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このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。

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2024 4月30日(火)

☆今日で4月は終わり、ヨーロッパ周遊の前半が無事に事故もなく過ぎた。

☆トゥールーズは曇り。

ところにより雨。

☆10時過ぎにホテルをチェックアウト。

タクシーでトゥールーズ駅へ。

☆11時17分発の普通電車に乗る。

すぐに車掌の改札が来たので、QRコードの表示の仕方を教えてもらおうと妻にスマホでの操作手順の録画を依頼。

ところが車掌にいつものように時刻表を見せて、実はチケット表示の方法が分からないので・・・と言うや、マイパスを見せてと言われてマイパスを見せると、OK!

えっ?と不意を突かれていると、再びニッコリと”OK”。

これで問題ないのか。

これから向かうスペインの駅には全く改札が無いらしいので、これで良いのならQRコードをかざして改札を通過する必要はない。

☆12時53分に乗り換え駅のNarbonne着。

待ち時間が1時間半あるので駅の軽食店でコーヒーとバケットサンドで昼食を摂る。

そして14時24分発の高速電車でバルセロナへ向かう。

こちらはちゃんと座席指定購入を済ませているので、PDFチケットの画像がある。

ところが、高速電車には車掌は巡回してこなかった。

☆バルセロナには16時31分に到着。

バルセロナは心配した雨はなく、しかし思ったより寒かった。

バルセロナ駅はとても大きい駅である。

私はスペインは2度目だが、バルセロナは初めてである。

妻は何度か訪れている。

☆駅からタクシシーに乗ってホテルへ向かう。

ところがホテルの住所には通り名しかなく番地がない。

タクシーの運転手がスマホでホテルを検索するが、そんなホテルは出てこないという。

とりあえず短い通りなので通りの入り口で降りて、ホテルは私たちで探すことにした。

☆しかし、ナビでホテルを探すと、そのホテルのある場所には他のホテルはあるが、私たちの目指すホテルは無い。

この状況は・・・・、これまでのアパートメントと一緒だ。

私はアパートメントを予約してしまったらしい。

ナビでそのホテルの位置を示すお店に入って聞いてみると、そんなホテルは知らないという。

そしてお店の女主人が親切にデータにある電場番号に問い合わせてくれた。

その電話の主はすぐ近くのビルに居た。

☆ところがその居場所を訪ねると、相手のニルトンという男性は、ここは私の事務所であなたたちの滞在先はここから通りを2つ行ったところにあるので案内する

という。

☆やはり案内されたのは重くて頑丈な扉のあるビルだった。

部屋に案内されるとベッドで身動きできない狭い部屋であった。

ただ共用のリビングあって、広いキッチンがあった。

パソコン作業はそのリビングの広いデスクでできる。

そしてニルトンは妻とこのアパートに住んでいるので、チェックアウトするときは妻に鍵を返却すればよいということ。

☆二度とアパートメントには泊まらないと妻と決心していたのに、選択を間違ってしまった。

アパートメントはすべて同じトラブルばかりである。

しかし観念して、ここに3泊する。

☆場所的にはバルセロナ市内の最も便利なゴシック地域にある。

すぐそばに壮麗なカテドラルがあり、夕食を摂るレストランを探す目的も兼ねて妻とカテドラル観光に出かける。

しかしフランスではあれほど壮大な大聖堂を毎日のように観てきたにもかかわらず、スペインのそれはまるっきり異なった想像を超える美しさに満ちていた。

バルセロナといえばガウディーの建築群しか知らなかった私には衝撃的な感動であった。

こんなすごい空間がこの世にあるなんて!

ただただ脱帽であった。

☆そしてカテドラルの見えるレストランで美味しいイカリングとイカ墨のパエリャを食べた。

今回の旅で最も美味しい食事だった。

それにパエリャと白ワインが絶妙に合った。

☆アパートに帰ると、やはりあれほど注意していたのに、似たような扉の別の建物に入ってしまった。

女の子たち3人が鍵を開けて入っていったので、同じアパートの住人だと思って一緒に入ったら、どうも様子が変なのである。

違う建物に入ったのでは、鍵が違うので出るに出られないのではないかと案じたが、扉は無事に開いた。

もうアパートメントはこりごりである。


4月29日(月)

☆トゥールーズは夜中から雨。

雨は一日中続く。

☆午前は次の旅程の段取りをする。

明日からスペインへ入る。

トゥールーズからバルセロナまでの高速電車の座席指定購入依頼をしていた代理店から見積もりが届いたので、振り込み手続きをして、チケットが届く。

かなり高額な金額だったが、ユーレイルパスで座席指定手数料を調べたら、見積額に間違いはなかった。

☆また5月4日にはクエンカ在住の友人画家・又木啓子さんを訪ねる。

又木さんともラインで打ち合わせをする。

☆昼前に雨の中を街へ出て、現存するロマネスク教会ではフランス最大のサン・セルナン・バジリカ聖堂を観に行く。

☆そしてキャピトル近くの発着場から出るシティーツアーバスの、午後1時発のバスに乗る。

1時間きっちりの日本語ガイド付きのバスツアーで、トゥールズの観光要所をめぐる。

トゥールーズの人々が、街の歴史と景観を大切に守っていることがとてもよくわかった。

☆ツアーを後はいったんホテルへ帰ったが、ツアー中にホテルのすぐ近くにジャンヌ・ダルクの騎馬像が立っていることが分かり、買い物を兼ねて観に行く。

ジャンヌ・ダルクはフランスの歴史上の人物の中で最も惹かれる人物である。

トゥールーズとの関係は私の不勉強でよくわからない。

☆今日も昼食は抜いて、夕刻まではスペインに入ってからのホテルの検索と予約の作業をする。

夕食はホテル真裏のベトナム料理を摂ろうと思っていたら休みだったので、道向かいのタイ料理店で。

タイ料理店は、同じオーナーが道隣で日本料理店を開いている。

そしてここ美食の街トゥールーズにも、あちこちに寿司店がある。

☆明日からスペインに入るが、フランスをずっと廻ってきて、持っていたフランスのイメージが180度変った。

私はフランスには格別の関心もなかったし、昨今のネット上でのフランスのイメージは最悪である。

日本を発つ前には、こんな時期にフランスへ行って生きて帰れるのかと周囲のみんなから真顔で心配された。

しかし実際のフランスは電車で走っても走ってもどこまでも美しい風景が続き、本当に美しい景観の国だ。

多くのフランス国民は昔ながらの質素な生活を守っている。

今のパリは、男性が女性の荷物を持ってあげることは、女性は弱いという固定観念にとらわれている象徴だと考えられ、拒否されているとネットではまことしやかに

流されている。

しかし実際のフランスの人々はすぐに妻の荷物を持ってくれたし、電車でもすぐに席を譲ってくれるし、道案内もとても親切だった。

毎日がフランスの人たちの心づかいの優しさに触れる旅だった。

おそらく今の日本人以上にフランスの人々は、他者への優しい心遣いにあふれている。

もちろん、駅構内や街中は銃を持った軍隊が隊列を組んで監視体制を取っているし、電車の中も鉄道警察が銃を持って巡回し不審人物のパスポートを調べている。

そしてスリも多いし、路上生活者も物乞いもとても多い。

そういう現実も共存しているフランスであった。


4月28日(日)

☆一日、曇天。

☆昨夜はユーレイルパスの旅程とパスの紐付けがうまくいかない原因を指摘してもらうために、私の作業工程のプロセス画像を日本の代理店に送った。

今朝は届いたメールにあった通りに作業してみたが、結果はいつもの私の作業と一緒だった。

仕方なく、今日も時刻表だけで普通電車に乗るしかない。

☆11時にホテルをチェックアウトして、カルカソンヌ駅へ。

今日はトゥールーズへ移動するので、11時52分発の普通各駅電車に乗る予定だったが、電光掲示板にその列車が無い。

次の鈍行電車は2時間後の13時55分発である。

それで窓口に行って、11時52分発の電車は日曜日は運休で、次は13時55分発なのかの確認と、そうであれば13時55分発の旅程をユーレイルパスに

紐づける方法について教えてもらった。

やはり11時52分発は日曜日は運休ということだったので、13時55分初の列車を私のパスに紐づける方法を教えてもらった。

ところが窓口で教えてもらった手順は、日本の代理店から送られてきた手順とまったく一緒で、何度確認しても問題ないという返答。

窓口がそいう言うのなら、間違いないのだろう。

しかしどうやってQRコードを表示するのか分からないまま。

☆日本の代理店からは、座席指定の申し込みが日本の窓口からできるサイトの案内が届いていた。

これだと座席指定の料金だけ振り込めば良い。

それで駅の待合室でパソコンを開いて、明後日にトゥールーズからスペインのバルセロナへ向かう特急電車の座席指定を申し込む。

☆14時57分にトゥールーズ着。

ホテルは駅から近いはずだったが、私が駅から伸びる幹線道路を2筋間違ってしまい、何とか通りすがりの人に聞いたりしてホテルにたどり着くまで

1時間以上もかかってしまった。

☆トゥールーズには2泊する。

ホテルの部屋の真下はバー街で、今日は日曜日なのでハーッピーアワーの時間帯に入って、多くの若者が飲み歌いの騒乱状態であった。

☆部屋で少し体を休めて妻と観光に出る。

私は今日までトゥールーズという街の名前さえ知らなかった。

妻も初訪問だが、トゥールーズがフランスで3番目に大きい街で美食の街として知られているということで、2泊の旅程を組んだということ。

また10万人以上の学生が集まるフランス屈指の学生都市でもあるということ。

したがってハッピーアワーには、どのバルやレストランも多くの若者であふれかえっている。

さらに1760年に完成した市庁舎”キャピトル”が特に有名だというので、まずキャピトルを訪れる。

その規模の大きさにも驚かされたが、内部に入って(無料)さらに驚愕した。

2階の大広間にはトゥールーズの歴史や市民生活を描いた壁画や天井画、さらに大理石の裸婦像で埋め尽くされている。

ここは市役所なのだ。

さらに議会室にも天井画に裸婦姿の女神が描かれている。

議会室にである!

なんというフランス文化の豊かなことか。

☆そしてカロンヌ川にかかるアーチ式の石橋・ポンヌフも有名なので足を伸ばす。

”ポンヌフ”という延岡市内の絵画グループがあったが、”ポンヌフ”とはアーチのある17世紀の石橋を指す呼称で、フランス各地に残っているようだ。

☆いったんホテルへ帰り、ハッピーアワーを過ぎてレストランで夕食の出る時間になって夕食に出る。

ホテルの隣のレストランンに入って、妻がポケトークでメニューを翻訳し、トゥールーズ地方名物の鴨肉を使った料理・カスレを注文する。

さすが美食の街、とても美味しかった。

食事をしている間にハッピーアワーは終了し、狂乱状態にうるさかった若者たちの姿は消え、もうただ静寂が漂うだけのバル街になっていた。


4月27日(土)

一日、曇天気味。

アルルからカルカソンヌへ向かう道筋はずっと雨だった。

☆昨夜は今夜のホテルの予約やユーレイルパスの設定方法の悪戦苦闘、この日記帳の記述で、床に就いたのはもう午前1時であった。

夜更かしをすると、精神が緊張しているので深く寝付けない。

そこへ夜中に蚊が出て眠れず、睡眠不足の一日。

☆10時前にホテルをチェックアウト。

せっかくゴッホゆかりのアルルに来たので、ゴッホが入院していた精神病院を訪ねる。

ホテルのレセプションにその施設までバスで行く方法を教えてもらったら、精神病院は昨日の円形競技場と同じバスで行き、同じバス停で降りるということであった。

今日の男性の担当者が具体的に教えてくれたホテル近くのバス停は、昨日に妻が主張した方向でホテルのすぐ裏にあった。

昨日は妻の主張が正しかったのだ。

☆円形競技場周辺の大通りは朝市で大変賑わっていた。

その雑踏の中を潜り抜けて行くと、精神病院であったエスパス・ファン・ゴッホは昨日彷徨した遺跡のすぐ裏にあった。

☆妻は2度目の訪問で、最初に来た時にはゴッホが入院していた2階の病室にも入れたというので、エレベータで上がろうとしていたら職員に制止された。

今は閉じて入れないとのこと。

☆駅まではバスで行こうと思ったが、ツーリストインフォメーションで教えてもらったバス停が見つからず、そう遠くない感じだったので歩いて行く。

☆アルルを12時14分に特急電車で発ち、カルカソンヌ駅に14時33分着。

結局、昨夜はあれこれ車掌の操作を思い返しながらユーレイルパスの設定をやってみたがうまくいかず、今朝になってまたもネットで運賃込みの座席指定購入で

乗車する。

カルカソンヌは14度前後の気温だが、とても風が強く、冷え込む。

☆カルカソンヌのホテルは駅のすぐ近くで、部屋はとても広くて、眺めも良い。

☆カルカソンヌという街の名前は今回初めて知ったが、この街にはヨーロッパで最も大きなシテという城塞が残り、フランス有数の人気観光地なのであった。

「カルカソンヌを見ずして死ぬな」と言われるほどの威容である。

その城塞も19世紀には要塞としての意味を失って廃墟になっていたという。

1800年代になって中世の価値観見直しともに見直され、修復された。

ホテルで軽く休息して、早速、妻と観光に出かける。

☆街の中心部とシテまではホテルからとても近くて、歩いて行ける範囲内にある。

城内を一通り見て回った後、城を出ると、お城を一周する観光ミニ列車「プチトラン」が出発寸前だったので、妻と駆け込み乗車する。

日本語のガイド付きでお城を一周する、とても素敵なひと時だった。

☆いったんホテルへ帰り、8時を過ぎて夕食に出る。

ホテル近くのレストランで、カルカソンヌ郷土料理の「カスレ」を摂る。


4月26日(金)

今日も大波乱の一日となった。

☆11時にホテルをチェックアウト。

12時03分の特急電車でマルセイユ乗り継ぎでアルルへ向かう。

電車に乗る直前から雨になり、マルセイユまでずっと雨。

ニース駅の改札はスマホ画像のQRコードで何事もなく通過。

☆しかし走行車内での車掌のチェックで思わぬ事態になった。

スマホ画像のQUコードを見せた後に私のユーレイルパスのチェックが入った。

そうしたら私のパスに旅程が紐つけられていないので、若い車掌が不審に思って、マルセイユから先はどこへ行くのですかと問う。

それでいつものようにマイトリップの旅程を見せると、これではパスがアクティービ化されていないので乗車できませんと顔をしかめる。

実はどうやったらQRコードの表示がでるのか、全くわからないのですと言うと、車掌は私のスマホを操作し始めた。

マイプランで出発駅をマルセイユ駅、到着駅をアルルと入力して、検索したタイムテーブルを保存して私のパスと紐づけると旅程にスライドスイッチが表示され、

スライドスイッチをオンにすると”Show ticket"が表示され、"Show ticket"をクリックするとQRコードが表示された。

まるで手品を見ているようで、妻も私もびっくり仰天。

あまりの手際の良さに、しまった!操作方法を動画に撮っておくべきだった!

少し手順が分かった気がしたので、明日の電車の旅程を設定するときにやってみよう。

☆マルセイユで普通電車に乗り換え。

車掌のチェックには、先ほど若い車掌が操作してくれたアルル行きのQRコードを出して、無事にOK.。

☆アルルには16時45分着。

ホテルは街はずれにあって、タクシーで向かったが、とても良心的な料金だった。

☆ホテルはテラス風のおしゃれな3階の部屋。

浴槽もあり、作業机もとても広い。

☆テラスで洗濯ものが干せそうだったのですぐにシャツを洗濯して干す。

しかし出かけようとした直後から雨になり、部屋に引き返して部屋に入れる。

☆夕刻から街へ観光に出る。

☆アルルと言えば、”アルルの女”にゴッホがパリを逃れてやってきて代表作のほとんどを制作した場所。

しかし街中は古代ローマの遺跡だらけで、ホテルのレセプションに尋ねると、アルルの重要な観光地は円形闘技場と古代劇場だと言うので、今日はその遺跡を

観光することにした。

☆ここで第二のアクシデント。

円形闘技場までは遠いので2番のバスで行くと良い、とホテルのレセプションが教えてくれた。

彼女は右の道のもう一つ右の道にバス停があるので、ここで降りてと到着地のバス停を教えてくれた。

ところが彼女の言う”右手”と言うのが私と妻とでは受け取り方が真逆で、お互いに行き先を譲らない。

しかしそのうちに、2番のバスが私の主張する道路を走っていった。

バス停のある道路ははっきりしたが、そろそろバスが来る頃になって、近くでゴミを漁っていたおばちゃんが”バス停はそこじゃないよ”と言う。

戸惑っているところへ、私たちが思っていた方向の逆から2番のバスがやってきて、バス停に停まったバスの運転手が私たちに声をかけてきた。

”あんたたちはどこへ行くんだ?”

私は運転席に駆け寄って、ホテルのレセプションが書いてくれたバス停の名前を見せると、このバスでいいから乗りな、という。

バスの方向は私たちが思っていたのとは逆方向で、無事に円形競技場へ着くことができた。

あの時、ゴミを漁っていたおばちゃんが声をかけてくれなかったら、その様子を目にしたバスの運転手が私たちに声をかけてくれなかったら・・・。

☆アルルという街が、こんなにローマ時代の遺跡だらけだとは思いもしなった。

ゴッホもこのあたりを歩き回ったのだと思うと感慨深い。

円形競技場を眺めながら、レストランで夕食を摂る。

古代ローマ遺跡を眺めながらビールとワインを飲むのは格別である。

☆そしてホテルへ帰ろうとして、今日最大のアクシデントとなった。

もうバスの運行時間は終わっていたので、私たちはタクシーで帰ろうとのんきに構えていた。

幹線道路まで降りて、流しのタクシーを拾おうとして、ハタと気づいた。

流しのタクシーなど全く走っていないし、走っていても流しのタクシーは100%止まってくれないとネットで読んでいたことを思い出したのだ。

どうしよう、タクシーを呼ぶにはまたどこかのレストランで食事をしてタクシーを呼んでもらうしかない。

しかし先ほど食事をしたレストランの周囲には車は止まっていなかったので、タクシーは入れないのではないのか。

妻が歩いて帰ろうと言うが、どこをどうやって歩ていけばよいのか。

そこへ道路わきで移動ピザのお店が営業していたので、妻がピザ屋さんにタクシーを呼んでもらおうという。

まさか、そんなことを頼める訳がない。

それならどこでタクシーを拾えるか聞いてみよう、と妻はポケトークでピザ屋の奥さんに話しかけた。

仕事で忙しいピザ屋の奥さんは、快く、電話を掛けなとタクシーの名刺を渡してくれた。

しかし、私のスマホで電話をかけたら国際電話になるし、だいたい私たちが居る場所をどう説明する。

半ばパニックになりかけたが、私の人生経験から必ず何かの解決策が見つかって私たちはホテルに帰れる、という確信がある。

私は私のスマホで使っているeSIMが30分以内の電話使用が特典として付いていることを思い出した。

まず電話をしてすぐにピザ屋のおばさんに代わって、場所を説明してもらえばよい。

案の定、スマホからアルル市内のタクシー会社に電話がかかった。

そしてピザ屋のおばちゃんがタクシーの手配をしてくれて、ピザの焼き上がりを待っている犬連れのお客に何か指示をしている。

おばちゃんは、そのお客に付いてゆきなと言う。

お客さんは道向かいのお店の前に私たちを案内して、ここにタクシーが来るので待っていなさいと言う。

これらは妻のポケトークでの会話である。

すぐに大型車のタクシーがやってきて、無事に私たちをホテルまで送ってくれた。

本当に私と妻には守護霊が付いているとしか思えない。

フランスに来て、どんなトラブルもあまりにもうまいタイミングで助け船の親切な人が現れて、すべてが解決している。

不思議だが、そう思えてならない。

☆だが、寝る前に明日の電車をユーレイルパスで設定しようとしたが、昼間に若い車掌がやってくれた操作が再現できない。


4月25日(木)

☆晴れ。

ニースの日中は15,6度はあったが、しかしやはりとても冷え込んだ。

☆午前はユーレイルパスの設定方法について調べ直す。

このニース駅もマルセイユ駅同様にQRコード読み込みの改札ゲートがある。

したがって予約の要らない普通電車に乗りたくても、今の私のアプリではQRコードが表示できないので改札口を通過できない。

いくらネットで調べても、旅程をパスに紐づける方法が分からない。

しかし一番最初にユーレイルパスを使ったときには、ちゃんとパスに紐づけられており、昨日になってそのマイトリップはQRコードが表示できるスイッチが

きちんと示されていたことに気づいた。

だから最初の設定の時にはきちんと設定ができていたのだ。

けれど、どうやったらそうなったのか、まるっきり分からない。

アプリを入れなおしてみたが、結果は変わらない。

☆そんなことばかりやってる訳にもいかないので、11時から妻と外出する。

ホテルの近くにシャガール美術館があったので、まずシャガール美術館へ行く。

ドイツやスェーデンからの団体バスが来ていて、入館するまでかなり待たされた。

シャガールは若いころは好きな作家だったのでよく画集を見たが、大人になってからはほとんど観ていない。

☆美術館そのものはとてもおしゃれな建物で、たっぷりとシャガール作品を堪能できた。

この美術館はシャガールが存命中に建てられたようだ。

来てよかった。

☆美術館前庭には軽食の摂れるカフェがあった。

ちょうどお昼時だったので、ニース・サラダを注文してビールとワインでたしなむ。

幸せなひと時であった。

☆午後からは海岸へ向けて歩む。

海辺へ出る手前のマセナ広場で、おしゃれな電動観光輪タクが待機していたので、女性ドライバーの輪タクに乗って観光する。

旧市街や海岸を約30分かけて廻ってくれた。

妻はニースは3度目である。

ニースの海の明るい青さには驚かされた。

☆輪タクを降りた後は再び旧市街を歩きなおす。

ニースではゆっくり体を休めるつもりだったが、今日も結構歩き回って疲れてしまった。

帰路は市内バスに乗って帰る。

☆ホテルへ戻って、すぐにニース駅へ。

ユーレイルパスのQRコード表示ができないので、高速電車の座席指定を購入するしかない。

ところが機械購入機を操作すると、先日はユーレイルパス所持を選ぶと、私と妻の個人データ等の入力があり、座席の購入だけができたのに、今日は何度やっても

ユーレイルパスと紐づけられた入力画面は出てこず、運賃と合算した請求しか出てこない。

機械購入機での座席指定を諦めて、駅窓口で座席指定購入をしようと思ったら、もう営業時間は終わってしまっていた。

結局、ホテルに戻ってパソコンで例によって運賃込みの座席指定をして支払い、届いたEチケットのQRコードをスマホで撮り、なんとか明日の改札ゲート問題は

クリア出来た。

☆夕食はホテル近くの中華系食堂で摂る。

メニューがパリで食べたベトナム料理とほぼ同じだったので、ベトナム料理店なのかも知れない。

やはりヌードルスープを食べると、心身共にほっとする。(味は最悪だが)

☆昨年10月のポルトガルシンポジウム作品の設置作業が先日から始まり、私の作品は今日に本設置が終わったようだ。

送られてきた写真を見ると、とてもわずか1週間でやっつけた作品とは思えない。

カメラマンが腕が良いのだろう。

オルガナイザーのアルリンドに感謝である。

ポルトガルの設置場所にはスペインを経て5月中旬に再訪し、サインを入れる予定である。


4月24日(水)

☆晴れ。

マルセイユは気温は8度だが、強風が吹き荒れて底冷えて、とても寒い。

☆泊まったホテルは小さな場末の木賃宿なので朝食はない。

それで起き抜けから今夜の宿の検索をする。

今日はニースへ行く。

昨夜は寝る前に予約を入れようと、妻のあらかじめ調べていたホテルを検索したが出てこなかった。

そのうち疲れて寝てしまったので、朝のうちに再検索。

予約が取れそうなホテルへパソコンで予約を入れるが、宿と接続できないとエラーが出る。

幾つかのホテルに予約を入れても同じ結果だった。

それでスマホで予約を入れるとちゃんと予約が取れた。

スマホだと道案内まで出る。

☆ホテルをチェックアウトして、タクシーでマルセイユ駅へ。

当初は座席予約の要らない9時57分発の普通列車の予定で、電車に乗り込もうと思ったら、マルセイユ駅は搭乗ゲートがあって、スマホのQRコードをかざさないとゲートを

通れない。

しかし私のユーレイルパスはどうやってもQRコードに変換できない。

座席予約の要る特急電車に変更して、QRコードを取得するよりない。

☆駅構内の自動購入機で操作して、次の特急電車の座席を予約すると、チケット購入の段階まで進んだが、支払いの手続きがないまま画面が終了してしまった。

そしてクレジットカードが消えてしまってパニック状態になった。

支払いのためにクレジットカードを購入機に挿入したままだった。

そのままその場を離れてしまっていたら大変なことになっていた。

☆構内でパソコンを開くと、やはり座席予約完了のメールが届いていない。

それでネットで座席予約の手続きをすると、私が予約しようとしていた特急電車はもう満席だったのだ。

次の12時28分発の特急電車の座席を予約すると空きがあり、例のごとく運賃込みの料金請求が表示された。

日本の代理店の話だと登録したパスワードを入力すれば座席予約の金額請求しかないというのだが、予約サイトを開くとパスワード入力のページが一瞬だけ開くだけで、

入力できないのだ。

仕方ないので運賃込みで支払うと、予約完了のメールが届いたので、届いたEチケットのQRコードをスマホで撮って、無事に電車に乗れた。

そこでハタと私の大馬鹿に気が付いた。

座席予約が取れると分かった時点でネットでの予約をやめて、駅の担当窓口へ行けば座席指定料金だけで済んだのだ。

☆快適な特急電車は地中海沿いに走る。

ニース手前のカンヌでは、私たちの席近くに乗っていたとてもスタイリッシュな若い女性が降りた。

フランスの女性はみんな彫リが深くスタイル抜群で美しく、服装のセンスも良い。

しかしカンヌで降りた女性は並外れた存在感があった。

☆定刻の14時55分にニース駅着。

ここで思わぬ”スリ事件”が起きた。

妻が先にエレベータに乗ったが満杯に近かったので、私は次のエレベーターに乗ろうと思っていた。

ところがいきなり白人の若い女性からエレベーターに押し込まれ、そのあとに次々に黒人系の若い娘たちが乗り込んできて身動きできない寿司詰め状態になった。

出口に向かうエレベータにそんなに急いで寿司詰めになる必要はないので妙に思っていると、妻が突然に”スリよ!この人たちはスリよ!”と叫び始めた。

途端に彼女たちは一斉にエレベータから出て行った。

妻の話では、パリの地下鉄でスリにやられそうになったと同じ状況で、手を隠したショールの中から女の手が伸びてきて妻のハンドバックに手を突っ込んできたという。

妻は思わず女の手をひっぱたいて”スリよ!”と叫んだのだという。

確認すると、パスポートやキャッシュカードの入っている私のバッグのチャックも少し開けられていた。

妻が気がついて叫ばなかったら、私は大変な目に遭っていたところだった。

駅を出ると、そのスリ集団が内輪もめで大げんかの最中だった。

やはり南に来ると、イタリアに近いのでかなり犯罪率が高くなるのだろう。

妻がネットで調べると、実際にニースはとてもスリが多く、今日のエレベーター内と全く同じように、スリ集団はどっと電車内等に入って来て身動きできなくさせるらしい。

☆ニースは18度の気温だが、ここでもとても冷え込んでいる。

ホテルは駅のすぐ近くで、分かりやすかった。

ニースには2泊して、地中海でも眺めてゆっくり体を休めたい。

高鍋駅前のモニュメント作業から、怒涛の毎日だった。

妻も42年間、教師生活を全力疾走してきた。

このヨーロッパ周遊も毎日がハードスケジュールなので、ここらで心身ともにゆっくりしたい。

☆夕刻まではたまった洗濯ものをしてのんびりする。

夕食はホテル近くのレストランで。


4月23日(火)

☆今朝のエクス・アン・プロヴァンスは3度。

暖房の入らない部屋で寒さに震えながら夜を過ごす。

☆ホテルの朝食は良かった。

☆近くにセザンヌの生家があるので、チェックアウト前に訪ねることにした。

底冷えの寒風の吹き荒れる中を街へ出ると、色んな朝市が立ってとても賑わっている。

美味しそうなものばかりである。

昨夕にはほとんどの店は閉じていたので、こんな美味しいものにあふれている街だとは思わなかった。

しかしいろんな人に尋ねても、セザンヌの生家が見つからない。

目の前にあるはずなのに、まったく行き当たらない。

☆そのうちチェックアウトの時刻になったので、ホテルへ戻りチェックアウトをする。

ホテルのレセプションに念のためにセザンヌの生家を尋ねると、ホテルからすぐ近くだというので、スーツケースを預けて再び出かける。

地図で示されたあたりを何度も行き来するが、まったくセザンヌの生家だけ見つからず、狐に摘ままれた感じでいると、何の変哲もない普通の住宅の戸口の上に

セザンヌの生家であると書かれてあった。

☆安心して、ホテルへ戻り、スーツケースを受け取って、タクシーで駅へ向かう。

☆12時10分発の鈍行電車で、次の目的地のマルセイユへ。

マルセイユには12時50分着。

ホテルは古港の一角で分かりやすいところだが、距離がつかめないのと、私の右足首が痛くなって歩けなくなったので、タクシーでホテルへ。

☆ホテルは多くの観光客でごった返しているハーバーのすぐ近くだった。

昨日の夜に予約したので、いかにも港町の古びた安宿であった。

チェックインは午後3時からであったが、早めのチェックインは何の問題もなかった。

☆しばらく部屋でくつろいで、ハーバーへ出る。

マルセイユは暖かいと思っていたが、13度だが海辺なので強風が吹き荒れて寒くてかなわない。

ハーバーにしゃがんで、持参したビールを妻と二人で飲む。

そのあとしばらくハーバーを散策。

いったんホテルへ帰ってしばらくくつろぐ。

妻がネットで調べると、パリ在住の日本人女性の方が、マルセイユでは何度も痛い目にあっているので、フランス初心者にお勧めできないとユーチューブで語っていた。

港町なので、荒くれ者の多い街、癖の強い街だということだろう。

☆夕刻に再びハーバーへ出て、妻が乗りたくてたまらなかったトラムのような自動車トレインプチトランに乗って、ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂を巡りながら

市内を一周する。

その帰り道に、夕食の時間を迎えたハーバー添いのレストランで、マルセイユ名物のブイヤベースを摂る。

小さい鍋を妻と二人で食べる。

思ったよりも具材が少なかったが、スープは美味しかった。

しかし、日本の鍋のほうが断然旨い。


4月22日(月)

☆アヴィニョンは今朝も強風が吹き荒れてとても冷え込む。

☆ホテルの朝食は上々。

☆8時にホテルをチェックアウト。

今日のリュベロン地方・小さな村を訪ねる半日ツアーの集合場所である観光案内所へ。

参加者は私たち夫婦とアメリカから来たご婦人2人の計4名。

ガイドは英語が堪能な男性。

☆高速道路で目的の村へ向かう5,5時間の半日ツアー。

通常はラベンダーの咲き乱れる6月からのツアーが多いので、今回のような時期のツアーは少なく、村の魅力も半減するようだ。

☆まずは町の建物が赤く塗られているルション。

ここは黄色顔料の原料となるオークルの丘の上に築かれた山岳地帯の町。

遠くの山の頂が白く輝いているので残雪かと思っていたら、そうではなく大理石のライムストンの露出した地帯なのだという。

☆次は、「フランスで最も美しい村」であるゴルド。

独特な石組みでできた村のたたずまいがとても美しい。

その建築工法は現在の建造物にも厳密に守り継がれている。

てても大切なことである、

残念ながらゴルドの集落の中には行けず(車が入らないのだろうか)、ただ遠くからゴルドの町並みを背景に写真を撮っただけであった。

☆3番目に訪れた村は、どこにでもある渓流沿いの村、フォンテーヌ・ダ・ヴォクリューズ。

妻の話では、この村は通常の美しい村のツアーには入らないありふれた村のようだ。

ただ川沿いのレうトランで摂った食事はとても美味しかった。

☆午後2時前にアヴィニョンに帰着。

まあ普通の旅行では行けないところだったので、半日ツアーはまずまず。

☆15時00分発の鈍行電車でエクス・アン・プロヴァンスへ向かう。

途中、マルセイユで乗り換えて、17時52分にエクス・アン・プロヴァンス着。

エクス・アン・プロヴァンスはセザンヌが生まれ、アトリエを構えた街である。

☆駅でタクシーに乗ってホテルへ向かおうと思ったら、すぐ先で数分で着くから、と乗車拒否された。

しかし、実際は歩くとかなりの距離だった。

ホテルはとてもおしゃれな部屋だった。

ミニ冷蔵庫もある。

☆一段落して夕食に出かけたら、雨が降ってきた。

ホテルに引き返して、傘をさしてレストランを探す。

フランスは午後5時から夜の8時まではハッピーアワーで、レストランも飲み物以外は一切出ない。

レストランは午後7時からは食事が摂れるが、ほとんどのレストランでは7時を廻っても誰も食事を摂っていない。

ようやく食事を摂っているお客の居るレストランへ入り、夕食を注文する。

体調も回復して、肉を食べたくなったので、”トラディッショナル・ビーフ云々”というメニューを注文した。

ところが出てきたのは、私が夜中に下痢と嘔吐で体調を崩したのと同じものだった。

生肉がピクルスと玉ねぎで合えてある。

先日のメニューはアボカドとマグロの合え物だったが、食べながらマグロではなく生肉としか思えなかった。

☆再び気分が悪くなってホテルに戻るが、ホテルの部屋はとても気の利いたおしゃれな部屋なのだが、パソコンに向かう机の椅子がない。

とてもパソコンに向かえる気持ちにはなれず。

この日記を記すこともできず、明日のホテルを予約するのが精一杯だった。

☆それに夕食に出る前にエアコンの暖房のスイッチを入れていたのだが、帰ってくると部屋は冷え込んだままだった。

そして何度やっても暖房のスイッチが入らない。

レセプションに申し出ると、レセプションの女性がやってきて、リモコンのスイッチを押すと、暖房にスイッチが入った。

”それ見たことか”と言わんばかりに女性は部屋を出て行ったが、暖房はそれっきりでまったく動かなくなってしまった。

今夜はパソコンも使えず、暖房も入らず、寒さに震えて厚着をしてベッドに入る。

☆カナダのセントジョン・シンポジウムで一緒だったFetiyeから、私のフェイスブックを見て、彼女の住まいが南フランスなので立ち寄ってくれたら嬉しいという

書き込みがあった。


4月21日(日)

☆リヨンは曇天。

気温は3度。

☆朝食を摂ると、かなり元気が回復してきたのが分かる。

☆朝食後にチェックアウトまで、明日に予定しているリュベロン地方の小さな村を訪ねるツアーをネットで検索。

ちょうどよいツアーの空きがあったので予約する。

スーツケースも車に積んでくれるというので助かる。

☆11時にホテルをチェックアウトして、タクシーでリヨン駅へ。

☆これからフランスの南へ下り、地中海沿いへ向かう。

急行電車はネットで予約しようとしたら、料金が不確定と出て、これはすでに座席は満席ということなので鈍行に乗る。

12時20分発の各駅停車に乗り、アヴィニヨンへ。

2時間半の旅だがちっとも退屈しない。

私は体調が回復したが、妻は昨日のリヨン美術館から一気に疲れが出てきて、リヨン駅でもほとんど身動きできない状態だった。

しかし電車の中で過ごして、体調は落ち着いてきた。

☆アヴィニョンには14時51分着。

さすが南の地方で光があふれて上天気で気温は14度。

しかし強風が吹いていて、寒い。

光があふれているので、これまでのフランスの鉄道旅行ではほとんど見なかった太陽光パネルが、あちこちに設置されているのが残念である。

☆アヴィニョンは童謡で有名な”アヴィニョン橋”のある、中世の城壁に囲まれた古都。

妻は2度目の訪問。

ホテルはアビニョン駅前からまっすぐに伸びる大通り沿いにあって、すぐに分かった。

料金のわりにとても気配りの行き届いたおしゃれな部屋である。

冷蔵庫もあるし、電気ポットもあるし、作業机も広い。

☆市内の観光は今日しかないので、一段落して観光に出る。

見どころが城壁内にまとまっているので廻りやすい。

まず巨大な教皇庁宮殿へ。

1335年から1352年にかけて建てられた、ヨーロッパ最大のゴシック宮殿だということである。

しかし私は、こうした贅の限りの宮殿というものにはほとんど興味を失ってしまった。

やっと体調を回復し始めた私にも妻にも、階段の上り下りの多い宮殿はへとへとに疲れるだけだった。

宮殿を出て”サン・ベネゼ橋(アヴィニョン橋)”へ。

もの凄い強風で、川の中に吹き飛ばされる恐怖に耐えながらの観光であった。

☆夕食はホテル近くのレストランで、南フランスらしくパエリャを摂る。

すごく美味しくて、いよいよ元気が戻ってきた。


4月20日(土)

☆知らずに窓のシャッターを閉めるボタンを押していたらしく、目が覚めると室内は真っ暗なのにもう7時半だった。

したがって12時間近くゆっくり休んだ。

☆リヨンの朝の気温は8度。

昨日のオータンの3度より暖かく感じるが、じきに6度まで下がった。

☆朝食はホテルの朝食を摂る。

昨日のアパートメントの朝食とは比べ物にならない。

コーヒーもミルクたっぷりで助かった。

☆朝食の後、明日からのホテルの予約とユーレイルパスの設定。

☆一段落して、旧市街へ向けて歩いて観光に出かける。

外に出ると身を切る冷たさで、おまけに雨も降ってきた。

☆ケーブルカーに乗って旧市街の丘の上に上がり、まずノートルダム・ド・ブルヴェール・パジリカ聖堂へ入る。

何の前知識も持っていなかったので、聖堂内のスキのない豪華絢爛さに私も妻も度肝を抜かれた。

石工たちの仕事も完璧で、実に鮮やかな迷いのないノミ跡である。

地下聖堂では、キリストの聖骸布の資料の特別展示が行われていた。

☆続いて聖堂下のローマ劇場跡を見る。

このリヨンは昨日のオータン同様に、紀元前1世紀にローマの植民地となった2000年以上の歴史を持つ商業の街である。

☆午後は新市街へ廻って、リヨン美術館へ。

もう歴史画の同じポーズ、同じ表情の絵面には反吐が出るばかりである。

その中でルーベンスの絵は全く趣が異なって、惹きつけられる。

彫刻は近代のロダン、マイヨール、ブルデル、デスピオも充実していた。

ただ私の体調不良でお昼を抜いての作品鑑賞だったので、私も妻もヘロヘロに疲れてしまった。

☆早めにホテルへ帰り、明日からの予定を立て直しながら休息する。

☆夕食はホテル近くの日本料理店で日本風の食事を摂りたかった。

まずホテル隣の寿司ショップに入ると、お客が入ったのに店主が電話の長話から離れない。

それでもう店を出ようと思ったら、店にはアルコールは置いていないというので即刻に店を出た。

次に幾つかの通りを過ぎたところにある日本料理店に入ると、中国人か韓国人の店主が満席で席がないという。

仕方なくタイ料理店に入ろうとしたら、持ち帰り専門店だった。

どうしようと思っていたら、通りすがりの日本人男性から声を掛けられて、すぐ先のベトナム料理店で食事を摂ってきましたがまあまあでしたよと教えてもらった。

結局、美食の街・リヨンで、私たちはベトナム料理のワンタン・ヌードルと春巻きを摂った。

これがすこぶる美味しくて、体調不良の私は元気が出てきた。

食後の感じが、いつまでたっても好い余韻が残る。


4月19日(金)

☆曇天の底冷えの一日。

オータンは身を切るような3度の気温。

リオンに向かう途中から陽射しが出て暖かくはなるが、空気は冷え込んだまま。

☆嘔吐して下痢したところへ、昨日は朝からワインのテイストをやっていたので、やはり体に好い訳はない。

夜中にまた体調を崩してしまった。

☆アパートメントはレストランも経営していて、ネットの書き込みで朝食がほめてあったので予約を入れておいた。

しかし、出てきたのはコーヒーとパンとジュースのみ。

体調を崩しているので、こちらの濃いコーヒーなんて飲めない。

☆しかもチェックアウトが10時と早すぎる。

それでチェックアウト前に、今回のオータン訪問の目的であったアパート近くのサン・ラザール大聖堂を訪れる。

ロマネスク美術の至宝として有名で、正面タンパンの「最後の審判」、柱頭の彫刻も有名である。

ロマネスク建築は柱頭が低い位置にあるので、色んな物語が彫られている。

☆10時にアパートをチェックアウト。

オータンを出る予定は午後に組んでいたが、私が見たかった「イヴの誘惑」(「最後の審判」のキリスト像と同じ作者)は、現在は大聖堂から取り外されて保存されている

ローラン美術館が、大規模な拡大工事で2027年まで閉鎖されてしまっている。

それで極寒の中を重いスーツケースをもって石畳の坂道を歩き回る気力もなく、早めに発つことにした。

☆オータン駅を11時33分のバスでエタン駅へ。

今日のバスの運転手は、ユーレイルパスで乗れることを知っていて、定刻通りの時刻で走ってくれた。

昨日の旅程を逆戻りして、12時04分発の鈍行電車でボーヌまで戻り、ボーヌからは13時02発の鈍行電車でリヨンへ向かう。

☆リヨンには14時42分着。

リヨンはフランスで2番目に大きな街で、美食の街として知られている。

妻は2度目の訪問である。

タクシーでホテルへ向かい、チェックインする。

体調が万全でないので、しばらくゆっくりする。

☆夕食はホテル近くのレストランで。

体調不良の私はお粥が欲しいが、妻は美食の街だからとネットをググって店を探した。

フランスの慣習なのだろう、どのレストランも夕食が摂れるのは午後7時からである。

それまではドリンクしか飲めない。

私たちはその時間になるまでビールを飲みながら店内で待たせてもらった。

☆体調を考えてまだ外は明るいうちに床に就く。


4月18日(木)

☆夜明け前は小雨模様。

気温は3度。

日中も雲が多く底冷えた。

夕刻からは雲は切れるが気温は真冬のまま。

☆夜中に激しい下痢と嘔吐。

昨夜の夕食に摂ったアボカドとマグロの合わせ物が堪えたようだ。

最初は美味しくて、日本に帰ったら作ってみようと思っていたが、合わせのピクルスと玉ねぎのみじん切りが次第にきつくなって、食が進まなかった。

おかげで便秘は解消した。

☆朝食はアパルトマン近くのパン屋でクロワッサンを買ってくる。

☆アパルトマンのチェックアウトの前に街へ出て、オスピス・ド・ボーヌのホテル・デュー美術館を訪れる。

このオスピス・ド・ボーヌは1443年に貧しい人々のための病院として建てられ、今も15世紀当時の病棟がそのまま残されている。

この建物については昨日記した昔の「芸術新潮」に紹介されていて、興味を持っていたところだった。

何度も書くように、今回のヨーロッパ周遊旅行の日程・行き先は全て妻が調べて構成しているので、現地に行ってみて初めて”あっ、芸術新潮で見たものだ!”と

びっくりする次第である。

街を散策していたら、昨日は見つけられなかったコンビニや、ワインをテイストさせてくれるワインカ−ヴをあちこちに見つけることができた。

☆アパルトマンをチェックアウトして、重いスーツケースを引きずりながら、ワインカーヴの店を訪れる。

スーツケースはお店で預かってくれたので、テイスト料金12ユーロを払って、ワイングラスを持って地下のワイン貯蔵庫(これをカーヴ=洞窟という)へ降りてゆく。

ボーヌ市内の地下にはこうしたワインカーヴが張り巡らされているらしい。

3種類の白ワインと3種類の赤ワインを試飲させてもらった。

夜中には吐いたのに、朝っぱらからワインの試飲である。

☆ほろ酔いで、市内を観光しながら歩いてボーヌ駅へ。

14時32分発の各駅停車でエタン駅で下車。

ここからがバスでオータンへ向かう。

ところが駅前で待っていたバスの運転手はユーレイルパスで乗車できることを知らなかった。

料金の6ユーロが必要だというが、妻のポケトークが不調で、お互いの会話がかみ合わない。

そのうち訳が分からず諦めたのか、運転手はバスのエンジンをかけて出発した。

乗客は私たち2人のみ。

美しい田舎道をのんびりバスで走る。

☆オータン駅前でバスを降り、今夜の宿泊先のアパートメントの場所を探す。

昨日は鍵の受け取り方の指示が全くなかったので、今日も二の舞になりたくないので朝から問い合わせのメールを2度送ってあるのだが、返信がない。

市役所のあるシャン・ド・マルス広場へ出ると、観光案内所があったので、訪ねてアパルトマンの場所を聞き、管理者に電話してもらった。

そうしたら、今日のアパルトマンは一日中人がいて、あなたが来るのを待っているということで安心する。

教わった地図の通りに行くと、ちゃんと立派な看板の出ているアパルトマンで、レストランも併設しているようで、広い駐車場もあった。

このアパルトマンは何か修道院を改修したような施設で、部屋は高級ホテル並みに完備されていた。

☆チェックインしてすぐに今夜の食事を買い出しに行く。

一晩だけの自炊なので、結局はレンジでチンのピザとワインとビール、そして少々の野菜で夕食とする。

ところが部屋の設備は素晴らしいのに、キッチンの食器類がほとんどない。

これでは自炊滞在のアパートメントの意味が全くない。


4月17日(水)

☆夜明け前から雨。

底冷える。

日中は晴れたり小雨が混じったり。

夕落ちてから、再び冷たい霙のような雨になる。

☆8時前にホテルをチェックアウトして、タクシーでストラスブール駅へ。

早朝割増料金なのか、来た時の1,5倍のタクシー料金だった。

☆9時04分発の高速電車に乗る。

パソコンで座席を予約購入していたので、パソコンに届いたPDFのチケットをスマホで撮り、車掌に見せると一発でQRコードを読み取ってくれる。

☆11時11分にディジョン駅で降りる。

まず、駅でスーツケースを預ける。

今日は半日のディジョン観光である。

初めに、駅の裏手にある元・シャンモル修道院にあるクラウス・スリューテルの彫刻「モーゼの井戸」を観に行く。

クラウス・スリューテルについては私は全く知らない作家だったが、妻が今回の旅行のために開いていた昔の「芸術新潮」のフランス美術特集の中で知った。

(クラウス・スリューテル (Claus Sluter(1340頃 - 1405年/1406年))は、ハールレム出身 のオランダ人彫刻家 。

 美術史上、当時の北ヨーロッパでもっとも重要な彫刻家。)

その「モーゼの井戸」のあるシャンモル修道院は、現在は病院なっているというので、道行く人に尋ね尋ね病院へたどり着いたが、彫刻がどこにあるのか全くわからない。

そのうち病院に入ってゆく家族があったので一緒に入って行くと、裏手にそのまま抜けられて、それらしい六角形の建物が見えた。

「モーゼの井戸」は六角形のガラス張りの建物の中に古い井戸があり、その上にモーゼをはじめ6人の預言者が立っていて、扉は自由に開いて中へ入ることができた。

☆いったん駅へ戻り、タクシーでノートルダム教会へ行く。

ノートルダム教会に隣接し、ヴェルサイユ宮殿を設計したマンサールによって改築されたブルゴーニュ大公宮殿前の広場は、フランスで最も美しい広場のひとつとされる。

その広場に面したカフェで、ディジョン名物のエスカルゴとワインをお昼に食する。

私はエスカルゴは初体験だったがとても美味しく、赤ワインも素晴らしく美味しかった。

☆食事の後、宮殿の中のディジョン美術館を観るが、宮廷芸術はどれも同じ構図・ポーズで飽き飽きするし、彫刻もコピー作品ばかり。

☆雨の降りだした中、歩いてストラスブール駅まで戻る。

☆16時24分発の鈍行列車で、次の宿泊先、ボーヌへ。

ボーヌには16時50分に着く。

しかし、今夜の宿泊先のアパルトマンの場所が判らない。

駅前のタクシーに乗り込もうとするが、ほんの近くだと乗車拒否される。

住所を頼りに”ほんの近く”のアパルトマンを探して歩くが、住所にある通りに出ない。

そのうち、妻が通りがかりの背の高いすんなりした黒人青年にアパルトマンの住所を見せると、グーグルマップを見ながら、しかも私のスーツケースまで

引っ張ってくれて、アパートを探してくれた。

その距離はとても”ほんの近く”ではなかった。

それらしき住所にたどり着いたが、そこには鍵のかかった古い大きな扉の家があるだけで、どこにもアパルトマンの表示はない。

そこへ黒人青年が近所のショップに務める美青年に声をかけてくれて、住所に間違いはないと分かった。

黒人青年はどこかへ所用で出かけていた途中だったらしく、後のことはショップの美青年に託して別れた。

美青年は私のメモしていたアパルトマンの管理者に電話をかけてくれたが、私の携帯電話に扉のカギを保管してあるボックス(パリのアパルトマンと同じボックス)の

開錠キーワードを送るという。

そんな馬鹿な、ブッキング・コムの連絡では”担当者があなたをお待ちします”という伝言ではなかった。

それに私の携帯にショートメールで開錠番号を送っても、私はeSIMを使っているのでドコモのアプリは使えない。

途方に暮れていると、青年がもう一度管理人に電話して状況を説明し、開錠番号を電話で伝えてくれた。

本当にあの親切な黒人青年と優しい美青年のショップ店員に遭遇しなかったら、私たちは今夜は宿なしになるところだった。

☆無事に扉を開け、私たちの部屋らしき部屋に入る。

アパルトマンの設備はパリのアパルトマンとは比べ物にならないくらい素晴らしい。

それで今夜は近くのスーパーで買い物をすることにして、散策がてら街へ出る。

ボーヌは妻にとっては2度目である。

1度目に行ったワインを試飲できるカーヴという店を探すが、もう今日の営業時間は過ぎてしまっていた。

それに食料品を仕込もうにもどこにもスーパーの類はない。

そのうち雨になり、冷たい雨が激しくなってきたので、通りすがりのレストランへ飛び込み夕食を摂る。

☆美味しい夕食にワインは控えめにして、後はホテルでゆっくり飲みなおすことにした。

ところが・・・。

街中のお店は夕刻の6時で全部閉まっていた。

開いているのはバーとレストランだけである。

結局、私たちは部屋飲みするお酒も無く、自炊する食料もなく、キッチンの設備が完璧な部屋で水を飲むしかなくなった。

もうアパルトマンなんてごめんだ。

部屋もしんしんと冷え込んできた。

外は6度。

☆愛媛が震源地の地震で、高鍋町も震度4だったらしいが、三兄からの報告ではゆれも大きくなく何事もなかったようだ。


4月16日(火)

☆底冷えの一日。

朝から小雨交じりの曇天。

再び冷たい風の吹き荒れる真冬の寒さに戻ってしまった。

午後からは晴間も出たが、天候は不安定。

☆午前は次の旅程のユーレイルパスの設定とホテルの予約。

ほぼ毎日のように移動しているので、ホテルに居る間はほぼこうした作業に費やされてしまう。

☆午前にフェイスブックのメッセンジャーで、帰国後の6月のスケジュールへの問い合わせがあった。

その返信直後に、フェイスブックの投稿が全部消えてしまった。

ネットでその原因を調べると、どうやら投稿が非表示になってしまったらしい。

解決策を調べて、なんとか回復したが、その過程で私が現在ヨーロッパにいることを初めてフェイスブックで明かした。

☆昼前にトラムで市内へ出る。

寒くてかなわないのでマフラーが欲しかった。

ユニクロがあったので入ってみたが、ユニクロにはマフラーは無く、隣の女性専門店で妻が女性用のマフラーを見つけてくれたので買う。

☆トラムでストラスブール駅へ。

午後からのアルザス地方ワイン街道半日ツアーの待ち合わせ場所が駅前広場の薬局店前であった。

寒さに震えて待っていると、定刻2時前に男性が迎えに来てくれた。

参加者は私たち夫婦2人のみであった。

まったく私たち夫婦のためのツアーであった。

☆高速道路で走って、美しい村の2つの小さなワイナリーで試飲のツアーである。

最初のワイナリーは300年以上の歴史があり、当時の貯蔵樽がまだ使われていた。

アルザス地方は白ワインの産地なので、試飲はすべて白ワイン。

1つのワイナリーで6、7種のワインを試飲させてもらえるので、合計13,4杯の空飲みのワインはかなり効く。

妻も私もかなり酔っぱらって、ホテルに帰るとそのままベッドに倒れこんでしまった。

しかし美しく古い歴史を持つ村を巡る旅は、とても楽しい経験だった。

フェイスブックでヨーロッパ周遊中を公表したので、とりあえずワイナリーツアーの報告を投稿。


4月15日(月)

☆夜明け前に雨。

午前は曇天が続き、午後からは雲が多いものの晴れる。

同時に強風が吹き荒れ、夕刻からは再び曇天となる。

☆朝食はホテルの朝食。

食べきれないほどの様々なメニュー。

☆午前のうちに、明日のアルザス地方ワイナリー半日ツアーについて調べる。

午前に実施できるツアーを探してみたが、やはり午前はすでに埋まっていて、午後のツアーしかなかった。

しかもツアーの価格と内容がどれも同じで、新しい代理店で午後のツアーを予約したら、企画主催者は先日申し込みをした会社と同じだった。

扱う代理店が違っても、実際はすべて同じ企画会社の同じツアーなのだ。

午後2時からスタートで終了は夕刻6時である。

したがって私たちは明日もこのホテルに泊ることになり、レセプションに宿泊2日追加を伝える。

☆それでストラスブールを発つのが明後日の17日になるので、17日の移動の高速電車の座席指定をネットで行う。

今日はようやくネットでの予約ができた(つまりまだ席があったということ)のだが、なんと請求金額が通常の運賃も加算されていた。

通常運賃はユーレイルパスで支払い済みなのだ。

☆昼前にホテルを出て、トラムで街の中心街へ出る。

なんといってもノートルダム大聖堂の実に繊細な美しさに圧倒される。

尖塔の高さは142mで、かつては世界で一番の高さを誇ったというが、中世に造られたものとしては最高の高さである。。

ゲーテは「荘厳な神の木」にたとえて絶賛したというが、確かに私もこれまで見た大聖堂の中でもこんなに繊細なカテドラルは見たことがない。

午後からのイル川遊覧船の乗り場を確認して、ノートルダム大聖堂の周辺を観光する。

☆午後2時から、遊覧船に乗る。

旧市街を取り巻く運河を約45分で廻るツアーである。

イアホーンからは日本語のガイドも流れてくる。

しかし私の周囲に団体で乗り込んできた高校生の集団がもの凄くうるさくてかなわない。

彼らは修学旅行よろしく、船上からの様子には何の関心も示さず、おしゃべりに夢中になっている。

引率の男性教諭すら、私の隣の超セクシー女学生とのおしゃべりに没頭している。

一般の方々がしかめっ面をしているのがありありである。

彼らは途中下船したが、その時に我慢できなくなっていた女性観光客が大声で怒鳴った。

そしてツアーが終わると、その女性が遊覧船の添乗員に激しく抗議していた。

☆遊覧船を降りて、大聖堂へ向かい、塔へ上る。

一回の入場者数に制限があり、しばらく待って8ユーロの入場料を払って332段の階段を登って、高さ66mの展望台まで上がる。

途中でギブアップするかと思ったが、何とか登れた。

この日のためにジムに通って足腰を鍛えている妻はスイスイと登る。

☆尖塔を降りて大聖堂の中を見学して、近くのカフェでビールを飲む。

頭がくらくらしていたので、大聖堂を見上げながらビールを飲んでいると、まるで尖塔が私に倒れかかってくる恐怖を感じた。

☆夕食は今夜もホテルで摂ることにして、トラムで帰ってくる。

トラムに乗るのにトラムの乗務員たちがてとも親切にチケットを買ってくれるし、車内でもごく普通に老齢の乗客に席を譲る市民の姿を目にする。

日本ではやたらに訳の分からないSDGsが叫ばれているが、こちらでは何も叫ばなくても人々がごく普通に思いやりを持って生きている。


4月14日(日)

☆晴れ。

パリはやはり空気の芯が冷えているが、じきに暑くなる。

☆今日からパリを離れ、フランス各地の周遊に入る。

前述したように、私はずっと超多忙だったのでヨーロッパ周遊のルートとスケジュールは全て妻に任せている。

したがって、今日はどこへ行くのか、その日にならないと判らない。

☆昨夜の安宿はカビ臭くて、今朝は早々にチェックアウトする。

早めに駅へ向かい、今日の電車の座席指定を自動購入機で購入しようとしたが、今日はうまくいかない。

座席指定が1等しかできないので、別な自動購入機で再トライしてみたら今度は座席指定の請求額ではなく、料金そのものの請求額表示となった。

それで窓口へ行って手続きをお願いすると、予定の電車の2等座席指定は完売していた。

自動販売機で1等座席指定しかできなかったのはそういう訳だったのだ。

☆他にまだ座席指定のできる電車を探してくれて、それでチケットを作ってくれた。

乗り換えから駅から目的地までは予約の要らない各駅停車だが、こちらもQRコード掲載のチケットをプリントしてくれたので、車中での車掌のチェックは全く問題ない。

☆12時22分発の特急電車でパリ東駅を発ち、14時00分にNancy駅着。

私たちの乗ってきた特急電車がもの凄く長い連結だったし、乗り換え時間がわずか10分しかなかったので慌てて降りたが、乗り継ぎ電車はプラットホーム一つ向こうに

停車していたので、無事に乗り換えることができた。

☆目的地のストラスブールに15時40分着。

駅からはタクシーでホテルへ向かうが、タクシー代が10ユーロで端数はおまけしてくれて、とても良心的な料金だった。

☆ホテルは中心街からは離れているがイル川添いの瀟洒な明るいホテルである。

レセプションの青年が片言の日本語で対応してくれた。

大学で日本語を学んだという好青年である。

☆妻がストラスブールに来た理由はワインの産地であり、ワイン街道半日ツアーに参加するためであった。

ところが私が予約時に14日にストラスブールに入るのに、14日午前のツアーを申し込んでしまった。

それで昨日からずっと日程変更のメールを送るのだが返答がない。

それでホテルにチェックイン早々、日本語の話せるレセプションの青年にツアー元とコンタクトを取ってもらった。

結果は、日程変更はできず、キャンセル扱いとなり再度申し込んでほしい、しかし明日のツアーはもう満席であるし今日の受付対応はもう終了(日曜なので)

したということ。

したがって明日朝に明後日のツアーを申し込むことになるが、明後日のツアーに参加となればこのホテルにもう1泊しなければならない。

☆私たちの旅程は私たちが自由に組んでいるものなので、日程の変更は自在にできる。

それにホテルの料金も高くないし、好感度の高いホテルである。

明日はプチ・フランスと称されるこの歴史的に美しい街をゆっくり観光しよう。

☆陽の高いうちにホテルにチェックインできたし、気温も26度と高いので、溜まった衣類を洗濯してゆっくりと明るい夕暮れを過ごす。

夕食はホテルの屋外テラスレストランで。

アルザス地方の名物料理をアルザス名産の白ワインでたしなむ。


4月13日(土)

☆晴れ。

気温はとても高くて、朝からシャツ姿で過ごす。

一気に真冬の底冷えから、夏に入った感じ。

☆オンフールの朝食は昨日に引き続いてホテルで摂る。

これが滅茶滅茶すぐれて健康的で体に効く朝食メニュー。

美味しい生ハムとチーズの盛り合わせも付いて、フランスに来て初めてのフランスらしい食事に巡り合った。

ネットで調べると、このホテルは漁師さんが始めたもので、レストランもシーフードが絶品なのだとか。

ホテルの皆さんもとても感じがよかった。

☆朝食の後、しばらく港を散策。

オンフールはエリック・サティーの生まれたところで、ホテルのすぐ近くにサティーの生家があった。

☆ホテルをチェックアウトしてバスターミナルへ。

オンフールには鉄道がなく、パリに戻るにも途中まではバスである。

ノマドのバスがユーレイルパスで乗れる。

陽射しの全くないバス停で、猛烈な暑さの中をノマドのバスが来るのを待つ。

やってきたバスの運転手に聞くと、間違いなくユーレイルパスで乗れた。

☆バスはノルマンディー橋を渡って、午後1時前にLe Havre駅へ着く。

Havreからのパリ行き電車は高速で予約が要る。

予約の不要な鈍行は日中には走っていなかった。

高速電車の座席予約は駅の窓口でできるのだが、窓口は12時半から2時半まで昼休みで閉まっていた。

しかし午後の便は14時11分発なので間に合わない。

かといって予約しないと電車に乗れないので、これまでエラーばかりで使えなかったキャッシュカードを使っての自動購入窓口で操作する。

そうしたら、座席予約の項目がなく、試しにチケット購入で作業を進めて行き、私と妻の情報を入力して行ったら、請求額が座席予約の金額だけで表示された。

つまり私と妻はユーレイルパスでのパスを購入していることが判ったので、請求額は座席予約金だけの請求であった。

こうして私は無事に高速電車の座席予約とカード支払いが出来て、無事に自動購入機からチケットが出てきた。

ようやくフランス滞在10日目にして、機械操作で高速電車の座席予約とチケット購入ができた。

☆これで何の心配もなく、私と妻は高速電車の指定席に座ることができた。

車掌にはこの予約購入チケットのQRコードを見せるだけで済む。

こうして随分旅慣れしてきて、14時11分にHavre駅を発ってパリ市内へ向かう。

高速電車は無料Wi-Fi完備なので、車内で明日からの旅程のホテル予約とユーレイルパスのマイトリップの操作をする。

☆17時21分にパリ・ラザール駅に着く。

パリも数日までの底冷えが信じられない26度の高温。

再び地獄の地下鉄階段の苦しみを味わって、先日まで住んでいたアパルトマンの裏側の安宿にチェックイン。

この宿が全くの安宿で、部屋がカビ臭く、ベッドも薄汚れて暖房のヒーターもスイッチが入らない。

できるだけ部屋に居たくないので、夕食は近くのベトナム料理店で摂り、スーパーで安ワインとつまみを買って、多くのパリ市民が憩うサン・マルタン運河の川辺で

時を過ごす。

今夜は土曜日なので街中、若者たちでごった返していて、どの店も道路に若者があふれかえっている。

例の寿司店はもの凄い若者たちで身動きできないほど客があふれている。

パリで寿司店を開いたら、間違いなく大金持ちになりそう。


4月12日(金)

☆晴れ。

フランスに来て初めての丸々一日中の晴れ。

気温も上昇して、ノルマンディーでは22度という記録的な暑さとなった。

電車にはエアコンが入っていた。

☆夜明けて、朝焼けのモンサンミッシェルを拝みに行く。

そのままホテルでホテルの朝食。

ヨーロッパのホテル朝食には野菜が全くない。

☆11時前にホテルをチェックアウト。

今日は港街のオンフールへ向かう。

☆バスでPontorson駅へ。

Pontorson駅でまたもトイレ騒動。

私たちより先にトイレに駆け込んだ若い東洋系女性が、扉が開かなくてパニックになって叫んでいる。

ボタンを押すように声をかけると、やっと開いたトイレから血相を変えて飛び出してきた女性が、トイレが余りにも汚くて水も出ないと興奮して叫ぶ。

先日の私のパニックを思い出して、私たちが居なかったら彼女はどうなったのだろう。

☆12時15分の列車でカーンへ。

カーンには、ノルマンディーのシンポジウムの時に行った気がする。

☆カーンで16時07分発の電車に乗り継いでLisieuxへ。

Lisieuxからは17時11分発の乗り換えでTrouville-Deauvikkeへ。

☆Trouvulle-Deauvilleからはバスでオンフールへ。

実はユーレイルパスの案内では、この乗り継ぎはバスで予約が必要とある。

ところが駅構内に入ると窓口は全て閉まっていて、予約ができない。

妻がポケトークであちこち聞きまわって、バス停に行くと黒人女性がいて、彼女もオンフールへ行くのだという。

ガイドブックを見ると、彼女が待っているバス停はオンフール行きのバス停に間違いなかった。

そうして時刻表的に、やってくるバスはユーレイルパスの時刻表に記載されたバス便と同じではないかと思えた。

やってきたバスの運転手にユーレイルパスのマイトリップを見せると、やはりユーレイルパスで乗れた。

☆オンフールへ向かう道筋は田舎道で、ノルマンディーのシンポジウムに参加したあたりの雰囲気によく似ていて懐かしかった。

オンフールに着いたのはもう夜の8時を廻っていたが、まだかなり明るい。

ホテルは街の中心街に取ってあったので、人に尋ねながら探し当てる。

1階がレストランになっているホテルで、部屋はエレベーターで2階に上がるこじんまりとしたレトロ感たっぷりの良い部屋である。

☆お腹が空いていて、あちこちからシーフードの好い匂いが漂って来るので、部屋に荷物を置いたらすぐに食事に出る。

ハーバーのレストランで、お目当てのムール貝と白身魚のフライを美味しくいただく。

三兄がこの街がお気に入りで、油絵や版画の題材に使っているので、ラインで報告する。

すると日本では午前4時48分なのに、兄からすぐにラインが返ってきた。

ゴルフのオーガスタを観ていたところだという。


4月11日(木)

☆朝のうちは雨が降ったりの不安定な天候。

午後からはカラリと晴れて、暑くなる。

☆5時に起きて荷造り。

パソコンを開くと、ユーレイルパスの代理店から予約席のネットでの取り方の案内が届いていた。

ユーレイルパスのアカウントを登録するとカード支払いの最終段階まで進んだが、結局は空きがなかった。

それで予定通りに予約の要らない3回乗り換えの鈍行で旅立つことにした。

☆6時にホテルを出て、地下鉄でモンパルナス駅へ。

6時36分発のレ・マン行きの鈍行に乗る。

席はガラガラであった。

車掌の点検で、ユーレイルパスのQRコード画面が無いのでパスポートの提示を求められた。

☆8時50分にレ・マンへ到着。

乗り換えで9時44分発のLaval駅行きに乗る。

10時49分にLaval駅へ着き、11時20分発のRennes行きに乗る。

Rennes駅からはモンサンミッシェル行きのバスに乗るが、ネットで調べると、予約をしておかないとほぼ乗れないとある。

それで電車の中で予約をすると、カード支払いのところまで進んだが、本人確認のための認証がメールで届くとあるのでスマホのメールアドレスを伝える。

ところが私のスマホはeSIMに変えてから、ドコモのメールが開けなくなってしまっている。

結局、バスの予約は出来なかったが、ガイドで残り35人の席があるという表示だったので、当日購入にチャンスを掛ける。

☆12時01分にRennes駅に到着。

駅構内にあるバスチケット販売窓口へ行くと、すんなりバスチケットが購入できた。

☆バスは12時45分に発つ。

席は満席かと思いきや、ガラガラだった。

午後2時にモンサンミッシェルに着き、ホテルにチェックイン。

明るい落ち着いた部屋で、1階なので階段もなく安心。

☆一段落して妻とモンサンミシェルへ出かける。

妻はもう3,4度訪れているので、案内は妻に任せる。

私はノルマンディーのシンポジウムの場所がモンサンミッシェルに近いところだったのだが訪れる機会がなく、いつか行きたいと思っていた。

☆夕食を摂ったあとに、夕暮れのモンサンミッシェルを見に出かける。

しかし夕焼けはしたが、その夕焼けは雲でさえぎられて、モンサンミッシェルの周囲にまでには及ばなかった。


4月10日(水)

☆快晴の一日。

今日は天候の乱れはなく、一日晴れる。

陽射しは強いが空気がとても冷たく、ダウンを着る。

☆アパルトマンのチェックアウト。

朝から荷造り。

荷物は全く減っていないうえに、買った調味料等が増えたので荷造りが大変だった。

アパルトマンは地理的にはとても便利だったが、肝心のコーヒーメーカー、IHクッキングヒーターが全く使えず、望みの格安手料理旅行は実現できなかった。

11時前にチェックアウト。

チェックインの時と同じように郵便受けの中のパスワードボックスにカギを収める。

☆私たちと同時にアパートを出ようとした父子のお父さんが、私が妻のスーツケースを持って降りている間に私のスーツケースを持って降りてくださった。

パリの人たちはとても親切である。

☆重いスーツケースを持ってモンパルナスへ向かう。

モンパルナス駅でスーツケースとパソコンケースをコインロッカーに預けようとするが、私のスーツケースが大きすぎて入らない。

結局、スーツケースの中のものを出して、厚みを薄くしてロッカーに押し込む。

今日はクレジットカードでの手続きはスムーズに行った。

☆駅構内でまずい日本語表記の”肉うどん”という冷たいコンビニ弁当を摂る。

コンビニではおにぎりが1個4ユーロ(約700円)もする。

駅構内にはあちこちに寿司ショップがある。

☆信じられないほどまずい”肉うどん”で腹ごらしをして、モンパルナスの街へ出る。

妻がザッキン美術館があるので行こうと言うが、経路がややこしいので目安としてリュクサンブール公園へ回る。

途中の飲食店街は日本料理店、寿司店、韓国料理店、ベトナム料理店、中華料理店、インド料理店、ケバブ店が立ち並ぶ。

広大なリュクサンブール公園は若者でいっぱい。

公園はパリ大学に隣接しているので、若者たちはパリ大学の学生たちである。

多国籍な飲食店が多いのも学生街だからだろう。

☆ザッキン美術館は道路に道案内があったのですぐに見つかった。

しかし改修中で閉館していた。

庭で写真を撮っていたら、美人の担当者に注意された。

さらに屋外卓球場のあるマルコポーロ公園を経て、天文台へ向かうと、ここも大改修中で閉館中だった。

パリ中が夏のオリンピックのために大工事中である。

☆モンパルナス駅へ戻ってコインロッカーから荷物を出し、今夜のホテル近くまで地下鉄で行く。

しかしパリの地下鉄は階段だらけである。

妻のスーツケースは私のものより重いので、階段の上り下りは私が2人分の重いスーツケースを持って移動しなければならない。

それはほぼ拷問である。

もう2度とパリには来ないぞ!来ても荷物は一切持ってこないぞ!と叫びながらやっと目的の地下鉄駅に着く。

☆昨日下見したホテルは、部屋が一階のテラスにあって、階段がなくて妻ともどもほっとする。

しかし隣の部屋とはベニヤ板一枚ほどの厚さしかなく、隣の部屋の宿泊者のすべての物音が聞こえる。

ずっとせき込んでいるので、コロナ患者ではないかと心配になる。

☆夕食はホテル近くの中国人経営のラーメン店で。

☆明日はパリを出て、モンサンミッシェルへ向かう。

ユーレイルパスを使うが、高速なので座席の指定をしなければならない。

しかし座席の指定の仕方が判らない。

それで代理店にメールをしてネットで予約できる方法を問い合わせる。

今回は間に合わないので絶望的になり、明日のモンサンミッシェル行きは断念して、ホテルもキャンセルしなければというところまで追い詰められた。

しかしユーレオルパスでの検索に予約の要らない条件で時刻表を検索できることに気づき、そうすると出発は早朝の6時半と早いが、乗り換え2回で

12時にはモンサンミッシェル行きのバス停のあるRennes駅に着く普通列車があった。

予定通りにモンサンミッシェルへ行くことにして、明朝5時に起きることにした。


4月9日(火)

☆一日、晴れたり曇ったり雨になったりの不安定な気候。

朝にパンを買いに出たときにはいつもの朝より暖かい感じで、セーター姿で大丈夫だった。

しかし妻と外出しようとしたら、寒さで耳が痛くて、いつもより冷え込んでしまっていて、慌てて部屋に戻りいつものウルトラライトダウンを着こむ。

今日はマフラーさえ欲しいほどの冷え込みとなった。

☆今日はモンマルトルへ出向いて、サクレ・クール聖堂へ。

今、夏のオリンピックのためにかあちこちが工事中で地下鉄も例外ではない。

今日はモンマルトルへ向かう地下鉄が使えず、地上に出て代替えのバスで移動しなければならなかった。

サクレ・クール聖堂にも家族で20年前に訪れてる。

☆お昼を、絵描きたちのキャンバスが並ぶテルト広場のレストランで摂る。

観光地なのでアテにしていなかったのだが、ジェネベーゼ味のペンネがとても美味しく、ビールもワインも満足した。

☆モンマルトルを出て凱旋門へ。

凱旋門にも20年前に家族と上っている。

今日は雨が降ってきたので記念写真だけを撮るに留めた。

☆そしてモンパルナスへ。

実は次の旅程のスケジュールからは明日の夜までパリに留まらなければならないのだが、手違いで今のアパルトマンは明日の朝にチェックアウトする。

それで次の旅程の出発駅に近いモンパルナスに安宿を取ったので、場所確認のために出かけた。

宿の周囲はラーメン屋、寿司ショップ、インド料理店が立ち並ぶ。

ホテルのすぐ裏手は広大なモンパルナス墓地があり、多くの有名人の墓碑がある。

ちょっと覗いてみる。

☆今日もクタクタに疲れてしまった。

結構、地下鉄内での移動で足を酷使してしまう。


4月8日(月)

☆朝は抜けるような快晴。

しかし朝食を摂っている間に次第にいつもの鉛色の空に。

午前中は雨交じりの天気だったが、午後からはカラリと晴れて、パリに来て初めての上天気となった。

☆夜中じゅう、右足と左足の脛が何度も攣って痛くてたまらなかった。

今日はできるだけ歩く速度を緩やかにする。

☆朝一に息子たちやフェースブックのメッセージで宮崎県南部での地震の知らせ。

日南市のほうが震度が激しかったようだが、三兄からのラインでは高鍋町はゆっくりした揺れの程度で何事もなかったということ。

☆今日はフォンテーヌブロー城のあるフォンテーヌブローへ。

地下鉄の5日間パスが昨日で切れたので、最寄りの地下鉄窓口で3日間パスを購入。

妻の持っているクレジットカードはいずれも使えず、スマホを買い替えたときに発行してもらった私のdカードが唯一使えた。

スマホの切り替えで大混乱ばかり続いたが、このdカードが大いに役に立っている。

☆パリ・リヨン駅で電車に乗り換えるが、またまたトラブルばかり。

切符購入窓口に行くと、フォンテーヌブロー行きは別な窓口だと言われ、それらしき窓口に行くと丁寧な日本語で”私たちはイタリアの鉄道会社です。フランスの

鉄道会社のフォンテーヌブローはあちらの2番です”と言われる。

その”2番”を探すがどこにも見当たらない。

ようやく妻がポケトークを使って駅のSPに尋ねると、その窓口まで案内してくれた。

だがそこは窓口ではなく、私たちが使えないキャッシュカードによる自動販売機だった。

案の定、エラーばかりで使えない。

そこへ、後ろに並んでいた好青年が流ちょうな英語で丁寧に使い方を教えてくれて、無事に切符を購入。

なんでもかんでもフランスではクレジットカードである。

ネットでパリ在住の日本人が現金はほぼ持ち歩かないと言っていたのが納得できるが、困ったのは日本のクレジットカードがほとんどエラーが出て使えない。

☆フォンテーヌブロー城はフランス王家800年の歴史が凝縮されているということだが、きらびやかすぎる宮廷生活文化にはほぼ興味がない。

早めに帰ることにする。

☆フォンテーヌブロー駅でまたまたトラブル。

トイレに入るのにコインではなく、乗車チケットをスライドさせればよいことが分かったが、中に入ってみるとトイレの中の汚物がてんこ盛りのままで、窒息しそうになり

急いで出ようとするが扉が開かない。

妻の名前を叫びながらドアを叩くが、妻もどうやったら開くのか判らない。

つまり使用中は外から開かないのだ。

このままトイレに閉じ込められたら、とパニック状態になる。

唯一、明かりのついているボタンみたいなものがあったので、押してみると、やっと開いてくれた。

☆パリのアパートまで帰るのに何度も乗り換えがあるのだが、妻はきちんと何番線に乗ってどこで降りてと理解している。

私にはさっぱり判らない。

さすが、パリ訪問7回目の妻に畏敬を抱く。

☆早めにアパートへ戻ってゆっくりする。

夕食は近くのケバフ店で買ったチキンケバフで。


4月7日(日)

☆曇天の一日。

夕刻から雨がぽつりぽつりと落ちはじめ、暮れ落ちてからは雨となる。

今日もいち日中、鼻水たらたらであった。

☆日曜はパリ市民はお休みになるところが多いようだ。

今朝はパン屋も多くが閉まっていた。

☆今日はゴッホ終焉の地のオヴェール・シュル・オワーズへ足を運んだ。

今日もユーレイルパスを使おうと思ったが、今日乗った路線はユーレイルパスは使えなかった。

しかしパリから途中乗り換えで1時間以上も走ったのに、運賃はたったの5ユーロ(約850円)だった。

☆ゴッホはこの地での生活は2か月しかなかったという。

ゴッホが自殺するまで住んでいた”ラヴー亭”や、”オヴェールの教会”で描いたノートルダム教会など観て回る。

弟のテオと並んだゴッホの墓にもお参りする。

周りの立派な墓地と異なって、とても質素な墓地だった。

墓地の前の麦畑で、ゴッホは拳銃自殺を図ったそうだ。

その場所にも由来書きの看板が立っていた。

☆今日は早めにアパートへ帰ってきたので、夕刻にアパートの周辺を散策してみる。

今日はお昼はオワーズのコンビニで買ったサンドイッチで済ませたし、汽車賃も安かったので、夕食はアパート隣の寿司店に入る。

パリは至る所に寿司ショップがあり、駅の構内にさえ寿司ショップやコンビニでのおにぎり販売がある。

私たちが入った寿司ショップは中国人経営だったが、お客がひっきりなしにやってきて大繁盛だった。

味も米が全然ダメ以外は、予想していたよりまずまずだった。

☆パリに数日住んでみて、日本へ入ってくるパリの情報と全く異なるパリの姿に日々驚いている。

日本では、パリで男性が女性のスーツケースを持ってあげることは女性への蔑視だとみなされるという記事が氾濫している。

しかし妻は地下鉄駅ですぐに男性にスーツケースを持ってもらったし、電車の中でも若い女性たちが積極的に席を譲ってくれる。

郊外を電車で走っていても、あの大嫌いな太陽光パネルをまだ一枚も目にしていない。

またこれも私の大嫌いなSDGsの文字も全く見ないし、ジェンダー問題をアピールする広告媒体を全く目にしない。

20年前と比べてパリ市内は驚くほどゴミがなくなったし、暗いイメージばかりだった地下鉄もとても清潔である。

もっとも妻は一度電車の中で若い女性グループによる窃盗被害に遭いそうになったので治安は悪いようだが、パリ市全体の姿は実にノーマルである。

日本がどれほどいびつな情報に振り回されていることか。


4月6日(土)

☆曇天の一日。

☆風邪を引いたようで、鼻水タラタラの一日であった。

☆今日はフランスゴチックを代表するシャルトルのノートルダム大聖堂を見に行く。

今回初めてスマホの中のユーレイルパスを使ってみた。

それがなかなか設定がうまくいかない。

最終的に設定したユーレイルパスを、QRコードに変換して車掌に見せなければならない。

だがネットの案内通りに設定してもQRコード変換に行かない。

しかし駅の係員も車掌も、それで問題ないということだった。

☆シャルトルのノートルダムはステンドグラスが有名である。

ただ今日は曇天だったので、晴れた日の午後にステンドグラスを通して差し込む淡い光が内部を満たし、言葉ではとても言い表せないような青の世界を作り上げる

場面には遭遇出来なかった。

夏のオリンピックのためか、パリはあちらこちらで修復作業が進行中で、このノートルダムの内部も柱が白く塗られ、実に味気なくなってしまっていた。

しかし黒くすすけた古い柱も、表面を塗った漆喰みたいな表皮が剥げているので、これは従来からある保存技法なのかも知れない。

このノートルダム大聖堂も、1194年に大火に遭っているようだ。

☆大聖堂前のカフェでお昼を摂りながら、帰りの便のユーレイルパスを設定しようとするが、本当にこれがうまくいかない。

設定に多大な時間を取られてしまい、行きたかった所をスルーしなければならなかった。

☆今日もクタクタに疲れてしまい、夕食を摂った後は何もできない。


4月5日(金)

☆今日も気候は不安定な一日。

朝はまだ曇りだったので、今日は別のパン屋でクロワッサンとバケットを購入。

☆今日はオルセー美術館へ。

オルセー美術館も20年前に行っている。

雨の降りだした中を今日も長時間並んで、チケットを買う。

ネットでチケットを購入しようと思ったが、当日券は購入できなかった。

そしてまたもカードによる購入ができず、担当者のいる窓口でしか購入できなかった。

☆美術館へ入ったあたりから体調がすぐれなくなってしまった。

作品を観る元気もなく、どっと疲れが出て動けなくなってしまった。

妻が作品を観て回ってる間、ベンチで休んでいたらいつの間にか熟睡してしまっていた。

正月からの怒涛の日々の疲れが一気に出てしまったようだ。

☆体力回復と休憩の目的で美術館のレストランで昼食を摂る。

20年前に家族で来た時にも食事を摂ったがすごくおいしかった。

パリに住んでいたことのある友人の話でも、オルセー美術館のレストランは美味しいということだった。

しかし今日のメニューは高いばかりでちっとも美味しくなかった。

☆午後はゴッホを中心に観て回る。

やはりセザンヌとゴッホは超人気で多くの人々でごった返している。

20年前に来た時にはゴッホの自画像の前で観ていると、私がゴッホにそっくりだという女性グループにゴッホの肖像画と一緒に写真を撮られた。

やはりゴッホの絵からは得体のしれない波長を感じる。

おかげで体力も回復した。

☆ゴッホ室で不思議なことが起きた。

ごった返している中で絵しか眼中にない私と背の高い女性とぶつかりそうになってしまった。

ところがしばらくすると、またもその女性と同じことが起きて、女性は苦笑いしていた。

☆少し体力が回復して、雨の上がった中を先年に大火事に遭ってしまったノートルダム寺院を観に行く。

随分と修復作業が進んでいた。

20年前の家族旅行の時はみんなで上まで登り、私は幼いころに観た映画”ノートルダムのせむし男”で見た怪獣じみたオブジェを見て感慨深かったものだ。

☆最後にエッフェル塔へ行く。

20年前には塔の上に家族で上ったが、今回は別の目的があった。

妻が最近のライブで歌っている”Aprir in Paris"を、エッフェル塔を背景にセーヌ川沿いで歌いたいという望みである。

最初はエッフェル塔を見上げながら歌ったのだが、曲が長くて重く、バンド仲間たちに送れなかった。

それで対岸に行くと、エッフェル塔とセーヌ川がいい感じで収まる。

周囲は交通量が多く気になったが、3分内で収まる動画を撮った。

私はハーモニカの代わりに口笛でジョイントした。

再生してみると、うるさかった車の騒音と近くで喋っていたインド人のヒンズー語がいい感じの臨場感を出していて、私の口笛もなかなかであった。

早速、バンド仲間と家族に動画を送る。

送るのに時間はかかったが、ちゃんとeSIMで送ることができた。

☆今日も怒涛の一日で、部屋に戻ったら夕食を摂るやいなや眠り込んでしまった。


4月4日(木)

☆パリは降ったりやんだりの不安定な天気。

☆朝食は土砂降りの中を走ってパン屋を探し、クロワッサンとバケットを買ってくる。

市場で買った野菜と山羊チーズを合わせて摂る。

このアパートメントには自炊できるような設備が準備されているが、用意されているKURPSというコーヒーメーカでコーヒーを飲もうとするが、スイッチが入らない。

スイッチは1つしかないので、理屈的には使えるはずだがウンともスンとも言わない。

ネットで検索しても同じKURPSというコーヒーメーカの使い方は出てくるが、アパートメントのものとは型が全然違うので役に立たない。

☆今日はルーブル美術館を訪れる。

私は20年前に家族で訪れて以来である。

チケットを買うのにピラミッドの周りに並ぶがものすごい人で、おまけに雨が降って冷え込んだり、陽射しが出て暑くなったり。

ようやくチケット購入窓口にたどり着くが、ここでもカードによる支払いにエラーが出てまったく手も足も出ない。

簡単にカードでチケットを購入される方の手順を見て倣うが、やはりエラーが出て買えない。

結局、担当者の居る窓口に並んで担当者に操作してもらった。

☆チケットを購入したのはもう午後を回っていたので、ルーブル美術館のレストランで休憩がてらのお昼を摂る。

値段はべらぼうに高いので簡単にサラダを摂ったが、とても美味しかった。

ビールとワインを合わせる。

☆20年ぶりなのでどこから回ってよいのかさっぱりわからず、どうでもよいフランス彫刻や宗教芸術に反吐が出ながら見て回るうちにもう閉館が近くなってしまった。

前回とても感動したサモトラのニケ像とミケランジェロの”奴隷”を見たい。

美術館の担当者に展示場所を聞くと、もうあと15分で閉館だから急いで、とせかされる。

ようやくサモトラのニケ像と再会し、出口に急いでいるとモナ・リザの部屋に行き当たった。

20年前はものすごい人だかりで、遠くからほんのチラリとしか見れなかったが、今日は閉館時間直前だったせいか、人だかりもなく見れた。

そして最後に出口付近でミケランジェロの”奴隷”に遭遇した。

なんだか観たい作品をしっかり見ることができなかった、駆け足のルーブル美術館であった。

☆夕食は市場で骨付き豚の厚切りステーキをしようと思って、野菜や調味料などもそろえた。

ところがいざ料理をしようと思うと、アパルトマンに備え付けのIHクッキングヒーターが使えない。

スイッチを入れてフライパンを乗せるが、すぐにスイッチが切れてしまう。

ネットでIHクキングヒーターの使い方を調べるが、日本のものとはタイプが異なっていて役に立たない。

自炊生活の予定が計画倒れになってしまった。

ただレンジはあったので、豚肉にニンニクと玉ねぎを乗せてレンジで加熱したら美味しくできた。


4月3日(水)

☆何のトラブルもなく、午前2時05分発の同じ中国国際空港でパリへ向かう。

☆パリにはほぼ定刻の午前7時前に到着。

パリは雨で底冷えの寒さだった。

☆今日は特別のスケジュールもないので、ドゴール空港でゆっくり過ごす。

まずダウンロードしたeSIMを常用の接続に切り替えて、ラインをチェックし、関係者に無事パリ着を報告する。

妻も空港の無料Wi-Fiでスマホが普通に使えた。

☆スペイン在住の友人にパリ到着のラインを送ると、昨日に彼女を訪ねて日本からやってきた友人がパリに着いたとたんにクレジットカードの盗難に遭ってしまった

という緊張の報告が届く

☆それから一段落して、オペラ座直行のバスに乗る。

そのころには雨も上がっていた。

空港から市内への地下鉄は最も犯罪の多い空間だと聞いていたので、バスにした。

バスチケットはカード払いだったが、要領が分からずオロオロしていると、バスの運転手が降りてきて操作してくれた。

これが今日の怒涛の一日の始まりだった。

☆オペラ座への直行バスは、ノルマンディーのシンポジウムに参加したときに利用しているので、オペラ座の周辺も以前に歩いている。

次は地下鉄で、今回の宿泊となるアパート近くの駅へ向かおうとするが、地下鉄へ降りても切符の売り場がない。

再び地上に出て右往左往していたが、地下鉄から上がってきた若い黒人の女性に尋ねると、近くの駅で売っていると教えてくれた。

☆すぐ近くの駅で切符(5日間利用の回遊チケット)を買おうとするが、カードでの購入方法が判らない。

窓口の中の担当者がフランス語であれこれ指示するが全くわからない。

結局、カウンターに並んでいたお客に操作を教えてもらって、無事にチケットを購入して地下鉄に乗ることができた。

今のパリは、女性の荷物を持ってあげることは”女は弱い生き物だ”という固定観念に縛られているとして非難されると聞いていたが、地下鉄へ降りる階段で、

ナイスな男性がすぐに妻のスーツケースを持ってくれた。

☆目的の地下鉄駅そばの鉄道駅で荷物をコインロッカーに預ける。

フランスは最近はテロが多いので、預け荷物は厳重なチェックがある。

チェックを抜けてコインロッカーに向かうが、やはりカード払いの方法が全くわからない。

担当者にやってもらっても、カードが認識できない。

結局、現金払いでコインロッカーを使うことができた。

☆駅の中の軽食店で美味しいパスタを摂って、今夜の宿泊場所を下見に行く。

駅を出てすぐに再びの雨となった。

ところが地図を見ながらアパルトマンを探すが、どこにもそんな施設はない。

周囲の住民たちに聞いても、てんで答えがバラバラである。

地図的にここしかありえないと思っていた場所に、旅行者らしい東洋人女性2人がセキュリティーの番号を押して入っていくので、私たちも一緒に入ってみたが、

どこにもアパルトマンの表示がない。

再び周囲を探してまわって教えられたのは同じ扉の建物だった。

メールで届いたセキュリティーの番号を何度押しても扉は開かないが、私たちの様子に気づいた関係者が扉をあけてくれ、中のオフィスの住所を確認すると、

やはりアパルトマンと同じ住所だった。

チェックインは4時以降だったので、扉のセキュリティー番号を教えてもらって、駅近くの市場に今夜の食材やワインを買いに行く。

☆買い物を終え、駅のコインロッカーでスーツケースを出し、アパルトマンへ向かう。

無事に扉が開き、アパルトマンの指定された郵便受けから私たちの部屋のキーを取り出し、メールで届いたアパルトマンのセキュリティー番号を押して中に入る。

アパルトマンは古い建物で、木製の階段を重いスーツケースを持って上らなければならない。

私たちの部屋は4階ということだったが、キーをいくら回しても扉が開かない。

メールで送られてきた4階の部屋のドアの写真が、私がキーを廻している部屋と様子が違う。

写真とピッタリ合う部屋を探したら、もう1階上の部屋だった。

☆そして確かにキーはピッタリ合うのだが、扉は全く開かない。

悪戦苦闘しているうちに、ふいに扉が開いた。

部屋は狭いがこじんまりと清潔な部屋であった。

アパートはWi-Fiが無料で使えるということだったが、メールにはWi-Fiの接続先とパスワードの記載もないし、部屋にもそういう記載された書類はない。

仕方なく、スマホのテザリングでアパートのオーナーに問い合わせる。(eSIMはテザリングはできないということだったが、普通に出来た。)

しばらくしてオーナーの返事の代わりに、観光税の請求が届いた。

ネットも接続できないのにメールで観光税の請求が来るなんて、と苛立ちながら支払いを済ませると、領収証と一緒にWi-Fiの接続先とパスワードが届いた。

☆夕食は市場で買った食材と美味しいチーズとワインで摂る。

アパルトマンは周囲の物音が全くしない、実に静かな環境である。

動き回るのも苦しいほどの狭いキッチンで妻と食事を摂ると、何か新婚夫婦が新しい住まいでの初夜を迎えるような雰囲気だった。

こうして怒涛のパリ初日は終わった。


4月2日(火)

☆晴れ。

☆午前3時過ぎに起きて、荷造り。

なんとか9時過ぎまでには荷造りが終わる。

☆9時40分に町内会のOさんに高鍋駅まで送っていただき、JR特急で宮崎空港へ。

☆午後12時25分発のANAが機材不調で30分遅れの出発

午後2時30分に羽田着。

リムジンバスで国際線の第3ターミナルへ。

☆チェックイン前にユーロへの両替をしようと思うが、出発ロビーの両替所はどこも3月31日で閉店となっていた。

途方に暮れて空港職員に聞くと、出発ロビーを出たコンビニの奥にあるというので、何とか両替をすます。

そして私は旅行の準備が全くできなかったので、防犯対策のパスポート入れや財布をトラベルショップで探すが、大したものは置いていない。

防犯対策は不十分なまま犯罪大国のヨーロッパへ旅立つことになった。

☆定刻通りに19時40分に中国国際航空で羽田を発つ。

途中、北京で乗り換えだが、荷物はヨーロッパまで運ばれる。

スーツケースは機内持ち込みにしたかったが、重量オーバーで預けなければならなかった。

22時40分に北京空港着。

ほとんどの客がヨーロッパへ向かう乗客だったので、流れるように入国手続くを済ませて、乗り継ぎの搭乗ゲートへ向かう。


4月1日(月)

☆晴れ。

今日も暖かい一日。

☆旅行準備。

しかし今日は荷造りは全くできず、色んなアプリの設定で過ぎてしまった。

☆まずはインストールしたユーレイルパスに私と妻の登録をしなければならない。

しかし私の登録は簡単に出来たが、いくらガイド案内の通りに操作しても妻のパスが登録できない。

登録パスを追加しようとすると、スマホの設定画面になる。

それでユーレイルパスの代理店に電話すると、どういう状態なのかスマホ画面のスクリーンショットを送るようにとの指示。

そうしたら、PIN設定のセキュリティー設定が必要で、スマホの設定画面はその設定の案内だという。

私はスマホにセキュリティー設定をしていないので、セキュリティー設定をしている妻に尋ねるとPINの設定方法を教えてくれて、無事に妻のパスが登録できた。

私はPayPayを使っているので、セキュリティーをかけていないとスマホを盗まれた時には預金口座の全額がチャージされてしまう。

これできっちりスマホのセキュリティが整った。

☆次にSIMの購入手続きをする。

いまはeSIMが主流なので、先日調べたなかでヨーロッパ周遊60日間で最も安かったMobiMatterの購入手続きをした。

しかし支払い手続きをすると画面がフリーズしたままである。

登録案内ではローディングにかなり時間がかかることが多いので、根気よく待ちましょう、とある。

だが結局はタイムアウトで、MobiMatterから再購入手続きの案内が届いた。

それで再度購入手続きを試みたが、結果は同じであった。

仕方なく、Holaflyのヨーロッパ60日プランを申し込んだ。

このHolaflyはLINEも使えるというふれこみである。

無事に購入出来てアプリダウンロードのQRコードが届いたが、このQRコードがバカでかくて、スキャンできない。

画面表示設定を50%にしてようやく読み込めた。

これでヨーロッパに着いてスマホがすぐに使えるのか。

ユーレイルパスの予約もホテルの予約もすべてスマホのアプリで操作しなければならないので、スマホが常時使えないと旅ができない世の中になってしまった。

☆そして次はSmartTag2の設定である。

このSmartTagは今は探し物に大変人気があり、私は何度も海外の空港で荷物が行方不明になってしまった経験があるので、今回はぜひスーツケースに

取り付けたい。

ネットで操作を調べるが、まったく判らない。

ただスマホにはちゃんとSamsungのフォルダの中にSmartTagのアプリが入っていた。

妻はユーチューブで設定方法を学んでちゃんと設定できた。

しかし私は同じように操作してもまったく先に進まず、見かねた妻が私のSmartTagも設定してくれた。

今日はなぜかメカオンチの妻の2連勝である。

旅行の手順が昔と全く変わってしまった。

☆夜になって、今年の空港展参加の海外作家宛にパンフレットデータ提出の案内をする。


3月31日(日)

☆午前は上天気の晴れ。

舞鶴公園は大勢の花見客で賑わっていた。

待ちに待った暖かい春の陽気の花見宴である。

しかし午後からは雲が出て、夕落ちてからは雨になる。

舞鶴公園からは関係者の慌てた案内のマイク音が響いてくる。

せっかくの夜桜だったろうに。

☆一日、旅行の準備。

持ってゆくものを買い出しに走ったり、荷造りは明日に廻す。

とにかく正月から怒涛の3か月だったので、旅程プランはすべて妻に任せていた。

したがって、私はこれからの2か月間の旅程を全く知らない。

往復のフライトを手配しただけである。

☆昨日に設置したモニュメント写真をフェイスブックに上げたら、ロシア・UFAのカテリーナからメッセージが届いた。

昨日設置した”To the future”を最初に拡大制作して設置したのはUFAである。

彼女は設置された私の作品にいつも会いに行って語りかけているようだ。

"Mr Hitoshi Tanaka, I bow before your talant inner freedom, love to Life in Your sculptors.

World begin sounds beautiful music, thoughts calm.

Your sculptures like source of pure of water for soul.

Every evening I walk in the park and when see moon, I tell "her" about You and your sculptures "Dance of Moon", and I think Moon has "Home"- Japan.

When I see at Your inspiring works, smile at moment appear, warm on the heart, like World embrace me.

Your sculptures bring peace into hearts of people.

My best wishes to You, may everyone who cherish to Your heart will be happy and healthy.

Your soul is generous , wise.

Thank you for developing inner culture. You show us the way to ours heart.

Japan in my heart. "

☆さらに夢のような次の提案をしてくれた。

"Dear Mr Hitoshi Tanaka.

Let me suggest two ideas.

One is to hold a creative evening with the invitation of the authors of Japanese poetry.

To invite them to write poems about the moon.

The second -is to make a small sculpture and give it to the astronauts so that they can take your moon with them when they fly into space. "

私に2つの提案をさせてください。

1つめは、日本語の詩の作家(日本人の詩人?)を招待し、彼らに月についての詩を書くように招待する創造的な夕べを開催したい。

2つめは、小さな彫刻を作り、彼らが宇宙に飛び立つ時に彼らがあなたの月を持っていくことができるように宇宙飛行士にそれを与えたい。


3月30日(土)

☆晴れ。

気温は急上昇。

宮崎市は27,2度の夏日。

この春一番の暑さ。

☆モニュメント設置作業。

午前8時にアンジェラスの森で積み込み作業。

山田も手伝いに来てくれた。

運送会社のオペレーターは台座も本体も起こしたままバンドで締めて荷積みしてくれたので、作業がとても楽に進んだ。

これだと設置もすごく楽である。

リースでクレーントラックを借りていたら、こういう作業はできない。

☆設置場所は宮崎市の跡江にある福祉施設。

運送会社のオペレーターに地図を見せたら、すぐに了解してくれて、私たちは運送会社のトラックについてゆく。

道程の半分は生まれて初めて走った道路だった。

☆小一時間で現場に到着。

現場はまだ工事の真っ最中であった。

やはり3トンクレーンでは庇の下には台座しか設置できなかった。

本体は工事現場のリフトで吊ってもらって設置はスムーズに終わった。

☆設置が終わって私は作品プレートを取り付け、山田は台座の目地埋め作業をして、11時過ぎまでには設置作業は終わった。

☆山田とは設置現場で別れて、私はアンジェラスの森へ片づけに戻る。

途中の山間部は昔ながらの里山の風景が残っていて、桜も今日あたりが満開で、美しい景観を満喫しながら走る。

アンジェラスの森も綺麗に片づけて、お昼過ぎに帰宅。

☆午後に、作品プレートの設置を頼まれていた高鍋町内の個人宅のあかりオブジェにプレートを取り付ける。

なんとかギリギリの日程で仕事が片付いた。

☆さて、これから2日間で旅行の準備である。

夕食は作品の設置完了祝いで、持ち帰りのお寿司でお祝いをする。

正月からすべてのスケジュールを見事に片づけてきた。

とても充実した気持ちで旅立てる。

どうもヨーロッパの情勢がきな臭くなってきた。

精神的にも体力的にも万全な今のうちにしか夫婦でのヨーロッパ旅行はできない気がする。


3月29日(金)

☆晴れ。

気温は一気に上昇して、宮崎県内は各地で26度前後の夏日となる。

☆アンジェラスの森で作業。

上天気だったので作業が一気に進む。

心配した私の研磨作業は、桜御影石なので傷の取り残しはほとんど気にならず。

午前のうちにペーパー研磨まで終えて作業は完了。

山田は台座の仕上げ作業。

☆午後は私はテントを撤収して倉庫に直したあと、エアービシャンで台座の仕上げを手伝う。

ほぼ作業の終わったところで妻が差し入れをもって表敬訪問。

☆仕上げ作業が終わったところで、心棒穴がきちんと合っているか不安だったので、リフトで吊ってモニュメント本体を台座に乗せる。

無事にモニュメント本体の心棒が台座に入ってくれたので、明日の作業は一気にスムーズに進めることができる。

施設に確認したら、施設はまだ工事中なので建設会社のリフトがあるというので、庇があっても設置は出来ることが分かった。

山田のアシストのおかげで、無事に作品は完成した。

☆作品制作の作業が完了したので、夕刻にO内科へ血圧の定期健診に出かけ、日本不在中の薬を出してもらう。

☆今日は妻の職場の離任式。

妻は今日で42年間の教師生活に終止符を打った。

教師生活は充実した時間だったので、やりきった清々しさを味わっていた。

☆今夜は妻への慰労と私の作品完成を祝って、私の手料理でお祝いをする。


3月28日(木)

☆くもりのち雨。

夕刻からは風も出て、激しく降る。

☆アンジェラスの森で作業。

午前はまだ雨が降らなかったので順調に研磨作業を進める。

しかし昼前から雨となり、午後からはいつものテントは山田の作業する台座を覆い、私の場所は青シートを張って作業する。

だがこの青シートが古くてあちこちに穴が開いてしまっているので、ほとんど雨の中で作業しているのと変わらなかった。

夕刻までに800#の途中まで研磨したが、雨で石が乾かないので傷の取れ具合が全く確認できない。

明日は天候が回復しそうなので、多分磨き直しの作業になるだろう。

☆山田は朝のうちは所用で来れなかったのだが、顔を出したのは昼前だった。

ナビで近くまでたどり着いたのだが、それから先が方向が判らず、約1時間近くもアンジェラスの森を探し回っていたという。

昨日のビシャン作業は思っていたほどの疲れは出ていないという。

山田も夕刻までにはほぼ台座全面のビシャン作業が終わり、明日は調整作業で終えることができそうである。

☆作業を終えたときは下着も全身びしょ濡れで、帰宅してすぐに風呂を沸かして着替える。

☆帰宅すると、モニュメント設置施設から依頼していた施設での設置場所の写真と地図が送られてきていた。

ところが設置場所が建物に接していて、なんと上に庇がある。

先日に作業場に来られた時に、上に屋根のある所はクレーンで吊れないということをきちんと伝えたはずだ。

この状況では明後日に設置作業に向かっても、クレーンでの設置作業ができない。

明日はモニュメントを完成させるのがギリギリの時間しかないので、設置場所の下見に行く時間がない。


3月27日(水)

☆快晴。

朝は冷え込んだが、日中は気温が上昇。

☆あれこれ片づけなければならないことが多くて、夜中3時過ぎに起きて作業をする。

旅行関係ではまだSIMの件が片付いていない。

今はカードよりもアプリで導入するeSIMが主流になってきているようだ。

いろんな情報が交錯して、決められず。

☆アンジェラスの森で作業。

今日から駅前モニュメントで助けてもらった彫刻グループの山田がヘルプに来てくれた。

山田には台座の手ビシャン作業をやってもらった。

山田は大学時代の授業で石のビシャン掛け実習があり、それで手が全く動かなくなりバイト先での作業が全くできなくなった苦い経験があるそうだ。

お昼に帰宅したときに、以前に使っていたビシャン用のエアーチッパーを探し出して、午後はエアーチッパーでビシャン作業をやってもらった。

100Vのコンプレッサーでエアービシャンが使えるか心配だったが、意外やパワーが強すぎて、チッパーにエアー調整レバーがついていないので調整が大変だった。

しかしおかげで今日はかなりの台座仕上げ作業が進んだ。

☆私はモニュメント本体の手磨き作業。

午後半ばからようやく研磨作業に入る。

本設置までは残る日数は2日のみ。

残る2日ではモニュメントの研磨作業が終わるかどうかも判らない。

山田が手伝ってくれなかったら、台座の仕上げ作業はできないままで終わるところだった。

☆ドコモの担当者に電話して、ルーターの接続の件を問い合わせる。

あんなに接続作業に担当者を向かわせますと約束したのに、ドコモでは自宅訪問はできないと言う。

それでOCNの遠隔サポートの窓口に電話してくださいとのこと。

夕刻に帰宅して窓口に電話すると、相変わらずガイダンスの案内が訳が分からず、途中で何度も操作ミスで電話が切れてしまう。

ようやく窓口の担当者とつながって状況を説明。

担当者はとても丁寧な対応で、まずホームゲートウェイとルーターのWANをLANケーブルで接続するというガイドブックの接続ガイドが紛らわしいということ。

ホームゲートウェイのLANケーブルは普通のLANポートに接続し、ホームゲートウェイの接続設定をブリッジモードのBRに切り替えること。

それで無事にWi-Fi接続ができた。

接続設定ガイドの説明書が間違っているなんて・・・。


3月26日(火)

☆晴れ。

気温が急上昇して、6月上旬の気温。

フェーン現象で台風並みの強風が吹き荒れる。

☆アンジェラスの森で作業。

晴れたので、軽トラの荷台に積んである100Vコンプレッサーでエアーチッパーを使い、モニュメント上部コーナーの修正作業をする。

100Vコンプレッサーでもエアチッパーは十分に使える。

そして台座への作品プレート取り付け口の加工をする。

これらの作業に結構時間を取られて、モニュメント上部の手磨き作業に入ったのはもう夕刻だった。

☆版画二人展の購入版画を宅急便で、アンケート景品のミニ版画をレターパックで送る。

☆ドコモのレンタルルーターがようやく届いた。

ルーターとホームゲートウエイを接続してみたが、パソコンのタスクトレイのネットワークアイコンにプライマリSSIDが表示されるようにはなったものの、

暗号化キーを入れても”ネットワークがありません”というメッセージが出てWi-Fiが接続できない。

原因は、ルーターとホームゲートウェイをLANケーブルで接続しているWANにランプが点かないからだ。

ランプが点かない原因はLANケーブルが悪いかホームゲートウェイの電源が入っていないかだと”つなぎかたガイド”にはあるが、LANケーブルも電源も問題ない。

ネットで調べても、原因は同じで、我が家のルーターのWANが接続されない原因がまったく判らない。

この忙しいときにどうしてこんなトラブルに振り回されるのだ。

ドコモは接続作業に来てくれる、と約束したではないか。

結局、再びパソコンはLANケーブルでネット作業をしなければならない。


3月25日(月)

☆一日、強い雨。

天気予報では午後からは”曇りのち晴れ”だったが、雨は止まず。

気温は高く、今朝は蒸し暑かった。

☆アンジェラスの森で作業。

コーナーのハツリ作業。

雨が降るテントの中は暗くて手元が全く見えないので、作業用の手元蛍光灯で照らしながら作業する。

午後に雨が小休止になったのでエアーチッパーで整えようと思ったら、コンプレッサーを動かし始めた途端に激しく雨が降り出してしまった。

☆夜は中町公民館の春季お仙稲荷例祭の直会。

私は昼間の例祭には行けなかった。

お仙稲荷は霊験あらたかで、これまではどんなに雨が降っていても例祭直前には雨が上がっていたのだが、昨暮れの秋季例祭に続いて大雨となった。

そしてこれは全国的な問題だが、中町公民館でも子供たちがみんな町外に出てしまったので、公民館組織の担い手がいない。

一番若手の30代半ばの館員の次は中学生しかいない。

精神的、健康的に限界が来ている現在の公民館長の次の世代交代が不在である。

公民館組織の存続が風前の灯である。


3月24日(日)

☆朝から激しい雨。

夕刻にしばらく青空が出たが、夜に入って再びの雨。

冷え込みはなく、宮崎県内は20度前後の気温。

☆アンジェラスの森で作業。

土砂降りの鬱陶しい気分の中で、モニュメント本体上部の仕上げ作業。

風はなかったので、テントの中への吹き込みはなく作業は進む。

☆30日の設置の件は解決した。

駅前モニュメントの時にお世話になった運輸会社に問い合わせてみたら、快く引き受けていただいた。

運輸会社はアンジェラスの森の作業場もご存じだし、何より建機レンタル会社にクレーントラックを取りに行ったり返しに行ったりする手間が省ける。

作品の積み込み・設置もプロフェッショナルである。

さあ、あとはモニュメントの完成だけだ。

☆今日まで宮崎県立美術館で宮崎彫刻グループの田村と山田の二人展が開催されていたが、私は作業から離れられないので、宮崎市に所用で出かけた妻に

顔を出してもらった。

山田が春休みに入ってから、アンジェラスの森に手伝いに来てくれることになった。

これで台座の仕上げ作業が間に合いそうだ。


3月23日(土)

☆日中は時々雨の曇天。

夕刻からは雨。

☆午前にアンジェラスの森で作業。

森へ向かう途中から雨模様となったが、作業中は止んでくれた。

モニュメント下部にペーパー800#を掛けて仕上げる。

リフトで返し作業をして上部を上に起こす作業をするが、心棒を取り付けているし、下部は研磨されてスリングが滑るので思うようにいかない。

とうとうバランスを崩して、コンクリート床に研磨した背部が落下してしまった。

なんとか態勢を立て直して設置完了。

テントで覆って、昨日の午後に済ませる予定だった作業を終える。

☆版画二人展の最終日。

私は昼にギャラリーへ駆けつける。

最終日は来場者はあまり期待できないのだが、午前中はかなりの方に来ていただいて、妻の作品も売れていた。

私は彫刻作品を佐賀・彫刻集団展に送らなければならないので、雨にならないうちに梱包して高鍋まで引き返し、宅急便で発送する。

ギャラリーへ引き返す帰路は雨になった。

☆搬出作業前に知人が来られて、還暦記念にと妻の版画と私の以前の作品を購入していただいた。

今回の版画二人展では、私は制作時間がなかったので半分は正月に作った紙版画(紙エッチング)だったが、意外や紙版画への反響が大きかった。

私は色彩感覚がないので、白黒の紙版画のほうが訴求力があるのかもしれない。

☆午後3時から搬出。

もう手馴れているので、約40分弱で搬出作業は終了した。

雨は一時停止してくれていて、車への積み込みに支障はなかった。

帰宅してから雨になったが、小降りだったので作品は軒下を運んで雨には濡れずに済んだ。

☆我が家の桜がもう散り始めたし、雨も小降りだったので、夕食は桜にスポットライトを当てて、玄関軒下で花見をしながら二人展の打ち上げをする。

片貝さんから送られてきた先日のライブの様子をワイヤレススピーカーで流しながら、ワインを傾ける。

ワイヤレススピーカーはすごく音が良いので、スマホで聞く音とは全然違う。

皆さんが私のハーモニカの音色に感動してくださったのが納得いった。

☆今朝、二人展関係の文書を印刷しようとしたら、プリンターがウンともスンとも言わない。

プリンターはパソコンとはWi-Fiで接続されているので、Wi-Fi環境がないと印刷もできないのだ。


3月22日(金)

☆晴れ。

午後は雲が多くなる。

☆午前はアンジェラスの森で作業。

モニュメント底部に心棒を埋め込む。

そしてペーパー400#を掛ける。

☆午後に宮崎ケーブルテレビが機器とケーブルの撤去工事に来る。

今日まではネットは宮崎ケーブルテレビにつないでいたので、工事の前にドコモのネットの設定をしようと思ったが、インターネット設定ガイドを見ても

うまくいかない。

そのうち宮崎ケーブルテレビのルーターが外されてネットが通じなくなった。

何とかLANケーブルを接続して設定はできたが、無線LANのWi-Fi設定ができない。

ところが作業を終えて帰ろうとした宮崎ケーブルテレビの作業員がドコモの設置したホームゲートウェイを見て、ルーターがないのでこれでは無線LANは

できませんよ、という。

そんな馬鹿な。

ドコモショップの担当者に電話すると、OCNの担当者からルーターレンタルの連絡があったはずです、という。

たとえあったとしても、わが家は日中は誰もいないし、在宅していた時に電話があったとしても電話のナンバー表示ができなくなっているので、電話は取れない。

それでOCNのルーターレンタルの窓口に電話して取り寄せてくれという。

なんで私がそんなことをしなくてはならないのだ。

☆仕方ないので窓口に電話をかけるが、ガイダンスでは肝心のルーターレンタルの窓口に案内されない。

案内されないどころか、最初からやり直してくださいの繰り返しである。

☆ドコモの設定ガイドを見直すと、どうやらホームゲートウェイに無線LANカードを挿入しなければならないらしい。

ドコモショップに電話すると、ホームゲートウェイには無線LANカードが必要なものとそうではないものがあるというつれない返答。

色々調べると、私の家に設置されたホームゲートウェイは無線LANカードの必要なタイプであったが、この指定された無線LANカードというものが

とても高価なものなのである。

なぜ私がそんな高価なものを自費で購入しなければならないのだといきり立ちながら、もう一度ガイドブックを読むと無線LANカードはホームゲートウェイと

一緒に、別送でお届けされますと明記してある。

このホームゲートウェイは無線LANカード挿入が必要なタイプなのだから、工事の時に一緒に設置してくれなければならなかったものなのだ。

☆ガイドブックを持ってドコモショップへ出かけ、担当者に状況を説明する。

担当者も工事業者に問い合わせると、無線LANカードは容量が小さく、ネットが不安定なのでやはりルーターを設置した方がよいということだった。

それでドコモの担当者にOCNの窓口に電話させると、やはりルーターレンタルに案内されない。

結局ネットで申し込みできることが分かって、手配してくれた。

ルーターが届いたら、きちんとネット接続までやってもらうように頼んだ。

☆この騒動で午後は全く何もできなかった。

明日から雨で、今日は貴重な晴天だった。

宮崎ケーブルテレビの工事が終わったら、アンジェラスの森へあがって、ペーパー800#を掛けて上部を起こし、明日からの雨に備えてテントを

被せる予定だった。

30日の設置作業のクレーントラックの手配もできなかった。

☆ルーターが届くのは4日後である。

それまではLANケーブルでネット作業をしなければならない。

ホームゲートウェイに付属していたLANケーブルはとても短いし、我が家にあったLANケーブルは断捨離ですべて捨ててしまっていた。

仕方なくホームセンターでLANケーブルを買ってくるが、LANケーブルがあんなにも高い値段がするとは。

どうしてこんな無駄な時間の浪費と無駄な出費をしなければならないのだ。

☆版画二人展は明日まで。

今日は妻が在廊してくれたが、やはり作品購入の気配は全くないようだ。


3月21日(木)

☆快晴。

今日も冷え込む。

☆今日の宮崎日日新聞に版画二人展のカラー写真記事。

やはり新聞に出ると来客が増える。

ギャラリーで対応した妻はゆっくり座る時間もなかったようだ。

☆私はアンジェラスの森で作業。

モニュメント下部のエアー研磨の続き。

夕刻までにエアー研磨作業は終了。

仕上げのペーパーを積み込むのを忘れたので、仕上げ作業は明日に廻す。

夕刻に台座の手ビシャンかけをやってみるが、やはり平面へのビシャン作業は大変だ。

研磨作業は時間がかかると思ってビシャン仕上げにしたが、逆に研磨作業の方が早かったようだ。

☆来週からずっと雨の天気予報で、仕上げ作業にもまだまだ時間がかかりそうなので、晴れマークのついている30日に設置を考えている。

旅行直前の設置だが、致し方ない。

ただ今は年度末なので建設業界は超多忙で、クレーントラックの事前手配が必要だと思ってリースの予約を入れたら、やはりすでに30日は予約で押さえられていた。

今はクレーントラックを扱っている建機レンタル会社がとても少なくなっている。

昨年も、会社にはあるが今は都城や延岡の営業所にあるという業者もあって、手配が大変だった。

☆夜になって、設置施設からの連絡で、設置予定場所の工事が遅れていて、28日以降しか設置できないという。

こちらも30日設置の予定なので問題ないのだが、ともかくトラッククレーンの手配ができないとどうしようもない。

☆夜は中町公民館の立光氏のお通夜。

立光氏は私の2学年先輩だが体調を崩して1年近く入院されていた。

これでいよいよ私は中町公民館では2番目の高齢者になってしまった。

☆注文していたソフトキャリーが届く。

旅行まであと10日である。


3月20日(祝・水)

☆晴れ。

夜中から強風が吹き荒れ、とても冷え込んだ。

☆今日は祝日なので、版画小作品二人展会場へ。

冷え込んだが、陽射しは強く上天気だったので、午前は多くの方に来ていただいた。

☆午後2時からギャラリーコンサート。

時期的に年度末だし、お彼岸だし、出足は悪いのではないかと案じていた。

しかし約30名の方たちに来ていただき、用意した椅子は満席になった。

私の高校同級生や同窓生たちも来てくれた。

私は前半はかなり緊張していて息切れ寸前だったが、大きなミスもなかった。

☆それで休憩の間に気持ちが落ち着いて、後半はとても気持ちよく演奏できた。

おそらくこれまでの演奏の中では今日のハーモニカが最も伸びやかに響いてくれたと思う。

妻に尻を叩かれて練習してきた甲斐があった。

☆コンサートの後は、いったん自宅に荷物を持って帰り、再び新富町へ出かけてギャラリー近くの”恵屋”で打ち上げ。

☆コンサートも上出来で無事に終了。

残るはモニュメントの完成と設置、そして旅行の準備だ。

ただ来週からはずっと雨の予報である。


3月19日(火)

☆雨。

雨は小雨だったが、気温は急激に下がって、真冬並みの底冷えとなった。

☆今日から、版画小作品二人展の後半に入る。

妻が一日仕事だったし雨なので、私は一日ギャラリーに在廊する。

お陰で朝一のお客さんが妻の版画を買っていただいた。

☆雨で底冷えたので来客数は伸びなかったが、マグネットは今日が一番売れた。

☆受付に座って、パソコン検索で旅行に使う背負えるソフトキャリーを再び調べる。

昨日の業者には朝一にキャンセルを伝えていたのだが、今日の同じスーツケースの検索では昨日の業者は全く出てこなかった。

そして購入予定だったスーツケースは昨日より価格が一気に上がってしまっている。

結局、色々調べてみると、専門家の評価が最も高かったもので、価格は3分の一くらいのものが使い勝手がよさそうだった。

パソコンも収納できるし、キャリーのタイヤも静音タイプで、ヨーロッパの石畳の道でも快適に使えるという。

安いスーツケースは結局のところすぐに壊れてしまうので、今回は2か月の長期旅行なので高価でもしっかりしたものを買うつもりであった。

だが高価なスーツケースでもそれなりの欠点があり、この1万円以下の安いスーツケースを使ってみることにした。

注文したら、すぐに発送完了のメールが届いた。

ほかのサイトでは、明日が祭日なので今日の注文では出発直前にしか届かないところが多く、ギリギリの判断だった。


3月18日(月)

☆晴れ。

陽射しは強かったが、冷え込んだ。

町場は風が強かったが、アンジェラスの森は風もなく、穏やかだった。

☆朝一にパスワードを変更して、ホームページビルダーを購入。

転送設定をしようとメモ書きを見たらなんということはない、JUSTのパスワードが書いてあった。

だが転送設定がうまくいかない。

昼に、私のサーバーである”さくらインターネット”にログインして設定を調べるが間違いない。

原因を調べていたら、パスワードに”+”が含まれており、打ち込みミスで”+”がほかの記号になっていた。

パスワードは●で表記されるので、ミスに気が付かなかった。

無事に転送設定が完了して、このレッツノートでのホームページ更新ができるようになった。

☆また昨夜のうちに調べておいた海外旅行用の背負えるソフトキャリーを注文する。

ネットで調べていたら、同じ製品で定価よりも1万円以上も値引きのネットショップがあったので、そのショップに注文した。

ところが折り返しの入金案内が、こちらの指定ではない銀行振込になっていて、ハタとなった。

ひょっとしてと思ってショップの内容を仔細に調べると、日本語表記がおかしいし、どうも怪しい。

私の住所が”日本国”から表記される。

ネットで検索してもそのショップが出てこない。

以前に工具のダイヤモンドディスクを注文して銀行振り込みで入金した後に、中国人業者の返金アプリによるPayPay詐欺に遭ったことがよみがえってきた。

また詐欺に遭いそうで、振り込みは止す。

☆一日、アンジェラスの森で作業。

今日からモニュメント下部の研磨作業に入る。

午前は数年前に購入した100Vコンプレッサーの積み込みと、モニュメントの底部を上にした起こし作業、ダイヤカップとカップ砥石による修正作業で過ぎる。

午後からエアーベルトサンダーで研磨作業に入るが、やはり100Vのコンプレッサーは力が無い。

傷が全く取れない。

これは思ったより研磨に時間がかかる。

☆作業中に軽トラの荷台のコンプレッサーをモニュメントそばに移動させようとしたら、軽トラがエンストを起こしてしまった。

この軽トラはよくエンストを起こすが、大体はしばらくするとエンジンがかかる。

しかし今日はいくら待ってもウンともスンとも言わない。

今度は軽トラの故障か?!と蒼褪める。

妻に迎えの電話をしようと思った矢先に、ようやくエンジンがかかってくれた。

ほんとうに色々ありすぎだ。

☆モニュメントのプレートとステンレス心棒を発注していた業者の工場長が、わざわざ我が家まで持参して届けていただいた。

☆西日本新聞の神屋・宮崎支局長から、連載聞き書きシリーズ「青の月光」の載った新聞を送っていただいた。

☆朝に所用で知人の石屋さんから電話。

私がこの歳で御影石の制作をしていることが信じられないという。

彼は私よりかなり若いが、すでに体力の限界で体が動かないという。

はい、まだ私は泣きながら石を手磨きしていますよ。


3月17日(日)

☆夜中から雨。

☆朝一にEDEONへ。

昨日、FUJITSUのパソコンを買ったときの保証書を見直してみたら、メーカー保証は昨年の2月で終了していたが、

EDEONの長期保証に入っていたことに気づいた。

保証内容を読んだら、修理代は製品購入価格以上の費用がかかった場合に、そのオーバー分が購入者の負担になる、とある。

つまり修理代がパソコン購入価格以内だったら費用は掛からないということなのだ。

昨年の春にEDEONでパソコンを見てもらったときにはメーカー保証が切れていて、メーカーに修理を頼むと結構な高額になるので、自分でバックアップを取って

リカバリーをかけてみると症状が治るかも知れないと言われた。

それでバックアップの取り方もわからないまま、高額な修理代が怖くて修理に出せないままだった。

何のことはない、修理代は必要ないのかも知れないのだ。

そう判って昨夜は奇跡的にパソコンが機能してくれたのでバックアップを取り、今朝にEDEONへ持ち込んだ。

やはり画面の黒落ちは接触不良でしょうということで、修理代は長期保証でパソコン購入代金以上にならなければ無料だということ。

修理には2週間はかかるということだったが、旅行には持って行かないので、預けて帰る。

バックアップの取り方も間違っていなかった。

☆午前に、ユーレイルパスの最安値の業者を探して、パスを購入する。

送られてきたパス番号と名前をスマホのアプリに入力すればOKである。

☆午後は、我が家で版画二人展期間中(20日)に開催するアフタヌーン・コンサートのリハーサル。

私は毎晩練習しているので、大きなミスはなかった。

☆今日と明日はギャラリーは休み。

☆FUJITSUのパソコンを修理に出したので、思い切ってホームページビルダー22を購入することにした。

しかし私のユーザーパスワードがわからなくて、途中で断念。


3月16日(土)

☆快晴。

気温はぐんぐん上昇。

野山は一気に花盛りとなった。

我が家の桜も昨日までは開花の気配は全く無かったが、今日は一気に花開いた。

田にも水が張り、田植えの準備が整って来た。

☆午前は版画二人展の会場へ。

妻が午前は職場の勤務で動けなかったし、土曜日なので来客も多いだろうと思って出かけたが、天気が好過ぎて皆さんは行楽へ出かけられたようだ。

午前の来訪者はゼロだった。

それでデスクワークで、今年の空港展の英文開催要項を作成したり、ユーレイルパスのアプリをスマホにダウンロードしたりして過ごす。

午後からは妻が在廊したが、やはり来客は1名だったとか。

☆午後からアンジェラスの森で作業。

モニュメント下部のダイヤカップとカップ砥石での仕上げ作業。

手磨きを掛けながら、修正部をダイヤカップとカップ砥石を掛け直す。

☆ 夕刻にメガネ店へ、注文していた作業メガネを受け取りに行く。

☆夕刻にこのFUJITSUを起動したら、奇蹟的に画面が開いたので、外付けHDDにバックアップ作業をする。

先日までHDDはエラーが出てバックアップ出来なかったのだが、スキャンして修復出来たので無事にバックアップ出来た。

これでFJITSUをリカバリ出来て、黒落ちの症状が無くなれば良いのだが。

☆このHP日記もFUJITSUで転送できたので、久しぶりに更新する。

ただやはりヨーロッパへ持って行くレッツノートには、新しいホームページビルダーを入れなければならない。

二人展で版画が売れて欲しい。


3月15日(金)

☆快晴。

朝は冷え込んだが、日中は気温が上昇して、春本番の陽気。

夕刻からは急激に冷え込んでくる。

☆いちにち、アンジェラスの森で作業。

朝一にモニュメント本体をリフトで吊って返し、反対側の下部のダイヤカップ仕上げ作業とカップ砥石作業。

☆昼に作業を終えて防塵マスクを外したら、作業眼鏡が引っ掛かってコンクリート床に飛んでしまった。

見ると、眼鏡が半分ない!

半分は枕木の下にもぐりこんでいた。

幸いガラスは割れてはいないが、眼鏡フレームの溶接が外れてしまっている。

この作業メガネは手元の仕上げ作業用で、度数のない単なるガラスの眼鏡である。

度の入った作業メガネはアトリエでの作業用とシンポジウム用との2個を持っているが、度無しの眼鏡は共用なので1つしかない。

☆昼食後に眼鏡店に行くと、溶接の修理はメーカー送りになり、戻ってくるのに1か月ほどかかるという。

この眼鏡は今の作業に必要であり、もう2週間後には私は日本にいない。

したがって新たに眼鏡を作ることになり、頭を抱えてしまった。

ただでさえ旅行費用が目減りしているところへ、また眼鏡を新規購入しなければならないなんて!

☆午後はホームセンターで安いプラスチックの安全メガネを買って作業したが、やはりプラスチックのメガネはすぐに石粉で擦れてしまって曇ってしまう。

☆版画二人展、4日目。

今日は妻が一日在廊してくれたが、今年はまったく作品購入の気配がないようだ。

私の作品が何点か売れてくれれば眼鏡代も出るのだが。

それにこのHP日記も新しくホームページビルダーを購入しないと更新できないままだ。

旅行中の日記はWordで記載しておこうと思っていたが、Word文書をこのページに貼り付けると、煩雑なHTMLの作業が必要になる。

それで作品が売れれば思い切ってホームページビルダーを購入しようかと思っていたところへ、今度は眼鏡の破損だ。


3月14日(木)

☆朝のうちは雲が多く、曇り気味。

次第に雲は晴れるが、気温は低いまま。

☆午前はアンジェラスの森で作業。

ようやくモニュメント下部の側面の手磨き作業に入る。

しかし長年、御影石の手磨き作業をやっていないので、その辛いこと。

駅前モニュメントの手磨き部分は山田に任せていたが、山田も辛くて叫びながら作業したと言っていた。

私も辛くて泣きそうになり、予定より早めに作業をやめる。

☆版画二人展、3日目。

妻は朝からギャラリーに向かったが、午後から宮崎日日新聞新富支局の取材が入ったので、私も昼にギャラリーへ。

午後半ばに支局の取材。

今回は主に妻の取材をしてもらった。

☆毎日がバタバタで2週間後の旅行への準備が全くできていない。

夜にユーレイルパスの予約をしようとするが、今は紙の切符ではなくスマホへアプリを入れて、モバイルパスでチケットを購入しなければならない。

従来の紙の切符もあるのだが、紙の切符は予約購入して届くまで6週間かかるというので、もう間に合わない。

私と妻はスマホのアプリが使いこなせない。

パソコンでスマホにアプリを入れてチケットを購入する方法をプリントしたり、ユーチューブで解説する動画を見たりするが、さっぱり理解できない。

脳みそが破裂してしまいそうで、お手あげで、早々に諦めてしまった。

すべてがIT化で便利になっているように思えるが、実際は非常に不自由になってきてしまっている。

私が生きている間には、こんなネット社会は訪れてきてほしくなかった。

昔のほうがのびのびと生きていられた。

青春時代は思い切り青春できた。

☆このホームページも無料体験版で書いているが、転送設定ができないので更新ができない。

FUJITSUは完全にいかれてしまって、まったく画面が黒落ちしたまま表示されなくなってしまった。


3月13日(水)

☆晴れ。

冷え込んだ一日。

☆アンジェラスの森で作業。

カップ砥石作業。

ダイヤカップで修正しながら作業を進める。

☆版画二人展、2日目。

妻は午前は仕事だったので、午後からギャラリーへ。

午前に、大分から知人が来てくれたらしいが、私はアンジェラスの森で作業中であったので、会えず申し訳なかった。

夕刻には彫刻グループの奥村が来てくれたらしいが、ラッシュアワーで車が進まず、閉店までに間に合わなかったということ。

☆FUJITSUのパソコンがとうとう黒落ちしたままで作業できなくなった。

それで中古のレッツノートにホームぺージビルダー22の30日間無料体験版を入れて、この日記を書いている。


3月12日(火)

☆朝のうちまで雨。

雨は急速にあがり、上天気となる。

しかし空気が冷たく気温は上がらず。

☆版画二人展、初日。

今日はまだ準備も整えなければならないことがあったので、初日は会場に詰める。

妻も今日は代休日だったので、一緒に会場に滞在する。

初日としては2ケタ台のまずまずの来訪者。

すべて妻から届いたDMで来られた方たちばかり。

マグネットも売れる。

毎回、来場された方たちに作品の人気投票をお願いしているが、おかげでサッと観て出てゆく方は皆無で、皆さんじっくりと作品を観て下さる。

☆西日本新聞で連載中の伊藤一彦先生の聞き語り「青の月光」は、今日から東京での学生生活を終え、宮崎に帰郷して高校教師として最初に赴任した

高鍋高校での語りに這入った。

今日はまず短歌同好会の話で、私の名前と今でも短歌を投稿し続けている同級生の黒木(高木)れい子さんの名前が出た。

掲載された画像は私が提供した卒業アルバムの中の短歌同好会の写真である。

伊藤先生の作家資料の写真にはこの高鍋高校赴任時代の写真は一枚も無く、貴重な写真である。

内容は以下の通り。

” JR日豊線の高鍋駅(宮崎県高鍋町)で降りると、駅前ロータリーに二つの三日月が抱き合う巨大なモニュメントが立っています。題は「ムーンダンス」。

表情がほほ笑んでいるようで柔らかい。地元在住の彫刻家、田中等君の作品です。

 1966年の春、僕はこの駅で降り、県立高鍋高に着任しました。授業は2年生の倫理・社会と世界史を担当し、田中君は最初の年に教えた生徒です。  

 高鍋といえば筑前秋月藩ゆかりの高鍋藩があった城下町で、江戸時代に藩校「明倫堂」が設立された文教の町。その気風が息づき、生徒は意欲的で活発、

未熟な僕の授業によくぶつかってきてくれましたね。

 僕が高校時代に新聞部だったから部の顧問は新聞部を引き受けるように言われました。年に何回か発行したんじゃないだろうか。

都農町の印刷所まで校正のため生徒とバスで出かけたりしたのを覚えています。

 新聞部とは別に、生徒に呼びかけて短歌会をつくりました。多感な時期で何か表現したかったんでしょう。年齢の近い青年教師に親しみが湧いたのか、

たくさん集まってくれた。

 美術部に入っている田中君をはじめ部活を掛け持ちしながら歌を作る生徒も多かったけれど、一生懸命歌を作ってね。

歌会で僕が批評し、天気のいい日にはみんなで学校裏の小丸川の河川敷を散策しながら歌会をしたこともあったんです。

 こうした集まりに「錨(いかり)短歌会」と名付け、ガリ版刷りの冊子「錨」を発行しました。

彼らは自分の進路や恋愛、友情に悩み、暴風雨の海上で独り格闘しているようなもの。進むべき方向を自らの力で切り開き、

一刻も早く港に錨を下ろしてもらいたい。そんな願いを込めた名前です。

  「自己の苦悩を、苦悩する自己を臆することなく表現するということ、それは、たとえ苦悩の重荷を取り除かないにしても、

少なくともその荷物を背負うだけの大きな勇気はあたえる」

「錨」5号で僕はこう書き、自己表現、作歌の大切さを説きました。

当時の生徒で作品を出していた黒木れい子さんが十数年前、ある短歌会でこの号を持ってきました。

ずっと大切に保存していたんですね。僕は手持ちがなかったから感激して複写しました。

彼女は今も歌を作り、僕が選者を務める新聞歌壇に毎週、投稿しています。

「高校時代とは光をいつまでも失わぬ宝石のような時代」。昨年、創立100周年を迎えた高鍋高の記念誌に寄せた一文です。 ”


3月11日(月)

☆午前は晴れ。

午後からは雲が出て、夕刻からは雨。

☆午前に、明日から”ギャラリーしんとみ”で始まる妻との版画二人展の搬入・展示作業。

もう展示作業は手慣れているので、昨年同様に午前10時から搬入してお昼の12時半には完了した。

私は版画19点と彫刻2点の21点、妻は版画34点の計55点の展示。

私は多忙だったので正月の期間に刷った木版画と紙エッチング作品が主体で、紙エッチングは黒インクの単色なので色味が無い。

しかし並べてみると、モノクロの作品ばかりなのは、そうは気にならなかった。

私は超多忙なので、期間中は殆ど顔を出せない。

☆展示作業が早めに終わったので、午後からアンジェラスの森へ。

モニュメント本体下部のカップ砥石掛け。

しかし起こしたままでのカップ砥石掛けはすごく疲れる。

疲労が蓄積していて、背中がパンパン張っていて、夜にハーモニカの練習をしていても背中が痛くて呼吸困難になってしまう。

それでリフトで吊って横倒しにすると、作業がとても楽になった。

ダイヤカップで修正しながらカップ砥石を掛けて行く。

☆夜に、高鍋町の「芸術のまちプロジェクト」の事前案内をBCCで国内作家宛に送信。

しかし考えてみれば、応募資格が三大都市および政令指定都市の都会に住む人に限られているので、石を彫る彫刻家は郊外でしか制作できないので、

石彫作家の応募は無いのではなかろか。

☆石販会社から、4月から石の値段が上がると言う連絡。

年末に見積もりをお願いしていた長崎のモニュメントの件を懸念しての連絡であった。

長崎の件は、設置予定場所が変更になり、事業が宙に浮いたままである。


3月10日(日)

☆晴れ。

今日も冷え込む。

☆一日、アンジェラスの森。

モニュメント下部の成形仕上げ作業。

夕刻からようやくカップ砥石作業に入る。

ここまでの時間が実に長かった。

もう心身ともに限界近い。

☆このFUJITSUのバックアップを取って、一度リカバリーを掛けてみようと思うのだが、バックアップを取ろうと思っても外付けHDDもDVDもエラーが出て

バックアップ出来ない。

クラウドは月々の料金が高くて、無収入の私には不可能だ。


3月9日(土)

☆晴れ。

冷え込んだ一日。

☆昨夜、新しいレッツノートにコピーしたこのFUJITSUのデータがほとんど消えていることが判明し、再度コピーしたら、Outlookが初期状態に戻ってしまった。

それでメールが1000件程呼び戻されてしまい、それを削除していたら最近届いた空港展参加表明の海外作家たちからのメールも消えてしまった。

しかも初期状態に戻ってしまったので、アドレス帳が再び空っぽになってしまった。

さらに再び住所録をインポートしようとすると、設定したパスワードを忘れてしまい、インポート出来ない。

どうして毎日、毎日こんなことで振り回されるのか。

朝は気が狂うほどのパニック寸前になってしまった。

☆アンジェラスの森で作業。

朝のうちにモニュメント下部の台座設置面周辺の成形作業をして、枕木を敷き込んでかさ上げをする。

今日はもう一度道具を点検して、厚刃2枚刃がまだ使えることがわかり、モニュメントもかさ上げで作業が楽になり、一気に作業が進む。

モニュメント下部のフォルム出し作業が順調に進み、パニック状態だった気分も落ち着く。

☆昼にレッツノートのOutlook住所録のインポートを再度実施。

メモ書きしていたパスワードが見つかり、スムーズにインポートできた。

しかし追加した新規作家の住所は消えてしまったので、再度追加編集しなければならない。

☆夜の8時21分と9時26分に下からガツンと言う激しい音の地震。

震源地は宮崎県北部の門川町辺り。

最近は毎日のように門川町周辺で地震が起きている。

春は地震が多い。

ありったけのペットボトルに水を入れて、災害に備える。

☆このFUJITSUもほぼ一日、黒落ちしたままでほぼ使用不可能状態である。

この日記は少し機嫌の良い隙間隙間に、パソコンをひっぱたきながら記述して更新している。


3月8日(金)

☆晴れ。

お昼までは陽射しが強く、お弁当を持って野原へ出かけたいような暖かさ。

午後からは一気に冷え込んで、真冬の寒さに戻る。

☆一日、アンジェラスの森で作業。

午前は230mm台湾ディスクでモニュメント下部の成形作業を進める。

230mmはグラインダーも重いので、その負荷で作業は順調に進む。

しかし、ハツリ作業で右親指の深いアカギレに石頭の柄が直接当たって、その痛いこと。

痛さに手に力が這入らず困った。

午後は2枚刃などあらゆる手を尽くして、出来るだけ新しいUFOディスクは使わなくて済むように作業。

だが2枚刃も夕刻までには消耗してしまった。

☆版画二人展のポスターとキャプションをラミネートパネルに貼る。

☆何事もうまく進まず、肝心の旅行の準備が全くできない。


3月7日(木)

☆晴れ。

午後からは雲が出る。

☆一日、アンジェラスの森で作業。

台座の心棒穴開け作業の続き。

昨日のモニュメント本体と同様に、必要な深さまで振動ドリルで抉ってコアドリルを使う。

コアドリルのビットが昨日の作業でもう2mm程しか残っていない。

途中で摩耗してしまわないように念じて作業をするが、無事に心棒穴開け作業は終わった。

☆心棒穴あけ作業を終えて一気にモニュメント下部のフォルム出しに這入るが、UFOディスクが全く切れない。

複数のグラインダーに取り付けてあるディスクを交互に使ってみるが、どれも直ぐに切れなくなり、全く作業にならない。

もう新しいUFOディスクは残りがわずかなので出来るだけ新しいものに交換したくはない。

しかしそんなことは言っておれなくなった。

これで来週から始まる版画二人展には、搬入と搬出しか顔を出せなくなった。

☆夕刻にドコモショップへ。

電話機のナンバーディスプレイの申し込みだったのだが、昨日に宮崎ケーブルから電話があり、大変なことがわかった。

私はネット回線も電話も宮崎ケーブルテレビを解約したと思っていたが、宮崎ケーブルの話ではネットは解約されていないと言う。

そんなばかな、それが事実であれば私は宮崎ケーブルテレビとドコモとネットを2重契約していることになる。

ドコモショップの担当者に確認すると、宮崎ケーブルテレビのネット回線は契約者本人から宮崎ケーブルテレビに解約手続きをしなければならないと言う。

今になって何を言うのだ。

先日の契約の時には、宮崎ケーブルへの手続きはドコモが全て行うので私がすることは何も無いと明言した。

立ち会った妻もしっかり聞いている。

それでその場で宮崎ケーブルテレビへ電話して解約を伝える。


3月6日(水)

☆一日、小雨。

午後からは冷え込んで来る。

☆午前に確定申告書を高鍋税務署の投函箱に提出。

☆昼前にアンジェラスの森へ。

昨日の作業でストップしたモニュメント本体の心棒穴に振動ドリルを差し込んで、必要な深さまで抉る。

午後からはコアビットに砥石を掛けてコアドリル作業をしたら、ドリルでの抉り作業が功を奏して無事にモニュメント本体の心棒穴作業が終了。

次に台座の心棒穴作業にかかる。

やはり台座の石の方がビットの掛かりが良く、コアドリル作業がスムーズに進んだ。

ただ柄杓での給水ではコアビットへの給水が不十分でかなりの熱を帯びて、アッという間にビットが消耗してしまった。

夕刻近くになって昨日のモニュメント本体での作業とほぼ同じ深さで作業が進まなくなり、給水の水も尽きたので、残りの作業は明日に回す。

☆夕刻に高鍋町長が来訪。

昨日の打合せに添ったアートによる「芸術のまちプロジェクト」の概要をまとめて持ってこられた。

これは地域おこし協力隊で芸術家を採用してプロジェクトを進めると言うもの。

この地域おこし協力隊の隊員は高鍋町に3年間定住して(住民票を移す)、家賃・給料・材料費が支給されて地域活動を行いながら自由に創作活動をおこなってもらう、

というもの。

貧乏な芸術家にとっては夢のような企画である。

私が応募したいくらいである。

私の提案で、芸術家は制作した作品の一部は高鍋町に寄贈すること、成果発表を高鍋町美術館で行うことを条件に入れて貰った。

芸術家は画家・彫刻家に限らず幅広い分野で求めると言うこと。

ただこの地域おこし協力隊は都市部への人口集中緩和対策なので、隊員の条件は三大都市圏または三大都市圏以外の政令都市在住者に限られる。

一期の応募の締め切りは6月末を設定していると言うことだが、住民票を移さなければならないのでこれまでのあかりプロジェクトのように1,2週間の滞在ではないから、

作家の方にも対応を考える時間が必要であり、早急に正式な募集要項をまとめて応募を行わなければならない。

私もヨーロッパ周遊へ旅発つまで、これから3週間ほどしか高鍋町内に居ない。

バタバタしそうである。

☆今日はこのFUJITSUが朝からまったく画面が開かず、黒落ちしてしまったまま。

殆ど機能しなくなったので、夜になってわずかに機嫌が良くなって画面が開いたときに、このFUJITSUのドキュメントフォルダのデータを全て新しいレッツノートにコピーする。

☆だが、やはり何度試みてもホームページビルダーは新しいレッツノートにダウンロードできない。

したがって、ヨーロッパ周遊中の日記は、別な様式で記録しておいて、帰国してこのFUJITSUを修理点検してからのちの更新になる。


3月5日(火)

☆雨。

☆本格的な雨なので、今日はデスクワークに充てる。

☆午前に高鍋町役場にて、黒木町長と担当課職員との面談。

町長が就任当初から表明していたアートによる町づくりにつついての相談を受ける。

具体的な内容についてはこれから町長と担当課で青写真を描いてもらうので、今は何も書けない。

ただ担当課が実務で動いてくれるので実現の可能性は高い。

実現すれば面白いことに成るし、私もアドバイザー的な立場で忙しくなる。

☆今年の空港展の海外作家への案内文書の修正を済ませ、出品案内リストを作成し、ようやく午後に案内を送る。

折り返し、トルコのザナンから出品受諾の返事が届く。

☆午後は確定申告書の清書。

☆このホームページを作成しているホームページビルダーが、ヨーロッパ周遊へ持って行く新規購入の中古レッツノートに移行できない。

それで発売元のJUSTに問い合わせてみたら、実に丁寧な返事があった。

しかし私はすでに指示内容の通りに以前のレッツノートからダウンロードファイルを新規のレッツノートにコピーしているが、ダウンロードボタンを押しても

ダウンロードできない。

ダウンロード出来なければあたらしいホームページビルダーを新規購入しなければならない。

しかしこれ以上の出費は旅行費用の目減りになってしまうので不可能だ。

このままでは旅行中のこのHP日記は更新できない。

ネットで更新出来ずとも、このページの記述は出来るのではと思ったが、ダウンロードできないとこのページそのものがパソコンに出てこない。

これまでパソコンを替える度にホームページビルダーは移行できたのだが。

☆今夜は美味しい夕食の後、ハーモニカ練習も気持ち良くできたので何だかリラックスした気分だった。

それでパソコン操作も終えて、リビングの椅子で目を瞑っていると、網膜に次々に映像が現れて来る。

多分、夢を見ている状態だと同じだが、私は何も考えずいても網膜に次々に映像が現れて来て、それが楽しくてずっと目を閉じたままで居た。

妻には私がまたリビングで眠っていると思えたのだろう、はやく寝室に行くようにせかされたが、私は全く眠くも無く、起きたまま夢を見ていた。


3月4日(月)

☆晴れ。

日中は気温が上昇。

暖かい一日となった。

夕刻から天候は下り坂。

☆アンジェラスの森で作業。

昨日にヒルティーのコアビットが届いたので、今日は一気に心棒穴開け作業を済ませる予定だった。

しかしヒルティーの給水ポンプのパッキンが劣化していて、直ぐに外れて給水できない。

昼にホームセンターでパッキンを購入してみたが、ヒルティーのものとはパッキンの厚みが異なっていて、役に立たない。

しかたなく柄杓で給水しながら作業をする。

先日の高松の業者にロウ付けしてもらったコアビットはあっという間に10cm近くは穴あけ作業が進んだのだが、やはりヒルティーはビットの厚みがとても薄いので

なかなか作業が進まない。

そして10cmくらい穴あけ作業が進んだところで、まったく先に進まなくなってしまった。

点検すると、折れた石がコアの中に詰まってしまっていた。

この石がまたきっちりコアの中に詰まっていて、中々取れない。

散々な思いをして石を取り除いて作業を再開するが、しかしそれでも穴あけ作業が全然進まない。

砥石で研ぐ必要があるようだ。

この心棒の穴あけ作業に躓いて、もう一月近くになる。

モニュメント本体もそろそろ研磨作業に這入らないと間に合わないのだが、トラブルばかりで全く作業が進まない。

急激な赤信号である。

作業できるのは今週いっぱいしかない。

☆昼前にホームセンターへ行くために早めに帰宅したら、我が家はインターネットの光ケーブルの大工事中だった。

これまで契約していた宮崎ケーブルテレビからドコモに契約変更したのである。

立ち会いが欲しいと言うことだったので妻に立ち会ってもらっていたのだが、インターネットは宮崎ケーブルテレビのルーターに繋がったままだし、

新しくホームゲートウェイという箱モノまで設置されている。

宮崎ケーブルテレビとドコモの契約切り替えはどうなっているのか、工事担当者に尋ねると、業者は工事のみの担当なので、

契約内容についてはドコモで確認してくれという。

よくぞ早めに帰宅したものだ。

妻は立ち会っても何も解らなかった。

私が普通に正午過ぎに帰宅したら、工事は終わってしまっていてルーターが増えていて何がどうなっているのか混乱してしまっただろう。

☆それで夕刻は早めに帰宅して、ドコモに話を聞きに行く。

そうしたら、宮崎ケーブルテレビにはドコモから契約解除の手続きは済ませてあり、私のプロバイダーはOCNで宮崎ケーブルテレビもドコモもOCNと接続するだけなので、

宮崎ケーブルテレビのルーターはそのまま使っていて問題なく、新設したホームゲートウェイは新規契約のサービスなのだという。

つまり我が家には宮崎ケーブルテレビの光ケーブルとドコモの光ケーブル、宮崎ケーブルテレビのルーターとドコモのホームゲートウェイが設置され、

実に煩雑なことになってしまった。

☆今夜も夕食時に目が無性に痒っぽく眠くなってきた。

それで気付いた。

この目の辺りの痒みと眠気はやはり花粉症なのだ。


3月3日(日)

☆快晴。

今日も冷え込む。

陽射しが強いので、里山の景色は葉裏がきらきらとしてとても美しい。

アンジェラスの森へ通う毎日は心が洗われて幸福感を感じる。

☆一日、アンジェラスの森で作業。

今使っている100mm日立グラインダーは、半日も使わないのにカーボンが壊れてしまう。

それで他の金属用ディスクが取りつけてあるグラインダーに替えて対応。

また使えそうな日立のグラインダーも点検してみたら、長兄が石材店で使っていたかなり古い125mmの日立のグラインダーがあった。

スイッチを入れてみると動くのだが、直ぐに止まってしまう。

だがモーターの音は正常だし、スイッチ部分が接触不良だけのようだ。

もう完全にモーターが駄目になって使えない日立のグラインダーのスイッチと取り替えてみたら、全く正常に動いてくれた。

やはり125mmディスクには125ミリグラインダーを使った方がパワーが有る。

☆モニュメント本体下部のアール出し作業を進めるが、クタクタに疲れる。

原因は作業の位置が低すぎるのだ。

心棒穴のコアドリル作業が終わったら、モニュメントをかさ上げして作業しやすい環境にしなければならない。

何としてでも今週中には作業の目途をつけないと、来週からは版画二人展が始まり、すぐにヨーロッパ周遊へ旅立たなければならない。

☆もう体が限界状態で、今夜は夕食後はヘナヘナ状態で、ハーモニカの練習もパスして床に就く。


3月2日(土)

☆晴れ。

とても冷え込んで、久しぶりに耳が痛かった。

陽射しは強かったので、車の中は暑い。

☆アンジェラスの森で作業。

モニュメント本体下部の成形作業。

やはり今使っている110mm日立のグラインダーは相当古いものなので、直ぐにカーボンが壊れて仕舞う。

もう備蓄の日立のカーボンが無くなって来た。

125mmUFOディスクも消耗が激しいので、もう残りがわずかとなってしまった。

完成までにこれらのグラインダーとディスクが持ちこたえられるのだろうか。

☆今日はこのFUJITSUがまったく正常に動いてくれた。

朝に一度黒落ちしただけで、後はちらちらもせず、健全な状態を保ってくれた。

それで、朝一番にモニュメントのプレート原稿と、作品プレートの取り付けを依頼されている私のあかりオブジェのプレート原稿をイラストレーターで作成。

心棒のステンレス抜き棒と供に業者に発注できた。

昼には、版画二人展のキャプションの作業もこなす。

☆今日は妻の誕生日。

私の手料理でお祝いする。

妻のお気に入りの都萬牛のイチボステーキをいただいたが、最近は生わさびで食べるのが一番美味しい。

今夜は海苔で巻いたおにぎりも添えたが、この単純なおにぎりの美味しさに二人ともびっくりした。

結局、生わさびと海苔と白米という和テイストが最高に旨いということだ。

☆床に就いてしばらくして激しい揺れで目が醒めた。

寝入ったばかりの妻は全く気付かなかった。

延岡辺りを震源とする震度4の地震で、高鍋は震度2だったようだ。

春は地震が多い。


3月1日(金)

☆晴れ。

午後からは急激に冷え込んで来る。

ひな祭りの時期はおおむね最後の寒の戻りが有るので、これが正常である。

☆夜中にまた眠れなくなり、2時半に起きてパソコン作業をする。

ようやく中古レッツノートのOutlookに連絡帳をインポートする。

☆一日、アンジェラスの森で作業。

モニュメント本体を返して、底部を水平に据える。

先日ビットをロウ付けしてもらったコアドリルで心棒穴を開ける作業に取り掛かる。

水の給水は、壊れて使えなくなったと思っていたヒルティーの給水ポンプはパッキンが外れていただけだとわかり、水の問題は解決した。

ヒルティーのコアドリルは回転が早いので、できるだけ回転をゆっくりさせて使って欲しいと言う太田氏からのアドバイスであった。

それでスピードコントローラーで回転を遅くしようとしたら、全くドリルが動かない。

止む無くコントローラーを外して、できるだけそっとドリル作業を始めたら、なんと石面に接触した途端に取り付けた4個のビットのうちの2個が外れてしまった。

残る2個のビットで作業を続けたら、やはりビットの厚みが大きいのでびっくりするほどぐんぐん作業が進む。

しかし10cmほど進んだところで、残りのビットも外れてしまった。

どうしてこうも何もかもうまく行かないのだ、と絶望的な気持ちになる。

☆帰宅して、直ぐにヒルティーにコアビットを注文する。

これからプレートの発注や設置作業のクレーントラックのリース代など出費があるので、できるだけ無駄な出費は避けたいのだが、作業は進めなくてはならない。

☆午後からはモニュメント下部の成形作業に這入る。

やはり110mmの日立グラインダーはすぐにカーボンが壊れてしまうし、125mmUFOディスクもアッという間に消耗してしまう。

☆イラストレーターでモニュメントプレートの原稿を作成して発注しなければならない。

一応、下原稿は作成してあるのだが、これに文字のアウトライン化をしなければ発注できない。

だがイラストレーターの使えるこのFUJITSUは画面が直ぐに落ちて作業できない。(この日記は画面が落ちるわずかな隙間に書いている)

それでFUJITSUに買い換える前のレッツノートを起動して作業しようと思うが、その前に必要なソフトを外付けHDDにコピーしようとするが全くうまく行かない。

何もかもうまく行かない。

もう日本を出るまでに一月しかない。

私独りでは余りにも片づけることが多過ぎる。

☆朝一に、版画二人展のために発注していた妻の版画のマグネットが届く。

上りは上々。



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