Back to toppage このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。 過去の日記 2021 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2020 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 |
2021 | 12月31日(金) ☆快晴。 気温の冷え込みはないが、今日も冷たい風が吹いた。 ☆午前に正月食料の買い出し。 ☆今年のしんとみギャラリーでの二人展アンケートに協力していただいた方たち宛に、年賀状を兼ねた年明けの二人展のDMの宛名書き。 郵便局へ持って行ったら、金曜日なのに郵便局は閉まっていて、外のポストに投函しなければならなかった。 皆さん、郵便局の中に入ってシヤッターが締まっているので、戸惑って外のポストに投函しに戻られるので、ポストの周りは混雑状態であった。 妻は宮崎県内に投函するDMを輪ゴムで縛っていたので、ポストの投函口に入らず、待っている他の方たちに迷惑を掛けてしまった。 今年から土曜日は郵便物が配達されなくなったので、明日の正月が土曜日なので今日は代休になったらしいが、そんな告知があったのだろうか。 ☆午後は大掃除。 先日買ったハンドクリーナーが、階段の隅の掃除にとても役立った。 ☆今夜の夕食は、一年の締めで、豪華に伊勢海老を食べる予定であった。 予定では今日の午前に届くことになっていたが、一向に配達されて来ない。 ネットで配送状況を調べると、購入先の大分・蒲江の”海べの市”から、集荷元の北九州ベース店に今日の午前5時に届いているが、それから先の動きが全く無い。 北九州は雪で道路が走れないという情報もないし、10号線が混雑していると言う情報も無い。 夕刻になっても届かないので、仕方なくスーパーへ走って、惣菜売り場に僅かに売れ残っていた寿司を買ってきて夕食とした。 そして、とうとう今日中には伊勢海老は届かなかった。 何時ものように友人達を招待していたら何もご馳走で振舞うことが出来ず、大変なことになっていた。 年末の最後になって、思わぬハプニングであったが、無事に夕食は摂れたので問題はない。 ☆今年は出版した本に関する活動や、初めての妻との版画二人展とライブ、そして来年に予定が入った大きな仕事の見積もり作業等で、1年を通じてずっと忙しく、かつ とても充実した年であった。 無事に父の亡くなった齢の72歳を迎えることが出来たし、体調も万全でどこも体の故障も異常も無かった。 周囲は相変わらずのコロナ禍で、二人展も会期の変更等の影響はあったが、なんとかウイズコロナで乗り切れた。 家族もみんな波瀾も無く、順調に過ごすことが出来た。 このHPを訪れていただいたみなさん方にも、心よりお礼を申し上げます。 ありがとうございました。 そして、来年もまたよろしくお見守り下さい。 12月30日(木) ☆快晴。 気温の冷え込みは無かったが、強風の吹き荒れる一日となった。 ☆午前に墓参。 ☆午前のうちに追加注文していた額縁とマットが届いたので、版画を額装する。 ☆午後は木版画の刷り作業。 やはり色を重ねていくと、だんだんつまらない作品になって来る。 本当はモノクロムの渋い作品にしたかったが、色を入れたことによって軽い作品になってしまった。 今年最後の作品となった。 今日現在で、葉書き絵が8点、木版画が17点なので、正月明けにもう1,2点加えること出来れば出品点数としてはまずまずだろう。 これに彫刻の小作品を数点加えたい。 ☆中国・西安が新型ウイルスの拡大によって外出のできないロックダウンになっていて、市民の間からは食料を求めることもできずに悲鳴が上がっている。 西安は何度か行って、シンポジウムで市内のホテルにも滞在していたので、市内の情景がありありと目に浮かぶ。 この感染拡大が中国全土に及ぶと、正月明けに船積み予定のモニュメントの石が果たして予定通りに出港できるのかが気懸りになってきた。 ☆今年もあと1日。 夕刻に買い物に出ると、どこも車の駐車が出来ないほど混雑しているが、私自身はちっとも年末という気分が感じられない。 12月29日(水) ☆一日曇天。 厳しい冷え込みにはならなかったが、気温は上がらず。 ☆午前にダイソーで、二人展のアンケート抽選でプレゼントするミニ版画額の額を購入。 ダイソーは移転して売り場面積が広くなったと思っていたら、実際は狭くなったみたいで、額の種類がとても少なくなっている。 昼にプリントアウトしたミニ版画を額装してみる。 なかなかいい感じで、二人展も見透しが立ってきた。 ☆午後は、懸案だったリビングの障子の張り替え作業。 障子の張り替えなんて何年振りだろう。 おかげでリビングの雰囲気がすっきりとなった。 ☆行橋市で知り合いになった方から、メッセンジャーで大阪の鶴見斎場に設置した作品”つつまれて”の画像が送られてきた。 身内の方の葬儀で来られて、”つつまれて”の前に居ると言うことであった。 斎場に来られている他の方たちもみなさん私の作品を見入って居られると言うこと。 斎場に設置した作品のその後の情報が届いたのは初めてである。 ”今までたくさんの方を包み込まれてきたんだなあと思って見ていると元気が出てきます。” 12月28日(火) ☆快晴。 今日も冷え込んだが、昨日ほどの冷え込みは無し。 宮崎は底冷えの日の日中はとても陽射しが強い。 今日も風が無かったので、車を運転していると、空気が澄んで冬枯れの景色がキラキラと煌めいている中を走るのがとても気持ちが好い。 ☆午前に木版画の刷り。 ゴマ刷りを重ねてみる。 この段階ではとても美しい。 これから色を重ねて行くと駄目になる。 ☆午後に溜まったダンボールを紙資源センターに持って行く。 その足で、トヨタL&Fへ出向いて、フォークリフトの修理の件を尋ねる。 来年の仕事の見積り作業で、このフォークリフトの修理の見積りだけが出ていない。 担当者の話では、中古のバッテリーが手に入った時にアンジェラスの森に出向いて、それでフォークリフトのエンジンを掛けてみて、動くようであったら新しいバッテリー に換えるということであった。 中古バッテリーは1個は手に入ったのだが、もう1個は正月明けになると言うことであった。 フォークリフトの修理見積は年明けと言うことになった。 ☆版画の版木彫りの作業で、木くずが床に落ちるので手元クリーナーが欲しかった。 ホームセンター等を廻ってみたら、ヤマダデンキの自社製品の型落ち見切り品があったので購入。 充電式の物を考えていたが、展示してある充電式ハンドクリーナーはいずれも吸引力がとても弱かったので、コード式の物を買う。 12月27日(月) ☆快晴。 この冬一番の冷え込み。 朝にゴミ出しで外に出ると、車のフロントガラスの氷結が、六角形の雪の結晶体。 高鍋町でこんな様子は見たことが無い。 水道管も凍結している。 それもそのはず、今朝の宮崎県は全ての観測地点がマイナスで、しかも最低気温は高鍋町の−6,2度だったという! これは12月の気温としては観測史上の最低気温らしい。 高鍋町は日向灘に面した扇状地で、宮崎県の中では青島に継いでもっとも冬は暖かい町であった。 しかし近年は何故かマイナスになることが多い。 だが、実感としては昔の方が毎日霜柱が立っていたし、氷も厚かった。 ☆一日、次の新作版画のプラン作成と、版木の彫り。 12月26日(日) ☆快晴。 今日は日本中で冷え込んだようで、宮崎もぐんぐん冷え込んできて山間部は雪であった。 それで今夜は鍋料理の家庭が多かったのだろう、夕刻に買い物に行くと、どのスーパーを廻っても春菊が影も形もなかった。 ☆午前に版画の刷り。 ☆午後は次の版画のプランをまとめる前に、これまで刷った版画にタイトルとサインを入れてマットに張る。 そうしたら、今回の二人展のために作った最初のころの版画があったのを忘れていて、今日現在で木版画は16点、葉書き絵が8点で、合計24点となった。 あと3点ほどは作れるのでは。 マットを張る作業で、葉書き絵のマットの窓のサイズが違っていて、慌てて追加注文をする。 ☆夕刻に宮永君が、壊れたSuper64Xのハーモニカを修理して持って来てくれた。 私は新しいハーモニカを買ったので、壊れたSuper64Xを修理してみて使えるようだったらあげるよ、と渡しておいたのだが、彼はキチンと修理してくれて返却してくれた。 修理代は飲み代でいいよ、と言う。 さすが”生きる百科事典”、何でも博識できちんと修理してくれた。 12月25日(土) ☆雨上がりの快晴。 とても暖かい朝だったが、昼前から冷たい風が出て、夕刻からは急激に冷え込む。 ☆二人展の準備をほぼ終えた妻が家の大掃除を始めたが、屋根からの雨水が伝って浸み込んでしまう柱部分に白蟻被害を見つけた。 他の部分に拡がっては大変なので、白蟻駆除のスプレーを買ってきて、噴霧する。 ☆私は版画の刷りを少し。 ☆年賀状を作る時間も無いので、正月明けの二人展DMを年賀状と兼用することにした。 午後は、DMの宛名面に年賀のあいさつをプリントする。 12月24日(金) ☆ときおり雨がぱらついたが、日中は曇天。 夕刻より雨となったが、本降りにはならず。 暖かい一日。 ☆木版画の刷りを2色。 糊を使っての「つぶし」は、紙の繊維が剥がれてしまうのを避けて、重ね刷りには時間をおいてみる。 ☆夜はクリスマス・ホームパーティー。 いつもお世話になっているミュージシャンの照沼さん、片貝さん、そして旧友の宮永君を招待してのパーティー。 鶏の燻製をメインに、私の手料理でもてなす。 宮永君もミュージシャンモドキなので、皆でセッションをして楽しむ。 今夜は私のハーモニカも、昨日の散々なひどい状態とは打って変わって、うまく吹けた。 やはりアルコールが入り、演奏者も増えたので気持がリラックスするのだろう。 ☆今夜は博学な”生きる百科事典”の宮永君の博識ぶりが際立って、酒談は殆ど彼が主役であった。 いつもは五月蠅い気もする彼の博識が、今夜はとても楽しかった。 12月23日(木) ☆今日も無風で快晴のとても暖かい一日。 ☆血圧の薬が正月休みの間に切れるので、朝一にO内科で健診。 どこも異常なし。 集団検診で大腸癌と胃癌検診に異常が無かったことを報告。 実はO先生もバリウムが大の苦手で、どうしてもゲップをしてしまって、何度もやりなおしをさせられるのだという。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 私は真新しいハーモニカでジョイントする。 しかし、またも今日は講師の片貝さんのピアノに合わせられない。 妻との練習では上手く行くのに、いつもと違うテンポだと合わせることが出来ない。 ライブでは毎回テンポが違うのだから、そんなことではライブは出来ませんよ!と厳しく指導される。 私は天性の運動音痴、リズム音痴である。 版画もうまく行かないし、ハーモニカもうまく行かないし・・・・、落ち込むばかりである。 ☆夕刻に木版画の彫り。 やはり2枚目の版木が、先日同様に硬くて硬くて、全く彫れない。 渾身の力を籠めて何とか彫ったが、これでは細かな作業はできない。 12月22日(水) ☆快晴の一日。 夜中はとても暑くて、たまらずオイルヒーターのスイッチを切る。 日中もとても暖かく、外出するのに上衣は不要だった。 ☆今朝の宮崎日日新聞から2題。 まず第一面の「くろしお」から。 今日の「くろしお」のコラム記事は、世界的に有名な絵本作家ユリ・シュワルヴイッツの絵本、「おとうさんのちず」から。 そのなかでお父さんがパンを買いに行ったのに大きな世界地図を買ってきて壁に張った。 主人公の”僕”は毎日その地図を眺めて、想像の世界に遊んで楽しんだ。 地図にある不思議な名前が僕をとりこにした。ビンスク、フクヤマ、ミヤザキ。 コラムの筆者(編集委員)は、その絵本の中に「ミヤザキ」を見つけたと喜んでいる。 そして、世界地図に宮崎が載って居たとは思えないので、絵本作家が語感の良さから後で選んだものと推測する、と結んでいる。 だが、私はとっさに20年前のオランダでの印象深かった出来事を思い出した。 シンポジウムでお世話になったHenkさんのお宅の書棚にあったアトラスの世界地図を開いて、日本地図のページを見た。 すると九州地図に書かれていた地名はMiyazakiだけだったのだ。 福岡でも長崎でもない、九州で記載された地名は宮崎だけであった。 だから、この絵本作家がアトラスの世界地図を見ていたら、Miyazakiを見ている。 ☆ところが、午後になって版画を刷っている作業中に、その時のことが鮮やかに蘇ってきた。 アトラスの世界地図の九州地図に記載されていた唯一の地名は、宮崎ではなく高鍋であったことを想い出したのだ。 九州地図に記載されていた唯一の地名はTakanabeであった。 高鍋町の場所も正確だった。 ヨーロッパの人たちにとって、高鍋町はどういう位置づけなのだろうかという驚きを持ったことを想い出した。 今だったらすぐにスマホで画像を撮って、フェイスブックに投稿したであろう。 ☆第二話は「窓」ページの石村明朗氏の自分史「随所作主」。 日向市で少年時代を過ごした石村氏の、中学1年時のクラス担任が義父だったということ。 義父の戦時中の話は聞いているが、石村少年が義父から聞いた戦時中の話は家族の誰も聞いたことのない内容だった。 驚いた妻と義姉は、お互いに電話を掛けあっていたようだ。 ☆昼前に、注文してあった鶏の燻製を買いに行って、先日作って置いた松前漬けと一緒に、息子二人に送る。 ☆木版画の刷り直し。 どうにもうまく行かない。 夕刻に次の作品プランを練って、下絵を版木に写す。 12月21日(火) ☆一日雲が多く、殆ど曇天。 朝の気温は高めだったのだが、日中は気温が上がらず。 ☆一日、木版画の刷り直し。 製紙会社のウェブサイトで紙の説明を見ると、”半草”というのは楮とパルプが半々の紙で、木版画に適したように作られたものだそうだ。 そして、一番人気のある紙だと言うことである。 鳥の子は多色刷りには不向きだとある。 ☆ユーチューブでボカシの刷りを見て、ボカシをやってみたがうまく行かない。 昨年もボカシを使った作品を作ってみたが、上りがとても汚かった。 色々試みてみるが、結果的に薄い鳥の子紙で刷った作品の方が良かったりもする。 ☆今のところ、版画が12点、葉書き絵が8点で何とか20点は揃えそうだが、妻は30数点を準備している。 私もあと5点は木版画を追加したい。 12月20日(月) ☆気温の冷え込みも和らいで、穏やかな気候の晴天。 ☆一日、木版画の刷り直し。 昨日に刷った薄墨のゴマ刷りは、私の作品にはほぼ意味が無かった。 今日も紙の湿しに気を使って作業したが、結局はゴマ刷り同士が隣接すると滲むし、ゴマ刷りと「つぶし」が隣接しても滲んで境界線がぼやけてしまう。 そして「つぶし」で糊を強くして色を重ねると、なんと紙の繊維が剥がれて浮いてしまった。 この”半草”という紙は、名前の通りに半分は草の繊維と言うことなのだろうか。 ”半草”を使って滲みをなくすためには、色と色の間に空白を設けたデザインにしなければならないと言うことになる。 ☆注文していたハーモニカが届いた。 夜に早速吹いてみた。 やはり壊れてしまった高価なSuper64Xのような、流麗な深いつややかな音色はない。 音が平板で、むしろ「メロートーン」の方が響きがある。 しかしレバーがとても軽くて、吹きやすい。 高価な買い物だったので、当分は吹きこなそう。 12月19日(日) ☆快晴。 昨日までの冷え込みは無かったが、きりっとした冷気に身が引き締まる気持ちの良い一日。 ☆午前に、届いていたマットと額を私と妻の分に区分けする。 ”半草”で刷った作品を額に入れてみるが、なかなかいい感じ。 妻は殆どの作品の額装を終える。 ☆そして、近日中に息子たちに送る鶏の燻製に同梱する松前漬けを作る。 昨年は、NHKきょうの料理のレシピ通りに作ったら、漬け汁が少なすぎて昆布やスルメがちっとも膨らまず、パサパサの不味い松前漬けになった。 今日は私なりにアレンジする。 途中で何度か返しながら、スルメを齧るのが楽しみである。 我が家の松前漬けは不器用な母が作っていたスタイルで、昆布もスルメも人参も大雑把に切ったものなので、それぞれの素材が噛み応えがあって上手い。 ☆午後は版画の刷り。 次のプランが纏まらないので、薄い鳥の子紙で刷った作品を”半草”で刷り直す。 技法書の解説では、薄墨のゴマ刷りは一度完全に乾かすと、他の色を重ねても色が消えることはないとあるので、試しに色のゴマ刷りの下塗りとして薄墨を刷ってみる。 今日は滲みを起こさないように湿しを軽めにしたが、やはり薄墨のゴマ刷りは薄墨をびしゃびしゃの状態で使うので、輪郭が滲む。 ☆今年はもう残り10日となった。 正月明けたら直ぐに版画小作品の二人展である。 私はぜんぜん作品が出来ていないし、この分では年賀状を書く時間もないし、大掃除どころではない。 そしてふとこの慌ただしさの中で、来年度の”ギャラーしんとみ”での二人展をこの時期に予約したことは大きな判断ミスだと気付いた。 こんな年末に展覧会を開催しても、とてもではないが誰も展覧会には足を運ばない。 それで、ギャラリーに連絡して、再来年の3月中旬に会期を変更してもらった。 再来年の2月には宮崎市内のギャラリーでの二人展が決まっているので、作品の準備は整っているだろう。 12月18日(土) ☆快晴。 この冬一番の冷え込みで、高鍋町は宮崎県内では山間部の美郷町、五ヶ瀬町に継ぐ冷え込みとなり、−3,5度を記録。 日中は風も無く、空気が凛と張りつめて心地よい。 私はこういう冷え込んだ真冬の冷気は大好きである。 夕刻、買い物に出ると耳が痛いほどの冷え込み。 そして空には煌々と満月(14夜)。 寝室にはこの冬初めて、オイルヒーターのスイッチを入れる。 ☆午前に水道業者が来訪。 悪戦苦闘して、ようやくジェットバスが使えるようになった。 今朝は水道管が凍結して水道業者は超多忙なのではなかったのかと尋ねると、宮崎市の冷え込みはそれ程でもなかったらしい。 今回の様々な破損事故は想定外の多額の出費は痛かったが、シャワー水栓も新しくなり、浴室外壁もすっきりとなり、ハーモニカも新しくなって、周辺のクリニックが無事に 終った感じで、気持がすっきりしてきた。 ☆一日、版画の刷り。 技法書を読み直すと、糊を使わない「ゴマ刷り」と糊を使った「つぶし」、そしてその相互を重ねたり、違った色を重ねる「重ね刷り」を効果的に駆使して木版画は制作され ることにあらためて気付いた。 これまでは背景を「ゴマ刷り」で、フォルムを「つぶし」で使い分けていたので、フォルムにも「ゴマ刷り」を重ねてみたりと新しい試みで刷ってみた。 ところが「ゴマ刷り」したところに隣接したフォルムに水を多くした「ゴマ刷り」を刷った途端に、あっという間にお互いの絵具が滲んでしまった。 ひょっとしてこの和紙製作所から買った和紙には滲み止めの「ドーサ引き」が施されていないのではないのか、と思ってウェブサイトを見たら、和紙の制作工程の説明で 仕上げには「ドーサ引き」をすると明記してあった。 つまりこの「半草」紙は、ドーサを施しても隣の色同志が滲んでしまうと言う性質があるので、それを考えた刷りを心掛けなければならないと言うことである。 そうなると、初めのころに使っていた厚手の鳥の子紙がとても使いやすかったことになるので、ネットで検索してみるが、厚手の鳥の子紙を扱っているショップが無い。 ☆夜のハーモニカ練習で「メロートーン」を吹くと、やはり音が出なくなっているところがある。 うまくいかないことばかりである。 12月17日(金) ☆午前中はまだ雲が多かったが、概ね晴れ。 昨夜までの雨で、夜中からの冷え込みは無く、とても暖かい朝だった。 しかし午前のうちから風が出て、強風が吹き荒れる天候となり、気温もぐんぐんと冷え込んで行った。 ☆午前は版画の刷りの続き。 この”半草”は厚くて水の含みが大きいので、用心しないと前に刷った絵具が滲んでしまう。 湿しても波打たないので、作業は楽だが、この湿しの水分の量は経験を積んで学んでいくしかない。 ☆午後からは版木の彫り。 夕刻に刷りに入る。 ☆ハーモニカが壊れてしまったので、注文したハーモニカが届くまで、もう1本のハーモニカで練習する。 このもう1本のハーモニカは トゥーツ・シルマンスの監修した”メロートーン”で、Super64Xを買うまではこのハーモニカで演奏していた。 そしてこのハーモニカの音色でないとマッチしない曲もあるので、コンサートでは曲によってハーモニカを持ちかえていた。 ところが今夜の妻との練習でこの”メロートーン”で演奏すると、何時もはSuper64Xでは躓いてばかりいる曲が実に軽快にミスなく吹けるのである。 妻もSuper64Xの音色は曲によっては重すぎて、こちらの”メロートーン”の音色の方が好きだと言う。 Super64Xは16穴で、クロマチックハーモニカは1穴で4つの音が出るので、16穴は64の音が出る。 その分ハーモニカも大きくなって、強大な肺活量が無いと吹けない。 一方の”メロートーン”は12穴で、ひと回り小さいハーモニカなので肺活量も必要ではない。 それで軽快に吹きこなすことが出来る。 ユーチューブを観ると、トゥーツ・シルマンスが演奏するのはいつもこの12穴のハーモニカである。 実際、ジャズやポップスの演奏では12穴ハーモニカで充分で、16穴はクラシックを演奏する時にしか必要とならないのだと言う。 近年、南里沙さんなどがこの16穴のSuper64Xで華麗に演奏しているのに憧れて、初心者がこぞって16穴の難易度の高いクロマチックハーモニカを求める傾向に 有るのだと言う。 実際は殆どの初心者は、16穴のクロマチックハーモニカを買っても使いこなせず、宝の持ち腐れになっているのが実情だと言うことである。 私の”メロートーン”も買ってから何年か経っているので、もうあちこちに不具合が出て来ている。 ハーモニカは消耗品なので、こちらも買い替えを検討しているが、ネットで価格を調べてみたら、やはりそれなりの価格であった。 12月16日(木) ☆夜明け前までは星が輝いていたが、午前は曇天、昼前から雨となる。 夕刻からは強く降る。 日中の気温は上がらず。 ☆午前は二人展の準備。 今回も会場アンケートを取り、抽選でミニ版画をプレゼントするので、その印刷原稿を作成。 そして、妻が今回も出品作品のマグネットを作りたいと言うので、そのデータを作成する。 午後までには発注を完了。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 今日も私はハーモニカでジョイントする。 前回はリズムも狂わず上手く吹けたのだが、今日はどうにも調子が良くない。 そして最悪の事態が起きた。 ハーモニカを床に落として壊してしまったのだ。 このハーモニカは本体が透明プラスチックで出来ていて、マウスピースを取り付けるネジの部分がいつの間にかひび割れてしまっていた。 今日の落下で、このネジ留め部分がばらばらに壊れてしまった。 プラスチック部分は瞬間接着剤で接合できたが、肝心のネジを受ける金具が本体の中に落ちこんでしまった。 落ち込んだネジはカバーを外せば取り出せるが、このカバーの取り付けネジもいつからか動かなくなって、カバーが外せない。 万事休すである。 ☆しかし二人展でのコンサートはもうすぐである。 練習を休むわけにはいかない。 思い切って新しいハーモニカをネットで注文した。 このホーナーのSuper64Xはハーモニカ奏者の南里沙さんたちが使っているもので、とても高価なもので、ボーカル講師の片貝さんが買って持っておられた物を、中古価格 で譲ってもらったものであった。 音色は素晴らしいのだが、なにしろこのハーモニカを吹くには強大な肺活量が必要とされて、最初のころは息が苦しくてまったく吹けなかった。 最近ようやく息切れもせずに美しい音色が出せるようになっていた。 しかし、今回の事故のようにあちこち破損して来ていたので、買い替えを考えていた時期でもあった。 ☆最近、次々に物が壊れる。 あかりオブジェの車突入事故、シャワーの給湯管の破損事故、そしてまたもハーモニカ破損。 どうして、こうも次々と・・・、と悩ましいが、今日のハーモニカ破損事故が演奏日直近や演奏会当日での事故だったら完全にアウトであった。 前述のように、買い替えを考えていた時期でもあったので、考えようによっては良いタイミングだったのかも知れない。 ただこのSuper64Xは既に製造中止になっていて、新しい製品が発売されているが、高価でとても手が出ない。 それで、同じSuper64Xシリーズの価格が半値ほどのタイプを注文した。 ☆水道工事業者が夕刻に来てくれて、ジェットバスの電源の点検をしてくれたが、すでに間違って撤去したコードは切断処分してしまったようだ。 職人は強くなった雨の中で悪戦苦闘しているし、私は壊れてしまったハーモニカを瞬間接着剤で必死に修理したりしている、妙な情景の我が家であった。 結局、水道業者はまた出直してくることになった。 12月15日(水) ☆今日も快晴の暖かい一日。 ☆水道業者による給湯管の取り替え工事。 作業員二人がかりで、床下の従来の給湯管の撤去と、新しく最新のポリエチレンの給湯管の取り付け工事。 給湯管を新しく設置し直したので、お湯を使うキッチンの流しと浴室洗面台の給湯管も配置換えしたりの大変な作業であった。 ほとんど休憩時間も取らずに、熱心に作業してもらった。 作業は夕刻前までには終わり、従来通りにお湯が使える様になった。 久しぶりに熱い浴槽にゆったり浸かれることが出来た。 ところがジェットバスの電源が切れていて使えない。 もう使わないガス給湯機の設備などがそのままだったので、そうした不要なものはすべて撤去してもらって、エコキュートの設備の廻りをすっきりしてもらった。 そのときに、間違ってジェットバスの電源も撤去してしまったようだ。 明日に補修に来てもらうことになった。 ☆水道工事は断水しての作業だったので、木版画の刷りの作業は工事の始まる前に昨日の刷りの続きを1色やったのみ。 昼前からは次の版画のプラン作成と彫りの作業をする。 切れなくなっていた丸刃は、今日は今までのように使えた。 昨日の版木の接着剤が硬かっただけなのかもしれない。 ☆石の鉄枠解体の見積もりが届いた。 見積額は、私が仮見積もりで想定していた額とほぼ変わらなかった。 12月14日(火) ☆朝夕は冷え込んだが、快晴の無風の上天気で、日中は暖かかった ☆二人展前に、暮れと正月の休みが這入る。 それで午前のうちに、見込みも含めて必要な版画のマット寸法と額を割り出してネットショップで注文する。 ☆午後から、木版画の刷りの作業。 薄い鳥の子紙が無くなったので、越前の製紙所から厚手の半草という和紙を注文して送ってもらっていた。 送られてきたのはカットされていない大判サイズなので、必要なサイズにカットする。 さて、紙を湿そうと思ったら、厚手の鳥の子紙をどうやって湿していたのか、すっかり忘れてしまっていて、ネットで検索するが専門的な事ばかりの記述で、私がやっていた 簡単な段ボールでの湿し方が何処にも記述されていない。 しかし、作業に掛かってみると、直ぐに手順を思い出した。 やはり厚手の和紙は湿しを掛けてもまったく波打たず、とても作業がしやすい。 そして絵具の刷り込み具合もとてもしっとりとなめらかで美しい。 今まで何をやっていたのか、と唖然となった。 ただ紙が厚いので、水分の含みの持ちが良く、まだ水分の多い紙を2色目の刷りのために再び湿すと、絵具の滲みが出る。 あまり焦ってはいけないということだ。 ☆2021年度の宮崎県文化年鑑が届いていた。 近年は私の原稿に対して、表現がきつすぎると言う編集担当からのクレームが毎年付くようになった。 県内の公募展の状況が、彫刻部門に関してはいよいよ最悪の状況になって来ていて、県内の公募展の彫刻部門には彫刻家は誰も出品しなくなっている。 県美術展と宮日総合美術展が統合されて始まった新しい公募展には、こうした彫刻部門の深刻な状況が全く反映されていない。 従って、文化年鑑と言う公的な記録書物には、彫刻部門執筆担当者としてはきちんと状況を記録しておかなければならない。 表現を抑えて、抑えて書いているつもりだが、客観的にはかなり過激な表現になってしまう。 今回も、編集担当者からは、表現がきつくなるのは愛ゆえです、と言われたが、実際に彫刻部門のことを真剣に考えているので、必然的にきつい表現になってしまう。 それで、担当者からは表現を柔らかい表現に直しておきますということだったので、どう変更されたのかとても気になっていた。 しかしページを開いて見ると、殆ど私の原稿のままである。 どこをどう変更されたのかまったくわからない。 私が激しい口調で訴えたいことは全くそのままである。 よかった、内容までは変更されていなかった。 12月13日(月) ☆今日も快晴の陽射しの強い一日。 夕刻からはしんしんと冷え込む。 ☆午前に木版画の版木を彫る。 これまでのシナベニヤより厚みがあるので彫り易いかと思ったのだが、かなり硬い。 どうやら合板の接着剤がかなり硬度の強いものを使っているようだ。 それに皮部の材が柔らかくて、立ち上がり部にケバが立って、すっきりした上がりにならない。 1枚目を彫り、2枚目に入ってから急速に丸刃が切れなくなってきた。 ☆午後は彫刻刀の丸刃を研ぐ作業に振り廻された。 私は刃物研ぎが大の苦手である。 手持ちの砥石で研ぐが、逆にだんだん切れなくなってきた。 ネットで調べると、彫刻刀の刃研ぎは独学では絶対に無理、とある。 丸刃の研磨には専用の丸溝のある砥石が在ることがわかり、ホームセンターへ走って購入。 早速研いでみるが、サッパリ切れる様にならない。 木版画をやっている人たちは、よくもこんな難度の高い作業をこなしているものだと感心した。 ☆らちがあかないので、切れない丸刃を使って版木を彫り進める。 5,5mmのシナベニヤは、作業が全く進まず、思いも掛けぬ障害となってしまった。 ☆集団検診の胃癌の検査結果が届いた。 胃炎が認められるものの、異常なし、という結果であった。 検診当時は胃のむかつき等もあったので、胃炎が認められたのは当然だろうが、異常なしで安心する。 ☆石販業者から、制作を進めてもらっていた台座の仕上がりの画像が届いた。 これで中国での作業は完了した。 後は船積みと出港の連絡を待つばかりである。 12月12日(日) ☆今日も良く晴れて、上衣の要らないとても暑い陽射しの一日。 ☆午前に、妻と新富町の”ギャラリーしんとみ”へ。 正月明けの二人展のDMを届けに行ったのだが、丁度「ブラボー!!ART」展をやっていた。 これは宮崎県内の女性9名が結成したグループの展覧会で、その内の4名の作家は秋に宮崎空港で開催された「MEET ARTS」で一緒だった作家たちである。 私はてっきり空港での企画が縁で結成されたグループだと思っていたのだが、そうではなくすでに5月に結成され、たまたま半数近くの作家が空港の企画にも招待 されたと言うことらしい。 私は今の若い作家たちとは殆ど接点が無く、とくに女性の作家たちとは名前と作品は知っていても本人に会ったこともない。 今日は川越るみさんと池部貴恵さんが在廊されていた。 川越さんとは空港での搬出の時にお話ししたので面識はあったが、池部さんは作品は良く知っているがお会いしたのはお互いに初めてであった。 お会いした、といってもマスク姿なので、素顔ではお会いしていない。 川越さんは私の妻と高校美術部の後輩であることがわかった。 ☆来年度の二人展の予約も入れた。 正月明けではやはり無理が大きいので、年末に予約した。 こうして予約を入れておかないと、私は怠け者だから版画を制作するモチベーションも維持できない。 ギャラリーの運営も厳しいらしく、来年度からは使用料が値上がりして、日・月の週2日の休廊、開廊時間の短縮と言う規模縮小となった。 ☆午後は次の木版画のプラン作成と下絵の版木写し作業。 正月明けの二人展開催までもう1カ月を切った。 私はまだ19点しか作品が無い。 あと7,8点は新作を制作しなければならない。 ☆今日は昨日以上に陽射しが強かったので、天日の温度は若干高かった。 3日ぶりに熱いお風呂に這入れた。 ただ湯量が少ないので、妻には通っているスポーツジムでシャワーを使ってもらった。 12月11日(土) ☆上天気で、非常に温かい一日。 上衣は不要で、車も窓を全開にして走っても、風がとても気持ち好かった。 ☆午前に宮崎市のホームセンターへ走って、版木用のシナベニヤを購入。 5,5mm厚の物があったので2枚購入。 ☆午後にシナベニヤのカット作業。 これまで使っていたシナベニヤは薄い物だったので、カッターで切れたが、5,5mmは厚いので鋸で切る。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 レッスンが始まる時間までにはシナベニヤのカット作業が終わったので、私もハーモニカでジョイント。 先週はリズムが全然合わず、講師の片貝さんにきつく叱られて落ち込んでいたが、今日は何とかリズムも狂わず、片貝さんと妻が驚いていた。 最後の曲がリズムが狂ってしまったが、やり直したらうまく行った。 ☆今日の宮日新聞の「歩廊」欄に、又木さんのこころプロジェクトの記事。 コロナによって地方版が縮小されてしまったので、地方版に小さく載ると他の記事に紛れて目立たない。 「歩廊」は単一のコラムなので、こちらの方が目につくし、記事も的確であった。 ただ今回のプロジェクトは、石垣に設置してある尾崎慎氏の彫刻と一体化したプロジェクトなので、彫刻のことには一切触れてなかったのは残念である。 しかし、新聞掲載時には編集部が記事を編集するので、高鍋支局の記者が元の原稿でどう表現していたかはわからない。 ☆今日は暑いくらいの上天気だったので、てっきり天日はたぎっているだろうと思ったが、やはり冬場は熱湯になっているのはわずかな量であった。 日が落ちて天日が冷え込まないうちにと、夕刻5時から浴槽にお湯を張ったが、結局は昨日よりは少しましと言う程度で、今夜も何度も鍋や薬缶でお湯を沸かして 浴槽に注いだ。 昨日はぬるすぎて浴槽には浸かれなかったが、今日はぬるま湯ながら浴槽に入ることが出来た。 海外のシンポジウムに行くと、真冬の寒さなのにシャワーのお湯も出ない処もあるので、まだましかと思う。 12月10日(金) ☆夜明け前に雨。 午前中は雲が多く、殆ど曇天で気温は上がらず。 午後からは晴れて気温は上昇。 ☆木版画の版木に使うシナベニヤが切れたので、午前に町内のホームセンターを廻ったが、どこにも在庫が無かった。 ☆午後に木版画の刷り作業。 今日は紙を湿すボール紙をこれまでのものより一回り大きいものを使ってみた。 そうしたら紙が全く波打たずしゃんとしているので、これはうまく行ったと思ったのもつかの間、刷りの作業で絵具の水分を吸った途端に紙が波打ってしまった。 単に、ボール紙が大きくなった分、霧吹きの水をボール紙が吸ってしまって、紙に充分な湿りが行き渡らなかっただけであった。 そして、一旦波打ってしまった紙はもう元には戻らない。 毎回試行錯誤である。 ☆版画を刷っている途中に、見積もりをお願いしていた鉄工所の社長が来られた。 刷りの途中では手が止められないので困った。 石の鉄枠の解体作業に就いて、社長は良く飲みこめなかったようで、石が立ったままでの作業では社員の作業上の安全性が不安だったと言うこと。 鉄枠の上部を横に切断して、天部をクレーンで吊って外せば大丈夫という説明で納得してもらえた。 ☆やはり今日の午前が曇天の天候では、天日のお湯は殆ど役にたたなかった。 熱いお湯は浴槽の20cm程の深さまでしか出て来なかった。 とりあえず、そのまま生ぬるいお湯を入れて浴槽を満たし、そこへ鍋や薬缶で沸かした熱湯を注ぐ作業を繰り返したが、一向に入浴できる温度にならない。 結局、夕食の支度があるので、時間切れで、ほぼ生ぬるい水風呂に入る羽目になった。 12月9日(木) ☆今日も全き快晴で、ポカポカ陽気の暖かい一日。 ☆断水したままで、はて洗濯をどうしようかと考えていたら、水道管の破れが給湯菅だけであったらエコキュートの給湯を止めれば水は使えるのではということに思い 至った。 そこでエコキュートの給湯バルブを閉めて、水道元栓を開いてみたら、やはりシャワー水栓下の漏水は止った状態で、水は正常に使えた。 洗濯機もトイレも通常通りに使える様になったので一安心であった。 ☆朝一に町内の水道業者に連絡をしてみたら、一社は現場作業が詰まっていて修理には出かけられないと言う返事。 もう一社は昨日から留守録を入れているのだが何の連絡も無い。 それで町内の業者では無理だと判断して、数年前に私がマレーシア滞在中に排水設備の不具合で妻がネットで修理を依頼した”みやざき水道職人”というサイトに 連絡してみた。 妻の話では対応も迅速で、仕事もとても良心的で丁寧だったと言う。 ☆昼前には担当者が来てくれた。 妻がお願いした時と同じ担当者であった。 漏水の原因が分かった。 シャワー水栓を取り換える時に、古い取り付け脚に強い力を加えて外すと、それで壁の中の給水管を折ってしまうことが多いのだと言う。 確かに古い取り付け脚はなかなかネジが廻らず、私は木槌で力いっぱい叩いて回転させた。 担当者の話では、その打撃の一発で壁の中の古い給水管が破損したのだと言う。 この破損事故はプロの水道業者でも起きてしまう事故だと言うことで、業者がシャワー水栓の取り換え工事をする場合は、依頼者に破損事故が起きることもある旨を伝える ということである。 ☆修理の工事になると、これは大変な工事になるとわかった。 私は単純にシャワー水栓のタイル壁を壊して給水管を補修すればいいのだろうから、最悪の場合は自分でやろうと思っていた。 ところが、それは絶対にやってはいけない工事で、通常は外壁から穴をあけて修理するのだそうだ。 だが、我が家の場合はその漏水の箇所の外壁面にはエコキュートや、エコキュート以前に使っていたガス給湯器の設備がぎっしりで、穴あけ作業が出来ないという。 それに、今のユニットバスなら浴槽の下に空間が在って、そこで給水管の組み合わせがすぐに分かって、破損した給水管の補修が出来るのだが、我が家のような昔のタイプ の浴室だと全ての給水管がコンクリート床の中に埋め込んであるので作業は不可能だと言う。 可能な修復作業は、新しく給湯管を作り直すことしか無いということ。 そして修理の見積もりは20万円近くになった。 見積の明細はとても明快で良心的であった。 先日のエコキュートの点検料、新しいシャワー設備一式の購入費用を合わせると、大変な出費である。 ☆12月は凍結による水道管破裂事故等が多く、水道工事は1年でもっとも多忙な時期だと言うことで、修理工事は15日になった。 それまでのお風呂は、幸い天日のお湯が使えるのでそれでしのぐことにした。 15日までは晴天続きの予報なので、なんとかしのげるかと思う。 ☆私は水道工事担当者との点検立ち会いや、見積もりの説明の間に木版画の版木を彫る。 毎日のように雑務が飛び込んできて、なかなか版画に集中できない。 12月8日(水) ☆全き快晴の、非常に穏やかな暖かい一日。 ☆午前に、昨日届いた石の鉄枠梱包の写真をプリントアウトして、鉄工所へ鉄枠解体の見積もりのお願いに行く。 あいにく社長は不在だったが、用件は先日お話してあるので、事務員さんにお渡しする。 鉄工所が大地の上の長閑な山里にあるので、今日のポカポカ陽気で気持ちの好いドライブだった。 ☆午前に次の木版画のプランを纏めて、下絵を描く。 昨日刷った木版画を一晩圧をかけていたが、やはり刷りの状態も圧で紙が平らになった状態も、これまでの中で最も良い状態であった。 ☆午後はホームセンターでサーモスタット付シャワーバス水栓を購入して、浴室のお湯の出なくなったシャワーバスを交換する。 簡単な作業だと思っていたら、なかなか大変な作業で夕刻までかかった。 無事作業が終わって、止めていた水道の元栓を開いたところ、なんとシャワーの水栓が取り付けられたタイル壁の真下から大量のお湯が噴出してきた。 理由は分からないが、壁の中で水道管が破れてしまったのだ。 取り替え作業は、器具を取り換えるだけなので壁の中の配管には一切触れて居ない。 しかも壁の中からは真っ黒なヘドロも大量に出て来たのだ。 つまり、ずっと以前から何処か水道管が破れていて少しずつ漏水しており、壁の内側に真っ黒なヘドロが溜まっていたということである。 ☆これまでお世話になった町内の水道業者数社に連絡を取るが、もう夕刻の5時近くだったので、いずれも連絡が取れなかった。 仕方なく、水道の元栓を閉めたまま、今夜は断水で過ごすことになった。 必要な水は薬缶や鍋、ペットボトルに溜め、トイレは浴槽の残り湯(こういう非常事態に備えて浴槽のお湯は翌日の夕刻までは抜かないようにしてある)をバケツに入れて 使うことにした。 これはタイル壁を壊さなくてはならないので、これまでの水道管の工事とはレベルが違う。 大きな出費になりそうで、頭が痛い。 12月7日(火) ☆晴れ。 今日もポカポカ陽気の穏やかな一日。 ☆失念していたが、もう木版画の鳥の子紙が残りわずかになっていた。 それでネットで見本帳を送ってもらって和紙のメーカーに、厚手の紙を注文する。 版画用紙には雁皮紙のように薄い紙も多い。 薄い紙にそれなりの湿し方が有るのだろう。 ☆午後から木版画の刷り。 今日は薄い鳥の子紙の湿し方を少し工夫してみた。 ボール紙にスプレーで霧吹きした水を刷毛で均して湿してみたら、波うちが殆ど無くなった。 さらに水を湿すボール紙も小さいことがわかった。 ボール紙が版画用紙とあまり変わらない大きさなので、版画用紙の中心部と周辺部の湿り具合が異なってしまうようだ。 そうして刷りの作業に、先日買った高価な丸刷毛を使ってみたら、最初は絵具の量の加減が判らなかったが、概ね絵具の溜まりも無く上手く刷れた。 ☆石販業者から、中国の工場での石の鉄枠梱包の画像が届いた。 石が大きいので、寝せるとコンテナに入らないので、建てた状態で鉄枠を組んである。 鉄枠を組んでみると、思っていた以上にもの凄いサイズだ。 こんな巨大な石を独りで彫っていたら、やはり体が壊れてしまう。 なんとかアシストできる作家を捜さないと。 12月6日(月) ☆晴れ。 今日は冷え込みは無く、うららかな陽気。 ☆一日、木版画の版木を彫る。 夕刻までかかる。 刷りは明日に廻す。 妻はもう全ての展示作品の準備が出来ていて、昨日から新たに注文するマットと額の点検作業をしている。 ☆今日も宮崎県の新規のコロナ感染確認者はなし。 12月5日(日) ☆晴れ。 今日も冷え込む。 ☆中町駐車場のプロジェクトは午前で終了。 私の作業したタイル貼りのセメントの洗い流しのアクが気になっていたのだが、今朝見直したらそれほどまでには気にならなかった。 フェイスブックの投稿を見た、石垣の上に設置してある彫刻の作者である尾崎慎氏から、大感激のコメントが届いた。 尾崎慎氏の彫刻のタイトルは「二人で見る風景」。 その下に新たに又木啓子さんにデコレーションされた「こころ」の豊かな色彩。 これからは恋人たちの聖地として親しまれていけると良い。 交通量の多い場所なので、道向いの宮崎銀行駐車場の一角にプロジェクトを眺めるベンチを設置できるよう、宮崎銀行側に打診したい。 プロジェクト名は”中町商店街 こころアートプロジェクト”とする。 ☆私は切羽詰まった二人展の版画制作に戻る。 夕刻までに新しいプランを纏めて、下絵を版木に写す。 ☆今日の宮崎のコロナ感染確認者はなし。 12月4日(土) ☆晴れ。 今日も陽射しが強く、日中はポカポカ陽気。 夕刻からは厳しい冷え込み。 ☆中町駐車場アートプロジェクト4日目。 私は午後半ばでノルマの作業を終了。 又木さんはまだ明日も仕上げの作業が残っている。 ☆私は二人展のための版画制作に集中しなければならないので、1,2日ならという約束で関わったのだが、結局4日も拘束されてしまった。 午後後半からは版画制作に戻るつもりだったが、妙にグッタリ疲れてしまって、マッサージ機の上でマッサージをしながらうたた寝をして過ごす。 ☆今日も不思議なことがあった。 お昼を摂りに行くと、カウンターの席に就いた途端に又木さんの携帯のライトが点いた。 又木さんが何かの用件でライトを点けたのだと思ったら、勝手に点いたのだと言う。 又木さんが私に”消して”と言うが、彼女の携帯はiPhoneなので操作が解らない。 それで彼女が音声操作で「懐中電灯を消して」と言うと、ライトは消えた。 ところがその途端に、何にも触っていない私の携帯のライトが点いた。 二人とも思わず顔を見合わせて、”ここにはナニカ居るんじゃない?” 私は自分の携帯のライトなどこれまで一度も点けたことは無い。 ☆今日も宮崎県内で、コロナ感染者が1名確認された。 昨日の感染確認者の濃厚接触者であった。 12月3日(金) ☆晴れ。 今日も冷え込んだが、昨日までの厳しい冷え込みは無く、昼間は陽射しが暑くて作業ジャンパーを脱いだ。 ☆中町駐車場アートプロジェクト3日目。 昨日同様、又木さんはハートへのデコレーション、私は石垣へのタイル貼り。 ☆昼前に黒木・高鍋町長と西村・福岡県久山町長の表敬訪問。 西村・久山町長は町長就任前から黒木・高鍋町長とは交流が有り、何度も高鍋町を訪れて商店街を散策したりされていたという。 ☆同じ時刻に宮崎日日新聞高鍋支局の取材。 ☆ちょっと、また周囲の磁場が狂ってきているか。 昨夕は又木さんの車のバッテリーが上がってしまった。 バッテリーは交換したばかりの新品である。 何故バッテリーが上がってしまったのだろう。 今朝一番の作業はブースターでのバッテリー充電だった。 お昼に出掛ける時に、このまま前進したら車止めに乗り上げて仕舞うのではないかと案じたが、幸い車止めのない場所に駐車していた。 ところが材料の買い足しにダイソーに立ち寄ったら、私の目の前で前進した車が車止めを乗り越えてしまった。 ”又木さん、ぼくが心配していた全く同じことが目の前で起きたよ!” さらに午後の作業中に、ギャッー!という叫び声とともにバターンと何かが激しく倒れる音がした。 見ると宮崎銀行角交差点の横断歩道の上で男性が前のめりで倒れていて、周囲には眼鏡やサンダル、書類一式のようなものが散乱していた。 どうやら何かの拍子にサンダルが突っかかり、勢いで道路上に放り出されてしまったようだ。 幸い、気付いた車が停止してくれたので大事には至らなかった。 先日の車の突入と言い、用心、用心。 ☆そして今日は44日ぶりに、宮崎県内でのコロナ感染者が確認された。 これは新年同窓会は危うくなるかも。 12月2日(木) ☆今日も冷え込む。 日中は風も無く陽射しが強かったが、午後からはぐんぐん冷え込んでくる。 ☆中町駐車場アートプロジェクト2日目。 又木さんはハート部分のデコレーションに専念し、私は石垣部分に散らしたタイルにセメントで目地を入れる作業。 空気が冷たいので、タイル接着剤の硬化がとても遅く、又木さんの作業がなかなか思うように進まない。 彼女はこれまでにタイル貼りの作業は暑い夏場しかやったことがなく、冬場には接着剤の硬化がこんなに時間がかかるというのは初めての体験だと言う。 私のタイルに目地を入れる作業もなかなか大変な作業で、当初の計画通りに石垣を彫って埋め込んでいたらとんでもない作業時間になってしまっただろう。 予定では明日にはほぼ完了のつもりだったが、今日の様子では明後日までかかりそうである。 ☆通りを通られる方や、中町地区の方々に作業をとても好意的に受け入れて貰っている。 下校中の小学生や地区の方たちにもハート部分のタイル張りに参加してもらっている。 皆さん楽しそうである。 お隣の六日町、十日町も古民家の再生が進んでいて、今回の中町のプロジェクトが新しい高鍋町のアートストリート創生に繋がると面白いと思う。 ☆先日に車の突入で破壊されたあかりオブジェは、保険による補償が出る見込みとなった。 私はデザインも新しく考えて、新しいあかりオブジェを設置しようと考えているので、ストップしているあかりプロジェクトの再生にも繋がっていくとよい。 12月1日(水) ☆この冬一番の冷え込み。 日中は陽射しが強かったが、風が冷たくジャンパーを着込む。 夕暮れてからは急激に冷え込んで真冬の寒さとなった。 明日は更に冷え込む予報である。 ☆今日から中町駐車場の石垣のデコレーション作業。 石垣の上には尾崎慎氏の彫刻が設置してあるのだが、そこを恋人たちの聖地にしようと言う企みで、石垣を組む時に彫刻の下にハート型の石をはめ込んでもらった。 しかし造園業者の仕事なのでセンスが無く、まったく目立たない存在で、誰も気づかない。 それでもっと町民の目につくようにと、都城市出身でスペイン・クエンカ在住の又木啓子さんにデコレーションをお願いした。 しかしコロナでスペインから出国出来なかったので、1年越しにようやく作業にかかることが出来た。 又木さんは、つい先日に都城市文化賞を受賞したばかりである。 ☆作業は又木さんのライフワークでもあるタイル貼りの作業。 ハートマークをタイルで装飾して、石垣にもタイルを散らしてゆく作業で、今日を含めて3日間の作業である。 当初は石垣に貼るタイルは埋め込む予定で、それでエアチッパー作業が必要なので100Vのエアーコンプレッサーを買ったのであった。 しかし、今日の打ち合わせで、石垣の石が川石で相当に硬く、彫り込んでいたら何日も作業日数を要すると判断、それで石垣の隙間や凹みに張り付けて行くことにした。 ☆夕刻に高鍋町美術館の青井学芸員が顔を出してくれた。 今回の又木さんへの作業依頼は、高鍋町美術館での又木さんの展覧会開催によって、又木さんと高鍋町の繋がりができたおかげである。 ☆夜は又木さんと私たち夫妻とで居酒屋で盃を交わす。 11月30日(火) ☆一日、雨。 日中は小降りだったが、夕刻からは激しく降る。 ☆午前に木版画の版木を彫る。 午後から刷りに入る。 周囲のさらいもしっかりやったし、専門の刷毛も買ったので、さぞやうまく刷れるだろうと期待したのだが・・・。 状況はこれまでとまったく変わらなかった。 やはり輪郭の縁に絵具の溜まりが出来るし、周囲のさらいの部分に延びた絵具も付いてしまう。 つくづく厭になって投げ出したかった。 しかし二人展は目前に迫っているので、とりあえず刷り上げて圧をかけて、寝る前に様子を見たら何とか見れる状態で、少しホッとする。 絵具の量とかさらいの深さとかは、試行錯誤しながら体得してゆくよりないのだろう。 都城市の版画家も、やはり同じことを言われていた。 ☆先日からお風呂場のシャワーのお湯が出なくなった。 それでダイキン工業に来てもらって、エコキュートの点検をしてもらった。 確かに水を吸い上げる管のフィルターが目詰まりしてはいたが、同じエコキュートからの給水である洗面台とキッチンのお湯は普通に出るので、シャワーの蛇口の サーモスタットが老朽化で駄目になっているのだろうと言うことであった。 ☆とうとうオミクロン株が成田空港で初確認された。 デルタ株も日本で初確認されてからあっという間に日本中に感染して行ったので、オミクロンも同じように年末までには日本中に感染してゆくだろう。 やはりまだ来年も海外シンポジウム参加は無理だろう。 私の予定されている仕事に関しては、殆ど独りでの作業なので影響はない。 ☆先日の集団検診のうち、大腸ガンの検診の結果が届いた。 結果は陰性で異常なし。 11月29日(月) ☆今日も陽射しの強いポカポカ陽気。 外に出ると、ジャンパーでは暑い。 ☆午前に木版画の作業板を作成する。 午後からは版木の彫り作業。 確かに作業板の上で版木を彫ると、丸刀の彫り込み作業が楽に進む。 ☆コロナの新たな変異株オミクロンに対し、一気に世界中に警戒感が広がった。 全世界からの外国人の日本入国が当面1カ月の間が禁止になった。 最短で3日に短縮されたばかりの日本人の帰国者の待機期間は再び14日に引き揚げられた。 待機期間が3日に短縮されたので海外に出た人は、思いも掛けない事態になった。 やはり正月明けの二人展が無くても、この状況ではエジプトには行けなかった。 オーストラリアでもこのオミクロンの感染が確認されたので、来春開催予定のオーストラリアのシンポジウムも先行きが読めなくなってきた。 ☆今日は高校同窓の新年会幹事から、2年ぶりの新年会案内が届いたばかりだった。 即、出席の返事をしたが、世界の状況はその後に急変した。 やはり第6派は確実に来るのか。 11月28日(日) ☆風は冷たいが陽射しの強い晴天。 午後から全き快晴のポカポカ陽気となった。 夕刻からは急激に冷え込んで、ほぼ真冬の冷たさ。 ☆午前に妻と宮崎市内へ出る。 まず知人のマンションを訪ねる。 私の作品を壁に飾って、音楽を聴きながら眺めて居たいということで、その打合せをする。 月がテーマの作品が欲しいと言うことであった。 ☆昼前に宮崎県立美術館へ。 昔なじみの森山修氏が米寿を迎えるのを記念して、回顧展を開かれていたので顔を出す。 森山氏は以前は紙専門の文房具店に併設して画廊を経営されていたので、画廊によく顔を出していた。 森山氏は背筋もまっすぐで、とても若々しくお元気だった。 私のことは新聞記事等でおおよその消息はご存知だった。 ☆妻は開催中の”瑛九展”を観に行ったので、私はその間にお隣の県立図書館へ資料探しに行く。 念のために私の「MOON DROPS 月の雫」を捜したが何処にもなかった。 入口には宮崎県の美術書というコーナーがあって、”宮崎県内にも優れた芸術家の方がおられます。その書籍を紹介します。”という触れ込みだったが、そこにも 私の本は無かったし、詩歌の書架にもなく、さらに詩歌の書架には当県立図書館の名誉館長の伊藤先生の歌集は見当たらなかった。 宮崎県が”短歌県・宮崎”を謳い、今年の宮崎県文化賞に俵万智を選んだほどなのに、俵万智の本もわずかしかなく、どこにも”短歌県・宮崎”の雰囲気はなかった。 昨夜、私の佐賀大学の後輩から、彼女の地元の小郡市図書館に伊藤先生の本を借りに行ったら「MOON DROPS 月の雫」が書架に置いてあったという画像がラインで 届いたばかりであった。 そう考えると、先日訪ねて不満だった都城市立図書館は俵万智の本は山ほど書架に並んでいたし、むしろ県立図書館より魅力的な図書館だったのだと気付いた。 ☆肝心の仕事の景観関係の本はなかなかこれといったものが見つからないうちに、妻から呼び出しがかかったので、またあらためて出直して来ることにした。 一冊手にした建築のパース図の本を見ていたら、やはり今の建築展開図はCADで描かれるようになってから、昔のような手書きでの美しい絵が消えてしまった ということであった。 確かに昔の建築家のインクによる手書きの展開図は素晴らしく芸術性が高く、非常に美しい。 ☆帰宅して、木版の彫りの続きをやっていたら、三兄が準備を進めていた作品集が完成したと持って来てくれた。 ハードカバーの、分厚いなかなか見事な作品集だった。 その巻末の方に、兄の教え子たちからの寄稿文があり、それをずっと読んでいたら版木を彫る作業は進まなかった。 私の場合は弟でもあると同時に教え子でもあるので、寄稿文をどう書いていいかわからず、締め切りに遅れて取りあえず一気に書いて渡した。 だが活字になったものを客観的に読んでみたら、なかなかいい文章であったので、ほっとした。 11月27日(土) ☆快晴。 陽射しが強く、ぽかぽか陽気の一日。 妻はサークル仲間と都城方面にスケッチに出かけたが、どこも大変な行楽客でイーゼルを構える場所も無く、厚着をしていったらすごく暑かったと言う。 でも寒さが無かったので、楽しい小旅行だったようだ。 ☆朝の家事(主夫業)が一段落して、ゆっくり新聞を開いていたら、”おくやみ”欄の”本日の告別式”に知人の名前があって仰天した。 彼女は私の高鍋高校美術部と宮崎大学美術科の5年後輩である。 私は大学の夏休みは殆ど高鍋高校の美術部室に通って、後輩たちに彫塑教室を指導していた。 彼女たちとはキャンプにも行ったりして、とても仲の良い後輩たちであった。 そして彼女は私の彫塑教室の影響だろう、宮崎大学では彫塑を専攻して、県美展で特選を受賞したりしていた。 結婚してからは、婚家の事情で制作からは離れてしまったが、展覧会にはよく顔を出してくれていた。 何より、昨年の暮れには私の本を求めにワインを提げて我が家に来てくれて、息子夫妻と友人の分も買ってくれた。 今年の”しんとみギャラリー”の二人展にも来てくれたし、すごく健康そのものだった。 ゆっくりしていたので、葬儀の時間には間に合わなかったので弔電を送った。 喪主の息子さんには、「MOON DROPS 月の雫」の中で彼女も好きだった伊藤先生のこの歌を贈りたい。 ”亡き人は無きにはあらず 扉一つわずかにへだて近々とあり” ☆紙エッチングを色々試し刷りしてみたが、やはりうまく行かず。 らちが明かないので、木版画の新作に切り替える。 技法書を見返して、彫りを学び直す。 そして版画の作業台で版木を固定したほうが彫り易いと判り、ダイニングテーブルに埋め込んである大理石の鍋敷きに版木を当てたら、確かに彫刻刀に力を込め られる。 そう言えば、学校には版画の作業板が常備してあったのを思い出した。 やはりこういう基本的な事にはきちんと対応したほうが好い。 11月26日(金) ☆快晴。 陽射しがとても強く、暖かい一日。 ☆ボール紙を使った紙エッチングを試みる。 昨年、都城市の版画家のアトリエで教えて貰ったボール紙でのエッチングがとても簡単だったし、二人展の展示でも圧倒的な人気だった。 正月明けの二人展がもう目前になって来たので、この簡単な紙エッチングで作品数を揃えようと考えた。 アトリエでは木版画用のプレス機で刷ったのだが、我が家にはプレス機は無い。 版画家の話では、足のかかとで圧を掛けても刷れると言う話だったし、最近はビン底刷りという方法もよくネットで見る。 それでビン底刷りをやってみた。 タンポを作って油性絵具をボール紙に刷りこんで、ビンの底でこすって圧を掛けていくのだが、これがなかなかうまく行かない。 ネットで検索して紙エッチングをやっている人たちの動画を見るが、みんなビン底刷りで綺麗に刷れている。 紙の種類を変えてみたり、紙を湿してみたりと試行錯誤するが、どれもうまく行かない。 ☆石販業者からの連絡で、国土交通省からの石材運搬の道路使用許可が今日下りたということ。 一つ一つ難題をクリアして行っている。 予定では1月6日に中国の港で船積みをして、高鍋町の私の仮の作業場に石が届くのは1月末から2月初めだということである。 当初の予定より少し遅れるが、妻との二人展が1月23日までなので、二人展が終わってから余裕があった方が、作業場での色んな事前準備が有るので助かる。 11月25日(木) ☆晴れ。 風は冷たいが、陽射しの暖かい気持ちの好い気候。 ☆コンプレッサーの試運転をしようと思ったら、エアーホース等はアンジェラスの森の倉庫に置いてあることに気付いた。 先日に壊れたあかりオブジェを運んだ時よりも野山は秋色めいて、清々しい美しい佇まいとなっていた。 アンジェラスの森も冬枯れて、すっきりとなっていた。 ☆エアーホースを取り付けて作業してみると、予期していたよりもエアーのパワーが無い。 エアーガンから出るエアーはグラインダーのダストをかろうじて落としてくれるくらいだし、エアーチッパーに至ってはまったく動かない。 ネットで、購入したコンプレッサーの仕様をチェックするが、操作はどこも間違っていない。 100Vのコンプレッサーってこんなものなのかと愕然となる。 版画もハーモニカもうまく行かないし、コンプレッサーも当てが外れてしまい、まったく気落ちしてしまった。 ☆だがネットの説明ではインパクトレンチが使えるとある。 それで試しに、エアーの接続口に直接エアーチッパーを差し込んでみた。 そうしたらちゃんと強いパワーで作動する。 エアーホースが長すぎたのだと思って、作業に支障のない最低限の長さにホースを切ってやってみたら、やはりエアーチッパーはきちんと動いて石も削ってくれる。 ところがエアーホースが古くて、あちこちが破れてしまっているので、ホームセンターへ走って新しくエアーホースを購入する。 ☆これで大丈夫。 エアーチッパーもベビーエアーカップも正常に作動する。 エアーガンはそれ程のエアーの圧は必要ないので、ホースを長めにしたら、それでもかなり圧が強いので、エアーチッパーを接続してみたら、なんと長いホースでもちゃんと エアーチッパーは作動する。 何のことはない、単に古いエアーホースが穴だらけで、エアーが全部抜けてしまっていただけだったのだ。 こんなに普通にエアー工具が使えるのなら、どうしてもっと早く決断して買わなかったのだろうかと思ったが、今回はコロナ緊急事業支援金が出たので買えたのであった。 ただタンク容量が小さいので、動力コンプレッサーのように長時間の継続的な作業は出来ない。 休み休みのんびりやればよい。 ☆伊藤先生から「続々伊藤一彦歌集」(砂子屋書房 11月12日初版発行)が届いた。 伊藤先生の活躍は凄まじい! 経歴にはちゃんと”2020年 教え子で彫刻家の田中等との共著『MOON DROPS 月の雫』(鉱脈社)を出版。”と記載してあった。 とても嬉しい。 11月24日(水) ☆朝はこの初冬一番の冷え込み。 宮崎県ではえびの高原の韓国岳で、霧氷が観測された。 日中は風は冷たいものの、陽射しは暖かく気温は上昇。 ☆エジプトからカイロのシンポジウムの案内が届いた。 もうコロナでの帰国時の自主隔離が3日に短縮されたし、カイロのピラミッドの観光も含まれているので今回は参加したいと思ったが、会期が12月から1月にかけての 24日間である。 ちょうど、正月明けの二人展とまるまる重なってしまう。 今回もカイロは断念しなければならない。 なかなかピラミッドにたどり着けない。 ☆午前に、先日届いたコンプレッサーを開梱して、車輪等を取り付ける。 試運転してエアーチッパーを使ってみたいと思ったが、時間が取れず、明日に廻す。 ☆午後は妻のヴォーカルレッスン。 1月の二人展でのライブのリハーサルなので、私もハーモニカでジョイントする。 先日のライブの時には上手く吹けた曲が、久しぶりに演奏すると、もう間違ってばかりだ。 それに、やはり妻との練習ではうまく行くのに、講師の片貝さんのピアノではまるっきりテンポが狂ってしまう。 私は必死に楽譜にしがみついているうえに、ミスをするとたじろいで一瞬演奏が止ってしまって、それでテンポが狂ってしまうようだ。 ミスしても立ち止まらないで、そしてテンポが狂ったらテンポを合わせるために一拍休むなりの工夫が必要だと言うことである。 私のようなリズム音痴には、まるっきりどうすればいいのかわからない。 版画もハーモニカも毎日がわからないことばかりで、歳をとるヒマがない。 11月23日(祝・火) ☆晴天。 気温は上がらず、夕刻からは真冬並みに冷え込む。 宮崎県は軒並み、12月上旬から1月上旬並みの寒さだったようだ。 いよいよ冬の到来である。 ☆木版画の刷りに最低限必要な刷毛類をネットで注文する。 私は昨年から無収入なので、高価な専門的な版画用の道具を調達する余裕はなく、100均で買った刷毛を工夫して接合したりして使っていた。 しかし、私の刷りがうまく行かないのは刷毛に原因があるのと、版木へのさらいの仕方に問題があることがはっきりした。 そしてあらためて技法書を見直すと、昨年に木版画を始めた時にはまったく理解できなかったことが、実践的な制作上の失敗を重ねて来ているので、いまではストンと 書いてあることが理解できるし、制作過程の画像もしっかり読み取れる。 どうしてこんなことに気が付かなかったのだろう、と今になって思うのは失敗を重ねて来たからである。 ☆夜は南町公民館で開催された”ZEK!”のライブに出かける。 コロナの自粛もようやく解除されて、久しぶりに以前のような形でライブが出来るようになった。 私と妻は今まで通り、ワインとつまみを提げて行く。 常連の方たちも同じようにお酒を飲みながらの参加であった。 ”ZEK!”はレッド・ツェッペリンの曲だけを即興演奏するピアノトリオで、高鍋町には毎年のように全国ツアーの途中に立ち寄っておられる。 メンバーの方たちは高鍋町が大好きだということである。 ☆数年前のライブの時には私も打ち上げに参加した。 私はZEKの黒のTシャツが大好きで、海外のシンポジウムには必ず着用していくし、先日の妻との同じ南町公民館ライブのステージでもZEKのTシャツを着た。 そろそろ買い替えようかと思っていたら、なんとファン投票で今回から赤のTシャツに変わった。 私は赤のTシャツは似合わないので、ガックリである。 ☆ライブ会場の席に就いて直ぐに、石販業者から、中国の工場での粗落とし作業が終わったので、梱包作業に入って良いかという連絡が入った。 画像を見ると完璧な作業だったので、梱包作業のOKを出す。 梱包は鉄枠で組む。 その鉄枠の画像が届いてから、鉄工所に鉄枠解体の見積もりをお願いしようと思っていたのだが、全くのグッドタイミングで私たちの前の席でその鉄工所の夫妻が お酒を飲みながらおつまみを食べておられた。 早速送られてきた石の画像をお見せして、鉄枠梱包の画像が届いたら解体の見積もりをお願いしたい旨を伝える。 本当に不思議だが、私は遭わなくてはならない人には、こんな風に向こうの方から会う機会がやって来るのである。 11月22日(月) ☆夜中から雨。 雨は午前中いっぱい続き、午後半ばからは雨は上がる。 気温は上がらず、夕刻からはしんしんと冷え込む。 ☆午前にパース画と図面を届ける。 帰宅すると、石販業者から、中国での粗取り作業中の画像が届く。 上部のフォルムの粗落としをやってもらっているが、作業している人物の大きさと比較すると、やはり相当に石のサイズは大きい。 ☆午後から妻と宮崎市へ出て、画廊喫茶”シベール”へ。 ”シベール”ではいま、元東京学芸大学教授で退職後に串間市へ移住して来られた蓮尾力さんの木版画展が開かれている。 蓮尾さんは毎日会場に顔を出されていると言うことで、色々技法的なことをお聞きしたくて出かけた。 しかし、蓮尾さんの版画は絵具はリトグラフ用の油性絵具で、色の塗りはローラーを使われ、刷りもプレス機を使われているので、私の参考になるものはなかった。 蓮尾さんは木版画は小学校のころからやられていると言うことだったので、基本的な水彩炎具のバレン刷りのことも熟知されていると思うが、今日のお話しの中では そこまで辿ってお聞きするタイミングも無かった。 ☆串間へ移住されたのは知り合いが居たと言うことではなく、学芸大学在職中に美術教育関係の大会で全国を廻ることが多く、退職後は環境の良い田舎に移住すると 決めて居られたので、出張の度に時間を見ては候補地を廻っておられたのだと言う。 最終的に串間市を選ばれた訳だが、串間市は西部劇の世界です、と言われたのがなんとなくわかって可笑しかった。 そういう話で楽しい会話が続いた。 会場には、高鍋高校美術部OBの大上敏男先輩も来ておられた。 もう91歳だと言うことであった。 ☆”シベール”のマスターの依頼で、私と妻の二人展を再来年の2月に開催することになった。 ☆帰りにホームセンターで水彩絵の具を求める。 しかし学童用の絵具しかなく、ホルバインの専門家用の水彩絵の具が常備してあった日向市の文房具店が無くなってしまったのは痛い。 11月21日(日) ☆朝のうちは曇天。 昼前からは晴れる。 風もなく暖かい気候。 ☆午後に、高鍋町美術館で開催されている「島嵜清史 風景の抽象画/抽象画の風景」展の関連イベントのトークイベントへ出かける。 これは島嵜氏と武蔵美後輩の妻木良三氏との対談で、聞き手は青井学芸員で進められた。 私は先日訪れた時に、テキストを読みながらの鑑賞では島嵜氏の作品が理解できなかったので、本人から制作のコンセプト等について伺えるものと思って出かけた。 しかし、限られた1時間という枠内では、氏の大学時代の作品、宮崎県海外美術留学賞後の作品、そしてその後の最近までの作品の紹介で終り、現在美術館で展示 されている作品群への言及は殆ど無かった。 島嵜氏は武蔵美時代に、最も難解なアーテイストである宇佐美圭司氏と荒川修作氏に大きな影響を受けているので、彼らへの理解なしには島嵜氏への理解も及ばない。 フェイスブックでは、今回の展覧会への反応がいくつか好意的に投稿されているが、殆どは島嵜氏と直接に親交のある方ばかりで、純粋に島嵜氏とは何の面識もなく作品 を理解して感動された投稿は皆無である。 ただ終盤に示された島嵜氏が影響を受けた作家達の紹介では、氏が多くの先達の画家たちへの畏敬から多くのことを学びながら真剣に”絵画”と言うものを身に引き受け ている求道者のような生き様は伝わってきた。 とまれ、今の宮崎の画家の中では、若い世代の作家達から最も尊敬の念で受け入れられている作家なのだが、私とは何度か会ってはいるのだが殆ど私には心を開いて くれない人なので、気にはなるがよく解らない人なのである。 最後の締めで、ゲストの妻木氏も青井学芸員も”島嵜さんの絵はよく解らない”という落ちが付いて、ホッとした。 作家と作品と言うものは、共感できることと理解できることとは違うものなのだ。 ☆金曜日に注文したコンプレッサーがもう朝のうちに届いた。 中国製だった。 今は中国製はレベルが高くなっているから、問題はないか。 ☆夕刻には年明けの二人展のDMが届いた。 妻は殆ど作品の準備が整っているが、私は紙の湿し方や刷リのことで躓いたままである。 果たして展示できるだけの作品があと一月余で間に合うのか。 11月20日(土) ☆暖かい穏やかな気候。 ☆木版画の次の作品のプランを考えるが、なかなか纏まらない。 作業が進まないので、ネットで紙の湿し方や刷りについて調べる。 とある初心者・独学者向けの木版画の技法サイトを見ていたら、「ほぼ100%の初心者や独学の人が陥る彫りと刷りの失敗」というページで、まったく私が 陥ってしまっている失敗の原因がようやく解った。 基本的な刷りの方法をまったく知らないまま、いくら丁寧に気持ちを集中しても上手く刷れない原因がやっとわかった。 原因は飲みこめたのだが、ではどうやればいいのかと言うことに関しては、基本的な事が書いてあるだけで、具体的な記述が無い。 木版画もハーモニカも全くの独学。 基本のキも何もわからないままやっているので、上達できる訳はない。 ☆ネットではどうにも歯がゆいので、手持ちの技法書をまた読み直す。 その1冊に、私が20代の時に買ってずっと本棚に収まったままの「新版・日曜プリンター」(片野孝志 著)という本がある。 いつか版画を始めようと思いながら、何度か手に取ったことのある本なのだが、きちんと読んでみたのは今日が初めてだった気がする。 あらゆる技法について、”だれにでもできる版画と印刷”というキャッチフレーズで紹介された45年前に発行の本である。 読んでみると、各技法については基本的な事しか記述されていないが、ポイントの押さえ方、道具や材料のこと、そして挿入されている印刷の歴史の薀蓄が実に 奥深い。 11月19日(金) ☆今日も陽射しの暖かい穏やかな晴天。 冷え込みはなし。 ☆一日、パース図の修正作業と着彩。 今日中に依頼先に手渡したかったが、間に合わず。 先方には取りあえず、パースの画像をラインで送る。 ☆ずっと懸案だった100Vのコンプレッサーをネットで注文する。 石の作業ではどうしてもエアーが欲しい時があるのだが、アンジェラスの森の動力コンプレッサーは故障したままで、修理して使える様にすると、作業をしていない時の 動力の基本電気料金が馬鹿にならない。 今の無収入の状態ではとても対応できない。 しかし来年の仮の制作場所には動力を引くことが不可能だと分かったので、普段の作業でのダストの吹き落とし作業等には100Vのコンプレッサーが欲しい。 先日申請していた県と町のコロナ緊急事業支援金が降りたので、ネットで検索して、100Vで最も強力だというコンプレッサーを注文する。 ☆今夕は部分月食。 ほぼ皆既月食に近く、今回のようなほぼ皆既月食の部分月食は140年ぶりで(ネット記事によっては89年ぶり)、次に今日と同じほぼ皆既月食の部分月食が 見られるのは65年後だとか騒いでいるので、人並みに写真に収める。 幸い雲一つない上天気で、私のバカチョンカメラでも綺麗に撮ることが出来た。 いずれにせよ、今日のほぼ皆既月食の部分月食は、私の一生のうち、今日が唯一だったと言うことらしい。 皆既月食自体は今年の5月に見られたし、来年は11月21日に見られるようだ。 ☆皆既月蝕と言えば、47年前に私がネパール・カトマンズー郊外のスワヤンブー村に住んでいた時に経験した出来事が忘れられない。 旅人にとって満月は1つの行動目安で、次の満月をどこどこで見ようということで旅程行動が決まる。 そして、大抵は満月の夜は宴会である。 その時も、私は旅仲間と私のアパートメントの部屋で一献かたむけていた。 そうしたら満月で明るい月夜なのに、次第に外が暗くなり、暗闇になった。 何ごとかと思って外を見ると、煌々と輝いていた満月が消えていた。 翌朝、カトマンズ市内に出向いた時に、前夜は記録的な皆既月蝕で、日本からもインド・ネパールに多くの方たちが皆既月食ツアーで訪れていたことを知った。 実は、今日の昼にネパールのKhattriから、昨年2月に開催されたネパール・ポカラでのシンポジウムのまとめの資料がメッセンジャーで届いた。 私も招待されていたのだが、インドのシンポジウムと重なっていたので参加できなかった。 その時の連絡遣り取りで、私はポカラには25歳の時に訪れている旨をKhattriに伝えてあった。 それで、昨年のMRTテレビ”わけもん”取材の時に、インド大陸放浪時のスライドを画像に変換していたので、ポカラ滞在時とカトマンズ滞在時の写真を送った。 その中には、カトマンズー・スワヤンブー村の私の住んでいたアパートメントでの写真も含まれていたので、今日の部分皆既月蝕とスワヤンブーでの皆既月食の想い出が 偶然にも同じ日にクロスして、不思議な気持ちになった。 Khattriからは、次回は必ずポカラに招待すると言う返事が返ってきた。 11月18日(木) ☆曇天の一日。 午前は時折り陽が射したが、午後は重い曇天。 気温は上がらず寒々しい一日。 ☆午前はパース図の修正作業。 修正ばかりで先に進まない。 ネットで検索したらCADの無料ソフトがあったのでダウンロードして開いてみたが、使い方がさっぱりわからない。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 1月の二人展の時のアフタヌーンコンサートの曲目を通しで練習したので、私もジョイントで参加する。 講師の片貝さんのピアノに合わせてハーモニカを演奏すると、妻との練習ではうまく行く曲も全くガタガタでテンポが取れない。 本当に私は音楽的才能はゼロである。 完全に70の手習い状態である。 11月17日(水) ☆今日も陽射しの暖かい穏やかな秋日。 ☆一日、パース図の作成作業。 俯瞰図だが、どうにも形がいびつなので大幅に修正する。 その作業で終る。 CADソフトを使えば簡単に正確な図面が描けるのだろうが、私はそういうものを持っていないし使ったことも無いので、相変わらず中学生レベルの手描きである。 ☆台湾の張さんに、ベルトのエアー研磨機のことを尋ねていたのだが、やはり台湾ではベルトの研磨機は金属用か木材用のものしかないという返事が届いた。 だが嘉儀のシンポジウムの時に、道具屋さんが並べて展示販売していた工具の中にこのベルト研磨機が在ったのである。 石のシンポジウムに、石の研磨が出来ない工具など展示販売する筈はないので、その時に私が撮った画像を送る。 この画像を基に、再度調べてもらうことにした。 11月16日(火) ☆今日も暖かい穏やかな秋日。 ☆午前に、高鍋町役場の集団検診を受ける。 胃癌と大腸癌の検診。 役場の集団検診は検診日程と私の海外シンポジウム日程がいつも重なって、ずい分長いこと受けていない。 しかし70歳を超えたのを機に、できるだけ毎年受けて行こうと思う。 昨夜の胃のきつさは便秘が原因だと分かった。 今朝、大腸癌検診の便を採ろうとするが、まったく催さず、昨日の分だけを提出する。 そして胃癌検診のバリウム撮影が殆ど地獄の思いだった。 昨年の1日ドッグの時は病院だったので、広い部屋で最新の設備だったが、今日は検診車の狭い診察台で身動きもままならないし、ゲップをこらえるのが拷問に 等しかった。 おまけに、途中でゲップをしたらしく、さらにバリウムを飲まされてしまった。 その上に、便秘だということで下剤を通常の倍数を飲まなければならなかった。 ☆帰宅してからは、暫くは下剤でトイレに駆け込むハメになり、何も出来ず。 ☆先日の車の突入で全壊した”あかり”の保険の査定が済んだので、お腹の調子も落ち着いた午後に”あかり”を撤去してアンジェラスの森へ運ぶ。 ”おさわ別館”の家屋の破損修復作業も始まった。 当日の状況を見ていた方が居られたようで、車を運転されていた方は突っ込む前にすでに運転席で意識を失われていたと言う、 つまり、進入禁止のポールに激突して、あわててブレーキを踏んだつもりがアクセルを踏んでしまったと言うことではなく、心神喪失のままパーマ屋に突っ込み、 進入禁止のポールに当たって90度右に向きを変え、そのまま道路を直角に横切って”おざわ別館”に突っ込んだらしい。 だからほんの少し角度がずれていたら、そのままパーマ屋のお店の中に突っ込んだか、おざわ別館の店舗の中に突っ込んで大きな家屋損壊事故になっていた と言うことだ。 すなわち、私の”あかり”に乗り上げてしまったことで車留めの作用となり、おざわ別館が最小限の損傷で済んだと言うことである。 11月15日(月) ☆暖かい陽射しの心地よい秋日。 夕刻からは冷え込んでくる。 ☆午前は図面に寸法を入れてスキャン作業。 午後は図面を基に、景観パース図を描く。 私はこういう作業が本当に駄目である。 中学・高校時代にはある程度得意だった作業が、大学に入ってまったく出来なくなってしまった。 高校時代の美術部の後輩が大学の美術科に這入って来た時に、私が高校時代に難なくこなしていた作業が全くできなくなってしまっていたことに驚いていた。 ☆夕食の準備にかかったところで、猛烈に胃がきつくなってきた。 実は明日が胃癌と大腸癌の集団検診で、今夜はお酒が飲めない。 私の頭の中で、夕食を作る時はお酒のことも一緒に考える癖がついているので、お酒抜きで美味しい料理を作ることにプレッシャーがかかってしまったのか。 結局、夕食も殆ど喉を通らなかった。 独身時代、特に学生時代は神経質な性格だったので、ほぼ毎日が胃弱の苦しみだったが、結婚してからは胃は丈夫になった。 ひょっとすると、日中に図面を描いていると鼻水がタラタラ状態だったので、風邪気味なのかもしれない。 近年は風邪気味になると嘔吐下痢症になることが多い。 夕食後にハーモニカを1曲練習して、早々に床に就く。 11月14日(日) ☆午後からは北の方から重い雨雲が広がって来たが、それ以上の天候の崩れは無く、概ね穏やかな晴天。 気温の冷え込みもなし。 ☆午後から来年の作品設置場所に出掛けて、素人作業ながらかなり綿密に現在の場所の高低レベルを測る。 そうしたら、頂部の高さが最初に簡単に計測した寸法よりも20cmほど高かったことがわかった。 その計測を基に設置状態の側面図を描く。 先日のパース図では、現状より1m以上も高く盛らないと景観デザインが組めなかったのだが、今日の実測ではその必要は無いことがわかった。 ステージの広み部分と台座の部分とで20cmほどの嵩上げで済みそうである。 平面図も描き直す。 ☆アフガニスタン・カブールでのバス爆発テロ事件で、懐かしい言葉を目にした。 犠牲になったのは少数派のハザラ人であった。 ハザラ人はモンゴル系の人種で、風貌が日本人そっくりなのである。 日本人がアフガニスタンで現地の衣服を身に付けて歩いていると、ハザラ人と間違われるという。 私もアフガニスタンを旅していたときに、”おい、日本人がいるぞ”と紹介された男性がハザラ人で、みんなが私を騙したのだが、本当に日本人そっくりだった。 少数民族のハザラ人はアフガニスタンでも異色な存在で、タリバンのテロの標的になっているようだ。 11月13日(土) ☆穏やかな晴天。 室内は冷え込んで、殆ど冬の気配。 ☆一日、木版画の刷り。 昨日に刷った版画に一晩圧を掛けていたが、波うちが取れていない。 それで再度湿して、湿った状態で重しを掛けてみた。 夕刻に様子を見ると、少しは波うちが延びてくれた。 この薄い鳥の子紙は、湿す水加減が凄く難しい。 午後は日向での二人展の時の作品を刷り直して、霧吹きを少なめにしてみたが、やはり波打ってしまうし、刷る時に波うちをバレンで伸ばしてみても、やはり刷り上がりは 色ムラが出る。 ☆先日提出した来年の作品設置場所のパース図では、側面図を描いていなかったので、地形の高さが実際の状況とパース図とでは大きな破綻があって、一般の人には 状況をうまく理解できない誤解を生じさせる懸念がある。 それで先日計測した設置場所の傾斜角度を基に、側面図を描き、パース図も修正したものを描き直す必要があるようだ。 夕刻に少し側面図を描いてみたが、細かな寸法はもう一度明日にでも現場確認しなければならない。 ☆先日に北海道物産展で買った”生ベーコンパンチェッタ”をピザに使ってみた。 やはり普通のベーコンで焼いたピザとはまるで味が違う。 豊潤な深い余韻が口中にいつまでも残って、感動の余り身動きできない。 塩漬けの生ベーコンなので、ウクライナの”サラ”と同じ製法なのだが、生で食べてみると食味はかなり違う。 このパンチェッタは半解凍でわさび醤油で食べて下さいと言う販売員の説明だったが、確かにそうしてみたら滅茶苦茶旨かった。 11月12日(金) ☆雲は多かったが、概ね晴天。 風が強く、冷え込む。 ☆あかりオブジェ破損の損害補償の見積もりをまとめて、”おざわ別館”に渡す。 まちなか活性化事業のシンボルあかりなので活性化事業の資料や、「月の雫」掲載では書評でも多くの歌人にこの”あかり”を取り上げていただいているので、 その書評コピー等の資料を添える。 ☆高鍋町美術館から、先日まで開催されていた「ギフト展」の記録集が届いた。 実にしっかりしたカタログで、よくぞ終了直後にこんなものを出せたものだと、感服した。 巻末の青井学芸員の文章を読むと、彼女も「障がい者美術」というものには最初は抵抗があったという。 その抵抗感があったからこそ、事業を進める中で学ぶことも多く、高鍋町美術館でしか出来ない内容の企画になったと思う。 ☆木版画の刷りを進める。 いまだに紙の湿し具合が判らない。 今使っている薄い鳥の子紙は、湿すと紙が波打ってしまう。 波打ったまま刷ると、やはり刷り上がりもムラになってしまう。 厚手の鳥の子紙ではこういう事態は生じない。 ☆日本でのコロナ感染はほぼ落ち着いて来たが、今になってヨーロッパで再び感染が広がって来ている。 どのみち、私は来年は依頼されている大きな作品に掛かりっきりで、海外のシンポジウムには参加出来ないだろう。 11月11日(木) ☆上天気の一日。 昨日ほどの冷え込みは無し。 ☆10時前にホテルを出て、山形屋へ行く。 妻が開催中の北海道物産展のことが気になっていて、ジモミヤタビのクーポン券が買い物に使えることがわかったので、出かけてみる。 10時開店前に駐車場入口に並び、開店直後に店内に入ったのに、すでに北海道物産展の会場は超満員で、幾つかのお店は長蛇の列であった。 品物が飛ぶように売れている。 私たちは北海道物産展というものには初めて来てみたが、どうやらお客さんたちは常連の方たちが多く、最初から目当ての品を求めに来ておられるようだ。 デパートが、北海道物産展が一番の稼ぎになると言うのがよく分かった。 久々に大混雑の人混みの中に身を置いた。 ソーシャルディスタンスなんて気配は微塵もない。 私たちも気になる商品を列に並んで求める。 ☆予定では、その後は妻は県立美術館へ、私は県立図書館へ行くつもりだったのだが、人混みに酔ってしまって、そのまま帰宅する。 ☆ようやく車に踏みつぶされた”あかり”の損害見積もりの依頼が来たので、見積書と、添付する参考書類を作成する。 11月10日(水) ☆晴天。 とても冷え込んだ一日。 夜はもう殆ど冬の寒さであった。 ☆朝から作品設置場所の平面図を描く。 まだぼんやりとした景観デザインしか頭にないので、まず平面図を描きながら、何とか第三者に見てもらえるようなデザインを考えていく。 平面図が出たところで、ようやく昼前から立体図のパース画を描く。 殆ど小学生のような絵しか描けなかった。 午後3時から景観パース画と平面図、先日に中国から送られて来ていた石の見本を持参して、某所で簡単な打ち合わせ。 設置場所は公共空間なので、関係機関への事業周知確認作業のためにパース画と図面が必要になる。 ☆石販売業者からの連絡で、門司から石を運ぶための国土交通省からの道路使用許可はまだ認可が下りないと言うこと。 そしてやはり石が届くのは1月中旬になるとのこと。 ☆夕刻4時より、妻と宮崎市へ出る。 常宿のホテルにチェックイン。 ジモミヤタビでホテル代が半額になる上に、クーポンまで2人分もらえたので、殆ど出費は朝食料金よりも安く、駐車場代金を上乗せしただけで済んだ。。 ☆夕刻6時より、「MOON DROPS-月の雫」の1年越しの出版祝の宴。 共著の伊藤一彦先生、編集担当の水元博子さん、表紙デザイン担当の榊あずささん、そして私たち夫婦での打ち上げ。 宴会場は伊藤先生の手配で、「盃二」という居酒屋。 店主は都農町出身で高鍋高校の後輩であった。 コロナ禍による規制で、4人以上の飲食が出来なかったので、今日まで5人そろっての打ち上げを開くことが出来なかった。 そして11月に入っても、5人のスケジュールが調整できたのは今日だけだった。 実は本の出版は昨年の11月11日だったので、偶然にもまるっきり出版1年目での出版祝となった。 ☆伊藤先生と水元さんの話では、本というものは時間をかけてじわじわと売れて行くものなのだそうだ。 伊藤先生も、時々「月の雫」を送って欲しいと言う依頼があると言う。 ☆伊藤先生は1次会で退席され、2次会は残りの4人で榊さんの知人の店で飲む。 11月9日(火) ☆お昼前後に雲が出たが、概ね晴天の一日。 そして気温はぐんぐん冷え込んで、この晩秋一番の冷え込みだった。 父の亡くなった38年前の11月8日の朝はもの凄く冷え込んで、吐く息が真っ白だった。 ☆来年の仮の作業場へは動力は引けないことがわかったので、削岩機用のコンプレッサーはリースでまかなうことにする。 リース会社にリース料金を確認すると、一日の単価はかなり高くなっていたが、月極めのリース料は20数年前とあまり変わっていなかった。 むしろ補償料を含めると、現在の方が安くなっている。 ただ燃料の軽油が値上がりが著しい。 削岩機は燃料の消費が大きいので、燃料代が相当な額になりそうである。 ☆作品設置場所の完成見込みの景観図が欲しいと言う連絡が有り、まだ漠然としたイメージしかないのだが、絵を描かなければならなくなった。 設置場所は傾斜がきついので、夕刻に現場で傾斜を図り、グーグルアースで上空からの平面画像を取り出す。 ☆正月明けの二人展のDMをネット発注。 木版画の刷りの作業を少し。 なんだか少しばたばたしてきた。 11月8日(月) ☆一日、雨。 午後は激しく降る。 ☆父の39年忌命日。 ☆朝の8時半にホテルをチェックアウトして、10時直ぎに帰宅。 ☆来年の仕事の景観デザインの件で、造園関係者が加わることになり、今日は雨で仕事を午前で打ち切るので午後から打ち合わせに伺うと言う連絡が入った。 今日は版画の作業をしなければならないので早目に帰って来たのだが、版画の刷りの作業に入ると手が離せなくなる。 来訪が時間指定ならそれに合わせた作業の段取りが出来るが、来訪時間が判らないので版画の作業は断念。 ☆それで仕方なく、午後はずっと読書をする。 しかし、造園関係者からは何の連絡も無く、来訪も無し。 おそらく雨の中でも仕事を続けたのだろう。 無駄な時間を過ごしてしまった。 ☆読んでいた本は「ゲゲゲの女房」。 最近、妻が水木しげるの本を立て続けに町の図書館から借りて来て読んでいる。 妻にとって、収入無一文の彫刻家の私を支える日々が、水木しげる夫妻の生き様と重なるのかもしれない。 妻も名誉欲など微塵も無いので、水木しげるの生き方には共感するものが大きいようだ。 女房の布枝さんんもつつましくて素敵な女性だ。 境港の水木しげるロードは2回訪ねたことがあり、設置されている妖怪たちのブロンズ像がすごく良く出来ていて、これだけの仕事が出来るのは東京辺りのフィギュア 専門の造形会社なのだろうと思っていた。 妖怪のブロンズのレベルの高さだけではなく、ブロンズを取り付けている黒御影石の造形もとても優れている。 ところがこの本の中では、ブロンズ像の制作は松江の某工房だとある。 島根県の松江にそんなレベルの高い工房があるのだろうかとネットで調べてみたが、ネット検索では出て来なかった。 11月7日(日) ☆朝方まで曇天だった天候は、朝のうちに回復して、雲一つない全き快晴となった。 気温も上昇して、暖かい一日。 ☆午前は版画の刷り作業。 ☆お昼過ぎから妻と都城市へ出かける。 すこぶる好いお天気となったので、快適な行楽ドライブとなった。 ☆ホテルにチェックインして、都城市立図書館へ。 来年の仕事の周辺景観の資料探しが目的だったが、大きな図書館の割には目的の資料は殆ど無かった。 ついでに、寄贈しておいた私の本が書架に置かれているかの確認をしたかった。 しかし芸術関係の書架にも、短歌関係の書架にもなかった。 1階の隅の方に行政関係のコーナーが在ったので、地元出版の本はここに置いてあるのかと確認すると、やはり地元の出版物の詩歌関係の出版物の中に 置いてあった。 芸術関係の本としての分類ではなく、宮崎県内の出版物、しかも詩歌関係の書架に置かれていると言うことに大きな失望を抱いた。 しかし、日本文学の詩歌関係の書架には、宮崎県立図書館名誉館長の伊藤先生の本は1冊も置いてなかった。 ここには宮崎県内在住の歌人の本は置かない方針なのかと思ったが、宮崎出身・宮崎在住の歌人の本も数冊か置いてはあった。 このとても評判の良い都城市立図書館の蔵書方針、分類方針に納得のゆかない想いを抱いてしまった。 ☆夕刻にいったんホテルへ帰り、夜は目的のジモミヤタビの都城ミートツーリズムに参加する。 前回参加したフランス料理がとても良かったので、コロナ自粛明けでジモミヤタビが再開すると、妻が直ぐに申し込んだ。 今回はイタリア料理のミートツーリズムで、妻の元同僚でこの春から都城勤務となった方もお誘いして3人で参加した。 料理とスタッフのレベルは、前回参加したフランス料理の方が格段に好かった。 ☆それほど満腹にもならなかったのだが、ホテルに戻ると、なんだかぐったりして直ぐにベッドに横になってそのまま眠る。 11月6日(土) ☆朝のうちから雨。 水冷で気温は上がらず、冷え込む。 宮崎県内は宮崎市の最高気温が16.6度、延岡市の最高気温が13.6度だったので、ほぼ初冬なみの冷え込みだったようだ。 ☆一日、木版画の刷り。 やっぱり配色が全然だめで、色を重ね塗りしたり試行錯誤が続く。 鳥の子紙の厚めの紙が残っていたので、薄い鳥の子紙同様に霧吹きで湿して刷ってみたら、やはり厚めの鳥の子紙のほうが刷り上がりがしっとりとして美しい。 ☆”おざわ別館”に突っ込んだ車の対物保険の作業は進んでいないようだ。 ”あかり”を撤去してしまうと保険の査定が出来ないので、そのままにしてある。 ”おざわ別館”も、折れた柱は屋根が落ちてしまうので柱が応急措置で据えられているが、押し込まれた扉はそのままだし、へし折られたパーマ屋の車止めポールも 倒れたままである。 11月5日(金) ☆晴天。 夕刻からは雲が多くなる。 天候は下り坂。 ☆午前にO内科へ血圧の定期健診。 患者にインフルエンザの予防接種を受けられる方が多かった。 この冬はインフルエンザが大流行するという予測が出ている。 そしてインフルエンザにかかって発熱すると、症状はコロナと全く見分けがつかないのだそうだ。 ☆午後に某スーパーへ出かけて、恒例のクリスマス用鶏の燻製を注文する。 しかしご主人の反応は、”どうしようか・・・・”。 ご主人は年齢的に、燻製を作る作業に体力がついていかなくなっているという。 普段の行動でさえ辛くなって来ているのに、燻製作りにはかなりの体力が必要でもう継続は無理なのだと言う。 しばらく考え込まれた末に、”作ってみましょうか・・・”と予約を受け付けていただいた。 我が家は、結婚してからずっとこの鶏の燻製をクリスマスに注文してきた。 或る時、注文し忘れて手に入らなくなり、県内のあちこちのお店を捜してみたが、こんなにおいしくて格安の丸ごと一羽の鶏の燻製はどこにも売っていなかった。 おそらく手に入るのは今年が最後だろう。 毎年、我が家から送られてくる鶏の燻製を楽しみにしている息子たちにもその旨をラインで伝える。 ☆木版画の刷りの作業。 あいかわらず配色が難しい。 11月4日(木) ☆快晴。 今日も午後からは上衣が暑く感じるほどの陽気。 ☆今朝は水脈の音はなかった。 加湿器の音の背後にそれらしきチョロチョロした音の気配はしたが、気のせいだろう。 妻が新聞を見ながら、最近、車の追突事故や殺人事件が多いねと言う。 昔から月の満ち欠けが交通事故等の増減に関係していると言われている。 何か今の時期はそういう磁場の狂いが生じているのかもしれない。 そういえば、私の”あかり”に車が突っ込んだ10月29日は、太陽フレアの影響が最も大きな日だった。 ネットで検索すると、やはりこういう記述が在った(京都大学 柴田一成教授)。 ”「太陽でフレアが多数発生すると交通事故が増えたり、病院の患者の容態が悪くなったりする」あるいは「地磁気の変動量と血圧の変動との間には相関関係がある」 といった研究結果が、実際に国際会議で発表されており、京都大学にも「地磁気と自殺の関係」というテーマで研究されている先生がいるという。” おそらくそういう磁場の狂いが生じていたのだろう。 私の”あかり”に車が突っ込んだのは、ひょっとして私自身が交通事故に遭ったかもしれない”身代わり”だったのかも知れない。 ☆一日、木版画の刷り。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 1月の二人展ギャラリーでのアフタヌーンコンサートの曲目をレッスンしていた。 私も版画の刷りの手が空いた時に、2曲ジョイントした。 先日のライブが終わった後は緊張も無くなって、毎夜の妻との練習ではとてもリラックスしてハーモニカの演奏が出来るようになった。 しかし、今日は講師の片貝さんのピアノに合わせたら、やはり緊張してしまった。 11月3日(祝・水) ☆晴れ。 午前は冷え込んで足元が冷たかったが、陽射しが強く午後には気温が上昇。 ☆久しぶりに、夜明け前のしじまのなかに水脈の音。 澄み切った水が、山の中の小さな渓流を流れる音。 この音は結婚してから聞こえる様になり、最初は床下に水道管でも這っていて、その水音が聞えるものだと思って居た。 しかし家を建て替えても音は聞こえるし、2階で寝て居ても聞こえる。 別に目覚めた時の夢うつつの状態で聞こえるのではなく、完全に目覚めているのに聞こえる。 ひどい時には、一緒に寝て居た次男と布団から身を起こして耳をそばだてたくらいである。 水の音と言えば、霊界的には三途の川を想起するので、なぜそんな音がするのか、一度神官さんに聞いてみたが、彼は首をかしげるばかり。 霊力の強い友人の所見では、縁のある祖先が何かから守ってくれていると言うことであったが・・・。 久しく聞こえなかった水脈の音が、なぜ今になって聞こえるようになってきたのか。 ☆そう言えば2日前から臭覚が異常になってきた。 夕食中に何か訳の分からぬ、すえた古い油のような臭いが立ち込めて、たまらず妻に尋ねるが、妻は何も感じなかった。 訳が分からず、キッチンをあちこち点検するが臭いの原因が判らない。 昨夜も同じだったが、今朝の朝食中にも同じような臭いがしてきた。 ひょっとして、とオムレツに添えたレタスにかけたシーザードレッシングを嗅ぐと、似たような臭いがしてきた。 チーズの臭いだと分かった。 そう言えば2日前の夕食時から、臭いの強いブルーチーズを摂っていたのである。 しかし、これまでにブルーチーズは何度でも食べているし、こんなに強烈に臭いがしたことはない。 ☆仏壇に線香をあげていると、線香の煙が実に多様に変化することに気付いて、じっと煙の様子を眺めて居た。 こんなことは初めてである。 先日、私の”あかり”に車が突っ込んだ日に、道向いのパーマ屋さんの駐車場に突然、うどんのキッチンカーが止って営業していた。 キッチンカーはその日限りの営業で、翌日からは来ていない。 ”あかり”に突っ込んだ車は、キッチンカーの止まっている駐車場から侵入止めのポールを押し倒して向いの”おざわ別館”に突っ込んだ。 何か、パーマ屋の駐車場の磁場に異常が生じていたのではなかろうか、とさえ思えた。 ☆午前に妻と町立図書館と高鍋町美術館へ。 図書館は資料調べをするつもりだったが、関連する本は1冊も無かった。 高鍋町美術館ではコロナで1年開催が延びた、「嶋嵜清史 風景の抽象画・抽象画の風景」を観る。 テキストを読みながらでないと理解できない作品で、今の私はこういう作業はひどく疲れてしまう。 ☆年明けの作業場への仮設電源整備の見積もりが上がってきた。 私の思っていた見積額より上廻っていたが、ほぼ想定内であった。 ところが業者の説明で、”何しろ九電の見積もりが200万円を超えていますから”というので、あらためて金額を見たら一桁多かった。 私のアンジェラスの森に電気を引いた時には、電柱を建て、プレハブに電気を配線し、コンプレッサーに動力を繋いでもらっても15万円余であった。 九電からの負担金請求何て何もなかった。 ところが今回は、九電からの動力の工事費が200万円を超えている。 仮設だからなのだろうか。 これではとてもではないが作業場に動力は引けない。 現場にはすでに100Vの電源は来ている。 動力は引かず、コンプレッサーのリースで削岩機を使うしか無い様だ。 ☆午後からは版画の刷りの作業。 ☆宮崎のコロナ感染は今日で2週間連続でゼロ。 それで県は警報レベルを最も低い「0」に引き下げた。 レベル0になったのは221日ぶりだということである。 11月2日(火) ☆晴天。 陽射しの強い暖かい一日。 午後は上衣では暑くて、肌着で過ごす。 ☆一日、木版画の彫り。 夕刻からは次の作品のプラン作成。 ☆ニュースによれば、政府はコロナ対策での海外からの日本入国の待機期間を、ビジネス目的の入国者に限り、3日間に短縮するという。 これは帰国する日本人にも適用されて、ビズネスでの海外渡航者もワクチンを接種済みであれば同じく3日間の待機に短縮されるという。 これならば、入国先の国での2週間の待機が無ければ、私も海外シンポジウム参加が可能になる。 11月1日(月) ☆午前は上天気。 昼前から雲が出て、午後ににわか雨。 雨はほどなく上がる。 気温の冷え込みは無く、暖かい一日。 ☆今日から11月。 もう間もなく正月が来るなんて、本当に時間の経つのが早い。 ☆午後から妻と宮崎市のイオンへ出かける。 具合の悪くなった妻のマイクコードを島村楽器で求めるのと、私の仕事関係で資料調べのために大型書店へ行くことが目的だった。 しかし改装前は島村楽器と書店は隣同士だったのに、改装で店舗面積も倍以上になった上に、店舗の配置もガラリと変わってしまったので、迷子状態になってしまった。 店内には各店舗の位置案内の表示も無く(以前はパンフレットが在ったが、今はスマホのアプリで確認しなければならないらしい)、それでスマホのナビで店舗位置を確認 しようとするが、自分がどの位置に居てどちらに向かっているのかさっぱりわからない。 しかも風邪気味で鼻詰まりで息苦しい処にマスクをして、頭の中は混乱状態なので、苦しくて苦しくて、次第に発狂したい程の状態になってきた。 とうとう身動きできず、椅子にへたり込んでダウンしてしまった。 目的の書店も、以前の書店の半分の規模しかなく、目的の関係書物は何処にもなかった。 もう2度とイオンなんて地獄には足を踏み入れたくない。 |
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