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このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。

過去の日記

2022   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12

2021   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12

2020   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12


2022 6月30日(木)

☆晴れ。

今日は風が弱く、真夏の暑さ。

夕刻からは涼しくなる。

☆今日で6月も終わり、1年の半分が過ぎてしまった。

本当にあっという間の半年であった。

☆朝一に、コンプレッサーの延長手続きにリース会社へ。

しかし決算時期のため、入金は明日にしてほしいということで、明日にまた出直すことになった。

☆モニュメント制作。

昨日の月上部のアール面出しの状況を眺めていたら、返し作業時の補強のためにステンレス棒を取り付けようと思って残していた突起部が、不要なのではないのか、

と思えてきた。

月のフォルムが出始めてきたら、当初思っていたほどの上部の重量感が無いのである。

それで、作業に這入る前に、こうした石の扱いに長けている友人の彫刻家に画像添付でラインを送ってみた。

そうしたら、即座に上部の補強は不要、という返事が返ってきた。

返しのクレーン作業についてもアドバイスをいただいた。

今日の作業はまずこの突起部落としから始まり、月上部のアール面出しがスムーズに進んだ。

6月中に月上部のアール成型に這入れたことは、とても精神的に大きな支えになった。

☆昨夜の夕食時にも食器を床に落下させてしまったので、妻から作業時に事故が起きないようにと念を押されていた。

それを思い出して、注意しようと思った途端に、グラインダーが撥ねて、ディスクが回転したまま足元に落下した。

ちょうど月の結合部の首部で、身動きできないところでの作業なので、身の避けようがない。

幸い、撥ねた途端にスイッチが切れてしまったので、足元でグラインダーが回転しながら暴れることは無かったが、間一髪の出来事だった。

怪我は無かったが、昨日に交換したばかりの新しいディスクがぐにゃぐにゃになってしまった。

いよいよ、こんな危険な作業を素人にさせる訳にはいかない。


6月29日(水)

☆晴れ。

今日も風が強く、作業場は涼しかった。

☆しかし夜中は蒸し暑く、さすがに今朝は私も妻も朝食が喉を通らなかった。

☆モニュメント制作。

家にいるときはフラフラ状態で重労働できる気配は微塵も無いが、作業場へ行き、日焼け止めを塗り、栄養ドリンクを飲むと、たちまち体に活力が湧く。

これまで栄養ドリンクなんて効果を感じたことは全く無いが、今回ばかりは体がしゃんとなる。

作業中はまったく健康そのものである。

作業も順調に進む。

☆朝一番に心棒の位置を決める。

それでアンカー業者に穴あけ作業を依頼する。

来週には作業にかかってくれることになった。

☆今日は作業場は賑やかだった。

作業場の管理会社の草刈り作業、傍らを流れる宮田川添いの国交省発注の除草作業、工具代理店、そして鹿児島のSさんからの焼酎持参の再訪。

☆宮崎日日新聞「歌の窓」記事の小冊子への使用申請を提出して、折り返しの許可をいただいた。

これでまた私家版の「歌の窓」小冊子が作れる。

☆宮崎のコロナ感染状況は落ち着いて来ていたのだが、最近またぶり返して、今日は28日ぶりに300人を超えた。

西都児湯圏域は41人。


6月28日(火)

☆晴れ。

今日も一日中強風が吹いて、作業場は涼しかった。

☆モニュメント制作。

ようやく月の上部本体のアール出しに入る。

先ずは大きく面で落としてゆく。

風が強く、暑さは無し。

☆午後に、電気工事と水道工事をやってもらった制作場所入り口の設備会社の社長が、様子を見に来てくれた。

また作業が終わって、入口のバリケードを閉じていたら、入口にある民家のご婦人に声を掛けられた。

毎日庭に出て、花に水遣りをされている方で、私の作業の騒音を最も感じておられる方である。

”先生はお一人で作業されているんですか?

先生の作品はあちこちにあるんですね。

完成を楽しみにしています。”

とても好意的な言葉掛けに、作業場周囲の方たちは私の作業を迷惑に思っておられないことがわかって嬉しかった。

☆午後に、怪我保険の切り替え手続き。

☆どうにも先日からバイブレーションがおかしい。

ロフトに上がろうとしてガラスを割ったり、先日の都城市のホテルではベッドがデッキ状のステージの上にあり、ベッドに這入ろうとしてデッキの入込み口で足の甲を

激突させてしまった。

痛みはまだ取れない。

そして今日は、昼食の後に食器を片づけようとして、食器が手の上で滑って落下し粉々に割れてしまった。

夕刻には、作業終了間際からひどい片頭痛に見舞われ、帰宅してからは体調不良でフラフラ状態であった。

エアコンで風邪気味のようだ。

大きな怪我に成らない様に注意しよう。

幸い、制作場所での作業は順調である。


6月27日(月)

☆晴れ。

今日も県内各地は30℃以上の、今年の最高気温を記録した。

そして九州南部の梅雨が明け、本格的な夏となった。

今年の九州南部の梅雨の期間はわずか16日間で、観測史上(1951年以降)最短の記録となったようだ。

☆ホテルの朝食はとても美味しかった。

ホテルを8時過ぎにチェックアウト。

帰宅すると、やはりまだ体がフラフラしていて、役場に公園の鍵を返しに行っただけで、午前はゆっくり過ごす。

☆午睡を取って、午後からモニュメント制作再開。

体はまだフラフラ状態だし、梅雨明けで太陽はまぶしいし、戦闘状態に突入の気持で、日焼け止めを塗り、栄養ドリンクを飲んで作業にかかる。

ところが制作場所はずっと強い浜風が吹いていて、テントの中はとても涼しい。

作業は順調に進んだ。

今週中には月の上部のアール成型に這入れそうである。

なにしろ、あと3カ月でこの作業場を出なければならない。


6月26日(日)

☆雲は多かった(夏のムクムクと湧き上がる雲)が、晴天の一日。

今日も県内各地は30℃以上の真夏日で、都城市は32,9℃。

☆夜中は昨日の雨で気温が上がらなかったせいか、蒸し暑さは無かった。

ぐっすり眠れたが、しかし起きてからは一気に疲れが出て来て、午前中は足腰が立たなかった。

予定では午前のうちに、高鍋町美術館で今日まで開催中の「安田李仲展」を見に行くつもりだったが、午後も都城美術館へ行く予定なので、一日中美術館で立って

鑑賞するのは辛すぎるので、高鍋町美術館は断念する。

足元がフラフラなので、コンビニで高い栄養ドリンクを買って来て、飲む。

☆ドリンク剤で少し落ちついたので、昼食後に妻と都城市へ向かう。

都城市立美術館で開催中の収蔵作品展「版で表す」を観る。

殆どの著名作家の版画は100枚以上刷ってある。

専門の摺り師がいないと不可能だ。

リトグラフが多く、リトグラフはやったことが無いので、技術的にはまったく分からないことだらけ。

地元作家の作品は知人の作品も多く収蔵されている。

☆都城市へ来たのは、例のジモ・ミヤ・タビの都城ミート・ツーリズムへの参加である。

ライブの打ち上げ慰労と私の制作慰労休養を兼ねての一泊旅行である。

今回の宿泊は、出来たばかりの”ホテルテラスタ都城”。

市立図書館”マルマル”の隣に出来た街中のホテルで、とても感じの好い上質なホテルである。

図書館の隣だし、美術館も飲み屋街もすぐ近くで、利便性がかなり高い。

☆そして食事は霧島ファクトリーガーデンでの”都城産宮崎牛コース”。

霧島焼酎3種とクラフトビール(ピルスナー)が付く。

私たちはそれに赤と白のグラスワインを追加する。

私的にはミート・ツーリズムで最初に来たフランス料理”シェケン”が一番好かった気がする。

☆お酒の量はそれほど這入っていないが、やはり疲れが極に達しているのだろう。

ホテルへ戻ると、すぐさまベッドの上で昏睡してしまった。

☆昨日のライブの録画で、最も楽しそうに演奏出来ていた”On the Sunny Side Of the Street”の動画を講師の片貝さんが送ってくれたので、友人たちにラインで送った。

私もこの曲はミスが無く、楽しくハーモニカが吹けているので、友人たちはみんな感激してくれた。


6月25日(土)

☆朝のうちは時折陽の射す曇天。

昼前から遠雷混じりの雨となる。

雨は夕刻までには上がる。

☆夜中は、すごく蒸し暑くて寝苦しかった。

朝方にはリビングに降りて、リビングの床の上に寝る。

☆朝一に整骨院へ。

今日の電気治療はかなりハードだった。

☆治療が終わって、今日のライブの準備。

雨になりそうなので早目にドラム一式と、会場に飾る妻の版画をライブ会場の南町公民館に運び、会場設営をする。

11時半から音合わせとリハーサル。

☆午後2時から”SETSU June Live”。

梅雨の時期に合わせて、タイトルに雨の這入った名曲を構成して演奏する。

私は大きな失敗はなかったが、リハーサルでは完璧に演奏出来た曲が本番ではミスを重ねて仕舞ったりで、反省すべきところは多かったが、何よりも照沼さんの準備

してくれたハーモニカ用のイコラーザーでハーモニカの響きが素晴らしかった。

ミスなく吹いている時は自分でも陶酔してしまうほどの美しい響きだった。

これまでなんどか私のハーモニカを聞いておられる方も、今日のハーモニカが一番良かったと言っていただいた。

ライブ全体も好評で、ほっと安心する。

☆アンコールでは、世界平和を願って”wtat a wonderful world”を演奏する。

ウクライナの彫刻家仲間の近況など、ネットやマスコミの情報ではほとんど出てこないことなどお話する。

☆今日の来場者は約30人であった。

今日に成って体調不良や急用などによるキャンセルなどがあったので、そういう方たちが加われば40名近くの満員御礼になった。

遠くは都城市や日向市からも来ていただいた。

☆ドラムは照沼さんが預かっていただくことになった。

打ち上げは後日に行う。

今夜はどっと疲れが出て、早目に床に就く。


6月24日(金)

☆夜中はとても蒸し暑かった。

☆晴れ。

今日も真夏日。

県内最高気温は日向市の34℃で、高鍋町は32,4℃。

一日中、強風が吹き荒れる。

☆朝一に、高鍋町役場建設管理課へ出向いて、明日のライブの駐車場として使う児童公園の使用申請書を提出し、公園の鍵を預かる。

☆モニュメント制作。

月左上の厚み落とし。

一日中もの凄い風が吹き荒れて、普通ならテントが飛んでしまうが、さすが観光協会の設置してくれたテントはびくともしない。

テントから一歩でも出ると、焼けつくような熱風に晒される。

今日は体力を使うルートハンマーの横打ちはしなかったので、夕刻の疲れは昨日ほどのひどさは無かった。

今日から午睡を取ることにしたので、その影響もあるかもしれない。

マレーシアでの作業では、毎日、必ず午睡を取った。


6月23日(木)

☆朝のうちは強烈な真夏日の晴れ。

昼前ににわかに暗雲が立ち込めて激しい雨。

昼前には一気に再び青空が広がる。

一日、強風が吹き荒れる。

宮崎県内は軒並み30℃を越えたが、延岡市は36,1℃の国内最高記録の猛暑日となった。

☆モニュメント制作。

月左上の厚み落とし。

昼前に記録映像を撮ってもらっているMさんに来て貰って、ルートハンマーの横打ち、矢割りの作業を撮ってもらう。

☆夕刻に帰宅すると、テントの中の作業だったにも関わらず、ゆでだこのように真赤に日焼けしていた。

やはり週の3日目、4日目には疲労が限界に達する。

或る程度の目途がついたら、1週間くらいは体をゆっくり休める必要がありそうだ。


6月22日(水)

☆晴れ。

一気に真夏!

焼けつく様な陽射しと、全てがギラギラと照り返しの光を放つまぶしさでクラクラとなる。

県内各地で30℃以上の真夏日を記録し、高鍋町は32,5℃。

☆モニュメント制作。

月左上の厚み落とし作業。

今日の猛暑で、さすがに海風の吹く作業場もテント内の輻射熱で暑くてたまらなかった。

アンジェラスの森から扇風機を持って来なくては。

☆午後は妻のボーカルレッスン。

照沼さんのドラムも加わっての、25日のライブ直前のリハーサル。

私のハーモニカは大きな失敗は無かったが、やはりテンポが狂って早くなってしまう。

ドラムはやはり息子たちのドラムを今後も使うと言うこと。

しかしもうロフトへの上げ下げはご免だし、先日のガラス事故のこともお話しした。

かといって、他に保管する場所も無い。

☆福原美江さんから、第三歌集「夕雨の盆」(ながらみ書房)が届いた。

先日、ネットで検索して、注文しようと思っていた歌集である。

装丁がとても美しい。


6月21日(火)

☆午前は激しい雨。

雨は午後には止む。

風が強くて、それほどの蒸し暑さは無し。

☆モニュメント制作。

削岩機入れの残りと、厚み落としのルートハンマー入れ作業。

ルートハンマーの横打ちは、前回のような限界状態のきつさはなかった。

作業に慣れたのかもかもしれない。

面出し作業も、ディスクが浮いて面が膨らんだままにしておかず、厚刃2枚刃で水平面を出しながら作業する。

こうした手間をやっておいた方が、かえって後から面の膨らみを取る時間の無駄を少なくできる。

☆「歌の窓」を見られた方から、都城市の”MOON DANCE”設置場所の問い合わせの電話があった。

☆今日は36回目の結婚記念日。

人生のほぼ半分を妻と過ごしてきたことになる。

今の私が在るのは妻の助けあればこそである。

私の手料理でお祝いする。


6月20日(月)

☆午前は雨。

午後には雨脚が止るが、暮れてから雨が戻る。

水冷で空気はひんやりとして涼しかった。

☆今日の宮日「歌の窓」は、「月の雫」からの5首連載の5首目で最終回。

都城市の”MOON DANCE”を詠われたもの。

今回の福原さんの連載によって、私の彫刻の世界がふくよかな香りで拡がって行く楽しさを味あわせていただいた。

またこの連載で、「月の雫」を毎回読み直していただいた方も多かったようだし、連載がずっと続いて欲しいというラインもいただいた。

彫刻家冥利に尽きる。

今回の連載で、伊藤先生の短歌の世界の素晴らしさもつくづく感じ入った。

先生の歌が本で読んだ時と全く異なった印象を醸し出す。

幸せな教え子である。

後日、また冊子にまとめたいと思っている。

☆朝一に、宮崎空港へ。

空港展の県外作家の作品の発送作業。

年々、彫刻作品の取り扱いを殆どの運送業者が拒否するようになった。

唯一取り扱ってくれる運送業者も、今回から着払い拒否となって、あらかじめ事務局が運送費を元払いし、作家が荷受け後に事務局へ振り込まなければならなくなった。

この先、どうなってゆくのだろう。

☆お昼を摂った後に、25日のライブで使うドラムセットをロフトから降ろす作業をする。

息子たちが使っていたドラムがライブで使えることがわかり、準備しておくように頼まれたのだが、私は実に億劫だった。

ロフトに上げて仕舞うこと自体が大変な作業だったし、これからのライブでもこのドラムを使うとなれば、その度に上げ下げしなければならない。

だが私も後期高齢者となり、脚立に登って重い物を上げ下ろしする作業が不安定になって来ている。

こんなことをしていたら、いつか必ずロフトから落下して骨折でもしたら、寝たきりになってしまう。

そんな憂鬱な気持ちでロフトに上がった途端、足元でガラスの割れる音がした。

ロフトに上がる時に、脚立を強く足で押してしまったらしい。

私の書斎のドアのガラスが無残な姿になってしまった。

硝子屋に電話して修理に出したが、我が家の建具類は全て特注なので硝子も規格外である。

絶対にいつか事故が起きる!とブツブツ言いながら作業に取り掛かった途端、まったくその通りになってしまったので、苛立ちが抑えがたかった。

☆今日の波長の悪さでは、モニュメントの作業で絶対に怪我をするので、午後の作業はしないと妻に告げた。

しかしそういう訳にもゆかないので、刃物(ディスク)作業はせずに、月の左上部の厚み落としのための削岩機入れ作業をする。


6月19日(日)

☆日中は時折り陽が射す曇天。

午後半ばより雨となる。

☆空港展最終日。

昨日、今日と空港の人の出がかなり少なかった。

そうして何事も無く、空港展は終了。

作品の動きは一部にしか無かったが、とまれ正常な状態で再びこうした展覧会が開催でき、会場を訪れられた人々が嬉しそうに作品を鑑賞されている様子を目にするのは

嬉しいものであった。

来年はコロナ禍も落ち着いて、海外からの作品輸送も正常化できることを期待したい。

☆午後3時から搬出作業。

作業は1時間余で終る。

☆今日は父の日で、帰宅すると長男から酒のつまみが届いていた。


6月18日(土)

☆朝のうちは小雨。

ほどなく陽が射して来て、雲が多いもののほぼ晴天の蒸し暑い一日。

☆今日の宮日「歌の窓」は、「月の雫」からの5首連載の4首目。

日向市グリーンパークの”再生”を詠われたもの。

選者の福原さんは、グリーンパークには先日足を延ばされた。

私の作品コメントも掲載していただいて恐縮する。

☆ところで私の作品コメントの中の”屹立”という文字が読めなかった、というラインをいただき、えっと思った。

私は短歌関係の本を読むと知らない言葉ばかりで、いかに自分が言葉を知らないかと痛感させられる。

だから自分の使う言葉はそれほど難しい言葉は使っていないつもりだ。

にもかかわらず、時々、私の作品のタイトルの意味と読み方がわからない、という質問を受けることがある。

私はことさら難しい言い回しを使っているつもりではなく、学校の授業でも習った漢字だし、作品のコンセプトにはこの言葉でしか上手く伝えられないと思って使っている。

☆朝一に、整骨院で治療。

今日も電気治療は気持ちが好かった。

院長のマッサージは、いつもマッサージされない両足のふくらはぎを入念にマッサージされた。

☆一日、空港展の受付け。

今日は新聞の社会面記事で”県内きょう大雨の恐れ”と報じられていたせいか、土曜日なのに空港の来場者がとても少なかった。

☆宮崎のコロナ感染の状況はずい分落ち着いてきた。

宮崎県は、県独自の「医療警報」を明日19日で終了すると明らかにした。

20日以降は会食の制限も緩和されていくようだ。


6月17日(金)

☆曇天気味の晴れ。

非常に蒸し暑くなってきた。

☆モニュメント制作。

月の右上部の厚み落とし。

本当にこんなにすり切りの作業でディスクが浮いて仕舞う石は初めてである。

悪戦苦闘して、夕刻までにはなんとか目途が立ってきた。

☆午後に黒木・高鍋町長が来訪。

私の孤軍奮闘状態に、なんとかアシスタントが見つかって欲しいですね、と同情される。

私でさえ、ほぼ毎日のようにディスクが撥ねたり、ディスクが回転したままのグラインダーが手元から飛びだしたり、あわや大事故一歩手前のアクシデントが起きる。

こんな危険極まりない作業を、素人にさせる訳にはいかない。


6月16日(木)

☆午前のうちは曇天。

午後からは晴天となり、蒸し暑くなる。

☆今日の宮日「歌の窓」は、「月の雫」からの5首連載の3首目。

昨年暮れに、車が突っ込んで交通事故死したあかりオブジェを詠われたもの。

選者の福原さんがあかりオブジェの画像と伊藤先生の歌が大好きだと言うことで、作品はこの世に存在しないが、歌を掲載していただいた。

したがって、解説では作品に対する記述は回避されている。

☆午前は空港展の受付当番。

連絡をしてあったので、教え子が相次いで顔を出してくれる。

☆お昼に宮崎空港を出て、帰路に”風の庵”で開催中の渡邊香代子さんの陶芸展に立ち寄る。

渡邊さんの作品は、宮崎大学の卒業制作展での手捻り大型作品に衝撃を受けて、ずっと関心を持っていた。

昨年の私達夫婦の二人展に来てくれて初めて本人に会ったのだが、丁度私は高鍋町美術館の協議会でギャラリーを退出しなければならない時だったので挨拶しか

出来なかった。

渡邊さんは最近は版画にも興味を持っていると言うことで、彼女の作品はチラ見で、色々と話が弾んだ。

午後はモニュメントの仕事を少しでも進めたかったので、早々にギャラリーを退出した。

☆だが帰宅すると、もう4時前だったので、これから作業場に行っても準備と片付けを含めたら僅かの時間しか作業は出来ないなと迷っている処へ、画家のK君から

電話が入った。

今、作業場に来ていると言うことで、慌てて作業場へ向かう。

高鍋町美術館の企画展を見に来て立ち寄ってくれたということ。


6月15日(水)

☆夜中はまだまだ肌寒い

午前は曇天。

午後からは晴天となり、気温が上昇。

幾分蒸し暑くなったが、それほどの暑さは感ぜず。

☆モニュメント制作。

月の右上部の厚み落とし。

厚みを落としながら面をスリ切りで出してゆくが、いくらやってもディスクが浮いてしまって、面が大きく膨らんでしまう。

こんなに面が出ないのは初めての経験だ。

最初の面出し作業でこんなに手こずっていたのでは、この先一体どうなってしまうのだろう。

午後は薄刃2枚刃と厚刃2枚刃を駆使して水平ラインを出していく。

☆悪戦苦闘の一日だったが、作業を終えた時は快い疲労感だった。

若い頃のようにがむしゃらに作業をすることはなくなったのだろうと思った。

ところが帰宅してしばらくして、疲労がどっと降りてきた。


6月14日(火)

☆一日、雨。

夕刻には少し雲が切れる。

朝夕は肌寒い。

☆今日の宮日「歌の窓」は、「月の雫」からの5首連載の2首目。

延岡東高校モニュメント”蒼風”を詠まれた歌。

伊藤先生の短歌と福原さんの豊かな解説で、私の作品が例えようもない拡がりをまとってゆく。

なんとも幸福な巡りだ。

☆モニュメント制作。

雨の中の厚み落とし作業。

20mmのインサートビットが折れる。

☆夕刻に、出張先から立寄ってくれた空港展事務局の田村が作業場に来訪。

実際に目にした石の巨大さにビックリしていた。

某作家にアシストの打診をしていたのだが、田村からの情報では体調を崩してそれどころでは無いようだ。

体調不良の作家が多い。

☆一方、アシストの手配を打診していた佐賀大学の後輩から、手伝ってみたいと言う連絡が届いた。

若手の日展系の具象作家だが、かなり力のある作家で、体格もハードな作業に耐えられそうである。

電話で打ち合わせて、8月あたりに2週間来てくれることになった。


6月13日(月)

☆本格的な雨。

特に午後は激しく降る。

気温も上がらず。

☆モニュメント再開。

午前にロータリー工事担当の工務店と、基礎工事業者との設置の段取り等の打ち合わせ。

規模が規模だけに、様々な建築構造上の規格や制限事項が生じる。

これまでの彫刻設置工事とはまるっきりレベルが違う。

頭の痛いことばかりだが、一つ一つクリアしてゆくよりない。

それに矢張り今の制作現場は9月末までしか使えないと念を押された。

とてもではないが作業が終わる筈が無い。

なんとかしてアシスタントを捜さないと、仕事も終わらないし、無理すれば私の体が壊れてしまう。

☆午後に妻のボーカルレッスン。

25日のライヴ前の最後のレッスンなので、私も早めに仕事を終えて帰宅し、ハーモニカのジョイント。

しかし頭の中はモニュメント作業のことでパニック状態なので、間違えてばかり。


6月12日(日)

☆梅雨に入ったばかりなのに、今日は高気圧の入り込みで上天気となった。

☆一日、空港展会場。

やはり天候が良かったので、殆どコロナ禍前のように空港は大勢の家族連れ等で賑わった。

駐車場にもツアー団体のバスが何台も止っている。

☆「歌の窓」の短歌選者の福原さんがお見えになった。

「月の雫」は素晴らしい本なので、多くの人に購入を勧めておられると言うこと。

実際、やはり昨日の「歌の窓」を読まれて、空港展会場の受付で「月の雫」を購入して下さったお客さんも居られた。

☆永山・宮崎空港ビルの社長のお話だと、昨日の「歌の窓」のコピーを空港ビル全社員にメールで送られたと言うこと。

☆午後に、宮崎県出身の古川法相が帰宮された。

予定では彫刻展をご覧になると言うことで、空港ビル職員も彫刻展会場に待機していたのだが、空港ビルに降り立つと余りの多くの人群れにSPからNGが出て、そのまま

空港ビルから退出された。

古川法相は死刑執行で反感を持たれたりしているので、SPが守りきれないと判断したと言うこと。


6月11日(土)

☆朝から激しい風雨。

道々になぎ倒された竹林や、吹き飛ばされた椰子の幹皮が散乱し、まるで台風のような様相であった。

宮崎空港でも朝の便に何便か強風によるキャンセルが出たようだ。

そして、南九州はようやく梅雨に入った。

☆今朝の宮崎日日新聞「歌の窓」から、「月の雫」の伊藤先生の歌の紹介が始まった。

宮崎県内に設置した私の作品に対して詠まれた伊藤先生の短歌が、5首連載される。

今日は宮崎空港の「風の門」を詠まれた歌であった。

☆そして同じ宮崎日日新聞の文化欄には、空港展の記事が掲載された。

たまたまであろうが、宮崎空港の「風の門」と宮崎国際現代彫刻・空港展の記事がコラボ掲載された感じになった。

☆朝一に整骨院で電気治療。

今日は先週程の混雑は無かった。

今日の電気治療は途中からとても気持ち良くなった。

院長のマッサージも心地よく、体が軽くなった。

☆強い雨の中を宮崎空港へ。

☆私は会場に来られた知人に大変失礼な事をしてしまった。

私の知人だと促されて、話しかけたが、先方はとても親しげに話しかけて来られるのだが、マスク姿のその人が誰なのかまったく思いあたらない。

話を進めていると、私の事にとても詳しい。

特に高鍋駅前のモニュメント制作について詳しく語られる。

ラインでの情報のことも語られる。

だが宮崎市内在住の方で、ラインを送っている男性は、高校同窓生たちか日大高校教え子たちか数人の知人のみである。

立ち話が終わって、受付に戻り、誰なんだろうとライン友だちの中から消去法で探って行ったら、大変なことに気付いた。

つい先日も心棒の径の変更で見積もり修正をお願いしたステンレス会社の社長ではないか。

なんという失礼な対応をしてしまったのだろう。

この会社とは彫刻を設置するようになって、もう40年近い付き合いがある。

ただ、会社に出掛けて対面でお話ししたのは数度しか無かったので、マスク顏越しには想い出せなかったのだ。

まったく面目ない次第だ。

☆今日は一日激しい雨だったので、土曜日ながら空港展への来場者は多くなかった。


6月10日(金) 

☆曇天。

夕刻から雨。

☆モニュメント制作。

午前のうちに削岩機を入れる作業を終え、いよいよルートハンマーで厚みを落としてゆく作業に這入る。

ところが横打ちでルートハンマーを打って行くと、セリ矢を入れる16mmのドリルはスムーズに這入ってゆくが、こぶ取りセリ矢を入れる20mmのドリルはエアー打撃の

反発力が凄まじい。

やはりこの御影石は相当に硬いのだ。

20mmのドリルは半分も這入らないうちにギブアップしてしまった。

ここでギブアップしてしまったら、厚みを落とす作業がまったく進まなくなる。

頭の中が真っ白になってへたり込んでしまった。

こんなことをやっていたら、オレは途中で死ぬ!

☆しかし何か方法は在るはずだ。

午後にホームセンターへ行ってチューブロープを買って来た。

削岩機の穴に丸棒を突っ込んで、そこにチューブロープを掛け、私の体にチューブロープを廻して作業すると、信じられないくらいに作業が楽になった。

矢も綺麗に効いてくれた。

これで来週からの作業が見えてきた。

おかげで、夕刻の疲労は昨日のようなヘロヘロ感はなかった。


6月9日(木)

☆午前はほぼ曇天状態。

午後からは青空が広がり、気温も上昇する。

☆モニュメント制作。

昨日に引き続いて、削岩機を入れる場所の墨入れ。

午後にチッパーの4つ目で当りをつけて、削岩機を入れて行く。

作業自体は楽な作業だが、ひどく疲れてしまった。

帰宅すると、立っているのも辛いほどのヘナヘナ状態であった。

やっぱり作業4日目、5日目は疲労が際立って来る。

☆雨漏り工事の3社目の見積もりが届いた。

3社目は塗装工事は省いてもらって、雨漏りカ所の補修とコーキングの補修のみの見積もりをお願いしたが、足場業者への外注が這入っているので、2社目の見積額の

3倍であった。

多分、この見積額が普通の見積額なのだろう。

だが、高すぎて手が出ない。

☆新しくなった行橋市長から、”ゆくはし国際公募彫刻展”は、現在進行中の第4回展をもって終了する旨の文書が届いた。

市長が替わればある程度の予測は出来たが、こうもあっさりと終了させられてしまうと忸怩たる思いである。

行政トップが交代しても、継続している美術展やコンクールはあるのだが。


6月8日(水)

☆晴れ。

今日の日中は昨日よりは暑かったが、午後からは海風が吹き、夕暮れは風が肌寒かった。

☆モニュメント制作。

230mmディスクとクサビで厚みを落とす作業に取り掛かったら、1か所落とすのにすごく時間がかかる。

面積が広いので、こんなことをしていたら厚みを落とすだけで何週間もかかってしまう。

それで削岩機で縁切りをして、ルートハンマーで落としてゆく方法にチェンジする。

兎に角、落とす面積が広いので、綿密に削岩機を入れる場所を墨入れ作業するが、今日中には上部しか作業が進まなかった。

これはとてもではないが、9月末までには作業は終らない。

今週末までには南九州も梅雨入りしそうだし、これから先は雨ばかりの作業しにくい環境になる。

☆昼に、雨漏り補修の相見積もりをお願いしている2社目の社長が来訪。

口頭でコーキングのやり直しと、木材部の塗装作業の見積もりを伝えてもらった。

業者が屋根に上って雨漏りカ所を点検したら、コーキングの割れ目からの漏水だけだったので、コーキングのやり直しだけで済むという。

1社目の雨漏り修理見積額よりも、2社目の家全体のコーキング全面やり直し見積額の方が安かった。

2社目は、自社で足場を持っているので、足場業者への外注費用が発生しないこともある。


6月7日(火)

☆晴れ。

陽射しは強かったが、風が肌寒いくらいに爽やかで、気持の好い気候。

☆朝一に、空港展のウェブサイトの更新作業のやり直し。

画像をフォルダに納めていたのがネットで表示されない原因だと分かったので、画像をフォルダーから出して、各画像を”属性の変更”でフォルダから外して転送したら、

無事に正常に画像が表示された。

事務局の田村にURLを送って、出品作家に案内してもらう。

☆モニュメント制作。

今日から厚み出しの作業に這入る。

最初に本体厚みのラインに125mmディスクでカットラインを入れ、それから230mmで落としてゆく。

ところが台湾製の230mmディスクがぶれてしまって、なかなか切り込めない。

午後に、ヤン・リューから貰ったフラットタイプの中国製230mmディスクを使ったら、こちらの方が良く切れる。

夕刻までに側面のベニヤ型を作る。

底部も昨日の墨入れよりも、少し幅を広げる。

☆午後に、雨漏り工事の3社目の工務店が来て、それぞれの業者と共に雨漏りの箇所の点検をする。

やはり今回の雨漏り箇所は、数年前の台風被害の修理でコーキングの補修を見落とした場所だった。

そして木材部はもう脂分が無くなっていて、塗装しないと腐食が進むと言うことなので、塗装の見積もりも出してもらうことにした。


6月6日(月)

☆午前中は曇り。

午後からはカラリと晴れて、気温が上昇。

宮崎はまだまだ梅雨入りの気配が無い。

☆モニュメント制作再開。

月の股下の縁切り落とし部の、アウトライン垂直降ろし作業の続きと、月のハツリ仕上げ部のアウトライン垂直落とし作業。

先日の打ち合わせで、心棒の径がひと回り大きくなったので業者に見積もりをお願いしていたら、朝一にFAXで見積もりが届いた。

そうしたら、見積額が倍に成ってしまった。

さらに予想はしていたが、心棒の重さが1本で約120kgある。

そうなると、とてもではないが人力で基礎と台座に心棒を据え付ける事は出来ない。

心棒の上部にフックを取りつけて、チェーンブロックで吊り下げて作業しなければならないので、その加工も加わって、さらに見積額は上がってしまう。

心棒がひと回り大きくなった分、心棒を取りつける穴もかなり大きなものになる。

明日から厚み落としの作業になるので、心棒の穴は厚みを落とす前に機材を取りつけなければならないのではないかと思い、底部の墨を入れ、アンカーの大きさを

表示して、アンカー業者に画像を送って、指示をお願いする。

折り返しのアンカー業者からの返信では、底部の厚みを落としてからでも作業は出来ると言うこと。

☆運送会社の社長から、栄養ドリンクの差し入れをいただいた。

☆今日は妻のボーカルレッスン日で、25日のライブのリハーサルでもあるので、作業を早目に止めて帰宅し、ハーモニカでジョイントする。

☆夕刻から、空港展のウェブサイトの更新作業。

夜までにはすべてのデータの打ち込み、画像張り込みが終って転送するが、画像がまったく表示されない。

ウェブサイトに画像を入れる作業は3年振りなので、やり方が間違っているらしい。

☆今日入った情報では、ウクライナのコチュマルはハリコフへ戻ってみたら、彼らの家は被害も無く、アトリエもそのままだったと言うこと、

ウクライナではウクライナ軍の攻勢が優位になってきていて、みんなキウイやハリコフに戻りつつあるようだ。

コチュマルも自分のアトリエで制作を始めたようである。


6月5日(日)

☆朝のうちは曇天だったが、ホテルを出て宮崎空港へ着くころには雨が降り始める。

雨は次第に本格的になり、午後後半からは激しく降る。

☆空港展初日。

空港の雰囲気はコロナ以前の様子に戻ってきた。

人の流れが正常に近いものになってきた。

空港展の会場にも多くの方々が這入って来られて、皆さん嬉しそうな表情で作品を見て廻られている。

やはりこれまで制限されていたこうした行為が、再び体験できるようになったことが喜びとしてにじみ出ている。

☆お昼に、宮崎ケーブルテレビの取材。

私はずっと受付に座って、ウェブサイトの打ち込み作業をする。

できるだけ早期にアップしたい。

☆これまでは空港でのフライトの始発便から最終便の間まで、ずっと会場を開けていたのだが、受付の負担も大きいので、他のイベント同様の公開時間を設定して、

夕刻には進入禁止のロープを張って店終いすることにした。

☆帰宅すると、ヘロヘロに疲れが出て、夕食を摂る元気も無かった。

やはりいろいろと疲労が重なっているのだろう。


6月4日(土)

☆晴れ。

陽射しの暑い一日。

☆朝一に、整骨院へ。

受け付け開始の8時に行ったら、もうすでに超満員。

電気治療のベッドもすべて埋まっていた。

土曜の朝は、アスリートたちが試合や練習の前に来るらしい。

結局、私は1時間以上も待たされた。

☆10時から空港展の搬入展示作業だったのだが、30分以上も遅れて空港に着いた。

今年は出品点数が33点でいつもより少なかったので、お昼までにはほぼ展示作業が終わった。

午後に残りの持参の作品もそろい、3時くらいまでにはレイアウト修正とキャプション取りつけも終了した。

☆展示作業が終わったので、一日早く一般公開した。

そうしたらコロナ以前と変わらない雰囲気で、次々に多くの人たちが来場してくれた。

マスク姿以外は、以前の空港の雰囲気と変わらない。

☆今夜は県外から数名の作家達が搬入に来られて宿泊してくれたので、私が対応して居酒屋で久しぶりに乾杯した。

宮崎の作家達は殆どが教育施設や役所勤務なので、まだ6日までは県外者との会食・飲食は出来ない。

フリーの立場の作家は私しかいない。

居酒屋は知人に紹介してもらった宮崎産の素材での料理を提供するお店で、焼酎も宮崎の色んな焼酎を飲み比べて楽しんだ。

来年はコロナも納まって、従来のような懇親会が開けるといい。


6月3日(金)

☆晴れ。

午後からは雲が多くなる。

昨日より幾分蒸し暑かった。

☆朝一に、雨漏りとコーキングやり直しの見積もり調査。

3社の相見積もりのうちの1社は、我が家を建ててくれ、また台風被害の補修もしてもらった工務店にお願いすることにした。

☆モニュメント制作。

アウトラインの本体中心線への垂直おろし作業。

月の股下の縁切り落とし部の穴は厚刃2枚刃では作業が困難だったので、薄刃2枚刃でやったらスムーズに作業できた。

いよいよ来週からは厚み落としの作業に入れる。

高校同窓のK君が様子を見に来てくれた。

☆午後に、KAJIMA模型入選の作品が返ってきた。

そうと分かっていたら、この作品を空港展に出品したかった。

☆午後3時から、高鍋町役場で関係者との駅前モニュメントのロータリー工事、設置までのスケジュール等の打ち合わせ。

本体設置の時の心棒については、やはり県の担当者からひと回り大きくするようにとの注文があったと言うこと。

その場で、発注先に見積もりやり直しのラインを送る。

また駅前ロータリーのデザインについても、再度見直しをすることになった。


6月2日(木)

☆晴れ。

気温はそれ程上がらず、風の気持の好い爽やかな気候の一日。

☆モニュメント制作。

いよいよ厚みを出す作業に入る。

今日はその前準備で、本体厚みのラインを入れ、アウトラインから本体の中心線に厚刃2枚刃で垂直に面を落としてゆく作業。

アウトラインをディスクで落とす作業では、どうしても垂直には落とせず、膨らんだり落としすぎたりしてしまう。

この2枚刃での垂直降ろし作業は、かなり根気のいる体力勝負である。

☆今日は色んな方が制作場所に見えられた。

先ず知人夫妻が、山積みになった石の端材を軽トラで運んで行かれた。

新築した庭の一部に敷き詰めるとかで、何度か軽トラを往復させて半分くらいの端材を持って行ってくれた。

その作業中に宮崎日日新聞高鍋支局長が、進行状態の様子を見に来られた。

先日の削岩機作業の取材時からかなり進んでいるので、ひどく感動されていた。

支局長と入れ替わりに、石井記念友愛社の児嶋理事長が来訪。

私のアンジェラスの森の作業場は石井記念友愛社の敷地内にあるのだが、私の作業現場を見たのは今日が初めてだと言うことで、彼も大層感動していた。

☆観光協会の方との打ち合わせの中で、今回のモニュメント反対の手紙は、観光協会としてはむしろそれほど町民の関心が高いと言うことではないか、と受け止めていると

言うこと。

私も、公共空間での作品設置には賛否両論あるので、手紙の主に返信したのは中国製灯篭と私とは何の関係も無いことを伝えたかっただけである。

そしてむしろ、まちづくりの事業に於いて、当初は事業反対の先鋒で激しく抵抗されていた方が、後に最も力強い事業の理解者となって、積極的にまちづくりの講演活動を

されている事例を、身近なところで幾つかの事例を知っている。

私もそういうスタンスで受け止めておきたいと思う。


6月1日(水)

☆午前は曇天。

お昼から小雨。

気温は上がらず。

☆モニュメント制作。

一日、月の股下縁切り落としの穴のセリ矢落としと、ディスクによる曲面落とし。

狭い穴の中の作業なので、ディスクが跳ね上がって怪我をしない様に細心の注意を払いながら作業する。

☆高鍋町のコロナ感染者は、今日で累計1,000人丁度となった。

高鍋町の人口が4月1日現在で、19,542人なので、19,5人に1人はコロナに感染したことになる。


5月31日(火)

☆晴れ。

気温がぐんぐん上昇し、真夏の暑さ。

天気予報ではしばらくは晴天が続き、梅雨入りはもう少し先になりそうである。

☆朝一にリースのコップレッサーの借用延長手続き。

削岩機の作業は台座の穴あけ以外はもうないが、これからの厚み落としでルートハンマーを使うので、当分はコンプレッサーを置いておく。

☆午前にロータリー工事の担当者と、設置に関する詳細打合せ。

☆午後は高鍋町美術館にて、令和4年度第1回高鍋町美術館協議会。

こちらもコロナ禍で書面決済が続いたので、久しぶりの会議。

☆これらの打ち合わせと会議の合間にモニュメント制作。

月の股下部の縁切り落とし部の曲面ディスク落としと、ルートハンマー落とし。

☆今日も制作場所のグラウンドの草刈り作業。

すっきりとなった。

☆どうやら、私に届いた駅前モニュメント反対の類の怪文書が、駅周辺地域にばらまかれているらしい。

”文教の町・高鍋”に石の彫刻は要らない!と嘯きながら、自分たちがやっていることは”文教の町”とは真逆のことではないか。

☆とうとう5月が終わった。

モニュメントはスケジュールから大幅に遅れている。

どうなることやら。


5月30日(月)

☆夜中から雨。

雨は午前に一時激しく降る。

午後には雨も上がり、一気に晴れる。

午前の内は水冷で肌寒かったが、午後からはぐんぐん気温が上昇し、真夏の暑さとなる。

☆モニュメント再開。

午前は雨がしたたり落ちて作業しづらく、厚みの中心線を出す。

午後からは月の股下の縁切り落とし部と、月の立ち上がり部の曲面落とし作業。

230mmディスクではやりづらかったので、ほぼ125mmディスクで進める。

☆作業場のグラウンドは、夏場は草ぼうぼうになるらしく、今日は管理会社が草刈り作業を行っていた。

☆今日の宮崎のコロナ感染者では、高鍋町は久しぶりにゼロであった。

このまま落ち着いて欲しい。


5月29日(日)

☆朝のうちは曇天で肌寒かった。

天気予報では雨になる予報であったが、逆に次第に青空が広がり、とても爽やかな気候となった。

☆午前に妻と西都原考古博物館へ出かける。

企画展で「西都原古墳群〜特別史跡70周年のあゆみ〜」を観る。

西都原が多くの人々によって守られてきた歴史が伝わってくる。

私が幼い頃、母の姉の息子夫婦たちが西都市(以前は”妻”)に住んでいたので、何度か叔母や母、妹とでバスで妻に行ったことがあった。

当時は国鉄バスが高鍋駅から茶臼原経由で走っていたが(当時は国鉄・妻線が走っていた)、バスは町中まで走っていなくて、辺鄙な場所で降りて、田んぼの中の

一本道を延々と歩いていった記憶がある。

そして西都原考古博物館にも行ったことがあって、なんともみすぼらしい貧相な展示物しか無かったのを記憶している。

特別史跡70周年と言うから、私の幼年時代は発掘調査が始まったばかりだったのだろう。

☆その企画展の入口に、企画展のポスターが貼ってあって、そこにドローン撮影の西都原古墳群全景の写真が掲載されていて、その中に今建造されたばかりのように

くっきりとした大きな前方後円墳が映っている。

そんな古墳はこれまで目にしたことが無いので、妻とそこへ行ってみようと言うことになり、売店で西都原古墳群・探訪ガイドの小冊子を買って出掛ける。

第一古墳群にある13号墳だとわかったのだが、その第一古墳群というのが何処なのかさっぱりわからない。

ようやく第一古墳群の駐車場に辿りつき、13号墳を目指すが奥へ奥へ進んでも見つからない。

そして一番奥の、市街地が見下ろせる縁に13号はあった。(古墳の多くは西都原台地の縁に造られている)

ドローンの写真は、発掘復元したときのもので、現在は他の古墳同様に草に蔽われている。

手前には、発掘復元当時の葺石(ふきいし)で構築された姿の縮尺モニュメントが設置されていて、見ると古墳に入口がある。

何だろうと近づいてみると、「見学できます 室内に入って どうぞ ご見学ください」というパネルが扉に取り付けてある。

恐る恐る扉を引いてみると、古墳の中にスポットライトが当てられて、発掘当時の状態が見学できるようになっていた。

やはり古墳の中は、高鍋町持田古墳群の石棺のように、木棺の下に朱(ベンガラ)が敷かれていた様で、木棺と副葬品が埋葬されていたところの石は赤かった。

☆西都原古墳群が最新の発掘技術と、保存のために細心の配慮で展示保存されていることにあらためて驚愕した。

これから、時間を見て色んな古墳を見て回りたい。

西都原同様に、高鍋町持田古墳群、新富町の新田古墳群、西都市の茶臼原古墳群、川南町の川南古墳群は、一面の畑のなかに古墳の山がおとぎ話の中の風景

のように浮かんでいる。

こういう古墳の点在している風景は国内では珍しいと言う。

高鍋町に初めて来た人たちを持田古墳群に案内すると、皆さん茶畑の中に多数の古墳が浮かんでいる風景にビックリされる。

それだけ、古墳時代の児湯圏域は、近畿の権力者たちと交流のあった大きな勢力を持つ首長たちが多かったのだろう。

☆午後は、買ったガイドブックを読む。

ガイドブックに、西都原では300年の歴史の流れが読み取れるとある。

古墳時代って、たった300年間?と思って、ネットで調べると、「古墳時代 250年〜538年」という記述があって驚いた。

250年と言うのは最初の古墳が造られたと確定できることから来ているのかもしれないが、終わりの538年は仏教伝来の年である。

ガイドブックにも、”古墳は首長たちの権力を示すものであったが、仏教伝来にともなって、壮麗な仏教建築に変化していきます”とある。

聖徳太子も古墳時代の人で、亡骸は古墳に埋葬されていると言う。

その後に日本は法隆寺等の木造寺院が建てられるわけだが、一気に驚嘆すべき木造建築が建てられる訳ではないから、古墳とは別に首長たちの住居はキチンとした

木造家屋が建てられていたのだろう。

個人の邸宅は守られるべき仏教寺院では無かった故に、発掘しても木造建築は腐敗してしまっていて、出土しないのだろう。


5月28日(土)

☆概ね晴天だが、一日中薄雲がかかり、曇天気味の気候。

朝夕は肌寒く、日中も気温は上がらず。

☆朝一に、整骨院で電気治療。

☆昼前に、別な業者に雨漏りの見積もり調査をしてもらう。

やはり周囲の声を聞くと、業者によって10万円ほどの見積もり差額が生じると言うので、3社の相見積もりを取ることにした。

今日は見積のための点検だったが、一緒に家の状態を見て廻ったら、外壁のコーキングは殆ど経年劣化で大きく隙間が開いている。

また屋根がガルバリウム鋼材なので、金属は日射で高熱となり、コーキングが余計に劣化が激しく、隙間が大きくなると言う。

さらに外壁のボードが吸水性のボードなので、塗料が剥げると、ボードが水を吸ってしまって屋内に雨水が侵入してしまうと言う。

そして、木造建築なので、こちらも塗装して劣化を防がないと腐ってしまうと言う。

実際、すでに雨水が柱に浸水して白蟻被害に遭ったと錯覚したほどの腐食が進んでいる。

木造建築は見栄えは良いが、木は腐るので維持費がかかると言うこと。

このまま放っておくと、修理費が膨大なものになると言う。

言われてみれば確かにそうである。

2、3年前から外壁工事の営業が頻繁に来ていたが、無一文状態だったから殆ど見積もりも取らずに無視してきた。

しかし、その時に営業の担当者が指摘した通りに柱の内側がボロボロになっているのに気付いて、営業マンの目は確かだったのだと思っていたところである。

これは単なる雨漏りの補修工事の問題ではなくなってきた。

☆夕刻に、高鍋高校同窓会の評議委員会。

評議員会もコロナでこの2年間は書面決済だったので、3年ぶりの開催であった。

今年は高鍋高校創立100周年で、その事業等についての質疑が行われた。


5月27日(金)

☆晴れ。

今日も気温は上昇したが、一日中涼風が吹いて、気持の好い気候だった。

☆夜中、トイレに起きると足が立たない。

やはり週5日の作業が限界である。

妻が、今日は作業を休んだらと言うが、そういう訳にもいかない。

だが、むしろ若い頃の陶壁画会社勤めのころのほうが、毎日が地獄のようにくたくただった。

今の方がはるかに健康的で体力もある。

☆午前は、削岩機で落とした月の股下の縁の部分を、コアで落とそうと試みた。

狭い穴なので、穴の内側をダイヤモンドディスクで落としてゆくのは非常に危険で困難だからである。

ホースの接続をし、ドリル刃をホームセンターで購入し、機材をセッティングして作業したが、やっぱり全くコアが切れない。

こんなことをやっていたら全く作業が進まないので、コア作業は断念する。

午後は、もう少し削岩機で落とせる部分を落としてゆく。

削岩機作業は、おおむね今日で終わった。

今日は昨日のような削岩機との激しい格闘は無く、風も涼風が吹いて爽やかだったので、昨日のような疲れは無い。

☆”旬刊 宮崎”新聞が届いた。

所謂、政治問題等のスキャンダルを採り上げる新聞である。

駅前モニュメントのことで、何か取り上げているのかと思ったが、そういう記事は無かった。

ただ一面の記事は、高鍋町内で起きている補助金に絡んだ町議会議員のスキャンダルであった。

そういう問題が高鍋町で起きているなど、全く知らなかった。

もともとこの”旬刊 宮崎”は、表には出てこないスキャンダルを表面に出す”正義”をかざす新聞である。

この時期に私宛に”謹呈”という印が押されて新聞を送りつけるというのは、次の餌食はお前だ、という警告なのだろうか。

しかし今回の駅前モニュメントは公金や補助金は一切使われていないし、贈賄ということも構造的に発生しない。

だが、先日の抗議文の手紙と重なって、気分が悪い。

この”旬刊 宮崎”はこうしたスキャンダル告発がメインではあるのだが、明日から高鍋町美術館で始まる”安田李仲と安田家愛蔵品展”の記事も掲載されているし、

過去には空港展も何度か取材記事を載せてくれたこともある。

よくわからない新聞である。

☆宮崎のコロナは、先週より感染者数は減って来てはいるが、まだ高止りのままである。

それで宮崎県は、今月29日までとしていた医療緊急警報を6月5日まで延長すると発表した。


5月26日(木)

☆夜中から雨。

雨は午前中は激しく降る。

午後は雨脚も落ち着いて来て、夕刻には雨は止む。

午前は水冷で肌寒かったが、雨脚の弱まった午後後半からは気温が上がる。

☆モニュメント制作。

今日も月股下の削岩機作業。

手持ちの工具類をあれこれフル稼働させて、何とか目途がついた。

暴れまわる削岩機を抱えて、叫びながら気合を入れて石をえぐってゆく作業で、心底、ヘロヘロに疲れてしまった。

帰宅して夕食を作るのも、フラフラ状態で辛かった。

しかし削岩機の作業もほぼ明日で終る。

老体に鞭打って、良く頑張った。

☆先日、コンプレッサーの軽油を、何時もと違う町内の別のガソリンスタンドで購入したら、同じENEOSなのに価格が全然違う。

何時も購入するスタンドは1リットル145円なのだが、先日の別なスタンドは1リットル154円で、20リットルで180円もの差があった。

僅か2,3日の間に軽油価格が高沸したのかと思ったが、今日はいつものスタンドで購入したら、やはり1リットル145円だった。


5月25日(水)

☆晴れ。

今日も気温が上昇。

暑さは昨日ほどまでには至らず。

午後からは海風が吹いて来て涼しくなる。

夕刻から曇って来て、天候は下り坂。

☆モニュメント制作。

月の股下の縁切り作業。

昨日の暑さでちょっと夏バテのような体調で、暴れまわる削岩機を抱えて石をえぐって行ったら、ヘロヘロになってしまった。

足元がフラフラで、途中、作業を休止して下に降りようとしたら、足場から足を踏み外して背中から落下してしまった。

しかしなんとか底がかなり開けてくれた。

☆夕刻に見積もりをお願いしていた屋根工事業者が来て、雨漏りの原因を調べてくれた。

やはり壁のコーキングが劣化していて、かなり壁に隙間が出来ていた。

屋根の方も一部張り替えないと駄目だと言うことである。

☆駅前モニュメント反対の抗議文を送ってきた男の住所が他人の住所だとわかり、その住所が制作場所に通う大通りから一筋這入ったところにある家だとわかったので、

作業場へ行く途中に立ち寄ってみた。

立派な大きな屋敷で、案の定、表札の名前は抗議文を送ってきた男の名前とは全く別のものであった。

電話帳を見ると、確かにその表札の名前の方の電話番号の住所は、抗議文の住所だった。

この男は電話帳を開いて、適当に電話帳に載っている住所を書いたものだろう。

あるいはこの男の名前も偽名なのかもしれない。

一見、本人の名前と住所を記載した手紙で、正々堂々と抗議してきた体裁を取りながら、実は名前も住所も虚偽だったのだ。

それに私の住所の”630番地2”までを知っている者は、高鍋町内にはそう多くない。

我が家の電話はNTT回線を使っていないので、電話帳には載っていないし、町内の機関から届く番地は”630番地1”が多い。


5月24日(火)

☆晴れ。

気温は上昇して、今年一番の暑さとなった。

☆モニュメント制作。

今日も月の股下の縁切り作業。

少しずつ彫り下げて行くが、度々ビットやセリ矢が噛んで外れなくなり、暑い中での四苦八苦の作業で、ヘナヘナになってしまった。

☆午後に、鹿児島からSさんご夫妻が差し入れのビールを持って来られた。

☆今日は妻のボーカルレッスン日で、来月のライブのリハーサルなので、作業を早めに止めて帰宅する。

作業でヘロヘロになって息切れしているので、最初はハーモニカを吹いてもか弱い音しか出せなかった。

☆駅前モニュメント反対の抗議手紙を送ってきた方に、私は中国製灯篭の制作には無関係だという返事を送ったら、”あて所に尋ねあたりません”という印が押されて

手紙が返ってきた。

虚偽の住所氏名だったのかと思って、ネットで調べると、確かにその記載された住所の建物は在る。

返ってきたということは、本人がそこには住んでいないということだ。

そうであれば、一見、名を名乗っての抗議文送付という形を取りながら、実際は偽名であったという卑怯な輩だったと言うことになる。

しかし最近は住所が間違いないのに、郵便物が戻って来てしまうことが多いので、実際のところはよく解らない。

午後には早じまいしている処に、一台の軽トラがやって来て、私の作業している処を素通りして何も言わずにUターンして出て行った。

顔つきが作業場近所に住む同級生にも似ていたが、私たちの年齢よりも若く見えたし、同級生なら降りて来て声をかけて来るだろう。

私の様子を探りに来たとしか思えない。


5月23日(月)

☆薄雲のかかった一日。

概ね晴天で、気温は上昇したが、青空は見えず。

☆モニュメント制作再開。

今日もいちにち、月の股下の縁切り削岩機入れ。

削岩機の作業そのものはとても楽なのだが、石に厚みがあるので長尺のロッドが噛みこんで動かなくなり、手持ちの全てのロッドが噛みこまれてその対応で四苦八苦。

へとへとに疲れてしまった。

☆昼前に、宮崎日日新聞「歌の窓」担当の歌人・福原美江さんと、短歌結社「心の花」の宮崎歌会の3人が制作場所を訪問された。

福原さん以外の3人は、昨年の高鍋町美術館での公開対談に出席されている。

福原さんは当日に急用が出来てキャンセルとなり、今日が初対面であった。

実は福原さんの担当されている「歌の窓」で、近日中に「月の雫」から5首、宮崎県内に設置されている彫刻を詠まれた伊藤先生の短歌を連載される事になっている。

それで、その歌に詠まれている私の彫刻を見るために、高鍋町美術館と日向市のグリーンパークへ行かれる前に立ち寄られたものである。

☆「心の花」(俵万智も所属)の宮崎歌会では、毎年6月に東京から歌人を招いて講話を開催し、翌日に宮崎県内のバスツアーをされていると言うこと。

それで「月の雫」巡りのバスツアーを企画されているのだそうだが、まだコロナでバスツアーは無理なので、落ち着いたら実施したいと言うことである。

伊藤一彦先生も、「月の雫」の県内設置作品巡りのバスツアーをやりたいと言われていたので、先生からの発案なのかもしれない。

☆空港展の詳細を掲載している「宮崎の現代彫刻展」ホームページが更新できなくなっていた。

FTPの設定は正しいのに、何度やっても転送されない。

今年の空港展が間近になったので、運営元のFC2に問い合わせてみた。

そうしたら半年間更新の無いホームページは、セキュリティー強化のために自動的に「FTP接続ロック」がかかるようになっているということ。

無事に「FTP接続ロック」を解除して、更新が出来た。


5月22日(日)

☆晴れ。

室内にいると冷え冷えとするが、陽射しが強くて外に出ると暑い。

上衣を羽織って外に出ると、みんなTシャツ姿で、着るものに困った。

☆午前は伸びて来た浴室外庭のタケノコの除去と、裏庭の伸び放題の草の除去。

☆昼前と夜に、妻とライブの練習。

午前の練習では、何時もは上手くハーモニカが吹けていたところが全く吹けなくなって、泣きそうになる。

若いころは暗譜出来ていたのに、年を取ってからはまったく楽譜が記憶できない。

毎回、楽譜とにらめっこしながら吹いていると、突然に何処を吹いているのか見失ってしまい、それからガタガタとなる。

もうライブまで一月しかない。

☆友人のウクライナ彫刻家のMichaelから、メッセンジャーが届いた。

彼はキエフの防空壕から逃げ出し、今はルクセンブルグの病院で負傷した足の治療をしているようだ。

それでウクライナを出て、新しい土地で生活を始めなければならないので、その資金をクラウドファンディングで募金を始めたということ。

直ぐにでも募金してあげたいが、私はネットでの資金の送り方が解らない。

以前にペイパルでの送金を試みたが、私の使えるのは「ゆうちょ」だけだったが、「ゆうちょ」は不正利用によって現在は新規の口座振替設定を一時停止している。

募金できないので、フェイスブックでリンクをシェアする。


5月21日(土)

☆一日雨。

午後からは雨脚は弱まり、夕刻からは晴れて来る。

☆朝一に整骨院で電気治療。

今日の電気治療は圧がすごく強くて、苦しくてたまらなかった。

☆一日、デスクワーク。

今年の空港展のパンフレット校正依頼が来ていたので、目を通す。

完全なミスや、表記の不統一などをチェックして事務局へ送付。

☆北郷泰道「古代日向・神話と歴史の間」を読み進める。

専門用語が多くて硬質な文章なので読みづらいが、西都原考古博物館の展示が頭に這入っているので理解は進む。

☆先日からまた胸焼けがきつくなってきて、夕食を摂る直前から胸焼けが激しくなり、なかなか食が進まなかった。

特にサラダは日向夏を使っているので、柑橘類の酸味が胸焼けをさらにきつくしてしまったようだ。

胃薬を飲んで早目に寝る。


5月20日(金)

☆午前は曇り。

お昼前から雨となり、夕刻からは本格的に降る。

☆朝のうちに、今年の空港展のパンフレット掲載あいさつ文をまとめて、事務局へ送付。

☆今週はずっと作業をしたので、相当に体にダメージが来ている。

体がガタガタで、今日は力が這入らなかった。

今日も月の股下の削岩機縁切り作業。

削岩機の作業自体は楽なのだが、時々ビットが噛んでしまって、それを外すのに体力を使ってしまう。

来週の頭には縁切りを終えて、来週末までには厚み落としの作業に入りたい。

☆夜は3年ぶりの高鍋町観光協会総会。

いちばん最後に駅前モニュメント制作の報告があった。


5月19日(木)

☆晴れ。

午後からは雲が出て、夕刻には曇天となる。

日中は陽射しが暑いが、朝夕は冷え込む。

☆モニュメント制作。

今日から難関の、月の股下の削岩機縁切り作業に這入る。

”MOON DANCE”は月の結合部のみで左右の月がつながっているだけなので、今回の作品は石が大きくて左右の月が重過ぎ、ちょっとした衝撃で、月の結合部が

ボッキリ折れる恐れが余りにも大きい。

それで、補強のために月の下部を連結させたまま作業をしなければならない。

そのために連結部と月の結合部の間を切り抜かなければならない。

最後の削岩機作業である。

☆水ホースなどがまだアンジェラスの森の倉庫に置いてあったので、午後に取りに行く。

久しぶりの里山の風景はとても美しくて、心が洗われる。


5月18日(水)

☆晴れ。

朝のうちはまだまだ肌寒いが、日中は気温が上昇。

しかし昼辺りからは海風が吹いて来るので、テントの中では暑さはない。

☆モニュメント制作。

月の結合部のディスク落としとルートハンマー落とし。

結合部が谷間なので、ノミが叩きづらく、何度も手を叩いてしまう。

それでホームセンターで長いハツリノミを買って来たが、手は叩かなくなったものの、ノミに力が這入らない。

☆昼前に長兄が孫娘と一緒に差し入れを持って来てくれた。


5月17日(火)

☆朝のうちは雲が多かったが、直に晴天となる。

はじめはまだ気温が低く肌寒かったが、次第に気温は上昇。

☆モニュメント制作。

今日も局面の9インチディスク落とし。

台湾製のディスクの切れが次第に悪くなり、作業進度がすこぶる停滞してきた。

☆午前に三兄夫妻が差し入れを持って訪問してくれた。

昨日届いた手紙の話をすると、”高鍋町民はみんな、あの中国製灯篭はお前が作ったと思っている”と兄の返答。

”私もそう思っていた”と義姉までが同意する。

やれやれ、である。

身内までがそう誤解していたなんて。

☆午後には工具代理店と同窓生が訪ねてくれた。

工具代理店とは色々情報交換をする。

同窓生は私の体と騒音苦情について心配してくれる。

私の廻りの同窓生はみんな体があちこち故障して来ているが、今のところ私は何の問題も無い。

騒音苦情も今のところは無い。

☆今日は妻のボーカルレッスン日で、私も作業を早めに切り上げて、少しジョイントする。

☆コロナの感染者数のカウントはほとんど無意味になって来たので、今日からは記載しない。

ただし宮崎の新規感染者数は、最近1週間の10万人当たりの感染者数は全国ワースト3位のままである。


5月16日(月)

☆午前は概ね曇り。

時々晴れたり雨が降ったりの不安定な天気で、冷え込む。

午後半ばから青空が広がる。

☆モニュメント制作。

局面の9インチディスク落とし。

今週中にはなんとかアウトラインを出してしまいたいが、まだ最大の難題の削岩機の縁切りが残っている。

☆午後に怪我保険でお世話になっている、保険代理店のSさんが見学に来られる。

やはり9インチのディスクは瞬間的に強く撥ねたり引っ張られたりするので、気を抜くと大けがをする。

アシスタントが欲しいが、素人にはなかなか危険度が高いので頼めない。

☆高鍋町内の見知らぬ方から封書が届いた。

今の時期に町民から届く手紙は駅前モニュメントに関してだろうと封を切ると、真っ先に”駅前モニュメント反対!あなたが自ら辞退せよ!”という文面から始まった抗議文

であった。

公共の場所に建てるものは、立場によって賛成であったり反対であったりするのが当たり前なので、反対の意見を述べられることは一向に構わない。

設置後に色々難癖をつける人たちが出て来るだろうことは覚悟しているが、制作途中からこんな設置反対の抗議文が届いたのは初めてである。

ただ手紙を読み進めて見ると、この方は大きな勘違いをされている。

あの醜悪な中国製灯篭の作者が私だと言う誤解を真に受けて、私を批判されている。

橋の親柱の上に設置されている中国製の亀の親子石像、街中に氾濫している気持ちの悪い中国製灯篭、高鍋町民は多くの人たちが私をこれらの石製品の制作者だと思い

込んでいる。

これまでにずい分厭な思いをさせられてきた。

まだこんな思い違いをされている方が居られて、私を攻撃されてきたのかと思うと、やり切れなくなった。

心の中でどう思われようと構わないが、誤解を真に受けてこうして文書で攻撃されると名誉棄損ものである。

かなり昂奮して書かれたらしく、文字が乱れているし、書かれている内容も支離滅裂である。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は290人。

高鍋町は2人。

そしてこれまで感染者の全く出ていなかった西米良村にとうとう感染者が出た。

私はこれまでに、西都・児湯全ての市町に感染者が出たと書いて来たが、西米良村が児湯郡だと言うことを忘れていた。


5月15日(日)

☆朝のうちは陽が射していたが、次第に小雨交じりの曇天となり、夕刻からは雨。

今日も気温は上がらず、冷え冷えとする。

☆一日、デスクワーク。

☆今日が締め切りの某海外コンペにエントリーしようと思って準備を始めたら、アプリケーションの記載事項にパスポートナンバーの記載があった。

私のパスポートは既に失効しており、当分は海外に出ることも無いだろうと新規発行の手続きもしていなかったのだが、こういう時に必要だったのだ。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は475人。

高鍋町は6人。


5月14日(土)

☆久しぶりの晴天。

田植えの終わった水田の緑のそよぎが美しい。

☆夜中にトイレに起きると、体がフラフラである。

起き抜けもなかなか体が動かない。

やはり体を休ませないと、体力が保てない。

午前に2週間ぶりに整骨院で電気治療を受ける。

左首筋がギンギンに張っているので、うつ伏せでの電気治療が苦しかった。

☆午後は妻と宮崎市へ出て、”風の庵”での、書家・堀内景子さんの初ライブへ行く。

堀内さんは妻の勧めで、片貝晴美さんのボーカルレッスンを受けるようになった。

レッスンを受け始めてまだ日が浅いのだが、しっかり歌えていた。

帰路に”ギャラリーしんとみ”に立ち寄って、事務局から届いていた今年の空港展のDMと来月のライブのフライヤーを届ける。

☆夜は南町公民館での南町ジャズナイトに妻と出かける。

大野えり九州ツアーの高鍋ライブ。

いつものようにワインと肴を持参して出かける。

大野えりさんとピアノの板橋文夫さん、ベースの米木康志さんは、それぞれ別のバンドで高鍋町には何度か来られている。

この3人がツアーバンドを組んで来られたのは初めてである。

南町公民館のピアノは新しく入れ替えられて、今夜のライブはその新しいピアノの初披露となった。

万年酔っぱらい状態の板橋文夫さんのピアノは激しいので、新しいピアノを壊してしまうのではないかと案じたが、案の定、黒鍵が幾つか吹き飛んだ。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は550人。

高鍋町は4人。


5月13日(金)

☆一日、本格的な激しい雨。

雨は夜中近くには雨脚が止る。

☆午前は、高鍋町役場で関係者との駅前ロータリーの設計デザイン等についての打ち合わせ協議。

先日の県やJRとの打ち合わせで、ロータリーは道路の一部なので立ち入りは禁じられており、立ち入りを誘発するような景観構成は不可ということであった。

そのことは私自身も見解としては分かっていたことだったので、私のプランは白紙にして考え直すつもりでいた。

ところが今日の打ち合わせは、私の提出した当初の景観デザインに添った打合せであった。

役場の担当者の説明では、景観デザインのパース自体に就いては県もJRも何も異論はなく、図面の表記に立ち入りを前提とした記載があるので、その点を指摘された

ということであった。

県とJRとしては、モニュメントの転倒等の安全面が最も懸念されることなので、工務店に一度現場の地質調査をしてもらったうえでの基礎図面を出してもらい、そこに私の

モニュメントの設置情況(心棒の大きさ、長さ等)を加えた図面を提出して、県の認可を得ることで進める。

やはり私の今の制作場所での作業は借用地なので約束の9月末までで終る、という工程で進めて欲しいと言うこと。

ただ、作品の構造上の安全面から、補強したまま設置現場へ運び、設置後に現場で補強部分を取り除き仕上げ作業をする可能性が在ることを伝える。

したがって、全体の完成時期は私の作業進度に合わせてもらうことにした。

今の状況では、予定よりかなり作業が遅れている。

今月いっぱいはアウトライン出しにかかるので、残り4カ月で成型作業が終わるのか、はなはだ疑わしい。

やはりアシストを手配しないと間に合いそうにない。

☆午後にモニュメント制作。

昨日の作業の続き。

雨は激しくても、強風による降り込みは無い。

☆作業を早めに終えて、シャワーを浴び、夕刻から妻と宮崎県立芸術劇場へ。

先日の宮崎国際音楽祭のピアニスト、ジャン=エフラム・バヴゼさんに惚れ込んでしまった妻が、もう一度聞きたいというのでバヴゼさんの出演するプログラムから

今日の”三浦文彰の挑戦「ヴィルトゥオーソたちとの新世界」”を選んで、再び聞きに行く。

バイオリニストの三浦文彰さんは2009年にハノーファー国際コンクールで、史上最年少の16歳で優勝された方で、その若い三浦さんが大御所たちと共演する

というものであった。

三浦さんは既に宮崎では何度か演奏されているらしく、満席の会場には熱狂的な三浦ファンの女性たちが盛んに手を振っていた。

私的には第2部のシューマンの”ピアノ四重奏曲 変ホ長調 作品47”が良かった。

☆今日の大雨で、我が家の雨漏りはさらにひどくなった。

昨日は雨水の落下場所に布を敷いて対応したが、今日はそれでは間に合わなくなり、広口の雨水受けの容器を並べた。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は492人。

高鍋町は7人。

宮崎県は15日までとしていた「医療緊急警報」を29日めどに延期を発表した。


5月12日(木)

☆一日、本格的な雨。

☆朝一にコンプレッサーのリース延長の手続き。

もうコンプレッサーを借りて2カ月経ったが、まだアウトラインも出ていないし、削岩機での縁切りの作業も残っている。

今回から月末締めで延長手続きをすることになった。

☆今日から、マキタの125mmグラインダーによる台湾製9インチディスクでの局面落とし作業。

マキタの125mmグラインダーはボディーが樹脂製なので、金属製ボディーの日立よりかなり軽い。

使ってみると体への負担が殆ど無く、ディスクも良く切れるので、快調な作業となった。

ただマキタの欠陥なのだろう、ハンドルが作業の震動で次第に緩んでくる。

ルーマニアのシンポジウムでは、切込み作業中にハンドルが緩んで外れ、回転しているディスクに指を突っ込み怪我をする事故が2回続いた。

☆昼に自宅へ帰ると、2階への階段が水浸しである。

階段の窓は先日の雨でしっかり締めたはずなので、何処からの雨水なのだろうと思ったら、2階のリビングの洗面台の上から大量の雨水がしたたり落ちて来ている。

周囲には、過去の雨漏りの染みも残っているから、家の構造的に雨の降り込む角度によって漏水してしまうようだ。

夜に帰宅した妻に聞くと、数年前に私がマレーシアか中国に滞在中の大雨で雨漏りをした場所だと言うことであった。

台風被害の修理作業で工務店にコーキング補修をしてもらったのだが、火災保険ではコーキングは経年劣化で補償の対象に成らなかったので、工務店のサービスでの

補修に留まった。

いまから雨のシーズンなので、急いで業者に修理してもらわねばならない。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は536人。

高鍋町は4人。


5月11日(水)

☆夜中から激しい雨。

雨は一日中続く。

今日も冷え込んだが、昨日ほどでは無かった。

☆首の凝りがひどく、また歯茎が浮いてきて目の奥の痛みと片頭痛がひどくなってきた。

痛み止めを飲む。

☆やはり7インチのディスクでは切り込みの深さが足りない。

削岩機で落とした部分は結構大きなコブが残っているので、9インチで切り込まないと効率が悪い。

それに、昨日はサクサク切れたのに、今日はもう切れが悪くなってきた。

そこでヤン・リューから貰っていた9インチの中国製ストレートディスクを使ってみた。

ところが思いのほか良く切れる。

今は中国製の工具は飛躍的に性能が良くなっている。

しかも価格は信じられない程安い。

☆今日はリフトやプレハブを運んでもらった運送会社の社長が、制作の様子を見に来られた。

そしてこれなら自社のトレーラーで設置場所へ運べると言われる。

道路交通法の改正で、荷物のはみ出し幅の制限が緩和されたのだと言う。

そうしてもらえると非常に助かる。

わざわざ宮崎市の運輸会社から低床トレーラーに来て貰う必要が無いし、この運送会社はとても良心的なのだ。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は過去最多数の790人となった。

自粛要請の緩和された連休明けなので、ある程度は予想されていたことである。

高鍋町は7人。累計は895人となったので、やはりまもなく累計1,000人を超すのは目に見えてきた。


5月10日(火)

☆朝のうちは雨。

雨は直にあがり、日中は重い曇天状態。

夕刻から再び雨となる。

今日も気温は上がらず、冷え込む。

夕刻からはしんしんと冷え込んで、暖房を入れる。

☆昨日に交換したばかりの9インチディスクが次第にブレはじめた。

取り付け方が悪かったのかと、何度かやり直してみたが、ブレは激しくなるばかりである。

それでアシスタント用に購入したばかりのマキタ180mmグラインダーに取り付けてみたら、やはりブレるので、ディスクの不具合だと分かった。

ところがマキタのグラインダーだとレンチがしっかり留め金にフィットしてくれる。

そこで9インチディスクはマキタで使うことにして、日立のグラインダーでは7インチのストレートディスクを使うことにした。

今の側面のカッティング・ハツリ作業では、7インチのストレートディスクの方が有効である。

☆元町会議員のSさんが制作場所に顔を出してくれた。

彼は趣味で水石を加工しているので、私の作業にとても関心が高い。

☆伊藤一彦先生より、新刊の「老いて歌おう」選歌集の「老いの花」が届く。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は416人。

高鍋町は7人。


5月9日(月)

☆午前は曇り空から青空が広がり、気温は上昇。

昼前から再び雲が出て雨となる。

午後は水冷で急激に気温が低下し、夕刻からは冷えこむ。

☆連休も明けて、再びモニュメント制作に集中する。

台湾製の9インチが愈々摩耗が進んで切れが悪くなってきたので、新しいディスクに交換しようとしたら、思いがけないトラブルに見舞われた。

グラインダーの留め金を外そうと思ったら、ディスクがフランジタイプなので、レンチがフランジの金具の縁に当たって、レンチの突起が留め金の穴に深く這入らない。

それでレンチをあれこれ細工してみるが、やはり留め金へのかかりが悪く、留め金がびくともしない。

海外での制作は殆どフランジタイプのディスクを使うので、海外で使うグラインダーの留め金を使えばレンチが使えるのではと思ったが、日本のグラインダーと海外の

グラインダーでは留め金のネジのピッチが違うので、案の定、互換性がない。

結局、留め金の穴の片方にだけレンチの突起を差し込んで、ハンマーでたたいて外す方法で解決したが、毎回こんなことをしなければディスクが交換できないのか。

☆午後に宮崎市佐土原町の広瀬中学校へ出かける。

広瀬中学校の玄関脇に島津啓次郎の胸像が設置してあり、その胸像がコンクリート製なのであちこちが欠けていて、修復できないかとの相談があった。

先日に「小説 島津啓次郎」を読んだのは、このためであった。

この像は昭和38年に、白石盛香氏によって制作されている。

しかしこの胸像は、島津啓次郎にはまったく似ていない。

それで一応のタイトルは「少年の像」となっているが、括弧付きで(島津啓次郎)となっている。

いま、地域の方たちが島津啓次郎の顕彰や地域の歴史遺産などの保存啓蒙活動をされていて、その一環でこの「少年の像」も修復したいということになったようだ。

当時に県内に設置された屋外彫刻はコンクリート製が殆どである。

私も過去に、コンクリート製の胸像をブロンズにして設置し直した事例が有るので、担当者の方にコンクリート像の修復費用の概算見積と、ブロンズに変換した場合の

経費概算をお伝えする。

この活動は宮崎市からの補助金によって少しずつ進められているようなので、宮崎市に補助金申請してみなければどうなるかはわからない。

☆実は広瀬中学校は、私の教育実習の地方実習校であった。

妻の初任校でもある。

50年ぶりに広瀬中学校を訪れたが、佐土原の街並は昔の面影が全くなくなってしまっているので、丸っきり場所が分からなくて、スマホのナビに頼らなければ

ならなかった。

学校自体も、教育実習の時は木造校舎だったので、昔の面影はない。

当時すでにこのコンクリート製の「少年の像」は建っていた筈だが、全く記憶に無いし、妻も記憶に無いという。

佐土原の町は昔はそれなりに風情のある町だったが、急激な街並みの激変で、「佐土原町」という個性の佇まいは全く無くなってしまった。

私は結婚する前は佐土原町に6年間住んでいたのだが、私が住んでいた家の周囲も激変していて、私の住んでいた家が何処だったのかもわからなかった。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は285人。

高鍋町は1人。


5月8日(日)

☆午前は曇天。

午後は晴れて来る。

今日もうすら肌寒い一日だったが、野に出るには丁度良い気候。

☆午後から妻と宮崎市へ出る。

まず宮崎県立美術館で開催中の”今日の世代展”(宮崎県美術連盟)へ顔を出す。

最終日の午後だったので出品者の多くが会場に居られて、知人と近況を語っていたら肝心の作品を観る時間がなかった。

☆続いて宮崎県立劇場へ移って、宮崎国際音楽祭の「大野和士の世界」を聞きに行く。

宮崎国際音楽祭に来るのはもう何年ぶりになるのだろうか。

1階は満席だったので、3階のテラス席で聞く。

ところが3階のテラス席でかぶりつきでステージを見下ろすと、オーケストラの演奏者の動きが俯瞰的によく見えて、舞台を観ているような臨場感があって、とても

面白かった。

最近は妻とライブの練習を毎晩やっているせいか、楽器の一音一音が全て聞こえる。

それで、いま、どの演奏者が音を奏でているのかが一目瞭然なのだ。

特に第一部の二曲目、バルトークの”ピアノ協奏曲第2番 ト長調 Sz.95”は、ゲストピアニストのジャン=エフラム・バヴゼとティンパニーの掛け合いがまるで

闘いのように愉快だった。

バヴゼの演奏がまたとても身振り手振りのパフォーマンスが豊かで、クラシックの演奏者と言うよりジャズビアニストのような雰囲気で魅力的だった。

妻も、これまでの宮崎国際音楽祭で観たどのピアニストよりも素晴らしいピアニストだと感激していた。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、やはり連休明けで急増の624人。

西都・児湯圏域は西都市が23人、高鍋町が10人で、久しぶりに49人の大台となった。


5月7日(土)

☆晴れ。

暑くも無く、冷え込みも無く、爽やかな気候。

☆朝一に、O内科で血圧の定期健診。

次回は年に1回の血液や心電図の健康診断を受ける。

今週は殆どモニュメントの仕事をしていないので、整骨院での電気治療はパスする。

☆記録用に20部のみ作った妻との二人展の去年と今年の作品集が、評判が良く、目にした人が欲しいと言われる機会が多くなったので、両方とも50部ずつ増刷を

発注する。

☆先年亡くなった北郷泰道氏の「古代日向・神話と歴史の間」を読み始める。

ずっと読みたかった本である。

特に、近年になって妻と西都原考古博物館に通うようになって、この施設の基本構想をこの北郷氏が担っておられたことを知ってから一層読みたかった。

ずっと前に、ラジオで北郷氏が”宮崎の観光の顏になって武人埴輪等の人型埴輪は、宮崎では一切出土していない”と語られていたのを聞いて、驚いたことが

あった。

この本もそのエピソードから始まっている。

しかしその後に、新富町の百足塚古墳から、他にはない踊る人型埴輪が大量に出土した。

そして従来の、弥生文化は大陸から北九州に這入り近畿に拡がって行った過程で南九州にも伝わってきたという定説を覆し、南九州にはそれ以前から独自の文化が

あったと言うのが、北郷氏が近年の南九州での発掘調査による出土品によって具体的に示した西都原考古博物館の展示姿勢となったようだ。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は464人。

高鍋町は6人。

この連休で、九州内はどこも感染者が急増した。


5月6日(金)

☆一日、雨。

午前は激しく降る。

☆午前はどしゃ降りだったので、午後から作業にかかる。

午後も一時的に激しい雨となり、テントの中に雨が降り込む。

雨のかからない場所の側面のカッティングとハツリ作業。

やはり台湾製の9インチディスクがとても重宝する。

グラインダーが重いので、その自重もあって5インチディスクよりも良く食い込んで切れる。

今月中旬までにはアウトラインを出してしまいたいが、天気予報では来週からずっと雨である。

沖縄は梅雨に入ったし、南九州も春の長雨からそのまま梅雨に這入ってしまうのだろうか。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は287人。

高鍋町はゼロ。


5月5日(祝・木)

☆日中は晴れ。

午後後半から雲が出て、夜に雨となる。

☆一日、読書。

調べることがあって、「小説 島津啓次郎」(榎本朗喬)を読む。

島津啓次郎の名前だけは知っていたが、どういう人なのかまったく知らなかった。

島津啓次郎は、佐土原藩第10代藩主・島津忠寛の第三子で、勝海舟の門下生となり、明治3年に13歳で藩費留学生としてアメリカへ渡っている。

19歳で帰国し、アメリカ滞在中に日本の将来に教育の重要性を痛感し、佐土原で学校を設立したが、同時に勃発した西南の役で佐土原藩は西郷軍に参加した。

そして、佐土原軍総裁の啓次郎は城山で西郷隆盛とともに官軍に討たれ、若干21歳で生涯を閉じている。

残された写真は眼光鋭く、聡明で血気盛んな相貌である。

勝海舟は初めて接した少年・島津啓次郎に、坂本竜馬が現れたかと錯覚したほどの衝撃を受けたと言う。

幕末の麒麟児と称される所以である。

アメリカ留学の同期生は、多くが明治時代に日本の中枢で活躍した人ばかりで、啓次郎が若死にしなければ確かに開国後の日本の重要人物として活躍した人で

あったであろう。

もっと広く顕彰されるべき人だ。

☆午後は妻のボーカルレッスン。

6月25日に予定しているライブのリハーサルで、私もジョイントする。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は225人。

高鍋町は5人。


5月4日(祝・水)

☆今日も絶好の行楽日和。

しかし今日も気温は上がらず、長袖を着用。

日陰は寒かった。

☆今日は何も予定を入れていなかったので、いちにち草の伸びきった庭の除草作業。

伸びた草は柔らかいので、草刈り機で刈り取る。

伸びて来たドクダミ草は、根っこから引き抜く。

☆夕刻に制作現場へ。

日向市のS氏が、平日は仕事で出られないので、所用でこちらへ出かける今日に作業場を見たいと言うことであった。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は372人。

高鍋町は5人。

ほぼコロナとの共存生活に這入っているが、オミクロン株は症状は軽症でも後遺症がひどい様だ。

今日のニュースでも、後遺症で倦怠感がひどく、床から起きれず会社にも行けない人が増大していると言うこと。

妹の友人もそうだと言うラインが届いていた。

まだこの後遺症への治療法が解らないらしい。

やはり努めて感染しないようにしなければ。


5月3日(祝・火)

☆絶好の行楽日和。

しかし朝夕はまだまだ空気が冷たくて、冷え込む。

日中も長袖が必要だった。

☆午前のうちに妻と宮崎市へ出る。

まず、みやざきアートセンターで開催中の「五大浮世絵師展」を観る。

私自身はさほど興味も無かったし、それぞれの浮世絵師については過去の「芸術新潮」等である程度理解していたつもりであった。

だが生の浮世絵には殆ど触れた機会がなかったので、どっぷりと丹念に観て行った。

やはり北斎の絵の画面構成にはハッとさせられる。

極めて新鮮で斬新である。

これらの絵師の活躍した時期は江戸後期で、西洋絵画の影響がかなり明確に見て取れる。

しかし、卓越した技術の彫り師、摺り師あっての浮世絵版画の素晴らしさには舌を無く。

☆午後は、宮崎キネマ館で上映中の「アネット」を観る。

評判の高い映画として、妻が選んだものである。

ゴールデンウィークだというのに、鑑賞者はわずか9人だった。

前半は、一体この映画の何処が面白いんだろうという極めて退屈な感じで、眠くてうつらうつらとなってしまった。

妻も同様に前半はうつらうつらだったという。

後半から勢い、ダークファンタジーな展開に成り、面白くなってきた。

子供のアネットは生まれた時からマリオネットで演じられており、セリフが殆どミュージカルでの歌なので、先程観たばかりの浮世絵のなかの歌舞伎や人形浄瑠璃を

想起させて、興味深かった。

クレジットを観ると、このマリオネットの制作者は日本人女性であったし、出演者に日本人名が何人かある。

この映画は仏・独・ベルギー・日本・メキシコのスタッフが関わっている映画だと言うことである。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は357人。

高鍋町は3人。

今日は車の往来がとても多かったし、各地の行楽地は行動制限のない3年ぶりの連休で賑わったようだ。


5月2日(月)

☆朝のうちは雲が多かったが、直に晴れる。

朝はとても冷え込んだ。

日中も陽射しは暑いが、まだ空気の芯が冷たくて、風が吹くと寒かった。

夜もまだ暖房を入れる。

☆今日は平日なので、一日モニュメントの制作。

9インチディスクと5インチディスクで、削岩機で粗落としした側面をカットし、斫(はつ)っていく。

台湾製の9インチディスクがもう摩耗してしまった。

しかしよく切れるディスクで、この台湾製のディスクが無かったら、作業進度はもっと遅れていた。

購入した10枚を使い切ってしまうかもしれない。

☆ラジオで夕刻に地震の速報を流していた。

”先程の地震は、震源地は日向灘で・・・”とアナウンスしていて、西都市は震度2だと言っていた。

私は作業中だったので全く気が付かなかったが、帰宅すると妻が”今日の地震は怖かった!”と言った。

かなり揺れたのだそうだ。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は199人。

高鍋町は久しぶりに感染者は出なかった。


5月1日(日)

☆午前の前半は曇天。

昼前から晴れて、一気に暑くなる。

午後後半からは再び重い曇天となり、一時的に雨となる。

夕刻からは冷え込んでくる。

☆今日は弁当を作って日向へ出かける。

先ずはロックタウンで、私の夏物のズボンとシャツを誂え、それにもう20年くらい履いている靴を買い替える。

次に4月にお披露目となった、”馬が背”の「スケルトン突き出し展望スペース」へ。

これは柱状節理の断崖絶壁に突き出したガラス張りのテラスである。

mrtラジオ・スクーピーの大石さんが実況で”コワイ!”と絶叫していたので期待していたのだが、それほどでもなかった。

しかし、やはり大変な宣伝効果で駐車場は満杯で、多くの観光客でにぎわっていた。

”馬が背”に着くまでには空はすっかり快晴となり、気持の好い海辺であった。

お昼は伊勢ケ浜へ降りて、潮風を受けながら美味しくお弁当をいただく。

☆午後は東郷町の牧水公園へ。

2年前に来た時にはコロナで公共施設は全部閉館していたので、初めて「若山牧水記念文学館」へ這入った。

この文学館の館長は伊藤一彦先生である。

まず伊藤先生監修のビデオを4本観る。

企画展示室では、牧水と交流のあった三浦敏夫の遺族から寄贈された資料公開展を観る。

牧水没後の、喜志子婦人と三浦敏夫との夥しい書簡や達筆の短冊に引き込まれてしまった。

次の部屋は、中原中也と親しい友人であった詩人・高森文夫の展示室であった。

日記にも何度か書いたことが有ると思うが、中原中也は高森文夫を訪ねて、東郷町に2度滞在している。

高森文夫は第2回中原中也賞を受賞している優れた詩人なのだが、高森氏は東郷町で教育委員長や町長を務めた方なので、多くの人は高森文夫が優れた詩人であり、

なおかつ中原中也とは親友であり、中也が日向富駅に降り立ち、東郷町に滞在していたことがあるということを知らない。

私は学生時代に購入した中原中也全集に挟まれていた栞(月報)の中で、そのことを知り、驚愕した。

この三浦家寄贈資料展と高森文夫展を観るだけでたっぷり時間がかかって、牧水の展示室までたどり着けなかった。

☆記念館の売店には伊藤先生との共著「月の雫」が山積みされていて、嬉しかった。

この「月の雫」は、6月辺りにまた新聞で取り上げられることになりそうである。

☆帰路は、桃源郷の様に美しい耳川沿いに美々津へ抜けて帰る。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は281人。

高鍋町は4人。



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