Back to toppage このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。 過去の日記 2024 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2023 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2022 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2021 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 |
2024 | 10月31日(木) ☆雲は多かったものの、概ね晴れ。 朝夕はかなり冷え込んできたが、日中の気温は上昇する。 夜になって天候は下り坂。 ☆午前は、高鍋高校OB美術展事務局の小森さんの個展最終日だったので、宮崎市の画廊喫茶”シベール”へ顔を出す。 ☆それから妻の個展会場の”ひむか村の宝箱”へ。 今日は駐車場が満杯で、平和の塔の裏側にある第2駐車場へ車を留める。 第2駐車場からは森の中を通って平和の塔の背面に道が通じている。 昔はよく来たと思うが、今は樹木が茂ってしまって、鬱蒼たる山径となっている。 ”宝箱”には私の知人の女性が来ていた。 ”宝箱”の常連で、たまたま訪れて妻の個展を知ったということであった。 ☆私は妻と、私の持参したお弁当で昼食を摂り、私はそのまま帰途に就く。 ☆途中でホームセンターに立ち寄って、キャリー付きの工具箱を捜してみたが、全く普通の工具箱で役に立たず。 ワイングラスを買って帰る。 ☆午後はライブの一人練習。 夕食後に妻とライブの練習。 今夜はなぜか呼吸が整わず、息切れがしてハーモニカが何度も音切れしてしまった。 結局は私は天性の”リズム音痴”ということ。 ☆中国・恵安のWeChatからの情報では、私たちの作品は展示会場に来年の10月まで公開展示されるようだ。 それならなお更、私の作品には接着剤での固定が必要になる。 10月30日(水) ☆晴れ。 朝夕は冷え込んだが、日中はかなり気温が上昇。 ☆午前は、妻の個展会場で演奏する曲を、ユーチューブで聴き比べる。 ☆午後に、バクダッド持参用のキャリー付きの工具箱をネットで調べる。 こういう特殊な工具箱は精密機械等の運搬用のものが多く、とても高い。 宮崎市内のホームセンターで現物を確認した方が良い気がする。 ☆夕刻までに、手掛けていた来月末のライブのフライヤーをまとめる。 夕刻に帰宅した妻と打合せして、最終案を決定。 夜にはライブをするお店にフライヤーを届け、バンド仲間にはラインで画像を送る。 ☆妻の個展会場は、好いお天気だったので午前を中心に私の知人などが来ていただいたということ。 午後は来客はまばらだったが、マグネットと缶バッジがよく売れたということ。 ☆今日一日で口元の腫れはかなり治まってくれて、鼻をかんでも痛く無くなって来た。 それで夕食後のコンサートの練習では、口笛がほぼ元通りに吹けるようになった。 ハーモニカの演奏も呼吸が整ってくれるようになった。 ☆ポルトガルのアルリンドから、やはり空港展の作品は送り返したというメールが届いた。 どうやら通関の手続きがうまく行かなかったようだ。 今回は書類手続きをしっかりやって通関できるようにするとのこと。 空港展を35年間もやって来て、今回の事例は初めての経験である。 10月29日(火) ☆午前は曇り。 午後からは小雨。 気温は冷え込む。 ☆昨夜は痛み止めの薬の服用を控えたら、やはり夜中から炎症の痛みで眠れなくなった。 今日もずっと炎症の腫れは引かない。 ☆今週の平日は私は自宅で過ごす。 ☆妻の個展の作品を購入してくださった方が、作品に金粉をまぶせないかと依頼された。 元気の素として金ぴか製品やエンゼルグッズを身に着けて、それでエネルギーをいただいているという女性である。 妻の作品はエンゼルの描かれている版画なので一目で気に入ってくださったのだが、さらに金粉が欲しいということなのであった。 刷りあがった版画に金粉をまぶすのは、インクが渇いてしまった後には難しいので、金箔でやってみましょうと返答して、刷りの悪かった作品を使って 自宅で試作してみた。 金箔なら接着となる糊を塗って金箔を置いて行けばいいので、版画のインクに重ねる接着剤は金粉で蔽われて隠れてしまう。 しかし、やはり金箔だと面積が大きくなるので、金箔のインパクトが強くなりすぎる。 金箔を張った試作品の画像をスマホで送ったら、やっぱりイメージが全く違った様である。 ただ、私個人的に自分の版画作品に金箔を使ってみたいと思うことあるので、よい実験の機会であった。 ☆ギャラリーの方はやはり週の初めの雨模様だったので、市内の方はまったく来られず、観光に来られた県外客や県北の方がギャラリーに顔を出された 程度だったようだ。 この”宝箱”は自然食品関係のお店で、目当ての品を買いに来られる固定客はとても多い。 しかし、そういう方はギャラリーにはまったく関心が無い。 しかも自然食品を求める方達には一種独特な雰囲気があり、私と妻はどうにも居心地が悪い。 私自身もインドを1年近く放浪したので、昔は自然エネルギーにはある程度の関心があったが、今では殆ど関心はない。 それで反ワクチンのチラシを渡されたりすると、とても厭な気分になり、それよりも自然破壊の太陽光パネル撤去の運動をして欲しいとさえ思う。 身近な例でも、こうした活動をしている移住者たちに何時の間にか妻が洗脳されて子供を置いて出て行かれたという悲惨な例が発覚したばかりなので、 私と妻は意識してこういう活動の方たちからは距離を置いている。 おそらく昨夜の”警告!”もそういうことではないのかと妻と話したところだった。 ☆夕食後にライブの練習。 まだ唇の腫れが一向に引かないので、口笛は低音以外は音が出ないし、ハーモニカも呼吸が整わない。 10月28日(月) ☆午前は小雨。 午後は曇り。 ☆今日は妻の個展会場はお休みなので、朝一に耳鼻科へ行く。 一通りの診断の後、総合病院でCTを撮って来るように指示される。 ☆町内の総合病院で頭部のCTを撮ってもらい、再び耳鼻科へ。 ところが私の症状は蓄膿では無かった。 蓄膿の部位には全く膿は溜まっていなかった。 皮膚下の炎症ということであった。 私は3度目の入院手術を覚悟していたし、入院手術費用の工面(中国の報酬支払いは何時になるのかまったく不透明)などで頭を抱えていたので、それが避けられて ホッとした。 では原因は何なのだろう。 やはり歯茎の痛みから来ているのだろうか。 ☆病院から出してもらう薬は効果がてきめんである。 午後には痛みが殆ど無くなった。 ただ鼻をかむと、炎症部分を押さえてしまうので、激痛がして鼻がかめない。 ☆午後は妻のボーカルレッスン日で、私も来たる日曜日のライブの練習をさせられる。 ハーモニカを吹くのは大丈夫だが、唇が腫れているので音が清音が出ない。 それに口笛が全く吹けない。 無理に口笛を吹くと、若いころのインド大陸旅行時のペシャワールで、余りの暑さに後頭部が蒸されて溜まらずパスポートも何も投げ捨ててどぶ川に飛び込んだ時の 後頭部の辛さが甦って来て、失神しそうになる。 ☆そして夕食は痛みも取れて美味しくお酒を呑みながらいただけたが、妻とあれこれ語っている最中にまたもワイングラスが吹き飛んで、私は全身にワインを浴びて まるで血まみれ状態になった。 どこかで”警告!気を付けろ”という声が聞こえる気がする。 妻の個展が始まる前からの、妻の全身の蕁麻疹、そして私のこの体調不良。 何か、”注意しろ!”と私たちに警告されている気がする。 10月27日(日) ☆時折り青空の拡がる曇天。 蒸し暑い一日。 ☆衆院選挙を済ませて、妻の個展会場へ。 衆院選挙の投票場へ行くと、確かに立会人は2人共新しい人になっていた。 しかも一人はずっと眠っていた。 早朝7時から夕刻6時まで、喋らずにジーッとしていなければならないので、ほぼ拷問状態である。 ☆妻の個展会場は、”宝箱”へのお客はとても多かったが、ギャラリーへ顔を出してくれる人はわずかだった。 今日は神武祭りの御神幸行列があったので、多くの市民はそちらへ行かれたようだ。 ☆そして私の体調は最悪の一日だった。 昨日から酷い便秘で、今朝は浣腸を使ってようやく排便した。 だが浣腸を使うとものすごく体力を消耗する。 妻と宮崎へ向かう車中で次第に体調が悪化してゆく。 こういう時にインド放浪時の黄疸の後遺症が出る。 きつくてまったく身動きできず、”宝箱”へ着いてもずっと車の中で寝ていた。 しかし今日はとても蒸し暑かったし、車の中ではゆっくり休めない。 誰か高鍋から来る人が居たら連れて帰って欲しいと思ったが、妻は高鍋の人には誰にもDMを送っていないので誰も来ないよと言う。 そんな状態で夕刻まで過ごす。 ☆帰宅したら直ぐに寝室に上がって寝る。 蓄膿の痛みに加え黄疸時の体のきつさで、夕食はアルコールを摂る気にもならず、うどんで済ます。 当然、ライブの練習どころでは無かった。 10月26日(土) ☆曇り。 夕刻からは青空が拡がる。 ☆一日、妻の版画個展会場に妻と在廊する。 今日は土曜日なので”宝箱”へのお客さんが多く、午後には多くの方がギャラリーへも顔を出していただいた。 作品も2点売約してもらったし、マグネットもかなり売れたようだ。 ☆私の体調は最悪。 蓄膿症がかなり悪化して、痛くてたまらない。 顔がパンパンに腫れている。 今朝は夜明け前に痛み止めの薬を飲み、日中も蓄膿の痛みとひどい頭痛で、午後はずっと駐車場の車の中で寝ていた。 夕刻に帰宅しても、つらくて和室で寝ていた。 ☆しかしもう1週間後にはライブなので、夕食後に痛み止めを服用して、少し練習をする。 ☆帰宅すると、注文していた妻の詩画集が届いていた。 しかしこんなペラペラの冊子が1冊1,000円もするなんて信じられない。 10月25日(金) ☆今にも雨になりそうで雨にはならなかった曇天。 夕暮れてから雨。 天気予報ではこの先はずっと雨である。 ☆今日は妻が所用で家を留守に出来なかったので、私が代理で妻の個展会場に詰める。 相変わらず隣接したオーガニックレストランは席待ちの列が出来るほど賑わっているが、天気が悪かったので”宝箱”からギャラりーへ顔を出してくれる人は 殆ど居なかった。 ギャラリー客は妻の元同僚と、ぶらぶらしていてたまたまギャラリーを覗いたご婦人の2人のみ。 ☆私はデスクワークをして過ごす。 最近、夢の中で彫刻の新しい作品がよく出て来る。 夢の中でははっきり形を認識しているのだが、夢特有の現象で目が醒めるとたちまちイメージが朧になる。 しかし部分的にはしっかり記憶しているので、今日はクロッキーブックに描き再現しようとしたが、まとまらなかった。 ☆今夜からようやく妻の個展会場でのライブの練習に這入る。 蓄膿の腫れによる痛みはまったく治まらないが、なんとかハーモニカは吹ける。 10月24日(木) ☆雨。 ☆どうにも風邪気味で蓄膿がパンパンに腫れているし、何の労働もしないのに首筋、肩、腰がパンパンに凝っている。 最近は肩凝りから来る歯茎の浮きで歯が痛くなる。 それに風邪気味の頭痛や歯茎の浮きが加わったので、寝ている間も起きている間も頭痛と歯痛で何事にも集中できない。 中国滞在中は大腸憩室炎の痛み止めの薬を服用してやり過ごしていた。 しかしその痛み止めは即効性はあるが、2時間くらいしか効果が無い。 痛め止めの常用は避けたいので、今日は風邪薬でしのぐ。 ☆日中は何も出来ず。 夕刻からは11月30日に開催するライブのフライヤー作成に取り掛かる。 ☆バグダッドからシンポジウム期間中の、各参加作家の作家紹介プレゼンテーションの案内が届く。 毎週5名ずつの作家が、毎夜一人ずつ、自分の創作プロセスや過去の取組等について語らなければならないようだ。 イラクは当然禁酒国なので、アルコール抜きの毎夜の催しになるようだ。 今日のメールは一斉送信だったので、招待作家20名のリストが明らかになった。 半数以上はシンポジウムの常連で私の友人ばかりであるし、空港展の参加作家も6,7名は含まれている。 気心の知れた作家ばかりで安心した。 10月23日(水) ☆快晴の一日。 夕刻からは雲が多くなる。 とはいっても、昨夜は宮崎県内北部は夜中まで大雨が続き、かなりの被害が出ている。 今日も午前のうちはJRは運休、高速道路は通行止めであった。 朝に大分の知人から電話があり、別府の友人が延岡から先の交通機関がすべてストップして帰れないので、延岡の知人の電話番号を教えて欲しいという 電話があった。 ☆今日から妻の初の版画個展。 会場は宮崎市の平和台にある”ひむか村の宝箱”。 このお店は自然食品関係のお店だが、オーナーが県内の芸術関係者との交流が深く、文化発信の基地にもなっていて、ギャラリー空間も備えている。 ☆平和台と言えば私が学生時代は一大観光地であった。 しかし近年は観光地としての発信力は余りなく、私も平和台を訪れたのは30年ぶりくらいではないだろうか。 だが、今でも観光バスがひっきりなしにやって来るし、観光客は台湾からの訪日客も多く、また”宝箱”に隣接されたオーガニックレストランには多くのお客が 絶えることなく訪れて来て入店の順番待ちの列が出来ている。 また散歩に来られる方も多く、そうした方たちが”宝箱”に顔を出される。 普通のギャラリーでは考えられない多様な人々の出入りに、私も妻もびっくりであった。 ☆また妻と私の友人知人も宮崎市内に多いし、駐車場の心配も無いので、オープンと同時に友人たちに来ていただいた。 妻の版画作品も34点展示できたし、作品もマグネットも初日から売れた。 作品の販売もレジを通して処理していただけることになり、思った以上に使い勝手の面白い空間となった。 ☆今日からは妻の個展期間中のライブの練習に入る予定だった。 しかしこの急激な気温の変化で風邪を引いたらしく、一日鼻水が止まらず、夕刻に帰宅すると酷い頭痛で横になった途端に寝入ってしまった。 10月22日(火) ☆一日、大雨。 午後4時30分には高鍋町に土砂災害警報が出され、宮崎県南部には線状降水帯が発生した。 しかし夜の7時ころに雨は突然に止んだ。 明日は晴れそうである。 ☆午前は隣町の某保育園でのコンサート。 高鍋を出るころには雨脚は一時的に止まっていたが、隣町へ這入った途端に再び雨が激しくなる。 コンサートは妻の知人の園長の依頼で開催されたもので、妻と私とジャズシンガーの片貝さんとのユニットでのコンサートである。 なにせ私は園児たちにとってはひいお爺さんの年齢である。 そんな高齢者が童謡を歌ったりして、どんな反応があるだろうかと言う不安の方が大きかった。 しかしそんな不安など吹き飛ばす園児たちの素直な反応に、とても楽しいひと時を過ごすことが出来た。 コンサートが終ると”また来てね!”という園児たちのコールと園児たちからの握手攻めで、まるでスターになった気分だった。 これはまたやってみたいという気持ちにさせる。 ☆午後から一気に雨が激しくなり、買い物にも行けず、なんだか疲れも出て午睡したりして過ごす。 10月21日(月) ☆一日、激しい雨。 宮崎県内では串間市や日南市で大雨警報と避難指示が出ている。 気温もぐんぐん冷え込んで来る。 ☆一日、明日の保育園でのコンサートの練習。 午前は個別の自主練習。 お昼に講師の片貝さんが参加して、リハーサルを繰り返す。 ほぼ一通りにこなせるようになったが、問題はこの雨である。 明日も大雨の予報らしい。 ☆バグダッドの開催要項の和訳を必要な項目しかしっかりチェックしていなかったので、昨日から私が昔に購入した翻訳ソフトで翻訳するが、あまりにも直訳で 殆ど自分なりに訳し直さねばならない。 それでグーグル翻訳にかけてみたら、あっという間になめらかな日本語に変換されたのでびっくりした。 なにせ私の買ったソフトは2000年5月版。 Windowsが変ってもこのソフトだけは使うことが出来るので重宝していた。 しかし24年前の翻訳能力とAIによる現代の翻訳能力とは雲泥の差があることを思い知った。 今ではスマホの無料翻訳ソフトもかなり自然な日本語への変換があっという間に出来る。 10月20日(日) ☆快晴。 一気に冷え込む。 ☆妻は宮崎県内の日曜在宅医を調べて、皮膚科の在宅医は宮崎市の医院のみで、今日は宮崎市内へ出かける用事も這入っていたので、診察してもらって来た。 だが伊勢海老を食べた話をしても、担当医は原因については何も言わず、服薬と塗り薬を処方してくれただけだったということ。 ☆そろそろ今のうちからバグダッドのシンポジウムの下準備をしておこうと思って、昨日はマキタの220V大口径グラインダーのカーボンをネット注文した。 ただ近年はコロナ直前のインドも昨年のポルトガルも今年の中国も大口径は主催者が準備してくれたので、私のマキタ220V大口径は、シンポジウム中に壊れてしまって 帰国して注文したものと、中国のシンポジウムで購入した中国製のマキタの2本が、使われることも無く新品のままであった。 それでふっと思い出して、バグダッドの開催要項を見直したら、やはりグラインダーとディスクは主催者から支給される。 今回はマケットを持参しなくてはならないので、重い大口径グラインダーを持って行かなくて良いのは助かる。 ただ大口径は持って行かなくて良かった昨年のポルトガルで、道具を入れていてスーツケースが全壊してしまったので、頑丈なスーツケースを探さなくてはならない。 ☆高鍋町選挙管理員会から、27日の衆院選投票日の投票立会人の依頼電話があった。 しかし当日は妻の版画展会場に2人で詰めることになっているので、残念ながらお断りした。 私の地区の投票会場の立会人はお二人が私の知人で、一日中無言でじっと投票の立ち合いを勤めておられて、大変な仕事だなといつも思っていた。 私の時間の空いている時なら対応します、と返事をする。 10月19日(土) ☆日中は晴れたり曇ったり。 非常に蒸し暑い一日。 夕刻から激しい雨。 ☆朝一にバクダッドへ、石の切削図面とVISA用の個人情報を送る。 中国滞在中でのメール送信不可の事態はバグダッドからのメールに返信してから生じたが、今日はその後のメールエラーは一切起きず。 ☆妻が指の痒みや足の痒みを訴え、次第に体中に赤い湿疹が拡がって来た。 しかし、痒みと湿疹の拡がりに気付いたのはもう正午を過ぎていたので、高鍋町内の全ての病院は土曜日の診察は午前で終っていた。 原因は伊勢海老か。 活き海老は普通は我が家に届いた時点でもまだまだ元気があって、箱の中でごそごそ動く音や泣き声(?)がするし、料理する前は氷で冷やして 動きを押さえることをしなければならないのだが、今回の活き伊勢海老は届いた時には殆ど身動きしない状態だった。 ☆夜はH君の通夜。 亡くなったのは13日ではなく12日だった。 煙草を喫うと言って家を出たまま帰って来ないので、警察に連絡して家族と警察と一緒に捜したら、河川敷に倒れていて(家は小丸川添いの堤防下にある)、すでに 息をしていなかったということ。 それで事件性の有無を調べなければならないので、司法解剖のために宮崎大学医学部に送られたということ。 しかし担当医が3日間不在だったので、司法解剖で事件性はないという結果が出て遺体が自宅に帰って来たのは昨日の夕刻だったという。 家を出て帰って来ないと言うだけで警察に連絡して皆で探したということは、やはりH君の状態が正常ではなかったのだろう。 ☆通夜に来てくれた同窓生の中に私たちの中学同窓会幹事が居たので、コロナで中止になってしまった70歳古希の同窓会の再開を強く要望する。 早くしないと次々に同窓生が亡くなって行く。 ☆私が中国に行っていたというので、よく無事に帰って来たなと言う同窓生に、ネットの社会に惑わされるなと怒る。 実際に中国へ行ってみれば、ネットで騒いでいる反日感情など何処にもない。 10月18日(金) ☆午前は曇り。 午後からは晴れる。 蒸し暑い一日。 ☆午前に、来週が本番の保育園演奏会の練習。 ☆午後は、妻の詩画集のページを4の倍数に編集し直す。 そして色んな格安のネット印刷所のA6サイズの見積もりを調べてみたが、やはりどこも似たり寄ったりの価格であった。 何時も作成する版画二人展のA5サイズの作品集は、ページ数も全然多いのに、価格が凄く安い。 A5サイズだと一冊の単価が500円前後だが、A6だと一冊単価が倍の1000円前後になる。 A6サイズは一般的なサイズではないから、経費が掛かるのだろうか。 だが今回の中国では、ヨーロッパの作家たちも中国の作家たちも、彼らの作家資料は全部A6サイズだった。 それで、結局は印刷データは何時も使っている印刷所のテンプレートを使っているので、何時ものネット印刷に発注する。 ☆バグダッドから石の切断図面の確認とビザ申請の手続き案内が届く。 切断画面については中国でフリーハンドで描いて送ってあるが、あらためて図面を引く。 ☆高校同窓のH君の訃報が這入った。 H君はここ数年様子が変だった。 H君は私をとても評価してくれていて、いつも酒が入ると”等君!”と私に抱きついてくる男だった。 ところが高校同窓生たちが開いてくれた私の文化賞受賞祝いの席で、彼は何故か執拗に私を非難し続けた。 会が開けた後も、私への攻撃を続けた。 その不愉快な酒宴での彼が、私にとって最後の彼の姿となってしまった。 実は中町公民館の某氏の奥さんが、H君と中学時代の同級生で、先日の夏祭りの打ち上げ酒宴の席でH君の近況について尋ねられた。 どうやら中学時代の同級生たちの間でH君の評判がとても悪くて、気になって私にお伺いをしたということであった。 ところがH君が亡くなったのは先日の13日で、中町の夏祭り打ち上げは同じ13日だったのである。 H君の話をしている時には、彼はすでにこの世から居なくなっていたのだろうか。 ☆来年3月に予定していた妻との版画二人展は、見送ることにした。 年明けにバグダッドが這入って来たし、どうやら作品制作が間に合わない状況になって来た。 それで妻の絵画サークル仲間に個展開催を打診していたら快諾をもらったので、私たちが予約を入れていた開催期間にその方の個展を開いてもらうことになった。 ☆今夜は伊勢海老第2弾。 伊勢海老の鉄板焼き。 味噌ソースがたまらなく旨い。 10月17日(木) ☆曇り。 夕刻より雨となり、本格的に強く降る。 ☆例年通り、我が家の庭の桜も狂い咲きを始めた。 ☆韓国・大邱の交流展参加作家から提出データが届くが、大半が容量オーバーで韓国への送信メールが返ってきたり、送られてきた画像が受信側で開けなかったりで、 その対応が大変であった。 Leeさんがデータ提出を急いでいるのは、こういう作家がこういう作品で参加します、というプロモーションのために必要な資料だと思う。 しかし大量の圧縮データが送られてきたり、画像単体が7000ピクセル以上もあったり、私の方でサイズを落したりの作業が必要であった。 シンポジウムでも10MB以上のファイルを送って来る作家が多く、事務局から絶叫に近い警告メッセージが届くことがある。 私のOutlookは大容量のファイルを受信は出来るが、送信は”Too Big”というエラーが出て、転送できない。 ☆以前に編集レイアウトを済ませていた妻の詩画集のデータを再編集して、文字のレイアウト化と画像の埋め込み作業を済ませて印刷データ作成をする。 ところがネット発注しようとしたら、私のうっかりミスで、ページ数が4の倍数でなければならないことを忘れていて、ページ数の再編集が必要になった。 そしてA6サイズの掌サイズなのだが、最低発注部数が100部からで、価格がべらぼうに高く、妻と頭を抱えてしまった。 ☆注文していた活き伊勢海老が届いたので、今夜は刺身と塩焼きをいただく。 中国の料理が最悪だったので、やはり我が家の食事が一番である。 10月16日(水) ☆曇り。 ☆夜中2時過ぎに起きて、リビングで今日が締め切りの作品プランを考える。 しかし以前は夜中に作業が進んだが、この年になると頭がボーッとしたまま何も浮かばず朝を迎えてしまった。 ☆朝食を摂ったあと、2階の書斎にあがってようやく集中力が整って来た。 ☆と同時に、明日が参加作家データの提出日締め切りである韓国・大邱の交流展の案内を今年の空港展参加作家へBCCで送る。 会期が決定してから案内するとLeeさんに伝えているのだが、Leeさんからはその後何も言って来ない。 見切り発車で案内しないと間に合わない。 参加作家の作家数指定が5,6人なので、午後までには直ぐに定員に達する。 おそらく日中は仕事中だったりでメールをまだ見ていない作家や、検討してみようと考えている作家の方たちも多かったと思う。 今後も交流展は続くと思うので、エントリーが間に合わなかった方たちは次回に検討していただきたい。 ☆午後から自宅工房で作品プランのモデル制作。 ずっと自宅工房で制作していないので、昨日にバルサンをかけておいた。 また物置同然になっているので、その片付けにも時間を取られた。 ☆粘土でのモデル制作中に韓国・大邱への参加希望作家が定員オーバーしてしまうと調整が大変なので、片付けをしながら頻繁にメールをチェックする。 粘土をいじる前に参加希望作家が定員きっちりになったので、急いで作家たちへ募集停止の案内をBCCで送る。 その後は粘土でのモデル制作に集中。 ☆夜までに図面を描き、エントリーデータを揃えて某海外シンポジウム事務局へ送る。 しかしメールが返って来たので、容量が大きかったのかと思って、試しに極軽い書類データを送ってみたが、やはり直ぐに返って来た。 エラーメッセージを見ると、どうやら容量オーバーではなくシステムエラーである。 私のOCNメールが拒否されているらしい。 この某海外シンポジウムに私は作家推薦を受けていて、作品データを提出すれば参加が決まることになっている(多分・・・)。 それで私を推薦してくれた作家に事情を説明し、彼にメッセンジャーでデータを送る。 今日のモデルのプランと、以前に制作した小品との2案を送る。 10月15日(火) ☆朝のうちは雨。 昼前から雨は上がり、曇天。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 私も来週の保育園での演奏会に出なければならないので、ハーモニカと口笛でジョイント。 ☆明日までに提出しなければならないプランを昨日から考えているが、なかなか纏まらない。 10月14日(月) ☆雨。 ☆一日、デスクワーク。 ☆夜は51年前の宮崎日大高校美術部の教え子たちが高鍋に集まってくれて飲む。 まず高鍋駅に集合して私の”MOON DANCE”の前で写真を撮る。 幸い雨も止んでくれた。 ☆宮崎在住の教え子たちとは日常的に交流があるが、高校3年時に前部長だったTさんは、高校卒業後に福岡へ就職し辛いことがあったらしく、私がインドから 帰国して直ぐに泣きながら電話をくれたことがあった。 そのTさんとはそれ以来の再会である。 50年ぶりだからどんなに変っているかと思ったが、昔の面影がそのままだった。 ☆当時の様々な想い出話に花が咲く。 大学を出たばかりの私の下で、みんなやりたい放題のことをした。 私が出張中に美術部室が管理職からの”ガサ入れ”を受けて、みんなで校長室で正座させられたこともあったが、私が校長室に謝りに行くとその日の朝に公募展での 美術部員たちの入選結果が出ていて、校長は満面の笑みで部員たちは無罪放免となった。 それ以降は”胸を張って”、いっそうやりたい放題の美術部となった。 版画家の黒木郁朝氏が、当時の宮崎県内の高校美術では日大高校生たちが一番面白いと褒めてくれたこともあった。 彼らは公募展で入賞してもらったトロフィーを大切に飾っているという。 おそらく彼らにとって、人生で最も充実した1年間だったであろう。 だからいまでもこうした交流が続く。 ☆幹事のW君が過去の手紙など大切に保存してくれていて、その中に私からの年賀状があった。 ”先生は当時から今と全く同じ作品を作っていますよ” それはシルクスクリーンで刷った年賀状で、配色もフォルムも今私が盛んに使っているフォルムと全く同じなのだ。 しかも「月の雫」を入れる封筒に張った木版画と全く一緒の図柄。 私はフォルムの原点は50年前から変っていないのだ。 驚くとともに、自分の原点を確認できて嬉しかった。 10月13日(日) ☆快晴。 夜になって雨。 ☆起き抜けに、エントリーしていた某海外シンポジウムから選外の通知が届いた。 ただ最終審査まで残ったということなので、門前払いでは無かったことにホッとしたし、バグダッドと同じプランを送っていたので、むしろ作品が重複しなくて助かった。 ☆9時30分発のANAで定刻に大阪空港を発ち、定刻の10時40分に宮崎空港へ着く。 11時25分に宮崎空港駅を発つ特急電車で高鍋へ向かう。 高鍋駅では妻と私の”MOON DANCE”が出迎えてくれた。 ☆帰宅して直ぐにWechatで石彫芸術祭参加のメンバーに帰国報告をする。 ☆午後は荷物の整理と洗濯で過ぎる。 ☆夜は中町公民館の夏祭りの打ち上げ。 公民館全員(赤ちゃんから高齢者まで)での楽しい宴会であった。 中町公民館は戸数12戸の極弱小公民館だが、庚申講、お仙稲荷、観音講などの伝統行事を守り、少子化の他の公民館に較べて多くの子供たちが育ち、 とてもまとまりの好い豊かな公民館である。 そのなかで、何時の間にか私は男性では2番目の高齢者になってしまった。 10月12日(土) ☆晴れ。 ☆朝9時にホテルを出発。 国内線で帰郷する中国作家と一緒に厦門空港へ。 10時半に厦門空港へ。 中国の空港のセキュリティーは少し前より格段に厳しくなっていて、何度もパスポートチェックがある。 ☆搭乗口近くの両替所で元を円に両替したいが担当者が居ない。 近くのみやげ物店の店員さんにどうしたものか聞いて見ると、カウンターに書かれている電話番号に問いあわせてくれた。 なんと、お昼を摂りに出ていたと言うこと。 なんとも中国らしい”長閑さ”である。 ☆ほぼ定刻の13時55分に厦門空港を発ち、関西国際空港にもほぼ定刻の17時55分に到着。 問題はこれからであった。 宮崎へ帰るには、明日のピーチで帰るか、大阪空港へ移動して最終のANAに乗るしかない。 しかし昨年のベトナム・カンボジア旅行で、関西空港の近くで一泊した時に散々な目に遭った。 ホテルからの送迎バスもないし、タクシーはほぼ捕まらないし、ホテルの周辺にも飲み屋街は無い。 かといって関西空港から大阪空港へのバスの所用時間が全く掴めないので、最終のANAには間に合わない可能性が高く、今夜は大阪空港周辺に泊まることにした。 ところが関西空港の大阪空港行きのバス停へ行ってびっくりした。 なんと関西空港から大阪空港へのバスは1日に5本しか無く、夜の便は私が乗ろうとする1本しかないのである。 結局、大阪空港に着いた時には宮崎行き最終ANA便はとっくに飛んでしまっていた。 やはり今日中に宮崎へは帰れなかったのだ。 ☆ホテル送迎バスでホテルへ。 大浴場に這入ると、この2週間の所在ない身の置き所が一気に洗い流されて、最高の気分。 夕食はホテル近くの焼き肉屋で、これまためちゃくちゃ美味しい焼き肉を食べる。 ☆Wechatで今回の石彫芸術祭のネット記事が届いたが、目を通すと今回の応募状況が明らかになった。 応募総数は中国を含む17か国から372点の応募があり、その中から55名が選ばれたということ。 海外作家は8か国11人である。 完成した作品は52点という内容であった。 10月11日(金) ☆晴れ。 ☆石彫芸術祭最終日。 ☆午前に閉会式と授賞式。 私はこういう賞には全く無縁だし、シンポジウムとコンクールはあまり相関関係は良くない。 私は好い作品を制作できればそれで好いと思うが、”コンクール”という評価が這入ると気持ちはすっきりしない。 特に今回は、私はこんなに全面的な石材店の技術バックアップによって、大作が1週間でできるなんて全く知らなかったし、想定外のことだった。 ☆金賞作家は昨夜のバーベキューで耳にした作家とは別の作家であった。 それはホテルからバスに乗るときに直ぐにわかった。 彼一人だけがきちんと身だしなみを整えてバスに乗り込んできたからである。 彼の作品はバカでかすぎる。 常識的に考えて、そういう馬鹿でかい作品が1週間で作れるなんて、よほどこの恵安のシステムを呑み込んでいないとプランさえ浮ばない。 審査員はその大きさに圧倒されてしまったのだろう。 何時の場合もコンクール形式には厭なわだかまりが残る。 ☆午後はそのままホテルへ帰る。 海外作家たちのうちイタリアの作家たちは今日でビザが切れるので、朝のうちに恵安を発った。 中国作家たちも、遠方から来ている作家たちは殆ど午後には帰宅の途に就いた。 ☆したがって私たちのホテル滞在は昨日までであったので、私の今日の宿泊は部屋替えとなった。 それにもうランチも夕食も自腹である。 夕食は、地元の作家に教えて貰ったホテル前の飲食街の”牛肉面(ニューローメン)”のお店で摂った。 私は牛肉面はあまり美味しく思ったことは無いが、今日の牛肉面は美味しかった。 ☆ホテルの部屋で荷造りをしていると、韓国の李さんから大邱での交流展の連絡がメールで届いた。 これは今年の空港展懇親会の時に李さんから提案されたもので、韓国側で準備を進めてくれていた。 会期が2案あって、まだ確定していない。 会期が確定して、空港展参加作家たちに協力を呼びかけることになる。 ☆夕刻からパソコンのネットがほとんど繋がらなくなった。 10月10日(木) ☆晴れ。 今日も雲の多い一日。 ☆石彫芸術祭13日目。 午前はバスで展示会場へ。 作品設置は昨夜中には終らず、今日のお昼までかかった。 全体の印象としては、まずわずか8日程度の制作期間で、石材工場の全面的協力でかなりの大きさの作品が出来るし、作品の作り込みもかなりのところまで 持って行けるものなのだなと言う驚きである。 次に中国の作家は、いかにも中国の作家らしい作品ばかりではあるが、何点かはかなり印象的なレベルの高いものがある。 海外の作家は、まずまずと言ったところだろう。 私の作品はやはり全体の中ではこじんまりとしてしまって置物感が強い。 ☆午後から5人の審査員で審査が行われた。 ☆私たち作家は、午後からはお世話になった石材店を廻るバスツアーが企画された。 兎に角、中国の石材店の勢いと技術のレベルには圧倒される。 職人さんはみな同等の技術を持っていて、どの石材店もレベルは同じである。 その理由は、職人さんはみんな、国家試験の技能資格者だからである。 石彫の職人さんたちは日本の石材店とはまったく別次元で、きちんとした技術を持った職人さんたちなのである。 ただ作品には全く個性と言うものは無い。 どの石工場でも、彫り込まれる作品はみんな同じスタイルである。 おそらくヨーロッパでもギリシャ時代、ルネサンス時代の大理石の工房は同じようなシステムだったのだろう。 10件の石材工場を廻ってホテルへ戻ったのは、もうとっぷり日も落ちてしまった午後6時半であった。 ☆夜になって7時半から、ホテル沿いのビーチパークでバーベキューお別れ会。 お酒が入ると、秘密の筈の今日の審査の結果が洩れて来る。 金賞作家は誰云々。 もっともこの金賞受賞は納得の作品であった。 そして”田中先生の作品は、作品は好いけれど小さすぎます”と。 勿論分かっている。 何より、こういう石材工場フル稼働の制作システムだとは全く知らなかった。 ”田中先生、また恵安に来て大きい作品を作ってリベンジしてください!” 来る前から賞のことなど念頭に無かったが、やはり制作システムを知らずに作品が小さすぎたことは悔やまれてならない。 また呼んでもらえるなら、可能な限りの大きなサイズで作品制作したい。 ☆今回は約340名の応募があったと言うこと。 その中からの50名の招待だからかなりの厳選ではあったようだ。 中国の作家は殆どが大学の先生で、素材も普段は陶や木で制作している作家が多い。 それを石材工場の職人たちがきちんと大きな石の作品で作ってくれるのだから、普段は石を彫った経験のない中国の作家たちにとっては大変な魅力のある芸術祭だろう。 ☆エントリーしていた第10回中国シルクロード国際美術展の入選結果が届いた。 今回も彫刻はデジタルデータパネルでの展示。 10月9日(水) ☆薄雲のかかった晴れ。 朝のうちは寒くて作業ジャンパーを着たが、直に蒸し暑くなる。 ☆石彫芸術祭12日目。 展示会場(開会式のあった石彫芸術センター前の広場)への作品設置。 展示会場へ行くと、昨日に運ばれた私たちの作品以外にはまだあまり作品は届いていなかった。 私の”MOON DANCE”は大通りから「世界石彫之都展示中心(センター)」の大看板を抜けた場所に設置してあり、広々とした広場にグリーンを背に 置いてあった。 最高に素敵な場所である。 やはりかさ上げの台座を据えて大正解だった。 すごくいい感じである。 ☆今日は私は心棒と本体を接着剤で台座に固定し、かさ上げ台座の上の作品を少しずらしたら作業完了の予定であった。 しかし午前に石材店の従業員が一度顔を出して打合せをしたきり、誰も接着剤を持ってこないし、結束バンドも切り離してくれないし、位置のずらし作業もやって くれない。 とうとう午後の2時を廻って、他の作家たちが気をまわしてくれて、カッターで結束バンドを切り離し、バールで本体のずらし作業をやってくれた。 しかし心棒に接着剤を入れて台座と固定作業をしてくれる者は誰も居ない。 周りの作業の状況から、これらの作業はすべて作業をしていた石材工場の仕事である。 石材工場とは連絡の仕様が無いので、4時前にはホテルへ帰る。 ☆夕刻になってWechatで作家の設置状況確認のチャットが廻って来ると、状況が大交錯している。 特に若手の海外作家たちは、殆ど自分の手で作業していて作品が完成していない。 さらに朝からずっと作品が届くのを待っているのに、夜になっても自分の作品の所在さえも確認できない作家たちもいる。 私の作品も接着剤での接合を誰もやってくれなかったが、まだ昨日のうちに展示会場に作品が届いていただけでもましだったのだ。 ☆私の”MOON DANCE”を熱心に見ておられる若い女性がおられた。 作者が私だと解ると、”この作品にはどんなドラマがあるのですか?” 日本でこんな質問をされることは皆無である。 だから私もスムーズに”お月様のダンスです”と答えられる。 中国の方のほうが芸術への理解度が高いのではないのだろうか。 恵安に来て驚くことばかりである。 ☆ファブリッツイオ・ディエッティが、昨日の午後に左足脛上を怪我して病院へ行ったと言う。 痛みは無いと言っていたが、びっこを引いていたし、今日は展示会会場にも顔を出さなかった。 夕食には顔を出し、大丈夫だとは言っていたが元気が無い。 10月8日(火) ☆曇り。 昨日の異常な蒸し暑さから一転、一日曇天で冷え込む。 ☆石彫芸術祭11日目。 ☆昨夜はみんなかなり呑み過ぎたらしく、殆どの作家が宿酔気味の顔であった。 中国作家たちは8時になっても朝食にも降りてこなかった。 ☆”MOON DANCE”のかさ上げの石を確認。 切削したエッジの角を落してもらって、かさ上げ台座の上に”MOON DANCE”を組み上げる。 そして汚れを水で洗い落す。 その作業がお昼までかかった。 ☆午睡から作業場に戻ると、展示会場に作品を運ぶ運搬トラックがすでに来ていて、私の”MOON DANCE”から積み込みが始まった。 展示会場での展示作業は明日だが、完成した作品から今日のうちに会場へ運んで降ろしておくということ。 私の”MOON DANCE”は心棒は這入っているが、まだ接着剤では接合していない。 それをかさ上げ台座に乗せたまま、結束バンドで固定してトラックに乗せた。 他の作家の作品も積み終わってトラックが出る時は、日本の運送会社のようにラッシングベルトで引っ張って止めることもしない。 彼らは日常的にそういう作業をやっているのだから、大丈夫なのだろう。 ☆作品がトラックに乗せられて工場を出て行ってから、石材工場の従業員にお願いして工具屋へ連れて行ってもらう。 欲しかった御影石用のハンドグラインダーの小径カッターや、大理石用のミニリューター用の電着ビットを大量に買い込む。 そして価格は・・・まさかとは思ったが、考えられないタダみたいな価格である。 大理石用のミニリューター用の小さなビットなど1本1元(約20円)前後である。 ☆工具屋を出て、石材工場近くのお茶用の調度品を展示販売しているお店に連れて行って貰う。 中国人(台湾人も同様)はお茶を飲む時の段取りをとても大事にしている。 殆ど儀式に近い所作と調度品が基本的なお茶を飲む一連の流れに必要である。 中国人にとってお茶を飲む儀式は人生の最も重要な空間であり、日本の茶室のような意味を持っている。 それゆえ最高限度の芸術的な空間構成が生まれる。 つくづく、中国人の美意識の奥の深さを痛感せざるを得なかった。 ☆反日、反日と言う世間のまがい物で、本物の中国の姿を見失ってはならない。 ☆いったん工場へ立ち寄って、李さんと一緒にホテルまで送ってもらう。 10月7日(月) ☆雲が多かったものの、概ね晴れ。 非常に湿度が高く、蒸し暑い一日。 ☆メールは今朝のうちに普通に送信できるようになった。 ☆石彫芸術祭10日目。 ☆今日は作業の終わった海外作家を中心に、観光旅行。 まず、中国で最初に海に掛けられた石橋である「洛よう(こざとへんに日)橋」へ。 海と言っても泉州湾の入江で、ほぼ川に近い。 橋がかけられたのは約1000年前の1053年から1059年である。 橋に掛けられた御影石の板(厚みがあるので角材)は、単純に計算して1本で5トンはある。 橋に掛けられてからさらに楔で半分にされたものもあるので、それらは10トン前後の石ということになる。 対岸まで歩いて渡ると30分かかる長大な橋である。 ☆次に泉州で一番古いお寺、「通准開岳廟」へ。 金運の神様だと言うので、私もお線香を買って真剣にお参りをする。 ☆滞在中に骨董屋へ這入りたかったのだが、お昼のレストランへ向かう途中におじいさんのやっている小さな骨董屋を見つけた。 解体された古い家屋から拾い出した室内装飾調度品の部材などが売っていて、殆どはガラクタだが、1点、欲しいものがあったので買う。 ☆午後からはまず「泉州文化遺産館」へ。 遺産館に這入るまでは全く興味も無かったのだが、泉州の実にきめの細かい密度の高い数々の工芸品等のレベルの高さに驚かされた。 さらに驚いたのは、この泉州の文化が、まるごと海のシルクロードで日本に伝わってきていることである。 邦楽の楽器は、呼び名も形もまったく同じものがそのまま日本に伝わっている。 初日に通訳をしてくれた鄭さんは、泉州には日本と同じ言葉が残って居ますと言っていたが、こういう背景があったのか。 ☆そして「泉州海外交通史博物館」へ行くと、海のシルクロードによって日本と泉州は実に深く繋がっていたことを知った。 当時の泉州は世界で最も規模の大きい港だったと言う。 ☆最後は「泉州大開元寺」へ。 ここには1228年から1236年にかけて造られたと東西2つの石の五重塔がある。 東塔の高さは48m、西塔の高さは45mもある。 この塔は大変な重力感があって、ものすごい存在感である。 この春のヨーロッパ周遊でも毎日のように石の大聖堂を見てきたが、キリスト教の装飾過剰な教会とはまったく印象が違う。 こんな堂々たる迫力の石の五重塔を見たのは初めてである。 ☆あちこちで、髪に花飾りをつけ美しく着飾った娘さんたちの姿を見かけた。 今日は何かの祝日かと思ったら、それは「泉州女」と呼ばれる泉州の女性たちの普段の装いなのだそうだ。 若い女性だけではなく、おばちゃんたちも日常に髪飾りを付けているし、男の人でも花飾りを付けている人が居る。 今日は泉州という街の文化の素晴らしさ、中国の奥の深さをまじまじと見せつけられた一日であった。 ☆夜は、某石材店主催の行政関係者、石材店関係者を交えて歓迎会が開催された。 恵安に来て初めて、たっぷりのワインが出た。 みんなかなりの酒を飲み干して、大いに酔っぱらっていた。 ☆ファブリッツイオ・ディエッティの話では、彼もバクダッド・シンポジウムへの招待が決まっていたのだという。 ところが彼はVPNもSIMカードも使っていないので、フェイスブックとメッセンジャーが使えないし、メールも開けないと言う。 それでバグダッドのオルガナイザーが何度ファブリッツイオに連絡をしても何も連絡がないので、ファブリッツイオの招待を取り消し、他の作家に廻した のだと言う。 ファブリッツイオが招待作家に選ばれていたことは、知人の彫刻家からの連絡で分かったようだ。 しかし、時すでに遅し。 ファブリッツイオは”バグダッド!バグダッド!”と悔しくて溜まらず地団太を踏んでいた。 それだけ彼がバグダッドに参加したかったと言うことは、やはりヨーロッパの作家たちにとってはバグダッドは回避すべき場所では無いと言うことなのだろう。 10月6日(日) ☆晴れ。 ☆石彫芸術祭9日目。 ”MOON DANCE”本体と台座の研磨は終っていた。 本体の研磨は少し鈍いが、問題はないのでサンドペーパーは不要と判断。 今日は心棒を入れて本体と台座を接合して終わりかと思っていたら、心棒は展示会場へ運んでから接合すると言うこと。 確かに接合してから運ぶと、運ぶ振動で外れることがあり、彼らの意見に従う。 そこへ劉さんが、作品を乗せる台座は必要ではないか、と言う。 私はすでに作品の台座はあるので、そんなもの不要と無得も無く遮ったが、展示会場での事を考えると、待てよ・・・となった。 他の作品はみんな巨大である。 それらの作品のなかで、脚もとの地べたにポツネンと置かれる私の”MOON DANCE”の余りの惨めさがふいに目に浮かんできた。 私も作品の本設置の時にはそんな設置の仕方はしない。 それで全体の高さが2メートル以上になって、”MOON DANCE”を少し見上げるような感じになる台座の大きさを割り出して、石の提供をお願いした。 すぐさま工場の責任者が率先して石を捜してくれて、あっという間に切削の段取りをしてくれた。 ☆これで今日の私の仕事は完全に終わった。 今日もランチの後に、ファブリッツイオ・コルネリとホテルへ帰る。 ☆午後2時半からコルネリと一緒に、ホテル近くの崇武古城(すうぶこじょう)風景区へ観光に出かける。 海岸沿いに石の城壁が築かれ、その内側に昔からの街並みが残る。 ここは明の時代1387年に築造された城郭都市で、当時の深刻な倭寇対策として「海の万里の長城」が築かれたものだが、その城壁が当時のまま残っている 唯一の史跡だということである。 ☆入場は有料だが、コルネリのパスポートと私の年齢でフリーパスになって、無料で入れた。 海岸沿いには夥しい数の石彫(武人像)が並べられ、風光明媚な観光地となっている。 しかしいったん城壁に登ると降りる所が無い。 コルネリは一度一人で来ていて、状況が分かっているので途中で私と別れたが、私はそのまま城壁の上を歩いて旧市街へ歩いて行く。 海側の城壁に添った家屋は、どういう訳かすべて解体中だったが、城壁は旧市街の中へ続いていて、その辺りは古い中国の町の佇まいがそのまま残っていた。 今日は陽射しが強く、2時間の行程を汗だくになって歩く。 ☆ホテルへ帰る前に、部屋のウイスキーが切れたので、カンビールを買って帰る。 ☆夜になってネットの状態が悪くなって、この午後の観光の様子はフェイスブックには投稿できなかった。 ベッドに入って寝入ったところへ、スタッフから電話。 何事かと思ったら、明朝8時から、丸一日観光に出かけると言う。 何処へ行くのだと問うと、旧市街だと言う。 また崇武古城へ行くのかな? 10月5日(土) ☆久しぶりの晴れ。 風も治まり、秋風の爽やかさ。 作業ジャンパーは要らず。 ☆石彫芸術祭8日目。 ”MOON DANCE”は反対面の帯部のカッティング仕上げも終わり、心棒穴も開いていて、心棒を入れての位置合わせをする。 職人さんはそれで作業が終わったと思っていたようだが、台座の側面のハツリ作業と、研磨について打ち合わせる。 台座のハツリが終って、ようやく職人さんの仕事は終わり、2人で記念写真を撮る。 台座は本研磨のため工場内へ運ばれ、本体の研磨は女性が二人やって来て作業を始めてくれた。 中国の凄さは、それぞれの作業の専属がいて、あっという間に完璧な作業をやって間断なく作業が展開してゆくところだろう。 中国では体力の要らない研磨作業は女性の担当のようである。 女性たちは職人さんが出したフォルムがまだまだ凹凸が多いので、きちんとそのひずみを修正しながら作業してくれている。 これで私の指図することは無くなった。 残りは、研磨の終わった本体の上りを見て、ペーパー研磨が必要かだけを判断すれば良い。 それは明日の仕事で、今日はもう何もすることが無いので、ランチの後にホテルへ帰って来た。 ☆ホテルへ帰って、まずメールの送信ができないことの対処をあれこれ試行する。 どうやらバクダッドからの招待内定のメールが迷惑メール系だった様で、OCN側で送信制限をしているようだ。 その理由の一つがウイルス感染の可能性だったので、ウイルスソフトでスキャンしたがウイルスは検出されなかった。 それでOCNにメール送信停止の解除願いをするしかなく、そのフォームを記入して送る。 解除までには2〜5日くらいかかるようだ。 ☆次にバグダッドの件。 妻もイラクの情勢を調べて行くべきではないと言うラインが届いていたので、朝のうちは今日中の招待辞退をほぼ決めていた。 だが午前中にスマホでイラクの情報を調べていると、確かに外務省からの避難勧告は出ているが、以前と比べるとかなり治安は安定していて、危険なところ には近寄らないようにして、たっぷりイラク観光をお楽しみ下さいという案内サイトがあって、もう少し調べてみようと言う気になった。 まず隣国のイランの作家に状況を打診してみた。 実は来年2月のイランのシンポジウムに招待が来ていて、バクダッドと重なりそうなので、その辺りから話を持っていった。 確かに今のイランはとても安定しているが、イスラエルの動向もあり、まだ2月の日程が決められないと言う。 そして、バグダッドはとても治安は安定していて、彼は先週にバグダッドから帰って来たばかりだと言う。 しかもイラクとイランとの相互移動は何も問題なく出来るのだと言う。 バグダッドへの正式参加表明は全く問題なく、是非行くべきだと言う。 それで、参加表明だけ明らかにしていて、来年の状況でキャンセルを考えればよいのではないかと思う。 情勢が悪化すれば、シンポジウムも開催できなくなるだろうし、先方からそういう判断をしてくるだろう。 提出を求められていた石の切断図面を作成して、バクダッドへ正式参加表明を伝える。 実際、その国のことは行ってみなければわからない。 中国だって、先日の日本人学校の事件を受けて、ネットでは中国渡航は危険だと言う論調だが、来てみると反日の雰囲気は全く無い。 10月4日(金) ☆曇り。 夜中からとても肌寒くなって来た。 日中は昨日までの風は無く、寒さも少し和らぐ。 ☆朝一に、知人の彫刻家からメールとメッセンジャーで連絡事項があり、メールを返信すると、再びエラーメッセージが出て送信できない。 どうやら解決したのは受信だけで、送信は出来なくなったままのようだ。 しばらくはメッセンジャーでのやり取りしかできない。 ☆丁度タイミングが良くて、彼は私たちの仲間ではもっとも中近東のシンポジウムに参加している作家であり、周辺国の事情に最も詳しい作家である。 それで事情を説明したら、彼も外務省の避難勧告を見て、端から参加できないと判断してエントリーしなかったのだそうだ。 彼の判断では、彼がよく行く周辺の国々は比較的安全で、しかしイラクは最も危険なので行かない方が賢明だと断言する。 参加の正式表明の期限は今日までである。 今日までならまだキャンセルできるだろうか。 ☆石彫芸術祭7日目。 私の作品はディスクによる成形作業がほぼ終わり(これは職人の判断)、カップ砥石による研磨成形作業に這入った。 そろそろ心棒と、心棒穴位置の決定をしなければならない。 心棒穴位置を決めてくれたら、午後に台座に心棒穴を開けると言うので、作品を台座に乗せて、心棒穴位置を決める。 台座に乗った”MOON DANCE”はなかなかにいい感じである。 ☆昼に事務局の各作家へのビデオインタビューがあり、それぞれの作品のそばでインタビューを受けることに成り、再び作品を台座に乗せる。 ☆午後に早めにホテルへ戻りたくて、”MOON DANCE”の帯部のカッティングラインを入れて貰った。 そして帯部のラインをハンマーで叩いて仕上げ作業をしたら、職人さんが”お前何をするんだ!”と腰を抜かさんばかりの驚き様。 しかし別の職人さんが、何故かスマホに高鍋駅前の”MOON DANCE”の画像を入れていて、帯部を拡大して、こんな風にするんだと私の職人に説明。 スマホを持った職人は、カッティングの叩き仕上げの要領を心得てくれていて、きちんと作業を進めてくれた。 これで今日は私が居なくても大丈夫なので、タクシーを呼んでもらってホテルへ帰る。 ☆職人さんが、頼んでおいた楔を工具店から預かって来てくれた。 お金を渡すとおつりが無いというので、工場の方が料金は工場で払うと言って請求書を引き取ってくれた。 ☆3時半にホテルへ帰る。 すぐにシャワーを浴びたかったが、部屋のクリーニングがまだ終わっていなかったので、バグダッド・シンポジウムのオルガナイザーに治安について尋ねてみた。 直ぐに返事が返って来て、”バグダッドの治安は安全で、そして安定している。シンポジウムは、今ではなく、来年である。けれどもあなたは自由である。慎重に考えて、 そしてどうするかを私に知らせなさい。”と言うことである。 しばらくは猶予があると言うことである。 ☆メールをチェックすると、受信速度がものすごく遅い。 そして折り返しの返事が必要なメールも届いている。 しかしメールの返信が出来ない。 ☆一気に冷え込んできて、夕食は長袖で出る。 10月3日(木) ☆今日も強風の吹き荒れる寒い一日。 ☆朝食前にメール受信のアカウント設定を試みる。 以前にも同じ状態になって、パスワードを変更したことを思い出した。 しかし今日はその設定が全くできず、メールの送受信が一切出来なくなってしまった。 ☆今朝になって、ベッドルームの灯りが点かなくなった。 スタッフに、ホテルへ連絡してもらう。 ☆石彫芸術祭6日目。 職人さんとのコンビネーションも少しずつ掴めるようになって来た。 職人さんに作業指示をすると何やら激しく言い返すので、指示をされたくなくて怒っているのだと思っていた。 だが、怒って怒鳴りあうような会話が中国人の普通の会話だと思い出した。 別に怒っているわけではないとわかったら、職人さんに指示してもこちらの言うことが伝わっているのが感じられるようになって来た。 ☆ファブリツイオが久しぶりに作業に出て来て、段取りをしながら職人さんと作業していた。 だが、彼は午前の作業で殆どの作業は終ったので、ランチと午睡の後はホテルへ帰りたいと言い出した。 私も一緒に帰らないかと言われ、私の今日の残りの作業は私の指示で職人さんがきっちりやってくれることがわかったし、メールの問題も早く対応 しなければならないので、4時過ぎにはホテルへ戻る。 ☆ベッドルームの灯りは元に戻っていた。 ☆シャワーを浴びて、メールの送受信不可の解決方法をネットで検索する。 そうしてOCNメールのWebメールにログインすると、受信メールの全てが表示され、やはり昨夜に電話のあったバグダッド・シンポジウムからの招待決定通知と、 2日以内に正式な参加返事と必要な石の寸法を返事するようにとのメールが届いていた。 だからどうしても早急にメールが使えるようにしなければならなかったのだ。 とりあえずオルガナイザーには、メッセンジャーで返事をした。 そしてパスワードの変更をして、無事にオルガナイザーからのメールをOutlookで受信した。 これで回復かと思いきや、オルガナイザーへメールでも返信しようとしたら、再びパスワードエラーが出て、メールの送受信が再び出来なくなってしまった。 どうにも、このオルガナイザーへの返事をすると、メールが送受信できなくなるのではないのか。 ☆夕食の間、スマホで正式招待の届いたイラクの治安について調べてみたら、治安は「レベル3:渡航は止めてください」、「レベル4:避難してください。 渡航は止めてください。(避難勧告)」となっている。 他にもフライトの問題など、不安材料ばかりで、食事も進まなくなって来た。 ☆夕食を終えて、ネットの不具合を点検すると、バグダッドのオルガナイザーへの返信が出来なくなってから、一切の送受信が出来なくいなってしまったようだ。 それで送信フォルダに這入ったままのオルガナイザーへの返信メールを削除したら、もうエラーメッセージは出なくなり、普通にメールの受信が出来た。 これは某国には行くな、と言う警告なのではないかと思えて来て、陰鬱な気持ちになってしまった。 10月2日(水) ☆曇り。 朝、ホテルを出ると一気に気温が下がっていて、寒さに震えた。 あわてて部屋に戻り、作業ジャンパーを着る。 台風の直撃は避けられそうだが、風がものすごく強くて、寒さに震える一日であった。 ☆石彫芸術祭5日目。 工場へは劉さんの車で往復することになったが、朝一に劉さんがファブリツイオを薬局へ連れて行った。 咽喉が痛くて薬を買いに行き、今日はホテルで静養するとのこと。 ☆私は職人の作業を見守るだけ。 まだまだフォルムはしっかり出さないとならないのに、職人さんは早く反対側の作業をしないと気が気ではないのだろう。 午後半ばには強引に返して、反対面の作業に入った。 ☆夕刻にホテルへ戻ってシャワーを浴びていると、スマホから着信音。 通信にeSIMを使っているので、日本からの電話ではない。 誰だろうと思ってスマホを開くと、エントリーしていたバグダッド・シンポジウムのオルガナイザー・Aliからのメッセンジャーでの電話であった。 スマホの着信が切れてしまったので、Aliに折り返し電話をする。 シンポジウム期間中に、アシスタント無しに必ず作品を完成することが出来るか、という問い合わせだった。 おそらく・・・、と返事したら、、いや必ずと言う返事でなければ駄目だと言う。 ☆選ばれた作品と同様の過去の拡大制作の期間を、過去の資料から判断するとなんとか間に合うのではないのだろうか。 メールでも同じ問い合わせが来ていたので、メールで返事をしようと思ったら、”次のサーバーのアカウント名とパスワードを入力して下さい”と言うメッセージが出る。 しかしパスワードを打ち込んでも同じである. なんどやっても同じである。 パソコンのシステムの復元をかけても同じである。 それでメールの返信文をメッセンジャーに打ち込んで連絡する。 ☆石材工場でフェイスブックを見ていたら、今朝、宮崎空港の滑走路で不発弾が爆発と言うニュースにびっくり。 爆発の映像も流れた。 先日の台風でも空港周辺は竜巻でひどい目に遭った。 何が起きるか、分からない。 10月1日(火) ☆雲は多いものの概ね晴れ。 台風が接近している割には、夜中は実に静かだったし、海も全く荒れていない。 風も昨日の方が強かった気がする。 ☆制作4日目。 石材店工場へ行くと、ちゃんとワイヤー・ソーで輪郭を落した石が届いていた。 アウトラインが落ちたので、もう半分は終ったような感じである。 午前はフォルム落しのラインを入れる。 ☆事務所での午睡(といってもエアコンが24度で寒くて眠れず)の後、午後2時からフォルム落しの作業。 作業は職人さんがやってくれるので、私は要所を作業指示したり、私でないと出来ない部分を作業したりする。 作業をじっと見ているのも辛い。 私が作業した方が完全に早いが、私の道具ではないので我慢、我慢である。 ☆夕食の前に、Wechatでよく解らない連絡が来ていた。 それで夕食後にスタッフに確認すると、作家たちがホテルから石材工場へ移動するのに、自動車を使う作家が多くなったので、明日から7日まで送迎のバスは 出さない、と言うものである。 実際は、作業が始まってから作業の終わる時間が作家や工場の段取りでバラバラで、皆が同じ時刻に作業を終ってバスに乗るのは難しい。 それに海外作家の場合は、段取りの指示をしたら何もすることが無くて、午前のうちにホテルへ帰ってしまう作家もいる。 おそらくバスをチャーターしても、バスを利用する作家たちの動向が全く把握できない状況になってしまったのだろう。 それじゃあ私は明日からどうやって工場へ向かい、帰って来ればいいのか。 その工場の割り当てメンバーで車を手配して欲しいと言う。 だれがどうするのだ。 簡単に石材工場まで歩いて行ける距離ではない。 ☆また海外作家たちは、昨夜からディナーの酒は自腹になったことを誰も知らなかった。 今夜は強引にみんなビールを呑んでいた。 では、昨夜私が自腹で払ったビールは何だったのか。 なんだか運営が統一感に欠ける。 9月30日(月) ☆晴れ。 台風18号が接近しているせいか、とても蒸し暑くて非常に風が強い。 なにやら台風18号は恵安を直撃しそうだ。 ☆昨夜は独りで呑み過ぎて、今朝は二日酔いだった。 ☆朝食を摂っていると、イタリアの作家から声を掛けられ、空港展に参加したことがあると言う。 彼はこのホテルに着いた時にレセプションのカウンターで会っていて、ファブリッツイオ・ディエッティと名乗った。 良く知っている作家名だったので、有名な作家だから記憶にあるのだと思っていた。 ところが私と同じ石材店で作業するイタリア人作家もファブリッツイオで、頭の中がこんがらかってしまっていた。 何んと言うことは無い、今回はイタリアから2人のファブリッツイオが参加しているのだ。 部屋に戻って、パソコンで空港展の海外作家資料をチェックしてみたら、やはりファブリッツイオ・ディエッティは空港展に参加していた。 それで名前を記憶していたのだ。 だから今回の海外作家のうちの2名(ファブリッツイオとエスマイル)が空港展参加作家と言うことになる。 ☆今日から石材店での作業開始。 8時にバスでホテルを発つ。 私は石に線引きをして、図面を拡大して写し、工場の責任者と粗落しの打合せをする。 ワイヤー・ソーでアウトラインを落してくれるので、作業は進む。 打合わせが終わったら、トラックが来て私の石を運び出した。 私はワイヤー・ソーの作業は工場内でやるものと思っていて、午後はその作業に立ち会うつもりだった。 ところがワイヤー・ソーの作業は外注で、私は何もすることがなくなった。 ファブリッツイオも大口径での切削を依頼して、何もすることが無くなったので先にホテルへ帰ってしまった。 私も帰ろうと思ったが、昼食のお弁当が届くので、それまで事務所でお茶を呑みながら待つ。 今日から通訳が居ないので、スマホにインストールした翻訳ソフトで中国人作家や石材店職人さんたちとの会話をする。 ようやく届いた弁当を食べて、用意されていたタクシーで午後にホテルへ帰る。 ☆午後は午睡でもしようと思ったが、溜まっていたデスクワークをする。 ところが今日はパソコンがフェイスブックを開いてくれない。 ヤフーさえもなかなか開かない。 海外は時間帯によってホテルのネット接続がとても弱くなることがあるので、このホテルも昼間はネットが弱いのかと思ったが、フェイスブックを開くときは スマホのテザリングを使っているので、そういう訳でもなさそうだ。 再起動しても、夜になっても状況は変わらなかったが、ようやく10時を廻って正常に戻った。 原因は何だったのか。 ☆夕食時に海外作家たちに今日の状況を聞いたら、多くの作家が午前の段取りで終わり、午後はホテルに帰ってきたようだ。 (ただし何人かはきちんと作業をしていた) 夕食時にこちらがいくら催促してもなかなかビールが出て来なかったのだが、今日からアルコールは自腹となった。 私はアルコールのない夕食なんて考えられないので、自腹でビールを呑む。 やはり以前と比べるとビールの値段がかなり上がっていて、日本より高い。 9月29日(日) ☆晴れ。 ☆昨夜はエアコンも室内の灯りも全て消して寝る。 朝は肌寒いほどに心地良い。 ☆朝食後に洗濯をしていたら、右手の痛みが消え、お湯の温度を感じなくなっていた症状も消えていることに気付いた。 実はこの作業し過ぎによる掌の激痛には、過去に同様の記憶があった。 アンジェラスの森で作業を始めたころに、グラインダーのハンドルが邪魔でハンドルを外して作業していたら今回と同じ腱鞘炎になった。 整形外科にも通ったが、回復は無理と言う診断だった。 そこへ義姉が母のリハビリ用に用意していたイボイボの小さなボールを、使ってみたら?と渡してくれた。 それで毎日のようにクルミを掌で擦り合わせるようにイボイボボールを握っていたら、いつの間にか腱鞘炎は恢復した。 その経験を思い出し、先日から空港での待合時間などでイボイボボールを握っていた。 やはりその効果がてきめんに出た。 ☆午前9時30分から、昨日のフォーラム会場で台湾彫刻家・Lai Chi Manの作家講演会。 Laiは香港生まれの作家で、現在は台湾で活動している作家である。 恵安は作品の発注価格がとても安かったので、それ以来、恵安との交流が続いていると言うこと。 彼の経歴や制作への思いを質疑応答で掘り下げていくセミナーであった。 昨日に見た彫刻公園に彼の作品がずらりと並んでいるが、その中の1点が若いころの私の作品にそっくりでびっくりさせられた。 Laiの作品は全てエピゴーネンで、彼独自のオリジナリティーは全く無い。 殆ど日本の彫刻家の割り戻し技法の模倣と、何処かで見たような作品ばかりである。 ☆昨日の開会式と今日のセミナーでLi Zhao(1年前のポルトガルシンポジウムで一緒だった)から声を掛けられた。 彼女は中国で色んな彫刻展の運営に関わっているので、ヤン・リュー同様に関係者として参加しているのだと思った。 ところが彼女は作家として参加しているのだと言う。 それに、私が参加することが分かったので何度も私にWeChatで連絡したのだ、と送信履歴を見せてくれた。 春先にスマホを買い換えて、こうしたアプリの履歴が全部消えてしまったのだ。 だから彼女が私に何度メッセージを送っても届かなかったのだ。 ☆ホテルで昼食を摂っている時に、森本さんが部屋を移動しなければならなくなったと慌てていた。 何が起きたのだろうと思っていたが、午後の石材店訪問の前にWeChatを見ていたら、Li Zhaoから部屋移動の指示が出ている。 見ると、私も部屋を移動しなければならなくなっていて、慌てて荷造りをして新しい部屋に移動しなければならなかった。 鄭さんにホテルのレセプションで事情を聞いて貰ったら、予算の関係で、海側の部屋は料金が高く、料金の低い海の見えない部屋への移動になったと言うこと。 しかもチェックアウト時間内に部屋を明け無ければならないと言うことで、鄭さんに手伝ってもらって部屋を移動する。 新しい部屋は海が見えず、ベランダも浴槽も無い。 がっくりである。 ☆部屋の移動を済ませ、午後は各作家に割り当てられた石材工場へ出向く。 各石材工場に中国作家・海外作家が5名ずつ配置され、石材工場の協力で10日で作品を制作する。 私の割り当てられた石材工場へは、海外作家は私とイタリアのファブリッツイオ(もう一人のファブリッツイオ。イタリア作家は2人のファブリッツイオが参加)だった。 石の確認と制作工程の打合せをする。 ☆通訳の鄭さんは昨日と今日だけの担当だった。 夕食を一緒に摂り、夕食会場で別れる。 ☆夕食前にホテルの周辺のお店を廻って、ジョニー・ウオーカーのブラックラベルを購入。 今夜は部屋で独りで、ブラックラベルを呑みながら時を過ごす。 日中はホテルに居ないので、海が見えなくなっても問題ない。 9月28日(土) ☆快晴。 気温は30度前後でやや暑い。 ☆昨夜もエアコンが効き過ぎていた上に、ベッドの足元照明がなく浴室の明かりを点けたままで、しかも大腸憩室炎の辛さがますます酷くなってきて、 一晩中熟睡できなかった。 朝起きて、バルコニーのカーテンを開くと、部屋の真下はプールで、プールの向こうには海が拡がっていた。 恵安市は海沿いの街なのだ。 ☆朝食を摂って、バスで石彫芸術センターへ移動。 9時から開幕式のセレモニー。 私には鄭さんという青年が通訳で付いてくれた。 開会式は中国特有の行政関係有力者の長い長い挨拶が延々と続いた。 ☆セレモニーが終わって、センター内の展示物などを見て廻っていたら、シンポジウムのTシャツを着た日本人に声を掛けられた。 森本さんという福岡県出身で、現在はイタリアのボローニャに住まわれているその方も今回の招待作家だと言うことであった。 ☆お昼はホテルに戻って昼食。 食後の休憩をはさんで、2時過ぎに再びバスで石彫博物館という建物へ移動。 その1階の部屋で”世界彫刻公園”というテーマでのフォーラムが開催された。 通訳の鄭さんには私と森本さんの通訳を勤めてもらった。 恵安は、”世界石彫の都”としてアピールしているが、実際に街中を走ると、恵安市民全員が彫刻家ではないかと思われるほど、石の彫刻があふれている。 しかし殆どが仏像関係の石像で、具象彫刻や抽象彫刻には見るべきものは無い。 したがって恵安市を”世界彫刻公園”として展開させていくにはどうしたら良いか。 各関係者代表や招待海外作家からの提言などを求めたフォーラムであった。 ☆フォーラムの最後にISSAプレジデントのヤン・リューが、関係者に感謝状を渡すセレモニーがあった。 そうしたら真っ先に私が呼ばれて、ステージで作家認定証を授与された。 額に這入った認定証で、帰国時の荷物がかさばってしまう。 ☆夕食はホテル内の晩餐室で摂る。 森本さんと話していると、色んな共通の知人が居て話が弾んだ。 そこへイランのエスマイルがやって来た。 エスマイルは空港展にも参加してくれた友人である。 みんな作家リストをもらっていないので、ここで知人の作家にバッタリ出会って、お互いにびっくりと言う状態である。 9月27日(金) ☆快晴。 ☆9時半過ぎに高鍋を出て、妻と宮崎空港へ。 妻は大学の同級生と久しぶりに会うために、博多へ出かけた。 今日はフライトの宮崎空港到着遅れがとても多く、妻も30分遅れで飛び立った。 私のフライトはピーチで、関西空港到着から厦門エアーでの出発までの乗り継ぎ時間が2時間しかない。 30分も宮崎の出発が遅れたら完全に厦門へ行けなくなると気が気では無かった。 しかしピーチは無事に15時50分の定刻に宮崎空港を発ち、関西国際空港へは定刻より5分早く着いた。 預け荷物を受け取ってリムジンバス停へ急ぎ、国際線出発の第1ターミナルへ向かう。 第1ターミナルの中がなかなかややこしくて、ようやく厦門エアーのカウンターにたどり着くとお客は私一人で、アッと言う間にチェックインが終った。 中国人はせっかちだから、チェックイン開始前に長蛇の列を作り、私がカウンターにたどり着いた時には殆どの客の搭乗手続きは終ってしまっていたようだ。 ☆出国手続きが終わって、中国側に無事にチェックインが終った旨をWeChatで伝える。 中国ではシンポジウム参加者同士の連絡はWeChatで行われる。 ☆定刻の18時55分に無事に関西国際空港を出発。 定刻の21時20分に厦門空港に到着。 フライト中は大腸憩室炎がつらくてつらくてたまらなかった。 厦門空港にはシンポジウム事務局のLinさんが迎えに来てくれていた。 コロナ以降、中国への入国手続きがとても難しくなって、入国インフォメーションを記入するのがなかなか大変だった。 空港で、Linさんが連絡用の中国国内用SIMカードを買ってくれて、スマホのSIMカードを入れ替えてくれた。 ☆厦門空港は乗り継ぎで空港に降りたことはあるが、空港を出て厦門市内へ這入ったのは初めてである。 目的地の恵安までは車で2時間。 途中、大腸憩室炎がきつくて、眠っていると、ウツラウツラの中で大地震の夢を見て”地震だ!”と叫んで目が醒めた。 ☆12時前にホテルへ着。 とても大きなホテルで、部屋も実に広々としている。 カウンターでヤン・リュー、スぺインのナンド(うちぬき21の参加作家で、1年前のポルトガルのシンポジウムに訪ねて来てくれた)、そして名前は良く知っている イタリアのファブリッツイオに遭う。 ヤン・リューは参加作家ではなく、明日の開会式に出席のための来訪であった。 ☆部屋で早速ネット環境を調べる。 ホテルのWi-Fiではメールの送受信とYahooの閲覧はできる。 しかしLINEとFacebookは接続できない。 Linさんが買ってくれた中国用SIMカードではLINEもFacebookも使えない。 それで出発前にインストールしたeSIMを使うとLINEもFacebookも正常に使えた。 したがってこの3つを用途に応じて使い分けて行けば問題はない。 さっそく、妻にLINEでホテルの部屋の写真を送る。 そんなこんなで床に就いたのはもう午前2時前だった。 9月26日(木) ☆秋晴れの快晴。 気温は高め。 ☆昨夜も大腸憩室炎の辛さで何度も目が醒める。 ますます横腹が辛くなってくる。 ☆先日夜にアメリカンエキスプレスから、立て続けに4件の認証コードが送られてきて、購入額が総計で約20万というとんでもない購入通知が届いた。 購入先は私がよく使うコンピューターソフト会社だが、そのソフト会社で最近ソフトを購入したことも無く、しかもそのカードはカードを切り替えて 現在は使えないものである。 それで翌日に直ぐアメリカンエキスプレスへ問いあわせてみたが、日曜日で対応窓口がクローズしていたので、今朝あらためて問いあわせてみた。 そうしたら確かにアメックスに購入の連絡が上がってきているが、2段階認証になっていて私が認証コードに返事をしなかったのでカード購入は却下されていると言う。 そして確かにそのカードは現在は使われなくなっているが、過去にそのカードでの取引停止事例があるというので調べて貰ったら、昨年10月のアマゾンでの乗っ取りの 事例だった。 何故使われていないカード番号が漏洩しているのかは、そのアマゾン乗っ取りの時に洩れたのだろうということである。 だがカード自体は使えないし、私が認証コードを打ち込まない限りは使えないので、そのまま放置しておいて大丈夫と言うことであった。 私はあの事件以来、アマゾンは決して使わない。 怖ろしい世界になって来た。 ☆一日、中国への諸準備。 まず、インターネット環境を整えるためにeSIMを申し込み、スマホにダウンロードする。 春のヨーロッパ周遊でeSIMがとても快適だったし、パソコンもスマホのテザリングで普通に使えた。 ただ中国はインタネットの規制があるのでVPNをインストールしないと使い物にならない。 以前はスマホに無料アプリをインストールしていたのだが、この春先にスマホを買い換えた時に移動出来なかった。 しかも、もう古いスマホは幾ら充電しても画面が起動しない。 ネットで検索するが、無料のアプリで評価の高いものが見つからない。 ☆午後は妻のボーカルレッスンで、10月の保育園での演奏会のリハーサルだった。 私は中国への荷造りでジョイントする時間は無いと思っていたが、レッスンの時刻までにはほぼ荷造りも終ったので、レッスンに参加する。 10月のスケジュールを見たら、中国から帰国して1週間後にはもう保育園での演奏会、さらにその10日後の11月初めには妻の個展会場でのライブ、 そして11月末にはライブハウスでのライブである。 中国から帰ったら来年3月の版画2人展のための版画制作に這入ろうと思っていたら、それどころでは無さそうだ。 9月25日(水) ☆雲の多い一日。 小雨はぱらついたが、大降りにはならず。 ☆今朝で大腸憩室炎の薬が切れたし、まだ鈍痛で夜中に目が醒めると、辛くて眠れない。 それでO内科で診てもらって、薬を出してもらう。 薬はこれまでの薬より強いものと抗生物質、痛み止めを出してもらった。 ところが受付で名前を書こうとしたら、右指がピーンと跳ね上がって文字が書けない。 あわてて左の掌で右の手を押さえて名前を書く。 ☆午後には青空が拡がったので、整骨院へ行く前に洗濯ものを干して出かけようと思ったら、洗濯ばさみが摘めない。 整骨院の院長に右手の症状を伝えたら、”使い過ぎです”と一言。 いや、そんな右手を酷使するような仕事はしていないし、仕上げ作業も終ってここ2,3日は仕事は何もしていませんよ。 だがどうやらこれまでの作業の疲労が溜まって来ているのだと言う。 院長も指圧で同じような症状になるということ。 それで今日の電気治療には腕先の電気治療が加わり、さらに院長の治療では指先を突っ込む豚の頭のような恰好をした電気マッサージ器で治療していただいた。 この指先のマッサージ器(ハンドマッサージャー)は患者用ではなく、院長の掌マッサージ用のものだという。 これだと中国に持って行けますけどね、と。 いやいや、荷物が多いのでそれは無理でしょう。 ただこの症状はこれから寒くなると指先が真っ白になり、指を切っても感覚が無いので全く気が付かなくなるという。 ☆整骨院から帰って、中国への荷造りにかかろうとするが、からだがきつくて身動きできず。 蜂蜜をお湯で溶いて一服すると、なんとか動けるようになったので、荷造りに集中する。 今回は石材店の工場での作業なので、作業工具等は持って行かなくてよいので助かる。 ☆中国から帰りの便を10月12日に変更したEチケットが届く。 ☆夕食の後、ハーモニカの練習がきつくてきつくて、練習が終わると直ぐに床に就く。 9月24日(火) ☆秋晴れの爽やかな一日。 午後半ばからはにわか雨となり、そのまま本格的な雨となる。 ☆昨夜も一晩中、首の痛み、大腸憩室炎の辛さで熟睡できず。 ☆首の痛みはシップのお陰で朝までにはかなり和らいだが、新聞を読んでいるうちに再び悪化してしまった。 それで整骨院でマッサージをしてもらった。 最近はずっと背中がパンパンに張っていたのだが、院長の治療もローラーによる背中全体の解しと、背中と肩への電気治療、そして背中への指圧だった。 おかげで夕刻までにはかなり楽になった。 ☆髪の毛が御茶ノ水博士みたいに伸びて来たので、午後に散髪へ。 ☆夕刻に入浴中に右手の異変に気付いた。 右手がお湯の温度を全く感じないのだ。 触感の感覚は在るのだが、温度を感じられない。 そして手首を酷使するような作業は何もしていないのに、次第に手首が痛くなって来た。 これも首の痛み同様に、背中の張りから来ているのだろうか。 9月23日(祝・月) ☆朝のうちまで小雨。 じきに晴れる。 ☆起き抜けから一気に秋の冷気に震える。 日中も気温は上がらず、ようやく秋が訪れて来た。 ☆午前に日向市へ出かけ、妻の実家の墓参。 ☆ようやく晴れた午後になったので、夕刻近くから伸び切った庭の草を刈る。 今年はやたら雑草の伸びが凄まじく、刈っても刈っても草が直ぐに伸びて来る。 やはり今日はあちらこちらの家で、庭の草を刈っている姿が見られた。 ☆ところが草刈りを終えて、草をゴミ袋に詰め込んでいる最中に左の首筋に激痛。 首が折れてしまいそうな激痛である。 マッサージ機で揉み解そうとするが、肝心の首筋のマッサージ機能がなく、逆に気分が悪くなって来た。 耐え難く、秋の冷気の和室に寝っ転がって、痛みに耐える。 寝る前に妻にシップを貼ってもらう。 まだ大腸憩室炎の痛みもまったく和らがず、こんな調子で数日後には中国へ発たねばならない。 9月22日(日) ☆雨。 夜中から雷雨。 午前も激しい雷鳴が轟く。 ☆昨夜も悶々として熟睡できず。 何故か体中が痒く、大腸憩室炎の辛さとコロナ後遺症に似た胸の苦しさで、いったん目が醒めると苦しくて寝付けない。 朝方になってその疲れが出て、どっと寝入ったらしく、気が付いたらもう朝の8時を廻っていた。 ☆午前も体がきつくて何もできず、思考能力もゼロで、あっという間にお昼になった。 ☆中国から往復のEチケットが届いた。 ところが帰りのフライトが10月11日発になっている。 それで中国側に確認すると、私が添付資料で送った厦門発のフライトスケジュールのスクリーンショットが10月11日発だったので、それをそのまま旅行代理店に 送ったと言うこと。 単なるフライト時刻の確認のための添付だったと伝え、チケットを取り直してもらうことにした。 ☆10月12日は伊丹空港周辺に泊まることが決定になったので、ホテルを予約する。 連休なので、残りの部屋が1室しか無いところが多かった。 ☆年末開催の某海外シンポジウムのエントリーを済ませる。 ☆夕食を摂ったら少し元気が出たので、今夜はハーモニカの練習をする。 保育園での演奏で、ジェスチャーしながらの演奏が多く、おかしくて妻と笑いながら練習をする。 9月21日(土) ☆晴れ。 昼前に雨雲が立ち込めたが、午後には回復。 ☆昨夜も一晩中大腸憩室炎が辛くて、熟睡できず。 何度目が醒めても夜中で、朝が来るのが実に長かった。 ☆朝一にアンジェラスの森へ。 天候が好かったので、テントを片づける。 里山ではあちらこちらで桜が咲いている。 ☆中国から、「こんにちは、Hui'an」と言う日本語でのショートビデオの提出を求められていたので、アンジェラスの森から帰ると、海辺へ向かって、 海をバックにスマホでショートビデオを撮影。 また私のプロファイルの書籍等の資料提出も求められていたので、「月の雫」を持って行くことにしてショートビデオと本の画像を送る。 ☆天気予報では午後から雨だったので、昼前に妻と墓参する。 例の墓地に撒き散らされていた樹脂のようなものはどうなったのかと思っていたら、今日はまったく何も形跡が無くなっていた。 我が家より酷かったお隣の墓地も、まったく正常で、指で触っても全くベト付きが無かった。 一体何だったのだろう。 だが地面には油のような光沢状のものが流れていた。 やはり人為的なものだったのだろうか。 ☆中国から帰国便についての問いあわせ。 予定では10月11日に帰国便搭乗となっていたが、スケジュールでは10月11日の午前は授賞式となっているので、大丈夫かと案じていた。 やはり午前は授賞式で、日本へのフライトが午後には無いので12日帰国で良いか、と言うものであった。 別に何の予定もないので、慌ただしく帰る必要もない。 ただ日本に帰ってからの関西国際空港からの宮崎便がピーチしかなく、スケジュールが合わないので、伊丹空港周辺に一泊して翌日に伊丹空港から ANAで帰ることにして、フライトスケジュールを送る。 9月20日(金) ☆午前ににわか雨。 日中は晴れ。 蒸し暑い一日。 ☆朝一に、高鍋駅のプラットホームに設置してあった南九州大学の学生作品の撤去作業。 結局、これと言った移設先も思い当たらず、アンジェラスの森へ持って上がる。 これらの作品は全て県展の入選作であり、JRで高鍋町に取材に来られた有名イラストレーター・牧野伊三夫氏がプラットホームのこれらの作品に出遭って、 絶賛されたものである。 ☆当分、アンジェラスの森での作業は無いのでテントを仕舞いたかったのだが、高鍋駅からずっと雨で、テントがびしょ濡れなので作業は後日に廻す。 ☆昼前から、自宅に持ち帰った小作品の接合作業。 しかしリビングで作業をしたら、いろいろ不具合が出て来て、あらためて砥石で削り直したりの手間が生じて、思うように進まず。 お昼までには接合終了。 小作品はとても手間がかかる。 ☆午後から、小作品の梱包木枠制作作業。 今日も凄く蒸し暑く、自宅工房の室内での作業は耐え難いので、玄関先で作業。 午後からは風が出て、屋外は思ったより涼しくなる。 夕刻までに梱包して、宅急便で依頼主に送る。 ☆午後に代理店からVISA添付のパスポートが届く。 VISAの発行日は領事館への申請日になっている。 中国側から、VISAの発行日が27日の招待日になっていたら、26日は入国できないのではないかと言う問い合わせが来ていたので、VISAのコピーを送る。 確かにロシアの場合は、予定通りのスケジュールで行動しなければならないので、招待日が入国日となり、VISAの有効日は招待入国日からとなる。 一度、UFAに招待されたときに、モスクワ空港到着がVISA有効日の前日だったので、入国できず、チケットを発行し直してもらって、成田に一泊しなければならなかった。 中国の場合は、問題ない。 しかし、他の作家はみんな27日に到着すると言うので、私のフライトは再び27日になった。 ☆夕刻に、今日がエントリー締め切りの某海外シンポジウムのエントリーを済ます。 ☆今日は夏バテと大腸憩室炎の辛さで、一日中とてもきつかった。 夕刻にはコロナ後遺症の時のように胸が苦しくなった。 夕食を済ませたら、直ぐに床に就く。 中国には体調万全で出かけたい。 9月19日(木) ☆雲が多いもののおおむね晴れ。 今日も殺人的な蒸し暑さ。 ここにきて夏バテ気味になってしまった。 来週には発つ中国も今年は異常に暑いらしい。 一方、ヨーロッパ周遊中の照沼氏からのラインでは、ヨーロッパは9月なのに雪が降って寒くてたまらないということ。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 アンジェラスの森も蒸し暑い。 手磨き作業を進める。 先日に海辺で写真を撮ったら、バランスが悪かったので(3パーツの組み合わせ構造)、一部を削ってフォルムを修正する。 夕刻までには研磨作業終了。 明日には接合して、梱包発送できそうだ。 ☆代理店からの連絡で、申請していた中国のビザは無事に福岡領事館で受け取ることが出来たと言うこと。 明日には私にビザが貼られたパスポートが戻って来る。 昨年はせっかく中国・青島から招待が届いたので妻を連れて行こうと思ったら、福岡領事館のビザ発行枠がとても少なく、申請時点で受付を終了してしまっていた。 中国側からは、ビザが発給されたら直ぐにチケットを手配するという連絡が這入っていたので、中国側にチケット購入のお願いをする。 1週間後の26日に中国に這入る。 9月18日(水) ☆晴れ。 異常に蒸し暑く、異常に暑い一日。 9月の後半に入って、こんなに熱帯地方のように蒸し暑いのは経験がない。 殺人的な蒸し暑さなので、妻に今日は外出しないように諭す。 ☆ようやく彼岸花の咲き乱れる季節になって来たが、その様子がやはり例年とは全く異なる。 何時もは路肩の雑草は勢いを失くし、凛とした彼岸花がすっと背筋を延ばして立つ。 ところが今年は路肩はまだまだ雑草が伸び放題で、伸び放題の雑草の中に彼岸花が紛れて立って居る。 こんな風情は見たことが無い。 ☆朝一にO内科へ。 もう1週間余後は中国なので、今のうちに横腹の鈍痛を治療しておかなければシンポジウムどころでは無い。 やはり大腸憩室炎のようで、痛み止めを出してもらう。 血圧の薬も中国滞在中に無くなるので、血圧の薬も出してもらう。 ☆今夜は中町婦人会の観音講で、今回は妻が講主である。 妻はこれまでは勤務中で観音講に参加できなかったが、退職して初めての講主が廻って来た。 妻は何も段取りがわからないので、午前は私が我が家の玄関フロアーに預かった祭壇一式を整える。 なかなか我が家でしかできないいい雰囲気の祭壇となった。 ☆午後はアンジェラスの森で作業。 アンジェラスの森も蒸し暑いが、町場のような殺人的な蒸し暑さからは解放される。 研磨仕上げ作業を進める。 ☆作業を終えて森を出ると、目の前に実に鮮やかな虹がくっきりとかかっていた。 虹の両サイドの足元もくっきりと見えて、こんな完璧な虹を見たのは久しぶりだった。 雨上がりでもないのに、と思って走っていると、町場に近づくに連れ、雨になった。 ☆夕刻は甥の妻のお母さんの通夜。 ☆通夜から帰宅してほどなく、観音講で中町のご婦人方が参集してきた。 祭壇にはインドで買った金糸縫いの重厚な布を用いたので、皆さんはびっくりされていた。 以前は講主宅で会食だったのだが、今は祭礼だけして会食はお店で行う。 9月17日(火) ☆朝の裡は時々のにわか雨。 昼前からは上天気となる。 しかし凄く蒸し暑く、車にエアコンを入れても陽射しの蒸し暑さのほうが勝ってしまう。 ☆朝一に、高鍋町役場の結核と肺がんの胸部レントゲン健診に妻と出かける。 舞鶴公園の南側駐車場にて。 ☆レントゲンはあっという間に終わり、直ぐにアンジェラスの森へ上がる。 今日から小作品の手磨き作業に入る。 明日からずっと雨模様なので、中目砥石をかけたところで、午後半ばに海辺へ走って画像を撮る。 そして依頼者に画像を送る。 ☆作家推薦を受けてエントリーデータを送っていた、中国・恵安のシンポジウムの正式招待が決まった。 作家推薦を受けた時点でほぼ招待内定だったので、ビザの申請作業やチケットの手配等の打合せは進めていた。 そして夕刻になって、私の制作するプランの決定案内が届いた。 3つのプランを提出していたのだが、採用されたのは”MOON DANCE”であった。 高鍋駅前の”MOON DANCE”のマケット写真を送っていたのだが、高鍋駅前の”MOON DANCE”の石は恵安の隣の厦門から輸入したものだったので、 里帰りしての”MOON DANCE”制作になる。 ☆また昨夜のうちに、来年初頭に開催される別な某海外シンポジウムから招待が届いていた。 この国のシンポジウムには1度招待参加していて、その後も何度か招待が届いたが私のスケジュールが合わず、友人の日本人彫刻家に参加してもらったり していた。 多分、エントリーデータを提出すれば招待決定になるのだと思う。 データ締め切りが近いので、またデータ作成で忙しくなる。 ☆今日はアンジェラスの森を3往復した。 毎回かならず”つくみやフルーツ”の前を通るので、車に抉り取られてしまった例の縁石を6回見たが、どう考えてもどうやって車がぶつかって縁石を抉り取るような ことになったのかが理解できない。 車道側から激突しているので、この縁石への激突が無かったら、車は”つくみやフルーツ”の店内に飛び込んでいたはずである。 以前に”つくみやフルーツ”店舗前に設置していた私のモニュメントに車が激突してきた時も、私のモニュメントがなかったら車は店舗の中に激突してしまい、 大変なことに成っていた。 ”おざわ別館”の私のあかりオブジェに車が激突した時にも、私のあかりモニュメントがクッションになって、車はお店の中に突入しなかった。 昨日は満月で磁場が狂っていて、しかしアキホ・タタ氏のあかりモニュメントと縁石が車の”つくみやフルーツ”店舗内への突入を防いでくれたのだろう。 9月16日(祝・月) ☆夜中に激しい雨。 そして蒸し暑いうえに大腸憩室炎らしい横腹の鈍痛で、夜中に目が醒めるときつくて眠れず。 何か痛み止めは無いかと5時前に起きてリビングの置き薬を捜してみたが、適合する薬は無く、再び寝室に上がる。 ☆今日も一日、降ったり晴れたりの不安定な気候。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 とても蒸し暑く、被っている帽子が耐え難い不快感。 細部の仕上げ作業を進める。 お昼の帰り支度を始めたら雨が降り始め、帰宅すると町場はものすごい土砂降りだった。 ☆午後の天候は小康状態。 午後半ばまでには仕上げ作業の目途が立ち、手磨きの準備を始めたところで携帯に着信。 ”つくみやフルーツ”のお客さんが、設置してあるアキホ・タタ氏のあかりモニュメントに突っ込み、モニュメントは無傷だが車のガラスが大破して、事故を起こした 本人が私に会いたいと言っておられるということ。 直ぐに作業を止めて道具を片づけて、”つくみやフルーツ”へ向かう。 現場では2人の警察官が現場検証をされているところだった。 幸いあかりモニュメントにはまったく傷は無かったが、車をバックで駐車場に入れようとしてモニュメントには気付かれなかったようだ。 今日は祭日で”つくみやフルーツ”はお客が多く、駐車場には車が一杯でモニュメント側に駐車しようとしたということ。 高鍋町内の方なら、道向かいの宮崎銀行の駐車場を利用されるが、宮崎市から来られたので思わぬ事態になってしまった。 せっかくの連休の間のお楽しみで、”つくみやフルーツ”で美味しいものを食べようと、わざわざ宮崎市から来られた母娘だった。 車はお母さんのものだが、運転していたのは高校を卒業したばかりのような娘さんで、声が震えていて可哀そうだった。 モニュメントは無傷なので破損事故による警察沙汰にはならないが、お母さんは対物保険に這入っておられなかったと言うこと。 ガラス破損代と宮崎市内までのレッカー車代の負担で、大変な祝日になってしまった。 ”つくみやフルーツ”で車が彫刻にぶつかったのは2度目である。 ”つくみやフルーツ”は、昨夜にも別な物損事故が起きている。 幹線道路沿いの車止めの縁石に車が激突したらしく、縁石が抉り取られてしまっている。 現場には裂傷したタイヤの破片が落ちていたと言うことなので、タイヤが破裂したまま事故を起こした車は逃走したようだ。 十五夜の満月を前に、”つくみやフルーツ”の磁場が狂っているのではないのか。 ”おざわ別館”の私のあかりオブジェに車が突っ込んだのも満月の日だった。 ☆そして寝入って深い眠りのなかで、午後11時13分に地震。 高鍋町は震度2でかなり長い間揺れていた。 震源地は日向灘。 その10分後にも震度1の地震があったらしいが、私も妻も再び深い眠りに這入って気付かず。 ☆今日は敬老の日だが、私たちがヨーロッパ旅行中の公民館総会で、中町は今年から敬老会行事が廃止となった。 敬老する側の館員よりも敬老される側の館員の方が多くなってしまったからだそうだ。 したがって敬老のお祝い金も無し。 9月15日(日) ☆夜中に激しい雨。 やはり台風の影響だろう、非常に蒸し暑く、夜中に何度も目が醒めて、何時まで経っても朝にならなかった。 横腹が鈍痛できつくて、起きて直ぐに栄養ドリンクを飲む。 ☆今日も一日、降ったり晴れたりの不安定な天候。 頼まれた仕事を早く終えないとならないので、雨だからと言って作業を休んでいる訳にもゆかない。 昼前に雨が上がったので、とりあえずアンジェラスの森へ上がる。 里山に這入るとやはり雨で、アンジェラスの森は土砂降りだった。 テントを設営する。 ☆午後からはテントの中で仕上げ作業。 雨が降ると、テントが古いので雨漏りがするし、テントの中は暗くて手元が見えにくい。 ☆夕刻から再び雨が激しくなる。 9月14日(土) ☆夜中、嵐のような激しい雨。 台風の影響か、異常に蒸し暑かった。 朝は晴れていたのでアンジェラスの森へ上がろうと思ったが、直ぐに再びの雨となり、日中も激しく降ったり止んだりの不安定な気候。 1時間当たりの降雨量は、高鍋町が宮崎県内で最も多かったようだ。 ☆天候が不安定で作業できないので、今日は一日自宅で過ごす。 ☆片貝さんが先日のライブ演奏の中から、”MOON DANCE”演奏部分だけをユーチューブにあげていただいた。 それで僭越ながら、作曲者の山本恵理さんにもURLを送っていたら嬉しい返事が届いた。 ”素敵です!皆さんで演奏、歌ってくださって、ありがとうございます!” 妻がつくづく、”私たちって本当に幸せね”。 9月13日(金) ☆晴れ。 今日は朝から風が吹いて、とても涼しかった。 野山の佇まいもすっかり秋めいて、空気が透明で陰影がくっきりと際立って来た。 木々の樹陰が濃いので、アンジェラスの森に這入ると急に暗くなり、一瞬、目が悪くなったのかと錯覚した程だった。 台風の影響で天候は下り坂、夜には月齢10の月が煌々と輝いていたのに、床に就くころにはいきなり激しい雨になった。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 手ノミと砥石とやすりでの細部の仕上げ作業。 小作品なので、細かな作業で思うようには作業は進まない。 9月12日(木) ☆晴れ。 今日も残暑厳しい、蒸し暑い一日。 もう9月も半ばに差し掛かろうと言うのに、本当に今年はいつまでも暑い。 宮崎県内では、加久藤が観測史上、9月に這入っての初めての猛暑日だったと言うし、宮崎市も気象台が設置されてからの記録では一番遅い猛暑日が 9月14日だそうだから、今年はその記録を塗り替えるのではないのだろうか。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 今日はアンジェラスの森も蒸し暑かった。 エアーチッパーでの作業を進める。 9月11日(水) ☆午前までは時折り雨の不安定な天候。 午後からはすっきり晴れるが、同時に残暑で非常に蒸し暑くなる。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 午前は空模様を見ながら遅めに家を出る。 午後からはコンプレッサーを運んで、エアーチッパー作業。 アンジェラスの森は、午後は蚊が多かったがとても涼しい。 夕刻に帰宅すると、町場はほとんどサウナ状態の蒸し暑さである。 ☆自宅工房でコンプレッサーのエアーホースを捜している時に、久しぶりに展示室を開いてみた。 以前に白蟻で散々な目に遭ったので、ときおり様子を見る。 ところが展示室の扉が、何かに閊えて動かない。 力を籠めて扉を押して展示室の中の様子が見え始めて、ぎょっとなる。 なんと、先日の地震で展示台が倒れ、展示台に乗せてあった昔の作品やインドから買って帰ったシタールなどが無残な姿で投げ出されてしまっている。 白蟻被害に遭った時に、展示室の中のものは全て外に出そうと思ったのだが、置く場所が無くそのままになってしまっている。 ☆元・共同通信宮崎支局長の上野さんが、フェイスブックで知人の投稿をシェアしておられたが、そのコメントが「月がつく駅が多い姫新線の旅」であった。 その知人が姫新線を旅されて、”月田、三日月、上月と駅名に月がつく名が気になった。”と書かれているのである。 上月駅前ロータリーには私が西播磨シンポジウムで制作した”MOON DANCE”が設置されている。 それで現状の様子はどうなっているのかとネットで検索してみたら、私の”MOON DANCE”写真を投稿してあるサイトがあった。 しかしその写真は酷いものだった。 何しろ、”MOON DANCE”は足元から樹木に蔽われ、月部の頭部しか見えず、サメの尻尾のようなものがあると書いてあった。 投稿者は、一体何なのか分からず、作品プレートを見て初めて月の一部分だとわかったと言うこと。 涙の出てくるような有様である。 9月10日(火) ☆夜中はずっと雨で、異常に蒸し暑かった。 雨は夜明け前にはあがり青空が広がった。 午前中は時折りのにわか雨模様だったが、残暑が厳しくてとても蒸し暑かった。 午後に午睡を取っている間に本格的な土砂降りとなり、午後はずっと雨模様。 ☆午前に、妻と隣町の某保育園へ。 保育園の理事長と妻がサークル仲間で、妻に保育園でも歌を歌って欲しいという依頼があり、私と片貝さんの3人でやってみることになった。 ジャズミュージシャンの方たちはこういうアウトリーチ活動をやっておられる方が多くて、片貝さんもそういう経験を持っておられるので戸惑いなく引き受けていただいた。 今日はその打ち合わせ等で理事長さんにお会いし、保育園の環境も下見をする。 園児たちから見たら私は”ひい爺さん”の年齢、妻は”お婆さん”の年齢で、ヨレヨレの高齢者だから、園児たちが楽しんでくれるだろうかと案じてしまう。 妻が私を強引に引き込んだのは、あわよくば彫刻の注文に繋がればと思ったとのことだが、まあどこでどういう繋がりができるかは分からないので、保育園と 繋がっておくのは悪いことでは無い。 私は石井記念友愛社系列の保育園には、殆どの園に彫刻を設置させてもらっている。 今日の保育園も系列の保育園が幾つかあるので、そうしたことを知ってもらえる機会にもなるかもしれない。 ☆午後からはアンジェラスの森へ上がろうと思っていたら、本格的な雨になってしまった。 図面を描いたりして、デスクワークで過ごす。 9月9日(月) ☆晴れ。 かなり秋めいては来たが、町場はまだ陽射しがとても強く、蒸し暑い。 夜になって雨。 天候は下り坂。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 午前はまったく蚊が居なかった。 その代わり、プレハブ倉庫にネズミ。 アンジェラスの森でネズミを見たのは初めて。 昨日は何の気配も無かったのだが。 残っていた1本の軸径22mmグラインダーのベアリングが割れてしまって、とうとうお陀仏になってしまった。 ☆アンジェラスの森はとても涼しく、夕刻はもう肌寒いくらいだった。 しかし下界に降りて来ると、その蒸し暑いこと! ☆今夜から秋のライブに向けて、再びハーモニカの練習を始める。 昨年はうまく吹けなかった曲が、今日は難無く吹けた。 やはり先日までの特訓の効果が出ているのだろう。 9月8日(日) ☆晴れ。 今日も非常に残暑の厳しい、蒸し暑い一日。 ☆午前に、放浪旅の大先輩N氏の旅写真展を開催中のアイ・ギャラリーへ妻と出かける。 N氏は私がインド放浪中にアフリカを放浪されていて、エジプト旅行中に第4次中東戦争が勃発し、エジプトから旅行者は全て国外追放となって帰国された。 その後に私が帰国してきたので、同類の旅人が居ると聞いて訪ねて来られて以来の友人である。 近年は日本語教師として中国・長春の日本語学校に勤務されながら、チベットや中国各地を旅しておられたようだ。 ☆午後は久しぶりにアンジェラスの森で作業。 下界と違って、暑さは無くとても涼しかったが、蚊が多くてまいった。 前半は先日の台風で散乱した木枝の片づけ。 ☆アンジェラスの森からの帰路に、花が開いている桜の木があった。 この連日の残暑の中で、桜が狂い咲くなんて。 最近朝夕は涼しくなってきたので、里山は街中よりも朝夕の涼しさが春を感じさせているのかもしれない。 9月7日(土) ☆晴れ。 今日も残暑が厳しく、蒸し暑い一日。 ☆一日、デスクワーク。 午後には伊藤先生の「若山牧水の百首」を読む。 最近は伊藤先生の牧水関係の本や俵万智の「牧水の恋」などを読んでいるので、伊藤先生の解説がよく解って面白かった。 ☆先日のライブの様子を片貝さんからラインで送ってもらっていた。 うまく演奏できた”MOON DANCE”を聞きたかったのだが、先日開いてみたら”MOON DANCE”の演奏が見つからなかった。 ところが今日は妻がスマホで同じ片貝さんから送られて来た演奏を聞いていて、ちゃんと”MOON DANCE”も這入っていた。 ラインのデータは保存しておかないと消えてしまうので、妻に頼まれて保存しようと思ったら、片貝さんの送ってくれたものはデータではなく、ユーチューブのURL だった。 もう一度URLをクリックしてみると、データではないのでかなりの曲がアップしてあって、ちゃんと”MOON DANCE”も含まれていた。 さてこのスマホのユーチューブ動画をどうパソコンに録画保存するか。 老化した頭であれこれ考えて、スマホのユーチューブURLをコピーしてスマホのフェイスブックのメッセンジャーに送り、パソコンのフェイスブックでユーチューブを 再生させて、それを録画してデータとして保存するという方法を試してみた。 これで、無事にユーチューブでのライブ演奏がパソコンに保存できたので、妻のパソコンにもコピーする事が出来た。 この方法で、これから先のライブ演奏をパソコンに保存出来て、いつでも聞き直すことが出来る。 若い人たちにはこういったことはいとも簡単にできるのだろうが、後期高齢者の私には大変な作業であった。 9月6日(金) ☆晴れ。 今日も日中は蒸し暑く、残暑の厳しい一日。 ☆妻の秋開催の版画個展のDMデータを作成。 最近は半年前までは何の問題も無く出来ていたイラストレーター等の作業が、まったく手に負えなくなってしまった。 以前はフライヤー用のA4サイズデーターをそのままはがきサイズのPDFに変更出来てたと思うのだが、今日はいくらやっても出来ない。 一気に脳の劣化が進んでしまっているのだろうか。 これまで簡単に出来ていたことがまるっきり出来なくなってしまった。 結局、はがきサイズのデータを最初から打ち込むしかなかった。 午後には印刷所にネット注文をかける。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 私は当分は練習しなくてよいので、2階の書斎でデスクワーク。 9月5日(木) ☆晴れ。 今日も日中は陽射しが強く、蒸し暑かった。 ☆朝一に妻と宮崎市へ出て、いま評判の映画「ラストマイル」を観る。 まあまあ、それなりに面白かった。 それよりも上映前の色んな予告編があまりに下らないものばかりで、辟易した。 エンタテイメントだから致し方ない面はあるが、余りにも大爆発や大爆音ばかり響かせて観客を引き付ける手法が多過ぎる。 ☆映画館を出て、宮崎県立美術館へ直行。 開催中の「テオ・ヤンセン展」で、開催残り3日間限定で12時から最長17メートルのビーストを動かすと言うので駈けつけたが、残念ながら間に合わなかった。 これまでネットで観て来た優雅な歩く姿から想像していたビーストとはかなり印象が違って、実際の塩ビ管製の本体はかなり薄汚れていて、スマートさがなかった。 構造的にもかなりごわごわした物だった。 それも然りで、実際のビーストはオランダの浜辺で生れ、ひと夏を浜辺で生きて秋には砂丘で一生を終える”生き物”である。 だからひと夏じゅう、潮風を受け浜辺を歩き回っているから体はボロボロになってしまう。 そうしてこうした展覧会は、いったん一生を終えたビーストを再び海外へ持ち出して蘇生させる物だから、殆どミイラ化したものを蘇らせているようなものだ。 私はずっとネットで観ていたテオ・ヤンセンの動く彫刻だったので、それが宮崎にやって来ると言うのは大変な衝撃だった。 それに私から見たら殆どの人たちはテオ・ヤンセンなど全く知らないだろうと思うのに、会場は多くの観客で大盛況だった。 だが展示された資料を読むと、テオ・ヤンセンのビーストはこれまでに日本国内各地でかなり展示され”歩いて”来ている。 私が思った以上に、テオ・ヤンセンのビーストは日本では良く知られているのかもしれない。 ☆美術館を出て、この秋に妻が版画個展を開催する平和台公園の”ひむか宝箱”へフライヤーを持ってゆく。 ☆夕刻に帰宅すると、伊藤一彦先生から、新刊の「若山牧水の百首」(ふらんす堂)が届いていた。 9月4日(水) ☆晴れ。 今日は昨日のような蒸し暑さは無く、外の陽射しはまだまだ強いが、かなり秋めいて来た。 ☆妻が10月末から宮崎市内で版画の個展を開催するので、そのフライヤーを作成する。 私の使っているイラストレーターが無料版なので、文字の装飾機能が殆ど使えない。 なかなか思うような構成にならず。 ☆ポルトガルのアルリンドからのメールをよく読んでみると、インボイスがコマーシャル・インボイスで関税が高いので、個人間の荷物送付のインボイスで 送り直してほしいと言うことである。 しかし、私のこれまでの経験で、EMSの送り状は全てコマーシャル・インボイスを付けなければならなかった。 私個人の物であっても、海外の展覧会に出品していた作品が帰ってきた時には、日本の税関ではすべて「輸入」であり課税対象である。 宮崎空港の担当者から国際郵便に問いあわせて貰ったところ、やはりそのような個人間での物のやり取りのインボイスは無いと言うこと。 したがって作品が送り返されてきて再び送り直す場合は、関税のかからない範囲での商品価格を記載して送るよりない。 その旨をアルリンドにメールする。 だがこれまでの空港展で海外作家に作品を返送して、関税が払えないからと言って送り返してきて、再び関税がかからないような手続きで送り直してほしいと 言ってきた作家は居なかった。 勿論、関税の対応は国によって違うので、作品を受け取りに税関まで行って高額な関税を支払わなければならなかったと言う作家からの連絡はあった。 けれど、作品を送り直してきて、関税のかからない手続きでもう一度送ってくれと言う作家は初めてである。 そのために私たちは再び高額な送料を支払わなければならない。 アルリンドの作品は、私がポルトガルから持って帰って来たので、彼自身はまったく作品の輸送料は負担していないのである。 ☆先日の雨で庭の草が一気に伸びて来たので、夕刻に草刈りをする。 涼しくなってきたので、蚊が出て来てあちこち痒くてたまらない。 9月3日(火) ☆晴れ。 少し薄雲のかかった非常に蒸し暑い1日。 暮れてから雨がぱらつく。 ☆今日も1日、某海外シンポジウムのエントリーデータの作成。 3案提出なので、図面を3枚描き、添付画像をパソコンと外付けHDDから探し出すのが中々大変な作業であった。 案内が届いてから締め切りまでが極めて短期間なので、新しい作品プランを創る時間は全く無く、まだ拡大制作をしていないマケットを送ることになる。 そして夕刻までに事務局へデータを送付。 折り返し、データ受信の返事が届く。 ☆ポルトガルのアルリンドから、空港展の作品を税関から受け取ることが出来ず、日本に送り返されると言うこと。 高額な関税がかかったのだろうか。 一方、作品が壊れたトルコのザナンの方も、トルコの運送会社の対応が良くなく、補償問題は躓いた状態にあるようだ。 空港展の海外作家の返送はトラブルが頻発するが、一回の空港展で2件もトラブルが生じることは無かったように思う。 ☆高鍋駅舎の新・改築が進んでいて、改札口前のプラットホーム側通路に置いてある、昔の南九州大学での授業作品オブジェを撤去しなければならなくなった。 撤去はいいが、はてこの4点の作品を何處へ持ってゆこうか。 ☆”MOON DANCE”の曲を合唱団で歌いたいという申し出があり、楽譜をお渡しした。 その方はお隣の町の合唱団の方だが、高鍋町内の合唱団とも交流があるので、ゆくゆくは100名ほどの合同合唱団で”MOON DANCE”を歌いたいと言うこと。 作者の山本恵理さんの承諾も得てあるということ。 こうして次第にこの曲が拡がって、この地域の合唱団の持ち歌になってくれると嬉しい。 9月2日(月) ☆晴れ。 ようやく朝夕が涼しくなって来た。 ☆午前に役場担当課へ、ライブの駐車場に使用した公園の鍵を返却。 ☆一日、某海外シンポジウムのエントリーデータの整理。 涼しくなってきたので、図面を引く作業も楽になって来た。 今日はライブの時に差し入れて貰った栄養ドリンクで体調を整えたら、昨日ほどのきつさはなかった。 9月1日(日) ☆晴れ。 今日も残暑の厳しい一日。 だがその熱暑の中にも、ようやく秋の気配が感じられるようになって来た。 ☆あっという間に9月に入った。 昨日でライブも終ったので、今日から彫刻を中心の生活に切り替える。 ☆某海外シンポジウムへの作家推薦の案内が届いていたので、今日はマケットの準備をしたり、要項を和訳したりして過ごす。 午後にマケットの写真を撮りに海辺へ行ったら、台風の影響で海は沖合まで黄濁していた。 山間部の降雨が多かったのだろう。 マケットを岸壁に乗せる作業で、岸壁のコンクリートが火傷しそうな暑さだった。 ☆午後から、体調が思わしくない。 からだに力が這入らず、横になりたいほどにきつい。 やはり右脇腹周辺の鈍い鈍痛から来ているようだ。 医者に行くほどの痛みではないのだが、黄疸の時のきつさも同時に甦って来てしまっているのだろう。 夕食後のハーモニカの練習は当分はしなくて済むので、夕食後は早めに床に着く。 |
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