Back to toppage このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。 過去の日記 2023 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2022 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2021 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2020 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 |
2023 | 6月30日(金) ☆起き抜けは全身がびしょびしょになるようなものすごい湿気。 何か大雨が近づいている予感。 日中は降ったり晴れたりの不安定な気候。 夜に這入って凄まじい災害級の雷雨。 夜中にも激しい雷鳴と土砂降りの雨音に目が醒めて、あわててリビングに降りてパソコンの電源を抜く。 ☆とうとう6月も終わり、あっという間に今年の前半が去った。 後半も10月一杯までフルスケジュールで、超多忙となる。 ☆今日の宮崎日日新聞「歌の窓」は、「月の雫」からの3首目。 宮崎国際エントランスプラザに設置してある「森の中の月」を伊藤先生が詠まれたもの。 この作品は、家族で高鍋町の舞鶴公園に向かって散歩していたときに、森の上の太陽がぐんぐんと森の中に沈んでいった時の印象を、 太陽を月に代えてイメージして制作した作品である。 この森の中の向いあった月が、その後に「MOON DANCE」となった。 伊藤先生は向かい合った月を親にはぐれ月の子供とイメージされ、福原さんは設置場所に接する日向灘の海上に現れる”月の道”を通って 月の子供が親元に帰っていくと言う展開をされていて、お二人のイメージの飛躍がとても楽しい。 ☆午前に高鍋町役場へ出かけて、ライブの駐車場のための石原街区公園の使用許可申請書を提出し、鍵を借りる。 ☆午後はライブの練習。 昨日はうまく行ったところが、今日は全然ダメだっだり。 ☆壊れてしまった外付けHDDのデータ復元作業の途中経過報告が這入った。 しかしそれは最悪のものだった。 先日の報告では、思っていたよりもデータの復元は出来そうだと言うことだったが、やはり傷がかなり深くて、結果的にデータは全く復元できない状態だったと言うこと。 それで修理は不可能で、預かったHDDは今日の便で返却と言うこと。 大変なことになった。 このHDDの前に使っていた旧型の外付けHDDはまだ正常に使えて、今、毎日少しずつ新しいHDDにデータを移行させている。 しかし少しずつデータを移行させないと、すぐにエラーが出る。 この旧型のHDDももうギリギリの状態なのだ。 そしてこの旧型のHDDに保存しているデータは2004年から2012年までのもので、壊れてしまったHDDには私が最も活動量の多かったこの10年間のデータが 詰まっていた。 そしておそらく使う頻度の高いデータは、この旧型HDDから壊れてしまったHDDに移行させてしまっている。 そのデータが全て失われてしまうのだ。 こうなったら火事ですべてが灰になったか、水害で家が水没してデータがすべて消えてしまったという想定外の被害に遭ってしまったと思うしかない。 殆どの海外シンポジウムの画像データが無くなってしまう。 6月29日(木) ☆晴れ。 夕刻に高鍋町には豪雨予報が出されたが、雨の降る気配は全く無し。 蒸し暑い一日。 ☆コロナワクチン接種の副作用は何も無し。 注射を打った腕も、触らない限り痛みの感覚は無し。 コロナ感染による抗体が残っているせいかもしれない。 それよりも、一日蒸し暑くて、エアコンの効いた部屋に居たので体調を崩して、夕刻からは鼻水がタラタラで体がだるくてかなわなかった。 ☆午前はハーモニカを吹く気分ではなく、午後からハーモニカの練習をする。 クロマチックハーモニカは低音と高音がとても出にくい。 それを克服するには吹き方を工夫するより無いのだそうだ。 高音は何んとか辛いが音が出せるようになったが、低音のファが詰まった音しか出せない。 しかしユーチューブでプロの演奏を聞いてみると、低音も高音もとてもスムーズに音が出ている。 ハーモニカも私が持っているものと同じようなものである。 それでネットで調べてみたら、低音の音が出なかったり、詰まったりするようになるのは、音を鳴らすための空間が口の中に作られていないからで、 低音域ではあくびをするようにのどを大きく広げた状態で吸うときれいに音が出る、とある。 そのためには低音を吹くときに上を向いて吹くと音が出やすいとあったので、試してみた。 すると、確かにあれほど苦労しても出なかった低音ファの音がスムーズに出る。 これでかなりいつもよりきれいな音が出せるようになったが、演奏自体は相変わらず途中でとちったり音を外したりで、一度もまともに演奏できない。 妻に聞いてもらうと、私は音の這入りが遅かったり早かったり、また演奏自体も速くなったり遅くなったりで不安定なのだそうだ。 練習できるのはあと2日! 6月28日(水) ☆朝のうちは晴れ。 次第に雲が出て、このまま天気予報通りに雨になると思いきや、午後からは一気に再び晴れて来る。 今日も真夏の暑さ ☆今日の宮崎日日新聞「歌の窓」は、「月の雫」からの2首め。 川南保育園に設置した大理石の「いのち」を伊藤先生が詠まれたもの。 この「いのち」は母子像のイメージでの制作依頼を受けたもので、私は親の愛に包まれて育まれる子供たちの姿を、鞘の中の豆粒として表現した。 先日、「月の雫」彫刻ツアーの件でお訪ねした時に、園長さんはこの作品は子供たちにも人気で、園児たちが何時も豆粒を撫でて愛しんでくれていると言うことだった。 それにしてもあらためて伊藤先生の短歌を読み直し、選者の福原さんの解説を詠むと、お二人の洞察の深さに恐れ入った。 「月の雫」彫刻ツアーで、実際の作品を目にされての短歌会「心の花」の皆さんと伊藤先生と福原さんの感想も楽しみだ。 ☆午前はライブで演奏する楽譜とオリジナルの演奏を照らし合わせながら、耳での特訓。 ☆午後にコロナワクチン6回目の接種。 ワクチンは前回5回目接種と同じコミナティーのワクチンだった。 前回は殆ど副作用は無かったし、今回も夜になっても腕の痛みは気が付かないと感じない程度。 接種会場が町内の病院だったので、強制的にマスク着用となった。 私は蓄膿症で慢性的な鼻づまりなので、マスクをすると呼吸困難になってしまい、とても辛い。 大学入試や将棋大会での鼻マスクで失格になったりする出来事があるたびに、わがことのように、なんという理不尽な批判をするのだろうと怒りがたぎる。 ☆午后後半は妻とライブの練習。 昨日はうまく行ったことが、今日はまったくうまく行かない。 ライブまであと4日。 毎日、自己嫌悪で針の筵状態である。 夜は、コロナワクチン副作用に配慮して、晩酌もせずライブの練習もせず、早々に床に就く。 6月27日(火) ☆晴れ。 夜中に猛烈な蒸し暑さ。 日中も気温がうなぎ昇り。 雲ももう全くの夏雲で、一気に夏が来た。 宮崎県内は各地で30度以上の猛暑日となり、高鍋町は33,8度。 ☆今日は一日をライブのためにハーモニカ練習に充てるつもりだった。 しかしユーチューブで録画していたミュージシャンたちの動画を見ようとしたら、いきなり圧縮ソフトが起動して動画が再生できない。 何度やっても同じなので、システムの復元をかけてみたら、その作業で午前中はパソコンが使えなくなってしまった。 よやくシステムの復元が終了したが、動画の再生で圧縮ソフトが起動することは何も是正されていなかった。 それでこの圧縮ソフトはあまり使わないソフトなので、アンインストールして、ようやく正常に戻った。 ところが今度はOUTLOOKがまったく起動しなくなり、メールの受信が出来なくなってしまった。 ネットで原因を調べると、パソコンを再起動すると解決することがあるとあり、再起動すると確かに正常に戻った。 結局、午前はパソコンの不具合に振り回される。 ☆午後は、8月の画廊喫茶での二人展会場用のポスターのパネル張り作業。 拡大コピーしたフライヤーをのり付きパネルに切り貼りしてゆく作業は、なかなかにうまく行かない。 パソコンでプロのミュージシャンのハーモニカ演奏を聞きながら作業していたら、私の演奏は幼稚園生以下で精神状態は最悪になる。 ☆ようやくハーモニカ練習にかかれたのは、もう夕刻であった。 しかし何度練習しても、まったく上達しない。 ☆中国・青島から、正式に招待出品作家決定の案内が届く。 6月26日(月) ☆晴れ。 午後は雲が出てきたが、おおむね晴れ。 気温は上昇して、非常に蒸し暑い一日。 ☆今朝の宮崎日日新聞「歌の窓」に、再び「月の雫」からの伊藤先生の歌が紹介された。 今日から3回連続で「月の雫」からの歌が紹介される。 本当は前回同様に5首を連載される予定だったそうだが、選者の福原さんは伊藤先生の歌が”難解”で、作品画像なしの文章だけでの解説では表現できない ということで3首に絞られたと言うことであった。 今日の歌は、高鍋東小学校の100周年モニュメント「伸びる」を伊藤先生が詠まれたもの。 今回の3首のうち2首は、7月9日の「月の雫」彫刻ツアーで訪れる作品を詠まれたものなので(もう1首は時間の都合で訪問はカット)、彫刻ツアーの直前の 今の時期に掲載されたようだ。 ☆今日は一日、ライブの練習。 今週は仕事は何も入れずに、ライブの練習に没頭しようと思っている。 午後からは妻のボーカルレッスンで、ライブの前の最後の片貝さんによる指導。 少しずつ私の悪い癖が是正されてはきたが、ライブまでにどこまで良くなるのだろうか。 6月25日(日) ☆午前は小雨交じりの曇天。 午後からは雨模様となり、夕刻からは激しく降る。 蒸し暑い一日。 ☆来週の日曜日のライブの時に、8月末の高鍋駅前カレーカフェ”靜”でのライブの告知をしたいと妻が言う。 それで午前は急遽、”靜”でのライブのフライヤーを作る。 ☆午後は、1週間後のライブの練習。 私はまだ1曲もまともに演奏できない。 今日の妻からの特訓で、私のリズムの乱れなどの原因がいくつか解ったが、それを残りの日々で克服出来るのか。 本当に老いている暇はない。 6月24日(土) ☆晴れのち曇り。 ☆午前は、昨夜に届いた西安・シルクロード国際美術展の開催要項の和訳。 私は2017年、2018年、2019年の3回に連続して参加しているが、考えてみればそれ以降に制作した小作品は数点しかない。 8月の中国・青島の小作品展もあるし、10月の宮崎空港での兄弟展もある。 ほとんど同じ作品を使いまわすしかない状況なのだが・・・。 ☆午後に、8月に宮崎市内の画廊喫茶で開催する版画二人展のDMとポスターのレイアウト作業。 画廊から近日中の準備を申し渡されているので、夕刻までにデータを作成して、ネットでDMの印刷を注文する。 6月23日(金) ☆晴れ。 陽射しの暑い一日。 ☆午前にポルトガルのリスボンーファロ間のチケットを予約。 気になっていたのだが、やはりリスボンーファロ間の飛行機は中型機で、受託手荷物の設定の無いフライト運賃だった。 受託手荷物料金を追加すると、3倍近い料金になった。 朝はゆっくりリスボンで過ごそうと思って12時発の受託手荷物料金でのフライトを予約しようとしたら、なんとすでに売り切れていた。 仕方なく9時50分発の受託手荷物料金追加のフライトを予約し、無事に購入できた。 だが詳細を見ると、ファロからリスボンのフライトには受託手荷物23kgが明記されているが、リスボンからファロへのフライトには受託荷物は記載されていない。 直接に航空会社に問い合わせてください、とある。 私は重い道具を持って行かなければならないので、リスボンから宅急便でファロまで道具を送らなければならないのか、と困惑してしまった。 しかし、午後に届いたeチケットには、ちゃんとリスボンからファロまでのフライトにも受託荷物23kagと明記されていた。 どおりで、片道だけの受託手荷物料金にしてはあまりにも高額だと思っていた。 これで一件落着。 残るは、リスボンとファロのホテルの予約である。 ポルトガルへ行くのがこんなに大変だったとは。 ☆午後に、7月9日の「月の雫」彫刻ツアーで廻る保育園、小学校、高校へ作品鑑賞訪問のお願いに伺う。 日曜日なので、いずこも対応は出来ないが、自由にバスで敷地内に這入ってもらって構いませんと快く承諾していただいた。 ☆夜に、久しぶりに中国・西安からシルクロード美術展の出品案内が届く。 彫刻は写真だけで良かったので、今回も応募しよう。 ☆夜は高鍋高校同窓会の評議委員会。 会後に懇親会。 コロナ禍で評議員会後に懇親会が開かれたのは4年ぶり。 6月22日(木) ☆晴れ。 午前は雲が多かったが、午後は快晴となり、ぐんぐんと気温が上昇。 真夏の暑さとなる。 ☆午前にポルトガルのリスボンーファロ間のフライトをチェック。 帰りのファロ発がリスボンでの搭乗に間に合うのか気がかりだったので、オルガナイザーに問い合わせる。 行きは、もう2度と行くことはないかも知れないリスボンとファロでゆっくり過ごしてみたい。 ファロは昔のポルトガルの好さがそのまま残っている街らしい。 ☆外付けHDDの修理を依頼している会社から、届いたHDDを開いてみた報告の電話があった。 ダメージはかなりのもので、深い傷がかなりあり、データの復元は相当に難しいということ。 この傷を埋める作業が非常に困難な作業で、他のデカバリー業者からも自社では対応できずに依頼が来る作業なのだと言う。 それでどうしても復元して欲しいデータと予算を聞かれたが、データはどれも必要なものなのだが、私の制作活動に関するデータは復元して欲しい。 予算は全く考えていなかったので、10万円前後と答えたら、10万円では何の作業もできないということ。 午後になって、更に状態を詳しく点検した状況での見積もり額が届いた。 HDDのダメージは思ったよりも厳しく無くて、全部のデータの復元は困難でも、ある程度の復元は出来そうだという。 そして見積額は約20万円だった。 新しくレベルの高いノートパソコンを買うくらいの経費だ。 想定外の大きな出費だが、大切なデータなので作業をお願いする。 デジタルデータの保存がこんなに大変なものだとは思わなかった。 全てがデジタルの時代、皆さんはどのようにして大切なデータを保存しているのだろう。 ☆午後に散髪。 理髪店の主人に、デジタルデータの保存はどうしているかと尋ねたら、パソコンは全く使わないので、スマホのデータをクラウドに保存していると言う。 そして私のように保存しなければならない膨大なデータなんてないので、容量制限のあるクラウドで充分なのだと言う。 ☆夕刻に、空港展の間に伸び放題になった庭の草刈り。 6月21日(水) ☆雨。 激しく降る。 水冷で気温は上がらず。 ☆一日、ポルトガルへのチケットの再点検。 ポルトガルはリスボンから最終空港のFaroまでのチケットを捜してみたが、あるにはあるが、所用時間がとても長い。 乗り継ぎが多く、ロンドンで18時間も待ち時間があったりする。 そしてFaroも国際空港なので、リスボンとFaroのどちらで入国審査があるのかもわからないし、ネットで調べるとリスボン空港は入国審査にすごく時間がかかるとある。 そうなると、果たして21:25にリスボンに着いても、23:05発のFaro行に間に合うのかもわからない。 しかも格安チケットは残り1席になってしまっている。 早急にチケットを購入しないと間に合わない。 H.I.Sの営業所が宮崎にあった時には、メールで馴染みの担当者と打ち合わせて、きちんとしたフライトスケジュールを組んでくれた。 しかしコロナで宮崎の営業所が廃止になったので、直接に予約センターへ電話を入れて確認するしかなかった。 やはり入国審査はリスボン空港で行われ、入国審査に時間がかかるので、その夜のうちにFaro行のフライトに乗ることはお勧めできません、と言うことであった。 これでポルトガル入国の夜はリスボンに泊まらなければならないことがはっきりした。 ネットで予約を入れようとすると、会員登録をしなければならない。 私はこれまでH.I.Sの営業所から手配してもらっていたので、会員登録はしていなかったようだ。 電話での予約は手数料がかかって割高になります、と言うことであった。 何んとか会員登録をして、ネットで予約すると、残り1席のチケットが無事に取れた。 ☆リスボンまでのチケットが取れたので、続いて残席がわずかになっていた福岡までの国内線のスーパーバリューを予約購入し、 行きも帰りも福岡に泊まらなければならないので、定宿のホテルの予約をする。 これらの作業が終わったのはもう暮れてからであった。 リスボンからFaroまでの予約は明日に廻す。 これにリスボンとFaroでのホテル代を加算すると、旅費の自己負担分とシンポジウムの報酬は殆ど変わらなくなる。 やはりシンポジウム参加は手出しの方が多くなってしまう。 ☆石井記念友愛社の”ゆうあい通信”6月10日発行号に、児嶋理事長が私の彫刻公園構想のことについて書いてくれている。 「心の花」の福原さんから、この”ゆうあい通信”が届いたので、コピーして7月9日の「月の雫」彫刻ツアーの参加者に配りますと言うメールが届いた。 それで石井記念友愛社のHPを見たら、すでにウェブサイトでも公開してあった。 先日の祝賀会の席での挨拶を元にした長い文章である。 ウェブサイトはこちらから 「月と愛の彫刻家 田中等」 ゆうあい通信 | 社会福祉法人石井記念友愛社 (yuuaisya.jp) ☆今日は37回目の結婚記念日。 私の手料理でお祝いをする。 6月20日(火) ☆晴れ。 雲は多し。 ☆先日から外付けHDDのデータの読み込みがおかしくなり、とうとうパソコンがHDDを認識しなくなった。 それで私のパソコンとの相性の問題だけなのか、妻のパソコンと以前使っていたパソコンとに接続してみたが、やはりまったく認識されない。 通電ランプは点灯するので接続ケーブルの不具合ではない。 ネットで調べてみるとどうやらHDD自体の問題だと解った。 外付けHDDの寿命はなんと3〜4年で、外付けHDDは経年劣化で壊れることが殆どなのだ言う。 私の過去の全てのデータはこの外付けHDDに保存してあるので、このデータが読み込めなくなると一大事である。 それで専門の業者に問いあわせて、点検修理をお願いすることにした。 費用は点検してみないと解らないが、私のHDDは3TBなので最低が50,000円、上限は500、000円以上になることもあると言う。 午後に宅急便が集荷に来たので発送する。 こんなに寿命の短い外付けHDDに大切なデータを保存するなんてとんでもないが、有効な保存方法について尋ねると、1つのHDDだけに保存するのではなく、 幾つかのHDDに保存しておくのが良いのだという。 いまはクラウドに保存する方法もあって、若い人たちの会話にはよくクラウド保存の話が出て来るが、私にはさっぱり理解できない。 無事にデータが救出できることを願いたい。 ☆ポルトガルへのチケットスケジュールを再確認した。 福岡までの国内線の空き状況を調べてみたら、早割のスーパーバリューはもう残席がわずかしか無い。 10月は旅行シーズンなので、もう早割は予約で一杯なのだ。 早急にチケットを購入しないと、安い旅費が確保できなくなる。 この安いチケット料金でも、旅費補助を差し引いた自己負担額は先日の空港展出品作品の購入代金に等しい。 それでポルトガルのオルガナイザーにフライトスケジュールの確認をお願いした。 問題なければ今日中にでもチケットを購入したかった。 だがオルガナイザーからの返事は、問題はないが、私の判断ではリスボンから移動する国内線到着の最寄りの街でゆっくりした方が良いのでは、と言う。 確かに国内線の到着時刻が夜中の23時50分なので、それから60km先のシンポジウム会場の街まで移動するとなると、ホテルのチェックインが2時、3時に なってしまう。 もう一度フライトスケジュールを見直すことにする。 6月19日(月) ☆快晴。 宮崎県内の気温は急上昇。 各地で30度以上の真夏日となった。 ☆午前に宮崎空港へ。 空港展出品の県外作家の作品送り委託作業。 今回からゆうパックにお願いしたが、これまでの宅急便会社に較べ格段に送料が安いのにびっくり。 昼前には発送作業完了。 ☆その足で、私は私の作品を購入して下さった方の事務所へ作品をお届けする。 購入してくださったのは著名な写真家で、私がセラミックの会社勤めの時からの知り合いだが、オフィスを訪ねたのは初めてであった。 彫刻家と写真家の”視点”は共通していると言う興味深いお話など伺う。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 私もハーモニカでジョイント。 ライブまでは今日を含めて2回しかレッスンの時間は無い。 私はまだ殆どの曲を吹きこなせない。 特に今回は、これまでにライブに来られたお客さんからの要望で、私のハーモニカのソロが聞きたいということで、私の出番がすごく多い。 今日は朝から風邪気味で鼻水たらたらの状態だったので、呼吸が乱れていて、何時もなら巧く吹けるところもまったくついて行けず、ヘロヘロ状態であった。 あと10日で何とかなるのだろうか。 ☆お昼に私の作品を届けに行って気が付いた。 この作品は10月の空港ビル3階での兄弟展の時に展示しなければならないので、搬入前に借り受けに行かなければならない。 その借用の作業を他人に任せる訳には行かないので、私は搬入時には宮崎に居なければならないのだ。 つまり、先日にエントリーした9月中旬から開催される某海外シンポジウムには参加できないのだ。 兄弟展の事前準備もある。 それで、オルガナイザーにエントリーのキャンセルを申し出る。 6月18日(日) ☆一日、雨。 ☆夜中、コロナ後遺症できつく、眠れなくなった。 寝ているのがきついので、午前4時に起きる。 ☆空港展、最終日。 雨の日曜日で、空港展への来場者はまばらだったが、作品は大きく動いた。 今日になって、作品2点の売買が決まった。 当初の動きから、最終的には5点は売れるのではと見込んでいたのだが、その通りになった。 近年は彫刻展での販売実績は殆ど沈黙状態が続いていたので、5点も売れたのは久しくなかったことだ。 コロナが明けて、購買意欲が高まってきているのかもしれない。 ☆午後2時より搬出。 いつもは午後3時からの搬出作業なのだが、年々運送会社の対応が厳しくなってきていて、今回は昨年までの運送会社に作品搬送を拒まれた。 それで今回は唯一対応してくれた”ゆうパック”で送ることにしたので、例年以上に梱包作業を丁寧に進める必要があった。 ”ゆうパック”に拒否されたら、空港展開催は終了とならざるを得ない状況である。 今の世の中、あらゆることがおかしくなってきている。 これまで普通に出来ていたことが、あらゆることが何も出来なくなってきている。 6月17日(土) ☆晴れ。 午後には雲が出て曇天となったが、午後半ばには再びスッキリと晴れる。 ☆空港展会場へ詰める。 ☆会場に、昨日の宮崎日日新聞の記者コラムのコピーが張ってあった。 空港ビルの上層部が記事の内容に感動され、多くの人に読んでいただきたいので、記事共有問題が生じたら空港ビルが責任を持つから、という指示だということ。 全くその通りだと思う。 新聞購読者が激減して、新聞という紙媒体の存続さえ危惧されているこの時勢である。 記事を書く記者の立場からしては、書いた記事は多くの人に目に触れて欲しいハズであるし、私たちも多くの人に読んで欲しい。 そうでなかったら、記事を書く意味がない。 空港ビルの判断を受けて、私もフェイスブックに記事を投稿した。 ☆受付をしながら、10月のポルトガルへのチケットを調べてみた。 そうしたら格安チケットはもう4席しか残っていなかった。 実はポルトガルのシンポジウムの直前に開催される別なシンポジウムにエントリーしていて、そのエントリー結果が出てからチケットを手配しようと思っていた。 しかしそのシンポジウムのエントリー結果が出るのは7月10日なので、招待作家に選ばれなかったら、その時にはすでにポルトガルへの格安チケットは手に這入らない。 ポルトガルの旅費補助は一部しか支払われないので、出来るだけ安いチケットを購入しないと、シンポジウム報酬が旅費で消えてしまうのである。 どうすべきか、頭を抱えてしまった。 6月16日(金) ☆晴れ。 午後からは雲が多くなる。 ☆今日は一日、自宅でハーモニカの練習。 午後が妻のボーカルレッスン日で、7月のライブまでもう2週間しかないので、ライブの練習をする。 午前は独りで、練習。 午後のリハーサルでは、これまで全く吹けなかった曲が午前の練習の成果が出て、初めて吹けた。 しかし他の曲は全くリズムが合わなかった。 あと2週間で、人前で吹けるようになるのか。 ☆リハーサルが終って、ボーカル講師の片貝さんと高鍋駅前のカレーカフェ”静”へ。 8月26日に予定している”静”でのライブの打ち合わせ。 ☆昨日にアップした空港展の作品紹介サイトを見た作家の方から、作品データが昨年のままだという指摘を受けた。 調べてみたら、半分のデータが、作品画像と作家顔画像を入れ替えただけで、作品データは未編集のままだったことが分った。 全ての作品のデータをチェックして修正し、更新する。 ☆今日の宮崎日日新聞の文化欄に、空港展を取材してくれた記者からの空港展に関するコラムが掲載されていた。 空港展へのとても好意的なコラムで、”ふらりと遊びに行ってほしい。”と結んであった。 また読者投稿欄”窓”には、久しぶりに高鍋町に出かけてみた感想の中で駅前モニュメントのことが書かれてあった。 この2つの記事は、是非宮日新聞を購読していない多くの方々に読んで欲しいものなのだが、例の”知的財産権”の訴訟問題で、フェイスブックに投稿するのを ためらってしまう。 どう考えてもおかしい。 多様性の時代と謳いながら、実際は全く身動きの取れない実に窮屈な世界に世の中が突き進んでいる。 6月15日(木) ☆夜明けまでは雨。 午前は晴れたり曇ったりの不安定な天気だったが、午後半ばからは天候は回復して晴れる。 ☆昼前に宮崎空港へ。 ☆午後直ぐに、三兄と空港ビル業務部・石尾さんとで、10月に空港ビル3階ギャラリーで開催する田中兄弟展の打ち合わせ。 当初は三兄単独での個展開催の予定だったが、兄の作品数が揃わないので私にも協力して欲しいということになり、2014年以来の空港での兄弟展となる。 ただ私も展示できる新しい作品は全く無いので、彫刻はこれまでの空港展に出品した作品の数点しかない。 これに版画の新作を加えたいとは思っているが、これから先は超多忙な毎日が待っているので版画の新作に取り組めるのかもわからない。 何より、私は10月は海外に居て、搬入展示作業も出来ない可能性が高い。 ☆午後は「宮崎の現代彫刻展」の更新作業。 昨日は転送が出来なかったので、その原因を調べてみたら編集作業中に不要な設定が混じり込んでいたりしていたことが解って、無事に空港展のウェブサイトを 更新することができた。 ところが夜になって、自宅でレイアウトの修正作業をやっていたら、またも転送が出来なくなった。 その原因が全く分からないので、念のため、パソコンを再起動して転送してもたら、無事に転送できた。 それでようやくフェイスブックにURLを投稿する。 ウェブサイトはこちらから: 2023 Miyazaki Airport International Sculpture Exhibition (fc2.com) ☆この「宮崎の現代彫刻展」の編集作業で、宮崎彫刻グループは昨年に結成40年を迎え、今年は結成41年目に這入っていたことを知った。 6月14日(水) ☆曇り。 夜に雨。 ☆昼前に宮崎空港へ。 空港展も終盤に這入ったが、作品売買の動きはまったく止まってしまった。 ☆私は受付をしながら「宮崎の現代彫刻展」HPの更新作業をする。 先日はFTPの設定がこのHPの設定になってしまっていたが、今日はきちんと正しい設定に戻っていた。 そして昨年は半年以上の更新が無い時に「FTP接続ロック」がかかっていて転送できなかったので、「FTP接続ロック」を解除して転送してみた。 しかし、接続設定が間違っているというエラーは出なくなったが、転送に凄く時間がかかったあげく、転送できない。 解決するまでに、もう少し時間が必要だ。 ☆今年に制作にかかる予定だったブロンズ像の制作が来年に延びた。 依頼者に設置場所を由来の在る公的空間にとの想いがあり、宮崎市役所の担当課に相談に行ったことはこの日記にも書いた。 だがその後の他の関連担当窓口との打ち合わせがほぼ門前払いとなって、交渉は凍結状態のままだと言うこと。 やはり個人で制作したものを公共空間に設置してもらうには、かなり高いハードルを乗り越えなければならない。 どのみち、私も秋までのスケジュールがほぼ埋まってしまったので、ブロンズ像に取り掛かれる時間が無くなった。 6月13日(火) ☆午前は晴れ間の出る曇天。 夕刻からは雨。 ☆昼前から宮崎空港。 ☆今日も受付をしながら「宮崎の現代彫刻展」HPの編集作業。 ☆昨日に資料を送ったポルトガルシンポジウムのオルガナイザーから、プロポーザルを受け取ったと言う返事とチケット手配の連絡が届いた。 シンポジウムの開催される場所は首都のリスボンから300kmも離れていて、空港からはバスで行かなければならないとのこと。 300kmと言えば宮崎からは門司までの距離で、300kmをバスで移動するとなるとほぼ一日工程である。 Faroという空港ならば60kmの距離なので、関係者が車で迎えに来てくれると言う。 日本からFaroまで飛ぶフライトが組めるのだろうか。 ☆夕刻に、ロシア・UFAでお世話になったカテリーナから、思いがけないメッセンジャーでの連絡が届いた。 私の作品の大ファンである彼女は、私をドバイに招いて、彼女のプロジェクトで私と一緒に仕事をしたいのが夢であると言う。 なぜドバイなのかと思ったら、彼女は今はドバイに居住していて、ドバイで仕事をしているようだ。 何時私を招待できるかは未定だが、必ず私を招待して作品を制作してもらうと言う。 嬉しい申し出である。 その日が来るのを楽しみに待とう。 6月12日(月) ☆時々小雨の混じる曇天。 ☆午前の裡に片づけもののデスクワークをして、昼前に宮崎空港へ。 夕刻まで、空港展受付。 午前のうちに、昨日までにまとめた招待決定の海外シンポジウムへ提出資料を送る。 ☆午後に短歌会「心の花」事務局の福原さんと岩切さんが来訪。 お昼を摂りながら、7月9日の「月の雫」彫刻ツアーの打ち合わせ。 真夏だし高齢者も多いので、今回は高鍋町の彫刻を中心にした軽めのツアーでまとめることになった。 参加者の皆さんには「月の雫」を持参していただいて、昼食の会場でゆっくり時間を取って、伊藤先生の短歌への解説や私の思いなどを絡めながら、メンバーの 皆さんの最も好きな「月の雫」からの一首を紹介してもらうなどの、短歌会ツアーならではの趣向になる。 今回足を運べない場所の私の彫刻作品については、私の資料を配布して案内することにした。 ☆夕刻までは「宮崎の現代彫刻展」HPの編集作業。 ☆空港を出て、駐車場へ向かっていると、突然、左足の甲に激痛が走って歩けなくなった。 何んとか痛みをこらえて駐車場にたどり着き、車の運転には支障はなかったのでそのまま帰宅できた。 帰宅すると、足の痛みは全く消えてしまっている。 痛風は親指に出るので何なんだろうと思ったが、ネットで調べると足の甲にも痛風は出るらしい。 6月11日(日) ☆一日、強い雨。 気温は上がらず、厚手の長袖を着る。 夕刻からは雨脚は弱まる。 ☆空港展8日目、後半に入る。 今日も空港展会場に詰める。 ☆空港自体は駐車場が満杯で、車が止められないほどの混雑ぶりで、久しぶりにコロナ禍前のような搭乗手続きの長い列が続いた。 しかし、日曜日は彫刻展会場への来場者は少ない。 ☆私は受付に座りながら、昨日に引き続き「宮崎の現代彫刻展」HP用の作家顔と作品画像の投稿データを整理。 ☆知人のデザイナーに高鍋駅前モニュメントの制作工程ビデオを見せたら、ユーチューブに上げたら、と勧めてくれた。 みんながユーチューブに動画を上げているのだから、操作は簡単らしい。 近いうちにトライしてみよう。 6月10日(土) ☆強い雨の一日。 気温は上がらず、冷え込む。 ☆一日、空港展会場で受付。 午前の空港は久しぶりの大型団体客でごった返していた。 ただ団体客は彫刻展にはまったく関心は無いから、空港内の賑わいに較べて、彫刻展の方はまばらな来場者であった。 ☆何時もなら会場に拡大して張ってある新聞記事が無い。 聞くと、昨今問題になっている新聞記事の無断転載問題に該当するらしい。 昨日もこの新聞記事共有で、鉄道旅行会社2社が知的財産の裁判で賠償命令を下された記事が新聞に掲載されていた。 賠償額が半端な金額ではない。 実はこの彫刻展の記事のみならず、私達夫婦の二人展の記事も、私がフェイスブックに投稿するのはアウトである。 だが多くの新聞記者は自分の書いた記事は多くの人たちに読んで欲しいと思っていて、この知的財産訴訟問題はおかしいと感じている。 フェイスブックやHPに自分の活動の記事を投稿出来ないなんてあまりにも馬鹿げているので、私はアウトだと解っていて投稿している。 ただ出版物に使用する場合はきちんと使用許可を取って使用料を支払っているが、現在開催中のイベントの記事の使用許可を申請していたら、 肝心のイベントはとっくに終ってしまっている。 ラジオ放送はラジコで何度も聞けるアプリが普通になっているのに、なぜ新聞記事がこのような対応になっているのだろう。 年々、世の中があまりにもギスギスになってしまっている。 6月9日(金) ☆午前は晴れ。 午後からは曇天気味。 夕刻は一面の夕焼け。 きっと夕焼けが背景の高鍋駅前”MOON DANCE”は魅力的だろうな、と思いながらも撮影に出向く時間が取れず。 ☆今朝の宮崎日日新聞に空港展の記事。 昨夕はMRTテレビの放送もあったようだし、今日は天気が好かったので来場者も多かったのではないのだろうか。 案の定、朝一番に作品が売れたと言う連絡が這入った。 会期前半で3点も作品が売れたのは、近年になかったことだ。 ☆私は今日もデスクワーク。 午前に、明日がエントリー締め切りの某海外シンポジウムのプランを纏めて図面を引き直し、お昼にエントリーデータを送る。 これで一段落、と思いきや、宛名が該当しないと理由付けでメールが返って来た。 それでメッセンジャーでオルガナイザーに連絡を取ると、今はWhatsappでデータの遣り取りをしているらしい。 だが私のスマホで指示されたアドレス(電話番号)で検索するが、”該当するアドレスは見当たりません”というエラーメッセージが出る。 今回は諦めるか、と思っているところへ別なメールアドレスの案内が届き、無事にエントリーデータを送ることが出来た。 ☆午後は招待が決まっている海外シンポジウムの制作プランを考える。 制作期間が1週間しかないのに、作品の大きさが1,5立方m前後だと言うので、通常の作品では制作は不可能である。 それで過去のプランで、その条件をクリアできそうなプランを幾つか選んで、サイズを変更した図面を引き直したりと準備をする。 幾つかのプランを送って、その中からオルガナイザーに選んでもらおうと思う。 プラン提出締め切りが15日なので、なんとかそれまでには送れそうなので、明日と明後日は空港展に詰めよう。 ☆妻が宮崎市へ出て、8月に版画の二人展を開催する画廊喫茶に立ち寄ったら、そろそろポスターとDMを準備してくださいと言われたということ。 次々にやるべきことが出て来る。 6月8日(木) ☆一日、強い雨。 ☆今日は自宅でデスクワーク。 ☆コロナが開けて、彫刻界を取り巻く状況も一気に活発になって来た。 今朝は、台湾の嘉儀シンポジウムでお世話になった担当者から、8月に中国・青島で開催される中国・日本・韓国の彫刻家による小作品展への招待が届いた。 会場は青島の彫刻美術館で、何度か青島には行っているので、海岸沿いの彫刻美術館には行ったことがある。 招待を受諾してくれるならば6月10日までに展示できる小作品のリストと経歴を送って欲しいとあるので、午前はその資料を作成して送付する。 ☆午後は、同じく6月10日が締め切りの某海外シンポジウムのエントリープランを練り直す。 先日描いた図面が規定のサイズを満たしていなかったので、あらためてプラを最初から考え直す。 しかし、何時ものように悶々としてまとまらず。 ☆空港展は、今日はMRTテレビの取材が這入ったようだ。 ☆夜に伊藤一彦先生からお電話。 なんと昨日のスクーピーの中継放送を、先生はタクシーの中に流れていた放送で聞かれたのだそうだ。 6月7日(水) ☆午前は快晴。 午後半ばからは雲が多くなる。 ☆空港展4日目。 今日は受付当番だったので早朝に出かけようとすると、軽トラのスイッチがウンともスンとも言わない。 ライトのスイッチを操作してみると、スイッチが入ったままで、昨日の大雨の中での運転でライトを点け、そのままだったことを思い出した。 妻の車のバッテリーとつないでエンジンを掛けようとするが、エンジンがかかるまでにはならない。 今日は山田も当番だったので、山田に電話を入れて、状況を説明する。 ☆かかりつけの自動車修理工場の営業開始時刻に電話をすると、担当者がまだ作業着に着替える前の私服姿でやって来てくれて、バッテリーを充電してくれたが、 先日の車検の検査の時に、バッテリーの寿命が来ていることを判断していたので、またバッテリーがかからなくなることが生じると言う。 空港から帰れなくなったら大変なので、バッテリーを新品と交換してもらった。 迅速な対応で、思ったよりも早く空港へ向かうことができた。 ☆午前は、まだHP用の作品写真を撮っていなかったので、作品写真を撮る。 ☆午後にMRTラジオ・スクーピーの中継取材。 スクーピーは今年度になって、昨年まで担当の大石さんと入れ替わりに新人の後藤さんが這入り、取材は引き続きスクーピー担当の高橋さんがやってくれた。 高橋さんとは3度目の取材なので、打ち合わせもスムーズに進み、15時40分放送の中継もスムーズに終る。 高橋さんに”MOON DANCE”小冊子とマグネットを渡すと大喜びしてくれた。 大石さんにも帰社して手渡してもらう。 6月6日(火) ☆夜中から激しい雨。 雨は一日中、集中豪雨的に降り続ける。 夜には雨脚は落ち着く。 ☆一日、デスクワーク。 まもなくエントリー締め切りの某海外シンポジウムの図面を引く。 夜までにデータが揃ったので、エントリーしようとしたら、図面を引いたプランのサイズが、規定のサイズを満たしていなかったことに気付いた。 またプランの練り直しである。 ☆午後に大雨の中を写真館へ、満月と”MOON DANCE”のコラボ画像のデータを受け取りに行く。 満月の出る角度や時刻は時季によって違うので、これからも機会を見て撮ってもらえるということ。 6月5日(月) ☆晴れのち曇り。 夜になって雨。 気温は上がらず、肌寒い一日。 ☆空港展2日目。 午前に宮崎ケーブルテレビの取材。 放送は6月7日から14日まで、18回放送される。 ☆午後は妻のボーカルレッスンで、次のライブまでもう時間が無いので、昼に空港を出て帰宅する。 やはりコロナ後遺症でハーモニカの息切れが激しい。 ☆ボーカルレッスンの打ち合わせ中に一本の電話。 知人の方からだっただが、電話を貰ったのは初めてである。 何事かと思ったら、今日、奥さんと一緒に知人を迎えに空港へ行き、空港展を観ていたら、奥さんが私の作品にいたく感動して購入命令が出たと言うこと。 それで支払い等の打ち合わせをしたいので、どうしたら良いかと言う連絡だった。 空港展で私の作品が売れるのは何年ぶりだろう。 近年は展覧会に作品を出品しても購入打診は全く途絶えていたので、嬉しい。 空港展では昨日も1点の購入が決まっていて、2日連続で作品が売れるなんて近年になかったことだ。 コロナが明けて、一気に購買意欲が高まって来たのかも知れない。 今年の空港展は久しぶりに何点か販売実績が出るかもしれない。 6月4日(日) ☆快晴。 日中は陽射しが強く気温は上昇 夕刻からは肌寒くなる。 ☆空港展初日。 ☆私は高鍋町半日ツアーのコーディネーターとして、希望作家10名と高鍋町へ。 朝食は昨夜に捜しておいた近所のホテルで摂る。 ☆9時にホテルを出発して高鍋町へ這入り、まず高鍋町美術館で開催中の「ダブルアップ展」を見る。 この企画展は宮崎の若手作家を中心に、毎回テーマを決めて開催しているアーティストファイルシリーズ。 青井学芸員の秀逸な理念と感受性で選ばれており、毎回、私の全く知らない若手作家たちが紹介される。 私たちの若いころと違って、今の作家たちは表現世界も豊かで、とても見ごたえのある展覧会であった。 ☆高鍋町美術館を出て、商店街に設置してあるあかりモニュメントやあかりオブジェを中心に見て廻る。 ツアーに参加している作家や、空港展に出品している作家たちの作品も多い。 ☆お昼前に高鍋町駅前へ移動して、ロータリーの”MOON DANCE”を見る。 ツアー参加作家には、このモニュメント制作のアシストを努めてくれた小林君、明田君、山田もいて、彼らにとっては完成した作品を目の前にするのは 感無量だったようだ。 ☆お昼は駅から直ぐ近くの”本家 たかしま”での牡蠣料理。 6月に牡蠣を食べたことは無く、不安であったが、焼き牡蠣は身が引き締まっていて、味も冬場と変わらない。 カキフライも高鍋の牡蠣は身が小ぶりで引き締まっているので、すごく旨い。 ただやはり先日からの強い雨で牡蠣が収穫できず、私たちの分は予約の段階で確保していただいたということ。 ☆お昼を食べた後の午後に、黒木本店に立ち寄る。 黒木本店に設置してある作品を見て、高鍋大師へ。 そして締めは持田古墳群。 茶畑の中にポコポコと円墳、前方後円墳が浮遊して密集している風景は、他にはない風景だと言う。 高鍋に住む私達には普通の風景が、他県から来られた方たちにとっては衝撃的な異次元風景なのである。 ☆午後3時前に、持田古墳の中でツアー一行と別れる。 彼らはそのまま宮崎空港へ戻り(大半は今日も宮崎に一泊)、私は帰宅へ。 ☆昨日今日は朝からずっと動き回っていたので、コロナ禍の後遺症のきつさを感じることは無かったが、高鍋ツアーから帰って来た途端にどっと疲れが出てきた。 ☆ネットでの皆さんからの情報では、今日の宮崎空港は家族連れで大変に賑わっていて、空港展にも多くの方たちが訪れていただいたたようだ。 ☆追加注文していた”MOON DANCE”小冊子が今朝届いた。 やはり無線綴じにしたら、上りが全然違う。 6月3日(土) ☆快晴。 素晴らしいお天気で、今日は空港展の搬入展示作業。 10時から展示作業に這入り、今回は出品作品が36点と少なく、宅急便の規制のせいで30kg以上の取り扱いが出来なくなったので作品も小作品が多く、 展示作業はお昼までにはほぼ終わった。 ☆午後は本人持参の作品待ちで、3時過ぎには展示作業は終わった。 ☆早めにホテルへ這入ると、定宿のホテルに幾つかの異変が起きていた。 まず、ポイント制が廃止されていて、今日の利用で満点になるところだったが残念な結果であった。 また7階の展望浴場が1月で廃止になっていて、部屋着で浴場へ向かった私はにわかに恥ずかしい思いをした。 更に、朝食のレストランが改築工事中で、朝食無しの素泊まりになった。 その上に部屋の浴室でお風呂を浴びたら、抜いたお湯が浴室床に逆流してきて水浸しになった。 ☆6時から4年ぶりの懇親会。 出品作家が36名なのに、懇親会出席者は29名であったから、こんなに出品作家の出席率の高い懇親会は初めてである。 それだけ、作家たちがこの宮崎での懇親会を待ち望んでいたということである。 宮崎空港ビルからは大坪常務と担当の石尾さんが出席。 そのほか作家の家族や友人たちが出席。 私の妻も出席。 ☆2次会にも殆どの作家が参加。 久々に非常に盛り上がった。 若い作家たちはそれからさらに呑みに出たようだが、私はコロナの後遺症で翌朝がきついし、明日は9時から高鍋半日ツアーに出かけなければならないので、 2次会まででホテルへ戻る。 今夜は満月である。 満月と高鍋駅前”MOON DANCE”とのコラボとの様子を想いつつ、ほろ酔いで満月を見ながら帰る。 6月2日(金) ☆雨。 一日、激しい雨。 雨は夜には止む。 ☆今朝、このHPを転送しようとしたら、昨日に「宮崎の現代彫刻展」の転送設定をあれこれいじったせいで、サーバーからHPが消えてしまっていた。 転送設定をやり直して無事に戻ったが、この分では空港展開催中には「宮崎の現代彫刻展」は更新できないだろう。 ☆明日は空港展の搬入だが、先日から私のインパクトドライバーの充電が出来なくなってしまったので、午前にホームセンターで新しく買い換える。 ☆午後は妻と”ギャラリーしんとみ”へ。 ライブのフライヤーを届けるのが目的だったが、体調不良で家の中にいると滅入ってしまうので、気分転換の外出でもあった。 ☆明日と明後日は上天気の予報である。 私はやはり晴れ男のようだ。 明後日の高鍋ツアーも上天気の中で開催できる。 6月1日(木) ☆雨。 水冷で気温は上がらず。 夜には激しく降る。 ☆やはり夜中に目が醒めると、胸が苦しくて眠れなくなる。 コロナ後遺症の体調不良が、若いころのインド旅行での黄疸症状を呼び戻してしまっているようだ。 ☆午前はあいかわらず体がきつくて気合が這入らない。 とりあえず空港展が目前なので、”宮崎の現代彫刻展”ホームぺージに今年の空港展DMを貼り付けて更新作業に手を付けておこうと思った。 昨年は、全く転送が出来ず、プロバイダーに問いあわせて「FTP接続」にロックがかかっていることが分り、ロックを解除して更新作業ができた。 ところが今年は転送設定自体がこの私のHPの設定になってしまっている。 新しく「宮崎の現代彫刻展」サイトを作り直そうと思ったら、「宮崎の現代彫刻展」は既にありますというメッセージが出て、作業が進まない。 体調不良で思考能力も停止しているので、もうそれ以上の頭を使う作業は不可能であった。 ☆じっとしているよりも体を動かしている方が気が晴れるので、午後からは雨の中を日向市へ向かう。 短歌会「心の花」の皆さんの「月の雫」彫刻ツアーの行程案に従って、それぞれの立ち寄り先への所用時間を測る。 「月の雫」に載せていない作品も何点か入れて、相当過剰な、そしてハードなツアー工程になった。 高齢の方も多いし、真夏のツアーになるので、これから削ぎ落して実現できる内容に修正してゆくことになる。 事務局の福原さんにツアー案を送ったら、直ぐに事務局の皆さんに転送してくださったようだ。 近日の「心の花」歌会で皆さんでツアー内容を検討され、それを基に空港展の会場で具体的に打ち合わせを進めることになった。 ☆今日からアッと言う間の6月である。 これから先も空港展、海外シンポジウムのプラン作成、7月のライブと「心の花」彫刻ツアー、8月の宮崎市内画廊での版画二人展、引き続いての ”カレーカフェ・静”での版画二人展とライブ・・・とやらなければならないことが目白押しである。 5月31日(水) ☆夜明け前に激しい雨。 日中は曇天。 気温は上がらず、冷え込む。 これでは健康な人でも体調を崩す。 ☆今朝もきつくてなかなか起きれず、午前中はこれまでになくきつくて、リビングの椅子に座ったまま何もできず。 先日の祝賀会の礼状を、文末に5月末と記しているので、今日中には投函して今日中の消印を押したい。 しかしどうしてもお礼の文が纏まらず、思考能力も停止しているので、パソコンの画面を見つめたまま過ぎる。 ☆今日は妻の仕事が午前で終わったので、帰宅した妻に礼状の文章を推敲してもらう。 私は文章が硬く、独りよがりになる傾向があるので、妻に何度も駄目出しをしてもらって、ようやくまともな礼状になった。 早速、葉書に印刷して宛名を書いて郵便局へ走り、投函。 ☆午後後半は、この春の版画二人展の作品集データ作成にかかる。 ページレイアウトは済ませていたので、イラストレーター作業に馴れている今のうちに、前ページに画像を貼り付ける作業をする。 ☆夕食時には体調も落ち着いてきて、ハーモニカ練習もこれまでになく落ち着いて吹けた。 リズム感の全くない私に、適切に指導してくれる妻に、思わず深々と頭を下げる。 5月30日(火) ☆午前のうちは晴れ間が残っていたが、やがてすっかりの曇天となる。 南九州が梅雨入りした。 梅雨入りの時期は例年並みということ。 今日は雨には到らず。 ☆昨夕からの体調悪化が、今日はさらに酷くなった。 ほとんど身動きできず、何も出来ない。 寝ていてもきついので、リビングでボーっと過ごす。 ☆思考能力もないが、昨夜に私が床に就いてから某海外シンポジウムから、作家指名で招待状が届いていたので、その書類を翻訳する。 オルガナイザーは知人である。 まだ行ったことのない国で、参加したことのある友人達からはとても魚介類の美味しい処だと聞いている。 ネットで調べてみると、とても美しい海岸沿いの街だ。 指名招待だが、期限までに作品プランを提出しなければならないので、のんびりとはしておれない。 ☆夕刻までには少し体調が落ち着いてきたので、夕食は力を入れて作る。 夕食を摂ってワインを呑んだら少し元気も出てきたので、ハーモニカの練習を再開する。 5月29日(月) ☆曇りのち晴れ。 非常に蒸し暑い一日。 ☆朝のうちから日向市へ。 義姉たちに文化賞のお祝いのお返しを届ける。 そして妻の同級生の設立したレストラン併設のゲストハウスが先日オープンしたので、開店祝いを届ける。 このゲストハウスはサーファー専用のゲストハウスなので、春の版画小品展の時にオーナーの友人が施設に飾るのに最適と言うことで妻のサーファーが テーマの版画を2点買っていただき、私の版画も買っていただいた。 私たちの版画はレストランの壁にキャプション付きで展示してあった。 ギャラリーで並べた時と全く違う表情で、凄く雰囲気が良い。 ゲストハウスの場所は、国道10号線から小倉が浜方面へ這入ってすぐの赤岩川添にある。 川添いの芝庭にはドッグランが設けてあり、お客さんは愛犬を遊ばせながら傍らのテラスで食事が出来る。 こういう設備のレストランが県内には無く、延岡市や宮崎市から評判を聞いて愛犬家が訪れて来ると言う。 レストランの食事も美味しく、月曜日なのに次々に来客がある。 ☆レストランを出てカメラのキタムラへ。 デジカメになって写真をプリントアウトすることが無くなり、殆ど写真を見返すことが無くなってしまった。 それで近年は妻が海外旅行に行った時にはカメラ店でデジカメ画像をプリントしてもらい、アルバムを作るようになった。 今回のベトナム・カンボジア旅行もきちんとアルバムを作ることになった。 ところがどういう訳か、スマホで撮った画像はキタムラの機材が認識するのだが、デジカメで撮った画像を全く認識しない。 保存の仕方でデジカメの画像が認識できないことがあるのだそうだ。 とりあえず、スマホの画像のみプリントしてもらう。 ☆帰路は、短歌会「心の花」の彫刻ツアーの旅程に添った所用時間を確認しながら帰る予定だった。 しかし青空が広がって来て、青空の下で作業しなければならないことがあったので、急遽、そのまま帰宅することにした。 ☆帰宅して直ぐに1本の電話が這入った。 今日は昨日送った文化賞お祝いのお返しと、金曜日に協力業者等に送った”MOON DANCE”冊子が届いたので、朝からそのお礼のラインが届いていた。 電話も、小冊子が届いた業者の方からだったが、本人ではなく奥さんからであった。 もしや、と思ったら、やはり業者のご本人が先月に亡くなられていて、そこへ小冊子が届き、亡くなられたご主人の作業写真が複数枚載っているので、たまらず お電話されたらしい。 電話口で奥さんは涙ぐんでおられた。 この業者の方は、本体と台座の心棒穴を開けていただいたコア作業の会社の方だった。 御影石にこんな大きな穴を開けることは無く、ダイヤモンドコアも特注され、抜いた御影石の円柱も記念に持って帰られた。 実は私が業者の方に作業をお願いした1年前に、胃がんが見つかり、退院されたばかりであった。 心棒の大きさが県の方から中々最終結論が出ず、ようやくコア作業にかかってもらったのは酷暑の真夏だった。 顔面蒼白な状態で、治療の合間に作業してくださった。 だから、その後どうされているのかとても気になっていたのである。 ご冥福をお祈りせずにはいられない。 ☆辛い気持ちのまま、私の手持ちのブロンズ製”MOON DANCE”を海辺まで運び、防波堤の上に載せて、青空の広がった海を背景に写真を撮る。 急遽、日向市から帰って来たのはこの作業のためだった。 私はこのブロンズ”MOON DANCE”は屋内作品としか考えていなかったし、重量も重いので他の作品同様に防波堤の上で海をバックに写真を撮ることなど 今日まで考えてもみなかった。 ある事情でブロンズ”MOON DANCE”の海をバックにした画像が必要になったのである。 ところが、撮った写真を見てみると、とてもいい。 こういう情景は頭になかった分だけ、衝撃的にいい画像である。 フェイスブックに投稿すると、あっという間に”いいね”が殺到した。 この作品は2008年に高鍋町美術館で個展を開いたときに、個展用に制作した作品で25年前の作品である。 25年前の作品がこうして新たに甦ると言うのは、とても驚かされることであった。 ☆夕刻から体調が極端に悪くなって、身動きできなくなった。 しばらくリビングのフロアーに横になる。 今日の急激な蒸し暑さのせいだと思うが、カンボジアの38度の熱暑では何んとも無かったので、コロナの後遺症で体へのダメージが如実になっているのだろう。 今日の身動きのできない辛さは、インド旅行中の黄疸の後遺症である。 夕食を作る気力も無く、簡単な食事を摂って、ハーモニカの練習も出来ず、早々に床に就く。 5月28日(日) ☆曇り。 時折の小雨。 日中は幾分蒸し暑かったが、夕刻からはまた冷え込んできて、たちまち鼻水とクシャミの連発となる。 ☆やはり体調は芳しくない。 夜中にきつくて夢ばかり。 何度も目が醒めて、夜が実に長い。 朝も起きるのがつらい。 ☆午前は、”MOON DANCE”小冊子の打ち込みミスのページを作り直す。 ついでに、冊子の残部がもうわずかなので、100部を追加発注する。 私は先日は無線綴じの仕上げで注文したつもりだったが、届いたのはホッチキス止めのものでがっかりした。 それで、今日再注文したら、やはり私がホッチキス止めで注文していたことがわかったので、今日の再注文分は無線綴じで注文した。 中5営業日で注文したら、先日に急ぎで手配した料金よりかなり安くなった。 空港展の参加作家たちにも配りたいが、多分間に合わない。 ☆午後は、文化賞のお祝いを頂いていた方たちに、お返しの品を送る。 ずっと駅前モニュメントの制作で多忙を極めていたので、先日の祝賀会で一区切りしたので、ようやく対応出来た。 ”MOON DANCE”冊子とマグネットも一緒に送ったので、冊子もマグネットも残りがわずかになった。 ☆夕刻に妻と、高鍋駅前の”カレーカフェ・静”へ。 駅前モニュメントが建ったので、その記念のイベントをやりたいと思っていた。 それで、8月前半に宮崎市の画廊で版画二人展を開催するのに引き続いて、8月後半に”静”で版画二人展を開催させていただくことにした。 そして最終日の少し前に、”MOON DANCE”を眺めながらのライブを開催させていただくことになった。 ”静”さんの話では、頻繁に、しかも遠方から”MOON DANCE”の写真を撮りに来られ、”静”に立ち寄って行かれる方が多いと言うことである。 懸念しているスケボーによる台座石角の損傷は起きていないようである。 ☆今日は破調の一日であった。 午後に文化賞祝いのお返し作業中に、折角礼状を用意していたのに、礼状を入れるのを忘れて梱包作業まで進めてしまった。 それで冊子とマグネットを入れていた封筒をすべて開いて入れ替え、梱包もやり直す有様だった、 夕刻は夕刻で、昨夜は涙が出るほど美味しいピザが焼けたのに、今夜のサイコロステーキアボカドライスは塩が強すぎて塩の味しかしなった。 さらにハーモニカの練習を始めたら、レバーが動かなくなり、見ると留めねじが外れてハーモニカが分解してしまっていた。 こんなことは初めてである。 5月27日(土) ☆晴れ。 午後からは薄雲が出て、夕刻からは曇り。 天候は下り坂で、明日からはずっと雨である。 そろそろ梅雨入りかもしれない。 ☆気温は上昇せず、夕刻からは急速に風が冷え込んできた。 たちまち鼻水が出てきてクシャミを連発する有様となった。 ☆午後からは妻のボーカルレッスン。 私もハーモニカでジョイントしなければならないが、コロナ等でつい先日から練習を始めたばかりなので、午前のうちから独りで練習をする。 午後からのジョイント練習は、やはりテンポが合わず、ホロホロ状態である。 コンサートまでもう一月しかない。 ☆”MOON DANCE”報告小冊子を見直していたら、あれほど念入りにデータのチェックをしたのに打ち込みミスがあった。 ”研磨”を”県間”と打ち込んでいる。 追加発注しなければならないのでデータを修正しようと思ったら、文字をアウトライン化しているので、文字の修正が出来ない。 データを作り直さなければならないようだ。 ☆今朝の宮崎日日新聞に、先日の祝賀会の記事を掲載していただいた。 5月26日(金) ☆晴れ。 朝は冷え込み、午前中もうすら寒い。 ☆やはり、どうにも体調がすぐれない。 朝がきつくてなかなか起きれない。 かといって横になっていてもきついので、起きた方が楽である。 午前いっぱいは妙に落ち着かない、気持ちに定まりのない不安定さ。 やはりコロナの後遺症なのだろう。 ☆午前は「心の花」の「月の雫」彫刻ツアーの再点検。 来週あたりに一度、ツアー案の工程を車で走って、所用時間を確認してさらに煮詰めたい。 空港展初日の高鍋ツアーも参加者が1名増えた。 ☆午後は、妻と木城町の比木神社そばの”アトリエ空”で開催中の小森勢津子個展に出かける。 小森さんは高鍋高校OB美術展の事務局をやっていただいて、そのために今回の私の祝賀会の段取りに骨を折ってもらった。 ”アトリエ空”の主宰は、宮崎日日新聞社の文化部担当記者だったS氏のお母さんである。 このアトリエはご主人の実家の在ったところだという。 素晴らしく環境の好い処である。 Sさんご夫妻は今でも高鍋町内に住まいの自宅があり、このアトリエは15年前に公開スペースのアトリエとして建てられたものであった。 そして絵画の個展は定期的に行われていて、コンサートやダンスや各種教室を常に定期的に開催されている。 こういう空間が比木神社の傍らにあって、もう15年間も積極的に運営されているなんて、全く知らなかった。 ☆夕刻に、高鍋駅前モニュメントの協力事業者に”MOON DANCE”事業報告小冊子を送る。 しかし100部印刷したのに、もう30部しか残部が無い。 まだまだこれから色んな方たちに配らなければならない。 追加発注しないと、全然足らない。 ☆滅多に開かないインスタグラムを開いたら、昨年の秋にロシア・UFAのMIRASギャラリーから私の作品の前での集合写真が送られていた。 だがもう半年以上も前の写真なので保存できない。 それで事情を説明して、再送してもらった。 メールでも送って来たので、フェイスブックに投稿した。 そうしたら直ぐに”いいね”してくれたのは、皮肉なことに敵国ウクライナのコチュマルだった。 ロシアもウクライナも国民は敵同士ではないのだ。 5月25日(木) ☆晴れ。 今朝も冷え込んだが、日中は気温が上昇。 ☆やはりコロナの後遺症なのだろう。 ずっと胸の芯がきつくて、夜中に熟睡出来ない。 コロナに罹った方たちの話でも、やはりよくわからない体調不良が続くらしい。 ☆浴室外庭の竹がすごい勢いで密集してきたので、午前に刈り取り、先日の庭の刈り取った草と木枝と一緒にアンジェラスの森へ運ぶ。 アンジェラスの森の電気復旧作業は先日土曜日に工事してもらったので、電気が通じていることも確認。 ☆午後はデスクワーク。 空港展の初日に、県外からの作家たち有志が私の高鍋駅前モニュメントを見るのを兼ねて、高鍋に来るので高鍋半日ツアーを組む。 2009年にも一度、高鍋ツアーを組んだがとても好評だった。 プロの彫刻家たちから見ても、高鍋町は彼らを昂奮させるほどの彫刻の魅力にあふれた町なのである。 そこでお昼を何處にしようかと悩んでいた。 高鍋町はギョーザで売り出しているが、ギョーザのお店で昼に営業している処は無い。 それなら牡蠣しかないのだが、6月以降は牡蠣のシーズンではない。 それで「本家 たかしま」に電話してみたら、6月でも牡蠣定食は出していると言うことなので、予約した。 お昼の食事が時刻と場所が決まったので、先日に仮に組んでいた工程を組み替える。 ☆また短歌会「心の花」宮崎歌会の皆さんが、7月9日に「月の雫」彫刻ツアーを企画されている。 事務局の福原さんから、そろそろバスの手配や予算決めに這入るので、早めにスケジュールを決めて欲しいと言うメールが今朝届いた。 このツアーでも高鍋滞在がお昼を挟むので、まず食事の場所を決めなければならない。 それで、「本家 たかしま」に7月の件も問い合わせてみたら、参加メンバーが私達夫婦を含めて30名近くになるので、牡蠣の捕獲量の激減している今は、 そんな人数の牡蠣は提供できないと言うことだった。 30名が収容できる食事処を幾つかピックアップしながら、ツアーの行程を考えてみる。 ☆夜は高鍋町観光協会の総会。 冒頭の前田理事長の挨拶は、先日に祝賀会があったばかりなので、私の話ばかりであった。 それだけ、私の海外作品の設置場所紹介のプロジェクター映像は強烈な印象を与えたのだろう。 コロナも5類に移行して、4年ぶりの懇親会が開かれた。 私の席の隣が、私の駅前モニュメント制作場所に隣接していた宝酒造の工場管理課の課長さんだった。 先日の祝賀会では殆ど飲み食い出来なかったので、今夜は楽しくたらふく呑み食べる。 5月24日(水) ☆晴れ。 夜明け前からすごく冷え込み、一日中気温は上がらず。 靴下を履こうか、暖房を点けようかと迷う寒さだった。 午後に帰宅した妻はすぐに暖房を入れた。 これでは、みんな体調が崩れる。 ☆一日、デスクワーク。 空港展事務局の田村からパンフレットの校正作業依頼が届いていたので、校正作業を進める。 ☆パンフレットの校正作業を終えて、7月のライブのフライヤーを作成。 先日までずっとイラストレーターの作業をしていたので、あっという間に試案を作成したら、妻から即座にOKが出た。 ☆夕刻に、祝賀会の出席者への礼状の下書き。 ☆今夜のハーモニカ練習は、一部の吸音ばかりの曲以外は、昨夜のような地獄の息切れはなし。 ☆やはりコロナの後遺症か、ずっと胸の芯が苦しくて、夜に熟睡できない。 5月23日(火) ☆晴れ。 陽射しの強い一日。 ☆午前のうちに祝賀会でお世話になった担当者へお礼の挨拶。 ☆午後に駅前モニュメントの制作に関わってくれた作家達へ、”MOON DANCE”報告書を送付。 ☆午後3時より、高鍋町美術館にて、令和5年度第1回高鍋町美術館協議会。 2年ごとの役員改選で、今回も議長に再任となり、進行を務める。 令和4年度の事業報告への質疑では、青井学芸員が進めている学校派遣による「対話型鑑賞」に感想が集中した。 この普及事業は、青井学芸員が全国の美術館関係者との交流の中から学び、彼女なりに手探りで展開している事業である。 県内の公立美術館では高鍋町美術館だけの特徴ある事業で、町内の学校関係者からも積極的な反応が返って来ているようだ。 次第に高鍋町美術館が独自なカラーを打ち出して来てくれている。 ☆夕刻に伸びすぎた庭の除草と枝切り。 ☆7月のライブに向けて、今夜からハーモニカの練習を再開した。 しかししばらくハーモニカを吹いていないので、息が続かない。 殆ど100メートルを全速力で走らされている感じで、妻からのスパルタ特訓に死にそうになる。 3日ほど頑張れば、少しは落ち着いてくれるだろか。 ☆高鍋町美術館のでの協議中はスマホを機内モードにしてあるので、帰宅して機内モードをオフにすると、WhatsAppに何やら画像が届いている。 画像をダウンロードしてみると、なんとマレーシアのヤップ邸に、私が4年前に制作した作品がようやく設置された画像だった。 ヤップ邸敷地内に建設されていたヤップさんの終の棲家の3階建ての家がようやく完成したようで、その家の建築家からの画像だった。 ヤップさんは、コロナ禍でもう一つの活動拠点であるオーストラリアから1年間もマレーシアに帰って来れなかったらしいので、家の工事も遅れていたのだろう。 ヤップさんは熱心なキリスト教徒なので、終の棲家として十字型に組まれた家の吹き抜けの空間は十字架を現わしている。 設計はニューヨークで学んだ気鋭の建築家である 作業風景には元気そうなヤップさんの姿も写っていて、安心した。 またマレーシアへ行く事があるだろうか。 そう言えば、この作品にはまだタイトルを付けていなかった。 5月22日(月) ☆晴れ。 陽射しの強い蒸し暑い一日。 夕刻からは天候は下り坂になり、暮れてから激しい雨となる。 ☆まだ体調が芳しくない。 夜中もずっと胸の奥がきつくて、夜中に何度もつらくて目が醒めてしまう。 これはひょっとして俗にいうコロナの後遺症みたいなものなのだろうか。 陽射しの強い町中に出ると、病み上がりのように体が浮いてフラフラする。 今日は、ゆっくりして過ごす。 ☆午後は妻のボーカルレッスンだったが、私はまだハーモニカを吹ける状態ではないので、2階の書斎でアイデアデッサンなどして過ごす。 ☆お昼に伊藤先生からお礼の電話。 昨夜は高鍋駅で電車待ちの時間を、夜のライトアップされた”MOON DANCE”を眺めておられたと言うこと。 ☆昨夜の祝賀会での私の海外作品設置場所の紹介は、大きな反響があった。 「月の雫」を紐解きながら、私が記載している設置場所を調べられている方もおられ、願っても無い機会だったという声を複数頂いた。 伊藤先生からは、高鍋高校で高校生たちに是非見せて欲しいとまで言われた。 私とっても、実際の地図上の場所を特定できたのは今回の作業で初めてだった場所が殆どであったので、私の作家資料作成としてもよい機会だった。 せっかく纏めたので、昨夜の祝賀会の制限時間では割愛しなければならなかったことなど含めて、まとまった小冊子にしてみるのも良いかもしれない。 5月21日(日) ☆快晴の一日。 陽射しの強い暑さ。 ☆夜中なかなか熟睡できず、早朝5時に起きて、海外作品設置のデータを再チェックする。 これ以上ははぶけない限度で数枚の画像を削除する。 ☆昨夜からまた喉が痛くなってきて、風邪の症状がぶり返し、体がとてもきつい。 その状態で迷いに迷ったが、意を決して午前7時に家を出て日向市へ向かう。 ☆日向市で4年ぶりに開催された砂の造形大会の審査に出かける。 フラフラする体で、ぼーっとする頭で4年ぶりの主催団体の皆さんに挨拶する。 だが快晴の伊勢ケ浜の潮風が気持ちが良く、次第に体調が落ち着いてきた。 コロナが5類に移行して、日向市では最初の野外活動となったと言うこと。 参加者数は例年のようには回復出来ないが、皆さんは殆どがノーマスクで、久しぶりに家族やクラス仲間、職場仲間とともに砂遊び出来る歓びに充ち溢れていた。 ☆お昼には審査も終了し、表彰式を終えるとすぐに高鍋へ戻る。 帰宅して直ぐに、今夜の祝賀会お土産に注文していたお菓子を受け取りに行き、昨日に用意していた小冊子とマグネットをセットする。 ☆ところが風邪薬のシロップを服用した後から、猛烈に胃が痛くなり、睡眠不足でたまらなく眠くなってきた。 30分ほど仮眠を取ったが、胃の痛みは収まらない。 どうやらお昼に出されたお弁当の量が多過ぎたらしい。 ☆4時から祝賀会場へ出かけ、ビデオ撮影をしていただいた森さんと会場スタッフとでプロジェクターの試写点検をする。 パソコンはそのままプロジェクターに接続したまま帰宅したので、最終的な流し作業は出来なかった。 ☆夕刻6時から、ホテル四季亭で私の宮崎県文化賞受賞とモニュメント完成祝いの祝賀会。 当日のキャンセルは無く、私達夫妻を含めて38名の出席となり、祝賀会としては申し分ない規模となった。 ☆司会進行は同じ中町公民館の仲間であり、高校美術部後輩の米田さんにお願いした。 挨拶は黒木・高鍋町長と高校同窓の児嶋・石井記念友愛社理事長にお願いした。 児嶋君の挨拶は、文章化して残したい程の内容の濃い名文であった。 乾杯の後はしばらくの歓談の時間を取り、メインイベントのプロジェクター映写に這入る。 ☆まず森さんの撮影・編集していただいたビデオを流す。 先日の試写版にテロップが這入っていた。 総録画時間4時間のビデオを、今日のために8分間のビデオに編集された労作である。 ☆引き続き、私の海外作品設置場所の画像をグーグルアースから取った衛星画像と共に流す。 この映像の印象は強烈で、私がこれまで何をしてきたのかを皆さんは初めて具体的に知ることになった。 皆さん、酒を口にするのも忘れて、写される画像に見入り、私の解説に耳をそばだてられた。 ☆プロジェクター映像が終わって、恩師の伊藤一彦先生の登場となった。 伊藤先生には私のプロジェクター映像を見られた感動を受けて、思いのままに語っていただいた。 伊藤先生の”田中等愛”に充ち満ちたお話であった。 その後に、出席者からの飛び込みの挨拶が続き、米田さんの闊達な名司会進行で、2時間がアッと言う間に過ぎた。 ☆祝賀会が開けた後は、いまから本格的に呑み語ろうという伊藤先生と妻との3人で、近くの炉端焼きの居酒屋で呑み直す。 ☆帰宅すると、今日までの怒涛の毎日の疲れが一気に出て、直ぐに床に就く。 祝賀会のために奔走していただいた皆さんに心から感謝したい。 これでコロナ禍の間の疾走し続けた3年間の大きな一区切りが着いた。 明日から、コロナ後のまた新しい歩みが始まる。 5月20日(土) ☆晴れ。 今日は一気に気温が上昇。 夜になっても非常に蒸し暑い。 これでは体調も崩れる。 ☆朝一にO内科へ血圧の定期健診。 ついでに風邪の症状も診て貰う。 聴診器による胸部診断では、雑音も無く綺麗な音なので、コロナの影響はなく単なる風邪でしょうということで風邪薬を出してもらう。 調合してもらった痰切りのシロップを飲んだらかなりすっきりしてきて、今日は昨日までのような咳と痰は殆どなかった。 ☆午前に”MOON DANCE”の報告書が届いたので、午前は明日の祝賀会の記念品の準備をする。 ☆午後からは海外設置作品設置場所のデータ整理。 とりあえず全てのデータを1つのフォルダに納めて通しで見てみたら、不備が沢山出てきたので、午後はその修正作業で手いっぱいになった。 ようやく夕刻から声を出して説明しながら流してみると、早口で喋っても30分以上かかってしまった。 設置場所についてあれこれ説明し過ぎなので、伝えたいことを思い切って諦めて画像を削除してみたが、それでも5分くらいしか短くならなかった。 あと5分以上は短くしないと時間を取り過ぎるが、今夜のうちには作業は終らず。 ☆夕刻にとんでもない情報が飛び込んできた。 高鍋駅近くに住む同窓生から、駅前ロータリーが格好のスケボー遊びの場所になっていると連絡を貰った。 駅から下り坂になっているので、その勢いでロータリーに乗り入れ、一気に”MOON DANCE”の台座まで駈け登っているのだと言う。 これでは直ぐに台座の角が欠ける。 注意してもあの連中は全く聞き耳を持たない。 先日、”MOON DANCE”の真下の台座の上にライターが放置されていたので、夜間は注意しないといけないと思っていたが、まさかスケーボーが激しく 台座に乗り上げることを繰り返しているなんて思いもしなかった。 直ぐに町長にも連絡を入れる。 5月19日(金) ☆小雨交じりの曇天。 気温は上がらず。 夕刻に買い物に出たら、皆さん長袖やジャンパー等の上着を羽織っておられる。 この時季にこんなに冷え込む日が続くなんて、かつてあっただろうか。 ☆今朝もきつくなかなか起きれず。 しかし交通安全の立ち番だったので、無理して起きて、フラフラしながら交差点角に立つ。 ☆一日、海外設置作品のデータ編集作業を進める。 午前の裡に画像整理作業を一段落させて、午後からはグーグルアースから取り込んだ地図上の設置場所に丸印のポイントを入れて、場所の地名を打ち込んでゆく。 夕刻までには作業は終了。 これをパワーポイントで編集するか、そのままフォルダーから一枚一枚スライド上映してゆくかは明日の作業で判断しよう。 画像には通し番号を入れてあるので、一つのフォルダに入れても順番が乱れることは無いし、公開対談の時もパワーポイントは使わずに流した。 ☆今日もずっと咳と痰が止まらず、パソコンの作業も目がひどくかすれて頭痛がして辛かった。 夕刻に発起人と祝賀会の打ち合わせをしたら、ろれつが廻らなかった。 体温は平熱で落ち着いている。 ☆注文していたマグネットが届く。 5月18日(木) ☆雨。 気温は上がらず、夕刻からはしんしんと冷え込んで暖房を入れる。 ☆朝がすごくきつくて起きれなかった。 最初は理由が解らなかったが、コロナが一段落したところへ風邪を引いてしまったようだ。 体力がまだ回復していないようだ。 午前中はぼーっとして、パソコンの画面を見つめても焦点が定まらず、目の芯が痛む。 次第に体温も上がって来て37度直前にまでなった。 これ以上こじらせると、21日の祝賀会に支障が出る。 ☆午後からは気合を入れて、海外設置作品のデータ編集作業を進める。 ☆夕食後は風邪薬を飲んで、早々に床に就く。 5月17日(水) ☆晴れ。 外は気温が上昇して暑かったが、室内では爽やかな気候。 ☆一日、私の海外設置作品のデータ整理作業。 ようやく全ての設置場所の地図上の位置が確認できた。 少しずつ、プロジェクターで表示できる作業を進める。 単に地図上の位置と作品を紹介するだけではなく、その地域の雰囲気をも伝えたいと思うのだが、そうなるとそれぞれのシンポジウムの全ての画像を開いて 適切な画像を選ぶことになり、膨大な時間がかかる。 ☆午後に祝賀会の会場から連絡があり、発起人と出かける。 テーブル席の打ち合わせもあったので、あわてて昨日に打ち合わせた出席者のテーブル配置表を作成して持ってゆく。 出席者の各テーブルへの配置は私にしかわからないが、配置図をパソコンで作成する事務仕事は発起人側のすることである。 そして会次第の流れの打ち合わせも、発起人が主導してやることである。 プロジェクターの打ち合わせもあったので、出かけて行く必要はあったのだが。 ☆帰宅後に、”MOON DANCE”の制作工程をビデを編集していただいている高鍋町キャリア教育センターの森氏来訪。 祝賀会場で流す映像の確認作業をする。 あまり長いと途中で出席者の意識が逸れてしまうので、8分強の長さに編集してもらった。 文化賞祝いとの抱き合わせの祝賀会なので、巧い具合に文化賞受賞の件も流れに組み込んでもらって、かなり感動的な内容になっている。 森氏はもとテレビ局のカメラマンだったので、やはりプロの仕事である。 これからテロップを入れる作業に入ると言うこと。 完成したら、著作権は別にないということなので、関係者にコピーして配ろうと思う。 ☆朝一に、写真館の方から今朝4時の三日月と”MOON DANCE”のコラボ画像が届いた。 3時半辺りから高鍋駅周辺で仕込みをされていたら、パトロール中のパトカーに職務尋問されたと言う。 私の名前を出して、無罪放免となったと言うこと。 申し訳ない。 次は6月の満月に撮影を試みると言うこと。 ☆今日はいちにち、咳と痰が止まらなかった。 昨夜は胸も苦しかった。 まだ体調は完全回復していないのだろう。 陽性反応後7日後まではまだ感染の怖れがあると言うので、出席の返事をしていた今夜の4年ぶりの夏祭り総決起集会はひかえることにした。 5月16日(火) ☆晴れ。 県内は気温が上昇して、美郷町では32.1度の国内最高気温の真夏日になった。 しかし室内はとても爽やかで、暑さはなし。 ☆隔離5日目が終ったので、ようやく蟄居状態の和室から出て、リビングで作業する。 ところが和室での作業に馴れてしまったので、リビングでは東窓の明かりが反射してパソコンの画面が見難い。 それに陽性感染後7日までは、まだ感染の怖れがあるということで、妻から厳しくマスク着用、ビニール手袋着用、消毒の徹底を命じられて、かえって和室での 生活の方が楽だった。 ☆一日、私の海外作品設置場所のデータ作成。 だいたいが、私は海外のシンポジウムに行っても、その場所が地図上でどこにあるのか確認したことは殆どない。 多くは首都以外の地方の街で行われることが多いので、グーグルアースでもなかなか場所を特定しにくい。 それでその場所をネットで検索して、ウィキーペディアで白地図をコピーして場所を特定してゆく作業で進める。 それをパソコンで皆さんに観ていただくための編集作業にかかれるのは、明日以降である。 ☆ようやく外出できるようになったので、午後から21日のイベントの打ち合わせに出かける。 昨年末から、私の文化賞受賞祝いとモニュメント完成祝いをしようという話があったのだが、なかなか具体的な動きがなく、連休前に急に期日が決まって案内を出した。 その出席者の確認と、当日の式次第の打ち合わせ。 やはり案内が急だったので、私の高校同級生は殆ど出席者がなく、同窓生が数人出席してくれるのみ。 中には、同級生が今年の3月に他界したという奥さんからの返事も含まれていて驚きだった。 欠席のメッセージを読むと、やはり後期高齢者世代に這入ろうとする私たち世代には体調不良の理由が多い。 だが全体で35名を越しそうなので、その程度のこじんまりした会を考えていたので、上々というところか。 先日から準備していたマグネットと小冊子はこの祝賀会の記念品である。 高鍋町美術館での個展の時は、個展開催が決まった時点でオープニングパーティーも決まったので、時間をかけてオリジナルなオブジェを鋳造した。 しかし今回は、やるのかやらないのかも定まりが無く、開催期日が決まった時点ではオブジェ等の作品を作る時間は皆無だった。 マグネットと小冊子を間に合わせるのが精一杯であった。 昨日から編集中の海外作品の設置場所地図も、当日に流すためのものである。 ☆アンジェラスの森の電気復旧作業の見積もりが届いたが、びっくりする高額だった。 作業場の配線埋設状態を確認するのに、ユンボを使ったためである。 電気回線を復旧させるために、こんな思わぬ出費が嵩むとは考えもしなかった。 ☆6日ぶりに夕食を作り、リビングで妻と食事を摂る。 ビールとワインを呑んだが、期待した美味しさがない。 やはりまだ本調子ではないのだろう。 まだ咳と痰が止まらない。 5月15日(月) ☆晴れ。 朝はまだ冷え込むが、日中はとても爽やかな気候。 ☆午前中は、”MOON DANCE”プロジェクト報告書の入稿データの最終チェック。 結局、ページ数は2ページを削除して52ページとした。 最終的に文字の色を変更して、お昼前に校正作業終了。 それから画像埋め込みの確認と文字のアウトライン化を済ませて、入稿データの完了。 ☆午後にネット印刷会社にデータを入稿。 原稿は全て問題なしで、今日の日付で受付が確定した。 19日(金)には発送出来るというので、21日のイベントには間に合う。 デザイン感覚はゼロの、単なる画像の羅列報告書である。 ☆一気に作業を進めたので、夕刻には何もする気力が無くなり、どっと疲れが出てしばらく仮眠する。 ☆もう一つ、21日のイベント用に作成しなければならないデータがある。 私の海外設置作品を、具体的に海外の地図の上で場所を示してほしいという依頼がある。 当初、世界地図をネットで探して見たが、グーグルアースでそれぞれの地域の地図を出して、スクリーンショットで保存してゆけばよいことに気付いた。 夜はその作業を進める。 編集はパワーポイントでやろうと思っているが、パワーポイントを最後に使ったのは6年前で、もう何をどうやればいいか解らない。 明日からまた頭の痛い作業である。 こうした作業はとことん自己嫌悪に陥ってしまう。 ☆今日でコロナの5日間の隔離自宅待機期間が終わった。 明日からマスク着用のみで全く普通の生活に戻れる筈なのだが、妻が”まだまだ”と難色を示す。 もう閉じ籠もり生活も飽きてきた。 自由に動きたい。 5月14日(日) ☆晴れ。 朝方はまだかなり冷え込む。 日中は気温が上昇。 ☆今日も一日、”MOON DANCE”プロジェクト報告書のデータ整理作業。 妻にプリンターのインクを買って来て貰って、プリントアウトしながらページ編集を修正してゆく。 やはり画像の大きさ等を統一していたりすると、一通り終ったのはもう夜の10時を廻った。 最終的にページ数が54ページとなり、冊子とするには4倍数のページでなければならないので、もう2ページ追加するか、逆に2ページ削除しなければならない。 明日の午前中には文字にアウトラインを入れて入稿データを確定して発注したい。 ☆考えてみれば、コロナに罹って、トイレに行く以外は和室から出れない”閉じ込められ”の毎日である。 食事は妻が作ってくれて差し入れてくれるので、私は”MOON DANCE”プロジェクト報告書のデータ整理作業以外のことを何もしなくていい。 健康状態はすっかり回復しているので、寝込む必要も無く、一日中、デスクワークのみに没頭できる。 5類に移行した途端にコロナに罹り、おかげで入院もしなくてよく、症状も軽く、和室に閉じ込められて家の中のことは何もさせて貰えず、デスクワークのみに 集中できるなんて、まるでコロナに罹ったことはあまりに出来過ぎたお膳立てだった気がしてきた。 コロナに罹らなかったら、私は一日の裡の半分以上を家事雑多で時間を取られて仕舞い、デスクワークのみに集中することは不可能だった。 何だか、不思議な感じである。 5月13日(土) ☆一日雨。 気温は上がらず、夕刻からはしんしんと底冷えて来る。 どうして今年はいつまでもこんなに寒さが続くのだろう。 ☆コロナの症状はほとんど落ち着いた。 熱は全く無いし、咳と痰と喉の痛みも風邪気味が残っている程度。 今夜は無性にお酒が呑みたい。 しかし服用している薬に、アルコールと反応すると薬効のなくなるものがあるのであと2日は我慢である。 ☆今日は一日、”MOON DANCE”プロジェクト報告書のデータ整理作業。 和室にプリンターを持ち込んで、構成を修正しながらプリントアウトして確認してゆくが、3分の1ほどでインクが切れてしまった。 妻は午後から宮崎国際音楽祭に出かけているので、インクを買って来てもらうこともできず、残りはパソコン画面だけでレイアウト修正をする。 ☆この宮崎国際音楽祭は私も行く予定だったのだが、行けなくなったのでキャンセルを問いあわせたら、いったん購入したチケットはキャンセルできないと言う 非情な返答だった。 今回は思い切ってS席9,000円のチケットを購入していたので、キャンセルできないなんてあまりにも酷い。 それでスケジュールの空いていた妻のジャズボーカル講師の片貝さんに、日頃のお礼を込めてチケットをプレゼントした。 5月12日(金) ☆晴れ。 夕刻からは曇って来て、天候は下り坂。 ☆昨夜は喉がかなり痛かったが、比較的よく眠れた。 朝はやはり声が出しずらいほどガラガラ声だったが、食事が喉を通らない程の痛みではない。 そして日中は喉の痛みも和らぎ、熱も全くの平熱、時折鼻水と咳が出る程度で、ほぼ少し風邪気味状態の通常体になった。 ☆体調も回復したので、今日は夜中までずっと和室でデスクワーク。 午前に満月入りの”MOON DANCE”マグネットのデータを作成。 先日、写真館に満月の”MOON DANCE”写真撮影をお願いした時に、満月はコラージュにして嵌め込まないと難しいという話であったのを思い出して、 自分でやってみることにした。 昨日からネットで無料の満月写真素材をコピーして、私の撮った満月の”MOON DANCE”写真とコラージュさせようとするが、満月を綺麗に丸く切り取らないと うまく行かない。 あれこれ試行しているうち、スマホならアッという間に簡単に丸く切り取れた。 これで満月にもピタリと焦点が合った満月の夜の”MOON DANCE”画像が出来たので、先日試しに作って完売してしまった”MOON DANCE”マグネット2点の追加注文 と合わせて、発注する。 ☆午後は、旅行前に途中までデータを作成していた、”MOON DANCE”プロジェクト報告書のイラストレータ作業の続きを進める。 画像を縮小するときに比率が崩れてしまうのを防ぐには、”Shift”を押しながら作業するのだとわかり、作業はかなり楽になったが、やはりレイアウトしながらの作業には 時間がかかる。 結局一通り終ったのはもう夜中近くだった。 旅行前の編集と、今日の編集ではページの編集様式がガラリと替わってしまったので、明日はその調整でまた一日費やしそうである。 ☆今夜は南町ジャズライブで、昨年も出かけた”大野えり・板橋文夫・米木康志”のトリオライブがあり、大野えりさんが今夜のライブで”MOON DANCE”の曲を披露する と言うので、みんな楽しみにしていた。 私は自宅待機中なので、妻が録画の準備をして出かけて行ったが、残念ながら曲の披露は無かったと言うこと。 残念だが、間に合わなかったのだろう。 5月11日(木) ☆晴れ。 ☆夜はぐっすり眠れた。 薬が効いているようだ。 ☆朝食がひどく味が薄くて、妻に味塩を持ってこさせたが、殆ど味がしない感じで、途中までしか食べられなかった。 昼に帰宅した妻にその旨を話すと、コロナに罹ったことのある職場の同僚が味覚障害の事を話していたので、味覚障害だろうと言う。 そうだ、コロナの特徴に味覚障害、嗅覚障害があったことを想い出した。 だが、お昼は昨日までのようにきちんと味がして、美味しかった。 味覚障害は一時的に出ただけだったようだ。 ☆中町公民館でコロナで入院したことのある方が、入院中は全く酒を呑みたいと思わなかったと言われていた。 実際、私も全く酒を呑みたいと思わないし、肉を食べたいとも思わないし、美味しいものを食べたいとも思わない。 ただ心配していた呼吸困難の息苦しさは全く無いし、倦怠感も全く無い。 けれどコロナに罹ったことのある息子たちは、2、3日目が酷く辛くて、喉が痛くなり、食事が喉を通らなくなるのでゼリーかアイスを摂ったらいいとアドバイスして くれた。 事実、夕刻からは再び寒気がしてきて喉の痛みが激しくなったきた。 熱の方は平熱に下がってくれている。 ☆片づけなければならない仕事もあって、寝てばかりもおられないので、妻にパソコンを持って来てもらって、布団の上でパソコン作業をする。 しかし布団の上に座ってのパソコン作業は腰が痛くなって、作業が続けられない。 明日は椅子に座って作業が出来るように工夫しよう。 5月10日(水) ☆晴れ。 ☆一晩中苦しくて、殆ど眠れなかった。 風邪だとは思うが、先日の葬儀の時に同じ中町公民館の某氏が、昨年暮れに知人の葬儀に出て、そこでコロナを移されて2週間入院しなければならなかったという 話を聞かされたばかりだったので、気になって病院へ行く事にした。 ☆かかりつけのO内科へ診察の順番を取りに行くと、看護婦から熱はありませんか?と質問された。 念のために体温を測ると、37,5度あって、病院内に這入れず、問診表に症状を記して駐車場での発熱外来の予約をして帰る。 ☆予約の時間に出かけて、駐車場の車の中で問診を受け、インフルエンザ(5類になったのでコロナもインフルエンザとして扱われる)の検査をした。 結果は陽性だった。 とうとう私もコロナに罹ってしまった。 ただO医師の聴診器による胸部診断では、症状は軽いと言うことであった。 8日から5類になったので、入院の必要は無く、保健所への届け出も不要と言うことだった。 5日間は自宅療養で、10日目まではマスクを着用と言うことであった。 21日に大切な催事が控えているので、2週間も入院したら完全にアウトだと心配したが、21日からはマスクは外して良いということで安心した。 ☆看護婦との問診の中で、妻が旅行中から激しい嘔吐を催していた話をすると、状況的に妻も感染していると思われるので診察を受けさせて下さいと言う。 妻は勤務中で電話に出られないので、職場の上司に電話をして、妻に状況を伝えてもらった。 幸いにも妻の検査結果は陰性だった。 ということは、旅行中に感染したのではなく、昨日の葬儀(妻は勤務があって昨日の告別式には出ていない)で感染したのだろうか。 あるいは機中か空港での人混みの中での感染で、体調が芳しくなかった私に症状が出たのだろうか。 5類に移行して、濃厚接触者の行動規制が廃止されたので、妻は通常に勤務できる。 ☆お昼休みに妻が帰宅して、私は和室に隔離され、食事は妻が用意して呉れることになった。 ☆これから5日間は和室で何もせず寝て過ごすことに成る。 熱は昼間は38,9度まで上がったが、薬のお陰で夜までには平熱近くまで下がった。 ただコロナ症状で顕著な激しい倦怠感は無い。 5類に移行しての感染だったので、入院も濃厚接触者もなく、最低限の対応で済むのが幸いだった。 5月9日(火) ☆晴れ。 今日も風が強く、気温は低い。 ☆朝9時からMさんの葬儀手伝い。 考えてみたら、私が記憶している限り、中町公民館は例外なくご主人が先に亡くなられている。 Mさんが亡くなられて、私は中町公民館では上から2番目の高齢者となった。 次は私たちの世代の番である。 例外が全く無いという状況から、ほぼ100%、私は妻より先にあの世へ行く。 妻に迷惑を掛けないように、断捨離をきちんとやっておかねばならない。 それが実にリアルな問題となって来た。 ☆午後から、このHP日記の旅行中の記述を書き込む。 夜までには何んとか終わった。 ☆午後からじっとこのパソコンに向かっていると、しんしんと冷え込んで来る。 夕刻からはバシバシという音が立つくらいに寒さで身震いがしてきた。 どうやら海外の熱暑と日本の冷え込みで、体調がバランスを崩してしまったらしい。 食欲も無いので、鍋やきうどんを作って、このHP日記帳の作業が終わったら早々に床に就く。 5月8日(月) ☆雨上がりの快晴。 気温はまだ肌寒さが続いていて、一日強風が吹き荒れる。 ☆午前は不在中の新聞に目を通し、デジカメの画像をパソコンに移す。 旅行中はスマホの画像をフェイスブックに上げたが、やはりデジカメで撮った画像の方が鮮明である。 デジカメの画像はきちんと業者に頼んでプリント保存しようと思う。 ☆夕刻4時から、隣家のMさんの通夜お手伝い。 受付等のお手伝いを中町公民館で対応する。 Mさんは、一昨年の暮れに自宅倉庫前の車に乗った後、体調不良の意識不明状態でそのまま斜め向かいの”おざわ別館”に突っ込み、私のあかりオブジェに乗り上げた。 私のあかりオブジェは破損したが、そのおかげで”おざわ別館”の中に車が侵入する大きな被害を防ぐ事が出来た。 その事故が原因で、Mさんはずっと介護施設に入院されていた。 一昨日6日の夕刻まではまったく異常はなく、夜の9時になって体調が急変して、病院に運ばれる前にはすでに亡くなられたらしい。 病院も、結局は死因が特定できなかったようだ。 Mさんは、我が家の息子たちがバンドの練習でドラムの大騒音をたてても、”どんどんやれ!”ととても前向きに応援していただいた。 我が家にとってはとてもお世話になった大事な方であった。 ☆まだ妻も私も旅行の疲れが取れないが、今夜から7月のライブの練習を再開する。 5月7日(日) ☆0時10分にホーチミン空港を発つ。 私たち夫婦の座席は最後部で、周囲の席は空きが多かったので、妻の体調を考えて、私が空きの座席へ移る。 妻の体調は次第に落ち着いてきて、朝食の機内食を口にすることができるまでに恢復した。 ☆関西国際空港へは定刻の7時20分着。 大阪は雨だった。 日本帰国に際し、コロナの接種証明、陰性証明はまったく、求められなかった。 また検疫手続きの簡略化のためのVJWへの事前登録も、かえって事前登録してQRコードを取得した人たちは認証作業に手間取って、これまでのように紙に記入しての 書類提出の方がスムーズだった。 日本出国前にさんざん手を煩わせた作業は、何にも役に立たなかった。 ☆まずグローバルWifiを返却。 宮崎へ帰る国内線はピーチで、搭乗は第2ターミナルなので、とりあえず第2ターミナルへ移動。 しかし、フライトは午後の3時30分で7時間以上の待ち時間がある。 それに第2ターミナルの食事スペースは軽食ばかりで、切れかけたスマホの充電場所も無い。 ☆所在ないので、再び第1ターミナルへ戻り、フードコートでうどんを摂る。 食道楽の大阪なのにフードコートのメニューが余りにも貧弱である。 寿司屋も無いし、行列の出来ているラーメン店も一行に食欲をそそらず、結局、うどんしか選択肢が無かった。 食後に充電機能のあるシートでスマホを充電したあとに、午後に再び第2ターミナルへ戻る。 ピーチは1日1便しかない。 疲れて、体調も万全でないのに、半日以上も空港で待たなければならないなんて、もう2度とピーチは使わない。 ☆15時30分発のピーチで関西国際空港を発ち、16時40分に宮崎空港へ到着。 宮崎空港へ着いて、びっくりしたのは、まだ殆どの人がマスク姿だった。 コロナは明日から5類に移行するし、ベトナムでもカンボジアでも関西国際空港でもマスクを外している人が多かった。 宮崎はそれだけ同調圧力のなかで身を保っている人が多いと言うことだ。 ☆18時過ぎに、無事に1週間ぶりに帰宅。 不在中の新聞と郵便物を確保して玄関へ向かうと、岡山から送らて来た「万成石50の表現」の石が届いていて、玄関ガラス戸に一枚の案内文書がはさんであった。 案内文書は何んと、隣家のMさんのご主人の明日の通夜と明後日の告別式へのお手伝いに関する公民館長からの指示文書だった。 よくぞお通夜に間に合ったものだ。 ☆ぐったり疲れているので、夕食は持ち帰りのお寿司で済ませ、パソコンの700通近いメールの点検と郵便物のチェックをして、早々に床に就く。 5月6日(土) ☆晴れ。 ☆午前はトンレサップ湖の遊覧。 このツアーはオプショナルツアーで、希望者のみの参加。 4組の参加者のうち、2組が疲れて休息を選び、私たち夫妻と三重から来られたご夫婦と娘さんとの5名が参加。 9時にホテルを発つ。 ☆私はトンレサップ湖で水上生活者の様子を見る、という案内だったので、トンレサップ湖は美しい湖で、水上生活者は若いころに訪れたバンコクの椰子の林の中の 水路での賑やかな水上商売を思い浮かべていた。 ところがガイドの様子がおかしい。 いかにもこの世の物とは思われぬ、地獄の世界へ足を踏み込む怖ろしさを語るのである。 その前置きとして、カンボジアは雨期になると殆どの畑地が水没してしまい、そういう地域には電気も通っていないし、番地もないので多くの国民は住民票も住所も 無いのだと言う。 それで畑で作業することを諦めたり地雷を避けたりして水上で生活し、漁業で生計を立てている人たちが300万人ほどいて、このトンレサップ湖だけで100万人以上の 人たちが暮らしていると言う。 しかも陸地でさえ住所、住民票が無いのだから、水上生活者は国籍も無い。 カンボジア人でもベトナム人でもないから、陸に上がっても国民として受け入れられない。 一生を小さな船の上で過ごすから、殆ど原始生活で、炊事洗濯はすべて湖の泥水に頼っているし、教育も受けないから文字の読み書きもできない。 船の上では走る事も出来ないので、常に運動不足である。 陸に上がったことの無い人たちは、車も見たことが無いし、陸上の生活そのものを知らない。 ただ捕った魚を売らなければならないので、商売道具としてスマホを持っている。 充電の電源は太陽光パネルを使っている。 ガイドにとって、水上生活者の世界は理解できないものなのだ。 観光客相手のお店に立ち寄ってカンビールを呑んだら、また気分が悪くなってきた。 ☆お昼にはホテルへ戻り、休息中の2組6人と合流して、日本の皇族も訪れたという「ソフィテル・アンコール」というホテル内のレストランでフランス料理を摂る。 昼食後にアンコールクッキー店とオールドマーケットに寄り、お土産を調達。 ☆3時にホテルへ戻り、シャワーを浴び、着替えをして帰国の荷造りをする。 3時45分にホテルをチェックアウトし、空港へ。 参加者の皆さんは、この暑さとハードスケジュールで体がへなへな状態であった。 ハードな駆け足旅行だったが、幸い雨も降らず、よい想い出の旅となった。 ☆18時20分にシェムリアップ空港を発ち、乗り継ぎのホーチミン空港へ。 ホーチミン空港に19時40分着。 ホーチミン空港では乗り継ぎのために5時間以上もの待ち時間がある。 そこで、待ち時間が長いので食事でもしながら、出発までお待ちくださいと、航空会社から熱々の軽食セットが渡された。 こんな事は初めてである。 ☆ところが搭乗口へたどり着いてから妻に異変が生じた。 妻が急に吐き気を催し、トイレに駈け込む時間もなく待合席で吐いて仕舞った。 どうやら連日の熱暑とハードスケージュールによる疲労が重なって、体調を崩してしまったようだ。 妻の吐き気は止まらず、何度も吐いた。 私の持参した胃薬を飲ませても、それも直ぐに吐いてしまった。 それでトイレの前に座らせて、すぐにトイレに駈け込めるようにする。 空港には医務室があるので、空港のスタッフに聞いてみたが、もう夜中近くだったので営業時間外だった。 搭乗時刻前になって、金沢の歯科医親娘さんたちが来られたので、娘さんから車酔いの薬など分けて貰った。 今回の旅は、私たち夫婦を含めて半数の方が吐いて仕舞われた。 多くの方たちが熱中症だったのかもしれない。 5月5日(祝・金) ☆晴れ。 ☆今日はアンコールワット観光ハイライトの一日。 まず4時に起床して、4時45分にホテルを発ち、アンコールワットの朝日を見に行く。 途中で顔写真入りのアンコール・パスを取得。 このパスは要所でチェックされる。 ☆アンコールワットの中央祠堂から登る朝陽を鑑賞するのが、アンコールワット観光の目玉である。 このアンコールワットの塔は、古代文明のインカやエジプトの遺跡同様に、夏至や冬至の太陽軌道を綿密に計測して建てられている。 また手前の池に写る逆さアンコールワットも人気で、多くの観光客が陣取っている。 ☆昨日の飛行機で隣り合わせになったトレーナーの青年ともこの池の畔で再会した。 青年のカンボジア訪問の目的である第32回東南アジア競技大会は、明日にアンコールワットがマラソン競技のスタートとゴール地点になっていて、 明日はアンコールワットへの車の乗り入れが制限されていて、アンコールワットの観光ができないのだと言う。 ☆無事にアンコールワットの朝日を見ることが出来て、ホテルへ戻って朝食。 朝食後、8時30分にホテルを出てアンコールトムの観光。 アンコールトムのバイヨン寺院は、12世紀末に建設された観世音菩薩の四面仏の塔で有名である。 ☆バイヨン寺院から王宮跡へ向かう途中で、猿に肩掛けバッグからボールペンを取られてしまった。 その後、象のテラスとライ王のテラス(三島由紀夫の「癩王のテラス」で有名)を廻る頃には、38度の炎熱と足元の疲労でフラフラ状態であった。 ☆そして、例の300年もの間ジャングルに埋もれて、巨大な榕樹に押しつぶされてしまったタ・プロームへ。 この巨大な榕樹に巻きつかれた寺院は、人気の写真撮影スポットで、通常は長蛇の列が出来るのだそうだが、コロナ禍で観光が3年ぶりにようやく再開したばかりなので、 今は並ばずに撮影できる。 しかしこの榕樹は遺跡の保存には限界に達していて、現在は撤去の作業が進んでいて、3年後には全て撤去されると言うこと。 ☆体力限界に近い状態で、中華料理店で「飲茶」のお昼。 ようやく日本人の味覚に合った料理が出てきて、みなさんほっとされていた。 ☆昼食後はホテルでシエスタ。 しばし体を休めて午後2時50分にホテルを発ち、再びアンコールワットへ。 まだ気温は38度。 ここでもまたトレーナーの青年と遭う。 アンコールワットの回廊に這入って、延々と続く薄肉彫りのレリーフに度肝を抜かれた。 その均一したレベルの高さ、高度な美しさ。 物語は「ラーマーヤナ」(西面北側)、「マハーバーラタ」(西面南側)、「アンコールワット創設者・スールヤヴァルマン二世の行軍」(南面西側)、 「天国と地獄」(南面東側)、「乳海攪拌」(東面)、「阿修羅の戦い」(北面)が描かれている。 寺院と言うのは、東西を問わず、文字の読み書きができない民衆の教育の場で、こうしたレルーフの絵図で民衆は人の倫を学んだようだ。 ☆アンコールワットの十字回廊の柱には、400年前の寛永年間の日付の在る日本人の落書きが残っている。 アンコール・ワットに落書きした武士がいた!? (touken-world.jp) インドの祇園精舎と間違って参拝したということである。 つまり400年前には、アンコールワットはまだ寺院として機能していたと言うことだ。 午後後半にアンコールワットを訪れたのは、夕陽のアンコールワットが目的だったのだが、警備上夕刻6時にはアンコールワットを出なければならなかった。 日中の熱暑とハードスケジュールで、ツアーの参加者のご婦人2人が、体調不良で途中で吐かれて休息された。 ☆夕刻のアンコールワットを出て、某ホテルでクメール伝統舞踊を見ながらのバイキング夕食。 みなさん疲労困憊で、あまり食事が進まず。 9時前にホテルへ帰着。 疲れて早々に寝る。 5月4日(祝・木) ☆くもり、のち晴れ。 ☆6時に朝食を摂り、8時にホテルをチェックアウト。 午前はハノイ市内観光。 まず世界記憶遺産の文廟。 1070年に孔子を祀る廟として建立され、1076年にベトナムで最初の大学が設立されたところ。 次に1975年に建てられたホーチミン廟。 丁度、衛兵交代式が行われてラッキーだったが、雲が晴れて強烈な陽射しとなる。 次に世界遺産のタンロン城。 ここは11〜19世紀にタンロン(現在のハノイ)に都を置いたリー王朝の城だが、私たちが訪れたのはフランス軍から放たれた砲弾の跡のあるバック門。 そして鎮国寺。 ここにはインドのブッダガヤにある菩提樹から枝分かれしてもらった菩提樹がある。 ☆お昼は「LONG HOI」というお店で、「バインミー」というベトナム風サンドイッチ。 ☆そのまま空港へ。 空港のチェックイン時に、スーツケースにうっかりモバイルWiFiのバッテリーを入れていたので、預け荷物検査で引っかかってしまった。 手荷物検査では靴まで脱がされたので、妻は靴を履こうとして右足が吊ってしまった。 ☆15時30分にハノイを発ち、17時にカンボジアのシェムリアップ着。 機内の隣の席に、埼玉から来たスポーツトレーナーの青年。 海外旅行経験は有るが、一人旅は初めてで、入国カードの書き方がわからずとても不安だと言うので、書き方を教えてあげる。 カンボジアへ行く目的は、第32回東南アジア競技大会というものがカンボジアで開かれるので、トレーナーが必要な時にサポートするためだと言う。 ☆シェムリアップ空港にはプティーさんと言う中年の男性の通訳が出迎えてくれた。 宿泊ホテルは「エンプレス アンコール ホテル」で2泊する。 このホテルも日本語表記が多い。 夕食はホテルのレストランで「アモック」というクメール料理。 私は首筋が張って歯茎が浮いてしまっているので肉が食べられず(カンボジア料理の水牛はとても肉が硬い)、昨日吐いたばかりなので辛い物が食べられず。 他のツアー客もあまり食が進んでいなかった。 5月3日(祝・水) ☆午前は時折り雨が降ったり、晴れ間が出たりの不安定な天気。 午後は晴れる。 ☆6時に朝食。 ハロン湾を眺めながらの朝食で、朝食がとても美味しくて、残すのが勿体なくて3,4人分食べてしまった。 これが後に大変な災いとなる。 ☆8時半にホテルをチェックアウト。 チャーター便で約3時間のハロン湾クルーズ。 クルーズは私たちのツアー客11人で貸し切りだった。 私は写真で見る真っ青な青空の下のハロン湾を望んでいたが、あいにくの時々小雨の降る天候だった。 しかしハロン湾の情景が思っていた以上に壮大なスケールで、遠くの起伏の激しいし島々が殆ど山水画の世界であった。 曇天の空模様でも充分に山紫水明の世界を堪能できた。 途中の鍾乳洞の島を巡り、夫婦岩まで行って折り返し、帰路にお楽しみの船内海鮮料理であった。 しかし期待したほどの美味しさが無いうえに、ビールを呑んだら急にムカついてきた。 てっきり必要と思ってオーダーしていた白ワインがものすごくまずくて、吐き気を催してきた。 どうやら朝食を食べ過ぎて、船酔いしてしまったらしい。 ☆気分がすぐれず、激しい片頭痛のまま、午後からハノイへバスで向かう。 ☆ハノイ市内へ這入って、お茶のお店に立ち寄って長居したところで、とうとうトイレで激しく嘔吐してしまった。 それで少し気分が落ち付く。 ☆気分が落ち着いて、電動カートに乗って、ハノイ旧市街を廻る。 しかし期待したほど面白いシャッターチャンスの場面も無かった。 ☆市内観光の後、今回のベトナム旅行の2番目のお目当て、水上人形劇を観る。 この水上人形劇は世界で唯一、年間を通して毎日開催されていると言う。 動きのシンプルで素朴な人形で、人形劇の最も初歩的なものだが、生演奏、生唄とあいまってあっという間の40分間だった。 どうやら天井から吊っているのではなく、水の中で操作しているらしい。 ☆夕食は市内のレストランで北部ベトナム料理。 まだムカついているし、首筋が張って歯が浮いているので、肉は一片も噛めず、名物ブン・チャー(ベトナム風つけ麺)もまったく美味しくなく、ぽとんど喉を通らず。 ☆9時前にホテル着。 今夜は「ロイジェントパークスハノイ」。 ここもテレビはNHKWorld、ホテル内の表記も日本語。 風邪気味かもしれず(ホテル内の冷房が効きすぎ)、シャワーの後に風邪薬を飲んで寝る。 5月2日(火) ☆大阪は晴れ。 ベトナムはくもりのち晴れ。 ☆5時半起床。 6時半に朝食、チェックアウト。 7時15分に予約を入れてあったタクシーが7時には来て呉れたので、直ぐに関西国際空港の第1ターミナルへ向かう。 ☆まず、予約してあったグローバルWifiを受け取り、ツアーの旅行代理店集合場所へ。 担当者からEーチケットと海外旅行保険証を受け取る。 チェックインをして出国手続きをすると、コロナ以前の手続きよりものすごく簡略化されていて驚く。 旅行代理店からもコロナワクチン接種証明書も陰性証明書も提示を求められず、肩透かしであった。 両替はカンボジア用にドルに交換。 ベトナムドンはベトナムで交換した方がレートが良いとのこと。 ☆10時30分にベトナム航空で関西国際空港を発つ。 座席に座った途端に強烈な両肩の肩凝り。 まだ体調が芳しくないようだ。 そして今度は強烈な胸の圧迫感。 このまま息が止まったらどうしようと思うが、痛いのは右胸で、心臓の痛みではなく肋間神経痛だとわかった。 2、3日前から肋間神経痛が出て来ていたのだ。 やはりほどなくして落ち着く。 昨日からどうにも踏んだり蹴ったりである。 ☆落ち着いたところで、機内サービスで美味しい赤ワインが紙コップたっぷりに注がれて出てきた。 朝からワインで、付き出しのおつまみもすごく美味しく、今度は上機嫌である。 ☆13時40分にハノイ着。 現地ガイドは30歳半ばくらいの、日本名”進ちゃん”という明るい青年。 私たちのツアー客は、金沢市内からの親娘3人、和泉市からの夫婦と同伴女性の3人、愛知からの親娘3人、そして私たち夫婦2人の計11名。 バスでハロン湾へ向かう。 ベトナムドンはバスの中で両替してくれた。 ☆ホテルは「サイゴンハロンホテル」。 私たちツアー客は、9階のハロン湾を見下ろせる絶景の部屋であった。 ホテルの中は到るところが日本語表示で、テレビはNHKWorldであった。 日本人お得意様のホテルなのだろう。 ☆夕食で、金沢市内から来られた歯科医夫妻と娘さんとの3人組と同じテーブルになった。 歯科医の方は80歳ながら現役の歯科医だと言う。 私が彫刻家で、妻も絵を描くと言う話から、実は歯科医の方もデッサンが好きで自分の院内に自作の裸婦デッサンを飾っているし、奥さんも一水会に属されているという。 ご夫婦は新婚旅行で宮崎を訪れられたことがあると言う話から、娘さんが”宮崎のどちらからですか?”と問われた。 ”高鍋町というところです。” ”えっつ!高鍋ギョーザ!” びっくりである。 ”どうして高鍋ギョーザをご存じなんですか?” ”だって、高鍋ギョーザはすごいブームじゃないですか!” まさかベトナムで、金沢の人と”高鍋ギョーザ”の話をするなんて! すぐにこの件を高鍋町長にラインする。 5月1日(月) ☆晴れ。 大阪は雨。 ☆PCR検査の結果が届かなかった件で、高鍋会場に問い合わせようと思ったら、無料検査会場一覧から高鍋会場が消えている。 それで県庁の担当課へ問いあわせメールを送り、妻に届いた結果報告メールにあった大阪の検査会社の電話番号に電話をする。 県庁からの返信では、高鍋会場は昨日までの開設で、今日からはもう閉鎖になったので一覧から削除されたと言うこと。 県庁担当者が検査会社に連絡を入れてくれたので、折り返し、検査担当者からメールアドレスの確認の電話があった。 どうやら私へのメールが帰って来ていたらしい。 ほどなく検査結果が届き、妻と共々”陰性”だった。 ☆もうひとつ大きな問題が起きた。 朝からひどい便秘なのである。 陰性証明の件が片付いたので、何とかして高鍋を発つ前に便秘を解消しておかなければならない。 また大型量販店へ走って、浣腸を買ってくる。 しかし何の効果も無い。 念のために前回に効果のあった妻の漢方茶を濃厚にして飲むと、なんとか高鍋を発つ前に便通があった。 だが、半年の間にこんなに酷い便秘になったことは無い。 調べて見ると、やはり高齢で便秘になりやすくなるらしい。 ☆午後に妻と我が家を発ち、宮崎空港へ。 17時20分発のピーチで関西国際空港へ。 18時25分定刻に関西国際空港着。 ところがここで今日3番目の大きなトラブルに見舞われた。 ホテルへの行き方が全く分からない。 あらかじめ今日の午前にホテルに電話をして交通手段等を聞いておいたのだが、頼みのタクシーがどこにも無い。 空港関係者に聞くと、関西国際空港周辺ではタクシーは殆どつかまらないと言う。 ホテルへ再び電話を入れて、電車で”りんくうタウン”駅で降りるが、そこでもタクシーはつかまらない。 ホテルに電話すると、そこから歩いてすぐだと言うが、外は雨である。 仕方なくスマホのナビを便りに歩き始めるが、方向がさっぱりわからない。 途中で出会った女性に尋ねると、反対方向に向かっているというので引き返し、駅の反対側へ向かう。 しかしどうにも方向が解らなくなって、コンビニに飛び込み、ホテルを尋ねると、どうやら先ほど向かって居た方向で間違いないと言う。 やはりタクシーはつかまらないので、コンビニの青年がもう勤務時間が終わるし、自分の帰る方向と同じなので送りますと言う。 彼は自転車だったので、私たちは重いスーツケースをガラガラ引っ張って青年について行く。 ようやく”りんくうタウン駅”を小1時間ほど大廻りして歩いてたどり着いたホテルは、なんと先ほど引き返した交差点から目と鼻の先にあった。 どうしてホテルは適切な案内をしてくれなかったのか。 ホテルから明日の朝のタクシーを予約してもらった。 旅立つ前から散々な一日であった。 これから先、どうなるのだろう。 |
Back to toppage
2023 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12
2022 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12
2021 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12
2020 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12