Back to toppage このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。 過去の日記 2021 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2020 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 |
2021 | 2月28日(日) ☆夜中から強い雨。 雨は午前のうちに止む。 ☆朝一に注文していた額とマットが届く。 早速開梱して私のものと妻のものを振り分けるチェックをしていたら、注文していない大きなサイズの額が複数ある。 店側の間違いかと思ったが、最初の自動返信メールの注文一覧を見たら、私が”太子”サイズを注文したつもりが”大衣”という大きなサイズの額を間違って注文していた。 大きいサイズなので単価も高い。 返品交換は出来ないか、メールで打診する。 マットの方は全て寸法を確認して注文したので間違いはなかった。 ☆妻の売れた作品で借りていた額装の作品に購入した額を取り付けたり、売れた作品の手持ちの版画を新しい額に入れたりの作業をする。 幾つかの作品は刷り直しが必要である。 ☆美術の杜出版の「2021現代人気美術作家年鑑」が届く。 今年の私の作品評価額は胸像で530万円。 ☆宮崎県のコロナ感染確認者は3日連続でゼロであった。 2月27日(土) ☆曇天の一日。 気温は上がらず、底冷える。 ☆昨日、高鍋の牡蠣とムカデノリを戴いたので、お昼に牡蠣飯とムカデノリの味噌汁にしていただいた。 牡蠣飯なんて10数年振りか。 すごくおいしくて、高鍋に居る幸せを感じる。 ☆一日、二人展の残務作業。 午後にようやく礼状の作成にかかる。 イラストレーターで印刷データを作成して、PDFに変換してオンラインで発注。 ☆夜は居酒屋”みなもと”で二人展の打ち上げ。 本来は会期中にジャズライブをして、その打ち上げでジャズミュージシャンの片貝さんと照沼さんを交えての打ち上げの予定だった。 だがコロナ自粛でライブは中止となったが、打ち上げは予定通りにお二人を交えての酒宴とした。 5月に日向市内で開催予定の二人展の時に、またライブをやりたいと思っている。 ☆ひょんなことから、私の本から強い”浄化”の波動が出ていると言われた気功の先生に会えることになった。 東京からも治療に見えられるほど有名な方らしい。 だから数カ月先まで予約で埋まっている方なのだが、私のために来週に時間を作っていただいた。 2月26日(金) ☆一日雨。 風が強く、久し振りに激しく吹きこむ風雨となった。 気温も冷え込む。 ☆今日の宮崎日日新聞”窓”欄に、またも嬉しい「MOON DROPS―月の雫」への投稿が掲載された。 タイトルは”希望を与える本に出合った”として、私と伊藤先生の関係から丁寧に本を読んでいただいていて、”この本はコロナ禍の現代に勇気と希望を与えてくれた。”と 結んであった。 投稿者は私の全く知らない方だが、下手な新聞記者の記事よりもこの本の本質を的確に記述されていて、感動的な投稿であった。 さっそく反応があり、同窓生どうしで新聞見た?と連絡を取り合っているというメッセージも這入った。 この本はこれからもまだまだ売れていくのではないのだろうか。 二人展の時にかなり売れたので、現在は私の保管分を切り崩して売っている。 それに先日に出版社の社長から連絡をいただき、いまのところ全国的な動きが鈍いので増刷は見合わせている、在庫はまだあります、ということだった。 このまま増刷にならなかったら、今の状態で保管分の本を売っていたら、私の手持ちの本が無くなってしまう訳である。 それで伊藤先生とも連絡を取って、在庫分を追加購入することにした。 伊藤先生のお話しでは、角川短歌の5月号に「MOON DROPSー月の雫」の書評が載ることになっていて、全国的な注目度が集まるのはこれからだと言うことである。 ☆午後に日向市から義姉が本を求めに来てくれた。 同行していた友人が今朝の新聞投稿を読んでおられて、本を買っていただいた。 ☆夕刻に、二人展で版画を買っていただいた後輩と喫茶店で待ち合わせをして、作品を手渡しして小1時間ほどあれこれ語る。 ☆今朝、朝食の準備中にワイングラスに手が触れて、倒して割ってしまった。 2,3日前にも妻が寝る前にやはりワイングラスを倒して割ってしまった。 我が家ではグラス類が割れる時は要注意の信号である。 気を引き締めよう。 2月25日(木) ☆朝のうちは晴れ間が出ていたが次第に雲が出て、お昼からは雨となる。 しんしんと冷え込む。 夜には本格的な雨となった。 暫くは雨続きの天気予報である。 辛夷の花も開き始めた。 ☆午前にようやく補充追加購入の額とマットを注文。 前回まで利用していたオンラインストアの価格が大幅に上がったと思っていたが、よく調べてみたら前回注文した額は販売してあった。 マットが一枚一枚窓の大きさを指定しなければならないので神経を使って大変なのだが、これを画材店に頼むとかなり高い加工料を取られると言うことである。 ☆昼から妻と宮崎市へ出る。 まず二人展の版画を買っていただいた方たちを廻って、作品を直接届ける。 今回は今後につながる新しい出会いもあった。 こういう縁を大切にしたい。 ☆その後、宮崎県立美術館で開催中の第1回みやざき総合美術展へ。 これまでの宮日総合美術展と宮崎県美術展が統合されて新しく始まった展覧会である。 色んな問題がある展覧会なので、実際の状態を確認しておく必要がある。 ☆先ずは彫刻部門へ。 印象としては、確かにバラエティーに富んで、会場がとても明るい雰囲気になった。 しかし作品の質としてはとてもレベルが低い。 近年の傾向で、工芸的な物、デザイン的な物、老人クラブ的な物、中学生か高校生レベルの思いつきの立体作品的な物、彫刻とは一体何なのか観る人を戸惑わせ げんなりさせる物ばかりである。 そして今回も、ベテランの宮崎彫刻グループのメンバーは誰一人応募さえもしていない。 新しい総合美術展に求められたのは、こうしたベテランの作家達をどうやってかつてのように公募展に復帰させるかであったはずである。 だが蓋を開けてみると、彫刻のベテランの出品しない彫刻”もどき”の出品作ばかりである。 その中での受賞作品は、順当な受賞作であった。 大賞の藤井孝隆氏はこれまで名前も聞いたことも無い方で、新聞で写真を見た時にはプラスチック素材のチープな作品に見えたが、実際の作品は素材もプランもよく 練られたイメージのはっきりした作品であった。 保田井氏が大賞に選んだのは十分に納得できた。 他にも準特選の伊東有香さんの女性らしい素材の扱い方と構成は、これから突き詰めていけばいい展開になるのではと感じさせた。 初めて聞く名前なので学生かと思ったが、年齢的に学生ではないようなので、継続して制作して行って欲しい。 出品点数は27点で、近年では多い方だが、入賞・入選者11名のうちなんと半数以上の6名が受賞者である。 こんなもの、コンクール形式としての公募展としてありえない。 ☆他の部門を見てみると、今回新設された自由表現部門は、従来の絵画、彫刻、工芸、デザインの枠に収まらない表現への応募領域のはずだが、受賞した作品は 絵画である。 自己申請で、絵画を自由表現部門に出品しているに過ぎない。 ☆写真部門には近年問題となっている合成加工写真の部門が設けられたが、加工写真は明確にデザインの仕事である。 実際、入選作品には写真としての被写体の無い完全なデザインワークの作品があった。 ☆さらに、各部門に18歳以下と75歳以上の出品者への奨励賞と言うものがある。 18歳以下への奨励賞は、近年の県美展に設定されていたものだが、彫刻や工芸部門への18歳以下の出品者なんてほとんど居ないのだから、1人でも入選者がいれば 自動的に奨励賞受賞となり、弊害以外の何ものでもない。 さらにこれに75歳以上が加わり、自由部門への75歳以上の応募なんてほとんどないから、たった一人の入選者はそのまま奨励賞受賞となり、新聞記事となった。 中には超ベテランの方が75歳以上で奨励賞を受賞されており、これはもうあなたは老人クラブレベルですと言う烙印を押されたに等しく、作家への最大の侮辱にほか ならない。 ☆そして、チケット購入時にこれまでのカタログに替わるタブロイド新聞が無料で配布された。 こんなものを貰っても、どう保存せよと言うのだろうか。 私は仕事柄、宮日総合美術展も県美術展もカタログを資料として本棚に整理している。 こんなタブロイド新聞では本棚に整理できない。 ☆さらに展覧会の主催者が宮崎日日新聞社と宮崎県立美術館である。 主催者がまったく異なった二社であり、したがって各種の問い合わせ先がそれぞれに振り分けられている。 主催の主体者が居ないのである。 他にも色んな問題があるが、全体の印象としては、もはや私たちのような老齢には理解しがたい新しい風が吹いていると言うことである。 芸術の世界は、いつも新しい風が吹いて混沌としているものなのだ。 ☆西日本新聞社くらし文化部の北里記者から、2月20日付の新聞が送られてきた。 「MOON DROPSー月の雫」の紹介記事である。 先の南日本新聞同様、担当記者がきちんと読んで書かれた記事で、嬉しかった。 南日本新聞も西日本新聞も伊藤先生から献本していただいている。 2月24日(水) ☆今日もとても暖かい麗らかな一日。 木蓮の花が開き始めたし、野山では菜の花も咲いている。 ☆昼前にO内科医院へ血圧の健診。 最近はコロナ禍で病院の受診者が激減していたのでそのつもりで昼前に出掛けたら、凄い数の患者だった。 昼に出直しても私の番はまだまだで、診察してもらったのはもう午後1時半だった。 昨日が祝日で休診、今日も午後から休診なので患者が殺到したようだ。 ☆午後に石井記念友愛社へ。 児嶋理事長が二人展の版画を買っていただいたので、届ける。 「MOON DROPSー月の雫」の私の作品への児嶋理事長の感想が興味深かった。 彼は私の作品に母胎回帰のようなエロスを感じ、それが世界中の人々に私の作品が受け入れられる要素ではないのか、と言う。 私は私の作品にそんなことは意識したこともないし、これまでに他の人からも言われたことはない。 しかし、確かに”サンデーラジオ大学”の電話打ち合わせの時に、パーソナリティーの薗田潤子さんが私の作品にエロスを感じると言われた。 「MOON DROPS―月の雫」で伊藤先生が詠んでいただいた短歌の中にも、かなり官能的な歌が幾つかある。 これは私の気付かなかった私の作品の世界なのかも知れない。 一度どなたかに私の作品への評論を書いていただきたいものだ。 ☆午後半ばから、二人展で購入していただいた作品の発送分の梱包作業。 夕刻に宅急便で送る。 2月23日(祝・火) ☆今日も春本番のとても暖かい一日。 ☆昼前に妻と高鍋町美術館で開催中の”秋月鶴山と上杉鷹山展”を観に行く。 この企画展は、童門冬二「秋月鶴山 上杉鷹山がもっとも尊敬した兄」の出版を記念して開かれたもので、秋月鶴山と上杉鷹山の直筆書などの貴重な歴史資料の展示 である。 出版された小説「秋月鶴山」を購入したら「歴史街道」3月号が付いて来た。 「歴史街道」には童門冬二が秋月鶴山について書いたページがあって、そこには私の制作した秋月種茂(鶴山)像の写真が掲載されている ☆青井学芸員が身分証明書のカードを、二人展で買ってくれた私の版画の缶バッチで服に留めてくれていた。 なかなかに良かった。 ☆今日も二人展の残務。 売れた妻の版画をスキャンしてデータ化したり、買っていただいた版画を届ける。 昨日からリストアップしている補充する額とマットの種類とサイズを出す作業がなかなか大変で、ようやく業者に注文出来るところまでたどり着いたが、これまで注文してい た業者に注文しようとしたら、額の値段が大幅に高くなっていて発注を見送る。 ☆夕刻に、アンケートを書いてくださっていた方たちにプレゼントする私と妻の版画のミニ額の抽選をする。 私の作品は全く知らない方たちばかりに当たったが、妻の作品に当たった方たちは知っている方たちばかりだった。 2月22日(月) ☆蒸し暑いくらいの暖かい春本番の陽気。 午後は少し雲が出る。 ☆二人展の残務整理。 午前に、購入していただいた作品を高鍋町内の方に届ける。 ☆売れた作品の額とマットを補充再購入しなければならないので、注文リストを作成する。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 私は傍らで二人展の残務整理の作業。 ☆今回の二人展は、妻のこれまでの生きてきた経験を糧として培ってきた妻らしい感性を、思いがけずに確認できた機会となった。 やはり作品を人様の前で公開することの意味はとても大きいことを実感した。 アトリエの中だけで見ていたのではわからないものが、第三者の多くの人に観てもらうことで明らかになって来る。 妻も自分の個性というものを、今回の二人展での来場者の反応から初めて知った。 私も妻と結婚して初めて、妻の作家としての魅力に気が付いた。 来場された方たちから二人展の今後の継続的な開催を望む声が多くあがったが、私たちも今後も年に1度の二人展を継続開催していきたいと思っている。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は確認されなかった。 ようやく九州各県でもコロナ感染者の確認されないところが出て来たようだ。 2月21日(日) ☆すっかり春めいた暖かい陽気の一日。 外気は暑いほどであった。 ☆二人展最終日。 今日はギャラリー前が久しぶりに開かれた朝市で、大勢の人で賑わった。 二人展の方は、上天気での外出が多いのか思ったほどの来場者は無かったが、それなりに午後は賑わった。 ☆今日も作品は3点売れて、最終的に26点が売れた。 私は7点、妻は19点で圧倒的に妻の作品に人気が集中した。 版画なので作品価格自体が安く設定してあり、それほどの利益は出ないが額縁代やマット代は十分に賄えた。 缶バッチとマグネットも総数で253個売れた。 これはグッドアイデアだった。 「MOON DROPS―月の雫」は今日も7冊購入していただいて、二人展期間中には43冊を購入していただいた。 出版社から追加購入した100冊は完売して、私の保管分からかなりの数を切り崩している。 アンケートの実施も好評で、皆さんかなり真剣に長い時間をかけて作品を観ておられた。 私たちにとってもとても大きな反響を確実に把握することが出来た。 ☆数字的に見るだけでも今回の二人展は大成功だった。 だが、私たちは版画による作品展示は初めてであったし、二人展そのものも去年の今ごろにはまったく考えても居ないことであった。 妻にとっては確実に作家としてのデビューとなった。 勿論、私にとっても念願の木版画に取り組むことが出来て、コロナ禍によって本の出版に引き続いて夢の実現が果たせたことにり、私たち夫婦にとってはこれからの歩みに とっての新たな生き方が示せて、とても大きな出発点となった。 数字的にも内容的にも大きな成功だった。 ”ギャラリーしんとみ”のスタッフの皆さんにも大変お世話になった。 予定では次年以降も”ギャラリーしんとみ”で二人展を開催していきたいと思っている。 2月20日(土) ☆麗らかな陽気の晴天。 ☆二人展11日目。 朝のうちは出足が鈍く、空港展でも期待すべき最終の土・日はあまり来場者が無く肩透かしを喰らうことがあるので、今回もそうなるかと危惧した。 天気が好くて暖かいので、みんな遠出をするのでは、と案じた。 しかし昼前から一気に来場者が増え、午後はごった返すほどの盛況となった。 2度、3度と来られる方もおられる。 ☆作品は5点の売買が成立した。 全て妻の作品で、半数は私の友人が私の作品ではなく妻の作品を購入した。 缶バッチ、マグネットも順調に売れた。 「MOON DROPSー月の雫」も2冊購入していただいた。 私の本は多くの方がすでに書店等で購入されていた。 ☆今日も、マスク姿で誰か判別できず、非情な失礼をしてしまった。 「わけもん!!」でお世話になったMRTアドの関知子さんがご主人と来られたが、コロナ対策の記帳を見て初めて関さんだと気付いた次第であった。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は宮崎市のクラスター関連の2名のみ。 経路不明の感染確認者が出なくなって来ている。 2月19日(金) ☆快晴の一日。 朝は冷え込んで、庭には霜柱が立った。 西都の奥の山々も雪で真っ白であった。 こういう朝がぐんと冷え込んで日中が快晴の日は、宮崎では日中の陽射しが強烈に暑くなる。 ☆二人展10日目。 中弛みだろうか、今日は初日と同じくらい来場者はまばらであった。 缶バッチ、マグネットも少ししか売れなかった。 「MOON DROPSー月の雫」は1冊購入していただいた。 ☆みなさんマスク姿で来られるので、親しい方でも誰だか分からないことが多い。 こちらから”どなたでしたか?”と尋ねたり、向こうから名乗られないと、わからない。 つい最近会った方でも、整いが違うともうわからない。 ☆人気投票のアンケートは、妻も殆どの作品に票が入った。 妻は43点の出品だが、そのほとんどの作品にナンバーワンの票が入ったのだから、妻にとっても制作上の大きな励みになる。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は3名で、宮崎市のクラスター関連の方のみであった。 このまま収まって行ってくれるのだろうか。 2月18日(木) ☆晴天の一日。 今日も冷え込んだが、昨日ほどの厳しさはなし。 ☆二人展9日目。 今日は午前から多くの方々に来場いただいた。 みやざき総合美術展の帰りに立ち寄られる方が多く、時期がずれ込んだのは幸いしたのかもしれない。 ☆今日は作品が私と妻とそれぞれ1点が売れた。 缶バッジとマグネットも順調に売れた。 「MOON DROPSー月の雫」は1冊購入していただいた。 ☆新富町は水沼神社の湖水ヶ池のレンコンが美味しくて有名である。 このレンコンは高鍋藩の秋月種茂公が栽培を奨励したもので、高鍋町の城濠のレンコンと同種である。 そのレンコンを提供しているお店がギャラリーの近くにあるので、ジャズミュージシャンの片貝さんと照沼さんと一緒にお昼に出掛ける。 レンコンづくしのコースを戴く。 もの凄く糸を引くレンコンでヴォリューム満点だった。 ☆二人展に来てくれた後輩の話だと、私が彼女に頼まれて「MOON DROPSー月の雫」を送った友人からメールが届いて、生まれて初めて彫刻の写真を見ながら涙が出て 止まらなかった、ということである。 この本は、多くの方がそういう体験をされている。 ☆宮崎の今日のコロナ感染確認者は2名で、落ち着いてきた。 高鍋からは感染確認者は出なかった。 2月17日(水) ☆晴天の一日。 強風が吹き荒れ、しんしんと底冷える。 山手は雪雲がかかっていたので、山々は雪なのだろう。 ☆二人展8日目。 午前はパラパラだが、午後には多くの方たちに来場していただいた。 ☆今日は作品の売買はなし。 缶バッジ、マグネットは順調に売れる。 「MOON DROPSー月の雫」は2冊購入していただいた。 ☆午後に高鍋町美術館協議会。 二人展会場は丁度多くの方が来られていて、話したい方も居られたのだが、後ろ髪を引かれる思いで高鍋へ戻る。 協議会は1年ぶりである。 3密を避けるために、多目的ホールでお互いの席を大幅に広げてのマイクでの会議であった。 議題は次年度の事業計画についてだったが、次年度はコロナで実施できなかった本年度の事業がそのまま持ち越されるので、すでに協議済みの内容だったので、質疑は無く あっという間に終わった。 教育長の挨拶では、美術館は最も感染リスクの低い施設なので、コロナ禍のなかでも出来るだけ開館するように努めたいと言うことであった。 ☆宮崎のコロナ感染確認者は、高鍋町のクラスター関連の1名のみ。 2月16日(火) ☆晴天の一日。 ☆二人展7日目。 今日から後半の会期となった。 友人の話では、宮崎は後半になってから作品が動き出すというし、ギャラリーのスタッフの話では2週目はあっという間に過ぎると言う。 どちらもそうなのかもしれない。 ☆今日は多彩な、専門的な立場の方たちが多く来場された。 高鍋町美術館の萱嶋館長、青井学芸員。 宮崎大学の後輩の画家たち、佐賀大学の先輩画家。 詩人の南邦和さん、写真家の黒木一明氏など。 そして第1回みやざき総合美術展への行き帰りの方、高鍋町美術館の”秋月鶴山と上杉鷹山展”への行き帰りの方も目立った。 時期的に重なって好かったようだ。 ☆青井学芸員はフェイスブックでこう報告してくれた。 ”高鍋町在住の田中等さんと田中攝さんによる二人展を見に、ギャラリーしんとみに行ってきました(^^)。 ご夫婦でまったく異なる世界観。いつも石彫を手掛ける田中等さんによる版画は、あの静謐な彫刻の背景にある、幻想的なイメージを覗き見るような感覚でした。 奥様の攝さんは、これまで絵画作品を見る機会はありましたが、あらゆる版画技法に挑戦した今回の作品群は初見。 歴史上のアーティストへの敬意を感じます。 個展は、こうして作家さんの近況が知れてワクワクします。これからも、いろんな方の作品を見たいです。” ☆後輩の画家の河野富男君は、絵描きらしく、一目で私の木版画の弱点を見抜いた。 ”色に戸惑っている感じだね” 全くその通りである。 そして昔の葉書絵を高く評価してくれ、さらにスマホの中の葉書絵を始めたころのモノクロの作品を絶賛してくれた。 モノクロの葉書絵を木版画にすることを勧めてくれた。 ☆佐賀大学の大先輩の池田昭圭氏の、ベンガラの話は興味深かった。 池田先輩は、実家の山之口町麓にある400年以上も昔から受け継がれている墓地の戒名が全てベンガラで書かれていることへの興味が原点となり、絵画に赤絵具として ベンガラを使い始めたのだと言う。 私が持田古墳の石棺の内側に塗られたベンガラに触発されて彫刻にベンガラを塗り始めたのと似た体験経緯が、とても興味深かった。 ☆アンケートの人気投票で唯一票の這入っていなかった私の作品があった。 私自身はとても気に入っている作品なのだが、一般の方には感応するには難しいタイプなのかと思っていた。 しかし、カメラマンの黒木一明がその作品に票を入れてくれた。 優れた作家に票を入れていただいたのは、凄い励みになった。 これで完璧に、私の作品はすべてにナンバーワンの票が入った。 ☆今日は妻の絵が2点、私の絵が1点売れた。 缶バッチの売れ行きも順調である。 「MOON DROPSー月の雫」も2冊購入していただいた。 ☆今日の宮崎県のコロナ感染確認者は2名で、高鍋町からの感染確認者は無かった。 2月15日(月) ☆雨上がりの快晴の一日。 気温はぐんぐん上昇してすっかりの春の陽気。 もう木蓮のつぼみも膨らみ始めた。 夕刻からは強風が吹き荒れる。 ☆今日はギャラリーがお休みなので、デスクワークで過ぎる。 「MOON DROPSー月の雫」の販売分が底を尽いたので、保管分から20冊を販売に廻すことにして、サインを入れる。 ☆夕刻までに、自費出版文化賞のエントリーを済ませる。 ☆午後は妻のボーカルレッスンだったが、私は2階のアトリエでデスクワークをする。 ☆今回の妻との二人展も、本の出版も昨年の今ごろにはまったく考えてもいなかったことだった。 コロナ禍による自粛が、私達夫婦にとっては思いもかけない実りをもたらしてくれた。 アトリエで観ていた限りでの妻の絵は、とても個展の出来るようなレベルのものとは思えなかった。 しかし、今回の二人展の反応は、意外や妻の絵は技術を越えた魅力を持っていることに気付かされた。 充分に妻の個展は開催できる。 そして妻のアイデアで実施している作品の人気投票は、私にとって思いもかけない成果をもたらしている。 私の作品には、殆どの作品に一番人気の票が這入っている。 つまりどの作品にも一番人気の評が這入っているということは、私の作品はどの作品も一般の方たちに受け入れられるということを実証してくれた。 このことは、私の表現したい作品世界をかならず受け入れてくれる人がいると言うことになり、これは作家にとってはかけがえのない支えとなる。 人に受け入れてもらえそうな作品を考えずとも、自分の信念に従った作品を制作して行けば、かならず受け入れてくれる人がいると言うことである。 妻の提案したこのアンケートのアイデアは、当初は何とバカなことをと思ったが、そうではなかった。 妻としては、観に来られた方が作品への感想を口では上手く表現できない方たちのために、その気持ちを表現できる手段としてのアンケート投票を考えたのだと言う。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は3名で、そのうちの2名がたかなべ町内のクラスター関連であった。 クラスター以外に感染者が拡がっていないのは幸いである。 2月14日(日) ☆今日も一日雨。 午後は再び本格的に降る。 ☆二人展6日目。 あいにくの雨だったが、日曜日なのでこれまででは最も多くの来客者であった。 今朝の宮崎日日新聞地域統合版のトップ記事に、二人展の記事が掲載された。 なかなかよくまとめられている記事であった。 今日は新聞記事を見て来られた方が多かったし、新聞記事を見て作品を購入に来られた方々など、その記事の影響は大きかった。 ☆結果的に、今日は作品が良く売れた。 私の作品が3点、妻の作品が5点売れた。 近年は空港展での作品売買が激減して来ているので、私の作品が売れたのは何年ぶりなのだろう。 妻の作品がよく売れるのは妻の知人たちが買ってくれるばかりではなく、半数は私の知人友人たちが私の作品ではなく妻の作品を購入している。 妻の作品が人々を魅了すると言うことを今回初めて知った。 今回の二人展での最も大きな成果ではないのだろうか。 ☆アンケートの人気投票では、私の作品への人気度は後半から葉書き絵が大きな割合を占めて来た。 そしてとうとう今日は葉書き絵が売れた。 35年以上前に毎日描いていた葉書絵がこうして注目されていくことはすごく嬉しい。 あの毎日の葉書絵が今の私に繋がっているからである。 ☆「MOON DROPSー月の雫」も良く売れた。 我が家での在庫は、もう3冊のみになってしまった。 委託販売をお願いしている分などを回収しても9冊しかない。 二人展はまだ1週間ある。 明らかにたちまち底を尽くのが目に見えているので、保管分から切り崩してギャラリーで販売しなければならない。 ☆今日で二人展の前半が終了した。 作品や缶バッチ、そして私の本が想定外に売れた。 知人の話だと、宮崎では展覧会をすると、後半になってから売れるのだそうだ。 空港展でも最終日にバタバタ売れることが多かった。 私たちの二人展も後半に更に勢いがつくのだろうか。 ☆宮崎のコロナ感染確認者は、今日は宮崎市のクラスター関連の8人のみであった。 2月13日(土) ☆いちにち雨。 午後からは雨脚が強まり、久しぶりの本格的な雨となった。 日南線は大雨で運休になった。 ☆二人展5日目。 雨模様なので来客の足が鈍るのではと案じたが、午前はパラパラだったが午後からは大勢の来場者で賑わった。 午後には伊藤一彦先生ご夫妻が娘さんの愛さんと一緒に来られた。 その直前には「MOON DROPSー月の雫」の編集者の水元さんと大好評の表紙デザイナーの榊さんも見えられていたので、期せずして「MOON DROPSー月の雫」の関係者 が一堂に会することになった。 もうこういう機会は2度と無いと思うので、記念写真を撮る。 そして2度とない機会なので、私と水元さん榊さんのために、ギャラリーで販売している私のサインをしてある本に、伊藤先生のサインを入れていただく。 ☆その場に居合わせた書道家の石井美佐子さんが、彼女も高鍋高校時代に伊藤先生の”錨短歌会”で私たちと一緒に活動していたことを知った。 校舎の屋上で錨短歌会のみんなで写真を撮ったことがあり、彼女はその写真をまだ持っていると言うことであった。 そんなことがあったのは、伊藤先生も私にも記憶が無かった。 ☆伊藤先生の奥さんも木版画をやられていたので、技法的なお話を交わす。 実は奥さんが版画を始める時に私に指導をお願いされたのだが、私は何も知らなかったので版画家の黒木郁朝氏を紹介したことがある。 それから伊藤先生からの年賀状は、奥さんの刷られた花の木版画であった。 今は腕を痛めて制作を止めておられると言うことだが、花だけではなく私のような抽象作品を制作してみたい思いは抱かれているようだ。 ☆妻の作品が今日も2点売れた。 妻の作品がよく売れると言うことが分かったが、彼女の友人達がみな教職関係者なので経済的な余裕があるからなのだろう。 私の友人にはそういう余力のある人物は皆無である。 ☆アンケートでは、私の作品への人気はやはり難解なドライポイントに集中する。 知人の方が、何故そうなのかをとくとくと説明して下さった。 何か良くわからないので、平明な他の木版画よりも、その不思議さにたまらなく魅かれるのだと言うことであった。 ☆「MOON DROPSー月の雫」も残り10冊となってしまった。 数日内に販売用の本は完売する。 伊藤先生は、本はまだこれからも売れるよと言われる。 ☆今日は缶バッチもマグネットも飛ぶように売れた。 まもなく発注した費用は回収できる。 ☆朝一に、宮崎彫刻グループの田村と山田が来てくれたが、やはり今回の第1回みやざき総合美術展の彫刻部門には、宮崎彫刻グループのメンバーは誰も出品しなかった ということである。 ☆EMSが戻って来たマレーシアのSooからの返事では、ギャラリーのあるペナン島のアルメニア通りはコロナ感染で閉鎖され、ギャラリーは他の場所に移転したのだと 言う。 ☆今日の宮崎コロナ感染確認者は再び二桁台に戻った。 13名の感染確認者で、高鍋からは1名、クラスター関連者の方が感染確認された。 2月12日(金) ☆いちにち曇天。 夜になって雨が降り始める。 天候は下り坂。 ☆二人展4日目。 午前はパラパラの来客だったが、午後は高校同窓生たちや後輩たちでにぎわった。 ☆今日も妻の作品が売れた。 妻の作品は物語性があるので親しみやすいのだろう。 人気投票のアンケートでは、私の作品はいよいよ難解なはずのドライポイント作品が票を伸ばして行くし、昨年夏に木版画を始めたころの玄人受けのはずの分かり易くは無い 木版画が票を延ばしている。 刷りの技術の上達した柔らかい雰囲気の最近の作品よりも、木版画制作始めのころの作品の方がインパクトが有るのだろう。 ☆結構、テレビの”わけもん!!”を観られた方が多く、「MOON DROPSー月の雫」を買って行かれる。 考えてみれば、新富町は高鍋高校の先輩後輩たちばかりなのだ。 手売り分の在庫がもう10数冊になってしまった。 この勢いだと、二人展の会期中に売り切れてしまいそうである。 それで出版社に在庫の有無を確認する。 ☆海外にEMSで送っていた「MOON DROPSー月の雫」が返ってきた。 マレーシアのお世話になっているギャラリーに送ったのだが、転居先不明となっている。 ギャラリーを閉めたのだろうか。 ☆今日は宮崎ではコロナ感染確認者は出なかった。 頼みの明日からの土、日。 このまま維持して欲しい。 2月11日(祝・木) ☆いちにち曇天。 天気予報では晴れで、春のような陽気と言うことだったが、晴れ間は出ず、底冷える。 ☆二人展、3日目。 祝日だったので、一日中来客が絶えなかった。 遠くは延岡市から高校の同級生が来てくれた。 高校卒業以来だから50数年ぶりだろうか。 ☆妻の作品が1点売れたし、缶バッチとマグネットもかなり売れた。 ☆「MOON DROPSー月の雫」も4冊購入して頂いた。 ネットではもう出版社に在庫が無くて買えないようだ。 ☆アンケートの人気投票の結果は、私の作品への人気度はいよいよ木版画ではなく、数合わせで出品したドライポイントの2点に集中してきた。 想定外の展開で面白いものである。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は5名で、うち2名が高鍋町のクラスター関連だった。 2月10日(水) ☆昨日より少しは寒さが緩む。 陽射しの暖かい気持の好い気候。 ☆二人展2日目。 妻は午前は勤務だったので、午後から顔を出す。 今日は午前午後共に親しい方たちが来ていただき、長い時間を滞在していただいた。 3密までにはならないほどの好い感じである。 ☆私の版画を公開するのは今回が初めてである。 彫刻家の私しか知らない方たちばかりなので、驚きも大きいようだ。 妻の版画も初めての公開なので、やはり妻の作品の多さに妻と親しい方たちでも驚かれていた。 ☆私と妻の作品が1点ずつ売れた。 マグネットの売れ行きも良いので、朝のうちに追加発注をした。 「MOON DROPSー月の雫」も2冊購入していただいた。 ☆今日も来場された方全員にアンケートを書いていただいた。 好きな作品を選んでいただくと、長い時間をかけて作品をじっくり見てもらえる。 そして私の作品は、やはり最新作よりも初期の作品にまんべんなく票が入った。 最初の作品の方が、作品としてのインパクトが強いようだ。 嬉しい誤算であった。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は15人と、再び2桁台に戻った。 しかもそのうち14名が、高鍋町でのクラスター関連の感染確認者である。 まだ高鍋町では感染がまったく収まっていない。 幸いにも、今のところはクラスター関連以外には拡がっていない。 2月9日(火) ☆快晴の一日。 陽射しは強かったが、空気がとても冷たく、冷えこんだ。 ギャラリーも換気のためにドアが開放してあるので、午後からはしんしんと冷え込んでくる。 ☆二人展初日。 スペース的に余裕があったので「MOON DROPS」の大理石作品を2点搬入する。 しかし室内では、作品の鑑賞中に後ずさりして彫刻作品を押し倒す危険性があるので、ショーウインドウの中に展示する。 そうしたらギャラリーの雰囲気が都会的になっていい感じになった。 考えてみたら、宮崎にはこういうショーウインドウのある画廊は何処にもない。 ☆午前に宮崎ケーブルテレビの取材。 放送は明日で、マックン情報局という番組の中のジモ通というコーナーで放送予定。 ☆妹たちと石井記念友愛社の児嶋理事長から供花が届く。 ☆初日はあまり来客はないのではと思ったが、大学の先輩たちや高校同級生など、午前中はまずまずの来客で賑わった。 午後はわずかであった。 ☆「MOON DROPSー月の雫」を2冊購入していただいた。 缶バッチはマグネットタイプの売れ行きが良い。 ☆アンケートは、来場されたほぼ全員の方が投函していただいた。 その人気作品のアンケートを見て、私の作品への印象度が私の予想と全く違っていたことに驚いた。 妻の作品への印象度はほぼ妥当だったが、私の作品は自信のあった最新作にはまったく票が入らず、新作と入れ替え換えようと思っていた初期の刷りの好くない玄人 向きの作品が好まれているのである。 しかしそのことは逆に私に勇気のようなものを与えてくれた。 来場者からの人気得票を得た作品の大半が、一般の素人の人には理解してもらえないだろうと思っていた作品ばかりであったことは、あまりそういう他人からの評価を 気にしなくても、作品は正当に受け入れてもらえるということである。 最終的な投票結果が楽しみになってきた。 ☆今日は高鍋町長選挙の告示日だったが、現職の黒木町長以外に立候補が無く、無投票当選となった。 ☆宮崎のコロナ感染確認者は再び8人となり、高鍋町は一挙に5人の感染確認者が出た。 しかもクラスター関係は2名で、他の3人は感染経路がまだわからないようだ。 高鍋町民にも一気に不安が広がり、自粛明けから活動再開の予定だった妻の所属するサークルは、夜に2月中の活動は休止との連絡が廻ってきた。 やっと再開できた飲食店の皆さんにも大きな不安が拡がっただろう。 2月8日(月) ☆晴天の暖かい一日。 野山を走ると、もう樹花が一斉に開き始めている。 ☆午前4時半過ぎに起きて、昨夜出来なかった二人展の準備作業。 ☆午前10時より二人展の搬入展示作業。 ギャラリーのスタッフの方々が4名総出で手伝っていただいたので、昼までにはおよその展示は終った。 午後には残りの作業を終えて、午後2時前までには作業は終了。 私の作品が26点、妻の作品が43点、それに缶バッジやマグネットを並べる。 私にとっては初めての平面作品での展覧会、妻にしても初めての版画展、更に妻との二人展も初めてである。 どうなることかと不安の方が大きかったが、思ったよりも好い展覧会会場になった。 コロナで当初の会期よりおよそ一カ月も延びてしまったが、その分新作が追加出来たし、刷り直しもできたので良かったと思う。 ☆展示作業を終えて、宮崎日日新聞新富支局の取材。 ☆3時過ぎには帰宅。 「宮崎この人」のDVDを送り、二人展のまだ残っている作業を片付ける。 ☆宮崎のコロナ感染確認者は、今日は85日ぶりにゼロとなった。 しばらくはこのまま落ちついてくれると、自粛生活が長く、外出を控えていた方たちがギャラリーへ足を運んで下さるようになると嬉しい。 しかし、今後は変異種の拡大によってまた第4波が来ることだろう。 2月7日(日) ☆快晴の一日。 気温はぐんぐん上昇して春の陽気。 あちこちで梅の花が満開となっている。 ☆今朝の宮崎日日新聞を開いていた妻が、あなたの秋月種茂公の銅像が大きく載っているよ!と言う。 見ると、今回出版された童門冬二の「小説 秋月鶴山」の全面広告で、私の制作した秋月鶴山(種茂)像が大きく掲載されていて、ビックリした。 どうやら、高鍋町か高鍋町観光協会の出した広告のようだ。 ☆明日搬入の二人展の準備でバタバタと過ぎる。 今朝になって、妻が展示作品の中から来場者に人気投票をしてもらい、私と妻の最も人気の高かった作品をお礼の葉書きの絵に使いたい、と提案してきた。 同時に、アンケートに投票してもらった人たちから抽選で、版画作品のミニ額をプレゼントしたい、と。 妻の提案を整理して、人気作品へのアンケートとミニ額への希望とは別にし、1枚のアンケート用紙に2つの投票をしてもらうことにした。 おかげで、今日はそのミニ額の制作とアンケート用紙の作成で費やしてしまった。 ミニ額はそれぞれ3点をプリントアウトして、直筆サインを入れる。 ☆午後は妻のボーカルレッスンだったが、私はレッスンの傍らで、これらの準備作業をする。 ☆私の作品一覧に新作を加えて整理をし、キャプションの追加を作成。 そしてようやく作品価格を決める。 ☆他にも準備する作業が多々あって、宮崎現代彫刻展や空港展の事務局をやっていた時の多忙さを思い出した。 結局、新作の追加制作は出来なかった。 ☆夜に伊藤先生から電話。 届いた「宮崎この人」のDVDを観られて感激されたと言う報告。 先生がボーイスカウト活動をされていたことをお伺いすると、中学時代に1年半くらい活動されていたということ。 しかし霧島山に登ったりの野外活動に、心配性のお母さんから活動を断念させられたということ。 ☆今日の宮崎県のコロナ感染確認者は昨日に続いて2名のみ。 高鍋町はクラスター関連の感染者が続いているが、宮崎県全体では終息に向かいつつある。 2月6日(土) ☆夜中から雨。 雨は朝のうちには止むが、夕刻までは曇天。 夕刻からは天候は回復してくる。 ☆午前は、昨日に途中まで刷っていた版画の刷りの作業の続き。 当初イメージしていた配色とは違った作品になったが悪い作品ではないので、二人展に出品予定だった昨夏に制作した作品と入れ替える。 もう1点、新作を作って入れ替えたいのだが、今日中にはプランはまとまらず。 ☆午後は二人展会場用のポスターを作成。 ☆「伊藤一彦が聞く 牧水賞歌人の世界」を読んでいたら、小島ゆかり氏との対談の中で、伊藤先生が中学時代にボーイスカウトに這入って活動していたとい記述があり、 驚いた。 伊藤先生とボーイスカウトというのが、まったくイメージできない。 私も小学五年から高校時代までボーイスカウト活動をしていた。 ひょっとして当時、ボースカウト大会で伊藤先生と会っているのではないかと思ったが、伊藤先生とは6歳違いなので、私が小学5年でボーイスカウトに這入った時には、 伊藤先生はもう大宮高校の1年生なので、接点はない。 今回の「宮崎この人」の中で、私は人生の中での幾つかの大きな転機の一つとしてボーイスカウト活動について語っている。 東京オリンピックの時の、宮崎市の平和台公園での聖火番等の写真もDVDに納められている。 森川さんが昨日、伊藤先生に「宮崎この人」を届けられたということだが、伊藤先生もDVDを観られて”あれあれ”とビックリされていることだろう。 ☆宮崎県のコロナ感染確認者は今日は2人で、3日連続での一桁台であった。 1人は高鍋町のクラスター関連だが、宮崎市は感染確認者が59日ぶりのゼロであった。 このまま収まってくれれば、来週からは緊急宣言も解除され、梅の季節に誘われて私たちの二人展への来場者も平常の状態になってくれるのではないのだろうか。 2月5日(金) ☆概ね晴天。 陽射しは強く、上衣を着ての外出は暑いほど。 午後からは雲が多くなり、天候は下り坂。 ☆来週からは二人展で会場に詰めなければならないので、今日のうちに幾つかのことを片付ける。 午前に「宮崎この人」のDVDと、「MOON DROPSー月の雫」2冊をレターパックで送る。 「MOON DROPSー月の雫」は残部が20冊余なので、二人展の会期中にはほぼ売り切れてしまうのではないのだろうか。 ☆午後は宮崎日日新聞高鍋支局へ、献本分の「MOON DROPSー月の雫」と、愛媛・西条市に行った時に分かった高鍋藩と西条・小松藩が親戚で、高鍋藩から嫁いでいった 御姫様の載った駕籠が西条市の吉祥寺に保管されている資料を再度届ける。 この吉祥寺の資料は、私が西条市から帰って来た時にお渡ししているのだが、私がその後からずっと海外制作で不在したので、連絡が取れないままであったものである。 高鍋藩の御姫様の駕籠が西条市にあるなんて、高鍋町民は誰も知らないことである。 是非、新聞で取り上げていただきたい。 この1年間は、コロナ発生に因り、県内地域版が大幅に紙面縮小になってしまったので、掲載するスペースが無いだろうと思って様子を見ていた。 だが10日後には高鍋町美術館で”秋月鶴山と上杉鷹山”展が始まるので、何かの資料になればと思う。 ☆夕刻には、高鍋町役場へ出掛けて黒木・高鍋町長に「宮崎この人」のDVDをお渡しする。 ☆午後はその合間に、昨日版木を彫った新作の木版画の刷り。 半分までしか進まず。 ☆午前に、DVDを送るクッション封筒を購入するのに、移転新装開店したダイソーへ出掛けた。 開店が今日だったのだろうか、駐車場は満杯で、店内ももの凄い人で、品物を捜すのもままならない。 そしてレジには長蛇の列であった。 午後にも、調達するものがあって再度出掛けたが、午後も相変わらずの混雑だった。 そう言えば、店内は完全に”密”状態で、レジもスーパー等には明示されている間隔を開けて並ぶような指示も一切なかった。 みんな、緊急宣言の解除が目前で気が緩んでしまっている。 ☆今日の宮崎県のコロナ感染確認者は6人で、ようやく2日続けて一桁台となった。 このうち高鍋町はクラスター関連の2名であった。 緊急宣言解除後のぶり返しがこないことを望みたい。 2月4日(木) ☆時々雲が出るが、概ね快晴に近い冬晴れ。 陽射しは強いが、午後からは強風が吹き荒れる。 ☆午後から新作の版画のプランを考えて、制作に掛かる。 夕刻までに版木の彫りを終える。 ☆今日の宮崎県のコロナ感染確認者は7人と一桁台になった。 そのうち高鍋町がクラスター関連の3名であった。 これ以上は拡がらない観測なのだろうか、高鍋町美術館は閉鎖の気配はない。 そして宮崎県の緊急事態宣言も、知事の談話では延長にはならないようである。 休業中の飲食店の方たちにとっては死活問題なので、是非7日で解除になってほしい。 解除になれば、私たちも二人展への来場呼びかけが後ろめたさなくできる。 2月3日(水) ☆快晴。 陽射しは強いが空気が冷たく、冷え込む。 ☆木版画の刷直し。 かなりコンスタントに、均一な仕上がりで刷れるようになった。 しかし刷上りを見てみると、昨夏に木版画を始めたころに刷ったもののほうが断然に味がある。 難しいものだ。 ☆午前に、森川さんが「宮崎この人」の追加DVDを10枚届けて下さった。 それでラインで欲しいと連絡のあった方たちに送る。 DVDは、今日から宮崎県立図書館では「宮崎この人」コーナーで閲覧できるようになった。 県立図書館の場合は、2週間の貸し出しで自宅で鑑賞できると言うこと。 国立国会図書館では、別室で係りの方がDVDをセットした指定のモニターで視聴できる、ということ。 ☆今日も「MOON DROOPSー月の雫」が4冊売れた。 上手くすれば、二人展の間に完売近くまで行くのではないのだろうか。 ☆午後に妻と歩いて1分の労金へ行って、二人展用の口座を開設した。 私は先に帰宅したのだが、窓口の女性が”ご主人は「わけもん!!」に出ておられませんでした?”と妻に尋ねられたということ。 それで妻も、番組の中で紹介されていた版画展のために新しく口座を開設する旨伝えると、手続きもスムーズに運んだということ。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は13名で、そのうちの6名が高鍋町の方であった。 昨日の高鍋町内での感染確認者が町内の保育園関係の方だったので、クラスターになるのではと案じていたら、やはりクラスターと認定された。 高鍋町内でのクラスター認定は2例目である。 これでは県の緊急事態宣言は延長になるのではと思ったが、どうやら県は延長しない方向で検討しているようだ。 そうであれば、私たちの二人展への来場者が通常に近い状態で見込めることになる。 2月2日(火) ☆夜中から雨。 雨は夜明け前には上がり、日中は快晴。 気温がぐんぐん上昇し、ぽかぽかうららかな春の陽気となった。 外に出るのにも上着は不要で、Tシャツ姿が目立った。 ☆火砕流の夢を見る。 そういえば、最近山に登っていて、突然火砕流に追われる夢をよく見る。 気になって、ネットで夢判断を調べてみる。 <山が噴火して溶岩や火砕流に追われる夢は・・・助けを求めてくる人が増え、吉となる> ”山は目標や夢といった願いの他に、本来は神域の象徴であり、神からの啓示とされることもあります。 また火砕流や溶岩流は救いを求める人々を指し示します。 夢判断や夢占い的には、山が噴火して溶岩流・火砕流に追われる夢というのは多くの人が助けを求めてあなた自身のもとにやって来る前兆であることを意味しています。 「情けは人の為ならず」これは最大のチャンスです。 できることであれば何でもしてあげましょう。 それによって人間関係やビジネス、恋愛や家庭、巡り巡って収入にまで良い影響が舞い込んでくるでしょう。 ” どうやら悪い夢ではないようだ。 ☆昼前に高鍋町美術館へ、昨日届いた二人展の新しいDMを持って行く。 そして青井学芸員と色々歓談。 実は読売新聞の福岡支局の文化部から、支局がシリーズで掲載している廃藩置県の特集記事の中で高鍋藩をとりあげる際に、私が制作した上杉鷹山像の画像掲載の 問い合わせが来ているとのこと。 読売新聞の福岡支局文化部と言えば、以前に大変お世話になった秋山敬氏の消息が気になっていたので問い合わせて貰っていた。 存命なら「MOON DROPS―月の雫」を献本したかったのであるが、残念ながら2009年にすでに亡くなられてしまっていた。 その秋山敬氏が画家・平野遼の評伝を出版されていることを青井学芸員に伝えたら、是非読みたいと言うことなのでその本も届ける。 また青井学芸員は「宮崎この人」の企画のことも良くご存知で、資料探しのために県立図書館で閲覧するなど活用されていると言うことである。 そして某画家の件で、青井学芸員は”森川”さんという方とメールでやりとりをしていることが分かり、まだ会ったことのない”森川”さんが「宮崎この人」制作の森川さんと 同一人物らしいと分かり、世の中狭いと言う話になった。 更に今回の第1回みやざき総合美術展の話など。 ☆午後に、昨日訪れた日向市の金子メガネと江川春枝ギャラリーに二人展開催の申し込みをする。 江川春枝ギャラリーでは、5月の連休明けの5月11日から16日まで。 金子メガネでは6月の一月間。 ☆今日の宮崎県のコロナ感染確認者は17人で、今日も高鍋町から1名の感染確認者が出た。 国は緊急事態宣言を来月7日まで延長することを決定したが、宮崎県も県独自の緊急事態宣言を延長するかどうかは明後日に判断するということ。 感染状況は沈静化はして来ているが、連日のようにクラスターが発生しているので、予断はできない。 高鍋町美術館も、高鍋町ではコロナ感染者が出ていないと言う状況で美術館を開館しているけれど、高鍋町から感染者が確認され始めたので、連日、開館の継続か 閉鎖かの判断を迫られている状況だと言う。 宮崎県の緊急事態宣言が延長されても、”ギャラリーしんとみ”が閉鎖されない限りは、私たちの二人展は開催する。 ☆今日は節分。 何時までも貧乏神の私は、今年も妻に豆をぶつけられる。 2月1日(月) ☆快晴の一日。 風が出たが、気温が高く冷え込みは無し。 夕刻から雲が出る。 ☆今朝は血圧が異常に高く、頭も重い。 日中は吐き気もして来た。 しかし夕刻には鼻声になって鼻水も出て来たので、風邪のようだ。 熱はなし。 ☆午前に日向市へ。 義姉が本を3冊売ってくれたので届ける。 そこから金子メガネへ。 二人展を妻の出身地の日向市でも開催したいので、正月の年始挨拶の時に義姉宅でそういう話をしたら、金子メガネに無料のギャラリーがあると教えてもらった。 その時に下見に行ったのだが、正月休みで、ショウウインドウから見た感じでは、展示スペースが狭くて使い物にならない感じだった。 しかし、せっかく紹介してもらったので、実際にお店の方と打ち合わせをしてみたいと思った。 店に這入って見ると、思ったより広くて、使えそうだと分かった。 貸し出しは一カ月単位で無料だと言う。 アマチュアの発表の場として重宝されているらしく、私の知人も何人か利用していた。 そうしたら、女性の店員さんが、”「わけもん!!」に出ておられましたよね”と声をかけてくれた。 番組の内容(本の内容)もよく覚えておられて、番組内で妻と版画の展示会をしたいということも紹介されていたので、展示の内容も説明する必要が無かった。 明るい感じの好い印象だった。 ☆そこからロックタウンへ向かって、木版画の水彩絵の具の調達などして、近くの”江川春枝ギャラリー”へ。 日向市内ではギャラリーはこの”江川春枝ギャラリー”しか無く、先日一度下見に来たのだが、閉まっていてオーナーとも連絡が取れなかった。 今日はあらかじめ連絡を取って出かけた。 ギャラリーへ這入ってみると、私の想像していたサロン的な雰囲気ではなく、本格的なギャラリーだった。 ギャラリーを作られるときに、設計士と一緒に高鍋町美術館へ行かれて構造を勉強されたのだと言う。 宮崎県内に、いまどきこんな本格的なギャラリーは無いと思う。 広いので、彫刻も充分に展示できる。 私の名刺をお渡しすると、直ぐにグリーンパークの私の作品を想い出して下さった。 ☆帰宅すると、妻は帰路の車中でずっと考えていたらしく、金子メガネと江川春枝ギャラリーの両方で展示会をしよう、と言う。 江川春枝ギャラリーと金子メガネでは、展示内容を変化させてやりたいと言う。 妻は決断が早いので、こうしたい、と口にした時にはもう決めてしまっている。 ☆会期日程等を変更して注文していた二人展のDMが届いた。 しかし注文したあとにさらに1週間の先延ばしをしたので、夕刻は2月9日開始の日付変更シールを貼る。 ☆現在唯一、招待が確定している海外シンポジウムは、昨年5月の開催予定が今年に延期になったオーストラリアのシンポジウムだけである。 ところがその開催地であるパースが、コロナ変異種の封鎖のために今日からロックダウン(都市封鎖)に這入ったと言うニュースが流れた。 やはり今年いっぱいは海外での活動は無理だな、と思っていたら、案の定、夜になってオルガナイザーからシンポジウムが来年4月に延期になったと言う連絡が入った。 状況は完全に理解できるので、その旨を返信する。 ☆そのコロナ感染は、今日の宮崎は12名の感染確認者で、そのうちの2名は高鍋町ある。 今の様子では、宮崎県も緊急事態宣言がさらに3月くらいまでは延期になるのではと推測される方もおられる。 そうなると、”ギャラリーしんとみ”は私たちの二人展以降は年内は全てスケジュールが詰まっているので、もう延期は出来ない。 ギャラリーが閉鎖にならない限りは、自粛要請が続いても、開催するよりない。 1月31日(日) ☆快晴の一日。 気温は高め。 ☆午前に、ラインで二人展の会期をDM画像(期日修正済み)添付で案内する。 ☆午後は、刷り直しの木版画の版木の深彫りと、刷りの作業。 ☆午後に”宮崎この人”の森川さんが、完成したDVDを持って来られた。 DVDはすでに宮崎県立図書館、国立国会図書館東京本館、国立国会図書館関西館に収蔵されているとのこと。 2週間後くらいには、各図書館の閲覧室で観ることが出来るようだ。 ☆三兄の分とクーパーの分もいただいたので、三兄に届ける。 夜にDVDを観た兄からラインが入り、DVD自体は大変素晴らしいが、私の記憶違いの箇所を指摘された。 私の幼少時代からの流れはおおよそは整理していたのだが、収録時にはその資料は見ないで話さなければならなかったので、幾つかの記憶違いがある。 また三兄は、森川さんとは県の芸術文化協会でいつもお会いしている間柄だと言う。 ☆私も夕食を摂りながら、妻と完成したDVDを観る。 私が喋っている映像を妻と一緒に見るのは相互に気恥ずかしい。 妻も私の顏の染みやバックの気になることなどばかりを指摘していた。 しかし、我ながらアメリカ・ブルーヒルの作品は素晴らしい作品だなとあらためて感じたし、妻もこの作品をグッズにしたらと言う。 ☆ラインでも”宮崎この人”の案内をしたら、欲しいと言う方が結構居られた。 この”宮崎この人”の企画は全くのボランティア活動で、森川さんの収入はこのDVDの売り上げだけだということである。 一般には市販されていないので、森川さんにお願いして複製してもらおう。 ☆今日の宮崎日日新聞には、第1回みやざき総合美術展の書道部門の審査結果が掲載されていて、驚くことがあった。 「MOON DROPS―月の雫」の中封筒に貼った木版画には、私の名前の朱印が押してある。 この印は、仕事でお世話になった方が書道家で、彼が篆刻して作ってくれたものである。 その彼が書道部門で特選を受賞している。 更に、本の出版祝に金一封をいただきお祝いの電話までいただいた長男の小学1年のときの担任の先生が、書道部門で奨励賞を受賞されている。 私の「MOON DROPSー月の雫」は、関わった方たちに幸運をもたらしているのではないのか。 やはり、この本は何か良いエネルギーを出しているに違いない。 ☆宮崎の今日のコロナ感染確認者は11名で、とうとう高鍋町からも感染者が出てしまった。 高鍋町を取り巻く全ての町で感染者が出ているし、高鍋町は宮崎市のベッドタウンであり児湯郡の中心地なので人の出入りは激しく、いずれ感染者が出るのは目に 見えていた。 第2波の時のように拡大しないことを祈るのみ、である。 1月30日(土) ☆快晴の一日。 陽射しは強かったが、今日も底冷える。 ☆うっかりしていたが、このHPトップページのカウントが200,000を超えていた。 一昨日辺りに200,000をヒットしたようだ。 ☆今朝の宮崎日日新聞に、第1回みやざき総合美術展の彫刻部門他の審査結果が掲載されていた。 第1回の彫刻部門の審査員は、都城出身で宮崎国際現代彫刻・空港展の出品メンバーでもある保田井智之氏である。 この日記にも書いたが、これまでの宮日総合美術展と県美展では、審査の公平性を保つと言う観点から、宮崎県出身者の審査員は選べなかった。 私も宮日総合美術展の企画委員をしている時に、保田井氏を何度か推薦したが却下されてきた。 新しいみやざき総合美術展ではそのルールが撤廃されたのだろう。 実際、審査員を選ぼうとすると、もはや宮崎国際現代彫刻・空港展の出品者仲間くらいしか居ないのである。 昨年の最後の県美展の彫刻部門審査員も、日向現代彫刻展、宮崎国際現代彫刻・空港展の出品仲間で友人の岩間弘氏であった。 審査結果を観てみると、大賞の作家は全く聞いたことも無い49歳の人である。 そして、肝心のベテラン作家たちの宮崎彫刻グループのメンバーの名前はない。 新しい総合美術展では、こうしたベテランの彫刻仲間たちが出品しなくなった現状をどう打破してくれるのか、ということが最大の焦点だったのだが、見事にそれは 裏切られているようだ。 詳しくは、実際に開催された会場を観て述べたい。 ☆高鍋町美術館で高鍋町美術協会展が始まったので、会員の三兄に二人展のDMを渡して美術館の受付に置いてもらっていた。 直後に会期を1週間先に延ばしたので、日付けを修正したDMに入れ替える必要があり、午後に妻と高鍋町美術館に出掛けた。 そうしたら、不用不急の外出自粛期間なので美術館には誰も来ないだろうと思っていたのに、ひっきりなしに人の出入りがあり、しかも預けたDMはすでに無くなっていた。 ☆何人かの知人にも会い、皆さんはテレビの”わけもん!!”を観たりして、書店へ走って「MOON DROPS―月の雫」を買っておられた。 ラジオのサンデーラジオ大学を録音してくれている人も居た。 有り難いことだ。 そして、中には当初の二人展の会期に合わせて”ギャラリーしんとみ”に足を運んでくださっていた方も居られた。 ☆高鍋町美術館では、2月13日から28日まで”秋月鶴山と上杉鷹山展”が開催される。 これは、作家の堂門冬二氏が執筆した小説、『秋月鶴山 上杉鷹山がもっとも尊敬した兄』の出版を記念して開催されるものである。 そのリーフレットが今日から広報されたが、リーフレットに使用されている秋月種茂(鶴山)公と上杉鷹山公の胸像は私の制作したものである。 つまり、二人展の会期が2月9日から21日までの開催になったことで、二人展の前半がこの高鍋町美術館の”秋月鶴山と上杉鷹山”展と重なることになった。 それで高鍋町美術館に二人展のDMを置いておけば、秋月鶴山公と上杉鷹山公の胸像の制作者である私とのリンクが広報でき、美術館からギャラリーへ足を運んでいただく 方もあるだろう。 はからずも、グッドタイミングとなった。 ☆日中は木版画の刷り。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者は4名と極めて少なかった。 このまま収まって欲しい。 1月29日(金) ☆快晴の一日。 底冷えて極寒の一日。 ☆昨夜にパソコンが起動しなくなったので、どう対応しようかと夜中じゅう悶々と過ごした。 朝起きてパソコンのスイッチを入れても症状は同じで、Windowsが起動しない。 朝食の準備の間、そのままに放っておいた。 ところが朝食を摂ろうとテーブルに就いた途端に、Windowsが起動した。 正常に起動するまでには時間がかかったが、ほぼ問題なく復活した。 ☆それで、午前はパソコンの中のデータを外付けHDDに移動したり、コピーしたりの作業をする。 HDDのなかのデータもバラバラだったので、整理をする。 ☆午後は版画の刷りと、追加して刷り直しをする版木の深彫り作業。 ☆宮崎県のコロナ感染確認者は14人。 このまま落ちついて欲しい。 1月28日(木) ☆時々雲は出るものの、概ね快晴の陽射しの強い暖かい一日。 夕刻からは急激に冷え込んで、真冬の寒風が吹き荒れる。 ☆版画の刷り直し。 かなり均一に刷れるようになった。 新鳥の子紙は、湿り気のあるうちに圧をかけて延ばそうとして、水分の吸収が良いだろうと厚めの段ボールに挟んでやってみたら、段ボールの波がそのまま出てしまった。 やはり薄手の段ボールかボール紙でないと使えない。 ☆午後に”ギャラリーしんとみ”と連絡が取れて、やはり二人展の開始を自粛明けの2月9日からに変更してもらった。 ギャラリーとしては、職員の勤務確保などの問題があって閉める訳にはいかないので、お客が来なくても作品だけでもお借りしたいという気持ちがあったようだ。 しかしそれはなんとか他の展示でしのぐので、会期変更は問題ないと言うことであった。 会期始まりが1週間伸びたので、私も出来るだけ初期の作品の刷り直しをしておきたい。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 新曲の私のハーモニカパートの楽譜がまだ出来ていないので、私は版画の刷り作業に没頭。 講師の片貝さんも自粛で、ライブや夜のお店での演奏の仕事は全く無くなってしまった。 今はこうして生徒さんへのレッスンしか仕事がないということである。 ☆夜に突然、パソコンが起動しなくなった。 何度再起動させてもWindowsが起動しない。 昨年に妻のパソコンが起動しなくなって買い替えた時と同じ症状だ。 二人展のデータはすべて私のパソコンに這入っているし、困ったことになった。 今の無収入生活では、中古であれパソコンを買い替えることは不可能だ。 ☆今日も宮崎県のコロナ感染者は17名であった。 1月27日(水) ☆朝のうちは曇天。 直に雲は切れて、陽射しの強い暖かい一日となる。 ☆少し調べることがあって「MOON DROPS―月の雫」を開き、そのまま再度、隅から隅まで目を通してみた。 伊藤先生の歌が、読み返すたびに、これまで気付かなかった世界が広がって深まって来る。 いまさらながら、ああこういうことだったのか、と伊藤先生の言葉の宇宙の深さに感じ入ってしまう。 素晴らしい歌を詠んでいただいていたのだ。 ☆その伊藤先生からお昼にお電話をいただいた。 著書の「伊藤一彦が聞く 牧水賞歌人の世界」で伊藤先生が語っておられた”意味ある偶然”についてお話しする。 元々はユングが言っていたことらしい。 その”意味のある偶然”はその人のモチベーション自体で先に導かれる人もいるし、何も感ぜずに見過ごしてしまう人もいると言うことである。 牧水賞の歌人の皆さんは、この”意味ある偶然”で確実に自らの世界を広げて行った方たちばかりだということ。 ☆また某社の某会長が、わざわざ都城市の私の「MOON DANCE」を観に行かれたと言う。 会長は「MOON DROPS―月の雫」を高く評価されていて、どうしても都城市の「MOON DANCE」を見たくなられたのだと言う。 また伊藤先生の周りでも、私の彫刻を見て廻るツアーを企画して欲しいという方もおられると言う。 有り難いことだ。 コロナが落ち着いた暁には、やりたいことがたくさんある。 そして各紙の新刊案内での「MOON DROPSー月の雫」の内容が同一なのは、伊藤先生の知人である共同通信のU氏の発信によるものだという。 つまり全ての全国の地方紙に、表紙画像掲載のあの記事が掲載されたということである。 凄いことだ。 ☆そして例の気功師が「MOON DROPSー月の雫」からすごい”浄化”の波動が出ていると言われたことをお伝えすると、気功師が言われるのなら本当のことだろうと 言われる。 先生の周囲でも、「MOON DROPSー月の雫」を寝る前に開かれる方が多いと言うことである。 ☆先日、刷りの途中で放棄していた木版画を見たら、薄い鳥の子紙は絵の具の馴染みがすごく好くて捨てたものではないと気付く。 気を取り直して、放棄していた刷りの作業を進めて、湿りのあるうちに圧をかけて延ばしてみたら、とてもいい。 それで、やはり最初のころの版画を刷り直すことにして、午後は元の版木を深く彫る。 ☆今日の宮崎県のコロナ感染者は17名であった。 連日、クラスターが発生している。 それで、やはり私たちの二人展は、不用不急の外出を強く自粛要請されている期間中から始めるのは避けようということになった。 こういう時期に展覧会を開くと言うのは、どう考えても不謹慎、非常識である。 1月26日(火) ☆夜中から雨。 雨は午後まで続く。 ☆夜明け前の3時半に火事。 ☆先日電話をいただいた南日本新聞の記者から、「MOON DROPSー月の雫」の新刊案内と編集局日誌の掲載紙が届く。 新刊案内はこれまで伊藤先生から送っていただいた他の地方紙と同じ内容で、配信元は同じなのだろう。 編集局日誌は電話をいただいた兵頭記者の、伊藤先生から送られてきた「MOON DROPSー月の雫」へのコラムであった。 問い合わせのあった都城市の「MOON DANCE」への記述もあったので、都城市区域も南日本新聞の購読エリアになるのかもしれない。 ☆午後に「宮崎この人」のディレクター・森川さんと監修の水元さんが来訪。 編集作業のほぼ終わったビデオを見ながら、最終チェック。 幾つかの手直し箇所の確認作業等。 今日の作業で、打合せは終了。 この日記にも書いたが、私の収録は3年前に企画されていて、一度コンタクトを取られたけれど、3年前は殆ど私は日本に居なかったので流れていたのだと言う。 今回は伊藤先生との「MOON DROPSー月の雫」出版まで収録できたので、タイミング的には3年遅れて正解だったのだろう。 ☆「伊藤一彦が聞く 牧水賞歌人の世界」を読んでいると、伊藤先生がとんでもない只者ではないことが如実になってくる。 恩師とはいえ、よくぞ気軽に声をかけて本を作らせていただいたものだと、今さらながら自分の軽薄さにたじたじとなる。 そのなかからいくつか面白かったこと。 佐佐木幸綱さんとの対談では、こういうことを佐佐木氏が言われている。 ”歌と散文の関係、歌と写真の関係、これからまだ開拓の余地のあるところですね。歌と写真の関係は、このあいだ矢部雅之くんが歌集「友達ニ出会フノハ良イ事」で 新しい試みをやりましたけれど、まだ試みた人がほとんどいないんだな。まだまったく手探り状態でしょうね。” その佐佐木氏の発案で、私と伊藤先生の合同作品集が産まれたのであるから、面白い因縁である。 また永田和宏氏(最近は細胞生物学者としてコロナウイルス問題で登場される機会が多い)との対談では、伊藤先生が面白いことを言っておられる。 ”河合隼雄さんがカウセリング過程で、意味ある偶然が起こるって言われています。必然じゃないんですよね。 非常に意味のある偶然がわれわれの人生で起こるということですね。 いい言葉でしょう、意味ある偶然。” 必然ではなく、”意味のある偶然”。 人生で常に起きる、自分を導いてくれていると感じざるを得ない不思議な出会い。 私はそれを、何時も必然だと思っていた。 ”意味ある偶然”。 なんとも魅かれる言葉である。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者はまた25人となった。 感染者数の発表は前日での確認確定者数なので、昨日の感染確認者数は日曜日の確認者数であるから、今日は増えることは分かっていた。 だが、夕刻に県が発表した感染者の区域に新富町が這入っていなかったので、二人展のDMは投函しても大丈夫だと判断し、郵便局へ走って切手を購入し、切手を貼った。 ところが切手を貼り終る頃に帰宅した妻が、今日は学校関係でクラスターが発生したのでまだ状況は不透明なので、DMの投函は待った方が良いと言う。 実際、私も何人かにラインで新しい日程での二人展の案内を送ったら、2月7日までの自粛要請期間中は一歩も外に出れないので、自粛が明けてから出かけます、という 返事であった。 2月2日から開催しても、最初の1週間は殆ど誰も来ないだろう、と言うのが実情である。 妻も、県が不要不急の外出をしないように要請している期間中に展覧会を開催するなんて、職場の同僚たちからみたら、無神経な非常識者としか受け止められないに 違いないと、たじろいでいる。 私も、同様の案内が知人から届いたら、なんという非常識な輩だと思うであろう。 ただ今回を外したら、もう”ギャラリーしんとみ”での年内での開催は空きが無くて不可能なので、なんとか開催は実現したいと思う。 しかし開催日程を1週間ずらした方が良い状況なので、DMの投函はもう少し様子を見ることにする。 1月25日(月) ☆快晴の暖かい一日。 ☆午前に”宮崎この人”に収録する三兄の若い頃の写真を、兄からアルバムごと借りてスキャン作業。 私に彫刻家としての方向を決定させた大事な人物として、必要な写真なのである。 これで昔の写真のスキャン作業はほぼ終了した。 ☆午後は来週から始まる二人展のDMの準備。 年末に追加注文していたDMに、変更日程とアフタヌーンライブ中止のシールを張り、宛名書き。 コロナの様子を見てDM発送の時期を判断しようと思っていたのだが、少し感染数が落ち着いて来始めたので、投函することにした。 判断を迷っていた新しい日程でのDMも、注文する。 ☆当初の予定での二人展の打ち上げを居酒屋に予約していたのだが、日程が延びたし、緊急事態宣言も延長になったので、予約をキャンセルしようと思って先日から 居酒屋に電話するが応答がない。 それで飲み屋街に確認に行ったら、見事にどの店にも”休業中”の張り紙がしてある。 やはり緊急事態宣言期間の2月7日まではどこも店を閉めているようだ。 これでは私たちの二人展も、来週から始めても2月7日までの最初の1週間は不用不急の外出自粛要請期間なので、誰も来ないだろう。 ☆後輩から、熊野神社の流行り病除けのお札の画像と共にこんなメールが届いた。 ”ご本は部屋に置いていて、出かける前にちらっと。お守りと思ってます” 私の本がお守りになってくれれば幸いである。 ☆今日の宮崎県のコロナ感染確認者は4名と、27日ぶりの一桁台になった。 はたしてこの状況が続いてくれるのか。 1月24日(日) ☆夜中から朝方までは本格的な雨。 雨は午前中まで続いて、午後からは雨脚が止まり、夕刻には晴れる。 ☆午後から木版画の刷り。 湿すと波打ってしまっていた薄い鳥の子紙は、霧吹きで軽く湿した薄手の段ボールに挟むと全く波打たないことが分かった。 それで背景のゴマ刷りは問題なく刷れるようになった。 しかしいつものように色を入れ始めると、まだ絵具溜まりが出来たり、ハケ塗りで周囲に着いた色が刷りこんだり、なにより配色が全く駄目で、何度も色を変えてやって みるが、どうしても配色がうまく行かず、途中で作業を放棄してしまった。 だが紙が薄いので、まだ湿り気があるうちに圧をかけて延ばすと、紙幣の新札のようにピーンと綺麗に延びてくれる。 ☆今日の宮崎県のコロナ感染確認者は12名だった。 高鍋町の周辺町には感染確認者はいなかった。 まだ予断を許さない状況なので、来週から始まる予定の二人展のDM発送は今週半ばまで待とう。 1月23日(土) ☆一日雨。 午前はしとしと雨だったが、午後からはやや本格的な雨となる。 今日も気温は上昇し、高鍋町は最高気温が16,9度。 ☆朝のうちに、某先輩から本を3冊注文いただいたので直ぐに届ける。 この方はすでに4冊の注文をいただいていたのだが、この私の本は一度購入された方が再び複数冊の注文をしていただくことが多い。 やはり「彫刻と短歌」というコラボレーションの枠を超えた本なのだろう。 午後に、その方の茶席に招かれた。 茶席に同席されていた方は私の高校一学年上の方なのだが、客人に私を紹介されながら、こんなことを言われた。 ”在学中は一度もお話ししたことは無いけれど、何時もそばに居る感じ。 何だかわからないけれど、とても目立つ方でしたね” 私も思わず、”どうしてなんでしょうね”。 ☆また午前に雨の中、佐佐木幸綱氏から、達筆で「百年の孤独」へのお礼が届いた。 ”うれしい百年の孤独 阿りがとうございます。 御礼申し上げます。 不二” 嬉しい午前であった。 ☆午後は”宮崎この人”の追加画像探しの続き。 なかなか必要とされる画像が見つからない。 夕刻までには画像処理などして送付。 今月末までには最終チェックが出来そうだということ。 ☆夕刻から伊藤先生に送っていただいた「伊藤一彦が聞く 牧水賞歌人の世界」を読み始める。 最初の高野公彦さんの処を読み、佐佐木幸綱さんの処を読み始める。 伊藤先生も、高野さんも、奥さんを始め家族は誰も自分の歌集を読んでくれない、それがかえって家人が読むことを気にせずにエロチックな歌を詠める、と言われているのが 可笑しかった。 ☆今日の宮崎県のコロナ感染確認者は22人で、今日も新富町から1人、川南町から4人の感染確認者が出た。 いつ高鍋町で感染者が出てもおかしくない状況である。 1月22日(金) ☆夜明け前まで雨。 午前中は雨も上がって快晴。 午後からは雲が多くなり、夕刻には曇天となる。 夜中からとても暑くて、日中も気温は上昇して、暖房は不要。 高鍋町は最高気温が22,9度だった。 ☆朝のうちに、”宮崎この人”ディレクターの森川さんから電話。 そのなかで、驚くべきことが分かった。 昨日送った私のボーイスカウト時代の写真の中に、東京オリンピックの時に宮崎市の平和台公園で聖火番をした写真を送っていた。 ところが森川さんは当時、放送局入社4年目で、聖火台の下の各報道機関のマイクの総括責任者として、私たちボーイスカウトが聖火番をしていた傍らに居られたのだ と言う。 私と森川さんとはすでに、もう56年前に出会っていたのである。 本当に、人間はどこでどうつながっているのかまったく面白い。 ☆引き続いて、南日本新聞の記者から「MOON DROPS―月の雫」の電話取材。 都城市の”MOON DANCE”の設置場所も聞かれたので、実際に作品を観に行かれるようだ。 ☆さらに伊藤先生から、「伊藤一彦が聞く 牧水賞歌人の世界」(青磁社)が届く。 本の中に、日本海新聞と山陽新聞の「MOON DROPSー月の雫」の表紙写真入りの紹介記事コピーが挟まれていた。 記事の内容は両紙とも同じだったが、こうして両紙ともに表紙の写真入りで本が紹介されるなんて、いよいよ私たちの本は全国エリアへと広がっていく。 ☆午後は、”宮崎この人”に入れる追加の画像探し。 なかなか依頼された適切な画像が見つからない。 特に佐賀大学の卒業制作展で第一回豊田勝秋賞を受賞した作品は、当時から作品写真は学内の芝生の上で撮った物しかない。 卒業制作展の会場の写真は、写真撮影当時にカメラの状態が悪くて殆ど薄らぼんやりしか写っておらず、画像編集ソフトで褪色復元作業をしても使い物にならなかった。 ☆今日の宮崎県のコロナ感染確認者は18人で、少し減少した。 だが周辺町の新富町と木城町から1名、川南町から2名の感染者が確認されて、高鍋町を囲い込んでしまった。 高鍋町美術館は、高鍋町内からの最近の感染確認者が居ないと言うことで、今日までの閉鎖は解除されることになったが、高鍋町は児湯郡の中心地であり、周辺町からの 移入がとても多い。 状況次第では、高鍋町美術館も私たちの二人展開催の”ギャラリーしんとみ”も、何時再閉鎖になるかわからない。 1月21日(木) ☆朝のうちは快晴。 次第に雲が出て来て、夕刻からは雨。 気温は高め。 ☆今日は一日、”宮崎この人”のビデオに入れこむ画像のチェック。 日向現代彫刻展と宮崎現代彫刻展の画像が欲しいと言うことなのだが、アルバムを点検していて初めて気が付いたのだが、日向現代彫刻展の終わりのころの数年分、宮崎 現代彫刻展のやはり終わりのころの数年分のアルバムが無い。 白蟻に喰われてしまって破棄したアルバムは、宮崎現代彫刻展の前の宮崎グループ展当時のものだったから、無い筈はない。 おそらく、当時はもうデジカメになったので、プリントしてアルバムを作らなくなっていたのかもしれない。 ただ、当時はよくスライドも撮っていたので、と思ってスライドイのファイルを開いてみた。 その中には確かに宮崎現代彫刻展のものなどあったが、驚いたのは今回の”MOON DROPSー月の雫”に掲載した作品写真の元画像がどうしても見つからなかったものが、 このスライドのファイルの中からクリアーな写真が何点も見つかった。 まったく迂闊だった、こんなところに作品画像のスライドを保管してあったのだ。 やはり、一度きっちりと全てのデータを整理しておかなければならない。 ☆夕刻までに、依頼されていた画像を送ったが、同時にさらに追加の画像送付の依頼が届いた。 また明日も、この作業に没頭しなければならなくなった。 しかし、豊富な画像が加わる分、ビデオの内容がバラエティー豊かなものになる。 楽しみである。 ☆”ギャラリーしんとみ”から連絡があり、26日から開催できますよ、と言う。 えっ?!と、居合わせた妻と顏を見合わせてしまった。 今日も宮崎のコロナ感染確認者は28人で、新富町からも1名の感染者が出ている。 だが文化会館などは2月7日までの閉鎖の延長となったが、図書館は開館するのだと言う。 準備は出来ているが、26日から開催だと、もう今日中にはDMを出さないと案内が間に合わない。 それより、今は緊急事態宣言が延長されたばかりなので、二人展を開いても誰も来ないだろう。 それでもう1週間ずらしてもらって、2月2日から21日までの3週間で開催することにした。 またコロナ感染の状況が悪化して、途中打ち切りとなる事態も充分に予想されるので(実際に、先日まで開催していた陶芸展が途中打ち切りになった)、余裕を持って 3週間の開催となった。 ただコンサートはまだ無理だと言うことである。 ほっとすると同時に、大丈夫だろうかという不安との複雑な気持である。 ☆嬉しいメールが届いた。 ”素敵な本が届きました。お忙しい中、早急にお送り下さりありがとうございました。 まずは、「MOONDROPS 月の雫」という本名と装幀に惹かれました。 そして、中を開いてからは時がたつのも忘れて石の作品と短歌が織りなす世界に没頭してしまいました。 上質のワインのような短歌が田中さんの作品を柔らかくまとい、作品をより輝かせて味わい深いものにしていますね。 じっくりと作品を一つひとつ見ていくうちに心が穏やかに丸くなってきました。 ああ、今まで自分は相当疲れていたんだなと自覚できたほどです。 何万年もかけて地中深く眠っていた石に形を与え、思いを吹き込んで創られた作品はどれも何気ない希望や生命(いのち)を感じます。 くよくよしていた気分に明かりが灯ったようです。 私なりにfavoriteの作品を選んで5点ほどしぼり、付箋をつけていたら、ラジオ番組でそのどれも取り上げられて解説してもらえたので嬉しかったです。 もう1点は小さい孫がいるせいか「いのち」という可愛い作品が心に残りました。子を慈しむ愛が溢れていますね。 石って冷たくて硬いものと思っていましたが、イメージ的には柔らかくて温かいのですね。 ふと、子どもの頃、川で泳いで寒くなると大きなあったかい石に抱きついていたことを思い出したりしました。 国内外の各地の景色に溶け込んで、黙って座っている田中さんの作品はいつまでもその地の人々の心の拠り所になることと思います。 新聞記事の同封もありがとうございました。 50年くらい前にお見受けしていた田中さん、当時とあまりお変わりありませんね。 ラジオ番組も興味深く聞かせていただき、より一層本を楽しむことができました。 また、英訳もクーパーさんの感性やものの見方を通して訳されていて面白かったです。 高校時代の先生との深いご縁も身に沁みました。時も人も技も心も熟すのに41年かかったのですね。ドラマチックです。 改めて、半世紀に渡る作品の集大成の本の上梓、まことにおめでとうございました。 今後のご活躍を心よりお祈りします。 PS. お若い頃の田中さんの作品のほんの一部にさせていただいた二十歳の頃の私。 今も玄関に飾ってあります。とんがった顔をしています。 ” ☆私が宮崎大学の4年生のころ辺りに首像のモデルをしていただいた女性からのメールである。 私にとって、未熟ながらも一つのピークを迎えた首像の作品で、後年にブロンズに鋳造させてもらった。 とても嬉しく有り難いメールである。 愛知県在住なのだが、ラジコで”サンデーラジオ大学”も聴いていただいたようだ。 1月20日(水) ☆今朝もフロントガラスが氷結。 午前は重い曇天でしんしんと底冷えた。 しかし午後からは一気に青空となり、昨日同様に気温は上昇、外出にも厚手の上着は不要で、室内も暖房を切った。 ☆午前に木版画の彫りの作業の仕上をする。 ☆午後に役場へ出向いて、減価償却資産の届け出と、高額医療費の払い戻しの手続きをする。 ☆午後後半からは、”宮崎この人”の追加画像のスキャン作業。 ☆夕刻に伊藤先生からお電話。 昨日送っておいた”サンデーラジオ大学”文章起こしの冊子へのお礼と、今日は角川短歌3月号掲載の女流歌人・大森静佳さんとのズームによる対談をされたという報告。 対談の中で、「MOON DROPS―月の雫」のことにも少し触れられたということ。 また共同通信の知人の記者の方が「MOON DROPS―月の雫」について書いておられていて、共同通信の紙面にも掲載されているということ。 徐々に全国的な展開へと拡がって行きそうだ。 売れていくのはこれからだよ、と。 また今日の対談には、角川の担当者も同席されていて、「MOON DROPS―月の雫」を手に取られ、良くできた本だと感心されていたということ。 ☆今日も宮崎のコロナ感染確認者は51人で拡大の勢いが止まらない。 そしてやはり、宮崎県の緊急事態宣言は県内全域に2月7日までの延期が決定された。 今日は新富町には感染者はいなかったが、これで”ギャラリーしんとみ”での順延開催は無くなった。 高鍋町では緊急事態宣言発令から、店を閉めておられるところが多い。 その自粛要請がまた2週間も延びてしまった。 大変な事態になってきた。 1月19日(火) ☆快晴の一日。 今日も午前中はしんしんと底冷えたが、陽射しが強く、午後からは室内の暖房も要らないほどに暖かくなる。 ☆午前に、昨日文章起こしを済ませた”サンデーラジオ大学”を、打ち込みミスをチェックして、プリントして冊子にする。 それを伊藤先生に送る。 同時に、昨夜注文のあった本を、レターパックで送る。 ☆入れ替わりにMRTから”サンデーラジオ大学”の録音CDが届いた。 パーソナリティーの薗田潤子さんからの丁寧なお手紙が同封されていた。 ☆午後に、”宮崎この人”のディレクターの森川さん来訪。 ほぼビデオの編集が終わったので、そのチェック作業。 こんなに私の幼少のころから現在に至るまでの流れを語るのは初めてのことであり、私の生き方に一本のしっかりした筋がきちんと立っていることに、我ながら感動した。 一部の録音の録り直しと、 ビデオに入れこむ作品画像等をお渡しする。 さらにまだスキャンしていない必要な画像を後日にお送りして、2月中には完成の見込みである。 完成後は国立図書館と宮崎県立図書館に寄贈される。 ☆夕刻は、木版画の彫りの作業の続き。 ☆宮崎のコロナ感染確認者は今日も29人。 新富町の感染者は居なかったが、知事が県の緊急事態宣言の解除に向けて、全面解除を見送ることを視野に入れて検討していると言うことが伝わってきた。 明日の午後には方向が判断されるということだが、それで明日には”ギャラリーしんとみ”が来週から再開できるかがはっきりする。 1月18日(月) ☆午前は快晴。 午後からは寒風と共に雲が出る。 この冬一番の冷え込み。 ☆一日、サンデーラジオ大学のWord文書起こし。 ようやく夕刻に完了。 ゆくゆくは私の色んな原稿等をまとめたいと思っている。 ☆午前に、宮崎日日新聞文化部の松田記者から届いたメールに次のような嬉しい報告があった。 ”先週、県立図書館を訪ねたところ、入り口そばの目立つところに「MOON DROPS」が配架されていました。 たくさんの方が興味を持たれることと存じます。 ” やはり県立図書館の職員の方々には、この「MOON DROPSー月の雫」は目に留まっているようだ。 ☆午後に、宮崎大学の某先輩から、本を見ましたよという電話。 誰かに見せて貰ったのかと思ったら、出版社に注文されたとのこと。 この先輩無しには今の私は無いので、本来なら献本すべき方なのだが、若輩の私が作品集を出したからと言って案内をするのは恐れ多いし、おこがましい気がして、郵便 による出版案内をしていなかった。 献本すべきだったと猛省。 ”君がオカリナを吹いていたころの雰囲気がよく出ているよ” そういえば、彫塑室でオカリナも吹いていたっけ。 この先輩らしい感想である。 やはり出版社にはもう在庫がわずかしかなかったということ。 ”増刷になるんじゃない?” そうありたい。 南日本新聞にも、新刊案内で紹介されていたということ。 ☆夜になると、インド放浪仲間からメールで本の注文が届いた。 ”小生は昨年、仕事を辞め旅行でもしようかと思っていましたが、如何せんこのような状況になってしまって、なかなか難しい。 カルカッタの州の物産展で田中さんとチャイを飲みながら、月を見て楽しい話をしていたのを時々思い出しては懐かしく、また一人旅と思っていたのですが・・・・・・ ” ありがとう。 ☆今日の宮崎県のコロナ感染確認者は29人。 そして、今日も新富町で2名の感染者が確認された。 ”ギャラリーしんとみ”での非常事態宣言解除後の順延開催を目指すとしたら、今週の半ばまでにはギャラリー再開の目途が立たないと、DM発送等の準備が出来ない。 こんなに毎日、新富町でコロナ感染者が出ている状況では、ほぼ24日からの順延開催は絶望的だ。 1月17日(日) ☆快晴の一日。 日中は暖かかったが、風が冷たく、夕刻からは冷え込んでくる。 ☆先日購入した薄い鳥の子紙が、湿すと波打って使い物にならないので、購入先に問い合わせたら、湿す時間を短くするか、段ボールではなくボール紙で湿すとよい、という 返答があった。 それで薄い段ボールに霧吹きをして湿してみたら、確かに全く波うちが出なかった。 そこで刷り直す予定だった作品を刷ってみたら、綺麗に刷れた。 鳥の子紙が使えることが分かったので、新作の版画に取り掛かる。 これまで版木の節約で、裏表の両面を彫っていたので、それで彫りが浅く、絵具の溜まりが出来てしまうのだと思うので、今日は片面だけを彫ってみた。 何時もより深く彫れたのは良かったのだが、彫っているうちにだんだん板が反って来て、とうとうパリッと割れてしまった。 ☆午後は妻のヴォーカルレッスン。 今日から新曲に這入り、まだ私のハーモニカパートのジョイント譜が出来ていないので、私は2階の書斎で”サンデーラジオ大学”のWord起こし作業の続きをする。 ようやく45分番組の23分辺りまで進んだ。 ☆学生時代に首像のモデルをしていただいた女性から、メールで本の注文が来たので、夕刻にレターパックで発送。 ☆宮崎県のコロナ感染者はまた増加して、今日は38人であった。 新富町からも1名の感染者が出た。 当分はこの状況が続くのだろうか。 1月16日(土) ☆夜明け前に雨。 とても暖かい朝で、日中も快晴で気温が上昇。 街中では暑くて、Tシャツ姿の子供たちが目立った。 ☆今日は母の23回忌の命日。 速いものである。 ☆午前のうちにレターパックで本を送付。 その足で酒販売店へ出向き、昨日書いた礼状と共に佐佐木幸綱氏へ「百年の孤独」を送る。 ☆先日からスマホのラジカッターに保存している”サンデーラジオ大学”をWord文書に起こしている。 ラジカッターにはリピート機能が無いと思っていたが、ちゃんとリピートと早送り機能がある。 しかし対談を文字に移し替えるのはリピートの繰り返し作業で、なかなか先に進まない。 今日の作業では、ようやく3分の1ほどしか進まなかった。 ☆出版社から追加購入した本は、残部が39冊となった。 なんとか毎日1,2冊は売れているので、春までには売り切れてしまいそうである。 そして出版社にももう在庫は無いので、重版の可能性も出て来た。 ☆宮崎県のコロナ感染確認者は、28人と少し少なくなった。 今日は新富町からの感染確認者は無かった。 このまま推移していってほしいものだ。 1月15日(金) ☆快晴の一日。 陽射しは強く、日中はとても暖かかった。 ☆一日、デスクワーク。 中国のヤン・リューから、彼に送っていた本を今日受け取ったと言うメッセンジャーが届いた。 一月ほど北京に居て、留守をしていたと言うこと。 そして、追いかけて、私に国際彫刻家の認証を与えるというメッセンジャーが届いた。 この国際彫刻家の認証というのは何かと言うと、彼がプレジデントを務めるISSA(国際彫刻シンポジウム連盟)が、彫刻家たちに芸術の世界での発言権を得られるために、 多くの国の彫刻家たちにこの国際彫刻家の認証を与えて、彫刻家の発言力を高めよう、というものらしい。 それで昨年12月の中旬あたりに、各国の言語でのリーフレットを作成するので、私に日本語版を作って欲しいと依頼が来ていた。 しかし私は本の雑務と二人展の準備とにずっと忙殺されていたので、ヤン・リューからのメッセージをちゃんと読む時間も無く放っておいた。 だが彼から私に”国際彫刻家の認証”が届いたのでこのまま放っておく訳にもゆかず、彼からのメッセ―ジをきちんと翻訳し、リーフレットの日本版を作成する。 ☆今日届いた年賀状で本を買いたいという方が居られたので、メールで連絡を取ったら、その直前に出版社に直接購入の申し込みをされたと言うことだった。 彼には郵便での出版の案内をしていなかったので、自費出版で私が本を販売していることはご存知なかったのである。 でも、出版社も関東から直接の注文があれば、反応の手ごたえがあり、嬉しいことではあるだろう。 その方が、”関東では購入困難になっているので”と直接に出版社へ購入の申し込みをされたことと、一昨日に本を届けた方が”出版社に問い合わせて貰ったら在庫が 大変少なく、手配できるかの返事に数日を要するという回答だった”と言われたことを考え合わせると、ひょっとするともう品薄でネットでも購入困難になっているのでは ないのだろうか。 そう思って、ネットで私の本を販売しているサイトを検索してみた。 そうしたら、やはり出版元のサイトに、「在庫数が大変少なくなっております」と表記され、問い合わせを直接に出版社までするように案内されている。 やはり、出版社にも在庫がもう無く、ネットでも購入困難な状況になっているようだ。 出版社は500部を販売用に出版されたが、そのうちの100部を私が追加購入したので、もう400部は県内の書店に廻ってしまって、出版社の在庫が底をついて来た と言うことなのだろう。 ☆販売サイトの検索で、Amazonが最も充実した内容で販売してくれていた。 次のようなとても魅力的なコメントで本を紹介してくれていた。 ”海外で積極的に活動している彫刻家・田中等さんの写真(作品)に全国的に有名な歌人・伊藤一彦さんの歌を添える。 また世界各地に在る49点すべての短歌に英語訳が付記されています。 黒と白を基調とした1冊はまさに宇宙を思わせ作品たちが素敵な月の雫を感じさせる。 かつての高鍋高校の生徒と先生がのちに彫刻家と歌人になりました。 それぞれがそれぞれの道を極め、55年の歳月を経て一冊の本で再会。 生徒・田中さんの作品に伊藤先生の詩…国内外の街角の風景が時空を超えて包み込む作品。” ☆今回の「MOON DROPSー月の雫」は、一度購入された方が、再び複数冊を注文していただくことが多い。 今日も夕刻になって、先日注文していただいた方から、周囲の方たちに本を見せたら皆さん本を買いたいと言っていただいたので、と複数の注文があった。 本を出版するまでは、彫刻と短歌の本なんて、一般の人にはほとんど興味もないし、周囲にもそんな人はいないので、出版しても売れないよ、という声が多かった。 しかし、実際に出版した本を手に取られると、そういう先入観が吹き飛ばされ、皆さんが本の魅力に包み込まれている。 この本はそういう本なのだろう。 ☆午後から、ようやく佐佐木幸綱氏への礼状を書く。 今回の本は佐佐木氏からのアドバイスが無かったら、永遠に産まれて来なかった本である。 出版したら直ぐにお礼の手紙を書くべきだったが、雑務に忙殺される日々と、簡単に書ける礼状ではないので、なかなか筆を取ることができなかった。 しかしこれではまったく伊藤先生への不義理と同じである。 伊藤先生への不義理がこうして41年目に本となったが、佐佐木氏にまでそういう不義理をおかすわけにはゆかない。 夕刻までになんとか簡潔にまとめることが出来た。 ☆宮崎県のコロナ感染確認者は今日も46人と高止まりであった。 しかも感染確認者数のトップが新富町の4人である。 これでは”ギャラリーしんとみ”での順延開催はいよいよ遠のいてゆく感じである。 1月14日(木) ☆快晴の一日。 風も無く、夕刻からの冷え込みはなし。 ☆木版画の刷直しをする。 今回の二人展の出品作品の中では一番大きいサイズの作品である。 ところが版画用紙のサイズが昨日刷った版画の倍近くになるので、新しく買った薄い鳥の子紙は湿しによる波うちが激しく、波うちをバレンで延ばしながら作業しても どうにもならなかった。 それでは湿さずに刷るとどうなるのかと思ってやってみたら、絵具の上に鳥の子紙を載せた途端に湿気で縮んでしまい、乾いている部分との落差が激しくて、一層 使いものにならなかった。 奉書紙のみで刷る。 しかし何時ものように配色がうまく行かず、自己嫌悪に陥ってしまった。 けれど刷り直す前の作品と較べてみたら、今日の奉書紙の作品の方が良かったので、額装まで済ます。 ☆今のところ毎日、1,2冊の本は売れている。 昨日今日とレターパックで送る。 ☆宮崎県のコロナ感染確認者は今日も48人と高止まりである。 新富町は今日も2人の感染が確認された。 ”ギャラリーしんとみ”での非常事態宣言後の二人展順延開催は、いよいよ予断できない状況である。 1月13日(水) ☆快晴の一日。 今朝も冷え込んで、フロントガラスが氷結。 日中は陽射しが強く、暖かかった。 ☆午前に再度、スマホのラジカッターからパソコンに”サンデーラジオ大学”をサウンドレコーダーで録音。 今日は電話やスマホ着信の障害はなし。 この録音ファイルを、共有フォルダに保存して、リンクを張り、そのリンクを送ればラジオの音声が聴ける。 それでdropboxに保存して、共有でリンクを設定して試に知人にメッセンジャーで送ってみた。 しかしメッセンジャーではdropboxの加入案内が表示されるのみ。 それでは、とメールで私宛に送ってみると、メールだとリンクが開けてちゃんと音声が聴けた。 だが、携帯のメールではメッセンジャーと同じで、開けないようだ。 もう少し何人かの知人にメールを送って、問題なくリンクを開いてラジオ音声が聴けるか試してみよう。 ☆”サンデーラジオ大学”を聴いて、本を求めに書店に走ったら在庫が無く、出版社に問い合わせて貰ったら、出版社の在庫も少なくていつ入荷できるかの返事を2日 待ってくださいと言われたのでと、ある方から私宛に問い合わせをいただいた。 私から郵便で出版案内をした方たちとフェイスブックを見ている方たち以外の一般の方たちは、私が本を販売していることはご存知ない。 それでお昼に本を届ける。 帰りにTSUTAYAに寄ってみたら、在庫が補充してあり、先日は背を見せて本棚に詰め込んであったのが、今日は場所もランクアップして表紙を見せて販売してあった。 やはりラジオの影響はあったのだ。 ☆その方からの本の反応である。 ”彫刻と短歌という組み合わせ、とてもいいね。 タイトルもピッタリ、装丁もそれにあっていてきれい。 彫刻の新しい楽しみ方を提供してもらって、彫刻にも歌にも興味がかき立てられるよ。 英訳があるのも面白いね。” ☆実は昨年暮れに、県立図書館に勤務されていた方が、今年読むべき本のリストの一番目に「MOON DROPSー月の雫」を挙げておられたということ。 このリストは内輪での発表だったらしく、公表はされていないらしいが、こういう声をもっと表に出していただきたいものだ。 今朝も”サンデーラジオ大学”を聴き直していたら、パーソナリティーの薗田さんと伊藤先生がしみじみと、コロナの時代だからこそ産まれた本で、多くの人たちに手に取って 欲しい本ですね、と言われていたのをつくづくそう感じた。 県立図書館に勤務されていた方でさえ、今年読んで欲しい本のトップに挙げられているのである。 にもかかわらず、県立図書館長が選考委員を務めている宮日出版文化賞の審査委員会は、私の本には目もくれていない。 宮日出版文化賞の審査委員会の方たちは、私の本が今のコロナの時代に必然的に産まれた意義を全く感じ取れない、超鈍感な方たちばかりなのだろう。 ☆夕刻に伊藤先生から電話をいただき、”サンデーラジオ大学”はとてもいい内容だった、あのままではあまりにも勿体ないので、やはり機会があれば宮崎市か高鍋町で 公開対談をしたいね、ということであった。 内容的にとても深かったし、”わけもん!!”よりもずっと素晴らしい内容だったと言う声も多い。 だから、私はラジオの対談を文章に起こしたいと思っている。 ☆午後は木版画の刷り。 版画用紙を新しく購入した奉書紙と鳥の子紙を使ってみたが、鳥の子紙はこれまで使っていたものより薄く、水で湿すと波打ってしまった。 やはり宮崎県のコロナ感染確認者は、今日は41人と後戻りしてしまった。 しかも”ギャラリーしんとみ”のある新富町では4人の感染確認者が出てしまった。 二人展の順延開催はまだ予断を許さない状況だ。 1月12日(火) ☆午前までしとしと雨。 午後からは一気に晴れて来る。 夕刻からはしんしんと冷え込む。 ☆ラジカッターアプリで保存した”サンデーラジオ大学”を聴きながら、Wordで文章に起こそうと作業を始めたら、リピートが出来ず、作業が進まない。 それでラジカッターの音声をパソコンにサウンドレコーダーで録音すればいいことに気付いて、やってみたら操作はシンプルで問題ない。 ところが、スマホのスピーカーをパソコンのマイクの逆方向に向けて録音してしまったので、音声が小さくなってしまった。 再度録音をし直していたら、今度は営業の電話が這入ったりスマホに着信があったりで、途中で中止した。 電話の音は何とかなるが、スマホは着信があると、ラジカッターの音声が完全に消えてしまう。 ラジカッターも保存期間が限られているようなので、早目に再録音しよう。 ☆午後は、二人展のための作品を下絵まで作業していたものを、版木に写し、版木を彫る。 宮崎県のコロナ感染確認者は、今日は13人とかなり減ってきた。 このまま減少して行けば二人展の順延開催が可能になるが、ただこの今日の数字は3連休の間の民間医療機関での受診や検査数が少なかったせいらしい。 とまれ、順延開催に対応できるように準備だけは整えておこう。 ☆最近、携帯への妙な着信がある。 今日は+679でフィージーからの着信だった。 先日は+685でスマホがサモアからと表示した。 ネットで検索すると、海外からのワン切りらしい。 電話の方にも最近は日になんどかワン切りが這入って、電話機の方は着信番号が非表示と表示されるので、こちらも国際ワン切りなのだろう。 ☆宮崎県の緊急事態宣言の期間は今月22日までである。 その間、高鍋町美術館も都城美術館も、多くの画廊、ギャラリーも閉鎖中である。 ところが、今日の朝刊には第1回みやざき総合美術展の搬入が22日から宮崎県立美術館で始まるとある。 どうしてこんな理解不能のことを実施するのだろう。 22日は、まだ宮崎県民は外出自粛要請期間中である。 しかもほかの美術館は閉鎖中である上に、搬入の作業は完全に”密”の作業である。 出品予定者の方々は、搬入したくても、宮崎県から不要不急の外出自粛を求められているのに、どうしたらよいかわからないだろうに。 まったくやっていることが支離滅裂である。 1月11日(祝・月) ☆午前は晴天。 午後から雲が出て、夜には雨となる。 ☆デスクワークをしながら、スマホにラジカッターというアプリで保存していた昨日のサンデーラジオ大学を聴き直した。 あらためて聴き直すと、伊藤先生の語られた内容がとても深く伝わって来るし、客観的に私自身も魅力的な存在だった。 とても内容の濃い素晴らしい番組である。 時間を見て、文章に起こそうと思う。 ☆妻の話では、開催を中止した”ギャラリーしんとみ”では、私たちの次に開催予定だった町内の子供達の作品展が中止になったので、その期間に順延開催として私たちの 二人展が押さえてあると言う。 私はコロナ感染の状況を見ながら判断していたのでは、新たなDMの準備もできないので、開催は無理、と返事したつもりだったが、妻とギャラリーはそれでいいと私がOK したと受け取っていたようだ。 ギャラリーのブログを見たら、確かに私たちの二人展が順延の1月26日から2月7日までの仮の開催予定として明記してある。 宮崎県のコロナ感染状況を見ると、一昨日が76人、昨日が49人、そして今日が29人と確実に減って来ている。 県の見解でも、もう100人を超えることはないだろうと言っている。 それで、このままコロナ感染者数の減少が持続して、ギャラリー側が24日までの緊急事態宣言後の開催が可能と判断すれば、二人展を開催しようと思う。 今回の開催を逃したら、年内に他の開催場所を捜すのはほぼ困難である。 ☆昨日今日は、とりあえず時間のあるうちにキャプションを作って置こうと、その作業を進めていたのだが、緊急事態宣言期間終了後の順延開催を見込んで、すぐに対応 できるようにウッドラックパネルに貼ってカットする。 昨日届いた追加DMも、開催日時を書き換えればそのまま使える。 ☆入浴前に妻にバリカンで髪を刈ってもらった。 さっぱりしたが、なんだか昨秋より頭皮が目立つようになってきた気がする。 1月10日(日) ☆快晴の一日。 今日も冷え込んだが、なんと高鍋町は宮崎県で二番目に冷え込んでマイナス6,9度を記録した。 ☆朝8時よりMRTラジオの”サンデーラジオ大学”。 昨年暮れに伊藤先生と一緒に収録した番組で、サンデーラジオ大学の新春初放送である。 タイトルは”41年目の返歌”。 高鍋町は周囲を台地に囲まれているのでラジオの電波の這入りが悪く、雑音が多い音声を妻と聞く。 思ったよりもなかなかよい内容だった。 ☆こんな朝早くからラジオを聴く人なんていないだろうと思っていたら、終了直後から私と妻のラインは鳴りっぱなしだった。 皆さん、感動していただいた。 本の注文も這入った。 ☆今はラジコでも聞けるので、スマホでラジコを聴き直したら、音声がとてもクリアで、雑音だらけのラジオでは良く聞き取れなかった私の話がきちんと聞き取れた。 ラジコは、友だちに伝えようというボタンがあったのでそれをクリックして、県外のライン友だちに送った。 ところが東京の妹たちから、プレミアム会員にならないと3分間しか聞けない、と言って来た。 調べてみると、無料で番組全部を聴けるのは放送エリアのみ、つまり宮崎県内か宮崎の放送をキャッチできるエリアしか聞けないと分かった。 録音して送って、というがあれこれやってみるが、さっぱりわからない。 昔はラジカセで簡単にテープに録音できていたのに、便利な時代になったと思いきや、実は大層不便になっている。 しかし、MRTから録音CDが送られてくることが分かったので、妹たちにはそのコピーを送ることにした。 ☆番組のなかで、パーソナリティーの薗田さんが、一番心に残った伊藤先生の短歌として、墓石となった私の作品を詠われた次の短歌に話題を振られた。 ”亡き人は無きにはあらず扉一つわづかにへだて近々とあり” この短歌は、今回の本のなかで最も多くの人が共感され、涙を流された歌である。 ”わけもん!!”でも、宮日新聞文化欄記事でもこの歌が取り上げられた。 それだけ多くの人の心に染み入って来る訴求力の強い短歌なのだろう。 実はこの収録の日に、薗田さんは片手にしか真っ赤なマニキュアをされていなかった。 収録に同行した本の編集担当の水元さんが、女性の立場で、薗田さんに何か異変が起きていることを感じ取っていた。 そしてその放送収録直後に、薗田さんのお父さんが亡くなられたのである。 このことは、この日記にも記した。 薗田さんが片手にしかマニキュアをされていなかったのは、マニキュアを塗っているところへ、お父さんの危篤の報が入ったのだと言う。 それで放送後に喪に服さなければならないかもしれない立場に気付かれ、マニキュアを途中で止められたが、すでに塗ったマニキュアを落とす暇も無く私たちとの 打ち合わせと収録が始まってしまったようだ。 だからこの伊藤先生の短歌について薗田さんが話題を振られた時の心境に思い至ると、番組を聞きながら胸が詰まってしまった。 ☆来週から始まる予定だった二人展のために、不足したDMと追加した缶バッチを、会期に間に合わせるために割増しの料金を支払って注文していたものが相次いで 届いた。 缶バッチは賞味期限はないので問題ないが、DMは完全に無用のものになってしまった。 1月9日(土) ☆晴天の一日。 今日もギンギンに冷え込んで、今朝も霜柱が建つ。 ☆宮崎県の緊急事態宣言が今日から発令された。 それで高鍋町美術館も今日から閉鎖となり、私たちが二人展を予定していた”ギャラリーしんとみ”も今日から閉鎖となった。 ”ギャラリーしんとみ”では明日まで窯元の展示会が開かれていたのだが、今日で打ち切りとなった訳である。 もしこの緊急事態宣言が1週間ずれていたら、私たちの二人展は始まってすぐに打ち切られてしまったことになる。 最悪の状況は避けられたわけである。 ☆やはり宮日出版文化賞の件は、みなさんびっくりして戸惑っておられるようだ。 電話をいただいたり、メッセージをいただいたりで、皆さんの驚きが伝わって来る。 でもこの出版文化賞の実体が分かってしまったのでどうでもいい。 優れた出版物を顕彰するという主旨とは全く見当違いの出版文化賞のようである。 1月8日(金) ☆快晴の一日。 この冬一番の冷え込みで、庭も霜柱がギシギシと立つ。 気温は上がらず、暖房の効いた部屋から出ると家の中は冷蔵庫状態。 ☆午前は、二人展中止案内の葉書き宛名書きの続き。 ☆午後は本の礼状をWordに打ち込んだり、本のサインをしたり。 だがふと気づくと、3月末からはグループ展が始まる。 そろそろ彫刻制作に復帰しなければならない。 ☆夕刻に伊藤先生からお電話をいただいた。 やはり伊藤先生も、何故私の本が宮日出版文化賞の選外になったのかわからないと言う。 しかし所詮は地方の宮崎日日新聞の設定する賞であり、人が選ぶものだから拘るほどのものではないと言うこと。 本自体は素晴らしい本であるし、評価も高いので問題ない、と言うことである。 私も幾多のコンクールに落ちてきて、審査は人がするものだからどんな審査でも腑に落ちないことはあるものだと答える。 実際、この宮日出版文化賞の審査は、完全に宮崎のローカルな関係者の審査であり、実質的に単なる田舎の賞に過ぎない。 それよりも私たちの本は全国展開すべき本である。 伊藤先生は角川「短歌」3月号で、女流歌人の大森静佳さんとの対談が掲載されることになっていて、その中で私たちの「MOON DROPSー月の雫」も取り上げられると 言うことである。 これからは私たちの本が全国的にどう注目されていくかを見守っていきたい。 1月7日(木) ☆概ね晴天。 午後からは雲が多くなる。 一日寒風が吹き荒れて、この冬一番の冷え込み。 全国的に雪模様だったようだが、宮崎県でも山間部は積雪であった。 ☆先日からの体調のヴァイブレーションの変調、家の中での色んなものが落ちて来たり倒れて来たりの変調、そして今朝は譜面台が倒れて壊れてしまった。 これらは、すべて今日の波乱の予兆だったのだろうか。 ☆妻が朝刊を見ながら、宮日出版文化賞の候補作が発表されているけれどあなたの本は這入っていないよ、と言う。 この宮日出版文化賞と言うのは、昨年1年間に県内在住の著者によって出版された本から優れた本を選んで表彰するものである。 私たちは今回の本の出版準備当初から、この宮日出版文化賞の受賞を目指していたし、出版された本の手応えからほぼ受賞は間違いないと確信していた。 ところがふたを開けてみると、候補作にさえ選ばれていない。 きつねにつままれた思いである。 だが人が選ぶコンクール審査とは常にこういうものである。 彫刻コンクールでことごとく選外の悔しさを味わってきている私には、結果が出たものに対しては覆ることはないし、素直に事実を受け入れる姿勢が身についている。 ほどなくして、2018年の宮日出版文化賞受賞者である畏友の安井雄一郎君から憤怒の電話が入ったときも、憤る彼に対して私自身はとても平静であった。 もう決まったことだから、憤ったってどうにもならない。 けれど選ばれた候補作を見てみると、本としてのレベルがとうてい”優れた出版物”とは思えないものがあったり、私が受賞は間違いないと思っていた優れた本が候補作に 選ばれていなかったりと、首をひねらざるを得ない候補作選出に、”出版文化賞”という定義、審査基準がまったく分からないのである。 しかしコンクールとはこういうものである。 ☆さらに追い打ちが襲ってきた。 午前に二人展の額装をしているところへ、ギャラリーの担当者から電話が入った。 ”大変な事態になりましたね、今、役場から電話がありました。今日は宮崎県内でのコロナ感染者がすでに100人越えだそうです。当然、もうコンサートは出来ません。” ”ギャラリーしんとみ”は半官半民の運営である。 新富町の全ての公共施設はすでに24日までの閉鎖になっている。 ギャラリーとしても展示会を継続できる状況ではなくなってきた。 例え無理に継続しても、県内でこれほどの感染者が出れば、5月同様に県内全域での外出自粛規制となり、ギャラリーには誰も来ない。 自粛解除後の25日以降なら予定していた展示会がキャンセルになったので、そこで延期開催が出来ると言う事だったが、今の状況が24日までに落ち着くとは思えない。 そして延期するとしたら、もう新しいDMを印刷しないと間に合わないので、2週間延期はやっても意味がない。 それで”ギャラリーしんとみ”での二人展開催は中止、延期開催については未定と判断した。 ”ギャラリーしんとみ”はすでに1年間の予定がすべて埋まっているので、今年内での二人展の開催は他の地域のギャラリーの空きを捜すことになる。 ☆今日も二人展開催中のアフタヌーンコンサートの予約が入ったりしていたので、午後は急遽、ラインと葉書きでの二人展開催中止の案内に妻とてんやわんやの対応と なった。 折り返し届いた返事では、宮崎市内の画廊で私たちと同じ時期に開催予定だった友人達のグループ展も中止になったと言うことであった。 この状況では、今年の空港展も開催は危いのではないのだろうか。 ☆アフタヌーンコンサートの時に本を手渡しする予定だった方たちに、レターパックで送る。 ☆宮崎県内での今日のコロナ感染確認者数は105人となり、10万人当たりの新規感染者数は全国3番目の多さとなった。 それで宮崎県は、県独自の緊急事態宣言を発令した。 今月9日から22日まで、県民に不要不急の外出自粛やイベントの中止や延期が求められる。 1月6日(水) ☆晴天の一日。 ☆午前に二人展の出展作品にサインを入れる。 そして届いていたマットと額と作品を合わせて行く。 午後は、自分の作品のマットへの貼り付け作業を終えている妻が、馴れた手つきで私の作品をマットに貼り付けてくれた。 もう時間的に刷り直しをする時間はないので、出展には適さない作品は除外して額に入れる。 ☆今日の年賀状でも本の注文があったので、レターパックで送る。 ☆午後は、昨日刷り残した本の中封筒用の版画を刷る。 今日はかなり上手く作業が進んだ。 ☆宮崎県のコロナ感染者の爆発的増加は勢いが止まらない。 今日は感染確認者数が80人にものぼった。 そして高鍋町でも感染者が確認された。 この勢いが続けば、再び児湯郡圏域も外出自粛要請が出る事になるかもしれないし、そうなると来週からの二人展への来場者は激減して来るだろう。 予定しているアフタヌーンコンサートも出来なくなるかもしれない。 その時にはバタバタしても仕様がないので、状況に従うよりない。 1月5日(火) ☆夜明け前に雨。 日中は曇天。 ☆午前に、缶バッチの追加のデータ整理と発注。 ☆午前から、本の中封筒に貼る木版の刷り作業。 昨日は用紙を湿すだけしかできなかった。 もうずい分の枚数を刷って来たので要領は分かっている筈なのだが、何故かまったく上手く刷れない。 背景のゴマ刷りがムラだらけになってしまう。 午後からは糊を混ぜたつぶし刷りで色を加えて行ったが、これも極度に神経を使っても絵具の溜まりが出来て、見苦しい刷りになってしまう。 前回は綺麗に刷れたのに、どうしてこうなるのかさっぱりわからない。 つくづく、木版画の刷りは難しい。 夕刻までには色刷りは半分も進まず、精神的にヘロヘロになる。 ☆午後から、妻と二人展の会場の”ギャラリーしんとみ”へ出かける。 簡単な打ち合わせ。 新富町はコロナ感染者が1名確認されただけで、今日から24日までの間、全ての公共施設を閉鎖してしまった。 異常としか思えない。 そして、ギャラリーの閉鎖は無いと思っていたが、実は5月の感染時期にギャラリーも閉鎖になったのだと言う。 これは今後の状況によって、どうなるか分からないということだ。 ☆宮崎県内は今日もコロナ感染確認者数が過去最多の38名となった。 都城・北諸県圏域は9日から「感染急増圏域」に指定されることになり、外出自粛の要請が出されることになった。 県立高校では部活動のクラスターも発生したので、全県立高校は11日まで臨時休校となった。 状況は日々きびしくなって来ている。 どちらに転ぶにせよ、二人展の準備は進めるしかない。 ☆1年前の今日はインド到着であった。 思えば、インド滞在中に急激にコロナ感染が広まったのだった。 インドを発つときには、インド国内でのコロナ感染者は数名程度だったが、いまやインドだけでコロナ感染者は1,000万人をとっくに超えてしまっている。 1月4日(月) ☆晴天の一日。 天候は下り坂。 ☆午前に版画の刷り直し。 しかしいくら細心の注意を払っても、絵具のたまりによる滲みが出てしまう。 これは安くて薄い合板を使っているせいである。 やはりきちんとした厚めの合板を使って、深く彫り込まないとこの問題は解決しない。 ☆今日も年賀状で本の注文があり、レターパックで送る。 郵便の案内には返信はがきを入れるべきであったとつくづく後悔する。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 二人展の期間中にアフタヌーンコンサートを予定しているのだが、それまでに講師の片貝さんが来るのは今日が最後なので、私もハーモニカでジョイントする。 しかし、今日は非常に呼吸のコンディションが悪くて、妻と二人で練習している時から、すごく緊張して息継ぎが出来なかった。 そして片貝さんとのジョイントでは、普段はほとんどミスしない曲が全く吹けないのである。 私はこういう体調の乱れが多い。 インド旅行中の黄疸の後遺症なのか。 ☆今日も宮崎県はコロナ感染者が32名も確認されて、一日当たりの感染発表数として過去最多となった。 そしてお隣の新富町でも感染者が確認された。 それで新富町の公共施設は24日まで全て休館になった。 二人展を予定しているギャラリーは第2波の時には展示会の主催者が展示を取りやめたことはあったが、ギャラリー自体は閉鎖にはならなかった。 だから私たちの二人展は開催できると思うが、アフタヌーンコンサートの方は状況次第と言うことになりそうだ。 経路不明の感染者が多くなってきたので、また高鍋町内でも第3波がやって来るのではないのか。 1月3日(日) ☆晴天の一日。 空気はとても冷え込んだが、風が無かったので穏やかな気候であった。 ☆二人展で販売予定の缶バッチのうち、大きいサイズの長方形のものはマグネットタイプにすることにした。 それで種類も増やして、午前は発注用のデータ作成。 発注先の営業開始は明日からだが、今日のうちにデータを送っておく。 ☆昼に、今日届いた分の年賀状の宛名書き。 今日の年賀状にも本の注文があったので、レターパックで発送。 とうとう本を入れる封筒が切れてしまったので、ホームセンターへ走って封筒を買い、封筒を印刷する。 封筒に貼る木版画も無くなってしまったので、こちらも早急に刷らなければならない。 ☆午後は二人展の作品の刷り直し。 ところが、途中で刷り直さなくても良い作品を刷り直していたことに気付いた。 しかし最初のころは糊の配合が全く分からなかったので、絵具が渇くとボソボソの荒れた肌になってしまっていたので、刷り直して正解だったかもしれない。 とまれ搬入までもう10日しかない。 これからまだ数点は新作を作ったり、刷り直しをしたり、キャプションを作ったり、額装をしたり、やることがあまりにも多い。 ☆宮崎は年末からコロナ感染者が爆発的に増えて来ている。 まだ最近は高鍋町では感染者が出ていないが、高鍋町と二人展会場の新富町で第2波の時のように感染者が出てしまうと、二人展の開催も危うくなる。 はらはらの毎日である。 だが、届いた年賀状を読んでみると、昨年はコロナ自粛の中でかえってしっかりと自分を見つめることが出来て、何時もに無く充実した1年だった方が多い。 withコロナで前向きに生きてゆくしかない。 1月2日(土) ☆晴天の一日。 朝は冷え込んだが、日中は風も無く、穏やかな陽気。 ☆お昼から、いつもお世話になっているジャズミュージシャンの片貝さんと照沼さんをお招きしての新年会。 昨年に引き続いての、伊勢海老料理。 伊勢海老のお刺身と湯がきで舌鼓を打つ。 ☆お二人のCD制作時には何百回となく歌ってようやく収録できると言うお話に、たかが10枚20枚版画を刷って出来の悪さに愕然としている私なんぞ足元にも及ばないと 思い知らされる。 お二人はずっと東京で音楽活動をされていたので、音楽業界の裏話、特に”芸能界”の裏話はさもありなんと面白かった。 ☆一段落して、高鍋大師と持田古墳を案内する。 お二人は初めての訪問で、度肝を抜かれていた。 この場所は、特に表現に関わっている人たちには、表現の原点を考えさせられる衝撃を受けられる。 まさに魂を射抜かれる場所である。 1月1日(金) ☆新年あけましておめでとうございます。 コロナ禍の只中で開けた新年、どういう日々がこの日記に記録されて行くのでしょうか。 今年もお付き合いの程、宜しくお願いいたします。 ☆晴天の一日。 冷え込んでフロントガラスは氷結したが、風はなく穏やかな陽気となった。 ☆昨年に引き続いて、妻と高鍋大師へ初日の出を拝みに行く。 やはり人の出は昨年の3分の1くらいだった。 今日は水平線上には雲があって、海から上がってくる初日は拝めなかったが、雲の透き間からは光が差し、このコロナ禍の日々も必ず雲が晴れると言う啓示を受けた。 ☆妻と二人きりの正月を迎え、ささやかなお節で屠蘇を呑む。 妻の運転で日向へ年始に。 妻の実家の墓参をして、義姉宅へ年始あいさつ。 昨日届いた缶バッチを見て貰って、二人展での販売の方法など女性視点でのアドバイスをいただく。 ☆縁戚のEさんから大変興味深い話を伺った。 彼女は今、宮崎市の気功師のもとへ治療で通っていると言う。 先日治療に行った時に、私の本も持参し、何かの所作で本を封筒ごと気功の先生に預けた。 その途端に、”何、これ!”と気功師は非常に驚かれた。 封筒から凄い波動がするのだと言う。 先生は封筒から本を取り出されて、ページをめくると、本から凄い”浄化”の波動が出ているのだと言う。 それでEさんは、本を気功の先生にプレゼントされた。 先生は、疲れた夜は必ず「月の雫」を開いて、眺めては精神を浄化されているのだと言う。 私の本はそんなオーラを放つ本だったのか。 ☆高鍋への帰路に、佐賀大学の後輩から新聞記事の写メがラインで届いた。 それは今日の西日本新聞の記事で、伊藤先生の新春詠と「月の雫」と題されたエッセイだった。 伊藤先生のエッセイは私のことについて書かれた、とても嬉しい文章であった。 後輩の彼女は、以前に伊藤先生の講演を聞いて、本に署名してもらったこともあると言う。 今、宮崎では西日本新聞は販売されなくなったので、彼女のラインはとても有り難い。 ☆今日は正月早々、本が4冊売れ、年賀状でも本の注文を複数いただいた。 それで、版画を貼った封筒が底を尽きてしまった。 これでは再追加購入した50冊も早いうちに売れてしまうかもしれない。 正月早々、嬉しい気分である。 ☆チェコのMartinからも、昨日本が届いたと言う連絡を貰った。 これでEMSで海外へ送った本は全て無事に届いた。 ☆夕刻に年賀状の宛名を書く。 年賀状は、正月にならないと書けない長年の習性である。 |
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