2020 | 10月31日(土) ☆晴天の一日。 気温は上がらず、冷え込んだ。 夜は14夜の満月。 ☆トルコのイズミールで大きな地震が発生した。 イズミールは、私がこれまで訪れた海外の都市の中では、テヘラン、イルクーツクに次ぐ美女密度の非常に高い街で、海沿いの居酒屋は毎夜民族音楽が奏でられ 、海の幸の極めて美味しい魅力的な街だった。 夕暮れになるとみんな海辺に集り、ビール片手に海を見ながら管楽器を奏でる人など、トルコの人たちの精神生活のレベルの高さをひしひしと感じさせるとても魅 力的な街だった。 ネットで見ると、幾つかのビルが崩壊して、多くの人が閉じ込められているようだ。 ☆午前は、昨日の木版画の刷り直し。 しかし、まとまりがつかず。 午後からは次のプランを考えて、夕刻から版木の彫りに入る。 8月末から木版画を始めて2カ月以上経ったが、作品展に展示できるレベルの作品はまだ3,4点である。 正月明けの1月初めの妻との2人展まで2か月しかない。 これでは作品がそろわない。 一方の妻は、着々と30数点を準備して、作品タイトルもすべて決めてしまっている。 ☆出版社から送っていただく献本先で、送り先の明確でなかった最後の1件とようやく連絡が取れた。 メールの返事は無いし、電話も出ないし、昨日はファックスを送ったのだがそれでも何の連絡も無かった。 昼前にやっと電話が通じた。 ”ファックスを送っているんですけど” ”ああ、届いているね” ”どなた宛に送ればいいんですか?” ”○○長宛でいいよ” ”○○長はどなたですか?” ”さあ、わからん” 結局は、ネットで調べる次第であった。 10月30日(金) ☆晴天の一日。 夜中は蒸し暑く、日中も気温が上昇。 家の中では半袖で過ごす。 夜は13夜の月が煌々。 ☆今朝のこのHPトップページのカウントが197,777だった。 ☆午後に、高鍋町美術館で開催中の「交差する視点 辻野精一・道北昭介」展を観に、妻と出かける。 本来は国民文化祭・障害者芸術文化祭の企画展「宮崎アーティストファイル ギフト展」の開催が予定されていたが、コロナ感染症拡大防止で開催延期となったた め、美術館所蔵作品による代替企画として開催されたもの。 道北昭介は私のおじになるが、辻野精一氏が高鍋町生まれの方だと言うのは生前には知らなかった。 展示されている作品も、辻野氏の作品は初見のものばかりであった。 ☆断捨離中に昔の二土会の資料が出て来ていたので、青井学芸員に渡す。 この二土会と言うのは、道北昭介が町内の日曜画家たちの集まりを毎月第二土曜日に催していたものを、順次拡大した展覧会のことである。 青井学芸員に渡したのは第4回展の資料だが、私も大学2年の時に参加していて、作品審査に評論家の植村鷹千代と画家の岩間正男が来ている。 こんな地方の小さな町の小さな展覧会に、植村鷹千代と岩間正男がそろって審査に来るなんて、考えられない出来事だった。 岩手出身の岩間正男の語る”遠野物語”や、座敷童の話はとても衝撃的だった。 後年、私が岩手町国際彫刻シンポジウムに参加した時に、美術協会会長の挨拶の冒頭で、いきなり”かつて岩間正男が・・”と切り出された時には度肝を抜かされ た。 東北には誰も知った人は居ないと思っていたら、岩手町はあの岩間正男の出身地だったのである。 ☆出版する本の献本先について、美術関係のリスト作成を青井学芸員に協力してもらっていたので、リストを確認してもらう。 ☆出版社から、帯の修正デザインが送られてきたので、伊藤先生にも確認してもらい、OKの返事をする。 これで全国の書店に遜色なく並べることが出来る。 ところで出版日がまた延期になった。 表紙の銀箔捺しの行程に時間がかかるので、出版は来週の末と言う事だったが、表紙カバー、帯の取り付け作業が全て手作業なので更に作業に時間がかかり、 再来週の11月11日にしか上がらないと言うことである。 ここまで来たので、丁寧に仕上げてもらうよりない。 ☆夕刻に木版画の刷りの続きを少し。 10月29日(木) ☆朝のうちは曇天。 昼前からは晴れるが、午後は雲が多くなり夕刻からは曇天となる。 今日も気温は高く、一日半袖で過ごす。 ☆午前に版木を彫り、午後から木版画の刷りに這入る。 刷り自体は少しコツがつかめて来たが、配色が全然駄目である。 版画家デビューの道は遠い。 ☆昏れて、出版社から帯のデザインが届いた。 しかし、届いた画像を見た途端に、期待していたものとまったく違う雰囲気に強い違和感。 伊藤先生にも転送して、ご意見を伺う。 伊藤先生の感想も私と同じ強い拒否感であった。 帯は、本の重要なセールスポイントである。 帯のキャッチコピーによって、本を手にする人は本を開いてみようかの判断をする。 しかし帯に書かれたセールス詞書は、単に教え子の彫刻家と恩師の短歌との共著としか表現されておらず、これでは今回の本の本質を全く伝えておらず、手に取 った人が本を開こうと言う意欲を持つことが出来ない。 第一に、現代短歌の第一人者である伊藤先生の関わる本の帯に、こんな低レベルの詞書が書かれていたら恥ずかしくて書店にも並べられない。 ☆それで伊藤先生にキャッチコピーを考えていただくことにして、私も夕食の準備をしながら、そして入浴の浴槽の中であれこれ考える。 私の思いついたコピーを、メモ代わりに何度か伊藤先生に送った。 現代短歌の第一人者、詞書のプロ中のプロの伊藤先生に、文学素養ゼロの私が対案のキャッチコピーを送るのだから、まったくの”盲蛇に怖じず”である。 しかし、私は案外こういうキャッチコピーは得意なのである。 結果的に、伊藤先生に私のキャッチコピーの一部を気に入ってもらえて、それを先生にまとめていただいた。 ☆今回の本は、出発は教え子の私と恩師の伊藤先生との共著である。 しかし、出来上がった本の内容は、たんなる宮崎と言うローカル地方での恩師と教え子の共著本という枠を超越して、全国レベルで注目を浴びる内容になってい る。 さらに伊藤先生の短歌のTanka英訳によって、世界に通じる本になっている。 私と伊藤先生はそれを目指してきた。 だから、帯の詞書は、この本のそうした本質を、本を手に取る人たちにきちんと伝える大切な役目を持っていなければならないのだ。 まさか土壇場でこんな伏兵が待っていたとは。 でもこれで安心して出版を待てる。 10月28日(水) ☆朝のうちまで曇天。 午前のうちに一気に雲が晴れて、気温は上昇。 蒸し暑い一日となる。 ☆午前は木版画の下絵。 ☆午後に同窓の安井雄一郎君を訪ねる。 彼は2冊目の本の最終校正が終わってほっとしたところだった。 私の作成した献本先リストをチェックしてもらい、彼の推薦する美術評論家を追加してもらう。 やはり彼が現役だったころ、それは私が空港展の事務局をしていた時期と同じなのだが、当時に交流のあった美術評論家や各新聞社の文化部美術担当者は、も う多くが鬼籍に入られたか、高齢で評論活動はされていない方ばかりとなっている。 今回の本を是非見ていただきたかった宮崎大学時代の恩師・中村義一先生も、安井君が一度コンタクトを取ったらすでに亡くなられていたと言うことだった。 ☆本の送料の件を尋ねたら、送る場合は書籍代に送料を加算して振り込んでもらうのは当たり前だと言うことであった。 確かに私たちがネットで品物を注文する時は、送料込みの支払いが当然である。 私の頭には送料無料のAmazonのことがあったのだが、Amazonは巨大企業であり、一般の企業はそんなことはできないし、まして今回の出版は私個人であるとい う指摘であった。 これでスッキリした。 ☆夕刻から木版画の彫りにかかる。 版画家としてデビューできるように精進しよう。 10月27日(火) ☆晴天の一日。 午後は少し雲が多くなる。 気温は上昇し、長袖で外に出ると蒸し暑かった。 気温の差が激しいので、私も妻もクシャミばかりである。 ☆本の献本リストを再チェックして、出版社からの献本を少し増やす。 出版した本を振込みで注文を受けた場合、本のサイズが当初より大きくなったのでレターパックだと370円、書籍のゆうメールだと500gを超える見込みなので36 0円となり、送料が結構嵩む。 振込み手数料を払ってもらった上に送料を加算した料金を振り込んでもらうのは、買っていただく方たちに負担が大きい気がする。 かといって私が送料を負担してしまうと、あまりにも負担が大きい。 みなさんはどのようにして本を売られているのだろうか。 郵送の場合は、送料を加算して振り込んでもらっているのだろうか。 どうすべきか、頭を悩ませる。 ☆午後からは次の木版画の制作にかかる。 夕刻までに下絵にはいる。 ☆献本の送り先についての確認問い合わせへの返事が、少しずつ届いている。 今日返事が届いた某オフィスは、私の作品を数点依頼してもらっている。 近況報告がてら、最新の木版画の画像を送ったら、直ぐに反応してもらった。 ” 今後、物件が出て参りましたら、ご提案させて頂いて宜しいですか? まだ木版画を始めて2カ月余しか経っていないので、まだまだ外に出せる作品にはならないが、こうして何か次の展開に繋がっていくかもしれない。 私も遊びや趣味でやっている訳ではなく、私の制作活動の一環であるから、売れてゆくようにならなくては困るのである。 10月26日(月) ☆快晴の一日。 室内は肌寒いが、外に出ると陽射しが暑かった。 ☆一日、出版する本の献本先のリスト作成の続き。 いろいろ考えると、やはり出版社から送られてくる献本は、私個人から送られてくるより印象のグレードが高い。 それで、伊藤先生と近しい同窓生たちも出版社からの献本に含め、また直接持参する予定だった県内の公共施設も出版社からの献本に含めることにした。 それに私個人からの送付を加えると、献本は110冊を超える。 出版社から、委託販売する部数を教えて欲しいということだったので、夕刻に手売りやネットワークで買ってもらえそうな数をざっと概算すると、おおよそ220冊は私 個人で捌ばけそうである。 更に、今後の様々な機会での私の自己アピール用に最低でも50部は手持ちで保管しておかなければならないので、トータルで最低は380部必要な計算になる。 私と伊藤先生が自費出版費用負担分で受け取れるのは350部ずつである。 したがって350部から委託販売に廻せる分は出ない。 それどころか、むしろ350部では全然足らない。 全国レベルの伊藤先生も、出版社からの献本分が200部を超えるということなので、先生も350部では全然足らない。 先生は、不足分は私から買い取ると言われていたが、それどころではない。 ☆午前に出版社の社長から電話が入った。 まだ印刷に掛かっていない表紙の最終確認だったが、表紙カバーの文字は銀箔を捺す。 その銀箔を捺す行程が実はとても時間がかかり、社長がその行程の時間計算の見積もりをミスしていて、今月末の出版は間に合わなくなった。 出版は11月第一週の終わりごろになるということである。 ☆昼に、11月末に予定しているライブ会場のカフェに妻と出かける。 フライヤーを渡すついでに、昼食を摂る。 カフェは、天皇の料理人の菱江隆シェフ監修のカレーで有名なお店である。 10月25日(日) ☆夜中は凄く冷え込んだ。 この秋一番の冷え込みだったようだ。 日中は快晴の秋晴れ ☆一日、出版する本の献本先のリスト作成。 出版社に提出する献本先の住所も打ち込んでいくが、美術関係先はこれまでまったくDM等を送ったことも無い関係先ばかりなので、美術年鑑で調べたり、頂いて いた名刺を捜したり、ネットで検索したりで、今日いちにちかかっても終わらなかった。 一昨日に問い合わせた関係先からは、一件からの返事が届いたのみ。 伊藤先生にも電話を入れて、献本先のすり合わせをする。 出版社から送ってもらう献本先をどこまで含めるのか、例えば先に宮日出版文化賞を受賞した畏友の安井君からは出版社から著者献本として送られて来ていた ので、そういう友人関係まで含めるのか、判断が難しい。 本代・送料は著者の私が負担するので、出版社から送ってもらっても、私が個人的に送っても負担は同じなのだが。 初めてのことばかりで、思い悩むことが続く。 ☆入浴中に何やらパンパンという騒音がし始めた。 花火が上がっている。 お風呂から出てもまだ花火の音がしていたので、2階に上がってみると小丸川の方から上がっている。 何の花火だったのか。 ☆昨夜のハウスパーティーでの皆さんの会話の中で、”老後”という言葉が出て来て驚いた。 老後はこうしたい、ああしたい、というお話しだったのだが、私には”老後”という概念は全く存在しない。 勿論、私も70歳を超えてからは”終活”で断捨離作業を進めているが、それは単なる身辺整理である。 彫刻家である私には、勤め人のような”定年”という区切りによる”老後”は存在しない。 彫刻家は死ぬまで現役である。 ”老後”という区切りは存在しない。 10月24日(土) ☆快晴の秋晴れの一日。 日中は陽射しが強く、暖かかった。 ☆午前は今夜のハウスパーティーの仕込みと、食材の買い物。 ☆午後は妻とライブの練習をして、ハウスパーティーの仕込み。 ☆夜は妻の職場仲間の女子会のハウスパーティー。 何時ものように私の手料理と妻とのライブ。 料理はどれもうまく行ったし、ライブも部分的なミスはあったが、これまでの練習の中では今夜が最も流れがスムーズに演奏出来た。 話が盛り上がって、気が付いたらもう午前様になっていた。 日頃の職場の憂さも晴らしてもらって、時間の経つのを忘れてしまうほど楽しんでもらったようだ。 宮崎では今日も10日ぶりにコロナ感染者が確認されたし、コロナが収束するまではハウスパーティーの様子をフェイスブックにあげるのは控える。 メニューだけ紹介すると、前菜にトマトのブルスケッタ。サラダはローストビーフサラダに豆腐と明太子のサラダ。 ライブを挟んで、アラカルトには、エビのパリパリアーモンド、毛がにのパスタ、レーズン&レパン。 締めは原木生ハムと自家製ドライトマトのバジルピザとアボカド・シーザードレッシングピザ。 ピザにはトルコスタイルのジャジュク(ヨーグルト飲料)を添えた。 すべて完食してもらった。 お開き前は珈琲と持ち込みのデザート。 ☆午前の買い物中に、伊藤先生から昨日送った献本先リスト摺りあわせへの電話が這入っていたが、折り返しの電話を入れる時間が全く無かった。 一方、昨日問い合わせた献本予定先からは、やっとメールで一件、送り先確認の返事が届いたのみ。 10月23日(金) ☆朝のうちまで雨。 洗濯物を干そうとする辺りから一気に晴れて来る。 陽射しは強く、気温は上昇。 ☆今日は一日、出版本の献本先のリストアップ整理作業。 幾つかの献本予定先に、送付先の確認等の連絡をメールとSNSで送る。 しかし返事が来て連絡のやり取りが出来たのは、最も多忙なはずの黒木・高鍋町長のラインのみ。 メールとメッセンジャーでの返事は皆無である。 メールは近年はほとんど反応が無いに等しい。 パソコンを起動して開かない限り確認できないメールは、もはや通信手段としては時代遅れの感がある。 しかしメッセンジャーはスマホで直ぐに確認できるはずなのに、見た形跡さえない。 高鍋町長とのやり取りで、設置してもらったモニュメントを出版本に収録しているダイシンキヤノンは宮崎キヤノンに移行して、すでにダイシンキヤノンは会社として 存在していないことが分かった。 つまり献本しようとしても出来ない。 そういうことが他にもあるかもしれないので、送付先をきちんと確認したいのである。 ☆伊藤先生に献本リストを送り、私との重複が在りそうな献本先のすり合わせをお願いする。 10月22日(木) ☆夜明け前に激しい雨。 この雨でJRの日豊本線は運休や遅れが出た。 雨は一日続く。 ☆出版する本の献本先をリストアップする。 この中から出版社から送ってもらう分をさらに絞り込まなくてはならない。 また私の預かり分の350部から、出版社に委託販売(書店、アマゾン)する冊数を教えて欲しいと言うことだが、手売りでどのくらいさばけるのかまったく見通しが立 たないので、委託部数を割り出すのは容易ではない。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 レッスンの前に、講師の片貝さんがスマホで11月のライブのレイヤーを手際よく作ってくれた。 レッスンが終わって、妻と片貝さんとの3人で、11月のライブ予定のカフェに打ち合わせの詰めに行く。 開始時間や料金、そして収容客数の確認をする。 小さなお店なので、3密を避けてギリギリ20名前後しか入れない。 ☆カフェに高鍋高校OB美術展の仲間の小森さんの絵が飾ってあって、彼女の話をしていたら、なんと彼女からスマホに電話が入った。 来年のOB美術展の打合せについての事前調整の電話であった。 彼女はカフェのすぐ近所に住んでいるので、カフェに来てもらって打合せをする。 実は午前に、昨年のライブの時の経費等を調べていて、小森さんに打ち上げ用のオードブルを持って来て貰っていたのでその金額を調べるために、小森さんとの メッセンジャーでのやり取りをスクロールしていたのだった。 多分、私から念の波動が彼女に届いていたのだろう。 先日、私たちがカフェを訪れた時にも、オーナーが私に相談したいことがあって電話しようと思って居たところへ、私がいきなり顔を出したのでひどく驚かれた。 こういう人との引力と言うのは、不思議だが良くある。 そんな話で盛り上がる。 10月21日(水) ☆曇天の一日。 お昼ににわか雨が降ったが、時折り雲も切れて陽が射す。 陽射しは強く、気温は上昇して、宮崎県内は25度以上の夏日となったところが多かった。 我が家の桜はまだ咲いていて、洗濯物を干していると桜の花びらがはらはらと散って来る。 そしてお隣の庭の柿はいよいよ熟して赤くなってきた。 妙な風情である。 ☆午前は先日妻が手入れをしていた庭の雑草と、隣の敷地に延びていた木枝と浴室外庭の竹を切って、アンジェラスの森へ捨てに行く。 ☆今朝の宮崎日日新聞の一面に嬉しい記事が掲載された。 伊藤一彦先生が、今年の宮崎日日新聞賞の特別賞を受賞された。 先日の出版社での最終打ち合わせの時に、宮日新聞の文化部に出版する本のゲラを持って行かれ、取材のお願いをされたと言うお話しだったが、その時の用件 は今回の受賞の取材だったようだ。 先生のインタビュー写真を撮られたカメラマンが、出版本のゲラの私の写真にひどく感動されたと言うことで、出版社の社長が私にどういうカメラを使っているのか と質問されたが、私のカメラは作業中のポケットに這入る安物のバカチョンである。 ☆伊藤先生に受賞のお祝いのメールを送り、幾つかの打ち合わせ内容を伝えると、夜に先生から電話をいただいた。 今日の日中は若山牧水賞の選考で、メールを見る時間が無かったと言う。 伊藤先生は本当に多忙である。 私たちの本も出版間際で(本文の印刷は完了している)、先生と献本先の打合せをする。 私は本の出版は初めての経験なので知らなかったが、献本は出版社から送ってくれるのだと言う。(勿論、本代・送料は著者負担) そういえば、先年に宮日出版文化賞を受賞した畏友の安井君の出版した本も、出版社から著者献本として送られて来ていた。 それでもう出版も間際なので、その献本先のリストを出版社に提出しなければならないと言う。 ☆Facebookの表示がおかしくなったのは原因がわかった。 Facebookにログインすると、お使いのプラウザはサポートされていません、と表示される。 ネットで検索したら、WindowsのInternet Explorerは2021年8月でサポートを終了し、しかも私の使っているWindows7はすでにサポートが終了していた。 それでMicrosoft Edgeをインストールして開くと、キチンとFacebookが開けた。 しかし見馴れたIEとは表示が微妙に異なる。 このHP日記もIEで開くとすっきりしているが、Microsoft EdgeやChromeで開くと、文字の字体や間隔が異なってとても見づらい。 一行の文字表示数が異なっていて、改行が乱れてしまっている。 しかしもうIEは使えないので、新しいプラウザの表示に合わせていくしかないか。 ☆Google検索が出来なくなったスマホも、ネットで調べると再起動すると良いとあったので、再起動すると正常に戻った。 試しに”田中等彫刻工房”を検索してみたら、いきなり最新のストリートビューが出て来て、あまりにも鮮明でびっくりした。 これではプライバシーも何もない。 10月20日(火) ☆雲が多かったが、概ね晴天の一日。 陽射しは強く、昨日までの冷え込みは無し。 ☆午前は昨日に彫りかけていた木版画の版木を彫る。 今回はこれまでよりサイズの大きい作品にしてみた。 午後から刷りの作業。 絵の具の載せ方などが少しずつ分かってきたので、今日はかなり納得のいく刷り上がりとなった。 なんとか作品展に展示できるものを、ようやく刷ることが出来の表示が急におかしくなった。 システムの復元をかけても元に戻らないし、画面の何処をクリックしても表示の変更のクリック先が無い。 メッセンジャーで連絡を取らなければならないことがあったのだが、それが出来ず困った。 スマホで打ち込むと、スマホは勝手に文章を誤変換してしまうので、込み入った文章を送るのには嫌いなのである。 だが妻のパソコンではこれまで通りの表示で見ることが出来る。 つまり私のパソコンに問題があると言うことだ。 スマホも日曜日から突然Google検索が全くできなくなった。 10月19日(月) ☆夜明け前から午前まで雨。 日中は曇天。 午後後半から陽が射してくる。 今日も冷え込む。 ☆昨夜は寝しなから喉が痛く、今朝も体がだるかった。 この気温の激しい変化で、風邪気味のようだ。 午前は気合が這入らず。 ☆午後から、版画制作。 次のプランをまとめて、午後半ばから版木の彫りに這入る。 10月18日(日) ☆午前中は雲の多い晴天。 午後からは雲が晴れる。 今日も冷え込む。 ☆午前は、昨日刷った木版画に色を重ねる。 これで少し落ちついた。 ☆午後は、木城町川原のカフェ&ギャラリーPimlico(ピムリコ)のジャムセッションに妻と出かける。 ピムリコは川原自然公園の入口にある民家をリノベーションしたカフェギャラリーである。 畳敷き等はそのままで、全くの民家そのままである。 オーナーの女性もジャズバンドでサックスを吹いたりされていて、ジャズ仲間が集まって月に一度のジャムセッションをやっておられたが、コロナで営業を自粛して いて、ジャムセッションは久し振りだと言う事であった。 ジャムセッションの前には、毎回、ホストのミュージシャンによるワークショップがあり、ワークショップを受講した人たちがそのままジャムセッションにも参加する。 今日もワークショップを受講してそのまま、初めてジャムセッションに参加した若い方たちが4名ほど居られた。 ☆妻のボーカル講師の片貝さんから、場数を踏んで経験を積む様にとの配慮で、やったことも無いジャムセッションに妻と参加した。 私と妻は2曲演奏した。 まったく緊張も無く、なかなか調子よく演奏していたのだが、2曲目で途中からセッションになり、ジャムセッションなどやったことも無い私は何が何やらわからなくな り、とうとう後半は何処でハーモニカで参入して良いやらわからずじまいだった。 みんな楽しそうにジャムセッションを楽しんでいる傍らで、私は情けない気持ちになる。 しかしこれも経験。 まさしく今の私は、版画もハーモニカも60の手習いならぬ、70の手習いの日々である。 ☆ジャムセッションに初参加した若い娘さんたちが、たまたま妻の教え子であったり、セッションメンバーに妻の元の職場仲間が居たり、オーナーの義兄がこれまた 妻の教え子であったりのびっくり空間であった。 10月17日(土) ☆雨模様の一日。 夕刻には山手の方から雲が切れて、陽が射して来る。 今日は日本中が晩秋から初冬の冷え込みだったようだ。 宮崎もほぼ冬のように底冷える。 ☆昨日版木を彫った木版画の刷り。 背景をしゃぶしゃぶ状の絵の具でゴマ刷りをしてみる。 なんとなくうまく行ったが、次の版で色を置いてゆくと、また何時ものガッカリ感。 なかなか思う様にはいかない。 夕刻には次の版のプランを考える。 ☆昼に、コンビネーションレンジのメーカー担当者再訪。 昨日預かって冷凍させていた肉を使って、解凍の実演をしてもらった。 やはりターンテーブルにラップを敷いて、その上に素材を置いて解凍する。 いちいちラップを敷くなんてあまりにも面倒臭い。 添付の使い方の本を見ると、ガス屋の言っていたように、解凍の方法に電子レンジの200Wで解凍する方法も記載してある。 しかし使い方の解説本なんて殆ど目を通さない。 メーカーの担当者でさえ、困った時にしか開かないと言う。 新しい機器は、便利なように見えて実はかえって面倒臭くなってしまう。 余計なお世話としか言いようがない。 原始的な炭火の七輪が、最も効率よく美味しく料理出来る気がする。 ☆ヨーロッパのコロナ感染が、ここにきて深刻な第二波に襲われているようだ。 この分では来年もまだ海外シンポジウムなんて行けそうにもない。 問題は出版した本を、海外で設置した関係者に送ることが出来るのだろうか。 現在のEMS扱いの出来る国を調べてみると、送る予定の国の半数近くがまだEMSを取り扱っていない。 しかしそう言う国も船便なら取り扱っているようなので、半分は船便で送ることになりそうである。 10月16日(金) ☆午前のうちは晴れ。 昼前から急激に雲が出て、曇天となる。 天候は下り坂。 夕刻からは冷え込む。 ☆午前にO内科医院へ血圧の定期健診。 そして先日の発熱を受けて、インフルエンザの予防接種を受ける。 高鍋町はコロナ対策で、65歳以上の高齢者には補助が出て、1000円で接種出来た。 先日は37,5度以上の発熱で、O内科で診察してもらえなかった件をお話しすると、普段は温和な表情のO先生はにわかに厳しい表情になられた。 保健所でも診察できる病院を紹介してもらえなかったことには、驚いておられた。 近日中に、発熱しても診察してもらえる病院が公表されることになっているとのこと。 前回の健診時での血液検査の結果を聞く。 気になる数字はあったが、様子を見ていきましょうということ。 ☆午後は次の木版画の下絵を版木に写して、版木を彫る。 考えてみれば、今日まで刷った幾つかの木版画は、2か月前までは全く私の頭の中にはなかったものである。 続けて行けば、新しい作品世界が蓄積されてゆく。 ☆午後にシステムキッチンのコンビネーションレンジのメーカー担当者来訪。 システムキッチンのガス台を買い替えてから、最新の物は電子制御になっていて、とても使いづらい。 今日来て貰ったのは、解凍がうまく行かないからだ。 以前はこちらで解凍時間を設定できたので、何の問題も無かったのだが、電子制御になって、解凍する物の重さを自動で計測して解凍時間を設定するので、細か な調整が全くできない。 結果的に、自動設定の解凍では煮えたぎってしまうのである。 今までは皿の上に載せて居たので、皿の重量が加わって解凍時間が長くなるので、ラップを敷いて解凍して下さい、汁が流れたら毎回ターンテーブルを綺麗に拭 いてください、と言う。 そんな馬鹿な、最新式のものがそんな手間がかかるなんて変じゃない? ガス店の担当者は、電子レンジで200wに設定して解凍して下さいと言うので、今はそうしているのだが、それなら解凍キーは不要ではないか。 ☆夜になって、出版社から校正の確認連絡。 今は出版社による最終チェックを行っていて、まだ印刷にはかかっていないようだ。 10月15日(木) ☆今日も快晴の秋晴れ。 日中は陽射しが強かったが、夕刻からは冷え込んでくる。 ☆一日、新しい版画のプラン練り。 夕刻に下絵を描く。 ☆午後半ばに妻と、高鍋町にレッスンに来られていたボーカル講師の片貝さんとの3人で、某カフェへ。 妻の2回目のライブを11月末に計画しているのだが、まだコロナの影響が大きく、なかなか会場が決まらない。 そこで、某カフェのオーナーがライブをやって欲しいと言われていたことを思い出し、小さなお店だが窓も多くて換気対応は充分にできるので、可能性を打診しに出 かけた。 私とオーナーとは面識があるが、私は殆ど外食はしないのでお店を訪れたのは今日が初めてだった。 妻と片貝さんは、私の紹介でお店に来られたことはあるし、オーナーとも面識はある。 オーナーが私を見るなりびっくりされて、開口一番に”本当に人の巡りあわせって不思議ですよね”と何度も繰り返される。 実はオーナーが私に会いたいと思っていたところへ、ひょっこり私が現れたのでびっくり仰天だったと言う。 オーナーも最近サックスを始められたと言うことで、一にも二にも無く、どうぞやって下さいと言うことになった。 小さいお店なので、3密を避けて、せいぜい15人ほどしか入れないと思うが、お店の紹介もできるし、一度やってみよう。 10月14日(水) ☆秋晴れの一日。 陽射しは強く、気温は高い。 ☆これまで刷った版画をチェックしていたら、アトリエの壁に立てかけて並べていた版画がゴキブリの被害に遭っていた。 ゴキブリは水彩絵の具やポスターカラーが大好きで、これまでにも何度か食べられてしまったことがあるので気配りはしていた。 先日にゴキブリがウロチョロしていた時は、刷った版画は全て新聞紙に包んでおいたのだが、刷りの好いものをアトリエに並べて置いた。 立てかけて置けばゴキブリは来ないだろうと考えたのが間違いであった。 ここしばらく真夏日が続いたので、蚊やゴキブリが出て来ていたのだ。 赤の絵の具がすべて食べられていた。 それで慌ててダイソーで額を買ってきて、刷りの好い版画は額に入れ、残りはロープを張って洗濯ばさみで吊るした。 どのみち、満足のいく刷りの版画は無いのでいずれ全て刷り直すつもりではあったのだが。 ☆午後ははじめの頃の版木の彫り直し。 当初は版の色の重ね具合が判らず、輪郭を大きく取りすぎて色の重なりが大きすぎた。 ☆宮崎県内で、29日ぶりにコロナ感染者が確認された。 東京都で感染が判明した人の濃厚接触者で、PCR検査によって陽性だったということ。 これからインフルエンザの季節を迎え、やはり緊張が走る。 10月13日(火) ☆快晴の一日。 日中はまだ暑い。 隣の庭の柿が日に日に色付いて行く。 一方、我が家の庭では桜が咲いている。 秋と春が同時にある奇妙な光景だ。 ☆朝一に歯科医院。 奥歯の義歯が出来たので噛み合わせを調整して、治療は終了。 無収入生活での長い歯科医院通いは辛かった。 義歯を嵌めてみると、奥歯の歯茎が痛いが、以前の義歯程の苦痛ではない。 しかし義歯を嵌めたままで昼食を摂ったら、何を食べているのやらさっぱりわからなくて、直ぐに外す。 ☆今日は初めのころに刷った木版画を刷り直そうと思って、版木を少し彫り直す。 そしてもう一度技法書を読み直して、しっかり作業を進めようと思ったが、読み始めるとすでに経験が蓄積されているので、これまで以上に読み込みが深くなる。 結局、作業までには至らず。 しかし手は動かさなくても、こうして考えている時間も大切な作業のうちである。 だがプロの木版画家でも、周囲に刷り師や彫り師という専門職の指導を仰ぎながらも、悪戦苦闘の数年間を経てようやく満足できる刷りが出来るようになったとあ る。 やはり満足のいく刷りが出来るようになるまでは道は遠いようだ。 ☆昨日の特訓のお蔭で、今夜は昨日より滑らかにハーモニカが演奏出来た。 毎日続けていれば、少しずつは何等かの力を得ているのだろう。 まさかこの歳になってハーモニカを再び始めるようになるなんて、考えても居なかった。 木版画も同様である。 70歳を超えて、こうして新しいことに日々精進できることは有り難い。 10月12日(月) ☆快晴の一日。 夕刻からは雲が出る。 今日も蒸し暑い気候。 ☆版画制作は小休止。 技法書を読み直していると、やってみてわかってきたこともある。 対策を建て直さないと、来年1月の作品展には間に合わない。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 レッスンに這入る前に妻と練習していた時にはハーモニカ演奏がいつもよりうまく行ったのに、レッスンにジョイントで参加するとまったく出来なかったり・・・。 レッスン中の演奏を講師の片貝さんが録音してくれるのだが、私は自分の間違ってばかりの稚拙な演奏は聞きたくないので、聞かないようにしていた。 しかし”自分の演奏を客観的に聞かないと上達はしません!”と忠告される。 ☆毎日、毎日、版画とハーモニカは自己嫌悪ばかり。 しかし毎日、版画とハーモニカしかやらずに生活していける自分は幸せ者だろう。 もっとも普段も主夫業と売れない彫刻制作の日々だったのだが。 10月11日(日) ☆一日薄曇りの、曇天。 蒸し暑い気候。 ☆昨日版木を彫った木版画の刷り。 一版目はまずまずだったが、二版目で色合いが破たん。 さらにボカシを加えたら、ボカシ効果が汚れた肌合いになって愕然となる。 一向に満足のいく作品が刷れない。 ☆午後に彫刻仲間の鹿児島の吉永夫妻来訪。 以前の具象制作で使わなかったポリエステル樹脂を、引き取ってもらうことにしていた。 ご主人の実家の法事で宮崎に来られたので、帰りに立ち寄っていただいた。 丁度、妻とライブの練習をしていた時だったが、私のパートの練習が終わったときだったので、タイミングが良かった。 ところがお二人は少し早目に来られて、外で私たちの演奏を聞いておられたのだそうだ。 私が上手く吹けない曲の特訓中だったので、間違ってばかりの演奏で面目なかった。 10月10日(土) ☆快晴の一日。 気温はぐんぐん上昇し、宮崎県内は日中に30度以上の真夏日を記録したところが多かった。 夜には蒸し暑くなってきた。 ☆今日は一日新しい木版画の制作。 シンプルなプランなのだが、シンプルゆえになかなか下絵がきっちり決まらなくて、版木への転写を何度もやり直す。 夕刻までに版木を彫る。 刷りは明日に廻す。 ☆木版画も、ハーモニカも一向に上達しない。 毎日自己嫌悪だが、しかし僅かでも何かが掴める時がある。 この歳になって、毎日新しいことに向かって精進できることは有り難いことだ。 10月9日(金) ☆台風14号の影響は殆ど無し。 夜明け前までは風が強かったが、午前の裡には風も止み、青空となった。 昼前からは吹き返しで再び風が出て、午後に一時的に雨。 雨はほどなく止み、曇天となる。 夕刻には小雨がぱらついて、東の空に大きな虹がかかった。 ☆午後に出版社で第2校正作業。 装丁も3案の中から伊藤先生との合意で、1案を採択。 そのほか幾つかの打合せをして、伊藤先生と私と編集者、そして出版社との打ち合わせは今日で終了した。 これからの打合せは私とメール等での打ち合わせになる。 当初は700部出版のうち、私と伊藤先生が各200部を受け取り、残りの300部と、出版社の増刷分の500部を書店販売にする予定だった。 しかし伊藤先生の献本分がかなりあり、200部では足らないということになったので、700部は私と伊藤先生で半分ずつ受け取ることになった。 つまり私は350部から献本した分の残りを、自力で売ることになる。 この700部は私と伊藤先生の自費出版軽費負担分なので、販売した売り上げはそのまま私たちの利益になる。 私のネットワークで販売して、正月が迎えられるようにしたい。 10月8日(木) ☆一日曇天。 台風接近で風の強い一日。 気温もこの秋一番の冷え込みで、外に出るとまるで一気に晩秋に這入ってしまったような寒さ。 厚手の上着を着込んでいる人たちも多かった。 まだ10月に這入ったばかりである。 ☆今日は木版画の作業。 昨日の刷り直しが途中までだったので、残りの刷りを済ませる。 夕刻からは次の版のアイデアデッサン。 少しずつ、要領はつかめて来ているのだが、木版画を甘く考えすぎていた。 8月末から版画制作に這入ってもう50日経ったが、まだ8点しか刷れていない。 ☆版画もうまく行かず、ハーモニカも一向に上手くならない。 毎日が自己嫌悪である。 10月7日(水) ☆午前は快晴。 昼前からは台風接近の影響で急激に曇天となる。 夕刻にはパラリと小雨。 ☆午前に、昨日版木を修正した木版画の刷り。 ☆午後は妻と宮崎へ出る。 まず宮日会館パピルスギャラリーで開催中の、”奥野恵理 宮崎県美術海外留学賞帰国報告展”へ。 この海外留学賞は23回目の奥野さんで終了となった。 奥野さんはとても絵画技術のしっかりした人だったが、フイレンツェへ留学して、その安定した絵画技術で、さらに描きたいものがしっかり描ける作家に成長したよう だ。 彼女の独自の世界が確立されていて、これからどのようにでも伸びて行ける。 最近の若い世代の方たちは、IT世代で手で描くことが苦手になっているような風潮があるが、絵画に関しては、私たちの世代よりも今の若い世代の方たちの方が しっかり描けている。 彼女はまだ31歳で、これからの成長が楽しみだが、もし私が30歳の時に1年間イタリアに留学していたとしたらどうなっていたのだろう。 当時の私は学生時代の混乱から抜け出せず(私たちの学生時代は学園紛争のまっただ中で、針生一郎が”今の時代は描くこと自体が罪である!”と明言して、真 摯な美学生たちは何も出来なくなってしまった)、悶々とした毎日を過ごしていた。 おそらくイタリアに行っても、周りの作家達もみんな悶々としていただろう。 私がインド大陸を放浪中に出会った多くの世界中からの若い放浪者たちは、みんなインド世界で何かが掴めるという共通した想いを抱いていた。 インド滞在中に、私個人の悶々とした苦悩は、時代の苦悩だと気付いた。 それから長い長い悶々を経て、ようやく自分が何をしたいのかが見つかったのはもう50歳近くになってからであった。 その意味で、そうした苦悩の時代を経ずに、ストレートに迷いなく絵筆を持てる今の若い世代の人たちは幸せなのかも知れない。 そんなことを思いながら、会場を出る。 ☆次に画廊喫茶”シベール”で開催中の”小森正業遺作展”へ。 小森さんは高鍋高校美術部の大先輩で、今年の美術OB展の直前に亡くなられた。 私の知っている小森さんの水彩画は石仏の羅漢像が主なものだったが、遺作展に並べられた風景画や人物画は初めて知る小森さんの世界で、かなりしっかりし た絵を描ける方だったのだなと驚いた。 ☆画廊喫茶”シベール”には初めて足を運んだ。 ここ1,2年の間に宮崎市内の画廊が殆ど閉じてしまい、作家たちは発表の場を失ってしまっている。 それでこの”シベール”は2年先まで予約で埋まっているのだと言う。 私が妻との2人展を新富町のギャラリーで開催する理由も、1つは宮崎市内での発表の場が無くなったこともある。 これはおそらく宮崎だけの状況ではないのだろう。 10月6日(火) ☆青天の一日。 急に冷え込んで、この秋一番の肌寒さ。 陽射しは強く、外に出ると暑さを感じるが、室内はひんやりとしてなんとか半袖でしのぐのが精一杯。 ☆朝一に歯科医院。 奥歯の義歯の型合わせ。 ☆午後に、昨日版木を彫り直した木版の刷り直し。 夕刻には別な木版の版木の彫り直し。 ☆脊柱管狭窄症と診察された時に、体重を3kg落としなさいと主治医に言われ、それで食事の量を減らして少しずつ体重が減ってきた。 いまのところ、コンスタントに1kg減はキープできてるが、石を彫っていないのであと2kg減はほぼ困難だ。 その食事で面白い法則に気付いた。 和食で納豆や豆腐、わかめを摂ると、体重が増える。 逆に洋食で肉を摂ると、体重が減るのである。 肉と言っても、貧乏人の我が家では牛ステーキなど食卓に上がることはないので、細やかな豚肉や鶏肉だが、肉の方が確実に体重が落とせる。 そう言えばマレーシアのヤップさんはステーキが大好きで、ほぼ毎晩のようにステーキを食べておられるが、非常にスリムである。 10月5日(月) ☆朝のうちは時折り小雨のパラつく曇天。 直に一気に青空が広がる。 午後は後半から再び雲が多くなる。 夜中はとても蒸し暑く、毛布は暑過ぎて不要だったが、午後半ばから急激に冷え込んでくる。 ☆今の時期になるとあちこちで山桜が咲く。 気が付いたら、我が家もかなりの桜が咲いていた。 ☆午前はフラワーポットの植え替え。 フラワーポットの不要な土と切った紫陽花の葉枝を、アンジェラスの森に捨てに行く。 やはり里山は山桜が咲いているが、何故かあちこちで杉の木の伐採が進んでいる。 先年の台風で倒れた杉ではなく、健全な杉があちらこちらで伐採されている。 ☆午後は、新しい版画を刷る。 やはり配色が全然駄目である。 夕刻には、最初のころの版を刷り直すために、版木に少し手を入れる。 10月4日(日) ☆日中は快晴の秋晴れ。 午後半ばからは曇天となる。 今日も蒸し暑い一日。 ☆午前は、昨日刷った木版画の刷り直し。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 私は傍らで、次の木版画のアイデアデッサンとプランを決めての下絵作成。 後半にハーモニカでジョイント。 講師の片貝さんに、ハーモニカの演奏のコツを教えて貰った。 運動神経ゼロの私は、いつもテンポが速くなったり遅くなったり一定しない。 それで息継ぎ・休止をきちんとすると、テンポの狂いが少なくなる、ということである。 ☆夕刻に次の木版画の版木彫り。 もう一度技法書を見直して、彫り方を変える。 版のズレを気にして、逆に色が重なり過ぎていた。 10月3日(土) ☆今日も快晴の秋晴れ。 気温はぐんぐん上昇して、車はエアコンを全開となった。 野山の木々の彩がすっかり秋らしくなった。 春の時期に一気に新緑の燃えるような彩に鮮やかになった記憶がつい最近のことのように思えるが、夏の時期は自粛で何処にも出掛けずアンジェラスの森にも 上がらなかったので、春から一気に秋になった錯覚になる。 あちこちで勘違いの山桜が咲いている。 ☆午前は、午後の宮崎空港への搬入のための作品の積み込み作業。 ☆午後1時から、宮崎空港オアシス広場への作品搬入。 オアシス広場も3階のギャラリーも、まだコロナの影響で営利目的の事業が出来ていない宮崎空港である。 それでオアシス広場では宮崎空港主宰のおもてなしのイベントを、3階ギャラリーでは空港ビル所蔵作品の展示でしのいで居られる。 今回は芸術の秋を迎えたので、花々と私たち宮崎在住の彫刻家たちの作品のコラボによって、秋らしいもてなしの空間を演出したいと言うことになった。 私たちは過去の手持ちの作品を持ち寄って、16点の作品を並べた。 私は5点を展示した。 普段の彫刻展会場とは全く異なった花々に寄り添った彫刻展示で、これまで経験したことのない展示空間となった。 一般の空港利用者には、展覧会会場とはまた趣の異なった空間で、彫刻に親しみを持ってもらえる機会となるかもしれない。 今日の空港は、人影はまばら。 先日、妻と来た時よりも人が少なかった気がするが、これから少しずつ人の移動は増えていくだろう。 従って状況を見ての企画なので、概ね11月初旬までの展示予定と言うだけで、人の流れとコロナ感染の状況次第で開催期間が縮まるかもしれないし、11月一杯 まで伸びるかもしれない。 10月2日(金) ☆今日も快晴の秋晴れ。 お昼辺りから蒸し暑くなる。 ☆午前は出版関係のデスクワーク。 ☆明日から宮崎空港で、オアシス広場での宮崎空港主宰のイベントに合わせた宮崎県内の彫刻家たちの作品展示が始まる。 午前にその作品梱包等の準備。 ☆午後から、昨日に版木を彫っていた木版画の刷り作業。 すごくシンプルな構成の作品で、刷りも細心の注意を払ったのだが、やはりミスばかり。 絵の具の濃度は経験を積んで体で覚えるしかない。 ☆今回の高鍋町内でのコロナ感染に遭われた方とお話しし、状況がどうだったのかをお伺いする。 結局、高鍋町の衝撃的な大規模感染の感染元は解らないままだ。 クラスターを起こしたスナックも、なぜそこで集団感染が起きたのかは解らないままだ。 結局、なにがどうしてこうなってしまったのか、丸っきり分からないままである。 全く、突然に降って湧いた悪夢だった。 だから先日のように高熱が出てしまうと、病院で診てもらうこともできない状況はとても怖い。 これからインフルエンザの季節、絶対にインフルエンザで発熱しないようにインフルエンザワクチンを受けるべきだと念を押される。 (高鍋町は、コロナ感染対策で65歳以上はインフルエンザのワクチン接種の自己負担が1、000円になった) 10月1日(木) ☆朝から雲一つない快晴。 爽やかな気持の好い一日。 夜には中秋の名月も煌々と輝く。 ☆あっという間に10月になった。 今月は前半に、出版の最終校正が終わり、中盤から印刷製本が始まり、いよいよ月末には出版となる。 本が出版されたら、献本したり、販売セールスをしたりと忙しくなる。 何しろ、この本の売り上げが当面唯一の収入になるのだから、出来る限りのネットワークで売って行かないと正月も迎えられない。 出版がもう目前になったので、伊藤先生とも献本先の打ち合わせなど進めて行かなければならない。 ☆今日は木版画の新作に取り掛かる。 夢で見た作品を下絵に起こし、夕刻までに版木を彫る。 一方、妻の方は準備が着々と進んでいて、今月中には来年1月の2人展への全ての準備を終えたいと言う。 今月中には新作・旧作合わせて、予定通りの35点がそろうと言うこと。 私ときたら、まだ展示できる作品は1点もない。 本の出版前にできるだけ木版画制作に集中しなければ。 9月30日(水) ☆一日、雨。 夕刻からは雨脚が止まる。 ☆朝一に歯科医院。 下の奥歯の義歯の型合わせ。 先日の上の歯の型取りがうまく行っていなかったので、再度型を取られる。 ”この前歯の入れ歯を嵌めてから、うまく喋れなくなったんですよね” ”あ?ハハハ。” ☆午後1時より、出版社での打ち合わせ。 妻の車が使えなかったので、どしゃ降りのなかを軽トラで行く。 途中で編集担当者をピックアップし、伊藤先生とは出版社で合流。 ☆最初に英訳短歌の這入った編集ゲラをチェック。 全ての英訳短歌がきっちりと納まり、英文が這入ったことですごく引き締まったページ画面になった。 次に目次の決定と、預かっていたゲラの校正分の打ち合わせ。 目次には英訳も入れることになった。 出版社の編集担当者には、画像の良くなかった作品のネガを渡す。 そして、プロフィールページに入れる私と伊藤先生の写真を撮ってもらう。 来週末には全てのチェックの打ち合わせをして、来月中旬から印刷製本にかかり、月末には出版となる見込み。 価格はまだ未定だが、2、000円くらいになりそう。 そこへ、出版社社長から驚くべき発言。 なんと当初の700部出版の予定に対し、さらに500部追加しての出版となると言うこと。 伊藤先生もびっくりされたが、社長は、”売りたいんです!”。 かくして出版前に増刷が決まった。 つまり、初版1,200部という、考えてもいなかったことになった。 ☆英訳短歌の校正ゲラを預かったので、帰宅してレターパックで英訳の担当者へ送る。 ☆前歯の義歯のお蔭でフニャフニャの会話しかできないので、今日の打ち合わせでちゃんと物が言えるのか、とても心配だった。 しかし、途中で編集担当者をピックアップし、出版社まで彼女のお喋りの相手をし、出版社でも打合せであれこれ喋っていたら、いつのまにか普通に喋れていた。 私は普段はわが家で妻とボソボソと語るくらいしか人と喋ることがないが、こうして外に出て出来るだけ多くの人たちと喋った方がいいのかも知れない。 そうしないと、家に籠っていたらフニャフニャのまま一気に老人に成ってしまう。 9月29日(火) ☆晴天の一日。 陽射しは暑く、夕刻からは少し蒸し暑くなる。 ☆一日、デスクワーク。 明日に出版社との打ち合わせが這入ったので、伊藤先生と連絡を取ったり、ゲラにもう一度目を通したり。 ☆木版画の次の下絵を考えるが、なかなかまとまらず。 こんな感じでは30点制作は可能なのか、心配になってきた。 ☆宮崎県のコロナ感染者は2週間ゼロで、県内のコロナ警報が「レベル0」になった。 このまま継続して欲しい。 ☆前歯を抜いて、義歯を嵌めてからどうにも勝手が悪い。 まず話が正常に出来なくなった。 口にモノを咥えたまま話す感じで、フニャフニャとしか喋れない。 妻に毎回、何を言っているのかさっぱりわからないと言われる。 今日は伊藤先生に電話しながらも、フニャフニャとしか喋れず、申し訳なかった。 さらにハーモニカもとても吹きづらくなったし、口笛も息が抜けてしまって今までのような音色が出なくなったし、音程も取れなくなってしまった。 なにかいい方法はないものか。 9月28日(月) ☆今日も非常に爽やかな秋晴れ。 夜にはとても冷え込んで、今夜から毛布を使う。 まだ9月である。 ☆体調は完全に恢復。 それでせっかくの気持の好い気候なので、朝から庭の草刈りをする。 始めに草刈り機で刈り取って、次に芝刈り機でならしていく。 次に玄関先から駐車場廻りの草を抜いて行って、結局、夕刻までの一日作業になった。 ☆ずっとしゃがんで草を抜いていたので、夜には腰が痛くなってきた。 ☆その間、妻は着々と来年1月の2人展のための版画制作。 もう新作が10数点出来たと言う。 私は納得のいく刷りの木版画はまだ1点も出来ていない。 ただ面白いことに気が付いた。 水彩絵の具を使った木版画は、刷り上がった時点よりも数週間経ってからの方が色合いが良くなってくる。 刷り上がった時にはあまりのひどさに愕然となったものが、暫くするとなんだかよく見えて来て、額に入れてみると、さらに時間を経て好ましくなってくる。 ☆最近、フェイスブックでの乗っ取りがすごく多い。 本人に成りすましたものが、メッセンジャーで動画ファイルを送りつけて来る。 それを知らずに開いた人がまた乗っ取られてしまい、フェイスブック仲間に連鎖的に感染して行っている。 私には昨年のはじめ辺りに海外からときどき添付メッセンジャーが届いて、”これに写っているのはあなた?”みたいな誘い文句だった。 私は活動の殆どが海外なので、最初は何の動画だろうか?と思って開いた。 しかし直ぐに警告が出て開けず、スパムだと分かった。 それ以来、同様の添付動画は一切開かない。 知人も一度開こうとしたが、やはり開くのが結構難しくて、スパムだと気付いて大事に至らず、今は一切開かないと言っていた。 今年になっては、殆どが国内のフェイスブック仲間からの乗っ取り添付メッセンジャーで、最近は殆どが彫刻仲間で、一日に何人も届くことがある。 そのうち、私も乗っ取られるのではと案じているが、今日届いた友人は、昨日届いた友人からのファイルを開いてしまって乗っ取られてしまったと言う。 いま届いているスパムは、Appx8というファイルで、メッセージは”これを見て”である。 こういうファイルが届いたら、スパムなので、絶対に開かないようにして欲しい。 9月27日(日) ☆爽やかに晴れた快晴の一日。 ☆天候は最高に好いし、熱も平熱に戻ったし、朝食後はエネルギーもみなぎって気力も蘇ってきた。 今日は一日、木版画に取り組もうと思った。 ☆ところがダイニングテーブルの上を片付けていたら、国勢調査の書類が目に這入って、先ずこれを済まそうと、ネットを開く。 そうして回答を打ち込んでいるうちに、再び体がすごくきつくなってきた。 全身でぜいぜいい呼吸するのが精いっぱいである。 回答が終わると寝室へ戻って、横になって過ごす。 例の黄疸時の後遺症である。 昨年のルーマニアのシンポジウムで再発してから、体力が落ちて来ると発症するようになってしまった。 ☆午後は妻のボーカルレッスンだったが、まだ第3者には対面しない方がいいし、呼吸も荒くてとてもハーモニカを吹ける状態ではないので、書斎でデスクワークを する。 出版する本の編集ゲラのうち、肝心の私の”まえがき”の校正をまだしていなかった。 私の原稿と見比べながら校正作業を進めると、文字の修正等は全く無かったが、文組みが出版社なりの構成で直されていることに気付いた。 それで体裁もすごく好くなっていて、流石に出版社のプロの仕事だと感心した。 また、あらためてページを順に見ていくと、やはりいまのままの掲載順で問題はないと感じた。 ☆そして、ふと気付いて、先日にネガをスキャンしてみたら色味の悪かった画像を、手持ちのソフトで褪色補正をやってみたら、キチンとした画像になってくれた。 フィルムスキャナーを買い損したと後悔していたが、この補正作業をすれば問題ない。 ☆夕食の準備中にまた太腿が痛くなってきた。 ここ数日、ずっと寝ていたのでまた腰へ負担がかかっていたのだ。 熱が出てから、腰を延ばすストレッチもしていなかったので、慌ててストレッチをすると、やはり痛みは消えた。 やれやれ、70歳を越すと、あちこちガタガタである。 9月26日(土) ☆一日、曇天。 ☆やはり昨夜の寝汗のせいか、その後はぐっすりと眠れた。 そして体温も平熱に下がった。 しかし体はまだきつくて、ボーッとして何も出来ないので、食事を摂る以外はずっと寝て過ごす。 昨日あれ程寝ていたのに、よくぞ眠れるものだ。 ☆やはり単なる風邪だったとは思うのだが、まだ体調は良くないので、念のため妻の近くに居る時はマスクをする。 それにしてもこの季節の変わり目の時期、体調を崩される方も多いと思うが、熱を出された方は私同様に病院にも行けず、不安な日々を過ごされているのだろう。 そしてネットで調べてみると、今は風邪の初期症状で発熱してもコロナウイルスに準じた対応で、解熱剤を止めて平熱に戻ってから3日以降、あるいは症状が出て から7日目以降でないと職場への出勤や学校への登校は出来ないとある。 来週には出版社での校正の打ち合わせが這入るし、これまではいつも水曜日の午後だったので、明日から3日間が平熱で無い限り、打ち合わせに行けない。 それで今夜から風邪薬の服用は止めた。 ☆妻がジムに行ったら、テレビで高鍋町のクラスターの検証をやっていたそうだが、結局はどこからコロナが持ち込まれたのかは分かっていない。 何処にも行かず、真面目に自分のお店で働いていた青年たちが感染している。 だから、またどこでどんな事態になるか、まったくわからない。 9月25日(金) ☆晴天の一日。 陽射しは暑かった。 ☆夜中、耐え難い苦しさに襲われた。 きつくて、苦しくて、何度も目が覚めて悶々として過ごす。 起き抜けに体温を測ると37度5分ある。 やばい、37,5度あるとスーパーにも入店出来ないし、勿論、美術館等の公共施設にも這入れない。 家から一歩も出れないので、午前はそのままベッドで寝て過ごす。 その間、少しづつ体温は上がり、次第に不安になってきた。 ☆そして、お昼を摂った後には38,1度まで体温は上がった。 おそらく昨日が、スーパーのエアコンが効きすぎていて、凄く寒かったので風邪だとは思うのだが、いかんせんこのコロナ禍の毎日、熱が出ればもうアウトに近い。 ネットでコロナの初期症状を調べるが、殆ど風邪の初期症状と変わらない。 ただ症状は発熱だけで、頭痛、咳、だるさ、味覚障害はない。 近所に第二波でコロナに感染された知人が複数いるが、電話で聞く訳にもいかない。 それで病院に勤務している長男にどうしたらいいかを問い合わせたら、先ずはかかりつけの病院へ問い合わせて、診てもらったらと言う。 ところが、かりつけの病院へ電話すると、37度5分以上の発熱のある方は診察できません、という。 それでは、どこで受診できるのかと聞くと、それはご自分で調べて下さいと言う。 保健所だと判るかもしれないということなので、保健所へ電話すると、どの医療機関がと言うのは判らないので、”宮崎医療ナビ”というサイトで病院を調べてみてく ださいと言う返事であった。 しかしスマホで”宮崎医療ナビ”を開いても、病院の検索が出来るだけで、37,5℃以上の発熱でも受信できる病院のリストなどない。 そうこうしているうちに、熱が平熱近くまで下がってきたので、しばらく様子を見ることにした。 ☆夕食後にまた37度台に熱が上がったが、早目に床に就くと、寝汗をかき始めた。 寝汗をかくと、概ね熱は下がるので、明朝に熱が下がっていることを期待したい。 ☆しかし、これがコロナだったら、どうなるのだろう。 どこで受診して良いやらも判らず、自宅で出来るPCR検査は15,000円もする。 宮崎県では、今日でもう10日間、コロナ感染者が出ていない。 第3波の第一号に成らない様にしなければ。 ☆午後は、少し出来るだけの仕事をする。 出版する本の目次について、先日に伊藤先生と打ち合わせていたので、その助言を基に目次一覧を修正して伊藤先生へ送る。 折り返し、伊藤先生から電話がありOKの返事を頂いたので、出版社へ送る。 ☆来年2月にインド・カルカッタで開催される木彫シンポジウムのオルガナイザーから、2月の予定について問い合わせてきた。 それでインドは今世界で2番に目コロナ患者が多いし、2月までに状況が良くなるとも思えない、今は日本人は日本から出ることができないと伝える。 そうしたら、いや、10月、11月には状況は良くなる、という能天気なインド人らしい返答。 ありえないだろうに。 9月24日(木) ☆一日、雨。 朝のうちは蒸し暑かったが、日中は水冷でとても寒くなった。 スーパーが何処へ行ってもエアコンが効きすぎていて、寒くて仕様が無かった。 ☆朝一に歯科医院。 右の下の奥歯の義歯の型取り。 噛み合わせのために上の歯の型も取り、下の歯の型取りは最初はうまく行かずにやり直した。 したがって3度も型取りの作業をして、しかも院長の作業が手荒いので、それで歯茎を傷めてしまったようだ。 午後からだんだん歯が疼いて来て、夕刻には歯茎が膿でパンパンに腫れてしまった。 ☆昨日にシンポジウムへの推薦のあったオルガナイザーに問い合わせてみたら、データの提出締め切りが10月3日だという。 もう10日しかない。 それでは新しくプランを考える時間は無いので、まだ拡大していない作品の2点でエントリすることにした。 もたもたしているとすぐに1週間は経ってしまうので、今日は一日エントリーデータを作成する。 夕食前までにはデータを揃えて事務局へ送る。 9月23日(水) ☆曇天の一日。 幾分、蒸し暑さが戻ってきた。 ☆午前に、水道工事業者による化粧洗面台の蛇口の取り替え工事。 ☆今日は一日、出版関係のデスクワーク。 目次を作成することになったので、私が当初に示した案を再度チェックし、編集し直す。 どうしても目次の分類に這入らないタイトルの作品が2点ほどあるので、目次の代案も提示して伊藤先生へ送付。 夕刻に伊藤先生から電話があり、伊藤先生なりの目次の一部修正の提案があった。 最終的には、次の出版社での打ち合わせで決定することになる。 ☆画像へのクレームの有ったネガのスキャンが何の役にも立たなかったので、プリント写真をサイズを大きくして再度スキャンし、出版社へ送る。 折り返し、担当者から返事があり、ネガからのスキャンを出版社でもやってみると言うことだった。 両者を比較して、画像の鮮明な方を採用することになるだろう。 また、作品コメントが編集ページへのコピーの過程で不要な句読点が付いてしまって、校正作業が煩雑なので、私の送った原稿通りに不要な句読点を削除しても らって、改行もしておいてもらうように指示する。 ☆来年秋の某国のシンポジウムへの推薦打診が届いた。 20名の作家を推薦し、10名が招待されると言うもの。 体調は万全なので、是非エントリーしたいが、この国は当初はコロナ感染者の非常に多い国だった。 現在は世界で20位近くまで下がって来ているが、来年秋までに落ち着いてくれるだろうか。 9月22日(祝・火) ☆朝のうちは晴天だったが、じきに雲が出て、一日中陽が射したり曇ったりの不安定な天候。 時々、小雨がぱらついたが雨には至らず。 昨日のような冷え込みはなし。 ☆秋の彼岸で、朝一に田中家の墓参。 そのまま日向市へ出向き、妻の実家の墓参をして、義姉宅へ顔を出す。 ☆それからイオンタウンへ向かい、ダイソーで1月の版画展のための仮額購入と、デザキ・デポで木版画用の水彩絵の具の調達。 ☆昼食をイオンタウン近くの某ラーメン屋に立ち寄る。 日向市特産の”へべす”を使った”へべすラーメン”が有名で、ネットでの評価も殆どがランク5だったのだが、私の好みではなかった。 ☆帰宅すると、伊藤先生から経歴が届いていた。 しかしデータが一太郎だったので(学校の先生は一太郎が多い)、私のパソコンでは開けず、ネットで検索して”一太郎ビューア”をインストールして開く。 私の経歴と合わせて出版社へ送付。 ☆クラッチを交換した軽トラはすごく快適になった。 スイッチもすぐにかかるし、走行音がうるさかったのも静かになった。 どうやら、ずっと半クラッチ状態だったらしい。 9月21日(祝・月) ☆すっきり晴れた絶好の行楽日和。 気温は急激に下がって、この秋一番の肌寒さ。 長袖を着る。 ベランダに慌てて毛布を干している家も多かった。 まだ9月である。 ☆午前に妻と、宮崎県立美術館で開催中の”西洋絵画400年”を観に行く。 妻が気を効かせて開館前に行ったら、これが大正解であった。 美術館に這入る前に検温をして住所を書くのはもう慣れたが、会場入口で3密を避けるために入場者制限があって待たされた。 先日のミッフィー展には無かったことだ。 そして会場を出ると、1階の図書室の前にズラリと長蛇の列。 入場まで30分待ちと言うことだった。 家族連れが多いのが目立ったが、こうして多くの人が美術館を訪れてくれることは有り難い。 展示内容については別に言及することもなし。 ☆午後は出版する本のプロフィール原稿作成。 先日、出版社の担当者からプロフィールの文字数、行数の指定が届いたので、伊藤先生に連絡すると、私の表記に合わせると言う事だった。 それで歌人の方たちはどういう経歴表記をされるのだろうと思って、本棚の歌集をめくってみると、殆どの方は経歴の記載がない。 記載があっても、指定された文字枠の中で、改行での箇条書きではなく、連続して経歴を連ねて書かれている。 私たちにとって一般的な改行箇条書きで書かれていたのは、河野裕子さんの「森のやうに獣のやうに」くらいであった。 さらに個人情報である住所まで書かれている方はわずかだった。 それで彫刻関係の本棚に目を移すと、多くは展覧会のカタログ作品集で、単行本の彫刻作品集と言うものは殆どない。 僅かに手元に在る作品集では、やはり彫刻家の経歴は延々と長く、個人情報は住所、電話番号、メールアドレス、URLまで記載してある。 それで、編集担当者に問い合わせると、プロフィールの内容は著者の自由だけれど、今はネットで直ぐに検索できるので住所等の個人情報は記載しないのが一 般的だと言う。 取りあえず、今回の伊藤先生と私の関係から必要な学歴とインド放浪(私のまえがきに、伊藤先生の詠まれた短歌と共に出てくる)までを記載して、後は通常通り に主要なシンポジウム等を箇条書きで記載し、伊藤先生にも送る。 シンポジウム名は長いので、出版社指定の文字数には収まらないものがある。 これらは、出版社との打ち合わせで対応しよう。 ☆夕刻に、注文しておいたフィルムスキャナーが届いた。 さっそく、捜しておいたネガをスキャンしてみたが、ある程度は覚悟はしていたが、やはり色味が全然駄目である。 そう言えば、以前に持っていたネガとスライドをスキャンできるスキャナーでスキャンした時も、色味が全然違っていたことを思い出した。 ネガとスライド自体の色褪せもあるのだろうが、フィルムのスキャンと言うこと自体がこんな程度なのかもしれない。 後は出版社で色合いの調整作業をお願いするしかないのだろうか。 9月20日(日) ☆午前のうちは曇天だったが、午後はスッキリ晴れる。 一気に秋が深まって、とても肌寒い一日となった。 ☆再びネガのチェック。 ようやく見つからなかった作品のネガを見つける。 フィルム時代のネガは家族の写真などと作品写真が混在しているので、やはり一度きちんと作品のネガをデータ化しておかないと、今回のようなことが生じる度に 毎回ネガを捜さなければならなくなる。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 私は傍らでハーモニカパートのジョイントをしながら、出版する本の作品データ一覧の校正作業をする。 まず作品コメントの校正をしたが、私はWordのデータを送ってあるので編集担当者はそれをコピーすればいいはずなのだが、Wordの文章はコピーすると勝手に句 読点が這入ってしまう。 宮崎国際現代彫刻・空港展のパンフレット制作でも、この勝手に句読点が這入ってしまうのをチェックして削除するのが大変である。 私の作品コメントは、3行詩風に作成しているので、勝手に句読点がついて文章が改行なく続いてしまっては、まったく下手なつまらない文章に成ってしまう。 結局、コメントの全てに朱を入れることになってしまった。 ☆夕刻には作品データの校正をする。 こちらは文章ではないので、勝手に句読点は這入らないが、改行等の修正の朱を入れる。 9月19日(土) ☆概ね晴天の一日。 時折、曇天が繰り返し、夕刻に小雨。 気温は上がらず、一日肌寒かった。 ☆朝一に、宮崎県芸術文化協会の事務局から電話があり、先日送っておいた文化年鑑原稿が、展覧会のデータが昨年と全く同じなのだが、という連絡。 私はいつも展覧会の入賞者等が発表された時点で原稿に打ち込んでいるので、そんなことは在り得ないと思った。 Word文書は時々、打ち込んだ文書が消えてしまっていたり、メールで送る時点で内容が勝手に入れ替わってしまう”怪”があるので、また何か起きてしまったかと思 った。 しかし、原稿はプリンアウトしたものも郵送してあるので、メールを送る時点で内容が変わってしまったのであれば、紙原稿と比較できるはずである。 それで原稿を確認してみたら、宮日総合美術展、宮崎県美術展、宮崎国際現代彫刻・空港展の会期・入賞者等のデータが確かに前年のままであった。 だが、審査員はちゃんと昨年の審査員になっているし、展覧会の名称(開催年度、回数)はキチンと昨年度のものになっているので、新しいデータを打ち込んだらし いことは確かである。 やはり保存の時点で、前年度のデータがそのまま再保存されたとしか思えない。 狐につままれた思いだが、兎に角、データを修正して送付する。 ☆午前のうちに、妻と高鍋町美術館へ。 三兄が”〜コロナに負けないで〜”という、闘描(病)生活100日間の絵日記点を開催していたので、顔を出す。 これはコロナ感染によって3月に美術館や画廊が閉鎖され、文化活動が出来なくなった状況に対して、患者や医療従事者の方たちと何等かの共闘をしたいと言う 思いから、100日間の色紙絵日記を生活を始めたものである。 ☆軽トラの修理が終わったので取りに行く。 やはりクラッチの交換であったが、驚くほどスムーズにクラッチが這入るようになった。 この軽トラは、買った時点からクラッチが非常に硬く、入りづらかったので、その時点からクラッチは悪かったのだろう。 それに、バッテリーの状態が悪く、スイッチがなかなか入りづらかったのだが、これもクラッチ不良から生じていたようだ。 問題はこの無収入状態で、修理代が全く無い。 来年3月にはまた車検が来るので、年内に支払いを済ませて下さい、と修理工場から念を押された。 頭が痛い。 ☆インドのカルカッタから木彫シンポジウムへの招待打診が来ていたが、今日になってシンポジウム用に切り出された木の写真と共に、近いうちに正式な招待状を 送ると言う案内が届いた。 来年の2月開催である。 だが、今やインドはコロナ感染者が世界2位である。 とてもではないが来年2月までに事態が収束するとも思えず、インドへ渡航できるようになるとも思えない。 ☆シルバーウイークが始まり、今日は全国的に規制も緩和されて行楽地等は人の出が回復したようだ。 宮崎県もここ数日は感染者は確認されていない。 高鍋町も夕刻は飲み屋街へ繰り出す人たちが多く見られた。 しかし高鍋町でクラスターが発生したのはまさに今日のような日だった。 私たち夫妻も居酒屋へ出掛け、飲み屋街はどこも満席で、店に這入れない人たちが大勢右往左往していた。 そして、私たちが飲んでいた居酒屋の背後のビルの2階のスナックでクラスターが発生したのだった。 注意しないと。 9月18日(金) ☆夜明け前に激しい雷雨。 日中は晴れたり曇ったり。 陽が射すと強烈な暑さで、今日も日中はとても蒸し暑かった。 ☆朝のうちに出版社から、サイズの小さい作品画像のリストが届く。 先日の打ち合わせでは編集作業で修正できたという事だったのだが、やはりうまく行かなかったものもあったようだ。 デジカメの画像は私がフォトショップで加工した時にサイズが小さくなった画像や、撮影時の画像設定を誤って小さいサイズでしか撮っていない作品などであった。 デジカメ画像については加工前の画像と、デジカメ設定を修正して撮り直した、似たような角度からの作品を捜して送付する。 そして、やはり1点は海外の作品で画像が小さく、撮影者に何度か大きな画像の送付をお願いしているのにまだ届かないものである。 さらに半分はフィルム時代の画像で、プリントしたものをスキャンしたので、画像がぼやけている。 ネガを出版社でデータ化してもらうことにして、ずっとネガを捜す。 ネガの整理を全くしていないので、ネガを捜すのが大変だった。 とうとう1点は今日中には見つからなかった。 以前にネガとスライドをスキャンできるスキャナーを買っていたのだが、直ぐに故障して殆ど使い物にならなかった。 矢張りフィルムスキャナーを買って、キチンと作品のネガをデータ化して整理しておくべきだと痛感。 出版社からの返事で、ネガは次の打ち合わせの時に持参してもらえればよいという事なので、それまでに今日見つからなかったネガを捜しておこう。 ☆中町公民館の婦人会から、今年も敬老会の御祝い金が届いた。 昨年は私がルーマニア滞在中に敬老会が行われ、帰国したらリビングのテーブルの上に御祝い金が置いてあり、自分が敬老される立場になったことに大きな衝撃 を受けた。 今年はコロナ対策で敬老会は中止になった。 9月17日(木) ☆晴れたり曇ったりの不安定な天候。 夜明けまではとても肌寒くて、一気に秋が深まった感じだったが、日中は気温がぐんぐん上昇し、とても蒸し暑くなった。 ☆ヴァイブレーションの低下は続く。 昼前に軽トラで買い物に出ての帰路、交差点で信号待ちして青で右折発進しようとしたらクラッチが全く動かない。 慌ててアクセルを踏んだら、車の前部からモウモウと黒煙が上がった。 場所は西都線の幹線道路で交通量の多い処である。 いくらクラッチを動かしてもクラッチが這入らず、後続の車を先に行かせて対向車が途絶えたところで軽トラを押して交差点から出し、路肩まで移動させた。 エンジンを止めるとクラッチは這入るが、エンジンをかけるとまったく動かない。 馴染の自動車工場へ電話して、レッカー車で軽トラを取りに来て貰い、代車で帰宅した。 ☆よくぞこんな事態が我が家の近くで起きて良かった。 昨日は妻の車を借りて宮崎市の出版社へ打ち合わせに行ったが、もし妻の車が使えず私の軽トラで出掛けていたら、しかも橘通りのような大通りの交差点でエン ストを起こしてしまっていたら・・・。 ぞっとする。 所用から帰って来た妻が我が家に見馴れぬ車が止まっているので、怪訝な顔で玄関を上がって来て、私から事情を聞く。 ”ガス台が壊れ、化粧洗面台が壊れ、次は何が壊れるのかしら。” 本当に次は何が壊れてしまうのだろう。 ☆午後は凄く蒸し暑くなったので、午睡をし、午後後半からは版木を修正した木版画の刷り直し。 しかし、やっぱり刷りはうまく行かない。 ☆夕刻に、本の編集ゲラの”まえがき”と”あとがき”の校正。 9月16日(水) ☆一日雨。 水冷のせいか、今日は幾分肌寒く、長袖を着たくなるような気温であった。 ☆朝一に歯科医院。 型取りを済ませていた前歯の入れ歯が出来ていたので、装着。 違和感が在って、文字通り金具が前歯に取り付けられたので喋り方もおかしくなって、これからずっとこの入れ歯を付けなければならないのかと思うと憂鬱になって しまった。 来週からは下の右の奥歯の入れ歯を作ると言う。 この奥歯の入れ歯は過去に2回作っているが、どうしても勝手が悪るくて殆ど使わなかった。 しかし下の奥歯で上歯をしっかり受け止めておかないと、上の歯が次第に下がって来るのだそうだ。 そうなるとまた上歯の手入れをしなければならなくなるので勿体ないと言う。 前歯の入れ歯は、今日一日装着していたらあまり気にならなくなってきた。 夜のハーモニカ練習にも支障はなく、口笛にも支障はなかった。 ☆午後に出版社で打合せ。 今日は伊藤先生も来られての打ち合わせだった。 伊藤先生とお会いするのは何年振りだろう。 もう10年以上は会っていないと思う。 6年前に65歳の高校同窓会を開催した時に伊藤先生が出席されたが、丁度同じ日にマレーシアのヤップさん一行が来られたので、私は同窓会には出席できなか った。 ☆ほぼ全体の編集ページのゲラが出来ていたので、それをチェック。 ページの作品配列については、私は単に同じタイトルの作品ごとに、年代順にHPからピックアップしただけで、編集の段階で、編集効果を考えて配置換えする予 定だった。 しかし出版社の社長も伊藤先生も、このままで何の問題も無いという意見であった。 私も一覧で何度も目を通しているので、この配列で頭に這入ってしまっているし、伊藤先生もこの配列で相互の関連を考えながら短歌を詠まれたという事である。 そして社長が、私が提案していた目次を採用したいと言われる。 いまのタイトルごとにまとめた配列なら、それぞれの配列ごとに目次が付けられるが、ばらしてしまうと目次は付けられなくなる。 配列はこのまま、と言う方向が定まったので、目次を入れることになった。 ☆伊藤先生の提案で、先生の短歌の英訳を小冊子にして本に挟もうということになり、知人に依頼して英訳作業を進めて貰っていた。 この英訳短歌は本の本体とは別の作業の予定だったから、出版社にはまだ何も話して居なかった。 しかし作業を進めるうちに、英訳も本の中に入れ込もうという事になり、先日の編集担当者と装丁デザイナーとの打ち合わせの時に編集ゲラを見ながら、編集ペー ジには英訳短歌を入れるスペースが充分にあり、むしろ英文が這入ることによって画面がギュッと引き締まるのではないか、という感想を持った。 その旨を伊藤先生に伝えて同意していただき、編集担当者から出版社社長にも伝えて貰い、今日の打ち合わせに間に合うように英訳短歌を出版社に送って置い た。 とり急いで作ってもらった英訳短歌入りのサンプルページは、思った通りに引き締まった構成になり、出版社社長からもOKが出た。 また、私は巻末の作品データ一覧にも、伊藤先生の短歌を収録したいと思っていたら、社長の判断できちんと一覧に収めてあった。 社長としては英訳短歌もそこに収録したいという事であった。 ますます面白くなって来た。 作品画像の画像サイズの小さかった作品については、編集の方で何とか修正できたという事であった。 ☆装丁デザインも3案出来ていたので、皆で意見を出し合って、方向性を出した。 今日の私たちの意見をまとめて、さらに装丁が絞られてくるが、予算内でどれくらいのことができるのか私たちにはまったく見当もつかないのだが、想定外にかなり 手間のかかった装丁仕様を考えてくれているようであった。 いよいよ実際の本のイメージが形になりつつあり、さらにわくわくしてきた。 ☆帰路は伊藤先生をご自宅まで送った。 先生のご自宅を訪ねるのはそれこそ30数年振りだろう。 当時は周囲は松林で広々としていたが、いまは住宅が密集して、路地も入り込んでしまっていた。 酒豪の先生から、”伊佐美”と”三岳”を頂いた。 ☆今、「半沢直樹」の再ドラマ化で、伊藤先生の教え子の堺雅人の人気が再燃している。 週刊新潮の特集で、恩師の伊藤先生へのインタビュー記事も掲載されているようだ。 妻がジムで読んだと言う。 ☆私たちは編集ゲラをそれぞれ預かったので、これから校正作業に這入る。 ☆伊藤先生の隣家は、私の大学時代の後輩(年齢は私と同じ)が棲んでいるが、伊藤先生の話だと彼は最近は入院していると言う。 彼は以前に脳梗塞で倒れ、恢復後は左手に絵筆を持ちかえて制作に取り組んでいる。 今年の春には、親子展をやっていて、久しぶりに会ったばかりだった。 9月15日(火) ☆夜明け前に雨。 日中は晴れたり曇ったりの定まらない天候。 朝夕はかなり肌寒くなってきたが、今日も日中はまだ蒸し暑かった。 ☆午前はデスクワーク。 ☆午後に昨日の木版画への重ね刷り。 刷ってみないとあがりがわからない段階なので、夕刻にこれまで上手く刷れなかった版木を修正する。 当分は試行錯誤が続く。 ☆7月23日に高鍋町でコロナ感染者が初めて確認されて、もう55日目となるのに、初期に感染された方のお店がまだ閉じたままのところが複数ある。 コロナは後遺症が辛いという事だが、本人がまだ正常な状態に復帰できず営業再開ができないということなのだろう。 いずれも良く知った方たちなので気になってしまう。 高鍋町のコロナ感染は感染力が強力だったが、第2波は感染力は強いが重症にはならないと言うことだったけれど、どうやらそうでもなかったようだ。 やはりコロナと風邪はまったく違う。 宮崎県内でのコロナ感染者は、感染者の確認されない日が続いたりして収まりつつあるが、それでもまだ感染者は出ている。 これから寒気に這入ってインフルエンザの流行が始まると、強烈なコロナ感染第3波が来ると予測されている。 気を抜かないようにせねば。 今日も私と同じ歳の岸部四郎が亡くなっていたニュースが報じられた。 私たちの年代はもうそういう時期に差し掛かっている。 9月14日(月) ☆不安定ながら、概ね晴天。 朝夕はかなり涼しくなったが、日中はまだ少し蒸し暑い。 ☆今日は一日中、版画の制作。 午前に、昨日刷った版画に重ね刷りをするが、うまく行かず。 昼前から新しい作品に這入り、夕刻までに刷りまで持って行ったが、あまりの色合いのひどさに落ちこんでしまった。 ちょっと、木版画を甘く考えてしまっていた。 ☆友人の若い海外彫刻家が、気になる写真をフェイスブックに投稿している。 エアーのマスクを着用して、病院らしいベッドの上で自画撮りした写真である。 コロナに感染したのだろうか? 投稿されたコメントの自動翻訳と原文に目を通すと、1月に中国に居た時にはパンデミックに対しては病気にかからなかったし、南米やアフリカへ行く時にもそのた びにワクチンを打ったとある。そして人類救済のためにコロナが撲滅されることを期待しています、と結んである。 彼とは、今年の正月にインドへ行って間もなく、まだ中国・武漢でのコロナ感染が拡大する前に、5月の中国・ハルビンでの石彫シンポジウムでまた会おうと携帯電 話で話している。 無事に恢復してくれることを祈る。 まったく、今回の高鍋町内での第2波コロナ感染のすさまじさの只中にあった状況を顧みると、まさに明日は我が身である。 今日は、第3波はもっと酷い状況になると言うネットでの予測も出ていたし、いつ何が起きてもいいように、日々を充実して生きたい。 9月13日(日) ☆夜中はかなり肌寒くなってきた。 午前のうちは今にも雨になりそうな曇天。 昼前から陽が射してきたが、午後半ばからは再びどんよりとした曇天となる。 ☆夜中に寝汗をびっしょりかいた。 気温はかなり肌寒くなっていたので、やはり体調不良のせいだろう。 夜にはハーモニカの練習をしながら、気が遠くなってしまいそうな感覚。 そして妻と一言、二言喋っただけで声がかすれてしまった。 どう考えても風邪の症状だが、熱もないし、体のだるさも無い。 季節の変わり目の体調不良か。 ☆午前はメール送受信のネット作業などがあったので、お尻のきつさに耐えながらデスクワーク。 ☆午後は木版画の刷りの作業。 作業は立ったままだったので、体への負担は無かった。 しかし一向に刷りがうまく行かない。 9月12日(土) ☆不安定な天候。 朝のうちは青空が広がっていたが、午前のうちに天候は崩れ、昼前に激しい集中豪雨となる。 午後も雨模様だったが、夕刻には雲は切れて夕焼けとなる。 この雨で再び蒸し暑い一日。 ☆どうもここ数日来、体調が芳しくない。 昨日の午後から、椅子に座っているとお尻がきつい。 丁度、海外旅行中のフライトで、長時間シートに座っている時のあのお尻の圧迫感である。 それで椅子に座っての作業が出来ない。 ネットで調べてみると、どうやら例の脊柱管狭窄症の症状の一つのような気がする。 やっと太腿の激痛から解放されたと思っていたのだが、脊柱管狭窄症は痛みだけではなく痺れも出てくるようだ。 太腿の激痛の前は、インドから帰国直後に膝上の外腿の痺れから始まった。 やはり坐骨神経による痺れだろうか。 ☆それに体調自体も何かおかしい。 先日に夕食を摂り過ぎてから、夜中に何度も起きるようになってしまったし、何か風邪を引いたようなきつさである。 今日のお昼もまったく美味しくなく、食後が辛かった。 味がしないのではなく、味覚はちゃんとあるのに、まったく美味しくない。 きつさが、黄疸時の例のきつさとはまったく別物である。 夏バテのような気もする。 70歳を過ぎると、体に色んな軋みが出て来るのだろう。 ☆午後はきつくて何もできず。 だがそうしてばかりも居られないので、夕刻から版画の版木を彫る。 作業に集中していると、お尻のきつさは少しは気にならなくなってくる。 9月11日(金) ☆夜中ずっと遠雷。 そして突然の凄まじい雷雨。 先日の台風10号なんて及びもつかない激しさだった。 朝起きると、塩害で枯れた我が家の桜の木は半分以上の葉が落ち、浴室外庭の竹も軒並み倒れてしまっていた。 そして蒸し暑さが戻ってきた。 午前は晴れたが、午後からは小雨模様となる。 ☆今朝になって、再び化粧洗面台の通水管からの水漏れがし始めた。 前回はビニールテープを巻いての応急処置だったので、いずれは再発することは目に見えていた。 それで今回も再びビニールテープを巻いてその上を銅線で絞めてみたりするが、いっこうに水漏れは止まらない。 水道の元栓を閉めているのに水が止まらない。 午前一杯を悪戦苦闘してようやく漏水が止まり、ほっとしたのも束の間、元栓を開けると再び漏水が激しくなった。 止む無く水道工事業者へ電話して来て貰う。 メーカーに問い合わせても20年以上前の製品はもう部品の在庫は無いという事だったので、洗面台の蛇口一式の交換となる。 先日はガスコンロの一式を買い替えて多大な出費だったので、妻と頭を抱える。 取り換えの製品が届くまで、水漏れの管の元栓を閉めて貰う。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 私は傍らで版画の下絵を描いて版木に写す作業をする。 後半に新曲のハーモニカパートでジョイントする。 9月10日(木) ☆夜はかなり肌寒くなってきた。 夜明け前に雨が降ったようだが、日中は概ね晴天。 昼前から曇天気味となり、再び蒸し暑くなってきたが、午後半ばには雲は晴れる。 ☆先日の台風の強風で車のガラスや家のガラスがかなり汚れていたので、午前はガラス拭きの作業。 ☆午後に、妻とお隣の新富ギャラリーへ。 私が工房勤務時代にお世話になった佐土原焼きの高橋さん一家の陶芸展へ。 ギャラリーには娘さんが居られたが、彼女は当初は染色をされていたそうで、その型染めの技法を生かした切れの好い絵柄の作品は新鮮だった。 ☆帰宅後に少し午睡をして、夕刻は次の木版画のプラン作成。 ☆何事も無かったと思った台風10号は、思わぬ被害を残していた。 台風後に我が家のプランターの植物たちの葉の周囲や茎が黒く成ったりしたので、風焼けだと思っていた。 ところが周囲を見渡すと、多くの樹木が茶褐色に枯れてしまっている。 塩害だという事である。 農家の被害も一見では、風や雨の被害は無いと思っていたが、この塩害でかなりの作物が駄目になってしまったのだと言う。 そう言えば以前にも、大通りのイチョウ並木が台風後に今回の様に一斉に枯れてしまったことがあった。 9月9日(水) ☆午前のうちは時折り小雨の降るぐずついた天気。 午後には雲は切れる。 涼しい一日。 ☆朝一に歯科医院。 今日も入れ歯のための型取り。 ☆午後から木版画の刷りの作業。 これまで蒸し暑かったので、エアコンの効いたリビングのテーブルの上で作業をしていたが、かなり涼しくなってエアコンも要らなくなったので、2階のプレイルーム で作業をする。 もともとこのプレイルームは作業するための場所で、流しも設置してある。 今回はあらかじめ下絵に配色をしてあったので、大きな色の乱れも無く、これまでの作業のなかではまずまずの刷り。 重ねの刷りをやってみたり、いろいろ工夫してみる。 しかし、まだまだ作品として展示できるまでには至らない。 9月8日(火) ☆秋晴れの一日。 ようやく涼しくなってきた。 ☆午後に出版の打合せで、編集担当者と装丁のデザイナーが来訪。 デザイナーがページ編集構成のゲラを持ってこられたので、在宅していた妻との4人で少し打ち合わせ。 それからアンジェラスの森へ上がる。 ☆装丁のデザインの素材として、私の作業場の石の表情等を写真に撮りたいという事であった。 昨日に作業場の除草作業をしておいたのもこのためであった。 ☆帰路に、作業場近くの森の空想ミュージアム内にある九州民俗仮面美術館に高見館長を訪ねる。 今日の編集担当者と装丁デザイナーとはこの仮面美術館で一度お会いしている。 高見館長の神楽面等の話が実に興味深く、挨拶だけのつもりが思わず長居してしまった。 ☆夕刻に自宅へ戻り、打ち合わせの続き。 自宅にある大理石の小作品も数点、装丁に使えそうなパーツの写真を撮ったりする。 装丁デザイナーの方は、以前に伊藤先生の本の装丁も担当されたことがあり、私の本棚にも彼女の装丁された本が何冊かあった。 来週くらいまでには3パターンのデザインを出される予定だとのこと。 格好良いデザインにしましょう。 9月7日(月) ☆結局、台風10号は殆どの被害も無く去って行った。 朝から青空が広がり、夕刻近くまでは吹き返しの風があったが、ようやく秋らしい涼しさとなった。 だが今日は一日、交通機関は動かなかった。 ☆午前のうちに久しぶりにアンジェラスの森へ上がる。 途中の野山も、老木が折れているところがあるくらいで、殆ど農作物や木々への被害は見受けられなかった。 アンジェラスの森は朽ちた木が2本倒れていたが、手で簡単に片づけられたし、他には何も被害は無かった。 この倒木も、あるいは先日の台風9号の時の被害かもしれない。 作業場が草ぼうぼうだったので、午前中は草を抜く。 吹き返しの野分の風が森をざわめかせ、ツクツクボウシが鳴き、秋虫たちが鳴くだけの森。 秋風がとても気持ち好かった。 風の又三郎の世界だった。 ☆午睡の後、木版画の彫りに入る。 少しずつ要領がつかめてきた。 今回は刷りの前に、下絵に色を置いてあらかじめ配色を考える。 ☆夕刻に伊藤先生より電話。 本の内容について、少し打ち合わせをする。 うまく行けば、当初の予定になかった面白い内容になりそうである。 ☆世界のコロナ感染者はとうとうインドがブラジルを抜いて、アメリカに次ぐ世界2番目の感染者数になった。 インドで初めて感染者が確認されたのは、私がインドを発つ前の1月30日頃だった。 インドは路上生活者が多いし、医療機関も不十分なのでこれからもますます増加して行くだろう。 これでは当分はインドへは行けない。 それに世界中の感染者がいつの間にか2712万人を超えてしまっている。 ガオメンの予告していた600万人に何時到達するだろうかと思っていたが、あっという間にその5倍近い感染者数に成ってしまっている。 9月6日(日) ☆台風10号。 早朝4時半にかなり激しい風雨。 しかし、日中は大した雨も無く、風も普段の台風以下。 夜になってようやく嵐の気配となったが、停電も無く、かつてない強風の大型台風と言う触れこみには拍子抜け。 ただ九州南部は今夜から明朝にかけてが最接近だと言うので、これからが要注意なのだろう。 ☆お昼にスーパーへ行くと、午後1時に避難勧告が出た。 スーパーの隣に防災放送のスピーカーがあるので明瞭に聞き取れる。 しかし、自宅に戻ると、妻が、防災スピーカーが何か言っていたけど・・・、という按配で、町中では防災放送はハウリングを起こして全く聞き取れない。 もし津波が来たら、町中の人たちには状況が全く伝わらない。 ☆ネットを見ると、町中は私の中町地区以外の周囲の地区にはすべてに避難勧告が出ている。 中町地区は他の地域よりも高く、これまで水に浸かったことが無いからだろう。 我が家に居るのが一番安全である。 ☆ところが、高鍋町メールで13:05に避難勧告発令が届いているが、その10分後にはもう避難所の半分が満杯だとのメールが届いた。 空きのある避難所も駐車場が満杯なので、タクシーで避難するようにということである。 コロナの3密を避けるために、避難所の収容人員が限られているからだろう。 そうしたら、ネット情報では、今回はコロナ感染を避けてホテルへの避難が多く、宮崎県内のホテルは満杯だと言う。 しかもGo To キャンペーンが適用されるのだと言う。 なるほど、賢明な対応だなと感心した。 ☆夕刻になって、知人の方が”小丸川に氾濫警報が出ました!”とフェイスブックに投稿されていた。 しかしネットでいくら検索しても、そのような情報は全く無い。 河川情報では、小丸川は危険水位超過での氾濫注意である。 氾濫警報何て何処にも出ていない。 ただ一ツ瀬川がかなり危ない状態で、今夜から夜明け前にかけての注意が必要だということである。 ☆午後は午睡の後に、5作目の木版画の制作にかかる。 ☆夜に、入浴前に妻にバリカンで髪を刈ってもらう。 9月5日(土) ☆夜中2時半にもの凄い雷雨。 もう台風10号の影響かとビックリして、慌ててリビングに降りて落雷を懸念してパソコンの電源を抜く。 しかし雷雨はじきに止み、午前は晴天。 日中も時折の強いにわか雨程度であった。 ☆台風10号はこれまでにない強い風と雨だと言う予報である。 近年の台風は被害が大きく、我が家も昨年と一昨年の台風でかなりの被害が出て、火災保険で修理をしたばかりである。 今回は早々と九州内の河川の氾濫予測で、高鍋町を流れる小丸川が上位に挙げられている。 小丸川が氾濫したら大変なことになるが、幸い我が家はこれまでの台風洪水で水に浸かったことはないが、妻は念のために重要書類を2階に持って上がった。 そして、この家を建てて初めて雨戸を閉め、懐中電灯の点検や、スマホのモバイルバッテリーの充電、ペットボトルへの飲料水の備蓄などの台風対策をする。 子供達が小さい頃に襲ってきた台風13号では、宮崎県では殆どの家の瓦が飛び、我が家も瓦が飛んできて玄関や縁側のガラスが粉々に割れて、恐怖の一夜を 過ごしたことがある。 今回の台風10号はそれをはるかに上回る強さらしい。 ☆商店街を見ると、シャッターの下に土嚢が累々と置いてある。 こんな光景は初めてのことだ。 消防の皆さんが対応していただいているようだ。 我が家の倉庫のシャッターにも置いてもらえるという事だったが、数が足らなかったのだろう、廻ってこなかった。 ☆午後に晴れ間の出ている時に、元の町屋本店に店舗を出されている”利久庵”に妻と出掛けて、栗ソフトを食べる。 なかなかに小洒落たお店で、美味しかった。 コロナ感染騒動で来客は激減しているようだ。 ☆夕刻にスーパーへ行くと、カップ麺の棚と水の棚が空っぽだった。 ☆午後は版画の技法書をもう一度見直したり、伊藤先生と堺雅人の対談集”ぼく、牧水!”を読む。 ”ぼく、牧水!”を丁度読み終わるころに伊藤先生より電話。 すこし打ち合わせをする。 9月4日(金) ☆日中は晴天。 午後から雲が出て、夕刻にパラリと来たが、夜には雲は切れる。 家の中は相変わらず蒸し暑いが、外に出るとかなり風が涼しくなってきている。 庭に面した和室は、リビングに比べると格段に涼しい。 ☆まだまだヴァイブレーションの低下は続く。 昨夕は妻の車の前に私の軽トラを留めていたので、妻の出勤時に軽トラを動かそうと思ったら・・・、キーを挿したままロックしていた。 あわてて指金を差し込むがうまく行かない。 幸いにも暑さ対策でドアのガラスを少し下げていたので、その隙間から針金を差し込んで、何とか車のキーを引き抜いて軽トラを動かすことができた。 しかし妻は職場に遅刻してしまった。 まったく申し訳ない。 この軽トラに買い替えて、これで何度目の失態だろうか。 そのたびにキーのスペアを作らなければと思うのだが、直ぐに忘れてしまっていた。 ☆陽射しもしのぎやすくなったので、午前に伸び放題だった庭の草を刈る。 蚊もおらず、暑くも無かったが、草が伸びすぎていて直ぐに芝刈り機に草が詰まって、刃が回転しなくなる。 午前中には作業は終わらず、夕刻に残りの作業をする。 夕刻の庭は風がとても涼しくて、快適である。 ☆台風10号の風の勢力が強いらしい。 町内でも早々とシャッターの下に土嚢を積む商店や、隣の消防機庫でも消防団員の方々が車に土嚢をたくさん積んで何処かに運んでいた。 昨年も台風の風力が強く、我が家もかなりの被害が出た。 9月3日(木) ☆台風9号は何事も無く去った。 一日晴天。 しかし台風一過の秋風とはならず、窓を開けると熱風の吹きこむ蒸し暑さ。 家の中も非常に湿度が高く、スリッパの底がペタペタと床に貼りつく。 ☆午前に出版関係のデスクワーク。 そして木版画を彫る。 ☆午後は午睡もせず、デスクワークと木版画の刷り。 今日の刷りの色合いは最低。 適当に色を作りながら載せているので、まるで出鱈目な配色に成ってしまう。 やはりきちんと下絵で配色計画をすべきなのだろう。 ☆本に掲載する作品画像のサイズが小さいので、サイズの大きいものを送ってくれるようにお願いしている作家の一人から画像が幾つも送ってきたが、いずれもシ ンポジウム期間中の制作中の作品画像ばかりで、肝心の設置画像が無いと言う。 それで本人が、”今日お前の作品画像を撮ってきた”と言って画像添付で送ってきたメールをコピーして送る。 画像を送ってくれたのがもう8年前のことなので、本人も画像をどこに保管したのかわからなくなったのかもしれない。 ☆宮崎県のコロナ感染者は、今日で2日連続して新規感染者が居なかった。 このまま推移してくれるのだろうか。 9月2日(水) ☆夜中に凄い暴風雨。 台風9号がもうやって来て、この暴風雨が一日続くのかとぞっとした。 リビングの引き戸の鍵を閉め忘れていたのに気付き、この強風で戸が全開に成ったらリビングは水浸しになるので、あわててリビングに降りて鍵を閉めた。 午前2時半であったが、しかし寝室に戻るころには風雨はぴたりと止んだ。 そして夜が明けると青空が広がり台風の気配は無し。 ようやく午後になって風が強くなり、午後3時過ぎには大雨警報が出されたが、風が強くなっただけで雨は無し。 夕刻にスーパーに行くと、コロナ対策で換気のために入口の扉を開けているので、強風が店内に吹きこみ、色んなものが舞い上がって、店長や店員たちがてんや わんやであった。 夜になると、風もぴたりと止まり、静かな夜となった。 しかし風がとても蒸し暑い温風で、蒸し暑い一日であった。 ☆午前はデスクワーク。 ☆今日も午睡。 ☆伊藤先生から、出版関係の連絡。 ☆出版の方は編集作業に這入っているが、画像の小さいものについて撮影者に大きいサイズの画像送付をお願いしているが、送ってこないので再度催促する。 ☆午後後半から、木版画の4作目の版木制作に這入る。 9月1日(火) ☆夜明け前にかなり激しい雨が降ったようだが、夜明けてからは午前中は晴天。 昼前ににわか雨が来て、午後からは雲が出て降ったりやんだりの蒸し暑い一日。 台風9号の影響が出てきているようだ。 ☆愈々9月に這入ってしまった。 コロナコロナ、暑い暑いと言っているうちにあっという間に8月は祭りも何もなく去って行った。 ☆やはり私のバイブレーションは著しく低下しているようだ。 朝から胃が重くダレ気味だったのだが、午前の裡にデスクワークを片付けていると次第に胃がきつくなってきて、とうとうトイレに駆け込むと激しい下痢。 それから断続的にずっとトイレに駆け込むことになってしまった。 先の嘔吐下痢症と同じかなと思ったが、今日は吐かなかった。 朝から冷たい冷汁を摂ったのが原因かと思うのだが、暑さで体がまいっていることは間違いない。 お昼も摂れず、リビングのフロアーに横になって過ごす。 ☆寝室で寝ていたかったのだが、夕刻から同じ地区の方の通夜が這入っていたので、何とか身を整えて通夜に出掛ける。 私たちが小さいころから大変お世話になっていた方で、94歳と天寿を全うされた。 この夏の猛暑を乗り切れなかったのだろう。 葬儀はコロナ対策で近親者のみで行うという事だったが、元町長のお母さんなので大勢の弔問客があった。 ただ式場内は親族のみということで、受付を済ませて遠くから黙礼をして直ぐに退出した。 ☆お風呂を浴びて、夕食は軽く焼酎のお湯割りで雑炊を摂ったらかなり体調は整ってきた。 ☆空港展事務局の田村からの連絡で、10月の宮崎国際現代彫刻・空港展開催中止の代わりに空港ビルから打診の在っていた、宮崎の作家だけでの彫刻展の 開催が決まった。 オアシス広場でのメインは空港ビル側によるお花の展示での空港利用者のおもてなしなのだが、文化の秋の10月なので花の間に彫刻を置いて、文化的な空間で のおもてなしをしたいということである。 従って私たちは彫刻を展示提供するだけで、常駐受付の必要もない。 先日に空港へ出掛けて状況を判断しているし、宮崎県のコロナ緊急警告も今日で解除されたので、これから人の動きも活発になるだろう。 |