Back to toppage このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。 過去の日記 2021 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2020 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 |
2021 | 10月31日(日) ☆午前は晴天。 昼前から雲が出て、一時的に小雨模様となったが、午後には雲は切れる。 陽射しが強く、風が強かったものの、冷え込みは無し。 ☆午後に衆議院選挙の投票。 そのまま、妻と新富町の”ギャラリーしんとみ”へ。 年明け直ぐに始まる二人展の打ち合わせ。 今回もアフタヌーンコンサートを予定している。 前回はコロナで開催できなかったが、今回はもう落ち着いて来ているので、入場制限も無く予約なしで開催できるのではないか。 ただ、”ギャラリーしんとみ”は半民半官運営なので、行政側の判断が必要になる。 ☆木版画の彫り作業と新しい版画のプランを考える。 10月30日(土) ☆朝のうちは秋晴れの上天気。 陽射しも強く、外気は暑いくらい。 昼前から雲が出て来て、暮れてからは雨となる。 ☆朝のうちは行楽日和だったので、妻と西都原考古博物館へ出かける。 今回は「イノシシと人間」という特別展が開かれていたが、常設展は何度観ても新しい発見がある。 3階の展望ラウンジに初めて上がってみて、テラスから西都原全景を見渡すとなんとも清々しい。 今は丁度コスモスが満開で、多くの人々が訪れていた。 古墳公園はとても手入れが行き届いていて、あちこちの芝生の上の木陰ではお弁当を開いている家族やグループがたくさんおられた。 ☆伊藤先生からのメールで、今日の毎日新聞文化欄に先生のインタビュー記事が掲載されていて、「月の雫」も写真のみ掲載されているという連絡をいただいた。 コンビニに走って毎日新聞を求め、帰宅して開くとあっと驚く大判のインタビュー記事であった。 「月の雫」の写真にはきちんと”教え子で彫刻家・田中等との『月の雫』”と記載してあった。 大きすぎてA4サイズのスキャナーではスキャンできないので、紙面を2つに分けてシキャンし、フェイスブックに上げたり、知人たちにラインで送る。 こんな凄い先生なのに、教え子の私たちには実に親しく付き合って下さる。 夕刻には11月10日の1年越しの出版祝の居酒屋の場所を、電話で連絡いただいた。 ☆昨日の車突入による”あかり”破壊の件は、”おざわ別館”から建物の損害補償と一緒に保険請求してもらうことになった。 ”おざわ別館”は、あかりプロジェクトを進めてきた”まちなか活性化協議会”の会長だった小沢氏の店舗である。 その会長の店舗に設置した”あかり”は、まちなか活性化協議会のシンボルである。 その”あかり”が消失することは、まちなか活性化協議会の歩みそのものを自己否定することになる。 ”あかり”が事故死して消えてしまったからと言って、そのままには出来ないのだ。 保険が出たら、それで新しい”あかり”を作って設置しなければならない。 10月29日(金) ☆快晴の一日。 陽射しが強く、暑いほどの陽気。 ☆午後に、今進めている仕事の件で、元・南九州大学造園科教授の北川先生にお会いして、専門家の立ち場での作品設置場所の景観デザインについてのアドバイス をお願いする。 ☆フォークリフトの修理見積が上がってこないので、トヨタL&Fを訪ねて状況を確認する。 持ち帰ってもらったバッテリーはやはり充電しても使えず、今は冬場を迎える前のバッテリー交換が多い時期で、私のリフトと同じバッテリーがよく中古品として出るのだ と言う。 それで新品に交換しても、他の部品に問題が有って修理が出来ないようなら無駄な出費になるので、中古のバッテリーが入った時にそのバッテリーで点検をしたい と言うことであった。 ☆夕刻5時過ぎに、木版画の版木を彫っていたらドスーンというかなり重く激しい音がした。 丁度、ガスボンベが落下した様な金属音の混じった衝撃音だが、それにしては重すぎる音だった。 暫くすると人々の話し声が聞こえて来たので、気になって外を見ると、なんと道向いの”おざわ別館”に設置してある私の作った”あかり”に車が突っ込んでいる。 慌ててカメラを持参して駆けつける。 車はまともに私の”あかり”に突っ込んで、さらに”おざわ別館”の柱をへし折ったり戸口を押しやっていた。 運転していた男性は運転席で気を失っているが、怪我は無いようだった。 それにしても交差点角でもないのに、どうして商店街の狭い道路を走っていた車が直角に家屋に突っ込んだのだろう。 状況を聞くと、車は”おざわ別館”の前のパーマ屋さんの駐車場から道路に出たらしい。 しかし、商店街の通りからは駐車場に入れない様になっているので車止めのポールが設置してある。 車はその車止めのポールを押し倒して、そのまま真向いの”おざわ別館”に突っ込んでいる。 おそらく車止めのポールにぶつかって、慌てて急ブレーキを踏んだつもりがアクセルを強く踏んでしまい、そのまま突進してしまったのではないのだろうか。 ☆時刻は丁度夕刻の車のラッシュタイムで、救急車やパトカーが来て作業をしている間にも間断なく車が通り抜けて行って、一体は騒然となった。 迂回する車が我が家の前を抜けるので、今年のオリンピック聖火リレーで我が家の前が迂回路で大渋滞した時と同じ状況になった。 ☆私にとっては、この事故は私の”あかり”への突入事故である。 しかし誰も私の”あかり”のことには気付きもしない。 私が”あかり”の破損状況を写真に撮っていても、誰れも”あかり”のことを気にかけて私に声を掛ける気配さえない。 この”あかり”は、商店街の活性化のためのシンボルとして設置した作品である。 だが、商店街の人々にとって、”あかり”の存在など微塵にも意識のなかに無いのである。 この”あかり”は私の本にも掲載してある、私の大好きな作品である。 ☆みんなが絶え間なく往来する車の交通整理をしているところにいても邪魔になるので、私は帰宅して2階のベランダから様子を眺めて居た。 今日の午後に北川先生と話しながら、私のあかりプロジェクトの話になり、この”あかり”についても話したばかりだった。 だが、商店街の人たちにとって、目の前で展開されている騒動の中では、車に突撃され粉々になって下敷きになった”あかり”など目にも這入っていない。 2階のベランダから眺めながら、胸の中は張り裂けそうで、あまりにも哀しかった。 ☆私の彫刻が車に追突されたのは2度目である。 一度目は、一つ隣の交差点角にある”つくみやフルーツ”に、交差点内での出会い頭の衝突で跳ね返された車が店舗角に設置してあった私の彫刻を直撃した。 それがクッションとなって、車は店舗の中に突っ込むことはなかった。 今日の事例もそうである。 車が私の”あかり”に乗り上げなかったら、”おざわ別館”はもっと大きな損傷を受けた。 ”つくみやフルーツ”の場合は、私の彫刻は仮設置で作品所有は私だったから、ちゃんと保険金が出た。 今回の場合は”あかり”の所有者は”おざわ別館”である。 保険請求は”おざわ別館”が建物の損傷補償とともにすることになるだろう。 10月28日(木) ☆今日も気持ちの好い秋晴れ。 ☆一日、木版画の制作。 昨日の版木の彫り作業の続きと、次の版画の下絵プラン。 ☆若山牧水賞の選考委員会で超多忙だった伊藤先生と連絡が取れ、1年越しの出版祝の日程が決まった。 編集担当と表紙デザイン担当、そして我が家と伊藤先生のスケジュールが合致したのは11月10日のみ。 後になって気が付いたが、本の出版日は昨年の11月11日だった。 全くの偶然で、丸々ぴったし出版1年後の出版祝となった。 ☆石販業者からの情報では、今のところ中国でのコロナ再拡大の影響は石の輸出には影響は出ていないということ。 今日も中国から門司港に石材を積んだ船が入港しているということである。 ☆今朝、亡くなったはずの高校同級生からラインが届いた。 ビックリして、念のためコメントを送ると、既読になった。 この同級生は、近年の諸連絡であて先不明で郵便物が返って来たし、彼と中学同窓であった同級生が彼は亡くなったと教えてくれたのである。 しかし某君が今年に個人的な案内を同級生たちに送ったところ、彼から返事が返ってきたので、あの世から返事が来たと騒動になった。 それで彼は亡くなったという情報源の同級生に再度確認すると、やはり彼は間違いなく亡くなったと言うのであった。 だが、ラインが既読になったと言うことは、ちゃんと本人が見ているということである。 狐につままれた感じである。 10月27日(水) ☆快晴の一日。 冷え込みは無し。 ☆一日、木版画の作業。 午後から版木を彫る。 6mm厚のシナベニヤを裏表彫っていたら、途中で板が割れはじめた。 裏表から彫ったので板の厚みが保てなかったのだと思ったが、合板なので合わせ目にしっかり接着剤が這入っていないためらしい。 本当は9mmのシナベニヤを使いたいが、ホームセンターには置いてない。 ☆進めている作業の見積もりがなかなか揃わず、足踏み状態である。 消耗道具はネットで調べて自分なりに見積もり計算していたのだが、いつも取引している業者に見積もりをお願いしていたら、ダイヤモンドディスクはネット価格と ほぼ変わらなかった。 そうなると、アフターサービスを考えると、やはり業者から購入した方がいい。 また以前使っていた工具がここ数年でほぼ製造終了となって、性能が低下してきている。 10月26日(火) ☆快晴の一日。 陽射しが暖かく、昨日のような冷え込みは無し。 ☆木版画の下絵作業。 ☆伊藤先生から、歌人・久々湊盈子(くくみなと えいこ)さんの主宰される歌誌「合歓」の第94号が送られてきた。 ”歌集を読む”コーナーで、吉田久枝さんが「MOON DROPS 月の雫」の書評を書いていただいている。 私の本は出版してもう間もなく1年になるので、おそらく最後の書評だろう。 見開き2ページで、丁寧に本を読んでいただいている。 クーパーの英訳も記載していただいている。 伊藤先生のお蔭で、多くの歌人の方たちに「MOON DROPS 月の雫」を読んでいただいた。 書評の最後はこう締めくくってあった。 ”『月の雫』には、月の作品が一番多く、「月の歌人」と言われる伊藤にとっても相応しい題名であると思った。” 本のタイトルは私が伊藤先生に提案したものだったが、伊藤先生が「月の歌人」と言われていることなど全く知らなかった。 10月25日(月) ☆夜中に雨。 雨は夜明け前には止んだが、午前は再び雨となり、水冷で急激に冷え込む。 午後は雲も切れて晴天となったが、冷え込みはそのままで、夕刻に買い物に出ると殆ど初冬の寒さだった。 ☆午前に、高鍋町役場へライブの駐車場として使わせてもらった児童公園の鍵を返却。 ☆今日からは、正月明けの版画二人展とギャラリーでのアフタヌーンコンサートの準備に這入る。 先日の木城町・ピムリコの演奏をピムリコの で観ることが出来るが、ピムリコでは殆ど緊張しなかったので、一昨日のライブより全然好い。 また今夜からはギャラリーでのコンサートに向けての練習を始めて、以前に練習していた曲を演奏すると、久しぶりなのに体が覚えていてミスも無くスムーズに 演奏できる。 練習あるのみ。 ☆ニュースでは、中国でまたコロナ感染が拡大し始めているらしい。 発注している石の輸入に影響が出ないことを祈る。 またロシアでは、デルタより強力なコロナ変異種が感染拡大していると言う。 フェイスブックでは友人の海外彫刻家たちが、毎日のようにシンポジウムでの制作の様子をアップしている。 ヨーロッパではほぼ正常にシンポジウムが開催され始めているようで、羨ましい限りだが、中国やアジアの様子を見ていると、私たち日本人の彫刻家が従来のように 海外のシンポジウムに参加できるようになるのには、まだしばらくは時間がかかるのではないのだろうか。 特に私のように空港まで公共交通機関を使わなくては移動できない地方在住の彫刻家は、日本帰国時の2週間の自主隔離が解除されない限りは。 10月24日(日) ☆曇天の一日。 気温の冷え込みは無し。 ☆片貝さんが昨日のライブをユーチューブに上げていただいたので、ワイヤレススピーカーで演奏を聴く。 間違った部分がそれほど目立っていなかったり、きちんと演奏出来たと思っていたところが早く這入り過ぎていたり。 妻もいつもの声の伸びが無い。 反省点ばかりである。 ☆今日は一段落して、ぼんやり過ごす。 しかしもう2か月後の正月明けには版画二人展が控えているし、ギャラリーではまたアフタヌーンコンサートの予定である。 10月23日(土) ☆素晴らしい秋晴れの一日。 風は出たが、暖かい陽気。 ☆今日は緊張のライブ。 午前は、会場の南町公民館の設営。 会場の壁面に私と妻の版画を展示し、販売用のマグネットのレイアウトをする。 昼前にサポートの片貝さんと照沼さんも加わってステージと音響の準備。 そしてリハーサル。 ☆午後1時半に開場。 多くの方は1時過ぎには来られて、当日のキャンセルはなく、コロナでの収容制限一杯の29名の方たちにお出でいただいた。 ☆午後2時からオータム・ライブ。 これまでのライブの中では最も緊張の度合いは低かったのだが、やはり演奏に這入るとミスばかり。 呼吸が強張って、折角の私のハーモニカ独奏もいつもの伸びやかな美しいメロデーがまったく響かない。 完全に音が縮こまって、要所要所で音が詰まったり、音を飛ばしてしまったりで散々であった。 ☆今日は高校の同窓生や日大高校の教え子たちが来てくれていたので、休憩時間に彼らとお喋りをしていたら、殆ど緊張感はほぐれてくれた。 後半は会場の皆さんの顏も見渡せるようになったので大丈夫かなと思ったが、やはり演奏を始めるとミス連発であった。 今日は満足に吹けた曲は一曲も無かった。 アンコールの口笛も完全にスカスカで息しか出なかった。 緊張というものをあまりしない妻も今日は声の伸びが全くなかった。 ☆幸い、お客さんたちからは感激の声をいただいた。 涙を流される方も居られたので、ほっと安堵する。 ☆夕刻から居酒屋で打ち上げ。 実は会場を南町公民館に設定したのには理由が在った。 私が公民館長をしていた時に、同じく南町公民館長をされていてジャズ愛好家であった山本さんから、公民館でジャズライブをやりたいという相談を受けた。 是非、と後押しをして南町ジャズライブが始まった。 ほとんど山本さんの手弁当で、月に一度、錚々たる著名なジャズミュージシャンの出演するライブとなった。 最初は私一人で出かけて行っていたが、その内に妻と一緒にワインとおつまみ持参で出かけるようになり、妻に自分もジャズを歌いたいという気持が芽生えた。 そのステージに立つミュージシャンの一人に片貝さん居られ、妻は片貝さんがボーカル講師をされていることを知り、早速彼女からボーカルのレッスンを受けるように なった。 それからハウスパーティーのなかでライブをするようになり、私も若いころにハーモニカをいじっていたので一緒に演奏することになった。 その山本さんはヨットマンでもあったが、私がマレーシアに居た2年前に、荒波でヨットが転覆して亡くなられた。 山本さんが南町ライブを始めなかったら、妻も私もステージに立つことはなかったので、山本さんへの恩返しで南町公民館でライブをしたかったのである。 10月22日(金) ☆午後には雲が出たが、概ね晴れ。 昨日ほどの冷え込みはなし。 ☆一日、明日のライブの準備とハーモニカの練習。 泣きたい程、上手く吹けない。 ☆今日も宮崎のコロナ感染者はなし。 10月21日(木) ☆雨の一日。 気温はあがらず、殆ど一気に冬。 寒くて、ジャンパーを着る。 ☆午後は明後日のライブのリハーサル。 会場の南町公民館をお借りして、サポートミュージシャンと一緒にプログラム通りにテンポの調整をしたりしながら演奏する。 アンプはわが家で使っているものを持って行ったが、公民館の空間では音が凄く広がって、ビックリするくらいハーモニカの音が響く。 ただ、妻のマイクに雑音が入るようになって困ったことになった。 マイクとコードのどちらに不具合が出ているのか判らない。 前半は私も練習の成果が出て、大きなミスも無くとても気持ちよく演奏出来た。 しかし後半はいつものようにハーモニカの入りが遅れたり、途中でテンポが遅れたりと、散々な結果になった。 ☆フェイスブックを見ると、友人の彫刻家たちが次々に日本を出て海外へ向かっている。 中には、入国後2週間の自主隔離を覚悟で飛び立つ作家もいる。 彼らは殆どは日本に帰国しても、公共機関を使わずに自宅へ帰ることの出来る人たちなのだろう。 私が参加を断念したエジプトのシンポジウムも普通に始まっている。 私はいつ海外へ行けることが出来るようになるのだろう。 ☆今日の宮崎のコロナ感染は3日ぶりにゼロ。 10月20日(水) ☆午前のうちは少し陽が射したが、概ね曇天の一日。 気温はあがらず。 ☆3日後にライブが迫ったので、一日、ハーモニカの練習。 音色はかなり良くなってきたのだが、全くの独学なので上手く音が出せない低音部や高音部、綺麗な単音がなかなか出せないなど、問題が山積である。 ネットで色々調べるが、よく解らない。 要するに練習がまったく足りないと言うことだ。 ☆ライブの時に、来年1月の版画二人展の案内もしたいので、フライヤーを作る。 この版画二人展ももう二ケ月後だ。 妻は着々と準備を進めて、もう殆ど出品作を用意しているが、私はやるべきことが有り過ぎて、全く何の準備もできて居ない。 相変わらず、私は尻に火がつかないと必死になれない。 ☆石販業者から、中国にお願いしていた今回輸入する石材のサンプルが届いた。 中国からの郵便物もかなり遅れているというが、ほぼ正常な日程で届いている。 ☆宮崎のコロナ感染者はほぼ落ち着いたかに見えたが、今日は県外で感染者と接触した人の感染者が出た。 10月19日(火) ☆午前は晴天。 午後からは雲が出る。 ☆午後に商工会議所から呼び出し。 昨日投函した緊急支援金の申請書類の不備があったので、修正する。 ☆夕刻に、制作場への仮設電源の見積もりをお願いしていた事業所から、打ち合わせの連絡があり出かける。 ☆夜に伊藤先生から電話があり、先日の短歌オペラの感想を聞かれる。 先生が若い乙女になりきって”代作”された短歌が面白かった旨をお話すると、”代作”という手法は短歌の世界では1つの伝統的な手法なのだと言う。 男性が女性に成り代わって歌を詠むと言うのは平安時代からの手法だということであった。 落ちついたら本の出版祝をしようということになった。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は1名。 これまでの感染者との接触者で、ほぼ第5波は落ち着いたようだ。 10月18日(月) ☆すっきりした秋晴れ。 午後からは雲が出てくる。 ☆一気に秋が来て、この秋一番の冷え込みとなった。 夜中、夏布団では寒くてたまらず、午前に毛布を抱えてコインランドリーへ。 みなさん同じように毛布を抱えて駆け込んでこられた。 ☆高鍋町の事業者緊急支援金の申請が始まっていたので、午前のうちに書類を揃えて投函。 ☆午後に高鍋町役場の建設管理課へ。 今週土曜日にライブを開催する南町公民館に隣接する児童公園の、駐車場使用許可の申請をする。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は3日連続でゼロ。 10月17日(日) ☆夜中に雨。 日中は秋晴れの上天気。 一気に秋の気配になり、肌寒い一日。 今年の秋はセイタカアワダチソウの繁殖がもの凄い。 みなさんも驚かれているようで、フェイスブックに投稿される方が多くなった。 ☆午後は木城町の”ピムリコ”のジャムセッションに妻と参加。 今週末が妻とのライブなので、事前の度胸だめし。 ここのジャムセッションではあまり緊張してあがることはない。 それは廻りに演奏者がたくさんおられるからだ、ということに気付いた。 色んな楽器とのセッションの中でハーモニカを気持ちよく吹いていると、とても楽しい。 今日のセッションのホストは宮崎県ジャズ協会代表理事の香月保乃さんだったが、彼女がセッションにハーモニカが這入るとすごくいいので、これからも是非参加して 下さいと言われ、とても嬉しかった。 勿論、それは私のハーモニカ演奏を褒めていただいたのではなく、セッションの中でのハーモニカの音色の素晴らしさについてである。 ジャムセッションはみなさんがアドリブで這入って来られるので、私がどこで這入っていいのか全く分からない。 だからどうしても私は乗り遅れてリズムが狂ってしまう。 香月さんももともとはクラシックから這入った方なので、最初はアドリブなど全くできずに、おどおどしているうちに1曲終わってしまったのだそうだ。 それが今はジャズ協会の理事である。 積極的に参加して場数を踏むことだろう。 ☆今日も宮崎県のコロナ感染者はゼロ。 10月16日(土) ☆晴天。 まだまだ残暑の厳しい一日。 ☆今日は午後から宮崎県立芸術劇場で、国民文化祭のフォーカスプログラムである短歌オペラ「若山牧水 海の声山の声」が行われた。 その短歌オペラの時間に合わせて出かけようと思っていたが、コロナに因る外出自粛が解禁されたばかりだし、秋晴れの好天なので道中の国道も混雑しそうだし、最近は 県立美術館と県立劇場の共通駐車場は満杯で留められないことが多いので、弁当を作って午前のうちから妻と出かける。 午前のうちは県立美術館に足を運び、開催中の「皇室と宮崎」展、と収蔵コレクション展の3期展を観る。 お昼は文化公園の木陰のベンチで、心地よい風を受けて持参の弁当を摂る。 ☆午後から県立劇場へ。 第1部は、伊藤一彦先生と歌人・俵万智さんのトークイベント。 私と伊藤先生の共著の本は、宮崎空港の書店では俵万智コーナーの隣に置いてあるが、俵万智さん本人を見たのは今日が初めてである。 お二人とも超著名人である。 伊藤一彦先生の名前を新聞紙上に見ない日は殆ど無い。 つくづく、大変な方に気安く声を掛けて、一緒に本を出版したものだと思った。 そうなると、やはり私の本は何らかの賞をいただいて、伊藤先生に恩返ししたかったなと痛感した。 ☆第2部は、伊藤先生脚本の短歌オペラ「若山牧水 海の声山の声」 このオペラは、第一幕が牧水と人妻・園田小夜子との恋物語、第二幕は愛妻・喜志子との出会いと苦楽の日々、第三幕は、故郷日向での母と日向への想いの絶唱、 という展開で、牧水の親友であった平賀春郊の成り行きの語り、朗唱で進められていく。 私はオペラというものは初めて見た。 もっと演劇性が在るのかと思ったが、そういう身振り素振りは殆ど無く、登場人物がただ高らかに短歌を朗唱するだけである。 そして、朗唱が生の音声なので、楽器の音にかき消されて、初めの頃は内容が良く伝わってこなかった。 また道案内の平賀春郊の存在も、牧水のことをある程度知っていないとよく理解できなかっただろう。 妻は俵万智の「牧水の恋」を読んでいたし、私もある程度の流れは知っていたが。 ☆妻の喜志子は歌人であったので、彼女の短歌は残っている。 しかし小夜子も母・マキ(若山牧水の”牧水”は母・マキと実家の前を流れる細渓川の水から採られている)も短歌を詠むたしなみは持って居なかった。 それで小夜子と母・マキの朗唱する短歌は、二人の気持になりきった伊藤先生の”代作”である。 喜志子の歌も、出会いのころの恋愛の歌は伊藤先生の代作である。 つまり、もう78才の伊藤先生が、うら若き乙女の心で恋心の歌を作られ、オペラ歌手に朗々と歌ってもらっておられるのである。 なんという幸せなことか。 この短歌オペラは、伊藤先生の牧水研究、牧水への敬愛への集大成であろう。 ☆伊藤先生と奥さんも、一般座席で鑑賞されていたので、幕間に簡単に挨拶した。 2年越しの国民文化祭、芸文祭は明日で終了である。 企画委員長だった伊藤先生の肩の荷もようやく降りる。 一段落したら、1年越しの本の出版祝をしなくては。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は、2日ぶりにゼロ。 10月15日(金) ☆晴天。 今日も残暑の厳しい一日。 ☆見積をお願いしていたコアの専門業者からようやく返事が届いた。 単価は想定外に安かった。 しかし、やはり御影石は大変な作業になるので、実際のところやってみない事には経費は算出できないのだと言う。 御影石も石種によってダイヤモンドのかかりの良い石と、まったく歯が立たない石もある。 作業にかかってみたら、全くコアカッターの刃が喰い込まず、宮崎市から何日も通うことになったら、業者は大赤字である。 ☆午後に、高鍋町美術館で開催中の「ギフト展」を観に行く。 これは現在開催中の国民文化祭・全国障害者芸術・文化祭の一環の企画である。 私は芸術の世界はプロもアマも、まして健常者も障害者も一切の垣根のない平等な世界だと思っているので、この障害者芸術と言う視点にはずっと受け入れがたい 違和感が在った。 まして、特に知的障害のある人たちの作品は、人に観て貰うために表現しているものではなく、彼らの生そのものの行為である。 そうした彼らの作品に対して、展覧会で賞を与えると言うのはあまりにも勘違いが甚だしく、理解できない。 現在も宮崎県立美術館で開催している「全国障がい者アート作品展」では、障害者アートの専門家が審査員を務めて受賞作品を選んでいる。 はなはだ理解に苦しむ。 障害者の方たちの中には、私たちと同じ感覚で公募展に出品して受賞している人もいる。 そういう方たちは、一般の表現者とまったく同じ土俵で表現できるのだから、「障害者アート」という区分けは一切必要ない。 だから、今回の「ギフト展」にはなかなか足が向かなかったのだが、明後日で最終なので、ちょっと顔を出すつもりで出かけた。 ところが、その先入観は見事に打ち砕かれた。 そもそも高鍋町美術館の場合は、青井学芸員が「現代性」に着目して毎年企画開催している「アーティストファイルシリーズ」のスペシャル版である。 だから、障害者アートという枠内で認知される作家に対して、「アーティストファイル」の視点でしっかり作家性に焦点が当てられている。 私たちも「障害者」というフィルター抜きに、その作品に引き込まれてしまう。 大半の知的障害者の方たちは、作品制作を人に見せるためではなく、自分の生命のよりどころとして表現しているに過ぎない。 それは私たち表現者が日常的に問答させられている”お前は何のために表現しているのだ”という鋭い刃に身悶えしている、実に孤独な戦いと通底している。 私たちは頭で考えてしまうので壁にぶち当たり、悶々と自己問答しなければならないが、知的障害者の方たちは”生”そのものの行為として行っている。 だから、私たちは彼らの作品の中に”表現”の源泉を見出して、魂を射抜かれてしまう。 実は青井学芸員も、この「障害者芸術」というものは受け入れがたかったのだということである。 それだから為しえた今回の「ギフト展」なのだ。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は4名。 なかなかゼロが続かない。 10月14日(木) ☆晴天。 いく分吹く風が秋めいてきた。 午後後半からは曇天。 ☆午前は見積もり関係の作業。 香川の国民文化祭の受賞作品も平たい大きな作品だったので、資料を調べると、心棒は90mm径のステンレス棒を使っている。 コア作業は香川の石材店で開けてもらっている。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 いよいよ来週末がライブとなったので、今日も当日の演奏曲を通しで演奏する。 ハーモニカの私は相変わらず音を外したり、どこで這入っていいのか判らなかったりのミスが続くが、大きな失敗はなかった(と、妻の評)ので、残り1週間をさらに 練習を重ねよう。 ☆今日も宮崎のコロナ感染者はなし。 10月13日(水) ☆夜中にもの凄い集中豪雨。 雨は夜明け前には止み、昼前から青空が広がり、蒸し暑くなる。 夕刻に小雨となって、虹が立つ。 ☆今日も一日、見積りの作業。 午前に西都市まで走って、建機サービスでコアカッターについて問い合わせようと思った。 ところが建機サービスのあったところは稲尾リースになっており、スマホで調べると、もう西都市には建機サービスは存在していなかった。 帰宅してネットで稲尾リースのリース機材を調べたら、コアカッターが何種類かあったので、電話で問い合わせる。 やはり口径は120mmまで大丈夫だし、リース料もすごく安い。 しかし深さは25cm余までしか掘れないということ。 埋め込みが25cmでは、地震でモニュメントが大揺れした時には心棒が抜けてしまう。 専門業者からの返答を待つべきか。 ☆午後は川南町の運輸業者へ走り、リフトとプレハブ倉庫の搬送の見積もりを出してもらった。 至極丁寧な対応で、その場で見積もりを出してもらった。 ついでに設置の時の作品運搬のトレーラーの見積もりも出してもらった。 1つづつ問題をクリアーできている。 ☆石販業者からの連絡で、日通は門司港からの石の運搬には国土交通省への道路許可申請が必要だという。 申請許可に30日ほどかかるということで、今のうちに申請が必要だということ。 石は鉄枠に組んで建てた状態で運ぶので上背が有り、それで30トンの低床トレーラーという特殊車両で運ばれるので、許可が必要なのだということ。 石販業者も初めてのことで、未体験のことばかりである。 ☆西米良の写真家の小河氏が、すい臓がんで60歳の若さで亡くなったという今朝の新聞記事にビックリした。 私とは宮日総合美術展の企画員会で一緒だったので、何度か親しく話したことのある間柄である。 またつい先日は、高鍋駅のストリートピアノのお披露目演奏会に出演予定だった「ミール」(モスクワ音楽院出身で高鍋町在住のデュオ)のヴァイオリニストのご主人が、 お披露目演奏会の当日の朝に40歳の若さで突然死したばかりであったし、そのピアノの持ち主だった鉄工所のご主人が今年の初めに亡くなられていたのも、コンサートの 時に初めて知った。 もう私も72歳。 しばらく放置していた高鍋町での制作環境を再び立て直そうとしているが、現役で頑張れるのは残り数年である。 今回の大仕事が命取りにならない様に、無理をしない作業工程を組もう。 作業を始める前にはきちんと神事をしよう。 ☆宮崎空港で開催されていた”MEETS ART”が今日までだったので、夕刻に搬出に出掛ける。 高鍋を出るころから小雨となったので、ビニールシートを積んで行ったが、空港滞在中に雨は止んでくれた。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者はゼロ。 10月12日(火) ☆ぐっすり眠っていたので気が付かなかったが、夜明け前に雨が降ったようだ。 午前も雲が多く、今にも雨になりそうな気配だったが、午前のうちに雲は晴れて、今日も残暑の厳しい蒸し暑い一日となった。 なかなか秋にならない。 ☆午前にアンジェラスの森へ上がって、トヨタフォークリフトの担当者のリフト点検に立ち会う。 よくぞ昨日、まがりなりにも汚れを洗い流しておいた。 取りあえずバッテリーの点検から始めるということで、バッテリーを持ち帰ってもらった。 バッテリーはもう駄目になっていると思うので、その場合はバッテリーを交換して、順次老朽化した部品を交換していくことになるのだろう。 作業はアンジェラスの森で進めると言うことで、動くようになった場合は、今回の新しい作業場へ運ばなければならない。 私のリフトは4トンリフトなので、自重が8トン有る。 運搬のことを尋ねると、大型の運搬車で作業してくれる運輸会社を紹介してくれた。 一度、この運輸会社にリフトとプレハブ倉庫の移送の見積もりを出してもらおう。 ☆宮崎県の、新型コロナ感染症に関する8〜9月分影響の県内事業者緊急支援金の申請受付が始まった。 私も用件に該当するので、午後は書類をダウンロードして、申請書類の作成をする。 5月分の支援金の手続きをしている事業者は幾つかの提出書類が割愛されるし、書類の書き方も前回とほぼ同じなので夕刻までには一式を整える。 前回同様、商工会議所に郵送することになる。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は1名。 これまでの感染者との接触者への感染がなかなか止まらないようだ。 10月11日(月) ☆夜中から朝方までもの凄い雨。 非常に蒸し暑く、体がベタベタとする。 日中は晴天で、相変わらずの厳しい残暑。 とても、爽やかな秋の気配ではない。 ☆リフトの点検をしてもらうのに、ジャングルの中に遺棄された戦時中の戦車状態では申し訳ない。 高圧洗浄機で洗おうと思って、午前にケルヒャーの高圧洗浄機を点検。 買った時は調子よかったのだが、直ぐに圧が弱くなって使えなくなり、そのまま放置していた。 まだ使ったことのない水タンクからの自吸ホースを使ってみたら、なんとか使えそうだった。 ☆午後からポリタンクに水を入れてアンジェラスの森へ上がり、リフトを高圧洗浄機で洗おうとするがやはり圧が弱くて、殆ど使い物にならない。 ただ時折り、思い出したように高圧の水が出る。 帰宅して吸水口のフィルターを外してみたら、青ノリで目が詰まっていた。 水を含んだまま放置していたので、ノリが張ってしまっていたようだ。 ☆夕刻から高鍋駅で催された、ストリートピアノのお披露目コンサートへ出かける。 我が家はテレビが無いので知らなかったが、今、駅にストリートピアノを置くのがブームになっていて、そのピアノを旅人が弾く番組があるのだそうだ。 宮崎県では、今回の高鍋駅に設置されたピアノが設置第一号だということである。 ピアノはグランドピアノで、私と懇意にしていた鉄工所の多趣味なご主人が弾かれていたもので、ご主人が今年の初めに亡くなられたので、観光協会がピアノを購入して 高鍋駅に設置したもの。 今日のお披露目のピアノ演奏は宮崎市のピアニスト、今村さつきさん。 高鍋駅は来年度に建て替えの予定で、ピアノは新駅舎にも引き続き置かれる。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は1人。 なかなかゼロが続かない。 10月10日(日) ☆非常に蒸し暑い夜だった。 日中も残暑の厳しい、蒸し暑さ。 いつもだとこの時期は冷気の中から漂って来る木犀の芳香に心が落ちつく、ひと肌恋しい爽やかな季節なのだが。 ☆今日も一日、見積もりの作業。 日向現代彫刻展の大賞作品は、やはり本設置の時には心棒の径を大きくして、心棒穴を開け直している。 その作業は建機のリースでコアカッターを借りて、7,5mm径の穴を開けている。 ほぼ1日の作業で6本のコアを開けている。 リース料も非常に安かった。 そして、台座の穴は削岩機の縁切り作業で開けている。 今回もこれで充分ではないのか。 ただこのコアカッターで深さがどれ程まで掘れるのかは、建機サービスに確認しなければならない。 ちなみに私の持っているHILTIのコアドリルでも82mm径までは開けられることがわかった。 ただHILTIのコア作業は御影石にはとても時間がかかるし、径の大きいコアビットは単価が高い。 ☆その他、消耗品のドライカッターなどもネット価格を調べる。 今は、彫刻家の仲間はみんなドライカッターなどの消耗品はネットで安く買っているようだ。 ☆広い面の研磨作業に重宝していたベルトタイプのエアー研磨機が、日本国内での生産を中止して久しい。 今回の作業は面が広いので、台湾の張さんに、台湾で買えないか問い合わせてみた。 というのは台湾・嘉儀のシンポジウムの時に、工具店が小ぶりだが同じタイプのベルト研磨機を展示販売していたのである。 しかし張さんの返事では、台湾では金属の研磨用のベルト研磨機はあるが、御影石用はない、という。 だが石のシンポジウムに金属用のエアー研磨機を展示販売する訳はないし、工具店に確認してもらうことにした。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は1名。 最近の感染者は全員がこれまでの感染者との接触者なので、もうそろそろ第5波の感染者は出なくなるのではないのだろうか。 10月9日(土) ☆概ね晴天。 しかし雲の変化が大きく、何度かにわか雨となる。 夜には一時的に嵐のように激しい雨となった。 台風の影響もあるのか、とても蒸し暑い。 ☆一日、見積もりの作業。 午前はアンジェラスの森の整備行程をもう一度見直して行く。 作業場に敷いた枕木は、JRの払い下げで1本200円だった。 ネットやホームセンターで買うと50倍の価格である。 次第に胃が痛くなってくる。 ☆午後はプレハブ倉庫の運搬などについて、ネットで色々検索する。 だが6トントラックでもプレハブ倉庫は荷台からはみ出してしまう。 アンジェラスの森から作業場に運ぶプレハブ倉庫、リフト、コンプレッサーを別々に運んでいたら、それぞれに重機やトラックの手配が必要になる。 効率的な方法を業者に見積もってもらうのが正解かもしれない。 ☆コア作業もネットで調べると、やはり専門業者による作業費用は相当に高い。 御影石に50cmの深さの穴を開けてあけて貰うとしたら、宮崎市の専門業者が返事を濁してしまうのは当然のようだ。 多分数日かかるし、やはり目玉が飛び出るような高額の作業費用になるのだろう。 中国の工場で60mm径の穴を開けて貰い、それを削岩機等で拡大する方が経費も掛からず、効率的ではないのか。 だが、日向現代彫刻展の大賞作品は、3段積みだったので、本設置の時にはリースのコア機材でかなり径の大きな心棒穴を開けた気がする。 やはり見積もりが出せるまでにはまだまだ時間がかかる。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は1名。 10月8日(金) ☆今日も陽射しの暑い残暑厳しい一日。 午後に雲が出て曇天となり、雨になるかと思ったが直に雲は晴れる。 ☆昨夜は早く寝たので、昨夜の東京での震度5の地震のことは今朝まで知らなかった。 スマホには息子たち同志の安否を尋ねるラインが這入っていたので、妻は枕元のスマホで地震が在ったらしいこと知っていた。 日本中、地震ばかりだ。 ☆一日、見積もり関係で動く。 まずトヨタエルアンドエフで、リフトの点検をお願いする。 これまでに何度か点検をしてもらっているので、担当者は私のリフトを記憶していて、アンジェラスの森も知っていた。 兎に角、動くことが出来るのかを点検してもらわねばならない。 次に、制作場所近くの電気工事店へ、仮設工事見積もりの依頼。 今日は担当者が不在だったので、後日に現場で打合せをする。 ☆午後は重機業者でクレーンの見積もり依頼。 ところが私が考えていた25トンラフタークレーンでは、16トンまでしか吊り代が取れないのだと言う。 20トンの石を作業するには65トンラフタークレーンでないと無理だと言うことである。 65トンラフタークレーンの料金は25トンラフタークレーンの倍以上する。 場合によっては、25トンラフタークレーン2台での作業になるかもしれない。 いずれにせよ、アンジェラスンの森ではクレーン作業もできなかったということである。 クレーン作業は6,7回になるので、相当な経費となる。 ☆その足でアンジェラスの森へ上がって、リフトの周囲を片付ける。 動かなくなってから、もう長年放置してあるので、ジャングルの中に放置された戦車みたいなものである。 果たして、再び動くのか。 そして気になっていたプレハブ倉庫の幅をきちんと計測すると、4トンユニックトラックの荷台内幅よりも若干長いのである。 これでは4トンユニックトラックでは運べない。 私はこのプレハブ倉庫を設置してもらった時には立ち会って居ないので、どうやって運んで来たのか全く分からないのである。 ☆枕材はネットで枕木が買えることがわかった。 ☆石販業者から、石の荷積みの予定が届いた。 それによると、12月末に中国で船積みをして、1月上旬には門司港に入り、1月中旬にはこちらへ配送される予定だと言う。 勿論、これはあくまでも予定に因る目安であって、コロナとコンテナの手配次第では大幅に遅れることも予測される。 ところがその逆に、コンテナの手配がうまく行けば、年内届きもあるということである。 私は石が届くのは早くて2月か3月辺りだろうと思っていたので、年内に届く可能性もあるとなれば、12月中旬までには制作場所の環境を整えておかなければならない。 のんびりして居れない。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は5日ぶりにゼロ。 それで宮崎県は、11日から県外往来自粛を緩和し、宮崎市の飲食店の会食制限も他の市町村と同じに変更すると言う。 10月7日(木) ☆日中は晴れ。 相変わらず残暑で蒸し暑い。 夕刻には雲が出て曇天となるが、夜には雲は切れる。 ☆午前はアンジェラスの森で作業を始めたころの設備の経費を調べる。 今回の制作場所は、全く新しく制作場所を最初から整備すると言うことである。 コンプレッサーを使うには動力が必要なので、仮設の電源を設置するにもやはりかなりの経費が掛かっている。 もしリフトが修理して使えるようになったら、その修理代も相当になるし、アンジェラスの森から作業場への運搬経費も馬鹿に出来ない。 作業を進めるために必要になってくる経費を綿密に調べておかなければならない。 ☆本体が大きいので、心棒もかなりの径が必要になってくる。 中国の工場で荒落とし作業と一緒に、心棒用のコア作業もやってもらおうと思った。 しかし工場では60mm径までしか開けられないということである。 宮崎にコア専門の業者があるので問い合わせてみたところ、本体は横打ちになるし、やはり御影石は作業時間がかなりかかるので、対応が実に重かった。 見積は簡単には出せないようだ。 乗り越えるべき難関ばかりである。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 今日もライブ当日の演奏曲をすべて流して演奏する。 私はこの1週間の練習の成果がかなり出たが、矢張りまだ上手く這入れなかったり、途中でリズムが狂ったりする。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は2人。 10月6日(水) ☆今日も快晴で、相変わらず残暑の厳しい一日。 ☆夕刻5時13分に、突然リビング中にけたたましい音が鳴り響いた。 スマホの地震緊急速報だった。 鹿児島に震度4の地震と表示され、暫くすると振れが起きた。 大きな揺れが来たらリビングのテーブルの下に潜ろうと身構えたが、揺れはそれっきりだった。 日南と串間は震度4だったが、高鍋は震度2だった。 ☆午前に制作場所を提供していただく事業所の担当者と、現地での打ち合わせをする。 水はないと思っていたが、ちゃんと制作予定場所まで水道管が来ていて、蛇口さえ取り付ければ使えることがわかった。 近所にかなり大規模な太陽光パネルが設置してあるので、防音と防塵のために竹林の傍らで制作することにした。 ☆昼前にアンジェラスの森へ上がる。 プレハブを設置する前に使っていた物置が台風で倒れて、20年ほどそのままになっている。 重くて起こせなかったのだが、プレハブを設置したので使う必要も無く、放置していた。 この物置が使えれば作業場に持って行こうかと思ったのだが、石材店から再びアンジェラスの森に作業場を移した時に、湿気で床が朽ち落ちていたプレハブの床を コンパネで補修した。 事務所で使っていたプレハブは、もう事務所も必要ないので空のまま放置してある。 点検してみると、コンパネを張った床は傷んでいないし、雨漏りもしていないので、このプレハブを作業場に持って行けば良いのではないのか。 4トンユニック車で運べそうだし、物置を新しく買うより、ユニック車を借りるほうが安くなる。 道具もかなりの量になるので、プレハブ倉庫の方が良いのではないのか。 ☆午後、再び佐土原総合文化センターへ。 若山牧水の歌を、篆刻風に描いたり、牧水の歌の中から選んだ言葉をやはり篆刻風に表現したり、なかなか面白くて、1点1点を丁寧に見ていった。 この篆刻風の絵画は、師村氏が”Tenkoku”として創作したオリジナル表現だということである。 ☆私は独身時代に佐土原町に6年間住んでいたが、当時はまだこの文化センターはなかった。 海を見渡せる庭に出て、柵に持たれながら眼下の駅前周辺を眺める。 37年ぶりに見る佐土原の町は、昔の面影は何処にもなかった。 ☆帰宅して、今回の仕事に必要な経費を書き出してみた。 石が大きいので、25トンラフタークレーンだけでも6、7回は必要になる。 書き出してゆくと、業者に支払わなければならない経費が相当額になりそうである。 故障して動かなくなったリフトやコンプレッサーも修理して使えるようにしないと、作業が出来ない。 ダイヤモンドディスクやダイヤモンドカップの消費量も相当になる。 やはり大きな仕事は出て行く経費も半端ではない。 私の過去の大きな仕事は全て、終わってみたら経費支出が大きすぎて、利益は何も残らなかった。 今回も赤字を抱え込まない様にしなければ。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は1名。 10月5日(火) ☆快晴の一日。 今日も残暑が厳しく、車のエアコンは強めにしなければ陽射しがとても強い。 あちこちの山桜がちらほらと、狂い咲きをしている。 ☆午後に佐土原町文化センターへ。 昨夜、伊藤先生からお電話があり、篆刻家の師村妙石氏が、国民文化祭の一環で若山牧水を題材にした篆刻と書の展覧会を開催されているので是非観に行って、 と案内をいただいていた。 ところが、残念なことに今日は休館日だった。 また出直そう。 そのまま宮崎市へ走って、ホームセンターでライブチケット用の色画用紙を求める。 ☆石販業者から、中国の石山が石を確保してくれたという連絡があり、石の画像が送られてきた。 いよいよプロジェクトが動き始めた。 ☆制作環境のことをあれこれ具体的に考え始める。 今回のような20トン余もある花崗岩を、私一人で制作したことはない。 石が届いて制作にかかれるのは来春辺りからだと思うが、恐らく半年に渡る作業になり、私一人で制作していたのでは私の体が壊れてしまう。 助手が必用ではないか。 それで、日中に動けそうな知人に打診してみたところ、日中はフラフラで体を休めているので、助手は不可能という返事。 私がピンピンしているので、自分自信はまだ若いつもりだったが、考えてみれば私の友人たちは一緒に年を取っているので、もうみんな高齢者だった。 ルーマニアのシンポジウムの時に、私が元気なので、ヨーロッパの作家達は私とほぼ同じ年代でヨーロッパ在住の日本人彫刻家たちはもうみんなヨボヨボだと言って 驚いていた。 私の廻りの同世代の友人たちはもうヨボヨボの人ばかりなのだ。 かといって、若い素人のアルバイトでは作業にならない。 さらに若い友人の彫刻家たちにアシストを頼むと、大幅な赤字になってしまう。 ☆また制作場所も、削岩機等の道具が多くなるので倉庫が必要になる。 ホームセンターで物置の価格を調べる。 また物が大きいので、私の手持ちの枕材では対応できない。 枕材も大きな材の確保が必要だ。 やはり何もない野原での長期にわたる制作環境を確保するには、思わぬ出費が嵩んでくる。 慎重に入念に見積もりしないと大変なことになる。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は5人。 ゼロが続かないが、今日の感染者はすべてこれまでの感染者との接触者である。 10月4日(月) ☆快晴の一日。 日中はまだ残暑が厳しいが、風が有り、昨日よりはしのぎやすかった。 夕刻に突然の驟雨。 ☆一日、見積もり関係の打ち合わせ等のデスクワーク。 石の手配の方は一段落したので、これからは私自身の制作の見積もりを出していかなければならない。 作品が大きいので石を動かすのに、何度もクレーン車を呼ばなければならない。 中国側に荒落としをお願いしたが、石が大きすぎてコンテナに横積み出来ず、鉄枠を組んで建てた状態で運ばれてくる。 そのために下部を荒落としすると輸送途中での破損が起きる可能性が高いので、下部は原石のままである。 したがってどうしても作業場では削岩機を使わなくてはならない。 フォークリフトも必要だが、私のリフトはもう動かなくなって何年も経つし、エアーコンプレッサーも故障して動かなくなったままである。 こうした山積した問題をこれからクリアーしていかなければ作業にかかれない。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は1名。 10月3日(日) ☆快晴の一日。 今日も残暑の厳しい、陽射しの暑い一日。 全国的に30℃以上の真夏日になったところが多かったようだが、宮崎では都城市が31,5℃を記録。 ☆午前の涼しいうちに庭の芝刈りをする。 しかし次第に気温が上昇して、陽のあたるところでは帽子を被らないとクラクラした。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は、79日ぶりにゼロとなった。 お隣の鹿児島県もゼロで、全国的にも激減して来ている。 第5波はようやく終ろうとしている。 しかし第6波が来るのが確実だと言われているので、まだまだ日本帰国時の自己隔離は続くのだろう。 フェイスブックでは連日のように国際シンポジウムの開催の様子が伝えられているが、国際空港から遠方に住む私たちは、まだまだ海外には行けそうにもない。 10月2日(土) ☆快晴の一日。 今日も陽射しは暑い。 ☆制作場所の候補地の1つから借用許可が得られた。 電柱が建っているので電源は得られる。 何より30トントレーラーや25トンラフタークレーンの進入には何の問題も無い。 水道設備はないが、アンジェラスの森もタンクの水で制作してきたので何の問題も無い。 地面も芝地ではないので、石のコッパも気にならない。 民間業者の所有地なので、土地使用に関してのクレームも発生しない。 昨日見て廻った中では最高に条件の良い場所である。 ☆制作場所が確定したので、石の手配も当初のプラン通りに決まった。 午後からは、中国の業者に荒落とししてもらう図面を引く。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は3名。 なかなかゼロにならない。 10月1日(金) ☆快晴の一日。 台風の影響か、殆ど真夏の蒸し暑さ。 ツクツクボウシも再び鳴きはじめた。 ☆午後から、制作場所に適した場所をチェックしてみる。 思いの他、使い勝手の良い場所は在る。 それに今はコロナで公園等は利用禁止になっているので、利用者の邪魔になることも無い。 あかりプロジェクトで公開制作の会場を確保するのに苦労したのだが、町場に限定しなければ使えそうな場所は結構あった事に気付いた。 これから候補地の中から使用できる場所を確認していかなければならない。 しかしそれにしても今日の暑さには参った。 炎天下を歩いていると汗だくになってしまった。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は1名で、日向市の方だった。 宮崎市から感染者が出なかったのは75日ぶりということである。 今日から高鍋町内は飲食店の時短営業要請が解除されたので、我が家の近くの深夜営業のお店にも久しぶり灯が点いた。 9月30日(木) ☆秋晴れの一日。 しかし台風の影響か、また夏に戻ってしまったような蒸し暑さ。 ツクツクボウシは聞こえなくなった。 ☆見積の件で、運送業者から作業場までの進入口についての問い合わせがあったので、午前にアンジェラスの森へ走って状況を確認して連絡する。 しかし、やはり30トントレーラーが昇り勾配のある農道をバックで侵入することは不可能という返事であった。 手配しようとしている石は、アンジェラスンの森には搬入できないということがはっきりした。 アンジェラスの森で作業するには、過去に作業場に搬入して制作できた14トン前後の石に変更しなければならない。 その前に、アンジェラスの森以外での制作方法を考えてみる事にした。 まず、知人の石材店に場所を借りる事は出来ないか打診してみたが、物が大きいのでそういうスペースはないと言う返事であった。 石販業者も宮崎県の石材店はお得意さまばかりで状況を把握していて、やはり宮崎県内の石材店には私の石を置いて作業できるスペースの確保できるところは無い ということであった。 残るは、高鍋町内で作業できる場所を捜すことである。 騒音、粉じんの問題の無い場所、なおかつ30トントレーラーが這入れる場所、そして仮説の電源を引ける場所。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 10月のライブの演奏曲をぶっ通しで演奏する。 私は全ての曲目でタイミングがずれたり、テンポが狂ったりで、まともにハーモニカを演奏出来た曲は1曲も無かった。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は宮崎市の1名のみ。 最近の感染者は殆どこれまでの感染者との接触者である。 9月29日(水) ☆蒸し暑い夜。 午前は上天気だったが、午後からは雲が出て、午後後半からは雨となる。 外に出ると風が涼しいが、家の中は蒸し暑い。 台風の影響か。 ☆10月の妻とのライブに向けて、昨日から一人でハーモニカの練習を始める。 スマホに録音した妻のピアノをワイヤレススピーカーで流して、ハーモニカパートを練習する。 夕刻の練習中に妻が帰ってきたら、たちまち緊張してしまった。 妻の前で緊張してしまうのだから、また本番では大変なことになりそう。 本当に70歳からの手習いである。 ちっとも上達しない。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は3名。 第5波はこのまま落ち着いてゆくのだろう。 9月28日(火) ☆午前は小雨。 午後からは青空が見えたりの曇天。 夜に這入って再び雨。 台風の影響か蒸し暑い。 ☆開催中の宮崎県高等学校総合文化祭で、私が先日指導を頼まれた高校生たちの造形作品が準特選となり、全国大会へ行くことになった。 展示会場から、担当教師と生徒さんたちからお礼の電話がかかってきた。 生徒の1人が”東京に行きます!”というので、彼女が東京の美術系の大学への進学が決まったのかと思った。 そうではなく、来年の全国大会が東京での開催で、彼女たちも一緒に上京するのだと言う。 私は彼女等の描いた平面図の設計図を、立体化する手順を指導しただけであるが、彼女たちにとって思っても見なかった結果だったようだ。 子供たちはあらゆる可能性を秘めているから、適切な指導は大切である。 ☆今日の宮崎のコロナ感染は、昨日同様に宮崎市からの1人のみ。 国の緊急事態解除決定を受けて、宮崎県も県独自の宣言を30日で終了する。 ただ宮崎市の場合は、4人以下、2時間以内の会食制限は持続されるようだ。 そうなると伊藤先生や編集・デザイン担当の方たちとの本の出版祝いは、まだお預けになる。 宮崎市以外では大人数、長時間を控えれば、会食制限は緩和される。 9月27日(月) ☆朝のうちは曇天。 直に雨となる。 水冷で肌寒い一日。 ツクツクボウシは鳴かず。 ☆見積を取っている件で、或ることに気付いた。 アンジェラスの森でこれまでに最も大きな作品を制作したのは、ダイシンキヤノンの黒御影石のモニュメントであった。 その時に、作業場に20トンの重量に耐えられるコンクリート床を打ってもらっていた。 だから20トンの石までは作業場に搬入できると思い込んでいた。 しかし、今回見積もりをお願いしている石は20トンを超えていて、中国から港に着いても、港から私の作業場まで陸送するトラックの見積もりが出てこない。 運送会社ではこれまでにそんな大きな重量の物を運んだことが無いので、簡単に見積もりが出ないと言うことで、見積もり作業がとん挫してしまっている。 ダイシンキヤノンの石は搬入できたのだから、と当時のデータを調べて唖然となった。 ダイシンキヤノンの石は14トン前後だったのである。 果たして運送業者が見積もりも出せない20余トンの石がアンジェラスの森に搬入できるのか。 あわてて雨の降りだしたなかをアンジェラスの森まで走り、搬入道路の幅を計測したり、作業場の様子をカメラに収めて、石販業者に送る。 折り返し、石販業者から石を運べるタイプの大型トラックの図面が届いた。 車幅はクリアできるが、大型トレーラーなので長さが16m50ある。 そして仮にトレーラーが作業場までバックで這入ることが出来たとしても、あんな狭い森の中の作業場でクレーンが操作できるのか。 陸送の問題がクリアしても、いざ作業場に石を降ろそうとしたら、トレーラーも這入らない、クレーンも動かないではどうにもならない。 それで見積もりの前に、石を積んだトレーラーが作業場に這入ることが出来るかを運送業者に打診してもらうことにした。 もし作業場に這入れた場合、コンテナを含めた荷の重量と大きさを教えて貰って、次はクレーン業者に作業が出来るかどうかの打診をしなければならない。 そのどちらか一方でも無理であれば、プラン自体をやり直さなければならない。 ☆少しでも荷を軽くするために、中国で完成直前まで制作してもらうことも考えたが、それは中国の石山から拒否されたと言う。 納入後にクレームが出る恐れがあるからだと言うが、実際に一度青島で制作してもらった時は、リフトの爪の突き跡があちこちにあり、それを落とすのが大変だった。 それに大まかな部分を落としてもらった後の成型作業では、それほど重量は落ちない。 第一に、今はコロナで、中国は規制がとても厳しく、自腹で2週間の自主隔離をしなければ入国できない。 日本帰国時も2週間の自主隔離をしなければならないので、中国に打ち合わせと作業指導に行くことは不可能だと言うことである。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は宮崎市の1人のみ。 9月26日(日) ☆晴れ。 朝夕はかなり肌寒くなってきた。 日中は残暑が厳しくまだ暑いが、午前は風が抜けて気持ちが良かった。 ツクツクボウシもまだ鳴いている。 ☆肌寒くなってきたので、午前にコインランドリーで羽毛布団を洗濯する。 しかしコインランドリーは、洗濯中に待ち切れない人が多いようだ。 私の出かけたランドリーは洗濯ドラムは2つだけで、他は全部乾燥ドラムであった。 洗濯ドラムの1つは使用中だったので、もう一つのドラムを使おうと思ってコインを入れると、何度投下してもコインが戻ってくる。 見ると、残り時間が表示されていて、蓋を閉じるとドラムが回転し始めた。 回転が止まって残り時間表示が消えて、ようやくコインの投下が出来て、洗濯が始まった。 どうやらせっかちな人が洗濯が終わるのを待ち切れなかったようだ。 さらに今度は、乾燥機を使おうと思ったら、そのドラムにも数字のランプがついている。 60分の乾燥で良いので、その分のコインを入れ始めると、なんと20分ぶんのコインが残っていて、40分ぶんのコイン投下で済んだ。 こちらも乾燥時間が待てなかった人が居たのだ。 ”乾燥中に扉を開けないでください。故障の原因になります。”という張り紙がしてあるのに。 我が家は家が近いので一旦帰宅し、洗濯と乾燥が終わる時刻に再び出かければよいのだが、遠方からの人はずっと車の中で待つのが耐え切れなくなるようだ。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は5人で、すべて宮崎市からであった。 宮崎市以外からの感染者が出なかったのは、72日ぶりだということである。 9月25日(土) ☆いく分薄雲がかかった晴天。 朝夕はかなり肌寒くなってきた。 ツクツクボウシはまだ思い出したように鳴いている。 ☆妻が10月のライブに備えて喉を傷めないように加湿器が欲しいということで、午前に電気量販店へ行く。 我が家は別にコロナ対策のための空気の殺菌効果は考えて居なかったのだが、やはり今はコロナ拡大防止目的で殺菌効果のある加湿器が売れていると言う。 妻の求めた加湿器も一番人気で在庫がなく、お取り寄せとなった。 ☆「夫恋」の日高蔦子の項を読み進める。 日高蔦子のご主人の日高耳水も、旧姓・荒川の蔦子も美々津の出身である。 ”耳水”は美々津に流れこんでいる耳川から採った号だと言うことである。 美々津を通ると、”立縫いの里”という福祉施設の看板が目につくが、”立縫い”と言うのはどういう意味が在るのだろうかとずっと思っていた。 実は”立縫の里”と言うは、美々津の別称で、「美々津とはたが言ひそめし旅衣 君きて縫うや立縫の里」という有名な古歌があり、神武天皇お船出の時に、立たれた まま着衣を縫わせた古事伝承に由来すると言う。 ”立縫の里”の意味を初めて知った。 なぜ、神武天皇の着衣を立たせたまま縫ったのか。 美々津には”おきよ祭り”と言う祭事が有り、”おきよ団子”が有名である。 以下、ウィキペディアより。 起きよ祭り(おきよまつり)とは、宮崎県日向市美々津町で旧暦「八朔」(8月1日)の夜に子どもたちが短冊飾りのついた笹を手に町の家々の戸を「起きよ、起きよ」と 叩いて回る祭りである。 神武天皇が神武東征の際、この地から船出されたと伝えられている。 天皇がこの耳川河口周辺に軍勢を集結させていたが、凧を揚げての風見・遠見の結果、旧暦の8月1日の朝2時頃、風の具合が丁度良くなった為に、急遽、出発する こととなったという。 町の人々は「起きよ!起きよ!」と声を掛けて回り出発の準備をし、餡子入り団子を作ろうとしたが急いだために米の粉と小豆を搗き混ぜた「おきよ団子」・「お船出 だんご」・「つき入れ餅」などと呼ばれる団子を作りこれを献上した。 天皇は立ったままで衣服を繕われたという故事に因む祭りである。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は、6日ぶりの2桁台の15人。 シルバーウィークの多くの人の動きの反映だろう。 今月末で全ての規制が解除される見込みだが、やはり人の動きが活発になると、第6波が来るのだろうか。 9月24日(金) ☆爽やかな晴天。 日中はまだ残暑が厳しいが、朝夕はかなり肌寒くなってきた。 ☆長男33歳の誕生日。 ☆今朝は交通安全の立ち番当番。 車も歩行者もほぼ何の問題も無く過ぎようとしていた。 ところがかなりのスピードで走って来た小型トラックが黄信号で停止せず、赤になった交差点に突っ込んできた。 丁度、向かいの交差点では集団登校の小学生の一団が信号待ちしていて、信号が青になったので横断歩道を渡り始めようとしていた処へ、トラックは猛スピードで 走り抜けて行った。 幸いにも、お隣の地区の立ち番の方が小学生たちの動きを静止したので、何事も起きなかったが、立ち番の居ない時に気の早い低学年の子供が横断歩道に飛び出して いたら、大惨事になるところだった。 トラックも黄信号で止れるスピードでは無かったので、赤信号に替わっても交差点に突っ込んでしまったのだろうが。 ☆日中はデスクワーク。 図面を引いたり、たまった新聞記事をスキャンしたり。 夕刻は2階書斎で読書。 吹き抜ける風が、もう涼しさを越して寒風となって来た。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は7人。 このところ、児湯郡からは感染者は出ていない。 9月23日(祝・木) ☆秋晴れの一日。 日中はまだまだ残暑が厳しくて、宮崎市では最高気温が33,6度だったようだ。 夕刻は一気に涼しくなる。 ☆朝一に田中家の墓参。 ☆そのまま日向へ向い、妻の実家の墓参。 義姉たちと墓地でばったり遭う。 墓地はお墓詣りの車で大渋滞であった。 ☆イオンの文具店に立ち寄ろうと思ったら、延岡本店の移転に伴い、新店舗は日向店と併合することになり、日向店は9月20日で閉店したという張り紙。 水彩絵の具の種類が専門的に豊富で、木版画の制作に欠かせないお店だった。 高鍋町の文房具店も無くなり、日向市からも本格的な文房具店が消えた。 便利になった世の中のようで、その実すごく不便な世の中になった。 更に、日向に来たもう1つの目的は、細島の美味しいパンを買うこと。 しかし厭な予感がしながら細島に行くと、やはり祝日だと言うのに定休日で店は閉まっていた。 ☆午後に帰宅すると、ほどなくして友人の女性が2人訪ねてきた。 申しわけなさそうな顔をしている。 なんと、ライブが今日だと思って、ライブ会場に行って来たのだと言う。 昨日、フライヤーが届いている筈なのだが。 一人の女性からは先日に別件で電話があり、モウロクしてテンポがスローになってしまったと言う話をしたばかり。 まだ呆けるには早いよ。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は7人。 このまま落ち着いてくれるか。 9月22日(水) ☆晴れ。 今日もとても陽射しが熱くて蒸し暑く、残暑の厳しい一日。 まだツクツクボウシは鳴いている。 ☆午前に明日の彼岸参りの花を買って、墓に花だけ入れ替えて置く。 墓地には彼岸花が咲き乱れている。 私が幼いころから彼岸花には何か怖いイメージがあったのは、昔は墓地でしか彼岸花を見たことがなかったせいかもしれない。 ☆午後は2階書斎で読書。 書斎ではデスクワークの作業があったのだが、最近はそちらの肝心の作業は進まず、本をめくることが多くなった。 昨日の「梁」100号記念号の島内景二氏の寄稿文に、伊藤先生の評論集「歌の自然 人の自然」のことが書いてあったので、本棚を見ると私も持っていた。 開くと”謹呈”のカードが挟んであったので、伊藤先生から贈られたものらしい。 だが、読んだ記憶はない。 その隣に私が学生時代に交流のあった三島久美子さんの詩集と、お母さんで歌人の三島敏子さんの「夫恋(つまごい)」─日向のおんな旅日記─が並んでいたので、 そちらも本棚から持ち出して、開く。 三島久美子さんの詩集には彼女のサインが有ったので、直接に彼女から買ったのだろう。 詩を拾い読みしてみたが、読んだ記憶はないし、学生時代と言えばもう50年前なので、読んでいても記憶に無いだけなのかも知れない。 三島敏子さんの「夫恋」は江戸時代の3人の女性の旅日記についての随筆で、その中の延岡藩の充真院は私がブロンズ像を制作しているので、それで読もうと思って 買ったのかもしれ知れない。 もう一人の高鍋藩の日高蔦子は、墓が我が田中家の墓の近くにあって、いつかきちんとその人なりを知りたいと思って居た人である。 この「夫恋」も、ページをめくってみると、やはり読んだ記憶が無い。 先年の断捨離で、ずい分の本を捨てたが、今では断捨離は間違った思考だと思って居る。 本を捨ててみて初めて、本は読んでいようが読まずに積んであろうが、その人の精神空間に属している大切なものだと気が付いた。 こうして、何10年ぶりかに開くこともあるのだ。 「夫恋」はこの機会に読んでみよう。 三島久美子さんの詩集と三島敏子さんの「夫恋」は後回しにして、伊藤先生の「歌の自然 人の自然」の中から、河野裕子と栗木京子への評論を読む。 やはり、河野裕子の表現は凄まじい。 ☆今日は「みやざきワイン短歌大賞」の締切日だったので、先日からひねっていたものをあれこれ構成し直してみた。 妻が寝入ってからなんとかまとめて、締め切りぎりぎりでネットで応募した。 伊藤先生が、歌を詠むうえで絶対にやってはいけないと言われている締め切りぎりぎりでの歌である。 短歌なんて、詠む才能は無いと分かり切って居るので、それこそ50年ぶりくらいに悪戦苦闘して作歌してみた。 当然、駄作中の駄作である。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は5名。 このまま収まって欲しい。 そして飲食店の時短営業要請を早く解除して欲しい。 9月21日(火) ☆夜中から雨。 とても蒸し暑い寝苦しい夜。 雨は夜明け前にどしゃ降りとなる。 夜が明けて雨は上がり、午前は曇天。 午後からは天候は回復して気温が上昇。 夕刻からはまた雲が出て来たが、今日は中秋の名月。 心配された満月は無事に雲の合間から輝きを見せてくれた。 ☆伊藤先生から、明日が応募締め切りの”みやざきワイン短歌大賞”のチラシを大量に送ってもらっていた。 私にも応募せよ、と言うことなのかと先日から頭をひねってみるが、私は短歌の本を読むことは好きだが、短歌を詠む才能は全く無い。 これは高校時代に伊藤先生の短歌同好会に属していて、実感したことだ。 私には文学的才能は微塵も無い。 午後に風の抜ける書斎で、伊藤先生から送ってもらっていた現代短歌・南の会「梁」創刊100号記念号をめくる。 読売新聞の「四季」私家版にも伊藤先生への私信メールを収録させていただいた、「源氏物語」研究の第一人者で文芸評論家の島内景二氏が、この100号記念 「梁」に寄稿されていて、伊藤先生から読みましたか?と念を押されていたので、ようやく読む。 なかなか軽妙な文章だった。 ☆さらにページをめくっていたら、全国高校生短歌甲子園のオンライン甲子園の観戦私記というものがあって、読んでみて非常に驚いた。 高校生たちがお互いに提出した短歌作品への質疑応答をするのだが、驚いたのは審査員の伊藤先生、俵万智、大口玲子、小島ゆかり、笹公人と言った現代短歌の キラ星のようなスター歌人たちが、高校生たちに実に丁寧に短歌の詠み方について具体的に説明してくれているのである。 なんという贅沢な企画なのだろう。 その中に小島ゆかり氏が、河野裕子さんの有名な歌論である「短歌ドーナツ論」というものを紹介されていた。 ドーナツのように、真ん中の一番言いたいことは言うのをやめなさい、一番言いたいことを言ったら絶対言い過ぎだから、「一番いいたいことを空白にしなさい」。 これと同じようなことを、私も高校時代の短歌同好会で、伊藤先生に散々言われた。 ”田中君は言いたいことを詰めすぎる。言いたいことは1つに絞りなさい。” これはその後の私の彫刻制作の表現の場でも付きまとう事である。 私の彫刻作品に対しても、うるさい、過剰と批判されることが在ると、いつもこの伊藤先生の忠告を思い出していた。 余計なものをそぎ落としていくことは表現の世界では共通の要点なのだ。 そして、これが実に難しい。 どうしても言い過ぎてしまうのだ。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は昨日に続いて6名。 そして感染は殆どが家族間と知人間である。 感染経路不明の不特定多数の感染拡大は殆どなくなった。 ましてや、夜の飲食店での感染拡大は皆無である。 9月20日(祝・月) ☆晴れ。 日中は気温が上昇して、蒸し暑い一日となった。 ☆午前の涼しいうちに庭の草取り作業。 次第に気温が上昇して蒸し暑くなり、作業を終えてリビングに戻ったら、風の通らないリビングでは一気に汗が吹き出してきた。 ☆今日は敬老の日。 コロナで敬老会の行事も中止となったので、午前に地区の婦人会の方が金一封を持って来られた。 私自身はまったく老人と言う意識は無い。 地区の敬老会を主催する方たちも、殆どが敬老される年齢の方たちばかりになってしまったが、みなさん全然老人ではない。 高鍋町は70歳以上の高齢者が5,158名、100歳以上の方が18名居られると言う。 日本自体が65歳以上の高齢者が国民の29,1%だから、高齢者という枠組みはもう時代にそぐわないのではないのか。 ☆昨日の高鍋町美術館常設展のキャプションの件は、やはり作品のデータベースそのものがチェック不充分であったようだ。 しかし江戸時代の作品ならいざ知らず、近年の作品、しかも現役の作家の作品に制作年不明ということは、収蔵作品のデータ作成段階でおかしいと気付くものだが。 ☆来年の3月に開催されるオーストラリアの野外彫刻展に招待された作家から、制作上の技術的な問い合わせがあったのだが、作品はコンテナで送ることになるので、 コロナ禍でのコンテナ手配が滞っている状況が気になった。 そうしたら、昨年も招待されたのだが、やはりコンテナが無いと言う状況で、昨年はすでに作品が有ったので予定より早めにコンテナの手配をしたら、苦労して確保した コンテナもシンガポールで20日間のストライキに遭い、ぎりぎりの到着だったと言う。 問題は、事務局からすでに、作品搬入設置の2月には海外作家は渡航できないという連絡が入っていると言う。 えっ、まだ来年の2月にはオーストラリアへの入国は出来ないということが確実なのか? 昨年5月に私が招待参加の予定だったオーストラリアのシンポジウムは、来年春への延期が決まっている。 おそらく開催は4月辺りだと思うのだが(期日はまだ未定)、来春になってもまだオーストラリアへは入国できない状況なのだろうか。 ☆今日の宮崎のコロナ感染は6人で、56日ぶりの一桁台になった。 九州各県も軒並み激減している。 しかしこの3連休、高鍋町内でもものすごく車の通行量が多かった。 みんなもう自粛の限界状態である。 9月19日(日) ☆晴天。 夕刻からは雲が多くなる。 日中の陽射しは強く、まだ蒸し暑い。 ☆午前に、高鍋町美術館で開催中の”高鍋の城址!日本の城址!写真展”に妻と出かける。 これは国民文化祭・芸文祭の行事のなかで宮崎県内の市町村自治体が主催するイベントのうち、高鍋町が担当し主催する写真展である。 そもそも、なぜ高鍋町がこんな企画を立ち上げたのかが理解できない。 高鍋町にキヤノンを誘致したということだけで、全国公募の写真展を開催するなんてあまりにも安易で馬鹿すぎる。 そして、展示内容はあまりにもお粗末であり、全国部門に宮崎県外からの応募者は皆無である。 全国公募としながら、全国からの応募は全く無く、宮崎県内からの応募者もほぼ同じような人が何点も出品している有り様である。 さらに”城址”がテーマの公募展であるにもかかわらず、受賞作品の多くは高鍋大師や小丸川の写真である。 出品点数が少ないのはコロナで外に撮影に行く機会が制限されたためだと言うが、開催の意義は何処にもない。 やっと巡ってきた国民文化祭の場における”文教の町・高鍋町”の誇りや矜持は、微塵もない。 やるべきではなかった企画だと思う。 ☆常設展が後期の展示に替わっていたので、観る。 抽象表現の作品がテーマで、観たことも無い作品も何点かあったが、抽象作品ではない作品も混じっていて、高鍋町美術館の収蔵品でテーマに合わせた作品を選ぶ 苦労が感じられた。 ところが何点かの作品のキャプションに”制作年 不明”と表示されたものがあり、しかしちゃんと画面には制作年がサインと共に明記されている作品や、作者が制作年 として記載してある数字をタイトルの一部だと勘違いしてしまっているのではないかと思われる作品があって気になった。 当該の作品画面上の制作年明記の部分をスマホで撮って学芸員に送り、確認してもらうようにお願いする。 ☆夕刻に涼しくなってから、庭の草刈りとプランターの植え替え作業をする。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は昨日と同じ12人。 しかしまた高鍋町でも感染者が1名あった。 だが最近の感染者はほぼ家庭内や事業所内など、殆どの感染経路がはっきりしている。 そして宮崎県内の病床使用率は国の示すステージ3(感染急増)を下回ったという。 もう飲食店への時短営業要請は解除してもいいのではないのだろうか。 9月18日(土) ☆台風一過の秋晴れ。 しかし陽射しが強く、気温が上昇。 先日の急な冷え込みで、あちこちの桜が狂い咲きしている。 ツクツクボウシはまだ鳴いている。 ☆好い天気になったので、ドライブがてら、午前に妻と西都原考古博物館へ。 密な空間には絶対にならないし、何度行っても新しい発見があり、色んなことを考えさせてくれる。 構成も見事で、西都原考古博物館のような特異な展示方法の考古博物館は例が無いという。 古墳から出土した物の中には、優れた技術の馬具が多いのが目につく。 西都原からは国宝の金銅製の一揃いの馬具も出土している。 出土した刀剣も、鉄の純度が高く、研磨するととても1500年以上もの太古の物とは思えないほどの切れ味鋭い輝きを放っている。 これらは殆どが朝鮮半島からもたらされたものである。 南九州の古墳時代には相当レベルの高い騎馬民族文化が流入し、定着していたことがわかる。 展示された物の中には、高鍋町の持田古墳から出土したものもかなりある。 そして玉やガラス玉も多くが海外からの舶載品である。 当時は今以上に海外との物流交易が盛んであったと言うことである。 ☆西都原の景観は何時行っても悠然とした時空にあり、ホッとする。 今日は何かステージでのイベントが開催されていた様で、多くの人が西都原を訪れていた。 ☆10月に開催予定のライブは、コロナ対策で限定25名の観客で行う。 それで先日作成したフライヤーを知人たちにラインやメッセンジャーで送ったら、たちまち”行きます”と返事が返ってきた。 今日ですでに15名の申込者があった。 きちんと練習しておかなくては。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は12人。 児湯郡では新富町から1名。 9月17日(金) ☆朝のうちは晴れていたが、直に雨となって、午前は降ったり止んだりの不安定な気候。 午後からは晴れる。 台風14号は夕刻辺りに福岡へ上陸。 その影響で、夕刻からは風が強くなり、台風の気配を感じさせた。 蒸し暑い一日。 ☆今日は、見積もり関係のデスクワーク。 この一連の作業ではっきり分かったことがある。 私は国内で大きな作品を作ったのは、2009年の高松の石彫トリエンナーレで入賞して黒御影石を拡大制作したのが最後である。 数日前の日記にも書いたように、その時すでに黒御影石の面積の広い石はほぼ入手困難で、石材店からかなりのクレームを受けた。 それから10年余の間に、大きな黒御影石は全く国内では入手できなくなっている。 さらに他の石種でも、日本の石山が殆ど採石を制限されてしまったので、大材は採れなくなってしまった。 私がこの10余年間、日本国内でまったく仕事が無くなったと言うことは、他の彫刻家たちにとっても同じで、需要が無くなったので、石材店でも輸入しての在庫はほぼ なくなった。 そして頼みであった中国が、国策で多くの石山が閉鎖され、石が採れなくなった。 そこへコロナである。 中国はコロナが発生すると直ぐにロックダウンを行い、港も閉鎖される。 そうなると設置時期が決まっている公共的な仕事の石は発注できない。 つまり私たち彫刻家は、これからは日本国内では大きな単体の石材での拡大作品は制作できなくなってしまっている、ということである。 日本国内で石を加工する需要が無くなったので、世界で最もクオリティーの高かった日本製の石の道具は、国内での製造が中止となってしまっている。 手も足も出ない状況になってしまった。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は17人だった。 しかし最も多くの感染者が出たのは、高鍋町の5人であった。 これで高鍋町は感染者の総数が184人となり、人口20,000人を切る町で人口108人に1人の感染者が出たことになる。 まだまだこれから大きな第6波も来ると予測されているので、高鍋町民は100人に1人はコロナに感染する情況になるのは近い。 9月16日(木) ☆一日雨。 台風14号の影響で大気が不安定になり、局地的に大雨になった。 高鍋町も土砂災害警報が出たが、町場の方は大した雨も降らなかった。 しかし宮崎市は各地で川が氾濫寸前で、多くの人が避難されたようだ。 電車もほぼ運休状態となった。 ☆午前は2階書斎で伊藤先生の自選歌集を読み終える。 引き続いて行橋市の植田さんから送ってもらった、山口謡司「明治の説得王・末松謙澄」を読み始める。 末松謙澄は行橋市出身の政治家であり文人で、前回のゆくはしビエンナーレの制作テーマとなった人である。 現代では殆ど忘れ去られた人だが、「大日本帝国憲法」の起草を書いたり、「源氏物語」を初めて英訳出版し世界へ紹介したりした人である。 その彼が100年前のスペイン風邪で66才で亡くなっていることを知った。 我が田中家もスペイン風邪で2人亡くなっている。 だからコロナは決して他人事ではないのだ。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 来月の23日にライブを予定しているので、そろそろフライヤーを作っておかなければならない。 それで講師の片貝さんのスマホのアプリで、幾つかのパターンのフライヤーを作ってもらった。 あっと言う間に作業が進む。 私はパソコンでイラストレーターなどを使って四苦八苦しながら作業をするのだが、片貝さんはあっという間に原稿を作る。 そして直ぐにプリンターで印刷して、印刷したものを較べて使用するフライヤーを決定する。 スマホ恐るべし、である。 ☆残りの時間を私のハーモニカジョイントの曲をレッスン。 今日は全くオタオタとして上手くいかず。 ☆レッスンが終わって妻が片貝さんを駅まで送って行ったら、レッスンの間に日豊線が大雨で運転見合わせになっていた。 動くには動くが何時になるかわからないと言うことで、再び我が家に戻ってもらう。 そして音楽パートナーの照沼さんに迎えに来て貰う。 照沼さんを加えて、楽しい話で盛り上がる。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は19人。 そしてまた高鍋町から1人の感染者が出た。 9月15日(水) ☆朝まで雨。 夜中はとても寒かった。 日中は洗濯物が干せるくらいの薄日の射す曇天。 夕刻からは再び本格的な雨となる。 ☆午前に、今年の2月の二人展のための版画作品で、没にした作品の版木を手直しする。 作業しながら、何か体調がパッとせずきつい。 ここ数日の急な冷え込みで風邪気味なのか。 ☆午後は2階の書斎で伊藤一彦先生の自選歌集を読む。 初期の歌は難解な歌が多く、なかなか先に進めなかったが、近年の歌はとても読みやすい。 そして近年の歌には月に関する言葉が”白月”や”黒月”、そして私との本にも出てくる”月姫”とかの独特な表現が出てくる。 独特な伊藤先生の月の世界の歌が溢れてくる。 伊藤先生との共著のタイトルに私が「月の雫」を提案した時、先生はためらいも無く即応された。 それは伊藤先生が”月の歌人”と言われ、近年に愈々独自な月のフレーズを多用されていた背景があったのだろう。 伊藤先生にとってもやはり今の時期でないと、「月の雫」というタイトルの本には納得のいく伊藤一彦的な月の歌は詠めなかったのかもしれない。 私にとっても伊藤先生にとっても出版までの41年間は、熟成に必要な時間だったのであろう。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は20人。 児湯郡からの感染者は無し。 9月14日(火) ☆一日雨。 宮崎市方面は大雨だったようで、JR日南線は終日、運転見合わせだった。 水冷でとても冷え込む。 ☆一日、デスクワーク。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は23人。 児湯郡からは感染者は出ていない。 感染者数がかなり激減して来たのに、宮崎県が緊急事態を30日まで延期したのは、重症者が増えてきたことがあるようだ。 亡くなる方も連日のように出て来ている。 さらに以前から秋に強烈な第6波が来ると言われているが、国の自粛解除が進めば11月には第6波がやってくる予測だという。 コロナとの共存を目指しているシンガポールが、ここにきて感染者が再び急増して来ているらしい。 まだまだコロナとの共存は困難なのだろうか。 ☆コロナは単なる風邪だとか、ワクチンは悪だとかの情報を信じている人が多い。 ネットでそういう人たちの意見を読んでみると、確かに実名で告発している現役医師の警告は説得力がある。 もし私が妊婦の立場だったら、確かにコロナ接種が怖くて、接種を迷うだろう。 だがいくら読んでも、それらの論には何か欠けているものが在るのである。 例えばある医師は、風邪で肺炎を併発して亡くなる人はコロナ感染者よりも多く、集中治療室のある大病院の医師たちはこういう町の病院の実態を知らない、というもの。 確かに年間のインフルエンザでの死亡者は、当初はコロナ感染者の死亡者よりも多かったようだ。 しかし高鍋町の私の身の廻りでは、あっという間に亡くなったり、長期間意識不明であったり、店をいったん開けても後遺症で再び店を閉じなければならなかったりと言う 方が目に見えておられる。 単なる、風邪ではこういう事態にはならないだろう。 昨年の第3波で高鍋町が連日地獄の日々であった時に、関西在住の高校同級生は、自分の周りにはコロナに感染した人なんて何処にもいないぞ、と半ばバンデミックを 否定していた。 だが、当時の私たちは、廻りにコロナに感染した人たちだらけで、家から一歩も出れなかった。 第5波は、第3波より感染力の強いデルタ株が主流である。 ☆神社での手洗い水(手水舎)は、これまでの日本人の手を洗って疫病を避けてきた対応の名残だという説にはハッとなった。 確実に手を消毒し、マスクをしよう。 普段でさえ蓄膿で鼻詰まりがひどく、呼吸が苦しい私は、コロナに感染して後遺症で息苦しさが残ったら、とてもではないが生きて行けない。 9月13日(月) ☆朝まで雨。 日中は時折り薄日の射すような小康状態の曇り。 夕刻から雨脚が戻り、暮れてからは激しい雨となる。 宮崎市ではこの大雨で夜半に避難指示が出された地域もあったようだ。 台風14号の影響である。 ☆午前は、昨日に途中まで進めていた本の中封筒に貼る木版画の続き。 印を捺して終了。 来年1月の二人展に、今年の二人展の準備では上手く摺れなかった作品を刷り直してみたいので、版木を捜す。 ☆伊藤先生から、西日本新聞9月6日付の西日本読者文芸のコピーが届く。 その欄に「うたのほとり」といいうコーナーがあって、歌人の大口玲子さんが「月のしづく」と題して、「MOON DROPS 月の雫」を紹介していただいている。 ”少しずつ夜が長くなってきたこの頃、寝る前の一冊として私が枕元に置いているのは、黒いカバーに大きな月面を配した装丁が印象深い『MOON DROPS 月の雫』。” という書き出しで、私の本を紹介していただいている。 私の本を買っていただいた方々で、夜に寝る前に本を開くと言われる方がとても多い。 不安なコロナ禍の中で、私の本は多くの人たちに心の安らぎを与えているようだ。 それが一般の方だけではなく、著名な歌人の方にもそういう方が居られるというのは非常な驚きであったし、とても嬉しい。 ”かつて宮崎の高校で生徒と教師だった二人の親交や出版の経緯は前書きと後書きに詳しく、胸を打つ。誠実さと思いやり、人間の美しさが、本書の隠されたテーマ である。”と結ばれている。 ☆残念ながら、西日本新聞は現在は鹿児島と宮崎では発刊停止となり、宮崎で西日本新聞を読むことはできない。 大口さんは現在は宮崎在住であり、宮崎日日新聞の宮日文芸の選者でもある。 宮崎日日新聞にこういう文章を書いていただくと、本が売れるのだがな・・・、と思わずにはおれない。 ☆私の本がこうして枕元に置かれるほどのしみじみとした深い本になったのは、共著の伊藤先生の短歌の世界に在ることは言うまでもない。 午後は、寒いほどの風の抜ける2階の書斎で、先生に送っていただいた自選歌集を開く。 これまでは格別には気が付かなかったが、確かに月を詠まれた歌が非常に多い。 伊藤先生が”月の歌人”と冠されるのは納得である。 ☆昨日から大相撲が始まった。 下の妹は某力士の後援会に入っているのだが、今日はその後援会で桝席があてがわれたらしく、向正面の一番前に座っているからテレビで映るというラインが届いた。 我が家はテレビが無いが、妻が通っているジムのテレビで大相撲を見たら、確かに一番前に妹が座っていて、中継中はずっと映っていたと言うこと。 上の妹はテレビニュースの画面でもすぐに分かったということである。 ☆宮崎のコロナ感染者は今日も20人以下で、19人だった。 しかし高鍋町で2人の感染者が出た。 9月12日(日) ☆一日、雨。 雨は昼前から本格的に激しくなる。 ☆先日に本を追加購入したので、中封筒に貼る木版画を追加制作する。 久しぶりの刷りの作業だったが、やはりまだまだ上手く行ったり、行かなかったり。 来年の1月には”ギャラリーしんとみ”での2回目の妻との二人展が控えている。 妻はほぼ毎日エッチングの作品制作に余念が無く、ほぼ出品予定の点数には達したようだ。 私は新作は日向の江川春枝ギャラリーに展示した10点しかないので、そろそろ追加の版画制作に入らないと間に合わない。 ☆また10月には妻とのライブも予定している。 コロナが落ちついて来たので、予定通りに開催できそうだが、いまだにまともに演奏できる曲は無い。 こちらもあっという間にライブ当日がやってくる。 呆けている暇はない。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は17人。 20人以下となったのは42日ぶりだという。 今日も児湯郡には感染者が無かった。 9月11日(土) ☆午前は晴れ。 午後からは曇りとなり、夕刻から小雨となる。 明日からはずっと雨の天気予報である。 台風14号のせいか、今日も蒸し暑い。 ツクツクボウシはまだ鳴いている。 ☆午後に高鍋町美術館へ出掛け、宮崎空港で開催中の”MEETS ART”のDMを預ける。 美術館では今日から、国民文化祭に於ける高鍋町主催のお城の公募写真展が開催されている。 しかし私が行った時は来館者は無く、会場受付に座っておられた写真家で馴染のK氏が頻繁に私の方に振り向かれたが、そうされると逆に展示室に入りずらく、 また妻と一緒に来ますと告げて、早々に退出した。 ☆最近、デスクワークばかりしているので、再び昨年春のような坐骨神経痛で硬い椅子に座るとお尻が痛くてたまらない。 資料調べもしなければならないのだが、椅子に座っての作業が辛いので、マッサージチェアでマッサージをしながら伊藤先生の自選歌集を読む。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は21人と激減した。 児湯郡も今日は感染者は居なかった。 9月10日(金) ☆晴れ。 残暑の厳しい、蒸し暑い一日。 ☆新聞記事によると、EUはコロナウイルスのデルタ株の感染急拡大に対する警戒を受けて、日本からの渡航を再び原則禁止にすることで合意したと言う。 日本は1月に渡航禁止のリストに入っていたが、6月からこのリストから外され渡航できるようになっていたようだ。 それで、ドイツのシンポジウムに参加しているK氏は何事も無く、陰性証明書だけで入国出来ていたようだが、再びドイツには入国できなくなる。 EUのうち、特にドイツ政府は日本を「ハイリスク」地域に指定し、再び入国を制限すると発表しているとのこと。 やはりまだまだ当分は、日本から海外のシンポジウムには参加できないようだ。 ☆今日の宮崎のコロイナ感染者は27人。 児湯郡は西都市が3人で、高鍋町、木城町が各1人。 西都市では高齢者施設でのクラスターが発生していて、高鍋町もまた感染者が出て来たし、児湯郡内はまだまだ油断が出来ない。 宮崎県は、飲食店での大きなクラスターが発生していないのに、時短営業を30日まで延長する理由として、感染を徹底的に抑え込む必要があるためだと言う。 多くの人は外出を自粛し、ちゃんとマスクをし、4人以下の会食を心がけているのだが。 9月9日(木) ☆晴れ。 蒸し暑い一日。 ☆朝のうちに妻と宮崎空港へ。 開催中の”MEETS ART”の写真を撮りに行く。 先日の搬入時には、まだ全部の作品の展示が終わって居なかったので、キチンとした会場の展示の様子を撮る。 搬入の時に担当の石尾さんが撮った作家へのインタビュー動画がインスタグラムに上げてあったので、石尾さんに観れるように設定してもらい、フェイスブックに投稿 する。 ただ、私は鼻が低いので喋る度にマスクがずれ落ち、みっともないものになってしまった。 ☆2階の書店を覗いてみたら、私の「MOON DROPS 月の雫」の在庫数が増えていた。 俵万智のコーナーのすぐ脇に並べてあるので、よく目立つ。 ☆帰り道、宮交シティー角にある私の「南光」像にマスクがしてあった。 ☆夕刻に、”MEETS ART”の画像をフェイスブックに投稿する。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は30人。 児湯郡は西都市の2人だけだった。 宮崎県は緊急事態宣言と飲食店の時短要請を30日まで延期するが、日向市と門川町のまん延防止は解除する。 だが今の感染状況は殆どが家庭内感染で、家の中でもマスクを着用するようにと県の担当者が会見で語っていた。 飲食店での感染クラスターは第3波、第4波のようには多発していないのだ。 第5波での感染で、高鍋町でも飲食店からのクラスターは1件しか発生していないし、それも酒を提供する夜の飲食店からではない。 30日までの県内飲食店への一律的な時短営業要請延長は、はあまりにも厳しすぎるのではないか。 9月8日(水) ☆朝のうちに少し小雨。 天候は午前のうちに回復して、蒸し暑い一日となった。 夕暮れのツクツクボウシが最終の絶叫のように聞こえる。 ☆一日、2階の書斎で調べもの。 黒御影石の大材が今後は手に入らないことが確実になった。 元々、24年前の1997年に私が四国で国民文化祭の拡大制作のために黒御影石を求めた時点で、当時はすでに面積の広い大材は非常に品薄であった。 その時に日向現代彫刻展の作品制作用に欲しい黒御影石があったのだが、石材店は石を売ってくれなかった。 そしてその後の2009年に高松トリエンナーレで拡大制作になった時にも、制作場所担当の石材店は私の指定サイズの黒御影石の確保が中々できず、石材店から苦情を ぶつけられた。 こんなに黒御影石の大材が入手困難な状況下で、こんな面積の広いフォルムのプランを考える事が間違っていると言うクレームであった。 結局、確保できた石に合わせてサイズバランスを変更した経緯がある。 これから黒御影石での面積の広い大材の確保は出来なくなったのだが、実は私はアンジェラスの森に黒御影石の大材を確保している。 何かの制作の時に買ったもので、必要な材は半分の薄さだったので、半分にスライスした残りのものがそのまま放置してある。 その黒御影石は、何時、何のために買ったもので、価格はいくらだったのかをはっきりさせたくて、作業日誌と出納帳を念入りにチェックして行った。 だがどうやら1997年の秋くらいに買ってアンジェラスの森に搬入したようだ、くらいしか解らなかった。 ☆買った当時の価格が解らないし、私が業者から黒御影石を最後に買ったのは2010年なので、現在の価格が判らないと見積もりも出せない。 それで現在の価格を知りたくて、最近に黒御影石を使った作品を制作していた友人に問い合わせたところ、やはり彼もなかなか石が確保できず、知人の彫刻家が 確保していたものを格安で売ってもらったのだと言う。 彼も、これからは業者から正規の価格で黒御影石を買うことは出来ないだろうと言う。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は42人。 児湯郡は西都市と都農町が各1人。 かなり落ち着いてきたようにも思えるが、県の発表では12日までのまん延防止は延期される様子である。 高鍋町内でも、夜の飲食店だけではなく、普通のレストランもずっと休業している店がある。 なんとかコロナと共生してゆく社会に建て直さないと、大変なことになる。 9月7日(火) ☆午前は曇天。 午後からは晴れて暑くなる。 しかし夕刻の風はとても涼しく、ツクツクボウシも最後の限りで必死に鳴いている。 ☆石販業者からの電話で、中国の石山の閉山の衝撃的な理由が解った。 中国の石山の閉山はコロナ禍や経済悪化だけによるものではなく、環境破壊ということで中国政府から閉山指示された結果なのだと言う。 つまり、これからは新しく石を切り出すことは出来ず、すでに切り出してある在庫分を取引するしかないと言うことである。 もともと大きな石の採れなかった黒御影石に至っては、もはや大材は入手できなくなったと言うことである。 日本の石山でも大材が取れなくなった理由は、私は3Kへの忌避で労働力がなくなったためだと思っていたが(石山の方たちが、石はあるけど、山から出す労働力が無い ので、もう山を閉める、と話されていたのを直に聞いていた)、それだけではなく、日本も中国同様に環境破壊で国からの採石制限がかかったためだと言う。 日本で石が採れないので、日本の石材店は殆ど中国に石を発注し、しかも製品加工まで中国に委託するようになったので、日本国内での石材加工道具の需要が無くなり、 私たちが使っていた道具の多くが製造中止となり、非常に困った状況になっている。 私が中国のシンポジウムに参加したい目的の一つには、製品の精度が飛躍的に向上した石材工具を中国で求めたいからでもあった。 しかし石山が閉山し、石材産業が衰退すれば、中国も次第に石材加工の需要も無くなっていくのではないのか。 さらに、やはり今はコロナ禍で流通が滞っているのでコンテナの手配が出来ず、石を注文しても届かないのだと言う。 つまり、私たち彫刻家にとっては、今後はコンクール等で大きなスケールの作品が入賞しても、ほぼ石材の入手が出来ず、単体石材での拡大制作は不可能という状況 だと言うことになる。 なんともお先真っ暗、暗澹たる気持ちになる。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は46人。 児湯郡は西都市と新富町で各1人。 このまま落ち着いてくれると良いが。 9月6日(月) ☆今日も午前は晴れたり曇ったり。 午後はほぼ曇天。 夕刻は外に出ると秋風が吹いて涼しいが、室内はまだ蒸し暑い。 ツクツクボウシもまだ鳴いている。 ☆午前はデスクワーク。 依頼されている図面を描いて、石材の見積もりを業者に依頼する。 考えてみたら、最後に業者から石を仕入れたのはもう7年も前だ。 この7年間というもの石材を発注する様な仕事は全く無かったと言うことである。 業者からの返信だと、今は中国の石山は閉山して在庫が殆ど無いという。 コロナ禍で中国から輸入する色んなものが生産停止状態になっているので、石山もそうなのだろうか。 ☆夕刻に、先日応募したKAJIMAの結果がメールで届いた。 残念ながら、前回に続いて模型入選に留まった。 今回こそ、という自信はあったのだが、本の出版後に彫刻家復帰した最初の作品だったので、模型入選でも良しとしよう。 ☆やはりフェイスブックで、毎日のように国際シンポジウム参加の報告が投稿される。 どうしてそんなに彼らはコロナ禍など何もないように、海外のシンポジウムに参加できるのだろう。 まだまだコロナ感染が驚異的な国でも、全く普通に国際シンポジウムが始まっている。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は、昨日が日曜日だったので24人。 20日ぶりの20人台であった。 児湯郡では川南町の1名だけである。 多くはこれまでの感染者の家族や濃厚接触者で、感染経路不明の感染者の割合は昨年の第3波程ではない。 9月5日(日) ☆午前のうちは晴れたり曇ったり。 午後は曇り。 明日からの天気予報は連日雨マークである。 ☆一日、デスクワーク。 ☆夕食後に奇妙な経験をした。 妻がパソコンで韓流ドラマを見ているのを私も眺めて居たのだが、同時に今日のことを色々思い返していた。 ところがふっと気が付くと、思い出している事柄は今日は現実には無かったことである。 いわゆるパラレルワールドである。 私はこういう経験をすることがたまにある。 考え事をしている時に、数日前の出来ごとを思い返しているが、気が付くとそれは現実にあった事ではない。 にもかかわらずとても映像的にもはっきりしているのだ。 だが今日の経験はこれまでとは全く違った。 今日の想い出が次々に、一気に複合して湧きあがって来るのである。 しかしどれも実際には起きてはいない事ばかりである。 そして数分後には、それらの想い出は全く私の記憶の中から消えてしまった。 どういうことを想い出していたのかさえ微塵も蘇ってこない。 丁度、実に濃密でリアルな夢を延々と見ていたのに、目が醒めた途端に夢をまったく思い返せないのに似ている。 たまたま妻の観ていた韓流ドラマが、過去と現在を複合的に生きている主人公のドラマだったので、しばらく奇妙な気持ちだった。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は39人。 児湯郡は新富町の1名だけだった。 このまま落ち着いて欲しい。 9月4日(土) ☆雲の多い一日。 午後半ばに一時的に雨。 雨は直ぐに上がる。 ☆2階の作業室のベランダの軒下に、若いカップルの鳩が巣作りを試みている。 巣が出来るとあっという間に産卵して大変なことになるので、鳩が座り込んでいるのを見つけると追い出すのだが、なかなか諦めず、工房の屋根の上から様子を伺っている。 鳩を追い払ってベランダから庭を見下ろしていると、風がすっかり秋風で心地よく、黄ばみた木の葉もはらはらと舞い落ちていて、すでに完全に秋の気配である。 昔なら、ベランダに座ってビールでも飲みながら本でも読んでいただろうが、今の私にはそんな風情は失せてしまった。 ☆一日、デスクワーク。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は49人で、19日ぶりに50人を下回った。 児湯郡もかなり落ち着いてきたが、高鍋町は再び1人の感染者が出た。 9月3日(金) ☆晴れたり曇ったりの、概ね晴れ。 非常に蒸し暑い。 ☆一日、デスクワーク。 2階の作業室で図面を引いていたが、蒸し暑くて、リビングに降りて作業の続きをする。 ☆フェイスブックでは毎日のように海外シンポジウムの様子が投稿されている。 そして新しいシンポジウムの招待作家リストを見ると、いまだにコロナ感染の拡大している南米のシンポジウムに、これもコロナ規制の厳しいニュージランドの作家が 招待されているので、どうしてみんなこうも全くコロナなんて関係ないように、今までと変わらない感じでシンポジウムに参加できるのだろうかと首をひねってしまう。 入国にも、帰国にも2週間の自己隔離が必要な国もまだあるはずなのだが、K氏のように陰性証明書一枚で何不自由なく行き来できるようになっているのだろうか。 本当に、よくわからない。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は55人。 児湯郡は西都市が2人、新富町が1人で、久しぶりに高鍋町からの感染者は無かった。 河野・宮崎県知事は、12日までの緊急事態宣言は解除が難しい状況だと会見している。 なんとかこのまま安定化して欲しい。 9月2日(木) ☆曇天気味の晴れ。 夜中はとても肌寒く、朝のうちはすっかり秋めいた感じだったが、週末から天候が崩れるようで次第にむし暑くなった。 このところ涼風で気持ちの好かった午睡も、とても蒸し暑かった。 ☆ゆくはし国際公募彫刻展の第4回展の開催要項がまとまったので、何時ものように事務局から作家への広報を依頼された。 午前は国内作家へ開催要項を添付して、一斉送信で案内する。 近年はBCCで一斉送信する用件も無く、特に空港展の事務局を退いてからは新規の空港展参加作家に私から連絡することも無くなったので、メールアドレスの更新が 殆ど手つかずのままである。 それでBCCのアドレスをチェックして、連絡する必要のない作家を削除し、一斉送信で宛先不明で返ってきた作家のアドレスも削除してBCCを整理する。 ☆夕刻には海外作家へも同様に開催要項を添付して一斉送信し、宛先不明で返ってきた作家のアドレスを削除する。 初めにOCNのメールアドレスで送信したら、全く送れなかった。 何時のころからか、OCNのアドレスでは海外に一斉送信できなくなっていたことを思い出した。 いまはメールでの情報案内はほとんど使わなくなったので、だからおそらく近年は海外作家への一斉送信はやっていなかったのだろう。 それでケーブルテレビのアドレスを使ったら、普通に一斉送信したが、幾つかのグループが返ってきた。 今後は海外作家へのメールでの連絡は不要だろう。 ☆私のフェイスブックでも、日本語バージョンと英文バージョンに分けて投稿する。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 先週に引き続いて私もハーモニカでジョイントする。 先週は散々な状態だったが、1週間の練習の成果が出て、今日は講師の片貝さんと妻から及第点をいただいた。 ☆海外作家への一斉送信への返信が届いて、イタリアのアントネッラ(高鍋町あかりプロジェクト参加)から、今ドイツのシンポジウムに来ていると言う近況が届き驚いた。 先日の宮崎空港での搬入の時に、長年ローマで活動していた源敏彦氏がアトリエを引き払うと言っていたのに、コロナ禍でイタリアへ戻れなくなったと語っていた。 だが、イタリア在住のアントネッラ(源氏とも友人)は、ドイツのシンポジウムに参加している。 海外ではシンポジウムが普通に開催され始めている。 ヨーロッパでは自由に行き来できるようになったのだろうか。 ☆一方、K氏がドイツのTOBEL(空港展参加作家)主催のシンポジウムに招待されることがフェイスブックで何度も告知されていたので気になっていた。 ところが今日はそのK氏が、自分のフェイスブックでドイツ到着の楽しげな報告をしていた。 コロナのお蔭で電車もガラガラで、快適な旅だったと言う。 K氏にコメントを送ったら、陰性証明書が有れば、後は何時もの渡航旅程と全く変わらなかったという。 それに日本に帰国しても、誰かが空港に迎えに来るわけでもなく、何の問題も無いと言う。 どういうことなのだろう。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は89人。 児湯郡は新富町が2人、高鍋町が1人と落ち着いてきたが、延岡市と日向市が増加している。 9月1日(水) ☆今日も一日、薄雲のかかった晴天。 日中はまだ暑いが、ここ数日は1階和室での午睡が、吹き通る風の心地よさで、つい熟睡してしまう。 夕刻になるとまだツクツクボウシが喧しいが、庭に出ると空気がひんやりと肌寒く、西の空の様子も秋めいて来ている。 いよいよ9月、実りの秋になる様に。 ☆一日、デスクワーク。 ☆今日の宮崎のコロナ感染者は68人。 まん延防止の日向市がまた増加して来ている。 児湯郡は高鍋町が4人、新富町が2人、西都市が1人だが、高鍋町では事業所のクラスターが発生した。 高鍋町の事業所は、高鍋町と新富町の従業員5人の感染。 変異株はすれ違っただけで感染すると言うから、我が家を出たら即危険と言うことになる。 買い物に行ったら、何時もより慎重に手を消毒するよりない。 |
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