Back to toppage


このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。

過去の日記

2023   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12

2022   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12

2021   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12

2020   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12


2023 2月28日(火)

☆快晴。

日中は陽射しが強く、気温が上昇。

午後は室内の暖房は不要。

夕刻からは冷え込んで来る。

☆朝のうちに駅前ロータリーへ。

昨日の塗料の補修状況を確認。

完璧に仕上がっていた。

ブロンズ銘板を保護していたビニールカバーも外す。

☆午後は木版画7作目の下絵と版木彫り。

二人展まで残り10日。

あと何点制作できるか。

確定申告もあるし、頭の中は半ばパニック状態である。

☆昨日の朝、車のフロントグラスに白い汚れが一面に付着していた。

手でこすっても取れない。

黄砂でも火山灰でもない。

樹脂性の汚れなので花粉かとも思ったが、何なんだろう。

☆二人展のDMが届く。


2月27日(月)

☆快晴。

空気は冷たいが、陽射しが強くて、日中の気温は上昇。

☆ようやく朝一に駅前モニュメントのブロンズ銘板が届いた。

開梱してみると、やはり上りが非常に悪い。

先日送られてきた鋳造直後の写真では綺麗に流れていると思ったが、やはり文字が小さくて潰れてしまっていたようだ。

取りあえず、自宅で裏面のバリを削り、内角を落して現場へ位置合わせに走る。

☆心棒を取り付ける前の状態ではピタリと台座に納まった。

しかし心棒を取り付けると、やはりきちんと納まらない。

私の制作した台座の心棒穴位置とブロンズの心棒位置は正しいが、手動でドリルを廻すとどうしても穴が垂直にならない。

そのズレの分を見込んで、あらかじめ穴は大きめに開けておくのだが、毎回ぴたりとははまらない。

しかし現場には電源が無く、大きめのドリルで修正加工することができない。

☆どうすべきかと思案していると、何か私の足元がおかしいことに気付いた。

私の手にもいつのまにか塗料が付いていて、気になっていたのだが、なんとロータリーの外周縁石の塗料がまだ渇いていなくて、私が踏んではがれた塗料が

私の靴裏にべっとりとついて、辺りに塗料が付いてしまっている。

慌てて施工業者に電話を入れて、職人に来てもらう。

周りに付いた塗料はなんとか落すことができ、私の靴跡ではがれてしまった縁石の塗料は宮崎市内から取り寄せて補修してもらった。

☆ブロンズ銘板はボルトを曲げ、台座の穴の周囲をタガネではつって、なんとかピタリと納まった。

そのまま接着材で取り付けて、目地を入れて無事に設置が完了した。

☆明後日の除幕式の準備でロータリー内での作業が入るので、縁石の塗料には絶対に乗らないように観光協会に連絡する。

☆午後は妻のボーカルレッスン。

私は銘板の取り付け作業でジョイント出来ないと思っていたが、私が作業を終えて帰宅したと同時に講師の片貝さんが来られた。

今日は高鍋町内での別のレッスンが先に這入っていて、いつもより遅い時間でのレッスン開始となったということで、私も正常にジョイント出来た。


2月26日(日)

☆晴れ。

快晴で陽射しは強かったが、空気がとても冷たく、午後からはしんしんと冷え込む。

☆午前に木版画6作目の摺り。

色を重ねてゆくと、思うような上りにはならず。

☆午後に散髪。

髪と髭がかなり伸びてきたので、3月1日の除幕式前に髪を整えておきたかった。

散髪店は予約で一杯で、いったんは断られたのだが、今日しか散髪する時間が無いので事情を説明して、散髪中の客を待たせて散髪してもらった。

☆確定申告の経費を集計して、収入から差し引いてみたらやはり所得は殆どなかった。

昨年は3月にモニュメントの内金をいただいてからは支払いばかりで、年末には内金が底をついて宮崎県文化賞の賞金でなんとか正月を越すことができたので、

所得は殆どない。

☆毎日のように、宮崎市あたりから駅前モニュメントを見に来られている。

今日も、妻の元同僚から、今日の快晴で真っ青な空をバックの写真がラインで届いた。


2月25日(土)

☆晴れ。

冷え込みは無し。

☆午前は、昨日届いた版画額とマットに葉書絵とサインを入れた新作版画を装着。

やはり額に入れると作品が引き立つ。

☆午後は6作目の版画の摺り作業。

手漉き和紙で摺ってみたら、全然よくなかったので、扱いにくい新鳥の子紙で摺り直してみる。

途中の段階ではまずまず。

☆3月1日の高鍋駅前モニュメントの除幕式に、暑い真夏に佐賀からアシストに来てくれていた諸井君が家族で来てくれるし、空港展参加作家の大分の

安東夫妻も来てくれる。

宮崎彫刻グループの奥村も来てくれるので、折角なので皆でお昼を一緒に摂ることにした。

今のシーズンの高鍋と言えば、高鍋駅すぐ裏手の蚊口浜の牡蠣である。

確認したら、皆さん牡蠣は大好きだと言うので、秋山商店に予約を入れた。


2月24日(金)

☆一日、雨。

午後からはしんしんと冷え込んで来る。

☆木版画6作目の版木彫り。

夕刻に試し刷り。

☆注文していた版画の額とマットが届く。

☆駅前モニュメントのブロンズ銘板は昨日発送の予定だったが、仕上げに時間がかかっていて、まだ仕上げ作業中だということ。

ぎりぎり除幕式直前の取り付けになりそうである。


2月23日(祝・木)

☆一日、小雨。

朝は冷え込んだが、日中の冷え込みは無し。

☆午前に、木城町比木神社へ妻と出かける。

納入した令和天上画300枚の除幕式だったのだが、除幕式は雨で中止になったので、天井画を観た後は早々に引き揚げる。

河野・宮崎県知事も来ておられたので、文化賞受賞時のお礼の挨拶をする。

なんでも知事の娘さんも天井画を納められているのだということ。

大学同窓で二紀会会員の八田喜美子さんにも声を掛けられる。

彼女も天井画を納めていた。

☆帰宅して、木版画5作目の摺りを進めるが、やはりうまく行かず、摺りは後回しにする。

午後は木版画6作目のプランを作成し、版木彫りに掛かる。


2月22日(水)

☆朝のうちは曇天。

午前のうちに雲は切れて、上天気となる。

気温は低め。

☆午前に木版画5作目の版木彫り。

☆モニュメント作業場での水道料の請求額が出たので、午後に窓口の設備会社に支払いに出かける。

10か月分の水道料なのでかなりの額に成ると思っていたが、びっくりするくらいの低料金だった。

☆設備会社からの帰りに、昨日で作業の終わった駅前ロータリーに立ち寄る。

作業機材や作業員の居なくなったロータリーを眺めると、心配していたような違和感は今日は感ぜず、ほっとする。

☆午後に木版画5作目の摺りに入る。

しかし、絶望的な摺りの状態。

鳥の子紙が湿すと波打ってしまうので、ゴマ刷りをすると波打ったムラになってしまう。

それに、注意深く作業をするのだが、絵の具のたまりが出来てしまう。

まったく超初心者の域から脱け出せない。


2月21日(火)

☆晴れ。

朝は冷え込む。

日中は暖かく、室内の暖房は不要だったが、午後からはしんしんと冷え込んできて真冬の寒さに戻る。

☆朝一に駅前ロータリーの進捗状況を確認。

ロータリー工事は、一部の仕上げを残して今日でほぼ完了。

足元の照明は3月1日からセンサーで点灯の予定とのこと。

しかし予算不足に因るロータリー法面のコンクリート仕上げは、先日感じたヌルリとしたヌーボー感が否めない。

しかも表面にシーラーが塗布してあるので、遠くからロータリーがギンギラと鏡面状に光っている。

落ち着くのを待つしかない。

☆午前に2階のトイレの便座を交換。

劣化で外れなかった取り付け金具を、サンダーで切り落とす。

ただ附属の本体給水ホースのナットが噛み合わず、以前の物を取り付けたら、やはり長年の劣化で水漏れがする。

午後にもう一度ホースを取り付け直したら、漏水は止まってくれたようだ。

☆午後は木版画5作目の下絵と版木彫り。


2月20日(月)

☆晴れ。

今日も非常に暖かい一日。

夕刻からは冷え込んできて、明日からはまた寒が戻るようだ。

☆午後から妻のボーカルレッスン。

3月の二人展でのギャラリーコンサートに向けてのレッスンで、私もハーモニカでジョイント。

今日は午後のレッスンのために、午前から妻にしごかれてハーモニカの練習。

少しずつ、呑み込めるようになってきた。

☆木版画の新作に這入りたいが、今日は下絵が纏まらず。

☆今日の宮崎日日新聞一面に、本年度の宮日文芸賞決定の記事が掲載されていたが、詩壇賞は我が仲町公民館長の岩崎氏だった。

岩崎氏は高鍋高校の1学年後輩で、同じ美術部の後輩でもある。

岩崎氏は元・町会議員で、私が後援会長だった。

岩崎氏が町議に立候補した時には、絵描きが立候補して、彫刻家が後援会長なんて、とかなり揶揄されたものだ。

宮日文芸に詩を投稿し始めたのは町議を辞めてからだったと思うが、岩崎氏は高校卒業後は遊園地で働きながら詩を売って暮らしていた。

その時の詩集を私は今でも持っている。

岩崎氏は幼い時からかなりの論客で、高校時代は伊藤一彦先生の授業中の論が納得いかないと、先生の下宿先まで抗議に押しかけたことがあり、

伊藤先生にとっても高鍋高校勤務時代の印象的な生徒の一人だと語っておられる。

その伊藤先生は、今回の宮日文芸賞の選考委員のメンバーでもあり、詩壇賞で岩崎氏が推薦で上がって来た時には驚きと同時に、嬉しく納得されたのでは

ないのだろうか。

一方、先日送られてきた同級生の建築家・D君の句集を一応目を通した。

ページをめくるごとに、私の知らない単語や表現がちりばめられている。

所々に、少年時代を共に過ごした彼の利発でやんちゃな姿が感じられて、句を読みながら、こういう句集を作れる彼が羨ましくてならない。


2月19日(日)

☆一気に春。

夜中、羽毛掛け布団が暑くて暑くて、日中もシャツ一枚で過ごす。

風が強かったが、春一番だったようだ。

高鍋町は21度4分で、宮崎県内は軒並み20度前後の4月下旬の気温。

☆午前は版画二人展の準備。

私がこれから作る版画のサイズを見込んで、額の種類とマットの窓の寸法を割り出し、私と妻の必要な額とマットの一覧を作成。

昼までに、ネットで額とマットを注文。

夜までには振り込みが完了。

☆昼前に、注文していたドラム式洗濯乾燥機が届いた。

業者に設置してもらったら、給水用の蛇口や給水栓ジョイントが摩耗で水漏れがしているということ。

それで午後は勢い、水回りの補修工事をする。

水洗便所の便座も、1階の便座の温度が上がらなくなっていたし、2階の便座も本体からの水漏れが続いているので、両方とも取り替えることにした。

ホームセンターで、洗濯機水回りの交換部品と水洗便座を調達。

洗濯機の水回りは、蛇口のパッキンと、洗濯機給水栓ジョイントを交換。

1階のトイレは、一度本体の水漏れで便座を取り替えているので、アースの接続以外は作業がスムーズに進んだ。

2階のトイレは家を建ててから一度も替えていないので、便座の取付金具が錆びていて外れない。

作業中はずっと水道の元栓を閉めたままなので、2階のトイレの便座交換は後日に廻すことにする。

☆駅前モニュメントのブロンズ銘板の進行状態の画像が届いた。

現在は仕上げ中で、これから着色作業にかかるということ。

鋳造は文字の潰れもなく、綺麗に上がっている。

除幕式までには取り付けが終われそうである。


2月18日(土)

☆午前は曇天。

午後から天候は回復して、非常に暖かい春うららの陽気となった。

風も冷気を孕まず、生暖かい。

この陽気で、町中に人があふれ返った。

☆一日、版画二人展の準備。

必要な額、マットを書き出し、マットの窓の寸法を割り出してゆく。

妻は全ての出品作の準備ができているが、私はこれから作品を作っていかなければならないので、作る作品のサイズを見込んで注文してゆくことになる。

☆午後に版画二人展会場の”ギャラリーしんとみ”へ出かけて、フライヤーを届ける。

☆我が家の洗濯機が故障して、応急処置で私が海外へ出かける直前にリサイクルショップで安物の洗濯機を買ってから、もうかなりに成る。

私の海外滞在中は、妻は夜に洗濯をして部屋干ししなければならなかったので、この際、ドラム式洗濯乾燥機に買い換える。


2月17日(金)

☆朝は冷え込む。

午前は雲が多く冷え込んだが、午後は天候が回復してすっきり晴れる。

午後には気温が上昇し、今日も室内の暖房は不要。

☆午前のうちに木版画4作目の作品タイトルを決め、版画にサインを入れて再スキャンする。

二人展DMのイラストレーター原稿を修正して、ネットで500部注文する。

フライヤー用にA4サイズにプリントアウトして、コピーしてギャラリーに届けようとして車に乗ったら、昨夕に妻の車で買い物に出たときに、免許証を妻の車の中に

置いたままだったことに気付いた。

先日のシートベルト違反のこともあるので、今日は車での外出は止める。

☆午後は確定申告の準備に入る。

経費を算出する。

☆午後後半は、二人展に出品する葉書絵をマットに張る。

そろそろ二人展に必要なマットのサイズを出して、額縁とともに注文しないと間に合わなくなる。


2月16日(木)

☆快晴。

朝は冷え込んで久しぶりにフロントガラスが氷結。

しかし昨日のような強風はなかったので、日中は穏やかな気候だった。

午後からは室内の暖房は消す。

☆駅前ロータリーの工事は、半分ほどまでコンクリート施工が進んでいた。

ただ懸念していたことがあり、やはりそのような展開に成ってしまって居るのが気が重い。

台座の周りのタイルブロックによるステージは、私のプランでは立ち上がり部を見せて、コンクリート法面から独立した姿にしたかった。

だがステージの形が楕円形なので、タイルブロックを楕円形に組むと、アール部分の小口がカッティングされた状態をそのまま見せることになってしまう。

それで、施工業者としては、カッティング小口を見せないために、ステージの立ち上がり部は見せず、ステージの上面から直接コンクリート法面が始まる

スタイルで施工するしかないという判断だった。

しかし、そんな風に施工された今日の状態では、ステージとコンクリート法面との関係が、ヌルリとした緊張感のない空間に成ってしまっている。

普通は、こういう曲面の小口部のタイルは特注でタイル業者に作ってもらうのだが、予算上の制約でタイルブロックしか使えなかった。

☆木版画の4作目の手漉き和紙での摺り直し。

摺ってみると、最初の鳥の子紙の上りとまったく印象が異なる。

☆午後は、二人展DMの原稿を作成する。

私は4作目の鳥の子紙で摺った作品をスキャンし、妻は3つの作品を候補作としてあげていたので、3種類のDMパターンを作成。

夕刻に帰宅した妻に、気に入ったタイプを選んでもらう。

私はまだ4作目の作品タイトルが決まっていないので、作品タイトルが決まったら版画にサインを入れて再度スキャンし、明日にでもDMを発注したい。


2月15日(水)

☆晴れ。

寒の戻りで冷え込む。

日中は強風が吹き荒れ、午後からしんしんと冷え込んで来る。

☆駅前ロータリーはロータリー法面への鉄筋入れに入る。

☆お昼からまた胃が重くなってきて、とうとう昼食が途中で食べられなくなってしまい、胃薬を呑む。

数日前から鼻水がタラタラだし、片頭痛もする。

妻も、昨日の宮崎県立美術館ではお腹が痛かったという。

最近は風邪気味だと胃腸炎に成ることが多くなったので、先日の便秘から続く胃腸のトラブルは風邪のせいかもしれないと思い当たる。

☆木版画4作目の摺り。

納得のいかない上りだったが、とりあえず重しをかける。

再度、4作目を手すき和紙に替えて刷り直す。

やはり手すき和紙は絵の具の馴染みがいい。

ところが、夜になって重しをかけていた4作目を取り出してみると、すごく感じが好い。

木版画は摺った直後より、時間を置いたほうが絵の具が馴染んで上りが良くなる。

昨年の二人展の時の版画を取り出してみると、こんなにいい作品だったのかとびっくりする。

そろそろDMの印刷に掛からなければならないが、私はこの4作目の作品をDM画像に使おうと思っている。


2月14日(火)

☆晴れ。

気温が上昇して、ほとんど春の気配。

梅の花が開き、木蓮のつぼみも膨らんできて、ぽかぽかの陽気であった。

☆午前に宮崎県立美術館で開催中の”第3回みやざき総合美術展”へ。

審査結果発表の時点から、いよいよこの”みやざき総合美術展”なるものの”ゲテモノ”度合いは深まっているのが伝わってきたが、実際は想像以上に

酷かった。

特に絵画部門は出鱈目である。

昨年の審査では、ベテラン作家は軒並み受賞を外されるか落選の憂き目にあい、受賞作品は殆ど絵画初心者ばかりであり、それは審査員の意図だったようだが、

ベテランの作家たちの出品意欲を完全に削ぐものだった。

ところが、審査員が替わった今年の絵画部門の審査は、さらに酷いものだった。

受賞作品は殆どが公民館発表のレベルであり、高校生の作品であろう受賞作品は高校美術展でさえも受賞しないレベルのものであった。

会場内ではあちこちから受賞作への批判への怒りの声が聞こえてくる。

これでは、来年度からはベテラン作家たちは誰も出品しなくなる。

審査員が替わっても、受賞作品が初心者レベルに限定されてくると、これは審査員の問題ではなく、主催者の意向としか思えなくなってしまう。

主催者は、この展覧会を宮崎県の文化向上の場として考えているのではなく、底辺拡大の初心者参加型の展覧会にしたいと考えているとしか思えない。

これでは従来の県内作家たちの切磋琢磨の場であり、自己表現の最大の場であった県内公募展の役目が喪失してしまう。

この状態が続けば、”みやざき総合美術展”は空中分解してしまう。

或る人は、主催者は空中分解して消滅させるのが狙いでは無いのかとさえ言い切った。

☆さて、入選者の大半が受賞者である彫刻部門。

会場構成は、昨年同様に工芸的作品が姿を消して、すっきりとして好感の持てる会場であった。

大賞の廃品構成による宮崎大学学生の作品は、私が若いころに流行ったスタイルであり、何ら目新しいインパクトのあるものではない。

おそらく審査員は、その時代を知らない作家なのだろう。

宮崎大学の学生の作品は授業での作品であり、卒業後に制作活動に這入る者は殆どいないので、単なるアイデア作品で、アイデアレベルは中学生や高校生と

変わらない。

私たちが宮崎大学時代に情熱を注ぎ込んで、真っ向勝負で臨んだ精神的背景が皆無である。

だから作品に成り切っていない。

例えば、受賞しなかった橋口温葉さんの石膏肌マチエールを替えた3つの球体の合体作品は、このコンセプトをもっと明確に意識した作品にすれば立派な

大賞作品に成る。

もぅひとつ、ひどく驚いたことがある。

無鑑査で、元宮崎大学教授であり日展の審査員でもある平原孝明氏が何十年ぶりかに無鑑査出品をしていたが、余りの酷さにびっくりした。

大学生が作ったのではないのかと思われるほどの造型レベル、顔の表現に至ってはもう高校生以下であった。

若いころ、イタリアに留学し、当時のイタリア彫刻の斬新なスタイルを持ち帰って私たちをアッと言わせたあの平原氏は何処へ行ったのだろう。

☆他にも色んな問題がある。

”自由表現”部門というのは、いまだにさっぱり出品規定が不明確である。

工芸部門で受賞している作品と全く同じ手法作品が出品されていたり、出品者が”自由部門”に出品すれば、その作品は自由部門作品となる。

どうみても平面作品なのに、出品点数の少ない自由部門に出品して、受賞どころか制作活動支援金まで貰える作家が出て来る。

そして、この総合美術展ではカタログが作成されない。

自由持ち帰りのタブロイド新聞版しか発行されないので、カタログのように本棚に資料保存ができない。

企画委員会では異論は出ないのだろうか。

☆午後は、高鍋町美術館にて、令和4年度第2回高鍋町美術館協議会。

主に、令和5年度の事業計画等についての審議。

☆総合美術展の会場で、高校と大学で1学年上のN先輩から声を掛けられた。

先日のMRTテレビ放映を観て驚かれ、私に会いたいと思っておられたのだという。

大学卒業後にはお会いしていないから、50年ぶりだろうか。


2月13日(月)

☆一日、雨。

朝のうちは薄雲の背後に青空が透けて見えたが、午後からは本格的な雨となる。

気温は高く、夜明け前は羽毛掛け布団が暑くてたまらなかった。

☆朝一に、高鍋駅前モニュメントの銘板台座の設置作業。

作業中は雨は止んでくれた。

銘板自体は今週中にブロンズ鋳造の予定である。

モニュメント台座周りのステージのタイルブロックの張り込み作業も進んでいて、ずい分とすっきりした空間になって来た。

☆午後は妻のヴォーカルレッスンで、私もハーモニカでジョイントする。

私は昨日の便秘から体力が回復せず、まだゼイゼイハーハーのフラフラ状態だったし、午後からは胃が重くなってハーモニカを吹ける状態ではなかった。

しかし妻に尻を叩かれて、午前中に呼吸の乱れたまま練習させられたが、意外とハーモニカはきちんと吹けた。

午後のレッスンでも、胃薬を服用して演奏したら、やはりきちんと演奏できた。

☆友愛社の”むつび”2月号はもう会員に届けられたようだ。

高校同窓生から、”むつび305号の「ひかりの墓地から「月の雫」へ」を読みました。前向きのある内容でした。”というラインが届いた。

3月号には、駅前モニュメントの先日の満月とのジョイント写真も載せていただくことになった。

☆ゆくはしビエンナーレから、大賞作品の授賞式・除幕式の案内が届いた。

授賞式は3月4日で、大賞作家のコチュマル(ウクライナ)も再度来日して、授賞式では講演もするようだ。

コチュマルとはトルコのイズミールで出会い、私を気に入ってくれた彼がウクライナ・カニフのシンポジウム招待作家に推薦してくれた。

その縁で、行橋まちなかプロジェクトの招待作家にも選ばれ、今回の運命的な戦地からの応募で大賞受賞を果たした。

だから私も授賞式に出かけてコチュマルに会いたいが、版画二人展の前で作品制作が遅々として進んでいないので、行橋まで出かけるのは

日程的に難しいだろう。


2月12日(日)

☆午前のうちは晴れ。

午後から曇天となり、夕刻から雨。

夜になって雨はかなり激しくなり、高鍋町には21時20分に豪雨予報が出た。

気温は上がらず。

☆朝からひどい便秘で悶々と過ごす。

とうとう耐えられず、妻に車を運転してもらって、”コスモス”で浣腸を買ってくる。

しかし、浣腸をしても何の効果も無い。

再度もう一回浣腸をするが、やはり何の効果もない。

☆何も出来ず、リビングで横になっていたら、午後になってようやく便通があった。

しかし体力への負担が大きく、膝はガクガク、黄疸のときの体力消耗状態に陥って身動きできず、午後はベッドの中で寝て過ごす。

夕食後も、早々に床へ就く。

☆妻の友人から、高鍋駅にモニュメントを見に来ていて、孫は高鍋駅のストリートピアノを弾いているというラインが届いた。

ストリートピアノとモニュメントをコラボして、高鍋駅を訪れてくれる方たちが多くなると嬉しい。


2月11日(祝・土)

☆雲の多い一日。

気温の冷え込みは無く、今日も室内の暖房は要らず。

☆木版画、3作目と4作目の摺り。

いちにち取り組むが、思うような上がりに成らず。

☆午後は妻の二人展出品作を選ぶ。

おおむね26点くらいの出品になりそう。


2月10日(金)

☆夜中から激しい雨。

高鍋町には朝に大雨警報が出た。

午後過ぎて天候は回復、青空が拡がる。

朝のうちは冷えたが、日中は気温が高く、暖房を切ってシャツ姿で過ごす。

☆木版画4作目の版木彫りの続き。

3作目と4作目の摺りに入るが、今日は思うような上がりにはならなかった。

二人展に展示する葉書絵10枚も選ぶ。

☆モニュメント残金の清算が済んだので、業者への支払いを済ませる。

☆同級生で我が家の家を設計してくれた建築家のD君から、昨年に続き私家版の句集「大和路」が届く。

毎日1句をこなしていると言う。

今回の「大和路」というタイトルは、昨年8月末から5日間、大和路逍遥を学生気分のまま一人旅したことにちなんでいて、句集にはその5日間の日々の

記録日誌も記載されている。


2月9日(木)

☆朝のうちは晴れ。

次第に曇天となり、夜になって雨となる。

☆午前はデスクワーク。

モニュメント制作の残務処理。

☆午後は木版画4作目のプランと版木彫り。

☆夕刻に駅前モニュメントを見に行かれた方から、ラインで画像が届いた。

台座周りのステージへのタイルブロックへの敷き込み作業が終わったようだ。


2月8日(水)

☆晴れ。

気温が上昇して、ほぼ春本番の暖かさ。

室内にいても暖房を切って、シャツ姿で過ごす。

☆一日、木版画3昨目の版木彫り。

☆駅前モニュメントを見に行って下さった方たちから、毎日のように反応が届く。

昨日は雨の中を見に行ってくださった方から、ラインで雨の中の画像が届いた。

雨に濡れた”MOON DANCE”もなかなかに風情がある。

今日は、短歌関係の方からお葉書をいただいた。

青シートを外したという情報を得て、早速見に行っていただいたということ。

昨日は、ギョーザ消費量日本一を宮崎市が連覇した。

焼き餃子協会代表理事の小野寺さんが言われていたように、連覇によって全国のギョーザファンが”ギョーザの町・高鍋”を訪れる様になり、

高鍋駅に降り立ったギョーザファンがSNSで”MOON DANCE”の画像を全国に発信してくれるようになると嬉しい。


2月7日(火)

☆一日、雨。

気温の冷え込みはなし。

☆ようやく先日のモニュメント設置作業の請求書が揃って来たので、完成引き渡し時の残額請求額と、経費オーバー分の追加経費の概算をする。

☆午後は木版画3作目のプランと下絵作成。


2月6日(月)

☆曇りのち雨。

午後からは本格的な雨となる。

気温の冷え込みはなし。

☆午前は木版画2枚目の摺り作業。

☆午後は妻のボーカルレッスン。

私もハーモニカでジョイント。

毎日、夕食後に少しずつ練習しているので、全然吹けなかった2週間前よりも少しついてゆけるようになった。


2月5日(日)

☆晴れ。

ぽかぽか陽気の暖かい一日。

☆今朝の読売新聞宮崎版に、先日に取材のあった記事が掲載された。

”ひなた人物語”という欄での大判記事である。

訪問取材以降も何度も確認の電話があり、入稿ギリギリの昨夜も確認の電話があった。

丁寧によく纏めていただいた。

駅前モニュメント件も、観光協会への取材という形で併記していただいた。

午前は新聞をスキャンして、ラインとメールで友人知人に送る。

☆今日から木版画の摺りに這入る。

午前のうちに絵具や道具類をチェックして準備をする。

午後に1枚目の摺りと2枚目の背景を摺る。

摺りあがった1枚目に重しをかけて、夜に様子を見てみたら久しぶりの摺りにしてはうまく上がっている。

☆今日は月齢14,3のほぼ満月。

昨日の天気予報では午後から曇りだったので、月は見れないだろ言うと思っていたが、夕刻になっても月を遮るような絶望的な雲は無い。

月の出が17時19分だったので、17時に駅前ロータリーに出かけて、車の中で月の登って来るのを待つ。

しかし月が水平線から顔を出してから、高鍋駅舎の上に登ってくるまでの時間の長いこと。

月が何処かへ消えてしまったのではないのかと思えるほど、次第に夕暮れが落ちてモニュメントは夕闇の中に沈んでしまった。

ようやく背後の梢の中から黄金の輝きが見えたので、スマホを持って外に出る。

登ってきた月と”MOON DANCE”のコラボ画像を撮ろうとするが、スマホで暮れ落ちた”MOON DANCE”を撮ると白々しい明るさになって、月が見えない。

スマホの明るさを調整するが、画面を暗くしてもスイッチを押すと、自動的に明るく撮れてしまう。

悪戦苦闘の末、何んとか見れる画像が撮れた。

記録ビデオを担当されているM氏も来られたが、所要で来られるのが遅くなり、私のような画像は撮れなかったので、後ほどM氏に画像を送ることにした。

満月と”MOON DANCE”とのコラボ画像をラインで送ると、皆さんは大感激して下さった。

私はこの高鍋駅前の”MOON DANCE”のプランを作成するときから、ずっと高鍋駅舎の背後に登る満月とのコラボを夢見てきた。

それが今夜、ようやく叶った。

そうなると、秋の名月と”MOON DANCE”との共演がほぼ実現可能となってきた。


2月4日(土)

☆晴れ。

一日薄雲がかかって、すっきりとは晴れず。

しかし気温は上昇し、春の陽気。

☆お昼前に、関東方面のギョーザ関係者が”ギョーザの町・高鍋”の訪問の傍ら、高鍋駅前のモニュメントを見に来られた。

私も合流して、駅前の整備事業のことなどお話する。

その中の焼き餃子協会代表理事の小野寺さんは、昨年10月末に私の作業場を訪問されている。

”無事に折れずに建ちましたね”

一行は宮崎県内のギョーザ名店を訪ねて廻られるということ。

☆駅前ロータリーに車を止めていると、やはり皆さんのモニュメントへの関心の高さを感じることができる。

ロータリーの周りを車でくるくる回転しながら、車内からモニュメントを見るおばちゃん。

近くのカレーショップのカウンターからモニュメントを眺めていて、私を認めて声をかけていただく人。

歩きながらモニュメントに向けてスマホのシャッターを押す人。

除幕式前から反応は大きい。

☆午後は、木版画2枚目の版木彫り。

☆今日は月齢13夜で、明日から天候が下り坂なので、少し昏くなってから駅前モニュメントと一緒に13夜の月の写真を撮ろうと思ったが、13夜は

月の出が早く、夕暮れにはもうすでに高い位置にあった。


2月3日(金)

☆一日、曇天。

気温は上がらず。

☆一日、木版画の版木を彫る。

☆先日のMRTテレビのニュース映像を録画してもらっていたのでパソコンで見る。

石が届いたときからの映像が順を追って編集してあるので、確かにテレビを視た人たちには衝撃は大きかっただろう。

事実、今日は高校の先輩から寒中見舞いが届き、”昨日、TVにて巨大なモニュメントの制作をやっておられるとのこと拝見しました。脱帽です。”と

記されていた。

この先輩からはこれまでに手紙や年賀状の類は一度ももらったことが無いし、「月の雫」も買ってもらえなかった。

そんな先輩から便りが届いたのだから、後輩である私の生きざまは相当なインパクトを与えたのだろうと思う。

☆昨日のスクーピー放送もスマホのラジコで聴いた。

友人たちは聞きやすくて口調もはっきりしていたという反応だったが、やはり前歯が抜けたままなので、私にはフガフガの喋り方が気になった。

ただ、声は若いと感じた。

とても74歳の声とは思えない、と妻に言ったら、あなたは73歳よと指摘された。

私は昨日の番組で年齢を聞かれたので、73歳から制作を始めて、途中で1歳年を取って74歳になったと答えたが、誤りだった。

☆モニュメントの除幕式は3月1日の10時からになった。

制作を手伝ってくれた山田と諸井君に案内したら、諸井君は家族で来てくれると言う。

平日なので、山田は勤務先のスケジュールを確認しないとわからないということである。


2月2日(木)

☆晴れ

午前は雲が多く気温も上がらなかったが、午後からはすっきり晴れてとても暖かくなった。

夕刻からは天候は下り坂で、重い曇天となる。

☆午後にMRTラジオ・スクーピーの高鍋駅前モニュメントの中継取材。

スクーピーは昨年の4月14日にも取材をしてくれていて、その時は表面右下アウトラインの石割りを体験してもらった。

彼女たちにとっては、あの作業から10か月ぶりに作品が完成した姿との再会で、感動も大きかった。

☆先日のMRTテレビでの放送以来、わざわざ宮崎市辺りからモニュメントを見に来られ、モニュメントが青シートで覆われているのでガッカリして帰られる方が

相当おられる、という苦言が私に直接届くようになった。

それで町長に相談したところ、やはり町長にも同じ苦言が届いていて、モニュメントの制作自体が公開制作だったのだから、ロータリー工事も完成したモニュメントの

姿を見せながらの作業で構わないのではないかと町長は思っておられたということ。

除幕式までは青シートで覆うという判断は、通常はそうするという私の指示だったので、今日からシートは本撤去することにした。

☆ロータリー工事は昨日から始まり、先日までの景観からがらりと変わってきた。

☆作業場の電気の撤去が終わっていたので、その旨を運送会社に連絡すると直ぐにプレハブ倉庫の移動作業にかかってくれた。

手慣れた作業で、プレハブ倉庫はアンジェラスの森に戻った。

これで借用していた作業場の撤去作業は完了した。

☆先日のモニュメントの夜中の設置作業画像を、撮影していただいたM氏がUMKビデオリポーターに投稿されたら、採用されて今夜の放送となった。

ラインでは、お昼のスクーピー放送と、今夜のUMKビデオリポーターへの感想が次々に届く。

反響が大きい。

やはりこうして連日のようにモニュメント設置の情報がメディアで流れると、皆さん見に行きたくなるだろう。


2月1日(水)

☆晴れ。

午前は雲が多く、風も強くて気温は上がらず。

午後からは風も止み、むっとした暖かさになる。

妻は花粉飛散を感じていた。

☆午前に町役場へ出かけ、マイナポイントの口座登録をする。

すると受付の担当者が勝手に受付名簿に私の名前を書いた。

ところが私の名前が”タナカ ××キチ”となっている。

またも亡き父(交吉)が憑依したのかとびっくりした。

だがよく見ると”リュウキチ”とあり、三兄の名前である。

”私はヒトシだけど?”

”あっ、そっくりなんで、昨日隆吉さんが来られたんですよ、お顔がそっくりなもんで・・・”

でも私と三兄はちっとも顔は似ていないのだが─。

☆役場を出て、商店街の或るお店の扉が不具合なので修理作業を頼まれていたので、立ち寄って情況を確認した。

お店を出て直ぐに宮崎銀行角の交差点に差し掛かったら、パトカーが止まっている。

うっかりしてシートベルトをしていなかったので、慌ててシートベルトをかけると、運転していた警察官と目が合ってしまい、すぐさまサイレンを流されてしまった。

我が家のすぐ裏手で反則切符を切られてしまった。

罰金は無く、1点減点ということ。

近年、まったく違反はなくゴールドカードだったのだが。

私は車を発進させてからシートベルトをする癖がついてしまっている。

☆役場の私の名前間違いと言い、シートベルト違反と言い、何かの警告かと身を引き締める。

☆午後は、午前に立ち寄った店舗の、扉が入り口のタイルをこすってしまう不具合をタイルをかなり削って調整してあげる。

相当範囲でタイルを削ってしまったので、着色しなければならない。

たまたま昨年に我が家の外壁を塗装直ししてもらった時の塗料があったので、塗って見ると、びっくりするほどに新品のタイルと見間違えるほどに仕上がった。

”オレッて、すごい!”

私自身、びっくり感動の仕上がりであった。

☆午後半ばから、ようやく木版画の彫り作業に這入る。


1月31日(火)

☆全き快晴。

朝は宮崎県内はどこも氷点下の冷え込みだったが、日中の陽射しは強く、ぐんぐん気温が上昇。

ぽかぽか陽気の暑さで、ジャンパーは不要だった。

夕刻からは冷え込む。

☆今日は朝一にリフトとプレハブ倉庫をアンジェラスの森へ戻し、作業場の片づけが終わる予定だった。

しかし、プレハブ倉庫に取り付けてある電気のメーターは、九州電力に電気停止・撤去の申請を済ませてからでないと外せないことが分かり、今日はリフトしか

運び出せなかった。

私はそのまま作業場の石片の残りやテントの結束番線等を軽トラに積んで自宅に戻り、九州電力に電話を入れる。

しかし、電話が混んでいてなかなか電話が担当者に繋がらない。

ようやく電話が繋がって、解約と撤去の申し込みをする。

撤去は2月2日中に行い、プレハブ倉庫は3日から動かせるということなので、その旨を設備会社と運送業者に連絡する。

☆午後はチェーンソーを持ってアンジェラスの森へ。

リフトはちゃんと下してあった。

プレハブ倉庫を戻す場所の枝をチェーンソーで落そうと思ったが、枝が高所の位置にあるので断念して、剪定バサミで周囲を整備する。

アンジェラスの森も湿気の多さがなかったら、とてもいい環境だ。

☆鹿児島のS氏が、昨日、高鍋町内の奥さんの実家に戻ってテレビを点けたら、ニュースでモニュメント設置の番組を見た、ということでお祝いの

お寿司と焼酎を持ってきていただいた。

そして高鍋駅前にモニュメントを見に行ったら、青シートで蔽ってあったので残念だったと言うことであった。

モニュメントを設置してからわざわざ高鍋駅前にモニュメントを見に行かれる方が多く、青シート姿の写真がラインで送られて来る。

また観光協会からも、2月4日にギョーザ関係団体の視察があり、駅前のモニュメントも見たいし、そこで私の話も聞きたいという申し入れがあったので、

テントを外してほしいと言う連絡があった。

しかし、モニュメントが大きいので、テントを外してまた覆い直すのは大変な作業で簡単ではない。

それで、2月2日にMRTラジオ・スクーピーの中継が這入っているので、2日から4日まではテントを外すことにした。

除幕式までの期間が長く、明日からはロータリーの工事も這入るので、除幕式まではモニュメントの姿は隠しておくのが一般的なのだが、テレビであんなに

大々的に紹介されると宮崎あたりからわざわざ見に来られる方も多いので、悩ましいところである。


1月30日(月)

☆晴れ。

日中は気温が急上昇。

ジャンパーを脱いでも暑くてたまらない。

特に車の運転中は暑くて、窓を全開にして走る。

☆今日は作業場のパレット(中国から石を送って来た時の梱包木枠)をアンジェラスの森へ運び、石片の残りも綺麗に片づける予定だった。

朝一に、水道と電気工事をしてくれた設備会社を訪ねて作業が終わった挨拶をし、それぞれのメーターの停止等の作業をお願いする。

また削岩機落しの重い石を運ぶために、コマツレンタルに2トンユニック車の手配を打診すると、高鍋営業所には無いが西都営業所にならある、これから取りに

来られますか?という返答。

コマツレンタルには2トンユニックの台数がわずかしかなく、どこの営業所にあるか問いあわせなければならないのである。

西都営業所からまた他の遠い営業所に移っては大変なので、急遽、今日はユニック作業をすることにした。

2トンユニックトラックを借りて、リフトで削岩機落しの石を積み、パレットも全部積み込んでアンジェラスの森へ向かう。

ところがいざクレーンを動かそうとすると、昔使っていたユニック車とPTOのスイッチの入れ方が全く違っていて、どうすればいいのか解らない。

スマホで調べてやってみると、アウトリガーは動いたのだが、クレーンがびくともしない。

小1時間くらいあれこれやってみたがさっぱり解らない。

それでコマツレンタルに問いあわせてみると、操作は間違っていなかった。

あれこれやっているうちに、クレーンの左右移動ができたので、フックを巻き上げた状態ではアームが起きないことが分かった。

フックを下げて、無事に石の下し作業と、倉庫を戻すのに邪魔になる重い機材を移動し、作業が終わったのはもう午後の3時前だった。

☆教え子から、今日のMRTテレビの番組表に”高鍋にモニュメント”というものがあるけれど、先生のモニュメントですか?”というラインが届いた。

先日の取材番組が今夕に放映されることがわかり、新聞の番組表をスマホで撮り、ラインで皆に送る。

我が家にはテレビが無いので、妻は通っているジムで見ることにした。

☆ジムから帰ってきた妻が、結構長い時間の放送で内容もとても良かったと言う。

放映された内容を聞くと、最初から記録映像を撮っていただいているMさんの映像をお借りして構成したようだ。

放送直後から、友人知人たちから一斉に反応のメールが帰って来て、中にはテレビの画面を何枚も撮って送って下さった方もおられる。

☆関ケ原石材の友人彫刻家C氏から、モニュメント完成祝いの鴨なべセットが送って来た。

届いた日に食べて下さいというお店からの電話をいただいていたので、早速、今夜たらふく美味しくいただいた。

彼のアドバイスが無かったら、作業は全く進まなかったのだから、お礼をしなくてはいけないのは私の方である。

後日、焼酎でも送ろう。


1月29日(日)

☆晴れ。

今朝も冷え込んで、高鍋町は平均気温より3度ほど低い氷点下6度以下を記録。

日中は強い陽射しのぽかぽか陽気で気温が上昇、作業ジャンパーが暑くてたまらなかった。

☆一日、作業場の片づけ。

午前は重い枕木を2回に分けて、アンジェラスの森の倉庫へ運ぶ。

午後はプレハブ倉庫の中の片づけ。

懸案だったキャビネット、冷蔵庫、スティール棚はすべて自宅工房に納めることができた。

これでプレハブ倉庫は空っぽになったので、残るはパレットの木材の処理と、削岩機落しの重い石の処理を片づけて、プレハブ倉庫とリフトを

アンジェラスの森に運べば作業場の片づけは終わる。


1月28日(土)

☆晴れ。

今日も冷え込んで、我が家の庭にも霜柱が立ち、道路沿いの日陰の水たまりは一日中氷が張っていた。

陽射しは強くて、午後からは防寒作業衣では暑くなる。

夕刻からは一気に冷え込む。

☆一日、作業場の石片をアンジェラスの森へ運ぶ。

午前に2往復、午後に3往復して、ほぼ片付く。

午前にリフトで積んだ重い石を邪魔にならない様に奥に下したら、軽トラがはまり込んで全く身動きできなくなってしまった。

車輪の下の石片を取り除いて、板を敷いて何んとか脱け出す。

それにしても、冬枯れの里山の風景の美しいこと。

☆今朝の宮崎日日新聞に、第3回みやざき総合美術展の審査結果が掲載されていたが、彫刻部門は14点の出品で、特選1点、準特選3点、入選2点という

信じられない結果。

入選6点のうちの4点が受賞なんて、公民館レベルの展示会でもあり得ない。

受賞者の大半は、宮崎大学の学生の授業作品で、彼らは卒業後に彫刻表現に進む学生は皆無である。

そして入選者に彫刻作家の名前は全く無い。

もうすでに公募展は意味のない物になっている。

百害しかない。

☆夜は、妻と居酒屋へ出かけてモニュメントの完成祝い。

今夜は日本酒の”獺祭”4合瓶を美味しく呑む。

しかし店主と客との会話に、近く店を閉めるという返答があった。

高鍋町でもっとも美味しいと評判のお店で、宮崎からも通ってくるお客がいる。

やはりコロナ禍で客足が戻らないままなのだろうか。


1月27日(金)

☆午前は雨。

午後から天候は恢復。

午前の冷え込みはそれほどでもなかったが、晴れてきた午後からの方が急激に冷え込んできた。

宮崎県の山間部では朝の最低気温より、午後の気温の方が下回った。

今朝の雨で、尾鈴山に初冠雪。

☆午前は雨だったので、事務処理を済ます。

高鍋町役場へ出かけて、税務課へ償却資産申告書を提出。

そして、暮れにオンラインで申請していたマイナンバーカードがようやく先日に発行の案内が届いたので、カードを受け取る手続きをする。

オンラインカードの申請場所は多くの人でごった返していた。

私は受け取るだけなので、暗証番号を設定して、本人確認後にカードを受け取れた。

次にポイントの手続きをするが、20,000円のポイントを貰うには健康保険証としての利用申し込みと、公金受取口座の登録をしなければならない。

しかし受け取り案内の書類には口座の件は一言も記載されていないので、殆どの人が通帳や銀行カード等持って来ていない。

銀行口座の登録をして、7,500円のポイントを貰うには、また通帳等を持参して登録手続きをしなければならないのだと言う。

どうしてこういう2度手間をかけさせるのか、腹が立った。

大体が私はこのマイナンバーカードには大きな拒否感がある。

子供や老人が設定した暗証番号を覚えられるわけがない。

しかも、今日発行されたカードの情報期限は2027年の誕生日までである。

そのときにまた更新の手続きに出かけなければならない。

だんだん厭な窮屈な世の中になってきている。

☆役場を出て、眼鏡店へ。

普段使いの眼鏡のコーティングがはがれて、すりガラス状になって来ていたので、レンズを注文する。

☆午後は天気が恢復したので、作業場の石片を3往復してアンジェラスの森へ運ぶ。

作業場を早く片付けて、版画制作に集中しなければならない。


1月26日(木)

☆晴れ。

夕刻からは雲が出る。

今日も冷え込んだが、昨日よりは寒さが弛む。

☆今日は来客の多い一日だった。

☆午前はリフトでしか積み込めない石片を、2往復してアンジェラスの森へ運ぶ。

2度目の石片の積み込み中に、教え子のY君が奥さんと来訪。

設置されたモニュメントを見に来たのだという。

残念ながら、すでにシートで蔽われているので、除幕式が終わらないと見れない。

彼は夏にも来てくれたのだが、ちょうど諸井君が帰った日で、私は疲労が一気に出て動けず、作業場に行けなかった。

☆午後は読売新聞宮崎支局の金堀記者が来訪。

先日の文化賞授賞式の時に取材してくれたのだが、その時に一度ゆっくり話を聞きたいと思われたということでの取材。

今回のモニュメントの件の取材ではなく、私のこれまでの活動等を取材して、私の紹介記事を書きたいということであった。

したがって、美術に関心を持つようになった幼いころの環境の話から始まり、やはり人生上で一番大きなターニングポイントである”インド大陸放浪”の話が

中心になった。

話は尽きず、終わったはもう夕刻近くだった。

今日の取材を一度整理して、どのような記事で紹介するかを考えて行くということである。

金堀記者は宮崎支局赴任は2度目で、前回赴任の時に空港展の取材をしておられた。

私も以前に読売新聞の記者と話をした記憶があるので、その時にお会いしているのかもしれない。

☆金堀記者が我が家に来られた時、近くまで来ているが我が家が何処かわからない、というので道路へ出て出迎えることにした。

ところが、玄関を出ると、今まで道路上に居た車がもう我が家の駐車場に止まっている。

アッと言う間の瞬間移動である。

びっくりして運転席を覗くと、なんだか金堀記者とは別人であった。

なんと、彼はSDGsの活動で飛び回っている知人のT君であった。

たまたま高鍋に訪ねて来ることがあって、久しぶりに我が家を訪ねてきたのが、金堀記者の来訪と同時だったということである。

T君はいったん高鍋町内での所要を済ませて再訪してくれたが、まだ取材中だったので挨拶だけで済ます。

私もT君に依頼したい事が有ったので、立ち話で用件を伝える。

☆T君が帰った後に、今度は彫刻仲間の奥村が訪ねて来る。

モニュメントが建ったということを耳にして、見に来てくれたものであった。

しばらく玄関先で近況を語る。

☆今回のモニュメント制作で、最も懸念していた事案、モニュメントを倒したり吊ったりする操作で、首部で折れてしまうのではないかという最大の不安があった。

そのため、途中までは下部につなぎを残したまま作業した。

だがつなぎを残したままでは、下部の月の内側のフォルムが出せず、作業が全く進まなかった。

そこで、こういうことに最も詳しい日本で一番大きな関ケ原石材の友人彫刻家に問いあわせた。

完成時の重量、首部の寸法等の情報を送ると、関ケ原石材の職人で、世界一石に詳しいベテラン職人が、つなぎを外しても大丈夫という判断をしてくれた。

おかげで、思い切りつなぎを外して作業を進めることができた。

その友人彫刻家から、とてもうれしいメッセージが届いた。

関ケ原石材で世界一石に詳しい職人さんが、こう言っていると。

”いい彫刻には根が生えている。

あの彫刻は根が生えだした。”

何んとも凄い最大級のメッセージである。


1月25日(水)

☆全き快晴。

そしてこの冬一番の冷え込み。

高鍋町はなんと氷点下8,3度を記録。

我が家の庭の霜柱は一日中バリバリと溶けず、作業場のバケツに張っていた分厚い氷も日向に放り出しておいても溶けなかった。

☆午前のうちに、昨日のモニュメントの穴に取り付けた蓋の目地を入れ、ペーパー仕上げをして作業が完了。

斜めに刺さってしまった箇所は、やはり影が出るので少し目立つ。

☆私の作業が終わったので、午後からモニュメントをシートで覆う。

除幕式の披露まで、シートで姿を隠す。

☆昼前と午後に、石片をアンジェラスの森へ3往復して運ぶ。

☆午後に、ロータリーの工事を請け負ってくれるエクステリアの会社で、色合わせ等の打ち合わせ。

工事は2月1日から取り掛かり、20日くらいで終わりそうだということ。


1月24日(火)

☆晴れ。

全国的な寒波の襲来で、気圧の変化に因る強風が吹き荒れ、底冷えの一日。

宮崎県の山間部は雪だったようだが、高鍋町でも午後に少し雪が舞った。

☆午前に日章学園へ。

私の制作した歴代理事長のブロンズ胸像の汚れがひどいと言う連絡があり、その情況を確認に行った。

確かに想像以上の汚れで、茶系の色を定着させるのに使っている鉄漿が真っ黒い筋となって流れ落ちて、まるで黒い涙を流しているように見える。

こんなに酷い汚れを見たのは初めてである。

試しにワックスや金属磨きでこすってみたが、やはり鉄漿は化学反応による色なので、こすって落ちるものでは無い。

着色のことは鋳造所でないとわからないので、鋳造してくれた工房へ電話を入れると、やはり案の定、すでに電話は使われておらず、工房は閉じてしまった様だ。

それで天気の良い無風の日に、鋳造所から送ってもらっていた着色剤を塗ってみることにした。

しかし創立者夫妻の2体の胸像は27年前の鋳造であり、2代目の理事長の胸像は8年前の鋳造で、鋳造の時期が全く違う。

もし鋳造所の着色方法がまずかったのなら、8年前に2代目理事長の胸像を設置した時にはすでに初代理事長夫妻の胸像は汚れていたはずだ。

しかし8年前にはこういう鉄漿の黒い汚れは全く無かった。

私が同じ工房で鋳造した他のブロンズ像にも、こんな汚れの出た物はない。

つまりこの鉄漿の流れは、2代目理事長胸像設置後に生じた変化である。

ひょっとすると、日章学園周辺の大気に異変が生じているのではないのか。

2代目理事長の胸像は、同じものが鹿児島の姉妹校にも設置してあるので、そちらの様子も確認してもらうことにした。

☆午後に、モニュメントの充填剤注入穴の蓋の取り付け作業。

現場に着く直前から、高鍋駅前には雪が舞い、”MOON DANCE”の周りを雪が舞い踊った。

穴には充填剤がこびりついているので、蓋の長さをカットして、根元に接着材を塗って嵌め込んだ。

正面の穴はピタリとはまったが、裏面は穴の角度と蓋の角度がずれていたようで、斜めにはまってしまった。


1月23日(月)

☆夜中から朝方まで雨。

天気予報では一日雨だったが、朝のうちから晴れてきた。

午後はまた曇天となったが、天候は恢復傾向。

一日、気温は上がらず底冷える。

☆午前10時から、MRTテレビによるモニュメント取材。

私は晴れ男なのか、取材の間は青空が広がった。

黒木・高鍋町長と私がインタビューを受ける。

放送は夕刻のニュースの中の話題で取り上げられ、来週あたりの放映になるということ。

☆午後は妻のボーカルレッスン。

私も今日からハーモニカでのジョイントの練習を始める。

3月の妻との二人展の時にギャラリーコンサートを開くので、これから先は版画制作とハーモニカ特訓に集中しなければならない。

11月のライブ以降、一度もハーモニカを吹いていないし、半分は全くの新曲なので、手も足も出ない有様であった。

彫刻制作が終わった途端にハーモニカ特訓で、年を取る暇がない。

☆工務店との打ち合わせで、心棒充填剤注入の窓を塞いだ後は、除幕式までモニュメントをシートで蔽おうことにする。


1月22日(日)

☆午前は晴れ。

午後からは雲が出て、午後半ばからは雨となる。

気温は上がらず、底冷えの一日。

☆0時過ぎからいよいよモニュメント本体の設置作業。

トラックから下すまでは問題なく進んだが、それから起こすまでの作業が、施工業者にとってもはじめての難作業なので、試行錯誤しながらもなかなか進まない。

前回の表返しの時のスリングのかけかたを、私のスマホの中の画像を参考にしたりしながら進める。

結果的に、施工業者が準備したスリングでは長さが足りないとわかって、私が特注した15トン吊りのスリングを使うことになった。

それからのモニュメントの起こし作業まではなんとか進んだ。

モニュメントは左右の重さが違うので、水平に釣り上げるために、やはりチェーンブロックでバランスを調整したが、いざ吊ってみるとまだ片効きである。

私のスリングは8mの長さなので、チェーンブロックは手の届かない高さにあり、作業員たちは頭を抱えてしまった。

とりあえず吊り上げて、台座の上まで移動させてみると、水平レベルを出すためのチェーンブロック操作はわずかであることが分かった。

チェーンブロックまで手が届くように足場を工夫して、なんとか水平を出すことができた。

そして、無事にスムーズに心棒を呑み込みながらモニュメントは台座の上に建った!

見守っていた人たちから一斉に拍手があがる。

時、すでに午前3時。

無事に首部で折れることも無く、心棒が閊えることも無く、見事に巨大な”MOON DANCE”は高鍋駅前ロータリーに建った!

建てて見ると、横倒しで作業していた時の印象とは全然違って、すごいヴォリューム感である。

感無量で、涙声になった。

手伝ってくれた山田も来てくれていて、山田と抱き合って感動を共有する。

施工業者は、さらに私が窓を開けた穴から心棒への充填剤を流し込む。

☆ こんなに物々しい手の込んだ作品設置は初めてである。

施工業者と工務店担当者との綿密な打ちあわせゆえの大成功である。

素晴らしい作業をしていただいた。

☆設置工事の立ち合いには、観光協会の皆さんが暖かい珈琲を差し入れしていただいた。

役場の担当課からも来ていただいた。

また記録映像担当のM氏のほかに、ユーチューバーの彩実さんも撮影に来てくれた。

私の三兄も真夜中にもかかわらず、カメラを持参して駈けつけてくれた。

そして午前4時前に黒木・高鍋町長夫妻が駈けつけて下さった。

黒木町長の想いの籠った高鍋駅前ロータリーのモニュメントである。

☆町長の話では、これからの工務店のロータリー工事の期間から判断して、観光協会は除幕式を3月1日に予定しているということである。

☆4時半に帰宅。

昨夜と違って、防寒対策を完璧にしていたので体も凍えておらず、気持ちも高揚していたので、床に就く前に軽く赤ワインで独り祝盃をあげる。

☆午前5時に就床し、8時には起きる。

☆昼前に妻とモニュメントを見に行く。

☆午後にモニュメントの裏側の汚れ落し。

あらためてモニュメントを眺めると、よく作ったなと我ながら感動した。

そして建ててから手直しすることがあるだろうと思っていたのだが、建ってみるとあちこちから眺め廻しても、横倒しの時に気になっていたところが全く気にならない。

ただ充填剤を流した窓は、充填剤がこびりついているので、綺麗に掃除をして窓を嵌め込まなければならない。

そのあと、雨が降る前に枕材をアンジェラスの森の倉庫へ運ぶ。

☆夕刻に猛烈に眠くなって、30分ほどベッドにもぐりこむ。

☆夜は私の手作り料理(西都・都萬牛ステーキ)で、妻とモニュメントの完成祝い。

事故も無く、体も壊れず、よく乗り越えました。


1月21日(土)

☆快晴の一日。

日中は陽射しが強いが、空気が冷たい。

午後からは風が出て冷え込む。

☆夜中、午前0時からモニュメントの台座設置。

楽勝かと思ったが、台座は2枚あって、やはり左右の石は若干1,2ミリの大きさの差異があるし、基礎コンクリートも手鏝仕上げなので、全くの水平面ではない。

その合わせ作業にかなりの時間を取られた。

今夜はそれで終わりかと思っていたら、心棒の嵌め込み作業まで行われた。

何しろ、心棒は直径が160mm、長さが1300mmあるので、重量が140kgほどある。

それで心棒の上部はフックを取り付けるように加工してあって、クレーンで吊って基礎コンクリートと台座に差し込まなければならない。

そしてその重い心棒をきちんとモニュメントの心棒穴にフィットする位置に定め、垂直に保って、コンクリートを隙間に流して固定しなければならない。

すべての作業が終わったのはもう4時半であった。

作業を見守っているだけの私は、しんしんと冷え込んで来る底冷えに、寒くてかなわない。

☆自宅に帰ったのはもう5時前であった。

足元が凍えたまま布団に潜り込むが、まったく足先が暖まらない。

11時まで寝る。

☆午後は、台座に張ってあった残りの目印テープを除去し、作業場の重い石片をリフトで軽トラに積んでアンジェラスの森へ運ぶ。

☆今夜はいよいよモニュメント本体の設置作業。

午後10時半過ぎから、トレーラーへの積み込み作業。

道路交通法の改正によって、モニュメントは倒したまま運べるようになった。

設置施工業者が細心の配慮と智慧を絞って、モニュメントを吊った時に首部に負担が集中しないように、そして水平に吊りあげられるようにチェーンブロック4個で

バランス調整しながら作業する。

無事に何事も無くモニュメントをトレーラーに積むことができた。

それから設置場所まで、バウンド等に因ってモニュメントに破損の怖れが生じないように、慎重に角材等の噛ませ作業が終わったのはもう作業開始の12時直前だった。

クレーンの計量で、完成作品の重量は8,5トンであった。

私の計算でも8〜9トンと見込んでいたので、ほぼ計算通りであった。

☆昨夜は冷え込みに体の芯まで凍えてしまったので、今夜は完璧な防寒対策を取る。

ほぼ雪像大会に参加するときに準じた防寒衣装、防寒ブーツで身を包む。


1月20日(金)

☆快晴の一日。

朝は冷え込んで、フロントガラスが氷結。

日中は急激に気温が上昇して、服を脱いでも脱いでも暑くてたまらなかった。

夕刻からは風が出て一気に冷え込む。

☆モニュメント設置のための毛布を軽トラに積み込んで作業場へ行くと、今夜の荷運びの運送会社の社長と、大阪から帰省してきた高校同級生が待っていた。

運送会社の社長とは今夜の作業開始時刻の打ち合わせをして、同級生としばらく談笑。

☆入れ替わりに、記録映像を撮っていただいている高鍋町キャリア教育支援センターのM氏が来訪。

M氏は以前は民間放送局の映像カメラマンだった。

明日の本体設置の作業を記録してもらうので、その打ち合わせ

そこへ黒木町長が来訪。

☆私は昼前と午後に、今夜設置の台座石に目印で張っていたテープを除去する。

そして午後に、石片をアンジェラスの森へ2往復して運ぶ。

☆”MOON DANCE”の曲を作っていたいただいたピアニストの山本恵理さんから、曲を聞いていただいてありがとうございますと言うフェイスブックでのお礼

が届いた。

私がフェイスブックにアップした”MOON DANCE”音源にも”いいね”をしていただいた。

この”MOON DANCE”の曲を、前述の記録映像に使えないか担当者と町長とも打ち合わせをする。

☆依頼された原稿を提出した石井記念友愛社・”むつび”の編集委員会が今日開かれ、私の原稿に皆さんが感動され、また機会を見て原稿を依頼したいという

声が上がったという。

この編集委員会では、原稿は必ず朗読されて、編集委員の皆さんで感想や意見を出されるのだそうだ。

喜んでいただけて、安心した。

☆今夜からいよいよモニュメントの設置作業に這入る。

今夜は台座の設置で、冷え込むが夕刻からの風は止み、制作場所の夜空は満天の星だった。

11時前からクレーン車、運搬車、設置施工業者、工務店担当者が集合して、台座のトラックへの積み込み作業。

設置作業は、JRの終電が通過後の真夜中12時からである。


1月19日(木)

☆朝のうちは晴天で陽射しがあったが、次第に雲が出て底冷えの一日となった。

☆モニュメント制作。

いよいよ明日と明後日に設置が迫った。

それでモニュメント本体の帯カッティング部にクッションと角材を巻きつけて、カッティング部の損傷を最低限に抑える作業をする。

これがなかなか大変な作業で、長物のクッション材が有ればそれでぐるぐる巻きすればいいのだが、ホームセンターを物色しても無いので、PPバンドで締め付ける。

だがPPバンドでは締め付けが弱い。

後は、設置作業時に直接、毛布をスリングの下に当てるしかない。

☆昨日、山本さんの作曲してくれた”MOON DANCE”を友人知人たちにラインで送った。

みなさん、とても感動した返事を返していただいた。

ところがその中に、”お世話になり感謝致します”という、曲への返事としてはおかしな返事があり気になった。

作業の傍ら、ラインでやり取りしたら、どうにも様子がおかしい。

そして、ラインを返してくれているのは本人ではなく、身裡の方だとわかり、驚愕の事実があきらかになった。

いきなり、”明日お通夜で明後日葬儀になります”という返事が帰って来たのである。

なんと、本人は16日の夜に浴室で脳麻痺(脳梗塞?)で倒れ、そのまま他界されたと言うのである。

それで急なことで、色んな方に連絡をされている最中だということであった。

ライン電話をかけると、お姉さんと義兄さんが対応された。

私のことも妹さんから聞いて、よく知っておられた。

亡くなられたKさんとは、愛媛・西条市の”うちぬきプロジェクト”の時にお会いした。

四日市からお遍路で四国に通っているうちに、西条市の或るお寺に帰依され、定期的に西条市に通われていた。

そのお寺の住職が”うちぬきプロジェクト”のメンバーだったことから、Kさんとも親しくなり、何度か白木石材の白木さんを交えてお酒も飲んだ。

そんな縁で、私の「月の雫」も買っていただいたし、妻との二人展では花を送っていただき、宮崎県文化賞受賞の時も花を送っていただいた。

正月にいただいた年賀状もまったく普通だった。

お姉さんに実家の住所を教えていただき、作業を早めに終えて帰り、香典を送る。

ここ1,2年、元気だった友人が急に脳梗塞で倒れたり急死される方が相次ぐ。

Kさんのご冥福を祈りたい。


1月18日(水)

☆朝のうちは曇天。

日中は晴れて陽射しが強くなったが、空気が冷たい一日。

☆午前と午後に、それぞれ2往復、石片をアンジェラスの森へ運ぶ。

今日は手で抱えるには重い大きさのものが幾つかあり、膝がガタガタとなった。

無理せず、リフトで動かそう。

☆その間に、モニュメント銘板の原稿の件で何度か自宅に帰り、パソコンでデータのやり取りをする。

最終レイアウトでは文字が鋳造で潰れることが解り、業者の方で文字サイズを大きくしたデータを造ってもらったのだが、それだと余白が窮屈になってしまった。

その対応に追われたが、デザイナーの方でレイアウトを修正してもらい、無事に発注が完了した。

☆先日、高鍋にライブで来町されて私の作業場にも来られたニューヨーク在住のピアニスト・山本恵理さんが、”MOON DANCE"のハミング風の短い曲を作って

下さった。

山本さんはこれまでにも宮崎市内のライブには来られているようで、ジャズ通の黒木・高鍋町長とは親しく、先日のライブも町長の尽力だったようだ。

それで、お礼の意味での曲を黒木町長に送られ、私には黒木町長からフェイスブックで届いた。

”ムーンダンス 高鍋のまちで ムーンダンス 一緒に ムーンダンス 高鍋のまちで ムーンダンス 踊ろう”と小気味よい歌詞での弾き語りで、とても嬉しい。

実はずっと以前に、私の長男が”MOON DANCE”の曲を作ってくれたのだが、当時バタバタしていてお礼もしていなかった。

それで私は今日、石片を運びながら、あの曲をジャズ風にアレンジしてもらえないかなと思っていたところだった。

そこへ黒木町長から山本さんの曲が届いたので、あまりのタイミングにびっくりした。


1月17日(火)

☆晴れ。

空気が冷たく朝夕は冷え込む。

日中は陽射しが強かったが、午後からは空気が冷え込んでジャンパーは外せず。

☆モニュメント制作。

午前に銘板台座の銘板取り付け心棒穴等の加工。

およびリフトを使ってモニュメント台座石の中国からのパレットを外して、枕材を敷く。

先日の設置業者との打ち合わせで、パレットを外しておかないと、台座石のトラックへの積み込等が困難だということであった。

この作業がなかなか大変であった。

リフトの調子も悪かったし、台座石を置いている川縁は地面の締りがゆるく、何度もリフトがはまり込んでしまった。

☆私の作業中に、高鍋町観光協会の皆さんがテントの撤収作業を行ってくださった。

いよいよ作業場は殺風景になってきた。

去年の3月から1年近く通ってきた場所だから、もの淋しい気持ちになる。

☆午後からは石片をアンジェラスの森へ運ぶ。

今日も3往復する。


1月16日(月)

☆雨上がりの快晴。

午前のうちに曇りがちに戻ったが、午後はすっきり晴れる。

気温は上昇してジャンパーは要らず。

しかし、夕刻からは急激に冷え込む。

☆モニュメント制作。

午前に心棒充填剤注入窓の蓋を仕上げる。

そして高圧洗浄機でモニュメント本体を洗い、テントの石埃も洗い流す。

テントは2,3日内に撤去してもらう。

☆午後から、石片をアンジェラスの森へ運ぶ。

石片は、リフトがのめり込みそうな場所にクラッシャーのように敷き詰めることにした。

軽トラの荷積み重量が300kgで、落した石片が約10トンくらいになるので、単純に計算して、30回以上はアンジェラスの森を往復しなければならない。

しかし久しぶりの里山は、走っていて気持ちが好い。


1月15日(日)

☆一日、雨。

気温の冷え込みは無し。

来週からは天候も恢復するが、真冬の冷え込みに戻るようだ。

モニュメント設置予定の21日は、氷点下の冷え込みになるようだ。

☆今日もデスクワーク。

版画のプランに取り組むが、なかなか頭の切り替えがうまく行かない。

版画用紙等がもう底をついていたので、注文をする。

☆ネパールのポカラで航空機事故が起きた。

ポカラは、若いころのインド大陸放浪時に何日か滞在した事がある。

ポカラはヒマラヤ観光の拠点で、目の前にマチャプチャレの雄姿がそびえる。

3年前にこのポカラで国際彫刻シンポジウムが開催され、私も招待を受けたが、その前にインドのシンポジウム招待が決まっていたので、次回のシンポジウムに

招待してもらうことになっていた。

勿論、コロナ禍で次回は開催されていない。

ポカラは昨年も飛び立った飛行機が墜落する事故が起きている。

ポカラは地形的に離着陸が難しい空港だということ。


1月14日(土)

☆午前は本格的な激しい雨。

午後は雨の勢いは弱まる。

宮崎県内はいずこも20度前後の暖かさ。

☆土砂降りの中、朝一に接骨院。

まだ背中が張っているし、今日は首筋を丹念に揉んでもらった。

☆今日明日はデスクワークで過ごす。

3月に妻との版画二人展を予定しているので、気持ちを版画の方に集中させる。


1月13日(金)

☆午前のうちから雨。

夜明け前はとても蒸し暑く、日中も暖かかった。

☆朝一にO内科の血圧定期健診。

最近の血圧が高いので、夜の薬が多くなった。

脇腹の痛みは”憩室炎”ということ。

大腸が何らかの理由で一部が飛び出すらしい。

原因はよく解らないらしいが、体の老化もあるし、便秘等の原因で炎症が起きたりするようだ。

最近便秘になることが多いので、それも原因のひとつかもしれない。

血液検査では、炎症反応は少し出るが、白血球は増えていないので、抗生物質の投薬で納まるでしょう、ということで安心した。

☆午前はまだ脇腹がきついので、デスクワークで過ごす。

石井記念友愛社の”むつび”への原稿を手直しする。

先日のとりあえずの下書きを若干修正したのみ。

速達で「石井十次の会」事務局へ送る。

☆昼食時に抗生物質を服用して少し体が楽になったので、午後から作業に出かける。

モニュメントの側面の汚れを水洗いし、心棒隙間へ充填剤を流し込む穴を塞ぐ蓋を作成。

☆作業場は防音シートも撤去され、コンプレッサーとエアーホース類がなくなったので、一気にガランとした佇まいになった。

設置前の来週中にはテントも撤去するので、今のグラウンドでの作業もいよいよ終了間近となる。


1月12日(木)

☆午前は晴れ。

天候は下り坂で、午後からは雲が出る。

朝のうちから気温が急上昇。

殆ど春のような陽気と成り、暑くてたまらなかった。

☆朝一に工務店の2トントラックに来てもらい、コンプレッサーをリース会社に返却。

ところが先日に10日のリース延長をした時に、私は営業開始日の1月5日から10日間のつもりだったのだが、実際は1月1日からの計算で、すでにリースをオーバー

してしまっていた。

いったん帰宅して、再びリース会社へ出かけて超過料金を支払う。

☆モニュメント制作。

午後に、モニュメント底部に、接着剤喰い込み用のカッティング溝を入れる。

そして、コンプレッサーの作業が終わったのでエアーホース類や工場扇などを軽トラに積み込んで、アンジェラスの森の作業場に戻す。

これから作業場を片づけながら、石片の残骸をアンジェラスの森に運んだりの作業になる。

プレハブ倉庫とリフトも戻さなければならない。

アンジェラスの森の木枝をチェーンソーで切り落としたのは、もう1年前である。

プレハブ倉庫を戻すためには、またこの1年で延びてきた木枝を落として森の整備をしなければならない。

☆この気温の急激な変化か、お昼前から体がだるかったのだが、アンジェラスの森の湿気だらけのカビだらけの倉庫に出入りしていたら、体調がおかしくなってしまった。

右脇腹に鈍痛がし始めて、動くのが辛い。

☆教え子から、横浜栄区に設置してある私の”MOON DANCE”の、今日の様子の画像がラインで送られてきた。

先日は妹が元の同僚たちと見に行って呉れて、思ったよりも管理が行き届いているのを確認できたが、今日の教え子の画像も、設置した当時より周囲の景観が開けていて、

とても環境が良くなっているのをあらためて確認できた。

設置されている”いたち川”沿いは、市民の散歩やランニングのコースとして利用されていて、今日も川向うでは除草作業が行われていたようだ。

この”MOON DANCE"の設置されている近くに、教え子の義母が入所されている施設があって、彼女はよく義母を車椅子で散歩に連れ出し、いつもこの作品を2人で

眺めていたのだという。

そして「月の雫」を開いて、作者が私であることを初めて知った、というエピソードはこの日記等にも書いた。

彼女は、今日は”私に会いたくて”、”いたち川”を訪ねたのだという。


1月11日(水)

☆全き快晴。

気温がぐんぐん上昇。

午後は暑くて、ジャンパーも上着も脱いでの作業となった。

☆モニュメント制作。

一日、ペーパー研磨作業。

これでほぼ作業は終わったが、まだまだ時間不足で不備なところが目立って来て、気分は重い。

☆コンプレッサーの使用はもう終わったので、借用時にトラックを手配してくれた工務店に返却の手配もお願いする。

☆工務店担当者は基礎コンクリートに台座と心棒穴の墨打ちを済ませる。

☆午前に、モニュメントを設置場所に運んでいただく運輸会社の社長が来訪。

荷運びのチェックをしていただく。

☆セルビアのシンポジウムオルガナイザーから、シンポジウムの招待が届いた。

もう10年間開催しているらしいが、時期や詳細は不明。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は、3696人。

そして亡くなった方が過去最多の18人となった。


1月10日(火)

☆全き快晴。

昼前は風が出たが、昨日ほどの強さではなく、午後からは一気に気温が上昇。

暖かい一日となった。

☆モニュメント制作。

午前に帯部のビシャン掛け作業の残りと、修正作業。

これでほぼ本体の作業は完了した。

残るは最後のペーパー研磨と、最終調整。

午後からは、銘板台座の研磨作業。

ようやく昨年3月から始めた制作が一段落した。

アシスタントたちにも怪我がなく、私も倒れることも無く、ここまで来ることができた。

後は本設置が無事に乗り越えられることを祈るのみ。


1月9日(祝・月)

☆快晴。

朝のうちは冷え込んだ。

日中は気温が上昇して20度近くなる予報だったが、昼前から風が出て体感気温は上がらず。

☆モニュメント制作。

今日は祝日だったので、山田が作業に来てくれた。

午前のうちに800#の研磨が完了。

昼前から帯のカッティングライン入れ作業に入る。

午後後半からカッティングラインのエアービシャン作業。

山田の作業は今日で終了。

これからは仕上げ作業と作業場の片づけに這入る。

☆風邪気味なのか、昼食を摂った後はとても眠かったし、作業が終わると喉が痛くて、体がとてもだるくてぐったりと疲れてしまった。

もしや、と思って帰宅して熱を測ったが平熱だったし、喉の痛みも無くなった。

妻も体調がおかしいと言っているので、気温の変化で体調もおかしくなる時期なのだろう。

☆昨日いただいた文化賞祝いのメッセージ色紙を、昨日は目を通す暇が無かったので、夕食後にじっくり目を通す。

やはり同じ美術OB仲間なので、皆さんのメッセージがとても心に染みた。

特に高校同窓の宮本哲君からのメッセージは、彼らしい深い思いやりがあって嬉しい。

“知り合った頃からの熱い想い─あの率直さ。真っ直ぐな発信力。そして大胆さ─その全てに敬意を込めて祝福します。

周りに尽くすことをとおして、その一方では─次第に孤独が深まった─そういう等さんを遠目から感じています。”

そして先年の同じ宮崎県文化賞受賞の黒木重雄君からのメッセージも、同じ作家としての深い共鳴があって励まされる。

“「静かに行く人は遠くへ行く」 知人から教わったイタリアの古い諺です この諺にも勇気づけられています“

宮本君の言う“深まる孤独”と黒木君の言う“静かに行く人”は、二人ともに真摯に作家として生きている彼らと共通した私への連帯と敬意だと感じた。

作家の歩む道は常に孤独なのだ。


1月8日(日)

☆快晴。

風のない穏やかな一日。

☆11時より、高鍋高校OB美術展の新春打ち合わせ会合。

高鍋町美術館隣の”御船”にて。

春のOB展の諸打ち合わせの後、会食。

3年ぶりの酒宴であった。

当初は11月に開催予定だったが、コロナに配慮して延期になったものだが、会期的には正月の裡の方が宴会に出やすいし、展覧会間近の方が

打ち合わせ内容も具体的に考えられるということであった。

☆宴が始まって、私の文化賞受賞のお祝いで花束と会員からの寄せ書き色紙をいただいた。

お祝いの乾杯程度だと思っていたので驚いた。

高鍋高校OB美術展の会員で宮崎県文化賞の受賞者は私で5人目である。

会員が22名なので、会員の4分の一が宮崎県文化賞の受賞者ということになる。

こんなハイレベルな宮崎県内の高校美術OBの展覧会は他にないだろう。

☆会が終わったあと、酒の廻った会員と呑み直しにと町へ出たが、日曜日のしかも午後2時に開いている店は皆無だった。

☆昼間の酒は効くので、夕刻に小1時間ほど午睡を取る。


1月7日(土)

☆夜中は雨。

夜明け前は、西の空に満月が煌々としているのに、辺り一面は雨で濡れそぼっているという不思議な情景だった。

夜明けてからは快晴。

しかし気圧の変化で、一日中底冷えの突風が吹き荒れた。

陽射しは強かったので、風さえなければポカポカ陽気だったであろう。

☆朝一に接骨院。

連日のモニュメント手磨き作業で、背中がバンバンに張って強張っている。

そのせいだろう、電気治療は拷問状態できつくてたまらなかった。

院長の治療は今日も電気マッサージ機で、強張っている箇所を丹念にほぐしてもらった。

やはり気温の状態などで、患者の体調が判断できるのだろう。

☆モニュメント制作。

今日も山田が来てくれて、研磨作業を進める。

夕刻までに800#の途中まで研磨が進んだ。

強風が吹き荒れ、手が凍える中での作業であった。

来週中にはほぼモニュメント本体の作業は終わる。

☆山田は昨夜のピアノデュオのライブに出かけたのだそうだ。

ライブステージで、お二人が私の作業場を訪れたことをお話され、作品はもうまもなく完成しますと紹介していただいたということ。

☆夕刻にユーチューバーの彩美さんとご両親が作業場に来られた。

彩美さんはモニュメント設置時と披露セレモニーの時にも取材に来てくれるということ。

彩美さんのお母さんは山田の職場の上司で、私とは以前に日向中学校の門柱モニュメントの耐震構造打ち合わせの時にお会いしている。

このお母さん(上司)のご理解のおかげで、山田は年休を取ってまで私の作業場に通えることができている。

お父さんは、山田の同期で友人だということ。


1月6日(金)

☆午前は快晴。

冷え込んで、車のフロントガラスが氷結。

昼前からは陽射しが強くて、ジャンパーを脱いで作業する。

午後からは天候は下り坂で曇天となる。

☆モニュメント制作。

一日、月下部内側の修正作業。

削って手磨きしては、また修正の繰り返し。

☆午後に、観光協会の方が今夜のライブで来町されたピアニストのお二人を制作場所に案内して来られた。

ニューヨークで活躍中のブルースさんと山本恵理さんで、今夜の南町ジャズナイトでピアノデュオを演奏される。

私と妻も顔を出す予定だったが、コロナ感染急拡大で、出かけるのをキャンセルしたばかりであった。

その事情をお話しすると、笑顔で納得していただいた。

ブルースさんの友人が私の作品のあるメイン州ブルー・ヒルに住んでおられるとかで、ブルー・ヒルのことをご存じだった。

また高鍋に演奏に来ますと言われたので、次回は必ず出かけよう。

☆今日も宮崎のコロナ感染者は4331人の大台であった。

高鍋町では、消防出初式がコロナ感染拡大で中止になった。


1月5日(木)

☆快晴。

朝は冷え込んで、畑は一面の霜。

午後からは気温も弛み、陽射しが暑くてジャンパーを脱いで作業する。

☆朝一にコンプレッサーのリース延長手続き。

多分、1週間で作業は終わるが、念のため10日間の延長をする。

☆モニュメント制作。

昨日の200#の磨きムラのチェック。

そうしていたら、やはり研磨が進んでフォルムがはっきりしてくるとフォルムの膨らみ過ぎたままのところが目立ってくる。

それでまだ時間には余裕があるので、月下部の内側のフォルムをダイヤカップ作業からやり直して修正する。

カップ砥石の後を手磨きでなだらかにする。

この手磨き作業で、夜には腕が上がり辛くなってしまった。

昨日は山田も一日中手磨き作業で、夕刻には腕が上がらないと言っていたので、昨夜はさぞ辛かっただろう。

☆午後に防音シートの復元。

もう騒音が出ることは無いのだが。

☆宮崎県のコロナ感染者が、今日は過去最多の4498人となった。

人口10万人当たりの感染者集も全国ワースト1である。

ここにきて心配になってきた。

もう国民の3分の1くらいはコロナに感染しているというし、ここで私がコロナに感染して7日間の療養期間が這入ってしまうと、モニュメントの設置日程は

決まっているので、設置に間に合わなくなってしまう怖れがある。

それで明日に予定されているジャズのライブに妻と出かける予定だったが、妻と相談してキャンセルした。

主催者も、私は大仕事で疲労しているので感染する可能性が高いので、問題ないという返事だった。

モニュメントの設置が終わるまでは体調万全を保たなければ。


1月4日(水)

☆快晴。

陽射しは強いが空気がとても冷え込んで、午前のうちは柔らかな風さえも身を切るように凍える。

午後からは冷え込みも弛んで、陽射しが暑くなる。

☆今日から仕事始め。

一気にモニュメントの仕上げ作業を進める。

今日は山田も来てくれた。

山田は月の稜線のエッジを砥石で手磨きして落してもらう。

行程的に裏面の研磨を先に終えてしまわなければならなかったので、稜線がきちんと納まらない。

午後から、200#での研磨作業。

仕上げ作業に10日掛かるかと思ったが、1週間ほどで終わるかもしれない。


1月3日(火)

☆晴れ。

風の無い穏やかな晴天だったが、空気は冷たく、夕刻からはしんしんと冷え込んで来る。

☆午後に石井記念友愛社の「むつび」への原稿を纏める。

とりあえず、纏まった形をプリントアウトして、下書きとして依頼先に送る。

方向性を見てもらって、締め切りまで修正作業をしよう。

☆モニュメントの正月明けの残りの作業日数を割り出してみる。

1週間で研磨作業と帯のカッティングは終わるかと思ったが、10日は見ておいたほうがよさそうだ。

当面は好い天候が続きそうだが、気温は冷え込みそうである。


1月2日(月)

☆朝のうちは少し雲が出ていたが、日中は快晴の陽射しの強い穏やかな日和。

今年のお正月はお天気に恵まれているようだ。

☆昼前に、妻と木城町・比木神社へ初詣。

昔は独身時代から、そして結婚してからも子どもたちとよく初詣に来た比木神社である。

今回は、昨年に納めた私と妻の絵を含めた令和の天井画300枚がお披露目となったので、それを見に来た。

以前の天井画は幕末辺りに高鍋藩の絵師によって描かれたものだったが、経年劣化で殆ど絵柄が見えなくなったので、今回は寄進者自身が絵を描いて

納入するという形で募集されたものである。

今、あちこちの神社がこういうスタイルで天井画を新しくしているようだ。

描き手は素人もプロもいるし、年代も子供から104歳のベテランまで多様である。

したがって後世に残っても文化財にはならない。

ただ自分の描いて納入した天井画が、100年後の末代までも大切に飾られるということはなんとも嬉しいことではある。

☆天井画の配置は、単にくじ引きで決めたそうだが、どこに配置されたかは神のご意志という受け止め方である。

妻の絵は比較的観やすい場所に在ったが、私の絵は一番奥に在って、今は年末年始の神事の場所になっているので、近づけなかった。

いずれ完成式が行われ、誰でも自由に観れるようになる。

☆比木神社の周辺の佇まいは昔から大好きな場所で、工房を構える時にこのあたりに構えたくてずい分と場所を捜したものである。

いまでもとても魅力的な空間である。

☆午後は、昨年届いていた分の年賀状のあて名書き。

夕刻までに投函する。

☆買い物ついでに、念のためにTSUTAYAの書籍棚をもう一度念入りに見てみたら、わずかに郷土の本のコーナーが残っていた。

「記憶の手ざわり」が1冊在ったし、私の「月の雫」が4冊、三兄の作品集が3冊並べてあった。

☆今年は高校同窓の新年会も案内が無く、何の予定もない正月でゆっくり過ごしている


1月1日(日)

☆快晴。

風の無い、とても穏やかなお正月日和。

☆今年は初日の出は、ホテルの窓から眺める。

朝食を摂った後に、ホテルの露天風呂温泉に入る。

スベスベして気持ちの好い温泉である。

今年もいい年になりそうである。

☆10時前にホテルをチェックアウト。

上天気で、陽射しが強く、車の中は非常に暑い。

いったん自宅に戻って所用を済ませ、日向市へ向かう。

☆まず妻の実家の墓参をして、義姉宅へ年始の挨拶。

義姉のところも、年末に母屋の真裏の家が夜中に火事で焼失して、大変な恐怖を味わっていた。

☆義姉宅を出て、イオンタウンの明林堂書店へ。

やっと「記憶の手ざわり」1冊を見つけて、購入する。

他の買い物はせず、そのまま夕刻に帰宅する。

☆夕刻に、届いていた分の年賀状に宛名を書く。

☆新しい年が明けた。

今日は穏やかな気持ちの好い正月日和であった。

今年はこれからモニュメントの完成と設置、3月と8月に妻との版画二人展が決まっている。

健康に留意して今年も充実した1年が送れるといい。

今年もよろしくお願いします。



Back to

2023   1-2   3-4   5-6    7-8   9-10    11-12

2022   1-2   3-4   5-6    7-8   9-10    11-12

2021   1-2   3-4   5-6    7-8   9-10    11-12

2020   1-2   3-4   5-6    7-8   9-10    11-12