Back to toppage このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。 過去の日記 2023 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2022 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2021 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2020 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 |
2023 | 12月31日(日) ☆晴れ。 風の強い一日だったが、暖かくて冷え込みは無し。 ☆午前に年賀状の印刷。 印刷をしている間に、庭に芝刈り機をかける。 ☆夕刻から妻と宮崎市へ出る。 近年は宮崎市のホテルに泊まって年を越すのが恒例になって来た。 今年の年越しホテルは、先日泊まってとても印象の良かった”スーパーホテル宮崎天然温泉”へ宿を取る。 チェックインを済ますと、食堂ではウェルカムドリンクで焼酎、洋酒、ワイン等の多様な酒が用意されていて、自由に呑めるようになっていてびっくりする。 温泉に這入って体を暖めて夕食に出る。 ☆ディナーは昨年に引続いて”ランプ亭”。 昨年同様、ワイン持ち込みで出かける。 ☆ランプ亭のオーナー夫妻は、私たちが昨年も大晦日の夜に来たことを覚えてくれていた。 昨年のこの日記にも書いたが、オーナーの御両親とは私が佐土原町の陶壁画工房で働いていた時に親しくしていた。 ランプ亭はご両親が店を開かれて、現在は息子さんが後を継がれて全国に名を知られるお店になった。 ご両親は今も健在だと言うことである。 ☆ディナーでお腹が一杯になって、何処にも立ち寄らずにホテルに帰った。 ホテルには21時を廻って帰り着いたが、食堂では21時までの時間制限のウェルカムドリンクをまだ宿泊客が呑んでいた。 レセプションに尋ねると、時間延長しています、と言うことだったので、私たちも部屋呑み用にワインを紙コップに注いで部屋に戻る。 ☆部屋ではNHKの紅白歌合戦を観ながら、年越しをする。 ☆今年一年も非常に多忙で充実した日々を過ごすことが出来た。 高鍋駅前モニュメントの除幕式を終えた後は、4度のライブ、3度の妻との版画展に兄との空港兄弟展、コロナ禍があけての妻とのベトナム・カンボジア旅行、 ポルトガルへのシンポジウム招待、コロナ5類移行直後のコロナ感染などなど、文字通り超多忙で年を取る暇も無かった。 来年も年明けから久々に2つのモニュメント制作と妻との版画展が待っている。 来年も多忙な一年になりそうである。 皆さま、好いお正月を! 12月30日(土) ☆朝のうちは晴れ。 昼前から曇天となり、夜になって雨。 日中は陽射しが無かったが、気温は下がらず、暖かい一日。 ☆朝一に墓参。 墓地で気になることがいくつかあった。 我が家の隣の墓が墓じまいをしていたが、納骨堂のあったところがコンクリート張りになっていた。 納骨堂は日本の場合は骨を大地に還すという趣旨で、絶対に床張りはしない。 納骨堂の中は土か水が溜まらないように砂になっている。 高鍋町には兄が石材店を閉めてしまったので、もう石材店は無い。 おそらく墓地の知識の無い業者が墓じまいの工事をしたのだろう。 その数軒先では、納骨堂の石組みが壊れてしまっていた。 最近は納骨堂が壊れるような大きな地震は無かったし、地震だったら墓石の方が倒れている。 なにか滅茶苦茶に納骨堂を壊したと言う感じである。 何があったのだろう、墓地の地面が陥没した(昔の土葬ではよくあった)形跡はない。 そしてさらに某家の広い墓地では、他の墓には綺麗に真新しい花が供えてあるのに、一つの墓だけが供花が地面に散らばっていた。 そう言えば秋に高鍋大師に行った時にも、一つの花筒だけ真新しい供花が投げ捨ててあって烏か猫の仕業かと思ったことがある。 しかし烏や猫が花筒から全部の供花を抜き取って、周囲に撒き散らすことがあるのだろうか。 秋の彼岸で墓参した時にはこの3つの出来事は生じていなかった。 何か底知れぬ不快感で墓地を出る。 ☆一日、木版画の刷り。 午前に、昨日刷った木版画の重ね刷りをする。 午後は2作目の木版画の刷り。 木版画を年賀状に使おうと思っていたのだが、午前に刷り終わった版画が使えそうなので、夕刻にスキャンしてイラストレーターで年賀状を作ってみた。 作品タイトルを、新年に相応しい気持ちの好い広がりのあるタイトルにする。 明日に年賀状をプリントしてしまいたい。 ☆クレジットカードの1月引き落としの明細を見ていたら、アマゾンのプライム会費の引き落としが這入っている。 しかし、私はプライム会員にはなっていない。 妻が注文時に誘導されてプライム会員にさせられて、長い間無駄な会費を引き落とされていたことがあったので、今は注文時に絶対にプライム会員に誘導 されないようにしている。 それにこの2か月ほどの間、アマゾンで注文しようとすると”このメールアドレスを持つアカウントが見つかりません”というメッセージが出て注文できない状態なので、 ログインできないのにプライム会員になる筈がない。 それでネットで調べてみると、このエラーメッセージが出るのは、アカウントを乗っ取られた可能性が高いので、早急にアマゾンのカスタマに連絡して対処した方が良い、 とある。 それでアマゾンのカスタマーに電話すると、確かに私のメールアドレスは登録されていないと言う。 どうやら私のアカウントが乗っ取られ、乗っ取った者が引き落としのカード情報はそのままに、メールアドレスとパスワードを変更してしまったようだ。 カスタマーの指示でアマゾンのページを開いてみると、私のアカウントが生きていれば右上に私の名前が表示されるが、表示されないので私のアカウントはアマゾンに 登録されていない状態となっている。 さらに左上の商品お届け先が、宮崎県内の椎葉村のMochida宛になっている。 乗っ取りであれば、カード会社に連絡して引き落しを止めてくれると言う。 それに乗っ取り犯が私のカード番号で、これから高額な商品を注文する可能性も考えられると言う。 それでカード会社に電話をして事情を説明すると、アマゾンのプライム会費の件は2月の請求の時点で払い戻し措置を取ってくれることになり、私のカードは直ちに 今日を限りにネットでの引き落とし停止にしていただいた。 カードも新しいものに切り替えていただくことになった。 昨年の今の時期のPayPay詐欺といい、ネット社会は怖い。 12月29日(金) ☆快晴。 気温は上昇し、ジャンパーを着て外出すると暑かった。 ☆一日、版画に取り組む。 手漉き和紙の断裁した残りをチェックしたら、最近彫った小作品には刷り紙が10枚ずつ取れる分が残っていた。 刷りにかかろうと思うが、これまで時間のある時に版木を彫るだけの作業を進めていたので、どういう配色を考えていたのか全く思い出せない。 ☆午後から、とりあえず思い立った分から刷りに這入る。 やはり手漉き和紙は刷った後に波打たないし、とても刷りやすい。 作業もかなり慣れてきたので、絵の具の溜まりも生じない様になってきた。 ただやはり色を重ねるごとに配色のバランスが崩れてくる。 ☆フォークリフトの修理の状況を聞きに行こうと思ってネットで調べると、トヨタL&Fは今日から1月4日までの年末年始の休業に這入っている。 修理の点検結果を何も報告せずに長期休業に這入るなんて、考えられない。 昨年度の担当者はとても丁寧な対応をしてくれたのだが、担当者が替わってからはあまりにも対応がないがしろになっている。 12月28日(木) ☆晴れ。 時々雲は出たが、おおむね快晴に近い上天気。 気温も上昇してとても暖かい一日。 ☆午前は彫りかけていた木版画を彫る。 相変わらずシナベニヤの薄い表皮が剥げて、瞬間接着剤やパテで補修しながら進める。 そろそろ刷りに這入りたいが、いまだに注文した越前和紙が届かない。 やはり鳥の子紙より手漉き和紙の方が刷り上りが良いのだ。 ☆午後はアンジェラスの森で、”MOON DANCE”ミニチュアの研磨作業。 研磨が進むと、フォルムよりも石の結晶が目だって来てしまう。 夕刻に暮れ落ちる海辺へ走って画像を撮る。 ミニチュアは4点作るつもりだったが、1点仕上げるのにこんなに時間がかかる。 ☆あれからトヨタL&Fの担当者から何の連絡も無い。 リフトが動いた形跡は全く無い。 正月開けたら、すぐに某施設の台座制作にかからなければならないので、リフトが必要なのだが。 ☆暮れ落ちる海岸で”MOON DANCE”ミニチュアの写真を撮っていたら、防波堤下の汀に座ってぽつねんと海を眺めている少女がいた。 中学生か高校生くらいの少女であった。 ☆夜は、妻と韓国料理店”テヤン”に出かける。 頂いていた高鍋町プレミアム商品券の使用期限が今月末なので、以前から気になっていた”テヤン”に出かけてみた。 店内は思ったより広く、予約客で満席だった。 サムギョップサルは韓国でも何度かいただいたが、もっとさっぱりとして胃にもたれなかった気がする。 12月27日(水) ☆快晴。 気温は上昇して、暖かい一日。 ☆午前に某施設の関係者来訪。 モニュメント制作の契約書を交わす。 契約書の項目に<秘密保持>とか<反社会的勢力の排除>とかこれまでの業務契約には無かった項目がズラズラと並ぶ。 補助金等の公金で成り立っている施設ならではの項目なのだろう。 大理石のマケットを預ける。 ☆昼前に、後継者がいなくて店舗を閉じた精肉店に設置してあったあかりオブジェを撤去する。 年開けに店舗を解体すると言うことで、年内に対処したかった。 あかりオブジェは林勝煌氏の「山水印象 人文風景」。 このあかりオブジェは同じ商店街の某店舗に設置してもらえることになっているのだが、設置時期がまだ先なので、それまでは私の工房内で預かっておくつもりだった。 ところがいざ軽トラに積み込もうとしたら、一人で抱え上げるには重い。 道板にのせて、ようやく押し上げた。 こんな重いものを工房内に運び込めない。 それで、とりあえず我が家の工房入り口のシャッター脇に置いておくことにした。 ☆差し込みコンセントを工房内に引き込むにはコードが短か過ぎるので、午後にホームセンターへ走ってコードを購入。 セッティングしてタイマーを合わせたりしていたら、アンジェラスの森へ上がる時間が取れなくなってしまった。 夜に、タイマー通りに灯りが点くのを確認。 東の空には14夜の満月が輝いていた。 ☆最近は毎日のように、よく物を落としたり、こぼしたりする。 買い物に行ってはポケットから小銭を落して、拾おうとしてはよろけて転倒しそうになる。 昨日はテーブルの上の湯のみを倒して、大事な書類や本が水浸しになるところだった。 今朝はオムレツを作ろうとして、卵を床に落してしまったし、今夜は夕食時にワイングラスを倒して割ってしまった。 いよいよ老化が始まって来たか。 大怪我をしないように用心しないと。 12月26日(火) ☆快晴。 日中の冷え込みは無い。 夜には13夜の月が煌々。 ☆午前に妻の年賀状の手直し。 郵便局へ走って年賀状を購入し、プリントアウト。 妻の年賀状はあっという間に刷りあがった。 ☆他の買い物でホームセンターへ行ったら、先日捜したときには見つからなかったデスクライトが大量に売っていた。 値段もネットで購入したものより格段に安い。 ☆午後はアンジェラスの森で、”MOON DANCE”ミニチュアの研磨作業。 今日は風も無く、寒さはなし。 ポリタンクの水が直ぐに無くなり、早めに帰ると、途中でトヨタL&Fの車とすれ違った。 リフトは燃料を入れて動いたのだろうか。 12月25日(月) ☆晴れ。 日中は陽射しが強く、底冷えはなし。 ☆午後にトヨタL&Fの担当者から連絡があり、リフトのバッテリーは大丈夫だが燃料が空なので、燃料を入れて下さいということ。 リフトをアンジェラスの森に戻したときには燃料は這入っていたと思うのだが、とりあえずアンジェラスの森へ上がって燃料タンクを持ち帰り、 ガソリンスタンドで軽油を購入して再びアンジェラスの森へあがる。 そのままアンジェラスの森で”MOON DANCE”ミニチュアの仕上げ作業をするつもりだったが、うっかりしてポリッシャーと水を軽トラに積み忘れてしまった。 ☆妻の年賀状をイラストレーターで作成をする。 私は今年は版画作品をプリントしようと思っていたが、とうとう年賀状用の版画を彫る時間が無くなってしまった。 気が付いたら今年はもう残り6日しかない。 12月24日(日) ☆雲の多い一日。 室内は底冷えの寒さ。 北陸より宮崎の方が室内は寒い。 午後には陽射しが出て、外に出ると陽射しが暖かかった。 ☆昼前に、元・ゆくはしビエンナーレ事務局長の植田氏が来訪。 昨日、今日と隣町の川南町で開催されている川南町モーツアルト音楽祭のピアニストが植田氏の従弟である植田克己氏で、克己氏が行橋市の先祖の墓参をしたいという ことと、私の高鍋駅前モニュメントも見たいということで、植田氏は昨日から川南町に来ておられた。 私の高鍋駅前モニュメントは、昨日のうちに見ておられた。 また昨日はホテルに這入って、新聞掲載の私の高鍋駅前モニュメント記事を目にされて驚かれ、新聞記事コピーを持参された。 この日記にも書いたが、ゆくはしビエンナーレは市長の交替で廃止され、植田氏も事務局長を解任された。 ゆくはしビエンナーレ最後の大賞作家となったウクライナのコチュマルへの対応は、実質的に事務局長を解任された植田氏がボランティアで対応されたと言うことである。 そういう状況を含めた現在の行橋市のお話など伺う。 元気だった商店街も、いまではほとんどシャッターが閉まってしまったようだ。 ☆午後は、この日記の北陸旅行日記の記載で過ぎる。 ☆今日はクリスマスイヴなので、先日買った鶏モモの燻製を食べたが、丸々一羽の燻製の味とは全く比べ物にならない味で、まったく美味しくなかった。 来年からは対応を考えなければ。 ベーコンの燻製は自分でできるが、鶏の丸ごと燻製は無理だろうな。 12月23日(土) ☆北陸の旅、3日目。 ☆今朝の飛騨川沿いは雪化粧だった。 ☆朝食を摂って、8時10分にホテルを発つ。 ☆最初の訪問先は岐阜県恵那峡の遊覧船観光。 恵那はどこかで聞いた名前だと思っていたが、以前は蛭川村と言っていて、石彫シンポジウムが行われていたところだ。 ここのシンポジウムに参加していた多くの作家たちが宮崎国際現代彫刻・空港展に参加してくれていた。 雪景色の恵那峡遊覧を期待していたが、雪は無かった。 ☆恵那峡を出て、今回の最後の目的地である関ケ原へ。 お昼は”花伊吹”というレストランで、近江牛と飛騨牛食べ比べの鉄板焼き。 ☆午後は岐阜関ケ原古戦場記念館へ。 関ケ原と言えば関ケ原石材で働いている彫刻家仲間の近持イオリ氏がいる。 彼には高鍋駅前モニュメント設置作業で多大な技術アドバイスをいただいた。 挨拶もせずに帰る訳には行かないが、団体ツアーなので時間スケジュールがまったく解らないし、古戦場記念館と関ケ原石材の位置関係も解らないので、事前に訪問の 連絡もできなかった。 それでとりあえず、近くに来ていることだけラインした。 すると直ぐに近持君から電話が這入り、関ケ原石材は直ぐ近くなので今から行く、ということで、バスの集合時間前に来てくれた。 会えるとは思っていなかったので、とても有難かった。 関ケ原自体も訪ねて来たのは初めてである。 関ケ原の戦いの痕跡がありありと残されている。 関ケ原の戦いは慶長5年9月15日の午前8時に始まり、午後2時には終わったのだそうだ。 わずか6時間の戦いがいまだに鮮やかに記憶と痕跡を残している。 丁度、源平合戦の壇ノ浦の戦いが3月24日の半日ほどの戦いで多くの物語を生み、その痕跡がいまだにありありと残されているのを思い出す。 関ケ原はいちど、ゆっくり訪ねてみたい。 ☆関ケ原を出て一路、伊丹空港へ。 ツアーは伊丹空港で解散。 帰路はJALで17時40分を少し遅れて発ち、宮崎空港にはほぼ定刻の18時50分着。 ☆高鍋に帰宅すると、高鍋の方が底冷えて寒くてたまらない。 寒い地方は暖房設備が整っているが、九州地方にはそんな暖房設備は完備していない。 ☆今回のツアーは直前の大雪警報でどうなることかと思ったが、結果的に天が私たちに雪景色をプレゼントしてくれた感じで、とても楽しい旅となった。 ☆不在中に、中国・青島彫刻美術館から日中韓彫刻展のカタログが届いていた。 ☆不在中の新聞を読んでいたら、今日の紙面に私の高鍋駅前モニュメントの写真。 何なんだ?と思って目を近づけると、年末特集の県内各市町村この一年の高鍋町のトップ記事だった。 誰からもラインが届いていないところを見ると、誰も気付いていないのか。 12月22日(金) ☆夜明け前に外を見ると、一面の雪。 北陸旅行2日目は本格的な雪の一日。 ☆午前6時起床。 朝食を摂って、7時50分にホテルを出る。 ☆今日の最初の訪問先は、ホテルから数分先の東尋坊。 昨夜からの雪で、新雪の積もった商店街の坂道を歩く。 東尋坊は強風が吹き荒れていたが、私は雪の彫刻コンクール経験で防寒対策は完璧で、少しも寒くない。 妻も雪対策のブーツを買っていたので足元は大丈夫だったが、雪の経験の無いほかの参加者たちはズック靴やヒール靴の方が多く、新雪でぬかるんだ雪道を 歩くのは大変だったようだ。 ネットでは最近の東尋坊の自殺志願者には、AIの出現によって将来の作家活動に絶望を抱く美大生が多いと言うことである。 ☆次に石川県に這入り、加賀市の九谷焼店舗”満月”へ寄る。 絵付けが主体の九谷焼には私は全く関心が無いが、価格がとても安いのには驚いた。 妻が醤油さしを買う。 ☆加賀を出て荒れる日本海沿いに走ると、高校2年の文化祭でクラスで演じた”勧進帳”の舞台である”安宅の関”を過ぎた。 こんなところが安宅の関だったのかと感慨深い。 脚本は先年に宮日出版文化賞を受賞した安井君が担当した。 弁慶役は昨年春に脳梗塞で倒れたY君で、名ナレーションのK君は40代の若さで幼い子供を残して夭逝した。 義経役は女学生のIさんだったが、彼女も同窓生のご主人を若くして過労で失くしてしまっている。 私は大道具の担当だったが、とても斬新な舞台装置だったと自負している。 当時の出演者の同級生の多くが亡くなり、病に倒れてしまっている。 そんなことを雪景色の中に想う。 ☆次に金沢市内へ這入り日本三名園のひとつ、”兼六園”へ。 私は金沢も初めての訪問である。 兼六園も雪景色で、とても美しい風景が拡がっていた。 そして名物の雪吊りにも雪が積もっていた。 実は最近の兼六園はこうして雪が積もることは日常的ではなくなったと言う。 昨日の兼六園には雪は全く無く、今日の雪は昨夜からの雪が積もった新雪で、バスガイドさんも雪吊りに雪が積もっているのを見られたのはとてもラッキーだと言われた。 いいタイミングで兼六園を訪れることができたのだ。 ☆お昼は、近江町市場で各自で摂る。 どの店も行列が出来ていると言うことだったので、店を捜して行列に並んでいたのでは集合時間に間に合わないので入り口の最初の店に這入る。 海鮮丼を注文したら、これまで目にしたことの無いあらゆる魚介が積み重ねられた海鮮丼が出てきて、びっくりした。 値段も手ごろで、とても美味しかった。 ☆次に金沢の昔ながらの佇まいを残す”ひがし茶屋街”を散策。 金箔の工房を訪ねたら、金箔の製品がとても安いのにびっくりした。 ☆そして午後のメインの白川郷へ。 心配した雪による通行止めも無く、バスは除雪車の後ろに付いて通常に走れた。 白川郷は昨日が55cmの積雪で、今日は90cm以上の積雪となったようだ。 白川郷に行くなら雪の白川郷に行きたいと念じていたので、今回の大雪はまったく私たちの念願をかなえてくれるものとなった。 そして添乗員も、これまでに白川郷に来て、こんなに凄い雪景色の中に来たのは初めてだと感激されていた。 寒さに弱く、雪の降ったところになんか絶対に行きたくないと言っていた妻も、兼六園と白川郷の雪景色の美しさに心を奪われてしまったようだ。 ☆今夜の宿泊は岐阜県の下呂温泉。 下呂温泉は雪は舞っていたが、雪は積もって居なかった。 日本三名泉のひとつである下呂温泉は飛騨川沿いに多くのホテルが並ぶ。 今夜の宿は”小川屋”。 宿に着いたのが夕食前だったので、まず夕食を摂る。 夕食のメインは”ブリのしゃぶしゃぶ”と”飛騨牛の朴葉焼き”。 夕食後しばらく体を休めて、大浴場へ。 少しヌルヌルする湯室。 露天風呂は屋根付きで、昨夜のような野趣感は無し。 ☆妻の勤務先から、大雪による旅行を案じるメールが届くが、大満足の画像を添えて返信していた。 他の方たちもテレビのニュースで旅路を案じる連絡が這入っていたようだが、私たちは事故も無く、大雪のお陰で素晴らしい旅を満喫できている。 妻がスマホを見ていたら、むしろ今朝は宮崎の方が寒く、宮崎県内は10地点で今季一番の寒さとなり、特に高鍋町は宮崎県内最低気温の−4,8度を観測した と言うこと。 高鍋町の方が北陸より寒い! 12月21日(木) ☆宮崎は晴れ。 ☆今日から2泊3日で北陸へのツアーへ出かける。 妻のヴォーカル講師の片貝さんが富山出身で、いつも北陸の冬の食事の美味しさを耳にしているし、5月のベトナム・カンボジア旅行で一緒だった方が金沢市の 歯科医院ご夫妻だったので、妻が冬の北陸へ行ってみたくなった次第。 ☆始発のフライトで伊丹空港集合だったので、午前4時に起床。 今回は5月のベトナム・カンボジア旅行同様にパソコンは持参せず。 5時40分に高鍋を発ち、宮崎空港へ。 今回のツアーは九州圏内向けのツアーで、宮崎県からは私たち夫婦だけの参加であった。 7時35発のANAで伊丹空港へ。 ☆8時40分伊丹空港着。 大阪は快晴。 ツアーには九州5県から14名の参加で伊丹空港が集合場所であった。 ☆11時前に添乗員と一緒に商都バスでツアーに出発。 北陸東北には大雪警報が出ていて、途中で雪による通行止めも予測される出発となった。 ただ雪よりも高速の渋滞等で経路の変更を余儀なくされて、スケジュールよりかなり遅れての運行となった。 ☆大阪は晴れだったが、彦根辺りから積雪が始まる。 バスガイドさんはずっと立ったまま喋り通しで、その豊富な知識に眠かった意識も覚醒させられた。 ☆今日のメインは福井県越前町の”タグ付き越前ガニ”。 私は北陸は富山には来たことがあるが、福井県は初めてだと思う。 越前町に這入ると海岸沿いは大荒れで、雪の花が舞っていた。 海沿いの料理旅館”平成”での越前かに定食が今日の昼食である。 タグ付き越前かにのゆでかに、焼きかに、など越前かにづくし。 しかし高速道の迂回で時間がかなり押していて、80分の制限時間がカットされた。 私はカニの捌きには慣れているので、丁寧にハサミで妻の分までカットして美味しく食べ進んだが、しかし丁寧に食べ過ぎて出発間際になってもタグ付きカニは 殆ど手付かずのままであった。 お店の方が急いでカットして下さるが、もうお腹も満腹、熱燗のお酒も呑み残して店を出る始末であった。 後にネットでタグ付き越前かに一杯の値段を調べたら、目玉が飛び出る高値だった。 雪の花の乱れ飛ぶ冬の嵐の越前海岸で、タグ付き越前かにを食するという贅沢を味わえただけで満足。 ☆次に越前市の”紫式部公園”へ。 ここは雪が舞って居た。 紫式部は父の越前国司赴任に同行して、生涯で唯一都を離れて1年あまりを越前国府で過ごしたと言う。 その生活が、都に帰ってから執筆した「源氏物語」にも影響を与えているということ。 ☆次に同じ越前市の”越前そばの里”へ。 私が版画用の手漉き和紙を注文してまだ届かない越前和紙の会社もこの辺りにあるのかと複雑な思いになる。 試食した越前そばをお土産に買う。 ☆”越前そば”を出るとすでに夕暮れ落ちていた。 今夜の宿は東尋坊温泉の”三国オーシャンリゾート&ホテル”。 ☆予定より10分ほど遅れてホテル着 風は強く、霰は舞っていたが、雪は積もっていなかった。 ホテルのHPでは全室から東尋坊の海が見渡せると言うことだったが、夜なので海は見えず。 夕食のメインはあわびの踊り焼きと若狭牛の牛鍋。 ☆夕食の後に温泉に這入る。 温泉のお湯はとても透明なお湯だった。 露天風呂にも這入ったが、霰交じりのものすごい強風が吹き荒れて、慌てて大浴槽に戻る。 初日は少し遅れは出たものの、ほぼ予定のスケジュールをこなせて安心した。 天気予報では明日は更に大雪で荒れそうである。 外は雷が鳴り、霰が激しく窓を叩く。 12月20日(水) ☆朝のうちは良く晴れていたが、次第に雲が出て、底冷えのしんしんと寒い一日となった。 ☆注文していた鶏の燻製が出来ていたので、取りに行く。 作っておられる方が高齢で丸々一羽の燻製がもう体力的に不可能ということで、今年はモモだけの燻製になった。 ご主人の体力が尽きたらもう2度と口に出来なくなる。 何時ものように息子2人に宅急便で送る。 ☆午前は、版画の彫り作業。 ホームセンターのシナベニヤはどうしても表面の薄い層が剥がれてしまう。 細い部分が特に剥がれてしまう。 ☆午後は、明日から妻と出かける国内旅行の準備。 明日から日本全国的に大雪の予報である。 寒さ対策の準備が大変である。 大雪が気になるところだが、夜に旅行代理店から連絡があり、スケジュール的には雪による障害で変更が生じるかも知れないが、旅行自体は実施と言うことである。 12月19日(火) ☆夜中から雨。 雨は一日中続き、しんしんと底冷える。 宮崎県内でも山間部は雪。 ☆雨なので、一日木版画の作業。 先日から取り掛かっていた下絵をまとめて、版木を彫る。 ☆下絵を版木に写したり版木を彫るのに、夕暮れて来ると手元が良く見えなくなる。 先日は、手元が暗くて彫り損じてしまったし、下絵の転写がずれてしまう。 それで手元を照らす伸縮デスクライトが欲しくて、大型量販店やヤマダデンキを廻ってみたが、今どきはそんなものは店頭では売っていなかった。 結局はネットで検索して、注文した。 ☆”みやざきエッセイスト・クラブ 作品集28 パスカルの微笑”が届いた。 編集長の中村薫さんから送ってもらった。 このHP日記にも書いたが、昨年の作品集27の表紙に私の作品を使っていいただいた。 その依頼で中村さんが我が家を訪ねて来られたときに、中村さんは小学校時代は高鍋町に住んでいて、我が家の前が通学路だったと言う思いがけない話であった。 さらに中村さんがウッドベースの奏者で、私たち夫妻がライブでお世話になっている片貝さんと照沼さんとも共演したりする仲間だと言うことがわかり、それから 私たちのライブに参加していただくようになった。 宮崎エッセイスト・クラブのメンバーには私がお世話になって来た方々が名を連ねており、一通り目を通す。 12月18日(月) ☆晴れ。 気温は下がって、宮崎県内は各地でこの冬一番の冷え込みとなった。 夕刻からは雲が出て、天候は下り坂。 ☆午後からアンジェラスの森へ。 制作途中だった”MOON DANCE”ミニチュアの台座側面のハツリ作業。 および上面のカップ砥石掛けと心棒穴開け作業。 ☆リフトの修理の点検には来てくれたようだ。 車の轍の跡があった。 ☆今日はアンジェラスの森もぐんぐん冷え込んで、帰りは昔にかかとを骨折した右足が冷え込みで痛くてたまらなかった。 ☆「宮崎県文化年鑑 2023」が届く。 ざっと目を通すと、やはり各部門の執筆者は単なる出来事の列記のみで、私のように現在の彫刻部門の問題点について記述しているような内容で 各部門の年間報告を書いている人は殆ど居ない。 12月17日(日) ☆晴れ。 気温は低いが陽射しが強く、車での外出には最高の気候。 夕刻からはしんしんと真冬並みに冷え込む。 ☆昨夜に友人の画家・水元博子さんから個展の案内が届いていたので、朝一に妻と宮崎市へ出かける。 途中で脚(車)の無い水元さんをピックアップして、会場である平和台公園の”ひむかの宝箱”へ。 ”ひむかの宝箱”を訪れたのは初めてだが、平和台公園そのものが何十年ぶりかである。 大学時代に階段ダッシュで鍛えられて見晴らしの良かった正面階段は、今では鬱蒼と樹木に埋もれてしまっていた。 ”ひむかの宝箱”は自然食品関係を扱ったお店で、その奥が小さなギャラリーになっていた。 ☆お昼前に平和台を出て、水元さんが買ってくれた妻の版画が飾ってあるケーキ屋さんに立ち寄る。 ケーキ屋さんの店主は、宮崎市内の某石材店の娘さんで、お父さんは良く知っている方である。 ☆午後は久しぶりに宮交シティーへ。 妻の買い物に付き合う。 ☆長崎の担当者からの連絡で、私のモニュメント設置予定場所の周辺整備で、設置場所が変更になる可能性があり、プロジェクトの詳細の打合せ開始は 年始にずれ込むと言うこと。 これで長崎の石材の発注はかなり遅れることが確実になった。 むしろその方が某施設のモニュメント制作と長崎のモニュメント制作が重ならずに済みそうである。 12月16日(土) ☆晴れ。 今日は冷え込みはあったが、そこまでは気温は下がらず。 ☆午前に某施設の石の発注図面、およびおおよその側面カット指示図の作成。 昼前に石販会社へ見積もりの依頼。 側面の切削作業は加工賃は要らないと言うことで、発注をかける。 ただ今年の中国からの最終船便の積み込みには間に合わないので、正月明けに第一便で届くということだが、それが1月23日になるという。 直ぐにでも作業にかかりたかったのだが、石が届くのは一月後である。 ☆一方、長崎のモニュメントは今週中にプランが決まると言うことだったが、とうとう何の連絡も無かった。 1月23日の便に間に合うには今月22日までの発注が必要ということで、この状態では間に合いそうにない。 しかも2月に這入ると中国は正月に這入り、全ての作業が長期間ストップしてしまう。 長崎のモニュメントの制作にかかれるのは、相当に先のことになってしまう。 ☆夕刻までに某施設モニュメントの台座図面を作成。 某施設の担当者へ、台座図面を送り、石の発注の状態を伝える。 12月15日(金) ☆午前のうちは快晴。 次第に雲が出て、夕刻には小雨が混じる。 気温はぐんぐん上昇。 夜中はすごく蒸し暑く、日中は県内各地で夏日となった。 12月での夏日は、記録の残る宮崎市では133年ぶりだったとか。 ☆一日、某施設のモニュメントの段取り作業。 アンジェラスの森へ上がって、台座に使えそうな石を探す。 撤去された日向市の”昇・地”の廃棄材が使えそうである。 直ぐにでも作業を始めないと間に合わないので、再度動かなくなったリフトを修理しなければならない。 帰路にトヨタL&Fへ寄って、修理を依頼する。 バッテリーは新しいのに交換してあるのでスイッチは這入るのだが、エンジンが始動しない。 セルモーターの故障のようだ。 ☆午後は石の発注図面を引き直す。 12月14日(木) ☆午前のうちは晴れ。 次第に雲が出て、夕刻からは雨となる。 気温は上昇して、非常に生暖かい一日となった。 ☆午前に某施設の関係者が来訪。 施設の創立30周年の記念モニュメントの依頼であった。 ただ設置時期的に、すでに長崎のモニュメント制作が這入っているし、春先には妻との版画二人展、グループ展開催が這入っているので、そこに新たにモニュメントの 制作を入れることはほぼ不可能である。 しかし何らかの可能性も探れないことも無いので、とりあえずお話だけ聞かせて下さいということでの来訪であった。 昨日にお電話をいただいてから、私もあれこれ可能性について思案を重ねていた。 ☆とりあえずお話を伺って、先方の希望を伺いながら、可能性の方向をまとめてゆく。 長崎のモニュメントの制作の前に入れ込むことが可能な方向で引き受けることにした。 施設なので予算も少なく、大きなモニュメントは出来ない。 台座等はアンジェラスの森の在庫で今の内から取り掛かれるのではないかと思う。 プランは手持ちのマケットを提示して、受け入れてもらう。 ☆午後は石材見積もり依頼用の図面を引く。 ☆今回の制作依頼主は高鍋駅”MOON DANCE”の設置や除幕式のテレビニュースで私のことを知られ、私のホームページを見て連絡してこられた。 長崎の担当者も、ネット検索で私のホームページを見られてからの制作依頼であった。 やはりホープページでの情報発信は非常に大切だということだ。 ☆これでいよいよ来年春までは殺人的なスケジュールをこなさなければならなくなった。 頼みの彫刻グループの山田は、来年3月に県立美術館での二人展を控えていて、その作品制作で忙殺されている。 ほかにヘルプをしてくれる作家は周囲には居ない。 3月の妻との二人展の版画制作も同時進行で進めなければならない。 私がもう一人居て欲しい。 12月13日(水) ☆快晴。 気温はぐんぐん上昇し、宮崎県内は各地で20度近い気温となった。 夕刻からは急激に気温が下がる。 ☆夜中は便秘薬の影響で、体調は万全でなく、今朝もなかなか起きれなかった。 やはり便秘は体力を奪ってしまうようだ。 ☆午前は木版画の下絵を考える。 ☆午後はアンジェラスの森へ。 先日に小割した”MOON DANCE”小作品の台座用の石が分厚過ぎたので、再度端材をチェックして小割し直す。 台座の面出し作業。 12月12日(火) ☆午前は晴れ。 次第に雲が出て、午後からは曇天となり、夕暮れてからは雨となる。 日中の気温はとても暖かかった。 ☆またも強烈な便秘となって、悶々とした一日となった。 午前10時の開店を待って、ホームセンターに浣腸を買いに行く。 そうしたら、”家庭常備薬”として大箱の浣腸が山積みになって売っている。 そんなに浣腸の必要な便秘に困る人が多いのかとびっくり。 ☆やはり1回目の浣腸では何の効果も無く、苦悶の午前となった。 午後に2回目の浣腸をして横になっていると、ようやく通便に到った。 疲労困憊で午後はずっと寝室で寝る。 お昼も摂れず、リンゴを少しとスープを飲んだのみ。 ☆やはり老化で大腸の力が弱くなってきているのだ。 今年は大腸憩室炎や腸の激痛、そして度々の便秘。 これからずっとこういう状態が続くのだろうか。 ☆夕刻には落ち着いて木版画の次の下絵を考えるが、昼に服用した便秘薬の”コーラック”が効いてきて今度は下痢状態になってしまった。 12月11日(月) ☆夜中から雨。 雨は終日続く。 気温はすごく高く、夜中は羽毛布団が蒸し暑かった。 ☆午前に、中町公民館のお仙稲荷秋季例祭。 このお仙稲荷は霊験があらたかで、これまでに大雨が降っても不思議と例祭の時間になるとピタリと雨が上がった。 しかし今日は雨は止まず、むしろ神事が始まる前から土砂降りとなった。 そしてこの頃は公民館員の高齢化と若い層の超多忙化で、例祭への参加者も激減し、今日もわずか4名の参加者であった。 お稲荷さんがつむじを曲げて、今日は大雨を降らせたのかも知れない。 私自身も久しぶりの参加だったので、行きも帰りも道を間違えて、何處を走っているのか解らなくなった。 まるで狐に摘ままれている感じであった。 ☆午後は妻のヴォーカルレッスン。 私は2階の書斎でデスクワーク。 ☆夜にお仙稲荷例祭の直会(なおらい)。 参加したのは私たち高齢者の男性ばかり。 昔話で盛り上がる。 12月10日(日) ☆快晴。 非常に暖かい一日。 ☆午後から、アンジェラスの森で”MOON DANCE”小作品の制作。 駅前モニュメントの端材から小作品の台座に使えるものをピックアップして、小割する。 小作品2点目のフォルム粗落し。 12月9日(土) ☆午前は曇天。 午後からは雲が切れて、暖かくなる。 夜の冷え込みも無し。 ☆午前は版画の下絵プラン。 ☆午後はアンジェラスの森で”MOON DANCE”小作品の制作。 今日も気温が高かったので、アンジェラスの森は真夏のように蚊がたかってきた。 ☆夜は妻と木城町の”ピムリコ”のジャムセッションに出かける。 私がライブが終わるとハーモニカの練習をパタリとしなくなって、特訓で演奏出来るようになった演奏能力がたちまち逆行してしまうので、少しでも演奏機会を 確保した方が良いという妻の意向で参加の予約を入れておいた。 この”ピムリコ”のジャムセッションは、宮崎県ジャズ協会の宮崎ジャズコネクションメンバーである香月保乃さん(宮崎ジャズ協会会長・ユーフォニアム・ヴォーカル)、 柳田祐輔氏(ギター)が中心になって、ジャズ愛好家、およびジャズ演奏の経験の無い方や小・中・高生たちと一緒に、ジャズとは何かセッションの仕方などを 懇切丁寧に指導されながら、定期的に開催されているものである。 私たち夫婦も何度か参加させてもらっているし、妻も何度か単身で参加している。 私たち夫婦は、先日の”SAKA Bar”ライブで演奏した3曲の楽譜を持参した。 ”MOON DANCE”は参加された方たちにとっては初めての曲だったが、さすがプロのミュージシャンである、初見の楽譜でも見事に演奏していただいた。 私の背後では柳田さんの演奏するシンセサイザーが、まるで重厚なオーケストラの響きで支えて頂いて、凄く気持ちよく演奏できた。 ”Route66”のブルースハープも気持ち良く吹けたし、”CITY OF STARS”の私の口笛演奏も香月さんと柳田さんにとても褒めていただいた。 私は”ピムリコ”のセッションでは緊張しない。 それは観客がほとんどいないし、廻りをベテランのミュージシャンに囲まれている安心感からだろう。 12月8日(金) ☆快晴。 気温がぐんぐん上昇して、外に出るとジャンパーが暑かった。 夜にも冷え込みはなし。 ☆午前は版画の彫り作業。 ☆午後は雑用を片づけていたら、アンジェラスの森へ上がる時間が取れなかった。 次の版画のプランを考える。 ☆夜は、高鍋町内のジャズ喫茶”ダウンビート”での西田千穂さんのスタンダードジャズ・クリスマスライブに妻と出かける。 西田さんのライブは2017年の南町ライブに出かけているようだ。 ダウンビートは今年でオープン43年目になるそうだが、出かけたのは今回が初めてである。 ダウンビート自体もピアノの這入ったライブは40年ぶりだとか。 こじんまりとした喫茶店なので、20名くらいしか這入れず、私はドラムの真正面のほぼかぶりつき場所であった。 西田さんは鹿児島市のご出身で、メンバーの皆さんも鹿児島市内で活動されている。 西田さんはとても声量のある伸びやかなボーカルだが、”さつまおごじょ”(薩摩女性)特有の愛らしさと同時に女傑タイプの魅力にあふれている。 真摯な深い歌いと同時に底抜けに大らかな歌いもあり、とても充実した楽しいライブであった。 12月7日(木) ☆快晴。 日中は気温が上昇。 ☆午前は、次の版画の下絵をまとめ、彫りに這入る。 厚手のシナベニヤを使うようにうなって、少し彫りの作業がスムーズに進むようになってきた。 ☆午後はアンジェラスの森で、”MOON DANCE”小作品の制作。 フォルムを出しながら、カップ砥石をかけながらまとめてゆく。 ハツリ部分をはつっていたら、ふっとした気の弛みの瞬間にハツリ損じてしまった。 本当に小さい作品は手がかかって、気が抜けない。 4点制作する予定だが、ちょっと億劫になってきた。 日中の気温の上昇で、アンジェラスの森には蚊が出て来た。 12月6日(水) ☆おおむね晴れ。 一日、薄雲がかかってすっきりしない空模様。 気温も上がらず。 ☆午前に長崎のモニュメントの経費概算をやり直す。 結果的に3トン以上の作品を長崎まで運ぶのは、私が個人で運んでも運送業者に運んでもらっても大変な経費が掛かることが明らかになった。 それで完成時に本体と台座を3トン以内に納めることが出来れば、3トンクレーン車一台で搬送・設置作業までまかなえることがわかったので、提案プランの サイズを完成時に3トン以内に収まるように縮小計算する。 ☆午後はアンジェラスの森で、”MOON DANCE”ミニチュアの制作。 作品が小さいので、なかなか思うようには進まない。 12月5日(火) ☆一日、雨。 午前は本格的に激しく降り、気温もぐんぐん底冷えて来る。 ☆雨なので、一日デスクワーク。 木版画の彫りを終えて、次の版画の下絵を考える。 ☆長崎のモニュメント制作の経費概算をやり直す。 以前の作業と全く異なるのは、田中石材店が廃業したので自由に使えていた2トン・ユニック車が無くなったこと。 石を運ぶにも、エアコンプレッサーを借りに行くのにもレンタカーでユニック車を借りなければならなくなった。 しかも今は、リース会社に2トンユニック車を配備しているところが無くなりつつある。 それに作業場の動力コンプレッサーが故障したままである。 だが修理してもらったところで、月々の動力電気代は高額で、殆どアンジェラスの森で作業をしなくなった今の状態では無駄な出費となる。 そんなことで、なるべく無駄な経費をかけないで済む対策をあれこれ考えてゆかねばならない。 これまで大きな作品を制作した時には、こんなに経費の概算で頭を痛めたことは無かった。 12月4日(月) ☆晴れ。 天候は下り坂で、夕刻からは曇天となる。 ☆午前は木版画の彫り。 建材店のシナベニヤの欠点の一つに、表面の肌がすごく薄い材で美装されていること。 だからちょっとした彫刻刀のひねりで、その被膜が剥げてしまう。 その度に瞬間接着剤で止めるが、瞬間接着剤は板目に染みこんで、版木の吸水性を疎外してしまう。 それで刷りの作業で色むらが出る。 サンドペーパーでこすってもあまり効果は無い。 ☆午後からはアンジェラスの森で、”MOON DANCE”小作品の形出しに這入る。 やはり石が硬いうえに、小さくて動き回るので非常に作業がやりにくい。 チューブバンドで固定したりの対応が必要。 石は小さい作品ほど手間がかかる。 ☆長崎のモニュメントへの石材輸入業者からの見積もりが届いた。 コロナ禍で中国からの石材の値上がりが激しく、石材店が頭を抱えているのである程度の価格上昇は見込んでいたので、石材の価格見積もり自体は ほぼ想定内であった。 しかし加工費用が思ったより高額だった。 今回の作品はどのプランも作品に大きな穴を抜かして、作品の内側で子供たちが遊べるプランにしてある。 それでどうしても抜きの作業をしなければならないが、私のアンジェラスの森の動力コンプレッサーは故障したままなので、削岩機を使うためにはコンプレッサーを リースしなければならない。 コンプレッサーを借りて運ぶためにはクレーン車が必要で、そのクレーン車のリース代も馬鹿にならない。 それで、以前は中国側の加工費用がたいした費用にならなかったので、今回も中国側でおおよその作業をしてもらおうと思った。 しかし今回は加工費用が相当額になり、私の利益は出ない。 もう一度、私の制作経費見積もり概算をやり直さないと、利益が出ない。 12月3日(日) ☆晴れ。 昨日のような冷え込みはなし。 ☆夜中の津波注意報を受けて、高鍋町も避難指示が出された。 夜明け前からお隣の消防機庫からは消防車が出動して、午前9時の注意報解除まで見守りに当たっていた。 高鍋町ではつい先日、海水浴場にオートキャンプ場がオープンしてすでに利用が始まっていたから、対応に追われただろう。 幸い、宮崎県では津波の観測はなかったようだ。 ☆昨日は長崎のモニュメントの4案目の図面を引いている途中から図書館のコンサートに出かけたので、午後から図面を仕上げる。 それぞれのプランの趣旨を添えて、長崎の担当者にメールで送付する。 ☆夕刻から木版画の彫り。 ☆今朝の朝刊の葬儀広告に目を通していたら、見覚えのある方の名前に目が留まった。 年齢や住所から、私の知る方に間違いなさそうである。 私がボーイスカウトだった中学時代だったと思うが、他の街のスカウト同士で物を交換する習わしがあった。 私はネッカチーフを止める手造りのリングを、宮崎市内の1歳上のボーイスカウトの方と交換した。 ただ本人同士の手渡しでは無く、相手の自己紹介のような物と一緒に交換しただけで、彼が宮崎市内の有名な酒蔵の子息だと言うことだけわかった。 高校に上がって、高校美術展の会場でその方のデザインを目にして、大宮高校の美術部員なのだとわかった。 そして近年になって、彼が商店街の活性化などに尽力されている有名なデザイナーになっておられることがわかり、共通の知人も多いようなので、そのうちに お会いすることがあるだろうと思っていた。 そして、とうとうお会いすることも無く、彼の葬儀広告を目にすることになってしまった。 12月2日(土) ☆晴れ。 この冬一番の冷え込みとなり、高鍋町は−0,4度、お隣の西都市は−0,3度を記録。 ☆午前に石材輸入業者と運送業者に長崎モニュメントの図面を送り、石材の見積もり額と納入時期、および長崎までのモニュメント運送費用の見積もりを 依頼する。 今日は土曜日なので返事が来るのは週明けになる。 ☆午後は長崎のモニュメントプランを2案追加して図面を描く。 石材の見積もりが出てからプランをさらに詰めようと思っていたが、先に依頼先にプランを選んでもらってから子細を詰めていった方が良い気がする。 ☆夕刻から、高鍋町図書館で開催されたクリスマスライブに出かける。 高鍋図書館ではこういう催し物を昨年あたりから積極的に行っているようで、クリスマスライブは昨年に引続いて2度目となるとのこと。 お世話になっている副館長からのお誘いで出かけた。 屋外のライブなので、この冬一番の冷え込みの中では防寒対策をして出かけても体中が凍えた。 それでもかなり多くの方々が来られたし、私たちのライブに来ていただいた方たちも複数来ておられた。 ☆私は夕食の準備もあるので、恒例となっている小山副町長夫妻のライブの後は、締めの”謡楽舎”の演奏を少し聴いて早めに帰宅するつもりでいた。 ところが謡楽舎の天満夫妻の演奏が始まった途端に、そのアイルランド民謡の旋律の美しさと演奏の調べの美しさに釘付けになってしまった。 謡楽舎の天満ご夫妻の演奏は、高鍋町美術館での「月の雫」公開対談の時に会場のバックサウンドとしてCDを流させていただいたし、お二人には会場にも 来ていただいた。 だがこれまでに機会が無く、お二人の演奏を生で聞いたのは今日が初めてであった。 あまりの演奏の素晴らしさに涙ぐんでしまった。 凍える寒さのことなど忘れて、しみじみとお二人のギターとバイオリンの音色に聴き入ってしまった。 ”謡楽舎”は、私の作業場のアンジェラスの森への道筋にある。 いつか妻と訪ねてみよう。 ☆夜中、12時前に防災無線放送。 隣の消防機庫の動きが無いので、火事では無いらしいが、町場ではこの防災無線は何を言っているのか全く聞き取れない。 それでリビングへ降りて私のスマホを開くと、フィリピン附近で発生した地震に因る津波注意報であった。 しばらくして、寝室の妻のスマホからけたたましい津波注意報が鳴り響いた。 この防災無線は、津波注意報を流しても、何を言っているのか全く聞き取れないのでまったく存在の意味が無い。 12月1日(金) ☆晴れ。 冷え込んだ一日。 ☆長崎のモニュメントの石の手配を急がなければならない。 午前は、経費の見積もり概算を再度やり直す。 やはり作業場での石の荷下ろしと積み込み作業には重機クレーンが必要だと判断。 私のリフトでは、高鍋駅前”MOON DANCE”の台座を移動させるのが精一杯だった。 ”MOON DANCE”の台座は1ピースが3トンだったので、3トン以上の荷下ろしはやはり重機が必要だ。 ☆午後は石の見積もり依頼用の図面を描く。 今日は2プランの図面で終った。 プランを4つ描いて石材の見積もりを出してもらい、それから見積もり概算を詰め、それらと照らし合わせて依頼先と打合せを進めたい。 ☆ホームセンターで、中学校同窓会の事務局をやってもらっているI君と遭遇。 古希の中学同窓会を同窓会長の私のスケジュールに合わせて、私がインドのシンポジウムから帰った後の2020年2月に開催予定だった。 しかし私がインド滞在中にコロナが急拡大し、同窓会は中止せざるを得なくなった。 今年はようやくコロナも5類に移行し、全ての行事が通常通りに行えるようになったので、そろそろ同窓会を考える時期だと思っていた。 I君も同様に思っていて、私と連絡を取ろうと思っていたようだ。 開催時期を何時にしようか、次の区切りの喜寿である77歳では、近年亡くなったり病に倒れる同窓生が急増しているので、遅い気がする。 I君も、同窓生たちから出来るだけ早期の開催を催促されていると言う。 それで、75歳になる来年に開催予定ということで、近日中に打合せの集まりをすることになった。 ☆今日からいよいよ12月に這入ってしまった。 年々、1年が過ぎるのがすごく速い。 11月30日(木) ☆今日も朝のうちは曇天。 昼前から雲は切れる。 寒風が吹き荒れて、寒々しい一日。 ☆午前は木版画の下絵作業と版木彫り作業。 ☆午後からはアンジェラスの森で、”MOON DANCE”ミニチュアの厚み落し作業の続き。 石が硬くてディスクが浮いてしまう。 形を出してゆく前に、底部にピン穴を開ける。 ☆夕刻に帰宅したら、両首筋がすごく凝って痛い。 何故だろうと思ったら、どうやら午前の久しぶりの版画版木彫り作業がこたえたようだ。 11月29日(水) ☆午前は曇りで気温は上がらず、底冷える。 昼前から天候は恢復し、午後には快晴となる。 ☆午前に高鍋税務署へ。 私の今年の確定申告時の事業収入が1,000万円を越えたので、消費税課税事業者となり、届出書の提出が必要になった。 私はこれまで消費税を課税されたことがないし、消費税支払いの余力も無いので不安になり、昨日に熊本国税局の担当者に電話で問いあわせてみた。 詳しくは高鍋税務署で相談できると言うことだったので、相談の予約を入れておいた。 若い女性の担当者が丁寧に消費税課税の説明をしてくれた。 それによると、私は今年の事業収入が1,000万円を越えたので消費税課税事業者の登録が課せられたが、消費税が課税されるのは来年の令和6年の 確定申告からなのだそうだ。 税務署に出かける前に今年の事業収入を計算してみたら1,000万円以下であった。 つまり、来年の確定申告時には消費税は課税されないということであった。 その場合は確定申告時に「消費税の納税義務者でなくなった旨の届出書」を提出すればいいので、その書類ももらった。 そして世間を騒がせているインボイス制度だが、私のこれまでの事業内容からインボイス発行事業者への登録は必要ないと言うことであった。 業者から問い合わせがあった時にだけ、登録業者ではない旨を伝えればよいということ。 ここしばらくのモヤモヤがすっきり解消した。 ☆午後は、アンジェラスの森で”MOON DANCE”小作品の厚み落し。 石は駅前モニュメントの端材を使っているが、やはりこの石はすごく硬い。 ☆中国・青島の日中韓彫刻展に出品していた作品が戻って来た。 11月28日(火) ☆晴れ。 午前は強風が吹き荒れる。 ☆午後からアンジェラスの森へ。 長崎のモニュメントの台座に使えそうな平石を物色したり、絡みつく”ひっつき虫”を抜き取ったり。 あらためてアンジェラスの森に備蓄してある黒御影石には、中程度の作品が作れるサイズのものがかなりあるのに気付く。 しかし、アンジェラスの森に戻って来てからは、殆ど仕事も無くなって消耗品のダイヤモンドディスクを買う余裕も無くなってきたので、ディスクを消耗しない 大理石の作品しか作っていない。 さらに野外彫刻展も無くなったので、中程度の大きさの作品を作ることもなくなってきた。 先日用意しておいた”MOON DANCE”の小品用の端材の粗落し作業をする。 ☆夕食の準備の間に、木版画の下絵を少し。 11月27日(月) ☆夜中から朝にかけて雨。 雨は朝の裡に上り、午後は上天気となる。 暖かい一日。 ☆長崎の経費内訳を、パターンに分けて試算し直す。 モニュメントの原石の重量および完成時の重量によって、対応が全く異なる。 例えば、本体と台座で3トン以内に収まれば3トンユニック車で私が運べるが、3トンを越せば運送業者に搬送をお願いしなければならない。 考えてみれば、アンジェラスの森でトン級の作品を制作していたのは2000年までで、それ以降は石材店で制作していたし、再びアンジェラスの森に上がってからは、 大きな作品を作る機会は全く無く、石の移動はリフトだけで済んだ。 そうなると、アンジェラスの森でのトン級の制作は24年ぶりとなるので、石の荷下ろし等に重機が必要になってきそうだが、以前はどういう段取りをしていたのか 思い出せない。 綿密な計画を建てないと、思わぬ経費が出て来る。 ☆今の時期、クリスマスの鶏燻製の注文の時期なのだが、我が家が毎年重宝しているお店は作られる方が高齢で昨年度で終了ということだった。 それで念のためにお店に出かけると、やはり昨年の分を燻製中にご主人が倒れられ、燻製はもう出来ないということだった。 ただモモなら体力への負担も少ないので対応しますということだったので、モモの燻製を注文する。 結婚してから毎年楽しみにしていた鶏の燻製。 もう幻の一品になってしまった。 11月26日(日) ☆快晴。 夜中は寒くてたまらなかったが、日中は陽射しも強く穏やかな陽気。 ☆やることが山積しているので、何から手を付けようと思案しながら、先ずは長崎のプランを先にまとめて石の手配等をしておかなければならないと思い定める。 目安として提示された予算に沿って、各経費の予算立てをしてゆく。 その目途が立ってから、具体的に石のサイズを出してフォルムプランを考えて行くことになる。 ☆設置までに基礎の打合せ等で何度か長崎へ足を運ぶ必要がある。 それで宮崎ー長崎直行の高速バスがあるのならと思ってネットで検索するが、何処にもバス運賃の記載が無い。 昨日の長崎高速バスターミナルにはキチンと宮崎ー長崎便のバス運賃が明記してあった。 ところがネットの画面を良く見てみたら、宮崎ー長崎便は”現在運休中”とある。 やはり宮崎ー長崎直行高速バスは運休していたのだ。 コロナで運休となり、廃止ではないのでいずれ復活運行すると言うことで、バスターミナルの表記はそのままなのだろう。 経費を抑えるには、車で走るしかない。 ☆留守中に注文していたスーツケースのキャリー交換セットが届いていたので、取り付ける。 ところがスーツケースの中を開くと、先日購入したスーツケース同様に内側に部品交換用のファスナーがあり、破損した部品が交換できるようになっていた。 11月25日(土) ☆長崎は快晴。 アイランド・ナガサキは今朝は冷たい風も無く、気持ちの好い朝だった。 昨日は結構の距離を歩いたので、ベッドに這入ったらぐっすり眠ってしまった。 ☆海を眺めながらの美味しい朝食をいただいて、9時30分発の無料送迎バスで長崎駅へ。 ☆乗車予定の高速バスが、やはり少しでも博多到着が遅れると、完全にANAに間に合わないので、何度もずっと一便前のバスの空きが出ないか検索してみた。 しかし、空きがでるどころか殆どの福岡行きの高速バスの空席が無くなっている。 高速バスターミナルへ行くと、「宮崎」便の表示がある。 確認すると、宮崎ー長崎直行高速バスはまだ普通に運行していた。 ☆11時45分発の高速バスで福岡へ。 福岡市内までは時刻表通りの運行だったが、やはり福岡市内に這入って遅れが出てきた。 ☆博多バスターミナルに10分ほど遅れて到着し、急いで地下鉄に乗って福岡空港へ向かった。 しかし私たちの搭乗予定のANA15時10分発フライトは、すでに保安検査場通過時刻が過ぎてしまっていて、搭乗できなかった。 幸い次のフライトに空きがあったので、フライトを切り替えて貰った。 当初から間に合わないのではと懸念し、今朝まで何度も一便前の高速バスの空きを確認したりして手は尽くしたので、致し方ない。 今夜中に我が家に帰れれば、何の問題も無い。 ☆予定より3時間遅れの18時35分のフライトは、これまた搭乗機の到着遅延で18時50分発となる。 宮崎空港に着くと、電車は50分後の20時19発の特急が一番近い電車であった。 結局、特急電車で高鍋駅へ向かい、高鍋駅駐車場で自家用車に乗って帰宅したのはもう21時過ぎ。 アイランド・ナガサキを発って帰宅するまでほぼ12時間! ああ、長崎は遠かった。 11月24日(金) ☆博多の朝は今にも雨になりそうな真っ暗な曇天。 一気に気温が冷え込んで、道行く人々は分厚いコートに身を包んでいる。 ☆9時16分発の高速バスで長崎へ向かう。 長崎市へ這入る頃から青空が広がる。 25分遅れの12時15分に長崎駅前に着く。 これだけ高速バスが遅れると、明日の高速バスでは完全にANAに間に合わない。 ☆長崎へ着いたら天候は雲が切れて晴天になっていた。 気温は低いが陽射しがあって風も無いので、持参したセーターは着らずに済んだ。 ☆お昼を真新しい長崎駅構内のチャンポン専門店で、チャンポンを摂る。 新地中華街にあったお店だという観光案内所の推薦だったが、ちっとも美味しくなかった。 私が長崎に来るたびに楽しみにしていたブリックホール近くの”紅山楼”は、もうお店が無くなってしまっていた。 ☆午後は路面電車で長崎県立美術館へ。 評判の良い美術館だが、訪ねたのは初めてである。 時間が無かったので、ざっと館内を見て廻ったのみ。 ☆長崎駅へ戻り、15時発の訪問先の無料送迎バスに乗る。 ☆15時50分に訪問先のアイランド・ナガサキへ着く。 私はこのアイランド・ナガサキに彫刻の制作依頼を受けていて、設置予定場所の下見と設置彫刻の概要の打ち合わせのために訪れた。 担当者が出迎えてくれて、暮れ落ちる前に設置予定場所と、現在設置されている作品を見て廻る。 やはり海岸沿いなので底冷えの海風がものすごく、防寒ジャンパーを借りて廻る。 森の中の径沿いに九州出身作家の作品の並ぶ屋外アートミュージアムがあり、私の知人の作家たちの作品が並んでいた。 この屋外アートミュージアムは今年の夏にオープンしたばかりのようで、山の中の径沿いなので小作品ばかりである。 海岸沿いでは、長崎の作家が大きなインスタレーションの作品を極寒の強風の中で制作していた。 私は彼を知らなかったが、彼は私のことを良く知っていた。 ☆私の作品は、その屋外ミュージアム入口に、モニュメントとなる大きな作品を制作設置して欲しいと言うことである。 こうした発注は私が最初であると言うこと。 担当者はこうした事業には素人なので、これからは専門のキュレーターを仲介して進めたいと言うこと。 先ずは私との作業でモニュメント制作設置の概要を解っていただけると思う。 このアイランド・ナガサキは滞在型のリゾートホテルでファミリーの利用が多いので、子供が親しめるモニュメントを制作してほしいと言うことである。 私のHPを見られて、私の掲載作品画像に子供が彫刻と戯れている画像が幾つかあるので、それで私をモニュメント制作の第1号に選んでいただいたと言うことである。 ☆宿泊は海沿いのコテージタイプの2階の部屋を提供していただいた。 ベランダからは、満月に向かう月が煌々と輝く海が見渡せる。 ☆天然温泉の露店風呂から月を眺めた後、海鮮丼の夕食をいただく。 作品の設置時期は来年春の予定だという。 来年春には妻との版画二人展、佐賀彫刻集団展、高鍋高校OB美術展もある。 超・超多忙な年明けとなる。 11月23日(祝・木) ☆快晴。 気温が上昇して、宮崎県内は西都市が25,7度、宮崎市が25,4度と各地で25度以上の夏日。 ☆朝のうちに長崎の所用先から、明日の宿を手配していただく連絡があり、急遽、明日の博多の宿のキャンセルと高速バスの変更をする。 ただ長崎駅からの高速バスが、ちょうどよい10時45分発がすでに満席で、1時間遅れの11時45分発のチケットしか取れなかった。 この便だと、高速バスが少しでも遅れたり、バスターミナルから空港までの移動時間に手間取ると、完全に15時10分発のANAに間に合わない怖れが大きい。 ☆午後にJR鈍行で宮崎空港へ。 いつもは短期旅行は空港まで車で出かけるが、先日の兄弟空港展の期間中に空港ビルの駐車場も周辺の有料駐車場も満杯で、車が止められず兄弟展に来れなかった方が 多かったし、今日は祭日なのでより満杯状態であろう。 そして高鍋町内でもタクシー不足が顕著なので、高鍋駅の駐車場に車を止めて電車に乗る。 ☆16時20分発のANAで、20分出発遅れで福岡へ。 福岡市も晴天で、先日は雪が降ったと言うのに、福岡市もとても暖かかった。 ☆定宿にチェックインして、予約してあったイタリアンレストランへ出かける。 博多駅へ向かうと、正面広場は恒例のクリスマスイリュミネーションが輝き、出店が出て大勢の市民で賑わっていた。 本当に博多はすごくわくわくする街だ。 ☆地下鉄でレストランへ向かうが、今の博多は全く不案内である。 地図は持って行ったのだが、レストランへどう行けばいいのか全く分からないし、スマホのナビで歩くが所用時間が次第に長くなるのでどうやら反対方向に向かっている らしい。 業を煮やした妻がタクシーを止めてタクシーで向かう。 やはり全く反対方向の、博多駅に逆戻りして歩いていた。 5月のベトナム・カンボジア旅行の時も、関西空港最寄りのホテルへ全く逆方向へ向かって延々と歩いていた。 私は小さいころから方向感覚は誰よりも正確だったのだが、最近はこんなことが多くなった。 ☆無事レストランへ着き、美味しいイタリアンをいただく。 メニューのコース料理だけでお腹いっぱいになった。 私も妻も凄く胃袋が小さくなった。 ☆ホテル周辺は美味しそうな呑み屋街なのだが、博多の味覚は別の機会に廻すことにして、ホテルへ直帰であった。 11月22日(水) ☆晴れ。 気温は上昇して、とても温かい一日。 ☆昼に、注文していたスーツケースが届いた。 そうしたらこの製品は永久保証製品で、キャリーバー、ハンドル、キャスター、TSAロックなどのパーツが破損した場合、初回での不具合連絡対応では 無償で新しい交換パーツを提供するとある。 そしてスーツケースの内側に修理用のファスナーがあって、そこから各パーツの止めネジを外してパーツが交換できるようになっている。 これは大助かりである。 キャリーバーやキャスターの破損は必ず起きる。 ☆午後から、久しぶりにアンジラスの森へ上がる。 冬枯れの時期なので、作業場は夏に上がった時からまったく変化なかった。 ”MOON DANCE”小品用の石をピックアップ。 駅前モニュメントの端材で3,4点作ろうと思う。 ☆夕刻に庭の草刈り。 ☆明日は博多に泊まって、明後日は博多でレンタカーを借りて長崎まで行こうと思っていた。 ところがネットで検索すると、博多駅周辺のレンタカーは全て今週は受付していなかった。 今週は全てのレンタカーは予約済みなのだ。 それで長崎駅までの高速バスを予約する。 所用先が長崎駅から遠いので、レンタカーの方が便利だと思ったのだが。 以前は宮崎から長崎までの直行フライトと、直行高速バスがあった。 そのつもりでスケジュールを組もうと思ったら、直行フライトも直行高速バスもとっくに廃止になっていた。 もっと若ければ、以前のように自家用車で走るのだが、今の年齢での長距離運転はすごく億劫である。 結局、博多まで飛んで、博多に2泊して長崎へ向かうという方法しか無く、妻と一緒に出かけるのでべらぼうな金額となった。 同じ九州内の長崎まで行く旅費が、夫婦で台湾や東南アジアのツアーに出かけるより高くなってしまった。 11月21日(火) ☆晴れ。 今日は冷え込みは無く、とても暖かかった。 ☆午前に、昨日届かなかった作品乾燥棚が届く。 昨日のプレス機と一緒に届く予定だったが、容量が大きくて積載出来なかったと言うこと。 昨日と同じ運送会社のお兄さんの配達で、昨日のプレス機の荷揚げで腰を痛めてしまったので、今日は自分で運んでくださいと言うこと。 ところが帰り際に、”田中さんは絵と彫刻はどちらが専門なのですか?”とそのお兄さんが問う。 届け先が「田中等彫刻工房」だったのに、版画プレス機の納入だったからであろう。 彫刻だよと答えると、実は私は美術大学で彫刻専攻だったんですという思いもかけない返事。 九州産業大学の彫刻科で河原美比古氏に習ったと言うこと。 九州産業大学の彫刻科なら宮崎彫刻グループの山田と鹿児島の通畠氏の後輩になるし、私の妻の大学後輩でもある。 博多に居るころは河原氏に大変お世話になり、河原氏の弟が経営している超有名ラーメン店”一風堂”の木製カウンター(河原美比古氏の制作)の管理を 任されていて、定期的にひび割れの補修などやっていたという。 宮崎に帰って来てからは制作時間も制作場所も無く、彫刻活動は一切やっていないと言うことである。 どうりで昨日の彼の様子が、一般の運送会社の運転手の雰囲気とは全然違う感じがしたのだ。 彫刻がやりたくなったら、いつでも声をかけて欲しい。 ☆昼前に高鍋駅前”MOON DANCE”のミニチュアのベニヤ型制作。 とりあえず、ミニチュアを何点か作っておこうと思う。 ☆23日から2泊の予定で長崎まで所用で出かける。 2泊なのでスーツケースは機内持ち込みサイズで良いが、手持ちの機内持ち込みサイズのスーツケースは、今年のベトナム・カンボジア旅行で出かけた時に、 予約してあった大阪空港最寄りのホテルを捜して1時間近くも彷徨っている間にキャスターが破損してしまったので、昨日に新しいスーツケースを注文した。 しかし注文した後で、ひょっとするとこのキャスターは自分で取り替えることが出来るのではないかとネットで検索したら、やはり簡単に取り替えることができると解った。 それで午後に金切りノコでキャスターを外し、キャスターのサイズを計ってネットで交換セットを注文した。 ☆午後後半は、自宅工房の片づけ。 高鍋駅前”MOON DANCE”制作時の道具がそのまま散乱していて、足の踏み場も無かった。 11月20日(月) ☆晴れ。 夜中は寒くて寒くて、尾鈴山が積雪して震える夢を観ていた。 しかし日中は風も無く陽射しが強く、ジャンパーを着て外に出ると暑かった。 ☆午前に妻が注文していた版画のプレス機とプレス台が届いた。 妻はこれまで勤務先の美術室にあるプレス機を使っていたが、今年度限りで仕事を辞めるので自宅アトリエでの作業のために購入した。 重くて私一人で狭い階段を2階のアトリエまで運ぶのは困難なので、運送業者のお兄さんに運び上げて貰った。 重いと言っても最近のプレス機はかなり仕様が軽くなっていて、妻はこれから年齢的に体力が落ちても操作出来るようにハンドル操作の軽いものを選んだ。 そしてあの重い鉄板のベッドプレートが樹脂のアクリル板に替わっていてびっくりした。 ☆午後は、和室に保管していた生ハム原木を鋸で3分割して、冷蔵庫に収納する。 豚の脚の骨を鋸で切断するのは大変だった。 この生ハム原木は維持管理が大変だが、ピザやパスタには欠かせない。 特にピザには市販のベーコンを使った時とこの生ハム原木を使った時では、旨さが雲泥の差になる。 おかげで和室がすっきりした。 ☆手漉き和紙の会社から午後に電話があった。 なんでも職人さんが怪我をして、1カ月入院していて作業が出来ず、多くの皆さんにご迷惑をおかけしていると言う。 手漉き和紙だから、職人さんが居なかったら作業にならない訳だ。 次に版画制作に使うのは12月か1月に這入ってだろうから、ちゃんと連絡さえもらえれば、今のところは遅れても問題ない。 11月19日(日) ☆晴れ。 風は無かったものの今朝はとても冷え込んだ。 高鍋町の最低気温は1,9度でほぼ真冬。 ☆今日は一日、和室の片づけ作業。 版画展関係の片づけと、来客があるたびにリビングから和室に運び込んでいた書類等の整理。 そして、散乱していた駅前モニュメント”MOON DANCE”の作業データをようやく1冊のファイルに纏める。 ☆昨夜のライブがまあまあの出来だったので、またライブをやってもいいかな、と言う気持ちになった。 昨夜は複数のお客さんたちに、次のライブは何時ですかと聞かれた。 ああ、楽しみにしている方たちがおられるのだなと思うと嬉しかった。 そして、今夜に”SAKA Bar”に支払いに行くと、やはりマスターから”次は何時ですか?”と聞かれた。 ”SAKA Bar”は、とりあえずという感じでやってみただけだったが、機材もピアノもあるし、我が家から歩いて1,2分で準備も楽だし、狭い分だけお客さんと身近だし、 お客さんもお酒を飲みながら食事も出来るし、打ち上げもすごく楽しかった。 11月18日(土) ☆晴れ。 強風が吹き荒れ、しんしんと冷え込む。 福岡は雪だったようだ。 ☆一日、今夜のライブの練習。 午後4時から、我が家から徒歩2分の”SAKA Bar”でライブリハーサル。 会場設営やアンプ等の調整に時間がかかり、リハーサルが終わったのはもう開場時間直前の6時前であった。 ☆”SAKA Bar”は食事も提供しているので、開場を開演1時間前に設定した。 ゆっくり食事とお酒を楽しんでもらって、ライブもゆっくり楽しんでいただこうと言う趣向であった。 ☆7時よりライブ開演。 今日の真冬並みの底冷えと、猛威を振るっているインフルエンザの影響を心配したが、予約していただいた方たち以外の来場もあり20名の方たちに 来ていただいた。 会場がとても狭いので、20名でほぼ満席となった。 遠くは都城市、日向市からも来ていただいた。 ☆今夜は夏の”靜”でのライブのような緊張はなかった。 私は大きなミスも無く、ブルースハープも受けた。 最後は”MOON DANCE"を会場の皆さんと一緒に歌って、大盛り上がりのうちに無事にライブは終わった。 ☆打ち上げをそのまま”SAKA Bar”で。 彫刻グループの山田も来てくれて、打ち上げに参加して楽しんでくれた。 ☆無事にライブが終わったので、さあ明日からは彫刻家に戻ろう。 11月17日(金) ☆雨上がりの晴れ。 しかし雲は多く、風も出て、夕刻からは底冷えてくる。 宮崎県内の山間部では積雪の予報。 ☆一日、明日のライブの練習。 午前は妻との練習。 午後は妻のボーカルレッスンで、講師の片貝さんとのレッスン。 片貝さんとのレッスン中に急に緊張してきた。 緊張すると呼吸が苦しくなって、息が詰まり、ハーモニカの音が詰まってしまう。 ブルースハープは、私なりの奏法を使ってみたら、片貝さんがとても褒めてくれた。 まだまだミスばかり。 ☆ようやくPayPay詐欺の注意がネットで廻ってくるようになった。 次のようなものである。 「○○ペイで返金します」にご注意 国民生活センターが9月にネットショッピングの代金を返金するふりをして逆に送金させる詐欺について注意喚起をしています。 手口と対策は次の通りです。年末を控え、ネットショッピングをご利用になる機会とともに偽サイトも増える時期ですのでご注意を。 <手口> 1. ネットショッピングで注文した商品が届かない。 2.サイト事業者からメールや電話でショップから返金の連絡がある。 3.サイト事業者とLINEでやり取りをする。 4.LINEで送られたリンクをタップすると○○ペイの画面が開き、指示通りに操作する。 5.返金のための操作の指示が、実は送金の操作で被害に遭う。 <対策 > ・「○○ペイで返金します」と言われたら詐欺を疑う。 特に購入時と異なる決済手段だった場合は要注意です。 例えば、銀行振込やクレジットカードで支払ったのに、〇〇ペイでの返金は不自然です。 ☆私が被害に遭った事例と同じである。 私の場合はネットで検索したダイヤモンドディスクの注文での返金詐欺であった。 ラインで返金アプリのダウンロードを指示されて、指示されたとおりにPaypayに加入してPayPayにお金を入れて返金アプリで返金手続きをすると、 失敗しましたと表示が出て、同時に私のPayPay残高が消えていた。 おかしいなと思ってネットで調べてみたが、まだ何處にもPayPay返金アプリ詐欺の情報は出てこなかった。 それで迂闊にもさらに返金アプリを使ってしまって、多額のお金を搾取されてしまってから、詐欺に気付いた。 私が被害に遭ったのは昨年の12月である。 あの時にすでにこういうPayPay詐欺への警告情報があったら、被害は最小限度に済んだものを。 工具の販売サイトでこういう詐欺に遭うのである。 11月16日(木) ☆午前は晴れ。 午後から雲が出て、夜に雨となる。 冷え込みはなし。 ☆午後からハーモニカの練習。 唇の運びがスムーズに行かないので、リップクリームを買って来て唇に塗ってみたが、あまり効果はなかった。 相変わらず、何度練習しても上手くならない。 ☆申請していた海外旅行保険の搭乗機遅延による”旅行事故緊急費用保険”の支払い通知が届いた。 支払い限度額満額が入金されていた。 今月3日の金曜日に書類を投函して、11日には支払い手続きが終わっているので、とても迅速な対応である。 海外旅行保険で支払いを受けたのは、チェコでの怪我治療費に続いて2度目である。 やはり海外旅行保険には這入っておくべきだ。 ☆先日は電話で催促したのに、あいかわらず手漉き和紙の版画用紙が届かない。 とっくに支払いは済んでいるので、葉書で再度の催促を送る。 11月15日(水) ☆快晴。 日中の冷え込みはなし。 ☆ブルースハープの練習をするが、まったく呑み込めない。 CDかDVD付きの教則本をネットで検索して注文する。 でも私は一度に幾つかの作業を並行して作業できない超不器用な人間なので、ライブが終わったら多分ブルースハープの練習はしないだろう。 現在でもやらねばならない彫刻と版画の作業が全く手に付かない。 ☆午後は妻とライブの練習。 まだまだ私のハーモニカ部の入り込みのタイミングが掴めていないし、ミスばかりである。 本番はもう3日後である。 11月14日(火) ☆午前は快晴。 朝は冷え込んだが、日中は陽射しが強く、外に出ると暖かくてジャンパーは不要だった。 午後からは分厚い雲が出て、冷え込んで来る。 ☆午前にO内科で血圧の定期健診。 薬局でO内科医院の「おしらせ」を読んでいたら、インフルエンザとコロナウイルスの予防接種に関する記事で、診察室でよく聞かれる質問として、 「予防接種をした日の夜、お酒を飲んでもいいですか?」と尋ねられることがあると言う。 先日の私の問いと同じだ。 ところがO先生の返答は、”アルコール類を接種(摂取?)しても体の免疫反応には影響はないので飲んでいただいても結構です”、とある。 えっ、先日のワクチン接種時の看護婦の”絶対駄目!”という返答は何だったのだ。 薬が出てくるまでスマホで調べてみると、やはりワクチン接種後に熱が出たりの体調不良が無ければ、飲酒は問題ないとの専門医の記述がある。 何なんだ、ライブでジンジャーエールにする必要は無かったのだ。 ☆午後は独りでハーモニカの練習。 何度やっても上手く吹けない。 しかし、妻が帰宅した夕刻に聞いてもらうと、練習中にはまったく進歩が無かったのに、夕刻にはほぼミスなく吹けた。 やはり努力した成果は出るのだ。 だが、夕食後の妻との練習では、また失敗ばかりであった。 ☆フェイスブック仲間の彫刻家が、現在開催中の日展・彫刻部門を見にいっての画像をフェイスブックで紹介していたが、作品画像をみて仰天した。 新入選という作品の質が出鱈目に低いのだ。 そこいらの公民館レベルである。 そして今回の特選作品も紹介していたが、これまたびっくりするくらいの酷いレベルなのだ。 私はもともと大の日展嫌いなので、日展に足を運んだことは無いが、昔の日展の作家と言うのはもっとレベルが高かった。 日展の歴史を見てみると、何度か改組が行われて、現在は平成26年に改組が行われ、それで今回は新・日展の10回展となっているようだ。 その改組の過程で、入選レベル、特選レベルを底辺拡大のためにアマチュアレベルに換えたとしか思えない。 実は昨年の日展彫刻部門で宮崎市の高校を出た女学生が芸術短大に進学して、過去最年少で初出品初特選を受賞している。 過去の日展ではあり得ないことなので、日展の方向がまるっきり変ってしまったのか、と思った。 私の佐賀大学時代の恩師は日展の作家だった。 恩師が語っていたのは、日展の特選は作品の質によって選ばれるものでは無く、日展への貢献度で選ばれるということであった。 日展の特選作品の全国巡回展と言うものがあるが、その当時に宮崎で開催された巡回展で観た彫刻の特選作品に感心しなかった理由がそれでわかった。 だから日展の特選と言うのは、日展への貢献度だと思っていたので、初出品の21歳の女学生がいきなり特選を受賞することなど考えられなかったのだ。 初出品なんて、日展への貢献度などゼロである。 日展の組織の方向が変ってしまったとしか思えなかった。 そして今回の諸井君の特選受賞も、彼の場合は相応しい実力と経験の持ち主なのだが、やはり35歳での受賞というのは昔の日展では考えられない。 昨年に観た二紀展の宮崎巡回展での彫刻部門も、相当に駄作ばかりでびっくりさせられた。 もはや公募団体展と言うのは、何の存在価値も無いのではないのか。 11月13日(月) ☆晴れ。 この秋、一番の冷え込み。 寒風が吹き荒れる。 高鍋町は宮崎県内で最も低い2,9度。 連日の夏日からいきなり真冬になった。 ☆午前はネットでブルースハープの演奏を調べる。 ☆午後に妻とライブの練習。 昨日よりはミスが少なくなった。 夏の”靜”でのライブは殆どの曲を失敗ばかりで大恥をかいたので、今回は彫刻の仕事も版画の仕事も放棄してハーモニカの練習をしているが、思うように 上達しない。 11月12日(日) ☆おおむね晴天だが、雲の多い一日。 気温は上がらず、しんしんと冷え込んで来る。 ☆午前に妻とライブの練習。 ところが昨日のリハーサルでは大きなミスは無かったものの、今日は再び全くリズムに乗れず、失敗ばかり。 ブルースハープに至っては、完全に逆戻り。 昨日はドラムやベースに助けられてミスが少なかったのだろう。 午後は独りで練習するが、進歩なし。 ☆漁が解禁になったセイコガニ(ズワイガニの雌)が届いたので、夕食はさっそく頂いた。 以前に試しに買った時には何處が旨いのかさっぱり解らなかったが、ネットで調べるとセイコガニの味覚を絶賛している記事が多い。 それで昨年は調理法を調べて、その通りにやってみたらすごく美味しくて、通が好むという意味がわかった。 セイコガニ自体がとても小さいので、かぶりつくと言うのではなく、内子と外子を味わいながら旨い日本酒と共にしみじみといただくのは大人の作法だ。 小さいセイコガニを部位ごとに解してゆくのは大変手間がかかるが、それだけの味覚がある。 妻も美味しさに気付いてくれた。 来年も取り寄せよう。 11月11日(土) ☆午前は曇天。 昼前から天候は回復。 ☆宿泊したホテルは天然温泉のホテルである。 昨夜は温泉に這入る時間も無かったので、今朝、起き抜けに温泉に這入ってみた。 泉質は塩味でヌルヌル・スベスベしていてとてもいい感じである。 道向かいにも新しい温泉施設ができている。 こんな宮崎市内の中心部に温泉が出るのかと思ったら、温泉は大淀河畔のたまゆらの湯から直送しているとのこと。 そして朝食は無料である。 来年からの空港展の宿泊はこのホテルが良いかもしれない。 今年まで長年使って来たホテルは、コロナ禍のダメージで大浴場が廃止となり、すごく重宝していたポイントカードも廃止となった。 このホテルだと飲み屋街により近いし、天然温泉で朝食も無料、アプリでポイントも貯まる。 ☆8時過ぎにホテルをチェックアウト。 ホテルはチェックアウトの手続きも無し。 ☆午前に妻とライブの練習。 ワクチン接種の影響か、熱は無いが、頭がボンワリする。 ☆11時半から、ライブのサポートミュージシャンの方たちに来ていただいて、ライブのリハーサル。 今日の私の演奏は、完璧な演奏は出来なかったが、大きな間違いも無く、まずまずだった。 心配していたブルースハープの演奏は、片貝さんと妻からGOOD!をもらって一安心。 本番まで残り1週間で、さらに練習を積もう。 ☆夜はピザを焼き、たっぷりとワインをいただく。 我が家レストランが一番美味しい。 11月10日(金) ☆夜中から雨。 雨は午後には上がったが、夕刻からは再びぐずつく。 ☆午前に妻とライブの練習。 ☆午後にコロナワクチンの7回目接種。 接種自体はこれまでに接種後に発熱等の副作用があったのは一度だけなので、今回も夕刻から腕が痛くなっただけで済んだ。 問題は、接種後の飲酒である。 ネットで調べると激しい運動と呑み過ぎは控えるとあって、接種後の飲酒はいけないとは書いてない。 だが接種時に確認すると、お酒は絶対駄目と言われて、正直者の私はすっかり落ち込んでしまった。 と言うのは後述するように、今夜は妻と宮崎市に出て呑むので、ホテルを予約してあったのである。 飲めないのならホテルに泊まる必要は無い。 それで接種後に帰宅してホテルのサイトでキャンセルについて調べると、キャンセルは当日の午後3時までとあり、もう3時半を廻ってしまっていたので キャンセルは出来ない。 こんなことなら、ホテルを取るべきでは無かった。 ☆今夜は妻のヴォーカル講師の片貝さんが、2枚目のCDをリリースした記念のライブが開催されたので、夕刻から宮崎市へ出る。 前述のようにお酒が呑めないので、私はジンジャーエールを注文。 ☆ライブが終わって、繁華街へ食事に出るが、妻は呑みたいのでワインカウンターの店へ。 気楽に立ち寄れるお店で、殆どは若い女性客、以前に妻と行った時にすごく印象がよかった。 しかしメインの食事に行く店ではないので、つまみのメニューでは食事をした気にならない。 ☆ワインカウンターを出て、お酒を呑まなくてもお腹を満たせるところはないかと考えた結果、お寿司ならと寿司店に這入った。 ところがその寿司店のメニューには価格表示が無く、かつては宮崎キャンプで巨人軍の長嶋茂雄監督がよく来ていた店だった。 今夜も秋の宮崎キャンプ中の巨人軍選手が、奥の部屋で呑んでいた。 結局、高額な支払いとなって、うつうつした気分でホテルへ帰る。 11月9日(木) ☆午前は曇天。 午後は天候が回復して晴れるが、天候は下り坂。 昨日のような冷え込みはなし。 ☆午後は独りでハーモニカの練習。 ブルースハープの本は次第に専門用語が出て来て、さっぱり理解できなくなってきた。 ユーチューブで、@三人サイトーというミュージシャンの”ブルースハープを、うまそうに吹くトレーニング!”というのが面白かった。 これなら何んとか演奏できると思ったが、夜に妻と練習してみたら思うようにはいかなかった。 ☆以前にこの日記にも書いたかと思うが、今、世界中の美術大学で”彫刻科”が無くなってきている。 アメリカの美術大学はもうほとんどがそうらしいし、今日はフェイスブック仲間が日本の美術大学でも彫刻科廃止の流れを嘆いていた。 これから確実に美術大学で従来の彫刻の授業は無くなり、彫刻家は育成されなくなる。 確実に彫刻家は絶滅芸術家種である。 私たちの空港展も若い作家はほとんどいない。 だからこそ、宮崎県美術展と宮日総合美術展を統合してスタートしたみやざき総合美術展が、従来の彫刻部門の見直しを全く行わなかったというのが信じられない。 関係者がまったく世の中の流れに対して無知・無能すぎる。 11月8日(水) ☆晴れ。 一気に冷え込んできた。 夜明け前の空には24日の三日月と明けの明星が煌々と輝いていた。 ☆今日は父の41回の命日(1983年没)。 父は朝のうちに亡くなったが、当日の朝はとても冷え込んで、真冬並みに吐く息が白かった。 そういえば昨年の今日は宮崎県文化賞の授賞式で父の40回目の命日と重なり、感慨深い一日だった。 ☆午後は、妻とライブの練習。 そのあと、なかなか旨く吹けない曲を独りで練習していたら、次第に頭が痛くなってきた。 ☆本棚から、昔買ったブルースハープの吹き方の本を引っ張り出して目を通す。 ハーモニカの吹き方そのものは中学高校時代にかなり練習しているので会得しているのだが、ブルースハープとしての使い方をまったく理解できていない。 11月7日(火) ☆晴れ。 今日は宮崎県内で25度以上の夏日になったところはなく、Tシャツで外出すると肌寒かった。 夕刻からはぐんぐんと冷え込んで来る。 ☆午後はずっとハーモニカの独り練習。 何度練習しても間違わずに演奏できるレベルに無い。 ☆佐賀の諸井君にお祝いの酒を送る。 酒店のご主人と話していたら、ご主人の友人で都城市の呉服屋さんが私の作品のファンで、私の作品も購入されてご自宅に置いてあるという。 そんな方がおられたとは咄嗟には思い出せない。 私の「月の雫」も買っていただいたと言うし、彫刻展にも顔を出されると言う。 ☆体調はかなり落ち着いてきた。 左手の甲の赤黒い打撲痕は、おそらくポルトガルのハード作業で、230mm大口径のグラインダーで必死に作業をしていた時の疲労痕だ。 グラインダーを握りしめていた左手の親指も、疲労骨折しているのではないかと思えるほど、痛みが取れない。 11月6日(月) ☆夜明け前に雨。 日中は晴れて、午後からは雨雲が出たが、雨にはならず。 今日も気温が上昇。 夜中は羽毛布団が暑くてたまらなかったし、日中は宮崎市が29度を記録。 お隣の西都市も28,4度で、西都市は6日連続での夏日。 ☆一日、ライブの練習。 午前は妻との練習と私の独り練習。 午後からは妻のボーカルレッスンで、講師の片貝さんとライブの練習。 結果的に、私が一向に上達の見込みのない曲は私のジョイント演奏が外された。 ☆ポーランドの作家から、来年の空港展への参加打診。 先日のポルトガルでも空港展の話題になり、主催者のアルリンド、招待作家のザオ(中国)、ザナン(トルコ)が積極的に参加を表明。 (招待作家のヤン・リュー(中国)とアクタム(シリア)はすでに過去に参加済み) 空港展は来年度から通常の国際展に戻る。 11月5日(日) ☆晴れ。 今日も日中は暑い陽射し。 ☆ハーモニカの独り練習と妻との練習。 殆ど進歩なし。 ☆午後に、溜まっていた新聞記事のスキャン作業。 ☆高鍋駅前「ムーンダンス」の制作アシスタントを勤めてくれた佐賀の諸井君が、日展で特選を受賞。 私のアシストでも、具象作家にもかかわらず優れた才能の持ち主だったので呑み込みも早く、巨漢の体力でぐいぐい作業を進めてくれた。 「ムーンダンス」は素晴らしいアシスタントにも恵まれた。 ☆体調はまだ恢復途上である。 11月4日(土) ☆快晴。 今日も宮崎県内は各地で夏日。 お隣の西都市は27,7度を記録。 ☆一晩中、体調不良でまんじりともせず過ごす。 朝食も喉を通らない。 今朝は宿酔でもないので、呑み過ぎた訳でもない。 それで病院で検査してもらうことにしたが、行きつけのN胃腸専門内科は休業、かかりつけのO内科はコロナ患者の駐車場対応でてんやわんや、それで胃腸専門の 名医で名高いS胃腸科医院へ行く。 S胃腸科医院へ行くのは初めてであった。 昨夜の状況をお話し、今年は大腸憩室炎を2度発症していることなどお話しする。 だが血液検査の結果は、白血球も正常値で炎症反応は無し。 したがって大腸憩室炎もありません、と言うこと。 考えられるのは、酒宴の刺身によるアニキサスかな?、しかしそれは食べてから5,6時間後に発症するし、ものすごい激痛なのでそれでも無いようだし、特に問題も 無いので薬も出しません、と言う結果であった。 医科学的に何の問題も無いと言うことで安心はしたが、きつさは変らない。 これまでにも何度か酒宴中に昨夜のような腹痛(胃痛)を起こして、病院へ担ぎ込まれたり救急車で宮崎まで搬送されたこともあったが、何れも検査の結果は どこも異常なし、であった。 今回も全く同様である。 今回の場合は、やはりポルトガルからの体調不良が続いているとしか思えない。 ☆病院から帰って来ると、妻からライブの練習の指示。 ふらふらしながらハーモニカを吹く。 ☆午後はやはり体調思わしくなく、夕刻まで寝室で寝て過ごす。 ☆今夜はピザの予定だったので、予定通りに作るが、やはり体調不良だと味覚も狂ってしまう。 夕食の後は、ライブの練習。 ☆練習の後は、早々に床に就く。 11月3日(祝・金) ☆快晴。 今日も日中は暑い陽射し。 ☆午前に、妻とライブの練習。 ☆海外保険会社から、飛行機遅延による宿泊費等の請求書類が届いていたので、午後に必要添付書類を揃えて請求書を作成。 夕刻に投函。 ☆独身時代によく通った宮崎市内のスナックのママ・Mさんが帰ってこられ、今夜は30数年ぶりに高鍋町内の居酒屋で再会の宴。 Mさんは高鍋町の出身で、高鍋高校の先輩でもあり、色々お世話になった。 今回はそのスナックの常連のお客さんたちによる同窓会が開催されるのに伴って帰郷されたということ。 当時によく通った黒木・高鍋町長の主催の宴で、当時お店のカウンター内で働いていた方たちも同窓会のために全国各地から参集された。 ☆ところが宴もたけなわとなったところで、私に体調の異変。 猛烈な腹痛がしてきて、トイレに駈け込むが激痛は収まらず、結局それで宴はお開きとなり、皆さんに迷惑をかけてしまった。 家に帰っても激痛は収まらず、トイレに行っても吐いたり下痢をしたりの症状も無い。 悶々と苦しい夜を迎えることになった。 最近、胃がとても小さくなって食事の量が半分くらいになってしまったので、ポルトガルからの疲れが胃腸に来ているのだろう。 11月2日(木) ☆快晴。 今日も宮崎県内は各地で夏日となった。 ☆午前に、ポルトガルの台座の図面を仕上げて、主催者へ送付。 ☆午後は独りで、ライブの練習。 私はブルースハープがうまく吹けないので、ユーチューブでいろいろ見てみたが、結局は役にたたず。 場数を踏んで会得するしかないようだ。 夜には妻と練習。 まったく進歩なし。 あと2週間で本番である。 11月1日(水) ☆快晴。 今日も日中は陽射しの強い夏日。 ☆今日から11月。 今年も残り2か月となった。 午前に、兄弟空港展から搬出してきた版画作品の整理。 来年3月には妻との版画二人展が控えているので、そろそろその準備に這入らなければならない。 ☆ところで9月初めに発注した版画用の手漉き和紙が、全く届く気配がない。 料金はとっくに引き落とされているし、メールで催促しても何の返信も無い。 それで午前に発注先に電話を入れた。 電話には東北弁の女性が出たが、状況を話しても”仕事が立て込んでいて・・・”と繰り返すばかり。 ウエブサイトには1〜3日で納入と明記されている。 発注してもう2か月になる。 ☆午後は妻とライブの練習。 こちらものんびりしていると、すぐにライブが近づいてくる。 新曲にブルースの曲があり、それでSUZUKIのマウスオルガン(ブルースハープ)を注文していたら、練習中に届いた。 さっそく吹いてみたら、私が今まで持っていたブルースハープとは全く音色が違う。 海外のハーモニカ奏者がSUZUKIを使うのが合点がいった。 ☆ポルトガルからシンポジウム作品の台座図面を送るように催促があったので、図面を引く。 |
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