった。 いまはパソコンも性能が良くなって価格も下がってきているので、買い替えても負担は大きくない。 ☆担当者の説明がとても丁寧で、性能も好くて価格も低い物を勧めてくれたので、妻に検討させて購入を決める。 ☆夜になって担当者から電話があり、無事データの取り出しが出来て、新しく購入したパソコンへ移行できたという事であった。 私はヤマダ電機が高鍋町内に進出してくるまでは、専らEDIONしか利用していなかった。 当時の担当者がとてもパソコンに詳しく、実に親切丁寧だった。 今日の担当者も若いがとても親切で、説明も分かりやすく良心的だった。 ☆妻のパソコンは今朝まで何の異常も無かったのに、突然の致命的故障である。 こういう時は、いろんなものが次々に故障して来るものだ。 3月20日(祝・金) ☆一日中、一片の雲の気配も無い全くの快晴。 この春一番の暖かさとなった。 ☆朝一に、田中家の墓参。 そのまま10号線をのんびり北上して、日向市へ妻の実家の墓参。 ☆日向市の市営墓地は大渋滞であった。 コロナウイルスで外出を控えた人たちが、絶好の行楽日和に誘われて、午前のうちに墓参をすませてしまいたいと思ったのだろう。 ☆墓地を出て義兄宅と義姉宅を訪ねて、久しぶりに”天領うどん”で昼食を摂ってイオンへ。 イオンでは、妻の退職記念で職員の皆さんに贈る手作りの品の素材等の買い出し。 ☆帰路もゆっくり10号線を下って、川南町の”峠の茶屋”に立ち寄る。 太平洋を見下ろす高台の茶園の中に在る素晴らしい眺望のお店である。 話には聞いていたが、先日に妻が職場の皆さんと訪れて感激し、私を誘ってくれた。 お店で一番人気の抹茶ソフトクリームを食べる。 ☆同じ敷地内の音楽カフェ”暖”では、先日に高鍋町美術館で個展を開催した谷澤菜緒さんの作品が展示してあったのだが、残念ながら臨時休業であった。 ☆”峠の茶屋”を訪れたのは初めてだったが、その背後にある青鹿(せいろく)ダム(キャンプ場がある)には、子供たちが幼い時に釣りに来たことがある。 それで妻を青鹿ダムに案内しようと思ったが、奥深い林道を走れど降り口が判らず、とうとう青鹿溜池湖畔を一周して山本小学校前に出てしまった。 3月19日(木) ☆朝のうちは陽射しが出ていたが、午前のうちから雨となる。 午後は雲が切れたが、アンジェラスの森へ上がると曇天のまま、今にも雨が降りそうな天候であった。 気温は高め。 ☆午前はデスクワーク。 ☆午後からアンジェラスの森へ上がって制作。 ☆この先、彫刻家としての収入は全く見込めなくなってきたので、暫くは何か次の手を打つ方策を考えて行こうと思う。 3月18日(水) ☆午前中は雲が多かったが、午後はスッキリ晴れた。 気温もぐんぐん上昇し、春の陽気となった。 ☆今朝も体がきつくて、なかなか起き辛らかった。 鼻が詰まって、目も周りが痒い。 やはり花粉症か。 ☆午前と午後にアンジェラスの森で制作。 ☆愛するマレーシアが、突然の国境封鎖、あらゆる学校や民間企業も一時封鎖となった。 どうやらモスクでの礼拝での大規模クラスターが発生して、ここ数日で瞬く間に東南アジア最多のコロナウイルス感染者を抱える国になってしまったようだ。 日本とマレーシアはとても密接に繋がった国だから影響は大きいだろう。 ☆次男の属するバンドも、ライブが中止に追い込まれたようだ。 ライブハウスでの感染者が多発しているので、状況的には致し方ない。 ☆宮崎県内で昨日発生した新たな感染者による公共施設の閉鎖期間の延長は、いまのところ動きはない。 ☆8月に開催予定の某国際アートイベントも中止になったりしている。 やはり秋口までは、こうしたイベントの中止、延期状態は続くのではないのだろうか。 3月17日(火) ☆午前は薄曇り状態。 空気の芯が冷たく、冷え込んだ。 午後は一気に雲が晴れて気温が上昇。 ジャンパーでは暑くなった。 ☆朝一に、オーストラリアからの文書をH.I.Sに送付。 そうして営業開始時刻早々に担当者から電話が這入った。 担当者は昨日までお休みだったということ。 私のチケットがキャンセルの手数料無料の払い戻し対象になるのか調べて、折り返し連絡するということだった。 私もネットで調べてみたら、今日更新された航空会社のコロナウイルスによる払い戻しの規定が、私のチケットにも適合されることが判った。 H.I.Sからも、内部規定にも該当するので、チケット料金は手数料なしで払い戻されると言う連絡が這入った。 ただし状況的に、払い戻しまでには2,3週間かかる見込みだと言うが、これは致し方ない。 ☆午前と午後にアンジェラスの森で制作。 ☆ヨーロッパから日本への入国者は2週間の自主待機となった。 それで今年のうちぬき21の招待作家はスペインの作家だと聞いていたので、問い合わせてみると、すでに作家には延期の連絡がしてあり、開催時期については 未定だという事であった。 いまや世界中の国が国境封鎖や入国禁止・自主待機措置を取っているので、多くの海外国際シンポジウムは開催不可能となり、延期に追い込まれているようだ。 私も今年は宮崎にじっと留まるより無いだろう。 ☆しかし、その宮崎も今日新たに2人のコロナウイルス感染者が出た。 そうなると今月31日までの県内公共機関の閉鎖が、期間延長になって来るやもしれない。 4月4日から高鍋町美術館で開催予定の高鍋高校OB美術展も、予定通り開催されるのか、気を揉むところである。 3月16日(月) ☆晴天の一日。 スッキリ晴れたが、今日も風が冷たく冷え込んだ。 ☆朝、体がどうしようもなくきつくて、なかなか起きれなかった。 宿酔のきつさではない。 朝食後に下痢だったので、どうやら風邪気味のようだ。 最近は風邪気味になると胃腸に来る。 またインドから帰って来てから(正確にはインドからの帰国中から)肩凝りがひどいのだが、今日はその肩凝りが背中に来てしまった。 マッサージに行きたいが、無一文である。 ☆午前に彫刻集団・佐賀の作品を宅急便で送る。 ☆午後にアンジェラスの森で制作。 今日から万成石での新しい作品に取り掛かる。 ☆オーストラリアのチケットキャンセルについて、H.I.Sから全く返事が無い。 旅行代理店もキャンセルが相次いでてんてこ舞いなのだろう。 明日にでも担当者に電話しようと思っていたら、夜になって、オーストラリアのシンポジウムのチェアマンから、チケットキャンセル対応の文書が届いた。 今回は個人の事情によるキャンセルではないので、キャンセル料は派生しないと思う。 そのためのオフィシャル文書である。 ☆今日は妻の学校の卒業式だった。 この3月で退職する妻にとっては、最後の学級担任の子供たちを送り出す最後の卒業式だった。 コロナウイルス対策によって非常事態の中での卒業式だったが、かえって100年に1度のパンデミックの中での緊張した卒業式で、印象に残る卒業式となったよう だ。 無事に卒業式も終わったので、妻のジム通いを解禁する。 3月15日(日) ☆晴天の一日。 しかし風が強く、気温は冷え込んだ。 アンジェラスの森では久々に寒さで手がかじかんだ。 ☆午前はアンジェラスの森で制作。 凍える寒風の中で仕上げ作業。 砥石での成形作業が終わったので、早目に帰宅。 ☆午後はデスクワーク。 自宅工房の台風被害の火災保険手続き書類が届いていたので、書類を記入して工務店の見積もり書を添えて、夕刻に投函。 ☆オーストラリアは全ての入国者に2週間の自主隔離規制を始めた。 イベントの中止・延期が無くても、この入国規制によってシンポジウムには参加できなかった。 ☆一方の佐賀県は、やはりコロナウイルス感染者が出ても公共施設の閉鎖は行っていないようだ。 したがって、23日からの佐賀県立美術館での彫刻集団・佐賀展は予定通りに開催するという事。 美術館賞は感染リスクが低いと言われていて、宮崎でも3月4日付けの宮崎日日新聞紙面に元・文化部で美術担当だった記者が”新型コロナウイルス感染症対策 専門会議が、症状のない人にとってリスクの低い活動の一例に、美術鑑賞を挙げていた。”と記事に書き、美術館へ行くことを勧めていた。 ところが翌5日に宮崎県内でも感染者が出ると、有無を言わさず宮崎県内の公共施設は一律に全て閉鎖されてしまった。 佐賀県のほうがはるかに文化レベルが高い、ということなのだろうか。 たしかに美術館へ行くよりも、日常のスーパーへの買い物の方がはるかに人と接する密度が高い。 ☆高鍋町のスーパーでもトイレットペーパーの入荷が始まった。 3月14日(土) ☆天気予報では午前まで雨の予報だったが、朝のうちから雲は晴れ、晴天の一日となった。 午後からは風が冷たく、冷え込んでくる。 ☆午前と午後にアンジェラスの森で制作。 ☆午後に、妻と”祈りの丘空想ミュージアム”へ出かける。 と言っても、私の作業場であるアンジェラスの森を含む石井記念友愛社の敷地内に在るので、私の作業場の直ぐ裏手である。 友人の画家・水元博子さんの作品が展示してあったので観に行った。 ミュージアムは、石井記念友愛社の開拓時代の教会を改装したもので、教会の手前には2000年に制作した私の彫刻作品がある。 私の彫刻はコケ等でかなり汚れているが、かえってそれが作品に重厚な存在感を与えていて、いい感じになっていた。 これから周囲の桜が満開になると、とても素晴らしい空間になる。 ☆妻と別れて、私はそのままアンジェラスの森へ上がる。 ☆佐賀県はコロナウイルスの感染者が出たにもかかわらず、宮崎県のようには公共施設の閉鎖は行われていないようだ。 佐賀県立美術館で開催予定の彫刻集団・佐賀展への出品作品を送るべきか迷っていて、何度もウェブ検索するのだが、佐賀県立美術館のウェブサイトの最新情 報は、コロナウイルス感染者の出た13日以前の12日のままである。 事務局に問い合わせても返事が無い。 3月13日(金) ☆一日曇天。 お昼前後は青空が拡がったが、午後から再び曇天。 アンジェラスの森を出るころから、ぽつぽつと雨。 ☆午前と午後にアンジェラスの森で制作。 ☆午前に、自宅工房の台風被害火災保険用の工務店見積もりが届く。 ☆夕刻に帰宅してほどなくして、オーストラリアのジーナ・リーからメッセンジャーで電話が這入る。 政府の要請によって、多人数の集まるイベントはすべて開催中止となったということ。 従って、4月のパースでのシンポジウムは、1年後に延期となったということ。 覚悟はしていたが、わずかな望みを抱いていたので、落胆は大きい。 なにしろ、これで4月からの収入は完全に無くなった。 色んな支払いが溜まっていいて、オーストラリアの報酬でそれらに充てようと思っていたので、完全に目論見が崩れてしまった。 ☆オーストラリアでは昨日のトム・ハンクス夫妻の感染に引き続いてダットン内相の感染も明らかになったので、国内での危機感が一気に高まったのだろう。 日本人の入国禁止措置以前に、オーストラリア国内でのイベント自粛となってしまった。 今年は海外での活動はほとんど見込めないのではないのだろうか。 宮崎でじっとしているのが一番安全だが、それは同時に完全無収入生活の到来を意味する。 ☆H.I.Sへチケットの払い戻しの依頼の連絡をする。 ☆一方、とうとう佐賀県でも感染者が出た。 そうなると佐賀県でも公共施設が封鎖されるだろうから、23日からの彫刻集団・佐賀展は開催できないだろう。 3月12日(木) ☆晴天の一日。 お昼前に雲が広がったが、午後には恢復。 朝は冷え込んだが、日中は強い陽射しで暖かくなる。 アンジェラスの森もホーホケキョが鳴き渡る。 ☆午前と午後にアンジェラスの森で制作。 ☆自動車保険の件で、教職員共済の担当者に連絡を取る。 私が妻の家族として教職員共済の自動車保険に入ること自体は何の問題も無いのだが、私にとって大きな問題である空港展の対物保険への加入は取り扱ってい ない、ということ。 これでは空港展の会場保険の問題は解決できない。 しかしこの問題も、私自身が抱え込む問題ではなく、空港展を継続してゆく若い作家たちで解決してもらう時期に来ているのだ。 私が倒れたら空港展は継続できないので、行橋プロジェクト同様、全ての運営を若い作家たちに全面的に引き継いでもらう時期なのだ。 昨年の空港展の搬出時にこのことは皆に伝えてあり、極力若い作家たちで中心に動いてゆく様にお願いしたのだが、この会場保険も彼等で対応すべき時期に来 ているのだ。 ☆アメリカの俳優・トム・ハンクスが、夫妻ともオーストラリアでの映画撮影中にコロナウイルスに感染したと言うニュースには驚いた。 オーストラリアに行っても感染のリスクは高いのだ。 WHOもコロナウイルス感染をパンデミックと表明した。 今や、何処へ行っても感染のリスクはあるのだ。 ☆昼に、行橋プロジェクトの完成作品一覧をフェイスブックに投稿する。 3月11日(水) ☆晴天の一日。 今日も風が強く、気温は下がる。 ☆午前と午後にアンジェラスの森で制作。 リューターを駆使して、なんとかノミの這入らない細部まで作業できた。 ☆今年の行橋まちなかプロジェクトの完成作品一覧をフェイスブックに投稿したいので、各作家に作品のサイズを問い合わせた。 各作家からは折り返しすぐに返事が戻ってきた。 みんな行橋のプロジェクトに満足してくれたようである。 一覧をまとめて、明日にはフェイスブックに投稿したい。 ☆オーストラリアのシンポジウムは全参加作家6名のうち3名がコロナウイルス感染国の中国、日本(私)、イタリアの作家である。 中国の作家は現在はオーストラリア入国禁止だが、中国では感染拡大が抑止されて来ているので、オルガナーザーの見込みでは、開催までには入国禁止は解除 されるのではないかと言う。 問題は、爆発的な感染者数と死亡者数の増加が続いているイタリアの作家である。 イタリアの状況が納まらない限り、イタリアからの参加はほぼ絶望的ではないのだろうか。 イタリアの状況に較べたら日本の感染者の数はかなり少数だが、予断はできない。 もし日本が今後にオーストラリア入国制限あるいは禁止対象国になり、中国の入国禁止措置も解除にならなかったら、参加作家の半数が不参加となってしまう。 それではシンポジウムの体とならない。 イベントマネージャーもこう嘆く。 ”現在のところメディアによる多くの扇情主義があり、そして私たちは店で生活必需品についてパニックな国となってしまい私たち自身を困らせている。 実行委員会はイベントを進めるように完全に一任させられている。 個人的なレベルに於いては、オルガナイザーが案じているように、もし私があなたに会う機会を持て無くなったら、私は打ちのめされるであろう。” ☆一方、春の甲子園大会が中止と決まった。 ここは、個人的な思いよりも、コロナウイルスのさらなる感染を抑制することが世界中の人々の務めだろう。 3月10日(火) ☆朝まで雨。 天候は朝のうちに急速に回復して、10時くらいには晴天となった。 気温はぐんぐん上昇して、日向市では26,3度の夏日を記録。 突風が吹き荒れ、春一番かと思われたが、風向きの条件が合わず、春一番とはならず。 ☆午前に工務店来訪。 自宅工房の台風被害の見積もりの打ち合わせ。 ☆午後はアンジェラスの森で制作。 新しい展開の作品を作っている。 形が出て来て、ほぼイメージに添った作品になりつつあるが、やはりエアーチッパーでの作業が欲しい。 エアーチッパーくらいの作業量なら、100Vの3馬力くらいのエアーコンプレッサーで対応できるのだが。 3月9日(月) ☆朝のうちは晴天。 暖かい朝。 午前のうちから雲が出て、昼前には曇天となる。 午後後半から雨となり、夜には本降りとなる。 ☆午前にアンジェラスの森で制作。 ☆午後はデスクワーク。 自宅工房の火災保険の件で、担当窓口へ問い合わせる。 証券を調べて貰ったら、確かに自宅工房にも保険がかかっている。 取りあえず台風被害の保険を請求してみることになった。 保険が支払われるかどうかは請求資料が届いてから判断するということ。 それで、先日屋根の工事見積もりを出してもらった工務店に、再度、台風被害箇所での見積もりを出してもらうようにお願いした。 ☆オーストラリアから、シンポジウムの開催を予告した地元の新聞記事が届いた。 この新聞は55歳以上をターゲットにした新聞で、70歳と言う年齢で参加する私の若さの秘訣などを紹介してある。 願わくは、日本でのコロナウイルスの拡大が治まって、オーストラリアから日本人の入国禁止措置が取られないままであって欲しい。 3月8日(日) ☆雨上がりの上天気。 気温も上昇して心地よい春日和。 ☆アンジェラスの森で制作。 ☆このところ鼻詰まりで声も鼻声で風邪気味なのかとも思うのだが、毎年この時期になると似たような感じになる。 或る時から、これはひょっとして花粉症なのか、と気づき始めた。 アンジェラスの森は杉が多いので、花粉症になってもおかしくないが、私の場合は蓄膿症で通年が鼻詰まりなので、周囲の方たちのようなひどい花粉症の症状に はならない。 目の周りが少し痒くなる程度である。 ☆今日現在では、まだオーストラリアの日本からの入国禁止措置は出ていない。 日本国内での感染者は増え続けているので、3週間後にはどうなっているか、予断はできない。 3月7日(土) ☆午前は曇天で冷え込む。 正午からぽつぽつと雨となり、夜は本格的な雨となる。 ☆午前にアンジェラスの森で制作。 ☆午後はデスクワーク。 妻が退職に当たり、退職後に教職員互助会の色んな制度があるので、これまでの様々な保険を見直している。 それで幾つかの保険を従来の保険と互助会の保険とをチェックする。 やはり、互助会の保険の方が同じ補償内容でも掛け金が少なくて済むようだ。 現在加入している自動車保険の担当者に確認したら、私の自動車保険も家族として互助会の保険に加入できるということ。 ただ、私は現在入っている自動車保険の保険会社に空港展の対物保険に加入させてもらっているのだが、互助会の保険でも加入できるということだった。 また火災保険も見直しで互助会から見積もりを出してもらったのだが、見積もりに現在の火災保険の内容の詳細が記載してあり、そうしたら自宅工房も火災保険 に這入っているらしいことが判った。 そうだとすると、近年の台風でボロボロになった工房の被害が補償されるのではないのだろうか。 ☆今日は妻のアトリエで保険関係の書類を探していて、妻の大切にしていた花瓶を割ってしまった。 用心用心。 ☆今日から模型で入選した第16回KAJIMA彫刻コンクールの入選作品展が始まった。 模型入選作品も展示される。 私の作品は昨年の空港展の作品である。 昨今のコロナウイルス騒動でいろんな展示会が中止になっているが、多分、この展覧会は開催されているようだ。 3月6日(金) ☆晴天の一日。 朝は冷え込んだが、陽射しが強かったのでとても気持ちの好い気候だった。 アンジェラスの森までの道のりの里山には花が咲き乱れ、とても心地よい気分に浸れる。 ☆アンジェラスの森で作業。 オーストラリアのマケットの台座制作と、今月末からのグループ展の作品制作に入る。 ☆宮崎市内でのコロナウイルス感染者の確認によって、休校だった県立高校の休校措置が春休みまでに延長された。 ほかの市町の小中校もそれに付随した措置を取り始めた。 そうなると、愈々4月初めから高鍋町美術館で開催予定の高鍋高校OB美術展の開催も難しくなってくるのではないのだろうか。 どのみち、昨年は殆ど小作品を作る時間が無かったので、今のうちに何点か小作品を作っておこう。 3月5日(木) ☆晴天の一日。 午後からは雲一つない快晴。 寒の戻りで冷え込んだ。 ☆アンジェラスの森で制作。 ☆宮崎県内でのコロナウイルス感染者確認で、県の施設だけではなく、宮崎市の施設と高鍋町の施設も今月31日まで閉鎖となった。 そのうち”みやざきアートセンター”では、陶芸家の故・高森暁生氏の作品が今月末までの予定で展示されていた。 高森氏はアメリカで制作活動を続けていた人で、一度宮崎に帰って来た時に何度かお会いしている。 当時、私が親しくしていた延岡市の陶芸グループの野焼きで一緒に火を囲んで呑んだことがある。 昨日全くの別件で調べることがあって、昔の住所録を開いていたら、表紙裏に他の色んな書類と一緒にその陶芸グループの名簿があって、高森氏が会友として記 載してあった。 それで当時のメンバーにアートセンターでの展示のことを連絡しようと思っていた矢先に、今日の昼にアートセンターが明日から閉鎖されることを知った。 慌てて午後になってメンバーの1人に連絡を取ったら、なんとか間に合って見に行ってくれた。 昔の住所録なんて手に取ることも無いのに、天国の高森氏が知らせてくれたのかと、余りの符号に驚いた。 ☆高森氏は東郷町の中也賞作家の詩人・高森文夫氏の子息で、また高森文夫氏は中原中也の親友でもあり、中也は東郷町に3度遊びに来て高森文夫氏の家に 滞在している。 そういうことを殆どの宮崎県民は知らない。 ☆一方の高鍋町の閉鎖施設の一つである高鍋町美術館は、4月に這入ってすぐに高鍋高校OB美術展が予定されている。 コロナウイルスの感染拡大が更に広まれば、閉鎖期間は更に延長されることになる。 事務局に連絡して、最悪の場合への対応も考えておくようにお願いする。 ☆また今月24日からは、彫刻集団・佐賀の展覧会も佐賀県立美術館で開催予定である。 佐賀県ではまだ感染者が確認されていないので、展覧会は予定通りだということだが、感染者が九州全県に広がるのは確実なので、こちらも開催は危い。 懇親会は今日の時点で中止となった。 3月4日(水) ☆夜明け前から雨。 お昼前には少し青空が広がったが、午後には再び小雨交じりの曇天となる。 ☆昼前に宮崎市へ出て、ギャラリー色空で開催中の”河野親子展”へ。 父親、長男、次女との3人展である。 父親の河野富夫君は私の宮崎大学と佐賀大学専攻科の1学年後輩になる。 先年脳梗塞で倒れたが、現在は左手で絵を描けるようになっている。 せっかくの親子展開催だが、コロナウイルスの影響でギャラリーへの来場者が殆どないということで、気の毒であった。 ☆今の宮崎のギャラリーの動向を聞いてみたが、やはり以前のような活気はなく、作品もほとんど売れないということだった。 親子展での小作品の作品価格も驚くような低価格だった。 これでも売れない現況だということなのだろう。 ☆夜になって、とうとう宮崎県でもコロナウイルスの感染者が出たと言うニュース。 時間の問題だとは思っていたが、やはり衝撃は大きい。 これで県の公共施設は閉鎖となるので、県美展開催中の県立美術館も閉鎖となる。 私が県美展に早目に足を運んだのは、こういう状況が到来することを見込んで居たからである。 県の文化年鑑の彫刻部門の担当者としての義務であった。 ☆これから宮崎県内での感染者は更に増えて行くだろう。 中学同窓会の延期を決めたのは正解であった。 学校の休校も延期となるのではないのか。 3月3日(火) ☆概ね青天。 気温は上昇したが、アンジェラスの森では空気は冷たかった。 ☆午前と午後後半から、アンジェラスの森でオ−ストラリアの小作品制作。 しかし今日はインドが日本人へのビザを無効にすると発表した。 アメリカも韓国に引き続いて日本を渡航規制強化の対象国として検討し始めた。 いよいよ、オーストラリアも日本人の入国規制に動き出すのではないのか。 ☆そして国内ではとうとう隣県の大分で感染者が出た。 宮崎県でも感染者が出るのは時間の問題だろう。 それに専門家の意見として、コロナウイルスの感染は3月一杯では治まらないと言う見解を出している。 したがって事務局と相談して、今月22日に開催予定の中学校古希同窓会は開催不可能と判断して、秋に延期することにした。 ☆また国内の感染経路としてスポーツジムでの感染が多い。 妻がほぼ毎日ジムに通っているが、状況を考慮して、学校が休校の間はジムを休ませることにした。 ☆4月のオーストラリアでのシンポジウムに参加できなくなると、私は4月から完全に無収入である。 これで日本人が海外へ渡航できなくなると、私は唯一の収入手段である海外シンポジウムへ参加出来なくなる。 妻も3月で退職するし、我が家は4月から経済的に非常事態に陥る。 本気で彫刻家廃業を考えなければならなくなってきた。 3月2日(月) ☆晴天の一日。 午前のうちはまだ雲が多かったが、午後からはすっきり晴れる。 気温は上昇。 ☆午前と午後後半にアンジェラスの森で作業。 オーストラリアのマケットと小作品。 しかしどうにも展開が思わしくない。 コロナウイルスは治まるどころか、これから一気に全国に、全世界に拡がってゆくと専門家は見ているようだ。 一と月後には、日本人はオーストラリアへは入国できなくなるのではないのか。 先日、オーストラリアで初のコロナウイルスの死者が出たが、その人はクルーズ船に乗っていた人で、死亡したのは私が行く予定のパースなのである。 そして今日になってオーストラリアの医療当局は、「日本と韓国は感染の制御に尽力しているが、われわれは、日韓およびその他の高リスク国から感染者が入国し てくる可能性を懸念している」と述べている。 ☆行橋のまちなかオブジェプロジェクトは、無事に終了したようだ。 また後日に完成作品をフェイスブックに挙げたい。 小林照尚氏に感謝。 ☆このHPのトップページのカウンター設置のサービスが、1年後には廃止されると言う事。 インドに居る間に長期に渡ってカウンター表示等のできないトラブルが生じたが、時代の流れで、HPにカウンターを付けている人はガラパゴス人間になってしまっ たようだ。 ☆今日は妻の還暦誕生日。 そして、妻の勤務する学校は今日から休校になった。 そういう曰くつきの誕生日となったが、夕食は居酒屋でお祝いをする。 何時もは満席でなかなか予約が取れないのだが、やはりコロナウイルスの影響でガラガラだった。 3月1日(日) ☆一日雨。 お昼前後は雨脚が止まったが、午後からは再び雨となる。 ☆お昼に宮崎へ出て、宮崎県立美術館へ。 昨日から開催が始まった第46回宮崎県美術展を見る。 来年度から、この県美術展と宮日総合美術展とが統合されて、新しく「みやざき総合美術展」となるので、県展としては今回が最後である。 にも関わらず、会場内に掲示された挨拶文のパネルには、宮日総合美術展同様、こうしたことには一切触れられていない。 ☆彫刻部門の展示内容は、バラエティーには富んでいるが、あまりにも作品が少ない。 しかも出品者が20代と、60代、70代のみという、あまりにも悲惨な状況。 中堅、ベテランがみんなそっぽを向いてしまっている。 新しく統合される総合美術展で、こうした危機的状況を変えることが出来るのだろうか。 私は新しい総合美術展には一切関わらされていないし、関係者から這入ってくる情報では、何も好転する状況は見えてこない。 ☆彫刻部門の審査員は誰だろうと思って、審査員のパネルを見て思わず”岩間君!”と叫んでしまった。 審査員の岩間弘氏は、日向現代彫刻展と宮崎国際現代彫刻・空港展の参加作家で、私たちの仲間なのだ。 私自身、彼の大ファンで作品を2点購入している。 高鍋町の黒木本店の尾鈴蒸留所にも作品がある。 私も近年は宮日総合美術展での彫刻部門の審査員候補に上がって来るのが、大半は空港展参加作家のレベルになっていたのである。 そう言う時代になってきたのだ。 絵画の部門の審査員も、昨年に引き続いて宮崎県出身の彫刻家・保田井智之氏の奥さんである宮いつきさんが勤めている。 宮さんには、日之影町の昌竜寺本堂の天井画を描いてもらっている。 ☆岩間君の審査評は、岩間君らしく繊細で慈愛に満ちたとても心の籠ったものである。 こんな優しい柔らかな審査評はあまり目にしたことが無い。 ☆工芸部門も彫刻部門以上に近年は惨憺たる状態で、今回は最もひどかった。 陶芸のベテランが全く出品しなくなったので、田舎の町の公民館発表レベルである。 デザインも、今年は中学校の文化祭レベルのものばかりで驚いてしまった。 新しい総合美術展で、工芸もデザインも今と同じスタイルで展開されたら、何も望みは生まれないだろう。 暗澹たる気持ちで美術館を出る。 |