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このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。

過去の日記

2022   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12

2021   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12

2020   1-2     3-4    5-6   7-8   9-10   11-12


2022 8月31日(水)

☆夜明け前に雨。

台風の影響か、夜中はとても蒸し暑かった。

日中は残暑厳しい晴れ。

雲が再び夏の入道雲になった。

☆朝一に重機リース会社でコンプレッサーの延長手続き。

モニュメント制作は9月いっぱいで終了予定で見積もりを出してあるので、長引く分、完全な赤字になっていく。

☆モニュメント制作。

延々と、月左上部のダイヤカップでのアール成形作業。


8月30日(火)

☆晴れ。

日中の、特に午後からの残暑の厳しさにはまいってしまう。

残暑による夏バテか、一日、体がだるくて重い。

もう8月も終わるのに、こんなに残暑がすさまじい時が過去にあったろうか。

☆モニュメント制作。

淡々と、月上部の立ち上がり部を出してゆく。

☆夕刻に、工務店の担当者が制作場所に来訪。

ようやく県から心棒についてのゴーサインが出た。

はやく心棒穴を開けないと、このままでは下部のフォルムがまったく出せないので、困っていたところであった。

コア業者にも連絡を入れる。


8月29日(月)

☆晴れ。

朝夕は幾分涼しくなってきたが、日中はまだまだ叫びたいほどの炎熱地獄である。

高鍋町内では今日から小中学校の2学期が始まった。

刻々と日月は経ってゆくが・・・。

☆モニュメント制作。

高千穂で英気を養ったので、さあ頑張ろうと気合を入れるが、残暑のあまりの厳しさと、少しも進まない作業にうんざりとなる。

山田は土曜日の午後から作業に来てくれていたようだ。

そして股下の、下部の補強の間のアウトラインを出す非常に困難な作業をやってくれて、へとへとになり、昨日は私と入れ替わりに早めに引き上げたということ。

とにかく、白御影石の石英でディスクのダイヤモンドの摩耗が激しく、ディスクを新しいものに換えても直ぐに切れなくなる。

ダイヤモンドの厚みの摩耗が激しく、ディスクが薄くなって切り込みが悪くなる。

たまらなく、投げ出したい気持ちになってしまう。

☆午前に町長と教育長が表敬訪問してくれた。

前回にお二人に来ていただいたのは、すぐ裏手の海水浴場の海開きの時で、今日は海水浴場の閉鎖式の帰りに立ち寄られた。

モニュメントが遅々として進まない間に、夏休みが始まり海水浴場が海開きし、そして夏休みが終わり海水浴場が閉鎖してしまった。

町長が、駅前ロータリー工事のすべての終了が12月23日なので、お披露目を12月24日に行い、高鍋町民へのクリスマスプレゼントにしましょうと言われる。

それを目標に頑張ろう。

☆台風11号は進路が下がって沖縄に向かっている。

九州直撃は避けられそうだ。


8月28日(日)

☆晴れ。

高千穂の朝はやはり少し肌寒かった。

下界へ降りてくると蒸し暑さは変わらないが、空の雲がすっかり秋の気配だし、風にそよぐ枝葉の佇まいが秋の気配を感じさせるようになった。

☆ホテルの朝食も高千穂の地元食材の素朴な取り合わせ。

若い調理人のお兄さんが刈り干し切り唄を歌ってくれた。

☆ホテルをチェックアウトして、天岩戸神社へ向かう。

天岩戸神社を参拝して、天安河原へ。

この天安河原も40年前に来た時には、もっと広くておどろおどろしい空間だった記憶がある。

☆天岩戸神社から五ヶ瀬町へ向かう。

まず”うのこの滝”へ。

この滝も30年ほど前に、宮崎彫刻グループのメンバーと熊本での彫刻展搬入の途中に立ち寄ったことがある。

その時はもっと広々とした場所だった気がするのだが、今日は急峻な道なき道を降りなければならなかった。

次に、”うのこの滝”の少し上にある”五ヶ瀬ワイナリー”へ。

妻は何度か来たことがあるらしいが、私は初めての訪問だった。

目の前に阿蘇外輪山の”寝観音”がくっきりと鮮やかに見渡せる、素晴らしい眺望の空間だった。

高千穂も、五ヶ瀬も町場と比べると何もないところだが、それ以上に伸びやかな美しい空間に満ち満ちている。

いいところだ、と思う。

☆昨夜からの料理がまだ胃に閊えているので、お昼を摂らずにそのまま高鍋へ帰ることにした。

昨日から高千穂の町の中をあちこち走り回ったので、今日も”木花咲耶姫像”のある交差点を通った。

考えてみれば、建立趣旨の銘板が無くなったので、このブロンズ像が何の女神像なのかの表示がない。

しかも像の傍らには木が生い茂っていて見ずらい。

きちんと整備すれば、格好の観光ポイントになるはずなのだが、設置場所が個人の敷地なので、行政が手を出せないのだろうか。

だが、設置の打ち合わせの時には、当時の町長も一緒になって進めたのだが・・・。

☆高鍋には午後2時前には帰宅する。

山田が今日も手伝いに来れるかもしれない、ということだったのでモニュメントの作業場に行ってみたが山田の姿はなかった。

☆天気予報では来週の31日当たりに台風11号が九州を直撃しそうである。

今年はまだ台風が宮崎を襲っていないので、作業場のテントへの非常事態は生じていないが、今回は要注意かもしれない。


8月27日(土)

☆晴れ。

雲が秋の鰯雲に変わってきたが、まだ陽射しは暑い。

☆朝一に、久しぶりに接骨院。

8月はずっと接骨院が休みだった。

☆午前に、たまりにたまった段ボールを紙資源センターへ。

☆昼から、妻と高千穂町へ。

なぜ高千穂町かというと、妻が今年の町内婦人会の役員になり、恒例の婦人会旅行で高千穂へ行くことになったので、ジモミヤの期限内の今日と明日に、事前調査

をすることにしていた。

しかしコロナ第7波の急拡大で婦人会旅行は数日前に中止になったし、ジモミヤも9月いっぱいまで延期になった。

結局は連日の熱暑の中でのモニュメント制作の息抜き、心の休養となった。

☆まずは高千穂神社を参拝して、高千穂峡へ。

高千穂峡からは国見ケ丘へ足を延ばす。

夏休み最後の週末とあって、どこも家族連れで賑わっていた。

高千穂へ来たのはもう3、40年ぶりなので、いずこも当時の印象と異なって戸惑ってしまった。

昔はどこももっと広々とした空間だった気がするのだが・・・。

☆早めにホテルへチェックインしようと、ナビでホテルを捜していたら、町の中心地である天真名井を通りかかった。

真名井と言えば、私が32年前に制作した「木花咲耶姫像」の設置されているところである。

この”木花咲耶姫像”は、ある時に大雨の夜に忽然と姿を消し、当時は北京オリンピックのために国内で金属泥棒が多発していたので、おそらくその盗難に遭ったのだろうと、

全国ニュースになった。

ところが、大雨による地下水の勢いで、像の足元がすくわれて地下に陥没していたことがわかり、再び設置された。

そんなことを考えていたら、目の前の交差点の角にその”木花咲耶姫像”が建っているではないか。

妻も途中からモデルをやってくれた想い出の作品なので、突然目の前に現れた”木花咲耶姫像”に大仰天であった。

それでそのまま目的のホテルへ走り、ホテルを確認すると街中へ引き返した。

”木花咲耶姫像”は大きな高さのある自然石の上に設置して、その台座には建立趣旨の銘板を嵌め込んでいた。

しかし、今は高さの低い自然石台座の上に据えられていて、建立趣旨銘板は無かった。

おそらく台座の自然石は重すぎて、引き上げられなかったのだろう。

ブロンズ像は地下に陥没したアクシデントを受けながらも、ブロンズの色合いがとても良くなっていた。

そしてこの像は鋳造所の作業がとても粗雑で、粘土の原型とはまるっきり雰囲気が異なってしまい、私は機会があれば鋳造し直したいとずっと思っていた。

だから私のこのホームページでの作品紹介ページでの”木花咲耶姫像”は、設置されているブロンズ像ではなく、粘土の段階での原型写真になっている。

だが、今日32年ぶりに再会した”木花咲耶姫像”ブロンズ像は、ちっともおかしくないのである。

設置した当時より、ずっと感じが良くなっている。

妻も懐かしい作品との思いがけない再会に感激していた。

私も重い胸のつかえが取れて、とても感激した偶然の再会であった。

☆ホテルは妻がネットで検索して、評判の良かった宿である。

夕食は高千穂の長い歴史の中で培われてきた素朴な料理で、おいしかった。

部屋は離れで、料理のたらいいっぱいの煮しめが食べきれず、腹いっぱいで身動きできずにそのまま布団のうえに横になる。

☆高千穂はもうかなり秋めいて肌寒くなっているかと思ったが、そこまではなかった。


8月26日(金)

☆晴れ。

まだまだ残暑が厳しい。

☆モニュメント制作。

午前に企画会社”Tameni”の大澤彩美さん来訪。

”Tameni”はデザイン関係事業や地域交流事業の企画運営を担っている会社だが、地域交流事業・地域活性化の一環で宮崎県内の魅力を紹介する

”あやみやざきちゃんねる”というYouTube発信を行っている。

その担当者が大澤さんで、私のモニュメント制作の工程を随時発信してゆきたいということである。

”あやみやざき”というチャンネルネームは彼女の名前の”あやみ”と”みやざき”をかけあわせたもの。

実は彼女の中学校時代の美術担当が、モニュメントの作業を手伝ってくれている山田であったということで、それで私のモニュメント制作のことを知り、

興味を持ってくれたようだ。

今日は打合せのみだったが、これから作品完成までの工程を取材発信してくれるということ。

☆午後は月左上のアール出し作業。


8月25日(木)

☆夜明け前に遠雷混じりの雨。

夜明けてからは、残暑厳しい晴れ。

午睡の後に我が家の庭を抜ける風が涼しく、夕刻もいつものような暑さが無かった。

少しずつ秋が近づいて来ているようだが、日中はまだまだ反吐が出るほどの蒸し暑さ。

☆モニュメント制作。

月左上の立ち上がり部のカッティングと、アール出し作業。

しかし起点となる部分の位置出しをきちんとやっていなかったので、午後後半はアール出しの作業をやり直す羽目に。

☆地獄の特訓のハーモニカの新曲は、♭が5つもある。

ほとんど脳トレである。


8月24日(水)

☆晴れ。

夕刻からは薄曇りとなる。

一向に秋らしくならない。

今日も残暑が厳しくて、ほぼ”残酷暑”という感じで、久しぶりにへなへなに疲れてしまった。

☆モニュメント制作。

山田が今日も手伝いに来てくれた。

午前は、私は月左上部のアール出し。

山田は帯の下部のカッティング。

午後は下部の補強部分を削岩機とルートハンマーで半分落とす。

全部落とすと、まだ返しの作業が不安なので、下部のアウトラインが出せる範囲で落とす。

私がルートハンマーでセリ矢の穴を開けていると、山田が背後でソワソワしている。

先日、山田が大病を患っているので、ルートハンマーの横撃ち作業で死ぬかと思ったと語っていたので、やりたいけれど死ぬかもしれないので見ているだけに

しておきます、ということかと思ったら、そうではなく自分も穴を開けたいのだという。

体には問題ないというので、それから先の作業はすべて山田に任せた。

こういう機会でないと出来ない作業だし、明日から夏休みが終わって新学期が始まるので、どうしてもやっておきたかったようだ。

☆昨日、高鍋駅前ロータリー近くに工務店の担当者がいたので、いよいよロータリーの工事に入るのかと思った。

今朝、作業場に行く前にロータリーに立ち寄ったら、工事用看板が設置してあった。

工事期限が12月23日とあった。

それまでには設置作業のすべてを完了しなければならない。

☆今日は残暑が厳しく、久しぶりの削岩機作業はすごく疲れた。

しかし、夕刻に帰宅しても横になりたいほどでもなかったし、夕食を済ますと元気が出てきて、ハーモニカの練習も出来た。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は過去2番目の多さの3781人。

国は、感染者の全数把握を見直す方針を表明した。

個人の情報を伴う発生の届け出を高齢者らに限定するということである。

もう周りにはコロナに感染した人たちが普通に居る状況になってきたので、感染者数の発表はあまり意味がなくなってきた。

コロナがインフルエンザ扱いになっても、コロナはインフルエンザの10倍の感染率があるので、感染者数は当分は今と変わらないのだそうだ。

実際、感染者の届け出には、パソコンの打ち込みに1人5分以上かかるという。

そして今は高鍋町内は10歳未満の幼児の感染が多いので、一つの病院で30人も40人も感染者が出ると、今の子供たちの名前はほとんどがアテ字の

キラキラネームなので、子供の名前を打ち込むのがほぼ不可能に近く、医師たちが疲労困憊状態だと聞く。


8月23日(火)

☆晴れ。

今日は「処暑」で、暦では暑さが峠を超えて、朝夕が涼しくなり、虫の音に心安らぐようになる、ということだが、今日も残暑厳しい一日。

夕刻には心なしか秋めいた風と夕落ちた日陰の翳りを感じた。

日の落ちるのが早くなってきたせいかもしれない。

☆モニュメント制作。

一日、黙々と月上部の立ち上がり部のカッティング作業。

やはりディスクが直ぐに切れなくなり、電子制御のグラインダーは熱を帯びてくると直ぐに止まってしまう。

イライラ、イライラの連続である。

気がめいってしまう。

いつになったら終わりが見えてくるのだろう・・・。

☆夕刻に、三兄の義兄の通夜。

6年前の三兄の高鍋町美術館での個展の時に祝賀会を開いた時には、義兄夫妻も出席されて、とても元気で愉快に飲んでおられた。

☆今日は昨日のひどい疲れを引きずったままで、一日体が重くつらかった。

まるで残暑の中で夏バテが戻ってきた感じだ。

夕刻は通夜から帰ってきたら、つらくてしばらくリビングに横たわっていた。

したがって、こんな状態ではハーモニカの地獄の特訓は不可能であった。


8月22日(月)

☆残暑厳しい晴れ。

気温自体は猛暑とまではいかなかったが、とても蒸し暑く、夕刻までに作業ズボンが汗でびしょびしょになった。

今年の6月下旬から7月上旬は30年に1回以下の異常気象だったそうだが、例年なら盆を過ぎると残暑は厳しくとも一気に秋めいた日が来るものだ。

しかし今年はお盆を過ぎても一向に秋を感じる気配がない。

☆モニュメント制作。

今日も山田が手伝いに来てくれた。

月のアール部成形を進める。

二人で一日中格闘しても、一向に先に進まない。

確実に少しずつは完成に向かっているのだろうが、夕刻に二人でモニュメントを眺めるとまだまだ先は遠いと絶望的な気持ちになった。

今の制作場所のグラウンドの使用許可期限である10月半ばまでには、どう考えてもモニュメントの仕上がりは不可能である。

☆昨日に4回目のワクチン接種をした妻は、ほぼ副作用はなく今日は普通に職場に出かけた。

☆今日は午睡の後から頭が重く、夕刻からも体がきつかった。

体調不良での夕食後のハーモニカ練習は、ほぼ地獄の特訓であった。


8月21日(日)

☆夜明け前から雨。

午後も降ったりやんだりの、不安定な気候。

蒸し暑さは続く。

☆モニュメント制作。

私は休養日だが、山田が作業に来てくれたので朝一に作業内容を指示。

今日の作業は山田に一任する。

☆私は体を休めながら、たまっていたデスクワークを片づける。

新しいこのWindows11のパソコンになってから、画像編集の勝手がわからなくなってしまっていたので、妻が図書館から借りてくれたWindows11の操作本を開いて、

依頼されていたみやざきエッセイストクラブの表紙画像の作品写真候補を整理する。

いくつかは「月の雫」掲載の画像を選んだのだが、「月の雫」掲載の画像と私のオリジナル画像を見比べていたら、「月の雫」掲載の画像は余分な部分を削除したりの

画像処理がきちんとされていることに気づいた。

☆妻が午前にコロナワクチンの4回目の接種を受けた。

夕食時から痛み止めの薬を服用しているので、今のところ腕が痛いだけで、副作用らしきものは出ていない。

☆6月のライブ終了から休んでいたハーモニカの練習を今日から再開する。

妻が秋のライブを予定しているので、新曲に挑む。


8月20日(土)

☆今日も時折にわか雨の降る不安定な天候の一日。

非常に蒸し暑い一日。

☆9時には高鍋へ帰宅。

今日は休養日で、ゆったり過ごす。

☆午後に、「歌の窓」小冊子をまだ送っていなかった友人・知人たちへのあて名書きをして送付。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は3026人。

そして今日も10万人当たりの新規感染者数全国ワースト1位を維持。

やはり乳幼児からの家族内感染が多いようだ。


8月19日(金)

☆残暑厳しい晴天。

作業場は風があったが、それ以上に陽射しが強くて暑い暑い一日。

☆モニュメント制作。

今日から月左上部のアール出しの作業に入る。

☆夕刻に妻と宮崎市へ出る。

モニュメントの制作を手伝ってくれている山田と奥さんを招いて、居酒屋で慰労の宴を持つ。

☆山田が数年前に大病を患い、体中をあちこち切ったり縫い合わせたりしているという衝撃の事実。

作業の一番最初にルートハンマーで横撃ちをさせたときは、山田はそのまま死ぬんじゃないかと恐れたという。

そんなことはまったく知らなかった。

いまはディスクの作業だけなので、問題ないというが。

それにしても、今回はアシストの声をかけた作家たちがコロナ禍で会えない間に、みんな脳梗塞等の大病で倒れていたり、病持ちばかりであった。

どこも悪くないのは私くらいである。

☆ホテルは定宿の県庁近くのホテルに泊まったが、これまでに泊まったことのない広々としたデラックスツイン、バス・トイレ別室でびっくり。

しかもジモミヤタビで、宿泊料は半額の上に4,000円のクーポンが出たので、実質の支払い宿泊料は駐車料金にわずかに上乗せた程度。

ジモミヤタビは利用しないと本当にもったいない。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者数は3,310人。

宮崎は10万人当たりの新規感染者数が沖縄を抜いて全国ワースト1位になった。


8月18日(木)

☆今日も不安定な気圧配置で安定しない天候。

午前は雨。

午後も遠雷のする時折の小雨。

その中を晴れ間が開く。

昨日までの暑さは和らぎ、夕刻は涼しさを感じる。

☆モニュメント制作。

黙々と、月左上部のアール面出し作業。

☆宮崎のコロナ新規感染者は過去最多の4114人。

お盆休みの影響はこれから出てくるようだ。

高鍋町内でもやはり主な感染者は10歳以下の幼児で、幼児の感染が家庭内で広がっているということ。

一般病院でも、防護服で対応に当たっている医師の姿が目立つようになってきているという。


8月17日(水)

☆今日も気圧が不安定で、一日曇天。

午後ににわか雨。

制作場所は風があって、暑さはなし。

夕刻に顔を洗っていると風が肌寒いくらいで、帰りは車のエアコンを止めて窓を全開にしたが、町場に入るとやはりまだまだ炎熱の蒸し暑さ。

しかし帰宅しても、以前のようなヘロヘロ感は無くなってきた。

☆モニュメント制作。

月左上部のアール面出し。

遅々とした進捗状況ながら、黙々と進めるしかない。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は3213人。

西都・児湯圏域も247人と高止まりのままだが、高鍋町はすでに累計2235人で、全町民の8,72人に1人が感染したことになる。

今の宮崎県内の感染状況は10歳以下の幼児の感染が多く、幼児たちから保護者、そして家族へと拡大しているようだ。

幼児へのワクチン接種率が極端に低いことが原因のようだ。


8月16日(火)

☆晴れ。

気圧が不安定で、にわか雨の来そうな雲が多く強風が吹いたが雨にはならず。

風があると暑さが和らぐが、凪になると猛烈に蒸し暑い。

家の中も、エアコンの効いたリビング以外はサウナ状態だった。

宮崎県内は延岡市が37度の今年最高気温の猛暑。

☆モニュメント制作。

お盆も明けて、後半戦へ。

しかし、やはり直ぐにディスクが切れなくなり、一日頑張っても進捗状況は微々たるもの。

うんざりとなる。

完成まであとどのくらいかかるのだろう。

まったく読めなくなってしまった。

☆焦げ臭い匂いがして動かなくなったグラインダーを工具代理店に点検してもらっていたが、やはりモーターが焼け付いてしまっていた。

電子制御タイプのものは、負荷がかかっても電気が流れていて壊れやすいということ。


8月15日(月)

☆非常に蒸し暑い晴天。

夕刻に軽いにわか雨。

☆今日までお盆休みで作業は休止。

☆朝一に、妻と延岡市へ。

風の菓子”虎彦”サロンで三兄が画集出版記念の個展を開催中で、今日は在廊しているということで出かけた。

三兄は初任校が延岡西高校で、長年延岡市に住んでいたので教え子が多い。

兄は不在だったので、連日のハードスケジュールで疲労気味なのだろうと思っていたら、昨夜になって38度の熱が出て(検査の結果は陰性)、今日は休養との

ことであった。

実は妻との二人展を延岡市でも開催したくていろいろ探してみたが、なかなかよい会場がなかった。

この虎彦サロンも紹介されたのだが、展示面積が狭いということで断念した経緯があったので、どれほどの展示スペースなのかを妻と確認したいこともあって、二人で

延岡市へ足を運んだ。

やはり小作品が20点ギリギリしか展示できない。

☆私は”虎彦”へ来たのは初めてであったが、若いころは延岡市の土々呂に住んでいたので毎夜のように延岡市内に繰り出して飲み歩いていたのだが、あれから

もう40年も経っているので、市内の様子がさっぱりわからなくなっていた。

スマホのナビの案内でも、なかなか”虎彦”がどこにあるのかわからなかった。

☆昼には高鍋へ帰宅。

☆夕刻に送り火を焚く。


8月14日(日)

☆晴れ。

非常に蒸し暑い炎熱の一日。

しかし風にはもう秋の気配がするし、ツクツクボウシも鳴き始めた。

☆朝一に日向市へ。

妻の実家の墓参をして、義姉宅へ。

☆午後に高鍋へ帰る。

午後は、新しいパソコンに移行できなかったソフトの再インストール作業をする。

☆高鍋町美術館の青井学芸員が夕刻に作業場を訪ねてくれたので、私も出かけて対応をする。

今日は午後から「児島虎次郎 もうひとつの眼」のギャラリートークが行われたので、青井さんは出勤日だった。

これまではなかなか多忙で、私の作業場へ顔を出すことができなかったようだ。

FACEBOOKで私が投稿している画像から受けていた印象とは異なった、想像以上に大きい石に驚いていた。

開催中の「児島虎次郎 もうひとつの眼」の写真の件を尋ねてみると、写真はネガからの複製ではなくプリントされたものをクレヴィスという写真集や作品集の出版を

行う出版社との技術協力によってプリントしたもので、アーカイブとしての保存ができる目的で制作されたものだという。

児島虎次郎は石井十次の娘婿で、大原孫三郎の支援による2回目の渡欧で、大原美術館の基礎となる作品購入を行ったことは有名だが、高鍋町の人は意外にも

児島虎次郎の名前さえ知らない人が多いようで、今回の企画展に強い関心を示してくださる方は県外からの来訪者だという。

高鍋町の残念な所である。


8月13日(土)

☆午前は陽射しの強い晴天。

お昼から雲が出て、午後に激しいにわか雨。

雨はほどなく上がる。

☆朝一に墓参。

☆午前に高鍋町美術館で開催中の「児島虎次郎 もうひとつの眼」展へ。

児島虎次郎が3回の渡欧時に撮影したものを中心にした写真と、児島の絵画作品の展示で、児島は東京美術学校在学時にカメラの技術を学んでいたようだ。

100年以上前の写真が実に鮮やかである。

☆午後に、この新しいパソコンに無料のイラストレーターとフォトショップをダウンロード。

ダウンロードしたCS2バージョンはかなり古いソフトなのでWin11でも操作できるか不安だったが、これまで作成した印刷データを開いてみると、無事に開けた。

少しずつ新しいパソコンの環境が整いつつある。

☆夕刻に迎え火を焚く。


8月12日(金)

☆朝のうちは晴天。

次第に雲が出て、午後は曇天となる。

蒸し暑い一日。

☆モニュメント制作。

月右上部のアール出し作業。

表側の作業に比べると、要領が掴めてきたのか、作業展開が早くなった気がする。

☆午前に、姪より一日遅れで帰省した、クーパー・マイケルたちが制作場所を訪れる。

クーパーには「月の雫」で伊藤一彦先生の短歌を英訳してもらった。

大学(沖縄科学技術大学院大学)の翻訳チームのチーム長が、クーパーの英訳Tankaをもっと簡潔に翻訳したいということで、研究室のデスクに「月の雫」を置いて、

伊藤先生の歌を丹念に読み解いているということ。

伊藤先生に伝えて欲しいということなので、夕刻に伊藤先生へメールを送る。

☆夜は妻のボーカル講師の片貝さんとお世話になっている照沼さんをお呼びして、私の手作りピザでおもてなしをする。

妻のアンプの調子が悪かったので、照沼さんに修理をお願いしていたそのお礼。

夜中過ぎまで楽しく盛り上がる。


8月11日(木)

☆晴れ。

非常に蒸し暑い一日。

今日の午前は宮崎市のホームセンターまで買い出しに出たので、ホームセンターのアスファルト駐車場の焼け付く暑さ、ホームセンター内の

強すぎる冷房との落差、車で走行中の陽射しの強烈な暑さで、蒸し暑さがいや増して、体中がべたべたとなってしまった。

制作会場に戻ると、海風が吹いて涼しい。

☆モニュメント制作。

山田は一日中作業。

私は持っているだけのグラインダーを駆使して、用途に応じたディスク等を取り付けなければ作業が間に合わない。

しかし兄が石材店を閉じたときに譲ってもらった日立のグラインダーには、いずれもハンドルが付いていない。

石材店はほとんど大口径ノコで作業するので、グラインダーでの作業にはハンドルを取り付ける必要のあるものはないのである。

だが彫刻の制作にはハンドルがないと作業にならない。

それで午前中に町内のホームセンターを回ったが、日立のハンドルは置いていない。

結局宮崎市のホームセンターまで走るハメになった。

日立のハンドルは置いてなかったが、メタボ製のものが適合した。

☆午後は日立のグラインダーにディスク類を取り付けるのに、またホームセンターへ走って、穴径調整リングを求めて、ディスク等を取り付ける。

しかしホームセンターには私たち彫刻家が使うような特殊なタイプのものがなく、あれこれ知恵を絞りながら厚刃を2枚取り付けたりする。

結局、作業に入れたのは夕刻の30分ほどであった。

☆今夜は3年ぶりに帰省した妹夫婦たちとの会食。

予約した居酒屋へは私たち以外の客は来なかった。

コロナの爆発的な拡大で、お盆前の祝日なのに、やはりみなさん家族での外での会食を自粛されているようだ。

☆コロナで閑散とした夜の街に、あかりオブジェが命の輝きを保ってくれている。

あかりオブジェはなんて素晴らしいプロジェクトなのだろうと、我ながら感激した。


8月10日(水)

☆晴れ。

今日も炎熱の一日。

しかし制作場所は海風が戻ってきた。

暑さはお盆を過ぎると一気に和らいでくる。

☆今朝はすっかり平熱に戻った。

病院の解熱剤は服用せずとも熱は下がったし、上腕の痛みもほとんどなくなった。

やはりワクチン接種の後遺症だったのだろう。

体調はすっかり恢復した。

☆モニュメント制作。

体調も回復し、暑さもまったく感ぜず、ヘロヘロになることもなし。

☆昼前に三兄と沖縄から6年ぶりに帰省した姪と孫が制作会場へ来訪。

引き続いて、帰省した妹たちが来訪。

そうこうしているところへ山田が来る。

山田は三兄の教え子なので、双方に驚いていた。

山田は今日と明日に作業をしてくれる。

午後には、私が作業場に戻る前に、同窓生で建築家のD君(博多在住)が顔を出してくれたとのこと。

☆宮崎の今日のコロナ感染者は、過去最多の3302人。

しかし西都・児湯圏域は先日に過去最多を記録した時の方が多かった。

すでに高鍋町は10人に1人の割合に近い感染率である。


8月9日(火)

☆晴れ。

今日も炎熱の陽射し。

☆朝の起き抜けはふらふら状態で、何もできず、コーヒーを飲んだ後はリビングのフロアーに横になっていた。

しかし、熱は平熱に下がってくれていた。

それで朝食だけでも摂ろうと思って、ご飯を食べ始めると、現金なもので、一気に活力が湧いてきた。

☆しばらく様子を見て、作業へ出かける。

今日は作業場は風があって、暑さはまったく気にならなかった。

だが経費の節約で切れなくなったディスクで作業していたら、肋間神経痛が右の背中に出て、耐えがたい苦痛で作業を中断しなければならなかった。

お昼前に午前の作業を終えると、集中力が途切れたのだろう、一気にヘナヘナ状態になってしまった。

ところが、お昼がまったく食べられない。

食欲がない、というのではなく、きつくて食事が這入って行かない。

☆午睡の途中で、昨日帰省した妹たちが仏壇に線香をあげに来た。

彼らが帰った後に、再び午睡をすると3時までぐっすり眠ってしまった。

そして、体温が再び37,8度まで上がってしまった。

妻が病院できちんと診てもらったほうが安心だというので、かかりつけのO内科へ電話を入れると、人手不足で発熱外来はお断りしているという。

胃カメラを飲んだことのある別の内科へ問い合わせると、風邪の外来ということで駐車場の車の中で診察を受けることができた。

私の症状から、コロナではなく、一昨日の4回目のワクチン接種の後遺症か風邪かは判断がつかない、ということであった。

それで解熱剤だけの処方となった。

4回目のワクチン接種はみなさん後遺症がひどいらしい。

とまれコロナの心配はなく、私も妻もホッとする。

ということで、午後の作業はできず。

夜になってもまだ37度台が続く。

夕食は元気の出そうなとろろご飯を作って、弱り切った体に流し込む。


8月8日(月)

☆今日も灼熱の一日。

☆モニュメント制作。

ワクチン接種の左上腕の痛みは変わらないが、作業できなかったら帰るつもりで作業を始める。

しかし左手はグラインダーに添えるだけなので、上腕の痛みは作業にはなんの支障もなかった。

それよりも、首筋の凝りがギンギンになっていて、ほとんど首がぽきりと折れてしまいそうな痛みでつらかった。

土曜日に整骨院が休みで、治療できなかったのが堪える。

午前は暑さに相当まいった。

☆午後は比較的落ち着いて作業できたが、夕刻になって一気にヘロヘロ状態なった。

今年の夏は異常に暑いというけれど、日本の昔のシンポジウムは炎熱の真夏の開催だったし、マレーシアは暑くて頭から水をかぶらねばならなかったので、それと比べると

暑さ自体はそれほどでもない。

☆夕刻にヘロヘロになって帰宅すると、パソコンに向かっているうちにゾクゾクしてきて鼻水が出て体温が急上昇してきた。

体温は37,8度になった。

今日は妻のボーカルレッスン日で、講師の片貝さんが東北出身なので宮崎の暑さに耐えられず、エアコンをギンギンに冷やしたままだったせいだろう。

あるいは、ワクチン接種の後遺症なのか。

それとも・・・、とひどく不安になる。

☆入浴したら、平熱に下がってくれた。

しかし夕食後は再び37度台になった。

解熱剤を服用して早めに床に就く。

☆このパソコンのFACEBOOKの表示の不具合は、スマホの表示になっていることが判明した。

いったんログアウトして、再びログインすると、正常の画面表示になってくれた。


8月7日(日)

☆日中は晴れ。

陽射しの強い一日。

夕刻から雲が出て遠雷で稲光。

少し雨がぱらつく。

☆一日、新しいパソコンの設定作業。

午前いっぱいはこのHPの転送設定作業。

今のサーバーに変えてからの転送設定をまったく記録していなかった。

サーバーとあれこれやりとりして、ようやくすべての設定項目が判明して、無事に転送設定ができた。

午後もいろいろ設定をする。

☆午後に、コロナワクチンの4回目接種。

☆暮れて涼しくなってから、庭の草刈り作業。

草刈りが終わってから次第に左上腕が痛くなってきた。

草刈り機の作業でどうして上腕が痛くなるのだろうと思っていたが、入浴時にワクチン接種をしたことを思い出した。

今回のワクチンはファイザー製で、これまでの3回もすべてファイザー製だったし、何も後遺症は起きなかったので安心していた。

ところが夕食後から次第に痛みが強くなり、寝入ってから激しい痛みで目が覚めた。

夜中に起きて、痛み止めを服用する。

体のだるさや熱はないが、こんなに腕が痛かったら、明日の作業はできるのだろうか。


8月6日(土)

☆晴れ

☆朝一に整骨院へ行ったら、休みだった。

☆午前に電化センターへ新しいパソコンを買いに行く。

最も軽いFUJITSUのノートを購入。

展示品の見切り品で、定価よりかなり安く、Windows11にアップグレードしてもらう。

これまで使っていたLet' Noteのデータ移行をお願いする。

☆帰路に作業場へ立ち寄り、作業に来てくれていた山田と打合せ。

☆ところがそのあとに異変が起きた。

データの移行には時間がかかるので、Let's Noteの電源コードも持ってきて欲しいということだったので、再び電化センターへ出かけてコードを届ける。

電化センターからの帰りの車中で、我が家の近くになって、立ち眩みのようなめまい状態になった。

次第に気が遠くなり、雲の中をふわふわと運転している感じで、ブレーキを踏んでも感触がない。

そして吐き気がしてきた。

作業中の立ち眩みなら、作業をやめてしばらくしゃがみこめば問題ないが、車の運転中に気が遠くなってしまったのでは、事故を起こして命にかかわってくる。

恐怖に襲われて、交差点を曲がり、邪魔にならないところに車を止めて、しばらくハンドルにうつ伏せになって落ちつくのを待つ。

なんとか運転できる状態になったので、車のあまり通らない裏道を通って、帰宅する。

妻に事情を話すと、義姉が先日に同じような症状で救急車で病院に運ばれ、検査入院したのだという。

熱中症である。

昨日から体調がすぐれなかったのは熱中症だったのだ。

今日は何もせず、寝室で横になって過ごすことになってしまった。

☆夕刻に、電化センターからデータ移行が終わったという連絡があり、妻に運転してもらって受け取りに行く。

帰路に再び作業場へ行くと、山田がまだ熱心に作業してくれていた。

作業が楽しくてたまらない様子である。

☆夕刻からは、新しいパソコンに移行できなかったソフト類のインストール作業。

まずはホームページビルダーを再びインストールしなければならないが、シリアル番号などを入力しなければならない。

だが私は先年の断捨離で、パソコン関係のほとんどのものを破棄してしまった。

手元に残していたわずかなデーターをもとに、なんとかJUSTショップの検索サイトでシリアル番号がわかり、ダウンロードすることができた。

しかしWindows11では、従来のパソコンとは異なった表示になり、Facebookも通常の表示ではなくなった。

このFUJITSUのパソコンはディスプレイの色彩が強烈すぎて、彩度を落としても目がちらちらする。

このホームページ日記の表示も文字が滲んでしまって、とても見づらく、目が疲れてしまった。

☆くたくたになって夕食の準備にかかるが、やはり熱中症の体調不良と、新しいパソコンの操作で神経がまいってしまっていて、ピザを作ろうと思って削ぎ始めた

生ハム原木のナイフを滑らせて自分の親指に食い込ませてしまった。

ピザは明日に回すことにした。


8月5日(金)

☆午前は晴れ。

昼前から雲が出て、昼ににわか雨。

午後からは再び陽が射して、暑くなる。

宮崎県内では、雨の降らなかった地域は猛暑日だったようだ。

☆モニュメント制作。

都城市に設置した”MOON DANCE”の資料を見ていたら、最初に市役所に提出した作品の仕様書には、きちんと昨日計算した通りでの完成時の重量を記載してある。

当時はちゃんと完成時の重量計算が出来ていたのだ。

制作に取り掛かる前に、問題の接合部の帯周辺の画像を撮り、結合部の帯の厚みと奥行きを測って、知人の彫刻家に送付。

午後になって、日本一の関ヶ原石材の担当者で、世界一石を解っているという方からの返答が届いた。

下部の補強は無くても、全然問題ない、と言うことである。

ただし、返しの作業や搬送時でのショックには気を付けるように、と言うことである。

これで安心して下部の補強が撤去できる。

☆夕刻に、山田が来訪。

明日作業に来れると言うこと。

私は作業はしない予定なので、作業の指示をする。

☆やっぱりまだ体の疲れが取れない。

作業中に水を飲むと、胃につかえて、いつまでも体調が落ち着かない。

夕食も美味しいのだが、胸焼けがして、胃にもたれてしまう。

夏バテはしていないと思うのだが・・・。


8月4日(木)

☆晴れ。

宮崎県内は猛暑日となったところは無かったようだ。

☆起き抜けから体がきつい。

宿酔ではないのだが、全く食欲が無く、飲みたいコーヒーも喉を通らない。

どうやら諸井君のアシストが終了して、一気に疲れが出てきたようである。

週の半ばだが、思い切って今日はゆっくり休養することにした。

午後に日大高校の教え子から制作現場に来ていると連絡があったが、事情を話して、秋口の涼しくなったころにきてくれるようにお願いする。

兎に角、私が倒れてはならないのである。

☆午後は自宅にある複数の”MOON DANCE”のマケットの重量を測り、加工する前の重量と作品完成時の重量とを割り出してみた。

そうしたら、”MOON DANCE”シリーズは、原石サイズの重量の40%から45%が完成時の重量だと分かった。

つまり、現在制作中の原石20トンのモニュメントは、完成時は8〜9トンになる。

私は完成時の重量は14,5トンだと思っていたのだが、形が出て来ると、そんなに重くは無いのではないのか、下部の補強は不要ではないのかと思えて来たのである。

先日、友人の彫刻家に補強の件で打診した時に、彼は左右の重量は4〜5トンくらいですかと聞いて来たので、いや完成時は14,5トンになるので左右は7〜8トンになる

と答えていた。

しかし、今日の計算では彼の問い合わせが全く正しかったと言うことに驚かされた。

経験豊富な作家である彼には、20トン原石の完成時重量が8トン前後だろうと判断出来ていたのである。

明日、結合部の厚みの詳細を計って、折れに対する懸念の度合いを判断したい。

☆完成設置時のモニュメントの重量が想定の半分くらいになると言うことは、県が判断を迷っている強度の問題にも関係してくる。

それで工務店の担当者に連絡して、強度計算をやり直してもらうことにした。


8月3日(水)

☆炎天の一日。

県内各地で猛暑日。

☆モニュメント制作。

私は月上部のアール面出し。

やはりこの石は硬すぎる。

何度かディスクが軍手をかすった。

アシスタントは下部の落とし作業。

☆アシスタントの諸井君は今日までの作業。

この15日間、まったく休むことなく、しっかり作業をしてくれた。

幸い、怪我もしなかった。

彼自身、石の作業は生れて初めての事だったが、2週間没頭できたことはとても得難い経験だったし、楽しかったようだ。

☆夜はモニュメント制作の栄養会。

当初は我が家で諸井君のお別れ会をする予定だったが、栄養会の話が出たので、こちらに切り替えた。

工務店の担当者にも参加してもらったが、彼と私の意外な接点が浮かび上がった。

彼はインドに一カ月いたことがあるというし、何より現在居住している佐土原町の自宅が、私が佐土原町時代に住んでいた家とほぼ重なるのである。

私が住んでいたのはもう37,8年前だし、先日広瀬中からの帰りに見たら、周辺の様相が一変していたので、同じ家ではないと思うが、彼がスマホの地図で指示した

場所は、まぎれも無く私が住んでいた辺りだった。


8月2日(火)

☆真っ青な夏空の炎熱の一日。

この暑さで、朝は夏バテ状態で体がだるい。

戦場へ出かけるような覚悟で作業場へ向かう。

☆モニュメント制作。

私は山田が作業していた月上部のアール面出し作業。

何故か、ディスクを新しい物に換えてもすぐに切れなくなる。

暑さのせいか。

アシスタントには下部の落とし作業をしてもらう。

☆夕食時にワイングラスを倒してしまって、パソコンがワインまみれになってしまった。

案の定、キーボードが正常に操作しなくなり、この文章は外付けのキーボードを使っている。

実は一昨夜にも全く同じ方向にワイングラスを倒してしまった。

私のパソコンの周囲には重要書類や書籍類が山積みになっていて、いくつかはワインまみれになって廃棄しなければならなかったが、幸い大切なものは無傷であった。

先日、誕生日前夜のワイングラスの倒れは、ワイングラスが勝手に倒れてきたものだったが、一昨夜と今夜は私の手が当たってしまった。

こんなに続けざまにワイングラスを倒したことは無いので、何かのシグナルではないかと、妻ともども気を引き締める。

☆夜中になって、肋間神経痛で右胸が強烈な痛みで目が醒める。

今年は車の運転中に、バックしようとして振り向きざまに胸が強烈な痛みに襲われて、呼吸が出来ないことが度々あった。

肋間神経痛は時々起きるので、余り気にもしていなかったが、今夜程苦しいのは初めてで、痛み止めを飲む。

肋間神経痛が起きるのは私のひどい猫背の為だと思うが、今夜の激痛はやはりモニュメント制作の疲労から来ているのではないかと思う

エジプトから帰って来た時に帯状疱疹になっているので、背中が痒くなると帯状疱疹が再発したのではないかと思ってしまう。

今度の土日はしっかり休養しよう。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は1981人。

西都・児湯圏域は過去2番目の多さの211人。

県内各地は3年ぶりに開催予定だったお祭り等が、次々に再び開催中止か延期になり始めた。


8月1日(月)

☆早朝の5時半からクマゼミの大合唱。

そしてギラギラ照りつける炎熱の陽射しと、大量の湿気を含んだ蒸し暑い熱風。

とうとう8月に這入った。

そして真夏が戻ってきた。

☆モニュメント制作。

今日も山田が来てくれて、アシスタントの2人は昨日からの月上部アール面出し作業。

私は帯のラインを入れたり、下部の補強部をどこまで落とすか思案する。

☆役場の担当課から、建立主旨銘板の書き方について問い合わせが有り、午後にこれまでの設置作品の銘板原稿をコピー。

昨日図面を引いた銘板台座の図面と一緒に渡す。

☆今朝、パソコンを開いて作業をしようとすると、幾らマウスをクリックしても何も開かない。

ネットで調べると、マウス自体が原因だとあり、確かに手でクリックすると正常に動作するし、妻のマウスを使っても正常に動作する。

マウス自体は動くので、何かマウスの動作環境が合わなくなったようで、夕刻にヤマダで新しいマウスを買ったら正常に動作した。


7月31日(日)

☆夜中は雨。

日中は薄曇りの晴れ。

陽射しは強くなる。

☆モニュメント制作。

私は今日も休養を取る。

今日も山田が来てくれて、諸井君と2人で作業。

私は朝一番と午後に顔を出し、作業の指示をする。

午前で月上部の厚み落としが終わったので、午後からアールの面落とし作業に這入ってもらう。

☆どう見ても、下部の補強用の部分が邪魔である。

このままでは下部のアウトラインも出ないし、フォルムも出せない。

設置後に修正作業をすると言うのも、ほぼ不可能な気がする。

それで知人の彫刻家に相談すると、補強を取っても折れることは無いのではないか、という返事である。

一度、キチンと完成時の重量を算出して判断したい。

☆私は午前に銘板台座の図面を引く。

県に提出する書類で、ロータリーの中に設置するものは全て事前に提出しなければならないと言うこと。

体調が悪く、線引きするのがやっとで、寸法入れは涼しくなった夕刻に廻した。

体力が落ちて来ると、若い頃のインド大陸での黄疸症状が出てくる。

ゼーゼーと肩で息をしなければ身動きできない。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は2029人。

しかし西都・児湯圏域は、過去最多の225人となった。


7月30日(土)

☆時折り強い雨の降る不安定な気候の一日。

気温は上がらず、しのぎやすかった。

☆朝一に整骨院。

電気治療はかなりヘビーだった。

院長の手当ても、左首筋の強い張りを訴えると、左肩甲骨の下に異常に硬い処があり、その指圧が激痛でのたうちまわる。

☆午前に建機リース会社でコンプレッサーのリース延長手続き。

☆モニュメント制作。

私は今日は休養を取る。

諸井君の報告では、山田が午前中に来てくれたと言うこと。

午睡の後に制作場へ顔を出すと、諸井君が月の上部の厚み落としで綺麗に面を出してくれているので驚く。

私でさえ四苦八苦しながらもすり切りで面が出せないのに、未経験の彼がきちんと作業してくれているのは驚異である。

彼は具象作家ながらきちんとそういう作業が出来る人なのだろう。

これで作業の進捗率が一気に上がってきた。

☆夕刻に読みかけていた福原美江さんの歌集「夕雨の盆」を読む。

☆やはり今日は休養を取って正解だった。

午睡をしたら、2時間もグッスリ寝てしまった。

夕食時も、妻がピムリコでのセッションに出掛けたので、独りで摂っていると、急激に疲れが出て酒も喉を通らず、早々に床に就いた。

相当に疲れが来ている。


7月29日(金)

☆台風5号の影響で不安定な天候の一日。

夜中に雨が降ったが、日中は陽射しの強い蒸し暑さ。

午後からは雲が出て、夕刻から風が強くなり、午後7時あたりに強い雨と風。

こんな時間にもう台風の影響が出れば、夜中から明朝にかけては強風で作業場のテントが飛ぶのではと案じたが、直に雨と風は弱くなった。

☆午前のうちに、高鍋町役場で駅前モニュメントの諸打合せ。

問題の心棒の件は、工務店での強度試験結果によって、予定通りの方法で問題ないという結論は出たと言う。

これから県の方に書類等を揃えて提出し、県の判断を仰ぐことになる。

県の立場としても前例のない事案なので、県の判断が出るまでには一カ月ほどはかかる見込みとのこと。

つまりそれまではモニュメント下部の作業にはかかれないので、上部の作業を進めておくしかない。

ロータリーの工事の方はお盆過ぎ辺りから少しづつ取り掛かって行きたいと言うことである。

☆モニュメント制作。

私の不在中にアシスタントはルートハンマーでの厚み落とし作業を進める。

土日も作業をすると言うので、今日中にエアー工具の作業を終えて貰う。

☆午睡の後に作業場へ行くと、山田が来てくれて作業している。

午前中だけ出勤して、午後から出て来てくれたようだ。

作業が楽しくてたまらない様子。

それで作業は2人に任せて、私は午後から休養を取ることにした。

☆休養を取るといっても、やるべきことは山積していて、「歌の窓」小冊子をまだ一部の方たちにしか送って居なかったので、友人知人たちへの宛名書きをして送付する。

やはり郵便局へ出かけたりしていると、足元がフラフラしている。

土日もできるだけ休養したいと思う。

☆家の外壁を塗装するため、業者に鳩よけの金網等をすべて撤去してもらった。

ところが塗装作業が終了すると、もう鳩が様子を見にやって来るようになった。

そして今朝は寝室のベランダから鳩の鳴き声がするので網戸を開いて見たら、すでに寝室の上の軒下に若い鳩のカップルが営巣をしてしゃがんでいた。

あわてて巣を落とし、鳩防止のペットボトルを軒下に差し込む。

若いカップルの愛の巣なので可哀相だが、産卵するともっとひどいことになる。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は2064人。

西都・児湯圏域もなかなか減らず、202人。


7月28日(木)

☆朝ににわか雨があったが、それ以外の天候の変化は無く、非常に蒸し暑い炎熱の一日。

全く風が無いのが堪える。

☆モニュメント制作。

今日も山田がヘルプに来てくれた。

3人で厚み落としの作業。

ルートハンマーでのインサートビットの横打ちは、私と山田は必死に衝撃を耐えながらの作業に成るのだが、若くて体格の良い諸井君はいとも簡単に打ち込む。

おかげで作業が快調に進む。

山田も手順がわかったので、作業が楽しくなってきたようだ。

☆作業は順調だったが、兎に角暑くてヘロヘロになる。

工場扇はアシストの2人に使ってもらっているので、私は無風の蒸し暑い中を扇風機無しで汗だくになって作業する。

しかし今日は工務店の作業員が草刈り作業をしていて、彼らは炎天下の中を延々と草刈り機を押していて、暑さの比は私どころでは無いと我が身を慰める。

☆夕刻に帰宅すると、すぐさま水風呂に這入って、缶ビールを飲んで、和室に横になってしばらく眠る。

もう今日で休みなしの11日連続の作業である。

そろそろ休養を取らないと、体が参ってしまう。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は昨日に続き、過去2番目の多さの2416人。

西都・児湯圏域も軒並み多くの感染者が出て、242人であった。


7月27日(水)

☆朝のうちは晴れ。

直に雲が出て雨となる。

日中はずっと雨で、暑さは和らぐ。

夕刻に青空が広がり一気に強烈な陽射しが降り注ぐが、夜になって再びの雨。

☆モニュメント制作。

今日は宮崎彫刻グループの山田が手伝いに来てくれた。

アシスタントの諸井君には、厚み落としの4つ目チッパー入れと削岩機入れをやってもらう。

山田には削岩機の穴を230mmグラインダーでカットしてもらい、ルートハンマーで厚みを落としてもらう。

木彫家の山田にとっては、いきなりの生れて初めてのハード作業の連続。

山田は来年春で定年退職の身であるが、良く頑張ってくれた。

一連のハードな作業によって、石が大きく割れる快感への過程を体験して嬉しかったようだ。

☆昼に、3年連続で夏祭りの中止となった火産霊神社の神輿巡行。

私は神輿はトラックに載せて各御旅所を廻ると聞いていたのだが(昨年は指定された時間に出掛けたら、祭事はとっくに終わっていて影も形もなかった。時間変更の連絡が

私には来ていなかったらしい。)、神社入口では太鼓台が太鼓をたたいているし、神輿には獅子舞が同行し、結構な人員が神輿に同行して、通常通りに酒や肴のお接待が

行われていてびっくりした。

私も神社の役員だが、何も知らなかった。

神社での神事の案内さえ来ていない。

☆夜半に火事。

隣の消防機庫では火事が納まってからの真夜中に、大声での後片付け作業で、疲労困憊で床に就いている私は眠りを妨げられて非常に辛かった。

☆今日の宮崎のコロナ新規感染者は、過去最多の2447人。

西都・児湯圏域もどこも20人以上の感染者で、188人の感染者。

土日の夏祭あたりでの感染者増ではないのだろうか。

宮崎県は、明日から全ての飲食店での会食制限を強化すると発表した。


7月26日(火)

☆兎に角、暑い暑い一日。

宮崎県内はどこも猛暑日ではないかと思ったが、気温は最高で都城市の34,8度だった。

しかし風が全く無く、相当に体に堪えた。

☆モニュメント制作。

連日の猛暑の中、もう9日間休みなしの働きづくめである。

午前中は息が上がって、ほとんど夢遊病状態。

扇風機嫌いの私も、流石に今日の暑さでは扇風機なしでは作業に身が入らない。

動かなくなっていた古い工場扇を分解してみたら、接触が悪いだけで動くことは動く。

しかし暫くは動いてくれた工場扇もとうとううんともすんとも言わなくなった。

昼にアンジェラスの森へ上がって、また新しい工場扇を持って来る。

☆私は厚み落としの削岩機位置の墨入れ作業。

アシスタントはアウトラインのカッティング作業。

午後半ばからは私もアウトラインのカッティング作業をやったら、体を動かす分、いくらか体力が戻って来てくれた。

☆天気予報では明日からずっと雨模様である。

少しはしのぎ易くなりそうだが、どこかで一日体を休めないと、身が持たない。


7月25日(月)

☆焼けつくような晴れ。

県内各地では猛暑となり、風が無いのでめちゃくちゃ暑かった。

☆モニュメント制作。

8時半には制作場所に這入り、クレーン作業のために設備を片付ける。

9時には役場担当課職員と観光協会職員が来てくれて、テントの移動。

10時前には65トンクレーンが来て、モニュメントの返し作業。

クレーン車のオペレーターもどう吊って返せばいいのか頭を悩ませたが、試行錯誤して無事にモニュメントを起こし、裏返して倒すことが出来た。

これからまだ何度か返しの作業をしなければならないが、今日の作業でオペレーターも手順を理解してくれた。

テントを元に戻して、クレーン作業は無事に終了。

炎熱の猛暑のなかで、皆さん汗だくで手伝っていただいた。

午前のうちに裏面の墨入れ作業をする。

☆午後からはベニヤ型を写して、裏面の作業に這入る。

大きく落とす処はアシスタントにルートハンマーで落としてもらう。

私は厚み落としのための削岩機入れの墨入れ。

☆午後に運輸会社の社長が飲み物の差し入れ。

返しの作業の画像を見せて、完成時のモニュメントの状態を理解していただいた。

☆今日はクタクタになったのでさぞや疲労困憊かと思いきや、入浴後にリビングの床に倒れ込むことも無かった。

夕食も納豆と鶏レバーニラ炒めなどを摂ったら、どれもすごく美味しくて食欲旺盛だった。

とまれ、無事に返し作業を終えて前半の大きな山場は越えた。


7月24日(日)

☆蒸し暑い炎熱の一日。

☆モニュメント制作。

私は月右上部のアール修正。

アシスタントは下部落とし。

帯部の厚み面を出しておきたかったが、下部の帯部立ち上がりを出しきれず、帯の上部の墨入れまでしかできなかった。

しかしなんとなく全体のフォルムが見えてきた。

☆夕刻に、昨日当て逃げされた隣の金物店倉庫角の作品を元の場所に戻す。

そうしたら、台座の上にくっきりとタイヤの跡。


7月23日(土)

☆炎熱の一日。

☆朝一に整骨院。

☆整骨院を出て、アンジェラスの森へ上がり、作業場で使っている古い工場扇が壊れてしまったので、新しい工場扇を持って下りる。

☆モニュメント制作。

土・日は作業をしないと決めているが、せっかくアシスタントが来て居るのに遊ばせるのはもったいない。

予定では私は作業せず、時々顔を出してアシスタントへの指示をするだけのつもりだった。

しかし月曜日にクレーンが来て作品を返すので、それまでに月の上部の仕上げ作業を進めておくことにした。

体の方は疲れは全く無いので問題ない。

騒音の大きい削岩機だけは使わないようにする。

☆私は月右上部のアール整形。

ダイヤカップを掛けながら面を決めて行く。

諸井君は下部の落とし作業。

☆我が家の木造部塗装作業は今日の午前で終った。

家が見違えるように綺麗になった。

雨による腐食で傷んでいた部材も補修してもらった。

☆夜に”炊きぎょうざ 喜八郎”で諸井君の歓迎会を妻と一緒に行う。

今夜は高鍋町の商店街は3年ぶりの夕やけ市で大賑わいだった。

”喜八郎”はその夕やけ市で賑わっている商店街にあるので、高鍋町は今日も西都・児湯圏域で最多33人のコロナ新規感染者が出ていて、不安な中での酒宴であった。

2年前に高鍋町で大規模なクラスターが発生した夜も、クラスターが出たスナックの直ぐ下の居酒屋で私と妻は飲んでいた。

何ごとも無いように祈るのみ。

久しぶりの”喜八郎”はどのメニューもとても美味しかった。

☆昼に回覧板を廻しに行ったら、隣の金物店倉庫の角に置かせてもらっている私の大理石作品が、当て逃げされているのに気がついた。

台座の元の位置がまだ水が溜まったままの状態だったので、直前に当て逃げされたようだ。

青い塗料が2カ所点いているが、衝撃傷はないのでゆっくりバックしていて当り、そのまま逃げ去ったものらしい。


7月22日(金)

☆本格的な猛暑が戻ってきた。

☆朝、作業場へ行くと、作業場に添った宮田川の対岸にもの凄い数のアキアカネ。

そのアキアカネの大群が川を越えて作業場になだれ込んでくる。

おそらく一斉にアキアカネが羽化したのだろう。

☆モニュメント制作。

私は月右上部のアール整形。

諸井君は下部の落とし作業。

アンカー業者と打合せながら、落としても問題ない部分を落としてもらう。

☆今日は暑かったので、かなり疲れたが、帰宅してへばってしまうほどの疲れは無し。

☆我が家の木造部の塗装工事はとても丁寧に仕事をしてもらっている。

漆喰の部分も白く塗り直してもらったので、汚れが無くなった。

雨漏り防止のコーキングもしっかしやってもらっている。

☆今日もコロナ新規感染者は爆発的な広がりである。

宮崎県は1935人で、西都・児湯圏域は133人。

日向市は細島の港祭りで爆発的に広がったと言う。

明日の高鍋町の夕やけ市や他の市の夏祭りは大丈夫なのだろうか。

ここにきて身裡にもコロナ陽性者や濃厚接触者が出てきた。

もういつ誰が感染者になってもおかしくない。

私は殆ど人と接触しないが、私が感染すると10日間は療養しなければならなくなるので、その間のモニュメント制作がストップしてしまう。

そうならない事を願うのみである。


7月21日(木)

☆曇りのち晴れ。

午後から陽射しが強くなるが、風が強くて、テントの中は暑さはなし。

☆世の中は、小中生徒は今日から夏休み。

時間があっという間に過ぎ去ってゆく。

☆モニュメント制作。

私は月左上のアール成型。

半分ほどダイヤカップを掛ける。

厚刃2枚刃を掛けた後を125mmの厚刃で均してゆけば、UFOディスクの片面摩耗が減ることに気付いた。

☆諸井君は削岩機、230mmディスク、ルートハンマーを使っての下部の厚み落とし。

彼にとっては生れて初めて使う工具ばかりだが、自分でナイフを作ったりする機械工作好きなので、呑み込みが早い。

極めて優秀なアシスタントである。

☆朝のうちに、高鍋高校OB展事務局の小森さんが栄養ドリンク持参。

そして、午前のうちに高鍋町長と教育長が来訪。

☆雨続きで作業の止っていた我が家の雨漏り工事は、今日から木部の塗装直し作業に這入った。

夕刻に帰宅してみると、木部が美しく蘇っていた。

☆全国的にコロナ感染者が爆発的に増加している。

宮崎県も初めて2000人台を突破して、過去最多の2182人の新規感染者であった。

西都・児湯圏域も、高鍋町が最多の39人で、合計156人という驚異的な数を記録した。

高鍋町は16人余に1人はコロナに感染したことになる。

23日の土曜日は、高鍋町では3年ぶりの夕焼け市、同じく県内各地で3年ぶりの夏祭が開かれる。

今回のオミクロン株は重症化は無いと言うけれど、大丈夫なのだろうか。


7月20日(水)

☆今日も不安定な天候の一日。

夕刻から晴れ間が出る。

気温はあがらず。

☆モニュメント制作。

午前の裡にアシストの諸井君が佐賀からやって来てくれた。

彫刻集団佐賀のメンバーなので佐賀大学の後輩だと思っていたが、作品はかなり力が有り、彫刻で食べていると言うことなので、佐賀大の後輩にそんな作家がいるのかと

驚いていた。

しかし彼は熊本の崇城大学の彫刻科の出身で、佐賀市出身・在住で、それで彫刻集団佐賀に誘われたということである。

我が家の長男と同じ学年である。

しっかりした青年である。

☆諸井君には下部の厚み落としのための削岩機入れ作業をしてもらう。

具象作家なので、削岩機を使うのは初めてだが、呑み込みは早く、安心して任せておける。

私は月左上部のアール出し。

なかなか面が決まらない。

こんなに手こずる作業は初めてで、こんなことをやっていたのではいつ終わるともわからなくなり、泣きたくなってきた。

午後後半からはダイヤカップを掛けて行く。

☆朝一に福原さんから連絡があり、昨日は色んな方に「歌の窓」小冊子を渡していただいたということ。

小冊子を見直していたら、あれほど入念にデータのチェックをしたつもりが何カ所かイラストレーターへの打ち込み直しの時にミスをしている。

朝のうちに、近しい友人たちに郵送する。


7月19日(火)

☆夜中は雨。

日中も降ったり止んだりの不安定な天気。

南九州にも線状降水帯の予報が出たが、宮崎県での発生は無く、雨も強くはなし。

気温は上がらず風の涼しい一日。

☆モニュメント制作。

月左上の立ち上がり部のカッティング。

及びアール出し。

夕刻にダイヤカップを使ってみる。

面出し作業を厚刃の2枚刃に全面的に頼っている。

それで消耗が激しいので工具代理店に追加注文をしたら、現在はもうメーカーが厚刃の制作はしなくなっているのだと言う。

調べて貰ったら、メーカーのよく解らないものが少し残っていると言うことで、急ぎ、取り寄せて貰う。

125mmのUFO型ディスクは良く切れるのだが、消耗も激しい。

50枚取り寄せたのだが、この分では足らなくなるのではないのだろうか。

☆福原さんから「歌の窓」小冊子を受け取ったという連絡があった。

今日は日向市中央公民館で、今回の牧水賞受賞者の黒瀬珂瀾氏と前回の牧水賞受賞者の谷岡亜紀氏の講演が行われた(前回はコロナで授賞式が行われなかった)。

それで、黒瀬氏と谷岡氏、その他関係者に「歌の窓」小冊子をお渡ししていただくと言うことである。

グッドタイミングだった。

使用許可をいただいた宮崎日日新聞の編集局管理部にもお送りする。

☆昨日に長男から浜茹でのトゲクリ蟹が送られてきたので、今夜は一足遅れの誕生祝をする。

トゲクリ蟹は青森県の特産品で、太宰治も大好物だったらしい。

雌には内子がたっぷり入っていて、これが珍味で通に好まれると言うこと。

なかなかに美味しかった。


7月18日(祝・月)

☆一日不安定な空模様。

雨が降ったり強烈な陽射しが照りつけたり。

午後は風が出て涼しくなる。

夜になって雨。

☆今日は祭日だが、モニュメントの進度がかなり遅れているので、作業をする。

20日からアシストが来て下部の作業をするが、心棒の穴位置が白紙になったので、厚み落としの削岩機入れの場所を変更して、墨を入れ直す。

月左上部のアール出し作業。

なかなか思うように進まない。

☆午後にアンジェラスの森に上がって、アシストのために工場扇と午睡用のリクライニングチェアを持って下りる。

しばらくぶりのアンジェラスの森は、もううっそうたる草に埋もれてしまっていた。

☆午後に宮崎彫刻グループの山田が、缶ビール持参で顏を出す。

夏に時間を見て少し作業を手伝ってもらいたいと思っている。

日向現代彫刻展の時に石の作品を石材店で作った経験があるので、カップ砥石等の作業は出来るということ。

☆午前の裡に「歌の窓」の小冊子が届いた。

早速昼食後に梱包して、福原さんと伊藤先生に宅急便で送る。

明日に届くと言うことだが、今日は牧水賞の授賞式で、牧水賞関連のイベントが3日ほど続いて、お二人とも最も多忙な時である。

お二人とも「歌の窓」小冊子を目にされるのは、一連のイベントが終わってからになるだろう。

☆長男から、誕生日祝いの蟹が届いた。

浜茹での”トゲクリ蟹”であった。

感謝。


7月17日(日)

☆曇りのち雨。

雨は小雨。

気温は上昇せず。

☆朝の裡に、雨漏り工事業者の木部塗装直しの足場組み作業。

雨が降り始めたので、午前早くに引き揚げる。

☆午後は、妻と南町ジャズに出掛ける。

以前に南町ジャズに来られたことのあるボーカルの白谷典子さんとオルガンの坂本格一さんご夫妻に、クラシック演奏家のチェロとピアノ、そして宮崎出身の若手のドラム

が加わってのJxC(ジャックスシー)というユニットの演奏。

ジャズとクラシックの融合と言う珍しいスタイルである。

全員、大分県在住のミュージシャンで、クラシックの演奏家たちは県立芸術系高校の非常勤講師などをされているようだ。

前半は音のバランスがあまり良くない感じだったが、第二部の半ばからは乗りの好い生き生きした演奏を楽しむことが出来た。

☆ケガの短期保険を探すが見つからない。

海外旅行保険のように期間を設定しての短期保険が在ると思うのだが、殆どは短くて1年間、長くて10年間の月払いか年払いである。

しかも旅行やスポーツ、レジャー対象の保険が主流である。

作業中の怪我は一瞬にして起きるので、アシストを使う以上は保険を掛けておきたいのだが。


7月16日(土)

☆夜中に強い雨。

しかし「線状降水帯」の発生は無く、雨漏りもせず。

日中は雲は多いものの、ほぼ晴天。

☆朝一に整骨院で治療。

☆昼前に隣町の衣料品店で作業ズボンを購入。

☆今日は日中は何も予定は入れず。

土日は作業を休むが、あれこれ予定を入れてしまうので、何もせず、何も考えず、のボーッとした時間が欲しい。

☆アシストのための短期の傷害保険をネットで調べるが、レジャーや交通事故などが対象の短期保険はあるが、普通の怪我が対象のものが見つからない。

☆夜は先日のライブの打ち上げ。

サポートの片貝さんと照沼さんをお呼びして、居酒屋で飲む。

私の誕生祝も兼ねる。


7月15日(金)

☆夜中は激しい雷雨。

雨は朝までに止み、一時的に青空も開けたが、午前のうちに再び雨。

午後は小康状態だったが、午後半ばからまた雨となり、夜に這入って再びの雷雨。

水冷で肌寒く、気温は挙がらず。

南九州は線状降水帯の恐れの予報が出ていたので、兄妹たちや友人たちから雨の被害を心配するライン等が届いたが、何ごとも無し。

☆モニュメント制作。

一日、月の結合部のフォルム出しと立ち上がり部のカッティング作業。

ずい分、月上部のフォルムがしっかり出てきた。

☆心棒の件で工務店の担当者に確認を取ると、石の強度の問題などきちんとしたデータを取ってからの判断になるので、心棒の方向が確定するのはかなり先になるという。

駅前ロータリーの設置場所は県の土地なので、管理する県がOKを出さないと、設置そのものが出来ない。

しかし、それでは来週からの本体下部への作業が全く出来なくなる。

やっとアシストが見つかったのに、彼が来てくれても何もすることが無いし、ただでさえ進行が遅れているのに、さらに県から待ったを掛けられたのではどうにもならない。

だが私も73年も生きていると、物事の展開には必ず思わぬ問題が生じて、しかしそれは必ず解決策が見つかると言う経験値を体得しているので、問題が生じた時には

それなりに慌てふためくが、けれど絶望はしない。

先ずはアシストの佐賀大の後輩のスケジュールを確認すると、変更は不可能と言うことだし、今の石の状況を点検すると、心棒の位置が決まらなくても、本体下部の作業を

進める部分はあることを確認した。

それで後輩には予定通りに来週に這入ってもらって、進めるところまで下部の作業を進め、途中で返して裏側の上部の作業を進める事にした。

コア業者からの連絡で、コアの径が変更になればダイヤモンドコアをあたらしく発注すると2週間はかかると言うことなので、コアの作業は裏返してからの作業になる。

☆無事に73歳の誕生日を迎えた。

73歳という高齢者の身で、こうして20トンの石に日々向かって仕事の出来る生き様が、なんともうれしい。

この一年も健康に留意して、充実した生活が出来ることを願いたい。

☆今夜の誕生日祝いの夕食は、簡単に済ませる。

明日が先日のライブの打ち上げなので、もう連チャンは体力的に堪えるので、形だけの誕生祝で済ませる。

次男から、またスペインの生ハム原木が誕生祝で届いたので、それを少しおつまみにする。

長男は間違って私へのプレゼントを本人に送ってしまったので(スマホでの入力ミスなのだろう)、後日届くということ。

まずは健康で73歳の誕生日を迎えられたことに感謝。


7月14日(木)

☆炎熱の一日。

朝のうちは強い風が吹いたが、日中は無風状態となり、非常に蒸し暑さの厳しい一日となった。

☆モニュメント制作。

月右上部のアール出し作業と、立ち上がり部のカッティング作業。

☆午睡中に、工務店の担当者から電話。

県の方から、心棒についての再検討の連絡が入ったと言うこと。

心棒の径については問題ないけれど、そのために本体に160mmのコアを開けると、本体の強度が保てないのではないのか、と言うこと。

今週中にコア作業に這入る予定だったので、折り返しコア業者に作業をしばらく待ってもらうように連絡する。

しかし来週の20日から佐賀大の後輩が手伝いに来る。

上部の作業は私の仕上げ作業だけなので、来週からは下部の作業に入る予定である。

コア作業がストップすると、アシストが来ても何も出来なくなる。

☆今日のクソ暑さに、誰かアイスの差し入れでもしてくれないか、思っていた。

そこへ午後になって、大石石材の大石君が焼酎を持ってやってきた。

そして、アイスかスイカでも買って来ましょうか?と言うので、そう思っていたところだと答えるとコンビニに走ってくれた。

アイスとスイカと梅干を食べながら、近況を語る。

大石君は今年になって演歌歌手デビューを果たした。

そのうち私のハーモニカとジョイントした曲を作りましょう、という話などで盛り上がった。

☆今日の暑さと、アイスとスイカと梅干を一気に摂ったことで、夕刻から体調がおかしくなってしまった。

家に帰ると、入浴後はリビングの床に寝転んだまま動けなくなった。

やはり誕生日前後はこうして体調を崩してしまう。

☆今日で72歳は終った。

父が72歳で他界したので、ようやく父の寿命を超える事が出来た。

夕食中に、お酒をワインに切り替えて、ワイングラスをテーブルに置いて手を差し伸べようとした途端に、ワイングラスが勝手に倒れてしまった。

妻は、私がワイングラスに触ったからだと言うが、ワイングラスに触れたかどうかは本人の私が知っている。

ワイングラスは手を差し伸べようとしたときに、勝手に倒れた。

マレーシアのゲストハウスでも同じことがあった。

72歳の最終夜に、何かの帳尻合わせが必要だったのか。


7月13日(水)

☆晴れ。

風が無く、非常に蒸し暑い一日。

大気が不安定で、午後からは雲が出たが雨には至らず。

夕刻はしのぎやすくなる。

☆モニュメント制作。

月右上部のアール出し作業。

及び月の立ち上がり部のカッティング作業。

☆午前に工務店の担当者と、私の作業の様子を見たいと言う事務の娘さんが来訪。

担当者と少し打合せ。

この作業場での作業は9月末までという約束なのだが、そこをぎりぎり10月半ばまで延ばせそうである。

判断は8月末か9月初めの進行状態を見てのことになる。

☆今日は風も無く蒸し暑かったし、汗は出ないがとにかく水分補給はするようにと言われるので、努めて水分を補給する。

しかし私は体質的に、水分を多く取ると胃への負担が大きくて、逆に体調を壊して、夏バテ状態になってしまう。

今日も水分を摂り過ぎて体力が無くなり、カッティングのハツリ作業は息が切れて辛かった。

しかし夕刻に自宅へ帰ると、気分は落ち着いて疲れは全く無かった。

昔はこの時期は兎に角夏バテで体調が最悪だった。

中学時代は校舎の階段を上がるのさえ辛かったものだ。

特に誕生日前後は吐いたり下したりという最低の健康状態だったが、なぜか近年は夏バテしていないことに気付いた。

私は今が最も健康的なのではないのだろうか。

☆雨漏り工事は、外壁のコーキングのやり替え作業。

☆今日の宮崎のコロナ感染新規感染者は、過去最多の1199人。

九州各県も長崎県以外は1000人を越えている。

ただ今は経済活動との両立という対応なので、宮崎県は昨日に「医療緊急警報」を発令したが、飲食等の制限は変更は無い。


7月12日(火)

☆晴れ。

今日はとても蒸し暑かった。

作業場も樹木の枝葉や草草は気持ちよさそうに風に揺れているが、テントの中には風は通らず。

☆今朝はようやくクマゼミが近くで鳴いた。

☆モニュメント制作。

月右上部のアール出し作業。

ダイヤカップを掛けてみたら、やはり石が硬くて、ダイヤカップの掛かりがとても悪い。

そして次第にフォルムが見えてくると作品に大きさが出て来て、ふっと俯瞰すると、こんな大きな作品は独りで作るものではないと、ぞっとする。

独りでやっていたら1年近くはかかる。

土・日を休んでいる場合ではないのではとも思うが、それで体がダウンしてしまっては元も子もない。

☆午後に、雨漏り工事の足場の搬入。

明日からの作業になるのだろう。

それで午後から家の駐車場を空けておいて、ということだったので、昼食後は直ぐに作業場に戻った。

マレーシアでのように石の上で午睡をしようと思ったが、今日はテントの中に風が通らず暑かったので、午睡は取らず、作業にかかる。


7月11日(月)

☆晴れ。

朝のうちは無風で蒸し暑かったが、昼前からは風も出て、午後は雲が多く気温は上昇せず。

☆モニュメント制作再開。

月左上部の月のアウトラインの修正。

および、月上部の立ち上がり部のカッティング。

☆今日は妻のヴォーカルレッスン日で、講師の片貝さんが妻と制作場所に顔を出してくれる。

☆明日から雨漏り工事の業者が入ることになったので、作業足場設置のために、夕刻に再び雑草の伸びて来た裏庭の草を取る。

☆妻がO内科の定期健診に行ったので、私の先日の血液検査と尿検査の検査結果を聞いてもらった。

そうしたら、尿の方は異常は無かったが、血液の血糖値がとても高くなっている。

それで「糖尿病食事療法」のパンフレットを貰って来たので、妻とチェックする。

しかし我が家の食事は割とバランスを考えて摂っているし、還暦以降は胃が小さく成ってしまったので暴飲暴食はしなくなった。

お酒も、まったく糖の含まれないワインしか呑んでいない。

改善するところが見当たらないので、取りあえず暑くなってから毎晩飲むようになった缶ビールを少し控えめにして、ワインも水と一緒に飲んで量を抑える事にした。

だが、日中に暑い中で肉体労働をしたのにビールがごくごく飲めなくなり、ワインも量を抑える精神的なストレスのほうが悪効果のような気もする。

☆夕刻に遠くで蜩の鳴き音。

ようやくセミの声を聞くが、ニイニイゼミではなく、いきなり蜩である。

近年は秋の到来の象徴であったはずの蜩が、夏の初めから鳴いている。


7月10日(日)

☆晴れ。

陽射しの強い一日。

☆ホテルの朝食も久しぶりにひどいものだった。

☆早目にホテルをチェックアウト。

帰路にホームセンターで花の苗を買って帰る。

☆帰宅してすぐに参院選の投票を済ませる。

☆一日、「歌の窓」のイラストレーターデータ作成の続き。

夕刻までに一通りのデータを作成完了。

入念に校正して、夜までにネットでデータを入稿し、無事に発注完了。

500部を発注。

☆佐賀大学の後輩が、今月20日から2週間、手伝いに来てくれることになった。

非常に有り難い。


7月9日(土)

☆夜中は激しい雷雨。

雨は朝までには上がり、日中は暑い陽射しの晴天。

☆朝一に、整骨院で治療。

☆一日、「歌の窓」小冊子発注のイラストレーター原稿作成。

この春に作成した二人展の作品集のイラストレーター原稿作成の方法を、もうすっかり忘れてしまっている。

特に画像を”埋め込み”にしなければならないのだが、その方法がさっぱりわからない。

悪戦苦闘して、なんとか”画像埋め込み”が出来るようになった。

文章は、原案のWord文書のコピーを貼り付けることが出来るのだが、レイアウトが乱れて仕舞ったりで手直しの時間の方がかかってしまう。

結局、文章はすべてイラストレーターに打ち込みなおすことになり、作業は半分しか進まなかった。

☆連日の体力勝負で、食べて元気が出るものと言えば”うなぎ”である。

それで妻がネットで探した宮崎市内のうなぎ専門店で、土用のうなぎの日を前に、今夜”うなぎ”を食べる事にした。

夕刻に宮崎市へ出て、お店が宮崎駅前のビルの中に在るので、宮崎駅東口の”リッチモンドホテル”にチェックインする。

お店に行くと、かなりのお客で賑わっており、私たち夫婦は別室の個室で静かに一番高い”うなぎ会席”を摂る。

ところが、この”会席”がクセモノだった。

いくら待っても肝心の香ばしいうなぎのかば焼きが出てこない。

うなぎ専門店なのに、途中で鶏の串焼きが出てくる。

うなぎが出ても、うまき(うなぎの卵焼き巻き)や白焼き、うざく(うなぎの酢の物)で、ぼってりした白焼きで厭な予感がした。

最後の方で小ぶりの”うな重”が出たが、私の一番嫌いなタイプのべっとりとぶよぶよした吐き気を催すタイプのうなぎだった。

そのころから私は完全な無口になってしまった。

ネットのクチコミでは”5”の評価が並んでいたお店である。

完全に裏切られた。

昔の天然もののうなぎのかば焼きが脳裏に染みついている私たちの世代にとっては、今の養殖のぼってりしたうなぎはゲテモノでしかない。

妻の若い同僚に、うなぎだけは食べられないという方がおられるというが、若い世代はこのベトベトブットリしたゲテモノうなぎしか知らないからだろう。

うな重を完食するのは拷問に等しかった。

折角出してもらった旨い日本酒も残してしまった。

☆おいしいうなぎで週末に元気を取り戻して、来週からまた炎熱の中で頑張る英気を養おうという目論見は見事に裏切られた。

無口でお店を出て、耐え難い後味の悪さを払しょくするために帰路にワインを買ってホテルに戻ったが、このワインがまたあまりにも不味かった。

お腹だけ腹いっぱいなって身動きできず、後味の悪い気分で早々にベッドに横になる。


7月8日(金)

☆晴れ。

陽射しの強い一日。

夕刻に軽いにわか雨。

☆朝一に、O内科で血圧の定期健診と、年に一度の心電図、胸部レントゲンと血液・尿検査。

朝食を摂ってはいけなかったのでフラフラ状態で検査を受ける。

そのせいか、何時もより心電図の不整脈の波が多かった。

O医師から”動悸がすることはありませんか?”と問われたが、今のモニュメント制作による疲労困憊で、昔、黄疸になった時の呼吸困難な状態にはなります、と答える。

しかし聴診器での診察では、不整脈の音(ドーンというキャノン砲の音がするという)がしないので問題ないと言うこと。

レントゲンは、2年前のレントゲンから何も変化がなく、肺、胃、心臓ともに癌は認められず、異常はないと言うことで安心する。

最近、私の友人たちで脳梗塞で倒れる人が相次いでいるので、こうした健康診断で脳梗塞の予兆はわかるのか聞いてみると、脳梗塞は突然来るものなので、事前には

診察で分かることはできないと言うこと。

☆モニュメント制作。

午前は無風で蒸し暑かったが、午後は海風が吹いて涼しかった。

月左上部のアール面を出してゆく。

石が硬いので遅々たる進み方だが、少しずつフォルムが見えてきた。

☆作業場はアブが多い。

昨日あたりから背中に止って、痛い。

チェコでは、肩に止ったアブに気を取られた途端にディスクが撥ねて顔面を直撃し、大怪我をした。

☆今日の安倍元首相の銃撃死事件はあまりにも衝撃的だ。

今の日本でこんなことが起こるなんて。

今日の事件で思い返されるのは、1960年10月12日に浅沼稲次郎・社会党委員長が日比谷公会堂で、17歳の右翼少年・山口二矢に暗殺された刺殺事件だ。

当時、浅沼委員長は精力的に日本全国を遊説して回っていた。

高鍋町にも来られて、当時の我が家のすぐ目の前、今のつくみやフルーツが在る場所に、ネオンサインのアーチがあって、その足元で浅沼委員長が街頭演説をされて

いた。

仕事中の父が、今演説している人は有名な人だから、聴きに行け、と私に言ったので私は浅沼委員長の傍らで演説を聞いた。

ところが、翌日か翌々日にこの暗殺事件が起きた。

浅沼委員長が刺され、メガネが吹き飛び腹を押さえている姿と、山口少年が足を大股に開き、黒いスーツ姿で両手でしっかりナイフを右脇腹に構えている映像が今でも

鮮やかに蘇ってくる。

当時は我が家にはまだテレビは無かったので、おそらく映画館でのニュース映像(当時の映画館は必ずニュース映像を流した後に映画は始まっていた)を観たのだろう。

当時11歳の小学5年生の私にとっては、余りにも衝撃的な事件だった。

おそらく、あの時に浅沼委員長を間近に見た小学生は私だけだった。


7月7日(木)

☆大気が不安定で、県内ではにわか雨のところもあったようだが、高鍋町は晴れ。

陽射しが強く、蒸し暑い。

作業場のテントの中は風が通って、涼しい。

☆今年の夏はセミが鳴かない。

梅雨が短かったので、羽化のスイッチが這入らなかったと言うことらしい。

ところが夕刻に、ニイニイゼミが石の上に留まった。

セミがいることはいるようだ。

☆モニュメント制作。

月右上部のアール面出し作業と、月の立ち上がり部のカッティング作業。

午前にアンカーの業者が下見に来訪。

ダイヤモンドコアの会社に問い合わせたら、やはり普通のコアでは太刀打ちできないのでボンド(ダイヤチップの溶接材)を変えねば駄目ということで、現在製作して

もらっていると言うこと。

来週には届くので、来週に穴開けの作業をすると言うこと。

業者は石が余りにも大きいのでびっくりされていた。

”私は来週に73歳になりますが、73歳で20トンの石を独りで彫っている人なんかいないでしょうね。”

”いませんよ!”

やはりダイヤモンド作業の専門家だから、この石はディスクが撥ねてしまうことは納得された。

人手が欲しいからと素人に作業をさせる訳にはいかない。

かならず大怪我をする。

☆朝一に、締め切りの過ぎている宮崎県文化年鑑・彫刻部門の原稿下書き。

いつも表現がきつすぎると指摘を受けるし、昨年度はコロナ禍で何も出来なかったので、書くことも無いだろうと思っていたが、やはり書き始めると問題山積のいまの

情況に対し、書かずにはおれない。

公的文書故に、問題点をきちんと書き残しておかねばならない。

昼食後に原稿をチェックして、やはり過剰な部分は削除して事務局にメールで送る。

しかしもう一度読み直すと個人的な見解の表現部分が有り、再度修正し送り直す。

おかげで午睡をする時間が無かった。

☆夕刻に伊藤先生より「歌の窓」小冊子の件でお電話。

先生も小冊子制作を喜んでいただけた。

☆今日は夕刻に仕事を終えても疲れが全く無かった。

結構ハツリ作業もあったので、体力を使った一日だったのだが、この3カ月の作業で体が慣れて来たのかと思った。

しかし風呂を浴びて、夕食の準備にかかったあたりから一気に疲れがどっと出て来て、フラフラ状態となった。

夕食後は早々に床に就く。


7月6日(水)

☆日中は雲は多いものの、ほぼ晴れ。

午後後半から遠雷混じりの雨。

夕刻までには止む。

風の無い、蒸し暑い一日。

☆モニュメント制作。

月右上部のアール面出し作業。

やはり石が硬くてスリ切りだとディスクが浮いてしまって、なかなか面が決まらない。

こんなに手こずる作業は初めてだ。

グラインダーも暑さでかなり熱が籠るので、2本のグラインダーを交互に使う。

月の上部の厚み落とし作業に這入ってもう一月になる。

下部に至っては全く手つかずのままである。

7月いっぱいで下部までフォルムを出して、残り2カ月で反対面のフォルムを出して仕上げるなんて、全く不可能な状況だ。

☆「歌の窓」小冊子のゲラを送っていた福原美江さんから、”とてもうれしい冊子です”とお返事をいただいた。

印刷発注データを作成しよう。

☆今日の宮崎のコロナ感染者は一気に571人と急増した。

宮崎県で新規感染者が500人を超えたのは42日ぶりだと言う。

全国的に新規感染者が急増していて、第7波に入ってしまったのは確実なようだ。


7月5日(火)

☆夜中はずっと雨。

朝に、高鍋町でも大雨警報が出されたが、その頃にはすでに雨脚は弱まり、雨は午前のうちに上がる。

作業場は涼しい風が吹いて暑さはなし。

☆モニュメント制作。

月右上部のアール面出し作業。

☆修理に出していたベルトサンダーが戻ってきた。

このベルトサンダー(ベルトタイプの研磨機)はもうずいぶん前に製造中止となってしまっている。

私のベルトサンダーも故障して使えなくなってしまっていたが、今回のモニュメントは研磨面積が大きいので、どうしてもベルトサンダーを使いたい。

ベルト自体は製造元に残部が在ると言うので調べてもらったら、ベルトサンダーも製品自体はないが、パーツは残っているので修理は可能だと言うことであった。

無事に使える様になって帰ってきた。


7月4日(月)

☆夜中に激しい雨。

先日の雨漏りカ所近くから再び雨漏り。

午前8時半に宮崎県内に気象警報が発令された。

雨は午前と午後半ばにかなり激しく降ったが、強風は伴わなかったので大きな被害は無かった。

☆朝一に、リース会社でコンプレッサー延長の手続き。

☆モニュメント制作再開。

台風影響の雨は、風が無かったのでテント内への吹き込みは無く、またテントもびくともせず、作業には支障は無し。

ノルマの月右上部のアール角のルートハンマー落としを済ませる。

水冷で気温が下がったせいか、今日は蚊が多かった。

蚊は気温が高すぎると出てこない。

☆作業のアシストを打診していた作家から、多忙になり、行けなくなったとの返事。

コロナでみんな暇なのではないのかと思っていたが、どうやらみんな多忙な毎日を送っているようだ。

☆第17回KAJIMA彫刻コンクールの作品集が届く。

第16回に続いての模型入選留まり。


7月3日(日)

☆一日、雨。

夜中は激しい雷雨。

台風が近づいているせいか、夜中はすごく蒸し暑かった。

☆昼前に妻と宮崎市へ出る。

アミュープラザのワンダーアティックシネマで、話題の”トップガン”を観る。

想定外の面白さに息つく暇も無い感じで、思わず何度か叫び声を上げてしまった。

アメリカ映画らしいエンターテインメント満載、胸打つヒューマンドラマありの充実した時間を堪能した。

前作も観たのだが、35年前だというので、新婚時代の妻と観に行ったのかも知れない。

今のモニュメント制作に這入って、土・日・祝は完全休養日と決めているので、こうして映画を観に来れるようになった。

以前は365日無休状態だったので、メリハリの無い生活を送っていたようだ。

やはり休日はキチンと定めておいた方が良い。

☆夕刻に帰宅して、散髪へ。


7月2日(土)

☆午前は晴れ。

午後から雨となる。

雨は小降り。

日中の気温が上がらなかったので、夕刻からはしのぎやすくなる。

☆朝一に整骨院。

今日はお客が少なくて、あっという間に治療が終った。

☆午前10時に、宮崎エッセイストクラブ編集担当の中村氏の来訪。

宮崎エッセイストクラブが年に1回発行している作品集の今年の表紙に、私の彫刻写真を使っていただけることになった。

宮崎エッセイストクラブは、宮崎彫刻グループが当初からお世話になっている森本雍子さんが発起人の一人だったので、当初は作品集を購入して目を通していた。

中村氏から先日にお電話をいただいた時に、私の家を知っていると言うことだった。

今日話を伺うと、中村氏はお父さんの転勤で5歳から10歳までを高鍋町で過ごし、私の家の前は小学校時代の通学路だったと言う。

そして今は、日南市での勤務で佐土原町の自宅から通勤されていて、毎日、私の制作した伊東マンショ像を眺めながら通勤されていると言う。

☆中村氏の帰られた後に、庭の草を刈る。

☆午睡の後は、「歌の窓」の小冊子の編集作業。

夕刻までに編集作業を終え、見本を送る前にチェックしていただきたいページを、福原さんに添付メールで送る。

☆なにやら台風4号が、急に角度を変えて5日あたりに九州に接近、あるいは上陸の可能性が出て来たと言う。

これからの台風シーズン、作業場のテントが気懸りとなって来る。


7月1日(金)

☆晴れ。

ギラギラとまぶしい炎熱の夏。

☆朝一に、コンプレッサーのリース延長の手続きに行ったら、料金不足だった。

これまで30日分の支払いだったようだ。

7月は31日なので、1日分足らず、来週月曜日にまた出直すことになった。

☆モニュメント制作。

作業を始めてすぐにグラインダーのカーボンが切れた。

自宅工房にネットで買ったものが複数保管してあったので、取りに帰って交換する。

午後には月右上部のアール面落とし作業まで進むことが出来た。

☆作業場はテントの中は風が通るので、涼しい。

しかしテントを一歩出ると、焼け付く暑さである。

7月に這入ったばかりで、こんな暑さは経験ない。

午後に午睡の後に作業場へ向かっていると、道路沿いの植栽の木陰の中で、殆ど身動きできない状態で座り込んでいる老人が居られた。

こんな暑い中をマスクして歩くなんて、自殺行為ではないかと案じた。

夕刻に熱暑に耐え難い気分で作業場を出て、家族でヨーロッパに行った時に、パリが連日40℃以上の熱暑で、毎日多くの人が亡くなっていたことを想い出した。

そうしたら、帰宅途中で交通渋滞が発生していて、道路脇で大勢の人がしゃがみこんでいる。

小学生の女児がタオルで風を送っているので、交通事故ではなく、熱中症で倒れている人がいるのだと分かった。

通りすがりに見ると、昼間に木陰の下でじっとしていた老人に似た方が、歩道側ではなく、幹線道路の上で意識も無い状態で倒れられていた。

まだ救急車も来ていなかったので、通りすがりの方たちが、車を止めて介護されている処だったのだろう。

日本中で同じ光景が繰り広げられているのだろう。

家の中にクーラーがなく、風を求めて外へ出られたのだろうか。

☆一方で、コロナ感染がまた全国的に増加してきている。

宮崎県でも、西都・児湯圏域がここにきて再び「感染急増圏域」(赤圏域)に引き揚げられた。

高鍋町は昨日、今日は感染者が出ていないが、西都・児湯圏域では直近1週間の人口10万人あたりの新規感染者が200人を越えてしまっている。



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