2020 | 8月31日(月) ☆今日も残暑厳しい蒸し暑い一日。 暑さ疲れか、夕刻からはなんだか疲れてしまった。 ☆午前に歯科医院。 前歯の入れ歯用の型取り。 ☆まだ残暑が続きそうなので、昼前に再び冷汁を作る。 煮干しの頭と腸は昨夜のうちに処理していたので、お昼までには完了。 ☆出版社から元サイズの画像を受け取っていないという連絡があったので、午後にUSBメモリーで送る。 ☆郵便局から帰って、そのまま午睡。 ☆午後後半から、昨日に版木を彫っていた木版画の刷り。 しかしなかなか納得のいく色が出ない。 ☆夕食時に、トマト缶の蓋を外していて人差し指の付け根を切った。 私はこの作業がとても苦手なので、用心用心と思いつつ残りの作業をしていたら、今度はさらに中指の第一関節を思いっきり切ってしまって、大量の血が止まらな くなってしまった。 更にパスタを湯がくために沸かしていた鍋に塩を入れた途端に、鍋が沸騰して鍋の半分のお湯がガス台と床に溢れ出してしまった。 こんなことは初めてである。 夕刻には、買い物からの帰路、交差点角で一旦停止して右折しようとしたら、いきなり右側走行してきた小学生の自転車が目の前に飛び出して来てあわや跳ね飛 ばすところだった。 ちょっとバイブレーションが下がり気味なので、用心、用心。 8月30日(日) ☆晴天の一日。 庭の光の陰影はすでに秋そのものなのだが、一向に暑さが和らがない。 今日も非常に蒸し暑い一日であった。 この蒸し暑さは台風9号の影響なのだろうか。 ☆午前は3作目の木版画作業。 午前に版木を彫る。 木版画を始めた時は面倒臭く、石を彫っているほうが余程楽だと思ったが、次第に彫刻刀の扱いに慣れて来て楽しくなってきた。 ☆午後に妻に誘われて、川南町の峠の茶屋へ出掛け、抹茶ソフトクリームを食す。 帰路の車中が蒸し暑く、眠くてかなわず、帰宅するとそのまま午睡。 ☆版画の刷りは明日に廻す。 ☆高鍋町ではもう2週間の間、コロナ感染者が出ていない。 それで、西都・児湯地域は今日から40日ぶりに平常状態の「感染未確認圏域」に引き下げられた。 このまま落ち着いて欲しいものだ。 8月29日(土) ☆快晴の一日。 朝夕の風はかなり涼しくなったし、庭の光も全くの秋の気配である。 しかし変わらずに、とても蒸し暑い。 ☆今朝の夢で、木版画の図柄が次々に浮かんできた。 そして同時に、短歌もひらひらと湧いてきた。 短歌は直ぐに忘れてしまったが、木版画の方はしっかり記憶に残った。 ☆それで、今日は早速、夢の中で見た版画の制作にかかる。 ただやはり夢で見た版画と実際の版画とは全く別次元のものである。 思うような色が出ない。 色の乗せ方はまだまだ試行錯誤の段階であるが、刷り上がったときと絵の具が渇いた時の印象はかなり違う。 額に入れてみると、作品らしくなる。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 私はその傍らで版画を刷る。 なかなか素敵な空間である。 今日は妻と講師の片貝さんは11月に予定しているライブの演奏曲の打ち合わせをしていて、新しい曲のハーモニカパートの試し吹きで、時々、ジョイントする。 8月28日(金) ☆夜中に激しい雨。 軽トラの窓を開けていたので、慌てて閉めに行く。 日中はカラリと晴れる。 夕刻の風はかなり涼しくなったが、室内はあいかわらずとても蒸し暑い。 ☆午前はデスクワークの続き。 ☆午後は先日の試し刷りの木版を刷り直す。 8枚刷ってみたが、少し要領が掴めて来た。 1月予定の小作品展までには最低30点は制作したい。 ☆作業の合間合間に”ぼく、牧水!”を読む。 中々に面白いし、内容が深い。 下手な歌人の牧水論より、はるかに豊かな牧水像を描いている。 8月27日(木) ☆夜中に激しい雨。 日中はカラリと晴れて強烈な日差し。 例年ならお盆を過ぎると一気に涼しい秋風が吹き、そして今時分の8月末に暑さのぶり返しが来るのだが、今年はずっと炎暑続きである。 余りに暑いのか、ツクツクボウシも鳴かなくなった。 ☆午前は昨日の続きのデスクワーク。 そうしているところへ、伊藤先生から堺雅人との対談集”ぼく、牧水!”が届く。 巻末に牧水、伊藤先生、堺雅人の系譜年表があって、私が今作成している伊藤先生との関係年表と似ていて、にやりとなった。 ただこちらの方は、牧水とは同時代に生きてはいないので、それぞれの年齢の時に何をしていたかの比較年表であった。 ☆”面白い本だよ”と先生も自薦されていたように、大変評判になった本で、帯には”忽ち4刷!”とあった。 チラ読みしてみると、確かにいわゆる牧水論ではなく、2人の酒の肴での”牧水”で、牧水が非常に親しい生身の人間として浮かび上がって来て、初めて知るような 内容もあり、とても面白い。 堺雅人自身が、早稲田大学の第一文学部に進学していて、なかなかの教養人である。 文章もユーモアに富んでいて、柔軟性がある。 作家の宮尾登美子が、作家に成れると言ったほどの人である。 あの中原中也が牧水を最も好きな歌人と表明していて、詩人の高森文夫を訪ねて2度も日向の富高駅に降りて東郷町を訪れたのも、牧水の生まれた坪谷へ行く 目的があったのも初めて知った。 後日、丹念に読んでみたい。 ☆先日に伊藤先生が日向市へ出掛けられた”牧水・短歌甲子園”のオンライン審査の模様がユーチューブでアップされていたので、少し見る。 見た目は、何時もの闊達な伊藤先生であった。 とても楽しかったということである。 ☆午後後半は時々”ぼく、牧水!”をチラ読みしながら、昨日試し刷りした木版の、版木の修正作業をする。 8月26日(水) ☆夜中から夜明けまでは激しい雨。 午前は晴れたが、午後からはまた曇天となり、時折の激しい雨。 宮崎県内では、1時間降水量は高鍋町が26,5ミリで最も多かったようである。 ☆午前はデスクワーク。 本の出版後に対談をしよう、という伊藤先生からの提案がある。 それでその対談の資料になりそうな私と伊藤先生との関わり合い、周囲の同級生たちとの関わり合いを日記のWordデータからピックアップ。 一部を伊藤先生に送ったら、一気に読まれたようだ。 特に若くしてヨーロッパアルプスの雪崩で亡くなった級友に関する記述には、胸を詰まらせられたようだ。 彼のことを詠まれた歌は、先生の歌集にも収められている。 伊藤先生を軸とした、私たちの真摯で哀しくも美しくもある青春群像。 そんなことを対談で語れたらと思う。 ☆午後はようやく重い腰をあげて、木版画の刷りにかかる。 道具も手元にあるものだけでやってみる。 恐らく木版画なんて、中学校の美術の授業で少しやった程度ではないのだろうか。 さらに多色木版画は初めてである。 木版画はずっとやってみたかったのだが、水彩絵の具で多色刷りをどうやったらいいのだろうと、考えるだけで億劫で今日まで手が出せなかった。 技法書を見ても、あまり肝心なことは書いてない。 やってみて会得してゆくよりない。 今日の刷りは絵の具の入れ方がほぼ失敗。 この版で納得のいく刷りを体得して、次の作品にかかるようにしよう。 ☆宮崎県のコロナ感染者は、35日ぶりに感染者ゼロとなった。 高鍋町も17日以降の10日間は感染者が出ていない。 このまま第3波が来るまでの暫くは落ちついてくれるのだろうか。 8月25日(火) ☆夜明け前に激しい雨。 日中は雨雲が多いもののほぼ晴天。 夕刻に通り雨。 今日は台風8号の影響によるフェーン現象で、気温はそれほど高くないのに異常な蒸し暑さだった。 体中がベトベトする。 ☆午前に歯科医院。 前歯3本の仮歯を入れる。 おかげで、歯を抜いて以来スカスカ・フニャフニャだった喋り方が、正常に戻った。 ☆午後に、お隣の川南町のカフェ”暖”へ妻と出かける。 本当はお隣の峠の茶屋の抹茶ソフトクリームを食べたかったのだが、連休で閉まっていた。 ”暖”でミニ白熊を食べながら、”暖”でのライブ予定の打合せ。 コロナの状況がどうなるか分からないが、11月22日にライブの予定。 8月24日(月) ☆朝夕の気温がずい分しのぎやすくなってきた。 朝起きて、寝室から出た時のサウナ状態の暑さが和らいだ。 日中の陽射しも、一日薄雲がかかった状態で、痛さが無くなってきた。 庭の雰囲気はもう秋の気配である。 しかし台風8号の影響か、体がベタベタするほど非常に蒸し暑い。 ☆今朝の夢で、毒蛇に頭を噛まれ、瀕死の状態になる。 蛇はコブラのような猛毒のものだが、毒蛇に頭を噛まれたというシチュエイションだけで、蛇自体は出てこない。 横たわって意識が薄らぎながら、もうすぐに死ぬのだと思うのだが、苦しくない。 蛇の毒は心臓に来て呼吸が停止するのだろうと覚悟しながら意識が薄らいでゆくのだが、全く苦しくない。 そして、他の夢に移ってしまった。 ネットで夢占いを調べると、次のような分析があった。 ” 夢分析における頭は、知性や理性の象徴。思考や推理、創造性といった意味合いも含まれています。そんなあなたの頭を蛇に噛まれていた夢。これはあなたの 知的能力について、身近な人が嫉妬していることを暗示しています。嫉妬されるほど、あなたの頭脳はそれだけ優秀であると言えるでしょう。 しかし、特に痛みや怖れを感じなかった夢の場合は、プレッシャーや嫉妬にも応えず、より思考力が高まるでしょう。 ” 苦しくも無かったし、怖くも無かったので、良い意味に解釈しよう。 しかしなぜか、今日はネットで大蛇に関する伝説のニュースや、スマホでは蛇に絡まれている映像が矢鱈と投稿されていた。 ☆一日、木版画の下準備。 明日からは刷りの作業に這入れるだろう。 8月23日(日) ☆幾分いつもより気温が下がる。 宮崎県での最高気温は35,2度。 午後から雲が出て、3時前後から雷ゴロゴロが始まり、ようやく雨らしい雨となった。 しかし、またも雨はしばらくして上がってしまった。 これでは恵みの雨とはならない。 ☆午前に妻と宮崎市へ出て、先日届いた妻のジークレー版画を購入者に届ける。 ☆その足で宮崎空港へ。 10月に開催予定だった、宮崎国際現代彫刻・空港展が開催中止になった代わりに、宮崎の作家だけでの彫刻展示は出来ないだろうかと言う打診が来ている。 私は昨今のコロナ第2波で、とても空港には近寄れない感じがしていたので、もう少し状況を見ておいた方が好いのではないかと思っていた。 それで空港ビルの今の様子を見に出かけたのであった。 しかし空港へ行くと、ガラガラだと思っていた駐車場にはそれなりの車が止まっているし、空港内もガランとして殆ど無人ではないかと思っていたのに、それなりに 利用者が居て、1階の売店も通常とあまり変わらない様子であった。 肝心のオアシス広場も、空港ビルが開催している物販イベントもそれなりにお客さんが這入っている。 これならば、宮崎の作家だけでの彫刻展示を開催しても問題はないのでは、と感じた。 ☆3階ギャラリーは、過去のギャラリー利用者の作品の空港ビル所蔵作品展を開催していたので見て回る。 さて、お昼を摂ろうと思ったら、食事処は多くが4月から閉店してしまっていた。 開いているレストランも、メニューは限定メニューのみであった。 やはり相当に大変な状況である。 ☆やはりマスクをしたまま空港内を彷徨うのは、非常に苦しい。 駐車場に戻ったらほとんど呼吸困難で、マスクを外して呼吸しないと窒息してしまいそうである。 8月22日(土) ☆お昼辺りににわかに雲が出て、遠雷。 やっと雨が来ると思って洗濯物も家の中に入れ、車の窓も閉める。 しかし午後半ばには雲も切れて、一粒の雨も降らず。 だがJR日南線は大雨で運休となった。 局地的には大雨が降ったようだ。 宮崎県内では12日ぶりに、猛暑日を記録せず。 ☆午前に眼科医院。 妻が昨夜目に激痛が走り、目が真っ赤だったし、私も先の一日健診で左目に視神経乳頭陥凹拡大の疑いと診断されていたので、妻と一緒に診て貰った。 結果は妻の目には傷も無く、異常なしの診察結果。 私も視神経乳頭陥凹拡大は緑内障の症状なのだが、老化と近視で眼底検査のカメラに影が出来ただけで、緑内障の症状はないということであった。 お互い安心する結果であった。 ☆午後は妻のヴォーカルレッスン。 新しい曲に這入ったので、私も新しい曲のハーモニカのパートを簡単にお触りでジョイント。 今日は妻の縁戚のEちゃんも日向市から来てくれて、体験レッスン。 講師の片貝さんは、今日もコロナ予防で照沼さんと一緒に車で来られたが、照沼さんは連日の猛暑で涼しい時間帯の夜中から作業をしているという事で、日中は 殆ど寝ている毎日だという。 それで照沼さんはレッスンの間は2階のアトリエでお昼寝。 8月21日(金) ☆今日も猛暑の一日。 夜明け前からシャワーのように鳴いていた蝉の声がぱたりと無くなって、とても静かな朝が還ってきた。 日中の陽射しも、宮崎県での最高気温はえびの市で37,1度で、ようやく峠を越えてきた。 ☆今日は一日、来年1月に開催予定の小作品展の準備に入る。 午前に、注文していた妻の版画のジークレー作品と額縁が届いた。 ジークレー作品は、写真データによるインクジェットプリントなので、見た目はわが家の安物のインクジェットでのプリントと変わりはない。 しかし確かに少しはクリアな印刷である。 何より、一般家庭でのインクジェットは褪色が早いが、ジークレーは70年は褪色しないらしい。 ☆私は今日から木版の制作に這入る。 しかし考えてみたら、大学ではエッチングとドライポイントを少しかじった程度で、木版はそれこそ単色の年賀状程度のものしかやったことが無い。 多色の木版画を制作したいので、ほとんど初心者そのもので技法書と首っ引きでの作業である。 ☆妻が水彩の小作品をジークレーで展示したいというので、スキャン作業をする。 8月20日(木) ☆今日も猛暑の一日。 しかし心なしか、すこし暑さが和らいだ感じ。 夕刻も涼しさを感じるようになった。 そして盛んだったワシワシ(クマゼミ)や蜩の鳴き声が絶えて、ツクツクボウシが鳴き始めた。 確実に秋は来ている。 ☆午後に伊藤先生より電話。 伊藤先生は体調を崩されてから、多くの仕事を整理されてきた。 にもかかわらず、今度の日曜日には日向市まで高校短歌甲子園に出掛けられるし、今朝の新聞には俵万智との審査による県内ワイナリー主催のワイン短歌大 賞の募集案内が載っていた。 あいかわらずとても忙しいのである。 だから、体調を崩して仕事を整理されていなかったら、毎日が原稿書きで、とてもではないが今回の私との作品集の短歌を詠む時間は無かったという。 私もコロナで海外シンポジウムが流れていなかったら、こんなに出版のことだけに集中することは不可能だった。 やはり、今回は来るべくして訪れた唯一のタイミングだったのだ。 だから、全国的に注目される本にしよう。 8月19日(水) ☆今日も猛暑日で、宮崎県では連日の全国最高気温が続く。 今日はえびの市で38,7度の全国1位の気温を記録した。 ☆久しく日本の夏に自宅に居なかったので、午前に数年ぶりに冷汁を作る。 煮干しの頭と腸を取り除いて、ごまと一緒に炒ってミキサーにかけ、それを味噌と練って焼き焦がし、だし汁で溶いてゆく。 そこへ涼味のあるきゅうり、大葉、茗荷、豆腐を入れて冷やす。 見かけは猫マンマだが、結構手間と時間のかかる郷土料理である。 食べるのは、味をしっかり馴染ませて明朝。 ☆宮崎県のコロナ患者は、今日は宮崎市で3名のあらたな感染者が確認されただけで、宮崎市以外での感染者は確認されなかった。 このまま落ち着いて行って欲しいが、必ず第3波が来るし、今年はまだ4カ月も残っている。 まだまだ大きな波乱があるような気がする。 8月18日(火) ☆今日も猛暑の一日。 宮崎県では都城市が全国1位の39,4度を記録。 全国の最高気温上位9位以内に、宮崎県の5カ所が這入った。 やはり今年は暑いのだろうか。 例年は、お盆を過ぎると一気に涼しい日がやって来るが、今年は連日の猛暑日である。 ☆それに、今年の異変はゴキブリがほとんど居なくて、小バエが多い。 我が家だけではなく、他の方に聞いても同じである。 私の場合は、夏はとても苦手で夏バテがひどかった。 しかし、今年はまったく夏バテが無い。 ずっと家の中でデスクワークをしているので、汗もかかず、それで過剰な水分を取ることも無いからだろうか。 ☆午前に歯科医院。 犬歯の土台の型取り。 ☆妻が今日は午前勤務だったので、午後から隣町の新富町のギャラリーへ一緒に出かける。 妻のサークル仲間の個展が今日から始まったので、顔出しもあったが、私たちも同じギャラリーで来年1月に小作品展を企画している。 それで何点ほど展示できるのかの事前調査も兼ねた。 ☆そうこうしていると、高鍋町から同じサークル仲間の方が来られ、すぐにコロナ感染の話題になった。 おそらく高鍋町でコロナ感染が発生してから、地区の方以外の高鍋町住民の方と会話したのは今日が初めてである。 立場上、色んな情報に詳しい方で、私たち夫婦の全く知らないごく身近での驚くべき感染情報があったりしたが、それでも情報が全く公開されていないので、知り 得る情報はほんの限られた範囲のものだけであった。 人口2万人の高鍋町で、すでに50人の方が感染されているが、私たちが特定できる方は10人に満たない。 つまり狭い高鍋町内で他に約40人もの方が感染されているのに、何処の誰だか町民には何の情報も無い。 こうなったら、本当に可能な限りの外出を控えて、自己防衛するしかない。 高鍋町民は、明日にでも当事者になってしまう高濃度の環境にある。 ☆鼻詰まりの状態でマスクをして絵を見るのはとても辛い。 呼吸困難になって、ときどきマスクを外さないと耐えられない。 やはりこの呼吸困難は、気管支炎と黄疸の後遺症もあるのだろうか。 8月17日(月) ☆今日も猛暑が続く。 宮崎県内では西米良村で、観測史上最高気温の39,7度を記録。 他にも同村を含む4地点で、観測史上最高気温を記録。 我が家の玄関先の柊の葉も真っ黒に灼けてしまっている。 ☆宮崎県の外出自粛要請解除を受けて、妻は今日から職場復帰。 私は最低限の所要以外は家に籠って、デスクワーク。 ☆H.I.S宮崎営業所の担当者から、宮崎営業所を8月31日で終了するという電話連絡があった。 全国の支店の大幅縮小の方向だというニュースは目にしていたので気にはなっていた。 今の状況では致し方ない。 ただ状況が以前並みに恢復すれば、営業所再開の見込みではあるということ。 ぜひそうなってほしい。 ☆太腿の激痛がかなり和らいできていたのだが、今日は恢復状態が劇的に好転して、夜までにはほとんど痛みが消えた。 股関節の痛みが少し残るくらいで、太腿のトリガーポイントは消えた。 別にストレッチをやっている訳ではなく、風呂上りに少し猫背を延ばすストレッチをしているくらいである。 このまま恢復してくれるとありがたい。 ☆今日は同窓生のN君のお父さんの通夜だったが、今は葬儀は近親者のみなので、電報を打つ。 8月16日(日) ☆今日も猛暑日。 宮崎県内では、都城市が37,7度、小林市が37,1度の観測史上最高気温を記録。 西米良村では38、7度、美郷町神門で37,4度を記録した。 ☆こういう暑い日には外出は禁物。 私も妻も一歩も外に出ず。 ☆伊藤先生の短歌を英訳してもらうのに、キチンと縦書きしたものが必要と思い、ワードで打ち直す。 ☆伊藤先生から、岐阜県の池田町で開催されている「芸術の連鎖祭り」のカタログが届く。 このイベントは絵画や彫刻等の造形に対して、歌人が短歌でコラボすると言うもので、今年で17回目である。 参加している歌人たちが、伊藤先生を始め、現代短歌の錚々たる著名な歌人たちである。 それで伊藤先生も、絵画や彫刻の写真を見て短歌を詠むことには経験済みということなのであった。 その中に、岐阜県在住のイタリア人女性作家の絵画とコラボした歌人の短歌が、Tankaとして英訳してあった。 ☆宮崎県のあらたなコロナ感染者は6名で、今日も高鍋町から1名の確認者が出た。 今日、数週間ぶりに同じ地区の方と言葉を交わしたら、やはり皆さん、ネットと新聞で知る以外の情報が全く無いということ。 そして我が家同様に、渦中の町の中心部に住んでいるがゆえにお互いに情報を尋ねるのもはばかられて、一切の情報が這入ってこないということである。 したがって、こうしてまだ今でも高鍋町内でコロナ感染者が確認されてくると、いよいよいつどこで感染してしまうかまったく予防の仕様がない。 できるだけ外出を避け、人と会うのを避けて、自己防衛に徹するよりない。 ただ感染者数は治まって来ているので、県内の飲食店への休業・時短営業要請は予定通りに今日までで、明日には解除されることになった。 ☆今回の第2波の感染は感染力はとても強いが、多くは軽症である。 それでコロナ感染は風邪程度の認識しかない人が多いが、実際は多くの人が後遺症に苦しんでおられるようだ。 その後遺症の主なものは、倦怠感と呼吸の苦しさだという。 昨日の日記にも書いたが、私は小学6年の夏に、夏祭りの間ずっと雨に中に居て、それから気管支炎を患った。 まったく自然な呼吸が出来なくなってしまった。 苦しくて苦しくてたまらない毎日だった。 今でも、体調が悪くなるとこの呼吸できない苦しさが襲って来る。 そして度々この日記に書いているように、25歳でのインド大陸放浪の初めに、パキスタンの山中で黄疸にかかった。 その苦しさは気管支炎の苦しさどころではなかった。 私は結婚するまでの独身時代は、ずっと毎日のようにこの黄疸時の苦しさの後遺症に悩まされた。 工房勤務を辞めた理由も、この後遺症の苦しさが第一原因だった。 結婚してからはいつの間にか苦しさが薄らいできたが、昨年のルーマニアあたりからまたこの苦しさが蘇ってきた。 妻にどう苦しいのかと問われるが、言葉では上手く表現できない。 25歳で黄疸をわずらって以来、46年経った今でも後遺症に悩まされている。 これにコロナウイルスの後遺症の呼吸困難が加わったらたまらない。 だから絶対にコロナには感染したくない。 ☆太腿の激痛がかなり和らいできた。 椅子に座ったり立ちあがったりの所作に、激痛が伴うことが無くなってきた。 8月15日(土) ☆今日も宮崎県内は各地で猛暑日となった。 美郷町神門で観測史上最高となる38,1度を記録。 ☆午前にO内科医院で定期検診。 先日の1日健診での結果について、主治医としての判断を伺う。 血液等の検査数値については、お酒の量を控えることくらい、といういつもの判断。 また異常のあった胸部レントゲンについては、再度レントゲンを撮ってもらった結果、影として写っているものは過去の何等かの病気の時の翳で、例えば気管支炎 とかの名残で全く心配ないということ。 実際、私は小学6年の夏に気管支炎を患っているので安心した。 念のため一応、尿と血液の採取をして検査してもらう。 ☆病院の待合室でマスクをかけて待っているのがひどく辛かった。 普段から蓄膿症で鼻詰まりなのに加えて、夏風邪気味で鼻が完全に詰まっているので、マスクをしていると息苦しくてたまらない。 ときどきマスクを外さないと息が出来ない。 そういう状態でTVを見ていると、息苦しさでメガネも曇って、TVもカゲロウの中である。 子供達はこんな状態で学校の授業を受けているのだろうか。 まったく授業など頭に這入らないだろう。 ☆病院での私の前の患者が、私の中学1年時のクラス担任夫妻だった。 退職互助会の広報に新会員で私の名前を見て、私の妻が退職したのかなと思っておられたということ。 ☆夜に送り火をする。 8月14日(金) ☆今日も猛暑日の炎熱。 しかし夏らしい空と雲。 ☆午前に妻の実家の墓参で日向市へ。 今は市営墓地に墓があるが、昔は実家の裏手の墓地に墓があり、お盆の夕暮れに墓参に行くと墓碑の上に火の玉が浮いているのを見たことがあるという妻。 一緒に行った義兄に声をかけると、兄と一緒に見ると火の玉は消え、再び妻が一人で見ると火の玉が現れたのだという。 私の父方の叔母も勤務先の近くで火の玉を見たことがあると言っていたので、女性にはそういう感性が強い人が多いのだろう。 ☆昼過ぎまで義姉宅で近況話をして過ごす。 3時前に高鍋へ帰宅。 8月13日(木) ☆今日も熱風の猛暑日。 マレーシアより暑い。 ☆午前に再び妻と墓参。 昨日は線香を忘れて、花だけ入れ替えていた。 ☆一日、たまっていた新聞記事のスキャン作業。 6年ほど前から書斎に山積みになっていたものをようやくデータ化する。 ☆インクジェットプリンターで作品を複製するのを、美術用語でジークレーと言う。 近年はこのジークレーが新しい版画の技法として認知され、きちんとした美術品として扱われている。 ルーブル美術館やメトロポリタン美術館もこのジークレー作品を展示するようになっている。 インクジェットでのプリントなので、作品の単価が抑えられる。 勿論、原理的には自宅のプリンターでのプリント作品と同じなのだが、精密なプリンターで最高級の素材にプリントし、作家のサインが這入った物が美術品となる。 来年1月に予定している妻との版画展にも、このジークレーでの作品を展示販売したいと思っている。 そうすればオリジナルを手放さなくて済むし、購入者には美術館で展示できるレベルのものを安く販売できる。 今はこのジークレー作品を制作する工房があるので、取りあえず妻の作品を1点制作してもらうことにした。 最初のデータ作成等の費用の出費だけで、後は印刷費用だけで追加制作が出来る。 データは工房が10年間保存してくれる。 現物が届いて、納得いけば追加注文すればよい。 ☆宮崎県の新たなコロナ感染者は、今日は宮崎市内の3人以外は高鍋町内での2人であった。 高鍋町は家族内での感染のようである。 本当に、高鍋町内ではまだまだ気が抜けない。 ウイルス感染は必ず2治、3次が来るという。 今は2次感染拡大中なのか。 そうするとこの先に3次感染が来る可能性は高いので、やはり年が明けても気が抜けないのではないのだろうか。 ☆夜にお盆の迎え火を焚く。 8月12日(水) ☆今日も猛暑日の一日。 宮崎県内では宮崎市で37,3度。 熱風が吹き渡る。 しかしこれが正常の夏。 ☆今朝も太腿の痛みが和らいでいたので、ひょっとして・・・、と思って少し普通に動きすぎたのがいけなかった。 太腿の激痛が再発して、今日は歩くことも困難で、立っていることもできなくなってしまった。 やはり、歯の痛み止めの薬が効いていただけであった。 しかし、椅子からの立ち上がりや座る時の動作はかなり楽になった気がする。 ☆午前のうちに妻と墓参。 ☆午後は眠くて、しばらく午睡。 ☆作品集掲載の作品画像のうち、私が撮った物ではない画像の撮影者の確認作業をしているが、今日は以前に使っていたパソコンを起動して、画像添付の受信 メールをチェックし、ようやくある作品画像の送り主が判った。 こういうことの記録をきちんとやっておかなければならないのだ。 ☆出版の下準備が一段落したので、来年1月に予定している妻との版画展の下準備に入る。 ☆宮崎県のコロナ感染者は今日も5名が新たに確認されたが、久しぶりに高鍋町内からも確認者が出た。 高鍋町内からの感染者はもう治まったか、と思っていたので、少々驚きであった。 やはり当分は気を抜けない。 8月11日(火) ☆今日も晴れたり曇ったり、時折雨の降る不安定な一日。 全国的な猛暑だったようだが、高鍋でも外は熱風であった。 ☆昨夜、片貝さんたちが帰られるときに一匹の蜩が家の中に闖入してきた。 今朝、リビングの入口の床に仰向けで転がっていたので死骸だろうと思って片付けようと手を触れたら、元気よく飛んで行った。 お盆なので、御先祖が蝉と一緒になって帰って来たのかと思った。 妻は、幼いころからお盆になると家の上に祖霊が浮いているのが視えていたという人なので、気になる出来事であった。 ☆午前に歯科医院。 仮歯を入れていた虫歯の根っこがかなり傷んでいて、歯茎も大きく腫れているので、抜歯することになった。 麻酔を打って抜歯したが、根っこがかなり大きかったので、抜歯後に縫合した。 麻酔が効いていても痛い。 お昼に痛み止めを呑んだが、お昼を摂ることもできず、側頭痛までして来て、午後2時までリビングのフロアーで伸びていた。 ☆ようやく2時に起きて、雑炊を作って喉に流し込む。 そして、昨日に作成した合同作品集の作品画像と短歌との照合一覧に打ち込んだ短歌の打ち込みミスをチェックし、修正する。 気が付いたら、痛み止めが効いてきて、歯の痛みは全く無くなった。 ☆そこへ伊藤先生から電話があり、あとがきが出来たので読んで欲しいと言われる。 さっそくFAXで送ってもらった。 ☆私のそうした一連の作業を傍らで見ていた妻が、私の動作にいちいち太腿の激痛で顔をゆがめていた動作が無いけど?と言う。 言われてみれば、椅子からの立ち上がりや座る時の、太腿の激痛が和らいでいる。 これと言ったストレッチもしていないので、歯の痛み止めが太腿の激痛にも効いているのではないのだろうか。 8月10日(祝・月) ☆夜中に激しい雨。 日中は台風の影響も無かったが、一日曇天状態で時折の雨。 ☆朝一に伊藤先生から”自信作!”の短歌50首の手書き原稿が届いた。 出版社の担当者に送るべく、原稿をスキャンする。 そして作品と短歌の入れ違いミスが起きないように、作品画像一覧に短歌を打ち込む。 今日は祝日なので、明日にでも出版社へ送りたい。 短歌を一覧に打ち込みながら全ての短歌に目を通したが、伊藤先生の短歌によって私の作品の世界が実に豊かな広がりを見せてくれている。 日本国内に設置されている私の作品の傍らに、詠んでいただいた伊藤先生の短歌の碑を建てたいほどだ。 編集作業が楽しみになってきた。 ☆午前にピアノの調律。 妻の弟の同級生が宮崎市で調律師をやっておられるのが判り、宮崎市から来ていただいた。 ☆午後に妻のボーカルレッスン。 私は今日はジョイントは無く、傍らで伊藤先生の短歌の打ち込み作業をする。 ☆講師の片貝さんは、今日もコロナ感染を避けて、照沼さんの車で来られた。 実は10日ほど前が照沼さんの誕生日だったので、その日に原木生ハムのピザで誕生祝を予定していた。 しかし丁度高鍋町でコロナ感染が一気に拡大した時だったので、高鍋にお呼びすることができなかった。 幸い高鍋町でのコロナ感染は落ちついて来たし、原木生ハムも残り少なくなってきたので、急遽、今夜は誕生パーティーをすることになった。 ☆早速、短歌の打ち込み作業を終えて、ピザ生地を仕込んだり準備をする。 ☆夕刻から照沼さんの誕生パーティー。 照沼さんの面白仰天の音楽人生の話を肴に楽しく呑む。(ちなみに照沼さんはお酒が呑めない) 8月9日(日) ☆台風5号の発生で不安定な天候。 朝のうちは好く晴れていたが、10時前からにわかに雨雲が湧き、昼前後ににわか雨。 午後には天候は回復したが、夕刻に虹が立つ。 蒸し暑い真夏日。 ☆昨夜の嘔吐下痢症は今朝には落ち着いて、朝食も摂れた。 あれだけ体中のものを出しきったので、さぞや1,2キロは体重が落ちているだろうと思ったが、わずか100gしか減っていなかった。 ☆体調も回復したので、午前に妻に誘われて宮崎県立美術館で開催中の”美術館に行こう! ディック・ブルーナに学ぶモダン・アートの楽しみ方”を観に行く。 私は殆ど何の興味も無かったし、行きの車中ではやはり体調不良で美術館どころではないという気分だったが、これが実に面白い展覧会だった。 ブルーナーの仕事の紹介もさることながら、構成がミッフィーに美術館の面白さを伝える内容というもので、随所に宮崎県立美術館の収蔵品が展示してある。 久し振りに観る瑛九の作品や初めて観る児嶋虎次郎の若い女性像など、思わぬ作品群にたちまち心を奪われてしまった。 体調不良など吹っ飛んでしまって、誰よりもじっくり時間をかけて見て行った。 面白かったのは、子供向けのミッフィーのキャラクター展示に対して、肝心の子供たちは”こんなの面白くない!”と駄々をこねている傍らで、お父さんお母さんたち が熱心に観ているのであった。 子供たちにとっては壁に額入りで掛けられたミッフィーなど興味が無いのだろう。 ☆常設のコレクション展も”たのしむ美術館”と言う構成で、子供にでも興味を持ってもらえるような投げかけ方で、初めて観る作品も多く、楽しめた。 保田井智之氏の最近収蔵された彫刻もあって、収穫の多い宮崎県立美術館であった。 ☆午後はさすがにどっと疲れが出て、午睡をする。 体調は、夕刻までには全く正常に回復した。 8月8日(土) ☆立秋に這入ったからか、一晩中、蜩が鳴き続ける。 今日も猛暑の一日。 風は吹き渡っていたのだが、気温がぐんぐん上昇。 宮崎市が全国1位の37度、高鍋町でも35度の猛暑日となった。 ☆午前に、作品集のデータ・コメント一覧の画像入れ替え作業ほか。 また掲載画像の多くは私の撮った画像だが、主催側から送られてきた海外作品の画像もあるので、作品データに撮影者を記載しなければならない。 しかし、誰が送ってくれたのかももうわからなくなってしまっている画像もいくつかある。 ☆午後に伊藤先生より電話。 画像の入れ替えにより画像と合わなくなった短歌にについては、詠み直すので問題は無いということ。 そして今回は私の作品画像とコメントを読みながらの作歌が楽しくてたまらず、もう50首を詠んでしまわれたということ。 さらに添付した私の”あとがき”を読まれて、合同作品出版に至った私の中の経緯についての詳細を初めて知り、そうだったのかと納得されたということ。 先生が高鍋高校に着任されて作られた短歌同好会の第一号会員が私たちであることや、その”錨”という会誌のことや、同級生の結婚式のあとに同級のみんなで 新築されたばかりの先生のお宅に押し掛けたことなど、当の私がすっかり記憶にないことなどをよく覚えておられた。 その同級生たちのことも短歌に詠まれており、先生の”あとがき”にはそうしたことにも触れたいということであった。 ☆夕食後に何時ものように妻とライブの練習をしていたら、ハーモニカを吹きながらお腹の調子がおかしくなってきた。 ハーモニカを吹き終わってトイレへ駆け込むと、半ば便秘状態で訳の分からぬ苦しさに襲われてしまった。 トイレの中で悶絶する私の姿に、かつて花見の宴で得体のしれない激しい腹痛に見舞われて、救急車で宮崎市の病院まで運ばれたことを想い出した妻は、救急 車は呼ばなくても良いかと心配する。 その心配は要らないと答えたが、途中から吐き気も催して来て、上から下から体中の中のものをすべて吐き出してしまった。 そのまま、リビングのフロアーに横になってしまう。 原因は分からないが、先日から暑さのせいか、またインド放浪中の黄疸になった時の苦しさが甦って来ていたことも関係しているのかもしれない。 しかし熱や咳等の症状(今はこういう症状が出たら即、アウト)は無いのに、昨日から声がガラガラに枯れてしまっている。 おそらく、風邪による嘔吐下痢症ではないのか。 そう言えば、最近は風邪気味で今夜のような嘔吐下痢症で悶絶することが多くなってきているのを思い出した。 ☆宮崎県のコロナ感染者は今日も新たに13名の感染が確認された。 その中でお隣の新富町では、航空自衛隊新田原基地の隊員の感染者が拡大しているのが気になる。 高鍋町での新しい感染者はない。 今日は高鍋町の商店街で買い物をしたが、もう初めのころに感染された方たちも戻って来られていて、閉まっていたお店も開き始めた。 インドで同室だった中国作家のガオ・メンにコンタクトを取ってみたら元気だった。 8月7日(金) 立秋 ☆今日も暑い一日。 しかし空は靄がかかった状態で、風もあった。 ☆昨日、出版社での作業中のパソコンが異常に重くて、作業が全然捗らなかった。 そして、夜にパソコンを開いたら、キーボードのアルファベットが打てず、数字しか出て来なくなってしまった。 こういう事は初めてで、ネットで調べようにも文字の入力が出来ない。 その状態は今朝も同じだったので、システムの復元をかけてみた。 ところが画面が表示できなくなってしまった。 何度再起動をかけても画面は真っ暗のままである。 とうとうこのパソコンも壊れてしまったか、どうしようと暗澹たる思いでしばらく放って置いたら、画面が元に戻ってキーボードも正常に戻ってくれた。 やれやれである。 ☆昼前に伊藤先生から、昨日の出版社での打ち合わせ内容についての確認の電話。 午後には入れ替え画像の一覧を作成し、掲載画像・データ一覧も変更し、私の”あとがき”も添付して、レターパックで伊藤先生へ送る。 ☆夜になって、次男から哀しい知らせが届いた。 今月に予定していた次男たちのバンドの宮崎公演が、今日になって中止と決まった。 最近のコロナ感染状況で、東京からの宮崎入りは無理ではないだろうかと妻とも話していたのだが、やはりこういう結果が出ると、胸が締め付けられた。 コロナの状況がすっかり落ち着いてからの宮崎ライブに期待しよう。 8月6日(木) ☆この夏一番の暑さ。 宮崎県内では美郷町で36,7度、宮崎市で36、3度の猛暑日。 ☆午後に宮崎市へ出て、出版社で出版の打ち合わせ。 先日預けていた画像で、出版社の社長が幾つかのレイアウト雛型を作っていただいていた。 もう殆ど作品集のページサンプルに等しくて、感激した。 本のサイズも前回の打ち合わせより大きくなっていて、社長がレイアウトしながら適切なサイズを出されたということ。 編集担当の水元さんとで、掲載画像の最終決定作業をする。 それに出版社社長の考えも取り入れての最終決定となった。 伊藤先生の短歌が届き次第レイアウト編集作業に入り、次に私が出かける時にはもう校正作業に入る。 ☆一日健診の結果が届いた。 血液と尿検査の結果は、受診した当日に担当医から話は伺っているので問題は無い。 バリウムを呑んでの胃カメラ検査は異常なしで、胃癌の心配は無し。 ただ再検査をした眼底カメラはやはり左目に異常が見つかった。 一昨年にFRP作業中にFRPが目の中に這入って眼科で検査をしてもらった時には何も異常が無かった。 ネットで調べると一日ドックでよく指摘されることではあるらしいが、念のため近いうちに精密検査をしてもらおう。 それから胸部レントゲンに幾つか異常が見つかった。 骨折もしていないのに肋骨が2本骨折しているという結果が出ているので、あまりあてにならないが、他の2つの異常は全く分からないので、東京の病院でレントゲ ン技師をしている長男に問い合わせる。 レントゲンはかかりつけのO内科で毎年の健康診断で撮ってもらっていて、これまでに異常を指摘されたことも無いので、来週に予定している定期検診で問い合わ せてみることにする。 この年齢になると、私の同窓生たちは多くの人が何らかの健康異常を患っているので、色んな故障が出て来るだろう。 現に、太腿の痛みはまったく好くならない。 ☆宮崎県のコロナ感染者は今日も16名が確認された。 そしてまた高鍋町でも感染者が確認された。 最近の感染者は、感染経路が不明で、今日の感染者も行動歴が判明しているのは1名のみということである。 こうなったら、どこでどう感染するやらまったく対処の仕様がない。 徹底した自己防衛しかない。 8月5日(水) ☆夜中はエアコンをつけていても蒸し暑い。 日中も窓を開けていると、熱風が這入って来る。 暑い暑い一日。 でもこれが正常。 ☆明日の午後に出版社との打ち合わせなので、コメントと作品データ一覧をプリントアウト。 そして”あとがき”の修正作業。 締めがなかなかまとまらない。 ☆昨日に引き続き、新聞記事のスキャン作業。 ☆今日の宮崎県のコロナ感染者は8名。 高鍋町は今日も感染者は出らず、落ち着いたようだ。 だが今日になって宮崎県内ではさらに2人が重症化した。 8月4日(火) ☆今日も非常に蒸し暑い一日。 ☆午前に歯科医院。 今日は前歯の虫歯の神経を抜く。 治療は当分続く。 ☆午後に伊藤先生より連絡。 明後日の出版社との打ち合わせに、伊藤先生の短歌がどんな感じのものが上がって来るのかを把握できたほうが編集のイメージが立てやすいのはないか、という こと。 それで現在作歌されている一部の歌をFAXで送っていただいた。 取りあえず”MOON DANCE”の作品6点を詠んでいただいた6首が届いた。 作品画像そのものからの印象よりも、私の添えたコメントで膨らませたイメージで歌われているようであった。 ”月”がテーマの作品なのに、”まぐはい”が詠まれたり、”月彦・月姫”という美しい語句が詠まれたり、”月”という単語が全く使われていない歌が有ったり、非常に ロマンティックでかつエロチックで、読みながらゾクゾクしてきた。 私の作品世界が、伊藤先生の短歌によって幾層にも深く深く広がっている。 これは読者が手に取っても、非常にわくわくぞくぞくとさせられるエキセントリックな素晴らしい本になりそうである。 伊藤先生は詠むのがとても楽しくて、もうお盆前には50首詠み終えると言われる。 ☆夕刻に新聞記事のスキャン作業の続き。 やっぱり、データ化したほうが、整理はしやすい。 ☆宮崎県のコロナ感染者は今日も12名が確認されたが、高鍋町は今日も感染者はなし。 このまま治まって欲しい。 ただやはり、感染者は退院してもつらい後遺症が続くようだ。 何より今の日本は、酷い風評被害と闘っていかなければならない精神的なダメージが大きい。 8月3日(月) ☆非常に蒸し暑い一日。 ☆妻が今日は一日健診だったので、昨夜は酒を一滴も飲まず、豆腐や納豆のほぼベジタリアンの夕食を早目に摂ったら、今朝は大幅に体重が減った。 食事で体重が減らせるのかも。 ☆リビングに溜まっている新聞記事をスキャンしてしまおうと思ったが、スキャナーの調子が今ひとつで途中から作業がストップしてしまった。 作業しながら、果たしてこうしてスキャンしてデータ保存するのと、従来通りに切り抜きをフォルダに保存するのと、どちらが効率的なのだろうかと考え込んでしまっ た。 ☆今日も太腿激痛のためのストレッチを少し。 テニスボールによるトリガーポイントの刺激を再度試みるが、やはりどこがトリガーポイントなのかわからない。 ☆宮崎県のコロナ感染確認者は、今日は8名だった。 今日は高鍋町内の感染者はようやくゼロになった。 クラスター関係の検査が一段落したのだろう。 そして、もう高鍋町で感染後に入院されていた方たちの退院が始まった。 今回は殆どの方が軽症か症状なしだったので(今日になって重症化した患者が1名確認されたが)、入院中は投薬も治療も無く、ただ単に隔離生活だったようだ。 そうなると、コロナ感染による死亡者よりも毎年のインフルエンザでの死亡者の方が多いのではないのか、とも思った。 しかし、”毎年冬から春に流行する季節性インフルエンザと、今回の新型コロナウイルスは毒性が明らかに異なり、季節性インフルエンザ感染で死亡する場合は、 そのほとんどが2次的に発生した細菌感染によるもので、ウイルス性肺炎やサイトカインストームを起こす患者は少数”だということである。 米国医師会雑誌でも次のように、インフルエンザの死亡者とコロナ感染の死亡者との単純比較に警告している。 ”COVID-19と季節性インフルエンザによる死亡数が見かけ上は同様であるが、臨床の最前線、特に人工呼吸器が不足し、多くの病院が限界を超えているパンデ ミック地域における状況と異なる。 COVID-19危機において病院医療に対する需要の高まりは、インフルエンザが最悪であった季節でも米国で発生したことはなかった。” 今日、買い物中に出会った知人が、今回のコロナ感染者の症状が軽くて、退院も早かったので、コロナは単なる風邪程度のものにしか過ぎないという認識を示して いたが、それは完全な間違いであるということだ。 過剰反応になることもないが、しかしやはり感染は避けるべきなのだ。 8月2日(日) ☆蒸し暑い晴天の夏日。 ☆太腿の痛みがひどくなるばかりで、これでは制作にも復帰できない。 車に乗るにも、車の乗り入れ時に激痛が走って、しばらく動けない。 整形外科のリハビリも効果がない上に、コロナでリハビリが出来なくなったので、今日は一日、いろいろとストレッチをやってみる。 トリガーポイントと言うのは体中に在るらしく、ネットで調べると、テニスボールでこのトリガーポイントを刺激する方法と言うのがあったので、ダイソーでテニスボー ルを買ってきて試してみる。 しかし、押して痛いところはトリガーポイントではないとある。 何度かやってみるが、よくわからない。 やはり一度、整体治療院で診て貰って、自分でできるストレッチの方法を教えてもらうのが一番良いのではと思う。 ☆夕刻に、合同作品集の”あとがき”の下書き。 この下書きをベースに、出版社と打ち合わせながら字数等の修正をしてゆく。 ☆宮崎県のコロナ感染確認者は、今日はこれまでの最多の30名となった。 延岡市でのクラスター発生を受けて、西都児湯圏域に続いて、延岡・西臼杵地域を「感染状況が厳しい圏域(レベル3)」に引き上げた。 この1週間での宮崎県での感染者増加の10万人当たりの比率は、全国で6番目に高い10.61人になるという。 これまでは、コロナ感染者はとても少ない宮崎県であった。 しかし高鍋町は今日も1名の感染者が出たので、人口2万人の高鍋町で累計45名の感染者となり、これを10万人規模に直すと、高鍋町の発生率は10万人当たり で225人になるのである。 8月1日(土) ☆暑い暑い、蒸し暑い一日。 今日から8月に這入った。 蝉の声だけがいつもの夏らしさを奏でているが、毎週町内の何処かで開かれていた神社の夏祭りは無い。 子供たちにとって、無味乾燥な夏となっている。 ☆午前に宮崎市青島まで妻と出かける。 2月に宿泊した青島サンクマールで買った青島の塩が切れて、料理の味がガクンと落ちてしまったので、その塩を買い求めたいのと、この1週間の間、家から一歩 も出れなかった妻の息抜きが目的であった。 ただ残念ながら、目的の塩はもう売店から消えてしまっていた。 折角来たので、通常なら温泉にでも入るところだが、温泉施設でのコロナ感染が多いので、今回は控えた。 だが驚いたのは、青島や白浜海水浴場への観光客の多いことである。 何時ものようにぞろぞろと、家族連れの観光客が海に向かっている。 青島サンクマールの売店の方に聞くと、県外ナンバーの車がひっきりなしだという。 街中でも、自転車通学の高校生はほとんどマスクをしていない。 ☆最低限の買いものにだけ立ち寄って、早目に帰宅する。 ☆午後は文化年鑑のまとめ。 夕刻までに投函。 引き続き、合同作品集の”あとがき”の下書きに這入る。 ☆宮崎県のコロナ感染者は今日も16人が確認された。 延岡市のクラスターは会社ではなく、会社の方たちが呑み会で訪れたスナックがクラスター発生と発表された。 高鍋町では今日も1名が確認されたが、ここ1,2日はお隣の新富町の方が感染者が多くなってきた。 それで、昨日までは食料の買い出しは新富町に出掛けていたのが、かえって危険だと分かり、夕刻はいつもの町内のスーパーへ行く。 ☆コロナ感染が確認されてから、初めて商店街を車で通ってみた。 休業要請は出されていない接待を共なわない居酒屋やレストラン等の多くに臨時休業の張り紙がしてあった。 大変な状況である。 ☆ドコモからスマホにCOCOAのインストール案内が来ていたので、指示通りにやったら、今日はあっという間にインストールできた。 妻のスマホにもインストールする。 7月31日(金) ☆蒸し暑い夏日。 ☆昨日リビングの片付けをしていたら、宮崎県文化年鑑の原稿締め切りがとっくに過ぎていたことに気付いた。 今日は一日、令和元年度の彫刻部門の宮崎県文化年鑑の原稿纏め。 各展覧会の感想はこの日記に書いているので、コピーして整理すればいいのだが、今回はあたらしい統合展のために県内の2つの公募展は最終だったので、どち らも同じような締めの文章になってしまう。 とうとう、今日中にはまとめきらず。 ☆宮崎県内のコロナ感染は、延岡市の会社でクラスターが発生して、20名の追加となった。 高鍋町も2名が確認されたが、スナックのクラスター関係者はほぼ確認作業が終わったようだ。 今日現在で高鍋町の感染者は43名となっており、情報が這入った以外にも私の知っている人がまだ感染しているのかもしれない。 ☆ほとんど関心も何もなかったのだが、心配になって新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)をインストールしようと思った。 しかし何度やってもうまく行かない。 妻のスマホでやってみてもうまく行かない。 ☆今日は一歩も家から出ず。 町内費も各戸集金に廻れないので、来月分にまとめられることになった。 高鍋町の中心街は真夏のゴーストタウンである。 7月30日(木) ☆晴天の一日。 今朝も町じゅうが白い靄に包まれ、かなり長い間が靄の中であった。 靄が晴れると、一気に真っ青な夏空。 蒸し暑い一日。 ☆午前10時過ぎに、幾分昂揚した伊藤先生から電話。 何事かと心配したが、思いもかけない内容であった。 ”田中君の作品は素晴らしいね。それに設置されている環境との関係がすごくいいね。コメントもすごくいいよ。 ぼくは田中君の作品画像とコメントに触発されて、次々に歌が生まれて来ている。 自画自賛だけど、すごくいい歌が次々に湧いてくる。 ぼくは時間がなかったら、旧作を加えようと思っていたが、何のことは無い、あっという間に新作ばかりが50首出来上がるよ。 歌を詠むのが楽しくて、他の仕事は全て放って置いて、この作品集の歌に集中しているよ。 これは世界で初めての作品集だよ。 何人かの歌人と何人かの画家とのアンソロジーは在るけれど、一人の彫刻家と一人の歌人のアンソロジーなんて聞いたことは無い。 これはすごく面白い本になるよ。 ☆伊藤先生は体調不良で、午前中はまだ誰とも会ったり、話したりできないという状態である。 その伊藤先生が朝のうちに、ひどく昂ぶった気持ちで私に電話を寄越していただいた。 今回の出版作業が、先生に元気を与えている。 すごく嬉しい出来事であった。 ☆それでつくづく思った。 伊藤先生が私のことを詠んでくださって、手紙を頂いたのが41年前の1979年3月のこと。 そして佐々木幸綱氏に、君と伊藤君との合同作品集を出したまえと言われたのが24年前の1996年3月のこと。 やはり、50点もの作品を収めて、伊藤先生に歌を詠んでもらった本を出版するためには、40年以上の時間が必要だったのだ。 いまが絶好のタイミングだったのだ。 これまでの胸の中にぐずぐずとしてわだかまった40年余の時間の流れは、必要な時間の蓄積だったのだ。 自分の生き様を納得できる感慨であった。 なんとしてでも、好い本にしたい。 ☆宮崎県のコロナ感染は勢いを増すばかりである。 今日も16人が感染を確認された。 高鍋町でも4名の方が確認され、とうとう70代が2名確認された。 スナックのクラスター関係はほぼ調査が終わったので、今は2次感染、3次感染あるいはまったく違う経路からの感染が広がっているという事だろう。 私は仕事柄、人と接することは殆ど無いので、2次感染、3次感染の心配はないとは思うが、万が一を考慮して、食料の買い出しには隣町へ出かける。 妻は今週は一歩も家の外に出ていない。 7月29日(水) ☆晴天の蒸し暑い一日。 早朝のうちは真っ白な靄がかかっていた。 ☆夜明け前、5時前に我が家の敷地内に這入って来る足音。 我が家の庭には砂利が敷いてあるので、人が這入ってくればすぐにわかる。 様子から、こっそり這入って来たのではなく、すたすたと迷いなく這入って来て、玄関辺りで何かを捜しながら出て行った。 足音がしなくなって外に出てみたが、何も取られた気配はない。 新聞配達かなと思ったが、新聞配達ならバイクの音がするが、妻の耳には自転車らしい音がしたと言う。 足音から、小柄な男性である。 妻と2人で気味悪がっていたが、ためらいなく這入って来ているので、やはり新聞配達ではないかと思った。 それで気が付いたのはコロナ感染である。 町中はコロナ感染だらけなので、新聞販売所がコロナ感染を配慮して、何時もの配達員に町中を配達することを止めさせて、販売所のおじさんが自ら自転車で配 達して回るようになり、我が家の新聞受けが判らなかったのではないのか。 おそらくそういうことだったのだろう。 ☆朝一に歯科医院。 コロナで閉まっている歯科医院もあるということだったが、私の通っている歯科医院は営業していた。 ただ、何時もはスリッパに履き替えて診察室に入るが、今日は土足のままだった。 ドクターが、”田中さんもあのスナックに行ったんじゃあないんですか?”と冗談を言うが、やはり7月18日の週はドクターも呑み方の誘いが多かったそうで、そういう 最も気が緩んでいたタイミングだったのだろう。 ☆午後に、年賀状の断捨離の続き。 ようやくほぼ片付いた。 ☆宮崎でのコロナ拡大は今日も広がり、延岡市でも4名の感染者が出た。 高鍋町も4名の感染者が出て、日向市、宮崎市での感染者を加えて今日で12名の感染者が加わった。 高鍋町は今日現在で38名の感染者である。 人口2万人の小さな町でのこの感染者数は、全国的にも特筆すべき事態となっている。 幸い殆どは軽症者で重傷者はいない。 ただ今日は感染経路が不明な人が多くなってきて、市中感染の恐れが出てきた。 そうなると、いよいよ何時、誰が、突然の感染者になるかまったく分からない状況になってきた。 ☆町の防災放送がハウリングを起こして、まったく内容が聞き取れない。 役場が何かを伝えようとしているのだが、何を言っているのか理解できない。 ☆インドのカルカッタから、来年2月の木彫シンポジウムの案内が届いた。 夜にオルガナイザーから電話が這入ったが、夕食の準備中だったので、スマホを取るともう切れてしまった。 だがインドはコロナ感染者が今も拡大中で、アメリカ、ブラジルに次ぐ震源地である。 来年2月までに治まるとは思えないし、インドへの渡航禁止も解かれていないだろう。 そして、いまでも秋口にシンポジウムを開催しエントリーを受け付けているところもある。 ヨーロッパでも第2波が来ていると言うのに、エントリーする作家が居るのかと首をかしげてしまう。 7月28日(火) ☆ようやく梅雨が明けた。 平年より14日も遅い。 午前は上天気だったが、まだ雲は不安定で午後からは雲が出る。 ☆コロナ感染の勢いがさらに加速している。 今日も高鍋を中心に児湯圏域で11名、宮崎市で9名の感染者が出た。 宮崎市の感染者の中には、理髪店関係の5次感染という方がおられた。 宮崎と言うところは実に人間関係が狭い処である。 全然何の縁も無い赤の他人だと思っていた人が、思いがけずにすごく縁の近い人だったと言うことがある。 最近では同窓生との話題でもそういう話がよく出るようになった。 だから、未だに感染された方への罵詈雑言を叫んでいる連中が居るが、気が付いたら自分がそうなっている可能性がすごく高いのである。 ☆感染禍の只中に在る我が家は殆ど何も情報が無いのだが、少しずつ情報が這入って来て、えっ?!ということが起きている。 県の感染者情報のPDF文書に目を通していたら、僅かながら耳に這入って来た情報の中には全く含まれていなかった感染者の接触者情報に、思いがけない関係 者が感染していたことに気がついたり・・・。 今日も、私も妻も家から一歩も出ず。 そして、怖いのと気の毒なのとで、感染確認以来、商店街はまったく通っていない。 ネットでのTVニュースでの高鍋町の商店街の様子を見ると、猫一匹歩いていない。 ほぼゴーストタウンである。 ☆午後に伊藤先生へ電話を入れる。 書類は昨日届いていたということ。 とくに苦労して気になっていた作品のコメントに関しては、なかなか好いと褒めていただいた。 文学者に褒めていただくと安心する。 やはり短歌は出来るだけ新しい作品を詠んでみたいということであった。 作品画像とコメントを参考に、その作品に直接こだわらない自由な感じで詠んでみたいということであった。 思いがけず、素晴らしいアンソロジー作品集になりそうである。 ☆太腿の痛みは日々、ひどくなってきている。 歩くのにも難儀するようになってきた。 なんとかしないと。 7月27日(月) ☆午前は曇天。 昼から雨となるが、いったんまた晴れ間が広がり、夕刻から再び雨となる。 ☆午前のうちに、庭の草刈り。 立ったままの状態だと太腿の引きつりも少し和らいでくれるので、作業に大きな支障は無かった。 ☆高鍋町のコロナ感染はまだまだ広がっている。 次々に感染者が出ている。 なんと今日はみやざきアートセンターの利用者にも感染者が出たが、これも高鍋町のスナックで感染された方からの感染であった。 そして高鍋町で最初に感染が確認されたフルーツショップ経営者も、このスナックで感染していたことが判り、宮崎県の会見では、この経営者はたまたま最初に感 染が確認されただけであって、感染源ではない、と明言していただいた。 皆さん、突然に降ってかかったコロナウイルス感染の被害者なのである。 ☆今日になって、やっと高校同窓生と教え子からコロナ感染へのお伺いの電話が這入った。 私には誰からも問い合わせの電話が来ないので、感染者に70代の人がまだ居ないのと、あまりにも感染状況の只中に居るので電話するのもはばかられるのでは と思っていたが、今日の電話の相手に尋ねるとやはりそういうことであった。 みんな様々な情報を知っていて、矢張り何も知らないのはお膝元の我が家くらいのようだ。 教え子たちとは、また秋口に”コロナで生き延びた祝杯を挙げよう”と冗談を交わしていたのだが、まさにその通りになってしまったし、しかし感染が続いている状況 では、私はそれまでに生き延びている確証は無い。 ただ今回のコロナウイルスは、感染力はひどく強いが、症状は殆どが軽症だと言うのが救われる。 54人の感染者のうち、入院されているのは38人で10人が入院に向けて調整中で、全員が入院している訳ではない。 ☆午後に、整形外科へ行ったら、やはり今日からコロナ感染によるリハビリ停止になっていた。 ☆山本寛斉が亡くなった。76歳であった。 どうも近年、元気だったアーティストが75,6歳で亡くなられることが多い。 やはりこの先数年は覚悟して生きて行くべきだと思えてならない。 ☆そしてまた、今日は130年前にゴッホが拳銃自殺を図った日である。 妻がたまたま2階の本棚から30年前の芸術新潮の中から、ゴッホ没後100周年の特集の号を持って降りてきた。 彼女がそれを開いて読み始めたら、今日がまさにゴッホが拳銃で自分の胸を撃ち、自殺を図った日であることを知り、驚いていた。 実は今日亡くなった山本寛斎が高千穂で「神話の里フェスティバル」の大々的なショーを開いたのも、まったく30年前であった。 このショーでは、バックステージに青竹が欲しいということで、私が「木花開耶姫像」でお世話になった造園屋さんがその調達を命じられ、刈れば枯れてしまう竹を 当日のステージ上で青々しく保つにはどうしたらよいかとさんざん苦労されたことをお聞きした。 そのつながりで、私と妻は高千穂でのショーを観に行った。 7月26日(日) ☆午前のうちは小雨模様。 午後からは晴れ間が出る。 ☆高鍋町のコロナ感染は大変な事態になってきた。 クラスターの発生したスナックの利用者で、あらたに感染が確認された人が都城市、日向市にまで広がってきた。 そして、宮崎市で感染が確認されている理髪店経営の男性もこのスナックを利用していたことが判明したようだ。 これで感染経路不明だった宮崎市の理髪店の感染源は明らかになったが、やはり、では高鍋町の感染源は何処からかということはいまだにわからないようだ。 いずれにせよ、皆さんはいきなり感染者として晒された被害者なのである。 高鍋町の人口比に対する感染率は東京並だという。 もはや、何時なんどき、突然に、あなたは濃厚接触者ですと告げられるかもしれない可能性を、高鍋町の住民は全員が持っているということである。 ☆そして、とうとう西都・児湯地区7市町村の接待を伴う飲食業、つまりスナックやバーへの休業要請が出された。 さらに、接待を伴わない飲食店にも営業時間の短縮を検討していると言う。 これは口蹄疫の時の惨事以上の大打撃になる。 ☆また、西都・児湯圏域の人々には不要不急の外出自粛要請が出された。 私と妻は8月に小旅行を計画していたのだが、キャンセルをする。 施設側も状況を理解していただいて、昨日のキャンセルからキャンセル料金が派生するところを免除していただいた。 Go To どころではない。 ☆今日は、我が家は家から一歩も外に出なかった。 ☆私はずっと、本に掲載する作品のコメント一覧の作成。 夕刻までに何とかまとめて、伊藤先生への手紙を書き、プリントした画像と共に夕刻にレターパックで郵便局に投函する。 私が家を出たのはこの時だけである。 誰とも接することは無い。 コメントは、校正作業の段階で修正して行くことになるだろう。 7月25日(土) ☆朝のうちから青空が見えていたが、午前は曇天のまま。 午後からは雲も切れて晴れる。 夜に雨が戻って来る。 ☆高鍋町のコロナ感染は大変なことになった。 私と妻は何処にも出掛けないし、誰とも話さない。 関係者が身近過ぎて、近所の方たちに問い合わせるのもはばかられるので、新聞とネットの情報しかない。 しかし、あまりにも身近すぎて、何も知らないのは我が家だけらしいことが解ってきた。 町外の知人から心配して電話がかかってきた。 それでようやく状況が分かってきた。 みんな詳細を知っているのである。 ☆さらに午後にネットで河野知事による宮崎県の会見を見ていたら、驚くべき事態となっていた。 全然思いもよらなかったスナックから、クラスターが発生していたのである。 高鍋町は西都・児湯圏域の中心地なので、夜の呑み屋街は多くの町外者で埋まる。 特にスナックやバーは町外からの来客が多い。 今回のクラスターで、感染者が一気に西都・児湯圏域に広がって行った。 問題の先週18日の夜の町は大変な人出で、どこも予約で超満員で、飛び込みで店に這入れない客が大勢右往左往していた。 ようやく自粛生活が解かれて、以前の活気が戻り、みんなの気が緩んでしまったタイミングだった。 私と妻が、私の誕生祝で呑んでいた居酒屋の直ぐ背後のスナックビルの2階に、このクラスター発生のスナックがある。 ☆最初の感染者たちが会食していた居酒屋と、このスナックとの接点は今のところはっきりしないようだ。 どこかで接点があったのかもしれないし、全く別な市中感染だったのかもしれない。 つまり、どこでどう高鍋町にコロナウイルスが持ち込まれたのかは、今の時点では全く不明であり、次にはいつ誰れに感染するか全くわからないということだ。 完全に明日は我が身である。 町の中心部にコロナウイルスが漂っていると考えてよい。 今日は、張り紙をして閉じている店が目立ってきた。 高鍋町美術館も当分の間、閉鎖になった。 ☆午前に整形外科でリハビリ。 リハビリ室には、コロナ患者が発生したらリハビリは中止しますと言う張り紙があるので、中止になったのかと思ったら、ディスタンスを取りながら受け付けていた。 しかし病院に這入る前から検温をして、リハビリは1つしか選択できず、密を避けるために呼ばれるまで外で待機しなければならない。 私は腰の牽引を選んだが、リハビリ室に這入ると、腰の牽引は私一人だった。 だがリハビリの効果は全く無い。 むしろここ2,3日はますます痛みがひどくなって、買いものに出てもビッコを曳きながら歩かねばならないし、トイレに行っても便座に座れない。 椅子から立ち上がると、激痛でしばらくは全く身動きが出来ない。 整体院の方が効果があると思うのだが、治療費が高いと通えない。 ☆私は、一日、本に掲載する作品のコメント作成。 一向に捗らない。 7月24日(金) ☆一日雨。 午後は本格的な雨になったが、それも夕刻までには落ち着く。 ただ、高鍋町は1時間雨量が7月の観測史上最大となったらしい。 そんなに降ったとは思えないのだが。 しかし、JRは宮崎空港線以外は殆ど雨のため運休あるいは遅れが出ている。 夕刻からはとても肌寒くなる。 ☆高鍋町のコロナ感染は拡がりつつある。 今日の夜中過ぎまでに、高鍋町関連で6名の感染確認者が出た。 それぞれの感染者とは直接の接触も無い人も発症していて、まだまだ広がってゆくのではないのだろうか。 私と妻は誰とも会わないし、誰とも電話連絡もしないので、何の情報も無く、ネットと新聞しか情報源は無い。 細心の注意を払って、外出を控え、手洗い等をしっかりやってゆくしかない。 ☆昨日故障してしまったプリンターを修理してみる。 買い替えを覚悟して、ネットで安いプリンターをチェックしてみたりするが、どうせ買い換えるのなら完全に壊れてしまっても構わないので、一か八かで修理してみる ことにした。 紙詰まりの原因と、故障場所は分かっているので分解を試みたが、流石に分解はお手上げで、外れていたスプリングをはめ戻してみたら、意外やきちんと取り付 けることができた。 そして印刷をかけてみると、全く何事も無かったようにスムーズに印刷が出来た。 助かった。 今日はずっと作品画像のプリントアウト作業をする。 補足の画像の追加や、掲載作品の追加につて編集担当の水元さんと打ち合わせたりして、プリント作業を済ませる。 作品コメント一覧を完成させて早目に伊藤先生に送らなければならないが、コメントは頭の回転がストップしてしまっていてまったく進まず。 7月23日(木) ☆午前は晴れ。 午後からにわかに雲が出て、遠雷が聞こえ始めたら、あっという間に雨になった。 雨は午後いっぱい続き、気温も下がる。 ☆今朝起きると、スマホのラインに妹たちから何通もメッセージが届いていた。 開くと、昨夜の高鍋町内でのコロナ感染者確認の情報だった。 馴染のお店の経営者だったのでびっくりであった。 新聞を見ると大きな報道で、店名も実名報道してある。 お店は行列のできる有名店で、県内外から多くのお客が来るので、影響が大きいと判断されて店名公表となったようだ。 夜には、濃厚接触者からあらたに2名の感染者が確認された。 最初のお店の感染者は、真面目にお客さん相手にパーラーで働いており、感染者の多い県外には出向いていない。 自分のお店で働いていても感染して仕舞うのだ。 気の毒としか言いようがない。 ☆第三者の私たちが思うことは単なる憶測だし、あまりに身近な相手なので、この件に関する記述は控える。 ただ、もはやコロナウイルス感染は完全によそ事ではなくなったということだ。 高鍋町内で、それも町の中心部で3名もの感染者が確認されたということは、明日は我が身なのだ。 ☆一日、本の出版で伊藤先生に渡す作品画像のプリント作業。 ところが残り数枚になったところで、紙詰まりで印刷できなくなってしまった。 チェックすると、紙を送るローラーの一部のスプリングが外れてしまっている。 その部分で紙がストップしてしまうようだ。 困ったことになった。 これから伊藤先生にもいろんなデータを送らなければならないし、かと言って今の経済状況ではプリンターを買い替える余裕は無い。 ☆今回の高鍋町内でのコロナ感染確認を受けて、延期していた中学同窓の古希同窓会はやはり当面は無理と判断。 事務局も同意見。 しっかりと落ちついてからの開催になるだろう。 7月22日(水) ☆今日も炎熱の一日。 夜中にクーラーの効いた寝室からトイレに向かうと、ほとんどサウナ室状態。 常夏のマレーシアでも夜中にこんなに蒸し暑いことは無い。 ☆午前は、午後の出版社との打ち合わせの準備。 先日までの作品のプリントアウト作業で、デジカメ以前の作品写真が見つからなかったものが、今朝になってようやく保管場所に気付いて、スキャンしプリントアウト する。 そしてコメント作成作業の続き。 ☆午後に宮崎市へ出て出版社へ。 出版社は伊藤先生とも打ち合わせて、某社に決めた。 プリントアウトした作品画像を元に、出版社社長と編集担当の水元さんと打合せをする。 本の体裁が決まった。 A5では縦に長すぎるし、A4変形(ほぼ正方形)では見開きが横に長すぎるという事で、A5の縦を若干長くし幅を若干狭くする紙使用の許容範囲内でのA5変形とす ることで決定。 そして作品集は左開きが普通なので、左開きタイプにする。 編集も見開きに作品1点、短歌1首というページと、見開きに左右に1点ずつの2点、2首のページを構成して、作品数は50点掲載となった。 私は40数点掲載の予定で、予備を含めて48点を選んでいたので、もう2点追加しなければならなくなった。 そうして見開きに使いたい作品画像を川口社長に選んでもらい、それでページの構成を幾つかやってもらえることになった。 それを基に、また2週間後に打ち合わせをして、掲載する画像を決定して行くことになった。 これで本の出版が現実的に動き始めた。 ☆夜になって、高鍋町でもコロナ感染者が出たという驚きのニュース。 高鍋町は児湯郡の中心地であり、各行政機関の支所もあるし、町外からの出入りがとても多いので、いずれ感染者の出るリスクは高い町であった。 7月21日(火) ☆夜中はすごく蒸し暑く、太腿も痛くて熟睡出来ず。 今日は宮崎市で国内最高の36,6度を記録した。 それでもまだ梅雨明けはなし。 ☆朝一に歯科医院。 差し歯の型を取る。 ☆午後に整形外科でリハビリ。 しかし一向にリハビリの効果は出ない。 太腿の引き攣る痛みは少しも改善されない。 電気治療をしていると、80歳半ばと思われるおじさんが、知人と同窓生の話をしていて、アレは死んだ、コレも死んだ、あんなに元気の塊だったヤツも早く死んでし まった・・・。 いや、こんなところでじっとしていると気が滅入ってしまう。 精神衛生上、最悪である。 ☆ スーパーで中学時代の同窓生と遭った。 春にコロナで開催中止になった中学同窓の古希同窓会を、この秋にでもと思っていたのだが、今の第2波様の感染再拡大では開催は無理だろうと言う話をする。 彼も奥さんがデイサービスに勤めているので、感染拡大が続いている福岡在住の息子には絶対に帰って来るなと言っているという。 奥さんが感染してしまったら、デイサービス施設が閉鎖になってしまうからである。 ☆午後は猛暑の2階で扇風機を廻しながら、作品コメントの続き。 ファイルを見ながらコンセプトを拾っていくが、なかなかいいコンセプトを書いているなと感心するものもあれば、多くは設置場所の主旨に特化したコンセプトで、作 品集に載せるには不向きであったり、コンセプトをまったくデータとして残していない作品も多く、結局は作品集のために書き下ろさなければならない。 これがなかなか大変な作業で、全く先に進まない。 7月20日(月) ☆一気に真夏がやってきた。 宮崎県内は軒並み気温が上昇。 宮崎市で35,2度の猛暑日を記録、高鍋町も2番目に高い34,4度であった。 外は幾分涼しいが、室内は熱風が吹き渡り、べっとりとした蒸し暑い一日となった。 蝉たちの大合唱も凄まじく、下校する小学生たちの顏も暑さで真っ赤であった。 ☆午後に整形外科のリハビリ。 ☆引き続き、作品コメント一覧の続き。 ☆検討していた今年の宮崎国際現代彫刻・空港展は、正式に中止が決まった。 先日から事務局の田村に宮崎在住の作家達の意見を集約してもらっていた。 その意見に目を通すと、みんななんとかして継続開催を望みながら苦悶しているのが伝わって来て、一律に”中止”という意見ではなかったのがすごく嬉しかった。 彼等の意見と私の意見、そして宮崎空港ビルの意見を総合して、中止と判断した。 美術館ではない空港ビルと言う特殊な会場であるが故の決断である。 不特定多数の人々の行き交う空港という空間は、美術館には無いスリリングな幅広い出会いがあるが、それゆえリスクも最高限に高い。 私が事務局をしていた時は、毎回が大きな問題に突き当たらねばならなかった。 亡くなった故・渡辺課長とは、毎回のように”もうやめよう!”を繰り返しながら、間一髪のところで奇跡を成就して乗り越えてきた。 しかしその軌跡を起こす相手は人間だった。 今回の闘う相手は、目に見えないウイルスである。 致し方ない判断だと思う。 作家の方には田村から今日のメールで案内が届いたので、私も海外作家宛に中止を伝え、フェイスブックにも投稿した。 7月19日(日) ☆カラリと晴れた夏空。 朝から周囲の木々ではクマゼミの大合唱。 ああ、これぞ日本の夏。 私は近年はこの時期は殆ど海外に居たので、懐かしい風情である。 午後半ばからは雨雲が出て夕立のような雨。 ☆午前に妻と高鍋町美術館へ出掛けて、「高鍋町美術館館蔵名品展」を見る。 この企画展は、コロナ禍であらかじめ予定されていた展覧会が延期措置になったために、急遽企画されたものである。 展示作品は、昨年刊行された「高鍋町美術館館蔵名品」カタログに収録されたもので、常設展示室で入れ替えで展示されていたものを、初めて一堂に展示したも のである。 したがって、私も全ての館蔵名品を観るのは初めてで、その作品群の充実ぶりには想定外の衝撃であった。 そして今回は、コロナ感染対策によって美術館員による作品解説の場を設けない替わりに、観客がじっくり作品を理解しながら鑑賞できるようにと、全作品に解説 のキャプションが付けられている。 この作品解説は、刊行された名品展カタログには記載されていないもので、今回の企画展のために青井学芸員が書き下ろした渾身の解説である。 それを1点1点読むのが楽しくて、予定していた時間内には回廊に展示されている作品までは足が運べなかった。 私の作品に付けられた解説も、青井学芸員のロマンあふれる私へのまなざしがあって、とても嬉しかった。 ☆青井学芸員も、1点1点の作品の主張が強いので、展示作業は困難を極めたと言う。 是非多くの町民に、自分の町の財産を目にして欲しい。 よく美術館は単なる収支計算等によって行政にはお荷物の箱ものだと批判されることが多いが、収蔵された美術作品の資産価値や町民の精神空間に与える豊穣 さを考えると、美術館は町民にとっては大きな宝物なのである。 ☆午後は、昨日作成した作品データ一覧の修正作業。 色んな作家のカタログデータを参考に、データの配列を修正してゆく。 7月18日(土) ☆梅雨が明けたのではないのかと思えるほどの上天気。 やっと朝のうちに少し元気なクマゼミの鳴き声。 我が家の庭にもあちこちにセミの抜け殻がある。 日中は陽射しが暑いが、朝夕はまだ肌寒く冷える。 ☆昨夜は太腿が痛くて熟睡できず。 痛みはずっと続いている訳ではなく、寝返りを打った時やトイレに起きた時の体位の変化で痛みが走る。 今朝から、妻の使っているタニタの体組成計で体重を測る。 体組成計のデータを見ると、内臓脂肪以外は標準であった。 要するにお腹周りに脂肪がついているだけ。 ☆午前に整形外科でリハビリ。 料金が230円だったのでこれならしばらくは通えるかな。 それにしても、リハビリ患者の多いこと。 ☆妻がサークル活動に出掛けて、私の脊柱管狭窄症の話をしたら、私も私も!と同じ診断をされた方が多かったと言う。 そして、みんな、毎日のリハビリが厭で放って置いたら、いつの間にか痛みは無くなったという事であった。 ☆今日は作品集掲載予定の作品のデータ一覧とコメント一覧を作成。 データ一覧はHPからコピーすればよかったが、コメントは同じタイトルでも1点1点異なったコメントが必要なので、途中で頭がフリーズして回転しなくなった。 ☆夜は妻と居酒屋へ出て、私の誕生日祝いをする。 夜の町には人出が戻って来ていて、どの店も予約客で満杯状態だった。 7月17日(金) ☆午前までは小雨模様。 午後から陽射しが出て一気に蒸し暑くなるが、夕刻からはまた肌寒さが戻る。 ☆今朝は遠くでようやくクマ蝉の鳴き声がしたが、とても弱々しくてすぐに途絶えた。 ☆午後に整形外科病院へ。 病院の方が保険が効くので、整形外科病院へ行く。 レントゲンを撮った結果、脊柱管狭窄症と診断された。 私の背骨は大きく湾曲し、腰のあたりは完全に押しつぶされた形で、脊柱間の軟骨が殆ど無い。 ヘルニアを起こす状態で、放って置くと背中に痛みが出て来て手術しなければならなくなると言うことであった。 2月にインドから帰った直後から太腿に痺れが出たのは坐骨神経痛だろうと言うことだったが、やはり今回の太腿内側の激痛も背中から来るものであった。 もはや体を若返らせることはできないので、今以上の悪化を防ぐ対策を取るしかないということ。 そのためには、重いものを持たないこと、体重を減らすこと、リハビリをすること。 さっそく今日から電気治療と腰の牽引のリハビリが始まった。 リハビリはできるだけ毎日続けるようにということである。 仕事は何も無くなったので、時間は在るが、お金も無い。 ☆彫刻家として、重いものを抱えるのは宿命である。 それが出来なくなると言うのは、これからの活動を考えなければならない。 75歳まではシンポジウム参加は問題ないと思っていたが、やはり70歳を過ぎると一気に老化が出て来るのだ。 ☆夜は高鍋町内の円福寺本堂で、照沼さんと片貝さんのライブが開かれたので出掛ける。 円福寺住職の多賀さんが、町内のジャズバンド”ナチュラルサウンド”のメンバーで、照沼さんも客員で参加している。 今回のコロナ禍でミュージシャンの仕事が全く無くなったことを想いやって、多賀住職が檀家の皆さんに向けてお二人のライブを企画されたものであった。 7月16日(木) ☆一日、雨。 昨夜からすごく肌寒く、今日もTシャツでは寒く、多くの人が長袖を着ていた。 宮崎県内では最高気温が25℃を下回った。 ☆こんなに寒い誕生日前後の気温は記憶にない。 今の時期は夏休み直前で、夏祭りの太鼓台の練習が始まり、早朝から近所の大樹からクマ蝉のもの凄い大轟音ラッシュで目を醒まされる日々だったはずだ。 しかし、今年はコロナで夏祭りも中止となり、寒さが続いて蝉も鳴かない。 世の中の風情が一変してしまった。 ☆午前に歯科医院。 ☆夕刻まで、作品画像のプリントアウト。 あと少しで終了、というところでまたもインクが完全に切れて真っ赤な画面になってしまった。 ☆プリントアウト作業をしながら、伊藤先生の”月の夜声”に目を通す。 久し振りの短歌、やはりいいなあ。 独身時代は毎日のように歌集を読んでいたものだったのだが、結婚してからはめっきり手に取ることは無くなってしまった。 ☆2月初めのインド帰国途中から左太腿の外側が痺れていたのだが、いつの間にか和らいできてほっとしていた。 行きつけのO内科では、空港での長時間待ち時間による坐骨神経痛の一種でしょうという診たてだった。 ところが、先日から立ってハーモニカの練習をしていると、今度は太腿の内側が引きつってしまうようになった。 ただ引きつるのは立って作業をしている時だけで、普段の動きにはまったく痛みも無く、何の異常も無かった。 しかし先日から痛みがひどくなって、太腿を押さえてみるとある部分の筋に激痛が走る。 今日の夕食後には身動きが取れなくなってしまった。 ネットで調べると、どうやらトリガーポイントというものらしい。 筋肉の奥にある乳酸や疲労物質が凝り固まったコリだそうで、図示されたポイントの場所が、激痛の走る部位と全く一致する。 トリガーポイントをほぐして、全身の血流を良くすると、痛みは改善されるようだ。 整形外科ではなく、整体院にでも診て貰った方がよいのか。 7月15日(水) ☆一日、小雨状態。 気温は上がらず、肌寒い一日。 夜になってさらに肌寒くなり、7月の中旬になってこんなに寒いのは記憶にない。 ☆作品画像のプリントアウト作業。 昨日にインク切れ表示が出てから、更にA4、15枚ほどはプリントできた。 インクを替えて作業を続けたら、またもあっと言う間にインク切れ表示。 まだ作品は6割もプリントが終わっていない。 ☆プリントアウト作業をしながら、伊藤先生の”月の夜声”に目を通す。 歌集を読むなんて、実に久しぶりである。 ☆今日は71歳の誕生日。 やはり70歳と71歳とではずい分と字面から受ける印象は違う。 最近、町中で見かける、かつて元気そのものだった方たちが、勢い老人になっているのが目につくようになってきた。 私も数年後にはああなるのかと思うといたたまれない気持ちになるが、人間誰しもそうやって消滅して行くのだから仕方ない。 せめて残りの人生を豊かに行きたい。 私はもう80歳で人生を終えてよいと思っている。 私のような無才の人間が、よく野垂れ死にせず、世界を行き来して彫刻活動が出来るようになった。 出来過ぎの人生だと思う。 思い残すことは何もない。 だから、コロナ禍で家に居て断捨離作業が出来ることはとても助かっている。 今年は私の人生の集大成として、伊藤先生とのアンソロジーの本を出版することに集中しよう。 7月14日(火) ☆午前中は雨。 午後には雨も上がって、曇天。 朝のうちは蒸し暑かったが、夕刻からは膚寒くなる。 ☆午前に、先日の一日健診で洩れていた眼底検査の再検査。 結局、検査の機械の方には異常はなかったということだが、今日もうまく撮影できず、看護師が頭をひねっていた。 再度、これまでに目の手術とかは無かったのかと問われるが、何もない。 取りあえず、撮れた画像で担当医に判断してもらうという。 ☆出版社に手渡す作品画像のプリントアウトにかかる。 担当者にプリントサイズや画質について問い合わせるが、明確な指示が無い。 A4で、という曖昧な指示だったが、A4サイズで高画質の写真用紙を使っていたのでは、インク代がべらぼうなものになってしまう。 なにしろ掲載画像候補のリストアップが50点近くあるし、出版社の社長の求める設置環境の状況を把握してもらうために1作品につき3枚の画像をプリントすると、 単純に計算して150枚ほどのプリントをしなければならない。 それで、レイアウトの参考にするためなら、スーパーファイン用紙で充分だと思うので、その旨了承を取ってプリントにかかる。 ところが、スーパーファイン用紙でもA4サイズでは、見る間にインクが減っていく。 カラーインクを先日替えたばかりなのに、わずか15,6枚プリントしたところで、インク切れのメッセージが出てしまった。 この安物のプリンターはあまりにもインクの消費が早すぎるのではないのか。 これだと、150枚プリントするのにどれだけのインク代がかかるのか。 途方に暮れてしまった。 ☆伊藤先生から”月の夜声”という第十一歌集が届いた。 この歌集は斉藤茂吉短歌文学賞の受賞作品である。 やはり伊藤先生は、月を詠んだ歌がとても多い。 今回のアンソロジーには全て新作で対応するということだったが、場合によっては旧作から入れることもあるかもしれないということ。 ☆70歳最後の一日はこうして過ぎる。 7月13日(月) ☆曇天の一日。 蒸し暑くなる。 ☆午前は庭の草刈り。 庭の梢で蜩が鳴き始めた。 空は今にも雨になりそうな重い曇天で、午前なのに薄暗い。 この雰囲気は殆ど秋である。 普通だったら、今の時期はにいにい蝉が盛んに鳴いている頃だが、そう言えばこの頃はにいにい蝉の鳴いているのを聞いたことが無いし、くま蝉もあの激しいシャ ワー音が聞こえてこない。 やはりどこか地球環境が変わって来ているのだろうか。 ☆午後の2時になったら伊藤先生に電話しようと思っていたら、インスピレーションが通じたかのように、2時きっかりに伊藤先生の方から電話がかかってきた。 一旦切って、2階の書斎に上がって伊藤先生へ電話を掛け直す。 私の手紙の質問順通りに、先生らしい明快なご意見を頂いた。 先ずは、出版は是非実現しようと賛同していただいたので、出版することは決定した。 まだ各出版社の見積もりは出ていないのだが、3社目の出版社の社長が積極的なので、出版社も決まった。 発行部数もやはり500部では少なく、700部で考えることになった。 先生の短歌は、出版社の社長の助言であった旧作からのセレクトではなく、私の作品画像を見てすべて新しく作られる、ということである。 むしろ夥しい過去の作品から、適切な歌を選ぶことの方が大変な作業だと言われる。 現在、ご自分の旧作から宮崎を詠んだ歌を選んだ自選歌集の出版作業を手掛けておられて、その作業が実に大変だと言われる。 其れよりも新しい歌を作ったほうが断然楽しいし、伊藤先生の短歌のファンも新しい歌での歌集を望むだろうということであった。 さらに、先生の短歌を詠まれるうえでの参考にしたいのと、手に取る一般読者への彫刻作品の理解のために、各作品にポエム的な解説を付けて欲しいと言うこと である。 この作業を至急に始めなくてはならなくなった。 そして本のタイトルは私の最近のシリーズ、”MOON DROPS − 月の雫”とすることに決定。 先生も、月の付いたタイトルの歌集を何冊か出されているので、”月”が大好きなのである。 これは私が30歳の時に、先生から「炬火」で私のことを読んでいただいた歌を贈ってもらった時から、いつか”月”の這入ったタイトルの”返歌”をしたいと思って来 たことが実現する形になった。 ☆出版社が決まったので、折り返し、その出版社で編集を担当してくれる友人の画家・水元さんに伊藤先生との打ち合わせ内容を伝える。 そうしたら、先日、USBに入れた作品画像をプリントアウトして欲しいということ。 出版社の社長はパソコンでの作業はされず、プリントした画像を常に持ち歩いて、イメージをふくらまされると言うことである。 それで早速、明日にはそのプリント作業にかかり、それを持って再び出版社で社長と打ち合わせをして、掲載写真を決定し、その決定画像を再びプリントアウトして 担当の水元さんと伊藤先生にお渡しすると言う作業になる。 これからしばらくはその作業に没入する。 ☆電話での伊藤先生は、いつものよう非常に快活でお元気だった。 体調が良くなって来られたのかと思ったが、”いや、田中君と喋ってるから元気が出ただけだよ”と言われる。 やはり午前中は人と喋ることもできず、また明日も病院で診察だと言う。 私もその辺りのことを案じて、電話は午後2時に入れようと思っていたのであった。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 私も本の打ち合わせの合間にハーモニカでジョイントしたが、私は本のことで頭が一杯だったので、ミスばかりだった。 7月12日(日) ☆夜中は雨。 日中は曇天で、雨にはならず。 肌寒いほどの涼しい一日。 ☆昨日整理した作品画像をUSBに入れて、印刷所へ送付。 ☆午後に、外付けHDDに、私の全作品を納めるフォルダを作成して、バラバラの作品画像を1つのフォルダにまとめる作業を始める。 やってみると、全てのシンポジウムフォルダや展覧会フォルダ等から、作品画像をコピーして行かなければならないので、かなり根気のいる作業になる。 だが一度、きちんとやっておくべき作業だったので、コロナ禍で仕事の無くなった今しかできない。 ☆先日エントリーしていた某海外コンペの選外通知が届いた。 案の定、53カ国から539作家からの1467点の応募で、入選は某国作家20名、海外作家3名という選考結果。 海外作家は聞いたことも無い作家名で、作品もひどかった。 国際コンペとは名ばかりである。 想定された結果なので、何の感慨もなし。 ☆レンジフードの異音を無くすには、同じ類型のモーターに取り換えるのが一番良いのだが、ネットで調べると5万円くらいする。 修理に出しても相当な額である。 頭を抱えて居たところ、昨日からレンジフードのファンの金属的な異音がしなくなった。 今日も何度かファンを廻したが、最初は少し異音がしても直に通常の回転音に戻る。 前回点検した時も、何もしなくて正常に戻った。 今回も、このまま正常に戻って欲しい。 単に、システムキッチンの機材が次々に寿命で壊れて行くバイブレーションを受けて、レンジフードも、オレも寿命だぜ、とデモンストレーションをやってみせただけ ではなかろうかと、妻と推測する。 今夜は新しいオーブンで、次男の送ってくれた生ハムを使ったピザを焼いてみた。 上々の出来で、とても美味しかった。 7月11日(土) ☆夜中は凄まじい雨。 そして夜明け前には雷雨。 また避難警報でスマホのアラームが鳴るのではと思ったが、雷の後はおおむね雨は止む。 夜明けてからは青空が広がった。 しかし雲の変化が激しく、直ぐに雨雲が湧いてくるので、洗濯物は干せなかった。 日中は不安定な空模様ながらも雨は降らなかったが、夜になって雨が戻って来る。 ☆朝のうちにレターパックで、伊藤先生へ昨日作成した書類を送付。 だが考えてみたら、2人の共著なので、500部発行だと、300部を流通に廻すと残り200部が2人の引き取り部数になり、1人100部の引き取りとなる。 100部では圧倒的に少ない気がする。 ☆一日、出版社に渡す作品写真の元画像の整理。 1つの作品に対して、3,4枚の作品画像を選んで、それを編集者にレイアウト上有効な画像を選んでもらおうと思う。 ところが、こういう作業をするたびに、私の整理能力の欠如で、外付けHDDにはバラバラに画像を保存しているので、目的の画像をチェックして行くのに大変な手間 がかかる。 さらに、デジカメ以前の作品画像はプリントからスキャンした画像が、1つの作品に1枚の画像しかない。 当時のスキャン画像をCDに保存していたのだが、このパソコンでは当時のCDが読み込めない。 やはり一度きちんと時間を採って、全ての作品画像を1つのフォルダに整理しておく必要がある。 ゆくゆくは全ての作品をデータ化しておきたいので、どうしても必要な作業である。 7月10日(金) ☆晴れたり降ったりの繰り返しの不安定な一日。 しかしJRは今日も宮崎市以南は終日、運転見合わせが続いた。 ☆昨日までの出版社との打ち合わせの経過報告と、おおよその方向性について伊藤先生へ手紙を書く。 直接お会いして説明したほうが説明しやすいのだが、先生の体調不良で自宅での打ち合わせは一切できないので、手紙で伝えるしかない。 文書のまとめが得意ではないので、資料をそろえたりで半日かかる。 伊藤先生から大筋での合意が得られれば、それで実現に向けて具体的に動いていきたい。 ☆空港ビルの石尾さんから、規模縮小と言う考えもあると言う連絡が這入ったが、どんな風に規模が縮小できるのだろうか。 宮崎の作家だけの作品を並べても、わずか7,8点にしかならない。 過去の作品を加えて並べては、通常の宮崎国際現代彫刻・空港展にはならない。 もし、通常通りの形で国内作家だけの作品を展示しても、搬入・展示及び搬出作業は宮崎の作家だけでの作業になる。 しかも今回は送られてきた全作品の消毒をしなければならず、宮崎の作家だけでの対応は不可能である。 ☆いつの間にか、世界中のコロナ感染者は1,200万人を超えてしまっている。 600万人は越えるだろうと言う予測は、とっくにその倍以上に凌駕してしまっている。 日本でもここ数日、爆発的に感染者が増えて来ている。 にもかかわらず、コロナ感染者の非常に多いイランやフランスで、この秋に国際シンポジウムが開催される。 こんな状況で何を考えているのだろう? ☆数日前から庭の梢や近所から蝉のような鳴き声がする。 しかし”にいにい蝉”とも”春蝉”とも違うので、気になっていた。 そう言えばこの時期、近年はほとんど日本に居ないので最近は蝉の声を聞いたことが無いのである。 ところが夜になって、夕食用に玄関脇のパセリとバジルを採って戻ると、玄関扉の下でバタバタもがいている蜩。 蜩と言えば、かつては夏休みの後半、秋を感じさせる蝉だったはずである。 だがいつかこの日記にも記したことを想い出した。 夏の盛りのクマゼミがめっきり減って、蜩が7月に鳴き始めたことを。 7月9日(木) ☆午前は曇天。 午後に勢い重い雨雲が覆って激しい雨となったが、午後後半には上がる。 ☆午前に歯科医院。 差し歯の根の治療と、上の歯の歯石取り。 ☆午後に、宮崎市へ出て、もう1社の出版社と打ち合わせへ。 友人の画家の水元さんが、この出版社の契約社員をやっているので、彼女をピックアップして出版社へ。 この出版社には過去に何度か来ていて、社長とも懇意に話したことがあった。 ☆社長は私のことをよく覚えていただいていた。 日向現代彫刻展にも出掛けられて、そこで私が彫刻と設置環境のことなど語ったことを憶えて下さっていた。 ☆編集は社長が担当されるという事で、社長の方から本についてのアイデアを次々に出された。 予算も私の対応できる範囲あたりで考えて下さっていた。 今日お渡しした作品の画像資料は、HP用にトリミングしたものだったので、元の画像を提供して、それからページの構成を考えられて、詳細な見積もりを出してい ただくという事であった。 彫刻単体だけではなく、私が語ったと同様に作品が置かれている環境全体と、短歌の組み合わせのレイアウトなどをその画像ごとに様々な構成を考えてみたいと いう事であった。 それによって、本の体裁もA5かA4変形にするかの判断をして、見積りを出していただくという事である。 A4変形サイズにすると、一般書店の本棚からはみ出してしまい、書店には置けないのだと言う。 多くの人に手に取ってもらうにはやはりA5サイズが好いと言う。 ☆作品のタイトルを、日本語で目次風にまとめると言う私のアイデアにはすごく共感していただいた。 そして伊藤先生の短歌も、新しく作られるのではなく、これまで詠まれた歌のなかから、そのページ構成に合わせて選んでいただいた方が、本としては面白くなると いう助言であった。 ☆3社全ての見積もりが出て、最終判断をするが、面白くなりそうな方向が見えてきた。 10月か11月には出版できるということなので、暫くはこの出版に向けて集中しよう。 ☆お昼に、次男から大きな箱のクール宅急便が届いた。 母の日と父の日のお祝いに何か送ったという事だったが、箱には肉製品と書いてある。 こんな大きな冷蔵の肉製品って一体何なんだろうと思って開梱してみると、なんとスペイン産の生ハム原木だった! 今日は仕事がオフの妻も在宅していたので、2人してビックリ仰天。 ミュージシャンの次男は、今年はコロナでまったくライブ活動もできず収入は無いはずなのに。 早速、夕食に食べてみた。 この生ハムの原木なんて、写真でしか見たことが無いから、どうやって切っていいのかもわからない。 保存するにも、こんな大きなものは冷蔵庫には這入らない。 ネットで調べてみると、ヨーロッパでは常温で長期間保存するものなので、常温でいいのだそうだ。 ただ今の時期の日本は毎日の雨で湿度が高すぎるので、カビが生えないように注意しなければいけないということである。 7月8日(水) ☆今日の宮崎は南部では大雨が降ったようだが、高鍋町や宮崎市では雨も上がり青空が広がって蒸し暑くなった。 しかしJR各線はまだ終日、運転見合わせや一部運休が続いている。 ☆朝一に宮崎市内の出版社へ出かけ、本の出版の打ち合わせ。 体裁としては、私の作品写真の配置と伊藤先生の短歌の配置を考えると、A5のハードカバー(上製本)よりもA4変形(正方形)の並製本方がよいのでは、という。 ただその場合は、紙のサイズがA5の倍になるので、印刷経費はかさむ。 紙はマットのコート紙で、96ページ(印刷上、16で割り切れるページ数がよいということ)、500部、帯カバーで見積もりを出してもらうことになった。 ☆担当者は、彫刻家という職種についての知識が全く無く、私の名刺の”彫刻家”という肩書にひどく驚いていた。 また掲載予定の彫刻作品画像についても、まさかこんな大きな作品だとは想像もしていなかったようだ。 伊藤先生とは懇意にされていて、最近も伊藤先生とは国民文化祭の会議席上で一緒だったと言う。 その時の伊藤先生はお元気そうで、体調を崩されていることはまったく知らなかったという事である。 ☆昼前に帰宅すると、先日の一日健診で、病院側の検査忘れで渡された大腸がん検査の検便を郵送したものが戻って来ていた。 病院側の貼った切手が料金不足だった。 それで直接に病院まで届けた。 そうしたら、眼底検査も抜けていたという事で、眼底の検査を受けさせられた。 ところが機械の調子が悪いのか、中々カメラの焦点が合わず、一向に検査が進まない。 何か目の手術をされたことがありますか?と問われるが、そういう過去は無い。 目が疲れておられますか?とも問われるが、確かに宮崎への行き帰りに車の窓を開けていたので、風圧で目がかすれ気味ではあった。 結局、原因がわからず、一度検査の機械を点検して再度検査することになった。 来週、再検査となった。 ☆10月に開催予定の宮崎国際現代彫刻・空港展について、事務局の田村と打ち合わせをする。 開催できたとしても、今回は海外作家の出品は不可能であること、懇親会も不可能であることは意見が一致した。 そうして、やはり空港ビル内でもいろんな考えがあり、対応に困っているようなので、こちらの考えを明確にして、開催決行か開催中止の判断を空港ビルに伝えて あげたほうが好いという事になった。 それで事務局から宮崎の作家達の考えを聞いて、それを取りまとめて、開催実行委員会の総意として判断をすることにした。 私の方は、海外作家たちに事情を早急に案内することにした。 美術館での開催ならば、美術館はウイルス感染のリスクの最も低い施設とされているので、何の問題も無く開催できるが、不特定多数の人々の行き交う空港と言 う空間での開催には、やはりこういう状況では慎重にならざるを得ない。 7月7日(火) ☆九州各県は大雨が続き、宮崎県でも山間部は大雨が続いた。 しかし高鍋町内では日中は降ったりやんだりの小康状態。 夕刻6時に再び避難準備・高齢者等避難開始が発令され、それからしばらくは激しい雨が続いたが、長くは続かなかった。 ☆午前にレンジフードのモーターの点検。 ガス屋さんにモーターを外してもらったが、ガス屋さんもモーターは専門外。 それでモーター専門の業者に診てもらった方が良いということで、町内の幾つかの業者に電話してみるが何処も対応は出来ないという事。 電気屋さんには、モーターの故障はモーターの交換しかないと断言される。 タウンページで調べてもモーター関係の取扱業者は宮崎市内にしかない。 されば、とガス屋さんが分解を始めた。 私はネットで検索していたら、同じメーカーのレンジフードのモーターベアリング交換・修理のブログ記事が出てきた。 殆どのモーターは見た目は違っても中身は規格品の集合体なので、ベアリングも規格品が使われていると言う。 そうしたら、我が屋のレンジフードのベアリングと、ネットで紹介されていたベアリングが全く同じもので、ホームセンターで普通に販売されているものだと分かった。 それでガス屋さんにホームセンターに走ってもらい、無事にベアリングを交換した。 だが、取り換えたベアリングには破損の気配はない。 新しいベアリングでスイッチを入れてみると、甲高い金属音はまったくそのままであった。 問題はベアリングではなかった。 コイル部の何処かが何かと接触しているのではないかと、ガス屋さんがあれこれ試みているうちに、何とか音が小さくなった。 取りあえず、これでしばらく我慢してみよう、という事になった。 修理代はベアリングの510円のみ。 だが、夕食時にファンを廻してみると、やはり限界手前の音がする。 しばらくこれで様子を見て、また判断しよう。 ☆宮崎市内の2つの出版社との打ち合わせが明日と明後日になったので、午後に必要なデータの修正・プリントアウト作業をする。 7月6日(月) ☆今日も高鍋町は午前5時30分に土砂災害警報が、続いて午前5時35分に激しいスマホのアラームで避難勧告が発令された。 そして九州各県ではかなりの大雨で川が氾濫し、宮崎県でも串間市の本城川が氾濫した。 しかし、高鍋町は激しい雨は無く、午後からは雨も止み、落ち着いた一日だった。 ☆今日は異音のし始めたレンジフードの点検。 午前のうちに外したパネルの油汚れを取る。 21年間、掃除をしたことが無いので、21年間分の油のこびりつきを取る。 そしてシロッコファンを外して手入れをしようとするが、まったく外れない。 そう言えば以前に異音がして点検した時も、このシロッコファンが外れず、しかし異音が治まったのでそのままにしておいたのを思い出した。 ☆昼過ぎて、たまたまガス屋がガスコンロとオーブンの請求書を持ってきたので診てもらう。 何とか力ずくでシロッコファンを外してもらったが、ファンを外しても異音は治まらないし、むしろ金属音が激しくなった。 こういうモーター部の異音はほぼベアリングの欠損である。 ガス屋もおそらくそうだろうと言う。 明日、このモーター部を外して点検してみることになったが、ガス屋もそういう点検はやったことが無く、モーター部品のみのパーツは販売していないのだと言う。 つまりレンジフードの買い替えが必要となる。 私たちも彫刻作業のグラインダーのベアリングがやられたら、グラインダーは買い替える。 やれやれ・・・。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 私もハーモニカでジョイント。 講師の片貝さんは宮崎市内の自宅から宮崎駅までは自転車で移動される。 今日の雨では来れないのではないかと案じたが、宮崎市内の雨は大したことも無く、JRの日豊線も通常運転だった。 ☆宮崎空港ビルの石尾さんから、10月の宮崎国際現代彫刻・空港展は予定通りの計画か、という問い合わせがあった。 空港ビルではオアシス広場のイベントも3階のギャラリーも上半期は全て中止・延期になっており、昨日の宮崎市内でのコロナウイルス感染確認によって、空港ビ ルサイドとしても全く先が読めない状態だと言う。 だから私たちが予定通りに10月に空港展開催の気持であれば、空港ビルもそれに添えるような判断をしたいということだろう。 それで取りあえずは海外作家の問題で、宮崎郵便局のEMS取り扱いの状況を確認してもらったら、韓国からのEMSの取り扱いは停止したままで、中国と台湾から は届いてはいるが遅れているということ。 こういう状況では海外からの作品送付はほぼ不可能であり、今回は開催できたとしても海外からの参加は不可能だろう。 また懇親会についても、現在県境移動自粛の解除によって、地方でのコロナウイルス感染が一気に拡大しており、全国各地から作家が集まって来る三密状態の 懇親会は不可能だろうと言う石尾さんの考えであった。 私もそう思う。 したがって、開催するかどうかの決断の時期の目安は、パンフレット編集作業の前になる。 印刷所でのパンフレット編集作業が始まると、その経費が発生してくるので、その前に開催か中止の判断をする必要がある。 事務局の田村に印刷所と打合せをしてもらって、判断のタイムリミットを決めてもらうことになるだろう。 もし開催できた場合は、作品との間隔を2メートル開ける必要が出て来る。 7月5日(日) ☆早朝までは晴天。 朝のうちから再び雨となる。 そして高鍋町では、今日も夕刻5時前に気象情報が出され、夕刻6時には避難勧告が発令された。 発令された時にはまだ雨は強くも無かったが、夜に這入って本格的な雨となる。 ☆午後に年賀状の断捨離の続き。 ようやくファイルに保存していた分の年賀状の整理が終わったが、年賀状でしか近況のやり取りをしていない人も多く、破棄してしまうと住所録にも記載していない 方たちとはそれで音信が完全に断ち切られてしまうので、やり切れなさは付きまとう。 しかし、完全に終活態勢に入っているので、割り切らなくては。 ☆やっとガスコンロとオーブンを新しいものに買い替えたと思ったら、今日はレンジフードから強烈な音が出始めた。 数年前にも同じ症状が出て、一度フードを外して手入れをして音は出なくなった。 妻が知人たちにガスコンロ交換の話をしたところ、皆さんは8年から10年で駄目になって買い替えられているということで、我が家のように21年も使い続けている ところは無かったと言う。 ネットで調べると、レンジフードも耐用年数は10年だということ。 しかしレンジフードまで買い替える余力は無い。 また明日にでもフードを外して点検してみよう。 ☆今日になって、宮崎市でコロナ感染者が確認された。 宮崎市内でのコロナ感染者の確認は4月11日以来、85日ぶりである。 お隣の鹿児島市ではパブでのクラスターで連日30人以上の感染者が確認されている。 県境移動自粛が解除されて、再び地方での感染が広まりつつある。 更に身を引き締めて行かないと、空港展の開催も難しくなってくる。 7月4日(土) ☆昨夜からの強い雨は夜中から雷雨になった。 午前2時過ぎに町役場からの防災放送が流れたが、町の中心部の防災放送スピーカーはハウリングを起こして、何を言っているのかさっぱり聞き取れない。 近所で火事があっても、防災スピーカーが何を言っているのかまったく聞き取れない。 これでは津波警報が出ても、町の中心部に住んでいる人たちには聞き取れない。 それで慌ててリビングに降りてパソコンを起動して、高鍋町からの防災メールを確認するが、内容は” ただいま、気象警報が発表されました。テレビ、ラジオの情報 に注意して下さい。”とあるだけで、なんの警報なのかわからない。 ヤフーをチェックしても、高鍋町に関係する情報は何もないので、そのまま再び寝る。 ☆午前中までは激しい雷雨が続き、午前9時40分には私と妻のスマホに激しい災害警報アラームが鳴り響いて、全員避難の避難勧告が発令された。 ヤフーを見ると、山間部の降雨量がすごいらしく、高鍋町を流れる小丸川の表示がかなりの水量で表示されている。 だが、近年は小丸川からの流水の排水設備が整備されたので、ほぼ町中が水に浸かることは無くなった。 もし町へ氾濫水が流れ込んで来ても、我が家は以前から隣の家まで浸水しても、我が家だけは浸水したことは無いので、我が家に居るのが一番安全である。 この高鍋町の避難勧告は全国ニュースで流れたようで、息子たちと妹たちからラインで心配の声が届いたが、近年は町中が浸水することは無くなったので大丈夫 と伝える。 しかしそのころには少し雨脚も弱まって来て、11時を過ぎると一気に青空が広がってきた。 午後はスッキリと晴れて、暑い陽射しが照り付け、もの凄い蒸し暑さとなる。 夕刻に小丸川の様子を見に行くと、やはり氾濫寸前の様相だった。 帰宅して知ったが、小丸川には氾濫注意情報が出されていた。 熊本では大きな被害が出ているので、九州山地の南九州寄りの山間部は凄い雨だったようだ。 ☆午前に2階アトリエのエアコン取り付け工事。 こんな激しい雷雨の中では作業は出来ないだろうと思っていたが、作業が始まるころには雨脚も弱まり、作業中には雨も止んで青空が一気に広がって行った。 やはり、我が家の前に一軒の取り付け工事が這入っていたのだそうだが、作業は延期になったと言う。 エアコンの取り付け工事に伴い、アトリエの中を20年ぶりに片づけたら、閉めきっていた窓のカーテンの裏に、小棚があるのに妻が気付き、ビックリしていた。 7月3日(金) ☆一日、激しい雨。 またも宮崎県には大雨警報と土砂災害警戒情報が出された。 高鍋町でも夕刻の5時に、避難準備・高齢者等避難開始が発令された。 妻の話だと、昨年も私の不在中はずっとこんな大雨の毎日で、独りで不安な夜を過ごしていたと言う。 水冷でとても寒い一日。 ☆午前は9時から町内の海老原病院で、教職員互助会退職互助部の一日健診。 健診の内容は血液、尿、心電図、胸部レントゲン、聴力、視力で、殆どは毎年行きつけのO内科医院で診て貰っているものばかりだが、がん検診をしばらく受診し ていなかったので胃のバリウム検査を加えてもらった。 町の集団検診でも、過去にバリウムの胃の検査を受けたことがあるが、近年は海外滞在が長いので受診日は殆ど日本に居なかった。 だが昨年は身内に癌疾患が見つかったし、父も72歳で癌で亡くなっている。 明日は我が身の状況になってきたので、これからは毎年がん検診を受けるようにしたい。 ☆久し振りにバリウム検査を受けたら、昔とは検査方法が全く異なっていて、大型レントゲン台の上でゲップをこらえながら、長時間に渡ってあちこち回転させられ たり、機械のアームで胃を押さえられたり、ほとんど拷問だった。 ☆最後の問診では、今日の血液、尿、心電図、胸部レントゲンともすべて問題なし、だった。 この検査は毎年O内科でも同じ結果である。 ただ、血糖値が少し高めだという事だが、どういうことに気を付けたら良いのかと尋ねると、”運動不足と食べ過ぎ!”と医師の即答。 私も、”全くその通りです!コロナで仕事が無くなって、まったく体を動かしていないし、ゴロゴロ食べてばかりなので。” ☆思わぬ検査結果もあった。 聴力検査で、高音域の音がまったく聞こえなくなっていることが判った。 三兄も最近耳が遠くなったと言うし、私の母も私の歳には補聴器を付けていた。 やはり老化は随所に出て来ているのだ。 ☆検査は昼で終わったが、バリウムの処理の下剤を呑んだので、帰宅途中からお腹がぐずついて来て、午後は何度もトイレに駆け込む不愉快な時を過ごさねば ならなかった。 ☆退職互助部の一日健診には、もう一組の夫妻と一緒だった。 夫妻は私の高鍋高校の2学年後輩で、奥さんは高校美術部と宮崎大学美術科での後輩でもある。 私が大学時代に彼女をモデルにして作った首が、初めて新制作協会展に入選した。 そして当時は後輩たちを片っ端からモデルにして首像を作っていて、先年それらの作品写真をパソコンとスマホにまとめた。 スマホの中のそれらの首像の写真を見せると、学生時代の色んなエピソードが蘇ってきて、話が盛り上がった。 また夫妻が最初の家を新築した時に、玄関内壁に当時私が勤めていた会社の陶板レリ―フを取り付けてもらった。 後に、高鍋町内の奥さんの両親住まいの近くに新しく家を建てた時、その陶板レリーフを移設したかったのだそうだが、建築会社が移設を怖がってできなかったの だと言う。 それで最初の家を売りに出した時に、ご主人の後輩である不動産屋から、私に問い合わせがあり、それを石井記念友愛社の児嶋理事長が引き取ってくれて、都 農町の新しい保育園の入口に取り付けてくれた。 ご主人は小学校の校長をしていたので職務上で児嶋理事長とも面識があり、お礼の電話を頂いたことがあったそうだが、どこに取り付けられたのかまでは聞いて いなかったと言う。 キチンと都農町の保育園に取り付けられていると知り、夫妻は大変喜んでいた。 以前にもこの日記に書いたと思うが、この保育園と、奥さんが小学校時代まで家族で住んでいた川南町内の住宅からは近いのである。 7月2日(木) ☆今日も梅雨の晴れ間の晴天。 爽やかでしのぎやすい気候。 朝夕は肌寒い。 ☆午前に歯科医院。 先週に差し歯の根の治療をしてからずっと痛みが続いていて、昨夜はハーモニカも吹けないくらいだった。 まだ根に膿が溜まっているということで、膿を完全に除去してもらった。 治療の後に下の歯の歯石取り。 ☆私と入れ替わりに、今日はアトリエのエアコンの入れ替え工事の予定だったが、昼に帰宅してみると、工事の気配はない。 妻の話では、店長の勧めてくれたエアコンの容量が大きすぎて、今の電気配線ではすぐにブレーカーが落ちると分かったということだ。 今のアトリエのエアコンは21年前に取り付けたもので、電源が普通のコンセントに差し込む形状になっている。 現在ではエアコンの電源は別に配電盤から取るようになっているのだが、我が家の配電盤はキッチンにあり、2階のアトリエまでは遠くて工事が出来ないという ことであった。 それで午後に再びエディオンへ出掛けて、ワンランク下の容量のエアコンに買い替える手続きをする。 ☆先日、軽トラのワイパーのゴムがちぎれてしまったので、エディオンからの帰りに馴染みの自動車修理工場へ立ち寄って取り換えて貰う。 明日からまた梅雨が戻って雨続きになるので、今日中に取り換えておきたかった。 ☆朝と夕刻に、再び増えてきたドクダミ草の除去作業。 ☆昨日取り換えたガスコンロは、使ってみると、ごとくが軽くて薄い上に、掃除しやすいようにガラス台の上に置いてあるだけなので、フライパンを使うとごとくが動く し、フライパンを動かすとごとくとガラス面が触れ合って、あの最も嫌な音、ガラスを金属でひっかくカチャカチャとする音がして、非常に不快である。 毎回、こんな不快な思いをしながらフライパンを使わねばならないのだろうか。 そして夕食時には、グリルでココットプレートと言うものを使って魚を焼いてみた。 今のグリルには水が要らないし、このココットプレートの中に魚を入れて焼けば煙も出ないし綺麗に焼けると言うので、わくわくして使ってみた。 しかし、焼き上がりは今一つだし、なにしろ魚の下面がココットプレートに直接触れるので、魚の焼けた汁がこびりついて非常に不快である。 食べても美味しくなく、魚好きの妻も箸が止まってしまった。 断然に、以前の水を使って網の上で焼くグリルでの焼き魚のほうが旨い。 しかも、コンロの方は敏感なセンサーが付いているので(法で義務化)、以前のようにコンロの上で網で魚介やホルモンを焼く事は出来ないのだと言う。 なんだか便利な機能が、かえって非常に不便なものになってしまっている。 私は明日は一日健診で、今夜の夕食には深酒が呑めないので、酒で口直しをすることもできず、不愉快なまま9時には寝る。 7月1日(水) ☆梅雨の晴れ間の晴天。 からりと晴れて、蒸し暑さは無し。 夕刻からは涼しくなる。 ☆午後にガスコンロとオーブンの入れ替え作業。 最近は着火もままならなかったガスコンロを最新のガラストップに買い替え、故障してしまったオーブンも新しく買い替える。 システムキッチンのガスコンロとオーブンは新築時に入れたものなのでもう21年目なのだが、ガス屋に言わせると20年もよくぞ持ったという。 夕食は早速オーブンを使ってみたが、これまでのものとかなり使い勝手が違っていて、馴れるまでには時間がかかりそう。 今の新しい製品は色んな細かな機能が有りすぎて、昔の単純な機能の方が使いやすかった気もするが、これも馴れれば重宝するのかも。 ☆夕刻に年賀状の断捨離の続き。 棄てても棄ててもまだまだある。 処分しながら、やはり何か割り切れないものを感じるが、私が死んだら単なる迷惑ゴミになるだけだから、割り切りが必要なのだろう。 ☆とうとう7月に這入ってしまった。 そろそろ来年1月に開催予定の妻との版画展の準備にもかからなければならない。 また空港展の開催についても気になるところだが、宮崎空港ビルのウエブサイトを見ると、オアシス広場のイベント中止は6月30日までの案内だったが、やはりま だ空白のままだ。 3階のギャラリーも7月いっぱいは空港ビルの所蔵作品の展示になっていて、次の予定はまだ空白のままだ。 |