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このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。

過去の日記

2022   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12

2021   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12

2020   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12


2022 10月31日(月)

☆午前は晴天で、陽射しが強かった。

午後から雲が出て、曇天となる。

☆朝一に、コンプレッサーのリース延長手続き。

作業が延びるほど、経費オーバーが雪だるま式に加算されてゆく。

☆モニュメント制作。

手磨き作業に入ろうと思ったら、月下部右の面が、まだ凹凸が取れていなかったことに気付き、午前はその手直し作業に費やす。

午後は、底面の角取り作業と、昨日の山田の手磨きの続き。

石が硬くて、ダイヤディスクの作業でさえ思うようにはかどらなかったので、手磨きの作業は難行そのものである。

73歳になっての手磨き作業は堪える。

昨日、一日中手磨き作業をしていた山田は、今朝は起きれなかったのではなかろうか。


10月30日(日)

☆快晴。

夜中は蒸し暑く、日中も気温は下がらず。

我が家の桜はまだ咲いている。

☆モニュメント制作。

今日は山田が来てくれたので、帯の立ち上がり部の手磨き作業をやってもらう。

石の作業で最も辛い作業である。

☆作業の指示をしているところへ高鍋町商工会議所の方が、焼き餃子協会代表理事の小野寺力氏を案内されてくる。

”餃子の町・たかなべ”の視察に、灯篭まつりに合わせて来町されたということ。

小野寺氏は”餃子の町・たかなべ”を全国にアピールしてくださるということ。

来年2月に集計発表される餃子購入金額日本一を宮崎県が連覇すれば、”餃子の町・たかなべ”へ全国からギョウザファンが訪れて、高鍋駅に降り立ったら

私のモニュメントに圧倒され、SNSでモニュメントの画像も全国に拡散されるだろう、というのが町長はじめ関係者の目論見のようだ。

☆山田への作業手順を伝えた後に私は帰宅し、1週間後に迫ったライブのために、独りでハーモニカの特訓をする。

☆午後は高鍋町美術館で開催中の”加藤正回顧展 発光と残像”へ妻と出かける。

加藤正氏の回顧展が開かれるのは、宮崎県では高鍋町美術館が初めてである。

これまで加藤氏の存在は、瑛九とデモクラート美術家協会を結成したという位置づけで語られてきており、常に瑛九と関連付けての評価しかされてこなかった。

宮崎県立美術館は加藤氏の作品を所蔵しているにも係らず、加藤氏の回顧展を開催するなど問題外という立場である。

それで関係者が青井学芸員の居る高鍋町美術館に白羽の矢を立て、高鍋町美術館での回顧展開催が実現した。

私もこれまで何点かは加藤氏の作品を観てはいるが、先入観が強くてあまり正当な評価で観たことは無かった。

しかしとても清明な画像で、確かに影響を受けた瑛九や友人だった岡本太郎の直截な影響はあるにせよ、詩情豊かな作品群はとても魅力的だった。

午後から、関係者と加藤氏子息によるシンポジウムが開催された。

晩年の加藤氏の業績は、宮崎での芸術集団”フラクタス”の結成とその活動である。

私も加藤氏からお手紙をいただき、フラクタスへの参加を求められたがお断りしたことがある。

なぜなら、参加メンバーがいずれも私のよく知っているお山の大将然とした作家たちや殆ど徒党を組むことを拒否してきた孤高な作家たちばかりで、

そうした水と油の離反する作家ばかりの集合体が理解できなかった。

しかも、美術分野だけではなく、詩人や舞踏家も参加する芸術集団展覧会は、戦後の流行であり、その古めかしいスタイルを加藤氏が宮崎に持ち込み、

それに対して宮崎の作家たちが粋がって欣喜雀躍している様は嫌悪以外のものではなかった。

だから私は加藤氏の作品も正当に評価しようという態度は持てなかった。

しかし今日の回顧展の作品を観て、シンポジウムで加藤氏の人となりを知るに及んで、私の色眼鏡はクリヤーになった。

加藤氏の人間性ゆえに、まとまるはずのない水と油の関係の作家たちを纏めてフラクタスを結成することができたことを初めて理解できた。

派閥を超えて作家たちを吸引する、大きな暖かい無私の精神を持っておられた方だったようだ。

あるパネラーが、今日が加藤正のルネッサンスだと言っておられたが、加藤氏の正当な評価がまさにこの高鍋町美術館でスタートした。

☆シンポジウム終了後に、知人をモニュメント制作場へ案内する。

夕暮れの中、山田はまだ作業をしてくれていた。


10月29日(土)

☆快晴。

風が強かったが冷え込みは無し。

☆朝一に接骨院。

背中の痛みは最近はあまり感じなくなった。

やはり季節的なものであったようだ。

☆モニュメント制作。

月下部左の修正仕上げと、月上部の首部のアウトライン修正の仕上げ。

明日からは手磨きに入れそうである。

☆午後に、日向新しき村と石井記念友愛社を視察訪問してきた四兄と石戸氏が作業場を訪問。

夕刻には、先日宮崎から訪ねてこられた方が知人女性を案内して来られる。

☆ライブまであと1週間。

まだ全くまともにハーモニカが演奏できないが、今夜はいつもよりミスが少なかった。

コツが少し掴めたような気がする。

しかし連日の根の詰まったモニュメント作業が続いているので、ここ数日は大きく息切れするようになった。


10月28日(金)

☆晴れ。

夜明け前は蒸し暑くて寝苦しかった。

日中も気温が上昇。

半袖で過ごす。

☆モニュメント制作。

朝一に、コア作業の終わった台座と、削岩機で落とした石を作業場域内に移動させる。

近々、このグラウンドで所有工務店の3年ぶりの大運動会が開かれるので、そろそろその整備が始まっている。

午前は月上部のまだ膨らみが残っている部分の修正作業。

午後はアウトラインが狂っていた月下部の首部分の大幅やり直し作業。

これでかなり月の上下のフォルムの整合性が整ってきた。

☆夜に、久しぶりに帰省した四兄と知人の古写真・絵葉書・音楽史専門家の石戸氏を囲んでの酒宴。

長兄、三兄、従兄と田中家の男性ばかりが初めて集っての宴会となった。

石戸氏は兵庫の県立高校の先生だったが、音楽史の資料研究で四兄の勤務していた三木楽器に通われて、兄と親しくなられたということ。

今回は調査研究もあっての初めての来宮となったということ。

今夜はたかなべ灯篭祭りで、町内の飲食店はどこも超満員であった。

私たちの宴も相部屋で、隣の灯篭祭り関係者の団体の会話が大声でうるさく、当初は私たちのお互いの会話が殆ど聞き取れなかった。

後半は隣の団体の宴が引けて、私たちの会話も盛り上がり、楽しい宴となった。


10月27日(木)

☆朝のうちは曇天気味。

昼前には快晴となって暑くなったが、午後は再び曇天となる。

☆今朝、朝食前に食器を洗いながら最後にワイングラスを丁寧に洗っていると不意にグラスが滑って、シンクの淵に当たって割れてしまった。

先日割れてしまって換えたばかりの妻のワイングラスで、同僚から退職祝いにいただいた高価なワイングラスである。

妻のショックも大きいが、私も何故こんなに連続してワイングラスが割れるのか、と落ち込んでしまった。

妻が、交通事故や作業中の事故で救急車で運ばれないように、と釘をさす。

ところが、昼食の後に作業場へ向かっている途中で、作業のことを考えていたら、気付くと赤信号の交差点の中に侵入してしまっていた。

どこか何か散漫になっているのかもしれない。

☆モニュメント制作。

ほぼカップ砥石の作業が終わったので、最終段階でアウトラインの点検をする。

そうしたら、月左下部のアウトラインが月上部と全然ラインが繋がっていないことに気付いた。

先日から左の月の上下の整合性が無く、理由がわからなかったのだが、何んということは無い、アウトラインそのものがつながってなかったのだ。

図面のラインと、ベニヤ型のラインを合わせて点検してみると、確かにラインが狂っていた。

本研磨が終わる前に気付いて幸いだった。

今日は月上部のアウトラインの修正作業で終わる。

☆アンカー業者の台座アンカー作業は、午前のうちに終わった。

業者は、こんな仕事をすることはもう2度とないということで、抜いた御影石の円柱を記念に持って帰った。


10月26日(水)

☆快晴。

朝夕は冷え込むが、陽射しが強いので今日も午後は半袖で作業する。

我が家の桜はまだ咲いている。

☆モニュメント制作。

ホームセンターでゴム手袋を買ってきて、右手にゴム手袋をはめて作業する。

ゴム手袋の指先は午前の作業で直ぐに破れてしまったが、指の摩耗は止まった。

月下部の帯との立ち上がり部の成形がほぼ終わり、そろそろ水磨きに這入れるかと思ったが、月下部右の面にまだ大きな凹みが残っていて、

午後後半の作業はその修正に費やす。

☆アンカー業者が台座のアンカー作業に来てくれた。

横打ちではないので作業が楽だから今日中に終わるかと思ったが、やはり石が硬い!と作業は困難を極めていた。

明日の午前中までかかりそうである。

☆午後に工務店の担当者来訪。

進行状態等の打ち合わせ。

☆午後に、先日宮崎から我が家を訪ねてこられた方が、仕事で高鍋町へ来られたついでに作業場へ顔を出される。

☆まだ波長の乱れは続いている。

夕食時に、今度は私の並々ワインを注いだばかりのワイングラスを、何かの所作のはずみで左肘で跳ね飛ばして、床に落下させてしまった。

床に落下したので、ワイングラスは粉々に割れ、床は一面に血だまりのように赤ワインが広がってしまった。

実は一昨日の朝も、たっぷりお茶の這入った湯呑を押し倒して、もろにパソコンの外付けUSBポートにぶっかけてしまった。

ずぶ濡れになったUSBポートは完全に乾くまで使用不能になったし、パソコンの周囲に山積していた大切な書類の山にもお茶は飛び散ってしまった。

焼酎とコーヒーをキーボードの上にこぼしてパソコンが使えなくなって買い換えたばかりなので、あわてて購入していたキーボードカバーを貼り付けたばかりだった。

おかげで神経が動揺して、その後のハーモニカ練習では全くハーモニカが正常に吹けなかった。

まだ何が起きるかわからない。

用心しよう。


10月25日(火)

☆晴れ。

この秋一番の冷え込み。

陽射しは強いので、午後の西日は暑くて半袖になる。

夕暮れはもう真冬の翳り。

今夜は妻がリビングの暖房を入れる。

☆モニュメント制作。

朝一に観光協会と高鍋町役場の担当者が来訪。

建立趣旨銘板の原稿が最終決定したのでその確認。

結局は一枚のプレートに納めることになった。

一日、カップ砥石作業。

細かな凹凸が軍手をはめているとわからないので、カップ砥石をかけた面を素手で撫でながら確認してゆく。

そうすると、ほとんど指にやすり掛けしている状態なので、指の皮が削られて出血してくる。

今日はその一歩手前の状態になった。

これから乾燥してただでさえ皸になる季節だし、作品も大きいのでカップ砥石面を撫でる時間も長いので、ゴム手袋が必要になりそうである。

☆今夜のハーモニカ練習で、何んとかミスが少なくなってきた。

ライブまであと10日しかない。


10月24日(月)

☆晴れ。

暖かい一日。

我が家の桜はまだ咲いている。

夕刻からは冷え込んでくる。

☆午前にモニュメント制作。

月上左のカップ砥石作業。

ダイヤカップで膨らみを修正しながら作業するが、なかなか膨らみが取れない。

☆午後は妻のボーカルレッスン。

ライブ前最後のレッスンなので私もジョイントで参加する。

前回よりは良くなったが、まだ這入るタイミングが掴めない。


10月23日(日)

☆晴れ。

今日も暖かい一日。

宮崎県内はおおむね26度以上の気温。

☆今日は休養日でじっくり体を休める。

午前に、買ってから一度も手入れをしていないハーモニカのクリーン作業。

綿埃が沢山付着していた。

☆午後に、妻とライブの練習。

それから庭の草を刈る。

芝刈り機が直ぐ目が詰まってしまうので分解しようとしたら、殆どの工具を作業場に持って行っているので、作業は途中で中断。

ここにきて、蚊がたくさん出てきた。

☆午前に、”しんとみギャラリー”での二人展の時に私の「月の雫」を買っていただいた方が、わざわざ宮崎から訪ねて来られた。

「月の雫」の木版画を貼った封筒には、先日の文化賞受賞の新聞記事が貼り付けてあった。

私の大ファンに成られたということ。

☆日南に法事で帰っていた山田が、なんと伊勢海老を持ってきてくれた。

今夜は思いがけず、伊勢海老料理となった。

グリルで塩焼きをして、刺身に使った伊勢海老の味噌で味噌ダレを造って掛けて食べたらめちゃ美味しかった。

刺身と湯がきよりも塩焼きが旨かった。

先日に福原さんから送っていただいた日本酒もいただいて、至福の夕食であった。


10月22日(土)

☆晴れ。

昨夜は雲が出ていたので夜中の放射冷却が無く、夜明け前は非常に蒸し暑かった。

日中も気温は上昇、夜になっても冷え込みは無かった。

☆朝一に接骨院。

今朝は起き抜けに左の肩が痛かったのだが、そのせいか電気治療では左肩に激痛が走った。

院長の話では、背中の痛みは気温の寒暖の差の激しい今のシーズンには起きやすい症状だということ。

☆モニュメント制作。

作業が遅れているので、今日は作業をする。

一日、月上左のカップ砥石のやり直し。

山田にカップ砥石を掛けてもらっていたのだが、まだアール面の膨らみが取れていなかったので、ダイヤカップで修正しながらカップ砥石を掛け直す。

☆昼に、石割式の神事をやっていただいた神官さんの奥さんと子供さんが来訪。

神官さんが石磨きをやってみたいと言っておられたのを、作業中に想い出していたばかりだった。

☆夜は、南町ジャズライブへ。

いつものようにワインとおつまみを持って妻と出かける。

ピアノの大西洋介、ウッドベースのジンギ、パーカッションのマー坊の宮崎在住のミュージシャンのトリオ。

私は初めて聴くミュージシャンたちであったが、妻は何度か聴いているようだ。

コロナ禍で殆どライブが行えず、このメンバーでのセッションは久しぶりだということ。

さて、2週間後は私たちのライブだ。


10月21日(金)

☆午前は快晴。

午後からは雲が多くなる。

日中は気温が上昇し、宮崎県内はおおむね25度以上となり、半袖で過ごす。

☆モニュメント制作。

まだ月側面のハツリ作業が終わっていなかったので、ハツリ作業を進める。

ハツリ作業の終わったところから、ハツリ部と連なる帯部の仕上げをしてカップ砥石を掛けて行く。

カップ砥石作業に入ると、背中の痛みで頻繁に作業を休まなければならない。

☆手元での作業に度の這入っていないガラスの眼鏡を使っているが、もう細かな石片による無数の傷ですりガラス状になり、作業に使えなくなってきた。

夕刻に、眼鏡店へ行って、ガラスの交換を依頼する。

☆眼鏡店から帰ってきたタイミングで宅急便が届く。

福原美江さんからの文化賞受賞お祝いのお酒であった。

「月の雫」が文化賞受賞の受賞理由の一つでもあったので、短歌会「心の花」からのお祝いだということ。

感謝。

夜には伊藤先生からも受賞祝いのお電話が這入る。

☆どうやらコロナの第8波が来そうである。

最近になって、急に周囲でコロナに感染する人が増えてきたが、全国的な傾向らしい。


10月20日(木)

☆今日も秋晴れの晴天。

気温はこの秋一番の冷え込みで、宮崎県内は各地で最低気温が10度を下回り、ほぼ真冬。

日陰では防寒ジャンパーを着たいほどの冷たさだったが、陽射しが強いので、作業は暑くて半袖になる。

☆モニュメント制作。

月下部のカップ砥石作業。

しかし面の仕上げが不十分だったので、ダイヤカップで修正しながらの作業で、思うように作業は進まない。

そして数日前から背中が痛くて、頻繁に作業を休まなければならない。

この背中の痛みはこれまでにも何度か起きているので、内臓的な問題ではないと思う。

このところずっとダイヤカップ作業からかがみこんでの作業が続いているので、一種の筋肉痛なのだろう。

今月中には研磨作業は終わるのではないかと思っていたが、今の進行状態では殆ど不可能である。

そうなると、完成時期が3月の年度内ギリギリになってしまう気配が濃厚となってきた。

☆彫刻集団・佐賀から文化賞お祝いの花が届いた。

佐賀大学の後輩たちの励みになると嬉しい。

☆11月のライブまで2週間となった。

毎晩練習しているが、ちっともまともにハーモニカが吹けない。


10月19日(水)

☆快晴の秋晴れ。

朝夕はこの秋一番の冷え込みだったが、日中は気持ちよく気温が上昇。

この秋はあちこちで桜が咲いているが、我が家の桜も先日の雨でかなり散ったと思っていたが、今日は真っ青な空に向かってまだまだたくさんの桜が開いていた。

☆モニュメント制作。

カップ砥石作業。

細かな仕上げ作業の工具と、昔のカップ砥石をアンジェラスの森の作業場に置いたままになっていたことを思い出した。

もうかなりアンジェラスの森に上がっていないし、おそらく先日の台風で多くの木枝が落下し草ぼうぼうだろうと、二の足を踏んだが、あまりにも好いお天気なので

意を決してアンジェラスの森へ向かう。

台風による木枝の落下は想定内だったが、作業場の草は凄まじく、体中にひっつき虫がこびりついてしまった。

雨漏りのひどいプレハブ倉庫の中もどす黒いカビだらけで、帰りの車中はカビによるくしゃみの連続だった。

モニュメントの作業場へ戻って、エアーでひっつき虫を吹き飛ばすと、楽に取れてくれた。

☆ひっつき虫をエラーで飛ばしているところへ、萱嶋・高鍋町美術館長が来訪。

館長は私の宮崎大学の彫刻の先輩であり、文化賞受賞を喜んでいただいた。

☆文化賞受賞の受賞理由に「月の雫」出版も含まれているので、これからまた少し本を購入してくださる方が出てくるかもしれない。

しかし、私の手元の販売用の「月の雫」はもう数冊しかない。

それで編集担当者に、出版社に在庫があるかを問い合わせてもらったところ、社長がすでに30冊を準備しているということ。

どうやら社長は、文化賞受賞の報を知って、私が30冊の追加購入をするだろうと見込まれていたらしい。

準備してあるということなので、急遽、午後の作業は休んで、午後に宮崎市の出版社に走る。

社長にお礼の挨拶をする。


10月18日(火)

☆晴れ。

午前は陽射しが強かったが、午後からは風が出て一気に冷え込む。

☆嬉しい秋となった。

今年の宮崎県文化賞の文化功労賞の受賞が決まった。

宮崎県文化賞自体は特別に大きなものでもなく、私の周囲には受賞者はたくさんおられる。

特に高鍋高校美術部OBには、先日亡くなった大上先輩を始め、先輩後輩に何人も文化賞受賞者がおられる。

ただ、やはり文化活動を展開している者には一つの大きな目標の賞である。

私のような飲んだくれの者がこのような賞をいただいたことは、ずっと迷惑をかけてきた青春時代からの友人知人、亡き両親と兄妹たち、そして私を支えてきてくれた

妻と子供たちに対しては、やっと恩返しができた安堵感が大きい。

単なる飲んべえの怠け者で終わらずに済み、私のわがままな人生への面目が立った。

☆受賞理由は次の内容である。

”屋外彫刻の第一人者として現代彫刻を国内外へ広く発信し、県内各地の彫刻のあるまちづくりへの貢献や短歌とコラボレートした作品集の発表などにより本県文化の

発展に寄与した功績”

私は彫刻家として華麗な大賞受賞のような実績は全く無い。

ただ40年前に宮崎彫刻グループを結成して以来、一直線に宮崎の彫刻界の隆盛のために心血を注いで来たことは紛れも無い事実である。

だから私個人への評価というよりも、宮崎での彫刻活動に対する評価をきちんとしていただいたことが何よりも嬉しい。

宮崎での彫刻活動に協力していただいてきた多くの国内外の彫刻家の皆さんあっての受賞である。

また高鍋町のあかりプロジェクトを始め、まちづくりへの展開も評価していただき、私たちの野外彫刻活動を支援してくださった行政、市民の方たちにも恩を返す

ことができた。

さらに、受賞理由の半分は伊藤先生とのコラボである。

「月の雫」を手に取られて、涙を流しながら彫刻の写真を見たのは初めてだと多くの方が感想を語られ、枕元に常備しているという方たちも多い。

こうした彫刻との新しい関わり方を提示できたことを評価していただいたことはとても嬉しい。

宮日出版文化賞では候補にもならなかったが、こうして県の文化賞で「月の雫」の出版を評価していただいたことはずっと評価価値が高い。

これで制作中の駅前ロータリーのモニュメント制作にも大きな意義を与えてくれる。

とてもタイミングの良い、というより今しか受賞できなかった宮崎県文化賞であろう。

もう一人の受賞者は、私の宮崎大学時代の一般教養英語担任の岡林先生である。

☆モニュメント制作。

今日も、一日、カップ砥石作業。

☆午後に高鍋町町長が作業場に来訪。

今回の宮崎県文化賞の受賞をとても喜んでいただいた。


10月17日(月)

☆一日、本格的な雨。

肌寒い一日。

☆午前にモニュメント制作。

カップ砥石作業。

自宅工房に以前使っていたカップ砥石が残っていたのでそれを使う。

山田が使っていた時には掛かりが悪そうだったが、私が使ってみると普通だった。

この以前のカップ砥石を使えば、1個で新しいカップ砥石の10数個分の作業ができる。

経費節約で、できるだけこの以前の砥石を使おう。

☆午後は妻のボーカルレッスン。

11月のライブのリハーサルなので私もジョイントする。

毎日練習しているので、前回のリハーサルよりずいぶん良くなったが、まだまだ間違ってばかり。


10月16日(日)

☆午前は快晴。

午後から雲が出て、夜に這入って雨となる。

日中の気温は高く、宮崎県内は各地で今日も30度近い気温で、夏姿で過ごす。

☆全国旅支援が始まって、もう受付を終了してしまった処もあるというので、午前に”みやざき旅行支援キャンペーン”で県内のホテルを予約。

旅行代理店を通さない場合は、キャンペーン適用の申請は自分でしなくてはならず、STAYNAVIに登録してクーポンを発行してもらわなければならない。

その手続きで午前いっぱいかかってしまった。

☆午後は、先日から捜している私の或る作家資料をずっと捜し続ける。

可能性のある保管場所を何度も徹底的に捜してみたが、どこにも見当たらず。

その過程で、こんなものをここに保管していたのかという思わぬ発見もあったが、なぜか私の求める資料だけが見つからない。

夕刻になって、当時のことをこのHP日記に記していたことを想い出し、目を通してみると、私が捜していたものは存在していないことがわかった。

☆山田からの連絡で、山田は昨日の作業の残りが気になって、自主的に午前に作業してくれたということ。

カップ砥石も掛けてみたところ、私の使っていた新しいカップ砥石がアッという間に消耗してしまったので、怖くなってそれで作業を止めたということ。


10月15日(土)

☆晴れ。

今日もじりじりと焼け付くような真夏の陽射し。

宮崎県内各地は昨日に続き、30度近い気温だったようだ。

☆朝一に接骨院。

☆モニュメント制作。

今日は山田が来てくれたし、私も昨日は午後から作業ができなかったので、一日作業をする。

午前は、私は月側面のハツリ作業。

山田は先週からやりかけの帯の厚み落とし。

午後からは研磨作業に入る。

今日は中目のカップ砥石を掛ける作業。

ところが、今回の作業のために注文していた中目砥石を掛けると、アッと言う間に砥石がすり減って無くなってしまう。

石が硬すぎるのだ。

これではカップ砥石がいくらあっても足りない。

考えもしなかった経費が飛ぶように消えてゆく。

逆に、以前に使っていた砥石は、石が硬すぎてなかなか砥石が掛からない。

型番も何もかも同じ砥石である。

このカップ砥石は受注生産なので、発注して届くまでに半年ほど掛かっている。

途中で無くなったら(完全に無くなるのは火を見るより明らか)、今から発注しても間に合わない。

☆午前に「宮崎この人」の森川さんがビールを持って顔を出された。

今日から高鍋町美術館で「加藤正 回顧展」が開催され、そのオープニングに出席された帰りである。

加藤正氏は、瑛九らとデモクラート美術協会を結成された串間市出身の作家である。

この加藤正回顧展は、加藤氏と親交のあった森川氏の尽力によって高鍋町美術館での開催になったものである。

☆今日は久しぶりにくたくたに疲れてしまった。

☆この日記にも何度か書いているが、ウクライナのコチュマルが「ゆくはしビエンナーレ2023」の最終審査に残っていた。

結果はすでに出ていて、9月初めにはネットでコチュマルが大賞を受賞したことが報道されていた。

しかし、行橋の事務局からはコチュマルの大賞受賞の報告は無かったし、コチュマル本人からも何も連絡が無いので、私はこの日記には何も書かなかった。

なぜなら、ウクライナが戦争当事国であることなどから、コチュマルが作品を制作するためには大きなハードルがいくつかあり、それらのことが解決されなければ

大賞を受賞しても作品を制作・設置できるのかは全く見通せなかったのである。

だがここにきてようやくコチュマルが4か月の兵役免除の許可が降りたことや、日本に来て原型制作するためのビザが就労ビザではなく通常のビザで良いことなどが

解かり、なんとかコチュマルが戦禍のウクライナを出て、日本に滞在してブロンズの原型制作を行うことが可能になってきた。


10月14日(金)

☆晴れ。

陽射しがじりじりと強く、気温が急上昇。

宮崎県内はどこも25度以上の暑さとなった。

☆午前にモニュメント制作。

月下部側面のハツリ作業。

☆今日は夕刻から大上先輩の通夜に出かけるので、石を彫っていたのでは着替えが間に合わないので、午後は作業をせずにデスクワーク等で過ごす。

デスクワークの合間に、最近アリが多いのでアリノスコロリと作業ジャンパーの調達に出かける。

そこでびっくりする事が起きた。

ドラッグストアーでアリノスコロリを買って近接するスーパーの前を通り過ぎたとたんに、私の背後でグワシャーン!という激しい音。

しかし道沿いにはそんな物音のする作業もしていないし、何かが落下するような設備も無い。

不審に思って車のサイドミラーを覗いたら、なんとたったいま私とすれ違った乗用車がスーパーから出てきた乗用車に追突されている。

追突した乗用車はまだ動いて、吹き飛ばされたバンパーに乗り上げている。

どうやらスーパーから出ようとした乗用車が、私が通り過ぎたタイミングで道路に出たら、私の軽トラが死角になって見えなかった乗用車にぶつかったようだ。

何んということだろう。

私とすれ違ったばかりの車が交通事故に遭うなんて。

やはり妻のワイングラスが割れた波動の変異はまだ続いている。

というより、ワイングラスが割れなかったら、私が追突事故に巻き込まれていたのだろう。

☆大上先輩の通夜には三兄と一緒に行く手はずになっていて、約束の時間が近づいてからはちゃんと喪服姿に着替えてデスクワークをしていた。

しかしいっこうに兄は来ない。

とうとう通夜の始まる30分前になった。

もしやと思って兄に電話すると、彼はとっくに宮崎市の葬祭場に着いていた。

どうにも兄は最近はこういうポカが多い。

どのみち、待っている間に急いで片づけなければならないデスクワークを片づけることができたので、腹も立たず一人で宮崎市へ向かう。

大上先輩の通夜の会場は、弔問客はもうほとんで帰ってしまっていて、ご長男に挨拶をする。


10月13日(木)

☆午前は曇天。

午後から陽射しが出る。

気温は下がらず、今日は一日Tシャツで過ごす。

☆モニュメント制作。

午前に、台座石に心棒コアの位置を出す。

テープを貼って、本体底面の位置も出す。

その後は月側面のハツリ作業。

今日は何度もノミを持つ左手を、斫った荒面に打ち付けてしまった。

☆夕刻に、某町議が制作場に顔を出してくれた。

高鍋駅周辺地区選出の町議なので、何度も顔を出してくれる町議はこの人だけである。

貯まっている資料の整理をしていたら出てきた、と言って私の事が掲載された平成7年3月5日付けの読売新聞文化欄の切り抜き記事を持ってきてくださった。

「作家たちは、今」という西日本の作家たちを取材したシリーズで、彫刻分野では私が掲載された。

読売新聞西部本社文化部の秋山敬氏(故人)が、わざわざ小倉から高鍋町まで取材に来てもらったものである。

某町議は駅周辺地域の町議なので、私たちが進めていた町中心地の商店街でのプロジェクトには批判的な方だと聞いていた。

あかりプロジェクトのリーダーであった私にも手厳しい批判をされていると、人づてに耳にしていた。

しかしこれまでにお会いして言葉を交わした限りでは、某町議から私への敵意みたいなものは感じられなかった。

それどころか、私の掲載記事をこうして大切に保存してくださっていたなんて、驚きであった。

私は長年の経験値から、物事に全面賛成の立場の人よりも、強固に反対の立場を取っていた人が、後には最大の理解者と成って動くようになった事例を

いくつも見てきている。

この方も、彫刻家としての私の存在をきちんと見ておられたのだ。


10月12日(水)

☆重い曇天の一日。

気温は上がらず、底冷える。

午後半ばから陽射しが戻る。

☆モニュメント制作。

秋物の作業ジャンパーが見つからず、真冬の裏毛付きジャンパーを着て作業する。

一日、月側面のハツリ作業。

気温が低いので、体力勝負のハツリ作業は問題なく進む。

☆昼前に観光協会と役場の担当者が作業場へ来訪。

建立趣旨銘板についての最終打ち合わせ。

作品タイトルと建立趣旨は別プレートで作成することになった。

それはそれで構わないのだが、私はプレート一枚での予算組みしかしていないので、業者からの見積額が気になってくる。

予算を組んだ時には考えもしなかった経費が次々に増えてくる。


10月11日(火)

☆晴れ。

風のない穏やかな気候だったが、気温は冷え込む。

今年の秋はあちこちで桜が狂い咲きで満開状態だが、我が家の桜も今日はかなりの桜が開いていた。

☆モニュメント制作。

月上部の仕上げ作業。

午後からは側面のハツリ部の作業。

今日は暑くなかったので、かなり斫り作業が進んだ。

少しずつ磨き作業に近づいている。

☆午後にアンカー業者が様子を見に来る。

台座の方も業者に穴あけ作業をやってもらおうと思っているので、その打ち合わせ。

まだ工務店との段取りの打ち合わせが進んでいないので、作業はもう少し先になる。

☆夜になって、高鍋高校美術部OBの大上敏男先輩の訃報が入る。

実は、先日に奥さんが亡くなられたばかりである。

そして大上先輩と奥さんは同じ時期に入院されていて、大上先輩の方が危篤状態に陥っておられたらしいが、奥さんの方が先に亡くなられた。

それで大上先輩には奥さんが他界されたことは告げられていないままだったということ。

大上家の墓は私が作らせてもらったのだが、在京の息子さんはそのことは知らないだろうから、納骨は葬儀社に依頼されるのだろう。


10月10日(祝・月)

☆晴れ。

一日中、強風が吹き荒れ、底冷えとなる。

☆モニュメント制作。

祝日だが、進行が大幅に遅れているので、3日も作業を休むわけにはゆかず。

強風で寒くて、作業ジャンパーが必要になってきた。

一日、月下部の仕上げ作業。

今週中には砥石掛けに這入れると思う。

しかし、形を整えてゆくと、右の帯結合部を削りすぎた部分はやはり全体的に落とし過ぎてしまったようだ。

だが通しで見ると、月上部とのつながりは綺麗に整っている。

一方、左の方は下部のフォルムはしっかりしているけれど、上の月とのつながりに整合性が無い。

どうしたものか、と気持ちが落ち込む。


10月9日(日)

☆一日寒々しい小雨。

この秋一番の冷え込みで、ジャンパーを着る。

☆午前に妻と宮崎市へ。

まず”MAKANA”というフラワーショップの一角で開催されている、榊あずささんの”動植物細胞園”という個展会場へ。

榊さんは私の「月の雫」の装丁を担当していただいたデザイナーである。

作品は布を主体にコラージュした作品で、とても豊かな世界があふれていて、殆んどの作品に売約がついていた。

オリジナルを布にプリントしたものもあって、それは注文数ほど制作できるので、何枚も売約カードが付いている作品が多かった。

やはりいい感性をもっておられる方だ。

☆ちょうど私たちと同じタイミングで、”みやざきエッセイストクラブ”の中村氏が来訪。

今年のエッセイストクラブの本の表紙と扉に使う私の作品画像が決まり、掲載する経歴のチェック等で先日連絡を取り合ったばかりであった。

昨年のエッセイストクラブの本の表紙・扉絵の担当が榊さんだったのである。

☆続いて、宮日会館パピルスギャラリーで開催中の日大高校芸術科卒業制作展へ。

こちらは妻の教え子が何人か出品しているので、出かけた。

☆昼過ぎには高鍋へ帰宅。

午後は溜まっていた新聞記事をスキャンしたりして過ごす。


10月8日(土)

☆午前は曇天。

午後は晴れる。

この秋一番の冷え込みとなり、長袖で過ごす。

☆朝一に接骨院へ。

しかし駐車場が満杯で、体も疲れが無いので今日はパスをする。

☆そこへ山田から連絡があり、午前中は作業ができるというので、先日の作業の続きをお願いする。

途中で私も顔を出し、打ち合わせをする。

☆今日はゆっくり過ごそうと思っていたが、昼になって思わぬアクシデントが起きた。

昼食の準備をしているところへ三兄の奥さんから電話があり、兄が高校野球の準決勝戦で高鍋高校の応援に行ったところ、階段で転倒して、救急車で病院へ

運ばれたという。

義姉は病院へ行く足が無いので、時間が在ったら宮崎市まで連れて行ってくれないかという。

私は今日は休養日で何の予定も無いので大丈夫と答えたが、しかし三兄の車もあるので私の妻も一緒に行って、私が三兄の車を運転して帰ってくれないかと言う。

そこへ丁度、妻が帰宅したので事情を話すと、彼女も午後の予定はないので大丈夫と言う。

それで妻の車で義姉と宮崎市の脳神経外科へ向かう。

☆兄の状況はまだ検査中で、どういう状態かわからないまま車を走らせる。

病院へ行くと、折よく検査を終えて、点滴につながれたまま車椅子に乗った三兄が診察室から出てきた。

左前頭部と左口元を強打したようだが、縫ったりはしていないという。

ほどなく院長の診察があり、私も立ち会うが、脳の中は綺麗であり、何処も骨折も無く、何の異常も無いただの打撲だという事であった。

☆妻は先に帰えし、私は兄の車を運転して帰る。

妻が、やはり先日にワイングラスが割れたのは、こういうことの予兆だったのではと言う。

兄も、球場に着いて義姉に到着した旨の電話を掛けたところ、何故かケースからスマホが落下してスマホのガラスが割れ、その直後に転倒したのだという。

救急車が来た時にはもう意識が薄れて行くほどの強烈な打撲だったというので、スマホのガラスが割れたことで大事に至らなかったのだろうと話したことだった。

☆高校野球の方は、高鍋高校は近年は初戦敗退の続く低迷状態だったのだが、逆転して勝利し、明後日は23年ぶりの決勝戦へ進むことになった。

ニュースでは、決勝戦に進んだ2校は沖縄で開催される九州大会へ出場となる。

おりしも、高鍋高校は今年で創立100周年を迎え、来月19日にはその記念式典が行われる。

三兄の怪我がマイナスの運気を引き受けてくれたのかもしれない。

☆夕刻に散髪。

☆注文していた伊勢海老が届いたので、今夜は私の調理で伊勢海老料理を美味しくいただく。


10月7日(金)

☆朝のうちに小雨。

日中は曇天。

☆モニュメント制作。

朝のうちは風が寒々しくて、この秋初めて長袖を着る。

月下部左のアール成形作業と、帯部との立ち上がりのアール出し作業。

一日中、石の肌に顔面を近づけてダイヤカップを掛けていると、次第に目の芯が痛くなって、右の首筋がこわばって痛くなってくる。

☆午前に高鍋町長が来訪。

少し打ち合わせをする。

☆午後には工具代理店が様子見で立ち寄ってくれる。

また、午後半ば過ぎには甥が栄養ドリンク持参で顔を出してくれる。


10月6日(木)

☆曇りがちの晴天。

陽が射すとまだまだ暑い。

☆モニュメント制作。

昨日に引き続き、月下部左の帯下部の成形作業。

および月下部左のアール成形作業。

確かに一段階ずつ作業は進んでいるのだが、いったいいつになったら完成するのだろうと諦観に似た重い気持ちになった。

単純計算で、サイズが通常の大型作品の2倍くらいだから、制作期間もその2倍の6か月と見積もりしたのだが、とんでもない計算間違いだった。

サイズが2倍なら、容量は2の3乗、つまり8倍の仕事量になるのだ。

☆今朝の宮崎日日新聞投稿欄「窓」の”ひとりごと”コーナーに、都城市役所角に設置されている源敏彦氏制作の噴水彫刻の管理についての苦言が

つぶやかれていた。

この作品については、私も都城市へ行くたびに腹立たしさを感じている。

噴水彫刻なのに水は流れていないし、大理石の彫刻も汚れ放題である。

こうした設置しっぱなしの汚れた屋外彫刻の見苦しさを感じた女子高生が、昨年だったか屋外彫刻のクリーンアップのボランティアチームを立ち上げた。

今年は賛同者が一気に増えたようだ。

しかし彫刻の汚れを一般市民が綺麗にすることは出来ても、噴水設備の復活というものは設置管理者が動かないと解決できない。

おそらく、噴水彫刻というアイデアは市役所が出したものだろうと思うが、実際に設置稼働してみると、想定外の水道料や、日本という風土では緩やかな

水の流れには直ぐに青のりが繁茂してくるので、管理できずに水を止めてしまったものだろう。

同じような例はいくつもある。

宮崎市の彫刻のあるまちづくりでは、江平商店街の角地に渡部一重氏の制作した噴水設備の彫刻を設置した。

おそらく噴水彫刻は江平商店街からの要望であったと思うが、これも直ぐに水は流れなくなり、いつのまにか彫刻も殆ど破壊されたような状態になってしまった。

これも受け手側の商店街が水道料の負担や水苔の発生等で管理できなくなってしまったのだろう。

また、これは彫刻として設置されたものではないが、宮崎駅前の高千穂通りに業者制作の噴水設備のオブジェがいくつか設置された。

こちらも直ぐに水は止められ、単なる水たまりのゴミ捨て場に成ってしまった。

その惨状に音を上げた宮崎市は、実に不可解で不透明なまちなかオブジェコンペを開催して、二か所とも同じ作家の作品を設置した。

水の豊かな国の日本人は水が大好きであるが、しかしかように水の設備を全く管理できない。

☆夜になって、宮崎彫刻グループの奥村がカンビールを下げてやってきた。

先日のモニュメント作業場に立ち寄ってくれた時には差し入れができなかったからだという。

ところが、私は昨日今日と、奥村に連絡することがあり、今夜こそ電話しようと思っていた矢先であった。

私はこういう不思議なことがよくある。

どうしても遭わなければならない人が、何故か向こうから連絡してくれたりやって来てくれたりすることが起きる。

奥村が我が家に訪ねてきてくれたことは、ここ数年なかった。

だからあまりにものタイミングに驚いた。

おかげで大切な用件を伝えることができた。


10月5日(水)

☆午前は晴れ。

陽射しが強く、気温は上昇。

午後からは曇天となり、涼しくなる。

☆朝一に、高鍋町役場でモニュメント設置の駅前ロータリー工事の打ち合わせ。

駅前ロータリーの既設建造物等の撤去に想定外の経費が掛かってしまったので、モニュメント設置の周囲の景観工事費用が相当に圧迫されて、

当初の工事内容では対応できなくなった。

また私のモニュメント制作の進捗状況から、モニュメントの年内設置、披露はほぼ不可能に近くなってきたので、披露は2月にずれ込む可能性が

出てきた。

制作場のグラウンドは11月6日に所有工務店の3年ぶりの大運動会がある。

そのために私の使用期限が限られていたのだが、運動会までには私の作業は終わらないことが明らかに成ったので、作業状態はそのままで、

運動会当日と前後の作業を含めた3日間だけ、モニュメント制作を停止すればよいということ。

☆モニュメント制作。

今日は月下部左の帯下部の成形作業。

ハツリ部を仕上げながら作業を進めるが、午前は陽射しが強く、酷く辛い作業だったが、午後からは曇天で涼しくなり、作業がしやすかった。

それでもこの硬い石をノミで斫って行く作業は相当に大変な作業である。

黙々と修行僧のように、ただひたすら石に向かっていくしかない。

☆夕食時に妻が並々ワインを注いだワイングラスを倒してしまい、ワイングラスが粉々に砕け散った。

我が家ではガラスが割れるときは要注意。

特に秋は波動が乱れやすい。


10月4日(火)

☆晴れ。

いつも以上に残暑が厳しいと思っていたら、やはり宮崎県内は各地で30度以上の真夏日となり、日向市では10月の観測史上最高の33,4度を記録。

☆モニュメント制作。

午前に、UMKビデオレターの中尾氏が取材に来る。

これまで何度か取材してくれたのだが、いずれも没になったので、切り口を変えての再取材となった。

1分弱の放送に、約3時間の取材録画で、午前は作業にならず。

午後は帯の上下面の成形作業や、月下部の帯の立ち上がり部アール出しの続き。

☆日南出身で、義兄がイセエビ漁師だという山田が、”ゾウリエビ”がイセエビよりも美味しいという。

ネットで調べても、確かにイセエビより美味しいとある。

ただときどき網に引っかかる程度なので、市場には出回らない。

漁師が捕れた時にだけネットで販売している。

それでネットで注文していたら、漁期が10月1日からということで、今日届いた。

楽しみにして、湯がきと刺身と味噌汁にしてみたが・・・・、私も妻も断然、イセエビの方が美味しいと感じた。

まあ、山田から教えてもらわなかったら、一生、見ることも食べることも無かったであろう。


10月3日(月)

☆晴れ。

今日も残暑の厳しい暑さ。

☆午前に、モニュメント制作。

昨日に引き続いて月下部右の帯の立ち上がり部のアール出し作業。

そして帯の側面落とし。

月の側面のハツリ部も仕上げながら進めていかなければならないので、手ノミで斫ってみたら、余りにも石が硬くて、手も足も出ない。

これはエアーで斫っていかないと不可能ではないのか。

☆午後は妻のボーカルレッスン。

ライブがもう一月後なので、私も作業を休んでハーモニカでジョイント。

しかし今日は全くリズムが取れず、そのせいでまともに演奏も出来ず、メロメロの最悪の状態。


10月2日(日)

☆晴れ。

今日も陽射しの強い残暑厳しい一日。

☆午前のうちに比木神社の天井画を届け、その足で高鍋町美術館へ。

高鍋町美術館では今日まで、2020年に持田古墳群の一角で発見された古墳時代末期の地下式横穴墓2基の発掘調査速報展が開催されていた。

その発掘調査で見つかった金属製馬具セット等の出土品を見る。

この金属製馬具のセットは、宮崎県内ではまだ出土例が少ないという。

こうした南九州での馬具の出土品からは国宝に指定されたものもあるし、南九州の古墳時代の権力者は豪華絢爛な馬に乗っていた事は確実である。

聖徳太子も古墳時代の人だというし、仏教伝来によって権力者の誇示が古墳造営から仏教寺院建立に代わって行くわけだから、すでに古墳時代には

権力者は後の仏教寺院に展開できる建造物に住んでいて、立派な馬に乗っていたようだ。

事実、南九州の地下式横穴墓の玄室には、木造建築の木組みを模して壁を彫りこまれたものが見つかっている。

☆午後はモニュメント制作。

来週は何度か作業を休まなければならない予定が入っているので、少しでも作業を進める。

今日は月下部右側の帯の立ち上がり部のアール出し作業。


10月1日(土)

☆晴れ。

今日も残暑の厳しい一日。

☆朝一に接骨院。

今日の電気治療はすごくきつかった。

患者は少なく、院長のマッサージも丹念に受ける。

☆モニュメント制作。

山田が来てくれたので、私も午前中は作業をする。

私は引き続き月下部右側のアール成形作業。

今日の作業で、削りすぎた首部のへこみはほぼ解消された。

山田には帯の厚みを落としてもらう。

☆午後は昨日が提出締め切りだった、木城町比木神社の天井画を仕上げ、サインを入れる。

比木神社拝殿には明治11年に描かれた300枚の天井画があるが、それから144年経てもう劣化で見えなくなってしまっているという。

それで今回、令和天井画を新規に300枚描いて納めることになり、その描き手を一般に公募していた。

私は比木神社は最も大好きな神社で、石像の狛犬が何処の神社よりも優れていて、何度も見に通った。

また龍が描かれた天井画も有名で、夜な夜なその龍が天井を脱け出すという伝説もある。

事実、私の友人が、比木神社に龍が祭られていることを全く知らないのに、知人の訪問の帰路に共だった友人数人と比木神社に立ち寄ったところ、夜に彼女の部屋に

龍が現れて騒動になったことがあった。

彼女は、私が独立してアトリエを構えようとした農家の納屋で、私が2階から落下してかかとを骨折した時にも、農家に這入ろうとしたら薄い幕を感じて

中に這入ることを拒絶されたと言っていたので、かなり霊力が強いのだろう。

そういういわくつきの神社だから、今回の企画には真っ先に応募した。

妻も所属する絵画グループのメンバーとして、すでに絵を納めている。

☆夜中、寝入ってほどなくして”地震です!地震です!”というけたたましい妻の携帯からのアラームで目が覚めた。

あわてて妻を起こすと、アラームからしばらく経って揺れ始め、あっという間にかなり激しい揺れが始まった。

幸いにして、地震はほどなく納まり、何も落下したり倒れたりの被害はなかった。

震源地は日南のほうで、マグニチュード5.8。

日南は震度5、高鍋町は震度4だった。

心配した長男からも妻に電話が入った。


9月30日(金)

☆晴れ。

残暑の厳しい蒸し暑い一日。

☆午前に来訪者あり。

☆昼前にコンプレッサーのリース延長の手続き。

☆午後にモニュメント制作。

昨日に削りすぎた首部への対応で、首部のアウトラインを修正する。

しかし今日の作業ではまだ力の抜けたままに終わる。

その他、底部のアウトラインも実際のフォルムとうまく合っていないので、フォルムの成形作業からアウトラインを修正する。

☆とうとう9月も終わってしまった。

当初の予定では今日までには今のグラウンドでの作業は終了している筈だった。

3月からあっと言う間の半年間であった。

そして夕暮れが早くなった。


9月29日(木)

☆午前は快晴。

午後からは雲が出て、夜に小雨。

☆モニュメント制作。

今日もいちにち、月下部右側の成形作業。

なんとか目途が立って来たが、夕刻になって帯の下の首部を削りすぎてしまっていることに気付いた。

これからの首部のアウトラインの補正作業で何んとかなるのか。

私の意識が力の抜けてしまったポイントに向いてしまって、気の重い夕仕舞いとなってしまった。

☆夕暮れまでにはほとんど雨に成りそうな曇天となっていたので、作業を終えるとテントの中は薄暗がりに落ちてしまっていた。

これから次第に夕暮れの落ちる時刻が早くなってくるのだろう。

そして、やはり週の4日目は疲れがドッと出てくる。

☆福原美江さんから、「歌の窓」小冊子のお礼にビールケースが届いた。

いまの私には一番うれしいものだ。


9月28日(水)

☆午前は晴れ。

午後は雲が出て曇天。

今日も蒸し暑い一日。

☆モニュメント制作。

一日、月下部右側の成形作業。

ただただひたすらに、黙々と根気のみで形を出してゆく作業。

☆午後に三兄夫妻と次女が顔を出してくれる。

次女とは大学時代以来、会っていない。


9月27日(火)

☆一日、雨が降ったり晴れたりの不安定な天候。

雨が降った後は肌寒くなるが、日が差してくると、暑い。

☆モニュメント制作。

今日も悶々と月下部のアール成形。

夕刻までには何んとか少し見通しが見えてきた。

☆エアーカッターを持ってプラスチックケースの台に登ったとたんに、台がへしゃげて台から落ちて転倒し、後頭部を枕木で強打した。

見ると、私はエアーカッターを脇に抱えたままの態勢だった。

これがエアーカッターがすでに回転していたら大変な事故になるところだった。

原因は、石くずで地面がもりあがっている処にプラスチックケースの台を置いてしまったので、台に踏みあがった時にバランスが崩れて台がへしゃげてしまった。

私は、石片を足元に置いたままにしておくと大怪我のもとになる、と足元は必ず片づけておくようにアシストの作家たちには口酸っぱく注意していたのだが、

やはり足元は常に片づけて置かないとこうした事が起きる。


9月26日(月)

☆午前は今にも雨に成りそうな曇天。

午後も曇天ながら、晴れ間が多くなる。

今日も残暑の蒸し暑い一日。

☆気温が不安定なせいか、朝から体がだるい。

☆モニュメント制作。

一日、月下部のアール成形作業。

昨日に山田にやってもらった右側は、上の月とのヴォリュームのつながりが不意自然ではなく、素直にフォルムが整えられる。

しかし左側のフォルムは、全然上の月とのヴォリュームとの整合性がない。

どうしてそうなのかうまくつかめないまま、一日中悶々と作業する。

最初に予定していたように、下部の補強部分を取り付けたまま本設置し、本設置後に建ったままの状態で月の下部を仕上げるなんて、ほぼ不可能であったことが

明らかになった。

☆予定では、9月中に今作業している裏面の仕上げまで進んで、10月に入ってすぐに再び表側へ返すつもりだった。

しかし9月は今週で終わる。

とてもではないが、今の調子では10月中に磨きまで進めるのか、はなはだ疑わしくなってきた。

そうなると11月に表側に返すと、今年中の設置はほぼ不可能となる。

深い泥沼にはまってしまった気の重さに陥ってしまう。

エアーカッターは確かによく切れるが、コンプレッサーの軽油の消費が半端ではない。

まったく見積もりの想定外の経費が嵩んでゆく。

☆注文していた永田和宏「あの胸が岬のように遠かったー河野裕子との青春」が届いたので、読み始める。

テレビドラマにもなった話題の、河野裕子の日記を基にした本である。


9月25日(日)

☆晴れ。

残暑の厳しい蒸し暑い一日。

☆モニュメント制作。

山田が手伝いに来てくれたので、私も午前中は作業をする。

二人で月下部のアール成形作業。

山田は午後4時まで頑張ってくれた。

☆午後は妻のボーカルレッスン。

秋のライブまで一と月余しかないので、今日から私もハーモニカでレッスンに参加する。

私はモニュメント制作で練習時間が限られるので、今回は2,3曲でのジョイントしかできないと妻に伝えてあったのだが、結局は9曲ジョイントすることに

なってしまった。

新曲は#が3つか♭が3つくらいのもの(♭が5つの曲は♭のない楽譜に変更してもらった)なので、そう難しい演奏の曲は無く、それに以前に演奏した曲は

ほぼ間違えずにハーモニカが吹けるので、こういうことになってしまった。

今日は講師の片貝さんのピアノに合わせて、ライブ当日のプログラム順に全曲を通しで演奏する。

やはり久しぶりに片貝さんのピアノで新曲を演奏すると、ものすごく緊張する。


9月24日(土)

☆秋晴れの一日。

日中は宮崎県内は30度を超えたところが多かった。

☆朝一に接骨院。

今日は高校生のラグビー選手一団があふれていて、私は電気治療しか受けられなかった。

☆仕事が遅れているので、3連休で休む訳にもいかないので、今日は作業の予定だった。

しかし、急遽、西都市に所要ができて、直ぐに済むはずが帰宅したのはもう11時であった。

それから作業の準備をして、また昼に片づけたら何も出来ないので、とりあえずコンプレッサーの軽油を調達して作業場に運ぶ。

☆午後からは作業の予定だったが、11月の妻とのライブのフライヤーを作らなければならないことに気付き、フライヤーに入れる妻の作品画像を画像処理したり、

イラストレーターでフライヤーのデザインをする。

パソコンが新しくなってから、パソコンに這入っている画像アプリがうまく使えず、悪戦苦闘。

結局、夕食を摂った後も、寝るまでフライヤーのデザインにかかりっきりになる。

☆夕刻に読み残していた伊藤先生の「言霊の風」を読み終える。

伊藤先生は、空や雲や川や海、月や花や動植物と言った対象との対話が実に深くてユニークで暖かい。

車に乗らない先生ゆえの、廻りの自然に対する想いが豊かである。

そこには自然豊かな宮崎に生きている日向人としての自恃が感じられる。

森羅万象の魂との対話、魂の歌人である。


9月23日(祝・金)

☆秋晴れの上天気の一日。

気温もぐんぐん上昇して30度を越した。

☆今日は彼岸なので作業は休む。

午前に田中家と日向市の妻の実家の墓参。

台風一過の上天気だったためだろう、国道10号線は車の往来が非常に多かった。

☆日向からの帰路に都農ワイナリーに立ち寄ったら、今日がベーカリーのオープンの日とかで入り口が長蛇の列であった。

店内をさっと見渡して、直ぐに退出する。

☆お昼には高鍋へ帰る。

午後は伊藤先生の「言霊の風」をゆっくり読む。

☆日向市で墓参からの帰路、「宮崎この人」の森川さんと詩人の南邦和さんから電話。

今、制作会場に来ていて、作品のボリュームに圧倒されて感動している最中だという。

昨日に森川さんからお電話をいただいていたのだが、今日は墓参で作業はしないので、自由に見ていただくように伝えていた。

丁度10号線に出る交差点に差し掛かったので、簡単な挨拶だけで電話を切らせていただいた。


9月22日(木)

☆昨夜は寒くて、毛布を使用。

9月の裡に毛布に包まって寝たことなど無いのではないか。

☆朝になって雨。

雨は直に上がって、日中は晴れ。

午後からは陽射しも強く、蒸し暑くなる。

☆朝一に、交通安全立ち番。

雨の中、考え事をしていたのか、赤信号になったのに気付かず、交差点の横断歩道を渡り始めた女子中学生。

私が”赤だよ!赤だよ!”と叫んでも直ぐには彼女の耳には届かず、信号が変わって交差点に這入ってきた車が驚いて停止して、彼女はようやく事態に気が付いた。

前回の立ち番の時も、黄信号で突入してきた車が、横断歩道を渡り始めようとしていた集団登校の小学生の一団をぎりぎりかすめていった。

毎朝、こんな間一髪の事態が生じているのだろうか。

それにしても、若い人たちがみんなステーションワゴンタイプの豪華な大きな車に乗って出勤しているのには驚かされる。

☆モニュメント制作。

一日、月下部のアール面出し。

作業が進むほどに、まだまったく手が付けられていない場所が際立ってくる。

本当に、年内設置は絶望的ではないのか。

9月末には完成の予定だったので、経費の見積もりは9月までの分しか計上していない。

作業が伸びる分だけ、コンプレッサーのリース料、コンプレッサーの軽油消費、制作場の電気料金、それに何より私の人件費がすべて見積もり経費をオーバーしてゆく。

相当な利益損失になる。

☆夕刻に宮崎彫刻グループの奥村が制作場所に顔を出してくれる。

彼もコロナ禍等で設置予定の作品が軒並み作業が遅れているという。

私のモニュメント制作が遅れているのを見て、自分の作業の遅れが少し安堵したと言っていた。


9月21日(水)

☆すっかり秋めいた爽やかな秋晴れ。

☆夜中は肌寒さを越す冷え込み。

☆モニュメント制作。

ぐっすり眠って休養は充分なはずだが、今朝は朝から体がきつかった。

急激な気温の変化についてゆけないのか。

一日、月下部のアール面出し作業。

作業はかなり進んだのだが、全体を見渡すとまだまだとんでもない作業進度状態だ。

やるべき作業がまだまだ山積している。

果たして年内に建てることができるのか、はなはだ心もとない気持ちになり、気持ちが落ち込む。

☆作業場へ向かう朝の交差点で、歩いていた某町会議員と目があったら、彼は私の車に駆けつけてきて”何日に建つんですか?”

ロータリーの基礎工事が進んでいるので、モニュメントがもうすぐ建つと思われたらしい。

”いや、年内に建つかどうかもわからないんですよ”

今日は午後から陽射しが強くなり、かなり疲れた。


9月20日(火)

☆台風一過の爽やかな快晴。

日中の陽射しは暑いが、先日までのような残暑の暑さはない。

夕刻からは涼しさを通り越して肌寒くなってきた。

☆夜中も涼しかったので、久しぶりにぐっすり朝まで眠れた。

☆モニュメント制作。

午前はテントの補修。

ハトメの吹き飛んだ部分に新しくハトメを留めて行く。

☆台風の強風でプレハブ小屋が相当ゆすられたらしく、鍵の掛かり具合が悪くなっていた。

昼に食事に帰ろうとしたら、まったく鍵がかからなくなってしまった。

リフトでプレハブを持ち上げたりして、何んとか鍵かかかるように調整作業する。

午後はエアーカッターでの下部アール面出し作業。

☆駅前ロータリーでは、基礎のコンクリート流し込み作業が行われていた。

設置場所は着々と作業が進んでいるが、モニュメントの方は一向に進まない。

☆ようやく涼しくなったし、雨も上がったので、夕刻に伸び放題だった庭の草を刈る。

☆宮崎県内の台風被害は思ったよりも甚大だったようだ。

今朝の新聞掲載の県内各自治体の台風被害一覧では、高鍋町は全ての被害項目がゼロだったので、私たち高鍋町民は被害の認識が少ないが、高鍋町と

川南町を除く他の自治体では、今夜になってもまだ停電と断水が続いているようだ。

国道10号線も各所で信号が停止していて、交通渋滞で混乱しているようだ。

特に山間部の被害が大きい。

韓国のチェさんから台風被害を案じるメッセンジャーが届いたが、韓国のニュースでも宮崎の被害状況が大きく報道されたのだろう。


9月19日(祝・月)

☆夜中過ぎて雨と風がぴたりと止まった。

まったく無音のまま夜が過ぎた。

どうやら台風の目の中に這入っていたらしい。

結果的に我が家は台風の被害は殆どなかった。

☆午前7時くらいから吹き返しが強くなってきた。

外に出てみると、路上に吹き飛ばされた物が散乱している様子はない。

☆朝食前にモニュメントの制作場の様子を見に行く。

心配したテントは、吹き飛ばされずに支柱にしがみついてはためいていた。

支柱も折れたりの損傷はなく、なんとか復元できそうだ。

支柱ごと吹き飛び、近くの太陽光パネルに激突していたら大変な補償問題になったので、そうならず幸いだった。

傍らの宮田川も氾濫した形跡はなかった。

吹き返しの風が強くなってきたので、はためくテントをロープで縛って、復旧作業は午後に廻す。

☆町中を走っていると、やはりかなりのお店の看板、住宅の木製壁等が倒壊している。

☆午後もまだ吹き返しの風が強かったが、山田が来てくれたので、テントの修復作業をする。

二人でテントを張り直すなんて、と山田はびっくりしていたが、私はボーイスカウトで鍛えられているので、テントは独りでも組み立てられる。

リフトもあるので、作業はそれほど困難ではなかった。

折よく、同窓生が様子を見に来てくれたので、これ幸いとテントを起こす作業を手伝ってもらった。

テントが外せなかった方は、矢張り紐を結ぶハトメが吹き飛んでいた。

明日はまたハトメを取り付ける作業をしなければならない。

夕刻までには風もやんだので、応急処置のテントは明日までなんとか保てるだろう。

☆伊藤一彦先生から、新刊の第十六歌集「言霊の風」が届いた。

その中に共著の「月の雫」に関する短歌が4首含まれていた。

私は「月の雫」の中の歌を何首か収録されるのだろうと思っていたら、「月の雫」に関する全く新しい歌だった。

後記にも「月の雫」出版のことに触れていただいている。

ゆっくり読ませてもらおう。

☆今日は敬老の日。

中町公民館恒例のお祝い金が届いた。

お祝い金を持ってこられた婦人会役員の方が、田中さんはまったく”敬老”という感じがしないと言っておられたそうだが、私自身も”老人”だと思ったことは

全く無い。

☆夕刻には青空が拡がり、美しい台風明けの夕焼け空となった。

台風一過で一気に爽やかな秋となった。


9月18日(日)

☆台風14号襲来。

午前7時に高鍋町全世帯に避難指示が出た。

そして早くも午前8時あたりから風が強くなり、お昼前には宮崎県は暴風域に這入った。

2階で作業をしていると、ユサユサガタガタと家が揺れる。

先日修理してもらったばかりの箇所から再び雨漏りがする。

午前中は度々の停電も生じた。

☆午後は小康状態が続いたが、午後3時に宮崎県に大雨特別警報が発令された。

そして午後4時に小丸川に氾濫危険水位を超える見込みという高鍋町防災メールが届いた。

これは山間部の降水量がひどくて、小丸川上流のダムが満杯になり、午後3時に放流を始めたためで、午後9時には小丸川氾濫の怖れのエリアメールが

スマホに届いた。

作業場の傍らを流れる宮田川の氾濫も気になるが、作業場の近くに住む同窓生の話では、これまで作業場の運動場が水没したことは無いと言うことであった。

☆夕刻6時あたりから、風雨がかなり激しくなってきた。

こんなに激しい風雨は近年にないことである。

宮崎県に台風が最も接近するのは夜中近くなのである。

友人からはすでに隣の家のカーポートの屋根が飛んできたという報告が届く。

これはかなりの被害が出るのではないのか。

作業場の支柱に括りつけたままのテントは、支柱ごと吹き飛ばされるのではないのだろうか。

☆また停電になるといけないので、早めに床に就く。

高鍋町はこれまでになく多くの避難所を開設して、しかもいずこも殆ど満員になっている。

しかし、我が家はこれまでに水に浸かったこともないので、我が家が一番安全である。


9月17日(土)

☆台風14号接近で不安定な天気。

おおむね雨の一日だったが、風雨は午後にしばらく強くなっただけで、夜は嵐の前の静けさで雨も風もなし。

☆今日は休養日なのでゆっくり起きる。

朝一に接骨院で治療。

☆午後にモニュメントの心棒位置の図面を引く。

☆予報では、台風14号は過去最大級の強さで、最大瞬間風速が75メートルだという。

過去最大の台風で思い出すのは、甚大な被害のあった1993年(平成5年)の台風13号である。

宮崎県内でも殆どの家で瓦が飛び、家のガラスが割れ駐車中の車が損傷を受けた。

我が家も玄関戸のガラスを瓦が突き破り、廊下のガラスが粉々になり、幼かった息子たちは恐怖に泣きわめいていた。

お隣の宮崎日日新聞高鍋支局では、原稿を書いていた支局長のデスクに隣家の塀が突き刺さって、間一髪で命拾いされた。

再びそうならないことを祈るのみである。

久しぶりに雨戸を締める。

モニュメントの作業場も、入り口のバリケードが道路に飛ばされる可能性が高いので、作業場へ行って、敷地内に倒しておく。

☆夕刻に突然、私と妻のスマホにアラームが鳴り響いた。

見ると、お隣の新富町の避難警報だった。

高鍋町は雨も風もない状態だった。

☆今夜のところは、強い雨も風もない。

明日が用心と言うところだろう。

大きな被害が出ないことを祈るのみである。


9月16日(金)

☆日中は、一日重い曇天

夜明け前と夜に雨。

☆やはり週の5日目に這入ると、体の疲れでなかなか直ぐに起きれない。

☆モニュメント制作。

台風14号に備えて、午前は先の台風11号で留め紐を結ぶハトメの損傷してしまったテントの補修。

ホームセンターでハトメ玉とハトメパンチ、留め紐を調達して、テントに新しくハトメ玉を取り付けて行く。

☆午後にテントの支柱を固定しているアンカーを結束線で締め直していたら、山田がやってきた。

台風襲来でテントが心配で、片付けがあるのなら手伝いたいと、職場の年休を取ってやってきてくれた。

その時点ではテントの撤収まで考えていなかったのだが、ラジオを聞いていたら台風14号が今日になって急速に強大になり、宮崎県内も暴風域に這入る可能性が

高くなってきたと言う。

それで急遽、山田に手伝ってもらってテントを撤収することにした。

1つのテントは天井が支柱に結びつけてあったので、テントを折り返してロープで固定する。

夕刻までに電源類も全て撤去する。

☆私が段取りをしている間、山田にエアーカッターを使ってもらったが、作業場入り口の民家近くで作業音を聞いてみたら、それほど心配する音量でもなかった。

☆高鍋駅前ロータリーは、基礎工事の鉄筋組み作業が進んでいた。

現場へ立ち寄ってみると、実に巨大な基礎工事でロータリーの殆どが基礎になる感じである。


9月15日(木)

☆不安定な気候ながらおおむね晴天。

時折の突然の激しい驟雨。

空の半分は青空のままで、まさにマレーシアのスコールと同じ。

昼食前に道具を片づけていたら、突然の雨に全身ずぶ濡れになってしまった。

非常に蒸し暑く、秋の気配はどこかへ行ってしまった。

今度の台風14号はかなり影響が出そうだ。

☆モニュメント制作。

午前は下部の厚み落としの面出し。

エアーカッターでスムーズに作業は進む。

午後からは下部のアール面出し作業に入る。

☆駅前ローターリーでは、基礎打ちの準備が進んでいた。


9月14日(水)

☆晴れ。

雲は多く不安定な空模様で、時々のにわか雨。

一日中、非常に蒸し暑かった。

☆モニュメント制作。

心棒穴も開いたので、一気に下部の成形作業に入る。

今日は削岩機とルートハンマーで厚みを落とし、ディスクで面を出してゆく。

ディスクの面出しにはエアーカッターを使った。

エアーのパワーが強いので、試しに電動グラインダーで直ぐに切れなくなって取り替えたディスクを使ってみたら、やはりちゃんと切れる。

エアーカッターの音も心配したほどでは無かったし、飛び散るオイルも作業を始める時だけである。

どうして最初からこのエアーカッターを使わなかったのかと悔やまれた。

☆今朝、おかしな神隠し事件。

妻が出勤前に、しきりに時計と布マスクを探している。

昨日から探しているのだが、全く見つからないという。

そういう時は私が探すと直ぐに見つかるのだが、在りそうな場所を私も念入りに探してみたが何処にも見当たらない。

いつもはだいたい洗面室の入り口かダイニングのカウンターの上に置いてあるのである。

リビングに引き返し、洗濯しなければならないものを追加しようと洗面室に再び向かうと、えっつ、目の前にちゃんと時計がある。

妻も何度も探し、私もつい今しがた念入りに探したいつもの場所にちゃんと在る。

狐に摘ままれた感じでいると、リビングで”あったー!”という妻の声。

マスクもちゃんと見つかった。

神隠しに遭ったとしか思えない。

まあ、ただそれだけの話ではある。

霊能力の強い友人と居ると、頻繁に彼の手の中や周囲に突然物が現れることが在るので、特段珍しいことではない。


9月13日(火)

☆一日中不安定な天気。

雨が降ったり、青空が広がったり。

非常に蒸し暑い。

夜になって激しい雨。

台風14号が発生して、週末には九州も影響を受けそうだ。

☆モニュメント制作。

雨模様の中、アンカー業者がコア作業を黙々とされていた。

私が午睡から戻ってくると、全ての作業は終わって、車の中で待機しておられた。

私は台座の方にも穴を開けてもらおうと思って、午睡後に台座の穴位置を算出したりしていたのだが、台座の作業は後日に、と言うことになった。

”実は私は明日から病院なのです”

えっつ、明日から大病手術後の検査入院?!

それで日曜日も雨の日も黙々と作業をされていたのだ。

☆昼前に観光協会の担当者と、銘板原稿の打ち合わせ。

町長の建立趣旨文4案を役場の担当者がレイアウトしてくれていたので、夜になってその中から1案を選んで私の方でレイアウト修正して町長へ送る。

☆私は一日、月上部の帯からの立ち上がり部の成形作業と帯の厚み落とし作業。

その過程で、月の側面のハツリ部も進めなくてはならないので、ディスクで落としてゆくが、やはりディスクが全く切れない。

こんなことをやっていたら作業は進まないので、エアーカッターを使ってみたら、矢張りコンプレッサーのエアーのパワーが強大なのでサクサク切れる。

それは分かっていたのだが、エアーカッターは回転時の音がキーンキーンと甲高くて、遠くまで音が届いてしまう。

騒音防止のため、使うのを躊躇していたのである。

それにエアー工具はオイルが飛ぶので、割り肌仕上げのハツリ部作業には難点がある。

しかしそれ以上に作業効率が全く違うので、切れない電動グラインダーで時間を消費するよりましである。


9月12日(月)

☆夜中は非常に蒸し暑かった。

午前は晴天。

午後はにわか雨が降ったり止んだりの不安定な天候。

夜になって激しい雷雨。

☆疲れが取れていないのだろう、一晩中苦しかった。

黄疸になった時の苦しさが出てくるだけだから、一種の神経痛的な後遺症。

週の初めで、今週の戦いの初日なので、起き抜けに栄養ドリンクを飲んで気合を入れる。

☆モニュメント制作。

今日は朝から晴れていたので、アンカー業者が2本目の心棒穴のコア作業をやってくれた。

午後は時折にわか雨が降ったが、作業には支障がなく、業者も要領が掴めて1本目より作業が早くなった。

私は月右上のアール修正。

金曜日の作業で修正は終わったと思っていたが、日が変わって見直すと、まだまだ膨らみが取れていない。

一段落して月のアウトラインの稜線のエッジを落としてゆく。

しかし表側の月の仕上げは中途のままだったので、表に返したときに修正作業が必要だろう。

帯部の上下の厚み落としが途中だったので、ディスクで落としてゆくが、やはりディスクが全く切れない。

昨日の作業で山田がディスクを交換したばかりなのに、もう切れない。

この先、まだまだディスクによるカッティング作業はたくさん残っている。

こんな感じで、果たして年内に設置完了となるのか、はなはだ心もとなくなってきた。


9月11日(日)

☆午前は曇天ながら雨には至らず。

昼過ぎて雨。

午後半ばに、激しい雷雨の集中豪雨。

☆非常に蒸し暑い朝。

私は作業休養日。

☆今日もアンカー業者と山田が作業に来てくれたので、午前に制作会場へ顔を出す。

私はルートハンマーのビットと削岩機のビットの研磨をする。

午後半ばに激しい雷雨となり、まだ作業を続けていたらと気に懸かり、大雨の中を制作会場へ出向くと、すでに今日の作業は終了していた。

午前で作業を終えたらしい。

心棒のコア作業も、1本目の作業が終わっていた。

結局、心棒の穴を一本開けるのに2日半かかった。

☆午後にモニュメントの銘板の原稿下書きをする。

昨日、今日と高鍋町長から建立趣旨文が何度も修正を重ねて届いた。

そのままではモニュメントの設置趣旨銘板には使えないので、町長の文章を一部修正してほぼそのままレイアウトしたものと、私なりに構成・表現を変えて

レイアウトし直したものを作り、町長に添付メールで返信する。

銘板をブロンズ鋳造すると、発注してから届くまでに一か月以上はかかるので、そろそろ銘板の原稿をまとめならなければならない時期である。


9月10日(土)

☆晴れ。

日中は相変わらずの残暑。

☆朝一に接骨院。

今日は患者がまばらだったので、院長によるマッサージが丁寧であった。

☆続いてO内科での血圧の定期健診。

医院へ行くと、O先生は駐車場で診察をされていた。

最近の高鍋町はコロナ感染者が非常に多いので、こうした発熱外来がすごく多いのだという。

今日は一般の患者も多く、私の診察が終わったのはもうお昼であった。

私は異常なし。

☆昼に、山田が作業に来てくれたので、O医院から制作会場へ直行し、今日の作業手順を指示する。

下部の厚み落としをやってもらう。

アンカー業者も朝から作業されていた。

夕刻に再び制作会場へ顔を出す。

コア作業はなかなかにはかどらず、今日中には1本目の穴が開かなかった。

明日も作業に来て、とりあえず1本目の穴を開けてしまうということ。

山田も明日も来てくれそうである。

☆実はアンカー業者は春先に大病を患って入院されていた。

まだ顔が真っ青である。

山田も大病を患って、体中、縫合の跡がある。

そして佐賀からアシストに来てくれた諸井君もコロナ感染の養生明けだった。

そういう人たちが命がけで私のモニュメント制作を支えてくれている。

☆”あやみやざきちゃんねる”の案内を、メールで関係者に送る。

☆今日は満月で中秋の名月。

天気予報では、宮崎県内は夜は雲が出て満月は望めないと言うことだったが、煌々と赤みを帯びた満月を観ることができた。


9月9日(金)

☆晴れ。

今日の残暑はいっそう厳しく、今日は車のエアコンが必要だった。

☆昨夜は一晩中苦しくて、何度目が覚めても夜中で、いつまでも夜が明けなかった。

今朝は起き抜けに栄養ドリンクを飲んで気合を入れる。

☆”あやみやざきちゃんねる”を開いてみたら、やはり昨夜のうちに投稿されていた。

私が寝た後に投稿されたようだ。

編集も新たになっていて、新しい駅舎の件もカットされていた。

さっそくフェイスブックに投稿し、ライン仲間にラインで流す。

(”あやみやざきちゃんねる”で検索すると、ユーチューブが見れます)

☆モニュメント制作。

今日から心棒の穴あけのアンカー業者がコア作業に入る。

それで、私も体を休めたくても作業場に出なければならなかった。

業者は御影石対応でダイヤモンドコアを特注されたが、やはり作業は超難攻して、午前の作業でダイヤモンドが擦り切れてツルツルに成ってしまった。

昼から別なダイヤモンドコアを持ってこられたり、サンダーでダイヤモンドを研ぎ出したりしても、今日一日で20cmも彫れなかった。

心棒穴深さは50cmなので、2本の心棒を開けるのに4,5日はかかりそうである。

そうなることを見越して、見積額を多めに算出していたのだが、おそらく見積額をオーバーしてしまうだろう。

☆私は今日も月右上のアール修正作業。

昨日の段階でまずまずと思っていたのに、今朝見てみると、まだまだ膨らみすぎている。

やはり集中して石肌を見つめながらダイヤカップを掛けていると、だんだん目の芯が痛くなって片頭痛がしてくる。

途中で気力が切れてしまいそうになる。

☆明日は休養日という安ど感から、夕食後はハーモニカの練習ができた。

休養日と言ってもアンカー業者は作業されるし、山田が明日も来てくれるというので、作業指示で作業場に顔を出さなければならない。


9月8日(木)

☆晴れ。

朝夕はとても涼しくなったが、日中はまた炎熱に逆戻り。

☆モニュメント制作。

朝のうちはテントの中を抜ける風が寒いくらいだったが、直ぐに残暑の熱波が逆転してしまう。

今日も一日、月右上のアール修正。

膨らみをいくら削り直しても良くならない。

昨日からダイヤカップを掛けていると、目の芯が痛くなり、片頭痛がしてくる。

昨日は耐えきれず、叫びながら作業したが、今日はとうとう作業を続ける根気と気力が失せてしまった。

延々と何度もダイヤカップを掛け直す作業は、心身ともに疲労困憊に陥ってしまう。

午前の作業でヘロヘロになり、午後は休養すべきかと思った。

☆しかし昼食を摂り、いつもより長めに午睡を取ったら体力も回復したので、午後は正常通りに作業する。

☆だが、やはり夕刻に帰宅すると体力がガタ落ちで、夕食を摂りながら再び片頭痛が襲ってきて食事が喉を通らなくなってしまった。

夏の疲れがたまってきているのだろう。

体力が落ちると、若い時のインド旅行で黄疸になった時の症状が出てしまって、身動きできなくなる。

やはり木曜日が一番きつい。

とてもではないがハーモニカ特訓をするどころではなく、早々に床に就く。

倒れて寝込まないようにしなければ。


9月7日(水)

☆台風一過の快晴の秋晴れ。

朝夕は一気に涼しくなり、さわやかな秋がやってきた。

車の運転にもエアコンは要らなくなった。

ただ陽射しは強いので、午後からの陽射しはまだまだ暑い。

☆モニュメント制作。

気付くと、テントは結構あちこちの金具が外れたり曲がったりしている。

それなりにかなり強風の影響を受けたようだ。

台風12号、13号が発生する予報も出ている。

次の台風にはしっかり対応をしなければならない。

☆下部の厚み落としの削岩機入れ部分にエアチッパーで四ツ目を入れ、昨日に引き続き、月右上のアール修正作業。

ふくらみがなかなか修正できない。

☆駅前ロータリーは、今日は植栽の撤去作業。

☆”あやみやざきちゃんねる”の明日投稿のビデオが、大澤さんから点検のために送られてきた。

結構、長い時間のビデオである。

町長にも点検確認のために転送する。

そうしたら、高鍋駅の駅舎が新しくなるのは来年だと思っていたら、再来年なのだという。

それ以外はOKであった。

☆宮崎のコロナ新規感染者は、まだ高止まりのままだが、今日の高鍋町の新規感染者は過去最高の78人だった。

新学期が始まって、子供たちの間での感染が一気に拡大して、それが家庭内で拡がっているようだ。

驚くことに、一週間前に訪れた高千穂町の新規感染者が87人になっている。

私たちが訪れたときは夏休み最後の週末だったので、多くの家族連れ、海外からの団体客が多かった。

おそらくその影響だろう。


9月6日(火)

☆夜中は激しい雷雨。

雨は夜明け前には止み、台風11号は何の影響もなく去った。

午前までは風速15m以上の強風圏域にあって、強風が吹き荒れたが、被害はなし。

日中は台風一過の上天気。

夕刻は一気に夕暮れが早くなり、侘しい秋の気配の涼しさとなった。

☆気圧のせいか、朝はすごく体がだるくてきつかった。

☆モニュメント制作。

作業場までの道のりの町の様子は、何も吹き飛んだりした気配はなく、作業場のテントも健在だった。

ただかなり古いテントなので、一部分が紐を止める金具のパーツがはがれてしまって、テントが浮き上がってしまっていた。

次の台風襲来時には補修が必要である。

一日、月右上のアール修正作業。


9月5日(月)

☆台風11号の影響で、夜中から朝方まで強い雨。

日中は不安定ながらほぼ非常に蒸し暑い晴れ。

午後半ばから曇天となり、夕刻までには宮崎県内全域が風速15m以上の強風圏域に這入る。

しかし、台風の影響は午後8時前後にそれらしき強風雨があっただけで、その後は雨風もなし。

☆モニュメント制作。

土曜日に心棒の位置を変更してコアドリルの作業をしたので、底部に変更後の心棒位置の墨入れをする。

コアドリルの作業が終わって、下部の厚みが落とせるようになったので、厚み落としの削岩機入れの墨を入れる。

そして月右上のアール出しの修正作業。

☆午後に妻のボーカル講師の片貝さんと、生徒さんで書家の堀内さんが作業場に顔を出してくれる。

☆天気予報では、宮崎県内は台風11号による影響は、暴風圏域に入ることはないということなので、テントが飛ぶほどの強風は無いと判断。

とりあえず、テントの結び紐の補強をしておく。


9月4日(日)

☆台風の影響で、降ったり晴れたりの不安定な天気。

空の半分には青空が拡がり、目の前は土砂降りと言う、マレーシアでのスコールによく似た天候。

しかし、今のところ激しい雨も風も無い。

☆やはり疲れが出てきているようで、久しぶりにベッドから出るのが辛かった。

☆朝一に、妻と宮崎県立美術館へ。

目的は二紀会宮崎支部の作品展だったのだが、美術館では企画展で写実絵画の”ホキ美術館名品展”を開催していて、美術館の入り口には長蛇の列ができている。

どのみちこの列に並ばないと美術館に入れないので、せっかく並んだので、まず”ホキ美術館名品展”を観ることにした。

写実絵画は抽象絵画のように解釈等の作業が不要なので、連日、長蛇の列の大盛況である。

写実と言っても、絵肌は艶やかで肌理細やかな、写真と見紛う表現の作品ばかり。

その超絶技巧と、写真とは違う作家の主張、そして意外や日本画の空間把握を取り入れたりという日本人ならではの構成に多くの人が引き寄せられるようだ。

アナログな制作が衰退しつつある表現世界の中で、これほどに写実性にこだわった作家たちがいることに驚きを覚えた。

ほとんど興味もなかった”ホキ美術館”だったが、中には好きな作品もあり、観て良かったと思う。

私も具象の”首”像制作には、いつかまた取り組んでみたいという思いは持っている。

☆二紀会宮崎支部作品展は、二紀会のメンバーの方たちが、私たち夫婦の二人展に顔を出してもらっているので、そのお返しの意味での鑑賞だった。

☆美術館の常設展では、期せずして彫刻は首像が特集してあった。

やはりいつかまた”首像”に取り組んでみたい。

☆昼前には帰宅する。

午後は片づけ物をして過ごす。

☆高千穂町の「木花咲耶姫像」の昔の新聞記事コピーを見たら、やはり「木花咲耶姫像」は高千穂の人たちに大切にされていて、そのさなかでの消失事件だったので、

やはり大きなニュースとなったようだ。

埋没した像が発見されて、再設置された時の新聞記事コピーを読むと、当時は「趣旨銘板」が台座と一緒に埋没して引き上げ不可能だったので、ちゃんと案内板を立てて、

その傍らに榊を植樹されている。

木製の立て看板だったのでいつか朽ち果て、榊も大きくなってしまって木花咲耶姫像を蔽ってしまったようだ。


9月3日(土)

☆夜中から午前まで本格的な雨。

昼前には一気に青空が拡がる。

午後も降ったり晴れたりの不安定な天候。

☆夜中はずっと吐き気がして気分が悪かった。

☆朝一に接骨院。

左の首筋がボキボキ折れそうな痛みで、首から左肩周辺を念入りにマッサージしてもらった。

台風が近づいて気圧が下がると首が痛くなり、ここ数日はそうした患者が多いのだそうだが、私の場合は台風とは関係ない。

☆モニュメント制作。

山田が手伝いに来てくれたので、作業の段取りのために出かける。

心棒の問題が解決したので、心棒とコア穴の間にモニュメント設置後に接着剤を流し込むコア窓を開ける作業をやってもらった。

接骨院を出るあたりから激しい雨となり、ヒルティーのコアドリルをビニールシートにくるんで運ぶ。

コアドリルのセッティングの間に雨は一層ひどい雷雨となり、全身ずぶ濡れとなった。

コアドリルの取付作業一切を山田にやってもらったので、彼も生まれて初めての作業手順に戸惑いながらもきちんと作業段取りを身に付けることができた。

先日、50mmのコアを使ったら全く切れなかったのだが、今日は30mmのコアだったのでスムーズに作業は進んでくれた。

午後の3時前には2本のコア穴の作業を無事に終えてくれた。

☆私は今日は休養日なので自宅でゆっくりしたが、やはり夜中に吐き気が続いたりしているので、ずぶ濡れで作業場から帰ってきた後は、極度に疲れが出てきて

何もできなくなった。

先週は高千穂へ心の休養に行ったが、山間部の観光地はやたら昇り降りの険しい道筋ばかりなので、体の休養にはなっていなかったようだ。


9月2日(金)  

☆夜中から朝方まで雨。

日中も降ったりやんだりの不安定な天気。

夕刻からは本格的な雨となり、気温はそれほど上昇せず。

☆モニュメント制作。

午前に”あやみやざきちゃんねる”の大澤さんが取材で来訪。

ユーチューブでの紹介はこのモニュメント制作の経過だけではなく、私のこのホームページに掲載してある県内作品の紹介もしてゆくのだそうだ。

この”あやみやざきちゃんねる”は宮崎県内の魅力を紹介してゆくものなので、宮崎県内に設置してある私の作品も取材して紹介してゆくということ。

今日はモニュメントの作業の様子と、大澤さんと完成予想時期や設置場所のことなどを語りながらの取材。

そのあとは、町内の黒木本店に設置されている私の作品を取材に行かれた。

☆私は一日、月左上のダイヤカップでの仕上げ作業。

今日は雨模様で気温も上がらなかったので、喉も渇かず水は一滴も口にしなかった。

そしてダイヤカップの作業も相当に根気のいる作業なので、午後から妙に重い疲れが出てきた。

しかし夕刻から次第に胃がきつくなって胸やけがして来たので、作業の疲労ではなく、先日からの残暑による夏バテなのだろうか。

☆夕刻に山田が来訪。

明日も作業に来れると言うので、作業の打ち合わせをする。


9月1日(木)

☆夜明け前から朝のうちにかけて雨。

日中は雲は多いもののほぼ晴天。

今日も台風11号の影響で夜中からすごく蒸し暑い。

体がだるくて重い。

☆とうとう9月になってしまった。

予定ではモニュメントは9月末には作業場での制作を終えるつもりだったが、作業はまったく進んでいない。

☆モニュメント制作。

今日から駅前ロータリーの既設物の撤去工事が始まった。

クレーン車やパワーショベルで大がかりな工事となった。

「高鍋駅」の表示も無くなった。

☆私は黙々と月左上部のアール出し作業。

首部のふくらみの修正で丸々いちにち過ぎた。

辛いけれど、幸せな毎日。

幸せだけれども、辛い毎日。

午後に、元町議のS氏が冷たい飲み物持参で来訪。



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