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このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。

過去の日記
    
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2025 4月30日(水)

☆晴れ。

薄雲のかかった空模様で、室内はヒンヤリと冷える。

☆朝一に妻と宮崎市へ出る。

初めに、画廊喫茶”シベール”で今日まで開催中の三兄の個展へ。

引続いて、宮日会館で開催中の大学後輩・井上正君の個展へ。

両者とも私たちの二人展にいつも顔を出してくれるので、そのお返し。

私も妻も「?」という印象のみ。

作家は死ぬまで”新人”だと言うのが私の思いである。

どうしてみんな立ち止まってしまったり、自己表現を見いだせないまま同じ類型模倣形式を引きずって行くのだろうか。

☆午後からは木版画2作目の刷りの続き。

続けて刷ると絵の具が次第に滲んで来るので、仕上げの刷りは明日に廻す。

夕刻から木版画3作目のプランを考える。

☆とうとう4月も終った。

案の定、中国・恵安からは何の音沙汰もなし。


4月29日(祝・火)

☆晴れ。

室内に居ると空気が冷たくて暖房を入れたくなる。

しかし陽射しが強かったので、外に出るととても暑かった。

☆木版画2作目の刷り。

突貫でやったら絵の具が滲んでしまった。

この手漉き和紙は水吸いが良いので、色を重ねて行くと刷った絵の具が滲んでしまう。

☆妻の小作品展の最終日。

結果的に作品が売れたのは3点のみ。

マグネットは毎日売れた。

夕刻から搬出作業。


4月28日(月)

☆午前のうちから雨になる。

気温は上がらず。

雨は午後後半にはあがる。

☆木版画の刷り。

やはり色を加えて行くと、何時ものアンバランスな作品になってしまう。

だが夜になって見直してみたら、思っていたよりもストレートで良い作品だ。

木版画は刷りあがった時点よりも、時間が経って絵の具が馴染んでからの方が良くなる。

☆昨日、ネットで木の器に金箔を貼っている職人さんの作業風景をネットで観た。

そうしたら、金箔を何かの当て紙に貼って、しかも貼りやすいサイズにカットして貼っていた。

それで、今日の午後はネットで日本画家の方たちの金箔の貼り方ユーチューブを調べて、勉強した。

金箔や銀箔は、”あかし紙”というものに貼って作業するのだということを初めて知った。

”あかし紙”は金箔が貼り付き易いように蝋を塗った”ローあかし紙”というものが売っている。

金箔と金箔の間に挟んである”箔あい紙”でも、金箔が貼り付きやすいようにオイルを塗って自作できるようだが、金箔を貼るには金箔のサイズより大きめの

”あかし紙”の方が使いやすいようだ。

また手や金箔を挟む竹箸の油分を除去するためにベビーパウダーを使うと、金箔がくっつかないということ。

さらにプラモデル等に金箔を貼るユーチューブもあったが、そういう作業には破けてしまった金箔を貼って行けば、金箔の厚みはとても薄いので、

綺麗な仕上がりになるようだ。

つまり、私が勝手がわからずに破れてしまった金箔を重ねて貼ったのは、方法としては決して間違っていなかったのだ。

また素人の方では、私のようにプラスチック板をこすって金箔を吸い寄せて貼っている人もいた。

とりあえず、”あかし紙”を使ってみたくて、ネットで注文する。


4月27日(日)

☆晴れ。

今日も空気はヒンヤリとして、肌寒い一日。

☆一日、木版画制作。

午前に版木彫りの続き。

午後半ばから刷りの作業にかかる。

出だしはまずまずの刷り上り。

私の使う絵の具はホームセンターで100円で売っているポスターカラーである。

それでもとても深い色合いが出せる。

私は色彩感覚が欠如しているから、配色にはいつも悶々とした迷いがあったが、今日は納得の効果であった。

妻に見せると、今までの私の版画作品には無かった色彩だと評価してくれた。

☆ランチタイムに、私の”MOON DANCE”マケットを買っていただいた坂田先生ご夫妻が、妻の作品展会場に見えられた。

妻からの連絡を受けて、カフェへ挨拶に出向く。

昨年の9月からの唯一の収入は、坂田先生に買っていただいた作品売り上げと、2月の緊急版画展の売り上げだけである。

まさに私にとっては救世主である。


4月26日(土)

☆晴れ。

ヒンヤリとした空気で、気温は肌寒い。

☆今日は小作品展会場のカフェでの妻のライブ。

朝一番に機材等をカフェに運ぶ。

☆日中は独りで”MOON DANCE”のハーモニカ演奏の練習。

ところが独りなのに、異常に緊張して、呼吸は乱れるし手は震える。

演奏しても間違ってばかり。

それに最近は吹いても出ない音があるので、ハーモニカを分解して点検するが、どこも異常はない。

ようやくミスなく演奏出来たところで、高鍋駅に片貝さんを迎えに行く。

☆片貝さんを待つ間、駅前ロータリーに車を止めて、車中からモニュメント”MOON DANCE”を眺めていたら、我ながらいい作品だなあと感動する。

☆片貝さんをピックアップしてカフェへ。

リハーサル中からお客さんが見える。

☆4時から開演。

定員20名に22名のお客さんで満席となった。

私は一番最後の締めの”MOON DANCE”で、ハーモニカのジョイントをする。

本番は大きな失敗も無く、ハーモニカの音色がとても良く、美しく響き渡った。

今日のお客さんの大半は妻のヴォーカルは勿論、私のハーモニカを聞いたのは初めての方たちだった。

そしてマグネットが飛ぶように売れた。

大成功のカフェコンサートであった。


4月25日(金)

☆薄曇りの一日。

気温は上がらず。

☆午前10時から、高鍋町美術館ホールにて、平成7年度高鍋町行政事務連絡員会。

今年は私は中町公民館の行政事務連絡員の当番である。

本当は昨年が当番だったのだが、行政事務連絡員は月に2回廻って来る広報等を公民館員に配布しなければならないので、この行政事務連絡員が廻って来ると、

1年間の間、2週間以上は家を留守に出来ない。

私は昨年は妻とのヨーロッパ周遊を予定していたので、それで今年に当番を廻してもらった。

行政事務連絡員と言うのは、町長が委嘱する非常勤特別職の地方公務員という身分である。

だがどう考えても、行政事務連絡員を受けると、1年間は2週間以上の留守が出来ないと言う制約が辛すぎる。

前回に行政事務連絡員を受けた時も、宅急便で各戸に送れないのかという質問が会合で出たし、公民館に這入らない戸数が増えてきた現在、そういう家にも

広報を配らなければならない矛盾も指摘されていた。

それでスマホの普及してきた今、ようやくデジタルでの配布が今年度中に実施されると言うこと。

そうなると負担は一気に無くなって助かる。

しかし、スマホのアプリでは高齢者は殆ど広報を見ることは無いだろうという矛盾もある。

私も妻もアプリで書類を見ると言うことはほとんど出来ない。

隣町では戸別郵送になったと言う。

しばらくは試行錯誤が続くのではないのだろうか。

☆会が終って、開催中の高鍋町美術展(無鑑査)を観る。

この無鑑査展は高鍋町在住だけではなく、西都・児湯地区の方たちが出品されているので、全く知らない方でかなりの実力のある方も多い。

小さな町の無鑑査展としてはかなりレベルが高い。

☆木版画、2作目の制作。

朝のうちにプランをまとめて、版木に写し、午後から版木を彫る。

しかし先日も記述したように版木のシナベニヤが硬すぎる。

夕刻まで彫り続けていると、クタクタになる。


4月24日(木)

☆午前のうちは曇り。

お昼前から次第に晴れて来る。

気温はひんやり肌寒い。

☆今日は妻の小作品展会場のジムは定休日で、午後は妻のボーカルレッスン日。

それで妻は朝からボイストレーニングに励んでいたので、私は2階の書斎に上がって木版画のプランをまとめる。

☆お昼前から、午後のレッスンに備えて妻との特訓。

いくらやっても私はリズムが取れない。

最近は十八番の”MOON DANCE”も、信じられないくらいに間違ってばかりいる。

楽譜が全く暗譜できない。

☆午後に妻のボーカルレッスン。

最初は先週に引き続いて、明後日に開催する妻の小作品展会場でのライブの練習。

当日は締めで私も”MOON DANCE”の演奏に参加するのでジョイントしたら、お昼の特訓ではミスばかりだったのに、うまく演奏できた。

引続いて5月中旬のライブの練習をしたら、お昼の妻からの特訓が効果てきめんで、何時ものような大きな失敗は無かった。

やはり練習あるのみ。


4月23日(水)

☆朝のうちは晴れ。

次第に雲が出て、曇天となる。

夕刻よりひんやり冷える。

☆やはり朝起きるのが辛い。

おそらく毎日の気温の変化で風邪気味なのだろう。

起きてからずっとクシャミが出て、鼻水が止まらない。

☆昨夜、台湾のJiaから先日のシンポジウムの写真が大量に送って来た。

それをパソコンに保存するには、送られて来たサイトを開いて、画像を一枚ずつダウンロードして保存しなければならない。

半分近くは私の画像で、一枚一枚開いて確認し、必要な画像をダウンロードしなければならないが、やってもやっても終らない。

なんと、総数で1,000枚近い画像で、私の写った画像のみをダウンロード・保存するのに午前中いっぱいかかり、ヘトヘトになってしまった。

英語の通訳をしてくれたJiaにとっても、とても幸せな時間だったようだ。

☆午後にマレーシア・イポーのGohさんから、近いうちにシンパンプライ(私が制作していた石材工場近くの商店街)には来ないのか、というメッセージが届いた。

Gohさんは、私がイポー滞在中に頻繁に通ったシンパンプライにある電気店の従業員で、少し日本語が話せる。

実はお昼に昼食を摂りながら、マレーシアに移住するという日本の女優さんのネット記事を読んだばかりであった。

イポーの絶品料理(チキンライス、チキン、もやし)を思い浮かべただけで涎が出て来る。

本当に死ぬ前に、もう一度イポーへ行きたい。

しかしパトロンのヤップさんは昨年に奥さんを失くされたし、ヤップさんもご高齢で、もう私への仕事の依頼はないだろう。

☆午後は木版画の次のプランを考えるが、まとまらず。


4月22日(火)

☆くもりのち雨。

夕刻より激しく降る。

☆午前に木版画の彫りの作業の続き。

午後に手漉き和紙の準備。

いつもならすぐに刷りに這入るのだが、まだ彩色のプランも未確定だったので、もう少しこれから先のプランも建てておいたほうが、これから作業が

中断せずに進められる。

それで午後は、毎晩練習しているライブ曲の名演奏を聞きながら、ハーモニカの吹き方、這入るタイミングなどを確認しながら次の版画プランを考えていた。

妻からプロの名演奏を聞いたり練習しておくように、きつく言われているのである。

だが、そうしていると気持ちの集中が演奏の方に向かってしまって版画のプランがまったく考えられない。

私は一度に二つのことは出来ない。

パソコンの音源を切って、版画のプランのみに集中する。

☆今朝の宮崎日日新聞・宮日文芸欄の短歌部門に、高校同窓の女性2人の短歌が掲載されていた。

一人のKさんは私の同級生で、高鍋高校短歌同好会のメンバーであり、今も作歌活動を続けていてこの文芸欄にもよく掲載される。

もう一人のMさんは”ギャラリーしんとみ”のすぐ近くに住んでいて、私たち版画二人展にも顔を出してくれるし、「月の雫」出版の公開対談の会場にも来てくれた。

彼女はエッセイ欄「茶の間」に投稿しているのを読んだことはあるが、短歌も投稿していたのだろうか。

今日のMさんの歌は、高校3年時代の教室の窓際の席での何気ない想い出の歌であった。

みんなやはり短歌に色んな想いを託したいのだ。

☆昨日の後期高齢者保険料の件を高鍋町役場に確認しようと思って、電話する前に去年の書類と見比べていて、そういうことかと合点した。

つまり昨年度は7期までは普通徴収であったが、8期からは年金引き落としの特別徴収になったので、今年度は年金引き落とし額が昨年の2か月分の

後期高齢者保険料になるということであった。

そしてどうして後期高齢者保険料がこんなに高いのかと思ったら、令和6年4月から後期高齢者医療制度の保険料についての制度改正が行われ、

後期高齢者の保険料と現役世代の支給金の伸び率が同じとなるように見直し、さらに出産育児金の費用の一部を後期高齢者が支援する仕組みになったからだという。

さらに少子高齢化が進む中、後期高齢者の医療費は今後さらに増えていくとみこまれているという。

昨年に送られてきていた後期高齢者医療保険の説明リーフレットを、今日初めて読んでびっくりである。

今後さらに年金からの引き落とし額は増えると言うのだから、もう高齢者は生きてゆけない。

私の周囲には年金も納められない生活基準の人も多く、彼らの老後は無年金生活である。

その日暮らしの彼らに、介護保険と後期高齢者医療費の支払いなんて出来る訳が無い。

何処からも収入の当てがなくなってしまった今の私にとっても、少額の年金から介護保険料と後期高齢者保険料が差し引かれたら何も残らない。

ちまたで高齢者たちが、私たちの時には子育て支援は一切無かったのに、どうして高齢者になった私たちが子育て支援金を負担しなければならないのだと怒っている

理由がよくわかった。

まったく暗澹たる気持ちに沈み込む。


4月21日(月)

☆晴れ。

空はぼんわり霞がち。

気温は上昇。

☆気温の変化で体調が万全ではないのか、あるいは台湾・韓国のハードスケジュールがここにきて影響が出て来たのか、朝起きるのがとてもつらい。

そして昨夜から歯が疼いて眠れない。

歯科医院は治療は全て終ったと言ったではないか。

やはりとんでもない超ヤブ医者だ。

☆一日、木版画制作。

今回も金箔を使った作品にしたかったのだが、プランが纏まらず。

結局は普通の木版画に切り替えて、午後から版木の作業にかかる。

ところがこのシナベニヤがとても硬い。

シナベニヤに強固な接着剤が注入してあるのではないのかと思うほどで、半プラスチックの板を彫っている感じである。

☆妻の小作品展は月曜日なので来訪者はまばらだったようだが、マグネットはコンスタントに売れているようだ。

☆ 役場の健康保険課の国保・高齢者医療係から、後期高齢者保険料変更通知書という物が届いた。

保険料の徴収額を変更したとあるので、昨年は無所得だったので徴収額が下がったのだろうと思った。

ところが変更は真逆で、倍近くの徴収額になっていてびっくり。

この後期高齢者医療保険は年金から差し引かれるので、もともと少額の年金からこの後期高齢者医療保険料と介護保険料を差し引かれたら、

年金はほとんど残らない。

どうしてこんなことになるのか。

収入の全く無い私から、唯一の収入の年金までむしり取ろうとするのか。

どうやって生きて行けと言うのか。


4月20日(日)

☆夜中から雨。

気温は上がらず。

☆一日、木版画のプラン作成。

もうひとつまとまらず、版木作業は持ち越し。

☆妻の小作品展は、日曜日なのでカフェのお客は多かったようだが、作品展が目的の人は少数だったということ。

☆またも衝撃的な出来事が起きた。

エントリーしていて、今日が選考作家発表であった某海外シンポジウムがキャンセルになった。

夜になっても一向にアナウンスが届かないので、オルガナイザーの作家のフェイスブックを開いてみた。

そこにはなんと、”ネガティブな出来事があったのでシンポジウムはキャンセルされました、申し訳ありません”という画像が貼り付けてあった。

ほどなくして、オルガナイザーからメールが届いた。

それによると、この3カ月の準備期間中にも様々な出来事があったが、最終的には作家選考の結果に問題があった。

審査員には4名の経営陣(協賛企業)が参加していたが、彼らは選考作家決定の翌日に、応募していない作家4名を加えるように求めて来た。

オルガナイザーとしては断固として認められないことだし、今後さらに生じるだろうネガティブな出来事を回避するために、シンポジウムの中止を決断したという。

☆私とオルガナイザーの作家とは懇意にしているので、今の無収入生活に少しでも光が射すだろうと、今日の選考結果発表に期待を持っていた。

しかし、バグダッドに続いてまたもシンポジウムがキャンセルされてしまった。

台湾のシンポジウムも無報酬であったし、どうにもあまりにも彫刻界の先行きが真っ暗闇になってしまった。

この先、彫刻家は生きてゆけないのではないのか。

☆それで懸案中の中国・恵安の報酬支払について、恵安に毎回参加し、今年の空港展にも参加してくれる友人のLi Zhaoに尋ねてみた。

そうしたら、やはりまだ誰も報酬を受け取っていなくて、何の情報も送って来ないという返事であった。

それで彼女が関係者に連絡を取ったら、折り返し次のような返事が返ってきた。

Zhaoは丁寧にその返事の和訳も添えて送ってくれた。

☆返事は次のような内容である。

シンポジウムの後、遠良(マネージャー?)さんがずっと恵安に来なかったので、彼が担当している費用清算、芸術家支払い等の処理がうまく出来なかった。

それで春節から今まで、遠良に善後策を催促していたが、先週になってようやく、”月末に恵安に来て芸術祭の後始末をします”という返事を得たという。

つまり報酬支払の手続きは月末以降ということである。

Zhaoは、すべてはうまく行きますよ、と加えてくれた。

確かにこの恵安のシンポジウムは今回が7回目なので、過去に報酬の支払いが無かったと言うことはあり得ないので、いずれそのうちにとは思っていたが、

あまりにも大陸的な悠長さだ。


4月19日(土)

☆晴れ。

今日も初夏の陽気。

☆午前は庭の草取り作業。

陽が高くなって影が無くなって来ると暑くて、作業を中止する。

☆仕事の無い今の時期に、秋に開催する版画二人展の作品を制作しておきたい。

それで午後は買い置きのシナベニヤを、版画サイズにカットする。

☆今朝の宮崎日日新聞に、先日取材してもらった妻の小作品展の紹介記事。

今日は水彩画と版画がそれぞれ1点売れたようだ。

このカフェで絵の個展を開催するのは妻が初めてである。

こうして作品が売れてくれると、高鍋町内には展示ギャラリーが無いので、展示空間としても認識されていくようになるのではないのだろうか。


4月18日(金)

☆晴れ。

薄く黄砂のかかったようなうすらぼんやりの空。

気温は上昇して初夏のような暑さ。

☆午前に、「たかなべギョーザ」に仮置きしてあったオブジェの移設作業。

先日作業しておいた基礎部まで、三脚とチェーンブロックで移動して設置する。

「たかなべギョーザ」の武末父子に手伝ってもらう。

ずっと気になっていたので、これでほっとする。

☆午後に高鍋町役場税務課に納税相談。

滞納している税金の納期期限が今日だった。

中国からの入金がまったく音沙汰ないこと、正月の納税相談でシンポジウム会期が延期になって入金時期が遅れると報告していたバグダッドが中止になったこと、

この先は全く入金の予定がないことを伝える。

税務課の対応は、とりあえずお金が這入ったら納入してください、としか言えないということ。

☆夕刻に庭の草取りの続き。

少し涼しくなってきて、気持ちよかった。

☆妻の小作品展は3日目。

ようやく版画が売れたようだ。


4月17日(木)

☆晴れ。

暖かい一日。

☆午前に庭の草取り。

玄関廻りの草を取る。

☆午後は妻のヴォーカルレッスン。

今日は妻の小作品展のカフェは定休日。

前半はカフェでのライブのリハーサル。

後半は5月のライブのリハーサルで私もジョイント。

最近はハーモニカで参加するタイミングが全く掴めなくなってしまった。

☆夕刻に伊藤一彦先生よりお電話。

やはり私はイオンの短歌教室に行く必要は無い、「心の花」宮崎歌会に見学者として都合のつく時に来なさい、ということである。

それで5月の会合に出かけてみることにした。

イオンの担当者の方には伊藤先生から伝えていただくことになった。

☆今年のグッドデザイン賞の応募が始まった。

それで私の高鍋駅前”MOON DANCE”と新しくなった高鍋駅と一体となった空間を応募してみたら、と黒木・高鍋町長に提言していた。

あの空間は町長のデザイン力の具現化である。

そうしたら、担当課として取り組んでみるという嬉しい返事が届いた。

受賞しなくても、地方の小さな町に、こういう稀に見る素晴らしい駅空間があるのだと言うアピールは必要だと思う。

☆今日から宮崎日日新聞のシリーズ自分史に、私の幼稚園から大学までを通しての先輩で、大学では彫刻を専攻し、その後は管理職として校長・高鍋町教育長・

高鍋町美術館長を歴任してきた萱嶋稔先輩の自分史が始まった。

萱嶋先輩は学生時代は優れた造形センスを持った人で、私が創設した宮崎彫刻グループにも当初から参加してもらっていた。

しかし教職員になってから、本人の意思とは関係なく管理職の立場を担わされ、次第に彫刻の世界から離れて行かざるを得なかった。

実は今春の異動で、宮崎空港展の事務局を勤めている田村が、やはり管理職の意向で県庁の知事部局に出向させられてしまった。

その異動を知った時に、この萱嶋先輩の展開を重ねてしまったのである。

当然、出向中は彫刻の世界から離れざるを得なくなる。

田村が萱嶋先輩の二の舞を踏まないことを祈るのみである。


4月16日(水)

☆晴れ。

今日も風が強く室内は冷えたが、外に出ると陽射しが暖かくて上着を脱がないと暑かった。

☆ずっとフォトブックのことを色々調べるが、やはりどうにもうまくいかない。

一度、簡単なフォトブックを作って感覚を掴む必要があるのかもしれない。

妻がネットで検索していたら、編集して発注するまで1週間かかったという人のコメントがあったそうだが、確かに旅行記録のような大量の画像を取り込むのは

馴れないと難しいのだろう。

☆調べ物があって大学時代の日記を読み返していたら、私は大学4年時には再び短歌を詠みたいと思っていたようだし、卒制のテーマは塚本邦雄の短歌から

摂ろうと苦悩していた。

また高校時代の短歌同好会の親友からも、「 もう一度、短歌をつくりたいと思いませんか。君も僕も嘗て趣味であったものを本業となす様になってしまった。

だからこそ短歌をやりたいと思います。」という便りを同じ時期にもらっている。

残念ながら彼はこの6年後にヨーロッパアルプスの雪崩で若い命を落してしまい、伊藤先生も彼の才能を惜しんで何首かの短歌を詠まれている。

そしてこうして、文学的才能も芸術的才能も全く無い私が生き延びてしまっている。

彼の意志を継いで短歌を学び直したいという思いが募る。


4月15日(火)

☆晴れ。

強風が吹き荒れて、底冷える。

午後は風が弱まり、陽射しが暑くなる。

☆午後に、「たかなべギョーザ」に置かせてもらっている南九州大学生の作品の基礎を作る。

この作品は私が授業で教えた学生の作品で、第20回宮崎県美術展で準特選を受賞した作品である。

当時の授業作品で、公募展に入選・入賞した作品を町内各地に設置させてもらっている作品の1点である。

「たかなべギョーザ」店舗入り口の芝生の上に仮設置させてもらっていたが、車がぶつかって破損したり、芝地なので作品が傾斜して来たりで気になっていた。

それで昨夏に、夏祭りが来て大勢の賑わいの中で作品が倒れて怪我人でも出たら大変なので、傾きを修正した。

しかしまた徐々に傾いて来て気になっていた。

昨夜の中町公民館の総会の後の酒宴の席で、オブジェが通路際に設置してあるので搬入出の業者の大型車の邪魔になるので、対処をお願いされた。

幸い今は何の仕事も無いので、午後に段取りをして、芝の内側に基礎を作った。

従業員の話でも、夜間にオブジェにぶつかってしまうお客さんがいるようだ。

☆妻の個展の初日。

今日はジムのお客さんとカフェのお客さんが10名程来られたと言うこと。

☆中国から何も言って来ないので、再度、事務局に問いあわせのメールを送る。

以前は直ぐに返事が来ていたが、前回から何の返事も来なくなった。

参加作家たちは殆どが大学の先生たちなので、報酬が支払われなくても問題ないのだろうが、私のような個人事業の作家にとっては大問題なのだ。

頼みのバグダッドが中止になったので、この先、何の収入予定も無い。


4月14日(月)

☆朝のうちは晴れ。

昼前から雨。

とても冷え込む。

宮崎県内では小林市で雹が降ったそうだが、高鍋町でも少し降ったらしい。

☆明日から妻の個展。

会場は妻の通っているフィットネスジムのカフェ。

高鍋町美術館裏の、新緑の美しいお堀端にある。

お昼から雨の予報だったので、午前のうちに搬入する。

☆午後2時から展示作業。

作品数は35点。

展示作業が終わるころに宮崎日日新聞高鍋支局の取材。

☆お昼にイオンの短歌教室の担当者から電話。

伊藤一彦先生からのイオン教室よりも「心の花」宮崎歌会の月例会に見学に来なさいというアドバイスは、イオンの担当者には伝わっていなかったようだ。

それならば、とりあえず最初の短歌教室に見学気分で参加してみませんか?ということ。

講師は伊藤一彦先生なので、私はどうすべきなのか、その時に相談することにしよう。

ただ短歌教室には事前にお題が出ているので、私もお題に添った短歌を詠んで持って行かなければならない。

☆夜は中町公民館の総会。

先だってのお仙稲荷の直会後に昏倒して入院した公民館長がまだ入院中(肋骨も骨折していたとのこと)なので、私が公民館長代理で総会の議事を進行する。

昨年は私も妻もヨーロッパだったので、昨年の総会には出席していない。

その昨年の総会でこれまで慣例として行われていたことが、かなり打ち切られたり変更されてしまっていた。

にも関わらず、その変更が公民館員にうまく共有されておらず、みんなが戸惑っているこの1年だった。

それで私はそういう曖昧決議の件を確認して皆さんの意見を述べてもらったところ、結局幾つかのものは元に戻ったり、あらたな解決策が提案承認された。

つまり、昨年の総会では充分な論議も無く、流れ作業的に物事が決まって行き、結果的に誰もまともに理解できていなかったということである。

公民館長が継続できないので、公民館長を選任しなければならないのだが、戸数13戸の極小公民館なのでみんな何かしらの役に就いていて多忙である。

とてもこれまでのように長期任期では引き受けられないということで、若手の館員で1年ごとに輪番で受けてもらうことになった。


4月13日(日)

☆夜中は激しく降る。

夜明けてからは晴れ。

風が強く、冬の季候に戻った寒さ。

空気の芯がとても冷たい。

☆高鍋高校OB美術展の最終日。

午後に搬出。

出品者は減って来たが、今年は例年よりも来場者が多く、作品もとてもすっきりとした清冽な空気の漂う好印象の展示空間であった。

ただ親友の宮本君が今回から退会したのは残念であった。

☆一日、フォトブックの画像整理。

何度もフォトブックのテンプレートへの画像入れ込みやAI編集をやってみたが、画像がうまく収まらない。

やっているうちに、画像がスマホとデジカメの画像が入れ混じっていて画像のファイル名が異なり、そのために自動で画像を嵌め込むと順番が狂ってしまっている

ことに気付く。

それで全ての画像の名前を統一させる作業で、丸一日を要した。


4月12日(土)

☆曇り。

午後半ばから雨。

気温は上がらず、花冷え。

☆午前に妻と高鍋町美術館へ。

高鍋町無鑑査展に出品する妻の搬入に同行する。

そして開催中の高鍋高校OB美術展に顔を出す。

年々出品作家が減少していくし、高齢化で体調不良者も増えて行く。

このままでは本当に数年以内に消滅する。

☆昼前に茫々たる庭の草取り。

☆午後は、来週から始まる妻の個展の作品販売記録一覧等を作成。

そして、昨年のヨーロッパ旅行のフォトブックを作りたいと妻がいうので、取り掛かる。


4月11日(金)

☆晴れ。

気温はひんやりと冷える。

☆午前はこのHP日記の記載。

☆昼に歯科医。

先日に虫歯の型を取った被せ物を嵌める。

これで今回の治療は終った。

☆午後に東京海上日動の住まい保険のインシュアランスプランナー来訪。

家の住金ローン設定時に加入させられていた火災保険が5月で満期となる。

それで加入していた東京海上日動や他の保険会社から継続の保険加入の案内が届くようになったが、先日私の不在中に東京海上日動が営業に来たので、

私が帰国してから詳しい話を聴きたいと妻が伝えていた。

火災保険もだが、近年は地震等の自然災害が頻発して被害も大きくなっているので、地震保険には是非とも這入っておきたい。

いまは近年の大地震を受けて、火災保険と地震保険はセットになっているようだ。

私が通常はほとんど無収入なので、妻が支払える金額で査定してもらい、検討することになった。


4月10日(木)

☆曇りのち雨。

気温は上がらず、冷え込む。

☆やはりここにきて睡眠不足と体の疲労でガタガタである。

起きたのはもう9時を廻っていた。

☆今日は不在中の新聞を見たり、ゆっくり過ごす。

だが不思議とあれほどガンガン手彫りで石を彫っていたのに、普段は痛くてたまらない両手指の親指付け根の痛みがない。

右手もまったく強張っていない。

私は仕事をしている時の方が体は健康的なのだ。

☆今夜からハーモニカの練習に這入る。

10日ぶりなのにあまり大きな失敗はなかった。


4月9日(水)

☆晴れ

☆5時半に起きて、シャワーを浴びる。

お土産が増えてスーツケースの荷造りが大変で、なんとかファスナーを閉めるとハンドル部分が膨張し過ぎて破れているのに気付く。

これでスーツケースが壊れてしまったのは何度目だろう。

☆6時半にホテルをチェックアウト。

李さん夫妻が迎えに来てくれ、同宿の山田と平田君が見送りに降りて来てくれた。

☆空港までの車中で、李さんから思いがけない提案を受けた。

今回の交流展の日本作家の作品を、会期後に1カ月ほどArtwayのアトリエで展示販売させて欲しいという。

私はバグダッドが中止になり、中国からの報酬も送って来ないので、帰国しても何の収入予定も無くなった。

預かってもらった方が作品が売れる可能性が高い。

☆ティーウェイ航空にチェックイン。

チェックインしたのはもう7時過ぎだったが、チェックイン客はガラガラであった。

スーツケースの破損を申請したが、ほぼ問題ありませんと言った風で無視された。

8時50分に大邱を出発。

大阪国際空港まで少し仮眠しようと思ったら、飛び立ってしばらくするともう着陸態勢に這入って、なんと定刻よりかなり早い9時50分には関空に着いてしまった。

☆旅費の払い戻し金を両替する。

やはりレートは最悪で1台湾ドルの日本円両替レートは3,93円だった。

私が立て替えた旅費は台湾ドルを日本円に両替して、9,000円近い損失となった。

☆ターミナル2へ移動して、ピーチのチェックイン。

やはり機内持ち込みの制限7kgをオーバーしていて、交流展のパンフを2冊捨てたら7kg台になってOKとなった。

7kgというのは、7,9999と7kg台を越えていなければ良いのだそうだ。

預け荷物のスーツケース破損は、誓約書に署名してパス。

ところが手荷物検査で、張さんからもらったエアーローラーの研磨機が徹底的に調べられた。

いまは万博前でチェックが厳しいようだ。

☆13時40分の定刻より10分ほど遅れて関空を発つ。

宮崎には定刻を5分遅れての15時に到着。

空港ビルのオアシス広場の画像を撮って、李さんに無事帰国のメッセンジャーを送る。

☆駐車場の送迎場所へ行ったら、私のために送迎バスが待ってくれていた。

宮崎はとても暑い。

☆帰宅すると庭は草ぼうぼうの状態。

妻は4月から始めた絵画教室の初日で不在。

もう夕刻近かったが、溜まっていた衣類を洗濯して干す。

☆睡眠不足と疲れのため、夕食後は早々に床に就く。


4月8日(火)

☆台北を01時50分に発つ。

韓国・大邱には05時15分着。

時差が1時間あるので、フライトは2時間である。

従って睡眠時間は2時間も無い。

超睡眠不足である。

☆空港には出迎えてくれるはずの李さんの姿が無い。

程なく李さんから出迎えが遅れる旨のメッセンジャーが届く。

どうやら昨夜は山田や平田氏、湯川氏、藤崎氏の先着組みと遅くまで呑んでいたようだ。

☆迎えに来てくれた李さんは杖をついている。

実は膝を傷めて4ヵ月前に手術をしたのだと言う。

待機していた李さんの奥さんの運転で大邱市内へ。

久しぶりの大邱市内は以前には全く姿のなかった細身の超高層ビルが雨後の筍のように乱立している。

大邱市の著しい発展ぶりには目を見張るものがあった。

☆だが大邱市の発展の目覚ましさへの驚きにはさらなる展開が待っていた。

李さんが、搬入までの時間を自分のアトリエで休んでくださいと言って、車から降りて地下街へのエレベーターを降りて行く。

地下鉄で行くのかと思っていたら、なんとそこは”Artway”という大邱市運営のアトリエ通りであった。

一般の地下道と言えば商業店舗が這入っているのだが、この地下街は全てが芸術家、工芸家等の文化関係者のギャラリー兼公開制作アトリエなのだ。

しかもアトリエの借用費用はすべて大邱市の負担で、作家は電気代くらいの負担であり、なおかつ作品の売り上げは全額を作家が受け取れる。

入居は毎年の契約更新制で、毎年審査がある。

李さんはもう4年継続で契約継続である。

そして周囲の高層ビルの住人は高所得層で、作品がよく売れるという。

こんな芸術家支援の制度は日本では考えられない。

以前に訪韓した時に訪問した、作家育成のアートセンターの徹底した芸術家育成システムにも驚かされたものだ。

街中を走ると、数メートルおきにパブリックモニュメントが設置されている。

パブリック空間の2割に芸術作品を設置すべきという基準を韓国は忠実に実施している。

恐るべき韓国。

反韓・反日と騒いでばかりいては、日本はとっくに韓国から追い越されてしまっている。

☆しばらく李さんのアトリエで仮眠を取った後に、今回の交流展の会場のギャラリーへ向かい、李さんが受け取っていた日本作家の作品を搬入する。

まだ朝食を摂っていなかったので、ギャラリーの前の喫茶店に這入って注文しているところへ、日本作家たちがギャラリーへやって来たので喫茶店で合流する。

☆11時から搬入だったが韓国の作家はまだ誰も顔を出さないので、日本人作家たちで軽くマッコリでも呑もうと街へ出る。

ところが街の様子がすっかり新しくなっているので、伝統的なマッコリの店が見当たらなくなっている。

ようやくマッコリの表示のある店に這入ったら、そこは焼き肉店だった。

お昼から焼き肉なんて、とみんな気分は重かったが、いざマッコリを呑みながら炭火焼の焼き肉を頬張ると滅茶苦茶うまい。

思いがけずの大当たりの真昼の宴会となった。

☆展示会場へ戻るともう展示台も搬入してあったので、日本作家各自の作品を台に乗せる。

私はそれから近くのホテルにチェックインして仮眠を取る。

同じホテルには山田、平田、渡邉の3氏が宿泊しているので、渡邉さんにホテルまで案内してもらった。

☆夕刻5時からオープニングセレモニー。

韓国作家は大邱の作家たちだけだと思っていたら、李さんが選んだ韓国全土からのトップアーティストたちであった。

空港展参加作家のホヨン・イム、キム・ボングス、そして海外シンポジウムで馴染みのキム・ウォンゲンと再会する。

オープニングあいさつで、李さんがこの交流展のきっかけは私との出会いから、いつかこういう交流展を開催したいと思っていたと話してくれた。

台湾の手彫りシンポジウムも、張さんが空港展の懇親会出席で我が家を訪れ、私のまちづくりを見て台湾でも何かやりたいと思ったことがきっかけだったと語って

くれた。

やはりバクダッドが中止になり、台湾と韓国に私が来れたことはとても大切なことだった。

☆オープニングセレモニーの後は市内に出て、オープニングパーティー。

大盛り上がりの酒宴となり、来年からの空港展参加希望作家も何名か名乗りを上げた。

この交流展はこれからも継続開催の意向である。

肝心の空港展は運営陣営の高齢化で数年後には散会の危機に晒されているのだが、この交流の盛り上がりを尻すぼみさせないための努力はみんなで

考えて行く必要があるだろう。

☆更に2次会で別な場所へタクシーで向かう。

私は寝不足の上、明日も早朝に空港へ向かわねばならないので、12時を廻って同宿の山田、平田氏と共に退出する。


4月7日(月)

☆晴れ。

午後から雲が出て、夕刻には雨となる。

☆ホテルの朝食時に彫刻家の張家銘氏が制服姿で現れた。

彼は日本語堪能で、このホテルの支配人でもあるのだと言う。

妻の父親がこのホテルのオーナーで、義息が貧乏な彫刻家なので、昨年秋から支配人として働くように命じられたのだという。

それで、もしこの次に再びこの手彫りシンポジウムに来ることがあれば、ホテルのロビーで彫刻個展をやってくださいと言う。

話しているうちに、彫刻ではなく、妻との版画展では?と提案したら、版画の方が売れるのでその方向で是非、という展開になった。

その旨、妻にラインで伝える。

☆9時半にホテルを発つ。

最初に画家のアトリエを訪ねるということだったので、なぜ画家を?思っていたが、訪ねてみてその謎が解けた。

見晴らしの良い大地の縁の広大な敷地に幾つもの建物が建っている。

最初に訪れたのは「耕雲斎民宿」という、元々は御両親(父親は水墨画家、母親は陶芸家)の住まいだった3階建ての建物を民宿に改造した建物。

この建物は921大地震でもびくともしなかったという。

さらに別棟には「白屋工房」というワークショップ専用の工房がある。

様々なタイプの制作が出来る工房で、版画プレス機もあるので、もし妻との版画展が実現すれば、私が石を彫っている間に妻はこの民宿に滞在しながら、

版画の制作も出来る。

さらに中央の棟は画家自身のアトリエと住居で、ギャラリーも併設した広大な空間である。

しかも画家の作品レベルが実に高い。

こんな画家は日本でもそんなに居ないだろう。

☆さらに、午後にはもう一人の作家のアトリエを訪ねた。

こちらは道路沿いの長屋風のアトリエだったが、それがすべてギャラリー、工房、喫茶店と連続した空間で、游守中という作家個人の空間であった。

アトリエにはバイク、ドラムセットまで置いてあり、作家としての完璧な充実空間であるのみならず”財団法人 游守中 文化基金会”という作家支援の財団まで

運営している。

プーリーという街に、どうしてこれほどの活動レベルの作家が複数名も存在しているのか。

台湾、恐るべし!

☆そして、午後後半からは”日月潭”の観光。

この”日月潭”は日本統治時代に発電ダムを作ったことで知られ、それによって湖面は倍近くの広さになった。

海外からの旅行者からは台湾で最も有名な観光地となっている。

みんなで遊覧船に乗って観光する。

途中からあいにくの雨となった。

☆夕食を近くのホテルのバイキングを摂る。

皆さんが私にまた来て欲しいと言う。

今回のもう一人の招待作家であるシンガポールのLim夫妻は昨年も招待されているので、可能性はある。

張さん以外は全員、私が再招待されることを前提で色んな話を進めている。

それで皆さんの前で、もし来年でも再来年でも私の再招待が決まったら、版画展の準備もあるので早めに連絡をくれるように張さんにお願いをする。

☆皆さんとは夕食のホテルで別れて、張家銘さんに台中駅まで送ってもらった。

彼は日本語堪能なのだが、松本市の日本語学校で2年間学び、名古屋芸術大学で彫刻を学んだということである。

☆台中駅では予約してあった20時32分発の高速鉄道に乗る。

乗車して初めて気が付いたが、来るときに自由席がガラガラだったのは、あの客車は全席が予約席だったのだ。

乗るべきではない客車に乗ってしまったようだ。

☆無事に台北国際空港でジンエアにチェックイン。

まだ両替所が営業していたので、気になっていた旅費払い戻しの台湾ドルの日本円の両替レートについて調べる。

これまでに何度か調べようとしたのだが、作業場の山中はネットが弱くスマホ検索が出来なかった。

結果、日本の空港での両替は両替手数料が高くて絶対避けるべきで、台北国際空港で両替するのが最もレートが良いという結果が出た。

やっぱり、と思って両替所を振り向くと、スマホの検索中に営業時間が終了してしまっていた。


4月6日(日)

☆夜中に雨。

日中は曇天。

☆手彫り彫刻シンポジウム4日目。

シンポジウムは今日の午前で終了。

私は仕上げにいそしむ。

流石に今朝はかなり体の疲れを感じた。

☆11時から各作家の作品解説。

先ず招待作家のシンガポールのLimさん夫妻、、プロジェクトリーダーの福先生、そして私の順で、シンポジウムへの想いと作品の解説をする。

引続いて参加された皆さんのコメント。

参加された方は殆どが他の芸術分野の作家であったり、美術大学の学生だったりであった。

中には私の顔を彫られた女性もおられた。

最後に再び私が、このシンポジウムへの想いと台湾のみなさんへの想いを語って締める。

本当に和気藹々と楽しいプロジェクトであった。

☆皆さんはランチの後はそれぞれに帰宅の途に就かれたが、3時までは片付けの時間で作業をしても好いということだったので、ランチの後は独りで

気になった部分の手直しをする。

わずかほぼ3日足らずの日程で、ここまでよく形が出せたと思う。

期間中、堪能な英語で私の世話を焼いてくれた工芸作家のJiaは、帰り際に感極まって涙ぐんでいた。

☆明日は観光なので、荷物をまとめて4時にシンポジウム会場を出て、プーリーという街へ向かう。

プーリーは1999年に起きた921大地震の中心地で、家屋の6,7割が倒壊する甚大な被害が出た。

日本と親密な交流のある台湾の人々は、1995年の阪神大震災の復興を教訓とされ、個人のオーナーが話題になった紙の家を購入され、紙の教会として再建、

復興のシンボルとされている。

昨年の手彫り彫刻シンポジウムは、この紙の家の周囲で行われた。

☆宿泊はこの手彫り彫刻シンポジウムの協賛会社であるホテルで、入国の時の張さんから伝えてもらったホテルである。

プーリーは芸術家の多い街だそうで、ホテルのロビーでは手彫り彫刻シンポジウムの関係作家の作品展が開催されていた。

私の作品もプーリー市内に設置されるようだ。

レストランで台湾料理をご馳走になる。

皆さんはこれから部屋でビールを呑むのが恒例だということだったが、私は眠いので先に部屋へ移動させてもらった。


4月5日(土)

☆曇り。

☆手彫り石彫シンポジウム3日目。

☆こちらの人は朝から良く呑む。

作業を始めたらビールが廻って来て、しばらくすると桃の45度もある蒸留酒が届いた。

流石に朝からこんなに酒は呑めない。

昼食時に頭痛がしてきて、痛み止めを飲む。

☆今日は土曜日だからか、大勢の人が会場を訪れ、子供たちもたくさん来た。

今日だけ参加の人も多いようだ。

みなさんよく喋るので、一日中笑い声が溢れて、こんなに賑やかなシンポジウムは初めてである。

☆私の作品は夕刻までにはおおよその形が出た。

まだ完成ではないが、多くの人が私の作品と記念写真を撮りたがった。

作業は明日の11時で終る。

☆夜は台湾家庭料理の竹筒ごはんパーティーであった。

薪を割る作業をセレモニーにしてしまって、皆で薪を割るパーフォーマンスを繰り広げてとても楽しかった。

台湾の人たちは本当に優しくて朗らかで明るい。

夕食の後は参加者の錫の工房の方たちが、錫の鋳造のワークショップをやっていただき、私が最初に作業をさせて貰った。

☆皆さんは明日の午後には帰宅されるので、今夜が最後の酒宴ということで、またも50度の蒸留酒が廻って来たが、私は直ぐに胸が灼けるようになってきたので

早めに部屋へ帰る。

台湾の人たちは女性でもこの50度の蒸留酒をよく飲む。


4月4日(金)

☆晴れ。

☆昨夜はキャンパーの女児が一晩中泣いていて、少々寝づらかった。

☆手彫り彫刻シンポジウム2日目。

今日は陽射しが強く、作業は順調に進む。

しかしいくら柔い砂岩と言っても、体力は要る。

参加者に一日中ビールを配っている人が居て、朝からビールを呑むのは今の年齢の私にはかなりきつい。

こちらの人は良く呑む。

今日は一日中、参加者の家族や友人たちが訪れて賑わった。

☆中国系の人はよく喋る。

ずっと喋りまくっている。

しかし中国大陸の中国人のような五月蠅さはない。

台湾の人は皆さん心優しく明るいからだろう。

☆夜は山岳民族の方の式典にならって、山の神と山の恵みに感謝しての豚の丸焼きバーベキューだった。

参加者は皆、顔に京劇風のメイクをさせられた。

参加者の家族や地域の皆さんの大勢の参加者で盛り上がった。

☆日中の日焼けで、首筋がやけどで痛い。

体の疲れは全く無い。


4月3日(木)

☆シンポジウム会場は概ね晴れ。

午後に雨になりそうな気配だったが、午後半ばには回復。

☆シンポジウム初日。

南投県の文化局長や県議の来賓を迎えてのオープニングセレモニー。

私たち招待作家の自己紹介もあった。

☆セレモニーを終えて、制作会場で制作する石を選んで制作に這入る。

このシンポジウムには遠くは花蓮からもやって来た方たちが30名程参加する。

シンポジウム会場にはとても数日では彫ることの不可能な大きな石も10個ほど置いてあって、私たちプロの作家は大きな石を選ばざるを得なかった。

だが私は昨年のシンポジウムの様子の画像を張さんに送ってもらっていて、みんな手で抱えられるサイズの石を彫るものだと思っていたので、ノミは

小作品を彫る小さなものしか持って来ていない。

それでは殆ど作業が進まない。

その事情を参加者の女性に話すと、彼女が使う予定で持って来ていたハンマーとノミを貸してくれた。

おかげで午後からはかなり作業が進んだ。

それにしても、こんなに一日中、ハンマーとノミで力一杯作業するのは、地蔵像を彫った時くらいである。

体力的には全く問題無かった。

☆夕食は管理棟前の広場でミニバーベキュー。

昨夜に続いて50度の地酒がふるまわれたが、今夜はきつくて酒が進まず。

それよりも夕刻からは急激に冷え込んできて、寒くてたまらない。

途中からは焚火を焚きながらの宴となった。

次第に吐く息が真っ白になって、寒さに耐えられず部屋に戻ってジャンパーを重ね着する。

☆後半はプロジェクターを使っての各参加作家の活動の紹介。

一般作家の皆さんには高名な木彫作家、カーデザイナー、工芸作家などが参加していて、彼らの活動をスクリーンで観る。

私も海外設置の作品を紹介する。

☆私の作品の紹介後に幾つかの質問があったが、その中に私の作品のアイデアは参加する国によって考えるのかというものがあった。

それで私は咄嗟にこう答えた。

私の作品の多くは月をテーマにしているが、月は世界中どこでも観れるものである、月は世界中の人々に共通の関心事であり、私の”MOON DANCE”は

世界中で受け入れられる。

ほら、此処でも真上に三日月が輝いているでしょう?。

質問者はナルホドと納得していたが、オーナーがとても素晴らしいことを言ってくれた。

”此処は数日間雲が出て月が全く見えなかったのです。ところがあなたが来た途端に月が出ました。あなたが月を連れて来てくれた。ありがとう!”

☆まだみんな酒盛りで賑わっていたが、私は早めにストーンハウスへ戻って、床に就く、

☆朝一に高鍋町美術館の青井学芸員に昨夜の地震に因る被害の有無をメッセンジャーで問いあわせる。

幸い、一昨日に搬入した私の作品は無事だったと言うこと。

搬入の時にも地震の話をしたばかりで、作品を揺らしてみてかなりの震度の大きい地震でも倒れないことは確認していた。


4月2日(水)

☆5時過ぎに起きて、荷造りの残りの作業。

☆今日は我が家が大火で消失して62年目。

☆7時過ぎに軽トラで高鍋を出て宮崎空港へ。

朝のうちはまだ雨が残っていたが、家を出るころには雨は止む。

☆9時10分発のソラシドエアーで乗り継ぎの沖縄国際空港へ。

10時45分に沖縄着。

沖縄は生まれて初めての訪問である。

沖縄は到着するころは雨上がりの曇りだったが、待機中に再びの雨となる。

気温は19度で、思った程の暑さは無い。

☆13時15分発のピーチで沖縄を発ち、定刻の13時50分(時差1時間)に桃園国際空港に着。

ところが台湾も気温は20度を切っていて、肌寒い。

問題は入国審査で起きた。

入国カードに宿泊先のホテル名か電話番号を記入しないと入国できない。

シンポジウムの開催場所の地名では拒否された。

それで張さんにメッセンジャーを送り、協賛のホテル名を教えてもらい、ようやく15時に入国出来た。

☆イミグレを出てからはスムーズだった。

高速鉄道駅までのMRT(地下鉄)の切符の買い方、乗車電車は担当のおじちゃん、おばちゃんが親切に教えてくれた。

無事に高速桃園駅で16時10分発の台中行きの当日自由席を購入して、乗車する。

ところが、チケットカウンターでは今日は自由席は満席なので立ち席になりますということだったが、実際はガラガラで隣の車両も同様で誰も立って居ない。

しかし誰か乗ってくるかもしれず、私一人が立って過ごす。

やはり台中手前の栗苗駅でも誰も乗り込んでこないので、そこからは席に座る。

☆台中駅には16時42分に到着。

台中駅には張さんが待っていてくれた。

☆張さんの車で高速道を走って、目的地へ向かうが何だか以前に来た嘉儀の山間部の風景に似ている。

目的地の近くに有名な「日月潭」の表示看板があった。

延々と山道を昇って行くと、シンポジウム会場に着いたが、そこは台湾では有名な避暑のキャンプ地になっていて、台湾は明日から連休なので台北等から

多くのキャンパーたちが訪れるという。

☆夜はこの山の持ち主でこのキャンプ場のオーナーたちと、管理等で酒宴であった。

しかし此処は日中は雨で、気温は上がらずとても寒い。

☆私の宿泊はオーナーたちが手造りで作った石作りのゲストハウス。

水洗のトイレとシャワーの完備したゲストハウスである。

ネットは管理等のみで使える。

☆夜中に、妻から震度3の地震が起きたと言うラインが届く。

実は此処へ向かう途中で、この地域では25年前に大地震があったという話をしながらやって来たので、びっくりである。

ゲストハウスでもスマホは使えるので、日本の情報を見る。


4月1日(火)

☆一日、冷たい雨。

☆とうとう4月に這入ってしまった。

☆台湾・韓国行きの荷造り。

LCCの機内持ち込みが7kgの制限なので、空のスーツケースの重量を計ったらそれだけで4kg近くあり、パソコンの重量を加えるとスーツケースが空のままで

7kgになってしまう。

それで道具と衣料を1つのスーツケースに入れたら15kg以内に納まった。

☆昼過ぎて、高鍋町美術館へ高鍋高校OB美術展の作品を搬入する。

☆台湾の張さんから、私の作品のポートフォリオのデータが欲しいと言う。

プロジェクターを使っての作家紹介があるらしい。

それで文化賞と駅前モニュメント完成祝いの祝賀会の時に慌てて作った海外設置作品の紹介データに、ポルトガルと中国・恵安のデータを加えて補正する。


3月31日(月)

☆薄曇りの晴れ。

真冬並に冷え込んだ一日。

☆朝一に彫刻集団・佐賀に出品していたバグダッドのマケットが戻って来たので、韓国・大邱へ送る準備をする。

空港ビルの担当者が空港展の海外作家の作品を返送してくれるようになってから、私はEMSで作品を送っていない。

数年前からEMSの送り状は手書きでは送れなくなり、パソコンで作成しなければならなくなった。

初めは登録のためにパスワードを設定しなければならなかったり、打ち込みのエラーが頻繁に出たりしてとても面倒だった。

しかし打ち込んだ送り状を郵便局へ持って行くと、手続きが実にスムーズなのだ。

郵便局の担当者も、やはりこのシステムになって非常に作業がスムーズになったと言う。

無事に韓国・大邱へ作品を送ることが出来た。

☆昨日仕上げた大理石の作品は5日から始まる高鍋高校OB美術展に出品する。

しかし私は明後日には台湾に行くので、4日の搬入は出品メンバーに委託する予定だった。

だが思いの外に重量があって、高齢者ばかりのメンバーでは重くて作業が困難で申し訳ない。

さらに、昨日は心棒を入れた台座にセッティングするのが大変で、これでは力のない高齢者のメンバーが作業中に作品のエッジを欠いてしまう怖れが生じて来た。

それで今日は休館日でお休みだったが、高鍋町美術館の青井学芸員に連絡を取って、明日の午後に搬入させてもらうことにした。

☆午後から台湾のシンポジウムのための道具梱包の準備をする。

その前に、今回のフライトの機内持ち込み荷物と預け荷物の重量を調べる。

日本に帰ってくるまでに5便の乗り継ぎがあり、それぞれに重量制限が異なる。

2便はLCCのピーチなので、機内持ち込みは身の回り品と手荷物の合算で7kg以内、預け荷物は台北ー大邱のジンエアー、そして大邱ー関空のティーウェイが

それぞれ15kgと制限重量が厳しい。

つまりパソコンを持って行けば機内持ち込みのスーツケースはできるだけ軽くして合計7kg以内に、道具を入れる預け荷物も衣類の大半を詰めて15kg以内に

納めなければならない。

☆今朝の夢の中で、ずっと短歌もどきの作業をしていた。

私は詩歌の才能は皆無なので、今さら短歌なんてと思っていたが、意外や言葉の組み立てがスムーズに行く。

それで思い切ってイオンの伊藤先生の短歌教室に通うことにして、イオンに電話を入れた。

荻原さんにもその旨を伝え、伊藤先生にもメールを送った。

しかし、伊藤先生からの返事は全く思いもしないものだった。

イオンに通ってくれるのは嬉しいが、田中君は忙しい身なのでイオンまで通うのは大変だ、それよりも「心の花」宮崎歌会に都合のいいときに見学者として参加するのは

どうか?田中君にはこちらの方が面白いのではと思う。また相談しましょう、と。

確かに高鍋町公民館だったら仕事の途中で抜けられるという気持ちがあったのだが、イオンまで通うのは妻も余り賛同しない。

台湾・韓国から帰ってから伊藤先生と相談することになった。

「月の雫」出版以来、「心の花」宮崎歌会の方々とは懇意になったので、確かに初心者対象のイオン教室よりも得ることが多いかもしれない。

☆とうとう3月も終り、中国からは入金の気配さえ無い。


3月30日(日)

☆晴れ。

今日も冷え込む。

☆軽トラの車検が終わったので、予定通りに空港へは軽トラで向かい、台湾・韓国滞在中は空港近くの民間駐車場に車を置く。

予約が必要なのでウェブサイトを開くと、なんと4月1日から1日400円の駐車料金が500円に値上がりする。

何でもかんでも値上がりしてしまう。

☆一日、先日まで制作していた大理石作品の磨き仕上げ作業。

自宅工房で手磨きすると、傷が見えにくい。

☆夜は我が家での花見の宴。

やはり昨日よりかなり花が落ちて葉桜になってしまっている。

底冷えして寒いが、美味しいワインと私の手造りピザを食べながら、ワイヤレススピーカーでジャズを流しながら、幸せな時間を過ごす。

☆無一文の私がこんな時間を過ごせるのも、ひとえに妻のおかげである。

妻が図書館から借りてきた佐藤忠良と安野光雅の対談集を読んでいるが、二人とも若いころは作品は売れずにずい分長い間を奥さんに養ってもらっている。

二人とも奥さんが外で働いているので、PTAの集まりには必ず顔を出したというから、まるで私と同じような環境だったようだ。

これほどの優れた作家たちが、作家としての名声を得てもなお奥さんに食べさせてもらっていたと言う現実。

まして私のような人間が芸術活動で食べて行ける訳は無い、と少しは慰められる。


3月29日(土)

☆日中は爽やかな晴れ。

夕刻から雲が出て、暮れて雨となる。

☆寒が戻って来て、昨夜は夜中から寒くてあわてて煖房を点けて毛布を重ねる。

日中は穏やかだったが、夕刻から雨となるとぐんぐんと冷え込んできた。

☆朝一に整備工場へ軽トラを車検に出す。

費用の抑えられるエコノミー立会車検をお願いする。

点検の結果は、昨年に一度不具合で点検してもらっているので、何処も異常はなく、部品交換も全くなかった。

それで最低限度での現金支払いで、残りはカード分割払いにしてもらった。

整備作業は私が台湾・韓国滞在中にやってもらうということだったが、整備作業も部品交換も不要だったし、午後には陸運事務局の車検も通って軽トラが帰って来た。

無事に車検が終って、軽トラが使えるようになった。

☆発注していた妻の小作品展のDMが届いたので、昨日に準備しておいたラベル紙と切手を貼って郵便局に投函。

その足で、行列の出来る”新山いちご園”に妻とソフトクリームを食べに行く。

日中は風もなく行楽日和だったので、やはり長蛇の列に並ぶ。

☆先日から台湾高速鉄道のチケット予約購入の手順を調べているが、今日は台湾高速鉄道の公式ウエブサイトで具体的な予約購入方法を調べる。

そして予約を入れようとすると、4月2日の台湾到着日の予約がいくら試みても出来ない。

しかし帰りの4月7日の分は、いたって普通に予約が出来て、カード支払いが完了した。

ひょっとすると、4月2日は台湾の何かの行事でチケットが予約できないのではないかと思って、張さんに尋ねてみた。

そうしたら矢張り、4月3日から6日までは台湾の大型連休で、4月2日の予約枠はすでに完売しているのだろうと言う。

だが普通列車は予約の出来ない当日売りがあるので、問題ないということで安心する。

ネットの情報では当日売りで座席が埋まっている場合は立ち席になるとあるが、桃園駅から台中駅までは40分くらいなので問題ない。

☆今夜は我が家の庭での花見の予定だった。

しかし桜へのライトアップ作業を済ませ、テーブルと椅子を用意している間に雨が降って来て、次第に本格的な強い雨になってしまった。

我が家の桜はまだあまり散っていないし、梢の上の方はようやく花弁が開き始めた感じなので、無理して今夜の花見宴を開く必要もない。

準備していた”都萬牛”のイチボ・ステーキは予定通りにリビングで食する。

しかし今夜の都萬牛イチボは、かつて食べた宮崎牛とは比べ物にならない美味しさだった。

これまで食べた宮崎牛専門レストランより、我が家で食べる方が遥かに美味しい。


3月28日(金)

☆午前はほぼ曇天。

午後からも晴れ間は出たが、不安定な気候。

気温は上がらず、次第に冷え込んで来る。

☆庭の桜は葉が増えて葉桜状態になって来たが、昨日の雨にはそれほどの花びらの落下は無く、明日に予定している自宅花見はなんとか出来そうである。

☆今日もデスクワーク。

妻の小作品展案内DM用のラベル印刷。

そして、台湾の高速鉄道のチケット予約購入方法等について調べる。

☆先日、高鍋町中央公民館の講座・教室の新年度の生徒募集に目を通していた妻が、知人の荻原さんが短歌教室をやっているので、申し込んでみたら?と言う。

考えてもみなかったが、同級生の設計士のD君が俳句教室に通って毎年句集を出しているので、気になってはいた。

高校時代に伊藤一彦先生の短歌同好会に入会して、自分には詩歌の才能は皆無だと自覚したので、短歌は歌集を読むに留めていた。

荻原さんなら、親しくしていただいているし、やり直してみるのも良いかなと思って、公民館に参加を申し込んでいた。

その荻原さんからお電話をいただいた。

昨年に病で倒れ、高齢(88歳)もあり、公民館教室の講師は続けているが、教室の皆さんは自分の病状のこともご存じの上で対応してくださっている方ばかりで、

とても私を教える体力はないと言われる。

それに伊藤先生との共著「月の雫」での私の作品コメントの文章表現力に驚かれて、こんな文章力のある人にはとても教える立場にない、それよりもイオンで

開かれている伊藤先生の短歌教室に通われた方が力が付きますよ、ということ。

さらに夜にもお電話を戴いて、イオンの担当者と連絡を取られたので是非入会を、と言われる。

いや、伊藤先生にふたたび短歌を指導してもらうなんて、そんなおこがましいことはできない。

しかし荻原さんが固辞される以上、これも何かの縁となるのか、と思い悩む。


3月27日(木)

☆夜明け前に遠雷。

そして雨の一日。

午前は小康状態だったが、午後からは本格的に激しく降り、春雷が轟き渡る。

☆午前に、恒例の中町公民館・お仙稲荷春季例大祭。

このお仙人稲荷神社はとても霊験あらたかで、直前まで雨が降っていても祭礼の時には不思議と雨が上がる。

雨が止まなかったのは数年前の一度きりである。

今日も朝から雨だったが、祭礼前には雨が上がり、陽が射してきて木漏れ陽を浴びながらのとても気持ちの好い神事となった。

そして祭礼が終った途端に、雨となった。

☆午後はデスクワーク。

韓国・大邱の李さんから、交流展のパンフレットがPDFで送られて来た。

チェックすると、いくつか日本作家の名前の表記等でミスがあったので、折り返して訂正をお願いする。

韓国の参加作家のうち、李さん以外の作家で2名は良く知った作家である。

☆そして台湾の高速鉄道のチケットを予約購入しなければならないので、空港に到着してから入国審査を経て高速鉄道に乗るまでに必要な時間を計算する。

ネットで色々調べてみるが、AIが一番わかり易いのではと思ってCopilotで質問してみたら、とても具体的な説明が返って来て、わかり易かった。

入国審査に時間がかかった場合や最近は頻発するフライト遅延等を考慮して、高速鉄道に乗れるまでは3時間くらいの時間を考えた方が良さそうだ。

その旨を張さんに打診すると、別に急いで台中駅に到着する必要は無いという事であった。

☆夜は中町公民館のお仙稲荷例大祭のなおらい。

今日も不思議と祭礼の間は雨が上がって陽が射したので、きっと今年も中町公民館は好い1年になるだろうということで盛り上がった。

☆しかし気持ちよく酔って帰宅して私を待っていたのは、思いもよらぬ報告であった。

なんとバグダッドのシンポジウムが中止になった。

イラク首相の事務所から、5月17日〜20日に開催されるアラブ連盟首脳の会議の後までシンポジウムを延期するようにという決定が下されたと言う。

しかしその後は酷暑となり、誰も働くことはできない時期で、シンポジウムは開催できなという事である。

唯一の可能性は、これから先にオマーンからの石の購入が整えば9月に開催できるかもしれない、という。

だがこれも当てにはならないだろう。

従って、いよいよ私のこの先の収入予定は皆無になってしまった。

☆そしてさらに、夜中になってびっくりするラインが届いた。

先ほどまで私の隣で楽しく呑んでいた中町公民館長が、酒宴会場を出た途端に昏倒して頭部を強打して出血し、脳神経科病院に搬送入院してしまった。

医者からビールを呑むのを禁じられていると言いながら、気持ちよくなって呑み過ぎてしまったのだ。

☆ 今朝、次のようなメールが届いた。

”私は、英国のcoreshine-lighting Limitedの営業部長、アーロン・コアシャインです。御社の製品に大変興味があります。 御社のウェブサイトを拝見しましたが、

御社からカタログ/リンクの価格表のコピーをお送りいただきたいと思います。 必要な製品を正確に選択できるよう、メールを当社のディレクターにお送りください。”

私のあかりに関心を持っていただいたようだが、私にはそのような販売製品はない。


3月26日(水)

☆晴れ。

今日は殆ど夏の気温だと思っていたら、夕刻になって家族ラインと兄妹ラインで高鍋町が30度越えという情報が這入って来た。

慌ててネットでニュースを観たら、” 各地の最高気温は、高鍋町で30,3℃、西都市で30,2℃、宮崎空港で30℃を観測。

3月に県内で真夏日となるのは観測史上初めてで、全国でも1999年以来、26年ぶりだということです。 ”とある。

どうりで暑かった訳だ。

全国ニュースで流れたらしく、高鍋町の映像が流れたと言うが、そう言えば夕刻に買い物に出たら、高鍋信用金庫の角でテレビカメラが廻っていて、

取り立てて取材する対象もないのに何を撮っているのだろうと思っていた。

☆冬から一気に夏が来た。

昨年は夏から一気に冬になった。

これまでのような春と秋が無くなっていくのか。

庭の桜も夕刻までにはかなり花開いてきた。

☆午前に歯科医院。

先日の虫歯の治療は細かな抹消神経を薬で殺す治療だったと言うことで、それで夜中に痛みが出たということ。

今日はさらに大元の神経を奥へ押し込めて、被せ物のために型取り作業。

被せ物の取り付け作業は台湾・韓国から帰って来てからになる。

だが夜になってまた治療した虫歯が疼いてきた。

このまま被せ物をされたら、虫歯のままで終るのでないのか。

☆実は今月30日が軽トラの車検である。

しかし車検費用は現金支払いなので、無一文の私は今日まで中国からの入金を待ってみたが、まったくその気配はなく、整備工場に相談に行く。

昔からの馴染みの整備工場なので、出来るだけ現金支払いを最小限にして残りはカード払いできるように見積もりを出していただくことになった。

車検ぎりぎりの29日に車検に出し、整備作業は私が台湾・韓国滞在中にやっていただくことになった。

中国側にヘルプのメールを送ったが、支払い事務は中国政府なので、私のような者からの催促など屁とも思っていないだろう、返事は無い。

☆妻の4月の作品展に合わせて、よく売れて底をついた缶バッジとマグネットを割り出して、夕刻まで追加発注する。


3月25日(火)

☆晴れ。

今日も気温が上昇。

宮崎市の赤江(宮崎空港周辺)では国内最高の28,5度を記録。

これは3月の観測史上最高気温だという。

高鍋町も28,1度。

☆我が家の桜も一気に咲き開いた。

我が家では29日に妻と恒例の自宅花見を予定しているが、それまでに散らなければ好いが。

☆夕刻にパソコンのデータ整理作業をしながらヤフーのトップ画面に戻ったら、いきなり16時38分更新の宮崎県民への「非難指示」表示。

上天気だし、風もないし、何かの表示ミスではないかと驚いたが、クリックすると宮崎市の鏡洲での山林火災で、地域住民に避難指示が出ていた。

なんだか日本中で山林火災が起きている。

☆今日も一日、デスクワーク。

来週からの台湾・韓国滞在でのeSIMを購入。

台湾・韓国を含めたアジア8日間で見積もって貰ったら、先日のヨーロッパ6日間よりかなり高い。

それで台湾6日、韓国2日で別々に見積もり直して貰ったら、若干安くなったがそれでもヨーロッパ6日よりもかなり高い。

アジア圏の通信費は安いと思っていたが、ヨーロッパと変わらなかった。

☆午後からは、4月中旬からの妻の作品展の展示作品一覧や、不足しているキャプション作成の作業をする。

台湾へ発つ前に解決しておかねばならないことが多い。


3月24日(月)

☆晴れ。

午前のうちは雲の多い天候。

午後からはすっきり晴れる。

今日も夏日。

我が家の桜も朝のうちに一輪が花開いていたが、午後に一気に開く。

☆午前は、明日が締め切りの某コンクールのエントリー作業。

昨日手磨きの途中で画像を撮ったのはこのためである。

☆午後は某海外シンポジウムのエントリーデータ作成作業。

図面を描いたりして、ようやく暮れる前にエントリー完了。

折り返しオルガナイザーからデータ受信のメールが届く。


3月23日(日)

☆快晴。

今日も宮崎県内各地は春霞の夏日。

日向市は今日も全国最高気温の28,3度を記録。

☆先日からイソヒヨドリの美しい鳴き音が聞こえると妻が言っていた。

私は高齢化で高音が聞こえなくなっているので全く耳にしなかったのだが、今日は軽トラに水を積み込んでいたら、隣の消防機庫のホース乾しタワーの上で

イソヒヨドリが鳴いているのに気付いた。

今日の陽気で我が家の桜も開くかなと思ったが、葉がわずかに開いたのみ。

☆一日、アンジェラスの森で作業。

今日から砥石による手磨き作業。

まだ傷は取れていないが、夕刻前に海辺へ走って画像を撮る。

この作品は2014年のカナダ・セントジョンのシンポジウムの時に、併催された小作品展に出品した手の平サイズのミニチュアがオリジナルである。

小作品展にミニチュアを展示して、そのままみんなで鯨のウオッチングに出かけたが、帰ってきたらもう売れてしまっていた。

何処の誰が買ってくれたのか、全く情報が無かった。

私にはとても愛着のあるミニチュアだったので、いつか拡大制作してみたいと思っていた作品である。

10日後の高鍋高校OB美術展と今年の空港展に出品する予定で制作している。

☆海に向かっていると、新しくなった高鍋駅舎の前の”MOON DANCE”が遠くからくっきりと際立って見えるようになった。

今日こそ帰りに写真を撮ろうと思ったら、やはり海からの帰りは通学電車の到着時刻前で、迎えの車がローターリーの周りに密集してしまっていた。


3月22日(土)

☆快晴。

気温は急上昇し、宮崎県内は各地で夏日となる。

日向市は全国で一番暑い27度を記録。

風も強く、黄砂と土埃とおそらく飛散する杉花粉で街中と里山の畑は黄色い煙幕に包まれた。

宮崎県内は、今日あたりから桜まつりが開かれている。

我が家の桜はまだ硬いつぼみ状態。

☆アンジェラスの森で作業。

午前は、昨日制作した台座の捻りの修正。

昼前と午後からは本体の成型修正と仕上げ作業。

明日には手磨きに這入れる。

☆夕刻から妻のボーカルレッスン。

私も作業が一段落したので、ハーモニカでジョイント。

しかし、妻がここ数日は夜の出方が続いてあまり一緒に練習できなかったので、信じられない程に私は最低最悪の状態であった。


3月21日(金)

☆快晴。

気温は上昇して春の陽気。

霞のかかった天候だったのは、黄砂だろうか。

作業には防寒ジャンパーや防寒ズボンが暑すぎる。

☆アンジェラスの森で作業。

午前は、ほぼヤスリと砥石での仕上げ作業。

午後からは台座の制作にかかる。

☆とうとう今週も中国からの入金の気配はなし。


3月20日(祝・木)

☆快晴。

朝は冷え込んだが、日中は陽射しが強く風も無く、とても暖かかった。

夕刻からは冷え込む。

☆一晩中、昨日に歯科医院で治療した虫歯が痛んだ。

歯科医院に治療に行って、逆に虫歯が痛くなるなんてどういうことだ。

麻酔が切れた時の痛み止めの薬を貰っていたので、朝食後に服用したら痛みは治まった。

☆アンジェラスの森で作業。

細部の仕上げ作業で、ほとんどリューターと砥石による作業で、コンプレッサーは使わず。

やはり森の中の作業は気持ちが好い。

☆アンジェラスの森ではうぐいすの初鳴き。

里山は山桜も咲き始め、もうすっかり明るい春の景色になって来た。

☆午後に墓参。

☆夕刻に帰宅すると、妻がしょんぼりしている。

何事かと思ったら、先日のクロアチア・ベネチア旅行のスマホ画像が全部消えてしまったと言う。

パソコンに移動したのでは?と確認させたが、まだパソコンには保存していなかった。

妻のスマホを確認したら、確かにスマホのカメラで撮った画像が全部消えている。

ネットで調べたら、削除フォルダーを開いて”復元”を押せばよいとあるので、必要な画像を一枚一枚復元させる。

何かの拍子に、不要な画像を削除したつもりが、全部のカメラ画像を削除操作してしまったようだ。


3月19日(水)

☆朝のうちは晴れ。

昼前から雲が出て、ほぼ曇天となる。

雲が出て来てからは、じんじんと猛烈に冷え込む。

☆午前に歯科医院。

先日に治療したのとは別の虫歯の治療。

ずっと疼いていた虫歯である。

かなりひどい虫歯なので神経を傷める可能性があるからと麻酔をかけての治療。

案の定、すでに神経が露出していると言うこと。

これほど酷い虫歯を、院長は初診の時に見落としていた。

夕刻になって麻酔の効果が切れて、痛みが出て夕食時に食事の咀嚼ができない。

☆昼前にアンジェラスの森へ上がって少し作業。

しかし今日もあっという間に雨雲が出て来て、雨が降り始め、ひどく冷え込んできた。

午後も今にも雨になりそうな気配だったので、いったんアンジェラスの森へ上がり、制作中の作品を持って帰る。

作品は仕上げの段階なので、午後は自宅工房で手ノミとリューターで細部の仕上げ作業をする。


3月18日(火)

☆午前は晴れ。

昼から雨。

夕刻から晴れ間が戻る。

☆今朝5時ごろに熊本で震度4の地震があり、高鍋町でも震度2だったようだ。

しかし寒くて夜中に何度も起きていたので、夜明け前は私も妻もぐっすり眠っていてまったく気付かず。

☆アンジェラスの森で作業。

昼前から急に雲が出て、昼にはあっという間に雨になった。

午後もお昼を摂っている間は雨は上がっていたが、3時くらいに再びの土砂降りになり、慌てて帰宅する。

しかし帰宅するや、急激に天候は回復した。

☆台湾の張さんに、空港には誰か迎えに来てくれるのか問いあわせたところ、新幹線で台中駅まで乗って来て欲しいと言うこと。

だがネットで検索すると、予約したチケットは台湾では現金でしか購入できないとあり、無一文の私にはそんな現金は持ち合わせないのでたじろぐ。

ふたたび検索を進めると、新幹線のウェブサイトで日本でカード払いができることが解った。

ただチケットを予約するにも、空港での入国検査を終えて新幹線駅まで行くのにどれほどの時間が必要なのだろう。

☆妻が耳鼻科で、耳にピアスの穴を開けて貰った。

ずっと開けたかったそうだが、教員時代は禁止されていたと言うこと。


3月17日(月)

☆晴れ。

寒の戻りで冷えこむ。

宮崎県でもえびの高原は雪が降ったようだ。

☆午前はアンジェラスの森で作業。

今日からコンプレッサーを積み込んで、エアーチッパーで作業をする。

作業中は寒さは感じない。

里山に一気に緑の芽吹きが拡がって来た。

☆午後は歯科医院。

今日はもう1本の虫歯の型取りという事だったが、先日の治療の事後処理であった。


3月16日(日)

☆曇り。

午後半ばから晴れ。

暖かい一日。

☆天気予報では午後から晴れであったが、晴れ間が出て来たのは午後半ばから。

午後後半からアンジェラスの森で作業。

春の気配の森の中の作業は快適である。

☆春眠暁を覚えずと言うが、春は本当に寝ても、寝ても眠い。

今日は夕刻に帰宅すると、眠くて仕様が無く、半分うつらうつらしながら夕食の準備をする。

またやはりこの時期になると花粉症気味で、目がかゆくなり鼻水がたらたらとなって来る。

妻が昨日に耳鼻科に行ったら、開院前に行ったのにもう患者が長蛇の列で、診察までに3時間待たされたと言う。


3月15日(土)

☆雨。

☆雨の一日だったので、今日はデスクワーク。

妻が4月から、通っているフィットネスクラブの中で絵画教室を始める。

その打ち合わせの中で、ジムのオーナーから併設のカフェで作品展の開催を求められて準備を進めている。

絵画教室の講師の紹介にもなるからである。

さらにその作品展の期間中にライブもやって欲しいと言うことであったが、妻が昨日にヴォーカル講師の片貝さんと打合せてライブ開催を決めた。

それでジムのネットワークで会員に流すので、大至急フライヤーを作って欲しいというオーナーの要望で、午前はフライヤーとDMのイラストレーター原稿を作成する。

そしてジムのオーナーにフライヤーの画像を送り、ネット印刷でフライヤーとDMを発注する。

☆ジムのオーナーの発信で、直ぐにライブ予約が這入ったということである。

☆午後は、5月に開催予定のライブのフライヤー原稿を作る。

ただ私はバグダッドが延期、延期になっているので、とても事前の練習時間は取れそうにないので、参加できるかは未定なので、フライヤーは今のところ原案である。

☆ここ数日、私の作る夕食がとても美味しい。

昨日のパスタも今夜のピザもとても美味しく出来て、先日のクロアチア・ベネチアの不味かった料理なんて比べ物にならないねと妻と語りながら夕食を摂った。

そして妻の取り寄せているボルドーワインも今夜のボトルはとても美味しかった。

食後のハーモニカの練習も昨日よりは少し進歩して、ハーモニカの練習を終えて、残りのワインをグラスに注いでゆっくり寛ごうと思った瞬間にアクシデントは起きた。

☆ワインをグラスに注いで椅子に座った途端に、腕の肘がワイングラスを直撃してしまった。

そして、床に落ちてしまったワイングラスは、厚みのあるグラスだったので粉々に砕け散ってしまった。

これは完全に私の動作ミスである。

だがそう言えば、2日程前にも妻のワイングラスに、何時の間にか大きな亀裂が這入ってしまっていて使えなくなったばかりだった。


3月14日(金)

☆くもり。

天気予報では午後から晴れだったが、雲の流れが予想よりも遅かったようで、晴れ間は出ず。

気温の冷え込みはなし。

☆雨は降らないようなので、午後からアンジェラスの森へ上がる。

先日から手がけている小作品の制作を続ける。

☆夕刻に買い物に出て、スーパーで幼稚園時代から仲の好かった同級生のお姉さんとすれ違った。

お姉さんと言っても私の4番目の兄と同級生だったと思うから、もう80歳である。

私は時々お店の前を通って目にしているのだが、直接にお話したことはもう何十年も無い。

だがすれ違いざまに私に反応して声をかけられそうになったので、レジに向かう途中にふたたびお会いしたらやはり私だと知って声をかけていただいた。

高鍋駅前の”MOON DANCE”の件でテレビや新聞に出る私を見られて、気になっておられたと言うこと。

幼いころに親しかった方が今でも私を覚えていていただいて、とても嬉しかった。


3月13日(木)

☆昨夜も蒸し暑い夜だった。

午前は薄日の射す天候だったが、昼前には小雨交じりの曇天となる。

☆雨の降らないうちに、昨日に梱包した作品を「彫刻集団・佐賀」の事務局へ送る。

☆宅急便を出て、そのまま血圧の定期健診でN・K内科医院へ。

我が家のかかりつけだったO内科医院のO先生が2月8日で医院を畳んだので、以前から大腸憩室炎の診察などでお世話になっていたN・K医院を次のかかりつけの

担当医になってもらうことにした。

O先生からの紹介状を持って行く。

昨年は年に1回は行っていた健康診断を受けていなかったようで、血液検査、胸部レントゲン、心電図もやってもらった。

私は不整脈があって、O内科以外で心電図を撮ると必ず不整脈を指摘されて、精密検査を受けるように忠告される。

しかしO先生はずっと私の不整脈を診ておられたので、問題無いと言う判断であった。

ところが今日の心電図はとても綺麗で、不整脈の気配は全くなかった。

こんなことは初めてである。

胸部レントゲンでは、過去の喫煙での翳りが少しあるが、健康には全く問題はないということであった。

私は煙草は喫わないのだが、会社勤めを辞めた時には精神的に最も辛いときで、喫えない煙草を喫い続けていた時期があったので、その翳りなのか。

☆午後は妻のボーカルレッスン日。

5月にライブを予定しているので、私もハーモニカでジョイントする。

しかしあまりにも無残なヘロヘロ状態であった。

一向にハーモニカがうまく演奏できない。

特にリズム感が致命的に欠けている。


3月12日(水)

☆雲は多いものの、ほぼ晴天。

昨夕から気温が上昇して、夜中は蒸し暑かった。

日中もとても暖かくなり、上着はシャツ一枚で充分だった。

☆この春から妻が年金を受給するようになる。

それに伴って色んな手続きをしていたが、年金事務所から私にも老齢基礎年金へ加算される可能性があるので、請求の手続きをしてくださいということだった。

つまり私は妻に扶養されているからである。

そして昨日、手続きの案内が届いたので、午前に高鍋年金事務所に出向いて「国民年金老齢基礎年金額加算開始事由該当書」を提出する。

6月の年金からこの老齢基礎年金が加算されることになった。

加算額はたいした額ではないが、もともと私の年金額が少ないうえに介護保険や後期高齢者医療保険料が差し引かれて、手取りは雀の涙ほどの額しかない。

少しでも年金支給額が加算されると有難い。

☆午後は彫刻集団・佐賀に出品するバグダッドのマケットの梱包作業。

佐賀から作品が戻ってきたら、直ぐに韓国・大邱へ送らなければならない。

☆韓国・大邱の李さんから、本日日付の”Art Fantasy Cultural and Arts Cooperative"からの招待状が届く。

おそらくこういう招待状があれば、作品持ち込みで韓国入国する時にスムーズに行く。


3月11日(火)

☆午前は雨。

午後は小康状態。

☆午前に、お隣の新富町”しんとみギャラリー”へ、今日から開催の”井手口あけみ 日本画展”へ。

実は本来なら、今日から私たち夫婦の版画二人展を開催するところだった。

しかし秋口に正月開けてのバグダッドシンポジウム招待が決まったので、版画作品が制作できる見通しが立たなくなってしまった。

それで私たちの二人展をキャンセルして、妻のサークル仲間の井手口さんにお願いして、急遽個展を開催してもらった。

☆帰路に高鍋町美術館で開催中の実技講座生徒作品展へ。

私も妻もこの実技講座作品展を見たことが無かったが、妻が高鍋町美術館の青井学芸員の発信するフェイスブックを見て、関心を持ったようだ。

ところが、妻も私も”素人による作品展”という先入観を大きく裏切られて、ショックを受けた。

作品のレベルがいわゆる公民館講座のようなものでは無いのである。

もうしっかり作家として自立できるレベルの方たちが多いし、講師のレベルも高い。

受講生の名前の多くは知らない方ばかりであり、多分、高鍋町外から受講されている方も多いようだ。

何しろ、美術館の講座で受講料は無料なのだ。

特に日本画の講師は、大学で日本画を専攻した若い女性作家で、名前は知っていたが本人の作品を見たのは初めてで、本格的な技量の作家だと知った。

日本画専攻なので、金箔を貼る作業はお手の物で、受講生は全員が色紙に箔を貼った作品を制作していた。

こういう技法が無料で学べていたなんて驚きであった。

また木版画の講師は私の兄だが、生徒の方が本格的な高レベルの版画作品を制作していて、私が教えてもらいたいと思うほどのレベルであった。

4月からは講師が新しくなるが、私の全く知らない講師ばかりである。

講師を選択しお願いする青井学芸員のネットワークの多様さ、見識の深さに敬服する。


3月10日(月)

☆朝のうちは晴れ。

昼前から雲が出て午後に雨。

夕刻からは激しく降る。

☆午前に歯科医院。

今日は院長がじきじきに治療してくれた。

今日の虫歯は左上の前歯で、麻酔をしての治療であった。

そう言えば風邪気味になると、この歯の上の歯茎が化膿したりしていたし、昨年暮れに酷い腫れと痛みで蓄膿だと思って耳鼻科に行ったら、蓄膿では無かった。

今日も麻酔の後は、同じ様に蓄膿のような痛みを感じた。

院長は初診の時に見逃していたが、ひょっとするとかなり悪性の虫歯では無かったのか。

☆韓国の李さんへ、送付作品の変更データを送り、搬入・オープニングへの参加が出来るようになったことを伝える。

折り返し、台北から大邱へ早朝5時に着いた時には李さんが迎えに来てくれるという返事。

さらに驚くことに、実は今回の交流展に参加する韓国・大邱の作家たちは、会期中の4月11日から台湾・花蓮の展覧会に行くのだと言う。

大邱から台北へは直行便が飛んでいるので、台湾はとても近い感覚なのだ。

☆台湾の張さんからも、プロジェクトのスケジュールが日本語版で送って来た。

それにしても、バグダッドが4月末に再延期になる可能性が高くなり、韓国・大邱へ行けるようにはなったが、無収入なので韓国までの旅費など無く、

頭を抱えていたところだった。

そこへあたかも神の手の如く、台湾からの招待が届いて、韓国経由でのフライト料金を負担してくれることになった。

バグダッドが予定通りに1月に開催されていたら、私はとっくに妻と二人分の韓国・大邱行きの旅費とホテルを予約購入していた。

その後に台湾からの招待が届いたら、私は韓国への旅費等のキャンセルをしなければならなかった。

人生、こういう不可思議な面白いことが起きる。


3月9日(日)

☆晴れ。

暖かいほぼ春の陽気。

夕刻からは急激に冷え込む。

☆張さんからOKが出たので、台湾と韓国・大邱経由のチケットを購入。

変動相場なのか、2つの路線は昨日よりも安い。

しかし沖縄ー台北と大阪ー宮崎は格安航空会社(LCC)なので、無料の預け荷物は無く、追加料金を払わなければならない。

それでも昨日の見積もりより2,000円しかオーバーしない。

また航空券と一緒にホテルも予約するとかなり安くなるので、大邱でのオープニングの夜のホテルも予約した。

☆張さんに旅程と領収書を添付して報告する。

昨日よりも若干オーバーしたことは問題ないということである。

☆私は当分無一文で、韓国・大邱へ作品を送る費用もない。

それで当初に送る予定だった作品は取りやめて、バグダッドのマケット原型を送ることにした。

午後に海辺へ走って写真を撮る。

今日は春のような陽気で海辺には誰も居ず、勿体なかった。

☆リノベーションした高鍋駅舎の外観が出来上がっていて、”MOON DANCE”がいよいよくっきりと浮き上がって来た。

帰りに写真を撮ろうと思ったら、出迎えの車がロータリー脇に留まってしまっていて、邪魔になって撮れず。


3月8日(土)

☆一日、雨。

☆やはり疲れが出ているようだ。

夜中に足が攣ってしまったし、夜が延々と長かった。

買い物に出ると、車の乗り降りに股関節が痛い。

☆午前は不在中の新聞に目を通す。

☆午後は台湾へのフライトを調べる。

先日から台湾の日程と韓国・大邱の日程を照らし合わせていたら、台湾の出発日と韓国・大邱の搬入・オープニング日が同日である。

フライトの調整がうまく行き、もし宮崎ー台北の往復旅費と、台湾からの帰りを韓国・大邱経由での旅費とに大きな差額が無かったら、台湾側が韓国経由での

旅費を支払ってくれるのではないのだろうか。

それで調べてみると、宮崎ー台北の直行便に現在はタイガーエアーが週一(火曜日)で往復している。

このタイガーエアーを利用すれば最も安いフライト費用になる。

しかしネットで調べると、タイガーエアーのフライト予定は3月末までしか表示されないし、格安フライト検索サイトでも4月には直行便の該当なしと表示される。

つまり、どのみち宮崎から台北へ往復するには沖縄軽油、福岡経由、大阪経由しかない。

一方、台北から韓国・大邱には毎日、直行便が飛んでいて、大邱に早朝5時に着くフライがある。

これだと搬入にも参加できるし、オープニングにも出席出来て大邱に一泊出来る。

しかも宮崎ー台北の往復旅費と、韓国・大邱経由の旅費とはそれほど変わらない。

☆その旨を、フライト比較の一覧を添えて張さんへ打診する。

張さんは直ぐにプロジェクトの実行委員会に相談してくれて、韓国経由でのチケット支払いに全員が同意してくれたという嬉しい返事が届いた。

これで思いがけず、台湾のプロジェクトに参加したあとに韓国・大邱へ立ち寄って皆さんとオープニングパーティーで呑めることになった。

明日にはチケットを手配しよう。

☆フェイスブックを見ていたら、彫刻家の國松明日香氏が6日に肺炎で亡くなっている。

國松氏とは、私が東京芸大大学院を受験した時の同期で、出身地の北海道で活躍されていた。

私は近年、北海道の作家の皆さんとの交流があるので、いつか再会できるだろうと思っていた。

当時の受験生で記憶に在るのは國松氏だけで、その理由は私が大ファンだった「おくさまは18才」の主人公・岡崎友紀の名前が”あすか”だったのと、

奈良・明日香村の高松塚古墳で壁画が発見された時期だったので、”明日香”という名前が強烈なインパクトを与えた。

もう一つの理由は、大学院の受験なので殆どの受験者は等身人物像を参考作品として提出していたのに、國松氏だけが首像を提出していた。

私は宮崎大学時代は首像ばかり作っていたので、首像には絶対の自信があったのだが、大学院受験には等身人物像の提出が必須という情報だったので、

苦手な人物トルソを制作して提出した。

しかし面接のときに、面接担当の菊池一雄教授と淀井敏夫教授に” なぜ首を持って来なかったのか?首像なら充分に大学院の試験に立ち会える”と言われた。

駄目でもともとで臨んだ東京芸大大学院だったので、両教授に私の首像(参考資料として写真を提出)を評価してもらい、とても心が暖かかくなったのを覚えている。

面接から戻って来た國松氏はニコニコ顔で、菊池教授からこのままやって行けるかと確認されたと言って、ほぼ合格確信の歓びを語っていた。

私は首像なら大学院へ合格できたのではないかという悔しい思いと同時に、首像を提出してきた國松氏の作品の魅力に惹かれた。

國松氏の首像は、ほんわかと暖かい雰囲気で、私は佐賀大学の専攻科での制作で、彼の作品に影響を受けて石膏の首像に砥の粉を塗ってみたことがある。


3月7日(金)

☆晴れ。

午前はホテルでゆっくりする。

☆10時にホテルのリムジンバスで羽田空港へ。

12時出発のフライトが、機体の整備に時間がかかり40分遅れで出発となった。

搭乗口で、同じ町内公民館員のデザイナー・古川君とバッタリ。

昨日は高鍋町出身のラッパー・ガドロの武道館ライブで、古川君もスタッフとして物販担当でクタクタに疲れたということ。

☆宮崎空港には定刻より30分遅れで到着。

羽田空港搭乗口に居る間から時差惚けでボンヤリとなり、機中は殆ど寝て過ごす。

宮崎も好いお天気。

もう早咲きの桜が咲いている。

☆帰宅したのは夕刻近くで、洗濯をしたり旅荷を片付けたりして、あっという間に過ぎる。

☆夕刻に買い物に出ると、内股がビンビンに張って痛い。

夕食はテイクアウトのお寿司。

他のツアーメンバーの皆さんも、帰国したらお寿司かうどんが食べたいと言っておられた。


3月6日(木)

☆快晴。

☆イスタンブール空港に0時20分着。

ベネチアでは空港に行くまでは体調は万全だったのだが、飛行機に乗った途端に再び胃にガスが溜まって苦しくなり、とうとうイスタンブールでの乗り継ぎ時間に

トイレで思い切り吐いてしまった。

☆2時35分の定刻にイスタンブール発。

ところがここでまたも思わぬトラブル発生。

飛行機への搭乗口に向かっていたら、パスポートに挟んでいた搭乗券が無い。

あわてて後戻りして捜そうとしたら、ツアーのメンバーの方が椅子の上に落ちているのを見つけて下さった。

今回は何故かこんなことばかり起きる。

☆体調はかなり恢復したが、まだ胃のムカつきは治まらないので、羽田までの機内食には殆ど手を付けず。

☆19時45分の定刻に羽田空港着。

ツアーの皆さんとお別れする。

皆さんは、殆どが旅のベテランばかりであった。

☆今夜の国内線はもうフライトが無いので、東京泊まりとなる。

ホテルのリムジンバスでJAL CITYホテルへ。

夕食はホテル近くの居酒屋で。

美味しい日本の食事でホッとする。


3月5日(水)

☆快晴。

☆昨日までの疲れが足に来ていて、夜中は足が攣って困った。

☆今日はツアーの最終日で、出発までは各自のフリータイム。

ホテルのチェックアウトが12時なので、午前はホテルでゆっくりする。

やはり皆さんは疲れが足に来ていて、朝食も遅い時間に摂られていた。

☆私と妻はホテルのフロントにスーツケースを預けて、昼前にホテルを出てベネチア・アカデミア美術館へ。

妻は友人との旅で過去にアカデミア美術館を訪れている。

這入ってみると宗教画ばかり。

私は昨年のヨーロッパ周遊で、この宗教画のあまりの類型化に辟易している。

どの絵にも、刃物で首を落されたり、矢を打ち込まれたり、磔になったり惨殺されたりの殺人場面ばかり。

そして描かれた人物のポーズがすべて同じである。

宗教とはこんなにも残酷な血なまぐさいものかとあきれるしかない。

☆ただ初期のイコン絵には金箔が多く使われており、版画に金箔を使い始めた私にはとても参考になった。

☆お昼はアカデミア美術館前のカフェで、アカデミア橋を眺めながらピザとビールを摂る。

今回の旅で、最もホッとした食事であった。

☆午後は近くのペギー・グッゲンハイム美術館へ。

スペインで訪れたビルバオ・グッゲンハイム美術館と同じく、ソロモン・R・グッゲンハイム財団の美術館である。

ソロモン・R・グッゲンハイムの姪にあたるペギー・グッゲンハイムは、美術収集家として多くの美術品を生涯集めた。

ペギーは現在の美術館となっているこの館を購入し、収集した美術品をコレクションとして収蔵しているということ。

運河沿いの洒落た建物の庭には現代彫刻が展示され、屋内のピカソやミロの絵も見たことの無い秀作が展示されている。

妻が、我が家の庭もこんな風な庭にして彫刻を展示出来たらと夢見るほど、素敵な美術館であった。

☆ペギー・グッゲンハイム美術館でもドキリとした出来事が。

またも肩掛けバッグのチャックが開いて、中の財布のチャックも開いているのを妻に注意された。

今回はアカデミア橋を見ながらのランチの支払いに私のクレジットを使った。

私は迂闊にも、クレジットカードを財布に戻した時に、財布もバッグもチャックを締め忘れたのだ。

昨夜の件でも、スリ被害に遭ったのではなく、私がチャックを締め忘れていたのではないのか。

まさか惚けが這入って来たのではあるまいか。

☆夕刻4時前にホテルへ戻り、ボートで空港へ移動。

空港では自動チェックイン機で、イスタンブールからの乗り継ぎ便まで含めて通路側の席が取れた。

19時40発のフライトで中継地のイスタンブール空港へ発つ。


3月4日(火)

☆快晴。

☆朝8時から、宿泊したトリエステの市内を歩いて観光する。

トリエステはオーストリアの支配が長かったので、ヴェネチアの影響を受けていない独自の港街である。

またコーヒーの輸入基地で、カフェ発祥の街でもある。

港から市内中心地へ物資を運ぶための運河があるが、信じられない程に透明度が高い。

市内観光を経て、ミラマーレ城へ。

ミラマーレ城は、トリエステ湾の海に突き出すような格好でのハプスブルク家の城館。

遠くには雪を冠ったヒマラヤ山脈がくっきりと見える。

アドリア海は波が静かで、今の日本では考えられない程に海の透明度が高い。

☆ミラマーレ城を発って、今回のツアーの最大の目玉であるベネチアカーニバルへ。

昼食は途中のドライブインでサンドイッチを買って食べる。

☆14時にベネチア着。

ベネチア本島への移動は船になる。

スーツケースは別便のボートでホテルへ運ばれ、私たちツアー客はボートでホテルへ移動。

私と妻がベネチアへ来たのは、150年ぶりの猛暑だった2003年の夏に家族4人で訪れて以来。

当時とはもうかなり様子が違っている。

☆ホテルへチェックインして、仮面カーニバルのメイン会場であるサンマルコ広場まで歩く。

しかしカーニバルと言っても、先日のリエカのようなパレードがある訳では無い。

各自が思い思いのコスプレをして歩くだけで、しかも期待に反してコスプレ姿の人はまばらである。

サンマルコ広場もコスプレ姿はちらほら程度である。

なんだ、ベネチアの仮面カーニバルなんてこんなものか、とがっかりしていると、夕刻に近づくにつれあちらこちらからコスプレの人々が現れて来て、

一緒に写真を撮るのに夢中になる。

なるほどこれがあの仮面カーニバルなのか、と納得。

皆が楽しめるとても面白いユニークな空間である。

☆残念ながら、続々とコスプレーヤーが集まってくるなかを、暮れ落ちるサンマルコ広場を後にしてホテルへ戻る。

☆その帰路の途中で信じられない出来事が起きた。

マルコ広場ですれ違ったコスプレーヤーのカップルで、私が最もかっこよいと感じた二人が前方を歩いている。

すれ違ったときは写真を撮るタイミングが無かったので、サンマルコ広場で再び出遭ったら是非写真を撮りたいと思っていた。

その彼らが前方を歩いているので、慌てて彼らの前へ走り、スマホを押した。

その時に、である。

添乗員さんが、”田中さん、カードが落ちましたよ”と私に告げて、彼が差し出した手に確かに私のクレジットカードが掴まれている。

びっくりして肩下げバックを見ると、バッグが開いて、クレジットカードを入れていた財布が外に出て、しかもチャックが開いている。

財布はスリ被害防止のためにバッグの中でつないである。

その少し前に、私はトイレの料金を払うために、バッグの小銭入れの財布を入れてある別のチャックを開いたが、その時は財布の這入っているメインのチャックは

きちんと閉じてあった。

つまり、トイレを出て、そのコスプレーヤーの写真を撮るまでの数分間の間にスリ被害に遭い、盗まれなかったクレジットカードがコスプレーヤーの写真を撮る時に、

ポトリと添乗員さんの目の前に落ちたのだ。

なんという幸運な偶然だろう。

あの時、添乗員さんの目の前でカードが落ちなかったら、大変なことになっていた。

けれど私はスリ被害に合わないように、バッグはしっかりガードしていたので、どうしてそういう状況になったのか不思議でならない。

☆いったんみんなでホテルへ戻り、近くのレストランへパスタを食べに行く。

家族で来た時に、ベネチアで食べたイカ墨のパスタがとても美味しかったので、皆さんでイカ墨パスタを食べた。

しかし、期待に反してちっとも美味しくなかった。

☆今日は万歩計を付けておられる方の報告で20、000歩いたようだ。

みなさん足がガクガクである。

私もどっと疲れて直ぐに寝たかったが、部屋がバスタブだったので、バスタブにお湯を溜めて、足元を解して床に就く。

☆台湾の帳さんから、昨年はヨーロッパ旅行と重なって参加を断った手彫りの彫刻プロジェクトの招待が届いた。

会期は韓国・大邱と重なるのだが、主催者が2年連続して私を指名してくれたというので、台湾へ行くべきだろう。

しかし今の台湾は景気が良くないようだ。

昨年は報酬がきちんと出たが、今年は報酬が無いという。

そういえば来年に台湾・花蓮で開催予定だった交流展も、財政難で中止になったと言う連絡が数日前に届いたばかりであった。


3月3日(月)

☆快晴。

☆やはり今日も胃にガスが溜まった状態で体調は芳しくない。

ホテルの朝食は美味しかったので、野菜と果物を中心に摂る。

☆今日の最初の訪問地はイストラ半島を巡り、プーラという町までバスで101kmの移動。

今日の方が起伏の激しいバス旅だと言うことであったが、バス酔いはなかった。

イストラ半島は、クロアチアで最も長くベネティアと文化を共有した地域で、あらゆる面でベネティアの影響が色濃く残っている。

プーラは約3000年の歴史を誇り、ローマ時代のプーラは上下水道が整い、寺院や劇場、ローマ浴場等が立ち並ぶ町であった。

観光の目玉は円形闘技場などのローマ時代の遺構が残り、現代の町と共存している。

ローマ時代の円形闘技場の石組は、ノミで削られているにもかかわらずまるで大口径ノコで切った様にまっ平らな面で隙間なく組まれていて、ローマ時代の

石組技術の素晴らしさは驚くばかりであった。

☆次にロヴィニという港町へ。

昼食はレストランで。

バス酔いはないが、胃の調子は最悪なままなので、出て来た魚(タラ)のムニエルは半分ほどしか食べられなかった。

ロヴィニは「ヨーロッパで最もロマンチックな街」と称される小さな港町。

そして近年は「魔女の宅急便」の世界にそっくりな街並みだと言うことで、人気が急上昇している町のようである。

☆ロヴィニを出て、午後は国境を越えてスロベニアの港街・ピランへ。

スロベニアは海岸線はわずか47Kmしかないが、塩作りが有名で、中世時代は「白い黄金」と呼ばれて金と同等の価値で取引されたということ。

高台の教会から眺めると、はるか向こうに雪を冠ったアルプス山脈が見える。

☆アドリア海に落ちる夕陽を眺めながら、さらに国境を越えてイタリアのトリエステへ。

今夜はトリエステのホテルに宿泊。

夕食はまたも魚(スズキ)のムニエルで、今回の旅行は朝食以外はまったく美味しくない。


3月2日(日)

☆晴れ。

☆私は環境が変わると、特に海外に行くと便秘になる。

それで昨日の胃のきつさは便秘が原因だと思えたので、寝る前に薬を服用したら、今朝には体調は恢復した。

☆だが、今日も今回のツアーのハイライトのリエカまでは、雪を冠ったディナル山脈に添ってアドリア海沿岸を延々と走る。

高速道路が閉鎖されていたので、海沿いのくねくね道の約330Kmの距離を3時間30分も走る。

今日は上天気だったので、最初は美しいアドリア海沿いのドライブを楽しんでいたが、次第に車酔いに陥ってしまった。

☆リエカに着いた時には殆ど吐く寸前だった。

したがって、今日のランチも吐き気で半分も食べられなかった。

☆リエカは中世以来、カーニバルで有名な町で、今では世界で3番目に大きな国際カーニバルとなっている。

今回のツアーの目玉の一つがこのリエカのカーニバルである。

色んな国々の110近いグループがそれぞれの民族衣装やコスチュームで街の大通りをパレードする。

私たちツアー客はメインステージ前の有料観覧席でそのパレードを観る。

有料観覧席には無料のホットワインやリエカ特有のおつまみも用意されている。

ただお祭り大好き男の私にとっては、ただ色んなコスチュームで踊りながら歩くだけのパレードは退屈で、全く面白くなかった。

日本の博多どんたくや青森のねぶたなど、日本の祭りの方が遥かに迫力があり、統一した美しさがあって素晴らしい。

だが次第にその場に居ると、日本の祭りは”神事”だが、こちらのお祭りは単なるパレードが主体で、観ている人たちもそれぞれにコスチュームを楽しんでいる。

街全体がこのフェスティバルを楽しんでいる。

人間て、本質的にこういう賑やかさを求めるのだと、次第にパレードを楽しめるようになった。

私たちが有料観覧席の3時間で観たパレードは109出場チームのほんの一部であった。

☆ホテルはリエカから14Km離れたオパティオへ。

今日は妻の65歳の誕生日である。

添乗員さんが気効かしてくれて、ディーナーの前にツアーの皆さんでハッピーバースデイを歌っていただいた。

こんなカーニバルで誕生日を迎えられるなんて、妻は幸せである。

☆ただ私は午前のバス旅の苦しさが回復せず、今夜のディナーも野菜中心に摂っただけであった。

バス旅の疲れがどっとでて、部屋に戻るとシャワーも浴びずベッドに這入る。

明日も今日よりも起伏の激しいバスの長旅である。

☆バグダッドから状況報告が届いた。

石の手配、道具の購入、ホテルの手配の全ては終えてあるが、大理石をオマーンから購入して輸入するのに大統領のサインがいるようだ。

その大統領が超多忙で、なかなかサインまでたどり着かないでいるとのこと。

準備は予定通りに4月第一週からの開始で進めているが、どうやら4月末に延期になる可能性が大きくなったことを了承して欲しい、ということである。

文面の気配から、4月末への延期の可能性が大きいのだろう。

となると韓国・大邱へ行くける可能性が出て来た。

だがバグダッドが4月末延期になると、バグダッドの報酬がまた一月延びてしまう。


3月1日(土)

☆雨。

午後から曇り。

☆時差ボケで夜中は何度も目が醒める。

☆朝起きてベランダに出ると、青空が広がっていて眼下には”アドリア海の真珠”と呼ばれるドブロヴニクの美しい景観が拡がる。

昨日に何処かで雨傘を置き忘れてきたので、天候の回復を喜んだ。

そしてホテルの朝食がとても美味しかった。

☆しかしホテルを出る際から再び雨となり、雨は次第に本格的になった。

今日の訪問地となるスプリットまでは235Kmの距離を、アドリア海に添ってうねうねとした山並みを走る。

最初は雨のアドリア海も想い出になって好い、と思っていたが、やはり視界の効かないくねくね道は堪える。

とうとうご婦人の方が車酔いで吐かれた。

日本を出る前に、添乗員から車酔いの薬を持参するようにと指示された意味がわかった。

そして小休止の後に再びバスが走り出すと、今度はバスのバウンドで私の胃が悲鳴を上げ始めて、とうとうそれが一日続いてしまった。

☆延々とした山並みはモンテネグロから続く亀裂だらけの石灰岩の荒山。

風化した石灰岩が場所によってはモコモコとした綿の塊のようにも見える不毛の山である。

したがってそういう山間地ではワインには最適地で、クロアチアのワインはとても美味しいと言う。

☆目的地のスプリットに着く頃には雨も上がってくれた。

観光の前にレストランでランチ。

しかし私は胃がムカついて、メニューの冷えた魚スープや魚のムニエルには手が出ない。

☆ランチの後にスプリットのディオクレティアヌス宮殿と旧市街を観光。

ディオクレティアヌス宮殿は、3世紀末にローマ帝国の再建を図ったスプリット近郊出身のディオクレティアヌス帝が、引退後の住まいとして建てた宮殿。

その後、数百年の歳月を経た7世紀にバルカン半島にスラブ人が移動してきて、彼らに追われた地元の人々がすっかり廃墟になっていた宮殿に住みつくようになり、

宮殿の基礎部分はそのままに、彼らは遺跡に残る建材を使い、時には遺跡を家に取り込み、自分たちの住まいを造り上げて来た。

ここでは遺跡は保護されるよりも生かされてきて、その結果、古代、中世、現代の様々な建築や文化が層をなす不思議な町並みが誕生したということ。

ローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿がそのまま旧市街になったという珍しい起源を持つスプリットである。

☆スプリットを出て、再び海沿いの山並を157km走って、夕暮れのザダルへ。

結局、今日一日でバスで392Kmを走った。

ホテルへ着いて直ぐにホテルでの夕食。

吐き気のする私はスープと野菜を摂ったのみ。



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