Back to toppage このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。 過去の日記 2024 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2023 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2022 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2021 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 |
2025 | 2月28日(金) ☆イスタンブールには予定より20分ほどの遅れで到着。 私は窓際だったが、意外や窓際だと窓にクッションを当てて寝れるので、思った程の苦痛は無かった。 ☆イスタンブール空港での入国の手荷物検査で妻にトラブル。 手荷物検査が終わったら、搭乗券が見つからない。 どうやらブーツを脱いだ時に置き忘れてしまったらしい。 検査官にその旨を伝えると捜して持って来てくれた。 しかしその搭乗券には私の名前が記載してある。 だが私は自分のものを持っている。 昨夜のチェックインの時に、カウンターの担当者が打ち間違えたらしい。 ☆モンテネグロのポドゴリツア行きの搭乗口で、やはり妻は止められてしまった。 パスポートの名前と搭乗券の名前が違う場合は搭乗拒否される。 事情を説明して、妻の搭乗券の名前を妻の名前に書き換えて貰って無事に搭乗出来た。 ☆ポドゴリツアには8時15分に到着。 モンテネグロは初の訪問である。 山々が亀裂だらけの石灰岩で異様な風景である。 天候は曇り。 アドリア海に這入って、最初の訪問地・コトルへ。 コトルは断崖と城壁に守られた中世の海洋都市で、その旧市街を散策。 街の背後に迫る山並みと、その山上に延々と張り巡らされた城壁はなんとも迫力があった。 コトルを出て、糸杉の立ち並ぶ独特な風景に添って国境を抜け、クロアチアに這入る。 ☆今回の旅はこのアドリア海沿いの街々を訪ねる旅である。 クロアチアの最初の訪問地はドブロヴニク。 ドブロヴニクも中世の時代に、ヴェネティアと並ぶ海洋都市国家として栄えた街で、人々はこの町を「アドリア海の真珠」と讃えた。 あいにく小雨が降ってきたが、その趣のある旧市街の街並みをたっぷり散策する。 ☆今夜はドブロヴニクのホテルに泊まる。 2月27日(木) ☆晴れ。 次第に雲が出る。 とても暖かい一日。 ☆お昼に、高校時代の美術部の同窓・S君が訪ねて来る。 浅田君の個展を新聞記事で読んで、来てくれたということ。 多くの同窓生が浅田君の個展を見に来てくれる。 やはり彼の優しさに、みんな放っておけないのだろう。 ☆今夜から、妻とクロアチア・ベネチアの旅に出る。 まったく無収入無一文の身だが、旅行会社に申し込んだ時には、この時期は中国・恵安とバグダッドの報酬が這入っている予定だった。 しかしどちら入金は無いし、会期が延期になり完全無一文での海外旅行となってしまった。 それで私は税金も払えない状況なので、周囲には黙って出かける。 完全に妻の鞄持ちである。 したがって、旅のことはこの日記のみに報告して、フェイスブックには公表しない。 ☆午後2時前に車で高鍋を発ち、宮崎空港へ。 最近のJR日豊線は事故で運休が多く(昨日も南宮崎駅で車両火災があり、運休や遅延が起きた)、そして10日間くらいの駐車場料金はJR特急料金より安い。 それで今回は有料駐車場を利用した。 ☆15時55分発のANAで羽田へ向かう予定が、搭乗予定便の宮崎到着が遅れ、しかも羽田空港着は大幅に遅れてしまった。 トルコ航空のカウンターに着いた時には丁度チェックイン開始時間になってしまい、すでに長蛇の列。 したがって、通路側の席はすでに満席で、窓側しか席が取れなかった。 ☆21時45分発の予定が40分近く遅れる。 ただ中継空港のイスタンブールの到着時刻は定刻通りということである。 2月26日(水) ☆快晴。 暖かい一日。 街中の梅も一気に花開き、草花も芽吹いて、ほぼ春の一日であった。 ☆朝一に歯科医院。 今日はクリーニング作業だったが、虫歯の件を伝えると、他にもう1か所虫歯が見つかった。 昨年暮れにレントゲンを撮った時から、虫歯の縁が大きくなってしまったのでしょうと言う院長。 そんな馬鹿な。 3月に這入って治療してもらうことになった。 ☆夕刻から、高校同級生による浅田左都夫君の個展の打ち上げ。 やはり新聞記事等の反響が大きくて、かなりの方に観に来てもらえている。 浅田君の眼差しの”優しさ”が人々の心を捉えているようだ。 ☆Facebookを見ていたら、ある学者の方がAIで自分の名前を検索してみたら、あっという間にその人の長い長い経歴が表記され、しかも最近の活動にまで 詳しく記述されているのに本人がびっくりされ、AIの凄さに驚嘆されていたと言う記事があった。 それで私も試しに、Windows搭載のCopilotで”彫刻家・田中等”と入力してみた。 そうしたら、一瞬で私の紹介文が出た! ”田中等(たなかひとし)さんは、宮崎県高鍋町出身の世界的に有名な彫刻家です。彼の作品は、宮崎市役所前交差点のベンチに腰掛ける女性像や、宮崎空港、 日向グリーンパーク、高千穂など、宮崎県内外の多くの場所に展示されています。 田中さんは、宮崎県内のさまざまな場所で彫刻作品を制作しており、その中には高鍋駅前に設置された巨大モニュメント「ムーンダンス」も含まれます。 彼の作品は、石の魅力や温もり、形の美しさを感じさせるもので、多くの人々に愛されています。 田中等さんの彫刻工房の公式ウェブサイトもありますので、興味があればぜひご覧ください。 ” ☆ただしこのAIの情報は、ネット上で掲載された情報の集約に過ぎない。 元のネット情報が間違っていると、そのままである。 例えば高鍋駅前の”MOON DANCE”で調べてみると、”この作品は2トンの御影石で作られており・・・”となっており、何かの記事が実際の重量20トンを 誤記したままで編集されている。 文の構成もネット記事の切り貼りだから、2行目と3行目は重複した表現である。 AIとはそういうものだと割り切っておかないと、とんだ間違いを侵しかねない。 2月25日(火) ☆晴れ。 午前は冷え込んだが、陽射しが強く、風も無かったので、午後からは気温が上昇して暖かくなる。 ☆今日もデスクワーク。 午前に、昨日に引続いてパソコンの中の画像の多いフォルダを外付けHDDへ移す。 スマホの方は、あれだけ画像を削除したのに、まだ”空き容量が不足している”のメッセージが出る。 ☆ようや中国から返事があった。 ”少し前までは春節と年次休暇だったので仕事はしていませんでした。今日から仕事に就きました。 ボーナスに関しては、恵安彫刻芸術創意園区から、まだ政府の手続き中であるとの返答がありました。 何かニュースがあれば、できるだけ早くお知らせします。お待ちください。” 中国的と言えばいいのか・・・。 完全にお手上げである。 2月24日(振休・月) ☆快晴。 非常に冷え込んだいちにち。 ☆今日は外出をせず、一日スマホで撮り溜めた画像を整理する作業。 昨年のヨーロッパ旅行の写真は全部パソコンにコピーしてあるが、知人たちと旅行の話をすると殆どが食事の話である。 それで画像をチェックして食事の画像だけを残して、後は削除する。 しかし枚数がとても多いので、削除するのにとても時間がかかる。 また昨年秋の中国・恵安の画像も夥しい画像である。 こちらも一応はパソコンにコピーしてあるのだが、念のために上書き保存しながらスマホから削除していく。 他の画像も多くはパソコンにコピー保存してあるが、こちらも上書き保存して確認して削除して行かないと、スマホにしか保存していない画像もある。 一方のパソコンも容量がパンパンで、先日からデータを外付けHDDに移さないとデータが保存できなくなっている。 それで併行して、パソコンに移動した画像をさらに外付けHDDに移動しなければならない。 これらの作業がなかなか大変でまるまる一日を要しても、まだまだ画像が沢山残っている。 画像の移動、削除に相当な時間がかかり、やっているうちにパソコンの処理能力がかなり落ちてしまう。 パソコンを再起動したりしてパソコンの負担を軽減しなければならない。 しかし、夕刻にはとうとうパソコンがデータの受け入れを拒み始めてしまった。 以前にもスマホの画像をパソコンに移動できなくなって、画像が消えてしまったりしたことがあった。 2月23日(祝・日) ☆快晴。 今日は冷え込んだ。 午後からは風が出て、さらに冷え込む。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 陽射しは強いが、空気が冷たくて、今日は底冷えした。 しかし冬枯れの野山はとてもすっきりとした佇まいで美しい。 あちこちで梅が開き始めている。 ☆夕刻に帰宅したら、体が冷えすぎてしばらくは身震いが止まらず。 寒い! 2月22日(土) ☆快晴。 午前のうちは風があって冷え込む。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 午前は墨入れ作業。 午後からカッティング作業。 久しぶりに大理石で真っ白にまみれる。 ☆作業をしながらラジオを聴いていたら、パーソナリティーが「今日は2月最後の土曜日です」と言うのにびっくり。 えっ、来週の土曜日はもう3月! 2月21日(金) ☆午前はどんよりと薄雲がかかって冷え込んだ。 午後からは一気に青空となり、暖かくなる。 ☆午後からは久しぶりにアンジェラスの森へ上がる。 そろそろ彫刻家に戻らなければならない。 久しぶりのアンジェラスの森は冬枯れで、とても清々しかった。 それに午後からは暖かくなって来たので、寒さも感じなかった。 リフトのスイッチを入れてみたが、バッテリは作動するが、やはりエンジンはかからない。 当分はリフトを使うような仕事も無い。 これから制作する小作品の石を捜す。 石の小片を積んである倉庫を開けると、先日の地震で石積みが崩れていた。 丁度好い大きさの石があったので、作業場に運ぶ。 作業は明日から。 ☆夕刻から、中町公民館の庚申講。 まず火産霊神社境内の庚申塚に参拝し、講宿のお宅で神事を行う。 今年の講宿は”さとうファーム”の佐藤さん。 今回が初めての講宿担当となった。 中町庚申講の神事は、私の制作した庚申碑にお神酒を注ぎ、そのお神酒を大盃で廻し呑みをして、3種のお供えを食する。 それから2次会へ繰り出して、楽しい宴会となる。 中町公民館は、近年はあいつで年長者が亡くなり、また子供たちの世代が所帯を持って参加して来るようになったので、従来のような輪番制が ややこしくなって来た。 それで今夜の宴会場で、来年からの講宿当番の順路を決めて、庚申講のライングループを作って資料を共有することにした。 若い世代が積極的に動いてくれたので、継続の可能性がはっきりしてきた。 私の次の講宿当番は9年後の令和16年。 果たしてそれまで私は存命しているのか。 2月20日(木) ☆快晴。 空気は冷たいが、陽射しが強く風も無い穏やかな一日。 ☆やはりこのホームページのサイトの更新転送が出来ない。 ページの転送ならできるので、ページごとに更新する。 ☆午後に高鍋町美術館にて、令和6年度第2回高鍋町美術館協議会。 令和7年度の事業計画案について、協議会会長の私の進行で協議を進める。 令和7年度の特別展は行橋市の増田美術館のコレクション展である。 私と高鍋町商店街とは”あかりプロジェクト”で繋がっている行橋市であるし、黒木町長も2018年の行橋市でのアートフォーラムで”あかりプロジェクト”について 講演されている。 行橋市は文化のレベルの非常に高い街である。 こういう形で高鍋町美術館と繋がってくれるのは嬉しい。 また今年度の作品寄贈について、私の大学後輩の画家・河野富夫君の作品が全会一致で承認された。 2月19日(水) ☆快晴。 陽射しは強いが、空気は冷たい。 ☆午前はデスクワーク。 このホームページの転送が出来なくなって四苦八苦。 ホームページビルダーは時々こういうことが起きる。 転送設定の確認でエンターを押したら、元に戻った。 ☆バクダッドから何も言って来ないので、延期後のスケジュール詳細についてオルガナイザーに問いあわせメールを送る。 中国・恵安の事務局からは返答無し。 ☆午後から妻のボーカルレッスン。 今日から私もジョイントする。 昼前から新曲をユーチューブでダウンロードして、耳を曲に慣らす。 2月18日(火) ☆晴れ。 日中は暖かったが、夕刻からは冷え込んで来る。 ☆午前に、韓国・大邱の交流展参加作家宛に、昨日の李さんからの連絡事項を整理して送る。 ほとんどの方は大邱まで行かれるようだ。 私はバグダッドが延期になったので行けなくなったが、バグダッドもその後は何もスケジュール等の連絡が無い。 ☆午後は高鍋町役場で打ち合わせ会合。 ☆今日になっても中国からは入金の気配はない。 中国から振込手続きの書類が届いて折り返し返送したのは12月6日である。 もう2カ月をとっくに過ぎた。 しかもシンポジウムが終ったのは10月12日である。 2月17日(月) ☆晴れ。 暖かい春の陽気。 ☆版画の刷りの続き。 そして午後に金箔を貼ってみる。 版画個展開催中に顔を出してくれた作家のなかに、琳派のような金箔画を描く作家や、作品に金箔を貼って制作することのある作家が居て、それぞれに 金箔をうまく貼り付ける方法を教えてくれた。 記憶の鮮明ないまのうちに、彼らのアドバイスを試してみたかった。 それで今回は金箔を貼る部分にマスキングの型紙を置いてスプレー糊をスプレーし、静電気を帯びさせたプラスチックの板で金箔を吸い寄せて貼ってみた。 そうしたら、今回は全部上手く貼れた。 前回に金箔を貼った時に破れたのは、糊を置いた上に金箔を貼ったので、下地が柔らかすぎたのだとわかった。 金箔を貼る作品が楽しくなって来た。 色々試してみたい。 ☆今日から確定申告が始まったので、今回はスマホによるe-taxで申請しようと思った。 しかしスマホにマイナポータルをダウンロードして、マイナカードの読み取りは出来たが、暗証番号を入力しても再びマイナカードの読み取りに戻る。 いくらやっても同じ工程を繰り返すばかりで、全く先に進まない。 端で見ていた妻が、紙で提出した方が早いよと言うので、結局は何時ものように紙に清書をして、夕刻に税務署の投函箱に投函する。 ☆”石井十次の会”からの「ゆうあい通信」月報が届いたが、その中に”せいごろう亭”での「浅田左都夫の世界」展の案内も同封してあった。 これで少しでも浅田君の個展への来訪者が増えると嬉しい。 ☆韓国・大邱の李さんから交流展についての次の連絡が全く来ないので、必要な質問事項をまとめてメールする。 夕刻に折り返しの返事が届いた。 韓国の政治的混乱の影響が有るかと案じていたが、展覧会に関しては全く影響はないようだ。 2月16日(日) ☆雨。 雨は午後には上がる。 暖かい一日。 ☆新作の版画の版木を替えて、版木の作業をする。 しかし1枚は薄いシナベニヤで、直ぐに穴が開いてしまった。 ☆午後から手漉き和紙を用意して、刷りに這入る。 やはり薄いシナベニヤは輪郭の彫りが浅いので、絵の具の溜まりができてしまった。 夕食までに2色刷る。 ☆今夜から再びハーモニカの練習開始。 2月15日(土) ☆雲が多いものの、概ね晴天。 気温は高めで、冷え込みはなし。 ☆空港展の海外作家への出品案内データをまとめる。 今年から海外作家担当は山田に移行するので、先日は昨年の分のデータを渡してあったが、会期が決まったので出品案内を整理して山田へ送る。 ところが山田はパソコンでのメールのやり取りは得意ではないらしく、携帯で海外作家とのやり取りをしたいと言う。 確かに、山田はパソコンでメール連絡をしても反応が無いことが多く、通常は専らスマホしか操作しないようだ。 私の妻もパソコンのメールはアドレスも持っていない。 ただ私はスマホのメールで画像や書類のやり取りをしたことが無いので、果たしてスマホでそういうやり取りが出来るのだろうかと驚くが、私が出来ないだけの ことなのだろう。 連絡はすべて英文だが、それも今の若い世代には何の問題も無いのだろう。 ☆午後は昨日から始めた新しい版画の版木作業。 しかし残っていたシナベニヤが粗悪な板しか残っていなくてとても彫りにくい。 彫りの作業も進まないし、輪郭が深く彫れないので、これでは刷った時に絵の具が溜まりが出来て綺麗に刷れない。 それで作業を止めて、水張りに使っていた版木を水張りテープを除去して使うことにした。 2月14日(金) ☆快晴。 暖かい一日。 ☆版画個展の収支計算をする。 必要経費を差し引いても、なんとか個展開催目的の高額過ぎる後期高齢者医療保険の1期分の支払いに、収益を廻すことが出来た。 ☆一方、今日は今年初めての年金支給日。 しかし高額な介護保険料と2期目以降の後期高齢者医療保険料が差し引かれて、入金は微々たるものである。 それでこの先2カ月は再び無収入なので、今日のうちに3月末と4月初めのグループ展の出品料を振込む。 ついでに出品データもまとめて事務局に送る。 ☆午後は高鍋町美術館での打合せ会合。 ☆夕刻から版画の新作に這入る。 今のうちに金箔張りの作品をもう少し試しておきたい。 ☆今年の空港展の会期案内が事務局から届いた。 昨年同様、6月半ばからの開催になる見込み。 海外作家への案内は今年から山田の担当になるが、最初の案内手順についてはまだ資料が纏まっていなかったので、明日にでもきちんと整理したい。 2月13日(木) ☆夜間の冷え込みが無かったので、暖かい朝。 日中は殆ど曇天に近い雲の多い天候。 ☆午前は版画個展の片付け。 ☆午後は確定申告の申告書の下書き。 いつもの経費オーバーのマイナス収支。 2月12日(水) ☆雨。 ☆午前に”せいごろう亭”で開催中の”浅田左都夫の世界”展へ。 実は私が高鍋駅前の”MOON DANCE”の制作を始めて間もなく、制作会場を訪れたばかりの級友・柳君が、その直後に脳梗塞で倒れた。 柳君にはアンジェラスの森のプレハブを制作会場に移動する際に、電気工事をやってもらっていて、その工事費用の請求も届かないうちのアクシデントだった。 幸い命は取り留め、徐々にリハビリで回復に向かっていたが、相手が誰だか認識出来るようになると、彼を見舞いに友人たちが訪れた後は手がつけられない程に 暴れるので、奥さんからは見舞いに来ないで欲しいと言われていた。 それで私たちは、気になりながらも柳君に会うことは控えていた。 ☆今回の浅田君の個展開催を同級生たちに案内する封筒を準備している時に、柳君にも案内するべきか迷った。 しかし妻が、案内してあげた方が喜ぶよと言うので、とりあえず案内を送った。 だが、柳君の今の状況が全く掴めていないので、案内を送った後も私の思いは複雑なままだった。 ☆ところが、案内を見た柳君がどうしても行きたいと言うので、今日の11時に連れて行きますという奥さんからの連絡が入った。 それで私は都合の付きそうな同級生・同窓生に連絡を取って集まってもらった。 今日は朝から雨だったので心配したが、本人の強い希望で雨の中を向かいますという奥さんからの返事であった。 ☆”せいごろう亭”に着いた柳君は、なんと駐車した車から歩いて向かって来た。 今の彼の回復状況を私たちはまったく知らなかったので、大変な驚きであった。 そして言葉での会話は出来ないものの、やり取りはまったくいつもと変らなかった。 ☆彼の様子を案じながらも見舞いに行くことが出来なかった同級生・同窓生たちは、彼のリハビリによる回復の姿を目のあたりにすることが出来て安心した。 柳君の奥さんの話では、まだ親族たちにも柳君は会いたくないので、見舞いを断っていると言う。 そういう柳君が、浅田君の個展を機会に私たちに会いに来てくれた。 さらに浅田君に電話を入れると、暖かな丸みのある明るい声が返ってきたので、同級生たちにスマホを廻して浅田君と話を交わしてもらった。 浅田君の声は明るいが、やはり高鍋まで来ることは無理のようだった。 今日は元気な柳君の姿を目にすることができ、浅田君とも電話で会話することができて、同級生・同窓生たちは奇蹟のひと時を感じたことだろう。 ☆石井記念友愛社理事長の児嶋君の提案で、”せいごろう亭”に隣接する機織り工房で柳君にリハビリを進めてもらうことになった。 柳君は右手脚は麻痺のままだが、左手脚はまったく正常に動く。 正常な機能の残っている左手だけで得意なギターを弾く事が出来ると言うことである。 ☆午後は確定申告の経費出しの作業。 昨年はあまり仕事をしていないので、たいした経費も嵩んでいない。 2月11日(祝・火) ☆快晴。 今日は暖かく、先日まで雪化粧していた西都の山並みは春霞に蔽われて、すっかり春の気配だった。 ☆”ひむか村の宝箱”版画個展最終日。 今日は祝日で春のような陽気だったので、平和台公園は大勢の人で賑わい、駐車場は満杯だった。 妻も搬出の手伝いに来てくれたが、車が留められずに往生していた。 ☆午後に宮崎大学の後輩で画家の河野富夫君が来てくれた。 彼と話している時に、先日にフライヤーを届けに来た時にばったり遭った宮崎大学時代の絵画サークル仲間の女性が来てくれた。 河野君も同じサークルだったので、期せずして偶然の53年ぶりの再会の場となった。 彼女も今でも絵を描いていて、私と河野君の動向は新聞等でよく知っていてくれた。 ☆午後3時より搬出作業。 今日も版画が1点売れた。 午前に顔を出してくれた写真家のN氏は、私と妻の二人展には必ず来ていただくが、私の版画作品の展示にはこの”ひむか村の宝箱”が最も適していると 評価してくれた。 この”ひむか村の宝箱”には、DMで案内した人たちはほんの数名しか来てくれなかったが、しかし一般のギャラリーには顔を見せない多様な方たちがお出でになり、 とても有益な個展会場であった。 私自身も、版画を制作し始めての殆どの版画作品を展示して客観的に見ることが出来て、嬉しかった。 作家にとっての最高のファンは作家自身である。 私は私の版画作品が大好きである。 収穫のある版画個展だった。 2月10日(月) ☆晴れ。 朝のうちは冷え込んだが、日中は風も無く陽射しが強くて、穏やかな気候となった。 ☆今日は”ひむか村の宝箱”は休業日。 午前に”せいごろう亭”の”浅田左都夫の世界”へ顔を出す。 芳名録を見ると、宮崎市内からも来られていて、新聞記事の反響の大きさを知る。 浅田君のお姉さんの名前もあった。 私たち発起人3人のメッセージを読み返してみると、3人ともとても好い文章を書いている。 児嶋君は長年に渡り”友愛社通信”で内容の濃い名文を毎月綴って来た文章家であり、安井君は美術史家として本を書くのが専門の文筆家である。 ☆やはりこの3人のメッセージを、会場のパネルで読んでもらうだけではなく、来場者にコピーを持って帰ってもらいたい。 それで午後にコピーしたメッセージを”せいごろう亭”の会場へ持って行くと、西都市から来られたご夫妻と高鍋町内のご婦人が見に来ておられた。 ”せいごろう亭”のスタッフも茶菓子を出してくれていて、来場された方たちの反応もお話していただいた。 ☆午後は確定申告の準備をする。 昨年の収入額を出して見たら、前年度の6分の1の収入だった。 これでは食べて行けません。 ☆夕刻に教え子たちからラインで画像が届いた。 宮崎市役所の道向かい角に設置されている私の制作したブロンズ像・”陽だまり”に、赤い防寒帽子が被せてある。 昨年にも同じように帽子が被せてあって、ニュースにもなったそうだ。 近所の心ある方が、ブロンズ像が寒そうに見えて被せられたらしい。 コロナのころにはマスクが掛けられていたし、同じく妻がモデルの宮交シティー角の”南光”像には、卒業シーズンには花束が添えられる。 私の作品が宮崎市民に親しまれているようで、とても嬉しい。 2月9日(日) ☆快晴。 今朝も冷え込んで、西都の奥の山並みは雪国並の白銀の姿だった。 しかし日中は風もなく、昨日までの冷え込みも和らいだ。 ☆”ひむか村の宝箱”版画個展8日目。 先週の日曜日もそうだったが、日曜日は平日よりも平和台公園を訪れる方が少ない。 日曜日になると商業施設に行かれたり、遠出される方たちが多くなるのだろう。 ☆午前は、巨人軍キャンプに来られた埼玉川口市のご夫妻と、SETSUバンドの仲間のミュージシャンのみ。 妻のヴォーカルレッスン講師の片貝さんから、”ヒトシさんの版画の個展は初めてですよね”と言われて、ハッとなった。 そう言えば、これだけの数の私だけの版画作品を並べたのは初めてであった。 ”確かに私だけの版画を並べると、私の世界がはっきりと認知できますね” ”そうですよ、もっとヒトシさんの個展をやってくださいよ” ☆午後は閑古鳥が鳴いて、日当たりの良い席で本を読んでいたら、眠くて眠くて本を閉じて、ボーッと過ごす。 ようやくイラストレーションの勉強をしていると言う宝箱の常連さんが見えられ、色んな価値観が同じだったので、午後はずっと彼女とお喋りをしていた。 ☆夕刻になって、高鍋町美術館の青井学芸員が来訪。 青井さんも、私だけの版画作品をこれだけ一堂に展示したものを、じっくり見られたのは初めてである。 昨年の今の時期に慌てて集中的に制作したボール紙エッチングは、初めて目にされて、強い印象を受けられたようだ。 ☆そこへ日南市の石仏作家の橋口弘道さんが来られた。 昨年の空港展の時に橋口さんが来られ、来年から私も参加させて欲しいと言う申し出があったのだが、現代彫刻展なので石仏は参加できませんが現代的な 作品ならばとお答えしていた。 橋口さんは東京芸大の彫刻科を出られた大先輩だが、世代的に全共闘世代・ヒッピー世代の方であり、私よりずっと前にインドの日本山妙法寺で修業されている。 それで私はインド放浪中に橋口さんのことは耳にしていた。 だが石仏を彫っている橋口さんには殆ど関心が無かったので、私は彼とは面識が無いと思っていた。 ところが昔の日記を読み返していたら、実は私が中学校の非常勤講師時代に住んでいた延岡市の我が家に泊まりに来られたこともあったし、宮崎市内の ヒッピーたちの拠点であった場所でも酒を酌み交わしていることがわかった。 ただ、橋口さんはもう80歳を超えておられるし、今の空港展で直面している宮崎在住の作家たちによる会場受付当番に通ってもらえるのか不安だった。 しかし今日の橋口さんの出で立ちは、私たち世代よりもはるかに健壮であったし、本人にお伺いしても全然問題ないということであった。 ☆今日は来訪者は少なかったが、密度の濃い一日となった。 おかげで版画作品が1点、「月の雫」が1点、妻の詩画集が1点売れた。 2月8日(土) ☆晴れ。 冷え込んだ一日。 さすがに今朝は、西都の山並みはうっすらと雪化粧していた。 ☆”ひむか村の宝箱”版画個展7日目。 冷え込んだ一日だったが、土曜日なので賑わった。 所用で宮崎に出て来た妻も、用件を済ませてギャラリーに滞在してくれた。 ☆午前に高鍋高校OB美術会のNさん来訪。 彼女は必ず毎回顔を出して下さる。 ☆午後になって、「宮崎この人」でお世話になり、急逝された南邦和さんと懇意にされていた森川さんご夫妻、妻の元同僚のSさん、そして幼稚園からずっと一緒の 同窓生のO君が相次いで来訪。 ☆そこへ私の版画を買っていただいて、都城市から受け取りに来られた方が、彼女の友人の皆さん方とお出でになり、ギャラリーは溢れる笑顔で埋まった。 ギャラリーからも美味しいチャイを出していただいて、楽しいひと時であった。 ☆結果的に、私の版画小作品が1点、妻の詩画集が6冊売れた。 2月7日(金) ☆朝のうちは晴れ。 とても冷え込んだが、山並みには雪は見えず。 昼前から雲が出て、小雨交じりの天候となる。 ☆”ひむか村の宝箱”版画個展6日目。 今日は午後から先約のカタカムナ勉強会が這入っていて、ギャラリーを勉強会で使用されるので、私の版画展は午前のみの展示となった。 したがって、今日は友人の画家・水元博子さんと、私と同時に宮崎県文化賞を受賞された岡林稔先生が来られたのみ。 ☆私が独身時代、佐土原町の陶工房に勤めていた時、廻りでは作家同士の誹謗中傷が飛び交っていて、イヤでイヤでたまらなかった。 どうして作家同士で非難しあうのか私には全く理解できなかった。 そして佐土原町を引き揚げて高鍋町に帰って来ると、そういう痴話げんかの類が耳に這入らなくなって、ホッとしたものである。 私は高鍋町で独りで活動していても全国の作家と繋がっているし、世界中の作家と繋がっていて、誰にも批判されたり邪魔されたりせずに制作活動ができる。 勿論、私は嫌われ者であることは重々承知しているが、とりたてて私が何か憎まれるようなことは一切やっていないので、私への悪口は何も気にならない。 この世の中、何かをやれば必ず誰か非難する人が出て来ると言うのが定めなので、そういう非難は気にしないと言うのが75年生きて来た私の価値観である。 だがこの”ひむか村の宝箱”に居ると、色んな作家がやって来て、かつての作家同士の悪口が耳に這入って来るようになった。 相変わらず、厭な世界だ。 ☆午後は、妻が4月からこども絵画教室を開く予定なので、その体験教室募集のフライヤーを作成する。 ☆最近、ギャラリーからの帰路、車の運転中に眠くて叶わない。 今日は高鍋に這入っての農道で、ふっと気が付いたら目の前に電柱が立って居た。 間一髪で激突を避けることが出来たが、暮れにも電柱をこすってしまっているので、要注意! 2月6日(木) ☆晴れ。 冷え込んだ一日。 昨夜の雪雲が山並みを白くしているかと思ったが、西都の奥の山肌に微かに雪らしいものが感じられただけであった。 ☆”ひむか村の宝箱”版画個展5日目。 ☆東京在住の知人の方にラインで近況を知らせていたら、宮崎市内にお住まいの彼女の同級生へ案内されて、その方が来ていただいた。 実は私が佐土原町の陶工房に勤めていた時に、彼女ら(私より3学年先輩)は2人で工房を訪れて、私の制作した陶製品を買われたことがあるのだそうだ。 ☆午後には宮崎彫刻グループの山田が来てくれて、今年の空港展から海外作家対応を彼に引き継いでもらうので、その打ち合わせをする。 山田とも語ったことだが、今年から若手に運営の主力を移行すると言ったところで、先日も気付いたようにその若手が殆どいないのである。 私も奥村もこれまでのようには動けなくなって来たし、山田の年代になると親の介護等で身動きできなくなってきている。 やはりあと5年も運営が続けられるのか? それが実情ということなのだ。 ☆さらに高鍋からは長兄と三兄夫妻が来てくれて、午後は賑わった。 ☆おかげで版画の小品が2点、妻の詩画集が2冊、そして缶バッジが売れた。 ☆浅田君の個展案内で今日も同級生からメールの返事が届いたが、彼女も最近まで病気で入院していて、いまはリハビリ中でとても出かけることが出来ない、 ということであった。 殆どの同級生が同じ情況だ。 どこも悪くないのは私と石井記念友愛社理事長の児嶋君くらいになってしまった。 今も支障なく制作活動が続けられるのは、とても幸せなことだと思う。 2月5日(水) ☆晴れ。 午後からは一気に雪雲が出て、雪となる。 しんしんと冷え込む。 ☆今朝の宮崎日日新聞の地方版に、「浅田左都夫の世界」展の大きな記事。 本人への電話取材の記事も織り込んであって、とても良い内容だった。 同級生たちにも昨日の裡に私からの案内が届いているし、今朝の新聞掲載もあって、電話やラインでの反応が相次いだ。 ☆”ひむか村の宝箱”版画個展4日目。 ”ひむか村の宝箱”は自然食品のお店なので、色んな方が来られる。 一般のギャラリーには来られない方たちが顔を出される。 昨年の妻の個展の時には反ワクチンなどのチラシが目に付き、今の私には近づきたくない雰囲気であった。 しかし慣れて来ると、ギャラリーでは会うことの無い方々が来られて、とても面白いと感じるようになった。 ☆午前は誰もギャラリーには顔を出されなかったが、午後からはギャラリーへの来訪者が絶えなかった。 雪の降り始めた中に、近くの病院へ癌治療で通っている高校同級生が夫妻で顔を出してくれたのに始まって、奥さんが宮崎出身という縁で宮崎へ移住されて 来られた絵本作家の安藤俊彦夫妻が来られた。 安東夫妻とは同じ芸術畑の仲間として話が弾んだ。 ☆さらに、いまや映画監督としての活躍が全面的になった画家の小松孝英君が顔を出してくれた。 私は彼とは一度も直接的に会ったこともなく、話したことも無く、印象的に小生意気な作家だと思っていた。 ところが「田中先生、お久しぶりです」と挨拶してきた小松君はとても好青年であった。 私は初対面だと思っていたのだが、実は過去に何度か会っているのだそうだ。 そしてお母さんが高鍋高校の私の後輩で、小松君は高鍋で生まれ、駅前の”MOON DANCE”の建っているロータリーや蚊口浜が幼いころの遊び場だったと言う。 それで同じ高鍋出身ということで、はからずも私に対して親しみを感じていたのだと言う。 思いがけない好印象の”出遭い”となって嬉しかった。 ☆夕刻には宮崎「心の花」短歌会の福原さんがお見えになった。 今年も宮崎日日新聞の「みやざき うたの窓」、に「月の雫」から何首かを紹介していただくということであった。 ☆昨夜も再発した片頭痛は、鼻づまりの薬を呑んだら、ぐっすりと眠れた。 今朝も鼻水と片頭痛は残っていたが、やはり鼻づまりの薬を呑んで宮崎へ向かったら、雪の降る冷え込みにも関わらず、ほとんど鼻水も出なくて落ち着いてくれた。 2月4日(火) ☆晴れ。 寒風の吹き荒れる底冷えの一日。 巨人のキャンプが始まると、宮崎は一番の寒気が訪れる。 ☆”ひむか村の宝箱”版画小作品展の3日目。 昨夕に刷りあがったばかりの新作版画を加えて、会場展示のレイアウトを少し変更。 今日はお隣のレストランが休業日だったので、平和台公園の人の出は閑散賭していたが、ギャラりーには一日来客が絶えなかった。 ☆夕刻にNPO法人・宮崎自然塾の足立泰二先生(宮崎大学・大阪府立大学名誉教授 蕎麦の世界的権威)と、杉本サクヨさん(宮崎国際ボランティアセンター代表) がお見えになった。 杉本さんはインドに30年滞在されていて、インドとの関わりは50年近くになると言う方で、昨年に新聞記事を読んで、宮崎にこんな方がおられるのかと 驚いたことがある。 ところが杉本さんがインドに滞在することになったのは、妻の親戚で、宮崎県庁で初の女性部長となった上原道子さんのおかげなのだと言う。 インド滞在の申請をした時の担当が道子姉さん(妻たちはそう呼ぶ)だったからこそ、女性が単身でインドに滞在する事業申請を許可していただけたと言われる。 また足立教授は、なぜか私の高鍋駅前”MOON DANCE”のマグネットを持っておられると言う。 お二人とも初対面だったが、インドの話など共通の話題で楽しく会話をすることができた。 宮崎自然塾では宮崎県立図書館で定期的に講演会を開催されていると言うことで、今日のご縁で私も講演の機会を与えていただけそうである。 ☆今日は私の「月の雫」が3冊売れて、第2刷の在庫分が無くなって来た。 妻の詩画集も売れたし、私の高鍋駅前”MOON DANCE”の満月がバックのマグネットがよく売れて、ギャラリーに持ってきた分の底が尽いた。 ☆昨夜の片頭痛は頭が割れそうで、ほとんど眠れなかった。 夜中に起きてEVEを呑んだが、まったく効き目がなかった。 だが朝に妻の勧めで鼻づまりの薬を呑んだら、気が付いたら鼻水と頭痛が治まっていた。 それでギャラリーに居る間は落ち着いていたのだが、夕刻に再び酷い鼻水状態になったら、再び片頭痛に襲われた。 副鼻炎なのだろうか。 2月3日(月) ☆晴れ。 雲が多く、すっきりとはしない天候。 ☆今日は平和台公園の”ひむか村の宝箱”は店休日。 ☆午前は今日が初日の、”せいごろう亭”での浅田君の個展会場へ。 会場構成を少し変更して、整える。 まだ何処にも案内が行っていないので、今日のところは個展会場としての表構えのみ。 日本家屋の古民家での展覧会は全国的にブームだが、この”せいごろう亭”での会場も色んな方に使ってもらえるきっかけになるといい。 石井記念友愛社の児嶋理事長の願いでもある。 ただ今回の浅田君のための個展は、浅田君本人の病状悪化で、本人が宮崎市から出て来て直接に観ることは叶わなくなった。 ☆浅田君の個展会場は児嶋理事長たちに任せて、私は午後から個展のための新作版画の作業に没頭する。 先日に版木を彫り終えた2作目の刷り作業。 今回も金箔を使った。 どうせうまく貼れないのならと、金箔を意識的に破ったり、スクラッチして下地の色を出す。 夕刻までには刷りあがった。 版木の彫りも刷りの作業も、こんなに短時間で出来たのは初めてのことである。 ☆夕刻からひどい鼻水。 そして夕食時から左の頭部に激しい片頭痛。 今日はピザが美味しく焼けて、ワインも美味しかったので、隣で妻が”おいしい、おいしい”と感激しているが、私は片頭痛がひどくてそれどころではなかった。 2月2日(日) ☆曇り。 天気予報では晴れマークだったが、一日、陽は射さず。 ☆版画個展2日目。 午前に、昨年9月に34年間の長きにわたって制作活動を続けて来られたポルトガルから帰国された、画家の武本夫妻がみえられた。 ご主人の武本比登志さんは、度々、宮崎空港のギャラリーで個展をされていた。 それで実はもう30年ほど前に宮崎空港の近くに家を購入されていて、作品の保管庫として使われていたのだという。 その場所が、昨年夏に竜巻の発生した地域で、武本さんの家は鉄筋コンクリートなので幸いにも窓に数枚亀裂が入っただけで、作品は無事だったということ。 しかし廻りの家はすでに更地になってしまった家や、いまだに足場やブルーシートで蔽われた家ばかりなのだという。 ☆武本さんには妻の詩画集を賞賛していただいた。 ☆今日は日曜日なので多くの来客を期待したが、午後からは駐車場も空きが目だって、暇だった。 ☆作品は売れなかったが、「月の雫」、妻の詩画集、マグネットが売れた。 2月1日(土) ☆雨。 久しぶりの本格的な大雨。 日中は傘をさしてもずぶ濡れになるほどの激しい雨だった。 ☆平和台公園”ひむか村の宝箱”での版画個展の初日。 あいにくの激しい雨だったのでほとんど人出はないのではと懸念していたが、お隣のオーガニックレストラン”SIZEN”は朝食時から大賑わいで、宝箱もそれなりの 来客があった。 結果的に、最初に展示レイアウトの修正を済ませた後にお昼前から来客の対応が始まり、とうとう閉店までお客と喋り続けてお昼を摂る時間も無かった。 私に会いに来たという作家志望の若い作家以外は、宝箱に来られたお客で、店長に案内されてギャラリーを覗かれた方たちばかりであった。 絵の展覧会など足を運んだことも無く、まして彫刻など触れたことも無い方たちばかりで、一般のギャラリーでは在り得ない客層である。 それだから作家と話すのは初めての方ばかりで、とても興味を持ってもらえた。 ☆おかげで、初日にして新作の出来立てほやほやの版画、「月の雫」、そしてマグネットを買っていただいた。 やはり作家がギャラリーに居てお客と対話することは大切だと感じた。 上出来の個展初日であった。 ☆一方で先日から頭を悩ませていた幾つかの雑事が、ようやく今日になって解決した。 A君の個展会場も、今日はキャプションを取りつけたりと残りの作業も片付いたようだ。 なんだか怒涛の1月に次々にやって来た難題が、2月に這入って一気に解決した。 残るは無収入状態がどうなるか。 ☆A君の個展のフライヤーが届いていたので、準備していた同級生たちあての封書にて送る。 A君にもレターパックでフライヤーを多めに送る。 1月31日(金) ☆晴れ。 陽射しが強く、暖かい一日。 ☆午前は9時から、A君の個展会場展示作業。 会場の石井記念友愛社”せいごろう亭”は国の登録有形文化財指定建造物なので、通常の展示空間は無い。 旧家の和室での展示なので、障子の桟に作品を掛けて行く展示になる。 結果的にはなかなか面白い展示空間になった。 ☆展示作業が一段落して、宮崎日日新聞高鍋支局の取材。 ☆午後から妻と宮崎市の平和台公園へ走って、”ひむか村の宝箱”での私の版画展の搬入展示作業。 妻の車に版画を積み、私の軽トラに彫刻を積んで2台の車で出かける。 ”ひむか村の宝箱”は昨年秋の妻の個展会場で使わせてもらっているので、要領は分かっている。 展示構成は、妻に配色のバランスを任せて、ギャラリーの閉まる時刻前には展示作業は終了した。 版画42点、彫刻3点の計45点の展示。 今回の版画展は無収入の私の救済のための緊急開催なので、買っていただいた方には持ち帰っていただいて、作品は補充展示出来るように多めに 作品を搬入している。 ☆展示作業の途中に、妻の版画を買っていただいた方がたまたまお店に見えられ、私の小さな作品を買ってもらった。 ”作品から元気がもらえる”と言われて、喜んで持ち帰られた。 なんだか幸先の良い出来ごとで、私も元気がもらえた。 ☆あっという間に怒涛の1月は終った。 1月30日(木) ☆晴れ。 久しぶりにフロントガラスが氷結する冷え込み。 ☆木版画、新作2作目の制作に這入る。 プランはおおよそ考えていたので、下絵をまとめて版木を彫る。 かなり要領がわかって来て、夕刻までに3枚の版木を彫り終わった。 これで時間のある時に刷りを進めて行けば、個展開期中に展示できる。 ☆その間に明日の搬入の準備をする。 ☆一方で、同じく明日が搬入展示作業のA君の個展の打合せを安井君と進める。 安井君は公立美術館の館長・副館長を長年勤めてきた人だから、専門家だと思っていたら、管理職としての公立美術館での作業しか関わって来ていない。 したがって、今回のような美術館でも無い施設での作業は全く未経験で、何をどうやっていいのかわかっていない。 結局、私は自分の版画個展の準備をないがしろにして、色々と子細なことについてまで指示しなければならない。 われながら、よくも色んな問題を同時進行でこなしていると感心する。 ☆夕食時に最初の一口を咀嚼した途端に、口の中に違和感。 なんと上の奥歯が1本、外れかかっている。 実は前歯の入歯を入れてくれた歯科医院での初診の時に、院長は私の歯のレントゲン写真を見て、虫歯は1本も無いと言った。 だが治療に這入った時に、歯科技工士の娘さんが、”院長は虫歯が無いと言っていましたが、実は小さな虫歯が在ります”と告げた。 私も虫歯の痛みを感じていたので、歯科技工士が虫歯の治療をしてくれるものだと思っていた。 しかしたった3回の通院で前歯の入歯取り付けが終わったら、治療は全て終りましたと言われた。 虫歯はそのまま放置されているので(おそらく院長の指示以外の治療は出来ないのだろう)、日々虫歯の痛みが続いている。 そこへ奥歯が今にも抜け落ちそうになった。 あの移住者の院長はとんでもないヤブ医者だったのだ! もう明日から個展なので、歯科医院へ行く暇がない。 1月29日(水) ☆晴れ。 今日も風が強く、しんしんと冷え込む。 ☆午前に新作版画の刷りの続き。 今回は初めて金箔張りに挑戦してみた。 昨年の妻の個展で妻の作品を買っていただいた方が、作品に金箔を貼って欲しいと依頼され、試しに生まれて初めて金箔を貼ってみた。 結果的には金箔が強すぎて、依頼された方は金箔使用は断念された。 ただ私自身は初めての経験でとても面白かったので、次の私の版画制作でやってみようと思っていたのである。 ところがやってみると、まったくうまく行かない。 絵の具に糊を多めにして刷ったところに金箔を置いてみたが、その間に和紙の上の絵の具が半乾きになって接着しない。 それで筆で更に絵の具をおいて金箔を貼るが、接着のために押さえると、金箔はとても薄いのですぐに破れて、地が見えてしまう。 金箔を木版画に貼る方法をネットで調べるが、色々あって定まらない。 結局、展示できそうな作品は1点のみだった。 ☆午後から、マットの無かった作品の額装。 金箔を貼った新作は、額装してみるとまずまずである。 これで未発表の新作版画が展示できて、ホッとする。 ☆午後後半は展示作品を再確認し、欠けているキャプションをチェックする。 彫刻も3点くらいは並べたいので、チェックし、個展会場設営等に必要な諸々を整える。 1月28日(火) ☆晴れ。 午前は暖かかったが、次第に強い風が出て来て、冷え込んで来る。 ☆一日、新作木版画の刷り作業。 木版画を刷るのは1年ぶりか。 今日中に仕上げたかったが、暮れて来ると色がよく解らなくなるので仕上げは明日に廻す。 ☆午後に散髪。 正月以来、なにかと苛立つことが続いていて、思うように物事が展開してくれない。 それで、気分転換のために髪の毛を切った。 驚いたことに、シャンプーを使わなくなって黒くなっていた髪が、また一気に白髪が増えてしまっていた。 苦労が絶えないのだ。 ☆とうとう今日も中国からの入金通知は無し。 明日からは春節なので、中国の公官庁、企業は全て閉まる。 1月27日(月) ☆夜明け前から雨。 久しぶりの本格的な雨。 午後には雨はあがる。 ☆午前に妻と宮崎市へ。 版画展のDMとフライヤーを”シベール”と”風の庵”へ届ける。 ”シベール”では、最近急に亡くなる方が多いという話。 つい先日亡くなられた池田昭圭先輩は、浴槽の中で亡くなっていたという。 ”シベール”でも昨年暮れに、明日から個展で作品をシベールに預けて帰られたご夫婦が、その夜に自宅火事でご夫婦とも亡くなられたという衝撃の事件が あったという。 ”風の庵”では、某町の地域おこし協力隊の女性画家が個展をやっていたが、作品価格が10号程度で100万円以上もして、全てがヒーリングの商品ばかり。 絵の技術も高校生並で、完全な商売人である。 こんな自称・アーティストが高鍋町の地域おこし協力隊に採用されたら、高鍋町にとってはなんの有益な影響ももたらさない。 ☆お昼に帰宅したが、安井君に依頼していたA君の個展フライヤーの校正が届いていない。 結局、催促して、催促してあれこれ修正して(作品写真が1点、天地逆が判明)、ようやくフライヤーの入稿データが整って、安井君、児嶋君、A君本人のOKをもらって 発注したのはもう夕刻であった。 おかげで、版画の制作が全く出来なかった。 1月26日(日) ☆晴れ。 午前中はとても暖かかったが、昼前からまた風が出て、冷え込んでくる。 ☆11時から、高鍋高校OB美術展の新年会兼OB展打合せ。 私はバグダッドが4月に変更になってしまったので、今年も搬入に行けなくなった。 それで私の作品の搬入搬出をお願いすることになるので、軽い作品に変更しなくてはならない。 私の版画個展案内と、美術部同級生A君の”せいごろう”亭での展覧会の案内をする。 最近のタクシー運転手、代行運転手不足で、呑んべえのK氏は呑めなくなり、酒を呑んだのは近場の私一であった。 ☆朝から、A君の個展のフライヤーの準備をする。 DMは作らないということだったが、新聞記事だけでの広報では認知度が低い。 それで31日の搬入展示に間に合わせるには明日のお昼までにはネット発注しなければならないので、私の独断で作業を進める。 そのフライヤーの最終原稿をJPG画像にして、高校同級生へラインで事前告知をする。 児嶋君、安井君、そして本人のA君の同意を得て、明日の午後までには発注できるようにしたい。 ☆夕刻に、ようやく木版画の手漉き和紙の準備をする。 そんなことで超多忙になって来た。 明後日に高鍋町に来訪予定だったスペイン在住の又木さんに、対応不可のラインを送る。 1月25日(土) ☆晴れ。 午前はとても暖かかったが、午後からは強風が吹き荒れて冷えこむ。 ☆今日は一日、同級生A君の個展の準備。 午前は、個展会場に展示する高校時代の美術部活動のA君の写真を、アルバムから選び、スキャンする。 それを拡大プリントする。 ☆午後からは、個展会場での打合せ。 このA君の個展は、石井記念友愛社理事長・児嶋草次郎君と美術史家(元高鍋町美術館館長)・安井雄一郎君と私の同級生3人で開催する。 会場は、石井記念友愛社の”せいごろう亭”(国の登録有形文化財指定建造物)1階で開催する。 展示する作品の選択、会場構成および事務的な作業は専門家の安井君が担当する。 会期は2月3日から2月28日まで。 搬入が私の版画個展搬入日と重なってしまい(それぞれのスケジュール上)、私は午前のうちにA君の個展の会場展示作業をして、昼から私の個展会場へ 搬入に出かけるハードスケジュールになる。 ☆夜に、A君個展会場に貼る私たち3人それぞれのメッセージ文書を書き、安井君に送る。 1月24日(金) ☆晴れ。 今日もとても暖かい一日。 ☆一日、木版画の版木作業。 夕刻までに彫りの作業が終わったが、刷りに入るまでにもう1点の新作プランを考えておきたい。 ☆夜は、南町公民館でのみなみまちジャズナイトに妻と出かける。 出演はヴォーカルが西田千穂、ピアノは奥村和彦、ウッドベースが坂元陽太。 ヴォーカルの西田さんは一昨年にも町内のライブハウスで聞いていて、”薩摩おごじょ”らしい大らかな陽気さに溢れていたが、今夜はスタンダードのジャズナンバー ばかりで、鹿児島弁の彼女の歌を聞きたかったので、ちょっと期待外れだった。 ウッドベースの坂元さんは、演奏中の表情がとても魅力的である。 ☆ライブには、宮崎彫刻グループの山田夫妻も来てくれていた。 もとロックギター少年だったと言う山田は、奥さんとよくコンサートに出かけるようだ。 今年から空港展の海外作家対応担当は山田に移行するので、版画個展期間中に打ち合わせをすることになった。 ☆今日もとうとう中国からの入金の案内がなかった。 妻と半分冗談で、中国正月の春節(1月29日〜2月4日)を過ぎてからではないかと語っていたが、そんな気配になってきた。 1月23日(木) ☆雲が多かったものの、ほぼ晴れ。 今日も気温が高く、午後はリビングの暖房を切る。 ☆妻が今日からカラーコーディネーターの通信教育を始めた。 しかしパソコンのログインが出来なかったり、テキストのQRコードによる動画読み取りが出来なかったりで、パソコン操作の苦手な妻に替わってあれこれ操作。 無事に全てが解決するのに午前いっぱいかかってしまった。 ☆近日中に閉院するO内科医院の転院先の病院への紹介状が出来たので、昼前に受け取りに行く。 ☆午後に高鍋町美術館へ、版画展のDMとフライヤーを届ける。 ついでに地域おこし協力隊の件で、少しお話を伺う。 ☆このところの雑務が一段落したので、午後半ばからようやく版画展のための新作版画の作業に入る。 まず必要なマットのサイズを割り出して、ネットで注文。 新作版画の下絵をまとめて、版木作業に這入る。 搬入までもう1週間しかない。 できれば新作を2点は準備したいのだが、毎日のように解決しなければならない飛び込み用件が這入って来るので、どうなることやら。 1月22日(水) ☆晴れ。 今日もとても暖かい一日。 ☆朝一に整骨院。 ☆午後から宮崎市へ出る。 高校同級生の某君が数年前から病で弱って来ているので、級友たちと励ましの会食。 某君は同じ美術部員だったし、私は彼の結婚式では友人代表スピーチもさせて貰っている。 「月の雫」の公開対談の時にも元気な姿で来てくれたが、その後に両足膝を骨折したりして車椅子生活になってしまった。 その上に病も重なって来たので、元気なうちに級友たちと会食をしたいという彼の要望で集まった。 ☆彼はずっと絵を描いているというので、会食の後に彼の自宅を訪ねる。 級友の提案で、彼の個展をしようということになり、作品を持ち帰る。 ☆帰りに平和台公園の”ひむか村の宝箱”に立ち寄り、版画個展のDMを手渡す。 丁度そこへ宮崎大学時代のサークル仲間が買い物に来ていて、彼女の顔を見て直ぐに名前が浮んだ。 大学卒業後には全く会っていないのにも関わらず、直ぐに私が彼女が誰であるかわかって私もびっくりしたが、当人もびっくりだった。 肌艶もとても良く、大学時代とあまり変わっていなかったので、誰だかすぐにわかったのだろう。 彼女は私の版画個展のフライヤーを手にしていたので、会期中に顔を出してくれるだろう。 ☆今朝の朝刊に佐賀大学特美の大先輩、池田昭圭さんの訃報記事。 昨日、版画個展のDMを送ったばかりだった。 池田先輩は初期の空港展懇親会にはよく顔を出してくれて、楽しい酒を呑ませていただいた。 また若いころは妻の父とも親密な交流があったようだ。 1月21日(火) ☆晴れ。 今日も一日、とても暖かい陽気であった。 ☆朝一に整骨院。 今日は奥さんから重いものを持たせられないように、と院長。 妻もこの整骨院の常連さんである。 したがって今日はゴミ出しの日だったが、ゴミ出しは妻に依頼する。 夕刻までにはかなり楽になって、普通に歩けるようになった。 ☆午前に版画展のDMを郵便局で投函。 ☆午後は町役場税務課へ減価償却の届け書を提出。 ついでに納税窓口で、中国の報酬がまだ入金されず、バグダッドも4月に延期になり、収入の手だてがない旨を報告。 かといって納税の猶予はなく、最悪の状況になることに変わりは無い。 ☆夕刻から版画展の新作のプランに這入る。 版画展の搬入までまだ10日近くあるので、可能ならば新作を1,2点制作したい。 1月20日(月) ☆晴れ。 夜中からとても暖かく、一日中暖かさが続く。 ☆先日にちょっと重いものを持った時に、腰に痛みが来て、それが今朝になって激痛となった。 ほぼぎっくり腰である。 痛くて身動きできず、整骨院へ行く。 筋肉の奥を解すという特殊な電気治療器で治療してもらい、その後は院長の指圧マッサージをしてもらう。 少し楽になって帰宅したところへ、妻が加湿器の水を補給してくれという。 ところがタンクに水を入れてセットしたとたんにもっと酷い激痛が走り、ほとんど身動きが出来なくなった。 ☆何も出来ないので、2階の寝室に上がって寝ていようと思ったが、リビングから移動することも出来ない。 それで、以前にネットの腰痛を直す動画で楽になったことを思い出し、やってみる。 ☆おかげで少し楽になった気がするので、一昨日に出来なかったDMの宛名ラベルの印刷に再挑戦する。 初めはやはりまったく印刷にたどり着けなかったが、なんとかエクセルのアドレス帳を読み込めるようになって印刷できた。 ところが直ぐにラベル用紙が切れてしまって、買い足しに出かけなければならない。 なんとか車には乗れて、ヤマダデンキには腰を90度に曲げた状態で入店し、ラベル用紙を購入。 そんなことをしているうちに、次第に腰が伸びて来た。 次はラベルを刷り終って、郵便局に切手を購入しに出かけなければならない。 結局はそうやってあれこれと外出しなければならず、少しずつ歩けるようになった。 1月19日(日) ☆晴れ。 朝から気温が高く、一日を通して暖かい一日。 ☆午後から、隣町の”ピムリコ”の今年最初のセッションに妻と出かける。 私は年末からずっと練習してきた4曲を演奏。 今日は参加者の殆どが演奏者だったので、気持ちが緊張することは無かった。 しかし最後の曲が、いつも妻と練習しているテンポよりかなりスローテンポで、途中で演奏をストップして、妻の指示にしたがって演奏を再開するという惨事と なってしまった。 特にこの曲は普段は参加者の多くが演奏しない曲だったので、ハーモニカが独奏状態で、皆さんが真剣な表情で聞き入っておられたので大変だった。 だが、演奏後に、今日初めてピムリコに来られたピアニストの方が、私のハーモニカをとても褒めていただき、ほっととする。 ☆セッションの後は、新年会。 私は殆どの方と親密に話したことが無く名前も知らない方ばかりだったので、交流を深めたくて参加した。 心地良いお酒が入って、楽しいひと時であった。 ☆版画展のDMが届く。 1月18日(土) ☆快晴。 冷え込みはなし。 ☆今年の空港展からは色んな役割を、主催の宮崎の作家たちみんなで分担できるように進める。 特に高齢者になってしまった創立メンバーの私や奥村が担っていた役割は、若手の作家たちに移行させてゆく。 だが新規の若手作家たちがまったく育っていないので、実際は若手の作家という立場は若干名しか居ないし、そのうちの一番の若手が事務局の田村だから、 ほとんど身動きできない事態であるのが実情である。 ☆とりあえず私がいつ倒れても継続できる対策は今のうちに打っておかなければならないので、私が担っていた海外作家への事務対応は山田に移行する。 といっても山田も、もう数年前に退職した身分なので、若手ではない。 つまり空港展開催実行委員会は、もう多くが高齢者ばかりの運営団体になってしまっている。 おそらく空港展はあと5回ほどの継続が限界だろう。 これは全国的に、従来の美術団体が抱えている切実な問題のようである。 ☆それで比較的時間のある今日の午前に、海外作家への諸連絡の流れをまとめて、山田へ渡す必要な添付書類等を揃える。 また、事務局を田村に移行してから殆ど手付かずだった、過去に参加してくれた海外作家一覧もリニュアルする。 宮崎国際現代彫刻・空港展は、昨年までに42か国から154名の作家が参加してくれている。 こんな展覧会は他にないのではないのだろうか。 ☆午後は、版画展DM用の宛名ラベルを、エクセルの住所録から印刷する作業にかかった。 しかし、年末の妻の版画展の時にはちゃんと印刷できたのに、今日はまったく先に進まない。 特に一般個人の住所録は、何度試みても途中までの住所録しか表示してくれない。 ネットでいくら対応を調べても分からない。 結局、ラベルの印刷は出来ずに終る。 1月17日(金) ☆ほぼ快晴の上天気。 風も無く、上着はセーターのみで大丈夫。 ☆午前に小作品を購入していただいた方に、作品を届ける。 中国のシンポジウムからの報酬がまだ全く入金の気配がないので、現金収入は昨年9月以来である。 ☆午後は、昨日に届いた版画展フライヤーを会場の”ひむか村の宝箱”へ届ける。 天気が良かったので、気持ち良いドライブだった。 ☆夕食後のハーモニカ練習で、久しぶりに口笛を吹いたら、前歯をきちんと入れたために口笛がうまく吹けなくなってしまっている。 ☆午後8時33分に、軽くクラリと震度2(高鍋町は震度1)の地震。 1月16日(木) ☆快晴。 陽射しは強いが、空気がとても冷たい。 ☆母の命日。 母は平成10年に亡くなっているから、28回忌か。 阪神大震災からほぼ3年後であったし、かなり寒くて尾鈴山が真っ白だった記憶がある。 ☆自宅工房で作業。 バグダッド・マケットの大理石原型の仕上げ作業。 午前に本体と上部との接合面の合わせ作業。 そして、縁側で日向ぼっこをしながら、ハツリ部に残っているシリコーン型取りの時のシリコーン片の除去作業をして接合。 久しぶりに彫刻作品が立ち上がって、ホッとする。 ☆作業が終ったところで、講師の片貝さんが来られて妻のボーカルレッスンが始まる。 今日もエクササイズと発声練習から参加する。 演奏に這入ると、またもや毎夜の妻との練習ではミスなく演奏できるようになった曲が、まったく演奏できない。 片貝さんの前では異常に緊張する。 私はまったくノミの心臓である。 気を取り直して同じ曲をやり直すと、今度はミスなく演奏できた。 さらに毎晩練習しても休符がしっかり取れない所を、片貝さんにアドバイスしてもらったら、なんとか間取りが取れるようになった。 ☆夕刻に、発注していた版画展のフライヤーが届く。 ネット発注の方が経費もかからないし、仕上がりも綺麗で早い。 これからはライブのフライヤーもネット発注しよう。 ☆夕食の準備中に、同級生で設計士のD君の奥さんから電話。 まさかD君に何かあったのかとびっくりしたら、直ぐに本人に替わって、”正月から何度も電話しているのに、何でお前は電話に出ないんだ!”と言う。 そう言えば先日から、登録していない番号から何度も電話がかかっていたので、迷惑電話にしてはおかしいなと思っていたが、やはりD君からだった。 最近までスマホを持っていなかったというから、電話番号が登録されていない訳だ。 携帯電話は奥さんしか持っていなくて、私のスマホには奥さんの番号しか登録されてなかった。 用件は、昨年暮れに亡くなった同級生の情報確認だった。 お互いに元気で、安心する。 1月15日(水) ☆夜中から朝方まで雨。 おかげで朝の冷え込みは無し。 夜明けとともに雨はあがって天候は回復したが、次第に冷たい風が吹き始めて冷え込んでゆく。 ☆夜中、2時15分に震度4(高鍋町は震度3)の大きな余震。 やはり夜中の地震は怖い。 その後も震度1の余震があったようだ。 しばらくは注意が必要だろう。 ☆一日、自宅工房で作業。 ホームセンターで物色した諸備品で、バグダッドFRPマケットの、本体と上部フォルムを差し込みで接合できる工夫をする。 FRPのマケットは、バグダッドに3つのパーツに解体して持って行き、現地でねじ止め等の組み立てをしなければならない。 なんとかうまく細工が出来たので、残るはラッカースプレーで着色の仕上げをすれば作業は終る。 続いて大理石原型のピン止めの穴を開けるが、これがなかなか手こずってしまった。 それに本体上部と上部フォルムとの合わせ部分の面がきっちり出来ていなかったので、手磨きで修正する。 ☆このバグダッドのマケット制作は、昨年の11月13日から取り掛かっている。 2カ月もあれば大きな作品が制作出来る。 とんだ時間と経費の浪費だった。 ☆どぅにも韓国の様子がおかしい。 何かとんでもない事態になりそうな気がする。 バグダッドが4月に延期になったので、予定していた韓国・大邱の交流展には行けなくなったが、現実的に韓国での交流展どころでは無くなってしまうのでは。 1月14日(火) ☆快晴。 冷え込みはなく、実に穏やかな、昨日の騒動がウソのような暖かで平和な一日。 ☆夜中に何度か大きな余震があった。 気が付いた時には妻はもうテーブルの下に潜り込んでいて、対応が迅速だ。 一晩中、リビングで暖房を点けて寝ていたので、朝は咽喉がカラカラで、またリビングの床に薄い布団を敷いていたので、腰が痛くてかなわなかった。 夜明け前からは殆ど余震も無く、体感的にはお昼前に震度1の余韻があったのみ。 自宅工場を点検すると、やはりかなりのものが倒れたり落ちたりしていたが、壊れたものは無かった。 今回の地震は昨年8月の地震の余震らしい。 ☆地震のニュースは海外でも流れたらしく、海外作家たちから次々に安否を伺うメッセージが届く。 ☆午後から自宅工房で作業。 ダイソーで物色した用具を使って、バグダッドFRPマケットの本体部の中にFRPを流し込み、台座との結合部の補強をする。 そして大理石原型の接合ピンの準備。 1月13日(祝・月) ☆快晴。 宮崎市では初雪を観測したようだが、高鍋ではそれほどの冷え込みは無し。 ☆今日は怒涛の一日となった。 ☆起き抜けにメッセンジャーを開くと、打診をしていた小作品購入への快諾の返事。 無収入で米も切れて途方に暮れていたので、これで生き延びることが出来ると言う歓びで朝は始まった。 好い一日に成りそうな予感がして、妻と喜び合った。 ☆それから新聞を開くと、宮崎市制100周年イベントでの伊藤一彦先生と教え子の俳優・堺雅人との対談記事と、歴史作家・童門冬二の訃報記事が 大きく並んで掲載されていた。 童門冬二は高鍋藩出身の上杉鷹山の本を書いて一大ブームを巻き起こしたし、先年は鷹山の兄である高鍋藩主・秋月種茂の本も書いておられる。 高鍋町に講演に来られた時に、講演会場が高鍋町美術館だったので、当時の美術館長だった私の三兄が接待役を努めていて、新聞記事には三兄のコメントも記載 されていた。 ☆ところがしばらくすると、妻が”フェイスブックを見たら、高鍋町美術館の青井さんが童門さんと南邦和さんの訃報に接して悲しんでいる!”と言う。 えっ、詩人の南邦和さん? 何のことか分からない。 だって、2か月前に、妻の個展会場に来ていただいて、お元気だったではないか?! ☆それで南さんと懇意にされている、「宮崎この人」の森川さんに確認を取る。 折り返し電話があり、やはり昨日のお昼ごろに、自宅で心筋梗塞で倒れられ、奥さんが気付かれた時にはすでに心臓が停止していたと言う。 実は正月4日に心臓の異変を感じられて、医師会病院に検査入院されていたのだという。 しかし経過が好かったので退院され、16日に再検査の予定だったということ。 奥さんは、あのまま入院していれば、と悔やまれているということ。 ☆葬儀については、今、火葬場が満杯で、17日にしか予約できなということ。 それで葬儀は家族葬で行われ、あらためて後日に偲ぶ会を開催されるようだ。 ☆南さんはいつお会いしても温厚で暖かな方だった。 私は若いころにラジオの対談で何度かお世話になったし、私たちの世代は芸術全般に造詣の深い南さんからの理解や後押しを受けて、作家としての 成長をさせていただいた。 また、妻の個展会場では南さんと義父たちとはとても懇意にされていたことがわかり、妻は自著の労作「百済王はどこから来たか」の見開きページにサインを していただいて献本していただいた。 ご冥福をお祈りしたい。 ☆午前は2月の版画展のフライヤー入稿原稿を作成して、ネット印刷で発注する。 フライヤーはネット印刷の方が、自宅でプリントしてコピーするより格段に安い。 そして、編集途中だったDMもレイアウトを修正して、ネット注文する。 ☆午後は自宅工房でバグダッド・FRPマケットの修正作業と、大理石原型の磨き直しをする。 ついでに版画個展に出品出来そうな彫刻小作品のチェック作業をする。 その作業をしながら、最近は地震が多いので、今度大きな地震が来たら棚の上に置いてある昔の作品は全部落下してしまうのではという大きな不安に駆られた。 昨年8月の大きな地震の時には何も被害が無いと思っていたら、後日に展示室を開けてみたら昔の作品が全て落下して破損してしまっていた。 そういう不安がしきりによぎった。 ☆夕刻に、スペイン・クエンカの又木さんから連絡があり、1月末に帰国するので28日に高鍋に寄りたいとのこと。 しかし、31日が個展の搬入なので28日は準備でばたばたしている頃だ。 だが妻が、クエンカでお世話になったお礼をしたい、というので私は夕食の準備をしながら打合せをする。 ☆それからお風呂の準備をしていたら、浴槽を洗おうと屈んだとたんに躓いて頭から浴槽に突っ込んでしまった。 南さんのことが脳裡を横切って、足腰が弱くなってきているので注意しなくてはと自戒する。 さらに夕食後にハーモニカの練習の前に、口をゆすいだ厚手のグラスをキッチンに置いたとたんに落下して、割れてしまった。 練習の後に、割れたグラスを片付けながら、やれやれ今日は怒涛の一日だったな、何か起きそうなので注意しなければねと妻と語った。 ☆その直後だった。 いきなり妻がダイニングテーブルの下に潜り込んで、”地震!”と叫んだ。 最近は妻の方が地震を感知するのが早い、 相当に激しい揺れが続く。 私はテーブルの上にワインの這入ったワイングラスが揺れているので、倒れて割れては大変と、ワイングラスなどを片付ける。 棚からは小物が次々に落下する音。 だが幸いにも大きな被害は起きなかった。 パソコンでニュースを観ると、日向灘が震源地のマグニチュード6,9の地震で、宮崎市と高鍋町、新富町が震度5弱だった。 全国ニュースで高鍋町が出たらしく、息子たちや兄妹たちから心配のラインが入る。 余震が続く中、高鍋町には津波注意報が出され、隣接する消防機庫では動きが慌ただしくなった。 ☆熊本地震では激しい揺れで熊本城の石垣が崩れたのは本震ではなく前震で、本震はその後にやって来た。 それで今夜は2階の寝室での待機は避けて、リビングに布団を降ろして、枕元に懐中電灯、防災バッグ、水を置き、いざと避難となった時のために普段着姿で 床に就く。 1月12日(日) ☆午前は晴れ。 午後から急激に雲が出て、夕刻に軽く雨。 雨の後には一気に晴れる。 ☆2月の版画展の出品予定作品の点検をする。 昨年の妻との版画二人展の時には、新規に額を買い揃えず、お互いの持ち合わせの額を借用したりして調整した。 それで、先日リストアップした作品がきっちりとマットと額に納められるのかの点検をしておかなければならない。 点検してみると、リストから外した作品でも展示しても問題ない作品も結構あるし、額に入っていないものは妻から額を借用して整える。 額装した作品が売れてしまっていて、マットを注文しなければならない作品も数点あった。 結局、一日がかりの作業となった。 1月11日(土) ☆晴れ。 今朝も冷え込んだが、昨日ほどの冷え込みはなし。 だが、午後からは雲が出て気温は上がらず、デスク作業には足元にヒーターを置く。 ☆一日、デスクワーク。 午前は、昨日届いたウクライナのシンポジウムの要項を和訳してみる。 ただ要項にはテーマに添ったプランの提出とあるが、テーマは空白だし、提出期限も書いてないので、エントリーはしない。 いい加減なシンポジウムかと思ったら、過去の参加者にヤン・リューの姿があった。 開催される場所はハンガリー国境沿いなので、戦禍の影響はない地域なのだろう。 ☆またS先生のフェイスブックに投稿されたムーンダンスへの長い長いファンタジー物語を、プリントアウトして目を通す。 プリントしてみると、なんとA4に10枚もの長さだった。 設定は、忘年会で酔っぱらって最終電車で帰ってきたところタクシーもおらず、駅前のムーンダンスの前で寝入ってしまい、翌朝に馴染みの警官から起こされるまでの 夢物語という設定であった。 ☆午後から、2月の版画展DMのイラストレーター原稿作成。 夕刻までにはほぼ纏まったが、文字のレイアウトに納得できない部分があって、入稿データまでたどり着けず。 どの道、ネット印刷の会社は日曜、祝日は作業しないので火曜日の朝までに入稿すればよい。 表の宛名面には、先日作成したQRコードを配置する。 1月10日(金) ☆快晴。 やはり今朝は冷え込んだが、日中は風も無く、昨日よりも凌ぎやすかった。 車に乗ると、陽射しが強いのでとても暑く、窓を半開にしなければならない。 西都の奥の山並は白化粧していた。 ☆やはりわずかでも収入を得る努力はすべきだと思い直し、午前は版画個展に展示できる作品をリストアップする。 昨年はやたらと忙しく、版画の新作は余り制作できなかったので、どうしても殆どはこれまでに発表した作品になる。 ☆午後に宮崎市へ出て、昨年秋に妻が個展を開催した平和台公園の”ひむか村の宝箱”を訪ねる。 ”ひむか村の宝箱”には、一般のギャラリーに顔を出すような方は来られないので、すでに発表済みの作品でも、殆どの来客には初めて見る作品になるだろう。 先日問いあわせた時には、希望の時期はすでに個展が這入っていたのだが、2月の前半は何も這入っていなかったので、2月1日から11日までの会期を 押さえてもらった。 急いでDMを作らなければならないので、帰宅してこれまでにDMに使っていない作品の中から、インパクトのある作品を選ぶ。 ☆高鍋ロータリ会員で医師のS先生からフェイスブックの友達申請が届いた。 添えられたメッセージに”高鍋駅前のムーンダンスについて、妄想をフェイスブックの記事にあげてしまいました。すみません。”とあった。 フェイスブックを開いて見ると、年末にムーンダンスへの思いが2回に渡って投稿してあった。 ☆これは12月21日の2回目の投稿である。 ” ムーンダンス 日向灘から昇る朝日をエネルギーにして、通勤、通学の人々にそのエネルギーを贈る 「仕事頑張って」 「部下を大事にね」 「テスト頑張って」 空高く太陽が輝いている時には、そのエネルギーを町を訪れた人々に贈る 「いらっしゃい高鍋に」 「文教の町にようこそ」 「餃子、美味しいですよ」 高鍋の地を後にする人々には、最大の愛を込めて、北へ行く人には夢を、南に行く人には希望を贈る 夕日のエネルギーを吸収して、 夕方戻って来た人々には、そのエネルギーを贈る 「お疲れ様、仕事頑張ったね」 「一家団欒、楽しんでね」 「早く宿題済まして、お風呂で暖まって」 夜遅く戻って来た人々には、残りのエネルギーを全て贈る 「一日の苦労は一日で足りますよ、お疲れ様」 「しっかり休んでね」 満月の夜は魔法を使って、一人の十歳台の少女に変身し、この高鍋の地の人々の幸福を祈る、あなたの知らない処で、でもあなたの近くで ” ☆この投稿に先だって、12月9日には宮崎市内からの忘年会帰りで高鍋駅に降りた時に、目の前で迎えてくれたムーンダンスへの広大なファンタージーが 投稿されている。 上記の文章にも伺えるように、イメージの源泉には宮沢賢治の世界が溢れている。 高鍋駅を出たS先生の目の前で、ムーンダンスが浮遊して踊り出し、そのまわりでジョバンニなどの妖精たちが踊りながらS先生に語り掛ける物語である。 そして高鍋町に関するあらゆる人々が登場し、物語が終らない。 ☆私の”MOON DANCE”が名曲を生み、こうしてファンタジックな物語を生んでいる。 なんて素晴らしいことだろう。 ☆戦時下にあるウクライナから国際彫刻シンポジウムの案内が届いた。 先日、アサド政権が崩壊したシリアのダマスカスでも、友人のアクタムが彫刻シンポジウムを普通に開催していた。 ウクライナも戦争に巻き込まれていない地域の農民たちは普通に農業を営んでいるし、地域によっては戦争に巻き込まれていない都市もあると言うことなのだろう。 1月9日(木) ☆快晴。 この冬一番の冷え込み。 宮崎県内の山沿いでは雪。 日中は快晴で陽射しが強かったが、風がとても冷たくて、外に出ると寒くてたまらなかった。 明日の朝も水道管凍結の怖れがあるようだ。 ☆バグダッド・マケットFRP型の修正作業。 大きな凹みにパテを使ったが、用途の違うパテだったようで、ペーパーを掛けると逆にざらついてしまう。 それでパテを取り除いて、石膏で補正し直す。 補正したFRPに着色の下塗りをして、接合の穴を開ける。 だがFRPが薄いのでビスが留められない。 ビス留め部の工夫が必要。 ☆今日から妻の今年のボーカルレッスンが始まった。 今日は日豊本線の沿線沿いの火事で電車がかなり遅れ、講師の片貝さんが来られたのは夕刻近くになってからだった。 丁度私の作業が一段落した時だったので、私もレッスンに参加する。 しかし、やはり片貝さんの前ではとても緊張する。 年末から毎晩、夕食の後に新曲のハーモニカ練習をしているが、妻との練習ではほぼミスなく演奏できるようになった曲が、出だしから全く吹けない。 ☆レッスンは、体を解すストレッチと発声練習をやってから始まる。 私も発声練習に参加したら、片貝さんが”等さんは高音までよく声が出ますね!”と言われてびっくり。 私は大変な音痴なので、人前では歌が歌えず、カラオケは大の苦手である。 それが、片貝さんにそんなことを言われて、きちんとした発声の練習をしたら歌えるようになるのだろうか、と妻と顔を見合わせる。 1月8日(水) ☆晴れ。 今朝は寒くて寒くてなかなか布団から出られなかった。 やはり宮崎県内でも山間部はタイヤチェーン規制が出ていた。 明日は宮崎県内でも山間部は大雪の予報である。 ☆今日から、ようやく仕事復帰。 やりかけのバグダッド・マケットのFRP型のひずみ修正作業。 凹凸をパテで埋めた部分をペーパーで削る作業。 FRPの削り屑がとても細かくて軽く、マスク着用で作業する。 石の作業の方がどれだけ楽だろうか。 ☆2月中旬に私の無収入救済版画個展を考えていたが、アテにしていた店舗はすでにスケジュールが詰まっていた。 2月初旬ではもう間に合わないし、3月では”ギャラリーしんとみ”の版画二人展をキャンセルしたばかりだから、3月開催は道義的にできない。 かといって私の版画は売れても数点だから、経費を差し引くと殆ど救済的な利益はでない。 1月7日(火) ☆晴れ。 気温の冷え込みはなし。 ☆今日も一日、ブログ「彫刻家のつれづれ日記」のWordコピー作業。 やってもやっても一向に終らず、全てのコピー作業が終わったのはもう夕食の準備の前だった。 結局、ブログを始めたのは2007年の9月。 当時はこのHP日記に画像を入れて、ほぼブログ的な形で更新していたようだが、パソコンの容量が一杯になり更新できなくなった。 それで台湾・花蓮のシンポジウムに出かける前に、ネット上で画像をアップできるブログを知人に勧められたのが始まりだった。 ☆私はてっきりブログをやっていたのは2,3年だと思っていたが、なんと最終のブログは2016年の3月。 つまり10年間に渡ってブログを発信していたのだ。 ブログを見てみると、毎日のように多量の画像をアップして、事細かな記述を添えている。 よくもこんなことを10年間もやっていたものだとびっくりした。 ☆ブログはネット上にしか存在しないので、パソコンにデータとして残せない。 それで一時期はブログを本にすることが流行して、「電車男」のような爆発的なベストセラーも生まれた。 それにネット上にしか存在しないブログは、今回の私の場合のようにいずれはサーバーから削除されてしまう。 だからこれまでに何度かWordへのコピーを試みたのだが、前述したようにネット上の画面をWordにはそのままコピーできなくて、書式のクリア作業などが 必要で、途中で挫折してしまっていた。 しかしブログが閉鎖されてしまう期限が設定されてしまったし、昨年の途中からネット画面をWordにコピーしてもほぼ普通にコピーできるようになったので、 比較的時間のあるこの正月幕ノ内のうちに作業をやってしまいたかった。 思ったより丸々3日間もパソコンの前に張り付くことになったが、ようやくこれでブログ画面をパソコンデータとして保存できた。 ☆このホームページもネット上にしか存在しない。 それでこの日記は毎日、Wordにコピー保存している。 この日記の場合は文章だけなので、書式のクリア作業も楽だったし、今ではそのままコピーできるので、簡単にパソコンデータとして保存出来ている。 1月6日(月) ☆夜中から雨。 お陰で朝はとても暖かかった。 雨は朝のうちには止み、午後からは雲も切れて暖かい午後となった。 ☆午後6時22分に震度3の地震。 高鍋町は震度1。 ☆今日も一日、ブログ「彫刻家のつれづれ日記」のWordへのコピー作業。 作業は直ぐに終るだろうと思っていたら、次々にブログが出て来て、2011年まで遡ってしまった。 2011年はフランス・ノルマンディー、トルコ・イスタンブール、アメリカ・メイン州、イラン・テヘラン、そして2012年はトルコ・デニズリー(パムッカレ)、 トルコ・イズミールと海外シンポジウム参加が目白押しだった時期で、60歳過ぎて途端に人生が実に面白くなって来た至福の時期である。 この時期の画像がパソコンの中には一切無く、貴重な画像はこのブログにしか残っていない。 我れながら、とても羨ましい日々である。 明日もこの作業を続けなければならない。 1月5日(日) ☆晴れ。 ☆一日、以前に更新していたブログの「彫刻家のつれづれ日記」をWordへコピーする作業。 このブログはHPの容量が一杯になって画像がUP出来なくなった時に、知人の勧めで始めたものである。 数年間はかなり精力的に画像をUPしてブログを綴ってきたが、もう9年前からブログの更新はやっていない。 しかし長年に渡って更新していないので、サーバーから今年2月中にデータ削除の警告が届いた。 データが削除されるとブログが閉鎖されるだけではなく、ブログに投稿した画像データもすべて削除されてしまう。 ☆これまでにも何度か、時間を見てブログをWordにコピーしていたのだが、ネット上の画面をそのままコピーすると、Word文章に置き換えるためには書式のクリア作業 が必要で、とても時間がかかってなかなか作業が進まなかった。 しかし最近はネットの画面をそのままWordにコピー出来るようになったし、ブログ削除の期限が迫って来たので、思いついた時に作業を終えてしまいたい。 それでも作業は中々大変で、今日中には終らなかった。 ☆ブログを更新していた時期は2013年から2015年が中心で、2013年にはウクライナへ滞在している。 豊富な画像と日々の細かな日記は、今ではとても貴重な記録だ。 それにパソコンに保存してあったデータは、外付けHDDが破損してしまって、2020年以前のデータがすべて消えてしまった。 いまやこのブログの中にしか画像は残っていないことに気付いた。 ☆妻に提案されて、バグダッドが4月に延期になって5月までは無収入になったので、少しでも収入を得るために私の無収入救済のための版画展を開催したい。 近日中に何處が当たってみよう。 1月4日(土) ☆快晴。 天気予報通り、朝は底冷えで氷点下だった。 午前8時を廻ってもまだ氷点下だった。 日中も気温は上がらず。 ☆お昼に軽くゆらゆら揺れたが、地震情報には上がらず。 ☆午後から仕事開始。 暮れにシリコーンで型取りしたバグダッド・マケットのFRPの歪みをパテで修正。 しかし寒いからか硬化が悪いので、自宅工房の片づけをする。 ☆昨日から、イラストレーターで、妻の版画作品裏に貼るシールの原稿を作成。 1月3日(金) ☆快晴。 部屋の中は暖かかったが、外は空気が冷え込む。 高鍋町役場から、明日の朝は水道管凍結の注意が届いた。 ☆今日は一日ゆっくり過ごす。 ☆妻は5年前にクラス担任だった子供たちの成人式に出かけた。 5年前は、丁度私がインドのシンポジウムに滞在中にコロナが一気に拡大し、妻が3年生の担任だったので私はチケットを購入していた香港経由では帰れなくなり、 帰国直前にバンコク経由のフライトを新規購入して帰国した。 当時は香港でもコロナが急拡大していたので、受験生担当の妻にコロナが感染すると一大事になるので、校長命令でのフライト変更だった。 そして妻の教え子たちはかろうじて卒業式は行われたが、クラスや学校での様々なお祝いのイベントがすべて中止になった。 妻にとって、定年を迎えた最後のクラス担当だったが、定年送別を祝う恒例の宴も何も無かった。 それだけに格別の想いのある生徒たちの成人式であった。 ☆夜には教え子たちの同窓会があり、妻は出かけたが、なんと恩師で出席したのは妻だけだったという。 我が家の子供たちが小学校の時に私がクラス役員をしていた時にも、運動会の打ち上げに顔を出さない先生が多くてびっくりしたものだ。 いまの教師は、子供たちへの愛情よりも、自己愛が一等優先される職業意識になってしまったようだ。 完全に教育現場が崩壊している。 ☆ポルトガルのアルリンドから、再送した作品が届いたという連絡が入った。 これでようやく昨年の空港展の全ての処理が終るが、近いうちにはもう今年の空港展へ向けて動き始める。 1月2日(木) ☆快晴。 今日も暖かい一日。 夕刻からは昨日ほどの冷え込みは、なし。 ☆やはりお正月なので、朝食には雑煮を食べた。 だが雑煮を食べるとお屠蘇も呑みたくなるし、定番の御頭付きの海老の塩焼きや蒲鉾なども食べたくなる。 ☆例年なら、今日明日辺りは年賀状の宛名を書いているのだが、今年は年末に投函してしまったので何もすることが無い。 それでQRコードについて調べる。 妻が年末に教え子たちとの忘年会に出かけたら、携帯番号等の交換がQRコードだったし、知人からいただく名刺にもQRコードがついていることが多くなった。 自分用のQRコードって、そんなに簡単に作れるの?と妻が言うので、ネットで調べてみた。 そうしたらスマホであっという間に簡単に作れることがわかり、試しに私のこのホームページのURLを打ち込んでみたら、瞬時にQRコードが出来た。 ダウンロードしたQRコードをスマホで読み込んでみたら、ちゃんと私のホームページが表示された。 それで妻のフェイスブックのURLを打ち込んでQRコードを作った。 そのQRコードを妻の教え子たちにラインで送ったが、今の若い人たちはフェイスブックはやっていないようだ。 だがこれで私と妻の名刺にQRコードを入れることが出来る。 いまや、いちいちホームページのURLを打ち込んだり、フェイスブックの検索で知人のページを捜すなんて手間は不要なのだ。 ☆夜は、恒例の高校同窓の新年会。 年々参加者が減ってわずか6名の参加だった。 振り返って、私たちの時代は一番良い時代ではなかったのか。 戦後生まれで戦争はなかったし、貧しいが豊な自然と人間関係のなかで伸び伸びと育ち、文字通りの奔放な青春時代を送ることが出来た。 そしてかろうじて、コンピューターもある程度使いこなせるし、古き好き時代と新しい時代の両方をきちんと生きて来れた世代である。 ☆前半はオーディオ機器とコンピューターの話。 私たちの世代はみんな立派なオーディオ機器を持っていて、どのメーカーのどの品番が最高だという話で盛り上がる。 だが私はオーディオにはまったく関心が無く、ただ彼らの話を聴いているだけ。 そして、参加者の半分が理系クラスだったので、コンピューターは殆ど自分で組み立てていて、信じられないくらいに詳しい。 当時の高鍋高校の私たちの学年は、宮崎県内でもトップクラスの学力があったので、みんな頭が良いのだ。 理系音痴の私は、ヘーッとちんぷんかんぷんで耳を傾けるのみである。 ☆そして後半は、庭いじりの話。 みんな勤め人だったので、今は悠々自適の生活を送っている。 どの家にも広い庭が在り、みんな色んな果樹を植えている。 接ぎ木に詳しい同窓生の話にみんな真剣に耳を傾けている。 我が家にも庭はあるが、手入れが面倒くさい人間なので、手入れの必要な果樹は植えていない。 庭木の手入れの知識が皆無なのは私だけであった。 ☆来年も誰も欠けることなく再会しよう、と別れる。 もうみんな酒の量が減ったし、体力的にコロナ前のように2次会へ繰り出すことは無くなった。 1月1日(水) ☆新年あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。 ☆快晴。 日中は風もなく、とても暖かくうららかな暖かさだった。 夕刻からはしんしんと冷え込む。 ☆ホテルの朝食はお正月仕込みで、黒豆や紅白カマボコが用意してあった。 ☆ホテルを8時半にチェックアウト。 帰宅して、届いていた年賀状に簡単に目を通して、日向へ墓参に向かう。 今日は全く快晴のとても静かなおだやかな陽気だった。 海原や川面の煌めきがとても美しい。 野山も清々しく、今年一年が平和であることを願わずにはおれない。 ☆妻の実家の墓参を済ませて、義姉宅へ新年の挨拶。 ☆早々に日向市を出て、帰宅して年賀状のチェック。 今年で年賀状終いをする方も増えた。 投函していなかった方たちへの年賀状宛名を書く。 ☆そして、例年なら正月の間に年賀状を書いていたのが、今回は大晦日のうちに出してしまったので、何もすることが無い。 それで明日に予定していた初詣を済ませることにして、木城町の比木神社へ出かける。 駐車場に這入る時に、新年早々、縁石に乗り上げてしまった。 昨年からこういうことが多いので、気を引き締めよう。 ☆比木神社は大勢の参拝客で賑わっていた。 妻は奉納した天井画を拝ませてもらっていた。 おみくじは「小吉」。 近年は殆ど「小吉」だが、毎年充実した1年を送らせていただいている。 ☆さて、新しい1年が始まった。 今年は延期になったバグダッド以外、何の予定もない。 何も予定がないということは、思いもかけない展開もあるということである。 どういう1年が待っているのだろう。 兎も角は、病に倒れることだけがないようにと願うのみである。 |
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