Back to toppage このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。 過去の日記 2022 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2021 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2020 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 |
2022 | 2月28日(月) ☆晴れ。 午前は快晴。午後からは少し雲が出る。 今日も気温は上昇。暖房は不要。 ☆午前は白アリ業者による白アリ予防消毒作業。 床下だけではなく、浴室の壁やタイル張りの内側、玄関など徹底的に消毒してもらった。 自宅工房も、大きな白アリ被害の出ていた展示室の床下を含め、白アリの湧きそうな場所に薬剤を散布してもらった。 自宅工房の白アリ駆除にはかなりの費用がかかると思っていたので助かった。 これで向こう5年間は保証が付いたし、向こう5年間の間に白アリが発生した場合は保険で工事費が出る。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、昨日が休日だったこともあって140人。 高鍋町は2人だったが、川南町で事業所のクラスターが出たので、西都・児湯圏域は16名であった。 3月6日までのまん延防止適用が解除に成るのか微妙である。 一方、宮崎の倍以上の感染者の出ている佐賀県は、知事がまん延防止を3月6日で解除する決定をした。 2月27日(日) ☆快晴。 陽射しがとても強くて、春本番の暖かさ。 ☆好いお天気なので、午前はホームセンターでフラワーポットの植え替えの花を買ってきて、フラワーポットの植え替えをする。 午後は伸びて来た庭の草を取る。 ☆夕刻にモニュメント制作の見積もりの追加・修正をする。 当初の見積もりより、かなりオーバーする。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は232人。 昨日より増えていて完全に横ばい状態である。 高鍋町は2人、西都・児湯圏域は落ち着いて来ている。 今朝の宮崎日日新聞に、2月1日現在の宮崎県推計人口が掲載されていたので、今日現在での各市町のコロナ感染率を割り出してみた。 そうしたらやはり、高鍋町は宮崎市に次いで感染率が高い。 ☆連日、フェイスブックでは作家仲間たちからウクライナのロシア侵攻の状況や反戦メッセージが届く。 想い出されるのは、2008年のスロバキアシンポジウムに参加した時、期間中の8月20日はチェコスロバキアにロシアが侵攻してきて40年目の日だった。 その時のロシア兵が攻め入って来た時の恐怖を、スラバが語っていた表情を忘れることが出来ない。 今、多くのウクライナの友人たちが同じ恐怖を味わっている。 2月26日(土) ☆快晴。 風も無く陽射しが強くて、気温が上昇。 午後は室内でも暖房は要らない程の陽気となった。 ☆午前は送られてきた句集「宿木」に目を通す。 私が謹呈した「月の雫」のことも詠んであった。 石心の詩魂を汲むや神迎 日記代わりに一日一句と言うのは、なかなか出来る事ではない。 しかし短歌よりは詠み易い気もする。 私もこうして日記は毎日書いているが、殆ど何があったかの記録なので、短歌や俳句で日々の想いを残していくと言うのとは丸っきり人生の深みが違う。 ☆実は、モニュメントの設置場所の景観デザインについて、専門家の立場でこの友人の建築家にアドバイスをしてもらいたいと思っていた。 今日までなかなか連絡のタイミングが掴めなかったのだが、昨日に句集が届いて、やはり私は彼に連絡を取らなければならないようになっているのだと確認した。 不思議なことだが、私は必要な人は向こうの方から私の前に立ち現れてくれることが多い。 午後は資料を揃えて、手紙を書く。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は222人。 高鍋町は2人で、西都・児湯圏域は全ての市町に感染者が出ているが、1,2人で落ち着いて来ている。 しかし宮崎県は横ばいのままである。 まん延防止適用期間の3月6日までの1週間が勝負だと宮崎県知事と宮崎市長は警戒感を強めている。 今日は10の都道府県がまん延防止の延長を決めたようだ。 そうなると、宮崎県もいまの横這い状況が続けば、まん延防止の延長を考えていくのではないのだろうか。 2月25日(金) ☆快晴。 陽射しが強く、日中は暖かくなる。 洗濯物を干していると、陽射しと風の気配がもう春そのものである。 ☆午後に宮崎市へ出て、低床トレーラーを所有している運輸会社を尋ねて打ち合わせをする。 一番の懸念材料であった料金については、まったく想定外の低料金で唖然となった。 運輸会社の担当者も、日通の門司港からの搬送料にビックリして目を丸くされていた。 これで完成作品設置時の経費については、当初の見積もりとそう大きな変化はなく、ホッとする。 道路通行許可についても会社で取ってあるので、あらためて申請する必要はないと言うことである。 ☆運送会社の所在地をスマホのナビで辿って行っていたら、ナビが途中で機能しなくなり、ずい分広い範囲を走り回った。 おかげで行ったことも無い風光明媚な里山に感動したりであったが、驚いたのはその運送会社のある周辺の山道沿いには真新しい重機を整えた重機会社がたくさん 出来ていた。 建築業界は活況なのだろうか。 高鍋に帰って来ると、高鍋町内でもあちこちに真新しい重機が置いてあることに気が付いた。 高鍋町は人口が20,000人を切り、急激な人口減であるにも関わらず、高鍋町内は建築ラッシュなのである。 ☆我が家を設計してくれた友人の建築家から、句集が届いた。 先年、贈呈した「月の雫」への礼状にも一句添えてあり、伊藤先生も彼の文章力に感銘されていた。 3年ほど前から老化防止のために句会に入り、日記代わりに「一日一句」の記録を課しているのだと言う。 ☆四兄からの連絡で、龍野市のOさんは、なんと兄の親しくしている人の知人だと分かったと言うこと。 世の中、ほんとうにつながっているものである。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は265人。 河野・宮崎県知事は、低止まりと言うより横ばい状態だと、強い警戒感を表明した。 専門家の間でも、再び拡大のおそれもあるという見解が出て来ている。 高鍋町は2人。 ☆ウクライナ情勢については、友人の彫刻家からネット情報より早く、フェイスブックで新しい情報が届く。 ロシア軍のチェルノブイリ占拠についても、ネット情報より早く届いた。 キエフに侵入したロシア軍の戦車が、老人の運転されていた車を轢き潰した画像も送ってきた。 老人は幸い無事であったようだ。 私はロシアにも作品があり、そしてロシアもウクライナも大変な親日国である。 胸が痛む。 2月24日(木) ☆快晴。 朝のうちは風が冷たく冷え込んだが、午後は風も無く強い陽射しで暖かくなる。 ☆朝一にトヨタL&Fへ出かけて、リフトの修理見積書を受け取る。 もう廃棄同然のリフトなので、覚悟はしていたが、私の予想見積もりの倍以上の見積額だった。 こんな大型のリフトのリースは無い。 今回のモニュメントの作業にはどうしても必要なものである。 どうしたものかと頭を抱える。 ☆帰宅してすぐに枕木が届く。 運送会社が制作場所まで廻ってくれると言うので、制作場所まで案内して降ろす。 枕木1本の重量が相当なものなので、これを自宅で軽トラに積み替えていたら大変な目に遭っていた。 私はそのまま制作場所に残って、プレハブ倉庫に残りのブラインドを取りつけ、カーテンも取りつける。 そしてあらためて鉄枠で組まれた石を点検していたら、石の底部と鉄枠の間には緩衝材の板材が敷いてあるのに気が付いた。 これなら予定通りに鉄枠の上部を切り離してもらって、石の底部にスリングを差し入れて石を吊ることが出来ると分かった。 少し先が見えてきた。 制作場所の入り口には、土地の管理者が侵入防止のガードを設置してくれていた。ありがたい。 ☆午後は妻のヴォーカルレッスン。 私も新曲にハーモニカでジョイントする。 相変わらず私のテンポは速くなったり、遅くなったりである。 とくに私の早とちりの性格上、早く吹きすぎる傾向がある。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、昨日が祝日だったこともあり162人。 しかし高鍋町はあいかわらず5人である。 河野・宮崎県知事は、九州の他の県ではすべて、まん延防止に伴う飲食店の酒類提供を緩和しているのに対し、宮崎県では緩和の時期ではないとの方針を示した。 九州内で最も感染者が少ないのは、この強い対策を行ったことによるものなので、まだ規制を緩めるべきではないというのが理由である。 ☆とうとう現地時間の今朝早朝の5時30分過ぎに、ロシアのキエフ空爆が始まり、ロシアのウクライナ侵攻が現実のものとなった。 ウクライナには友人の彫刻家が何人もいるし、なにより私の作品も2点ある。 プーチンは核兵器使用を本気で考えているらしい。 この機に乗じて、台湾進攻を虎視眈々と狙っている中国が火事場泥棒然で動き始める懸念も出てくる。 なにやら対岸の火事では済まなくなりそうで、怖い。 2月23日(祝・水) ☆曇天の一日。 しんしんと底冷える。 ☆午前に妻とギャラリー”しんとみ”へ。 出来上がった二人展の作品集冊子を届ける。 やはりまん延防止が適用されてから、ギャラリーは殆ど来客はなく、商店街もガランとなってしまったということ。 ☆午後はデスクワーク。 春からのモニュメント制作は扱う金額が大きいので、キチンとした彫刻工房の領収書を作ろうと思って、ネットで無料のテンプレートを検索。 しかしほとんどのテンプレートがPDFで、私はPDFを編集できるソフトを持っていないので私仕様に編集できない。 それでネットのプリント会社で、彫刻工房の領収書作成を発注する。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は251人。 なかなか200人を切らず、宮崎県も”下止まり”傾向にあると警戒している。 高鍋町は1人で、今日でちょうど累計400人となった。 1月20日に累計204人となって、わずか35日で倍数となった。 2月22日(火) ☆快晴。 風が冷たく、冷え込む。 遠くの山並みが霞んでいたので、春霞がかかっていたのだろう。 ☆午前に白蟻業者に点検作業をしてもらう。 昨年暮れの大掃除の時に、妻が玄関奥の柱が腐食しているのに気付いた。 てっきり白蟻だと思って、白蟻駆除のスプレーを柱の中に噴霧していた。 それ以来、妻は白蟻駆除のことが気になり、私がモニュメント制作で多忙になる前の今のうちに点検してもらうことにした。 水道工事の時に、地元の水道業者の対応が悪く、ネットで”すいどう職人”に依頼したら対応がとても良かったので、今回もシロアリ110番に問い合わせてみた。 宮崎市から来た業者は、やはりとても腰の低い丁寧な業者であった。 昨年暮れには我が家の道向いのお宅にも駆除工事で来ていて、高鍋町にはよく来られ、高鍋町は白蟻被害の多い処だと言う。 玄関奥の柱を見て貰うと、ひょっとするとこれは白蟻ではなく、我が家の建築上のミスで雨水がこの柱に流れ込んでしまうように成っていることによる単なる腐食かも しれない、と言うことであったが、床下を点検したらやはり白蟻は我が家には発生していないと言うことであった。 見積は無料だったので、自宅工房の白蟻被害のことも話した。 庭に出ると、桜と藤が怪しいと言う。 白蟻はこの桜と藤に巣食っていて、地下を通って自宅工房のコンクリート床の裂け目から自宅工房に上がって来ていたようだ。 それでまだ白蟻被害に遭って居ない我が家の自宅に予防の工事をすれば、一緒にサービスで庭の樹木と自宅工房に薬を散布します、と言うことであった。 見積もu単価に我が家の床面積を掛けただけの実に明瞭な計算だった。 自宅工房の白蟻駆除だけでも数十万円になると思っていたので、自宅の予防工事を行ってもらうことにした。 ☆午後にホームセンターでカーテンレールを買って、プレハブ倉庫にカーテンレールを取りつけ、ブラインドを取りつける。 作業中に制作場所の土地の管理者代表が見えられた。 あらためて鉄枠組みの石を眺めながら、どうやって倒すのがベストなのか思案に暮れる。 ☆四兄から、私の西播磨シンポジウムの作品の設置場を尋ねてきた。 兄の出版した本のことを神戸新聞たつの版に掲載してくれると言う。 龍野市には、西播磨シンポジウムの時に龍野市在住で宮崎大学農学部で長兄の先輩だった方が自宅に呼んでいただいたことがあると伝えると、連絡先を教えて欲しい と言う。 それでまだご健在なのか確認しようと思って、27年ぶりにOさんにお電話してみた。 すると実に溌剌としたお元気な様子のOさんが電話に出られた。 もう83歳になられると言う。 Oさんのお父さんは戦後の高鍋東小学校の校長をされていて、高鍋町にはOさんの当時の同級生も居るので、あれから何度か高鍋町にも遊びに来られて、友人たちに 田中石材店のことを尋ねたりしておられたと言う。 どうやら四兄が高鍋東小学校に通っていた低学年の時の校長先生が、Oさんのお父さんだったようだ。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は227人。 高鍋町は3人。 相変わらず西都・児湯地域は各町で感染者が出ている。 2月21日(月) ☆晴れ。 午前のうちは雲が多く、ひどく冷え込んだ。 昼前から快晴となり、午後は強い陽射しで幾分気温は上昇。 ☆午前にアンジェラスの森へ。 今のうちに交通事故で破損したあかりオブジェの新作に取り掛かっておかなければならないので、使えそうな石を下見する。 アンジェラスの森に至る野山は、冬枯れの樹々の梢が快晴の青空にむかって鋭く輝いている。 これからは春に向かって里山の美しい季節となる。 ☆ホームセンターでプレハブ倉庫に取り付けるブラインドを購入。 午後は宮崎市のホームセンターへ出て、ようやくプレハブ倉庫入口に使える幅のカーテンが見つかったので購入。 ☆あらためて制作現場に降ろした石の鉄枠で組まれた状態を確認したら、石の底部はきっちり鉄枠の上に置かれていて、スリングを敷き込むスペースは無い。 どうにかして石を軽く吊って、鉄枠との隙間を作って浮かせないと、石を吊って鉄枠から出せない。 どうすればベストな方法なのか、あれこれ思案する。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、昨日が医療機関が休みだったこともあって158人と200人を切った。 高鍋町は4人で、西都・児湯圏域は15人と高止まりのまま。 高鍋町は累計396人で、一気に明日にでも400人を突破しそうである。 2月20日(日) ☆雲は多かったが概ね晴天。 風が冷たく、日中も気温は上がらず底冷えの一日。 ☆午後に、妻と木城町・ピムリコのジャズセッションに参加する。 まん延防止で自粛中なので参加者はいつもの半分くらい。 ピムリコのセッションには観客はいないので、ほぼ上がることはない。 今日もアンプを通したハーモニカの音色が良く、1曲目はいつもは這入りの音がうまく出ない処もスムーズに這入れて、気持よく演奏出来ていた。 しかし後半で音を外した途端にガタガタとなってしまった。 2曲目はまあまあ大きなミスもなく演奏出来た。 妻の方は声の伸びもよく、まるで歌手みたいな出来だった。 ☆私と妻以外はみなさんアドリブでの演奏である。 まさかこの歳になって、妻とセッションに参加するようになるとは。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は207人と減少傾向である。 しかし高鍋町は7人で累計が392人となり、累計400人は目前となった。 西都・児湯圏域は昨日より多い21人で、高止まりのままである。 2月19日(土) ☆一日、雨。 夕刻からはしんしんと冷え込む。 ☆プレハブ倉庫に取りつけるカーテンをネットで調べるが、適したサイズのものが見つからない。 午前に再びホームセンターで捜してみたが、やはり一般家庭用のサイズのものしか売っていない。 むしろブラインドの方が安いのではないかと思うが、入口にはブラインドは使えない。 これから必要な道具類を半年間、プレハブ倉庫に置いておかなければならない。 倉庫の中が丸見えでは、またアンジェラスンの森で被害に遭ったように、ガラスを破られて盗難事件が起きる。 今回の作業場は誰も来ないと言うことだったが、プレハブ倉庫の廻りには真新しいペットボトルやティッシュなどが捨てられている。 それで入口は私しか入れない様にチェーンを掛けた方が良い、と土地の管理者から提案されている。 ☆午後は送られてきた四兄の「甚三郎とオルガン」を読む。 四兄は大阪心斎橋の三木楽器店に長年勤務していて、退職前から江戸文政時代から続く三木楽器の歴史資料を整理保存したり、西洋音楽黎明時期に活躍した人物 などの資料発掘に力を注いでいる。 海外にも調査に出掛けたりしている。 すでに共著で重厚な「三木楽器史」など刊行している。 この「甚三郎とオルガン」は、明治時代にオルガン制作を始めた池内甚三郎から始まる「池内オルガン」の歩みをまとめたもの。 池内甚三郎は兵庫県龍野市出身で、最初のオルガン工場も龍野市に設立している。 龍野市は、私が西播磨彫刻シンポジウムに参加した時に、宮崎大学農学部出身の方が龍野市のご自宅に私を招いていただいたことがあり、シンポジウム期間中にも 何度か龍野市を訪れて揖保川添いの情景を良く記憶している。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は215人。 西都・児湯圏域は都農町が6人、高鍋町4人、西都市3人で新富町、川南町合わせて15人。 宮崎県自体は少しずつ減ってきているが、九州全体では200人台は宮崎県だけで、他県はずっと高止まりのままである。 あの小さい佐賀県ではまだ連日、400人以上の感染者である。 これでは到底、「彫刻集団・佐賀」展は開催は出来ない。 高鍋町もほどなく累計400人に迫っている。 つまり高鍋町民の50人に1人はコロナに感染したと言うことになる。 今朝は私もコロナに感染し、妻は濃厚接触者で職場を3日間休まなければならないという夢を見た。 いつ、そうなってもおかしくない日々である。 2月18日(金) ☆午前のうちは曇天で、風も強く冷え込んだ。 昼前からは青空が広がり、上天気となる。 ☆午前に重機会社で、社長と今後の作業手順の打ち合わせをする。 やはりクレーン2台の作業ではスリングが2本では無理で、持ちあわせは無いと言うこと。 追加のスリングは私の方で対応することになった。 また完成時の運搬のことについても、移動距離が短くても一旦揺れが生じたら取り返しがつかない事態になるので、やはり門司から運ばれてきたように鉄枠で 固定する必要があると言うこと。 宮崎県で低床トレーラーを持っている運送会社は1社くらいしかなくて、その運送会社を教えてもらう。 ☆スリングについては見積もりを取ってあったので、発注を掛ける。 特注の注文制作なので、納期までには10日ほどかかる、と言うことであった。 これでこの先10日は倒しの作業は出来なくなったので、枕木の納入が遅れても問題ないことになった。 ☆その足で鉄工所へ。 昨日届いていた角当てに貼ってもらうウレタンゴムを届けて、重機会社との打ち合わせ内容を伝える。 鉄枠は上半分を切り離して外してもらい、それから石を引き抜いて倒し、下部の鉄枠は完成時の搬送に使うことにして制作現場で保管することを伝える。 スリングは発注したが、届くのに10日ほどかかるので、鉄枠からの石の引き抜き作業と倒し作業はそのころになる。 ☆午後はホームセンターでスチール棚を購入して、プレハブ倉庫の中で組み立てる。 組み立てが終わって、制作会場入口の電気工事店を訪ねて、電気工事と水道工事の現場打合せをする。 プレハブ倉庫の中の電気配線工事も一緒にやってもらうことにした。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は227人。 宮崎県全体としては減少傾向だが、西都・児湯圏域は高鍋町と西都市が9人で計26人という高止まりのままである。 高鍋町は累計で381人の感染者数となり、このままいけば間もなく400人に達するのではないのだろうか。 2月17日(木) ☆晴れ。 今日も冷たい風が吹いたが、昨日のような冷え込みには至らず。 ☆午前にトヨタL&Fでフォークリフトの解体状況について説明を受ける。 多くは老朽化で部品交換が必要であり、なかにはもうメーカーが製造を中止している部品もある。 それで最低限の修理の場合と今後の作業継続を考えた上での修理の場合との両方の見積もりを出してもらうことにした。 ☆午後は制作現場でプレハブ倉庫の壁の補修作業。 電気配線の壁なのでスイッチやコンセント差し込み口のカバーを外して、ベニヤ板に取りつけ窓を開ける作業。 ところがもう劣化が激しく、コンセントのカバーが錆び落としのスプレーを流してもネジが廻らない。 それでホームセンターに差し込み口のカバーを買いに行ったら、今は昔のタイプは売っていなかった。 そうなると素人では作業できない分野なので、制作場所に電気工事に来てもらった時に電気工事業者にやってもらうしかない。 ☆夕刻に重機会社を訪ねたが、まだ誰も仕事から帰って来ておらず、事務所は鍵がかかったままであった。 考えてみれば、2台のクレーン車で上部と底分を吊ればスリングは2本あれば問題ないのではないのかと思うので、その辺りの打ち合わせをしたい。 その作業を確認してから、鉄工所との作業手順を打ち合わせることになる。 ☆浴槽の中で、頭の中はこれからの石の返しの作業や完成した時点での搬送の手順のことで一杯である。 これはキチンとプロジェクトチームを組むべきではないのか・・・。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は269人。 ところが高鍋町はクラスターが発生して12人、西都・児湯圏域は全ての市町に感染者が出て、再び大台の29人であった。 2月16日(水) ☆快晴。 しかし風が猛烈に強く、底冷えの一日であった。 夕刻からの冷え込みには参ってしまった。 ☆朝一にアンジェラスの森へ。 今日は台座石も一緒に届くことを思いだし、長尺の枕材を制作現場に運ぶ。 石が届くのは11時の設定であったが、少し遅れると言う連絡があったので、プレハブ倉庫の壁補修の材料をホームセンターで調達。 ところが、石はその間に到着していた。 ☆クレーンは65トン吊りのラフタークレーン。 スリングは重機会社が持っていた。 無事に20トンの石を吊って降ろすことが出来た。 台座石も降ろして、何事も無く昼前には無事に荷下ろしの作業は終った。 ☆しかし、鉄枠を解体し、石を倒す手順について鉄工所とクレーンオペレーターと打ち合わせをするが、両社とも頭を抱えてしまった。 石は降ろしたが、これから先の作業が超難関で手も足も出ない状態である。 クレーンオペレーターは、鉄枠のまま倒した方が作業がしやすいというので、ひとまず鉄枠のまま倒してから鉄枠を解体する方向になった。 しかしこのままでは鉄枠がペシャゲてしまうので、枕木を当てなければならない。 だが先月末に発注していた枕木が一向に届かない。 業者に連絡すると、材料の調達が出来ず、早くて今月28日でないと届かないと言う。 今は年度末の時期に入っており、鉄工所も多忙な時期であり、そんなに作業を遅らせることはできない。 ☆午後は確定申告書を税務署に提出して、そのまま制作現場へ戻る。 そこへ鉄工所の社長が来てくれて、どのみち石を返すにはクレーン2台で作業しなければならず、重機会社がスリングを4本持って居れば鉄枠を解体した後に、スリングで 吊れば作業は出来るのではないのか、ということになったが、社長もベストな方法を考えてみると言うことであった。 私も重機会社にスリングが4本あるかの確認をすることになった。 ☆夕刻までプレハブ倉庫の室内壁の補修をする。 もう壁の中がボロボロで、埃やカビで気分が悪くなってきた。 ☆夕刻に家に帰ると、余りの寒さと、石を無事に降ろした安堵感からか、どっと疲れが出て来て、直ぐにでも布団に横になって眠りたかった。 次第に呼吸が荒くなり、立っているのもやっとの状態になってしまった。 例の黄疸になった時の症状が出てしまった。 ☆夕食後はなんとかハーモニカの練習をこなして、早々に床に就く。 ☆発注していた昨年の二人展の作品集冊子が届いた。 今回は光沢なしのマット紙で発注したが、やはりこの光沢の無いマット紙のほうが全然好い。 ☆四兄からも、彼が出版した「甚三郎とオルガン」の本が届いた。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は247人。 高鍋町は8人で、西都・児湯圏域は再び21人とぶり返して来ている。 2月15日(火) ☆晴れ。 風が強く冷え込んだが、陽射しは強い。 ☆朝のうちに石販会社から、日通の門司港での荷積み作業の写真が届いた。 今日は天気が悪い予報だったので、昨日のうちに積み込んだと言うこと。 プリントアウトして重機会社へ行き、打ち合わせをする。 ☆石は15トン吊りのスリング(ベルト状吊り帯)2本で吊ってある。 形が出てきたらスリングでないと石を吊れない。 それでスリングの幅と長さを日通に教えて貰って、見積を取らなければならない。 ☆午後はプレハブ倉庫の床の補修をする。 材料を買いに行ったホームセンターで鉄工所の社長に声を掛けられた。 それでスマホの中の角当ての画像を見せて、角当て作製の依頼をする。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は207人。 河野・宮崎県知事は、ピークアウトの兆しが見えつつあると定例会見で述べている。 しかし高鍋町は再び6人の感染者である。 2月14日(月) ☆朝のうちまで雨が残る。 昼前から晴れて来て、午後は暖かくなる。 ☆友人から石のワイヤー作業で使う角当ての画像が届いた。 石に接する内側に、石を吊るクランプに使ってあるプラスチックの板が貼ってある。 研磨した石でも使える様になっているようだ。 プラスチックの板は弾力のあるウレタンだと言う。 ホームセンターへ行ってみたが、売っている気配は無かった。 ネットで調べると、特殊ウレタンとかウレタンゴムという製品だとわかり、エストラマーという名称だと分かった。 調べていると、希望の厚みの物をカットして、ビスの穴まで開けてくれるところが見つかり、早速サイズ等を指定して発注した。 これを鉄工所に渡して貼り付けて貰えば良い。 しかし結構に価格の高い物だった。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 私もハーモニカでジョイントする。 妻がジャズを始めなかったら、こんな聞いたことも無い曲をハーモニカで吹くことも無かった。 頭が老化する暇がない。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は162人。 高鍋町は2人、西都市は5人で少し落ち着いて来ているのだろうか。 2月13日(日) ☆夜中から雨。 午後には雨脚は止る。 気温は上がらず、冷え冷えの一日。 ☆一日、デスクワーク。 ☆今週には石が届くが、実際の作業のことを具体的に考え始めたら、色々とクリアしなければならないことが出てきた。 重機会社が20トンを吊れるワイヤーを持っていなかったことや、完成した作品も低床トレーラーで運ばなければならないことなど、見積もりを算出していた時には 思いもつかなかった。 さらにもっと具体的な作業工程を考えていると、ワイヤーで20トンもの石を吊ったり返したりしていたら、石の角がたちまち欠損してしまう。 底の大きさは完成作品になっても原石のサイズからはそれほど大きな変化はないので、今の段階でも底の角が大きく欠損してしまったら大変なことになる。 そういえばワイヤー作業で角の欠損を防ぐための角当てがあることを思い出し、鉄工所に作ってもらうことにした。 そういうことに詳しい友人の彫刻家に実際の角当ての画像を送ってもらうことにした。 また完成した時点での作業を考えたら、ワイヤーでは傷が付いて吊れない。 どうしても帯状のスリングが必要になる。 だがこれだけの重量の石を吊るとなると、スリングも特注となり相当な高額となると言う。 頭の痛いことばかりである。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は235人。 高鍋町は2人だったが、西都市はまだ11人と高止まりのままである。 2月12日(土) ☆底冷えの曇天。 お昼からは小雨となる。 ☆午前に、妻と宮崎県立美術館で開催中の第2回みやざき総合美術展を観に出掛ける。 問題だらけの総合美術展だが、私は宮崎県文化年鑑の彫刻部門の執筆の必要性から出かける。 連日、宮崎日日新聞に掲載される大賞、準特選の作品写真に、今年はえらくレベルの低い作品ばかりだな、と思っていたのだが、実際の作品はそれ以上に衝撃的な レベルであった。 特に絵画部門は、審査員の偏執的な選考によって構成された異常な佇まいだった。 勿論、審査制の公募展は審査員の審美眼によって賞や入選が選ばれて構成されるものなのだが、概ね審査員の好みはあっても受賞作のレベルは保たれている ものである。 しかし今回の絵画部門の受賞作は、他の審査員であったなら入選以下のレベルの作品ばかりである。 こういう公募展は観たことが無い。 真面目に真剣に絵を描いている人たちにとっては、目指すものが何なのか分からなくなってしまっただろう。 受賞した人たちも、何故自分の作品がこんな高い評価を得たのかさっぱり理解できないままであろう。 私は審査員たちが宮崎の作家たちを小馬鹿にして、してやったりとほくそえんでいるとしか思えなかった。 今の美術の流れが漫画的なものに流れてしまっているとしても、これはあまりにもひどすぎる。 田舎の公民館の展示会レベルである。 会場で遭った友人も、今回の審査は並べた作品に向かって石を投げて当たった作品を採り、さらにその作品たちに石を投げて当たった作品を受賞作としたのでは ないのか、と憤っていた。 そこまでは無くても、私には明らかに審査員があえて常道の作品審査ではなく、稚拙な表現にも大きな価値が在るのだという勘違いの価値観を押し付けて自己満足 しているとしか思えなかった。 受賞作品はいずれも高校生以下のレベルでしかない。 ☆彫刻部門は思っていたよりもまともな構成で安心した。 大賞の宮崎大学の学生の木彫作品は余りにも雑で私には何の価値も見いだせなかったが、審査員の保田井氏の原点が奈良の朽ちて塑像の心棒がむき出しの 古仏への新鮮な感動から始まっているので、この粗雑な学生の木彫から保田井氏は何か感銘を受けたのかもしれない。 工芸的な作品も少なくなってきたのには安心した。 しかしあいかわらず入選作の半分が入賞作と言う、公募展では考えられないひどさである。 ☆工芸部門はあいかわらず混沌としたままだ。 工芸部門は彫刻部門以上に深刻で、近年の県内公募展の工芸部門の審査員が、サーフボードを大賞作品にしたり、石灯籠や公民館でのジオラマを入選作にするなど、 従来の価値観から大きく転換してしまったので(これが近年の価値観の流れなのか)、陶芸作家たちが一気に意欲を失くして出品しなくなってしまった。 こうした問題が新しい総合美術展に於いて何ら解決の策も成されていないのが、大きな問題なのである。 もっとも、工芸の幅は実に多様なので、時代の流れと言ってしまえばそれまでなのだが、優れた陶芸作家たちの作品が見れなくなったのは残念でならない。 ☆総合美術展から新設された自由部門は、何とも言い様が無い。 何が自由表現か、という選択は出品者側の意思なので、昨年の第1回では殆どが平面作品であった。 今回も、どの部門にも納まりきれない作品は3点のみであった。 なかには明らかに工芸作品の出品が在り、奨励賞だった。 枠にはまらない表現の場の提供と言う設立の趣旨は理解できる。 私の担当している文化年鑑でも、今の部門編成ではどの部門にも含める事の出来ないインスタレーション作家で、全国的に極めて高い評価を得ている作家を記録 できない。 事務局に現代美術部門を設けてこうした作家の活動を記録して欲しいと何度か要望してきたが、見送られたままである。 だがこの総合美術展の自由部門の出品状況を見ると、出品者がまだ自由部門というものを理解できていない。 審査する側(運営側)も、自由部門と言う規定があいまいなまま、出品された物をすべて受け入れている。 こんな部門は即刻廃止すべきだ。 あるいは、時代の転換期として、こうした弊害を呑みこみながら、本当の意味での自由表現の作家達が多数出品できるまで見守る覚悟を持つかである。 ☆午後は、確定申告の清書をする。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は196人。 全体としてはかなり減って来たが、しかし高鍋町では6人、西都市は8人で依然として高止まりのままである。 2月11日(祝・金) ☆快晴。 空気は冷たいが、陽射しが強く、気持の好い気候。 ☆折角の祝日の行楽日和なので、妻と西都原公園へ梅を見に出かける。 まず西都原考古博物館で企画展「教科書から学ぶ考古学〜日本史、その頃の宮崎」を観る。 教科書に出てくる考古学での出土品と宮崎のそれとでは異なっているという好企画である。 南九州では縄文土器はあまり出土例がなく、殆どは貝文土器であったということはもう理解している。 特に縄文土器の代表格とも言える火焔式縄文土器は関東にしかない。 ところが宮崎にも縄文の火焔式に似た土器が1点出土していた。 この土器はなんと高鍋町の下耳切遺跡から、高速道路工事前の発掘調査で出土していた。 西都原考古博物館は来るたびに発見がある。 ☆博物館を出て、梅を見に行こうと思ったが公園内をいくら捜しても梅の花が見つからなかった。 独身時代はよく西都原公園に梅見に来ていたし、妻ともお弁当を持って梅を見にきている。 それで帰り道から上新田のほうへ抜けて、新富町の「座論梅」を見に行く。 座論梅へ来たのはもう数十年ぶりな気がする。 梅の盛りはもう過ぎてはいたが、充分に甘い香りの梅林を堪能することが出来た。 密を求めてやってきたミツバチたちの重低音の羽音が響くなか、久しぶりにメジロの姿を見ることができた。 ☆午後は先日移設したプレハブ倉庫のレベルを出す作業をする。 レベルが出ていないので戸が閉まらない。 ジャッキで調整しながら作業する。 ☆フェイスブックを見ていたら、インドのシンポジウム会場に35トンの大理石を搬入している。 インドのシンポジウム会場自体はとても広大な空間だが、そこへ至る道筋は私のアンジェラスの森の中以上に道幅が狭く、起伏も激しい。 車の離合さえ難しいそんな山道を、よくぞ35トンもの石を運んできたものだ。 そして4台のクレーンで石を吊って降ろしている。 日本では20トンの石の運搬さえ大変で、さらに石を降ろすのに重機会社がお手上げ状態なのに。 つべこべ言わずに平気でこういう作業をこなしてしまうインド、恐るべし! ☆とうとう日本政府がウクライナ在住の日本人に対して退避勧告を出した。 アメリカの情報では北京オリンピック閉幕直前に、ロシアが首都キエフを奇襲空爆する可能性が高いと言うことである。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は278人。 高鍋町は2人だったが、西都市は12人で、西都・児湯圏域は22人の高止まりのままである。 2月10日(木) ☆曇天の一日。 お昼にいったん青空が広がったが、ほどなく曇天に戻る。 ☆確定申告の作業に入る。 経費を算出して、申告書の下書きに入る。 こういう事務的な作業を今のうちに片づけておきたい。 ☆フェイスブックを見ていると、あいかわらず海外のシンポジウムは活発に行われていて、友人の作家たちが全く普通に制作にいそしんでいる。 先日からジキア(ジョージア)が、2年前に私が参加したインドのシンポジウム会場の風景を、ショートビデオでフェイスブックにアップしている。 相変わらず孔雀が舞う静かなたたずまいで、2年前に撮った動画を流しているのかと思っていた。 しかし、私が居た時に彼がそんな動画を撮っていた記憶が無いし、何故今になって流すのだろうと首をかしげていた。 ところが今日になって、実は今、今年のシンポジウムが開催されている画像が大量にアップされた。 信じられない。 インドはいまだに世界第2位のコロナ感染国である。 そんなところで普通に国際シンポジウムが開催されているなんて! しかも日本人の作家も参加している。 日本では自分の住んでいる地域からの移動さえ自粛が要請されているのに、まして今の状況で海外のシンポジウムに参加するなんて考えられない。 ☆宮崎の今日のコロナ新規感染者は319人。 だが高鍋町は9人、西都市は17人で、西都・児湯圏域は34人という高止まりである。 宮崎県の「まん延防止」適用期間は3月6日までと正式に決まった。 しかしこの「まん延防止」期間の延長要請は知事の判断である。 したがって九州内では宮崎県以上に感染者が爆発的に増加している福岡、佐賀、大分、鹿児島は今月20日までの適用期間のままである。 しかも、飲食店での酒の提供に関しても、知事の判断である。 したがって、県によって飲食店で酒を提供出来るところと出来ないところに分かれている。 ここへ来て、宮崎県全域にたいして、飲食店での酒類提供を禁ずる判断を延長した河野・宮崎県知事に対して批判が高まっている。 西都・児湯圏域でも木城町は殆ど感染者は出ていない。 地域によって感染者の状況には大きな差があり、一律に規制をかけるのは腑に落ちない。 そして、飲食店での酒類の提供がコロナ感染拡大にどれほどの影響が在るのかの明確なデータも示されていない。 街が疲弊し、死んでいくばかりである。 2月9日(水) ☆晴れ。 朝は久しぶりに車のフロントガラスが氷結したが、日中は冷え込みは無し。 午後からは雲が出てくる。 ☆一日、昨年の二人展冊子のデータ編集。 表紙を編集し直して、各データの校正作業をしてアウトラインを掛ける。 夕刻に印刷会社に入稿し、発注を済ませる。 ☆重機会社と日通の相互のスケジュールを調整して、石が届くのは来週水曜日の昼前と決まった。 お天気は好さそうだ。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は344人。 ところが高鍋町は13人、西都市は14人で、西都・児湯圏域は一気に35人の感染者急増となった。 一向に納まる気配が無い。 ☆そこで私に関するイベント等にも影響が出始めた。 まず、3月に予定してあった彫刻集団・佐賀の開催が3年連続で中止となった。 今年は大丈夫だろうと思っていたが、佐賀・長崎の爆発的なコロナ感染者数が一向に納まらない。 開催しても誰も観に来れないだろうし、搬入出で移動するメンバーのことを考えると止むをえない判断だろう。 そして今月22日に開催予定だった高鍋町美術館協議会が書面開催となった。 高鍋町の13人の感染者は昨日の判明分なので、今朝のうちに美術館にも対応への連絡が入ったのだろう。 河野・宮崎県知事も「まん延防止」の適用期間延長を来月6日までと発表した。 状況によっては更なる延長もある、と言うことである。 2月8日(火) ☆夜中から雨。 雨は朝のうちは本格的に降る。 日中は雨脚は止ったが、午後半ばからは再び小雨状態となる。 ☆午後に、アンジェラスの森のプレハブ倉庫を春からの制作場所へ移動。 やはり今のアンジェラスの森へはクレーン車が這入るのがぎりぎりで、20年前は普通にクレーン車が這入って大きな石の荷下ろし、位置替え、荷積み作業を行っていたころ からはかなりの枝葉が延びてきてしまっている。 一度、時間を見て思いっきりチェンソーで伐採作業をしなければならないようだ。 プレハブ倉庫はもう24,5年もの間、湿気の多い森の中に置いていたので、貼り直した床も湿気で抜け落ちている状態で、本体自体も吊りの作業に耐えられるのかと 心配していたが、無事にクレーンで吊ることが出来た。 暫くはこのプレハブ倉庫の修復作業等の新しい制作環境の体制整備に時間を取られそうだ。 ☆道路を走っていてあらためて見上げると、道路の上には夥しい電線類、信号機等が張り巡らされているし、高速道路の下もくぐらなければならない。 私の後ろから付いてくるクレーン車の上のプレハブ倉庫が電線等に接触するのではないかと思うほどであった。 これではやはり道路を走行する車の荷高が決められていて、私の石は低床トレーラーでしか運べないことが如実に実感できた。 ☆一日、昨年の二人展作品集のデータ作成の続き。 ほぼデータ作成が終わる。 先日に発注した今年の二人展の冊子がもう届いた。 仕上がりの状態はこんなものかという感じ。 印刷・製本は全く問題ない。 ただ、作品のスキャンを我が家の安物のスキャナーでやっているので、どうしても版画の微妙な表情は出ないし、光沢のあるコート紙印刷なので木版画の良さが出ない。 それで今データを作成している昨年の二人展冊子は、マット紙で発注してみようと思う。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は242人。 高鍋町は落ち着いて1名。 しかし、やはり感染が高止まりなので、河野・宮崎県知事は「まん延防止」の適用期間延長を国に要請した。 延長期間は3週間になる見込みで、妻の誕生日も含まれてしまった。 これで妻の誕生日にどこか美味しいものでも食べに行こうかと言うプランも、外食での飲酒は出来なくなった。 2月7日(月) ☆朝のうちは晴れ。 次第に雲が出て曇天となる。 気温は上がらず冷え込む。 ☆朝一にアンジェラスの森へ上がる。 運送会社の社長が移動するプレハブとリフトの作業のために、現場を確認したいと言うことであった。 アンジェラスの森はこの30年間の間にずい分と樹木が成長して枝葉が延びて来ている。 それでクレーン車が作業できないので、通路上に蔽いかぶさった枝葉を伐採するように命じられた。 またリフトもエンジンはかかるが、ブレーキが固まってしまって走行できない。 しかし運送会社にはリフトを吊りあげるようなワイヤ設備は無いので、なんとか自力走行でトラックに乗せないと運べないと言う。 それでトヨタL&Fの担当者に来てもらって、運送会社の社長と打合せをしてもらい、自力走行できるかどうかの点検をしてもらった。 私はその作業の間にいったんチェーンソーを取りに帰宅する。 アンジェラスの森に戻ると、リフトは走行できるようになっており、運送会社との打ち合わせも済んでいた。 昼過ぎまでチェーンソーで森の伐採作業をする。 ☆昼食後にまたアンジェラスの森へ戻ろうとしたところに、重機会社の社長から電話が入り、とんでもない事態となった。 重機会社には20トンもの荷を吊るようなワイヤーはないと言うのである。 あわてて石販会社に連絡を入れて、あれこれ緊急事態を解決する手はずを試みるが、日通はすでに門司港で荷積みの作業中であった。 そこで門司港で石を吊るワイヤーを借りることはできないかと交渉してもらったが、万一のことがあったら港の他の作業が出来なくなるので貸し出しは出来ないという 返事であった。 つまり明日石が届いても、石を降ろせなくなった。 明日の石の搬入はキャンセルせざるを得ない。 しかしキャンセルすると、特殊車両ゆえ、キャンセル料が高額な実費でかかると言う。 私の独断では判断できないので、依頼主に事情を伝え了承してもらった。 そしてどのみち、20トンが吊れるワイヤーを準備してもらわないと、これからの作業ができないので、重機会社にワイヤーを特注してもらった。 次回の配達は来週になるが、まだ重機会社のスケジュールの調整が出来ない。 ☆運送会社に連絡を入れると、リフトは午後にトヨタまで運んだと言うことであった。 伐採の状態を尋ねるとまだ落とさないといけない枝があると言うので、夕刻に再びアンジェラスの森へ上がり、梯子を掛けて木の上に登り、高所に張り出している 枝を落とす。 ☆先日から気になっていたのだが、門司から石を立てたまま低床トレーラーで運んでこなければならないのは、運搬には幅の制限とさの制限があるからだ。 だがこれから石を加工しても、作品の寸法は原寸と変わらない。 つまり完成した作品を設置場所まで運ぶためには、再び低床トレーラーで運ばなければならないのだ。 運輸会社の社長に尋ねると、低床トレーラーを持っている運送会社は宮崎には1,2社しかなく、やはり特殊車両なので使用料がものすごく高いと言う。 日通が運んでくる経費については、やはりそのくらいかかると言う。 また道路使用許可証も必要になるのだろう。 これは、これは・・・・・・。 ☆大問題も起きたが、奇蹟的なことも起きた。 長年動かなかったリフトが動いたのは驚きだった。 それにチェンソーも、先日友人が譲ってくれたばかりであった。 ☆一日チェーンソーを握っていたし、キャンセル問題発生での精神的なショックで、クタクタになってしまった。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は170人。 高鍋町は5人で、クラスターが発生している。 2月6日(日) ☆快晴。 午前は風が冷たく冷え込んだが、陽射しが強く午後は暖かくなる。 日が落ちてからはぐんぐん冷え込む。 ☆午後にホームセンターでプレハブ倉庫に敷くブロックを購入して、制作現場へ運ぶ。 それからアンジェラスの森へ上がり、枕材を軽トラに積んで制作現場へ運ぶ。 アンジェラスの森は湿気がひどいので、長い間使わなかった大材の枕材は湿気で腐ってボロボロになってしまっている。 ☆昨年の二人展の作品集冊子データ作成の続き。 画像をスキャンしていなかった妻の残りの版画もスキャンを済ませる。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は323人。 高鍋町は少し増えて9人。 2月5日(土) ☆快晴。 風は無いがしんしんと冷え込んだ。 夕暮れの西空に凛と浮かぶ三日月は、まさに厳冬の佇まいである。 ☆冊子のデータ作成の要領が呑みこめた今のうちに、昨年の二人展の作品集も作っておくことにした。 今日は、一日、ずっとその作業で過ぎる。 妻の作品はまだ半分近くの画像データを整理できていないのだが、骨格を作っておけば画像がそろったところで直ぐにでも発注できる。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は314人。 そのうち高鍋町は再び8人となった。 2月4日(金) ☆快晴。 午前のうちは風が冷たく冷え込んだが、陽射しが強く午後は暖かくなる。 ☆午前のうちに、来週からの仕事の段取りをして回る。 まず鉄工所に出かけて、石の到着日を伝え、一度下見をして鉄枠解体の作業手順を判断してもらうようにお願いする。 次にトヨタL&Fへ出向き、来週あたりに運送業者にリフトを運んでもらうことを伝える。 そして運送業者へ出向いて、来週にでもプレハブとリフトを運んでもらうように、そしてリフトはトヨタL&Fに運んでもらうようにお願いする。 プレハブは、フックを掛けられる金具が付いていれば、吊り道具は運送会社が用意すると言うことであった。 ☆午後は事業復活支援金の申請作業。 私はこういう支援金が在ることなど全く知らなかったが、昨日に初めて知った。 昨日のうちにネットで条件等を調べたら、どうやら該当するようだ。 それで午後に、必要な書類をスキャンして揃え、ネットでログインIDとパスワードを設定して登録を済ませ、事前確認用の申請IDを取得した。 注意書きを読むと、本申請の前に登録確認機関で事前確認を受ける必要がある、と記載されている。 登録確認機関を調べると宮崎銀行高鍋支店が出て来たので、電話を入れると、担当者が直ぐに必要書類を持って来行して下さいと言う。 担当者が、書類に登録で発行された申請IDを記入し、支援金への該当理由を記載してくれて手続きは終った。 銀行からの連絡が本部に反映されるのには2日ほどかかるらしく、土日を挟むので来週の水曜日以降に本申請して下さいと言うことであった。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は368人。 高鍋町は4人、西都・児湯圏域では川南町が2人、都農町1人で激減した。 しかし九州内の他県では毎日のように過去最多数を記録しているし、宮崎県の年明けてからの第6波の感染者数は第1〜第5波の累計感染者数をすでに超えていると言う。 河野・宮崎県知事はこういう高止まりの状況から、「まん延防止」の延長はやむを得ないのではないのかと今日の会見で述べている。 ネットで、県内の若い女性の感染者の症状が報告されていたが、重症者はいないものの、実際は予想していたよりもはるかにきつい症状だったし、後遺症もずっと倦怠感が 残っていると言うことである。 やはりインフルエンザと同様に考えていてはよくないようだ。 2月3日(木) ☆一日、重い曇天。 気温は上がらず、底冷える ☆朝のうちに、発注していた二人展の礼状が届いたので、宛名を書いて午後に投函。 これで二人展の残務作業はほぼ終了。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 二人展の礼状を郵便局で投函した後に、私もハーモニカでジョイントする。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は392人。 高鍋町は今日も8人の感染者で、これで高鍋町民の累計感染者は285人となった。 国は宮崎県を含む13都県を、13日まで期限の「まん延防止」適用を今月末まで延長する検討を始めた。 2月2日(水) ☆一日曇天。 日中は薄日が射したが、青空は見えず、冷え込む。 ☆午後に、中国からの石を降ろす制作場所へ出掛け、石の制作場所とプレハブ倉庫の設置場所の配置を点検。 川向こうに太陽光パネルがズラリと並んでいるのが気になるが、そこまで石粉が飛ばない配慮が必要だろう。 場合によっては防塵壁が必要になってくるかもしれない。 ☆一日、二人展冊子データのレイアウト修正作業。 表紙、裏表紙も制作して、一通りのレイアウトを妻に見て貰ってOKを貰う。 全てのデータを確認して、一部の未修正のデータを手直ししてからアウトラインを掛ける。 これでイラストレーターのデータ作成は完了したので、ネットで印刷会社に入稿する。 この会社を使うのは初めてで、70ページものの大量のデータをどうやって送るのかと心配だったが、なんと70ものデータファイルを一括で送れた。 そしてデータの送付が終わると、ただちにデータチェックの結果が画像一覧で表示されて、全ての画像に「問題なし」と付されていた。 さらにプレビューデータが表示され、PDF一覧も送られて来て、仕上がりの状態が如実に確認できる。 裏表紙の印刷範囲だけが私のミスで設定が間違っていたが、このデータも修正したものと取り換えることが出来て、また新しい一覧画像が表示されて確認できた。 それで入稿を最終確認して、振込み手続をして、入稿確定となった。 しかも入稿受付日から5営業日後の出荷を選んでいたので、もう2月7日には出荷である。 何とも迅速で的確である。 ☆ウクライナのカニフ・シンポジウムから、雪の中の作品画像がフェイスブックでアップされた。 その中に私の作品が見えたので、シェアしておいた。 ところが夕刻になってコメントを見ると、”これも田中君の作品かな?”とあって、画像をスクロールしていったら私の制作した作品2点ともがアップされていた。 それぞれの作品に2枚ずつの写真がアップされていたので、担当者の私の作品への思い入れが伝わって来て嬉しかった。 そのウクライナがロシアからの侵攻の危機に直面している。 ウクライナは、私がこのカニフ・シンポジウムから帰国した直後に政変があり、観光で訪れたばかりのキエフの大統領府が火の海に包まれた衝撃的な出来事があった。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は466人。 そして高鍋町は8人と、また拡大がぶり返してきた。 九州内ではこれまでの波ではそれほど感染者の出なかった長崎、佐賀がすごい感染者数である。 3月に開催を予定している彫刻集団・佐賀の事務局からも、開催すべきか延期すべきかの問い合わせが届いた。 いまは美術館での感染はほぼないので展覧会開催自体は問題ないが、しかしこんなに感染者が爆発的な拡大状況のなかでは、誰も観に来ないだろう。 2月1日(火) ☆朝のうちは快晴。 日中は雲が多くなり、強風が吹いて冷え込んでくる。 ☆午後にアンジェラスの森へ上がって、移動するプレハブ倉庫の周囲を片付ける。 運送業者が、プレハブを吊る金具等はあるのかと尋ねていたので、ホームセンターへ出かけてフックを調べたが、シャックルの方がワイヤーを通しやすいので、 シャックルを購入。 プレハブに取りつけるカーテンやブラインドもチェックしてみたが、丁度良いサイズのものは売っていなかった。 ☆夕刻に二人展の冊子データを、画像縮小してレイアウト修正する。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は331人。 しかし西都・児湯圏域は、西都市3人、川南町2人、高鍋町・木城街・新富町・都農町各1人と大幅に激減した。 1月31日(月) ☆快晴の一日。 陽射しが強く、気温は上昇したが、空気そのものは冷たい。 もうあちこちで梅の花が開いている。 辛夷もつぼみが大きくなってきた。 今日で1月も終わり。 あっという間の一月だった。 ☆朝のうちに重機の手配をする。 幸いにも2月4日は空いていた。 これで石の荷下ろしは段取りが済んだ・・・筈だった。 ところが昼になって、石販業者から思わぬ電話が入った。 日通からの連絡で、石は門司港に入ったのでトレーラーの確認をすると、2月4日の配達で確認をしていたにもかかわらず、当日はすでに先約で予定が這入っていた と言うこと。 それで2月8日ではどうか、と言って来たとのこと。 あわてて重機の確認をすると、丁度お昼時で誰も電話に出ない。 午後になってようやく電話が通じると、2月8日はすでに仕事が這入っていると言う。 社長は頭をウンウン捻りながら、午後なら何とかしましょうという返事を返してくれた。 その旨を石販会社に伝えると、日通から午後1時に現場到着の予定で向かいます、という連絡が入った。 重機会社と関係者にその段取りで連絡を取る。 ☆夕刻までに、二人展の冊子のデータ作成は表紙のデザインを除いて終了した。 それで妻に一通り目を通してもらうと、一部の作品はページに対する作品画像の割合が大きすぎると言うレイアウトのクレームを受けた。 確かに冊子になった状態でページをめくってみると、指摘はその通りであった。 明日またレイアウトをやり直そう。 とくだん急いで作らなければならないものではないので、基本データさえ作成しておけば、発注までに見直しは出来る。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、昨日が日曜日だったので242人であった。 高鍋町は6人で、西都・児湯圏域は16人。 1月30日(日) ☆一日、曇天。 気温の冷え込みはなし。 ☆午前にアンジェラスの森へ上がる。 電気業者にプレハブの電気配線を外してもらった。 今日の時点では完全に電気が遮断されてしまったので、アンジェラスの森での作業は出来なくなった。 電気配線の幹線がプレハブ下の地中に埋まっているので、プレハブを移動した後に接続し直さなければならない。 大きな仕事に掛かる前に、春のグループ展のための小作品をアンジェラスの森で作っておきたいので、早目にプレハブを移動したほうが良さそうだ。 ☆午後は二人展の冊子のデータ作成。 データ発注のイラストレーターデータ作成の注意書きを再度よく読んだら、画像はリンクで貼りつけるのではなく、埋め込んで下さいとある。 そういえば、昨日の作業で修正の出来なかったデータをいったん削除した時に、リンク元の画像が削除されますというメッセージが出て、意味が分からなかった。 私はイラストレーターでの画像貼り付けは「配置」という操作でこれまでやって来ていた。 缶バッチやマグネットのデータもこの「配置」で画像処理してきた。 ネットで調べると、やはりこの「配置」と言うのは画像へのリンクで、印刷原稿データでは画像は「埋め込み」をしなければならないとある。 画像を埋め込む方法を調べて、昨日作成したデータの画像をすべて「埋め込み」の作業で保存し直す。 夕食までに作成できたデータはまだ3分の2。 明日一杯かかりそうである。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は345人で、少しずつ減っては来ている。 しかし逆に西都・児湯圏域は、西都市が15人、高鍋町が8人、新富町が7人、都農町が3人、川南町が1人で、第6波では最大数の34人となった。 だが爆発的に感染が拡大した沖縄の状況では、オミクロンの症状はほぼインフルエンザと変わらない症状で重症化はないという結果が出ている。 「まん延防止」は必要なのだろうか。 1月29日(土) ☆午前は曇天。 午後からは陽が射してくる。 夜中は蒸し暑く、日中も気温が上昇して、外に出るとジャンパーが暑い。 ☆一日、二人展の冊子の印刷データの作成。 ネット印刷の注意書きで画像の解像度を300〜400ppiにしてくださいとある。 こういうことが私にはよくわからない。 全部の画像を調整しなければならないのかと憂鬱な気持ちになっていたが、フォトショップで画像解像度をチェックしてみたら、デジカメで撮った写真はほぼこの範囲以内 の画像解像度になっていることがわかり、そのままデータに配置すればよいことがわかった。 ☆また葉書き絵は背景が白の絵が多いので、そのまま配置していては、葉書き絵の背景とページの背景の白とが同化してしまう。 それで、先日から葉書き絵の画像に影を付けるか枠を付けるかの方法をあれこれ試みていたのだが、なかなか良い方法が思いつかなかった。 しかしイラストレーターで葉書より一回り大きいサイズの方形枠を作って枠内を塗り込み、そこへ葉書絵の画像を配置すればよいことがわかった。 ☆これでデータ作成の方法が飲みこめたので、午後はイラストレーターでデータを作成し、一枚一枚のページをA5原寸サイズでプリントアウトして、レイアウトと作品データ を確認してゆく。 なかなか根気のいる作業で、今日は半分も作業が進まなかった。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は397人。 高鍋町は5人、西都・児湯圏域は27人。 しかし国民の多くが、今回のオミクロンは感染力は強くても、重症化せず、ほぼインフルエンザの感染と変わりがないので、飲食店への「まん延防止」による強制的な 自粛要請を批判的に受け止めている。 国に「まん延防止」を要請しない県知事のみなさんたちも、この国の対応を強く批判している。 イギリスのように様々な実験をして検証し、コロナとの共生を目指していかなければならないのではないのだろうか。 1月28日(金) ☆朝のうちは雲っていたが、直に快晴となる。 気温はぐんぐん上昇し、とても暖かい一日となった。 ☆石販会社から、中国からの石は31日に門司港に入り、予定では2月4日に高鍋に配送の予定と言うことである。 その連絡を受けて、今日は対応に追われる。 借地予定の企業担当者や関係者への連絡等。 ☆また石が大きいので枕木が必要になるが、早目に注文しても置く場所がないので、石の到着日がはっきりしてから発注しようと思っていた。 ところが業者に連絡すると、在庫が無く、品物が入荷してから送っていたのでは2月4日までには届かないと言う。 それで石販会社に確認すると、石が届いた時点では立てたままで荷下ろしし、その状態で鉄工所に鉄枠解体の作業を進めてもらった上で、その後に石を寝かせて 問題ない、と言うことであった。 したがって枕木は鉄枠解体後に使うので、納期には問題ないと判り、業者に枕木を発注する。 中古の枕木は安いが、油が付着しているので使えないので、新品の枕木を使う。 ☆そして、制作場所にアンジェラスの森の使わなくなったプレハブ倉庫を移動して、事務所と倉庫として使う。 しかし電気が配線してあり、他の倉庫とプレハブと配線が一体化しているので、配線を切り離す作業は電気工事業者に依頼しないと素人では出来ない。 知人の電気業者に連絡を取って、日曜日にアンジェラスの森で下見をしてもらうことになった。 ☆さあ、来週末に石が届くと愈々仕事が動き始めるが、制作現場の環境整備や、片づけておかなければならない仕事などあるので、本格的な作業は3月に入って からになるだろう。 ☆昨日とりかかった二人展の冊子の下準備は、もう一度ページ数を見直して、A5版の原寸大のひな形を作って、レイアウトをし直す。 ページ数が72ページとなったので、イラストレーターで印刷データを72ページ分を作成しなければならない。 素人には大変な作業だ。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は410人。 あちこちで学校や保育園等の休園、休校、学級閉鎖が続出している。 高鍋町は4人の感染者。 西都・児湯圏域では27人。 1月27日(木) ☆薄日の射す曇天。 夜中は蒸し暑く、日中も気温は下がらず。 ☆妻が二人展の記録を冊子にして残したいと言うので、フォトブックのようなもので、格安のものを少数部数作ってみようと思う。 今はスマホのアプリで、簡単に1部から作成できるようだ。 だがスマホのアプリのものは会員登録が必要なのだが、昨日から登録しようとしても何の返事も無い。 それで私はパソコンの操作の方が慣れているので、今回はパソコンからイラストレーターのデータで作成できるもので作ってみようと思う。 今日はデータの整理と、ひな形を作ってページのレイアウトを幾通りか作ってみる。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は409人。 高鍋町は5人で、西都・児湯圏域は25人。 1月26日(水) ☆快晴。 気温はぐんぐん上昇。 夜中も蒸し暑かったが、日中は外に出ると暑かった。 ☆午前に、高鍋町役場へ償却資産申告書の提出。 ☆午後は二人展の礼状のデータを作成して、ネットでDM印刷を発注する。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は過去最大数の511人。 先日、私の予想感染者が320人だった時、次に拡大する時は520人だと予測した。 320人以降は少し落ちついていたので、やはり320人台の次の拡大は520人だという私の予想はほぼ的中したことになる。 西都・児湯圏域も感染者が拡大して、高鍋町は11人となり、西都・児湯圏域では29人の新規感染者となっている。 高鍋町はこれでコロナ感染者は累計で240人となった。 1月25日(火) ☆一日、重い曇天。 ☆今日は一段落して、ゆっくり寛ぐ。 二人展の礼状のレイアウトなどする。 アンケートのプレゼント額が届いた方たちからお礼の電話が入ったりする。 皆さん、とても喜んでいただけて嬉しい。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は311人。 そして、やはりとうとう宮崎県は宮崎県全域を「まん延防止等重点措置」の対象区域に指定した。 来月の13日まで、宮崎県内の全ての飲食店の午後8時までの時短営業と酒類提供の停止を求める。 西都・児湯地区は今週中には「まん延防止」に指定されるだろうとは思っていたが、週の頭に、それも宮崎県全域に拡大されるとは思っていなかった。 これで二人展のアフタヌーンコンサートの打ち上げは、当分の間延期となった。 私たちの次に今日から”ギャラリーしんとみ”で展示会をされる方は、殆ど来客は無くなるだろう。 私たちの二人展は、ぎりぎりのタイミングでアフタヌーンコンサートも出来たし、二人展も最終日まで開催することが出来た。 1月24日(月) ☆一日、小雨交じりの曇天。 ☆午前に、アンジェラスの森でリフトの点検。 トヨタL&Fにようやく中古のバッテリーが手に入ったので、エンジンがかかるかどうかの点検。 もう何年も動かないまま、ジャングルの中の放置戦車状態だったので、担当者は悪戦苦戦だったが、何とかエンジンがかかってリフトも動いた。 これでバッテリーを新品に入れ替えればリフトは使えることがわかった。 しかし長年の放置で、他の操作レバーやブレーキワイヤー等がすでに動かなくなってしまっていて、部品を取り換えなければならないと判明。 したがって、工場に搬入しないと修理は出来ないと言うことになった。 工場で部品を取り換え、全ての点検をしてリフト本体も綺麗に掃除してお渡しします、ということなので、近いうちに運送会社にトヨタL&Fに運んでもらうことにした。 ☆午後は二人展の事後処理。 アンケート投票者にプレゼントする版画小品額の抽選を昨夜のうちに済ませていたので、当選者にレターパックで送る。 そして作品を買っていただいた方たちへ、作品を直接に届けたり、宅急便で送る。 これから礼状のDMを作成して発送すれば、二人展の事後処理は完了し、彫刻制作に集中できる。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、昨日が日曜日だったので204人とかなり減った。 西都・児湯圏域も感染者数は減ったが、全ての市町に感染者が確認され、川南町が「感染急増圏域」に指定された。 そして巷の情報では時間の問題だと言われていた、圏域内の某県立高校がクラスター発生と確認され、学年全員の自宅待機となった。 1月23日(日) ☆一日雨。 気温は上がらず、底冷える。 ☆二人展最終日。 おおむね最終日というものは駆け込みの来客を期待しながらも、ほぼ裏切られて終る。 今日も朝から雨であったし、ほぼ来客は無いだろうと思っていた。 しかしギャラリーを開けた早々に最終日だからと駆け込んでこられた方など、思いのほかの来客であった。 私の作品も売れたし、缶バッチ・マグネットもよく売れた。 この二人展の会期中に、コロナ急拡大、津波警報、そして日向灘地震と稀に見る災害の連続であったが、何とか来客ゼロ、売上ゼロの日は回避できた。 こんな大変な状況の中で無事に開催終了できたことは感謝に堪えない。 ☆会期中に来場された皆さんに作品の人気投票をしてもらっているが、これがなかなか面白い。 私が気に入っている作品は玄人好みで、素人にはなかなか評価を得にくい。 特に今回はみやざき総合美術展の搬入と重なって、美術関係者の来訪者がわずかだったので、玄人好みの作品には票が這入らなかった。 ところが、昨年の二人展で唯一出品を断念していた作品があり、そのままアトリエの中に放置していた。 しかし時折り眺めていると、それほど悪くない作品だと気付いて刷り直し、出品した。 その作品が私の作品の人気投票では、一番人気の作品とは1票差の次点投票数となり、しかも購入されてしまった。 さらに、購入していただいたのは美術関係者であった。 作品の与えるインパクトというものについて、考えさせらる。 36年前の葉書絵には、全作品に票が入った。 特に、新作の版画が間に合わなかったので、数合わせのために搬入前日に急遽出品を決めた葉書絵が、やはり上述の作品同様に一番人気の作品の次点だった。 やはりこの36年前の毎日1枚描いていた葉書絵は、今の私の制作の原点になっているものなのだ。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は318人で、昨日より1人少なかった。 しかし西都・児湯圏域は高鍋町7人、新富町5人、西都市4人、都農町と川南町各3人と22名の新規感染者であった。 今夜は二人展の打ち上げで、お寿司のテイクアウトを摂ったが、寿司店のおかみさんの話だと、今回のオミクロンの感染状況はこれまでのコロナ感染状況とはまったく 人の動きが違うと言う。 殆ど人が動かず、夜の来客は全く無くなったと言う。 二人展も、高鍋町からの来客がとても少なかった。 オミクロンの感染力の強さに、皆さん身構えておられるようだ。 1月22日(土) ☆朝のうちは快晴。 じきに雲が出て、一日中、重い曇天となり、夕刻から雨脚が落ちてくる。 底冷えの一日。 ☆真夜中に襲ってきた地震は久々の恐怖だった。 2階の寝室で熟睡していた私は、何やら異様な気配で目が覚めた。 妻のスマホからアラームが鳴り響いている。 直後に凄まじい揺れが襲ってきた。 こんな激しい揺れはこの家を建ててから初めてではないか。 何事が起きたのかと、慌ててリビングに下りて私のスマホを持って寝室に戻ると、次男から電話がかかってきた。 ”大丈夫?!”と声を掛けられるが、寝ぼけ眼の私は何が起きたのか判らない。 先日のトンガの噴火による全国的な津波警報のように日本中で揺れているのかと思って震源地を訪ねると、日向灘だと言う。 次男からラインで送られてきた地震情報を見ると、震度5強であった。 長男からも、高鍋町は震度4という情報が届いたが、揺れの感じは震度5以上はあったような気がする。 恐怖で妻との会話には口がわなないてしまっていた。 ☆揺れが納まって、家の中の被害を点検したが、不思議なことにあんなに激しく家が揺さぶられたのに、何も落下したり倒れたりして居ない。 朝までに何度か弱い余震が在ったが、夜が明けてあらためて家の中と自宅工房を点検してみたが、やはり何の被害も無い。 ラインで知人たちと情報交換してみると、やはりあれほどの激しい揺れにもかかわらず、猫用の浅い皿の水さえこぼれていないという。 ☆今日で二人展は11日目。 ギャラリーでは額が落ちたりしていないかと思ったが、こちらも殆ど変化は起きて居なかった。 それにしても、1週間の間に津波情報と地震情報で息子たちから真夜中に緊急連絡を貰うなんて、かつてない事態である。 今年はまだ3週間しかたっていないのに、コロナ感染の急拡大も相まって、なんだかこの先に何が起こるのだろうという恐怖を抱く。 今日の地震を 南海トラフトの始まりだという学者や関係ないという学者がいて、私たちにはとまれ非常事態はいつ襲ってくるかもしれないという覚悟だけは身に付けて 置くべきなのだろう。 先日の肩たたきは、こういう思わぬ災害を予知しての守護霊からのメッセージだったのかも知れない。 ☆こんな日にはギャラリーには誰も来ないのではと思ったが、お世話になっている方たちからの来訪があり、缶バッチとマグネットもよく売れた。 感謝である。 ☆今日の宮崎県のコロナ新規感染者は319人で昨日より20名少なかった。 しかし西都・児湯圏域では、新富町6人、西都市5人、高鍋町4人、川南町2人、都農町1人と、計18人も感染者が出ている。 このままの状況であれば、西都・児湯圏域にも「まん延防止」が適用になってしまうのではないのだろうか。 1月21日(金) ☆快晴。 車のフロントガラスの氷結は無かったが、気温は冷え込んで氷点下だった。 朝のうちは突風が吹いたりと風が強かったが、日中は陽射しの強い穏やかな陽気だった。 ☆何時ものようにギャラリーへの道筋にあるレンコン田を通りかかると、軽トラが止っている。 まさかと思ったが、レンコン田は氷点下で一面の氷が張っている中で、頭だけで出したおじさんがレンコンを掘っている。 寒い時期に泥田の中でレンコンを掘るのは解っていたが、まさかこんな氷点下の氷の張った中で作業をするとは、ビックリ仰天だった。 ☆二人展10日目。 今日も宮崎のコロナ新規感染者は過去最多となり、今日はもう誰も来ないのではないかと思っていた。 私と妻の予測では3名も来られればいい方だろうという感じだった。 しかし思いのほかいろんな方に来て頂いて、2桁台の来客となった。 私の作品も売れたし、缶バッチとマグネットもコンスタントに売れた。 こんな時期にお出でいただき、有り難い。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は339人。 そして西都・児湯圏域は、高鍋町が8名人、西都市が5人、都農町と川南町が各3人、新富町と木城町が各1人と全ての市町に感染者が出た。 宮崎県は昨日のうちにこの西都・児湯圏域の感染者を把握しているので、昨日のうちに「感染急増圏域」に指定したのだろう。 今日は宮崎市と延岡市も「まん延防止」の対象地域に指定した。 西都・児湯圏域もいまのまま感染拡大が続けば、来週中には「まん延防止」対象地域に指定され、再び居酒屋が全て店を閉じる事態になるのではないのだろうか。 1月20日(木) ☆快晴。 陽射しの強い穏やかな一日。 ☆二人展9日目。 宮崎のコロナ新規感染者がさらに過去最多となった。 毎日、ギャラリーのスタッフと妻と私とで、今日のコロナ感染者数と来客数を予測するのが日課になった。 おそらくコロナ感染者数の予測で賭け事をしている連中もいるのだろう。 私は今日の新規感染者は320人と予測した。 そして、ほぼ予測通りに今日の宮崎の新規感染者は329人だった。 来客は、妻が2人、私が5人と予測したが、妻が帰るまでは確かに2人ぽっきりだったが、私が帰る前に1人来られて3人となった。 ☆ギャラリーの前の商店街は誰も歩いていない惨憺たる状況になった。 ギャラリーに来られた方も、2人は所用で立ち寄られた方たちで、純粋な来客は夕刻に来られた方だけであった。 所用で来られた方がカンバッチを買っていただいたので、今日もなんとか売上ゼロは免れた。 ☆しかしとうとう、宮崎県は西都市・高鍋町・新富町を最高レベルの「感染急増圏域(赤圏域)」に指定した。 「感染急増圏域」に指定されると、各市町村以外への不用不急の外出・移動自粛が要請される。 期限は今日から2月13日までである。 私たちの二人展は会期中の閉鎖はしないが、これで週末の来場者はまったく見込めないことになった。 1月19日(水) ☆快晴。 風も無く、穏やかな暖かい一日。 ☆二人展8日目。 今日の宮崎県のコロナ感染確認者が過去最多数をさらに更新して、240人未満と言う午前のニュースは、やはり県民の足枷になったようだ。 今日は午前に絵画教室の生徒さんたち、お昼に新富町内の方が2名来られただけ。 午後はまったく空気が止ってしまった。 明日から週末を迎える後半に入るが、コロナ感染確認者は日に日に拡大していくだろうから、ほぼ絶望的な状況になりそうである。 逆に言えば、誰も来ないギャラリーは全く密にならない、コロナ感染とは程遠い空間なのだが・・・。 幸い、マグネットは売れたので収益ゼロは避けられた。 ☆誰も来ない受付に座っていると眠くなってきたので、陽射しの暖かい隣接の公園へ行ってみた。 寒緋桜が咲いていたので写真に撮っていると、突然道向いの町役場から大きなサイレンの音。 また津波かと思ったら、役場の裏手から白煙が上がり始め、火災発生のスピーカー放送が流れた。 畑の雑草を燃やしていたら、裏山に燃え移ったらしい。 ☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は235人。 しかも西都・児湯圏域は、新富町が4人、高鍋町が3人、西都市が2人、川南町と都農町が各1人と、11人の感染者が確認された。 いよいよ予断できない状況になってきた。 1月18日(火) ☆夜明け前の西空にはウルフムーンが煌々。 朝はそれほど冷え込んだとは思わなかったが、車のフロントグラスは氷結していたし、レンコン田も氷が全面に張り、車の運転の手がかじかんだ。 午前は雲が多かったが、昼前にはすっきり晴れて穏やかな暖かい一日となった。 ☆二人展、後半に入り7日目。 今日は穏やかな暖かい気候だったので、午前・午後ともにまあまあの来客。 マグネットはコンスタントに売れ、私の「月の雫」も1冊売れた。 ☆コロナが発生してから、初対面の人とはマスク顔でしか会っていないので、顏が覚えられない。 今日、来られた方たちの中にもこれまでに何度か会話をしている方が数名居られたのだが、まったく記憶になく、初対面の対応をしてしまった。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は、過去最大数の160人。 西都・児湯圏域でも高鍋町が4人、西都市と木城町が各1人となった。 週末までにどうなるのか、気になるところだ。 来週にギャラリーを利用される方から状況を問い合わせる電話が入っていたが、現在はコロナ感染が拡大しても美術館やギャラリーは閉鎖しないとスタッフが応答 されていた。 だが宮崎県は「まん延防止」への適用を国に申請して、対象地域は都城市と三股町だが、今後の状況次第では宮崎市と延岡市へも追加申請の可能性があるとのこと。 そうなると人の流れが完全に止まってしまう。 1月17日(月) ☆今日も一日中、すっきりしない曇天。 午後にようやく陽が射すが、晴天とまではゆかず。 ☆今日はギャラリーが休みなので、二人展は中日の休み。 家で寛ぎながら、雑務を片付ける。 ☆石販業者から、発注した石を船積みのために港に持ち込んだ際に、余りの重さにコンテナの底が破損してしまったという連絡。 それで台座の方を先に載せて、船は今日出港し、本体は次の船に積むと言うこと。 したがって石の配達は2月になるとのこと。 私としては、二人展が終わってから制作場所の環境を整える準備があるので、むしろ2月に入った方が助かる。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は93人。 西都・児湯圏域では西都市と高鍋町にそれぞれ2名の感染者が確認された。 今週中にどういう展開になるのだろうか。 1月16日(日) ☆薄曇りの寒々しい一日。 ☆母、25回忌命日。 ☆妻が起き抜けに、夜中に次男から津波警報のラインが届いていると驚いた。 二人ともぐっすい眠っていたので、ラインの着信音も聞こえなかったし、特別に地震の揺れや隣の消防機庫に動きがあった気配も無い。 リビングへ降りて私の携帯を見ると、ラインで津波警報の情報が飛び交っている。 また鹿児島辺りでの火山の爆発かと思ったが、パソコンを起動して、トンガの海底火山の爆発によって日本中の太平洋側沿いに津波警報が出されているのを知った。 宮崎でも各地で津波注意報が出され、すでに30cmから70cmの津波が観測され、日向市では避難指示が出されていた。 幸い、宮崎県内での被害は確認されなかったようだ。 ☆二人展6日目。 今日は予定通りにギャラリー前の商店街では朝市が開催され、多くの人々で賑わった。 美味しそうな出店が立ち並び、私たちも鮎の塩焼きを買って食べた。 久しぶりの鮎の塩焼きはとても美味しかった。 お昼前に、気になっていた斎藤牧場のコロッケを買いに行ったら、もう売り切れていた。 ☆今日は朝市からの流れや、宮崎市から美術関係者の来訪が相次いで、まずまずの来客だった。 カンバッチとマグネットもコンスタントに売れた。 ☆ギャラリーと言う場には、時々迷惑な人種が出入りする。 都会の画廊では、”ギャラリーストーカー”が問題になっているようだが、宮崎ではまだストーカーの被害は耳にしていない。 宮崎では勝手に自己アピールしたり薀蓄を語る人いたちが居て、聞くとそういう人はあちこちのギャラリーに出入りしていて、皆から嫌われているのだが、本人たちには 嫌われている自覚はないようだ。 ストーカーのように特別問題になる行動もないし、必ずギャラリーには顔を出してくれるので、迷惑な人種ではあるが誰も面と向かってクレームを付ける人もいないのだ ろう。 しかし今日の午後の客には参った。 ギャラリーに来るなり、いきなり自分の自慢話から始まり、私に向かって顔のデッサンをしてあげますとのたまう。 私が一切相手にしないものだから、ずっと妻に向かって延々と講釈を垂れ、いまからここであなたと歌いましょうなどと持ちかける。 どうみても正常な人間ではない。 ギャラリーのスタッフに確認すると、よく顔を出す人らしく、住んでいるところも名前もはっきりしていた。 しかし素性は、何処までが本当の話しかはわからない。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は142人。 幸いに西都・児湯圏域は西都市と高鍋町が各1人で、ギャラリーには直接の影響はない。 しかし都城市と三股町はとうとう飲食店での酒の提供禁止と時短営業の要請が出された。 また感染者の拡大が続いている宮崎市と延岡市は「感染急増圏域(赤圏域)」に指定され、市外への不要不急の外出や移動の自粛を求められることになった。 そうなると、来週には宮崎市、延岡市からのギャラリーへの来客はほとんど途絶えることになる。 望むらくは、来週中に西都・児湯圏域での感染拡大が出ないことを祈るのみである。 1月15日(土) ☆一日曇天。 天気予報では午後からは晴れであったが、雲が切れたのはもう夕方で、日中はとても冷え込んだ。 ☆二人展5日目。 今朝の宮崎日日新聞に記事を掲載していただいたので、午前は新聞を見て来られた方が多かった。 ☆午後にアフタヌーンコンサート。 昼前のコロナ情報で、今日の宮崎県のコロナ感染者数は140人未満という衝撃の数字が出て来たので、これでは一層、お客さんは来ないだろうと言う暗澹たる気持ちに なった。 実際に来訪者はなかなか集まらなかったが、気が付いてみたら、感染対策に対応して並べていた椅子はほぼ埋まっていた。 言わば、感染対策に充分に対応してでの、密にならない状態での満員御礼となった。 私は照沼さんの用意してくれたハーモニカ用のイコライザーで、ハーモニカの音色が素晴らしく響き渡り、照沼さんのドラムにもテンポが合わせやすく、とても気持ちよく 演奏することが出来た。 部分的には音が詰まってしまったところもあったが、これまでのコンサートの中ではあまり緊張もせず、最も上手く演奏出来た。 照沼さんから、私のハーモニカの演奏自体が上達しているというお褒めの言葉をいただいたし、片貝さんからもリズムの乱れが全く無かったとほめていただいた。 私はイコライザーのお蔭だと思っていたが、実際に毎日の練習で上達していたのかもしれない。 とまれ、大成功のアフタヌーンコンサートだった。 ☆マグネットがよく売れた。 もうコレクション状態で、何個も買っていただいている方も居られる。 私の本も1冊売れた。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は137名だったが、西都・児湯圏域では西都市、高鍋町、新富町、川南町が各1名で、幸いにもまだ市中感染の気配はない。 1月14日(金) ☆快晴。 今朝も車のフロントガラスの結氷が半分は雪印マークの六角形結晶だった。 我が家の庭も霜柱が立ち、西都の奥の山も雪化粧。 新富町のレンコン田も一面の厚い氷だった。 しかし日中は風も無く、とても陽射しが強くて穏やかな好き冬日だった。 こういう気候は大好きである。 ☆二人展4日目。 今日は午前は併設する絵画教室の生徒さんたちが見え、穏やかな陽射しとなった午後はまずまずの来場者となった。 缶バッチとマグネットも買っていただいた。 ☆朝一番に、商店街の日曜朝市のチラシが廻ってきた。 朝市が出来るのなら、アフタヌーンコンサートも問題ない。 そして今日の宮崎のコロナ感染確認者は、昨日より少ない88人で、新富町からは感染者は出ていない。 それでコンサートは予定通りに実施することにして、午後にギャラリースタッフの皆さんが椅子を準備して下さった。 確かに宮崎県からは混雑した場所へ出かける事は自粛を求められているので、コンサートに来る予定だった殆どの方たちは出かけて来るのをためらわれるだろう。 実際に、夜になって、職場から禁止令が出たので行けないと言う連絡もいただいた。 来られるのは商店街の方たちと関係者、ギャラリーのスタッフくらいになるかもしれないが、開催できるだけでも幸いである。 1月13日(木) ☆快晴。 昨日までの冷え込みは無かったが、やはり新富町のレンコン田には薄い氷が張っていた。 午前中は陽射しの強い穏やかな気候だったが、午後からは風が出て寒風の吹き荒れる底冷えとなった。 ☆二人展3日目。 今日は寒風のせいか、昼前に発表になった今日の宮崎のコロナ感染確認者100人という衝撃のニュースのせいか、客脚がばったり途絶えた。 午前と午後に1人ずつの来客のみ。 幸い、お二人ともマグネットを買っていただいたので、売上げゼロにはならなかった。 ☆底冷えの寒さと誰も来ないギャラリーの寒々しさで、ギャラリーのスタッフに早目に退出しても大丈夫と勧められたので、早目にギャラリーを出る。 今日は妻のボーカルレッスン日で、午後から明後日のアフタヌーンコンサートのリハーサルの予定だった。 サポートの照沼さんもドラムを我が家に持ち込んでのリハーサルだった。 本来なら私が帰宅する頃には終わっている筈だったが、片貝さんと照沼さんの都合で我が家に来られたのが遅くなり、私が帰宅したときにはリハーサルが始まった ばかりだった。 それで丁度良いタイミングで、帰宅したばかりの息も整わないうちに、再び最初の曲からハーモニカでジョイントすることが出来た。 ドラムが這入るとリズムが合わせやすく、私は今日は大きなミスも無くちゃんと演奏出来た。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者が100名というニュースは、ギャラリーにとっても私たちにとっても大きな衝撃である。 ギャラリーが閉まることはないが、来場者が確実に減る。 宮崎県は、宮崎県全域に「感染拡大緊急警報」を発令した。 これは宮崎県の独自の警報段階の上から2番目の警報で、再び4人以下の会食制限、不用不急の県外との往来自粛、本県への来県自粛などを求めるものである。 特に感染者の多い都城市、三股町は最高レベルの「感染急増圏域(赤圏域)」に指定され、赤圏域外への不要不急の外出・移動自粛要請となった。 他の区域は「感染警戒区域(オレンジ区域)」に指定され、 混雑した場所などへの外出・移動自粛を呼びかけるものである。 今日の段階では新富町はまだオレンジ区域なので、15日のアフタヌーンコンサートの開催は出来るとは思うが、しかしかなりの方がコンサートへの来場は自粛される ことになるだろう。 明日のさらなる感染者拡大によっては、コンサートもどうなるか見通しが立たない。 ☆ギャラリーの受付に座っていて、”肩たたき”に遭った。 右の肩甲骨と背骨の間を、女性のような柔らかい人差し指と中指の2本の指でトントンと叩かれた。 ”肩たたき”に遭ったのは2度目で、一度目は空港展の受け付けに座っている時に、左の肩を大きな男の右手でポンと包み込まれるような感覚で叩かれた。 当時の私は人生最大の危機的な状況にあり、明日がどうなるのか見えないまったくの暗闇の中に居た。 ところがその肩たたきによって、私の人生は奇蹟的に霧が晴れ、現在に至っている。 しかし、今の私は順調であり、何も救いを求める状況にはない。 ただ、妻が最近、毎日のようにあり得ないくらいに何か物を紛失している。 どこか落とし穴が待ち受けているのかもしれない。 気を引き締めよう。 1月12日(水) ☆快晴。 朝はとても冷え込んだ。 野畑は霜で真っ白で、西都の奥の山も雪化粧だった。 新富町では特産のレンコン田に厚い氷が張っていた。 日中は快晴の暑い陽射しだったが、室内は空気が冷たく一日底冷えた。 ☆二人展2日目。 まだ新聞にも載って居ないので、来客はDMを送って置いた方やふらりと立ち寄られた方たちであった。 それでも、私の今回の木版画の中で最も気に入っていた作品が売れたし、缶バッチとマグネットも売れた。 まずまずの成果である。 ☆今回の出品作の中に、暮れに車の突入事故で壊れてしまったあかりオブジェのマケットを出品している。 このマケットを見られた方たちが、「月の雫」で写真を見てとても気に入っていたと言われる方や、実際に設置してあったあかりオブジェをとても気に入っていただいて いて、作品が壊れたことをとても残念に思っておられる方たちが居られる。 あの”おざわ別館”に設置していたあかりオブジェは、多くの人たちに愛されていたのだということを今回の展示で痛切に肌で感じた。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は、一気に37人となった。 宮崎県は、県内でもオミクロンの市中感染が起きているとの認識を示した。 しかし西都・児湯圏域では西都市と新富町が1名のみで、新富町の感染確認者は他に拡がらない環境の方だと言うことで、今のところは市中感染の広がりへの懸念はない。 今日はギャラリーの前では、日曜朝の朝市の準備が始まっていたので、行政側もまだ行動自粛には至らないだろうと言う読みが在るのだろう。 私たちも、今の状況が悪化しない限りはアフタヌーンコンサートは実施できるのではないだろうかと思っているが、しかしそれは今日の段階での判断に過ぎない。 1月11日(火) ☆朝のうちは雨で冷え込む。 午前のうちに雲は晴れ、青空となる。 お昼までは暖かかったが、午後からは寒風が吹き荒れて底冷えとなる。 ☆二人展初日。 午前に宮崎ケーブルテレビの取材。 昼前に宮崎日日新聞新富支局の取材。 新富支局の記者の印象では、昨年よりもバラエティーに富んで面白いと言うこと。 ただ宮日新聞は2度目の取材なので、記事は昨年のようには大きな記事にはならないと言うこと。 ☆二人展は2度目なので、予想はしていたが、午前の来客はなし。 昨年は初日は誰も来ないだろうと言う予想に反して、午前はかなりの方に来ていただいた。 昨年は初めての2人展であったし、本を出版した直後だったので、やはり皆さんの関心が高かったのだろう。 今年の客足が鈍いのにはもう一つ大きな原因がある。 ギャラリーの斜め前にあったスーパーのマルショクが閉店してまったので、通りを歩く人が居なくなった。 昨年まではマルショクヘ出かける人たちの回遊ルートが出来ていたので、町民が気軽にギャラリーに立ち寄るシステムが定着していたのである。 しかし大手スーパーのトライアルが出来て、客足を完全に奪われてしまい、商店街の通りはゴースト通りとなってしまった。 通りを歩くのは下校の小学生と、元・マルショクの隣にあるテゲバジャーロオフィスのサッカー選手たちのみ。 ☆午後にようやく3組4名の来客。 しかし、作品が1点売れ、マグネットも複数売れたので、初日としてはまずまずの出足。 ☆石販会社からの連絡で、石のコンテナへの積み込みが始まり、今週中には中国を出港すると言うこと。 そして、最短で1月20日には高鍋まで配達できそうだと言うこと。 しかし20日はまだ二人展の開催中である。 そして石を搬入する前に制作場所に枕材を運んだり、クレーンの手配をしたりしなければならないので、できれば月末に搬入を延ばせないか問い合わせる。 2人展が終わったら、ただちに石の制作に突入する。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は17人。 都城市と三股町が感染警戒区域となり、会食制限が求められることになった。 西都・児湯圏域は川南町の1名だけだったので、数日中の爆発的感染が無ければ15日のアフタヌーンコンサートは実施できそうである。 1月10日(祝・月) ☆晴天。 とても陽射しが強く、暑いくらいの暖かい一日。 夕刻からはぐいぐいと冷え込んでくる。 ☆”ギャラリーしんとみ”での二人展搬入。 10時から搬入展示作業。 しかし、ギャラリーのスタッフの皆さんが昨年に引き続いての作業なので極めて手際が良く、お昼過ぎには全ての作業が終わった。 昨年は69点の展示だったので、展示点数は昨年とほぼ同じだが、妻の作品はこの1年間で制作した作品のみなので、昨年のようなバラエティーに富んだ多様さには 及ばない。 ☆コロナ感染の第6波の拡大で、ギャラリーからアフタヌーンコンサートへの懸念が出るかと思ったが、まだ行動自粛要請レベルまでには至っていないので、重い懸念は 無かった。 ☆帰宅して、抜けていたキャプションの追加などの作業。 ☆夕刻から右足の踝が痛み始めて歩けなくなった。 結婚する前に右足かかとを骨折した時の痛みの再発である。 ここしばらくは出ていなかったのだが・・・。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は11名。 九州の他県と比べると、宮崎の感染確認者は圧倒的に少ない。 しかしとうとう高鍋町でも感染者が確認された。 1月9日(日) ☆晴天。 朝は車のフロントガラスが氷結する程に冷え込んだが、日中は陽射しが強く、とても暖かくなる。 ☆明日が二人展の搬入なので、今日は一日その準備作業に追われる。 私は木版画の新作追加は断念し、同じ作品で色違いの作品を追加し、葉書き絵ももう1点追加する。 昔作った陶のエスキースオブジェも展示することにした。 これで私の出品作は、木版画18点、葉書き絵9点、彫刻小品5点、陶オブジェ3点の計35点となった。 妻は版画、墨絵、水彩合わせて33点。 二人で68点となったので、まずまずの展示数となった。 それに缶バッチ、マグネットがかなりある。 ☆一段落して、夕刻に久しぶりに理髪店で散髪。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は、17名で、心配していた昨日の倍増にはならなかった。 西都・児湯圏域は西都市から1名のみであった。 しかし九州内では他県は爆発的な増加で、宮崎県は鹿児島県と佐賀県を往来自粛圏域に追加指定した。 1月8日(土) ☆午前は重い曇天。 午後からは雲が切れて来たが、気温は上がらず。 ☆一日、二人展の準備。 昨日、コンビニで拡大コピーした会場入口用のポスターがどうにもぼやけている。 おそらくコンビニのコピー機が劣化しているのではないかと思い、最近オープンしたばかりのコンビニで拡大コピーしてみた。 そうしたら、やはり色味も鮮明度も全く違う。 ウッドラックパネルに貼って、ポスターを作りかえる。 その他、二人展期間中に必要なデータ書類等の作成等。 ☆午後に、今日から開館となった高鍋町美術館にDMを届ける。 青井学芸員とコロナ再拡大による運営上の不安を語る。 昨年は、高鍋町内でクラスターが出ても美術館は閉館しなかった。 ”ギャラリーしんとみ”も後半は新富町内で感染者が拡大してもギャラリーは閉めなかった。 美術館は密にならないということが行政側にも認知されてきたからである。 しかし美術館でのイベント開催となると、対応は異なる。 ☆夕刻に高鍋駅前の”カレーカフェ・静”に二人展のフライヤーを持って行く。 ”静”は店舗を拡大改装して昨年末にリニュアルオープンしたようだ。 高鍋駅に設置されたストリートピアノの音もよく聞こえるそうで、連日、色んな人が弾いているらしい。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は一挙に24名となった。 西都・児湯圏域では、川南町が2名、新富町が1名確認されている。 都城市ではクラスターが発生しているが、県外からの来訪者との会食で広がっているので、宮崎県はまだ市中感染は生じていないと判断している。 しかし、今日は河野・宮崎県知事が「第6波に一歩入った」との認識を示した。 そして感染者数が多い「西都・児湯圏域」と「都城・諸県圏域」では、今後10万人当たりの新規感染者が20人を超えた場合は「感染警戒区域(オレンジ)」に指定し、 会食の人数制限などの行動制限を求める方針だと言う。 つまり、ここ1週間以内に西都・児湯圏域が「感染警戒区域」に指定されれば、二人展でのアフタヌーンコンサートは不可能となる。 開催するとすれば、これまでのように収容人数を最小限にしての予約制にするしかないが、そのことをこれから先に告知する手段が無い。 1月7日(金) ☆快晴。 今朝はとても冷え込んで、車のフロントガラスが氷結。 日中は陽射しが強く、気温は上昇。 ☆幕の内も今日まで。 新築なった高鍋信用金庫本店前に設置してある門松も今日までだろうと思って、正面玄関脇に移設された林宏氏のあかりモニュメントと門松を一緒に写真に撮って 林氏に送ってあげようと思い出かけた。 そうしたら、本店新築工事のために取り壊しとなった民家の跡が駐車場になっていて、駐車場の奥に地蔵堂が祭られていることに気付いた。 これまでは民家の背後にあったので、通りからは見えなかったのだ。 地蔵堂に近づいてみると、あれっ?何か見覚えのあるお地蔵さまがある。 地蔵の表情に記憶が在るのだ。 そして傍で良く見ると、手の造りがとてもゴテゴテしていて、普通の石屋さんの作る地蔵像のスマートさが無い。 ふいに、私が自分の手を見ながら、悪戦苦闘して彫ったことを思い出した。 私が若いころに彫った地蔵像だった。 ☆午後は二人展の諸準備。 会場入口のポスターとキャプションをウッドラックパネルに貼ったりの作業など。 ☆宮崎の今日のコロナ感染確認者は9名で、その内の3名が西都市、川南町と新富町が各1名で、西都・児湯圏域で5名も感染者が確認された。 隣接する高鍋町からも感染者が確認されるのも時間の問題だ。 オミクロン株も、疑いから確定に至った方が5名確認された。 今のところ、宮崎県内の感染確認者は県外往来からの持ち帰りと、その方たちとの濃厚接触者に限られていて、まだ市中感染には至っていないようだ。 しかし九州内では一桁台の感染確認者数は宮崎だけである。 宮崎もあっという間に市中感染が広がってゆくだろう。 そうなると私たちの二人展も予断を許さない状況となるだろう。 1月6日(木) ☆夜中から朝方まで雨。 日中も、お昼に晴れ間が出たり、夕刻に再び雨となったりと不安定な気候。 気温は上がらず、夕刻からはしんしんと冷え込む。 ☆二人展にもう1点作品を追加したいが、まったくプランが纏まらない。 寝床の中でも、浴槽の中でも考えるが、ひらめいたと思ってもデッサンをしてみると全然駄目である。 それで彫刻の小作品を4点追加出品することにした。 ☆来年2月に二人展を予定していた宮崎市の画廊喫茶から電話があり、その時期にすでに予約を受け付けていたことを忘れていたのでと、8月に変更になった。 来年の8月なんて何の予定も目途も考えられないので、取りあえず予定に入れてもらう。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は6名となった。 オミクロン株かどうかはまだ判明していない。 6名の方のうち5名の方は県外往来歴があり、まだ宮崎では市中感染には至っていない。 しかし県内4圏域に感染者が確認されたので、宮崎県は宮崎県全体を「特別警報」に引き上げた。 まだこの引き上げによる行動自粛要請はないが、日本医師会会長が「第6波」との見解を示したので、これから急激に感染が拡大して再び行動自粛要請が出される ことは確実だろう。 これから先の1週間で状況が急激に悪化すれば、二人展期間中のアフタヌーンコンサートの中止要請が出る事は充分に予測できる。 今は準備はキチンとこなしながら、推移を見守ることしかできない。 1月5日(水) ☆曇天の一日。 夜になって小雨。 ☆今日は高鍋町は成人式。 高鍋町商店街連合会の企画で、式典の後に商店街の各撮影ポイントで成人記念の撮影スポットを用意していただいた。 私の中町商店街は、昨年暮れに制作した又木啓子さんの”ハートプロジェクト”と尾崎慎氏の彫刻の設置してある石垣が撮影スポットとなった。 それで頃合いを見計らって出掛け、二人の作家に写真を送るために、スポットで撮影していた振り袖姿の娘さんに撮影許可を貰おうと思った。 ところが声を掛けようと近づいた娘さんは、なんと姪っ子の次女だった。 なんというタイミングだろう。 ☆夜になって、”うちぬき21”の白木さんから、今年の”うちぬき21プロジェクト”の作家推薦依頼のラインが届いた。 私の参加した翌年はスペインの作家の招待が決まっていたのだが、コロナ禍で来日できず、プロジェクトは2年間休止した状態である。 今年もまだ海外作家の来日は不可能なので、今年は国内作家を招待して、なんとかプロジェクトを実施したいということであった。 だが、私自身が今年の大きな仕事の手助けをしてくれる作家が見つからない状況であり、他人様のことを考えている場合ではない。 ふつふつと考えていたら、参加してくれそうな作家が思いついて、打診してみた。 そうしたら、スケジュール的に問題なく、参加できると言う返事が返ってきた。 彼は、台湾のWuが招待された時に、”うちぬき21プロジェクト”に遊びに来ているので、石のことも制作場所等のことも見知っている。 白木さんにもその旨を伝えて、招待作家が内定した。 ☆とうとう宮崎県でもオミクロン株疑いの感染者が3名確認された。 その内の、福岡から来県されていて発症した方は、高鍋町保健所管内の市町村に滞在されていたので、宮崎県は西都・児湯圏域を「感染確認圏域(黄圏域)」に 変更した。 これはもうすでに宮崎県も第6波の入り口に在ると言ってもいいのだろう。 オミクロンの感染力はこれまでのコロナよりも4、5倍強いと言われている。 私たちの二人展にも影響が出て来るかもしれない。 アフタヌーンコンサートは確実にお客が減るだろう。 1月4日(火) ☆快晴。 暖かい一日。 ☆午前に妻のボーカルレッスン。 二人展でのアフタヌーンコンサート前の最後のレッスンとなった。 私もハーモニカでジョイント。 私はまだまだトチルところやテンポが狂うところあるが、大きなミスはなくまずまずの出来。 ☆午後は郵便局で年賀状を買ってきて、二人展DMと同じものをプリント。 今日までに届いていた年賀状に返事を出す。 ☆今朝、ごみを出そうとして左の腰に激痛。 まったく動けなくなったが、妻が渡してくれた湿布を張ったら、ウソのようにピタリと痛みが止った。 日中は何の痛みも無かったが、夕食前の入浴時に湿布を取ったら、あっという間に痛みが戻ってきてしまった。 ☆今日は宮崎でのコロナ感染者は確認されなかったが、全国的に感染拡大が急増している。 最も感染者の激増している沖縄県に対して、宮崎県は往来自粛対象県に指定した。 そして沖縄県知事も、確実に第6波に入ったと明言した。 オミクロン株による第6波は2月にやって来ると言う予想だったが、この勢いでは1月中に日本中が第6波に呑み込まれるのではないのだろうか。 1月3日(月) ☆快晴。 暖かい一日。 ☆二人展の版画の新作プランがなかなかまとまらないので、今のうちにキャプションのデータを打ち込んでおく。 ☆元宮崎空港ビルの荒武社長が亡くなったので、通夜に出掛ける。 宮崎の作家達に事務局から案内してもらったが、都合が付いたのは私と奥村のみ。 もっとも荒武社長は、今の長濱会長の前の社長で、空港展初期にお世話になった方なので、今のメンバーで面識があるのは私と奥村くらいしかいない。 享年90歳の大往生であった。 ☆今朝の新聞訃報欄には、私の高鍋高校2学年先輩のS氏の死亡広告も在り、驚いた。 高校時代には生徒会で大変お世話になった方で、卒業後にもなにかと声を掛けていただいた先輩であった。 ☆正月を迎えて、コロナ感染が全国的に急増しているが、宮崎でも一月振りに感染者が確認された。 九州内も全県で感染者が確認されている。 いよいよ第6波が始まって来たか。 二人展の開催には問題はないと思うが、アフタヌーンコンサートは状況を見ていかなければならないだろう。 1月2日(日) ☆午前は曇天で底冷える。 正午から雲が晴れて、すっきりした快晴となり、暖かくなる。 ☆昨日届いていた分の年賀状への宛名書き。 二人展のDMを年賀状に使っていたら、肝心の二人展分のDMが無くなってしまった。 追加発注をしようと思ったら、発注先のスケジュールが、二人展が始まるまでは殆ど休みばかりで、間に合わない。 ☆夜は高校同窓の新年会。 コロナ禍で2年ぶりの同窓会だが、昨年の公開対談でお世話になった同窓生ばかりなので、久し振りという感覚はない。 出席者は7人と少なかったが、やはりまだ宴会出席は控えたいという同窓生や、まだ帰省は無理という同窓生も多いので、致し方ない。 私以外はみんな体の調子を崩して病魔に侵されたりしているが、幸いにもお酒は飲める状態の同窓生たちだった。 今日の昼間に妻がパソコンで観ていたドラマの中で、痴呆症になった老人が出て来て、その老人の生年月日が昭和24年6月28日という私の誕生日にほぼ近い 設定だったのでびっくりした。 それで私たちのなかからいつ誰かが脱落してもおかしくない齢になったと覚悟して、キチンとデジカメで写真を撮っておくことにした。 ☆公開対談ではZOOMでネット対談をしたので、次の同窓会辺りではZOOMで日本中の同窓生や伊藤先生たちと交歓したい。 ☆まだ2次会は無理なので、1次会のみでお開きとした。 1月1日(土) ☆新年あけましておめでとうございます。 本年もよろしくおねがいいたします。 今年は久しぶりに彫刻制作に没頭の年となりそうです。 健康に留意しながら、充実した高齢期生活を過ごすことが出来れば幸いです。 皆様に於かれましても充実の1年となりますように御祈念申しあげます。 ☆快晴。 陽射しは強いが、空気は冷たし。 夕刻からはしんしんと冷え込んでくる。 ☆昨年に引き続き、妻と高鍋大師で初日の出を拝む。 水平線には雲がたなびいているけれど、快晴の素晴らしい正月となった。 帰路に、こちらも昨年同様に立花神社に初詣。 御神籤は中吉で、可もなく不可も無し。 中庸で好し。 ☆朝一に伊勢海老が届く。 高鍋の配送所には今朝の8時過ぎに届いたと言う。 北九州では荷物が多すぎて、トラックの手配がつかなかったようだ。 ☆朝食時に、体調不良。 昨夜の寿司の量が多かったのと、寝る前の年越しそばが堪えたのだろうと思ったが、こめかみに鈍痛がするし気分の悪さから風邪気味のようだ。 昨年の溜まった毒素を排出したと思えば良い。 ☆午前のうちに日向市へ。 体調不良で、妻に運転してもらう。 妻の実家の墓参をして、義姉宅へ年始。 義姉宅では、出されたお節には手を付けず、お茶をすすっていたらいつのまにか体調は恢復してくれた。 昼過ぎてイオンタウンへ。 ダイソーで、二人展のアンケート景品の小品額を買い、ブティックで私のズボンを2本買う。 ☆3時前に高鍋へ帰宅。 届いていた年賀状のチェック。 先輩から「月の雫」を時々見ている、という嬉しい添え書き。 ☆今夜は伊勢海老を料理する。 600gと500gのかなり大きいサイズだった。 大きい方を刺身にして、小さい方をかねてから念願だった鉄板焼きにする。 この鉄板焼きが予想外の美味しさだった。 かえって昨日の夜だとその後の年越し蕎麦のことが気になってしまったかもしれず、今日の方がゆっくり食べることが出来た。 お正月から幸福感に包まれる。 |
Back to toppage
2022 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12
2021 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12
2020 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12