Back to toppage


このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。

過去の日記

2022   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12

2021   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12

2020   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12


2022 4月30日(土)

☆晴れ。

午後からは雲が多くなる。

昨夜から冷え込んで来て、今日は一日中空気が冷たく、気温は上がらなかった。

☆午前に整骨院へ行ったら、土曜日は受付が10時半で終了していて、電気治療を受けられず。

☆午後から妻と宮崎市へ出る。

画廊喫茶”シベール”での水元博子さんの個展の最終日だったので出かける。

私たちの二人展も来年8月前半に開催予定である。

☆”シベール”を出て、宮崎県立劇場へ。

宮崎国際音楽祭のチケットを購入して、県立美術館へ廻り、常設展を観る。

常設展は展示替えしてあり、これまでに見たことのない作品も多く、たっぷり堪能した。

宮崎県立美術館の収蔵作品は、瑛九との関連での版画作品が多い。

☆帰路に知人の方から電話が這入り、今制作会場に来ているという連絡。

一応進入禁止のバリケードがしてあるけれど、簡単に動かせるので自由に見て貰うようにお願いする。

新聞記事では平日しか作業していないことが書かれていないので、新聞を見て連休中に来られる方が多いかもしれない。

☆今日で4月もあっという間に終わってしまった。

今の調子ではモニュメントの進行が間に合わないのではと思えてくる。

まだ輪郭が全く出せていないので、ちょっと焦り気味である。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、261人。

高鍋町は2人。


4月29日(祝・金)

☆夜明前から雨。

雨は強風を伴って午前一杯続く。

午後からは青空が広がる。

☆9時半過ぎにホテルをチェックアウト。

湯布院の観光はパスする。

今の湯布院の観光地は、40年前の魅力的だった姿は全く無い。

やまなみハイウエイを通って、久住高原を経由して高千穂を廻って帰途に就く。

湯布院から久住高原に至る道筋は初めてである。

雨と深い霧で観光することも無く、ただ通り過ぎただけだったが、延々と続く霧にかすんだ高原の風景がむしろ幻想的だった。

良く晴れた秋にまた訪れてみたい。

妻はスケッチ旅行等で何度も来ているという。

☆霧の中の久住高原を走っていて、気が付いた。

そう言えば、1988年から1990年にかけて久住高原で野外彫刻展を開催して、何度か来たことがあったのだ。

☆久住高原から高千穂へは車のナビに頼って走った。

こんな山の中の道は、もう2度と通ることも無いだろうと思いながら、新緑の美しさに心を打たれながら走る。

阿蘇方面から高千穂へ這入ったのは初めてだったが、いきなり覆いかぶさる山並みに圧倒された。

強風で新緑の山々が、まるで怪物が蠢いているようにざわめいている。

高千穂の人々は凄い処に住んでいるのだと驚愕した。

何時もは延岡方面から高千穂へ這入るので、五ヶ瀬川が次第に深い渓谷に変わってゆくのだが、阿蘇方面から這入るといきなりの覆いかぶさる山々と底深い

渓谷が突然現れて、度肝を抜かれた。

☆そのまま延岡へ下って、3時前には高鍋に無事に帰宅。

☆今日の宮崎日日新聞に、高鍋駅前ロータリーのモニュメント制作の記事が掲載された。

今朝、ラインで知人から写メが送られて来ていたので、早速新聞を開くと、思っていたよりも大きい紙面の記事でビックリした。

スキャンしてフェイスブックに投稿し、ラインでも友人たちに送る。

公開制作なので誰でも自由に見学に来てくださいと、書き添える。

秋までの長丁場なので、時間の取れる時に来ていただければ良い。

☆知人とラインの遣り取りをしていたら、ある方が今日は所属する書道協会から奨励賞受賞の知らせと、お世話になった方の春の叙勲と私の新聞記事掲載との三つの

嬉しいことが重なって、感激して飲んでいるというラインが届いた。

お世話になった方の叙勲とはどういうものなのだろうと、同じ今日の宮崎日日新聞の春の叙勲県内受章者一覧の記事を見ていたら、一番最初に紹介されている

旭日双光賞受賞者の名前に見覚えがある。

年齢が私と同じだし、住所を見て高校のクラスメイトだと気が付いた。

写メを撮って、高校同窓生たちにラインで送る。

多分、彼とは幼稚園からずっと一緒である。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は420人。

高鍋町は9人。

ニュースを見ていると、この連休の間の行動には3年ぶりに行動制限がないようだ。


4月28日(木)

☆午前のうちは曇天。

午後からは一気に上天気となり気温も急上昇して、とても暑くなった。

☆今日は湯布院への一泊旅行に妻と出かける。

お目当てのホテルが、連休中は今日しか空きが無かったので、モニュメントの作業は小林氏に任せて出かける。

☆湯布院に着くまでに、大分の豊後大野市で見どころを廻っていくことにした。

私は合併前の朝地町に、朝倉文夫記念公園での野外彫刻展に来たことが有るだけであるが、妻がガイドブックで色々調べてくれていたので、それに従って廻る。

☆まず宇目町経由で、日本一長い鍾乳洞の稲積水中鍾乳洞を目指す。

宇目町からの道は祖母傾山に添った山道で、途中にすれ違う車は一台も無い、ここ数日は車が通った気配も無い道だった。

稲積水中鍾乳洞は、水中に鍾乳洞がある世界でも珍しい鍾乳洞で、発見されたのは現代になってからで、まだ調査が続けられていると言うこと。

ダイビング体験もできるということ。

私にとっては、私が滞在制作していたマレーシア・イポーが街中が鍾乳洞なので、ことさら珍しいものでもない。

☆次に、雪舟も描いたという名瀑の沈堕の滝へ。

ガイドブックではあまり関心も無かったのだが、行って見てビックリの大迫力の滝だった。

この滝は明治時代に発電所が出来て、発電力を高めるための水量の必要性から完全に水がせき止められ、滝は単なる石の壁に成ってしまったという。

しかし地元の方たちの、かつての名瀑への復元要望で、雪舟の絵に在る13条の滝に戻されたのだということ。

☆次に原尻の滝へ。

滝を一望できる道の駅でお昼を摂る。

その頃には既に陽射しの強い晴天となり、夏のような暑さとなった。

原尻の滝は、名前の通り広々とした田園の末にある滝で、こちらも美しい滝だった。

豊後大野市はとても自然が豊かで、磨崖仏等も点在し、とても素晴らしい処である。

景観破壊の大嫌いな太陽光パネルが1枚も無いのが素晴らしい。

豊後大野市の探訪だけでもたっぷり2,3日は楽しめるのではないのだろうか。

☆午後は、朝倉文夫記念公園へ。

此処は、開館記念の時に野外彫刻展を開催して以来である。

第一回アジア彫刻展大賞作品のチェさんの作品があり、チェさんは現在、癌の闘病中なので、彼を元気づけてあげるために彼の作品写真を撮りたくて立ち寄った。

夜にフェイスブックに画像を投稿したら、早速チェさんからの反応があり、もう癌治療は終り普通の生活が出来ていると言うことであった。

しかし、先日のフェイスブックでの画像では、抗がん剤でチェさんの頭髪は抜けてしまっていた。

朝倉文夫記念公園は、元々は朝倉文夫自身が作品展示のために購入していた土地で、”愛の園”という冠は朝倉文夫の命名だと言うことである。

そして彼の没後に、地元の人たちの力で施設を整えて、開館したのだということ。

☆3時過ぎに朝倉文夫記念館を発ち、大分市経由で湯布院へ向かう。

しかし車のナビが、ホテルまでのルートを検出できず、別府までしか案内してくれない。

おかげで大分市内で右往左往してしまい、湯布院へは到着が大幅に遅れてしまった。

しかも高鍋を出てから、ガソリンスタンドへ立ち寄る機会が無く、ホテルへ着いた時にはガソリンが空っぽになり、警告ランプが点滅状態であった。

それで今日中にガソリンを入れておきたくて、ホテルで教えてもらった湯布院市内のガソリンスタンドを目指すが、道を間違って湯布院の外回りを大きく迂回してしまった。

チェックインをした時にはくたくたであった。

☆ホテルは温泉付き別棟のある、評判のホテル。

期待した、料理はまずます。

今回も食事の量が多すぎて、部屋へ戻ると身動きできず。

☆小林氏からメッセンジャーが届き、今日は高鍋町長と役場担当課の職員たちが来てくれたということ。

小林氏は明朝早くに高鍋を発つ。


4月27日(水)

☆一日曇天。

時折り、の雨。

気温は高く日中はTシャツで作業したが、午後後半からは海風が出て来て長袖を着こむ。

☆小林氏は足元の縁切り作業をやってもらう。

私は9インチ(230mm)と5インチ(125mm)ディスクで輪郭を落としてゆく。

☆二人で同時に1つの電源で9インチと5インチのディスクを使うと、パワーが足らずに、5インチグラインダーが止まりそうになる。

これではこの先にアシストを頼むと、私とアシストの作家が同時にグラインダーを使う事が出来ない。

それでコンセントを別にして作業したら、問題は解決した。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は573人。

高鍋町は再び17人と跳ね上がった。

クラスターではないようだ。

これで高鍋町の累計感染者数は829人となり、高鍋町では約24人に1人はコロナに感染したことになる。

もはやコロナ感染は日常的となり、対応もマスク使用の緩和など大きく対応が変わってゆくのだろう。


4月26日(火)

☆天気予報では昼前から雨となり、夜は警報級の大雨であったが、日中は夕刻近くに少し雨が降ったのみ。

夜は本格的な雨となったが、大雨とまではいかず。

朝から強風が吹き荒れ、気温も上昇して蒸し暑い一日となった。

宮崎市と延岡市では最高気温が29度を超えた。

☆作業の初めに、強風で吹き荒れるテントの補強。

☆午後にJRで、岡山の小林照尚氏が手伝いに来てくれた。

ホテルに荷物を預けて、昼食後にさっそく削岩機の作業に入ってもらった。

作業を手伝ってもらいたくても、削岩機の使える彫刻家となると、限られてくる。

それに小林氏も大学の非常勤や老母の見守り等で週に3,4日しか動けない。

今回も今日の午後から28日までの2日半の来訪である。

☆夜は居酒屋で妻と3人での歓迎会。

小林氏にはスケジュールを調整して、もう一度くらい来てもらえそうである。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は454人。

高鍋町は5人。


4月25日(月)

☆午前は曇天。

午後からは雲が切れて晴れる。

朝のうちは冷え込んだが、昼前からは気温が上昇。

☆一日、削岩機と9インチディスクでのアウトライン落とし。

少しずつアウトラインが見えてきた。

☆午後に工具代理店が注文していた削岩機の防振防音カバーの取り替えに来てくれる。

今使っているカバーはもう27年以上も経っているから、劣化でボロボロである。

今回の作業での削岩機使用はもう残り少なくなってきたが、今後のこともあるかもしれないので替えておく。

☆作業を始める前に、修理した作業眼鏡を掛けたら、いきなり視界の焦点が定まらずめまいがしてきた。

片方ずつで見てみると、片方はくっきり見えるのに、片方はぼんやりしか見えない。

眼鏡店がレンズの度数を間違ったのではないかと思い、昼に眼鏡店で点検してもらった。

そうしたら度数には間違いないと判り、交換しなかった方のレンズがもう傷だらけで、交換した新しいレンズとの視界のクリア度の差が生じてしまったと判明。

レンズは両方とも同じ状態にしなければならなかったのだ。

それで、割れなかった傷だらけのレンズも交換してもらうことにした。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は244人。

高鍋町は久しぶりに1人のみ。

西都・児湯圏域も13人に留まった。


4月24日(日)

☆午前まで本格的な雨。

午後には雨脚は止む。

☆一日、体を休めてデスクワーク。

昨日元版を作製していた6月25日のライブのフライヤーを修正。

コンビニでコピーする。

空港展のパンフレットデーターも整理して、事務局へ送付。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は392人。

しかし高鍋町は12人、西都市は15人と再びぶり返してきた。


4月23日(土)

☆一日、本格的な雨。

冷え込む。

☆昨日の作業はそれほど疲れなかったのだが、やはり体へのダメージはかなりのもので、起き抜けは背中がバンバン張って起きるのが辛かった。

今日も午前に整骨院へ電気治療に行く。

☆午後に、6月25日に予定している南町公民館でのライブのフライヤーをイラストレーターで作成。

☆夜は、木城町の”ピムリコ”でのセッションに妻と参加。

何時もは色んな人たちと一緒に演奏するのであまり緊張しないのだが、今夜は参加者が少なく、とても緊張した。

妻の話では、一曲目は私のハーモニカ演奏はずっとズレていたそうだ。

新曲も2曲披露。

2日前に渡されたばかりのフラットが7つある曲は、片貝さんの助言でハーモニカではなく口笛でいきなりジョイントさせられたが、口笛は思ったより巧く乗せられた。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は482人。

高鍋町は4人で、西都・児湯圏域も全体的に落ち着いてきて24人。


4月22日(金)

☆晴天の一日。

午後からは気温が上昇して、Tシャツで作業するが、午後後半からは風が出て冷え込む。

☆昨日の9インチディスク作業がかなりのダメージで、今朝は体がキツくて起きるのが辛かった。

しかし今日も一日中9インチディスクの作業だったが、天候も爽やかだったせいか、昨日ほどのきつさはなかった。

☆つくづくこの作業場所は素敵な処だなと思う。

ホーホケキョが鳴いて、直ぐ傍らには宮田川、宮田川沿いにはJR線が走って電車が通り過ぎる。

広い敷地にはあちこちに鳥たちが虫を求めて飛び交っている。

季節感を感じるのは圧倒的にアンジェラスの森が素晴らしいが、この日当たりの良い解放的で広大な空間は実に気持ちが好い。

この場所は以前は児湯畜連が在り、家畜市場だったところである。

そう言えば中学生だった頃か、家畜市場に引かれていく牛を短歌で詠んだことがあったのを想い出した。

☆眼鏡の修理が終わったので取りに行く。

今日の作業は度の這入っていない作業眼鏡を使った。

ディスク作業は手元の作業なので、むしろ度の這入っていない眼鏡の方がいい。

眼鏡店のご主人が、このフレームはずい分古いものですね、もう27,8年前のデザインですよ、と言われる。

確かに私の作業用眼鏡は石の作業を始めたころに買った、頑丈な金属フレームの眼鏡である。

その当時はフレームの大きい眼鏡が流行っていた。

だから、今の時代に、作業姿で写真を撮ると眼鏡が大きすぎて不恰好で厭なのである。

”今度レンズを換えられるときは、フレームも変えましょう”とご主人。

そうしよう。

おそらく今回のモニュメントの作業で、ハツリ作業に這入ると、撥ねた石片で何度か眼鏡を割るだろう。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は434人。

高鍋町は6人で、西都・児湯圏域は少し落ちついて22人。


4月21日(木)

☆夜明前から雨。

午後は激しく降る。

雨は夕刻までには止む。

冷え込んだ一日。

☆今日は9インチディスクで輪郭を落としていく。

私の使っている180mmグラインダーは日立製で、ボディーが金属製なのですごく重い。

石も硬いので、9インチディスクでのカッテイング作業はグラインダーを持つ左腕への負担が非常に大きい。

削岩機作業の方が全然楽である。

これから先、毎日のようにこの重い負担の大きいグラインダーでの作業をやっていたら、左腕が壊れてしまう。

海外のシンポジウムに参加すると、海外の作家は殆ど9インチのディスクで作業をする。

女性の彫刻家も同じである。

彼女たちはよくぞこんな負担の大きい9インチ作業をこなすものだと、心底驚嘆する。

午後からは雨も激しくなって、テントの際で作業をしていたので、全身ずぶ濡れになってしまった。

☆作業を終えてプレハブの中で帽子を外した時に、メガネのアームが帽子に引っかかって、メガネを激しく床に打ち付けてしまった。

案の定、グラスが割れてしまった。

夕刻に眼鏡店でグラスを注文する。

☆今日は妻のボーカルレッスン日で、土曜日にセッションが有るので私も作業を早めに止めて帰宅し、ハーモニカでジョイントする。

9インチディスクの作業で疲労困憊だったので、呼吸が乱れて、何時もは巧く吹ける曲がミスばかりだった。

新曲がフラットが7つもある曲で、とても片貝さんのピアノに這入っていけなかった。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は511人。

高鍋町は4人。


4月20日(水)

☆晴れ。

空気は冷たく、上衣を着たままの作業となった。

午後は宮崎県内は太陽に日暈がかかっていたようだ。

夕刻からはぐんぐん冷え込む。

☆一日、縁切り部分を9インチディスクと削岩機を使って落として行く。

やはりこの9インチディスクで作業効率がはるかに高くなった。

午後後半に月の右上のアウトラインを落とす。

今日は石の逃げが全く無く、綺麗にストンと落ちてくれた。

こんなに素直に落ちてくれると、とても気持ちが好い。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は570人。

高鍋町は5人だったが、西都・児湯圏域は西都市と川南町の高止まりが続いていて46人。


4月19日(火)

☆午前は今にも雨に成りそうな重い曇天で、冷え込む。

午後から青空が広がる。

まだ空気の芯が冷たく、夕刻からは一気に冷え込む。

☆台湾製の9インチディスクとディスク用クサビでの作業。

縁切りで彫り込んでいた部分をカッティングしていく。

うまく行けば、明日には大きく落とせるかもしれない。

☆空港展事務局の田村から、土曜日に空港展出品作品を制作中にグラインダーで手の指と右脚を撥ねて、縫合手術をしたので制作できない状態となり、空港展の出品を

断念すると言う電話を昨日の夕刻に貰っていた。

木工用の鋭い刃で切ったのかと思ったら、チェーンソーの刃を取りつけたグラインダーだったようだ。

今日はメールで状況を知らせて来たが、救急車で運ばれたと言うことで、見た目にも大きな事故だったのだろう。

私たち彫刻家は常に大事故の起きるリスクを負っている。

私もマレーシアでは左手小指を切断寸前まで傷つけたし、チェコでは大口径が撥ねて顔面を直撃した。

両方とも何針か縫った。

ほんの一瞬の出来事であった。

マレーシアでは人に話しかけられた瞬間だったし、チェコでは肩にアブが止って気を取られた瞬間だった。

今回の私の仕事は長丁場の大きな仕事だ。

注意散漫にならない様に神経を集中して作業しよう。

☆と思いつつ、今日は別に考え事をしていた訳ではないが、削岩機で作業していたらふいに底(裏面)が抜けてしまって、一瞬蒼褪めてしまった。

幸い、裏側のフォルムには影響が無かったが、完全な私のうっかりミスだった。

縁切りして落とした部分に削岩機を入れていたので、穴は浅くてよかったのをすっかり失念してしまっていた。

やはり作業以外のことに気持ちが行っていたのだろう。用心用心。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は481人。

前週より減ってはいるが、まだ直近1週間の10万人当たりの感染者数は全国ワースト3位のままだと言う。

高鍋町は2人で、西都・児湯圏域も30人と落ち着いては来ている。


4月18日(月)

☆一日、曇天。

朝は昨日同様に冷え込み、日中も寒かった。

☆朝一に郵便局で台湾への送金手続き。

年々、マネーロンダリングの問題で手続きが煩雑になっている。

確認事項が大量に在り、その質問に答えなければならない。

送金手続きが完了するのに1時間以上かかった。

手数料も大幅に高くなったし、特に今は円安で最もタイミングが悪い。

今回は送金額が10万円を切ったが、10万円を超える送金だともっと煩雑な手続になると言う。

今はゆうちょダイレクトでネットでも送金できるし、手数料も窓口での半分以下である。

次回からゆうちょダイレクトで送金してみよう。

☆昼前に、リサイクルショップで作業場用の小型冷蔵庫を購入。

☆午後から作業場へ出掛け、購入した台湾製のディスクを使ってみる。

張さんに問い合わせてみたら、水を使わなくても大丈夫と言うことだった。

抜群の切れ味である。

☆先日のスクーピー取材の放送がラジコで聞けることがわかり、スマホで聞く。

前歯が抜けているのでふがふが状態で恥ずかしかったが、放送を聞いた友人やスクーピーのリポーターの話しでは、全然そんなことは感じなかったということで安心した。

そのスクーピーは今日も高鍋町内の取材だったので、作業場に立ち寄ってくれたのだそうだが、私の居ない午前中だったようだ。

☆作業場に、同窓生が顔を出してくれた。

近年、あまり体調が良くないとは言っていたのだが、なんと昨年にがんの手術をして入院治療していたのだと言う。

抗癌治療はかなりきつくて大変だったということ。

廻りの友人たちが次々に病を得て行く。

私も健康管理をしっかりして行かなくては。

☆模型入選していたKAJIMAから、大阪での入選作品展の案内が届いた。

前回はコロナで開催が中止になったが、今回は無事に開催できるようだ。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は295人で久しぶりに先週の人数を下回った。

高鍋町は再び2桁台の10人。


4月17日(日)

☆快晴。

朝はとても冷え込んだ。

日中も外に出ると陽射しが強いが、室内は冷えびえとした。

☆いちにち、ゆったりと体を休める。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は548人。

高鍋町は5人で落ち着いてきた。

西都・児湯圏域もまだ高止まりのところはあるが40人と少し落ち着いてきた。


4月16日(土)

☆雨上がりの快晴。

しかし午後から強風が吹き荒れ、空気の芯も冷たいので冷え込んでくる。

☆起き抜けに背中がかなり強張っているので、午前に2週間ぶりに整骨院で電気治療をしてもらう。

保険適用で310円なので、定期的に治療して体を整えてもらった方がいいだろう。

☆午後は伸びて来た庭の草の除草作業。

☆台湾から届いた包みを開けて見る。

9インチディスクは10枚すべてにフランジの金具が取り付けてある。

そして”抜群の切れ味を発揮します”と日本語で書かれている。

日本輸出用のディスクなのだろうか?

それに注意事項のマークに”Wet cutting”とあるので、日本のように乾式ではなく水を流しながら使わなければならない湿式のようだ。

そう言えば韓国のディスクも水を使わなければ全く切れない。

私は水を使うと、泥が眼鏡にこびりついて眼鏡が使えず、全身びしょぬれで、時々感電するのですごく苦手である。

月曜日に台湾へ振り込もうと思うので、送られたきた銀行口座情報を整理して、抜けている箇所を問い合わせる。

請求金額も台湾ドルだったので、アメリカドルに換算してもらった。

☆石割りセレモニーの、6人で割ってもらう予定だったのが2人目で割れてしまい、次は自分の番だと意気込んでハンマーを構えていた観光協会理事長の前で石が

落ちてしまった爆笑のビデオを、昨日に私のスマホに入れて貰った。

何度見ても可笑しいので、フェイスブックに投稿したら瞬く間に反響があった。

海外作家たちからの爆笑反応が面白い。

自分の前で石が落ちてしまって地団太を踏み、諦めきれずに残ったセリ矢を何度も叩いている理事長の姿がいじらしくて、文句なしに愉快な反応を誘う。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は654人。

高鍋町は4人と落ち着いてきているが、西都・児湯圏域はまだ高止まりのところが多く、54人。


4月15日(金)

☆午前は雲が多いものの概ね晴天。

午後は雲が出て曇天となり、午後半ばから雨となる。

雨は夜には上がる。

☆朝のうちにベニヤ型を高鍋駅の駅員駐車場に運び、組み立てる。

午後から関係者一堂(高鍋町行政、宮崎県土木部、JR、工事業者、観光協会)立ち合いで、原寸大ベニヤ型を使って、モニュメントの駅前ロータリーへの設置状況

(位置、高さ)の打ち合わせ確認と、ロータリー工事について管轄である県とJRとの協議をする。

今日の打ち合わせに基づいて、ロータリーの設計図面の作製に這入る。

☆昨日のスクーピーの放送を聞いていたUMKビデオレターメンバーの中尾氏から取材の依頼があり、ロータリーのベニヤ型作業と制作場所での制作の様子を取材して

くれた。

ラジオを聞いていた中尾氏が、”田中さんは放送禁止用語を喋っていましたよ”と何度も言う。

そんなきわどい会話はしていないはずだがと思ったが、私の作業が芸術家と言うイメージと違って”土方”だ、と言ったことが放送倫理に抵触すると言う。

”土方”が差別用語だなんて、初耳である。

ビデオレターを流すと、映っている人がマスクをしていない、放送禁止用語を喋っている、という視聴者からのクレームが這入るので、彼はこういうことに敏感になって

いるのだと言う。

☆夕刻に、昨日のスクーピー・パーソナリティーの2人に落としてもらった石の、残った下部を落とす。

☆ポルトガルのシンポジウムに招待されているウクライナの彫刻家が、シンポジウム会場での彼女のパネル写真をフェイスブックに投稿して、”私はここにはいない”と

書き添えていた。

”理由は、私が戦争難民だからです”。

彼女の招待が決まったのは、ウクライナ侵攻が起きる前だったのだろう。

同様にトルコのシンポジウム招待作家にロシアとウクライナの彫刻家が含まれているのも、作家選定はウクライナ侵攻前のことだったのだろう。

☆先日記述したバイオリニストのYさんの、その後のフェイスブックでの記述を読むと、ロシア国民がプーチンを圧倒的に支持している理由が明確に述べられていた。

プーチンがウクライナをネオナチと語る理由についても、ウクライナとロシアの歴史的な流れを詳細に述べられていて、プーチンのウクライナ侵攻の正当性が語られていて、

頭の中が混乱してしまう。

やはり私たち日本人が目にしているのは、アメリカサイドの情報ばかりなのか。

何が正義で、何が悪なのか。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は635人で、またも直近1週間の10万人当たりの感染者数は全国ワースト3位であった。

ワースト2位はなんと佐賀県である。

高鍋町は11人だが学校でのクラスターが発生している。


4月14日(木)

☆夜明まで雨。

日中は曇天。

気温は高かったが、空気の芯が冷たく、室内や日陰では肌寒かった。

☆午前は縁切りした部分の落とし作業。

☆午後3時から、MRTラジオ・スクーピーの取材。

生放送は3時40分辺りから5分間程度。

ラジオなので音で現場の様子を伝えたかったので、生放送中に石を割って貰おうと準備をしていた。

しかし5分程度の時間内ではプロジェクトの説明をするのが精いっぱいなので、放送の初めにパーソナリティーの大石さんと私がセリ矢をガンガン叩く音で中継に這入った。

スタジオと視聴者への衝撃度は高かったと思う。

サポートを担っていたもう一人のパーソナリティーの高橋さんが、すごく素晴らしい内容の放送でした、と褒めてくれた。

☆放送後に、大石さんと高橋さんに石を割ってもらった。

2度と出来ない体験だし、末代まで高鍋駅前に建っているモニュメントのあの部分を割ったのよ、と自慢できる。

☆2人とも、彫刻家に取材と言うことで、すごく緊張して来たのだそうだが、まず現場の大きな石と削岩機等の建設現場のような状況に圧倒され、石割りまで体験できて、

とてもリラックスした気持ちに成れたようだ。

私が72歳だということに驚いていた。

ラジオを聞いていた友人からも、声が若々しいというラインが届いた。

楽しい和気あいあいとした取材であった。

☆お昼に台湾へ注文していた9インチのディスクが届いて、ビックリした。

こんなに早く届くとは。

☆今日のスクーピーの取材の画像をフェイスブックに投稿したら、ウクライナの彫刻家ばかりかロシアの彫刻家たちからも”いいね”が届いた。

普通にフェイスブックが見れているのだ・・・。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は684人で、直近1週間の10万人当たりの感染者数は沖縄に次ぐ全国ワースト2位だった。

高鍋町は6人。

西都・児湯圏域は川南町、新富町、西都市が高止まりのままで60人。


4月13日(水)

☆一日、曇天。

夕刻から雨となる。

気温は高めで、Tシャツで過ごす。

☆午前はベニヤ型の補強の続き。

明後日に設置現場に持ち込むので、現場で組み立てが出来るように準備。

午後は削岩機による苦手な縁切り作業。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、過去最多の755人。

河野・宮崎県知事は、来週前半の感染状況を踏まえ、県独自の「感染拡大緊急警報」の延長や、新たな行動要請を行うかなどを来週後半に判断するということ。

先日、高屋温泉に泊まりに行ったのも、再開されたジモ・ミヤ・タビが急激な感染拡大で再び中止される恐れがあるやもしれぬ、と言う判断で急遽出かけたのであった。

高鍋町は11人。

西都・児湯圏域は西都市と新富町が高止まりのままで56人。


4月12日(火)

☆午前中は雨。

午後から一気に雲が晴れて、晴天となる。

午後半ばからは暑くてTシャツで作業する。

☆朝一に西都市の建機リース会社へ出かけ、前金を払ってコンプレッサーのリースを一月延長の手続きをする。

☆一日、削岩機の作業。

午後に妻に制作場所に来てもらい、入口に在る民家の近くで削岩機の音の大きさを感じてもらった。

外に出て庭仕事をしていればバイクをふかすくらいの音がするが、室内に居れば殆ど影響ない音量だろうと言うことであった。

午後に黒木・高鍋町長の表敬訪問。

☆台湾の張さんからの連絡で、9インチディスク10枚をすでに送ったと言うこと。

迅速な対応に感謝。

近いうちに送金手続きをしたい。

☆今朝の宮日文芸欄を見ていたら、短歌の選者の伊藤一彦先生の選評で、先生の選ばれた1首目について、次のように書かれていた。

”一首目。親と子が詠んだ本が共通なのは、親の影響だろうか。いずれにしても、親と子が一冊の本について語りあうのがすばらしい。「塩狩峠」は言うまでもなく

三浦綾子の名作である。3年前だったか私は旭川市の三浦綾子記念館を訪ねたことがあるが、そのスタッフに宮崎県出身の女性が働いていて感動した。”

三浦綾子記念館と言えば、彫刻家仲間の長澤裕子さんの制作した歌碑モニュメントがある。

長澤さんは空港展の懇親会の時に一度お母さんを連れて来られ、その時に伊藤先生とも懇意にされている、当時宮日文化部部長だった和田雅美氏とも親しく

飲まれている。

和田氏はその時の様子を”ひむか時代”というコラムにも書いていただいている。

その旨、私の近況を添えて伊藤先生にメールを送ったら、夕刻にお電話をいただいた。

旭川には、3年前に井上靖記念文化賞を受賞された時に訪れられたと言うこと。

また三浦綾子記念館の宮崎県出身のスタッフは、伊藤先生の高校時代の同級生の娘さんだったと言うこと。

☆連日のウクライナ情勢について、毎日のように”フェイク”という言葉が飛び交っている。

多くのウクライナ市民が戦禍に遭い、さんさんたる状況であることは間違いない。

しかし色んな情報が飛びかい過ぎて、何が真実なのかよく解らない。

私がイランのシンポジウムに参加した時、シリアの親しい友人彫刻家から聞いたシリアの状況は、私が日本で知っていたものとは丸っきり違っていた。

帰国して新聞をめくってみたが、シリアの彫刻家から聞いたシリアの状況について記載された記事は全く無く、日本国内の情報は全てアメリカサイドからの情報に

偏っていることを痛感した。

私たちは湾岸戦争やイラク戦争で、ずっとアメリカが”フェイク”で世界中を騙してきたことを知っている。

私はロシアにも作品が2点あり、ロシアで出会った人たちは皆さん大陸的でおおらかな人たちばかりであった。

そこへ最近になって、これまでに出て来なかったロシアとウクライナの関係を明確に述べる記事がネットで出てきた。

また長年ロシアに滞在されていて行橋市でお会いしたバイオリニストのYさんも、フェイブックで私たちの全く分からないロシアとウクライナの関係について述べ

られている。

Yさんもインタビューを受けられたそうだが、アメリカ寄りの内容ではなかったので採用されなかったと言うことである。

今日はトルコで開催される国際彫刻シンポジウムに、ロシアとウクライナの彫刻家が招待されるフェイスブックの告知記事があった。

毎日のようにロシア侵攻への怒りをフェイスブックに投稿している友人のウクライナ彫刻家も、ポルトガルの彫刻シンポジウムに招待されている。

何が何だかよく解らない。

単純にウクライナを救え、ロシアを憎めとは言いづらい。

☆週の初めだというのに、今日はひどく疲れてしまった。

今夜は妻が会合で不在だったので、独りで夕食を摂ったが、食事も酒も不味くて、ぐったりと成ってしまった。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は571人。

直近1週間の人口10万人当たりの新規感染者数は、沖縄・東京に次いで全国ワースト3位であった。

河野・宮崎県知事は、「過去最悪の感染状況にある」との認識を示した。

状況によっては、再び強い対策も考える必要がある、と述べている。

高鍋町は6人で、西都・児湯圏域は全ての市町に感染者が出て37人。


4月11日(月)

☆朝のうちから雨。

雨は本格的に一日中降る。

晴れた日ほどの冷え込みはなし。

☆午前はベニヤ型の補強の続き。

☆午後は削岩機とルートハンマー作業。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は329人。

昨日が医療機関が休みだったので、月曜日での感染者発表数は過去最多。

高鍋町は10人。

西都・児湯圏域は全市町に感染者が出て43人。


4月10日(日)

☆晴れ。

朝夕はまだ肌寒い。

空気の芯が冷たいので、外に出ると暑いが、室内ではまだ肌寒い。

☆露天風呂で朝風呂を浴びる。

高屋温泉の若女将の話では、道路沿いに在った看板は、法律が変わったとかで3年前に国土交通省から撤去命令が出たのだと言う。

☆朝食を摂った後にチェックアウト。

昨夜の宿泊は私たち夫婦だけだったようだ。

昨夜の鯉のアライの食感が蘇って来て、ちょっと気分が悪い。

食事の量が多くて、私も妻も一日胃が重かった。

☆午前はモニュメントのベニヤ型に杉胴縁で補強をする。

明日から雨の予報なので、分割してプレハブ倉庫に収める。

☆午後3時から、高鍋町美術館で高鍋高校OB美術展の搬出。

芳名録を見ると、宮崎市あたりから結構な方たちが来られている。

事務局の報告だと240名の来場だったと言うこと。

コロナ禍の状況で、これほどの来場者があったとは驚きである。

☆美術館から帰って、散髪へ行く。

理髪店のご主人の話では、彼もUMKテレビで石割り儀式のハプニング映像を観たと言う。

そして、やはり彼も鯉料理は泥臭くて食べられないと言うこと。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は493人。

高鍋町は8人で、あっという間に累計者数が712人となった。

この勢いだと、高鍋町の感染者は累計1,000人に達してしまう。

西都・児湯圏域は西都市と新富町が高止まりのままで66人。


4月9日(土)

☆晴れ。

陽射しは強いが、まだ空気は冷たい。

☆起き抜けが辛い。今週の後半の作業はハードな作業は無かったが、やはり体に堪えているようだ。

☆午前に原寸大ベニヤ型の切り抜きを終える。

☆今夜は西都市の高屋温泉へ妻と出かける。

道中の田植えの終った水田が美しくて、ついわき見運転でセンタ―ラインを踏んでしまった。

☆高屋温泉は都於郡(とのこおり)の入口に在り、以前は道沿いに看板が在ったのだが、今日は看板が見当たらず、都於郡小まで行ってしまって、スマホのナビで

引き返した。

高屋温泉にはずっと昔に一度来て入浴して食事を摂った記憶はあるのだが、宿泊するのは初めてである。

露天風呂のある離れに宿泊した。

ひなびた感じのなかなか感じの好い温泉である。

スマホで口コミを読むと、とても評価の高い温泉宿である。

☆高屋温泉のすぐ裏手に都於郡城址があり、伊東藩の時代は武将たちがこの温泉で傷を癒していたと言う。

私がブロンズ像を制作した伊東マンショはこの都於郡城で生まれ育ち、マンショもこの高屋温泉の泉水を飲んでいたらしい。

高屋温泉は昭和11年に湯治場としての温泉場として営業を始めたそうである。

☆料理はまずまず。

高屋温泉は鯉料理が有名なので、鯉が出て来るのは覚悟していたが、実は私は鯉料理が大の苦手なのである。

分かっていて来たので、覚悟して食す。

露店風呂は風情があって良かった。

湯船には桜の花弁が浮かび、廻りの林からはホーホケキョが鳴く。

これまでの疲れをいやす。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は609人。

高鍋町は5人で落ち着いているが、西都・児湯圏域は西都市と新富町が多く、69人となった。


4月8日(金)

☆晴れ。

快晴だが、春霞のかかった状態。

陽射しは強いが、今日はTシャツでは寒かった。

夕暮れからは肌寒くなる。

☆一日、ベニヤ原寸型作成。

午前に10cm方眼線を入れ、午後にフォルムの墨入れ。

夕刻にカッティング開始。

音の出ない作業なので、残りは明日に廻す。

関係者からの連絡で、近いうちに設置場所のデザインについて関係者がそろって打合せ、図面を引いてもらいたいと言うので、タイミングよくこのベニヤ原寸型を

設置現場に建てて具体的なイメージでの打ち合わせが出来る。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、過去最多の612人。

10万人当たりの感染者数で、全国ワースト4位という驚異的な数字だ。

春の移動時期で若い世代の感染が多い。

宮崎県では、今月末からの大型連休で1日1,000人を超える恐れも指摘している。


4月7日(木)

☆晴れ。

陽射しは強く、気温は宮崎市では26度まで上がったが、空気の芯がまだ冷えているためか、体感的にはそれ程の暑さは感じなかった。

やはり作業場は海からの風が冷たく、午前はジャンパーが必要だった。

午後後半は次第に暑くなってTシャツで作業する。

☆朝一に、宮崎県の事業者緊急支援金の提出書類を纏めて、投函。

郵便局の対応では、翌日配達が廃止になったので、今日の投函では土・日を挟むので月曜配達になるという。

町内の商工会議所に送る書類が5日もかかるなんて!

☆午前は削岩機とディスクによる粗落とし作業。

☆午後に工具の代理店が、残りのディスクを持って来てくれた。

削岩機の防音カバーがもうボロボロだし、ルートハンマーのインサートビットも折れたので手配を依頼する。

これらは見積もりの中で全く抜けていたものである。

☆午後はベニヤの原寸型の作成にかかる。

粗落とし作業で輪郭を落としてしまう前にベニヤ型を作っておかないと、広い面積のベニヤ板を拡げる場所が無い。

ところがホームセンターにベニヤ板を買いに行くと、殆ど在庫が無い上に、価格が信じられない高額になっている。

薄いベニヤ板とコンパネの価格があまり変わらないのだ。

従業員に聞くと、木材の価格が高騰しているのだと言う。

プレハブの補修にベニヤ板を買った時にも余りの金額にビックリしたので、それはウクライナ侵攻の前だったので、木材の高騰はウクライナ侵攻とは関係ない。

☆張さんからの連絡で、台湾では2社が9インチの花崗岩用のディスクを製造販売しているということで、価格も納得のものだった。

ただ一社は海外への販売はしないということなので、結果的にもう一社のディスクしか買えない。

☆夕刻に同窓生が掘りたてのタケノコを持って来てくれた。

さっそくスーパーに行くと、先日まで山積みにしてあったタケノコの灰汁取り用の糠と油揚げが全く姿を消している。

みんな、考えることは同じなのだ。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は563人で、2日連続の500人台。

西都・児湯圏域では新富町と西都市で大きなクラスターが発生して、63人。

高鍋町は8人。

もはやコロナは感染力の強い風邪の一種となったのではないのか。

私たちでも、ひょっとすると症状が出ていないだけで、PCR検査をすると陽性になる可能性も充分にある。


4月6日(水)

☆快晴。

陽射しは強く、外気温も高いのだが、作業場のテントの中はとても風が冷たく、今日もジャンパーを着込まねばならなかった。

作業場が海岸沿いの防風林のすぐ裏なので、海風が冷たいのかもしれない。

☆一日、削岩機の粗落とし作業。

遅々たる作業。

神事を担当していただいた神官さんが、進捗状況を見に来てくれた。

☆ウクライナの230mmダイヤディスクを毎日使っているので、もうかなり摩耗してきた。

日本ではグラインダーは180mmまでのものしか製造販売されていないので、ディスクも180mmまでのものしか販売されていない。

ふっと、そう言えば台湾では230mmの花崗岩用のディスクが販売されている筈だ、と気が付いた。

早速、これまで何度か道具を送ってもらっている張さんに打診してみたら、良く切れるメーカーの物が在るという返事が返ってきた。

工具店の社長に送料込みの価格を調べてもらうことにした。

ウクライナ侵攻が始まって円安が続いている。

海外での報酬受け取りの場合は円安が助かるが、海外からの輸入支払いには円安は相当にダメージが大きい。

☆高鍋町美術館で開催中の高鍋高校OB美術展を観に行ってくれた友人から、撮影禁止だったと言うラインが届いた。

これまでにも、他の個人レベルでの展示なのに何故撮影禁止なのだというクレームをいただいたりしたことが有るので、一度学芸員の青井さんとこの件について話した

ことがある。

しかしコロナ禍で美術館連絡協議会が開催されていないので、美術館としての対応の話し合いが出来ていない。

だが今は殆どの人がスマホ片手に美術展に出掛ける時代だし、多くの展覧会が撮影OKの表示をするようになっている。

ひと昔前の著作権侵害になるカメラでの撮影禁止と、気軽なスマホでの撮影とではすでに問題の対応が全く違ってきている状況である。

韓国の美術館ではカメラでの撮影は厳禁だが、スマホでの撮影は何の制限も無い。

それで、高鍋町美術館としても、あらかじめ主催者と写真撮影の可否について打ち合わせておく対応をしてもらうことになった。

高鍋高校OB美術展の事務局も、ただちに出品者全員に撮影許可の承諾を得てもらい、今日から撮影OKになった。

次回から出品申し込み票に、撮影可否の欄を加えて貰うことになった。

☆ちょっといい風景を目にした。

我が家の近くにある桜満開のタウンコートのポケットパークで、桜を愛でながら樹下の彫刻の表情を見詰めて写真を撮っている若い女性が居た。

ああ、こんな風に町の中の彫刻が愛されているのだ、と嬉しくなった。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、過去最大の584人となった。

もはや完全にコロナとの共存を目指さなければならない局面になって来た。

それで宮崎県も、これまでのような性急な飲食店の時短営業を求めることはせず、ジモミヤダビも継続する方針を打ち出した。

感染予防対策を守りながら、社会経済活動を維持する方向に舵を切った。


4月5日(火)

☆晴れ。

午後からは薄雲がかかってくる。

陽射しは強いが、空気が冷たく、今日も作業場ではジャンパーを着ないと寒かった。

☆削岩機による粗落とし作業。

苦手な縁切り作業で、遅々たる進み具合。

しかし丁寧に作業しておかないと、思わぬ欠損が起きてしまう。

☆午前に宮日新聞高鍋支局の取材。

先日の神事と石割りセレモニーの時に取材の予定だったが、石割りが想定外にあっけなく割れてしまって、支局長は写真を撮る暇が無かったので、あらためて

作業中の写真を撮っての取材となった。

☆錆び止めの補修をしてもらっていた軽トラの作業が終わったので、午後に取りに行く。

見苦しかった屋根の赤錆が無くなり、見違えるように綺麗になった。

その足で宮崎市まで走り、ホームセンターでエアーホースのカップラーを調達する。

ルートハンマー用のホースのカップラーが壊れてしまったので、高鍋町内のホームセンターを廻ったのだが、ホースの径が大きいので高鍋町内では売っていなかった。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は446人。

河野・宮崎県知事は「県内は第7波に突入した」との認識を示した。

高鍋町は8人で、西都・児湯圏域は35人の高止まり。


4月4日(月)

☆快晴。

陽射しは強いが、空気の芯が冷たいので、室内や日陰では冷え込む。

作業中もテントの中では寒くてジャンパーを着る。

☆削岩機とルートハンマーによる粗落とし作業の再開。

腰痛の悪化を懸念したが、腰ベルトを着用して作業したらとても楽だった。

電気治療の効果もあるのだろう。

歯茎の痛みもほとんどなくなって、体調は回復。

☆プレハブの中の電気があれこれやっても通じない。

今日は作業場の道向いの畑で電気工事をやってもらった設備会社の社員たちが畑仕事をしていたので、プレハブの電気配線を点検してもらった。

そうしたら結線の間違いをしていたことがわかって、無事に電気が通じた。

これから暑くなって来ると、冷蔵庫が必要になって来る。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は300人。

高鍋町は9人で、累計感染者が671人になった。

今の勢いだと2,3日で累計700人になる。


4月3日(日)

☆午前は雲の多い晴れ。

午後は快晴となる。

空気が花冷えで芯から冷たい。

☆午前のうちに妻と宮崎市へ出て、宮崎キネマ館で上映中の第94回アカデミー賞受賞作の「CODA あいのうた」を観る。

受賞直後だし、日曜日なので満席かと思ったが、ガラガラの入場者でくつろいで観る事が出来た。

宮崎キネマは”カリーノ”の駐車場に在り、車を映画館のすぐ隣に止める事が出来てとても便利である。

☆「CODA あいのうた」は明快な内容の映画で、とても分かり易い映画の大道のような感動的な映画であった。

とりたてて新しい試みも無い映画で、昔からあったアメリカらしいヒューマンな内容で、あんがい人々はこういうジーンとくる物語を求めているのだろう。

☆私にとっては映画の内容以上に興味を持ったのが、映画の中の海辺の風景、若い二人が泳ぐ山の中の岩場の池の情景が、私が滞在したメイン州の風景とよく

似ていて、とても懐かしかった。

帰宅してロケ地を調べると、マサチューセッツ州のグロスターという海辺の町で、地図を見るとメイン州の私の彫刻の設置されているブルー・ヒルからそれほど遠くない

同じ海岸線であった。

メイン州は、ボストンやニューヨークの街の創生期に建築材の白御影石を産出していたところで、海岸沿いの山中には古い採石場の跡が至る所に在る。

そうした採石場の跡はおおむね水が溜まって、池になっている。

映画の中で若い二人が泳いでいた岩場の池もそうした採石場の跡だろう。

☆久しぶりにグーグル・アースでブルー・ヒルの私の作品の設置場所を見てみた。

以前よりも鮮明な写真になっていて、また新しい私の作品画像が投稿してあった。

彫刻の廻りには雑草も無く、とても周囲の環境が美しく手入れされているのがわかり、凄く嬉しかった。

その画像をフェイスブックに投稿したら、チェコのマーチンから、チェコの私の作品もグーグル・アースに新しい画像が投稿されていると、写真を送ってきた。

今の時代は、こうして私の海外に設置した作品の今の状態が、鮮明にネットで確認できるようになった。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は399人。

日曜日の感染者数としては過去最多と言うことである。

高鍋町は14人で、西都・児湯圏域は36人という高止まりである。


4月2日(土)

☆午前は快晴。

午後は春霞のような薄雲がかかる。

空気は冷たく、気温は上がらず。

☆今日は我が家が大火に遭って59年目。

☆起き抜けに腰が痛く、なかなか起きれなかった。

来週からまた作業に這入るので、整骨院へ行く。

肩の凝りは削岩機作業に因る腕の疲労から来ているのだと言う。

整骨院の院長は私のことをご存知なので、私が作業できなくなると高鍋町の大きな損失だから・・・、と考え込まれて、思い切って強力な治療をしましょう、と言われる。

ただ、この治療は体力をかなり消耗するので心配なのですが、田中さんなら大丈夫かな?

滅多に行わない治療なんです、普段は電気治療のパッドが8個なんですが、この治療は12個使います。

ということで、強烈なパッド12個の電気治療を受ける。

幸い、体力の極度な消耗は無かった。

そのあと、腰の手マッサージを入念にしてもらった。

次は異変を感じた時に来ればよい、ということ。

おかげでかなり楽になった。

☆腰のマッサージ中に、軽トラの修理を頼んでいる修理工場から電話が入り、錆びの腐食がかなり深く、修理に時間がかかると言うこと。

☆帰宅すると、丁度、工具の代理店が注文していた消耗工具品を持って来てくれていた。

☆夜に、お風呂から上がって体を拭いている時に、バキバキと異様な音。

隣の消防機庫で何か作業をしているのかと思ったが、消防機庫に灯りは点いていない。

するとリビングから妻の叫び声。

”地震!地震!”

日向灘が震源の地震で、高鍋町は震度2。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は448人という、過去で3案番目の多さであった。

高鍋町は教育・保育施設でのクラスターが発生し、16人であった。

高鍋町は一気に累計649人となり、直ぐに累計700人に達してしまうのではないのか。


4月1日(金)

☆快晴の一日。

午前中は穏やかな気候だったが、昼前から強風が吹き荒れて次第に冷え込む。

☆朝、まったく体が動かず、起きる事が出来なかった。

一気に疲れが出てきてしまったようだ。

気持は若いつもりだが、やはり肉体的には後期高齢者だ。

こういう時は、インド旅行中の黄疸で身動きできなくなってしまった症状に陥ってしまう。

モニュメントの制作は長丁場なので出来るだけ無理は避けたい。

今日の作業は休む。

☆ようやく起きてリビングに降りると、妻が長年愛用していたコーヒーメーカーのポットを落として割ってしまっていた。

お互いに用心しないと。

☆朝一に、軽トラを修理に出す。

運転席の屋根の赤さびがひどいので手入れをしてもらうことしていた。

☆昼前から強風が吹き荒れて来て、作業場のテントが心配になってきた。

先日にテントを移動した時に鉄杭に固定してあった結束番線を外して作業し、元に戻した時に結束番線がうまく巻けなかった。

それで午後にホームセンターで結束番線を買って、シノでテントの支柱と鉄杭を締め直す。

☆午後3時から、高鍋町美術館で第21回高鍋高校OB美術展の搬入と展示作業。

作業しながら皆と会話をしていたら、体がフラフラ状態だったことを忘れてしまっていた。

☆しかし夕食時には再びフラフラ状態で、早目に床に就く。

歯茎の方は幸いにも殆ど痛みが無くなってきた。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は394人。

高鍋町も12人とまた感染が拡大して来ている。


3月31日(木)

☆午前は快晴。

午後からは雨。

夕刻には激しく降る。

☆昨夜はグッスリ眠れたが、やはり背中がパンパンに強張っている。

☆一日、削岩機とルートハンマーによる粗落とし。

☆午後早々に教え子からラインが届いた。

お昼にUMKテレビの”タレコミ情報”というコーナーで、”高鍋駅のモニュメントの、石割りのお披露目神事”で珍事がテレビに投稿され、田中先生?が映っていました。”

という。

他の教え子たちからも”見た”というコメントが続いた。

”珍事”と言うのは、石割りの儀式で関係者6人に割って貰うつもりが、2人目の町長の番であっけなく割れてしまい、3番目の予定だった前田・観光協会理事長が

地団太を踏んで悔しがった映像である。

大爆笑の石割りセレモニーだったので、当日に参加された方があまりにも愉快な映像なので、投稿されたらしい。

これで教え子たちに私の今の状況が伝わったので、近いうちに現場に遊びに来てくれることになった。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は391人。

完全なリバウンドである。

若い人たちの感染が多くなっているようだ。

高鍋町は5人。

西都・児湯圏域は24人。


3月30日(水)

☆午前は曇天。

昼から雨となる。

雨は午後半ばには上がり、夕刻には青空が広がる。

いちにち、冷え込む。

☆昨夜は痛み止めの薬を飲んで床に就いたが、まったく効力が無く、一晩中歯茎の痛みで眠れなかった。

☆削岩機とルートハンマーの粗落とし作業。

午後に記録映像を撮ってもらっているキャリア教育の森さんが来られた。

森さんも削岩機に因る彫刻制作を見るのは生れて初めてで、びっくりされていた。

森さんには適時、来て貰って撮影していただく。

☆今夜の夕食は硬い物を避け、歯茎に当たらない様にしてなんとか完食する。

昨夜はほとんど寝て居ないので、ハーモニカの練習の後は直ぐに床に就く。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は383人。

350人を超えるのは54日ぶりだと言う。

春休みに入って人の動きが活発になり、さらに増えていくのだろう。

高鍋町は7人。

西都・児湯圏域も全ての市町に感染者が出て34人。


3月29日(火)

☆一日雨。

午後は小雨程度になる。

気温は上がらず、真冬なみの冷え込み。

☆朝一に、先日胃カメラの検査をした医院へ、ピロリ菌の検査結果を聞きに行く。

結果は陰性でピロリ菌の心配はない、と言うこと。

妻が以前にピロリ菌の検査で陽性となり、治療のために1週間禁酒をして、私も禁酒に付き合わされた。

妻の話では井戸水を飲んでいた人には殆どピロリ菌がいるという担当医からの説明だったらしく、なぜ私が陰性なのかと悔しがっていた。

☆修理に出していたリフトの修理が終わったので、運輸会社に作業場まで運んでもらった。

これで削岩機で落とした重い石の移動が出来るようになった。

☆一日、削岩機とルートハンマーによる粗落とし作業。

☆今夜も歯茎の痛みでなかなか夕食の咀嚼が出来なかった。

今夜は料理がとても美味しくできたので、最初のうちは勢いよく口に運んでいたのだが、途中から次第に咀嚼するのが困難になってきた。

無理して完食すると、歯茎の痛みが耐え難いほどになり、痛みが治まらなくなった。

首筋がギンギンに張っている。

整骨院で腰の張りを取って貰わないと大変だ。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は312人。

やはりこの桜の時期の好天で、人の動きが活発になったのだろう。

300人を超したのは26日ぶりだと言う。

全国的に先週よりも感染者が拡大して来ている。

宮崎県は、この高止まりを受けて感染拡大警報期間を来月24日まで延長すると発表した。


3月28日(月)

☆一日、曇天。

午前のうちは時折り薄日も射したが、午後からは今にも雨に成りそうな重い曇天となり冷え込んでくる。

☆一夜明けたら、我が家の桜はもう葉桜の雰囲気になってしまっていた。

☆一日、モニュメント制作。

削岩機とルートハンマーによる粗落とし作業。

☆ネットでルートハンマーのロッドの値段を調べてみたら、やはりビックリする値段だった。

見積に入れておかなかったのは大きなミスだった。

他にも見積もり計算に入れ忘れていた工具類がいくつかある。

☆先日から片頭痛や歯の痛みが出始めた。

今夜はとうとう夕食の咀嚼が出来ず、ワインとチーズで済ませた。

原因は削岩機使用による腰の張りからくる強度の肩こりだ。

夕食後はハーモニカの練習をする気分にもなれず、マーサージ機で筋肉を揉みほぐしながら爆睡してしまった。

無理をせずに、ゆっくり作業を進めよう。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、昨日が日曜日だったにもかかわらず184人。

高鍋町は5人だったが、西都・児湯圏域は高止りのままで27人。

第6波は収束しないまま、第7波に入っているのではないのだろうか。


3月27日(日)

☆暖かい春日和。

☆気持の好い気候なので、午前に妻と西都原へ満開の桜と菜の花を見に行く。

穏やかで長閑な美しい情景に幸せを感じる。

いつまでもこの日常の幸福感が続いて欲しいとつくづく思う。

西都市もコロナ感染者が連日高止まりなので、長居せず、直ぐに帰る。

☆今年は我が家も桜の花弁が大きく、これまでで最も華やかである。

それで今夜は我が家の桜を見ながら夕食を摂ることにして、午後にテーブルや椅子を準備する。

昔だったら、直ぐにビールを泡立てて真昼間から心地よい酔いに浸っていたのだが、今は車でちょっと出る事が多いので昼から飲むことはなくなった。

しかしとても気持ちが良いので、スケッチブックを持って来て春風のそよぎの中でアイデアスケッチをする。

☆夜はワインと自家製のピザを用意して、妻と花見をしながら飲む。

我が家は町の中心部なのだが、庭は自宅と工房倉庫に挟まれているし、西側は金物店の倉庫、東側は消防機庫、道向いは住人の居ないアパートと売りに出ている家で、

音を出してもどこにも迷惑を掛けない。

それでワイヤレススピーカーでジャズを流しながら、妻と幸福な時間を過ごす。

風も全く無くて冷え込みは無く、ワインもピザもとても美味しかった。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は204人と高止まりのまま。

多分、今日の陽気でみんな野に出て会食をしたりしているので、来週にはもっと感染者が拡大するのではないのだろうか。

高鍋町は5人で、西都・児湯圏域も20人という高止まりのまま。

もうすでに第7波に入っているのではないのだろうか。


3月26日(土)

☆午前中は本格的な雨。

午後には雨も上がり、青空が拡がる。

☆日中はデスクワーク。

☆夕刻から妻と宮崎市へ出て、ギャラリーカフェ”風の庵”での片貝晴美さんのソロライブへ。

片貝さんは妻のボーカルレッスンの講師。

コロナ禍に這入って、ミュージシャンの皆さんはずっと演奏活動を制限されてきた。

片貝さんにとっては2年ぶりのソロライブで、コロナとの共存を目指して一歩踏み出された。

片貝さんにとっては、ようやくソロライブが実現したことで胸の詰まる思いだったようだ。

昨年リリースされたCDの収録曲を中心に歌われた。

☆ギャラリーで何人かの方に声を掛けられたが、全く心当たりがない。

しかし、皆さんは二人展や南町公民館でのライブに来て下さった方たちで、マスクを掛けた姿でしかお会いしていないので全く記憶に残っておらず、失礼をした。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は218人。

西都・児湯圏域は今日も全市町で感染者が出て、27人。

高鍋町は5人で、累計599人となった。


3月25日(金)

☆午前は晴天。

午後からは雲が出て曇天となる。

まだ空気が冷たく、ジャンパーを脱ぐのが精いっぱい。

☆ここ数年咲かなかった我が家の桃の花が何輪も開いていて、妻がびっくりしている。

桜も今年は花弁が大きく、今までで一番華やかに咲いている。

先日の白アリ防止工事で、この桃と藤の根っこに白アリが巣食っていると言われて薬剤を散布してもらった効果だろうか。

☆一日、削岩機作業。

テントを移動して削岩機の邪魔にならないようにして作業する。

先日の石割りセレモニーで、このモニュメント事業の主体者である観光協会の前田理事長が自分の番に廻って来る直前で石があっけなく割れてしまい、石割り体験が

出来なくて地団太を踏んで悔しがっておられた。

それで今日は比較的大きな部分を落とすので、夕刻に前田理事長に会場に来て貰って石を割ってもらった。

実際はなかなか大変な体力の要る石割りを体験されて、大満足していただけた。

☆お昼にフェイスブック友だちのKさんが差し入れを持って表敬訪問された。

アート大好きな方だが、彼女はこういう彫刻制作の現場を観るのは生れて初めての体験で、とても感激されていた。

☆ルートハンマー作業中にロッドが折れた。

そう言えば、削岩機作業とルートハンマー作業ではよくロッドが折れるのを思い出した。

うっかり見積もりの消耗品に入れていなかった。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、またもぶり返して254人。

西都・児湯圏域も全ての市町に感染者が出て35人。

一向に収まらない。


3月24日(木)

☆快晴。

午前はまだ真冬の冷たさだったが、午後からは強い陽射しで気温が上昇。

それでも空気は冷たくて、ジャンパーを脱ぐ程度。

☆夜中に久し振りに右足のスネが攣る。

耐え難い激痛だが対処方法は会得しているので、ベッドの縁に腰かけて治まるのを待つ。

削岩機の作業で腰と背中がパンパンに張って来ている。

☆一日、粗落とし作業。

遅々として進まず。

明日は、テントを動かして、削岩機の作業がやり易いようにしないと作業が進まない。

☆石販会社からの連絡で、中国はコロナ感染が再拡大して来て、ついに石材の集積地の厦門、泉州等の地区がロックダウンになり、今週の月曜日から石の工場は

操業停止となったということ。

再開はコロナ感染者が少なくなってからとのこと。

コロナ再拡大で石の単価も上昇し、ウクライナへのロシア侵攻で船も動かなくなり、状況的に最悪の状態になって来ているようだ。

昨暮れに損壊したあかりオブジェの石を発注しなければならないのだが、非常に厳しい状況になって来ている。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は193人。

高鍋町は6人だが、西都・児湯圏域は全ての市町に感染者があり32人。


3月23日(水)

☆午前は曇り。

午後からは雨となる。

空気がとても冷たく、真冬の寒さ。

☆一日制作。

削岩機で縁切り作業(削岩機で溝を彫って行く作業)。

縁切り作業自体が苦手で大変な作業なのに、丁度テントの梁の支柱の真下なので、悪戦苦闘となった。

無理して作業すると胸が苦しくなってしまう。

午後から、ウクライナのシンポジウムの時に支給された230mmのディスクを180mmの日立グラインダーで使ってみた。

ウクライナは御影石用の石のダイヤモンド工具がとても優れている。

日本のダイヤモンド工具も世界一優れているが、日本には230mmのディスクは製造・販売されていない。

日本では最大180mmのディスクしか販売されていなくて、しかもフランジスタイル(ディスクを止める金具がディスクから出ず、フラットにグラインダーに

取り付けられる)のものがないので、日本のディスクでは切込みが浅くて大きな作品にはあまり役に立たない。

縁切りがうまく行かない部分は、このウクライナのディスクとディスク用クサビで落として行こう。

☆夕刻に、制作場所の近所に住む同窓生が、大潮の午後に採った牡蠣のむき身を持って来てくれた。

制作会場の大雨時の冠水の心配について、近所の公民館長に問い合わせてもらったら、意外と川が氾濫することは無くて、水が出ることは滅多にないと言うこと。

彼は中学校の同窓会の事務局をやってもらっているのだが、今の状況では古希の同窓会開催は無理だと言うことになった。

☆夕食は早速、牡蠣飯を作った。

春の磯の香りに、大満足。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、3連休明けなので懸念されていた通りに281人の大台に戻った。

高鍋町は9人(累計583人!あと数日で600人!!!)、川南町が11人で、西都・児湯圏域は29人。

さらにオミクロン「BA・2」が宮崎県内で初確認され、しかも一気に県内広範囲で13人も確認された。

河野・宮崎県知事は「第7波の入口が見えつつある」との認識を述べた。


3月22日(火)

☆朝のうちは強い雨。

10時くらいから急に陽が射して、雨は上がる。

午後からは強風が吹き荒れて冷え込む。

☆朝一に、うちぬき21の白木さんからの電話で、今回のプロジェクトにクラウドファンディングを使うので、リターンの内容について教えて欲しいと言う問い合わせ。

それで資料を揃えて、添付ファイルで送る。

☆デスクワークを終えて制作場所に出掛けたのはもう10時を廻っていた。

今日は電気工事とテント張りの予定だったので早く出かけたかったのだが、既に電気工事は終り業者は居なかった。

テントも既に2張が張ってあり、風で飛ばない様にきちんと支柱を鉄杭で止める作業中だった。

手伝えなくて申し訳なかった。

午前は石頭(ハンマー)に柄を取りつける作業と、鉄工所に作ってもらった角当てにウレタンゴムをビス止めする作業。

☆午後は電気が使える様になったので、ルートハンマーと削岩機のビットを砥石で研いで、粗落とし作業をする。

石の厚みがあり、枕材も大きいので、削岩機がテントの梁の支柱に当たる。

しかしこうした作業は慣れているので、うまくかわしながら作業する。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、昨日が祭日だったので64日ぶりに100人を切って88人。

高鍋町は3人だったが、西都・児湯圏域では公立学校でクラスターが発生している。

今回の第6波は、保育園や小・中学校のクラスターが多発している。

中には、1つの保育園で3度もクラスターが発生しているところもあるという。


3月21日(祝・月)

☆朝のうちまで雨。

午前には雨脚が止ったが、午後からは再び雨模様となり、夕刻からは本格的な雨となる。

気温は上がらず、ほぼ冬に逆戻りの寒さ。

☆午前に妻と日向市へ出向き、妻の実家の墓参。

墓地に着く前には雨も上がり、薄日が差す。

日向市もコロナのクラスターが続いているので、義姉宅には寄らず、細島港でパンを買って昼には高鍋に帰る。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、昨日が日曜日だったので120人。

高鍋町は1人だったが、西都・児湯圏域は相変わらず全ての市町に感染者が出て15人。


3月20日(日)

☆午前は晴れ。

午後から曇って来て、夜には雨となる。

気温は冬に逆戻りして冷え込む。

☆午前に墓参。

明日の彼岸は雨の予報なので、墓参は今日のうちに済ませたが、やはり同じ思いの人たちが多く、墓地に隣接した花屋さんはお客がひっきりなしだった。

☆午後は妻と宮崎市へ出て、宮崎キネマ館で話題の”ドライブ・マイ・カー”を観る。

宮崎キネマ館はカリーノの駐車場の中にあり、まるで祭りのときのテント小屋での映画上映のような空間だった。

客席も少なく、三連休の中日なので満席であった。

映画自体はすごく地味な内容だが、世界各国で受賞しているのは村上春樹の原作と言うことと、日本語、韓国語、北京語、韓国手話がそのままの語りで上演される

チェーホフ原作の舞台が今日的なテーマに添っているからかなと感じた。

私は近年はテレビも映画も全く見ない生活を送っているので、主役の西島秀俊は初めて知った俳優だが、今の日本にこんなに素晴らしい俳優が居るのかと言う驚きも

あった。

淡々とした描写が深い余韻を与えているのだろう。

妻は原作の短編小説”ドライブ・マイ・カー”が収められた「女のいない男たち」を読んでいる。

映画はこの「女のいない男たち」の他の短編作品からもストーリーが組み込まれて、映画独自の物語になっているようだ。

☆Kochmarの妻のTanyaが、近影の本人の画像をフェイスブックにアップしていた。

その画像を私のフェイスブックに投稿したら、直ぐにKochmarから”いいね”が届いた。

Kochmar自身からは何のメッセージも無いが、戦場の只中に在って、フェイスブックをチェックするのが精一杯なのだろう。

というよりも、ウクライナ国内に居て個人情報を発信することは身を晒すことになり、出来ないことだ。

ネットの情報では、ウクライナでは一般人の男性たちに徴兵の召集令状が届くようになっていると言う。

戦争が長引けば、Kochmarも銃を持たねばならなくなるかもしれない。

☆今日宮崎のコロナ新規感染者は161人。

高鍋町は3人だったが、西都・児湯圏域では2件の友人間によるクラスターが発生している。


3月19日(土)

☆雨上がりの快晴。

気温は上がらず、午後からは強風が吹き荒れてさらに冷え込む。

宮崎市では昨日に桜の開花宣言が出されたが、我が家の桜も昨日の雨で一気に開き始めた。

☆午前は作業場で、機械を使わない作業。

作業場の入口には民家が3軒ほどあり、長丁場の作業なのでクレームが出ないように土・日・祝は機械音のしない作業に努めるが、今日のような雨上がりの気持ちの

好い日には作業しないのがあまりに勿体なくて、体がウズウズする。

しかし民家の庭から私をじーっと見詰めているオジサンが居たので、クレームが出ないように配慮したい。

今のところ、削岩機の石粉は民家にも太陽光パネルにも全く届かない。

作業場のプレハブ倉庫も軽トラの窓も全開しているが、石粉は這入ってこない。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は246人。

西都・児湯圏域は高鍋町が16人(累計567人)で、今日も全市町に感染者が出て33人という高止まりのままである。

しかし、西都・児湯圏域ではクラスターは出ていない。

この3連休で、また一気に増えるのではないのだろうか。


3月18日(金)

☆夜中から雨。

雨は午前中まで続く。

春一番の強風が吹き、県北では記録的な大雨だったようだ。

午後からは青空が広がったが、直ぐに再び重い雲に蔽われ、夕刻には小雨となった。

☆雨の上がった午後から作業。

ルートハンマーと削岩機による粗落とし作業。

作業場は宮田川支流沿いにある。

水深は堆積物が水面の上に出るくらいに浅い。

したがって昨夜からの雨でもう溢れんばかりである。

夏の台風時にはこの作業場一帯は水に浸かってしまうのではないのか。

☆ゆくはしビエンナーレの植田さんから、Kochmarの件の新聞記事コピーがラインで送られてきたので、Tanyaにメッセンジャーで送った。

そしてその画像の一枚をフェイスブックにアップしたら、Tanyaから”いいね”が届き、何としばらくしたらKochmar本人からも”いいね”が届いた。

ウクライナではインターネットは遮断されているのかと思っていたが、ちゃんとネットが使えるようだ。

とまれ、Kochmarは無事で、スマホでフェイスブックが普通に見れるようだ。

☆夕食の準備中に高校同級生で美術部だったA君から電話が這入った。

彼から特別な要件も無いのに電話が這入ることは無いので、何事かと思っていたら、”今、病院に居る”と言う。

”えっ、コロナ?!”

”いやコロナじゃなくて、足を骨折して入院している。”

聞くと、車に乗り込もうとして躓き、両ひざの下を複雑骨折してしまったと言う。

手術をして、リハビリ中だと言う。

老化は足から来ると言われる。

私も最近はよく躓く。

先日も、作業場に向かう途中で、横断歩道を渡ろうとした老婦人が躓いて道路上に投げ出されるのを目撃した。

私も今回のモニュメント制作では無理をせず、怪我のないように心掛けなければと思っている。

”入院していて、田中君の声が聞きたくなって電話した。”

ありがとう、私の声を聞いて元気になってくれたら嬉しい。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は236人。

西都・児湯圏域は相変わらず、高鍋町15人、川南町11人、全ての市町に感染者が出て35人。

高鍋町は数日内に累計600人になるのではないのか。


3月17日(木)

☆朝から霞のかかったような天候。

次第に雲が出て曇天となる。

春の陽気だが、空気は冷たい。

☆早目にシェラトンをチェックアウト。

朝食も昨年のような品数の豊富さと美味しさが無く、普通のビジネスホテルのような内容だった。

☆午後から、ルートハンマーと削岩機による粗落とし作業。

ところが落とす容量が小さくなると、矢の効きが悪く、ハンマーにも力が要るし、石の割れが逃げる。

これが普通の作業の状態である。

先日の石割式の時は、大きな容量で割ったので、石の重みで綺麗にあっさり割れてしまったのである。

☆作業場にまだ電気が通じていない。

作業自体は当分はコンプレッサーによる粗落とし作業だが、削岩機のビットを砥石で研がなければならないので電気は必要である。

それで設備会社に確認に行ったら、22日に工事の予定だと言う。

基本的に土・日・祝は機械作業はしないので、問題は無い。

☆今日は神官さんの奥さんが、子供さんたちを連れて、作業の見学に来て下さった。

同窓生もペットボトルのお茶を差し入れてくれた。

夕刻には駅周辺の地区選出の町会議員さんが見えられた。

先日の神事には所用で来られなかったということ。

☆妻が午後に3回目のワクチン接種を受けたが、私同様に今日のうちは何の副作用も無し。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は261人。

西都・児湯圏域は今日も全市町で感染者がでて、昨日より多い33人であった。

高鍋町は累計で536人となったので、今の状況では直ぐに累計600人に達するのではないのか。


3月16日(水)

☆快晴。

今日も気温が上昇し、夏日となった。

☆午前は、削岩機の粗落とし作業のための墨入れ作業。

昨日の神事を執り行っていただいた神官さん夫妻が、ペットボトルの水を差しいれて下さった。

☆午後にネットでウクライナ情勢を見ていたら、突然、パンと音がするほどの確かさで右上腕を叩かれた。

隣でパソコン作業をしていた妻に尋ねると、叩いていないという。

何だったのだろう?

☆夕刻から妻とシェラトン・グランデ・オーシャンリゾートへ。

妻の誕生祝と私の仕事始めのお祝いとで、一泊する。

14日から再開されたジモ・ミヤ・タビが適応されたので助かった。

☆昨年に宿泊して風待ちテラスで過ごした時に、テラスには宮崎県内の書籍がかなり置いてあったのと、テラスでゆっくりめくりながら過ごすのに適した写真集が多数

置いてあった。

私の「月の雫」こそ、このテラスに最適な本だと思って、レセプションで担当者にお話しは出来ないか尋ねてもらった。

しかし”風待ちテラス”の書籍の選択はホテル側の担当者が選んで置いているので、”風待ちテラス”のスタッフからはコンタクトもできないということであった。

☆夕食は昨年に引き続き、パインテラスでのバイキング。

昨年はとても美味しいと思ったのだが、今年は内容的にも味的にもいまひとつと言う感じであった。

ただやたらと満腹になって、部屋に戻ってベッドに横になると、そのまま昏睡してしまった。

☆夜中に目覚めてスマホを見ると、息子たちがラインで地震の揺れがひどかった話をしている。

私も妻も熟睡していて宮城・福島の地震のことは何も知らなかった。

夕刻に温泉を出てプールサイドのデッキからホテルを見上げたら、思ったより扁平な建物で、地震があったら怖いねと言う話しをしたばかりだった。

午後の上腕部の”叩き”は、このことだったのか・・・。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は278人。

西都・児湯圏域は高鍋町が15人、西都市が5人、全ての市町に感染者があって30人。

一向に減らない。

オミクロン株は重症化しないと言うが、妹の知人のご主人があっという間に亡くなられたり、軽症だったのに後遺症がひどくて仕事ができない友人もいるという。


3月15日(火)

☆朝のうちは曇天気味だったが、直に雲は切れて快晴となる。

今日も気温が上昇したが、昨日のような暑さはなし。

☆午前に、モニュメントの作業安全祈願神事と石割りのセレモニー。

私は早めに出かけて、石にセリ矢を打ち込んでおく。

10時から、関係者参列しての安全祈願神事。

神事の後に石割りセレモニー。

関係者の代表6名の方に石の上に上がって頂き、各自順次にハンマーでセリ矢を叩いて行ってもらう手はずだった。

これまでの私の経験から、周到にセリ矢を入れても、石にはねばりがあるのでそう簡単には割れない。

先年のゆくはしプロジェクトの石割式でもなかなか石が割れず、ヤン・リューからあらかじめ亀裂が這入るところまで矢を打ち込んでおくべきだと言われた。

そのつもりで、かなり強く叩いても大丈夫ですから、と石割式に這入ったのだが、なんと2人目の町長のハンマーであっさり石が割れてしまった。

取材に来られていた宮日新聞の支局長は、写真を撮る暇も無かったらしい。

ちょっと、全く想定外のあまりにも早いあっけない石割りセレモニーとなってしまったが、割れずにセレモニーが滞ってしまうよりも良かったかもしれない。

綺麗に割れてくれたので、素直な石なのかも知れない。

☆このモニュメントは高鍋駅前のロータリーに設置される。

高鍋駅舎が令和4年度にリニュアル工事となり、駅周辺の整備が進められるその一環の事業である。

今日の神事には、高鍋駅のある地区の公民館長さんたちにも出席していただいた。

騒音の問題も出て来ると思うので、原則、土・日は作業はしない。

9月末完成設置を目指す。

☆午後に内科医院で予約しておいた胃カメラとピロリ菌の検査。

麻酔は血管から入れるようで、ピロリ菌検査のための採血と同時に麻酔の注射を打たれたが、気が付いたら全ての検査は終っていた。

久しぶりに気持ちの好い眠りから醒めた様な、不思議な感覚だった。

完全に麻酔が醒めてから、担当医の診断結果を伺う。

結果はやはり逆流性の食道炎と、慢性の胃炎で、何も問題は無いということであった。

心配した胃癌はまったくありません、ということであった。

これでモニュメント制作は、健康への不安は全く無く、集中して取り組める。

☆石販業者へ無事に石割セレモニーが終わった件を報告したら、今、中国は再びコロナ感染が拡大し、戦争も始まったので、石の原価が上がり、荷も這入らなく

なったと言う。

早目に石の手配をしておいてよかったということである。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は240人の高止まりのまま。

減るどころか、先週より感染者は増えている。

西都・児湯圏域も川南町が6人、高鍋町と木城町と都農町が5人、西都市が4人、新富町が1人と全ての市町に感染者があって高止まりのままである。


3月14日(月)

☆快晴。

気温がぐんぐん上昇し、宮崎空港では28,4度を記録し、夏日となった。

町中は半袖半パン姿が目立ち、私もTシャツで過ごす。

☆朝一に某工務店の方に2トンユニック車を運転してもらい、西都市の建機レンタル会社で25HPのコンプレッサーを借りる。

コンプレッサーの大きさは軽トラに納まるのだが、重量がオーバーしてしまうようだ。

早速、コンプレッサーでのルートハンマーと削岩機の作業に這入る。

☆今日の半日でのコンプレッサーの作業で、満タン20Lの軽油が空っぽになってしまった。

私は見積もりでは、丸一日で20L消費計算だったのだが、半日で20Lを消費してしまう。

☆久しぶりの削岩機使用で、夕刻に帰宅したら頭の中がウワーンウワーンと鳴り響いて、妻が話しかけてきても頭の中で濁音で響いてしまう。

やはり耳栓をすべきだった。

今日は夏日で暑く、久しぶりの削岩機使用だったので、夕食は冷たいビールをグイと行きたいところだったが、明日の午後に胃カメラを飲むのでアルコールは摂れず。

☆Tanyaからの連絡では、Kochmarはハリコフを脱出して、もう少し安全な街へ移ったと言うこと。

メールは使えなくなっているが、電話で毎日連絡を取り合っていると言うこと。

その旨、ゆくはしビエンナーレの植田さんに伝える。

昼にはKochmarの件で、読売新聞から電話取材があった。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は135人。

高鍋町は3人だが、西都・児湯圏域はすべての市町で感染者が出ている。


3月13日(日)

☆ほとんど曇天に近い雲の多い一日。

気温は上昇して暑いほどの一日。

☆朝一に、昨日チェックしていたリサイクルショップで鍵のかかるキャビネットを購入。

昨日持ち帰ったエアー工具を再び運んでキャビネットに収める。

削岩機もワイヤーでつなぐ。

☆Kochmarの件は、今日の西日本新聞に”「戦場」から命懸け応募”という見出しで掲載された。

宮崎では西日本新聞は販売しなくなったので、植田さんからFAXで記事コピーを送ってもらった。

Tanyaからの情報は記事には間に合わなかったようで、Kochmarの安否は不明となっている。

☆夜は1月の二人展・アフタヌーンコンサートの打ち上げ。

ミュージシャンの片貝さんと照沼さんをお呼びして、我が家でもつ鍋を囲む。

お二人とも博多スタイルのもつ鍋は初体験と言うことであった。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は223人で高止まりのまま。

高鍋町は6人、川南町は5人、西都・児湯圏域は全ての市町で感染者が出ている。


3月12日(土)

☆快晴。

気温はぐんぐん上昇して暑い一日となった。

宮崎県内はどこも20度以上だった。

☆朝一に某内科医院へ。

昨年から胃が重くて、年末の胃癌検診では異常は無かったので安心していたが、先日から胸焼けがひどくなってきた。

こんなにひどい胸焼けが続くのは初めてだし、作業に這入ると秋まではダウンできないので、今の内に胃腸の診断で評判の良い医院で診て貰うことにした。

医師の見立ては逆流性食道炎でしょうと言うことだったが、念のために胃カメラでの検査とピロリ菌の検査をしてもらうことにした。

来週火曜日の検査を予約する。

おそらく難問続出の今回の大型プロジェクトで、相当にストレスがかかっているのかもしれない。

☆月曜日からの作業に備えて、削岩機やルートハンマー、エアーカッター等の道具類を作業場に搬入する。

また、老朽化でボロボロになっていたプレハブ倉庫の電気配線部を電気工事業者に見てもらったら、壁を張り替えておいてもらって大丈夫だと言うことだったので、壁を

張り替える。

そして床の一部もまだ張り替え部分が残っていたので、張り替える。

☆そうしているところへ、作業場の近所に住んでいる小学校からの同窓生が様子を見に来てくれた。

彼と話していたら、道具類の保管の話になった。

彼は退職後に宮崎市の大型プロジェクトに関わっているのだが、やはり現場での盗難事件が頻発して、しょっちゅう警察が現場検証に来ると言う。

それで、馴染の業者は道具は必ず持ち帰ることにしていると言う。

私はアンジェラスの森で全ての工具を盗まれて以来、毎日使う道具は道具箱に収めて軽トラックに載せているし、盗まれて困る工具類は全て自宅に保管している。

そういう道具を今日すべて作業場に運んできたのだが、これはやはり危険だと思った。

一度ひどい目に遭っているのだから、再発を誘う様な不用心さは避けなければならない。

だが削岩機の作業に這入ると工具類が相当な量になり、いちいち軽トラックに載せておくこともできないので、鍵のかかるロッカーが必要になる。

☆作業が一段落して、リサイクルショップとホームセンターを廻って、使えそうなロッカーをチェックする。

そうして、今日搬入した大事な工具類はすべて再び自宅に持ち帰った。

☆行橋ビエンナーレ事務局の植田さんから、Kochmarの安否を案じて電話が這入る。

実はKochmarは今回の”ゆくはし国際公募彫刻展2023”にも応募していて、先日まで植田さんと遣り取りをしていたのだそうだ。

だが先日の8日からばったり連絡が取れなくなり、彼の身に異変が生じたのではないのかという心配で、明日の新聞に記事を書いてもらうことになっているのだと言う。

Tanyaと息子のプラトーンはポーランドに避難していて、Kochmarはハリコフに留まっているのだと言う。

それで、実は昨日にTanyaからハリコフの惨状の画像が届いて、昨日の夕刻のメッセンジャーでは家族は全員無事だと言う返事だったことを伝える。

明日の新聞記事にそのハリコフの写真とTanyaからの返事が資料として欲しいと言うことで、植田さんに転送する。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は245人。

高鍋町は7人で、あっという間に累計500人となった。

高鍋町民の39人に1人の感染率となった。

宮崎県内で最も突出した感染率である。


3月11日(金)

☆晴れ。

薄雲がかかって快晴には至らず。

☆午前はアンジェラスの森の倉庫から、コンプレッサーのホース一式を運びだし、自宅工房からもエアー工具類を運びだし、制作場所に運ぶ。

午後からコンプレッサーを借りて、削岩機の試運転の予定であった。

ところが思いもかけない事態となった。

今は高鍋町には建機レンタルの会社が一社も無い。

昨秋にリース料金の問い合わせをしていた西都市のリース会社で登録の手続をすると、何と今はリース料は前金の現金払いなのだと言う。

今日は1か月分の借用手続きだったが、更に借用を延期する場合はまた現金で前金を払っての借用延期となると言う。

そして私は軽トラで運ぶつもりだったが、コンプレッサーは軽トラには乗らないという。

そんな馬鹿な、私は以前は軽トラで運んでいたはずだ、と答えながら、そう言えばコンプレッサーを借りていた時期は私は軽トラには乗っていなかったので、田中石材店

のユニック車で運んでいたのかもしれない。

しかし、このリース会社はクレーン付きトラックは扱っていないと言う。

どこかでユニック車を借りて、月曜日の朝にコンプレッサーを借りに来る事にした。

☆いったん帰宅し、近辺の建機リース会社に電話をするが、どこもクレーン付きトラックの在庫が無かった。

それで関係者に連絡を入れて、工務店から月曜朝にユニック車を借りてもらえることになった。

しかし今後はコンプレッサーを借用する時と返却する時に、その度にクレーン付きトラックをリースで借りなければならなくなった。

考えてもいなかった経費の出費だし、その度ごとにトラックの手配をしなければならなくなった。

☆ウクライナのVolodymyr Kochmar(空港展、ゆくはしプロジェクト参加作家)の妻・Tanyaから、彼らの住むハリコフの街の惨状の画像が届いた。

ウクライナの人たちは本当にロシアが侵攻してくるなど夢にも思わなかったようなので、今、目の前で起きていることがほとんど信じられない悪夢だと言う。

Tanyaは毎日泣いていると言う。

幸い家族はみんな無事だと言うことである。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は252人で高止まりのままである。

西都・児湯圏域も高鍋町は2名だったが、川南町と木城町とでかなりの感染者があり、一向に減らない。


3月10日(木)

☆晴れ。

午前は薄靄がかかった状態で、空気はひんやりしていた。

☆今日は妻と宮崎市へ出て、久しぶりに濃厚な一日となった。

まず宮崎県立博物館で開催中の「岩合光昭写真展 こねこ」へ。

私はねこ好きではないし何の関心も無かったのだが、妻が二人展の版画で猫の版画を作っているので関心があったようだ。

宮崎県立博物館に来たのは30年ぶりだろうか。

宮崎県立美術館が出来てからは足を運ぶ機会も無かった気がする。

「こねこ」展は思いきり癒された。

こねこのいる風景は平和でまったりしているが、脳裏ではウクライナの惨状が浮かんで複雑だった。

☆次に宮崎県立美術館で開催中の「石井秀隣画業70年展」へ。

100号の大作が並ぶ制作意欲には脱帽である。

受付の手伝いをされていた池田昭圭氏(佐賀大の大先輩)は、教員の新任時代に義父から酒や教育の薫陶を受けて過ごしたと言うことで、妻の知らない義父の話で

盛り上がった。

☆一階のコレクション展を覗く。

保田井智之氏の作品が展示してあったので立ち寄った。

しかし開館当時に購入したイタリア彫刻のひどさ。

美術館開館当時は、彫刻家の私に東京の画廊等から様々な情報が届いた。

宮崎県立美術館がイタリア彫刻をコレクションするようになったのは、当時既に国内にはイタリア彫刻があぶれ、何処にも買ってもらえなくなったイタリア彫刻がこれ幸いと

ばかりに新設開館する宮崎県立美術館に所有する画廊から押し付けられたものであった。

特にマンズーの木彫は、マンズー本人が彫った物ではなく、そういう作品は美術館が収蔵すべきではないものなのである。

☆さらに瑛九の版画コレクション展を覗いて、大きな失望を抱いた。

若い頃の私は瑛九のエッチングやリトグラフの造型世界に圧倒された。

ところが今になってよく見ると、瑛九の描くフォルムは日本人の感性から生れて来るものではない。

殆どがヨーロッパの画家たちのエピゴーネンなのである。

あっこのフォルムはあの画家の絵から、あっこのフォルムはあの彫刻家のフォルムの丸写し・・・。

今日はそういうコピーがやたらと目についてしまった。

☆午後は県庁近くに最近オープンした画廊に立ち寄る。

妻が版画を習った黒木周氏の版画展がオープン展で開催されていた。

駐車場が無いので、私は路上の車のなかで待機して妻と入れ替わりで観ようと思ったが、妻が新作は無かったと言うので私はパスした。

☆続いて今日のメインの宮崎駅隣のアミューズ宮崎へ行く。

アミューズがオープンして初めて行ったので、駐車場が何処にあるのやら、全くのおのぼりさん状態だった。

アミューズ館内を少し物色して5階のセントラルシネマへ。

ネットで評判のいい「ウエスト・サイド・ストリー」を観る。

私は若いころは皆が観る話題作というものにはそっぽを向くヒネ者だったので、昔の「ウエスト・サイド・ストーリー」は観ていない。

したがって、全く先入観無しで観たので、とても面白かった。

それにコロナの影響でか、入場者はたったの6名で、実に豪華な雰囲気で楽しめた。

妻は肝心の決闘シーンはぐっすり眠っていたようだ。

☆高鍋に帰り着いたのはもうすっかり日も落ちてしまっていた。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は250人。

高鍋町はなんと26人!

今日で高鍋町の累計感染者数は一気に491人となった。

累計500人は目前である。


3月9日(水)

☆快晴。

今日も陽射しの強い一日。

気温は17度まで上昇。

☆今日からモニュメントの制作にかかる。

午前まで石面に10cm間隔のマス目を引き、午後からフォルムを描く。

☆フォルムを描きながら、中国への事前切削指示で致命的なミスを犯していたことに気付いた。

私がこれから制作する”MOON DANCE”は左右の月が細い帯で繋がっている。

これまでの”MOON DANCE”制作では、この細い結合部が折れることは無かったが、今回は重量が重量だけに細い結合部への負担はこれまでとは比較にならない。

以前の制作過程で、月の上部を繋いだまま作業をしたことがあった気がする。

今回は場合によっては、本設置まで月の上部を繋いだままにしておいて、設置後に接合部をカットして仕上げ作業をしなければならないかもしれないと考えていた。

ところが、私は中国の工場に月の上部の開きをギリギリまで落としてもらっていたのである。

何か方策を考えないと。

☆制作場所の水道工事が終わり、夕刻までに水が出るようになった。

電気は来週の火曜日から使える様になるとのこと。

☆鉄工所が鉄枠からの石の抜き出し作業が気になって、様子を見に来てくれた。

無事に石を倒してレベルを出し、私が作業にかかっているので安心していた。

鉄枠の下部は、本設置の運搬時にまた使うので、制作場所に保管しておくつもりだったが、最近の金属泥棒は平気でクレーン車で持って行くので、鉄工所が持ち帰って

保管してくれることになった。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は243人。

そして、高鍋町は12人、川南町は11人となり、西都・児湯圏域は全ての市町で感染者が出て33人となった。

高止まりどころではない。


3月8日(火)

☆快晴。

朝は冷え込んだが、日中は風も無く、強い陽射しで暑くなる。

☆朝一に鉄枠から石を引き抜き、倒す作業。

今日は関係者が皆スケジュールが詰まっていて、一番人手が要る作業なのに誰も手助けをしてくれる人がいない。

私は8時から現場に這入って、重い枕材を並べる事前準備をし、9時からクレーンのオペレーターと私の2人で作業を始める。

鉄枠の中でクッションの板材で石が浮いている隙間にスリングを入れて吊りあげようとするが、石の片方が鉄枠に密接していて片方にスリングが這入らない。

オペレーターがスリングの這入る方から吊って、厚めの板材を入れて石を浮かせようとするが、下部の鉄枠がしっかり石に密着していて鉄枠ごと浮いてしまう、

それで鉄枠に密着した石の角にスリングを当てて持ち上げようとするが、どうしても滑って抜けてしまう。

だが、昨日に鉄工所から受け取ったばかりの角当てを使うと滑りが止ってくれて、無事に厚めの板を差し込んでスリングを入れることが出来た。

そこへ私が孤軍奮闘しているだろうと案じてくれた制作場所管理の建設会社の担当者が、仕事を抜けて駆けつけてくれた。

後はオペレーターへの指示は彼に任せる。

無事に鉄枠から石を抜き、石を倒してレベルを出す作業はスムーズに進んだ。

結局、クレーンは1台で問題なかったし、スリングも重機会社のもので足りた。

☆ここ数日は、今日の作業手順のことをばかり考えていて、夜中に目が覚めると眠れなくなる日々が続いていたので、無事に何事も無く作業が終わってホッとする。

☆午後からは、アンジェラスの森から作業に必要な機材を運んで来たり、石への墨入れの作業に取り掛かる。

神事と石割りのセレモニーが15日と決まり、すでに関係者に文書が廻されたので、今度は14日までの作業の段取りで頭がいっぱいになる。

☆創業100周年事業で本店の新築工事が進んでいた高鍋信用金庫の駐車場整備が完了し、今日がグランドオープンとなった。

駐車場ではキッチンカーがたくさん店を出して、お祝いのイベントが行われていた。

設置されているあかりモニュメントの制作者の林宏さんのために、完成した高鍋信用金庫の全体画像と、お祝いで賑わう写真を撮って、フェイスブックに投稿する。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は209人。

高鍋町は3人だったが、西都・児湯圏域は19人で、いまだに西都・児湯圏域は高止まりのままである。


3月7日(月)

☆曇天。

昼から青空が広がったが、直に再び曇天となり、冷え込んだ一日となった。

☆昨夜は晩酌も軽く済ませて、早目に床に就いたが、結局ワクチン接種の副反応は何もなし。

☆朝一に重機屋へ返しの作業の打ち合わせに出かけたが、事務所には誰も居なかった。

それで鉄枠解体の画像プリントとメモを置いておく。

午後に社長に電話を入れて、段取りを進める。

明日の朝一に返しの作業となった。

社長の話では、クレーンは1台で大丈夫だろうと言う。

☆これで今後のスケジュールが読めるようになったので、関係者と神事と石割りセレモニーの打合せをする。

来週の15日が日が好いというので、それで準備を進める。

☆電気工事と水道工事をお願いしている業者から見積が出来たと言う連絡が有り、打合せに行く。

電力会社と町役場の水道課への手続きもやってもらえるというので助かる。

☆鉄工所に発注していた角当てを受け取り行く。

ところが、ウレタンゴムは1つの角当てに2枚貼らなければならないので4個の角当てには8枚必要なのだが、私はうっかりして4枚しか注文していなかった。

あわてて追加のオーダーをする。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は118人。

高鍋町は2人。


3月6日(日)

☆快晴。

今日も暖かい一日。

山並みはすっきり見晴らせたので、今日は黄砂はなかったようだ。

☆午前にコロナワクチンの3回目の接種。

過去2回と同じファイザー製。

問診の医師の話では、3回目は少し副反応が強く出るかもしれませんと言うことだったが、前回同様に何も副反応の症状は出なかった。

夕食後に肩が痛くなってきたが、発熱も倦怠感も全く無く、過去の経過と変わらない。

実は副反応が無いと言うことは、体の抵抗力が下がって来ているためで、かえっていいことではないと言うのを前回知った。

そして、発熱した方がワクチンの効果は高いという研究結果も出ている。

”発熱した人の方が、感染を防ぐ抗体価(抗体の量)が高い”ということである。

☆午後は、副反応に備えて、ゆっくり過ごす。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、少し減って168人。

高鍋町からは感染者は出なかったが、お隣の川南町が8人で、西都・児湯圏域は高止まりのままである。


3月5日(土)

☆快晴。

気温はぐんぐん上昇して、この冬一番の暖かさとなり、県内各地は20度を超えた。

外での作業は陽射しが強く、とても暑かった。

しかし午後からは強風が吹き荒れる。

春一番か。

黄砂も飛来して、山並みは霞んで見えず、車のフロントガラスはまっ黄色となった。

☆いちにち、中町駐車場の又木啓子さんのハートプロジェクトの作品プレートの取りつけ作業。

石垣全体が作品なので、午前はプレートの設置場所をどこにするかの思案で過ぎる。

又木さんに了解を取って進めようと思ったが、午前中はまったく連絡が取れず、もう今日しか作業時間が取れないので私の判断で進める。

☆又木さんから連絡が入った時には、すでにプレートの取りつけ場所の彫り込み作業も終わってしまっていたので、画像で了解を取る。

作業は昼過ぎには終ると思ったのだが、取り付け場所が玉石の割り肌面で凹凸が多く、平らな面を出すのにかなり手間取ってしまった。

また冬場なので接着剤がまったく硬化しない。

今日は陽射しが強く、暖かかったので真冬より早く硬化するだろうと思っていたが、一向に硬化せず、そのままだとプレートが浮いて下がってしまう。

プレートの押さえ止めの措置をして硬化を待つが夕刻になっても硬化しない。

☆そこへ鉄工所から鉄枠解体終了の連絡が這入ったので、夕暮れの現場へ行って確認する。

折よく、電気工事と水道工事をお願いしている業者の社長が、現場入口で畑作業をしておられたので、もう間もなく作業に這入る旨伝えて、工事着手を重ねてお願いする。

☆中町駐車場に戻ってきたら、なんとか硬化が進んでいたのでプレートにシリコーン目地入れの作業を済ませる。

まったく、こんなに丸々一日もかかったプレート取り付け作業なんて初めてである。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は224人。

高鍋町は2人だったが、西都・児湯圏域は西都市と新富町でまた増加しており、高止まりのままである。


3月4日(金)

☆午前は晴天。

午後からは急激に曇って来て、冷え込む。

夕刻に小雨。

☆朝のうちに、注文していたスリングが届く。

スリングの制作は特定のメーカーが行っているものらしく、私は友人の彫刻家にも見積もりを依頼していたので、代理店の方は全く同じ内容の見積もり依頼が別口からも

届いているとメーカーから言われたそうだ。

それだけ15トン吊りのスリングなんて、滅多にない発注なのだろう。

☆スリングが届いたので、これで来週には返しの作業に入れるので、現場で鉄工所と鉄枠解体の打ち合わせをする。

鉄枠の上半分を解体してもらい、石の底部に接している枠を外してもらってそこからスリングを差し入れ、下部の鉄枠からクレーンで石を引き抜いてもらう。

完成時に再び鉄枠に作品を収めて低床トレーラーに載せるが、そのときに再び鉄枠の上部を溶接しなければならないかと案じていた。

しかし鉄工所の見立てでは、作品の下半分を鉄枠に収めれば、上部は荷締めジャッキで固定すれば問題ないのではと言うことであった。

☆午後は、破損したあかりオブジェのプランを考える。

☆事業復活支援金の事務局からは、今日は何も資料修正の連絡は無かった。

☆寝入ってほどなくして、火事。

町営住宅での火災らしい。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は255人。

高鍋町は2人だったが、西都・児湯圏域では西都市と新富町が増えて来ている。

九州内では感染者が200人台は宮崎県だけである。


3月3日(木)

☆薄雲はかかっていたものの、ほぼ快晴。

いつもならこの雛祭りの時期には、必ず3年おきくらいに大きな寒の戻りがあって、東京は大雪になっていたのだが、近年はそういうことが無くなってきた。

町中を走ると、どの庭にも木々にピンクや白の花が開いて、すっかり春の到来である。

☆朝一にO内科で血圧の定期健診。

コロナで自粛生活に這入ると、病院がガラガラになるらしく、私は受付が3番目だった。

最近、頭痛が続くことがあり気になっていたが、痛み止めで直ぐ納まるので、何の心配も無いということ。

とにかく今年は、モニュメントを完成させる秋までは健康でいなければならない。

いまのところ、すこぶる健康体である。

☆友人の建築家から、モニュメント設置場所の景観デザインについて電話をもらった。

彼は住宅設計の専門家なので、構造物の設計は専門外だということだが、彼なりのアドバイスをしてもらった。

先日送られてきた句集に添えられた一文には、生涯現役を嘯いてきたが難しいものがあり、あちこちに老いを感じるこの頃であると記されてあった。

かなり老いを感じてしまっている。

それなのに私が今から20トンの石を彫るというのでびっくりしていた。

そしてこれだけの大きさの作品の制作となると、これから先も実際の制作に這入って思わぬ対応で出費が嵩んでいくだろうと言う。

したがって正確な見積もりは出せないので、契約にはその旨を明記しておくべきだと言うことである。

☆午後は妻のボーカルレッスン。

私もハーモニカでジョイント。

今日はまずまずの出来。

講師の片貝さんも指導のレベルが上がって来て、アドリブ奏法に一歩近づいてきた。

☆昨日に再申請した事業復活支援金は、今日も3回の提出資料修正の連絡があった。

いずれも基本的な問題ではなく、直ぐに対応できる程度の修正だった。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は308人。

昨日に河野・宮崎県知事はまん延防止延期はしないと明言したばかりなのに、この再拡大の数字である。

しかし今日の発表数字は昨日判明の感染者なので、当然、知事は今日の発表で数字が上がることは承知しての判断だったのだろう。

高鍋町では21人という驚くべき数字であった。

高鍋町内の高齢者施設で39人の感染者が出たという発表である。

これで高鍋町は感染者の累計が445人となり、まもなく500人に達することは確実となり、再び宮崎市を抜いて宮崎県で最も感染率が高くなった。


3月2日(水)

☆午前は雲が多かったものの、午後は快晴となった。

気温は高く、午後からは室内の暖房は不要だった。

☆いちにち、事業復活支援金の申請準備。

データを整理するのがなかなか大変で、こういう支援金のオンラインでの申請は、パソコン操作に慣れている私でも悪戦苦闘である。

私は提出書類をスキャナーで読み取り、そのJpeg画像をPDFに変換できるが、一般の人はスキャナーなど持っていないだろう。

何度もウェブサイトで適応条件や提出書類を確認して、オンラインで申請をする。

データは揃えてあったので、申請手順はほぼ順調だったが、打ち込んだ数字は自動計算されて支援金の申請額が表示されてくる。

しかし、ウェブサイトでの計算方法と、実際のオンライン申請上の計算方法が違う。

それで、私の申請できる支援金額は、私が考えていた支援金額を大きく下回るものだった。

だがそれで申請するよりないので、諦めて申請する。

直ぐに申請完了のメールが届いたが、しばらくして資料不足のメールが届いた。

確認すると、基準月の属する年間事業収入額と確定申告に記載されている事業収入額が違うとある。

だが、確定申告の事業収入額から支援金等の額を差し引いたものであれば、そのまま再申請して下さい、とあった。

その通りだし、虚偽申請すると大変なことになるので、再申請をして、申請は完了した。

☆今日は妻の誕生日。

私の手料理でもてなす。

☆宮崎の今日のコロナ新規感染者は220人。

ところが高鍋町はいきなり11人、そして西都・児湯圏域は全市町に感染者が出た。

宮崎県は感染者が高止まりのままだが、河野・宮崎県知事は3月6日までのまん延防止適用を延期しないことを表明した。


3月1日(火)

☆午前は雨。

午後は晴れて来る。

ぐんぐん気温が上昇して、外出するのにジャンパーを着ると、ムワーッと蒸し暑い。

いよいよ今日から3月に入り、春本番となった。

☆今週中には石の倒し作業を終えたいが、まだ注文したスリングが届かないので、今日はデスクワークで過ごす。

片づけなければならないことが山積している。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は226人と、前週比で1人減の完全な横ばい状態である。

西都・児湯圏域では激減して、高鍋町では感染者はなかった。



Back to toppage

2022   1-2   3-4   5-6    7-8   9-10    11-12

2021   1-2   3-4   5-6    7-8   9-10    11-12

2020   1-2   3-4   5-6    7-8   9-10    11-12