Back to toppage このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。 過去の日記 2025 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2024 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2023 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2022 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2021 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 |
2025 | 4月4日(金) ☆晴れ。 ☆昨夜はキャンパーの女児が一晩中泣いていて、少々寝づらかった。 ☆手彫り彫刻シンポジウム2日目。 今日は陽射しが強く、作業は順調に進む。 しかしいくら柔い砂岩と言っても、体力は要る。 参加者に一日中ビールを配っている人が居て、朝からビールを呑むのは今の年齢の私にはかなりきつい。 こちらの人は良く呑む。 今日は一日中、参加者の家族や友人たちが訪れて賑わった。 ☆中国系の人はよく喋る。 ずっと喋りまくっている。 しかし中国大陸の中国人のような五月蠅さはない。 台湾の人は皆さん心優しく明るいからだろう。 ☆夜は山岳民族の方の式典にならって、山の神と山の恵みに感謝しての豚の丸焼きバーベキューだった。 参加者は皆、顔に京劇風のメイクをさせられた。 参加者の家族や地域の皆さんの大勢の参加者で盛り上がった。 ☆日中の日焼けで、首筋がやけどで痛い。 体の疲れは全く無い。 4月3日(木) ☆シンポジウム会場は概ね晴れ。 午後に雨になりそうな気配だったが、午後半ばには回復。 ☆シンポジウム初日。 南投県の文化局長や県議の来賓を迎えてのオープニングセレモニー。 私たち招待作家の自己紹介もあった。 ☆セレモニーを終えて、制作会場で制作する石を選んで制作に這入る。 このシンポジウムには遠くは花蓮からもやって来た方たちが30名程参加する。 シンポジウム会場にはとても数日では彫ることの不可能な大きな石も10個ほど置いてあって、私たちプロの作家は大きな石を選ばざるを得なかった。 だが私は昨年のシンポジウムの様子の画像を張さんに送ってもらっていて、みんな手で抱えられるサイズの石を彫るものだと思っていたので、ノミは 小作品を彫る小さなものしか持って来ていない。 それでは殆ど作業が進まない。 その事情を参加者の女性に話すと、彼女が使う予定で持って来ていたハンマーとノミを貸してくれた。 おかげで午後からはかなり作業が進んだ。 それにしても、こんなに一日中、ハンマーとノミで力一杯作業するのは、地蔵像を彫った時くらいである。 体力的には全く問題無かった。 ☆夕食は管理棟前の広場でミニバーベキュー。 昨夜に続いて50度の地酒がふるまわれたが、今夜はきつくて酒が進まず。 それよりも夕刻からは急激に冷え込んできて、寒くてたまらない。 途中からは焚火を焚きながらの宴となった。 次第に吐く息が真っ白になって、寒さに耐えられず部屋に戻ってジャンパーを重ね着する。 ☆後半はプロジェクターを使っての各参加作家の活動の紹介。 一般作家の皆さんには高名な木彫作家、カーデザイナー、工芸作家などが参加していて、彼らの活動をスクリーンで観る。 私も海外設置の作品を紹介する。 ☆私の作品の紹介後に幾つかの質問があったが、その中に私の作品のアイデアは参加する国によって考えるのかというものがあった。 それで私は咄嗟にこう答えた。 私の作品の多くは月をテーマにしているが、月は世界中どこでも観れるものである、月は世界中の人々に共通の関心事であり、私の”MOON DANCE”は 世界中で受け入れられる。 ほら、此処でも真上に三日月が輝いているでしょう?。 質問者はナルホドと納得していたが、オーナーがとても素晴らしいことを言ってくれた。 ”此処は数日間雲が出て月が全く見えなかったのです。ところがあなたが来た途端に月が出ました。あなたが月を連れて来てくれた。ありがとう!” ☆まだみんな酒盛りで賑わっていたが、私は早めにストーンハウスへ戻って、床に就く、 ☆朝一に高鍋町美術館の青井学芸員に昨夜の地震に因る被害の有無をメッセンジャーで問いあわせる。 幸い、一昨日に搬入した私の作品は無事だったと言うこと。 搬入の時にも地震の話をしたばかりで、作品を揺らしてみてかなりの震度の大きい地震でも倒れないことは確認していた。 4月2日(水) ☆5時過ぎに起きて、荷造りの残りの作業。 ☆今日は我が家が大火で消失して62年目。 ☆7時過ぎに軽トラで高鍋を出て宮崎空港へ。 朝のうちはまだ雨が残っていたが、家を出るころには雨は止む。 ☆9時10分発のソラシドエアーで乗り継ぎの沖縄国際空港へ。 10時45分に沖縄着。 沖縄は生まれて初めての訪問である。 沖縄は到着するころは雨上がりの曇りだったが、待機中に再びの雨となる。 気温は19度で、思った程の暑さは無い。 ☆13時15分発のピーチで沖縄を発ち、定刻の13時50分(時差1時間)に桃園国際空港に着。 ところが台湾も気温は20度を切っていて、肌寒い。 問題は入国審査で起きた。 入国カードに宿泊先のホテル名か電話番号を記入しないと入国できない。 シンポジウムの開催場所の地名では拒否された。 それで張さんにメッセンジャーを送り、協賛のホテル名を教えてもらい、ようやく15時に入国出来た。 ☆イミグレを出てからはスムーズだった。 高速鉄道駅までのMRT(地下鉄)の切符の買い方、乗車電車は担当のおじちゃん、おばちゃんが親切に教えてくれた。 無事に高速桃園駅で16時10分発の台中行きの当日自由席を購入して、乗車する。 ところが、チケットカウンターでは今日は自由席は満席なので立ち席になりますということだっが、実際はガラガラで隣の車両も同様で誰も立って居ない。 しかし誰か乗ってくるかもしれず、私一人が立って過ごす。 やはり台中手前の栗苗駅でも誰も乗り込んでこないので、そこからは席に座る。 ☆台中駅には16時42分に到着。 台中駅には張さんが待っていてくれた。 ☆張さんの車で高速道を走って、目的地へ向かうが何だか以前に来た嘉儀の山間部の風景に似ている。 目的地の近くに有名な「日月潭」の表示看板があった。 延々と山道を昇って行くと、シンポジウム会場に着いたが、そこは台湾では有名な避暑のキャンプ地になっていて、台湾は明日から連休なので台北等から 多くのキャンパーたちが訪れるという。 ☆夜はこの山の持ち主でこのキャンプ場のオーナーたちと、管理等で酒宴であった。 しかし此処は日中は雨で、気温は上がらずとても寒い。 ☆私の宿泊はオーナーたちが手造りで作った石作りのゲストハウス。 水洗のトイレとシャワーの完備したゲストハウスである。 ネットは管理等のみで使える。 ☆夜中に、妻から震度3の地震が起きたと言うラインが届く。 実は此処へ向かう途中で、この地域では20年前に大地震があったという話をしながらやって来たので、びっくりである。 ゲストハウスでもスマホは使えるので、日本の情報を見る。 4月1日(火) ☆一日、冷たい雨。 ☆とうとう4月に這入ってしまった。 ☆台湾・韓国行きの荷造り。 LCCの機内持ち込みが7kgの制限なので、空のスーツケースの重量を計ったらそれだけで4kg近くあり、パソコンの重量を加えるとスーツケースが空のままで 7kgになってしまう。 それで道具と衣料を1つのスーツケースに入れたら15kg以内に納まった。 ☆昼過ぎて、高鍋町美術館へ高鍋高校OB美術展の作品を搬入する。 ☆台湾の張さんから、私の作品のポートフォリオのデータが欲しいと言う。 プロジェクターを使っての作家紹介があるらしい。 それで文化賞と駅前モニュメント完成祝いの祝賀会の時に慌てて作った海外設置作品の紹介データに、ポルトガルと中国・恵安のデータを加えて補正する。 3月31日(月) ☆薄曇りの晴れ。 真冬並に冷え込んだ一日。 ☆朝一に彫刻集団・佐賀に出品していたバグダッドのマケットが戻って来たので、韓国・大邱へ送る準備をする。 空港ビルの担当者が空港展の海外作家の作品を返送してくれるようになってから、私はEMSで作品を送っていない。 数年前からEMSの送り状は手書きでは送れなくなり、パソコンで作成しなければならなくなった。 初めは登録のためにパスワードを設定しなければならなかったり、打ち込みのエラーが頻繁に出たりしてとても面倒だった。 しかし打ち込んだ送り状を郵便局へ持って行くと、手続きが実にスムーズなのだ。 郵便局の担当者も、やはりこのシステムになって非常に作業がスムーズになったと言う。 無事に韓国・大邱へ作品を送ることが出来た。 ☆昨日仕上げた大理石の作品は5日から始まる高鍋高校OB美術展に出品する。 しかし私は明後日には台湾に行くので、4日の搬入は出品メンバーに委託する予定だった。 だが思いの外に重量があって、高齢者ばかりのメンバーでは重くて作業が困難で申し訳ない。 さらに、昨日は心棒を入れた台座にセッティングするのが大変で、これでは力のない高齢者のメンバーが作業中に作品のエッジを欠いてしまう怖れが生じて来た。 それで今日は休館日でお休みだったが、高鍋町美術館の青井学芸員に連絡を取って、明日の午後に搬入させてもらうことにした。 ☆午後から台湾のシンポジウムのための道具梱包の準備をする。 その前に、今回のフライトの機内持ち込み荷物と預け荷物の重量を調べる。 日本に帰ってくるまでに5便の乗り継ぎがあり、それぞれに重量制限が異なる。 2便はLCCのピーチなので、機内持ち込みは身の回り品と手荷物の合算で7kg以内、預け荷物は台北ー大邱のジンエアー、そして大邱ー関空のティーウェイが それぞれ15kgと制限重量が厳しい。 つまりパソコンを持って行けば機内持ち込みのスーツケースはできるだけ軽くして合計7kg以内に、道具を入れる預け荷物も衣類の大半を詰めて15kg以内に 納めなければならない。 ☆今朝の夢の中で、ずっと短歌もどきの作業をしていた。 私は詩歌の才能は皆無なので、今さら短歌なんてと思っていたが、意外や言葉の組み立てがスムーズに行く。 それで思い切ってイオンの伊藤先生の短歌教室に通うことにして、イオンに電話を入れた。 荻原さんにもその旨を伝え、伊藤先生にもメールを送った。 しかし、伊藤先生からの返事は全く思いもしないものだった。 イオンに通ってくれるのは嬉しいが、田中君は忙しい身なのでイオンまで通うのは大変だ、それよりも「心の花」宮崎歌会に都合のいいときに見学者として参加するのは どうか?田中君にはこちらの方が面白いのではと思う。また相談しましょう、と。 確かに高鍋町公民館だったら仕事の途中で抜けられるという気持ちがあったのだが、イオンまで通うのは妻も余り賛同しない。 台湾・韓国から帰ってから伊藤先生と相談することになった。 「月の雫」出版以来、「心の花」宮崎歌会の方々とは懇意になったので、確かに初心者対象のイオン教室よりも得ることが多いかもしれない。 ☆とうとう3月も終り、中国からは入金の気配さえ無い。 3月30日(日) ☆晴れ。 今日も冷え込む。 ☆軽トラの車検が終わったので、予定通りに空港へは軽トラで向かい、台湾・韓国滞在中は空港近くの民間駐車場に車を置く。 予約が必要なのでウェブサイトを開くと、なんと4月1日から1日400円の駐車料金が500円に値上がりする。 何でもかんでも値上がりしてしまう。 ☆一日、先日まで制作していた大理石作品の磨き仕上げ作業。 自宅工房で手磨きすると、傷が見えにくい。 ☆夜は我が家での花見の宴。 やはり昨日よりかなり花が落ちて葉桜になってしまっている。 底冷えして寒いが、美味しいワインと私の手造りピザを食べながら、ワイヤレススピーカーでジャズを流しながら、幸せな時間を過ごす。 ☆無一文の私がこんな時間を過ごせるのも、ひとえに妻のおかげである。 妻が図書館から借りてきた佐藤忠良と安野光雅の対談集を読んでいるが、二人とも若いころは作品は売れずにずい分長い間を奥さんに養ってもらっている。 二人とも奥さんが外で働いているので、PTAの集まりには必ず顔を出したというから、まるで私と同じような環境だったようだ。 これほどの優れた作家たちが、作家としての名声を得てもなお奥さんに食べさせてもらっていたと言う現実。 まして私のような人間が芸術活動で食べて行ける訳は無い、と少しは慰められる。 3月29日(土) ☆日中は爽やかな晴れ。 夕刻から雲が出て、暮れて雨となる。 ☆寒が戻って来て、昨夜は夜中から寒くてあわてて煖房を点けて毛布を重ねる。 日中は穏やかだったが、夕刻から雨となるとぐんぐんと冷え込んできた。 ☆朝一に整備工場へ軽トラを車検に出す。 費用の抑えられるエコノミー立会車検をお願いする。 点検の結果は、昨年に一度不具合で点検してもらっているので、何処も異常はなく、部品交換も全くなかった。 それで最低限度での現金支払いで、残りはカード分割払いにしてもらった。 整備作業は私が台湾・韓国滞在中にやってもらうということだったが、整備作業も部品交換も不要だったし、午後には陸運事務局の車検も通って軽トラが帰って来た。 無事に車検が終って、軽トラが使えるようになった。 ☆発注していた妻の小作品展のDMが届いたので、昨日に準備しておいたラベル紙と切手を貼って郵便局に投函。 その足で、行列の出来る”新山いちご園”に妻とソフトクリームを食べに行く。 日中は風もなく行楽日和だったので、やはり長蛇の列に並ぶ。 ☆先日から台湾高速鉄道のチケット予約購入の手順を調べているが、今日は台湾高速鉄道の公式ウエブサイトで具体的な予約購入方法を調べる。 そして予約を入れようとすると、4月2日の台湾到着日の予約がいくら試みても出来ない。 しかし帰りの4月7日の分は、いたって普通に予約が出来て、カード支払いが完了した。 ひょっとすると、4月2日は台湾の何かの行事でチケットが予約できないのではないかと思って、張さんに尋ねてみた。 そうしたら矢張り、4月3日から6日までは台湾の大型連休で、4月2日の予約枠はすでに完売しているのだろうと言う。 だが普通列車は予約の出来ない当日売りがあるので、問題ないということで安心する。 ネットの情報では当日売りで座席が埋まっている場合は立ち席になるとあるが、桃園駅から台中駅までは40分くらいなので問題ない。 ☆今夜は我が家の庭での花見の予定だった。 しかし桜へのライトアップ作業を済ませ、テーブルと椅子を用意している間に雨が降って来て、次第に本格的な強い雨になってしまった。 我が家の桜はまだあまり散っていないし、梢の上の方はようやく花弁が開き始めた感じなので、無理して今夜の花見宴を開く必要もない。 準備していた”都萬牛”のイチボ・ステーキは予定通りにリビングで食する。 しかし今夜の都萬牛イチボは、かつて食べた宮崎牛とは比べ物にならない美味しさだった。 これまで食べた宮崎牛専門レストランより、我が家で食べる方が遥かに美味しい。 3月28日(金) ☆午前はほぼ曇天。 午後からも晴れ間は出たが、不安定な気候。 気温は上がらず、次第に冷え込んで来る。 ☆庭の桜は葉が増えて葉桜状態になって来たが、昨日の雨にはそれほどの花びらの落下は無く、明日に予定している自宅花見はなんとか出来そうである。 ☆今日もデスクワーク。 妻の小作品展案内DM用のラベル印刷。 そして、台湾の高速鉄道のチケット予約購入方法等について調べる。 ☆先日、高鍋町中央公民館の講座・教室の新年度の生徒募集に目を通していた妻が、知人の荻原さんが短歌教室をやっているので、申し込んでみたら?と言う。 考えてもみなかったが、同級生の設計士のD君が俳句教室に通って毎年句集を出しているので、気になってはいた。 高校時代に伊藤一彦先生の短歌同好会に入会して、自分には詩歌の才能は皆無だと自覚したので、短歌は歌集を読むに留めていた。 荻原さんなら、親しくしていただいているし、やり直してみるのも良いかなと思って、公民館に参加を申し込んでいた。 その荻原さんからお電話をいただいた。 昨年に病で倒れ、高齢(88歳)もあり、公民館教室の講師は続けているが、教室の皆さんは自分の病状のこともご存じの上で対応してくださっている方ばかりで、 とても私を教える体力はないと言われる。 それに伊藤先生との共著「月の雫」での私の作品コメントの文章表現力に驚かれて、こんな文章力のある人にはとても教える立場にない、それよりもイオンで 開かれている伊藤先生の短歌教室に通われた方が力が付きますよ、ということ。 さらに夜にもお電話を戴いて、イオンの担当者と連絡を取られたので是非入会を、と言われる。 いや、伊藤先生にふたたび短歌を指導してもらうなんて、そんなおこがましいことはできない。 しかし荻原さんが固辞される以上、これも何かの縁となるのか、と思い悩む。 3月27日(木) ☆夜明け前に遠雷。 そして雨の一日。 午前は小康状態だったが、午後からは本格的に激しく降り、春雷が轟き渡る。 ☆午前に、恒例の中町公民館・お仙稲荷春季例大祭。 このお仙人稲荷神社はとても霊験あらたかで、直前まで雨が降っていても祭礼の時には不思議と雨が上がる。 雨が止まなかったのは数年前の一度きりである。 今日も朝から雨だったが、祭礼前には雨が上がり、陽が射してきて木漏れ陽を浴びながらのとても気持ちの好い神事となった。 そして祭礼が終った途端に、雨となった。 ☆午後はデスクワーク。 韓国・大邱の李さんから、交流展のパンフレットがPDFで送られて来た。 チェックすると、いくつか日本作家の名前の表記等でミスがあったので、折り返して訂正をお願いする。 韓国の参加作家のうち、李さん以外の作家で2名は良く知った作家である。 ☆そして台湾の高速鉄道のチケットを予約購入しなければならないので、空港に到着してから入国審査を経て高速鉄道に乗るまでに必要な時間を計算する。 ネットで色々調べてみるが、AIが一番わかり易いのではと思ってCopilotで質問してみたら、とても具体的な説明が返って来て、わかり易かった。 入国審査に時間がかかった場合や最近は頻発するフライト遅延等を考慮して、高速鉄道に乗れるまでは3時間くらいの時間を考えた方が良さそうだ。 その旨を張さんに打診すると、別に急いで台中駅に到着する必要は無いという事であった。 ☆夜は中町公民館のお仙稲荷例大祭のなおらい。 今日も不思議と祭礼の間は雨が上がって陽が射したので、きっと今年も中町公民館は好い1年になるだろうということで盛り上がった。 ☆しかし気持ちよく酔って帰宅して私を待っていたのは、思いもよらぬ報告であった。 なんとバグダッドのシンポジウムが中止になった。 イラク首相の事務所から、5月17日〜20日に開催されるアラブ連盟首脳の会議の後までシンポジウムを延期するようにという決定が下されたと言う。 しかしその後は酷暑となり、誰も働くことはできない時期で、シンポジウムは開催できなという事である。 唯一の可能性は、これから先にオマーンからの石の購入が整えば9月に開催できるかもしれない、という。 だがこれも当てにはならないだろう。 従って、いよいよ私のこの先の収入予定は皆無になってしまった。 ☆そしてさらに、夜中になってびっくりするラインが届いた。 先ほどまで私の隣で楽しく呑んでいた中町公民館長が、酒宴会場を出た途端に昏倒して頭部を強打して出血し、脳神経科病院に搬送入院してしまった。 医者からビールを呑むのを禁じられていると言いながら、気持ちよくなって呑み過ぎてしまったのだ。 ☆ 今朝、次のようなメールが届いた。 ”私は、英国のcoreshine-lighting Limitedの営業部長、アーロン・コアシャインです。御社の製品に大変興味があります。 御社のウェブサイトを拝見しましたが、 御社からカタログ/リンクの価格表のコピーをお送りいただきたいと思います。 必要な製品を正確に選択できるよう、メールを当社のディレクターにお送りください。” 私のあかりに関心を持っていただいたようだが、私にはそのような販売製品はない。 3月26日(水) ☆晴れ。 今日は殆ど夏の気温だと思っていたら、夕刻になって家族ラインと兄妹ラインで高鍋町が30度越えという情報が這入って来た。 慌ててネットでニュースを観たら、” 各地の最高気温は、高鍋町で30,3℃、西都市で30,2℃、宮崎空港で30℃を観測。 3月に県内で真夏日となるのは観測史上初めてで、全国でも1999年以来、26年ぶりだということです。 ”とある。 どうりで暑かった訳だ。 全国ニュースで流れたらしく、高鍋町の映像が流れたと言うが、そう言えば夕刻に買い物に出たら、高鍋信用金庫の角でテレビカメラが廻っていて、 取り立てて取材する対象もないのに何を撮っているのだろうと思っていた。 ☆冬から一気に夏が来た。 昨年は夏から一気に冬になった。 これまでのような春と秋が無くなっていくのか。 庭の桜も夕刻までにはかなり花開いてきた。 ☆午前に歯科医院。 先日の虫歯の治療は細かな抹消神経を薬で殺す治療だったと言うことで、それで夜中に痛みが出たということ。 今日はさらに大元の神経を奥へ押し込めて、被せ物のために型取り作業。 被せ物の取り付け作業は台湾・韓国から帰って来てからになる。 だが夜になってまた治療した虫歯が疼いてきた。 このまま被せ物をされたら、虫歯のままで終るのでないのか。 ☆実は今月30日が軽トラの車検である。 しかし車検費用は現金支払いなので、無一文の私は今日まで中国からの入金を待ってみたが、まったくその気配はなく、整備工場に相談に行く。 昔からの馴染みの整備工場なので、出来るだけ現金支払いを最小限にして残りはカード払いできるように見積もりを出していただくことになった。 車検ぎりぎりの29日に車検に出し、整備作業は私が台湾・韓国滞在中にやっていただくことになった。 中国側にヘルプのメールを送ったが、支払い事務は中国政府なので、私のような者からの催促など屁とも思っていないだろう、返事は無い。 ☆妻の4月の作品展に合わせて、よく売れて底をついた缶バッジとマグネットを割り出して、夕刻まで追加発注する。 3月25日(火) ☆晴れ。 今日も気温が上昇。 宮崎市の赤江(宮崎空港周辺)では国内最高の28,5度を記録。 これは3月の観測史上最高気温だという。 高鍋町も28,1度。 ☆我が家の桜も一気に咲き開いた。 我が家では29日に妻と恒例の自宅花見を予定しているが、それまでに散らなければ好いが。 ☆夕刻にパソコンのデータ整理作業をしながらヤフーのトップ画面に戻ったら、いきなり16時38分更新の宮崎県民への「非難指示」表示。 上天気だし、風もないし、何かの表示ミスではないかと驚いたが、クリックすると宮崎市の鏡洲での山林火災で、地域住民に避難指示が出ていた。 なんだか日本中で山林火災が起きている。 ☆今日も一日、デスクワーク。 来週からの台湾・韓国滞在でのeSIMを購入。 台湾・韓国を含めたアジア8日間で見積もって貰ったら、先日のヨーロッパ6日間よりかなり高い。 それで台湾6日、韓国2日で別々に見積もり直して貰ったら、若干安くなったがそれでもヨーロッパ6日よりもかなり高い。 アジア圏の通信費は安いと思っていたが、ヨーロッパと変わらなかった。 ☆午後からは、4月中旬からの妻の作品展の展示作品一覧や、不足しているキャプション作成の作業をする。 台湾へ発つ前に解決しておかねばならないことが多い。 3月24日(月) ☆晴れ。 午前のうちは雲の多い天候。 午後からはすっきり晴れる。 今日も夏日。 我が家の桜も朝のうちに一輪が花開いていたが、午後に一気に開く。 ☆午前は、明日が締め切りの某コンクールのエントリー作業。 昨日手磨きの途中で画像を撮ったのはこのためである。 ☆午後は某海外シンポジウムのエントリーデータ作成作業。 図面を描いたりして、ようやく暮れる前にエントリー完了。 折り返しオルガナイザーからデータ受信のメールが届く。 3月23日(日) ☆快晴。 今日も宮崎県内各地は春霞の夏日。 日向市は今日も全国最高気温の28,3度を記録。 ☆先日からイソヒヨドリの美しい鳴き音が聞こえると妻が言っていた。 私は高齢化で高音が聞こえなくなっているので全く耳にしなかったのだが、今日は軽トラに水を積み込んでいたら、隣の消防機庫のホース乾しタワーの上で イソヒヨドリが鳴いているのに気付いた。 今日の陽気で我が家の桜も開くかなと思ったが、葉がわずかに開いたのみ。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 今日から砥石による手磨き作業。 まだ傷は取れていないが、夕刻前に海辺へ走って画像を撮る。 この作品は2014年のカナダ・セントジョンのシンポジウムの時に、併催された小作品展に出品した手の平サイズのミニチュアがオリジナルである。 小作品展にミニチュアを展示して、そのままみんなで鯨のウオッチングに出かけたが、帰ってきたらもう売れてしまっていた。 何処の誰が買ってくれたのか、全く情報が無かった。 私にはとても愛着のあるミニチュアだったので、いつか拡大制作してみたいと思っていた作品である。 10日後の高鍋高校OB美術展と今年の空港展に出品する予定で制作している。 ☆海に向かっていると、新しくなった高鍋駅舎の前の”MOON DANCE”が遠くからくっきりと際立って見えるようになった。 今日こそ帰りに写真を撮ろうと思ったら、やはり海からの帰りは通学電車の到着時刻前で、迎えの車がローターリーの周りに密集してしまっていた。 3月22日(土) ☆快晴。 気温は急上昇し、宮崎県内は各地で夏日となる。 日向市は全国で一番暑い27度を記録。 風も強く、黄砂と土埃とおそらく飛散する杉花粉で街中と里山の畑は黄色い煙幕に包まれた。 宮崎県内は、今日あたりから桜まつりが開かれている。 我が家の桜はまだ硬いつぼみ状態。 ☆アンジェラスの森で作業。 午前は、昨日制作した台座の捻りの修正。 昼前と午後からは本体の成型修正と仕上げ作業。 明日には手磨きに這入れる。 ☆夕刻から妻のボーカルレッスン。 私も作業が一段落したので、ハーモニカでジョイント。 しかし、妻がここ数日は夜の出方が続いてあまり一緒に練習できなかったので、信じられない程に私は最低最悪の状態であった。 3月21日(金) ☆快晴。 気温は上昇して春の陽気。 霞のかかった天候だったのは、黄砂だろうか。 作業には防寒ジャンパーや防寒ズボンが暑すぎる。 ☆アンジェラスの森で作業。 午前は、ほぼヤスリと砥石での仕上げ作業。 午後からは台座の制作にかかる。 ☆とうとう今週も中国からの入金の気配はなし。 3月20日(祝・木) ☆快晴。 朝は冷え込んだが、日中は陽射しが強く風も無く、とても暖かかった。 夕刻からは冷え込む。 ☆一晩中、昨日に歯科医院で治療した虫歯が痛んだ。 歯科医院に治療に行って、逆に虫歯が痛くなるなんてどういうことだ。 麻酔が切れた時の痛み止めの薬を貰っていたので、朝食後に服用したら痛みは治まった。 ☆アンジェラスの森で作業。 細部の仕上げ作業で、ほとんどリューターと砥石による作業で、コンプレッサーは使わず。 やはり森の中の作業は気持ちが好い。 ☆アンジェラスの森ではうぐいすの初鳴き。 里山は山桜も咲き始め、もうすっかり明るい春の景色になって来た。 ☆午後に墓参。 ☆夕刻に帰宅すると、妻がしょんぼりしている。 何事かと思ったら、先日のクロアチア・ベネチア旅行のスマホ画像が全部消えてしまったと言う。 パソコンに移動したのでは?と確認させたが、まだパソコンには保存していなかった。 妻のスマホを確認したら、確かにスマホのカメラで撮った画像が全部消えている。 ネットで調べたら、削除フォルダーを開いて”復元”を押せばよいとあるので、必要な画像を一枚一枚復元させる。 何かの拍子に、不要な画像を削除したつもりが、全部のカメラ画像を削除操作してしまったようだ。 3月19日(水) ☆朝のうちは晴れ。 昼前から雲が出て、ほぼ曇天となる。 雲が出て来てからは、じんじんと猛烈に冷え込む。 ☆午前に歯科医院。 先日に治療したのとは別の虫歯の治療。 ずっと疼いていた虫歯である。 かなりひどい虫歯なので神経を傷める可能性があるからと麻酔をかけての治療。 案の定、すでに神経が露出していると言うこと。 これほど酷い虫歯を、院長は初診の時に見落としていた。 夕刻になって麻酔の効果が切れて、痛みが出て夕食時に食事の咀嚼ができない。 ☆昼前にアンジェラスの森へ上がって少し作業。 しかし今日もあっという間に雨雲が出て来て、雨が降り始め、ひどく冷え込んできた。 午後も今にも雨になりそうな気配だったので、いったんアンジェラスの森へ上がり、制作中の作品を持って帰る。 作品は仕上げの段階なので、午後は自宅工房で手ノミとリューターで細部の仕上げ作業をする。 3月18日(火) ☆午前は晴れ。 昼から雨。 夕刻から晴れ間が戻る。 ☆今朝5時ごろに熊本で震度4の地震があり、高鍋町でも震度2だったようだ。 しかし寒くて夜中に何度も起きていたので、夜明け前は私も妻もぐっすり眠っていてまったく気付かず。 ☆アンジェラスの森で作業。 昼前から急に雲が出て、昼にはあっという間に雨になった。 午後もお昼を摂っている間は雨は上がっていたが、3時くらいに再びの土砂降りになり、慌てて帰宅する。 しかし帰宅するや、急激に天候は回復した。 ☆台湾の張さんに、空港には誰か迎えに来てくれるのか問いあわせたところ、新幹線で台中駅まで乗って来て欲しいと言うこと。 だがネットで検索すると、予約したチケットは台湾では現金でしか購入できないとあり、無一文の私にはそんな現金は持ち合わせないのでたじろぐ。 ふたたび検索を進めると、新幹線のウェブサイトで日本でカード払いができることが解った。 ただチケットを予約するにも、空港での入国検査を終えて新幹線駅まで行くのにどれほどの時間が必要なのだろう。 ☆妻が耳鼻科で、耳にピアスの穴を開けて貰った。 ずっと開けたかったそうだが、教員時代は禁止されていたと言うこと。 3月17日(月) ☆晴れ。 寒の戻りで冷えこむ。 宮崎県でもえびの高原は雪が降ったようだ。 ☆午前はアンジェラスの森で作業。 今日からコンプレッサーを積み込んで、エアーチッパーで作業をする。 作業中は寒さは感じない。 里山に一気に緑の芽吹きが拡がって来た。 ☆午後は歯科医院。 今日はもう1本の虫歯の型取りという事だったが、先日の治療の事後処理であった。 3月16日(日) ☆曇り。 午後半ばから晴れ。 暖かい一日。 ☆天気予報では午後から晴れであったが、晴れ間が出て来たのは午後半ばから。 午後後半からアンジェラスの森で作業。 春の気配の森の中の作業は快適である。 ☆春眠暁を覚えずと言うが、春は本当に寝ても、寝ても眠い。 今日は夕刻に帰宅すると、眠くて仕様が無く、半分うつらうつらしながら夕食の準備をする。 またやはりこの時期になると花粉症気味で、目がかゆくなり鼻水がたらたらとなって来る。 妻が昨日に耳鼻科に行ったら、開院前に行ったのにもう患者が長蛇の列で、診察までに3時間待たされたと言う。 3月15日(土) ☆雨。 ☆雨の一日だったので、今日はデスクワーク。 妻が4月から、通っているフィットネスクラブの中で絵画教室を始める。 その打ち合わせの中で、ジムのオーナーから併設のカフェで作品展の開催を求められて準備を進めている。 絵画教室の講師の紹介にもなるからである。 さらにその作品展の期間中にライブもやって欲しいと言うことであったが、妻が昨日にヴォーカル講師の片貝さんと打合せてライブ開催を決めた。 それでジムのネットワークで会員に流すので、大至急フライヤーを作って欲しいというオーナーの要望で、午前はフライヤーとDMのイラストレーター原稿を作成する。 そしてジムのオーナーにフライヤーの画像を送り、ネット印刷でフライヤーとDMを発注する。 ☆ジムのオーナーの発信で、直ぐにライブ予約が這入ったということである。 ☆午後は、5月に開催予定のライブのフライヤー原稿を作る。 ただ私はバグダッドが延期、延期になっているので、とても事前の練習時間は取れそうにないので、参加できるかは未定なので、フライヤーは今のところ原案である。 ☆ここ数日、私の作る夕食がとても美味しい。 昨日のパスタも今夜のピザもとても美味しく出来て、先日のクロアチア・ベネチアの不味かった料理なんて比べ物にならないねと妻と語りながら夕食を摂った。 そして妻の取り寄せているボルドーワインも今夜のボトルはとても美味しかった。 食後のハーモニカの練習も昨日よりは少し進歩して、ハーモニカの練習を終えて、残りのワインをグラスに注いでゆっくり寛ごうと思った瞬間にアクシデントは起きた。 ☆ワインをグラスに注いで椅子に座った途端に、腕の肘がワイングラスを直撃してしまった。 そして、床に落ちてしまったワイングラスは、厚みのあるグラスだったので粉々に砕け散ってしまった。 これは完全に私の動作ミスである。 だがそう言えば、2日程前にも妻のワイングラスに、何時の間にか大きな亀裂が這入ってしまっていて使えなくなったばかりだった。 3月14日(金) ☆くもり。 天気予報では午後から晴れだったが、雲の流れが予想よりも遅かったようで、晴れ間は出ず。 気温の冷え込みはなし。 ☆雨は降らないようなので、午後からアンジェラスの森へ上がる。 先日から手がけている小作品の制作を続ける。 ☆夕刻に買い物に出て、スーパーで幼稚園時代から仲の好かった同級生のお姉さんとすれ違った。 お姉さんと言っても私の4番目の兄と同級生だったと思うから、もう80歳である。 私は時々お店の前を通って目にしているのだが、直接にお話したことはもう何十年も無い。 だがすれ違いざまに私に反応して声をかけられそうになったので、レジに向かう途中にふたたびお会いしたらやはり私だと知って声をかけていただいた。 高鍋駅前の”MOON DANCE”の件でテレビや新聞に出る私を見られて、気になっておられたと言うこと。 幼いころに親しかった方が今でも私を覚えていていただいて、とても嬉しかった。 3月13日(木) ☆昨夜も蒸し暑い夜だった。 午前は薄日の射す天候だったが、昼前には小雨交じりの曇天となる。 ☆雨の降らないうちに、昨日に梱包した作品を「彫刻集団・佐賀」の事務局へ送る。 ☆宅急便を出て、そのまま血圧の定期健診でN・K内科医院へ。 我が家のかかりつけだったO内科医院のO先生が2月8日で医院を畳んだので、以前から大腸憩室炎の診察などでお世話になっていたN・K医院を次のかかりつけの 担当医になってもらうことにした。 O先生からの紹介状を持って行く。 昨年は年に1回は行っていた健康診断を受けていなかったようで、血液検査、胸部レントゲン、心電図もやってもらった。 私は不整脈があって、O内科以外で心電図を撮ると必ず不整脈を指摘されて、精密検査を受けるように忠告される。 しかしO先生はずっと私の不整脈を診ておられたので、問題無いと言う判断であった。 ところが今日の心電図はとても綺麗で、不整脈の気配は全くなかった。 こんなことは初めてである。 胸部レントゲンでは、過去の喫煙での翳りが少しあるが、健康には全く問題はないということであった。 私は煙草は喫わないのだが、会社勤めを辞めた時には精神的に最も辛いときで、喫えない煙草を喫い続けていた時期があったので、その翳りなのか。 ☆午後は妻のボーカルレッスン日。 5月にライブを予定しているので、私もハーモニカでジョイントする。 しかしあまりにも無残なヘロヘロ状態であった。 一向にハーモニカがうまく演奏できない。 特にリズム感が致命的に欠けている。 3月12日(水) ☆雲は多いものの、ほぼ晴天。 昨夕から気温が上昇して、夜中は蒸し暑かった。 日中もとても暖かくなり、上着はシャツ一枚で充分だった。 ☆この春から妻が年金を受給するようになる。 それに伴って色んな手続きをしていたが、年金事務所から私にも老齢基礎年金へ加算される可能性があるので、請求の手続きをしてくださいということだった。 つまり私は妻に扶養されているからである。 そして昨日、手続きの案内が届いたので、午前に高鍋年金事務所に出向いて「国民年金老齢基礎年金額加算開始事由該当書」を提出する。 6月の年金からこの老齢基礎年金が加算されることになった。 加算額はたいした額ではないが、もともと私の年金額が少ないうえに介護保険や後期高齢者医療保険料が差し引かれて、手取りは雀の涙ほどの額しかない。 少しでも年金支給額が加算されると有難い。 ☆午後は彫刻集団・佐賀に出品するバグダッドのマケットの梱包作業。 佐賀から作品が戻ってきたら、直ぐに韓国・大邱へ送らなければならない。 ☆韓国・大邱の李さんから、本日日付の”Art Fantasy Cultural and Arts Cooperative"からの招待状が届く。 おそらくこういう招待状があれば、作品持ち込みで韓国入国する時にスムーズに行く。 3月11日(火) ☆午前は雨。 午後は小康状態。 ☆午前に、お隣の新富町”しんとみギャラリー”へ、今日から開催の”井手口あけみ 日本画展”へ。 実は本来なら、今日から私たち夫婦の版画二人展を開催するところだった。 しかし秋口に正月開けてのバグダッドシンポジウム招待が決まったので、版画作品が制作できる見通しが立たなくなってしまった。 それで私たちの二人展をキャンセルして、妻のサークル仲間の井手口さんにお願いして、急遽個展を開催してもらった。 ☆帰路に高鍋町美術館で開催中の実技講座生徒作品展へ。 私も妻もこの実技講座作品展を見たことが無かったが、妻が高鍋町美術館の青井学芸員の発信するフェイスブックを見て、関心を持ったようだ。 ところが、妻も私も”素人による作品展”という先入観を大きく裏切られて、ショックを受けた。 作品のレベルがいわゆる公民館講座のようなものでは無いのである。 もうしっかり作家として自立できるレベルの方たちが多いし、講師のレベルも高い。 受講生の名前の多くは知らない方ばかりであり、多分、高鍋町外から受講されている方も多いようだ。 何しろ、美術館の講座で受講料は無料なのだ。 特に日本画の講師は、大学で日本画を専攻した若い女性作家で、名前は知っていたが本人の作品を見たのは初めてで、本格的な技量の作家だと知った。 日本画専攻なので、金箔を貼る作業はお手の物で、受講生は全員が色紙に箔を貼った作品を制作していた。 こういう技法が無料で学べていたなんて驚きであった。 また木版画の講師は私の兄だが、生徒の方が本格的な高レベルの版画作品を制作していて、私が教えてもらいたいと思うほどのレベルであった。 4月からは講師が新しくなるが、私の全く知らない講師ばかりである。 講師を選択しお願いする青井学芸員のネットワークの多様さ、見識の深さに敬服する。 3月10日(月) ☆朝のうちは晴れ。 昼前から雲が出て午後に雨。 夕刻からは激しく降る。 ☆午前に歯科医院。 今日は院長がじきじきに治療してくれた。 今日の虫歯は左上の前歯で、麻酔をしての治療であった。 そう言えば風邪気味になると、この歯の上の歯茎が化膿したりしていたし、昨年暮れに酷い腫れと痛みで蓄膿だと思って耳鼻科に行ったら、蓄膿では無かった。 今日も麻酔の後は、同じ様に蓄膿のような痛みを感じた。 院長は初診の時に見逃していたが、ひょっとするとかなり悪性の虫歯では無かったのか。 ☆韓国の李さんへ、送付作品の変更データを送り、搬入・オープニングへの参加が出来るようになったことを伝える。 折り返し、台北から大邱へ早朝5時に着いた時には李さんが迎えに来てくれるという返事。 さらに驚くことに、実は今回の交流展に参加する韓国・大邱の作家たちは、会期中の4月11日から台湾・花蓮の展覧会に行くのだと言う。 大邱から台北へは直行便が飛んでいるので、台湾はとても近い感覚なのだ。 ☆台湾の張さんからも、プロジェクトのスケジュールが日本語版で送って来た。 それにしても、バグダッドが4月末に再延期になる可能性が高くなり、韓国・大邱へ行けるようにはなったが、無収入なので韓国までの旅費など無く、 頭を抱えていたところだった。 そこへあたかも神の手の如く、台湾からの招待が届いて、韓国経由でのフライト料金を負担してくれることになった。 バグダッドが予定通りに1月に開催されていたら、私はとっくに妻と二人分の韓国・大邱行きの旅費とホテルを予約購入していた。 その後に台湾からの招待が届いたら、私は韓国への旅費等のキャンセルをしなければならなかった。 人生、こういう不可思議な面白いことが起きる。 3月9日(日) ☆晴れ。 暖かいほぼ春の陽気。 夕刻からは急激に冷え込む。 ☆張さんからOKが出たので、台湾と韓国・大邱経由のチケットを購入。 変動相場なのか、2つの路線は昨日よりも安い。 しかし沖縄ー台北と大阪ー宮崎は格安航空会社(LCC)なので、無料の預け荷物は無く、追加料金を払わなければならない。 それでも昨日の見積もりより2,000円しかオーバーしない。 また航空券と一緒にホテルも予約するとかなり安くなるので、大邱でのオープニングの夜のホテルも予約した。 ☆張さんに旅程と領収書を添付して報告する。 昨日よりも若干オーバーしたことは問題ないということである。 ☆私は当分無一文で、韓国・大邱へ作品を送る費用もない。 それで当初に送る予定だった作品は取りやめて、バグダッドのマケット原型を送ることにした。 午後に海辺へ走って写真を撮る。 今日は春のような陽気で海辺には誰も居ず、勿体なかった。 ☆リノベーションした高鍋駅舎の外観が出来上がっていて、”MOON DANCE”がいよいよくっきりと浮き上がって来た。 帰りに写真を撮ろうと思ったら、出迎えの車がロータリー脇に留まってしまっていて、邪魔になって撮れず。 3月8日(土) ☆一日、雨。 ☆やはり疲れが出ているようだ。 夜中に足が攣ってしまったし、夜が延々と長かった。 買い物に出ると、車の乗り降りに股関節が痛い。 ☆午前は不在中の新聞に目を通す。 ☆午後は台湾へのフライトを調べる。 先日から台湾の日程と韓国・大邱の日程を照らし合わせていたら、台湾の出発日と韓国・大邱の搬入・オープニング日が同日である。 フライトの調整がうまく行き、もし宮崎ー台北の往復旅費と、台湾からの帰りを韓国・大邱経由での旅費とに大きな差額が無かったら、台湾側が韓国経由での 旅費を支払ってくれるのではないのだろうか。 それで調べてみると、宮崎ー台北の直行便に現在はタイガーエアーが週一(火曜日)で往復している。 このタイガーエアーを利用すれば最も安いフライト費用になる。 しかしネットで調べると、タイガーエアーのフライト予定は3月末までしか表示されないし、格安フライト検索サイトでも4月には直行便の該当なしと表示される。 つまり、どのみち宮崎から台北へ往復するには沖縄軽油、福岡経由、大阪経由しかない。 一方、台北から韓国・大邱には毎日、直行便が飛んでいて、大邱に早朝5時に着くフライがある。 これだと搬入にも参加できるし、オープニングにも出席出来て大邱に一泊出来る。 しかも宮崎ー台北の往復旅費と、韓国・大邱経由の旅費とはそれほど変わらない。 ☆その旨を、フライト比較の一覧を添えて張さんへ打診する。 張さんは直ぐにプロジェクトの実行委員会に相談してくれて、韓国経由でのチケット支払いに全員が同意してくれたという嬉しい返事が届いた。 これで思いがけず、台湾のプロジェクトに参加したあとに韓国・大邱へ立ち寄って皆さんとオープニングパーティーで呑めることになった。 明日にはチケットを手配しよう。 ☆フェイスブックを見ていたら、彫刻家の國松明日香氏が6日に肺炎で亡くなっている。 國松氏とは、私が東京芸大大学院を受験した時の同期で、出身地の北海道で活躍されていた。 私は近年、北海道の作家の皆さんとの交流があるので、いつか再会できるだろうと思っていた。 当時の受験生で記憶に在るのは國松氏だけで、その理由は私が大ファンだった「おくさまは18才」の主人公・岡崎友紀の名前が”あすか”だったのと、 奈良・明日香村の高松塚古墳で壁画が発見された時期だったので、”明日香”という名前が強烈なインパクトを与えた。 もう一つの理由は、大学院の受験なので殆どの受験者は等身人物像を参考作品として提出していたのに、國松氏だけが首像を提出していた。 私は宮崎大学時代は首像ばかり作っていたので、首像には絶対の自信があったのだが、大学院受験には等身人物像の提出が必須という情報だったので、 苦手な人物トルソを制作して提出した。 しかし面接のときに、面接担当の菊池一雄教授と淀井敏夫教授に” なぜ首を持って来なかったのか?首像なら充分に大学院の試験に立ち会える”と言われた。 駄目でもともとで臨んだ東京芸大大学院だったので、両教授に私の首像(参考資料として写真を提出)を評価してもらい、とても心が暖かかくなったのを覚えている。 面接から戻って来た國松氏はニコニコ顔で、菊池教授からこのままやって行けるかと確認されたと言って、ほぼ合格確信の歓びを語っていた。 私は首像なら大学院へ合格できたのではないかという悔しい思いと同時に、首像を提出してきた國松氏の作品の魅力に惹かれた。 國松氏の首像は、ほんわかと暖かい雰囲気で、私は佐賀大学の専攻科での制作で、彼の作品に影響を受けて石膏の首像に砥の粉を塗ってみたことがある。 3月7日(金) ☆晴れ。 午前はホテルでゆっくりする。 ☆10時にホテルのリムジンバスで羽田空港へ。 12時出発のフライトが、機体の整備に時間がかかり40分遅れで出発となった。 搭乗口で、同じ町内公民館員のデザイナー・古川君とバッタリ。 昨日は高鍋町出身のラッパー・ガドロの武道館ライブで、古川君もスタッフとして物販担当でクタクタに疲れたということ。 ☆宮崎空港には定刻より30分遅れで到着。 羽田空港搭乗口に居る間から時差惚けでボンヤリとなり、機中は殆ど寝て過ごす。 宮崎も好いお天気。 もう早咲きの桜が咲いている。 ☆帰宅したのは夕刻近くで、洗濯をしたり旅荷を片付けたりして、あっという間に過ぎる。 ☆夕刻に買い物に出ると、内股がビンビンに張って痛い。 夕食はテイクアウトのお寿司。 他のツアーメンバーの皆さんも、帰国したらお寿司かうどんが食べたいと言っておられた。 3月6日(木) ☆快晴。 ☆イスタンブール空港に0時20分着。 ベネチアでは空港に行くまでは体調は万全だったのだが、飛行機に乗った途端に再び胃にガスが溜まって苦しくなり、とうとうイスタンブールでの乗り継ぎ時間に トイレで思い切り吐いてしまった。 ☆2時35分の定刻にイスタンブール発。 ところがここでまたも思わぬトラブル発生。 飛行機への搭乗口に向かっていたら、パスポートに挟んでいた搭乗券が無い。 あわてて後戻りして捜そうとしたら、ツアーのメンバーの方が椅子の上に落ちているのを見つけて下さった。 今回は何故かこんなことばかり起きる。 ☆体調はかなり恢復したが、まだ胃のムカつきは治まらないので、羽田までの機内食には殆ど手を付けず。 ☆19時45分の定刻に羽田空港着。 ツアーの皆さんとお別れする。 皆さんは、殆どが旅のベテランばかりであった。 ☆今夜の国内線はもうフライトが無いので、東京泊まりとなる。 ホテルのリムジンバスでJAL CITYホテルへ。 夕食はホテル近くの居酒屋で。 美味しい日本の食事でホッとする。 3月5日(水) ☆快晴。 ☆昨日までの疲れが足に来ていて、夜中は足が攣って困った。 ☆今日はツアーの最終日で、出発までは各自のフリータイム。 ホテルのチェックアウトが12時なので、午前はホテルでゆっくりする。 やはり皆さんは疲れが足に来ていて、朝食も遅い時間に摂られていた。 ☆私と妻はホテルのフロントにスーツケースを預けて、昼前にホテルを出てベネチア・アカデミア美術館へ。 妻は友人との旅で過去にアカデミア美術館を訪れている。 這入ってみると宗教画ばかり。 私は昨年のヨーロッパ周遊で、この宗教画のあまりの類型化に辟易している。 どの絵にも、刃物で首を落されたり、矢を打ち込まれたり、磔になったり惨殺されたりの殺人場面ばかり。 そして描かれた人物のポーズがすべて同じである。 宗教とはこんなにも残酷な血なまぐさいものかとあきれるしかない。 ☆ただ初期のイコン絵には金箔が多く使われており、版画に金箔を使い始めた私にはとても参考になった。 ☆お昼はアカデミア美術館前のカフェで、アカデミア橋を眺めながらピザとビールを摂る。 今回の旅で、最もホッとした食事であった。 ☆午後は近くのペギー・グッゲンハイム美術館へ。 スペインで訪れたビルバオ・グッゲンハイム美術館と同じく、ソロモン・R・グッゲンハイム財団の美術館である。 ソロモン・R・グッゲンハイムの姪にあたるペギー・グッゲンハイムは、美術収集家として多くの美術品を生涯集めた。 ペギーは現在の美術館となっているこの館を購入し、収集した美術品をコレクションとして収蔵しているということ。 運河沿いの洒落た建物の庭には現代彫刻が展示され、屋内のピカソやミロの絵も見たことの無い秀作が展示されている。 妻が、我が家の庭もこんな風な庭にして彫刻を展示出来たらと夢見るほど、素敵な美術館であった。 ☆ペギー・グッゲンハイム美術館でもドキリとした出来事が。 またも肩掛けバッグのチャックが開いて、中の財布のチャックも開いているのを妻に注意された。 今回はアカデミア橋を見ながらのランチの支払いに私のクレジットを使った。 私は迂闊にも、クレジットカードを財布に戻した時に、財布もバッグもチャックを締め忘れたのだ。 昨夜の件でも、スリ被害に遭ったのではなく、私がチャックを締め忘れていたのではないのか。 まさか惚けが這入って来たのではあるまいか。 ☆夕刻4時前にホテルへ戻り、ボートで空港へ移動。 空港では自動チェックイン機で、イスタンブールからの乗り継ぎ便まで含めて通路側の席が取れた。 19時40発のフライトで中継地のイスタンブール空港へ発つ。 3月4日(火) ☆快晴。 ☆朝8時から、宿泊したトリエステの市内を歩いて観光する。 トリエステはオーストリアの支配が長かったので、ヴェネチアの影響を受けていない独自の港街である。 またコーヒーの輸入基地で、カフェ発祥の街でもある。 港から市内中心地へ物資を運ぶための運河があるが、信じられない程に透明度が高い。 市内観光を経て、ミラマーレ城へ。 ミラマーレ城は、トリエステ湾の海に突き出すような格好でのハプスブルク家の城館。 遠くには雪を冠ったヒマラヤ山脈がくっきりと見える。 アドリア海は波が静かで、今の日本では考えられない程に海の透明度が高い。 ☆ミラマーレ城を発って、今回のツアーの最大の目玉であるベネチアカーニバルへ。 昼食は途中のドライブインでサンドイッチを買って食べる。 ☆14時にベネチア着。 ベネチア本島への移動は船になる。 スーツケースは別便のボートでホテルへ運ばれ、私たちツアー客はボートでホテルへ移動。 私と妻がベネチアへ来たのは、150年ぶりの猛暑だった2003年の夏に家族4人で訪れて以来。 当時とはもうかなり様子が違っている。 ☆ホテルへチェックインして、仮面カーニバルのメイン会場であるサンマルコ広場まで歩く。 しかしカーニバルと言っても、先日のリエカのようなパレードがある訳では無い。 各自が思い思いのコスプレをして歩くだけで、しかも期待に反してコスプレ姿の人はまばらである。 サンマルコ広場もコスプレ姿はちらほら程度である。 なんだ、ベネチアの仮面カーニバルなんてこんなものか、とがっかりしていると、夕刻に近づくにつれあちらこちらからコスプレの人々が現れて来て、 一緒に写真を撮るのに夢中になる。 なるほどこれがあの仮面カーニバルなのか、と納得。 皆が楽しめるとても面白いユニークな空間である。 ☆残念ながら、続々とコスプレーヤーが集まってくるなかを、暮れ落ちるサンマルコ広場を後にしてホテルへ戻る。 ☆その帰路の途中で信じられない出来事が起きた。 マルコ広場ですれ違ったコスプレーヤーのカップルで、私が最もかっこよいと感じた二人が前方を歩いている。 すれ違ったときは写真を撮るタイミングが無かったので、サンマルコ広場で再び出遭ったら是非写真を撮りたいと思っていた。 その彼らが前方を歩いているので、慌てて彼らの前へ走り、スマホを押した。 その時に、である。 添乗員さんが、”田中さん、カードが落ちましたよ”と私に告げて、彼が差し出した手に確かに私のクレジットカードが掴まれている。 びっくりして肩下げバックを見ると、バッグが開いて、クレジットカードを入れていた財布が外に出て、しかもチャックが開いている。 財布はスリ被害防止のためにバッグの中でつないである。 その少し前に、私はトイレの料金を払うために、バッグの小銭入れの財布を入れてある別のチャックを開いたが、その時は財布の這入っているメインのチャックは きちんと閉じてあった。 つまり、トイレを出て、そのコスプレーヤーの写真を撮るまでの数分間の間にスリ被害に遭い、盗まれなかったクレジットカードがコスプレーヤーの写真を撮る時に、 ポトリと添乗員さんの目の前に落ちたのだ。 なんという幸運な偶然だろう。 あの時、添乗員さんの目の前でカードが落ちなかったら、大変なことになっていた。 けれど私はスリ被害に合わないように、バッグはしっかりガードしていたので、どうしてそういう状況になったのか不思議でならない。 ☆いったんみんなでホテルへ戻り、近くのレストランへパスタを食べに行く。 家族で来た時に、ベネチアで食べたイカ墨のパスタがとても美味しかったので、皆さんでイカ墨パスタを食べた。 しかし、期待に反してちっとも美味しくなかった。 ☆今日は万歩計を付けておられる方の報告で20、000歩いたようだ。 みなさん足がガクガクである。 私もどっと疲れて直ぐに寝たかったが、部屋がバスタブだったので、バスタブにお湯を溜めて、足元を解して床に就く。 ☆台湾の帳さんから、昨年はヨーロッパ旅行と重なって参加を断った手彫りの彫刻プロジェクトの招待が届いた。 会期は韓国・大邱と重なるのだが、主催者が2年連続して私を指名してくれたというので、台湾へ行くべきだろう。 しかし今の台湾は景気が良くないようだ。 昨年は報酬がきちんと出たが、今年は報酬が無いという。 そういえば来年に台湾・花蓮で開催予定だった交流展も、財政難で中止になったと言う連絡が数日前に届いたばかりであった。 3月3日(月) ☆快晴。 ☆やはり今日も胃にガスが溜まった状態で体調は芳しくない。 ホテルの朝食は美味しかったので、野菜と果物を中心に摂る。 ☆今日の最初の訪問地はイストラ半島を巡り、プーラという町までバスで101kmの移動。 今日の方が起伏の激しいバス旅だと言うことであったが、バス酔いはなかった。 イストラ半島は、クロアチアで最も長くベネティアと文化を共有した地域で、あらゆる面でベネティアの影響が色濃く残っている。 プーラは約3000年の歴史を誇り、ローマ時代のプーラは上下水道が整い、寺院や劇場、ローマ浴場等が立ち並ぶ町であった。 観光の目玉は円形闘技場などのローマ時代の遺構が残り、現代の町と共存している。 ローマ時代の円形闘技場の石組は、ノミで削られているにもかかわらずまるで大口径ノコで切った様にまっ平らな面で隙間なく組まれていて、ローマ時代の 石組技術の素晴らしさは驚くばかりであった。 ☆次にロヴィニという港町へ。 昼食はレストランで。 バス酔いはないが、胃の調子は最悪なままなので、出て来た魚(タラ)のムニエルは半分ほどしか食べられなかった。 ロヴィニは「ヨーロッパで最もロマンチックな街」と称される小さな港町。 そして近年は「魔女の宅急便」の世界にそっくりな街並みだと言うことで、人気が急上昇している町のようである。 ☆ロヴィニを出て、午後は国境を越えてスロベニアの港街・ピランへ。 スロベニアは海岸線はわずか47Kmしかないが、塩作りが有名で、中世時代は「白い黄金」と呼ばれて金と同等の価値で取引されたということ。 高台の教会から眺めると、はるか向こうに雪を冠ったアルプス山脈が見える。 ☆アドリア海に落ちる夕陽を眺めながら、さらに国境を越えてイタリアのトリエステへ。 今夜はトリエステのホテルに宿泊。 夕食はまたも魚(スズキ)のムニエルで、今回の旅行は朝食以外はまったく美味しくない。 3月2日(日) ☆晴れ。 ☆私は環境が変わると、特に海外に行くと便秘になる。 それで昨日の胃のきつさは便秘が原因だと思えたので、寝る前に薬を服用したら、今朝には体調は恢復した。 ☆だが、今日も今回のツアーのハイライトのリエカまでは、雪を冠ったディナル山脈に添ってアドリア海沿岸を延々と走る。 高速道路が閉鎖されていたので、海沿いのくねくね道の約330Kmの距離を3時間30分も走る。 今日は上天気だったので、最初は美しいアドリア海沿いのドライブを楽しんでいたが、次第に車酔いに陥ってしまった。 ☆リエカに着いた時には殆ど吐く寸前だった。 したがって、今日のランチも吐き気で半分も食べられなかった。 ☆リエカは中世以来、カーニバルで有名な町で、今では世界で3番目に大きな国際カーニバルとなっている。 今回のツアーの目玉の一つがこのリエカのカーニバルである。 色んな国々の110近いグループがそれぞれの民族衣装やコスチュームで街の大通りをパレードする。 私たちツアー客はメインステージ前の有料観覧席でそのパレードを観る。 有料観覧席には無料のホットワインやリエカ特有のおつまみも用意されている。 ただお祭り大好き男の私にとっては、ただ色んなコスチュームで踊りながら歩くだけのパレードは退屈で、全く面白くなかった。 日本の博多どんたくや青森のねぶたなど、日本の祭りの方が遥かに迫力があり、統一した美しさがあって素晴らしい。 だが次第にその場に居ると、日本の祭りは”神事”だが、こちらのお祭りは単なるパレードが主体で、観ている人たちもそれぞれにコスチュームを楽しんでいる。 街全体がこのフェスティバルを楽しんでいる。 人間て、本質的にこういう賑やかさを求めるのだと、次第にパレードを楽しめるようになった。 私たちが有料観覧席の3時間で観たパレードは109出場チームのほんの一部であった。 ☆ホテルはリエカから14Km離れたオパティオへ。 今日は妻の65歳の誕生日である。 添乗員さんが気効かしてくれて、ディーナーの前にツアーの皆さんでハッピーバースデイを歌っていただいた。 こんなカーニバルで誕生日を迎えられるなんて、妻は幸せである。 ☆ただ私は午前のバス旅の苦しさが回復せず、今夜のディナーも野菜中心に摂っただけであった。 バス旅の疲れがどっとでて、部屋に戻るとシャワーも浴びずベッドに這入る。 明日も今日よりも起伏の激しいバスの長旅である。 ☆バグダッドから状況報告が届いた。 石の手配、道具の購入、ホテルの手配の全ては終えてあるが、大理石をオマーンから購入して輸入するのに大統領のサインがいるようだ。 その大統領が超多忙で、なかなかサインまでたどり着かないでいるとのこと。 準備は予定通りに4月第一週からの開始で進めているが、どうやら4月末に延期になる可能性が大きくなったことを了承して欲しい、ということである。 文面の気配から、4月末への延期の可能性が大きいのだろう。 となると韓国・大邱へ行くける可能性が出て来た。 だがバグダッドが4月末延期になると、バグダッドの報酬がまた一月延びてしまう。 3月1日(土) ☆雨。 午後から曇り。 ☆時差ボケで夜中は何度も目が醒める。 ☆朝起きてベランダに出ると、青空が広がっていて眼下には”アドリア海の真珠”と呼ばれるドブロヴニクの美しい景観が拡がる。 昨日に何処かで雨傘を置き忘れてきたので、天候の回復を喜んだ。 そしてホテルの朝食がとても美味しかった。 ☆しかしホテルを出る際から再び雨となり、雨は次第に本格的になった。 今日の訪問地となるスプリットまでは235Kmの距離を、アドリア海に添ってうねうねとした山並みを走る。 最初は雨のアドリア海も想い出になって好い、と思っていたが、やはり視界の効かないくねくね道は堪える。 とうとうご婦人の方が車酔いで吐かれた。 日本を出る前に、添乗員から車酔いの薬を持参するようにと指示された意味がわかった。 そして小休止の後に再びバスが走り出すと、今度はバスのバウンドで私の胃が悲鳴を上げ始めて、とうとうそれが一日続いてしまった。 ☆延々とした山並みはモンテネグロから続く亀裂だらけの石灰岩の荒山。 風化した石灰岩が場所によってはモコモコとした綿の塊のようにも見える不毛の山である。 したがってそういう山間地ではワインには最適地で、クロアチアのワインはとても美味しいと言う。 ☆目的地のスプリットに着く頃には雨も上がってくれた。 観光の前にレストランでランチ。 しかし私は胃がムカついて、メニューの冷えた魚スープや魚のムニエルには手が出ない。 ☆ランチの後にスプリットのディオクレティアヌス宮殿と旧市街を観光。 ディオクレティアヌス宮殿は、3世紀末にローマ帝国の再建を図ったスプリット近郊出身のディオクレティアヌス帝が、引退後の住まいとして建てた宮殿。 その後、数百年の歳月を経た7世紀にバルカン半島にスラブ人が移動してきて、彼らに追われた地元の人々がすっかり廃墟になっていた宮殿に住みつくようになり、 宮殿の基礎部分はそのままに、彼らは遺跡に残る建材を使い、時には遺跡を家に取り込み、自分たちの住まいを造り上げて来た。 ここでは遺跡は保護されるよりも生かされてきて、その結果、古代、中世、現代の様々な建築や文化が層をなす不思議な町並みが誕生したということ。 ローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿がそのまま旧市街になったという珍しい起源を持つスプリットである。 ☆スプリットを出て、再び海沿いの山並を157km走って、夕暮れのザダルへ。 結局、今日一日でバスで392Kmを走った。 ホテルへ着いて直ぐにホテルでの夕食。 吐き気のする私はスープと野菜を摂ったのみ。 |
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