Back to toppage このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。 過去の日記 2023 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2022 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2021 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2020 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 |
2023 | 8月31日(木) ☆雨。 今朝はもの凄い豪雨。 先日の台風よりひどい風雨に襲われた。 今日は二人展の最終日で、作品搬出に妻の車が必要なため、今日は一日勤務の妻を朝に勤務先まで送った。 その時が一番の豪雨で、道路はずっと冠水していた。 午後にも再び激しい風雨。 ☆カレーカフェ”靜”二人展、最終日。 雨が小降りになった時に、版画を納める箱を積み込んで”靜”へ。 この激しい雨では誰も来ないだろうと思っていたが、雨が小康状態の時に結構の方に来ていただいた。 搬出も、雨が小降りの時に積み込みが出来た。 ☆今夜はスパーブルームーンの満月である。 しかし昨日今日は雨で月が出ないので、13夜の一昨日に”靜”のスタッフが”MOON DANCE”と満月とのコラボの映像を撮ってくれていた。 スタッフは映像専門のプロで、最近に”静”のスタッフに加わった方で、その映像は息を呑む美しさである。 映像に音楽を入れたいということだったので、山本恵理さんのニューヨークでのピアノだけでの演奏の”MOON DANCE”を使ってもらった。 これが完璧な仕上がりである。 さっそく”永久保存版”としてラインでみんなに送り、メッセンジャーで山本さんにも送った。 山本さんからはハートマーク3つが返って来た。 ☆こうして、私の制作した”MOON DANCE”が大きなうねりを起こしてきている。 高鍋町民の方たちが、ようやく高鍋町の宝物が出来たと喜んでおられる。 私が何も仕掛けなくても、この”MOON DANCE”が多くの人々を鼓舞させている。 素晴らしいことだ。 この齢になって、こんなすばらしい仕事に巡りあえて、私はとても幸福である。 ☆今日で8月も終った。 8月はずっと二人展の展覧会とライブの準備で費やした。 充実して目まぐるしい日々だった。 しかし満ち足りた日々だった。 世間では異常な暑さの夏だと騒いでいたが、暑さはほとんど感じなかった。 今夜はピザを作って、美味しいワインで妻と乾杯をする。 今夜のピザはとても美味しかった。 8月30日(水) ☆晴れ。 天候は不安定で、午後に嵐のような激しい驟雨。 カレーカフェ”靜”の店内に真横からの雨が降り込んで、床は水浸しになる。 ☆カレーカフェ”靜”二人展、14日目。 今日は開店早々から知人が来てくれたので、昼前から会場へ。 先日ライブの案内を出していた駅前モニュメント設置関係者の方も、当日は都合がつかなかったのでと顔を出していただいた。 妻は午前は勤務だったので午後から来る。 8月29日(火) ☆晴れ。 時々のにわか雨。 ☆午前に、三兄と10月の宮崎空港兄弟展の打ち合わせ。 今回の兄弟展は兄の個展がメインで、私は兄の作品数が揃わないので手助けしてくれと頼まれての賛助出品である。 兄の下書きした”あいさつ”文では、2人の作品集出版を記念してと表記してあったので、私の件は削除した。 いまさら「月の雫」の出版記念もないし、もしそうであればきちんとした対応の個展にしないと失笑ものである。 夕刻までに、DM用の私のデータを、デザイナーへメールで送る。 ☆カレーカフェ”靜”二人展、13日目。 お昼過ぎから会場へ。 毎週火曜日は、”靜”で出張マッサージをやっておられる。 私は最近首筋から肩凝りが酷くて、昨日の夕刻にたまらず自宅のマッサージ機でマッサージをしたばかりだったので、私も体を解してもらった。 どうやら私の体中の張り、特に肩や首筋は私の猫背から来ているようだ。 ☆油絵を描きながら美大受験を目指していると言う女の子が訪ねて来た。 新聞を見て、”人生相談”に来たようだ。 かなり精神的なダメージを受けていて、幻覚を見るようになったので、その幻覚を絵に描いていると言う。 しかし芸術家にとっては大きな不安や幻覚は表現の糧になるものだし、芸術家は殆どの人が普通じゃないから心配いらないと言う話をする。 私のこれまでの生き様を語りながら、色んな事を話してあげると、次第に表情が明るくなってくれた。 おそらく通っている画塾の先生も、高校時代の美術の恩師も私のような話はしてくれないのだろう。 8月28日(月) ☆晴れ。 天候は不安定で、重い雲が湧く。 夜になって驟雨。 ☆夜明け前に、先日のライブのサポートミュージシャンである片貝さんから、カレーカフェ”靜”のスタッフの撮った動画や彼女の撮った画像や動画を編集した ”MOON DANCE”の編集ビデオが届いた。 ユーチューブにアップされた動画だった。 ライブの動画だけではなく、駅前モニュメントの”MOON DANCE”の画像資料、版画二人展の様子なども取り込まれていて、まさに”MOON DANCE”の全体像を アピールする素晴らしいビデオになっている。 私の演奏も大きなミスも無く、人様に見てもらっても問題ない演奏内容だった。 よくもこんな短期間にこれほど充実したビデオを編集できるなんて脱帽である。 早速、午前のうちにラインで友人知人にユーチューブのURLを送り、Facebookにも投稿する。 ☆カレーカフェ”靜”二人展、12日目。 バタバタしていて、ようやく午後になって会場へ顔を出す。 私が行く直前まで、駅前モニュメント制作でお世話になった設備会社の方たちが版画二人展を見に来られていたようだ。 ☆いちにち、10月の空港での兄との二人展の資料作成。 出品する作品の画像等のデータが、保存していたHDDの破損で消失してしまっているので、なかなかスムーズに進まない。 8月27日(日) ☆晴れ。 午後に激しい驟雨。 ☆昨日のライブの画像を、片貝さんと”靜”スタッフのカメラマンから夥しい数が送られてきたので、午前はその画像から数枚を選び、Facebookに投稿する。 ☆昼前に高鍋大師へ上がる。 待ったなしの防災対応工事が進んでいるので、その確認。 幾つか気になることがあったので、担当部署に報告。 ☆カレーカフェ”靜”二人展、11日目。 お昼過ぎに妻と二人で会場へ。 今日は日曜日なので、お店のお客も多かった。 知人が日向市から版画二人展に来られて、私の版画を買っていただいた。 そうしたら、その方の亡くなった友人が”靜”のマスターの親友であったことが分り、しかもマスターは一昨日にその親友の墓参に行って来たばかりだと言うことで、 びっくりであった。 ☆一方、昨日はライブの前に、永住していたハワイを引き揚げて帰って来たばかりだという私の下の妹の友人が、ご主人と版画展に来ておられた。 実は彼女は、妹にお願いして彫刻のモデルになってもらったことがある。 だが夜の外出は駄目という実家のお叱りで、モデルをやってもらったのは1回限りで、デッサンだけで終わった。 私は断捨離を始めてから、過去の作品データをスマホに保存しているので、その時のデッサンを彼女に見せてあげた。 彼女は私と会ったことは覚えていたが、モデルをしたことはもうすっかり記憶に無かった。 しかしデッサンが欲しいと言うことだったので、今日になって妹にラインで画像を送り、妹から彼女に転送してもらった。 妹もそんなことがあったのは記憶から抜け落ちていた。 日記を調べると、1978年8月のことだから、実に45年ぶりの再会である。 最近はこんな58年ぶり、50年ぶり、43年ぶりとかいう再会が続く。 ☆ライブの練習が終わってホッとしたところへ、空港ビルの石尾さんから10月の兄弟展のデータ資料の催促が届いた。 兄弟展まで残り一月なのだ。 これはのんびりしておれない。 次から次に忙しさが途切れない。 8月26日(土) ☆天気予報では雨だったが、私は晴れ男なので日中は晴れた。 夕刻に2度、激しい驟雨が襲ってきたが、雨はそれで止まった。 ☆午前は今夕のライブの諸準備と練習に費やす。 練習では苦手な曲を何度も練習し、それから一通りに全ての演奏曲を確認の練習をする。 ☆午後2時半からカレーカフェ”静”に這入り、ライブのセッティング。 私は前回の南町公民館のライブでは、ドラムとウッドベースの間に立ったらすごく安心感があり、まったく緊張しなかったので、今回もその位置にする。 ところが音出しに這入ったら、持って来たハズの私のハーモニカが無い。 私のマイクや楽譜を入れたバッグを何度も確認するが、無い。 家を出る時にハーモニカがいつもの場所には無いことを確認していたので、ちゃんと持って出たことは確かである。 しかし幾ら捜しても、”靜”に持って来たバッグ等の中には無いので、自宅に戻って確認するが、やはり自宅からは持って出ている。 訳が解らず、もう一度”靜に持ち込んだ荷物を点検すると、妻の持ち物のバッグに私のハーモニカだけが這入っていた。 私は今日はその妻のバッグには触っていないし、目にもしていない。 最近、どうもこういう妙なことが起きる。 そしてこの出来事が、今日の私のライブの失態に繋がってしまったようだ。 ☆4時からライブ開始。 お客さんは31名来てくださった。 中には新聞記事を見て来てくださった方たちも多かった。 プロのミュージシャンのライブでもこれほどの人はなかなか集まらないと言うことである。 ☆ところが演奏が始まると、私は久しぶりにものすごい緊張でハーモニカを持つ手が震え始めた。 そしてあれほど練習してきたのに、楽譜が見えなくなって演奏できなくなったり、音を外したりと散々な大失敗から始まってしまった。 これまでのライブで、緊張でこんな音も出なくなる失敗はやったことが無い。 観客席がまったく目に這入らない。 ☆肝心の、今日の目玉である”MOON DANCE”も散々な出来だった。 前半が終わって、休憩時間に友人知人たちから声をかけてもらってやっと落ち着くことができた。 ☆後半の演奏も、おおよそはうまく行ったのだが、最も私の聞かせどころのあるユーミンの曲で、これまでになくすごくよくできた演奏が出来て、これで名誉挽回と 思っていたところで、最大のハイライトで音を外してしまい、ガタガタの最悪の演奏になってしまった。 幸いにも、残りの曲は巧くハーモニカを吹けて、アンコールでもう一度”MOON DANCE”を演奏したら、無事にミスも無く終えることができた。 ☆散々なライブだったが、巧く演奏できた部分では、これまでで最も美しく演奏できたし、ウッドベースの中村さんは今日の演奏が一番良かった(全体で)と言ってくれた。 お客さんたちも、素人には失敗したところは全く分からないので、ハーモニカがすごく良かったと言って貰えて、少し安堵する。 とりわけ、口笛のパートはすべてうまく行ったので、皆さんの胸に突き刺さってくれたようだ。 ☆演奏を終えて、町内の居酒屋で打ち上げ。 このセッションメンバーのグループを、”SETSU Band”と名づけて、ロゴマークにムーンダンスの図柄を入れたTシャツを着て演奏しよう、ということになった。 8月25日(金) ☆晴れのち曇り。 昼ににわか雨があったが、雨上がりに外に出ると、いつもならむっと非常に蒸し暑いのに、今日はとても涼しかった。 夜も寝室にエアコンは要らなかった。 確実に秋めいてきている。 ☆明日のライブのために、午前は妻からの特訓でハーモニカの練習。 ようやく1,2曲はミスなく吹けるようになった。 ☆カレーカフェ”靜”二人展、9日目。 昼に妻と会場へ出かける。 今日はお店へのお客もなく、ひっそりとした店内であった。 私は明日のライブでの音出しのために、”靜”の近所のお宅を廻ってライブの告知をする。 その中であるお宅の玄関を開いたら、現れたのは私の小中校時代の同級生の女性。 中学校卒業以来の再会で、お互いに相手が誰だか瞬時にわかった。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 明日のライブに向けての最後のレッスンで、プログラム通りに流す。 しかし午前の妻との特訓ではうまく行ったのにまた乱れてばかりになってしまった曲や、午前の特訓では何度やっても上手くハーモニカが吹けなかったのに、 午後は一発で吹けたり。 ただ少しは希望が見えて来た感じである。 8月24日(木) ☆晴れ。 今日も蒸し暑い残暑。 ☆午前は2日後のライブに向けて、一人でハーモニカの練習。 いくら頑張っても、一度もミスなく吹くことができない。 ☆カレーカフェ”靜”二人展、8日目。 お昼過ぎから会場へ詰める。 今日は日向市から来られたフェイスブック友だちの方のみ。 ☆夜はジャズスポット”ドルフィー”での山本恵理さんのライブに妻と出かける。 山本さんは何度も書いているように、ニューヨーク在住のジャズピアニストで、今年の1月6日の高鍋町ライブの時に私の”MOON DANCE”制作現場を訪ねて来られた。 そしてニューヨークに帰られて直ぐに”MOON DANCE”という曲を作詞・作曲してくださった。 その”MOON DANCE”を私と妻は明後日にカレーカフェ”靜”でのライブで演奏しようとしている処へ、急遽、山本さんの高鍋ライブが決まった。 今夜のライブではこの”MOON DANCE”の初披露があり、ライブの客全員で親しみやすい柔らかなメロディーを合掌した。 あまりにも運命的な出来事である。 山本さんは、実は高鍋町にはこれまでに8回ほど来られていて、高鍋町が気に入ってプライベートでも来ておられるのだと言う。 それで歌詞には高鍋町のことがよく表現されているのだ。 今日は高鍋町に着いて、”ドルフィー”に楽器を下した後に、メンバー全員で高鍋駅前の”MOON DANCE”を見に行かれたようだ。 1月の時点ではまだ”MOON DANCE”は横になった状態だったので、立ち上がった”MOON DANCE”の大きさにびっくりされたということ。 打ち上げにも誘われたので、参加する。 8月23日(水) ☆夜中に雨。 日中は蒸し暑い晴れ。 夕刻から雨の予報だったが、雲は出たものの雨にはならず。 ☆午前は、3日後に迫ったライブに向けて、妻と猛特訓。 ☆カレーカフェ”靜”二人展、7日目。 お昼に妻と二人で会場へ。 ほどなく連絡のあった友人が2名で来訪。 そして私の作品も購入していただいた。 ☆お客の絶えた午後、”靜”の店内から駅前ロータリーを眺めていると、”MOON DANCE”の建立趣旨銘板をカメラに納める人、熱心に建立趣旨を読まれる人、 そしてロータリーの周辺のごみを丁寧に拾って綺麗に環境整備をされているグループ等あって、ずっと眺めていても動きが面白い。 ☆夜になって、ロシア・ウファーのネリーから、私の作品を愛しんで撫でている動画がインスタグラムに届いた。 彼女は定期的にこうした動画を送ってくれる。 ネリーは作品設置時のセレモニー時に、たまたま私の作品の傍らを通りかかってポーズを取ってくれた美大の女学生だった。 彼女のポーズがプロのモデル並みの美しさだったので、私はずっとウファーの作品は彼女が寄りかかっている姿と一緒に発表している。 それだけに、彼女にとっても私の作品は思い入れが深いのだろう。 8月22日(火) ☆晴れ。 非常に蒸し暑い残暑。 宮崎では8月末の残暑ぶり返しが厳しい。 天候は下り坂で、夜ににわか雨。 ☆カレーカフェ”靜”二人展、6日目。 前半は妻が在廊し、午後は私が在廊する。 今日も版画展目的の来訪者は無し。 ただ昨日に撮ったインスタグラムの画像を、今日は私と妻のラインで送ったら、大反響だった。 とくに私の傍らでダンスを披露してくれている”靜”の従業員の”たかと”君の人気が、一躍超人気に。 ”たかと”君は俳優を目指している好青年である。 ”たかと”君に会いに”靜”へ行きたいと言う声が殺到した。 ☆私は午前に、”MOON DANCE”設置の関係者宛に26日のライブの案内を作成して、投函する。 ライブで披露する山本恵理さん作詞・作曲の”MOON DANCE”を聞いて欲しいのである。 ☆お客の来ない”静”の店内から駅前の”MOON DANCE”を眺めていた。 天候が下り坂なので、雲の動きが次々に変化していって、とても飽きない面白さである。 慌ててスマホを構えてロータリーへ走って写真を撮り、帰宅してFacebookに投稿した。 そうしたら例のウクライナのキュレーター・カテリーナ(現在はドバイ在住)から、次のようなコメントが届いた。 彼女が私の投稿をシェアし、彼女のページで発信したものである。 ” 親愛なる 読者 、もしあなたが IKIGAIの日本の哲学を見つけだすためにもっと良くて、そしてより近くなることを望むなら、私はあなたにHitoshi田中氏のページを 訪問するように助言する。 Hitoshi田中氏は世界に名高い日本の彫刻家である。 彼のミッションは人々のために素晴らしい世界を作って、我々に世界の美しさを見せること、そして我々がこの面白い調和を通して我々自身を知って、 我々の熱情を開くのを手伝うことである。 彼の仕事は生活に、人々に、世界に、自然に、銀河のために愛で満たされている。 あなたが彼の鼓舞的な彫刻を見るとき、それはそれ自身が無限点であると感じるであろう。 それはあなたが神秘的な世界に入っているかのようである。 Hitoshi田中氏は我々、世界全体、その時の重要性、感謝、注意、生活の価値に話をする。” (翻訳ソフトの直訳) 8月21日(月) ☆晴れ。 午後ににわか雨が降ったが、直ぐに快晴に戻る。 ☆カレーカフェ”靜”二人展、5日目。 午前から午後2時までは妻が会場に詰める。 今日は妻の友人が2名来訪され、カフェのお客が数名、二人展を見ていただいた。 今日は月曜日で、カフェのお客自体も数えるほどだった。 ☆私は午前は、昨日のうちに作成して印刷していた、画廊喫茶シベールの二人展への礼状葉書の宛名書き。 ☆午後は礼状葉書を投函して、高鍋大師へ上がる。 観光協会から依頼されていた大師石像の地震対策について、現場で考察。 しかし、見れば見るほど、素人作業で組み上げた石像の構造は怖い。 やはりまずは地震に関係なく、最低限度でいいから落下する危険の大きい取り付け部をしっかり心棒と接着剤で固定する必要がある。 だが意見を求められた私の提案は、諸事情で受け入れられなかった。 ☆高鍋大師から直接にカレーカフェ”靜”へ向かう。 妻の帰った後にはカフェへのお客は殆どなかった。 早めに帰ろうとすると、”靜”がインスタグラムに上げる動画の撮影中で、急遽、私たちの版画展とライブの告知動画を撮ることになった。 編集された動画が夜にラインで届いたので、Facebookでシェアする。 ☆中国・青島での彫刻展の画像が、私を推薦してくれた台湾のアートディレクターから送られて来た。 それで、青島の後に開催されるイ坊での彫刻展に、青島に行けなかった私たちを招待するという情報について問いあわせてみた。 確かにそういうプランがあるが、まだ詳細は決まっておらず、そのうちに連絡があるということ。 ネットを調べると、8月15日のビザ申請代行業者の情報で、中国のビザ申請の制限がかなり緩和されてきているらしい。 指指紋の採取も停止されたということ。 8月20日(日) ☆今日も非常に蒸し暑い晴れ。 ☆カレーカフェ”靜”二人展、4日目。 今日は新聞に載って初めての日曜日なので、妻と2人でギャラリーに詰めた。 しかし、新聞を見て二人展を観に来られたのは、後述する方、1名のみであった。 ☆今日は小山・高鍋町副町長夫妻の定例ライブの日であった。 小山副町長はウッドベースを演奏されて、毎月1回は”靜”でライブをされ、町内の色んなイベントでも演奏されている。 ”靜”でのライブは、小山夫妻の演奏を中心に、毎回色んな方が参加されているようで、今日は都城市の姉妹デュオ、日向市の”藤井風”スタイルのシンガー青年が 出演した。 ステージは午前11時半から午後3時過ぎまでの2ステージであった。 お昼からは、日曜日なのでカレーを食べに来られるお客で満杯になった。 ☆新聞を見て都城市から電車で来たという方が、昔、私と一緒に仕事をしたと言われる。 全然心当たりが無かったが、話していたら、私が陶壁画の仕事をしていた時に、姉弟で仕事の手伝いに来たことのある当時まだ大学生だったM君だった。 43年ぶりの再会になると言う。 彼はその後、建築設計士として大成し、宮崎県立美術館や南九州大学の建築設計を担当したのだと言う。 私の制作活動のことは随時、新聞等で見知っていると言う。 今日は大分へ向かう途中に高鍋駅で途中下車をして、駅前ロータリーの”MOON DANCE”を丹念に見て、ダイレクトに”靜”へやって来てくれた。 ☆展覧会の始まった中国・青島の青島彫刻美術館での彫刻展の様子を、無事に青島へ行くことのできた作家たちがFacebookに投稿している。 友人の彫刻家が私の作品の展示の様子の画像を送ってくれたが、海沿いのガラス壁沿いの最高の環境に設置してあった。 この私の作品の石は、青島産の”雪華石”である。 私が青島の業者から、直接に個人輸入で買ったものである。 つまり、私の作品にとっては産まれ故郷に帰ってきたわけである。 ☆友人の話では、この展覧会は青島の次にイ坊市で開催されるので、ビザが取れずに青島に来れなかった作家たちはイ坊市に招待されると言う。 だが青島での会期は9月28日までで、それからイ坊市に作品を移動して展示作業をするとなると、招待は9月末か10月初めになる。 しかし私は、10月1日からは宮崎空港での兄との二人展が始まり、9月30日が搬入である。 兄との二人展が始まったら、直ぐにポルトガルへ飛ぶ。 それに、先だっての福岡領事館でのビザ申請は9月21日以降の申請しか受け付けていなかったので、ゆっくりしていると9月末のビザ申請はもう受付枠が 無くなってしまっているのではないのか。 8月19日(土) ☆雨上がりの蒸し暑い晴天。 ☆今朝の宮崎日日新聞にカレーカフェ”靜”での二人展の記事を掲載していただいた。 殆どのギャラリー記事は最終日辺りに掲載されるのが常だが、今回は迅速に対応していただいた。 ☆カレーカフェ”靜”二人展、3日目。 新聞記事掲載の日は来客があるので、妻が昼過ぎまでカフェに詰めたが、今日のところは新聞を見ての来客は無かったと言うこと。 しかし妻のSNSでの発信には多くの反応があったと言うことである。 ☆午後に、26日のライブのリハーサル。 私は午前はずっと一人で練習をしていたので、昨日までの妻との練習よりは少しはマシになっていた。 やはり打楽器とウッドベースが加わると、私も合わせやすい。 しかし前回のライブではうまく演奏できた曲が、今ではまったく吹けなくなっている。 8月18日(金) ☆夜明けてから凄まじい雷雨。 日向灘の海岸添いに線状降水帯が発生したようで、宮崎県内の海岸沿いは軒並み8月の観測史上最大の降雨量となった。 高鍋町は1時間の降雨量が53,3ミリを記録。 高鍋町内では各地で落雷による停電が発生し、防災行政無線が故障して、時報のミュージックチャイムが停止した。 午後はしばらく小康状態であったが、夕刻から再び激しい雨となった。 我が家では自宅工房のモルタル壁が落下したが、雨漏りはなかった。 ☆カレーカフェ”靜”二人展、2日目。 妻が激しい雨の中を出かけて行った。 ”靜”はインスタグラムを活発にやっておられるので、都城市からインスタグラムを見た大学生グループがやって来て、マグネットを買ってくれたという。 私は事務作業が山積しているので、自宅でデスクワーク。 ☆思いがけない吉報が飛び込んできた。 ”MOON DANCE”の曲を作詞・作曲していただいた山本恵理さんが現在国内ツアー中で、九州は今月25日に宮崎市で、26日は熊本市でライブされる。 山本さんからは25日の宮崎市内でのライブにお誘いしていただいているが、翌26日が”靜”でのライブ本番なので出かけるのは無理だろうと思っていた。 ところが夜になって、突然に、24日に高鍋町でのライブが決定!との案内が届いた。 これで事前に、リハーサルで録音した私たちの”MOON DANCE”を山本さんに聞いていただける。 8月26日のライブ日程は、私たちのスケジュールでその日になった。 そこへオーバーラップするように、同時期での山本さんの国内ツアーが決まった。 そして、なんと今日になって私たちのライブの2日前に山本さんの高鍋町でのライブが決まったのである。 なんという奇蹟的な邂逅であろうか。 8月17日(木) ☆晴れ。 午後半ばから雨模様。 ☆カレーカフェ”靜”での版画二人展初日。 今回は期間中のライブがメインだし、版画展は先日までの画廊喫茶シベールでの展示が主眼だったので、カフェでの版画二人展のDMは作成していない。 それで、昨夕に展示作業が終わってから、ネット発信用の版画展案内の画像データを作成し、Facebookでは昨夜のうちに告知し、今朝はラインで告知した。 ☆11時の開店と同時に宮崎日日新聞高鍋支局の取材。 今回はDMを作らなかったので事前案内が出来ず、昨夕に慌てて資料を作成して支局に届けていた。 宮崎市の本社文化部の対応と違って、直ぐに取材に来ていただいた。 ☆そして今回のカレーカフェでの二人展は、カフェに来られるお客さんに見ていただければよいと思っていたので、DMも作らなかったし、期間中はたまにしか 在店しないつもりでいた。 ところが今朝送ったばかりのラインの効力は実に絶大だった。 初日にもかかわらず、妻の日向市の友人や町内の知人がランチを兼ねて来てくれたり、ランチに来られたお客が妻の元の職場同僚だったりで、ほとんど妻は知人の来訪の 対応に追われた。 カフェへも開店時間の問いあわせや、私たちの在店日への問いあわせも相次いだという。 そしてSNSだけでの案内初日にもかかわらず、私と妻の作品も買っていただいた。 これはできるだけ都合をつけてカフェに詰めて、来客との対応をすべきだと思い直す。 先日までの宮崎市の画廊喫茶での反応とはまるっきり違う。 ☆午後に笑い話。 ライブで音が周囲に漏れるので、あらかじめ近隣の方たちにライブの告知をしておかなければならない。 今日は高鍋駅周辺の公民館の分館長に挨拶に伺った。 K分館長のお宅の前で、知人とバッタリ遭った。 私の駅前モニュメントが建ったばかりだったので、その方はとても積極的に話しかけられてきた。 それでカレーカフェでの版画二人展とライブの話をすると、今ちょうど地区の皆さんに週報を配っている最中なので、皆さんにライブの告知をしたいと言われる。 いや、このライブのチラシはK分館長にお渡しするもので、いまからこのK分館長の家を訪ねるところだと伝えると、知人は怪訝な顔をされた。 ”Kは私ですが。この家は私の家ですが。” なんと、私はKさんの顔は良く知っているが、お名前がとっくに記憶外だったのである。 失礼なことをしてしまった。 話していたら、さらに私の次男とKさんの娘さんが中学時代の同級生であったこともわかり、それで顔をよく知っていたのだった。 夕刻にはカフェにも来られて、妻と一緒に話が弾んだ。 私の”MOON DANCE”は、駅前周辺のみなさんにとても明るい話題で受け入れられていることを感じられて、嬉しかった。 8月16日(水) ☆午前はにわか雨。 午後は晴れる。 夕刻から遠くでツクツクボウシが鳴き始める。 ☆午前に雨の合間を縫って、某コンペの作品を宅急便で送る。 ☆昼前に、”いま、シベールに居てコーヒーを飲んでいます”という知人からの電話。 画廊喫茶”シベール”での二人展が、8月末までの開催だと勘違いされていたと言うこと。 ☆午後2時から、高鍋駅前のカレーカフェ”靜”での版画二人展の搬入展示作業。 昨日に終了したばかりの”シベール”から引続いての版画二人展で、”靜”展示用にチョイスした作品を運ぶ。 ”靜”の窓辺席からは駅前ロータリーの”MOON DANCE”がよく見える。 ”MOON DANCE”設置前から、モニュメント設置後に”靜”で”MOON DNCE”と連動した版画二人展を開催したいと思っていた。 期間中には、ニューヨーク在住のジャズピアニスト・山本恵理さんが作詞作曲していただいた”MOON DANCE”の曲を披露するライブも開く。 ”靜”はこじんまりしたカフェで、展示できる壁面も少ないので二人で20点の展示作品を準備していたが、展示してみると思ったよりも展示スぺースが確保できて、 途中から追加作品を取りに帰る。 最終的に私が15点、妻が22点の計37点の展示となった。 会期は明日から31日までの2週間である。 ☆夜中に近所で、道路で寝ていたらしい高齢者が高校生のバイクにはねられて死亡する事故があった。 今朝、宅急便へ作品を持って行く途中で、近くの児童公園の何もないフェンスに向かってカメラを廻している一団が在り、近くには警察車両も停車していた。 夜にネットでニュースを観ていたら、その交通事故の現場映像は私が丁度通りかかった時に撮影されたものだった。 先日も真夜中に老女が車にはねられて死亡する事故があり、その現場も良く知って場所であった。 8月15日(火) ☆炎熱の晴れ。 昨夜はたっぷりと睡眠を取ったので、今日は体調は回復した。 ☆朝一に、万成石の作品を宅急便で送る。 台風の影響で、今日はトラック便が全く動かないということである。 ☆二人展、最終日。 結局は今日はDM案内の知人が3名来訪したのみ。 そして作品も私と妻の作品がそれぞれ1点ずつ売れ、なんとか面目を保つことは出来た。 やはり前半の台風襲来による長雨と晴れてからの炎熱、さらにお盆真っ最中の家族単位での動きで、画廊への足の運びが釘付けされてしまった。 さらに何より最も大きな痛手は、新聞社からの取材がなく、DM送付以外の広報がまったく出来なかったことが完全な想定外の出来事だった。 お盆前の夏休みと言う好条件は、完全に裏目に出てしまった。 さらに2週間と言う期間は短いようで長い。 毎日のように宮崎市内へ通うことによって、どっと疲れが出てしまった。 ☆夕食前に送り火を焚く。 8月14日(月) ☆猛暑の晴れ。 しかし蝉の聲が聞こえなくなって、一ッ葉の有料道路を走っているとトンボが飛び交い、松林の光が秋の気配である。 宮崎でもお盆を境に一気に秋の気配が漂ってくる。 ☆と思いつつも、今朝の私は夏バテで最悪の状態だった。 体がまったく動かない。 昨日の暑い自宅工房での梱包作業と庭の草刈り作業が体に堪えてしまったのか。 二人展が始まってからは一日中、クーラーの効き過ぎた画廊で寒さにこらえながらじっとしている。 体の調整能力が減退してしまっているようだ。 コロナ後遺症で、若いころの夏バテ状態が甦って来てしまったようだ。 若いころの私は兎に角夏バテが酷かった。 水を飲むと、まったく体が動かなくなる。 食堂に行くと、冷たいお冷は避けて熱いお茶しか飲まなかった。 だから今でも、夏は水分補給を充分にという忠告には従えない。 ☆二人展、11日目。 二人展も明日までである。 ようやく今日は駆け込みで、DM案内の知人の方が二人見えた。 やはり今回の二人展の期間中は台風襲来の長雨と、お盆による親戚交流とが重なって、皆さんの動きが完全に止まってしまっている。 むしろ画廊常連の方たちや飛び込みの喫茶部お客さんたちとの会話が弾む。 ☆今日は朝から夏バテできつかったので、お客さんの居ない間にパソコンを開いて作業しようと思っても、まったく意識が集中せず、直ぐにパソコンを閉じた。 お昼には頭も痛くなって、家に帰って横になりたかった。 夕刻に帰宅すると、そのまま和室に倒れ込んで仮眠をとる。 ☆妻が、やっと年齢相応の健康状態に成ったんじゃないの?昨年までが元気過ぎたんじゃないの?と慰めてくれる。 そうかもしれない。 無理をせず、夕食の後はライブ直前なのにハーモニカの練習も出来ずに、すぐに床に就く。 8月13日(日) ☆残暑厳しい一日。 遠くで聞こえる蝉の鳴き音が次第にか細くなってきた。 ☆朝のうちに墓参。 妻は熱中症気味で、墓地の中で方向がわからなくなっていた。 妻はそのまま、日向市へ実家の墓参へ。 ☆今日はやることが山積していたので、私は日向へは出向かず、発送する作品2点の梱包作業をする。 結局、梱包作業だけで夕刻まで要してしまって、他の作業には手が付けられず。 ☆涼しくなった夕刻に、台風期間中にぼうぼうに伸びてしまった庭の草を刈る。 手が廻らない草には除草剤を散布する。 ☆暮れて、お盆の迎え火を焚く。 8月12日(土) ☆残暑厳しい晴れ。 ☆二人展、10日目。 今日も妻と二人で詰める。 土曜日の今日は知人の来訪を期待したが、今日はDM案内での知人の訪問はゼロであった。 前半は台風で出足をくじかれ、台風が去ったらお盆で身動きが取れないのだろう。 ラインや電話で、必ず行きますと言う連絡を頂いた方たちが全く姿を見せられない。 ☆ただ画廊の常連客の中に思いがけない人との出会いがあった。 私と同年で、私の高校時代当時の宮崎県高校陸上界のスプリンター女王、旧姓・松下さゆりさんにお会いした。 彼女は私の三兄の教え子で、当時は華やかなスーパースターだった。 彼女がその後、絵を描いていることは知っていた。 この”シベール”でも何度か個展をされていて、この10月には病死された弟さんの遺作との二人展を開催予定で、展示作品数を確認に来られた。 また、彼女の母方の親族の従妹が、私の日大高校での教え子で、等身座像のモデルにもなってもらったOさんであることも分かった。 赤ちゃんだったOさんを抱っこされていたり、Oさんが私のモデルをしたことも知っておられた。 世の中、どこかで繋がっていることにびっくりであった。 現在の彼女は、やはり元陸上トップ選手らしくストイックで、車もスマホも持たない凛とした方だった。 ☆夕刻には、新聞情報欄で見た”彫刻展”につられて、「私は彫刻をやっています」と勢いよく私たちの座に座り込んで来た、よくある大きな勘違いの方が来られた。 得意げにスマホの中の自分の”作品”を見せられるのだが、話しているうちに段々状況がわかって来て、気落ちして帰られた。 空港展でも時々、得意げに自作の置物を持って来て、彫刻展に私も参加したいという方がおられる。 ☆今日はあの御巣鷹山の惨事から38年目である。 数年前に妻とスリランカを旅行した時に、あるホテルのレストランでバンドの一団がテーブルにいる観光客の国にちなんだ曲を演奏して廻っていた。 彼らは私と妻のテーブルで坂本九の名曲、”スキヤキソング(上を向いて歩こう)”を演奏した。 その日は全く今日の8月12日、坂本九の命日であった。 そのことをバンドマスターに伝えた。 8月11日(祝・金) ☆晴れ。 しかしまだ大気は不安定で、雲の多い一日。 我が家の庭では、台風一過と共にバッタリと蝉の鳴き音が消えてしまった。 ☆二人展、9日目。 妻と二人で詰める。 今日は祝日なので、画廊への来客が最も見込める日であった。 台風も去ったので多くの方の来訪を期待していた。 実際に画廊へ着くと、私を待っておられる知人の方がおられたし、入れ替わりに来られた知人もあった。 今日は忙しくなるかなと期待したものの、だが午前の来訪はそれまでだった。 今日は祝日で市役所も休みなので、喫茶部のお客もガラガラであった。 結局、午後になって知人が4名来られて、DM案内で来られた方は6名に留まった。 ほぼ絶望的な人の入りである。 もう2度と宮崎市内での展示はしない。 8月10日(木) ☆台風一過の一日。 昨夜は夕暮れから再び猛烈な吹き返し。 私は夜中に目が醒めてから、コロナ後遺症の苦しさと風雨の音で眠れなくなり、午前3時に起きる。 しばらくデスクワークをして過ごし、午前5時に再び床に就く。 その辺りから、風雨も弱まって来た。 朝起きて庭を見渡すと、普段と全く変わらない状態で、何も飛んだり倒れたりしていない。 日中はまだ晴れたり降ったりの不安定な気候が続いた。 ☆二人展、8日目。 宮崎市役所の河川敷駐車場は水没しているので、車は画廊近くの有料駐車場に止める。 今日は知人の方が3名見えられる。 8月9日(水) ☆台風6号襲来。 夜中はかなりの風雨だったが、数年前の大型台風のようには2階の寝室が揺れたり雨漏りも無し。 午前は小康状態だったが、夕刻から再び風雨が強くなった。 高鍋町は夕刻5時には、いったん避難指示が解除されたが、夜に這入って風雨が強さを増し、夜中に土砂災害警戒情報が出され、夜中過ぎて一部地域に 土砂災害による避難指示が出された。 ☆午前は雨脚が止まっていたので、アンジェラスの森へ上がって少し作業をする。 夜中の風雨で道筋には折れた樹木や竹が蔽いかぶさり、壁面の崩れも起きていた。 午後に再びアンジェラスの森へ向かったが、途中から雨が本格的になり、作業は断念して引き返す。 これで明後日が締め切りの某コンクールへの作品制作は不可能となった。 本職の彫刻制作の時間が取れないなんて大恥以外のなにものでもない。 仕方なく、他の作品でエントリーを済ます。 ☆妻はこの大雨の中、夕刻に職場の女子会で宮崎市へ出かけていった。 台風が激しくなればホテル滞在の方が安心かもしれない。 私一人の夕食は味気なく、早々に床に就く。 8月8日(火) ☆台風6号の影響の出始めた一日。 夜中に本格的な強い風雨。 夜明けてからは昨日同様に晴れる。 午後半ばからは激しい雨となる。 ☆二人展、7日目。 今日も午前は妻が画廊に詰め、私はアンジェラスの森へ上がる。 しかし森に近づくにつれ雨となり、森の中は完全な雨となった。 今日も作業を断念して、台風対策の片づけをして電源を落して森を出る。 だが森を出ると、雨は降っていない。 町場へ降りると、完全な晴れである。 やりきれない思いで画廊へ向かう。 ☆昼前に画廊へ着き、妻と交代。 昼に宮崎彫刻グループの上口が顔を出してくれた。 しかし彼は宮崎市の職員なので、これから台風の避難所開設の準備がある、と珈琲も飲まずに職場へ戻って行った。 今回の台風は雨の被害が懸念されるという上口のアドバイスに従って、午後からは雨が激しくなってきたので、午後3時前には河川敷の無料駐車場から車を出し、 午後3時には画廊を出る。 画廊は明日は臨時休業となった。 県内各自治体の公共施設は今日の午後から明日にかけて閉館措置となっている。 公共交通機関もすべて運休である。 ☆ 帰宅して雨戸を閉じて台風に備える。 高鍋町は夕刻5時に町内全域に警戒レベル4の避難指示を発令した。 しかし町場は私の住む中町公民館だけが指定から外れている。 我が家は周囲が床下浸水になっても水に浸かったことは無いので、家にいるのが一番安心である。 テレビの全国ニュースで高鍋町の名前が出たらしく、心配した兄妹たちからラインが届いたが、今のところ特段に心配するほどの強い風雨も無い。 8月7日(月) ☆朝のうちは晴天。 しばらくして午前は大雨に。 午後は一転して晴れる。 夜になって再び雨。 台風の影響で不安定な気候が続く。 ☆二人展、6日目。 今日から後半に這入る。 だが今のところ、DM案内で画廊に来られたかたはわずか6名、新聞案内等で来られた方が3名という散々たる実情である。 そしてこれからは台風でまた来客は途絶える。 宮崎市内の画廊はこんなものなのだろうか。 ☆午前は妻が画廊へ出かけ、私は上天気だったのでアンジェラスの森へ上がる。 しかしアンジェラスの森へ着いた途端に天候は急変し、雨になる。 雨の止むのを待ちながら小1時間ほど作業をしたが、雨は次第に激しくなり、電動工具はびしょ濡れになってしまったので作業を断念。 昼前に画廊へ出かけ、妻と交代する。 ☆今日は週の始めだからか、喫茶部は何時もよりランチタイムのお客が多かったが、私たちの版画に関心を持たれる方は1,2名ほど。 ☆帰り支度を始める前に、画廊の常連客のご婦人が来られて、いきなり私の版画を買っていただいた。 先日来られた時に、私の版画のタイトルが気になって、妻とあれこれ会話をされていた方であった。 8月6日(日) ☆日中は雲が多いものの台風の気配は全く無く、雨も風もなし。 夜に、寝入ってから激しい集中豪雨。 しかし風はなし。 ☆今日は画廊は定休日。 午前はアンジェラスの森で作業。 次の作品の石を探し、粗取りをする。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 月末のライブが近いので、私もハーモニカでジョイントして、ライブの練習をする。 本当は私の本職の彫刻制作に没頭したいし、午睡もしたかったので、殆ど心の乗らない状態でハーモニカを吹いていたので、楽譜はしっかり見れないし、 テンポも乗り遅れてばかり。 後半からやっと目が醒めて来た。 ☆夕食時におかしなことが起きた。 夕食のピザの準備が終わって、さあてとテーブルに就こうとしたら、私がポロシャツ姿であることに気がついた。 私は風呂から上がったら、必ず下着姿なので、お風呂にまだ這入っていなかったのかと思った。 しかし私の記憶でも、妻の証言でも私はちゃんとお風呂に這入ってから夕食の準備をしていた。 なのに私は外出着のポロシャツ姿である。 なぜそんな恰好をしているのか、まったく理解できないし、ポロシャツを着た記憶も無い。 なにか、無意識のうちにパラレルワールドに迷い込んでポロシャツに着替え、この世界に戻って来たとしか思えない。 ☆そして、いつも通りに丹精込めて造ったピザが、全く美味しくない。 こんな不味いピザを造ったのは初めてである。 食べ始めの一口はとても美味しかったサラダが、二口目からまったく味がしなくなった。 妻の用意したポルトガルワインも少しも美味しくない。 まるで味覚の神様が我が家から出て行ってしまった感じであった。 何が起きたのだろう。 8月5日(土) ☆殆ど曇天で、時折の激しい驟雨。 台風の影響が顕著になって来た。 ☆二人展、5日目。 今日はさらに画廊への来客は激減。 午前は喫茶部にも来訪者は皆無だった。 お昼からパラパラと喫茶部の常連の方たちが数名来られたのみ。 私たちの二人展のために来られた方は一人も見えられなかった。 この画廊喫茶は、通常は目の前の宮崎市役所の皆さんがランチに来られるお店なので、土曜日が閑散とするのは致し方ない。 しかし以前のお店はお昼時に顔を出すと、ランチのお客で超満員で、こんなところで作品の鑑賞なんて出来る訳無いと顔をしかめたほどだった。 だが今回の二人展が始まってから、以前のようなランチ時の超満員状態は全く無い。 むしろ”しんとみギャラリー”の方が来場者が多い。 ☆数少ない来客でも、作品に関心を持たれる方もおられて、技法の説明をする場面は多かった。 ☆台風は来週半ばには九州を直撃しそうだ。 そうなると来週前半はさらに来客は途絶えるだろうし、台風が激しければ画廊も店を閉じてシャッターを下されるということである。 新聞の取材も来ないし、宮崎市で版画展をやる意義が全く無い。 8月4日(金) ☆今日も時々にわか雨の降る不安定な晴天。 ☆二人展、4日目。 今日は妻と2人で詰める。 しかし今日も喫茶部の来客がまばらで、二人展のために来られたのは2,3名であった。 ☆今日も私の版画のタイトルに感動される方がおられて嬉しい。 これまでの”ギャラリーしんとみ”と日向市での展示の時にはなかったことだ。 ☆喫茶部のお客さんで、私の作品を丹念に見ておられていた方があり、彼は私の版画のフォルムが高鍋駅前モニュメント”MOON DANCE”と似た物を感じ、 ひょっとすると同じ作者の方かもしれないと思ってDMを見たら高鍋在住だったので、やはりそうかも知れないと思われたと言う。 まさかこんなところで駅前モニュメントの作者とお会い出来るとは、と感激されていた。 またかつて宮崎市の文化振興課に在籍されていて、初期の”彫刻のあるまちづくり”を担当されていた方が喫茶部のお客さんで来ておられて、私のデッサンが 大好きだったというお話をされた。 ”彫刻のあるまちづくり”の作家指名を受けると、先ず幾つかのプランデッサンを提出していたのである。 私は長いこと宮崎市の”彫刻のあるまちづくり”には関わっていたが、この方と直接お会いしたことは無かった気がする。 ☆夜は私が50年前に教えた日大高校美術部のみんなとの酒宴。 妻も同伴して出かける。 前回4年前に開催した時は、実に久しぶりの宴だったので多くの教え子たちが集まってくれた。 今回は「月の雫」出版、文化賞受賞、駅前モニュメント完成のお祝いをしたいと幹事担当が機会を伺っていたのだが、なかなかコロナが明けず、ようやく今回の 二人展に合わせて開催できた。 しかし夏場の金曜日(明日は予定されている宮崎市の花火大会で、私たちが泊まるホテルも部屋が取れず、居酒屋も満杯状態)と言うことで、動きの取れない 教え子たちが多く、5人しか集まらなかった。 それでも50年前の様々な話で大いに盛り上がり、楽しい酒宴となった。 私が日大高校で教えたのは1年間であったが、実に濃密な1年間であった。 次々に出て来る思い出話が、殆ど1年間の間の出来事だとは思えない。 次回はキャンプに行こうということになった。 彼らとは何度もキャンプに行ったのである。 8月3日(木) ☆朝と夕刻ににわか雨があっただけで、日中はカラリと晴れた真夏の陽射し。 ☆二人展、3日目。 今日は妻に在廊してもらった。 今日は喫茶部への来客も非常に少なかったということ。 木曜日は週の中でもっとも人の動きの無い曜日なのかもしれない。 ☆私は午前にアンジェラスの森で作品の仕上げ作業。 ☆午後に、高鍋大師で黒木・高鍋町長と観光協会事務局とで石像の地震対策について協議。 この岩岡翁の制作した石像は、素人作業なので様々な取り付け部が単に差し込んだだけの物やセメントで貼り付けただけの構造である。 したがってこれまでに多くの腕や多面観音像の頭部の小頭部、附属物が相当に落下してしまっている。 それで、観光地にするためには観光客に被害が起きないように構造物を強化する必要がある。 黒木町長が観光協会理事長時代に、私に補強工事の見積もり依頼があった。 簡単に見積もっても、一度全体を解体して基礎をしっかり打ち、全身を一本の強力な心棒で通し、各附属物を心棒と接着剤で固定する作業が相当金額になった。 そして落下の危険のある巨大石像が9体あるので、9体全部を補修すると途方もない費用がかかる。 観光協会では私の作業図面で県内の石材店と専門業者に見積もりを依頼したのだが、石材店は怖くて作業ができないとの返事、設備業者では心棒の見積もりだけでも 私の全体見積額に近い見積もりが出て、観光協会では予算が付けられず、現在に到っている。 だが先日の地震で、何んとかしなければならないということになった。 それで、地震対策で構造物の補強をやり直す経費は無いので、観光客が巨大石像の真下に立ち入らない配慮の防護壁のようなものを、石像と景観に配慮して、 私に大至急デザインして欲しいという依頼であった。 頭を抱えてしまった。 今の私は超多忙である。 彫刻家なのに彫刻に専念する時間さえない。 ましてコロナ後遺症で夜中に苦しくて目が醒めると眠れない毎日である。 そこに、高鍋大師像の地震被害防止の景観デザインを大至急考えて欲しいなんて。 しかも何かあったら私の責任である。 ☆高鍋大師から帰ると、午前に仕上げた作品を持って海辺に走り、画像を撮る。 幸い今日は雨雲はなく、晴れ渡った海空であった。 この作品は岡山の万成石業界の振興を目的に、岡山の彫刻家たちが企画した展覧会への委託出品作品である。 明日が画像提出締め切りだったので、なんとか間に合ってくれた。 8月2日(水) ☆今日も一日、カラリと晴れたかと思うとバケツをひっくり返したような土砂降りの繰り返し。 台風の進路が定まらず、この先はずっと傘マークである。 ☆二人展2日目。 今朝の宮崎日日新聞の”お役立ちナビ”欄に二人展の案内。 小さな記事だが、新聞を見ていた妻が”何これ!”と叫ぶ。 何事かと思ったら、”お役立ちナビ”には”彫刻展「MOON STORY・月話」”と案内してある。 先日に原稿の校正はしたのだが、営業時間と妻の名前の修正を指示しただけで、タイトルまでは気が付かなかった。 幸い(?)にも、今日はこのナビ情報を見て、”彫刻は?”と尋ねて来られたかたは居なかった。 ☆どうにも今回は情報発信が最悪なので、画廊に着いてから宮崎日日新聞の文化部に電話を入れてみた。 以前お世話になっていた文化部記者が、地方の支局長からこの春に文化部に戻って来ていたのを思い出したのである。 しかし、やはり対応は逃げ腰で、”検討してみます”という曖昧な返答であった。 美術館関係者の話でも、最近の宮崎日日新聞文化部の対応は非常に後ろ向きで、取材に来てくれたらラッキー!と言う感じに受け止めているのだそうだ。 ☆今日の画廊の来訪者はまずまず。 今日も私の作品が1点売れ、”しんとみギャラリー”での二人展の記録小冊子も買っていただく方がおられた。 8月1日(火) ☆晴れたり土砂降りになったりの不安定な天候の一日。 帰路の一ッ葉有料道路では、南半分は青空が拡がっているのに、高鍋へ向かう北半分は一寸先も見えない程の凄まじい土砂降り。 ほとんどマレーシアのスコール状態。 ☆宮崎市の画廊喫茶”シベール”での版画二人展初日。 9時過ぎにギャラリーへ這入り、追加の妻の版画をレイアウトし、全体の展示状態を再点検する。 ☆マスターの話では、宮崎日日新聞は、連絡しても殆ど取材に来ないと言うこと。 確かにここ10年ほどは空港展への取材にも来なかったし、文化部の記者の入れ替わりも激しく、担当記者が誰なのかもわからない。 今の文化部には私の知っている記者は居ない。 宮崎日日新聞社への取材依頼は諦める。 新聞社は社会への公明公正を謳うが、実際にはひどく偏向的である。 ☆午前のうちに初老のご婦人が、”来ましたよ!駅前のモニュメントも見てきましたよ!”とギャラリーに来られた。 マスクをしておられるので、誰れなのか分からず、額と目の雰囲気から私の作品を買ってくださったことのある方だと思い、その方は妻とも親しい方なので、 妻は今日は仕事で来れないことなど、言葉を交わした。 ところが、芳名禄への記帳を見ていたら、”大分県”と書き始められて、いつから大分に移られたのだろうと訝りながら、やっと気付いた。 先日、58年ぶりに電話で話した永山芳弘さんの妹さんだった。 彼女には先日に”MOON DANCE”小冊子を送ってあるので、彼女は私の現在の顔を知っている。 しかし私は58年前の中学3年生の少女時代の彼女しか知らない。 だが対面して話していると、顔の造作が昔の少女時代そのままである。 20歳の時に結婚して、大分に嫁いでいったことなどお互いのその後のことなどを語ったが、58年ぶりなのに全く普通に会話が弾むのが不思議な感覚だった。 もう高齢で高速道路は走れないので、今朝は6時に出発して国道10号線を走って来たと言うこと。 わざわざ遠方から初日に来ていただき、とても有難かった。 あの58年前の夏の少年少女だった私たちに、こんな58年後の再会が訪れるなんて予想だに出来なかった。 人生、どこでどう展開するのかわからない。 ☆今日はお昼に来てくれた知人に私の版画を買ってもらった。 初日から良い出だしである。 またギャラリー出入りの常連客の皆さんからは丁寧に作品を見ていただいた。 私の版画作品のタイトルに感動される方もおられて嬉しかった。 私は作品のタイトルに他の作家のようなタイトルを持ってこない。 ”言葉の豊さにびっくりしました”。 そのことにきちんと気付いてほしいと言う思いがずっとあったので、気付いてくださる方が現れて本望である。 7月31日(月) ☆雨が降ったり上がったりの不安定な天候の一日。 台風の影響らしく、いちにち重い雲が立ち込めていた。 天気予報でもこの先はずっと同じような不安定な天候が続く。 ☆午前にアンジェラスの森で作業。 400#のポリッシャー作業。 途中で土砂降りとなり、全身がびしょ濡れとなったので、800#まで進めなかった。 ☆帰宅すると、頭痛がしてきて体調が悪化。 昼食も摂れず、横になる。 明日から二人展で毎日、宮崎市の画廊に通わなければならないので、風邪で寝込むわけにも行かない。 ☆夕刻4時から、宮崎市の画廊喫茶”シベール”での版画二人展展示作業。 2人で40点程度の展示の予定で多めに作品を持って行ったが、特に妻の版画作品は小作品が多いので作品が足らなかった。 結局、妻の作品は明日に追加することにして、私が22点、妻が29点の計51点の展示となった。 ☆このシベールでの展覧会は何時もきちんと早めに新聞にカラー記事で掲載されるので、画廊が事前に新聞社に取材依頼をしてくれているものと思っていた。 土曜日に新聞社への連絡先を教えてもらったので、今朝に担当者に電話すると、この担当者は取材担当ではなく、催し物案内記事の担当者であった。 それで画廊に取材の事を尋ねると、取材はいつも展示者本人に新聞社へ行ってもらっていると言う。 そういう事前の打ち合わせは全く無かった。 展覧会が始まってから新聞社に取材お願いに行くなんて、作家活動を始めて50年以上も経つ私にとっては、絶対にあり得ない状況である。 新聞記事で紹介してもらえないなんて、宮崎市で展示会をする意味が全く無い。 7月30日(日) ☆夜中から夜明け前まで激しい雷雨。 殆ど台風並みの強烈な風雨で、突然、寝室のベッドで寝ている顔面に雨が降り込んできた。 何事かと思ったら、寝室ベッド上の小窓が劣化できっちり閉まらなくなっており、強風で開いてしまったようだ。 慌てて飛び起きて、家じゅうの開いている窓を閉めて廻る。 夜が明けてからはカラリと晴れるが、夕刻ににわか雨。 ☆朝一に長男夫婦を宮崎空港まで送る。 ☆帰宅して、明日が搬入の版画二人展の準備をする。 ☆お昼過ぎに、旅仲間の大先輩であるNさんが旅写真展をやっているギャラリー・アイに顔を出だす。 写真を観るよりも、近況の雑談で話題が盛り上がる。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 8月のライブの練習で私もハーモニカでジョイントする。 夏バテでコロナ後遺症が酷くなってハーモニカの激しい息切れが一向に収まらないので、やはり呼吸が乱れる。 そのなかでニューヨーク在住の山本恵理さんに作曲していただいた”MOON DANCE”では、講師の片貝さんのアドバイスで私の口笛を入れたら、 片貝さんも妻も感動してくれて、私にしかできないスタイルでの演奏が出来そうで、ホッとする。 ☆今日は土用の丑の日で、夜は妻と近くのホテル四季亭の”やまもも”にウナギを食べに行く。 近年はどこでウナギを食べても、ぼってり、べっちゃりのとても不味いウナギばかりであった。 しかし今夜の四季亭のウナギは、昔懐かしい感じの久々に美味しいウナギであった。 7月29日(土) ☆晴れ。 天気予報では曇りから雨になっていたが、夜に稲光が頻発する様にはなったものの雨にはならず、日中は真夏の陽射しが続いた。 ☆午前はアンジェラスの森で作業。 200#のポリッシャー研磨を終え400#にかかろうと思ったら、研磨パッドのワンタッチ部分が剥がれてしまっていた。 研磨関係の道具は、まだ殆ど自宅工房に置いたままなので、そこでやむなく作業中止。 急に時間が空いたので、高鍋ギョーザに仮設置させてもらっている学生の作品の補修作業へ走る。 この作品は店舗入り口角地の芝地への仮置きなので、店舗へ出入りするお客が無意識に揺すってしまうのだろう、大きく傾いていて気になっていた。 高鍋ギョーザは全国区になったので、昨日今日の夏祭りで大勢のお客が殺到し、子どもが揺すって台座の上の彫刻が落下でもしたら大変なことになる。 とりあえず台座のレベルを出し、急急の転倒の心配はなくなったが、時間のある時にお客の手に触れない場所に基礎を打って、しっかり固定したい。 ☆今日は火産霊神社夏祭り2日目。 お昼に出たて。 今日の接待は夕刻と、お宮入りの終盤のみなので、午後は午睡を取って休む。 長男は出たての席での太鼓台論議に興が乗り過ぎて、呑み過ぎてしまった様である。 ☆祭りの間に、近所の”Saka Bar”で催された今沢カゲローのライブに、妻と長男の嫁との3人で出かける。 ベース1本で演奏する独自の演奏スタイル、20年前に初めて聴いた時よりもますます狂気的に展開していた。 ☆ライブが終って、中町公民館での接待。 夜空には遠雷の稲光が間断なく閃光を走らせる。 7月28日(金) ☆晴れ。 ☆今日と明日は4年ぶりの火産霊神社夏祭り。 今朝は午前6時から中町公民館の各戸に縄を張り、ハンヤ(紙垂 しで)を下げて行く。 これで町は一気に神域になる。 ☆午前に、祭り法被への祭りマークの取り付け。 神輿と太鼓台では配色が違い、各公民館を現す指定の色布(中町はピンク)も取り付ける。 これが裁縫の苦手な我が家では大変な作業で、午前いっぱいかかってしまう。 ☆お昼から、中町公民館での出たて。 お昼からの酒宴で、公民館によっては大宴会になって、神事が始まる頃にはもうヨレヨレになってしまう。 以前は殆ど焼酎だったので、私も出たてで泥酔して寝込んでしまうことが多々あった。 ☆午後3時半から火産霊神社での神事。 4年ぶりの祭りで、私の祭り大好き気分が高揚して来る。 ところが、4年ぶりの祭りにいつものように法被を着て意気揚々と出かけたら、周りには私の同世代は誰も居ない。 地区の出たですっかり酩酊状態になってしまっている祭り馬鹿の姿は、どこにも無い。 みんな顔も知らない、しゃんとした若者ばかりである。 70歳代は私一人である。 もう私の世代はとっくに引退したり、体調不良で入院していたりで、完全に世代変わりしているのだ。 私は何時までもまだ30代の気分なのだが、もはや私は御用済みの存在なのだと気付く。 大変なショックだった。 考えてみれば、4年前の祭りでも私は最高齢だったのを思い出した。 このコロナ禍の3年間の間に多くの方が亡くなられ、体調を崩され、祭りの場から退場されていたのだ。 ノコノコ出かけて行った私が相当な阿呆であった。 神事の間、次第に所在の無いバツの悪さを感じ始めて、神事が終わると帰って来た。 ☆もう祭りに出る立場でもなくなったから、公民館の方たちと接待係を務める。 そして、長男は太鼓台を担いで祭りを満喫しているので、妻と長男の嫁との3人で祭り会場を巡り、屋台を廻って美味しそうなものを買って夕食とする。 こんなに祭り会場を屋台を冷やかしながら巡るのは、私が高鍋町に戻って来てからは無かったことだ。 7月27日(木) ☆晴れ。 ☆久しぶりに夜中にコロナ後遺症の苦しさで目が醒めて、ほとんど熟睡できなかった。 朝起きても辛くて、朝食前にリビングにしばらく横たわってしまった。 ☆今日は中国・青島へのビザの件で振り回された一日であった。 結果的に、折角の旅費・滞在費の全額主催側持ちでの全面的な招待は、真夏の夜(昼?)の夢と消えてしまった。 朝一に、アンジェラスの森へ上がる前に高鍋町役場へ出かけ、ビザ申請に必要な戸籍謄本を取った。 そしてこれからの超多忙なスケジュールの中で、果たして早急に福岡領事館へ妻の指紋採取へ出かけることが出来るのかと案じながら、ネットを検索すると、 福岡領事館から承認されたビザ申請業務代行業者の一覧が出て来た。 その中の幾つかの業者をネットで検索すると、なんと福岡領事館でのビザ申請は毎週火曜日のみの受付だとある。 しかし来週の火曜日は妻との二人展の初日であり、画廊を留守には出来ないし、翌週の火曜日は8日で、それからビザを申請していたのではチケットはもう 手配できない。 驚いて、はたしてこれからビザの申請をして間に合うのかと代行業者に電話を入れると、個人の申請は受け付けていない業者が多く、ようやく個人のビザ申請を 受け付けている業者と連絡が取れたが、思いもかけない事実が返って来た。 ☆福岡領事館でのビザ申請受付枠は他の地域に較べてとても少なく、もう受付枠は埋まってしまっていて、これからの申請は9月21日以降になるのだと言う。 これは領事館の状況なので、どの代理店でも同じ対応である。 そしてその代理店のウェブサイトでは、急ぎの場合は東京の大使館に申請してくださいとあるので、電話でその件を確認すると、まだ東京の大使館の受付枠が あるかどうかはわからないので、直接大使館に問い合わせてくださいという返答であった。 ☆それで同じ招待を受けている関東在住の友人に、彼らがビザ申請をやってもらっている旅行代理店を紹介してもらい、担当者に電話で事情を話すと、申請をしてもらえる という嬉しい返事だった。 しかし担当者のメールアドレスに青島からの招待状を添付して送ると、思いもかけない返事が返って来た。 旅行代理店では、東京周辺の作家しかビザの申請が出来ないと言うことである。 ☆頭が真っ白になって、ネットで東京のビザ申請代行業者のウェブサイトを片っ端から開いてみると、やはり東京の業者は東京周辺の人しか取り扱えないことになっていた。 そうなると、直接に東京の中国大使館に問いあわせるしかない。 中国大使館ではビザ申請センター部署が在り、メールで事情を説明して、申請が可能かを問いあわせた。 ☆折り返し、丁寧な返事が届いた。 しかし、それは完全に絶望的な内容だった。 ”お世話になっています。 九州の方は必ず、中国駐福岡総領事館で中国ビザを申請しなければなりません。 東京センターでは管轄地域外の申請は受付できません。 尚、東京センターも毎日、申請予約が超満員になっている状態です。 ご理解とご協力をお願い申し上げます。 ” ☆これで決定打となった。 あらゆる手を尽くしたが、今回は中国へのビザ申請は不可能となった。 妻も楽しみにしていたので、がっくりだが、全力は尽くしたので潔く断念するしかない。 中国・青島の担当者も事情を理解してくれた。 またの機会に招待します、と言うメールが届いた。 ☆夕刻に長男夫妻が帰省。 明日からの4年ぶりの火産霊神社夏祭りに合わせて帰って来てくれた。 7月26日(水) ☆晴れ。 アンジェラスの森も今日は爽やかな気候。 強い夏の陽射しは、野山を陰影の濃い重厚な風景に仕立て上げる。 ☆一日、アンジェラスの森で制作。 午前は手磨き作業に這入ったが、コロナの後遺症のせいだろう、滅茶苦茶に苦しかった。 手磨きを始めたころ、辛くて泣きそうになったころに戻ってしまった。 あまりのきつさに、とうとうへたり込んでしまった。 よくぞ、昨年にコロナにかからなくてよかった。 こんなに後遺症が辛いのなら、駅前モニュメントの制作途中で体が動けなくなってしまったかもしれない。 ☆午後からはポリッシャーの研磨作業に入る。 ☆夜は火産霊神社夏祭りの、中町公民館でのハンヤ切り作業。 火産霊神社も今年は4年ぶりに夏祭りが開催される。 ☆ハンヤ切り作業をしながら、公民館の皆さんと話していたら、周辺でのコロナ再拡大が顕著なようだ。 先日の八坂神社の夏祭りでかなりのコロナ患者が拡がっているようだし、2度目のコロナ罹患の人も居る。 多分、多くの4年ぶりの夏祭り開催で、この夏はコロナ第9波となるのではないのだろうか。 だが私のように後遺症が酷い人は周囲にはいないようだ。 ☆中国のビザは申請方法が実に煩雑なようだ。 ネットで調べると、各地域所轄の申請センターに直接行かねばならず、申請の日程を予約して出かけ、10本全部の指認証を取らねばならないということ。 九州の場合は博多の領事館へ出かけなければならない。 私の場合は年齢的に郵送だけで良いみたいだが、妻のビザ申請があるので、妻だけ博多へ行かせる訳にもゆかない。 それに中国の担当者からの連絡で、ビザを申請してからチケットの手配をすると言う。 しかしこれから先は夏祭りや画廊の二人展搬入等で、早々には博多へ出かけることは不可能である。 だが、旅程の8月19日から20日は盆明けで最も日本人の移動の多い時である。 下手すると、ビザを申請できてもチケットが取れない可能性が強くなる。 頭の中がパニック状態になる。 ☆午後2時59分に日向灘震源の地震で、高鍋は震度3。 しかし私はアンジェラスの森で作業中で、全く気が付かなかった。 中町公民館の人たちの話では、下からドーンと突き上げて来るかなり激しい地震で、棚から物が落ちて来た所もあったようだ。 夏祭りの時期は、よく日向灘震源の地震が起きる。 ある時は、夏祭り初日の早朝、ハンヤの取り付け作業中に大きな地震が起きて、目の前で衣料品店の大きなショーウインドウのガラスが大破したことがあった。 7月25日(火) ☆夜明け前は雨。 日中は入道雲の湧き立つ晴天。 ☆一日、アンジェラスの森で制作。 午前のアンジェラスの森周辺は、昨日同様に雨雲の塊に覆われていて、雨こそ降らなかったが、殆どサウナ状態だった。 だいたいがアンジェラスの森のある茶臼原大地はとても湿気の多いところである。 湿気の多さに、防塵マスクとメガネが窒息しそうに苦しく、マスクもメガネも外して作業をする。 今日はカップ砥石をかけながら、フォルムを整えて行く。 明日には手磨きに這入れる。 ☆この作品は8月に開催される岡山・万成石の展覧会に出品する作品で、万成石自体はアンジェラスの森にも常備してあって何点か作品を作っている。 今回は、主催者から支給された素材なので、サイズが規定されていて、そのサイズに合わせたフォルムを考えるのに時間がかかった。 従って、石を削りながらフォルムを考えていくという泥縄式の制作である。 これまでにないフォルムの作品となりそうである。 ☆昨日送った中国・青島の作品は無事に大阪の物流会社に届いた。 そして青島の彫刻美術館の担当者からは、オープニングパーティーに妻を同伴したいという私の提案を歓迎する返事が届いた。 海外のホテルは2人で1室を利用する料金設定になっているので、妻を同伴しても妻のホテル滞在費は不要である。 妻のチケットだけ私が支払えば良い。 そこへ来て、ビザの問題を思い出した。 コロナに因る規制で、かつての15日以内のビザ免除が停止されている。 担当者に問いあわせると、折り返し、先日送って来た招待状が再送されてきた。 急いでビザの手配をしないと間に合わない。 ネット情報では、今の中国はなかなかビザの発給がスムーズにいかないようなのだ。 ☆思いがけない再会があった。 7月初めのものすごい土砂降りの日に、8月からの二人展のポスターとDMを宮崎市内の画廊に届けた。 その時に、同時に画廊へ来られた4人のグループがあり、画廊は駐車スペースが数台分しかないので車を止められなくなり、私は妻を路上に待たせてポスター・DMを 渡して展示作品数を確認すると、直ぐに退出した。 画廊では風景画の個展が始まっていた。 その数日後の新聞記事で、開催されている個展が永山芳弘さんの遺作展であることを知り、しまった!と思った。 私は永山さんとは個人的な面識はないのだが、私が高校1年の夏に蓄膿手術で入院した宮崎市内の耳鼻咽喉科医院で、永山さんの妹さんと一緒だった。 永山さんの絵は時々観ていたので、永山さんにお会いすることがあったら、妹さんの近況を聞きたいと思っていたのである。 それで、あの時に一緒に画廊に這入った関係者らしきグループのなかに、実は妹さんがおられたのではないかと思うと、急に懐かしくてたまらなくなった。 この機会でないと彼女の近況を知ることは無いと思って、画廊気付けで永山さんの奥さんに手紙を送り、妹さんがご健在ならよろしくお伝えくださいと添えていた。 そうしたら、今日の夕刻に58年ぶりに妹さんから電話があった。 彼女は当時中学3年生だったという。 可愛らしかった少女が、しわがれた老女の声で電話をかけて来たので、それは当たり前のことなので当然なのだが、あまりの落差に戸惑った。 彼女は現在は大分県に住んでいて、7月の初めにお兄さんの3回忌の法事があって帰省し、あの土砂降りの日のグループの中にやはり彼女も居たのだそうだ。 お兄さんから、一度、”お前は田中等さんを知っているのか?”と聞かれたことがあり、”耳鼻咽喉科で一緒だった”と答えたことがあると言う。 多分、お兄さんの個展会場で遭った共通の知人に、そんな話をしたことがあった気がする。 彼女も私のことを覚えてくれた居たのだ。 ご主人がやはり髭面で、私によく似ていると言う。 お兄さんが亡くなってから、こういう再会がよくあると言う。 今回の事も、お兄さんが3回忌に私と妹さんを引き合わせてくれたとしか思えない。 7月24日(月) ☆入道雲の湧き立つ夏日。 町場ではからりとした眩しい夏の日照りだったが、アンジェラスの森周辺は、湧き立つ雲は雨雲を含み、にわか雨が続いた。 ☆午前と午後後半にアンジェラスの森で作業。 午後はアンジェラスの森は時折の雨に悩まされる。 ☆先日から中国・青島の関係者から、作品の輸送の件で私と電話連絡を取るが連絡がつかないと言って来ていた。 多分、電話があっても私は日中は外で仕事をしているし、たとい私が在宅している時に電話があっても知らない電話番号は取らないようにしている。 お昼には昼食を摂りに帰宅するので、午後1時前後に連絡して欲しいと伝えていた。 考えてみれば、もう作品を発送しないと間に合わない時期である。 それで今日は午睡もせずに連絡を待って居たら、やはり午後1時過ぎに展覧会担当者と日本の輸出担当者から相次いでメールが這入った。 それによると、今日中に作品を送らないと間に合わないので、作品はオープニングパーティーの時に持参して欲しいとある。 慌ててメールに記載してあった大阪の物流会社の中国人担当者に電話を入れる。 明日中に物流会社に作品が届かないと、輸出手続き等の手間があるので間に合わないと言う。 それで急いで、梱包してあった作品を持ってヤマト運輸へ走り確認すると、今日の発送で明日の午後には大阪へ配達されるということだった。 作品を送り、物流担当者と展覧会担当者に作品送付完了の連絡を入れる。 これで無事に作品を送る手続きは済んだが、こんなことになるのなら、どうしてもっと早くメールで連絡をしてくれなかったのだろうか。 他の招待出品作家たちは、無事に作品を物流会社に送ったのだろうか。 7月23日(日) ☆午前は雨が降ったり陽が射したりの不安定な気候。 午後は曇天で気温は上がらなかったが、妙に蒸し暑かった。 ようやく九州南部が梅雨明けした。 ☆午前は雨模様だったので、デスクワークで過ごす。 ☆午後はアンジェラスの森へ上がって、制作をする。 ☆夕刻に帰宅してから、一気に体調が悪化して、全身で呼吸を整えなければならず、辛かった。 この夏はこんな状態が続くのかもしれない。 7月22日(土) ☆晴れ。 非常に蒸し暑い一日。 ☆昼前に延岡市へ。 午後から野口遵記念館で開催された「いとしの牧水」のチケットを伊藤先生に送っていただいたので、出かける。 ☆まずお昼の腹ごしらえに、延岡市のソウルフードである某ラーメン店へ。 私が延岡市に住んで居た頃には良く通った美味しいラーメン店だったのだが、数年前に久しぶりに訪れた時には、経営者が代替わりしていて、信じられないくらいに とてもまずかった。 それで、あれはあの時だけだったのかと確認したかったのだが、土曜日のお昼なので満席だろうと思って行くと、なんとお客はカウンターに2人、テーブル席に 1家族だけで、ガラガラであった。 そして、やはり非常にまずかった。 最近の博多ラーメン系の半生系の硬麺とまろやかなスープが全然マッチしていない。 もう2度と行かない。 延岡市民の愛するソウルフードという店舗入り口のポスターが、延岡市民を裏切っていて、腹立たしい。 ☆野口遵記念館へ行くのはまだ早かったので、ラーメン店の駐車場に駐車した軽トラの中でエアコンを全開にしてスマホで調べ物をしていた。 隣に車が這入ったので、振り向くと私の軽トラの排気口から白煙がモウモウと上がっていて、びっくりする。 あわてて車を降りて、排気口を見ると、やはり何かエンジンの異常のようだ。 場合によっては、エンジントラブルで高速では高鍋には帰れないのではないかと大きな不安に陥る。 ☆早めに野口遵記念館へ行き、駐車場で何度か軽トラのエンジンを掛け直して、エンジンの調子を見る。 今日は4年ぶりの”まつり延岡”で、野口遵記念館の前は祭会場で大変な賑わいだった。 しばらく祭り会場周辺を彷徨って、野口遵記念館へ這入ると、短歌会「心の花」のみなさんとバッタリ遭う。 またこの企画の音楽プロデューサーである外山友紀子さんが姪っ子だという、日南市の梅田さん夫妻(伊東マンショ設置等の担当者)とも遭う。 ☆午後2時から開演。 伊藤先生と司会の関知子さんのトークを中心に、クラシック演奏をバックにした牧水短歌の朗読や牧水の母校である地元・延岡高校生の短歌朗読などで、牧水の魅力を 情感豊かに伝える素晴らしい企画だった。 愛すべき牧水の、幸福な人間像に多くの人が涙を流されていた。 伊藤先生は、延岡市は宮崎県民にとっては遠い北の地であるし、”まつり延岡”とも重なってあまり来場者は無いのではと不安がられていたのだが、しかしホールは 牧水ファンで一杯になった。 ☆終ってロビーに出ると、私の高校時代の同級生で、今も短歌を投稿し続けているKさんに声をかけられた。 ☆帰りは、軽トラのトラブルを案じて、2時間かけて国道で帰る。 幸い、帰りは排気口からの白煙は無く、トラブルも無く帰宅する。 高鍋町も立花神社が4年ぶりの夏祭り最中で、久しぶりの娘さんたちのあでやかな浴衣姿が眩しかった。 7月21日(金) ☆午前は雲が多いもののほぼ晴れ。 午後からは小雨交じりの曇天で、気温の上昇は抑えられてしのぎやすかった。 ☆朝一にO内科で血圧の定期健診。 および高鍋町の特定健康診査も受診する。 特定健診では、尿、血液、胸部レントゲン、心電図の検査があり、血液以外は直ぐに結果が出る。 レントゲンは3年前の画像から何の変化も無く、何處にも異常はなし。 心電図は相変わらず不整脈が出るが、そのパターンも前回と同じパターンで変化はなし。 また大腸憩室炎の再発と異常に酷い夏バテのことを尋ねてみたが、大腸憩室炎と夏バテとはまったく関係ないと言うこと。 そして今年の夏バテが酷いのも、やはりコロナの後遺症でしょうね、ということ。 結果的に処方された薬は、いつもの血圧の薬のみであった。 つまり、大腸憩室炎も夏バテも医学的に何の手だても必要ないと言うことである。 ☆毎日の体調不良に対し、医学的に何の異常も無いということはとても安心した。 おそらく、コロナの後遺症が、若いころのインド大陸旅行時の黄疸の後遺症を引き起こしていて辛いのだろう。 この黄疸の後遺症は、何度も宮崎医大で精密検査をしてもらったにもかかわらず、病理的な異常は全く検出されなかった。 体力的に疲れが出た時に生じる一種の神経症なのだと思う。 インド大陸で黄疸になったのは25歳の時だから、もう50年もその後遺症と付き合って来て、病理的には何の異常も無い。 つまりこれからも余命も、神経症的な後遺症を感じるだけで終るのだろう。 辛いけれど、先ずは何處にも病理的な異常はないということで一安心である。 ☆O内科の「お知らせ」に大腸憩室炎のことが記載されてあった。 やはり盲腸と全く同じ症状とあり、先日の胃腸専門の先生が触診で”盲腸かな?”と言われたのは当然だったのだ。 憩室炎が起きたら入院して絶食にし、抗生物質を点滴します、とあるが、ここ数日で痛みが和らいできたので、痛み止めの薬も必要ないと判断されたようだ。 ☆午睡の後、アンジェラスの森へ上がろうと思ったら雨が降り始めた。 しかし町場とアンジェラスの森では気候が異なることがあるので、そのままアンジェラスの森へ上がる。 雨は小ぶりで、直に止んでくれたので、夕刻まで石を彫る。 7月20日(木) ☆雲の多い一日。 中国、近畿、東海では梅雨が明けたが、宮崎はこの先ずっと傘マークである。 ☆ようやく今日からアンジェラスの森での作業に集中する。 午前のうちはまだ体に力が這入らないが、次第に回復する。 大腸憩室炎の鈍痛はかなり収まって来た気がする。 7月19日(水) ☆天気予報では雨になる見込みだったが、日中は雲が多かったものの、午後からはすっかり晴れる。 午前は雲が多くて何時もより過ごしやすい気候。 ☆雨の予報だったので、一日、デスクワーク。 午前に明後日が締め切りの、宮崎県文化年鑑の原稿。 宮崎の彫刻界の現況と未来は暗澹たるもの。 若い作家たちが育つ環境が全くなくなってしまった。 これは全国的な傾向なのだろうか。 アメリカ在住の知人のからの情報では、アメリカの美術大学からは彫刻科が無くなってしまっているというし・・・。 昼までに事務局へメール送信。 ☆午後は8月の二人展キャプションをパネル貼りする。 注文していた額とマットも届いていたので、額装する。 妻はもう来年3月の版画二人展の制作に這入った。 ☆甘酒が夏バテに効く、というので、今夜は甘酒を飲んで寝る。 7月18日(火) ☆晴れ。 今日もじりじりと暑い一日。 ☆午前にアンジェラスの森。 石への墨入れ。 森も今日は全く風が無く、とても暑い。 そして体調は最悪で、きつくて精神が集中しない。 ☆午後は午睡の後にアンジェラスの森へ上がろうと思ったら、胃が猛烈に痛くなり、そのまましばらくリビングの床に横になる。 しかし体調は回復せず、エアコンをつけていると体が冷えるので、エアコンを消してそのまま夕刻まで横になる。 ☆いくら夏バテと言っても、こんなに身動きできない程に体調が狂ったことはこれまでにない。 昨年もとても暑かったが、昨年の日記を読み返してみても、まったくバテていない。 ☆ようやく思い当たった。 今日は右の胸がとても苦しい。 これはコロナに罹った後の後遺症と同じ症状だ。 夏バテと大腸憩室炎によって体力が落ちて、コロナ後遺症が一気に加速してしまっているのだ。 やっと今の状況が理解できた。 妹の知人で、コロナの後遺症で仕事に復帰できない人がいると言う話は聞いていたが、まさに今の私が似たような状況だ。 仕事にならない。 7月17日(月) ☆晴れ。 全くの夏空、真夏の景色。 今日も酷暑の炎熱だが、野山の陰影がくっきりして美しい。 太陽光パネルの全く無い野山は本当に心が晴れて、こんな世の中なら長生きしたいと思う。 毎日のようにラジオでは夏に這入っての小旅行報告で、”美しい景色に心が洗われました”という決まり文句が這入る。 なのに、今の日本は何處へ行っても美しい景観は醜い太陽光パネルばかりである。 太陽光パネルの在る景観に、心が洗われる人がいるのだろうか。 ☆午前はアンジェラスの森で、作業場の整備作業の続き。 昼前には夏バテで殆ど限界状態。 ☆午睡を取って、午後から再びアンジェラスの森へ上り、ようやく制作スペースを確保して、石を据え、制作に這入る。 早めに帰宅して、庭の草を刈る。 ☆町内の某保険代理店に依頼されて設置した”MOON DANCE”の小作品がある。 ところがある日、代理店の店舗は解体され”MOON DANCE”も姿を消した。 代理店のオーナーとも連絡が取れず、気になっていた。 そのうち、更地は隣のギョーザ店の駐車場になった。 そして、保険代理店は宮崎市の店舗に併合され、オーナーは現在は宮崎市内に住んでいて、私の”MOON DANCE”はお隣のギョーザ店に設置されているという情報を 耳にしたのは今年の4月末だった。 それからそのギョーザ店の前を通るたびに確認するのだが、”MOON DANCE”の姿は見えない。 ところが一昨日の午後、宮崎へ向かおうと我が家を出た処で、近所のそのギョーザ店の製造工場の前を通り過ぎ乍ら、視界に”MOON DANCE”が這入って驚いた。 2日前まで全く気が付かなかった。 私の行方不明の”MOON DANCE”はギョーザ店の店舗ではなく、我が家の近くの新しいギョーザ工場の道路添いに設置してあったのだ。 とても素敵な空間に設置してあり、安心した。 それで今日の午後に写真を撮りに行ったのだが、近づいて見ると心棒が浮いてしまって、作品がぐらついている。 どうして移設の時に私に相談してくれなかったのだろう。 私が作者だということは、関係者はみんな知っている筈なのに・・・。 ☆夏バテと大腸憩室炎の鈍痛でヘロヘロ状態である。 近年は夏バテと全く縁が無く、昨年の”MOON DANCE”の大作制作でも夏バテせず、暑さを乗り切れた。 やはり1年経って、老化で体力が相当落ちてしまったのかとも思うが、この夏バテと横腹の痛みに因るヘロヘロ感は、むしろ私の若いころの夏の常態だった気がする。 夏の今の時期は、中学、高校、大学時代は酷い夏バテで校舎の階段を上がるのが大変だった。 胃が弱かったので、水分を摂ると逆効果になった。 その真夏に弱い私がインドへ旅立ったのも、どうせ暑いなら死ぬほど暑い処に身を投じてみようという人生を賭けた覚悟からだった。 陶芸関係の会社務めのころも夏になると身動きできなくなり、何度か宮崎医大で精密検査をしてもらったが、毎回、どこも異常は見つからなかった。 したがって還暦を過ぎてからの方が私はすこぶる元気なのである。 だからこんなに夏バテで身動きできないのは還暦過ぎてからは無かったことなのである。 加齢もあるのだろうから、充分に休養を取りながら作業をしよう。 ☆夕食で鳥皮の串焼きを摂ってビールを飲んだら、少し元気が出てきたので、今夜からハーモニカの練習を再開する。 7月16日(日) ☆晴れ。 爽やかな快晴。 宮崎観光ホテルの駐車場付近はクマ蝉の大合唱であった。 ☆昨夜の宮崎牛の食べ過ぎで、再び大腸憩室炎の炎症が酷くなり、夜中じゅう悶々と過ごす。 大腸憩室炎は炎症が酷い場合は入院して食事制限で腸管を安静に保つ必要もあると言うことなので、やはり食べ過ぎは良くないのだろう。 加えて昨日からの猛烈な夏バテで、足腰が立たない。 帰宅しても辛くて、夕刻まで寝室で横になって過ごす。 ☆今日は妻のボーカルレッスンで、8月末の次のライブまであまりレッスンの回数が無く、貴重なレッスンだったが、私はハーモニカを吹く気力は無くパスした。 7月15日(土) ☆晴れ。 午後までは夏雲が次々に湧いてきて、時折のにわか雨。 午後後半からはすっきり晴れる。 今日も暑い一日。 ☆今日からようやく彫刻家モードに切り替える。 午前に我が家の浴室外庭の伸び放題の竹を切って、アンジェラスの森へ運ぶ。 そしてそのままアンジェラスの森の整備作業。 作業場のプレハブ倉庫は雨漏りで黒カビだらけなので、作業用の防塵マスクを着用して、窓を全開にして外気を通す。 床も腐れてぶよぶよ状態。 大修理したリフトは、スイッチは這入るがエンジンがかからない。 作業場には、車が追突して壊れてしまったあかりオブジェがそのまま放置してあるので、2年半以上はアンジェラスの森で作業をしていないということだ。 今日はとりあえず除草作業。 梅雨が続いていて地面が柔らかいので、草は簡単に抜ける。 しかし、今日は起き抜けから完全に夏バテなので、作業はすこぶるきつい。 昼に自宅へ帰ると、猛烈な暑さ。 いかにアンジェラスの森が涼しいか、ということか。 水風呂に這入って、しばらく体を休める。 ☆中国・青島から、正式に8月19日のオープニングパーティーへの招待状が届いた。 18日に青島へ這入り、20日に青島を発つというスケジュールで、旅費、滞在費等はすべて主催側の負担である。 嬉しい誕生日プレゼントとなった。 ☆今日は74歳の誕生日。 私たちが若いころは未来というものは明るい希望にあふれたものだった。 しかし、今は未来はあまりにも暗澹としていて、人類はものすごい急速度で自滅に向かっているとしか思えない。 だから、私は80歳まで生きれば何の未練も無いと思っている。 今以上の訳の解らない時代には生きたいとは思わない。 そういう話をすると、お元気な80歳以上の先輩方からお叱りを受けるが、正直な気持ちである。 とりあえず自分の持てる感性を軸に、世の中の混乱した価値観に振り回されずに、自分に出来る生き方をして行きたい。 ☆今夜は宮崎観光ホテルに泊まって、ミヤチクでお肉を食べて妻と誕生祝をする。 前菜がとても美味しかったが、もう肉は体力的に受容量が狭まってきてしまっている。 お腹がパンパンになり、部屋に戻ると二人とも全く身動き出来なくなってそのままベッドにダウン。 例によってフェイクブックで誕生日おめでとうのメッセージが次々に届くので、返事をしながら横になって過ごす。 7月14日(金) ☆雲の多い天候。 午後からは雲も切れて、夏本番の暑さ。 ☆午前に、8月の版画二人展のキャプションを作成。 ☆午後3時から、高鍋町美術館へ。 明日から開催される「竹久夢二展ー憧れの欧米への旅ー」の開会式と内覧会へ出かける。 平日の午後3時というスケジュールを組むのが最も困難な時間帯なので、案内状を受け取って出席できた一般町民は数名しか居なかった。 他の出席者は行政関係者ばかりで、一般町民に向けて挨拶をされている黒木町長の立場が気の毒だった。 ただ今回の夢二展の企画監修である中右瑛氏のユーモアのある解説による内覧会は、丁度良い人数だった。 数年前から始まったオープン前日の開会式は、オープン当日の内覧会では人が多すぎて困る事態が生じていたのかもしれない。 ☆私は竹久夢二は別に何の関心も無い作家であった。 今日も私が高鍋町美術館協議会の会長と言う立場で、少しでも美術館運営に協力したいという思いでの出席であった。 だがおそらく竹久夢二のオリジナル作品を見たのは初めてであった。 私の思っていた以上に多様な展開の作風に驚いたし、とても魅惑的な作品の数々だった。 当時の若い女性たちに熱狂的に愛されたと言うことがとても納得できた。 内覧会が終わったら殆どの方は帰られたが、私は閉館時間間際まで独りで作品を見て廻った。 7月13日(木) ☆晴れ。 気温は上昇して、高鍋町は34,9度で全国5位の暑さ。 ☆午前は8月の版画二人展の準備。 売れてマットと額縁の補充をしていなかった作品のうち、出品しない作品とマットと額を入れ替えることのできる作品を入れ替える。 発注しなければならないマットと額縁は発注をかける。 ☆ポルトガルのチケットのINVOICEの件で、ポルトガルのシンポジウムに参加したことがある友人彫刻家やスペイン在住の又木啓子さんに問いあわせてみた。 しかし、何のことかさっぱりわからないと言う返答。 ポルトガルの担当者が、旅行代理店から出してもらえると言うことだったので調べてみたが、Eチケットが送られてきたメールはどれも送信専用で、問いあわせ返信が 出来ないものだった。 HISで買ったチケットに関しては、予約関係の問い合わせ番号しか無い。 以前は宮崎の営業所に発券をお願いしていたので、営業所に問いあわせることができたが、コロナで宮崎営業所は閉鎖されてしまった。 結局お手上げなので、再度、Eチケットと領収書を添付して、夕刻にポルトガルへ状況説明する。 ところが全く同時にポルトガルのオルガナイザーから、問題は解決したので、安心して来てくださいというメールが届いた。 折り返しの確認をとると、何の問題もなくポルトガルへ来れるということ。 やれやれ、一件落着である。 ポルトガルのシンポジウムに参加したことのある友人彫刻家の話では、ポルトガルは全てが美味しいということ。 楽しみだ。 7月12日(水) ☆雲の多い曇天気味の一日。 ようやく蝉が鳴き始めた。 ☆8月の画廊喫茶での展示予定作品のチェック作業。 昨年と今年の二人展で売れた作品の、マットと額縁の補充をしていなかったことに気付く。 早急に注文しておかないと間に合わなくなる。 ☆ポルトガルのシンポジウム事務局から、チケットのインボイスを送ってくれという催促が何度も届くのだが、チケットのインボイスがどういうものなのか さっぱりわからない。 とりあえず購入したチケットの航空会社とチケット番号と料金の一覧を送ったが、折り返しの返事では、旅行代理店からインボイスを発行して欲しいと言う返事。 どうやら関税の関係で必要な書類らしいが、私のチケットは日本国内線、日本ーポルトガル線、そしてポルトガル国内線と3種類あるし、ネットで購入しているので ネットの窓口がそういう書類を出してくれるのだろうか。 それにポルトガルからの旅費支給は一部分で、殆どは私の自費払いなのだから、なぜ関税手続きのインボイスが必要なのかわからない。 これまでこういう航空券のインボイス提出を求められたことが無いので、頭の中はパニック状態である。 ☆大腸憩室炎の症状が一向に改善されない。 あいかわらず脇腹の鈍痛は続く。 7月11日(火) ☆日中は晴れ。 今日も気温がうなぎ昇り。 夕刻からはにわか雨。 ☆午前に、雑務での打ち合わせで外出。 ☆午後は8月の版画二人展DMの宛名書き。 ☆今日も体調は回復せず。 薬を飲んでも”大腸憩室炎”の症状は少しも改善しない。 ☆今夜から8月26日のライブの練習に這入ったが、この10日間の間にハーモニカを吹いていなかっただけで、息切れが酷い。 予定では本番の1週間前には中国・青島に行くことになりそうなので、本番前の数日間はハーモニカが吹けない。 今からきちんと練習しておかないと。 7月10日(月) ☆晴れ。 昨日に引続き猛烈な暑さ。 九州北部では大変な水害が生じているが、九州山地を堺にした宮崎では各地で猛暑日を記録。 日向市は県内今年度最高の36,3度を記録、高鍋町も県内3番目の暑さで35度を記録した。 ☆1週間ほど前から横腹に鈍痛がして、とてもきつい。 このきつさはコロナの後遺症気味の夏バテだと思っていたが、私は近年は全く夏バテしていないので気になっていた。 昨夜も夜中に目が醒めてからは、辛くて殆ど眠れなかったので、炎暑の中での「月の雫」彫刻ツアーには大きな不安を抱えたまま参加した。 しかしツアー中は気持ちがツアーに集中していたのか、まったく何の支障も無かった。 だが今朝も全く朝食が摂れなかったので、週の始めなので朝一に胃腸専門の内科で診て貰った。 主治医は触診で”盲腸かな?”と言われたが、盲腸は高校3年の時に手術している。 それでCTを撮ってもらった。 CT検査は生まれて初めてだったが、これで内臓の全ての状態がわかります、と言うことだった。 CT診断の結果は、”大腸憩室炎”だった。 この”大腸憩室炎”は、今年の初めに同じような症状で診て貰ったかかりつけのO内科医院でも診断されたものだ。 他の内臓は一切異常はないということで安心した。 小さな結石があるが、これは痛く成ってから処置すればいいことだし、胃カメラも昨年に撮っているので問題ないと言うことであった。 ☆”大腸憩室炎”は原因はよく解らないが、高齢による便秘等で生じるようだと言う。 そういえば今年は強度の便秘が続いている。 炎症を抑える薬と痛み止めの薬を処方してもらった。 ☆昨年来、殆ど土・日もゆっくり休む暇も無かったので、今日はゆっくり過ごす。 午後はベッドに横になっていたが、腹の鈍痛があるので、横になっていても少しも楽にはならない。 処方してもらっていた痛み止めを服用して、午後半ばからはデスクワークをする。 もう8月の宮崎市内の画廊喫茶”シベール”の準備をしなければならないので、展示予定作品のリストを作成し、DM発送の準備をする。 ☆妻が今夜から8月のライブの練習に這入ると言うが、腹痛でハーモニカを吹ける気分ではないので、早めに床に就く。 7月9日(日) ☆晴れ。 今日も陽射しの強い一日。 ☆今日は短歌会「心の花」宮崎歌会の皆さんによる、「月の雫」彫刻ツアー。 天気予報では、昨日までは傘マークがついていたが、朝から抜けるような青空。 私はやはり晴れ男である。 ☆「心の花」の皆さんは宮崎駅に集合され、バスで高鍋駅へ来られた。 私たち夫妻と、高鍋在住のメンバーの方は高鍋駅前で合流した。 一行は伊藤一彦先生はじめ22名、それに西日本新聞宮崎支局長の神屋さんも同行されていた。 高鍋駅前ロータリーの「MOON DANCE」の前で集合写真を撮り、私の制作にまつわるお話をさせていただく。 ☆続いて高鍋町美術館へ。 高鍋町美術館の駐車場にはバスが這入れないので、バスは近くの妻の行きつけのスポーツジムに駐車させていただいて、お堀を超えて美術館へ。 昨日まで洗浄作業をしていた「再生」を見ていただき、美術館前の「上杉鷹山像」と「秋月種茂像」を見ていただく。 美術館はあいにく次の展示の準備のために休館中だったので、中央公民館でトイレ休憩。 ☆次に商店街に這入り、バスは宮崎銀行駐車場に待機してもらって、商店街のあかりモニュメントとあかりオブジェを見ていただく。 そして黒木本店へ移動して、黒木本店の「Quiet breathing」を見ていただき、伊藤先生の詠まれた歌の解題をしていただく。 ☆お昼は、近くの「笹船」で。 「笹船」では1時間半の滞在時間を取っていただき、会員全員の自己紹介と「月の雫」への想いなど語っていただく。 普段は皆さんは彫刻を手で触ったり、作者から直に話を聞くと言う経験は皆無なので、新鮮な体験だったようだ。 また「月の雫」の私の作品コメントを高く評価していただく方が多く、とても嬉しかった。 彫刻家以外の方たちからの感想をお聞きする機会は滅多に無いので、とても幸福な時間を共有させていただいた。 ☆「笹船」を出て、午後のツアーへ。 まず、伊藤先生と私の出会いの場である母校の高鍋高校へ。 高鍋高校の「再生」は、他の作品とのバランスの関係で「月の雫」には収録しなかった。 しかし、なぜ母校の作品を収録しなかったのかと言う悔いは残る。 ☆引続いてお隣の高鍋東小学校へ。 この「伸びる」は”明倫”の教育方針をフォルム化した作品で、大好きな作品なのだが、大理石なので汚れが激しく洗浄を断念した。 ☆引続いて、隣町の川南町へ向かい、尾鈴山のふもとの川南保育園へ。 ここの「いのち」は、「月の雫」の中でも人気の高い作品である。 そして最後に、同じ石井記念友愛社系列の十文字保育園へ。 ここの「おもい」は「月の雫」には収録されていないが、屋根の下に在るので大理石でも汚れが無く、皆さんが気持ちよく撫でておられた。 また園庭には「もりのようせい」というオブジェも設置しているので、それも見ていただき触れていただく。 石井記念友愛社系列の保育園の素晴らしい環境にみなさん感動の到りであった。 最後は、小旅行のお決まりで、お土産購入のために”ママンマルシェ TAKANABE”でお買い物。 黒木本店の焼酎の品ぞろえが揃っていたので、「心の花」の皆さんはこぞって購入されていた。 ☆私たちは宮崎銀行高鍋支店で下していただき、皆さんとお別れする。 私の作品はまだまだ県内各地にあるので、「月の雫」彫刻ツアーの第2弾、第3弾も企画したいと言うことであった。 今日は本当に充実した内容の濃い小旅行だった。 素晴らしい企画をしてくださった「心の花」の皆さんに感謝である。 ☆帰宅して、ホッとして缶ビールを呑み、少し仮眠をとる。 今日も暑い日差しだったので、快い精神的疲労に加えて、日焼けによる体力消耗でみなさんもどっと疲れが出られたのではないだろうか。 7月8日(土) ☆晴れ。 雲は多かったが強烈な陽射しの一日。 宮崎市は全国でもっとも高い34,9度を記録。 ☆午前に高鍋町美術館の”再生”にベンガラを塗る。 建ったままの作品に筆でベンガラを塗っていく作業が、こんなに大変だったとは。 2時間たっぷりかかってしまった。 ☆午後に高圧洗浄機でベンガラを洗い落す。 ある程度のベンガラを洗い落しておかないと、雨が降った時に作品全体にベンガラが流れてしまう。 しかし建った作品に高圧洗浄機をかけると、今日は気圧の関係で強風が吹き荒れていたので、噴霧状になったベンガラが周囲に飛散してしまい、大変だった。 私の作業着も露出した腕もベンガラで真っ赤になった。 この作品は2000年の制作だから、23年ぶりに化粧直しした訳である。 ☆暑さでへとへとになり、帰宅すると水風呂に這入ってリビングの床にひっくり返る。 本当は冷たいビールでも飲んで午睡を取りたかったが、夕刻に夕食食材の買い出しに行かねばならないので、水で我慢する。 ベンガラだらけになった作業着は直ぐに洗濯機にかけて干す。 ☆夜にお風呂に這入ったら、石鹸でベンガラは洗い落したはずなのに腕が真っ赤である。 湯船に這入ると首筋に強烈な痛み。 今日は陽射しが強かったので、真っ赤に日焼けしてしまったのだ。 今日のヘロヘロ疲労は完全な夏バテだ。 明日は「心の花」の皆さんとの「月の雫」彫刻ツアーがあるので、早めに寝る。 7月7日(金) ☆午前は雨。 午後から晴れる。 ☆午前に、中国・西安のシルクロード国際美術展のエントリーデータを作成。 エントリーの作品画像を捜すのに一苦労だった。 全ての画像データがHDDの破損で失われてしまったので、現在残ってフォルダの中に保存されている作品画像は無いか、片っ端からフォルダを開いていく。 幸いにも、エントリーしていたコンペやシンポジウムのデータ、あるいは空港展や高鍋高校OB美術展のフォルダに残っていた画像を拾い集めることができた。 ようやく午後にエントリーを完了。 折り返し、オルガナイザーからデータ受信の返事が届く。 ☆午後は晴れてきたので、高鍋町美術館の”再生”の洗浄作業に出かける。 昨日に吹きかけていた苔取りスプレーは、殆ど効果が無かった。 それで”さびとり花子”で汚れを落とす。 汚れを落し終わったところで雨が降り始めた。 ベンガラも塗り直しをしようと思っていたのだが、雨で流れてしまうので、作業は明日に廻す。 ところが帰宅したところで再び晴れてきてしまった。 ☆帰宅したら、妻のボーカルレッスン中であった。 もう8月26日のライブの練習が始まっていた。 8月26日のライブは、高鍋駅前の”MOON DANCE”設置にちなんでの駅前カレーカフェ”靜”でのライブなので、ニューヨーク在住の山本恵理さんに作詞作曲 していただいた”MOON DANCE”を演奏したい。 山本さんからは快く演奏の許可をいただいている。 今日は山本さんの楽譜では妻には音階が低すぎたので、2度高くして調整していたようだ。 その音階に合わせて片貝さんが私のハーモニカ譜を書いていただくと言うこと。 ”MOON DANCE”設置を記念しての”MOON DANCE"演奏なので、”MOON DANCE”制作者の私にはしっかりハーモニカで”MOON DANCE”を演奏していただかなくては、 ということ。 ☆夜は南町ジャズライブに出かける。 今夜は私の”MOON DANCE”除幕式の時に演奏していただいた松崎加代子さんのライブだったので、”MOON DANCE”小冊子とマグネットを持参して妻と出かける。 今回のライブは初CDリリースを記念してのツアーライブで、共演者はそのCD制作時と同じメンバーだった。 ところが共演者はいずれも若いミュージシャンなのだが、特にピアノとベースの演奏者が鬼気迫るもので、圧倒的なパフォーマンスで私達を大興奮させた。 こんなに昂奮したライブは初めてではなかっただろうか。 7月6日(木) ☆晴れ。 非常に蒸し暑い一日。 ☆中国・青島から、作品の借用に関する契約書が届いていたので、午前に和訳をする。 そして必要事項を記入して、昼前に返送する。 ☆午後に、古い外付けHDDのデータを、ようやく新しいHDDへの移動作業を終了。 ☆午後半ばから、宮崎銀行のあかりモニュメントと高鍋町美術館の”再生”に苔取りスプレーをかける。 先日に苔取りスプレーをかけた宮崎銀行のあかりモニュメントは、スプレーをかけて直ぐに雨になったにも関わらず、苔がすっかり落ちてくれていた。 夕刻に、再び今度は”さびとり花子”で宮崎銀行のあかりモニュメントを洗浄。 宮崎銀行のあかりモニュメントは本研磨してあるので、”さびとり花子”をかけるとたちまち汚れは落ちてくれて、ピカピカになった。 ☆ひょっとすると、体調の不良は夏バテかもしれない。 妻も昨日から吐き気がして辛いと言う。 私は私の誕生日前後のこの時季が夏バテで最も体調を崩す。 ここ数年は夏バテを経験していなかったのだが。 7月5日(水) ☆午前中は晴れ。 午後からは時折り小雨の混じる曇天。 夕刻からは青空が拡がる。 ☆午前に、以前に使っていたLet's Note2台を起動させて、ドキュメントフォルダに残していたデータファイルを新しい外付けHDDにコピーする。 しかしパソコンのドキュメントに残しているデータは比較的使用頻度の高い物だけなので、多くのデータは壊れてしまったHDDに移してしまっている。 その壊れてしまったHDDの修復不可能の作業報告書が届いたが、専門的すぎてさっぱりわからない。 出来る限りの最高レベルの技術でやってみたが、復元は不可能だったと言うこと。 ☆午後に、日曜日の「心の花」による「月の雫」彫刻ツアーの皆さんにお配りするデータの整理作業。 商店街のあかりオブジェも散策して見ていただくので、以前にクラウドファンディング用に作っていたあかり設置一覧に、記載していなかったあかりオブジェを加えて 編集する。 ただあかりオブジェの画像はこのパソコンに保存している各オブジェ画像1枚のみなので、写真を入れ替えることができない。 壊れてしまったHDDの影響がモロに出てきてしまう。 ☆今日は風邪気味の影響なのか、午後からコロナ後遺症気味の体の不調が出てきて、辛かった。 7月4日(火) ☆晴れ。 午後からは雲が出て、夕刻からは雨。 ☆夜中にとても冷え込んで、起き抜けから咳込んで鼻水がタラタラ。 食欲も無く、朝食も何時もの半分しか腹に収まらなかった。 完全に風邪気味である。 ☆天気予報では今週は今日しか晴れマークが無いので、午前に川南保育園へ出かけて、モニュメントの汚れを落す。 次の日曜日に短歌会「心の花」の「月の雫」彫刻ツアーで訪れる先の、汚れたモニュメントを綺麗にしておきたい。 しかしこの川南保育園と高鍋東小学校のモニュメントは大理石で、果たして汚れが落ちるのか心配であった。 そして、やはり高圧洗浄機ではまったく何の効果も無く、ペーパー手磨きでもわずかの汚れしか取れなかった。 大理石の本格的な洗浄作業は、本腰を入れて砥石での手磨きからやらなければならないのだろうか。 高鍋東小学校の大理石モニュメントは真っ黒になっているので、洗浄は断念する。 夕刻に、宮崎銀行のあかりモニュメントの汚れ部分に苔取りのスプレーを掛けたが、雨が降り始めて直ぐに流れ落ちてしまった。 こちらは御影石なので洗浄は可能である。 ☆夜は中町公民館の夏祭り予算審議。 今年は4年ぶりに夏祭りが開催される。 4年ぶりの祭り対応なので、もうかなり色んな記憶が曖昧になってきてしまっている。 それに中町公民館は戸数も減り、高齢化が進んでいるので、これまでのような対応が出来無くなってきている。 7月3日(月) ☆一日、激しい雨。 雨は夕刻には上り、青空が拡がる。 熊本県では線状降水帯で大きな被害が出て、宮崎県でも山間部は土砂崩れなどの被害が出た。 ただ宮崎県では、いまのところ人的被害、住家被害は出ていない。 天気予報ではこの先もずっと雨模様である。 ☆午前に妻と宮崎市内へ出る。 海添いの一ッ葉有料道路は前も見えないほどの大雨だった。 妻の所用で青島の宮崎県総合運動公園まで足を延ばして、帰路に市内の画廊喫茶”シベール”に立ち寄る。 8月の版画二人展のポスターとDMをお渡しして、おおよその展示作品数を確認する。 二人でおよそ30点、小作品もあるので、40点をリストアップしておこう。 ☆昼前に帰宅。 妻は昨日のライブのアンケートを集計しながら、もう8月のライブのことを綿密に計画を建て始める。 私は急ぎ、彫刻家モードに切り替え無ければならないので、2階の書斎で自分の作業をする。 7月2日(日) ☆夜明けては晴れ。 午前は再び重い曇天となったが、午後は雲が切れて上天気となる。 気温も急上昇して、非常に蒸し暑い一日となる。 ☆今日は”SETSU SUMMEER LIVE”。 午前10時から、会場の南町公民館の会場設営。 機材の調整を経て、12時半からリハーサル。 私はまだまだ音が外れたり、這入りがワンテンポ遅れたりの不安の多い状態だったが、昨日のリハーサルよりは少しは良くなった。 ☆午後2時から開演。 来場者は25名。 素人のライブなので充分なお客さんであった。 タイトル通りに、夏に関する曲を選んで13曲の演奏。 そして今回は、私のハーモニカソロが聞きたいと言う来場者からのリクエストに応えて、私のソロや出番が多い緊張のライブであった。 ☆ところが私はもうステージ上で緊張することが無くなっていた。 とてもリラックスした状態で、照沼さんのドラムや中村さんのベースが私の音のブレをきちんと抑えてくれている。 結果的にほとんどミスのない、私自身が信じられないくらいに上出来のハーモニカ演奏を披露することができた。 ☆来場者の皆さんからのアンケートでも、ハーモニカに感動して頂いた方が多かった。 また演奏者の皆さんからも、最高の出来だったと褒めていただいた。 2,3日前までの、幼稚園生以下のレベルからは考えられない演奏が出来た。 奇蹟と言っても過言ではない今日のステージだった。 ☆私の御尻を蹴とばしながら、毎日特訓してくれた妻に感謝である。 妻の力が無かったら、人前でこんなハーモニカ演奏を披露できるようになることは不可能だった。 ☆まだ明るい5時半から、近くの”吉宝”で打ち上げ。 次は8月26日に、高鍋駅前カレーカフェ”靜”でのライブである。 7月1日(土) ☆午前まで激しい雨。 夜中の雨は激しかったが、幸い雨漏りも無し。 午後からは雨は小降りとなり、夕刻からは青空が開けて来る。 夜には、リビングの障子を開けると、目の前に12,9夜の月がいくぶん朧に浮かんでいて驚く。 ☆午後に、我が家で明日のライブのリハーサル。 ドラムの照沼さん、べースの中村さんを加えての演奏で、何時もより気持ちよくハーモニカを演奏できた。 どの曲もいつもはうまく行くのにテンポが狂ったりのミスが続いたが、全体的にはいつものような大きなミスは無かった。 やはり今朝までの特訓の成果と、ドラムとベースのリズムに合わせられたからであろう。 照沼さんからも、いい感じですよと言ってもらえた。 やっと、何とか明日にはライブに望めそうである。 心配した雨も、明日は上がりそうである。 ☆復元不可能と判断された外付けHDDをなんとかリカバリーできる手段は無いのか、とネットで調べてみた。 データ復元のサイトを開くと、私が作業を依頼した会社の広告が必ず表記される。 復元成功率95,5%と歌ってある。 つまり100%近いデータ復元率を宣伝しているのに、私のHDDは復元できなかった訳で、どこか釈然としない。 何か他に方法が有るのではないか、と調べていると、1つだけ可能性のある方向があった。 それはリカバリーの技術は日々進歩しているので、現在の技術では不可能な作業が、将来の新しい技術で復元できる可能性が在り、壊れたHDDは破棄せずに そのまま保管しておくべき、というものである。 実際にそうやって、過去の技術では復元できなかったものが最新の技術で復元できた実績があるのだそうだ。 ただ10年、20年もその機会を待っていたら、データの復元が必要な私自身がもうこの世には存在しなくなっている確立の方が高い。 |
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