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このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。

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2025 12月23日(火)

☆晴れ。

今日も無風の暖かい上天気。

☆体調はほぼ通常近くに戻る。

☆体調が回復したので、今日から体を動かす。

☆午前は、昨日の朝に桜の枝が独りで落ちて来たので(多分、腐っていたのだろう)、裏庭の伸びていた枯草と一緒にアンジェラスの森へ運ぶ。

今日もリフトのスイッチを入れたが、今日は幾ら暖めてもスイッチが入らず焦った。

ようやくスイッチが入ったので、しばらくは軽トラのなかでラインのやり取りをしていたら、次第に意識が朦朧として来て、このまま意識を失ったらまずいので、

リフトのスイッチを切って帰る。

自宅に戻ってしばらくしたら、正常に戻った。

☆午後も暖かかったので、庭の草むしりの続きをする。

☆注文していた年賀状プリントが届く。

☆妻は今年最後のジャズレッスン。

☆ようやくバグダッドから近況の連絡が届いた。

現在、公式招待状の発行と、イラクへ入国ビザの発給手続きを進めている、ということ。

そしてビザの発給が出来次第、チケットを送ってくれるということ。


12月22日(月)

☆快晴。

今日も暖かい一日。

☆体調はかなり回復してきた。

今日まではデスクワークで過ごす。

☆今朝の宮日文芸には採用はなし。

投稿した時期がエジプトから日本へ帰国した当時で、何も歌の題材が見つからなかった。

一方、今の宮崎日日新聞は若山牧水の生誕140周年を記念して、通年で企画特集をしている。

現在は3部で、日向市の高校生の短歌甲子園開催等による若者世代への短歌の拡がりを特集している。

今日の記事で、宮崎のそうした若い作家の特集記事の中で、掲載された「心の花」宮崎歌会の重黒木君の歌に魂を抜かれた。

重黒木君はまだ高校生だが、天才的な作家で、先日の「心の花」宮崎歌会での私の短歌を高く評価してくれた歌人である。

 波引くとひろがりにけり波寄すと縮めて月の指先寂し

こんなすごい歌を詠める若い歌人がいるのだ。

☆今日は一日、ずっと延ばし延ばしにしているあかりモニュメントのプランを考える。

やはり纏まらず。

☆エジプトの支払いがなかなか進まないが、今日分かった状況がある。

実はエジプトではドルの海外送金は1人で一日1900ドルまで、一日一人にしか送れないのだと言う、

それ以上に送ろうとすると、送金者の名前が登録してあって、ストップがかかるのだそうだ。

ならば、友人たちに協力してもらって送信者名義を変えれば良いのではと提案したが、やはり駄目なのだと言う。

先日に試みたが、拒否されたということ。

しかも毎回送金理由を問われて、オルガナイザーは「医療支援」という名目で送っているが、それが1日に複数回だと怪しまれて危険なのだと言う。

しかも手数料が4%以上もかかる。

これでは年内に振り込まれるのか、全く不透明である。


12月21日(日)

☆曇り。

時々の雨。

暖かい一日。

☆一晩中、悶々と過ぎる。

目が醒めても、目が覚めてもまだ暗黒の夜。

夜って、こんなに長いんだと痛感。

☆幸い、朝までには熱は下がって平熱となった。

念のためにかかりつけの内科病院が日曜在宅医だったので、受診する。

風邪症状の患者はみんな車の中での待機・診察だった。

インフルエンザの検査をしてもらったが、陰性だった。

ただ陽性反応が出るまでに24時間かかることもあるので、明日にまた発熱したら再度受診してくださいということであった。

薬は先日の耳鼻咽喉科の投薬で充分だと言うことで、今日は薬は出なかった。

先ずは妻も安心してくれた。

☆熱は平熱だが、今日も一日中鼻水と痰が出て、きつかった。

☆お昼を摂った後は、しばらく午睡を取る。

午睡の間にエジプトのオルガナイザーと報酬支払の件で、個人的なWatAppで連絡を取る。

早急に振り込んでもらわないと正月を越す余裕がないし、年末年始は銀行窓口は休業である。

エジプトは、海外へのドル送金は1日2件まで、しかも最高1900ドルまでしか送金できないらしく、それで手間取っているようだ。

状況を話しても、いつものOK!,OK!なので、どこまで信用できるか分からないが、兎に角、頻繁に請求しないとそのままになってしまう。

☆午睡の後は、短歌の作業。

一日一首がもう一週間分も空白のままだ。

ことさらなにも歌にする題材も無い毎日なので、下らない短歌で埋めてゆく。

☆バグダッドがあれから何も言って来ないのがとても気になる。

また情勢が不安定になって来たのかなと思ってイラク情勢を調べてみるが、あたらしい政治的な衝突は起きていないようだ。


12月20日(土)

☆曇りのち雨。

夕刻からは本格的な雨。

☆午前は昨日届いた海外のシンポジウムの要項を翻訳。

一つは大理石で条件も好いのだが、以前に友人の作家に紹介されてコンタクトを取ったことがあるが、いくらメールを送っても何の返事もなく印象が悪い。

そして確か、レベルの低い具象系のシンポジウムだったと記憶しているので、ウェブサイトを見たら、まったく殆どの作品が素人か初心者の具象で、

あまりにもレベルが低すぎる。

もう一つのシンポジウムは木彫で、こちらは以前から参加したかったシンポジウムだが、ちょうど空港展と重なるので見送る。

☆午後に注文していた鶏の燻製を馴染みの店に受け取りに行き、先日から仕込んでいた田中家スタイルの松前漬けと宮崎県内の某有名焼き肉のたれを同梱して、

息子たちにクール便で送る。

この燻製も作られる方が高齢で、毎年、今年が最後かも、という返事であった。

☆夕刻に短歌会「心の花」宮崎歌会の1月例会の詠草から、一首を選んで送る。

☆そんなことをしていたら、体が次第に熱くなって来るのを感じた。

体温計を計ったら、やはり発熱していて、夕刻5時前に37,8度の体温であった。

今夜は昔の飲み仲間との忘年会が這入っていたのだが、みんな高齢者なので、幹事に電話して欠席とさせてもらった。

今、宮崎はインフルエンザの患者が日本で最多なので、明日は日曜在宅医で診て貰おう。

きついので、夕刻から2階寝室に上がって寝る。

☆エジプトの報酬支払がこんなに遅延しているのは、その原因が分かった。

今回のカイロのシンポジウムはスポンサーが撤退して、全ての経費をオルガナイザーが自腹で支払わなければならなくなったようだ。

オルガナイザーは手持ちのコレクション作品を売却して、少しづつその資金を確保している状態で、もう2度とオルガナイザーはしない、と述べている。

気になるのは他の作家たちには銀行からの振込書類の画像が送られて来るが、私への振込書類は全く届かない。


12月19日(金)

☆晴れ。

午後からは雲が出て一時的に雨模様となるが、直ぐに天候は回復する。

今日も暖かい一日。

☆左足首の激痛は今朝まで続いた。

起きてからは少しずつ痛みは和らいできた。

☆体調は万全ではないので、今日はデスクワークで過ごす。

昨年春の、妻との2カ月のヨーロッパ旅行の旅日記を、いつか本にしたいと思っている。

私と妻は別々に旅日記をまとめているのだが、なかなかそれを合本にしてまとめる時間的な余裕がなかった。

それで今日は妻の旅日記を私の日記にコピーする作業を進める。

本にすると言っても、お金も無いので20部くらいの限定のプリント冊子みたいなもので考えている。

見積もりを取るにも、サンプルコピーが無いと話は進まない。

これで時間を見つけて、知人の印刷所に見積もりが依頼できる。

☆バグダッドはあれから正式な期日決定の案内が届かない。

2月始めの開始までもう1カ月と少しなので、チケットの手配が必要である。

イラクへの入国日と出国日が決まらないとチケットの手配も出来ない。

今回はチケット費用は報酬とは別の主催者負担なのだが、あらかじめ作家が購入しての現金払い戻しなのか、主催者側でのチケット手配なのかもまったく

分からない。

何だかじわじわと開催時期が伸びそうな気配がしてきた。

☆エジプトはあいかわらず報酬支払の混乱が続いている。

すでに振込みを受け取った作家もいるし、振込み手続きは済んでいるのに、口座に届かない作家たちもいる。

私に関しては何の振込み気配もない。


12月18日(木)

☆快晴。

日中は風もなく陽射しの暑い陽気。

☆昨日は風邪の状態がかなり悪化してきて、一日中、鼻水と咽喉の痛みの症状が次第に強くなって来た。

夜中になって症状はさらに酷く、夜明け前には殆ど声が出なくなってしまった。

それで朝方にリビングへ降りて栄養ドリンクを飲み、咽喉スプレーをして8時過ぎまで寝ていたらずい分良くなった。

しかし妻に勧められて、午前に耳鼻咽喉科に行く。

発熱が無い咽喉の痛みやクシャミ等は内科ではなく、耳鼻科を健診するのがよいのだと言う。

咽喉や鼻腔の薬を出してもらう。

☆とても好い天気だったので、午後からは庭の除草作業をする。

だが夕刻にはヘナヘナに疲れてしまった。

やはり風邪気味で、体調が本当ではないのだろう。

そして床に就くころには左足首に激痛が走って、歩けなくなった。

風邪で関節が痛くなることがあるが、同じ症状なのか。


12月17日(水)

☆朝のうちは曇り。

次第に晴れて、日中は陽射しが強く暑くなる。

午後半ばからは急速に厚い雲が出る。

☆昨日に枝落しした切り口に、ゆ合促進剤のトップジンを塗る。

枝落としした桜を見上げると、まだ落しておいた方が良い枝が気になり、追加して落す。

妻が桜の枝落としを懇願するのは、桜の開花後に毛虫が付いて、洗濯ものの干してある処に落下したり這い上がったりしてくるからである。

毛虫のついたバスタオルを使うと、細かな毛で肌が真っ赤に腫れる。

☆そして枝落としのついでに、浴室外庭の竹、裏庭の山椒、そして玄関脇のヒイラギも剪定する。

午後に再びアンジェラスへ上がる。

やはりアンジェラスの森までの里山を車で走るのは気持ちが良い。

☆午後は短歌の作業。

夕刻までに宮日文芸へ三首を投稿。


12月16日(火)

☆快晴。

朝は冷え込んだが、日中は風も無く、陽射しが強くて、外で作業するととても暑かった。

宮崎特有の真冬に冷え込んだ朝の、快晴の日の気候である。

☆コンペのエントリー作業が一段落したので、今日は妻から催促されていた庭の枝落とし作業をする。

私自身の安全祈願と合わせて、お清めの塩とお神酒を奉じて軽く神事をしてから作業に取り掛かる。

高齢での高い梯子の上でチェーンソー作業は事故が多い。

私も76歳という危険な領域なので、きちんと腰ヒモと樹木とを繋いで、安全に気を配って作業する。

ほぼ午前で作業を終える。

すっきりした庭になった。

☆午後から落した枝を軽トラに積んで、アンジェラスの森へ運ぶ。

かなりの枝を落したので2回くらいの運搬が必要だと思っていたが、1回で運ぶことが出来た。

☆久しぶりのアンジェラスの森である。

春に取り替えたばかりのリフトのバッテリーが気になるので、リフトのエンジンをかける。

最初はやはりエンジンの掛かりが悪かったが、無事にエンジンが掛かってくれた。


12月15日(月)

☆晴れ。

快晴の陽射しの強い上天気。

☆エジプトから帰国してあっという間に2週間経ち、あっという間に2週間後にはもうお正月が来る。

☆朝一に、エジプトのオルガナイザーへ、振込用の銀行情報を再送する。

昨日はオルガナイザーは銀行には駈け込んだようだが、書類を書く段階で作家から提出されていた銀行情報を失念していたようで、あわてて作家たちに

問い合わせをしていた。

何度も同じ情報を提出させられているが、兎に角今週中には振込み作業を終えてもらわなければならない。

☆午前に、某コンクールの出品料を振り込んで、出品申し込みをする。

☆そして、昨日にうまく行かなかった某国のモニュメントコンペ、2つ目のプランの登録を試みる。

だが、新しいアカウントを作成しても、画像の入れ替えが出来ない。

何度やっても同じなので、事務局へ問いあわせる。

夕刻に届いた事務局からの返事では、問題なく画像が投稿できるという返事だったので、再度、新しいアカウントで登録を試みてみた。

そうしたら真新しい登録ページが開いて、スムーズに2つ目のプランが登録できた。

夜になって、無事に2つ目のプランを受け取ったという担当者からのメールが届いた。

☆また夕暮れてからは、一昨日にオンラインで応募登録が出来ず、添付メールでファイルを送った某海外コンペの事務局から、データ受け取り確認の

メールが届いた。

エジプトから帰国して、コンペの登録作業ばかりだったが、無事にノルマをクリアー出来た。

☆今日は短歌会「心の花」宮崎歌会1月例会の一首投稿締め切り日だった。

今回は題詠で「流」の文字を含む歌である。

候補を何首か考えていたが、まとまりが悪く毎日のように推敲を重ねていた。

新年の歌なので清々しい感じでまとめて、夕刻に担当者へ送付。

☆昨日からどうも風邪気味である。

妻の方はようやくガラガラ声が納まって来た。


12月14日(日)

☆晴れ。

暖かい一日。

桜島の降灰予報が出ていたが、灰の気配はなし。

☆一日中、某国のモニュメントコンペのデータ作成。

夕刻までに応募フォームでエントリーする。

エントリー完了の返事が帰って来たのだが、応募条件では2つのプランを提出できるようになっている。

しかし応募フォームを開くと、”あなたの応募は完了しています”というメッセージが出て、2つ目のプランを受け付けてくれない。

私としては2つ目のプランの方が本命だったので、事務局に問いあわせる。

折り返し、事務局からは丁寧な返事が届いた。

別なメールアドレスでやってみてということだが、上手くいかない。

明日の作業となる。

☆エジプトは今日から報酬の支払いが始まったようだ。

私は作家たちからの問い詰めに答える前に、オルガナイザーの最終的な動向を確認したかった。

これで作家たちとの仲間割れが生じなくて済む。

しかし一週間前も明日から振り込むという連絡があったが、実行されなかった。

半信半疑で構えないと。


12月13日(土)

☆重い曇天。

日中は時々小雨も混じる空模様だったが、夕刻からは本格的な雨になる。。

日中の気温は上がらず。

☆午前に、昨日夜に事務局から連絡のあった某海外コンペのオンライン登録を再度試みる。

しかし結果は同じだったので、データを添付してメールでエントリーをする。

☆そして先日から取り掛かっている某国のコンペ資料作成の続き。

一日中やっても、まだまだデータの整理が出来ない。

こちらもオンライン登録なので、きちんとデータを整理しておかないと、受け付けてもらえない。

☆エジプトは最悪の展開になって来た。

オルガナイザーへの公的な訴追はもう少し待った方が良い、という私とVasylの意見に対しての作家たちからの攻撃が始まった。

一枚岩での団結が崩れたことへの非難である。

勿論、それぞれの抱えている考え方の違いはあるからと擁護してくれる作家もいる。

作家たちはみんな私の友達である。

これからもまた色んなシンポジウムで一緒になる作家たちである。

ここで喧嘩別れはしたくない。


12月12日(金)

☆晴れ。

冷え込みはなし。

☆某コンクールの案内にネットで気付き、午前は応募フォームを整える。

いつもは事務局から案内が届くのだが、今年は何の案内も無かった。

☆午後はエントリーの準備を進めている某海外コンペのデータ整理。

YouTubeにアップしなければならないもう一つの作品は、エジプトから一時帰国していた時にスマホで撮っていた動画を使うことにして、YouTubeにアップする。

このコンペは提出データが込み入っていてとても煩雑である。

設置手順というものを提出しなければならず、この作業で午後は潰れる。

1点のみの作業手順しか作成できなかったので、残りは明日に持ち越しである。

☆一方、昨日にオンラインでエントリーしてエラーしてしまったコンペの事務局から返事が来た。

どうやら締め切り間近でパンク状態らしい。

明日に、指示された方法で再トライしよう。

☆また来年開催予定のバグダッドのシンポジウムも、あれから何も言って来ないので確認のメールを送ったら、オルガナイザーから返事が来た。

開催時期は来年2月の第1週からということ。

明日には正式な案内が届くらしい。

2月なら他に被るものがない。

今は来年のことで、こうやってあらゆる可能性について探っていかなければならない時期である。

☆エジプトは報酬支払のことでまだまだ暗雲の中である。

最近は皆の意向が、エジプトの公的機関にオルガナイザーを直訴するという方向に向かっている。

私はその流れに危機感があって、オルガナイザーを崖っぷちまで追い詰めると、逆にオルガナイザーの反感を高めて、支払い拒否という結果になるのではと案じている。

誰か一人は客観的に冷静に状況を見守る立場の作家がいなければ、空中分解してしまう。

私はそう思って彼らのヒートアップした熱論の中に入らなかった。

そうしたら、案の定、何も言って来ない私とVasylへの立ち位置を確認する問い合わせが来た。

だから私は私の思いを伝えた。

そうしたらVasiylからも、私の意見に全面的に賛成するという返事が帰って来た。

ヒートアップし過ぎると、得られるものも失ってしまう。


12月11日(木)

☆午前は曇天で気温は上がらず。

午後からは雲が切れる。

☆朝一に、宮日文芸へ三首投稿。

☆三兄が進めている叔母(父の妹)の回想記のゲラが届く。

通読して目を通す。

☆海外の某プロジェクト(昨日のYouTube提出のものとは別件)のエントリー準備をする。

最近はウエブ入稿が多いのだが、こういうスタイルはなかなか上手くいかないことが多い。

今日もデータファイルのアップロードが何度やっても出来ず、エラーが出てエントリー出来ず。

☆夕刻に、今年も某商店の鶏モモ燻製を注文。

息子たちにラインで連絡したら、直ぐに返事が帰って来た。

☆訃報が届いた。

彫刻シンポジウムの情報サイト、”A.I.E.S.M.”のプレジデント、Bettino Franciniが今日に亡くなったようだ。

Bettinoとはシンポジウムで何度か一緒だった。

冥福を祈る。


12月10日(水)

☆晴れ。

日中は暖かし。

☆朝一に、かかりつけのN内科で血圧の健診。

どこも異常は無し。

いたって健康である。

☆午後はカイロ滞在の時に取り掛かって出来なかった、YouTubeチャンネルの開設をする。

カイロ滞在中にはさっぱりやりかたが分からなかったのだが、今日はネットで調べた手順をプリントアウトしてやったら、無事にチャンネルを開設できた。

このYouTube開設は海外の某コンペの提出データに、作品プランの動画をYouTubeで投稿しなければならないので必要なのである。

ただ肝心の動画が1分以内という規定で、1つのプランは知人が作ってくれた1分以内の動画があるのだが、もう一つのプランは自分のスマホで撮ったら直ぐに

1分をオーバーしてしまった。

それでその動画を編集しなければならないのだが、動画の編集などやったこともないし、無料の動画編集ソフトをダウンロードしてみたが、まったくお手上げである。

☆エジプトから、報酬の送金手続きのために銀行のIBANナンバーが必要だと言ってきた。

日本の銀行で使うSWIFTコードでは駄目なのだと言う。

ネットで調べてみると、このIBANナンバーは欧州の銀行では使われるが、日本の銀行では使われないと言うこと。

だから日本からヨーロッパの銀行口座に送金するときには相手の銀行のIBANナンバーが必要になるが、逆にヨーロッパから日本の口座に送金するときには

このIBANナンバーは使われないということ。

果たしてエジプトから日本の口座へ送金できるのか。

ただウェスターンユニオンは、エジプトから日本の銀行口座に送金できるということだったので大丈夫だとは思うけれど。


12月9日(火)

☆晴れ。

暖かい一日。

☆今年も年賀状は印刷にする。

画像は昨年同様に、妻との海外旅行中の画像を使う。

午前に使用する画像を幾つか選び、午後にイラストレーターで原稿を作成する。

昨年は150部印刷したが20部は余ってしまった。

今年は130部にしようと思ったが、130部は150部と同じ価格になるということなので、150部で発注する。

☆夕刻からは伊藤先生たちに指示されたエジプト滞在中の短歌を、連作としてまとめる編集をする。

エジプト滞在中に一日一首で詠んだ短歌は約70余首であった。

だがプリントアウトして読み直してみると、宮日文芸で伊藤先生と吉川さんが選んでいただいた3首と先日の「心の花」例会に提出した歌以外は殆ど恥ずかしい

ほどの駄作だらけだった。

これでは伊藤先生たちには3首しか選んでいただけなかった訳だ。

その中から約30首を推敲しながら選んで行った。

☆エジプトの報酬支払は、明日から送金の手続きをするという。

だが何時も”明日から”、”明日から”と騙されて来た作家たちは誰も信用していない。

私の場合は一時帰国の時にニューアラメインの報酬は受け取っているので、他の全く報酬をもらっていない作家たちとは若干立場が異なる。

ただ見守るしかない。


12月8日(月)

☆晴れ。

暖かい一日。

☆今朝の宮日文芸に、久しぶりに伊藤先生の選で掲載された。

 ホテルから徒歩三分でいきなりに沙漠始まるカイロは今も

エジプトシリーズ3作目の掲載となった。

☆今日は中町公民館でお祀りしている”お仙稲荷神社”の秋季例大祭。

午前に”お仙稲荷の森”で神事。

以前は公民館の皆さんがこぞって参加され、神事の後は稲荷寿司を食べて会食するのが習わしだったが、年々公民館戸数の減少等によって、数人規模しか

集まれなくなってきてしまった。

☆午後後半からは短歌の作業。

エジプトから帰って来てから全く短歌が詠めていないので、どうにか夕刻までに今日までの一日一首をまとめる。

☆夜は、中町公民館の”お仙稲荷”の直会。

夏祭りの昔話で盛り上がる。

しかしもうこういう話が出来るのも、あと5年くらいだろう。


12月7日(日)

☆晴れ。

今日は日中の冷え込みは無く、陽射しも強く、暖かい一日となった。

☆今日の午後は、短歌会「心の花」宮崎歌会の12月例会。

何時ものように、会場となりのホテルにチェックインしてから歌会会場へ向かう。

☆「心の花」全国大会・宮崎大会での記念品に使ってもらった私のマグネットは、とても好評だったということ。

☆互選での投票は、私が候補に挙げていた歌が最高の7票獲得だったし、私の投票した歌は3位の4票であった。

私の投票した歌への選考理由を述べる。

☆12月例会の一首投稿には、私は私の歌だとわかるエジプト滞在の短歌を提出していた。

以前にも書いたが、私の彫刻家としての歌が読みたいという意見への試みとして、作者がわかる状況の歌を提出してみた。

そうしたら、互選で初めて2票を獲得したし、選者の伊藤先生からも票を入れていただいた。

特に天才・重黒木君から選んでもらったことはとても嬉しかった。

 横たわり身ぬちの水脈耳澄ます夜明けにコーラン流れるカイロ

歌評者の方の意見で、連作で詠んで欲しいという要望があった。

確かにエジプトの状況背景は1首では説明できない。

連作だと、カイロのこの歌の背景が説明できる。

☆歌会が終って、2次会の酒宴へ。

伊藤先生は今回の私の歌をとても褒めていただいた。

そして、やはり連作と私のカイロ滞在記の文章とでまとめたら、とても素晴らしいものになるということであった。

重黒木君も、私のこの歌会最初の例会に提出して伊藤先生も五選候補として評価してくださった歌にとても高い評価と関心を抱いてくれていた。

このまま進んでいこう。

そういう手触りを得た、嬉しい歌会であった。


12月6日(土)

☆午前は曇天。

午後からは雲が切れる。

☆午前は、今日の妻のライブへのジョイントの自主練習。

おかげで勘を取り戻す。

☆午後からライブ会場でのセッティングとリハーサル。

ここへきて、妻の体調に異常事態発生。

どうやら風邪をこじらせたみたいで、声が出なくなった。

リハーサルでもまったく高音が出ない。

家を出る前に風邪薬を飲んだりしていたが、片貝さんの指示で私は急遽薬局に走り、咽喉スプレーを買ってくる。

☆リハーサルでは私がブルースハープでジョイントする曲に、片貝さんからいきなりイントロから私のブルースハープを入れましょうという提案でびっくりしたが、

片貝さんがうまくピアノを合わせてくれたので、なんとか乗ることが出来た。

☆午後4時半からライブ開演。

会場は高鍋町の”あきのつきカフェ”。

定員20名の小さな会場だが、予約22名のうち風邪で来られなかった方も数名あり、18名の方においでいただいた。

妻の体調はどうにか咽喉スプレーでこなし、何時もの状態では無かったが、無事に乗り切ることが出来た。

私の口笛とブルースハープも、リバーブマシーンで音響を美しく響かせることが出来たので、とても気持ちよく演奏できた。

まずは無事に乗り切ることが出来た。

☆妻は帰宅してからは、疲れと安堵からどっと体調が悪化して、ガラガラ声になってしまった。


12月5日(金)

☆晴れ。

朝はこの冬一番の冷え込み。

☆午前に、高鍋町評議員の作業で週報や広報を公民館員各戸へ配布。

☆明日は妻のクリスマスライブ。

それで私も口笛でジョイントしなければならなくて、今年の5月のライブ以来の練習をする。

午後には妻のレッスン日で講師の片貝さんが来られ、7か月ぶりのレッスンをする。

私は口笛だけでのジョイントだと思っていたら、いきなり片貝さんからブルースハープを吹くように命じられて、四苦八苦となる。

☆エジプトの方は報酬支払不履行で、告訴騒動に発展してきている。

一体どうなるのだろう。

現金支給を待って滞在延期した作家たちも、結局は満額の報酬はもらえず、チケット変更による経費ももらえずに帰国の途に就いてしまったようだ。


12月4日(木)

☆晴れ。

空気が澄みきって、遠くの山並みがくっきりと際立つ冬の景色となった。

朝はとても冷え込んだが、陽射しが強く風も無かったので、日中の屋外は暖かかった。

夕刻からはしんしんと真冬の底冷え。

☆今朝も夜明け前には起きて、今日の納骨の請求書を作成したりする。

昨日に知人の石材店主に宮崎での石材店が請求する納骨経費について尋ねたのだが、ネットで調べた全国的な相場からはかなり安かった。

もっとも普通の納骨堂は花立等を動かせば簡単に骨壺を納骨堂に納められるので、納骨作業は単純な手間代程度しか要しない。

私の場合は、それにカッティング等の作業手間と現場に何回も通った単純日当手間代を加えさせてもらった。

☆午前10時より、宮崎市”みたま園”での寺原伸夫墓へのヨシ子夫人の納骨式。

寺原氏の骨壺は小さな骨壺に納め直していただいた。

寺原氏の骨壺にはかなりの量の遺骨が納められていたので、納めきれない遺骨は日向灘に散骨していただくことにした。

寺原氏ご本人も、生前は海に散骨して欲しいと言われていたそうである。

ヨシ子夫人の寺原伸夫氏墓碑への納骨は、ご夫人本人の意志だったということ。

そしてもうこの墓碑に納骨することはないというので、納骨堂の石蓋は完全に密封させていただいた。

☆帰宅して、寺原伸夫氏墓碑の資料ファイルを本棚に戻したら、その隣にあれほど探したのに見つからなかった墓碑設置時の写真ファイルがあった。

そしてちゃんと納骨の時に石板を蓋にした写真も収めてあった。

終ってからこんな写真が見つかるなんて・・・、でもひと騒動あってきちんと片付いたので、余計に印象深い納骨作業になった。

☆昼食後に妻がパソコンのドラマを見ていて、納骨の様子が流れて、やはり骨壺が大きいよ、と言う。

ドラマを巻き戻して見ると、確かに納骨の場面で納める骨壺が大きい。

関東はこうしたサイズが一般的なのだろうか。

☆午後は短歌の作業。

本当に12月に入ってから、まったく何も思いつかない。

季節の情景を読んでみても、小学生レベルのどうでもよいものしか出来て来ない。

私には詩的な文学センスは全く無い。

結局、エジプト前後の歌をなんとか推敲して、夕刻に宮日文芸へ三首を投稿。


12月3日(水)

☆晴れ。

朝は冷え込んだが、日中は風は冷たいものの陽射しが強く、冷え込みはなし。

☆夜中に墓碑の納骨堂のことを考えていたら眠れなくなった。

それにエジプトから帰って来てから、短歌を一首も詠んでいない。

午前3時過ぎに起きて短歌を考えるが、全く何も浮かばない。

☆午前に宮崎市の”みたま園”へ。

最悪の場合は墓碑を三脚で吊って、納骨堂の蓋を外すことも考えて、三脚道具一式とバールを用意してゆく。

しかしやはりバールで納骨堂の蓋を外そうと思っても、墓碑の台座ごと浮き上がってしまって、蓋はびくともしない。

このままでは明日の納骨が出来ない。

こうなったらダイヤモンドディスクで蓋を切り離すしかない。

そのためには、電源設備のない霊園ではコードレスのグラインダーを使うしかない。

勿論、私はそんなもの持っていないし、発電機もとっくの昔に壊れてしまった。

☆それで仕方なくホームセンターへ走り、マキタのコードレス・グラインダーを購入しようと思うが、なんとバッテリーが凄く高くて、グラインダーとバッテリーとセットで

4万円以上もする。

そんな馬鹿な、何のために仕事をしているんだ。

コードレスのグラインダーなんて、もう今後も使うことはないのだ。

頭を抱えてしまった。

幸い、ホームセンターが自社製の電動工具を販売していて、それだとマキタの半額の値段だったのでそれを買う。

☆いったん自宅へ帰って、バッテリーを充電させ、午後に再び”みたま園”へ走る。

だが、午前の作業で気になることがあった。

納骨堂に接続して台座の背後に石板が敷き込んであり、叩くと下が空洞になっている気がする。

それで納骨堂の蓋を切り離す前に、この石板を外してみることにした。

やはり周囲をセメントで固定してあるので、買ったばかりのコードレス・グラインダーでセメントをカットして石板を外してみた。

そうしたらやはり石板の下が納骨堂になっていて、しかも納骨堂の空間いっぱいにやっと納まった大きな骨壺が収めてある。

☆それで思い出した。

昨日から作業をしながら、以前に納骨堂を作った時に喪主が関東在住の方で、関東地方は骨壺が異常に大きくて、宮崎地方での納骨堂基準で作った

私の納骨堂の蓋からは骨壺が納められなかったことを思い出していた。

まさしくこの寺原家の墓碑がそうだったのだ。

だから私の設計したスタイルの墓碑の納骨堂の蓋は役に立たなくて、セメントで密閉していたことを思い出した。

それでいくらバールで力を加えても蓋が外れない訳だ。

墓碑を建立したのは24年も前だし、施工時の写真を捜して見たが見つからなかったので、まったくこうした事情が記憶に残っていなかった。

☆明日に納骨する奥さんも関東在住だった。

また同じような大きな骨壺を持って来られたら、納骨できるスペースはない。

そう思っている処へ、親族の方が下見に来られたので状況を説明、遺族の方に骨壺の大きさを確認してもらった。

場合によっては、宮崎地方でのサイズの骨壺に納め直してもらわなければならない。

とまれ、なんとか明日の納骨は行えそうで、ホッとした。


12月2日(火)

☆晴れのち曇り。

一時的に小雨。

暖かい一日。

☆朝一に妻と新富町の”ギャラリーしんとみ”へ。

来年度のギャラリー使用の申し込みへ。

常連さんたちの申し込みが多く、10月26日から11月8日の開催となった。

半官半民の運営もかなり経営が厳しくて、事業は今年度限りとなる可能性もあったようだ。

それで使用料もかなり値上がりし、休館日が月・木の週2日になった。

☆ギャラリーを出ると、初老の男にじっと見つめられ、”田中さん?”と声をかけられた。

最初は誰だか全く分からなかったが、窯元・佐土原焼きの高橋さんだった。

佐土原焼きも毎年のように”ギャラリーしんとみ”で展示即売会を開催しているので、その申し込みに来られたのであった。

高橋さんと会うのは何年ぶりだろう。

佐土原町の陶芸工房に勤務していた時は同業者としての交流があったが、高鍋町に帰って来てからは1度くらいしか遭っていない。

☆ギャラリーを出て、私は宮崎市の”みたま園”へ向かう。

私の建立した音楽家・寺原伸夫氏の墓碑に、最近亡くなった奥様の納骨をされることになったので、その下見。

この墓は私の設計した墓なので、納骨の方法が特殊である。

以前におなじ”みたま園”に設置したM家の墓碑の納骨式に立ち会った時に、シリコーンが効きすぎてなかなか納骨堂が開かず、大変なご迷惑をおかけしたので、

事前に処置をしておきたかったのである。

ところが納骨堂の蓋はシリコーンで封印したとばかり思っていたら、シリコーンの上にセメントが詰めてあって、持参した道具ではセメントが除去できなかった。

いったん帰宅して、午後に再びノミやハンマーを準備して出かけた。

だがセメントを取り除いても、蓋がピクリとも動かない。

やはりシリコーンが効いているようだ。

結局、また明日にバールでこじ開けなければならない。

納骨式は明後日である。

よくぞ早めに下見をしていて良かった。

☆エジプトは今日が報酬支払い日であった。

報酬を直接受け取るために(エジプトから送金できない国の作家たち)、滞在延期している作家たちは無事に受け取ることが出来たのだろうかと心配していたら、

銀行窓口でドル紙幣を数えている作家たちの画像が届いた。

だが作家から届いたメッセージでは、エジプトポンドをドルに両替するのに凄く時間がかかり、今日の手続きでは必要なドルが得られなかったと言うこと。

私たち送金組には金曜日から送金を開始するということだが、この手続きにも時間がかかりそうだということ。

なにせ、何事も”明日、明日”のエジプトである。

オルガナイザーは約束通りにきちんと私たちへの送金手続きもやってくれるのか、常にメッセージを送る必要があるとのこと。


12月1日(月)

☆晴れ。

比較的暖かい一日。

☆とうとうあっという間に12月に這入った。

☆今日は一日、エジプト旅行関係の片付けや不在中に届いた郵便物等の整理で過ぎる。

☆まだ時差ボケが続いているようである。

夕食の酒酔いの状態が本調子ではない。

料理の勘もまったく戻っていないし、心地良い酒の酔いに浸れない。


11月30日(日)

☆晴れ。

☆昨夜も時差ボケで苦しめられた。

頭は眠くてたまらないのだが、体が眠りに入ってくれない。

悶々とした苦しさが続いて、やっと朝方の5時半くらいにどっと地獄落ちの睡眠に。

気が付いたらもう朝の9時前だった。

☆11時前に部屋を出て、ロビーで妻と、同宿していた妻の友人と合流し、早めに羽田空港へ向かう。

羽田空港でお昼を摂ったあと、時間がたっぷりあるのでドコモのdカードを使ってラウンジで過ごそうと思ったが、同伴者は有料でラウンジの無料飲料より高いので

バカバカしくて搭乗口で時間を過ごす。

☆14時30分のソラシドエアーで宮崎へ帰る。

宮崎には定刻より5分遅れの16時20分着。

妻が有料駐車場に留めていた乗用車で帰宅する。

宮崎はゆったりとのんびりした時間の流れが漂っている。

☆帰宅して食料の買い出し。

また今日から”主夫”生活が始まる。


11月29日(土)

☆中国・成都空港には定刻より15分早く着いた。

ネットで調べた時に、乗り継ぎ搭乗口への行き方を迷う人が多いとあったが、私も間違って入国の検査の方に行ってしまった。

担当者に尋ねると国際線の乗り継ぎは別の入り口だと教えてもらって、案内してもらった。

Eチケットで一つ、気になることがあった。

この成都空港での乗り継ぎでは”バゲッジスルーの対象外です”記載してあることに気が付いたのである。

つまり、いったん手荷物を受け取らねばならない、ということである。

何時もはチェックインカウンターで確認するのだが、今日はもうその必要はないと思って確認しなかった。

それで国際線のトランスファー入り口の担当者に聞いたら、荷物は成田まできちんと運ばれますということであった。

荷物預かり証にもきちんと成都空港と成田空港が記載してあるので大丈夫だろう。

☆搭乗口へ行くと誰も居ず、ガランとしている。

つまり私の乗ったフライトには、乗り継ぎで成田へ向かう人は私一人だけだったということである。

☆乗り継ぎ時間の4時間はあっという間だった。

旅行代理店から届いたメールでは、成田着は定刻より40分早かった。

成田に着いてからのスケジュールがギリギリなので、少しでも早く着いてくれると助かる。

☆しかし成都を出発したのは、9時35分の定刻より遅かった。

搭乗者は思った程のガラガラ空きでは無かった。

私の後方の席はガラガラだったが、そういうことは通常のフライトでもある。

中国人のキャンセルはそれほどでもないようだ。

☆飛行機に乗ってしばらくしたら、時差で猛烈に眠くなって、地獄落ちしてしまった。

その猛烈な眠気の中で機内食のランチを食べるのは苦痛以外の何物でも無く、食後は胃にガスが溜まってきつくてたまらなかった。

☆成田空港には15時10分の予定を10分ほどオーバーして到着。

入国手続きは驚くべきスムーズさで進み、バッゲージルームはすでに多くの荷物がベルトコンベアーの上を回転していて、私の工具箱とスーツケースは

直ぐに目の前に出て来た。

☆あっという間に入国して、まず工具箱とスーツケースを宅急便で送る。

それから成田エキスプレスのチケット売り場で乗車券を購入し、無事に16時19分発の成田エキスプレスの座席指定席に乗ることが出来た。

品川駅に16時29分に到着。

品川駅で待機していた妻と長男夫婦と合流。

歩いて隅田川の屋形船に向かう。

なんとか出発間際の屋形船に乗ることが出来て、間一髪で予定をクリアーすることが出来た。

☆屋形船は18時に出発し、食事を楽しみながら、隅田川の景色を楽しむ約2時間の船旅を楽しむことが出来た。

☆長男夫婦とは品川駅で別れ、妻が宿を取っている駅前の品川プリンスホテルへチェックイン。

妻がホテルを予約した時には、私のエジプト滞在延長は決まっていなかったので、部屋は別々である。

シャワーを浴びた後、妻の部屋で軽くワインを飲んで、自分の部屋に戻って床に就く。


11月28日(金)

☆晴れ。

☆11時前にヨルダンのSahedと一緒にホテルを発つ。

作家たちがみんなで見送りしてくれた。

☆カイロ空港は、空港ビルに入る前に手荷物検査がある。

この検査がかなり時間がかかるので心配していたのだが、とてもスムーズに進んだ。

道具箱も開けられたが、道具の説明をしたらあっけなくオーケーだった。

☆しかし四川航空のチェックインカウンターへ向かうと、もうチェックイン3時間前を切ってしまっていたので、中国人の団体が長い列を作っていた。

この状況では通路側の席は無理かと思ったが、中国・成都便も成田便も通路側席が取れた。

成田へ予定通りに飛ぶので安心した。

☆無事に出国手続きを済ませて、ラウンジへ向かう。

この四川航空便には無料のラウンジ利用が付いているのである。

一時帰国の時にイスタンブールでラウンジが使えないかネットで調べたのだが、使えなかった。

今回は無料で使えるので、生まれて初めてのラウンジ体験をする。

やはり食事と飲み物が全てフリーで、食事がとても美味しかった。

☆ラウンジを出て搭乗ゲートへ向かうと、すでに搭乗が始まっていた。

そしてきっかり定刻の14時30分に飛行機は飛び立った。

廻りは中国人ばかりだが、私は中国で厭な目に遭ったこともないし、中国は大好きなのでリラックスした気分である。

すぐにワインが飲めたし、料金も他の航空会社の半値以下だし、何も言うことは無い。


11月27日(木)

☆晴れ。

☆午前は帰国の準備。

荷造りで過ぎる。

☆午後は何もすることが無いので、ネットで今回色々と気になったピラミッドとスフィンクスのことなど、調べてみる。

初めて知ったことばかりだが、ギザのピラミッドの「王の間」の花崗岩の石棺を彫った時代には、まだ鉄器は無かったのだそうだ。

それで木と砂と銅を使って弓切り式に少しずつ彫って行ったらしい。

この方法では、男3人で一日10時間ぐらい作業して、石棺を彫るのに9年かかると言う。

だがカイロの博物館には、御影石をダイヤモンドカッターで彫ったような跡の石が展示されている。

ピラミッドの石を積んでいった時間も、かなり短期間でクフ王たちの在任期間中の2,30年で完成させたらしい。

積まれた石はライムストーンだが、それでも1個は平均で2,5トンもあるのに、その数230万個を2,30年で積み上げると、1個を積むのにかかる時間は

わずか5分程度になると言う。

組み上げに5分というペースであれば、丁場から石を切り出し、形を整え、ナイル川を船で運び、川岸からピラミッドまで運びあげる労力はものすごい流れ作業になる。

また殆どの労働者は農業従事者で、夏はナイル川の氾濫で農作業が出来ないので、ピラミッド建設は公共工事の意味合いも強く、みんな喜んで作業に従事

したらしい。

☆また最近知ったことでは、スフィンクスはピラミッドの守護神として同じ時期に建てられたと思われていたが、実際はピラミッドが4500年前の建造に対し、

スフィンクスは7000年から9000年前に建てられたらしいことが分かってきたようだ。

というのはスフィンクスに海水の浸蝕跡があり、頭部にも水に浸かった跡が残っていて、カイロの周囲の海の海面が今よりもっと高く、樹木の繁っていた時代に洪水で

カイロが水没したのは7000年から9000年前になるのだと言う。

実際にスフィンクスは長い間、砂に埋もれていて、その状態での砂嵐等による風化浸蝕は考えられないと言う。

ただ7000年〜9000年前というのは、まだエジプト文明は芽生えていなかったのだそうだ。

それで異星人の文明による建造だと言う説が生じるらしい。

☆スフィンクスは巨大なライムストーンを組み上げたものかと思っていたら、ライムストーンの丘を削ったものだと言う。

それで顔が落ちない理由がわかった。

削ったライムストーンの丘が低かったので、高さを出すために、周囲をかなり掘り下げたと言うこと。

それが水没した形跡の根拠にもなっているようだ。

そして約3000年の間は、殆ど砂に埋まっていて、何度も修復されており、現在のような形を現したのは1926年になってからだと言う。

たしかに1922年にスフィンクスと一緒に写真に納まっている児島虎次郎の写真では、まだ下半身は砂に埋もれたままだ。

☆明日の四川航空のフライト24時間前を切ったので、オンラインチェックインと座席指定を試みた。

しかしなかなか分かりにくく、ようやくチェックインのところまでたどり着いたが、携帯番号に認証番号が届くようになっていて、私の携帯番号は海外では使えないので

断念する。(eSIMをドコモに切り替えたら良いのか?)

そしてオンラインの座席指定では、やはりターキッシュエアラインと同様にエコノミークラスは有料だった。

明日はチェックイン開始3時間前には並ばなければならない。

☆結局は不安視したように、今日の報酬支払はなかった。

それで来週には支払えるので、どうしても現金の報酬を持ち帰りたい作家はそれまでカイロに滞在するか、ウエスタンユニオンでの振込みのどちらかを

選んでほしいと言う。

私は昨年の中国・恵安の振込がほぼ1年後だった最悪の経験の後なので、振込は信用できない。

しかし明後日は帰国して妻と息子たちと会う約束もあるし、フライトやホテルをキャンセルすると損害がかなりの額になる。

ネットで調べると、ウエスタンユニオンはエジプトから日本の口座へ迅速に送れると分かったので、振込にしてもらうことにした。

国によってはウエスタンユニオンが振り込めない国もあり、そうした国の作家たちはさらに来週までカイロに残ることになった。

これまで毎年のようにシンポジウムを主催してきたオルガナイザーだが、何か上手くいかない事情があったようで、こういうことは初めてだと詫びていた。

彼を信用するしかない。


11月26日(水)

☆晴れ。

午後からは急に冷え込んできて、作業ジャンパーでは寒くてかなわなかった。

☆朝一に、宮日文芸三首を投稿。

今回まではカイロの歌のみ。

☆明後日の四川航空のフライトの件でEチケットをチェックしていたら、乗り継ぎの成都空港に入国するのにトランジットビザが必要な場合があると記載してある。

それでネットで調べると、現在は日本人は30日以内の滞在ならビザ免除が適応されているので(コロナ期の時はビザが必要だった)、問題ないようだ。

☆作業5日目。

今日は着色をするというので、朝一は作品の汚れを落す。

それで着色に入るのかと思ったら、Samirが何やらグラインダーでの作業を指示する。

着色の前にまだ作業があるらしいが、金属加工作業はやったことが無いので、何をどうしたらよいのかさっぱり分からない。

結局はグラインダーが無くて、そのまま何をして良いのか分からないままに過ぎた。

☆オルガナイザーの話では、明日27日に展示会をするということだったが、金属の作家はまだ制作が終っていない。

夕食時にオルガナイザーに確認すると、作品は明日までに完成しなければ、それで作業は終了で、私とSelamはもう作業は不要なので明日はホテルで過ごすように、

という指示だった。

着色は後日にオルガナイザーがやってくれると言う。

それで明日中には完成作品がそろわないので、展示会はしないということである。

☆夜はOscarとErnestの部屋で、酒を呑みながら今回のシンポジウムの余りのひどさに苦言を呈する。

私とOscarは8年前のハルガダのシンポジウムに参加して、とても好条件で天国のようなシンポジウムの記憶があり、今回も同じオルガナイザーなので、同様の

待遇を期待していた。

Ernestも3年前に、同じオルガナイザーのカイロでのシンポジウムに参加していて、やはりとても待遇の良いシンポジウムだったのだそうだ。

☆ところが今回は、ニューアラメインの報酬も彼らはまだ受け取っていない。

しかもオルガナイザーは、ニューアラメインとカイロの全ての報酬を今日支払うという念書を作って、サインまでしているのに、まったく支払いの気配がない。

☆そうこうするうちに、他の作家たちとオルガナイザーも部屋にやって来て、報酬支払いのことでオルガナイザーに問い詰めるが、何時もの調子で回答をはぐらかす。

兎に角、私とLukaは明後日にはカイロを発つ。

明日までには報酬を受け取らないと帰れない。


11月25日(火)

☆晴れ。

今日は少し冷え込んで、一日を作業ジャンパーで過ごす。

☆帰国間近となって気になって来たのが、中国政府による反日対応での日本へのフライトへの影響である。

なぜなら私の帰国便は中国の四川航空を利用する。

今朝起きてからずっとネットで色々調べてみると、国際線で日本へ飛ぶ場合の影響はないとあるが、乗り継ぎ空港の成都からは中国ー成田便になる。

四川航空のホームページを開くと、日本向けのフライトのキャンセルに関する措置の案内は出ているが、フライトの中止の案内は出ていない。

そうこうするうちに、成都ー関空便が12月1日から毎日運行のフライトを週3便に減便するという案内が出た。

これが成都ー成田便に適用されたとしても、対応が同様に12月1日からならギリギリで予定便に乗れるか。

☆作業4日目。

今日は溶接のバリ取り作業を進めた。

しかし溶接のバリが思ったよりも相当に硬く、なかなか削れない。

次第に頭が痛くなって来た。

☆そこへ昨夜にオルガナイザーが言っていたように新しいアシスタントがやって来て、私の作業を手伝うために来たという。

私はもう何も手伝ってもらうことはないので、断ったが、強引にバリ取りの作業を始めた。

私は再び何もすることがなくなった。

またもぼんやりと一日を過ごさなければならないのか、と運営のクレージーさに抗議した。

☆ところが作業を見ていると、やはりプロの作業員なので作業が的確で早いし上手い。

これは助かる、という気持ちになってしまった。

☆Samirが、今日はこのバリ取りが終ったら、組み立ての作業をするという。

そして、組み立て作業は邪魔にならない場所に置いてあったオルガナイザーの作品に構成することになり、昨日に心配した工場への迷惑が掛からない

場所での作業となった。

組み立てた構成の溶接も今日のアシスタントがきっちりやってくれた。

組み立てて見ると、私の加えたパーツは2つで正解であることが分かった。

3つのパーツを加えると、加えた部分が強すぎて、全体のバランスを崩してしまうことが分かった。

午後半ばには作業は終った。

明日は着色作業をやって完了ということである。

今回のようなバタバタが無かったら、私はこの先に金属作品なぞ作ることも無かっただろう。

そういう意味では貴重な経験となった。

☆今日は熊本で震度5の地震があったということ。

高鍋町は震度2で被害は無かったようだ。


11月24日(月)

☆晴れ。

朝のうちは曇ったような靄。

今日も朝夕の冷え込みはなし。

☆夜中に妻よりライン。

今朝の宮日文芸に吉川宏志氏選で、ようやく一月ぶりに掲載の報。

ホッとして、再び安堵して眠る。

  エジプトは野良犬多し夜通しに吠え交わすのはアヌビスたちか

なんとかカイロの野良犬の夜の咆哮合戦の歌が採用された。

”てにをは”に2か所の添削があり、なるほどと思う。

☆作業3日目。

今朝はSelamがVasylの譲ってくれた鉄板を切ってくれた。

それで今日はSamirが組み立て溶接の作業をやってくれた。

Samirにはさんざん怒鳴られ、小突かれ、最初は我慢していたが次第に腹が立って来た。

しかしそこまでで押さえて、なんとか溶接作業を終える。

その後は溶接のバリを落す作業。

☆シンポジウムの作業日の残りは、もう2日間のみである。

私のプランは3つのパーツを組み立てて構成するものだったが、とてもではないが残り2日でもう一つパーツを組み立てることは不可能である。

それに金属加工工場の作業スペースの問題もある。

経営者の方はとてもニコニコされているが、しょっちゅう従業員たちは激しく叱られている。

私はマレーシアでの石材店での作業でとても苦い経験をしているので、経営者はニコニコしていても、実際は私たちの存在が邪魔でしようがないと感じている。

その、日に日に感じる私たち邪魔者への苦言が、今日はベテラン従業員からぶつけられた。

目まぐるしい作業展開をしている工場にとって、私たちの存在は邪魔で仕様がないのである。

そして帰り際には、経営者からかなり厳しく作品の保管場所について意見された。

今のところは各作家とも各パーツの成形で留まっているが、シンポジウム残り2日となる明日からは、そのパーツの組み立てが始まる。

そうなると、組み上がって来た作品を保管する場所はもうないのである。

だから私ももう一つのパーツを作っても、保管する場所も無いのである。

☆夕食の時にオルガナイザーに尋ねた。

27日が展覧なら、展覧会場への搬入は26日なのか、そしてそれぞれの作家のパーツの組み上げ溶接は金属加工工場でするのか、あるいは展覧会会場に

運び込んでからするのか。

それによって明日の皆の作業がまるっきり変わって来る。

工場で組み上げて溶接してしまうと、もう明日の夕刻には工場には保管スペースがないからである。

それについてオルガナイザーは何も述べない。

私の意見に全く耳を貸さない。

逆に、明日はアシスタントが増えるので、2日あれば私の3つめのパーツは作れる、としか答えない。

現場の状況を全く理解していないし、理解しようともしない。

☆OscarとErnestの部屋に呼ばれて、Selamと4人でワインを呑みながら頭を抱える。

彼らも業者とコンピューターによる切断の打合せをした後、オルガナイザーがまったく鉄板の手配をしてくれず、延々と延ばされてやっと昨日に届いたのだと言う。

もう金曜日と土曜日にはみんなカイロを発つのである。

こんな収束の着かない状況で、私たちはきちんと報酬を受け取って帰ることが出来るのだろうか。


11月23日(日)

☆晴れ。

今日も朝夕の冷え込みは無し。

☆今日から金属加工工場にはOscarとErnestが入った。

彼らは当初に業者に図面を渡して、鉄板の切断の打合せをしていて、コンピューターデータで切断されたパーツが今日届いたのである。

それを溶接で組み立てていくので、作業は早い。

ところがその溶接作業に、SamirとSelamがかかりっきりにされてしまったのである。

☆私は今日の作業は、私の作品の溶接バリを削り落す予定だった。

Samirにそう指示されていたので、自分のMAKITAグラインダーと防塵マスク等を用意して出かけた。

ところが作業しようにも延長コードがないし、肝心の研摩ディスクがない。

そこへVasylが使う予定だった鉄板一枚を譲ってくれたので、不足だったパーツを切断するラインを入れた。

ところが今度は切断ディスクがない。

オルガナイザーに頼んでいた追加の鉄板も来ない。

☆SamirはErnestのパーツの溶接にかかりっきりである。

確認すると、オルガナイザーから今日はTANAKAの作業は無い、Ernestの作業をするように言われている、ということ。

そんなことが朝から分かっているのなら、私はわざわざ作業場に出て来ない。

なにしろホテルに帰るにも車で1時間もかかるのだ。

結局、私は今日もぼんやり椅子に座ってみんなの作業を眺め、まとわりついてくる犬たちの相手をしてやって過ごした。

もうシンポジウムは残り3日で終るのだ。


11月22日(土)

☆晴れ。

朝夕の冷え込みが無くなり、日中の陽射しもとても暑くなって来た。

☆私の作品は、今日から組み立てに這入り、Samirが溶接作業をやってくれた。

Samirは、先日に翻訳アプリでお喋りした時はとても気の好いおじさんだったが、今日はとても厳しい職人の姿だった。

私は溶接などやったことも無いので、Samirの指示にオロオロするばかりで、叱られてばかりだった。

それだけSamirが真剣にやってくれたと言うことだろう。

☆昨日に切断したパーツはすべて溶接したが、あれほどオルガナイザーに頼んでおいた追加の鉄板が来ないので、先に進めない。

オルガナイザーは万事がこんな調子でオーケー、オーケーと調子ばかりよくて、物事が何も進まない。

そして、Tomorrow,Tomorrowと先延ばしにする。

だがもうシンポジウムの終了までは、残り4日である。

もうTomorrowはないのである。


11月21日(金)

☆晴れ。

今朝は夜中の冷え込みは無し。

☆運転手は平謝りしたので、また同じ車で出かける。

”あなたの勤めは私たち作家を安全に送り迎えすることだ。私はエジプトでは死にたくない。”

☆今日はイスラム休日なので、高速道路はガラガラであった。

☆今日も最初にナイル河畔の木彫会場に立ち寄って、それから金属加工工場へ。

工場も休日なのだが、数人の職人が働いていた。

☆昨夜のオルガナイザーは、”明日は私が工場へ行って作業するから絶対大丈夫です”と頭を下げた。

しかし彼の姿は無かった。

半信半疑で工場へ行くとSamirが他の作家の作業を片付けてから私の作業にかかってくれた。

ちゃんと鉄板を用意してくれたので、私が墨を入れて、Samirが切断していく。

Samirは本職は電気技師なのだが、かなり作業馴れしている。

☆午後になって金属加工が専門のVasylが何か言いたそうに作業に首を突っ込んできた。

何が言いたいのだろうと思ったら、私は組み立てに必要な全てのフォルムを切り離して切断していた。

しかし専門家のVasylは、展開図の紙箱を折り曲げて箱にしていくように、鉄板も全てを切断していては大変な時間の無駄だと言って、サンプルを作って

教えて呉れた。

なるほどそんな方法があるのかと、無知な自分がとても恥ずかしかった。

しかしもう大方は切り離してしまっていたし、これからの作業はそんな折り返しの部分が取れない。

☆Samirはずっと鉄板を切っていたので、疲労困憊で、まだ作業が残っているのに作業を止めてしまった。

それでマッサージをしてやったら、ヘロヘロに天国行きの状態になって、気持ちを切り替えて残りの作業を片付けてくれた。

鉄板がまだ全然足らないので、オルガナイザーに追加注文した。

とりあえず、ようやく私の作業が始まった。

☆作業が終って木彫の会場のナイル河畔へ行く。

Samirの話で、オルガナイザーが30分後に来るというので待っていたが、全く姿を見せなかった。

昨日のこともあったので、もう自分を責めることは止めた。

待っている間に日が暮れて、大勢の市民がナイル河畔観光にやって来はじめた。

☆結局はオルガナイザーは現れず、昨夜と同じ顔ぶれでホテルへ向かった。

ところが車が動き出したとたんに、左の胃あたりが強烈に痛くなって来た。

Vasylからもらったビスケットがどうにも空腹だった胃の中で調子を狂わせて仕舞ったようだ。

胃のなかでガスが発生しているようで、とても辛い。

隣の席のSahedが心配してあれこれ世話を焼くが、その方がうるさくてたまらない。

原因は分かっているので、意識して息を吐きだして、胃に溜ったガスを排出していたら、ホテルに着くころには納まってくれた。

☆何時もは届く夕食の案内も無いので、今夜は夕食抜きだと思って、この日記を書いていたら心配したOscarがビールと夕食を持ってきてくれた。


11月20日(木)

☆晴れ。

朝のうちは濃い靄が立ち込めて、街中の視界が効かなかった。

沙漠の黄砂かと思った程だったが、10時あたりから陽が射して来た。

☆今日から作業にかかれるか。

半信半疑で木彫の作家たちと一緒に出掛けると、私たち金属の作家たちもナイル川の作業場に降ろされた。

金属の作家は何もすることがなく、苛立ちながら時を過ごす。

ようやくナイル川添いの作業場に来たのは、金属の溶接機が一緒に保管してあったことがわかり、金属加工工場へ移動する。

☆私はオルガナイザーの作品に私なりのアレンジを加えると言うことで、可能な限りの時間短縮作戦である。

それで私のプランの実寸サイズを割り出して図面を描く。

それをアシスタントのSamirに見せて説明するが、彼は英語が全く分からないので何も理解できない。

スマホの翻訳アプリを使って何んとか会話を進めて、どうにか理解できるところまで持って行けたので、図面を渡す。

作業にかかるのは明日から、ということで、またも午後は何もせずボーっと過ごす羽目になった。

Selamもオルガナイザーの作品をアレンジする作業だが、彼はそれを解体して再構築する方法を取ったので、実質的な作業に入れた。

結局、ニューアラメインが終って、もう3週間になるが、いまだかって何の実質的な作業にも取りかかっていないのは私一人である。

☆午後はSamirと翻訳アプリでお喋りをして過ごす。

ただアラビア語の翻訳は何を言いたいのかさっぱりわからなくて、簡単な会話の場合意外はちんぷんかんぷんであった。

作業は出来なかったが、何度か確認して明日にはオルガナイザーが必ず作業をしてくれるというので、こういう観光地ではない市井の人たちの中で

ぼんやり過ごすのは嫌いではないので、気持ち的には全くマイナスにはならなかった。

☆ところが夕刻から状況が変って来た。

Samirが工場の社長とやってきて、社長が今夜は金属の作家たちと一緒に夕食を摂りたいと言っていると伝えてくれた。

社長にお礼を言うと、社長も喜んでくれた。

しかし夕暮れても社長に何の動きも無い。

そこへ木彫の作家たちがやって来て、何時ものようにみんなでホテルへ向かった。

あの社長の申し出は何だったのか?

翻訳アプリの翻訳間違いだったのか?

私一人が釈然としない気持ちのままに置き去りにされてしまった。

☆だからとても疲れ切ったように木彫の作家たちには見られたようだが、疲れて元気がなかったのではない。

釈然としないままの気持ちで暗い気持ちに陥ってしまったのである。

そうしたところへ私を苛立てる状況になった。

スマホから飛ばした激しくうるさいダンス音楽を、作家たちがカーステレオから流し始めたのである。

木彫の作家たちは今日で3日目の作業を終えたので、気持ちがイケイケ!である。

皆で車の中で手を叩いたり足踏みをしたりの狂乱状態になった。

そこへ超悪乗りしたのが運転手である。

高速道路を運転しながらダンスを始め、とうとうハンドルから手を放して手ぶら運転のジグザグ運転を始めたのである。

ただでさえカイロの高速道路はみんな速度オーバーの滅茶苦茶運転で、毎日のようにぶつかりそうになって運転手は怒鳴り散らしている。

そんな状態の道路での手放しジグザグ運転なんて、もうほとんど自殺行為である。

☆たまりかねたVasylが”危ない!止めろ!”と叫ぶと、我慢していた私も切れてしまった。

”止めろ!私たちはこの車に私たちの命を預けているのだ!もう明日からこの車には乗らない!私たちはタクシーで行く!

ところが、私の隣のSahedが、”TANAKA、怒ってるの?”と聞く。

あたり前じゃないか、私たちは私たちの命を預けているんだ!

運転手も悪いが、仕掛けてやれやれ!と騒いでいる作家たちの方が悪い。

とうとう私も、ここにきてまだ何の作業にもかからせてもらえないのは私だけなんだ、いう怒りがこみあげて来た。

そして、明日もまた作業にかかれなかったら、私は日本に帰る!という決意をした。

☆ホテルに帰ると、作家たちの顔も見たくないので、夕食は部屋で独りで摂った。

そこへ私が何故怒っているのかを作家たちから事情を聞いたオルガナイザーが謝りにきた。

運転手を叱ったというが、そう仕向けて全く悪びれる様子も無かった作家たちへの怒りの方が大きい。

明日も作業にかかれなかったら、日本に帰ると告げる。


11月19日(水)

☆晴れ。

☆朝、朝食を摂って直ぐにオルガナイザーが部屋を尋ねて来た。

何事かと思ったら、私とSelamは木彫を止めて金属作品を作って欲しいという。

ありえない申し出に私とSelamは目を白黒させる。

やはりどうやら私たちの木は、簡単には木材加工所の奥まった場所から取り出せないようだ。

それでもう時間がないので金属に変更してくれ、ということである。

☆私たちはプランを決めて指図さえすれば、後は工場の職人たちが作業してくれるので、私たちは何もしなくて良い、というのだ。

実際他の金属作家たちも、工場の職人に図面を渡して行程を指図しただけで、あとはなにもすることが無くてずっとホテルの部屋に居る。

現実的に木が作業場に搬入出来なければ、オルガナイザーの指示に従うしかない。

☆したがって、私は今日は部屋に留まったまま、金属の作品プランを考えることになった。

ただSelamは納得がいかず、もともと金属の作品も作っていて溶接作業も出来るので、自分で作品を作ると言って工場へ出かけて行った。

だが彼もお昼には憮然とした表情で帰って来た。

結局、工場に行っても何もさせてもらえなかったということである。

やれやれだが、これで報酬はきちんと支払ってくれると言うのだから、問題はないか。

☆朝のうちに、宮日文芸に3首投稿。

☆一日、金属作品のプランを考える。

だいたい大きさも何も分からないので、取り掛かりようがない。

☆午後後半にやっとラフスケッチを描き始めると、直ぐにSelamがそれをスマホでスキャンして、例のChatGPTで画像に変換した。

ラフスケッチの段階で色んな指定をしてやれば、きちんとした彫刻の画像が現れるのでびっくりする。

だがほんのラフスケッチなので、現れた画像は私の考えるフォルムとは全く別なものである。

そこからSelamが色々とちゃちゃを入れ始めて、勝手にこんな作品にしろと指図をする。

あまりに私の考えていることとかけ離れたことで進めようとするので、彼の作業を遮った。

☆夜までに3案スケッチをまとめてオルガナイザーへ送る。

3案目に”Very good!”と返事が来た。

この案だと職人の作業も楽だし、各パーツの溶接部分も多いので、安定性もある。


11月18日(火)

☆晴れ

やはり夜明け前はとても冷える。

☆今日からいよいよ制作開始、のはずだった。

今日は木彫の作家だけが出かけて、午前は先日にチェーンソー等の道具をオーダーした店へ行って、その他にも必要なノミやハンマー等の工具も揃える。

今日から制作にかかれるということで、みんなとても高揚していた。

☆ところが、である。

制作会場へ行くと、私と同室のSelamの木材が届いていない。

私とSelamの木は木材加工所の奥まった中庭に置いてあって、リフトが入らない。

だから昨日はあれからどうやって搬出したのだろうかと不思議だったのだが、やはり運び出せなかったのだ。

オルガナイザーは午後には必ず会場に入れるが、制作は明日からだという。

結局、私とSelamは今日も何もすることが無かった。

☆それで私は縁石の上に横たわってふて寝をするしか無かった。

ところが朝夕は冷え込んでも日中の陽射しは強いので、とても気持ちの良いふて寝だった。

ナイル川の水際でふて寝をするという体験も余りないだろう。

☆結局、午後になっても私たちの木材は来なかった。

そしてもう午後4時には制作会場を片付けて、親水公園を出た。

ナイル川沿いは夜のカイロの最大の観光地で、夜は大賑わいになる。

すでに4時くらいには大勢の観光客がぞろぞろと親水公園に集まってき始めた。

やはりその時刻以降は観光客のなかで木を彫る訳にも行かない。

☆オルガナイザーに確認すると、明日朝からは必ず制作に這入れると言う。

なにせもう残りの期日は限られているのだ。

☆夕食の時に、オルガナイザーが明言した。

今日から正式にシンポジウムが始まった。

28日にはもう帰国する作家もいるので、27日には制作を終えて展示会をする。

そのクロージングセレモニーを経て、作家には未払いのニューアラメインの報酬とカイロの報酬を必ず支払う。

27日以前に帰国した作家には報酬は支払わない。

したがって、明日以降は支払いへの苦言は一切言わないように。

☆了解である。

明日に私とSelamが制作に這入れるかは不確かだが、制作終了が27日と確定した。

私にとっては明日から始まっても9日間の制作期間しかない。

それで完成させる規模の作品を作るより無い。

したがって、私は当初の予定通りに28日にカイロを発つ。


11月17日(月)

☆晴れ。

今朝もとても冷え込んだ。

☆妻からの情報で、今週も宮日文芸の採用は無かった。

これで3週連続、エジプトで詠った歌は没になったが、送った歌を見直したらやはりまったく歌になっていない。

☆ナイルシンポジウムはようやく今日から始動した。

といっても、今日は手配だけで終った。

最初に私とSelamは金属の作家たちと一緒に、彼らの作品を制作担当する金属加工工場での打合せに同行。

金属の作家たちは職人に段取りを伝えて、鉄板をコンピューターでカットしてもらい、組み上げて貰う。

殆ど職人たちの仕事である。

作家はもう何もすることはない。

周囲がカイロの旧市街で、古い趣の佇まいなので、私は周囲を散策する。

☆次に直ぐ近くの私たちが木材を選んだ木材加工所へ行く。

なんと私たちの選んだ木材は全くそのままであった。

私とSelamはびっくりして、これでは殆ど制作する時間はないのではないかと嘆く。

ほどなくして、他の木彫の作家たちも到着。

Shahedは、制作期間って、たった1日じゃない?と冗談を言うほどである。

結局は、やはり昨日はまだ制作会場には材料は届いておらず、何も出来なかったのだ。

だが私が選んだ木を再確認したら、思っていたより大きい。

1週間で完成させるのは難しいかもしれない。

やはり帰国はギリギリの当初の予定通りになりそうである。

☆オルガナイザーは木材の搬出搬入の打合せを木材店の責任者と済ませ、私たちを制作場所へ案内する。

制作場所は木材加工所から直ぐ近くのナイル川河畔の親水公園という観光地の1等地だった。

この親水公園に這入るには入場料が要る。

いや、こんなところでは石は彫れない。

石が木に変更になった理由がようやく納得できた。

☆木材加工店に戻ると、もうリフトで木材をトラックに積む作業をしていた。

今日の私たちの作業はそこまでで、お昼にはホテルへ帰る。

そしてホテルに帰ってほどなくして、会場に木材が搬入された画像が届いた。

これで明日からは確実に制作に這入れる。

何しろ私は28日には帰国する。

あと10日きっかりしかない。


11月16日(日)

☆晴れ。

夜中はとても冷え込んだ。

私は先日に一時帰国した時に、前回使わなかった長袖を置いて来たので、着るものが無い。

ベッドのシーツも夏用のシーツで体が温まらない。

☆どうも雲行きが愈々あやしくなって来た。

私は今日は9時半にホテルを出て、作業開始というオルガナイザーのオンライン情報で、きちんと作業道具を整え、作業着を着て部屋を出ようとした。

ところが同室のSelamがまったく準備もしないし、今日は作業は無いというのである。

☆確かに今日はオルガナイザーは銀行へ行って、報酬未払い作家たちのドルを準備しなければならない。

オルガナイザーはそのために制作会場には行けないが、皆さんは作業を始めて下さいと連絡してきている。

私はそのことをSelamに確認したが、彼は頑として今日は誰も行かない、という。

☆そんな馬鹿な、と私はOscarとErnestの部屋へ行ったら、彼らも私同様に作業着に着替えてスタンバイしている。

私は彼らにSelamの対応を伝えて、オンラインで作家たちに確認を取った。

ところが、やはり作家たちからは今日は作業場には行かないという返事が返って来た。

☆ナンナンダ!!!

オルガナイザーが居なくても、もう設備は整っているのだから、作家たちは作業にかかれるではないか。

あるいは、まだ材料の準備が出来ていないのだろうか。

だが考えてみれば、私たちはまだ制作会場へ下見にも行っていないので、場所さえ分からないのだった。

私とOscarは耐え難い思いで、今日は日曜日だから朝からビールだ!と2人でビールを開ける。

Ernestは例の皮膚炎で薬を飲んでいるので酒は呑めない、ということである。

☆もう日本へ帰って仕舞いたい。

しかしこれまでこんなに長い時間を待機したのだから、作品が作れるのなら、制作をして報酬を受け取って帰りたい。

みんな、こんなシンポジウムは経験がないと怒っている。

☆オルガナイザーに確認したら、今回のカイロの報酬はきちんとドルで渡すという。

つまり今日は前回のシンポジウム報酬未払い分のドルを調達したので、次の日曜日の23日には今回のカイロの報酬をドルで用意すると言う。

☆明日から制作を初めて、1週間くらいで作品を仕上げたとして、報酬が受け取れるのは23日以降となる。

帰国しての東京での妻と長男との待ち合わせがギリギリなので、フライトを少し早めにしようと思って、午後はずっとネットで検索していた。

だが今購入しているチケットと同じフライトは、毎日は飛んでおらず、早くても2日の違いにしかならない。

それで帰国してからのスケジュールを計算してみると、2日早く帰ってしまうと妻と長男との待ち合わせに合わせるのに、かなりの出費がかさんでしまうことが解った。

予定通りの帰国が正解か。

☆夜は昨夜の予定だった彫刻家の個展のオープニングにカイロ市内へ出かける。

Ahmed Karalyというカイロ出身の彫刻家で、シンポジウム参加の複数の作家とは旧知の仲だった。

作品は全て”壁”というタイトルの、ブロンズと細木、鉄角パイプとを組み合わせた作品である。

最初はそれほどインパクトは感じなかったが、ブロンズがヨーロッパの教会ドームと細木がその足場にも見え、また細木の組み合わせは日本の神社の白木神殿を

想わせ、見ていくほどに色んな世界が広がっていく作品であった。

会場には8年前のハルガダで一緒だった作家のHeshamと学生アシスタントだったMennaも来ていて、二人から”TANAKA!”と声をかけられてびっくりした。

☆ホテルに帰って、みんなで”明日は作業はあるのか、ないのか、あれば何時から動くんだ?!”というのがお休みの挨拶となった。

オルガナイザーからが9時スタートという返事が返って来た。

さて、さて・・・


11月15日(土)

☆晴れ。

昨夜からとても冷え込んできて、夜中はとても寒かった。

☆本当に明日の朝からシンポジウムは始まるのだろうか。

オルガナイザーは11月14日から始まると言う新しいポスターをフェイスブックにアップした。

作家たちはまだ半信半疑のまま、今日もホテルに閉じ込められたままである。

私も”帰っておいで”と妻からの呆れたコールが届くが、ここまで待機したのだから実際に工具と材料が揃えられて作業が始まるのかを確認したい。

作業が始まれば、残りの期日で制作できる作品を制作したい。

☆私は今日もパソコンに向かって短歌の作業と51年前のインド放浪記の編集作業。

インド放浪記は機会があれば出版したいと思っているもので、昨日と今日で全部の日記に目を通して、プライベートな記述や公開には不適切な部分などを

削除して行った。

一通りは目を通したので、次はもっと削除すべき部分を大幅に整理してゆきたい。

☆今日は夕刻から或る彫刻家の個展のオープニングに招待されているので、夕刻5時にホテルを出発という案内だった。

だが夕刻になって作家たちからオープニングは明日ではないのか?という問い合わせが上がり始めた。

オルガナイザーがネットに挙げていたその展覧会の案内フライヤーの画像では、オープニングが明日16日になっているのである。

しかしオルガナイザーからは返事がなく、その作家と友人だと言うOscarが直接に作家に問い合わせた。

やはり作家本人からは明日の夕刻7時からだという返事が帰ってきた。

もうオルガナイザーの頭の中は回線がこじれてしまっているのだ。

☆ところが今度は何時まで経っても夕食の案内が無い。

作家たちから、夕食は?という問い合わせが上がり始める。

そこへようやくオルガナイザーから、忘れていた、私はまだアレクサンダーに居ると言うあり得ない返事。

☆結局、今日はお昼も夕食も無いという状況になった。

私は一時帰国した時に非常食を買って来たので、お昼はカップうどん、夕食は玉子がゆで済ませる。

ああ、やはり帰国した方が正解かな?


11月14日(金)

☆晴れ。

今日も雲が多くて、日中も室内は冷え込む。

といっても私は半パン、半袖だったが、午後からは長袖を着た。

☆やはりシンポジウム会場での制作開始はまたも延期となった。

今日はオルガナイザーは、材料や電気配線の準備で終り、明日に電圧の調整を業者が来て作業すると言うこと。

またオルガナイザーは、明日はアレクサンダーへ行く用事があり不在なので、作業開始は日曜日の朝からということ。

☆ディナーは沈鬱な雰囲気となった。

Jikiaが、”もう16日も何も出来ずに待たされている、TANAKAはいったん家に帰れたからいいよ。”。

16日という空白期間は、普通のシンポジウムの開催期間だ。

それがまた延びたのである。

本来なら、一般的なシンポジウムはもう終るころである。

こんなシンポジウムは聞いたことが無い。

私も日本から帰って来てすでに今日で12日目である。

ほぼ10日間は何もせず、ホテルの部屋でパソコンに向かっていた。

日本にいてもこんなに長い間を何もしないでいることはない。

☆作家たちは前回の報酬をまだ受け取っていないから、怒って帰ることも出来ない。

その報酬の未払いについても、オルガナイザーと作家たちとの遣り取りが続いている。

どうやらオルガナイザーの言い分だと、オルガナイザーの怠慢というより、運営主体の”OSTRACA ARTS"の問題のようである。

オルガナイザーは再三にわたってOSTRACA ARTSに支払いの実行を求めているが、儘ならないようだ。

それで今日は問題解決のために、さらにパスポート写真の提出を求められた。

☆またVISAが一週間後には25ドルから45ドルに値上がりし、エジプト・ポンド価格も1ドル=100エジプト・ポンドになると言う。

現在は1ドル=47,2エジプト・ポンドだから、倍の価格になる。

物価が倍になるということだ。

まさか報酬が半分以下になってしまうということになるのでは無いだろうな。

次第に袋小路に陥ってゆく。

私はもう帰りたい。


11月13日(木)

☆晴れ。

朝のうちは雲多し。

夕刻も曇っていて、とても寒い。

☆ようやくカイロのシンポジウムが動き始めた。

明日からは実働的に制作に向けて動きそうだ。

主催はオルガナイザーの属するOSTRACA ARTSで、その正式な契約上の必要手続きで一昨日は経歴と過去の作品データを提出した。

今日は作品プランを提出してくれということだったが、まだみんな木材加工所でしか現物の木を見ていないので、正確なプランは纏まっていない。

とりあえず今日までにラフスケッチしていた3案を提出する。

OSTRACA ARTSとしてはもう時間も限られて来たので、小さい作品を2点で良いということだが、私たちは材料の木は1点しか選んでいない。

その旨を伝えると、1点でも良いと言うことである。

☆また金属の作家たちは溶接や切断の設備の必要性もあり、シンポジウム会場近くの鉄工所での作業になるということで、作家たちはその方が好都合

だと喜んでいる。

☆朝のうちに、「心の花」宮崎歌会の12月例会の詠草1首を担当者に送る。

締め切りは15日で、皆さんは作品提出が15日ギリギリなので早いかと思ったが、明日から作業に入ると忙しくなりそうなので、今日のうちに送った。

これまでに例会の後の懇親会では、私の彫刻関係の歌が読みたいという意見が多かったが、それだとすぐに私の歌だと分かるので、誰の歌か分からない状態で

票を入れる互選には不都合だと思っていた。

しかし今回は試しにカイロでの歌を送ってみた。

”カイロ”という単語が這入れば皆さんには私の歌だと分かる。

それを互選でどういう反応が出るかを試してみたいのである。

歌の作者がほぼ分かっても互選に影響がなければ、彫刻家としての歌も例会に提出できるからである。

☆月末に帰国してからの電車の手配を調べる。

29日に帰国すると、ちょうど妻が大学時代の友人たちと会うために上京していて、長男と合流して隅田川の屋形船に乗る予定を建てている。

私は15時10分に成田に着くが、今回は工具箱もあるので預け荷物は2個となり、受け取りに時間もかかるし、空港宅急便の手配もしなければならない。

そうなると空港を出るまでに1時間は見ておいた方が良い。

その条件で、最速の成田エクスプレスで妻と長男との待ち合わせ時刻の17時半に品川駅に着くには、16時19分発の成田エキスプレスしかないようだ。

それで”えきねっと”に登録して、予約をした。

エキスプレスに乗るのも、屋形船に乗るのもギリギリである。

☆いまだニューアラメインからそのままカイロに滞在している作家と早めに帰国している作家たちには、報酬が支払われていない。

オルガナイザーと作家たちとの遣り取りをオンラインで見ていると、銀行でドルを扱っているのは日曜日の夕刻のみだと言う。

先日は体調不調でリタイヤーして帰って行ったトルコのSongulに送金しようと思って、日曜の午後に銀行へ行ったらエジプトからトルコへは送金できなかった。

心配になって、私の帰国日程を調べたら11月28日で金曜日である。

その前の日曜日は23日であり、まだシンポジウムの作業中である。

しかし23日にはドルを受け取らないと、ネット検索すると、エジプト・ポンドは日本では両替できない。

わずかに両替できるところがあるが、そこは実店舗のみの両替で、しかも手数料が30%以上も取られる。

後日振り込みにすると、現在でもまだ帰国した作家たちには振込が行われていないのだから、またも中国・恵安のように何時振り込まれるのか分からない。

☆今日の夕食はこれまでになく美味しくて、残りを部屋に持って帰ってワインを呑みながら食べた。

ナスビの炒め物とレバーのソテーが口に合った。

やはりシンポジウムは本格的には明後日からの開始ということである。

明日は午後から制作会場へ出かけて、準備で過ぎるということ。

☆メキシコのErnestがこの前から余り体調が良くないようで、皆との会話のなかで”病院”が出て来るので、心配していた。

今夜の夕食時に隣に座ったEenestを見たら、皮膚が真っ赤にただれている。

何か喰い合わせが悪くてそうなったのかと聞くと、このエジプトの激しい太陽光線にやられて、薬も副用し塗り薬も塗っているということ。


11月12日(水)

☆晴れ。

☆今日も一日、フリーで過ごす。

Selamたちはピラミッド周辺で昨日から開かれている野外美術展へ出かけた。

私も何もすることが無いので一緒に行くことにしていたが、なんだか知らないがタクシーを降りてから4,5kmは歩いて行かなければならないということで、

キャンセルした。

☆今日も2004年のHP日記の編集作業。

☆シンポジウム制作会場の方は、川縁でオルガナイザーが環境整備を進めている。

しかし材料の搬入と電気配線等の最終段階が明日になるので、私たちが制作にかかれるのはやはり明後日ということである。

カイロにとんぼ返りで帰って来て、今日でもう9日経った。

つまり当初の開催期日11月4日から11月28日という期間のうち、前半の10日間は準備で終ってしまった。


11月11日(火)

☆晴れ。

☆昨夜はウオッカとジンを生でかなり飲んだので、ぐっすり眠ったのだろう、夜中3時ころから目が覚めて眠れなくなり、相部屋なので起きる訳にも行かず、

まんじりともせずベッドの中で耐えて過ごす。

久しぶりに宿酔気味で、起きてからはシャワーを浴びて酒気を抜く。

☆今日はみんな何の予定も無く、ホテルに滞在。

私は午前は短歌を詠んで、宮日文芸に投稿。

昨日が宮日新聞は休刊日だったので、宮日文芸は今日が掲載日だったが、2週続けて採用されなかった。

エジプトに来てからはあまりこれはという歌は詠めていない。

☆午後はHP日記のワード編集の続き。

先日に引続き2004年の3月・4月の日記だったが、私が日程を勘違いして行けなかったドバイのシンポジウムに、長谷川政弘氏に急遽参加してもらった日々。

やはりアラブの世界の悠長さで、シンポジウム期間中の半ばまで石が揃わなかったり、届いた石が割れていて使えなかったり、散々な状況だった。

いままさに、このカイロのシンポジウムがそうである。

私が道具の準備をしていたら、同室のSelamが”えっ、明日から作業ですか?!”

いや、当てにならないけれど、準備だけでも。

☆だがやはり私たちの勘は当たっていた。

夕食時にオルガナイザーに尋ねる。

”私たちは明日から作業が出来るのか?”

”いや、明後日からだ。明日は制作場所の準備を整えなければならない。ブックラ(明日)・ブックラ(明日)さ。アハハハ。”

やっぱり。

”いや、あの木の大きさだったら、木彫は5日で終わるよ。5日あれば充分。”とオルガナイザー。

なんとまあ。

それで、きちんと報酬を払ってくれるのなら構わないが・・・、みんな、体がなまって仕様がない。


11月10日(月)

☆晴れ。

☆Selamたちは9時過ぎにホテルを出て、大エジプト博物館へ出かけた。

Oscarたちもイスラム美術館へ出かけたようだ。

☆私はホテルに留まって、デスクワークで過ごす。

☆シンポジウムはまた開始が延びた。

オルガナイザーがシンポジウムは明後日からだ、と言う。

理由は、シンポジウムの制作会場が決まらないからだという。

Jikiaの話だと、ニューカイロに候補地が2か所あるのだが、両方とも条件が悪く他の場所を捜していると言う。

つまり、まだ制作場所が決まっていなければ、材料の搬入も設備の配置も出来ない訳だから、明後日から始まると言うのも真に受けられない。

作家たちは、どのみち使う木は1週間くらいで作品になる程度の大きさしかないので、遅れても構わないと言うが、心配なのはそれで約束の報酬が支払われるのか。

何しろ、ニューアラメインから引続きの作家たちにはまだ全く報酬が支払われていないのだ。

☆今夜は夕食にJikiaがウオッカとジンを差し入れてくれて、かなり飲まされてしまった。


11月9日(日)

☆晴れ。

☆日本の宮崎では、今日は私と関わる大きなイベントが2つ行われた。

1つ目は姪の娘の結婚式。

我が家の息子たちは身裡での結婚式は挙げていないし、甥や姪の子供たちもずっと結婚式は挙げていない。

親戚が集まる冠婚葬祭は葬式と法事だけになって久しい。

だから晴れの身裡の結婚式なんてどれほどぶりなのだろう。

私は出席できないので妻に出席してもらった。

☆もう一つは、短歌会「心の花」の全国大会・宮崎大会。

参加者への記念品に私の「MOON DANCE」のマグネットを使っていただいた。

多忙な準備のお手伝いが全く出来ずに、申し訳なかった。

両会場のホテルは宮崎駅裏の近接したホテルなので、私が宮崎に居れば両方に参加できるはずだった。

☆今日は何の予定もない一日。

ずっと部屋でデスクワークをして過ごす。

☆児島虎次郎の滞在したと言うホテル名を何度検索してもカイロには存在しない。

ただルクソールには1886年に建てられた由緒ある同名の高級ホテルがある。

それで児嶋塊太郎氏に再確認してもらったところ、当時の日記にカイロから列車で午後6時に出発して翌朝7時に到着しているルクソールとの記述があり、

ルクソールのホテルだと分かった。

ホテルのサイトを見てみると、各部屋の画像がアップしてあり、格式ある部屋には古い絵がかかっている。

ひょっとするとその中に児島虎次郎のスケッチがあるのかもしれない。

☆夕刻に、北海道・名寄国際雪像大会でお世話になった長谷川さんから15年ぶりにメッセンジャーが届いた。

実は今日の日中のデスクワークで2004年1月、2月の日記の整理をしていて、長谷川さんに声をかけられて初めて名寄のジャパンカップに参加した日々の

日記に目を通していたのである。

その長谷川さんからのメッセンジャーなので、びっくりである。

☆ディナーはオルガナイザー準備のバーベキュー。

今夜はビールもあるので、とても美味しい。

ところが新しく参加した作家たちが、明日は大エジプト博物館へ行くと言う。

それでオルガナイザーに確認すると、明日はまだ木彫の木が届かないので、シンポジウムは火曜日からだと言う。

そんな、シンポジウムはいつ始まるのだ。


11月8日(土)

☆晴れ。

☆父の43回目、命日。

こういう海外で命日を迎えるとは思わなかった。

 亡き父の四十三回命日を迎えし夜は犬吠ゆるカイロ

☆今日はカイロ旧市街の観光に出かける。

まあ、旧市街といっても殆ど土産物店ばかりのような観光通りで、それほど面白いものではない。

それよりもあまり観光客の立ち入らない街並みの方が面白いのだが、団体で動いているとそういう個人的な趣向は出来ない。

☆実は画家・児嶋虎次郎が、大原美術館の収蔵作品として古代エジプト美術を購入するために1922年と1923年にカイロに来ている。

その時に滞在したホテルがまだ営業していて、虎次郎のスケッチした絵が現在でもそのホテルに飾ってあるという。

それで岡山の加計美術館長の児嶋塊太郎氏(虎次郎の孫)から、是非そのホテルに立ち寄って写真を撮って来て欲しいと頼まれている。

今日の旧市街観光でそれらしき界隈へ行くことが出来るかと期待したが、カイロは広いので、何が何處に在るのか全く見当もつかなかった。

☆今日の市内への外出のもう一つの大きな目的はビールの購入であった。

しかしタクシーの運転手があちこち廻っても、まったくアルコールを扱っている店がどこにあるのか分からない。

ようやく新カイロに酒販売所を見つけたが、ビールだけ品切れであった。

Selamがスマホで酒販売所を探し出したので、そこでようやくビールを購入することが出来た。

☆夕食はみんなでビールで乾杯しての酒宴となった。


11月7日(金)

☆晴れ。

☆午前に作家たちと近所のスーパーへ買い物に行く。

私たちが先日に行ったところとは反対側に在り、昨日にSelamが行った大きなショッピングセンターだった。

果物がとても豊富で、私はブドウとリンゴと珈琲を購入。

衣類雑貨があれば、木彫はチェーンソーによる油汚れがひどいのでエプロンを買いたかったが、衣料品は扱っていなかった。

☆午後は先日からのHP日記のWord文章整理。

☆今夜のディナー(と言ってもランチと兼用だから夕刻5時の食事)は、オルガナイザーのモハメッドが私たちの部屋の隣のキッチンで作ったチキン料理だった。

チキンのスープとサラダがとても美味しかった。

芸術家は料理の得意な人が多い。

チキンのスープ煮も美味しかったが、日本と違って身肉が硬くて、何時まで噛んでも噛み切れなかった。

これでビールがあったら最高なのだが。

☆コソボのSelamは私の知人のブットリントの息子だというのは、私の聞き間違いのようだ。

Jikiaの息子と親しく話していたし、ブットリントの父親にしては若すぎる。

逆にSelamがブットリントの息子だと言うのが本当なのだろう。


11月6日(木)

☆晴れ。

☆今日もフリーの一日。

☆金属の作家たちは鉄板の仕入れと道具店巡りで、木彫の作家たちは今日はホテルに居置き。

☆私は昨日に引続き、デスクワーク。

やっている作業はこのネット上の日記をWord文書として残すために、ワード形式で保存していた文書のスタイルの書式のクリア作業で、書体とフォントを

統一する作業。

このホームページ日記を始めてからの20年分以上の日記を作業するので、余程時間のある時にしか集中してできない。

おかげでずい分と作業をこなすことが出来た。

☆今回のシンポジウムは、作業の無い日はランチの支給はない。

私はリンゴ1個で済ませたが、コソボのSelamは到着したばかりで買い物に行っていないので何も食べるものが無い。

それで午後はスマホのナビを見ながら外へ出て、ショップを見つけて、かなりの飲食物を仕入れて来た。

画像を見せて貰ったら、先日に私が行った店よりも格段に品物が豊富な大きな店であった。

☆するとそこへ信じられない画像が飛び込んできた。

カイロ市内に行っている金属作家たちとオルガナイザーが、なんとレストランでとても豪勢な食事をしているのである。

かたや、ホテルに居置きの木彫作家にはランチさえ支給されない。

余りのバカバカしさに、思わずSelamに”私は日本に帰る!”と叫んだ。

人の好いSelamは、”あなたと同じ部屋になってとても光栄なので、どうか帰らないでくれ”と哀願する。

☆本当はカイロのシンポジウムは4日から始まる予定だった。

それで日本へ帰ってもとんぼ帰りしてきた。

それが6日から開始に延期になり、6日の今日になってもとうとう何も始まらない。

いったい何時から始まるのか、明日には材料と工具が全て揃うとはとても思えない。

☆すると、帰って来たオルガナイザーからランチを持って帰って来たからルーフへ来い、という連絡。

Selamと屋上に上がると、すでにJikiaとSelamと一緒にやってきたJikiaの息子がランチの残りを食べていた。

味はなかなかで、今回のエジプト滞在では最も口に合った。

しかしJikiaの息子は、鳩の肉が混じっているので食べられないと怯えていて、一口も食べない。

☆そこへオルガナイザーが顔を出したので、シンポジウムは何時から始まるのか?と問うと月曜日からだと答える。

木の1本の重量が重すぎて、クレーンの用意などが必要で、作業場所に搬入できるのが月曜なのだと言う。

道具類もそれまでにはすべてそろう、と言う。

つまりまだ数日はホテルで寛げ、ということである。

どの道、今回の木の大きさでは制作期間は1週間くらいで終りそうな作品しか作れない。

それで当初の報酬がもらえるのなら、楽なもんだと開き直る。

☆そのうち、他の作家たちもルーフに上がって来て、オルガナイザーの差し入れのラッキー(45度)で宴会が始まった。

ようやく初めてのシンポジウムらしい作家揃っての酒宴となった。

参加作家は民族問題を抱えている東欧の作家たちが多い。

ソ連に侵攻されているウクライナ、ジョージア、ソ連の支援を受けたセルビアに殺戮されているコソボなど。

私たち島国の日本人には遥かに理解困難な状況の国々の作家たちである。

最初はそういう切羽詰まった話題であった。

次にグランドオープンした大エジプト博物館の話題になった。

私たちが行った時にはあまり目ぼしい展示も無くがっくりだったが、今は全ての展示室が公開され、目玉のツタンカーメンやクレオパトラ関連の展示室があり、

とても見ごたえのある博物館になっていると言う。

そして古代エジプトの様々な信じられない規模の遺物、例えば地下空間に納められた何百トンという重量の黒御影石の石棺を、どうやって地下に納めたのか、

とても人力による作業では説明できないものが多く、どうしても人間以外の力があったのではないかと考えてしまう、とオルガナイザーは語る。

そうしたことに対して考察した本が数えきれないほどあるが、どれも謎を解き明かしてはいない。

ピラミッドに詰まれた石もカイロには無い石で、かなり遠くから運ばれてきている。

カイロから発掘される御影石の遺物も、すべてアスワンなどの遠地産の御影石であり、ナイル川で運んだにしても・・・という話題でエジプトらしい内容の酒宴となった。


11月5日(水)

☆晴れ。

☆コソボのSelamは午前3時に到着。

☆朝にメールを開くと、高鍋町からの緊急地震速報が届いていて、びっくりしたら宮崎県全体の訓練だと言うメールもあり、安心する。

しかし我が家は行政事務連絡員で防災無線が常備してあり、何も知らない妻はとても驚いたようだ。

☆午前は何も動きが無く、昨日のデスクワークの続き。

同室になったコソボのSelamが私のフェイスブックをチェックしてくれていて、私と同室になれて光栄だと言ってくれた。

今年の2月に妻とバルカン半島を旅した話をすると、スマホでコソボの観光動画を見せてくれた。

コソボは周囲を山に囲まれていて、大きな湖があるが、殆どは山岳地帯のようである。

☆ようやく午後になって、石彫ではなく木彫をしなければならなくなった作家たちはカイロの街へ木を見にいく。

木を見にいくと言っても木彫用の木が確保されているのではなく、木材加工所にある木から選ぶと言うもので、シンポジウムでは決してあり得ないことに驚く。

だから当然、木彫に使えそうな大きな木はないし、とても硬い木だと言う。

だんだん気持ちが落ち込んでゆく。

☆作家たちの話では、ニューアラメインからそのままカイロに残った作家たちは、まだ報酬を全く受け取っていないのだと言う。

私同様、彫刻家はみんな貧しいから家で奥さんがお金を持って帰るのを待っているのだが、家に送金できないという。

私はいったん帰国したからもらえたのかもしれないし、帰国した作家も受け取れないままエジプトを後にした作家たちも居るようだ。

だんだんこれはとても危険なシンポジウムではないかと思えて来た。

☆その後は道具街へ行って、木彫に必要なチェーンソーや木彫用ディスクを物色する。

しかし私の頭の中は、これは直ぐに帰国した方が良いのではという思いに傾いてしまって、まったく気が乗らない。

下手すると、作品を作っても報酬をもらえずに帰る可能性が高いからだ。

大体、シンポジウムを開催するのに、材料も道具の準備も全くなく、制作環境等もまったく知らされないままだ、という状況はあり得ない。

一体どこがメインの主催なのかも全く分からない。

ニューアラメインのように行政が主催のシンポジウムでさえ、報酬が未払いなのだ。

もしオルガナイザーが勝手に自分でやっているのなら、殆ど詐欺ではないのか。

一応、材料代やチェーンソー等の工具代はオルガナイザーが支払うらしいが、”問題ない””OK、OK””Tomorrow”が口癖のオルガナイザーだ。

しばらく様子を見て、帰国するか作業をするかの判断をしよう。

☆今夜はスーパームーン。

テラスに上がって眺める。

☆SelamがチャットGTでの画像作成の方法を教えてくれた。

こんなに簡単に画像編集が出来るのか!

☆床に就く前に、Selamからコソボ紛争のセルビアからの壮絶な虐殺行為について話を聞く。

スマホには当時の虐殺の画像が大量に保存されている。

今回参加しているモンテネグロのLukaは、他のウクライナ、ジョージアの作家たちとは普通にロシア系の言語で会話をしている。

しかしお隣のコソボのSelamとは会話が出来なくて、英語で会話している。

理由を聞くと、Lukaはセルビア人だからだと言う。

確かにLukaの母親は、私の友人であるセルビアのジョルジの姉である。

コソボの人たちにとっては、冷酷残虐なセルビア人とは決して相入れないのだ。

セルビア人は屈強な逞しい民族だということだ。

☆またSelamは、私が2018年に参加したハルガダのシンポジウムで一緒だったブットリントの父親なのだと言うのでびっくりであった。

Selamは若い作家だと思っていたが、かなりの年配だったのである。

Selamはそのハルガダの時のシンポジウムの様子をスマホに入れていて、私同様に今回も同じ待遇だと思っていたという。

来てみるととんでもないシンポジウムで、夕食もこんなもの食えるか!と激怒している。

彼は出発前にいきなり石彫が木彫に変ったことを知らされて、慌てて道具を木彫道具に入れ替えて来たのだと言う。

彼はWeChatの遣り取りで、これらの決定が私のフライト中に行われたことを知っていた。


11月4日(火)

☆晴れ。

☆今日はシンポジウムの材料である木を下見に行くという話だったが、結局は何もしないフリーの1日となった。

こんなことなら日本でもう少しゆっくりすれば良かったが、なにしろ物事が決まったのは私が飛行機のなかに居た間にだから、どうにもならない。

体を休めれば時差ボケによる体への負担もないと考えればよい。

しかしどんな木を彫るのか、工具はどうするのか、何も手がつかない状態で何も考えないで過ごす。

☆まだ両替もしていないので外に出ても何も買うものもないし、いちにちをホテルの部屋から出ずに過ごす。

思いついたデスクワークをする。

☆夕食時にオルガナイザーに聞いたら、材料や道具を見にいくのは明日の朝だと言う。

今夜(夜中過ぎ)に新規の作家が2名来るので、作家が全員そろってから対等に動きたいということらしい。

☆私の部屋にも同宿人のコソボの作家が来る。

名前は聞いたこともない作家であるが、今回は周辺国のモンテネグロやジョージアの優れた作家たちが参加している。

そう言えば、この春には妻とバルカン半島への旅で、最初にコソボの隣のモンテネグロから入っているのだった。

☆夜になって、突然にこのホテルのWi-Fiが正常に繋がった。

それまではスマホのテザリングでネット作業をしていた。

そして驚くことに、なんとYahooが普通に繋がった。

ニューアラメインではYahooはヨーロッパ同様に繋がらなかったのに、どういうことだろう。


11月3日(祝・月)

☆カイロは朝はくもり。

時々、小雨。

いちにちどんよりとして、夕刻には虹が立った。

☆カイロ空港には予定よりもかなり早く午前3時前には到着。

VISAの発行はあっという間に終わり、入国審査も何もなくスムーズに行く。

ただ預け荷物が出てくるまでにかなり時間がかかったが、私の荷物は廻りはじめて直ぐに出て来た。

出国の荷物のセキュリティーチェックも、他の旅客は丹念に調べられているのに私は無審査で、直ぐに出口へ出てしまった。

☆ところが出口を出ると普通はプラカードを持った出迎えの衆が山になっているのだが、今日はターミナルの中には出迎えの姿はない。

おそるおそる外に出ると、ターミナルの出口にではなく、道を挟んだ駐車場側に出迎えの群衆が居る。

おそらくエジプト博覧会のオープンに合わせて各国から大勢の来賓がカイロに来るので、その対策のためだろう。

☆オルガナイザーと連絡を取ろうとするが、ネットの繋がりが悪い。

スマホを何度も再起動させながら連絡を取り合う。

そこへ”やあ!”とタクシー運転手がやって来て、無事にホテルへ入る。

☆ホテルにチェックインすると、同室のコソボの作家はまだ来ていなかった。

私はこの毎日のパソコン操作があるので、環境を整えて床に就く。

☆ネットを開くと、台湾の張さんから案内が届いていた某コンペの案内がブルードラゴンからも届いていた。

私は締め切りが11月19日だと思っていたので帰国した翌日もそのエントリー準備をした。

そこへ今日になってまたブルードラゴンから案内が届いたので、どうして締め切り間近な案内を送るのかと思って確認したら、締め切りは12月19日だった。

これなら帰国してからの準備で間に合う。

☆2時間ほど寝て、さて今日のスケージュールはと思いながら、ネットの繋がらなかったフライト中の作家たちとオルガナイザーの遣り取りをチェックして、

びっくり仰天だった。

何と言っても、私がフライト中にシンポジウムの素材が石と金属から木と金属のシンポジウムに変わっている。

なぜそうなったのか、全く何も分からない。

それで石の作家たちは木彫のために新しいプランを考えなければならず、今日の午後は木彫の道具を買いに行くというのだ。

そんな馬鹿な!

かつてスペインのシンポジウムで、石のシンポジウムが発砲スチロールに変ったことがあった。

この時は市役所の担当者の横領で石材費用を持ち逃げしての結果だったので、私たちはスペインに行く前には発砲スチロール用の道具を準備した。

しかし今回が昨日までは普通に石彫と金属のシンポジウムだったのである。

石彫と木彫とでは道具が全く違うのは当たり前だが、作品のプランも全く異なる。

そのためだろう、シンポジウム開始が4日から6日に変ってしまっている。

そして何人かの作家たちはまだニューアラメインの報酬を受け取っていないようだ。

☆前の部屋に宿泊しているOscarとErnestに状況を確認する。

そして近くにある大きなショッピングモールという処に案内してもらったら、建物自体は大きいが営業している店舗は数軒でほぼ廃墟だった。

とりあえず、リンゴとバナナとネスカフェースティックを購入する。

☆部屋に戻って、ホテルに預けていた工具箱を部屋に持ってくる。

結局、これらの道具は何の役にも立たなくなった訳だ。

☆午後は工具箱の整理。

木彫でも使えそうな道具類を出し、汚れを拭く。

そして洗濯ものの干し場確保に四苦八苦。

ニューアラメインのようなベランダが無いので、ルーフに干そうと思ったが、夕食の場所になっていてロープを張る場所がない。

仕方なくバスルームでロープを張るが、相部屋なので絶対に嫌がられる。

洗濯機があるので廻してみたら、使い方が全く分からず、乾燥機能がなくて、結局はまたバスルームに干すしか無かった。

☆夕食は屋上のルーフでみんなで摂るようだ。

上がって見ると、風が強くて寒い。

弁当を開いてみると、またも巨大な魚がデーンとライスの上に載っているだけ。

真っ黒こげだったニューアラメインよりはましだよとJikia。

ビールも無くて、こんなまずい食事をこれから4週間も続けるのかと思うと、もう殆ど季節労働者の待遇で、帰りたくなって来た。

Jikiaに尋ねると、石から変更になった木はまだどんなものなのか観ておらず、明日見にいくのだと言う。

それからプランを考えて6日から作業開始となるようだ。

なんだかうんざりしてきた。


11月2日(日)

☆くもり。

☆午前はスーツケースの荷造り。

トルコのSongulが疲労困憊による体調不良で、カイロシンポジウム参加を断念して帰国するようだ。

もうほとんど食事が摂れないようだ。

それで私もお湯で暖めるだけのおかゆを数種類と、うどんのカップヌードルを購入してスーツケースに詰めた。

情報ではホテルの近くに大きなスーパーモールが在るようなので、果物類を買いこもう。

125mmグラインダーはきっちり納まった。

☆高鍋町役場から行政事務連絡員宛に、紙媒体の「お知らせ たかなべ」を来年度から廃止しデジタル化へ移行するので、各公民館全員からのアンケート

調査依頼が来ている。

妻が私の代理で先日の会合に行ってくれた。

それでその案内文を作成して、午前のうちに中町公民館各戸に配布する。

☆午後1時54分の特急で宮崎空港へ行く予定で、タクシーに午後1時半の予約を入れておいた。

高鍋駅構内の高鍋町観光協会にも用件があったので、早めに駅へ行きたかった。

しかし待てどタクシーが来ない。

タクシー会社へ電話すると、なんと高鍋駅へ向かうと伝えたのに、高鍋駅で待って居ると言う。

結局タクシーは高鍋駅から戻って、再び高鍋駅へ向かった。

駅に着いたら列車到着のベルが鳴っていて、ギリギリだった。

しかも慌てていたので、財布をタクシーの座席に忘れて駅に駈け込むところだった。

観光協会の方には階段で遭ったので、挨拶だけ交わす。

☆15時45分発のジェットスターにチェックイン。

到着機が遅れて16時に宮崎空港を発つ。

☆成田空港へ着くと、やはりジェットスターは預け荷物の出て来るのが早い。

第1ターミナルへ向かい、今回はカイロ直行便のエジプトエアーに搭乗。

フライトは20時30分発で、2時間前にはチェックインカウンターに着いたがすでに長蛇の列。

しかしエジプトエアーはチケット購入時に座席指定が出来て、通路側の席を確保してあったので問題はない。

やはり明日が正式オープンの大エジプト博物館へのツアー客が多いようだ。

残念だったのは、やはり”エジプト”航空なので、機内ではアルコールが一切出ない。

☆搭乗前にバグダッドからメッセンジャーが届く。

中止になったと思っていたバグダッドのシンポジウムが来年初めに開催されると言う。

それで選考されている作家の皆さんはそのまま招待作家のままでいるので、年明けに他のシンポジウムの参加は断ってくださいと言う案内。

私も中止になったとは思いながら、すでに私たちの指定したサイズの石が購入確保してあるので、開催の可能性はあると思っていた。

私は正月明けの2つ海外シンポジウムにエントリーしているのだが、何も言って来ないなので選ばれなかったのだと思う。

バグダッドの正式の開催期日は今月中に決定ということで、参加OKの返事をする。

☆妻との版画二人展は今日が最終日。

搬出も妻が一人でやってくれた。

お疲れ様。


11月1日(土)

☆晴れ。

☆日中は思ったほどの冷え込みは無く、ジャンパーは要らず。

☆午前は持ち帰った衣類の洗濯と、エジプトへ持って行く道具の点検。

変速式の125mmグラインダーがあったので持って行くことにした。

今回は前回の滞在中に殆ど使わなかった衣類は置いていくので、スーツケースにスペースが出来て、グラインダーをスーツケースに入れることが出来る。

これで中国製のワンタッチ研摩ディスクが使えるし、ワンタッチのサンドペーパーも持って行くことにした。

その他、某海外コンペのデータ作成。

☆午後に、”ギャラリーしんとみ”で明日まで開催中の妻との版画小作品二人展の会場へ顔を出す。

土曜日の午後だったので、お世話になっている方たちが何組か来られた。

☆早めに帰宅して、デスクワーク。

午前にやりかけていたコンペのデータ作成で、データを保存しているHDDがフリーズしてパソコンが動かなくなってしまった。

原因はやはりHDD自体では無く、USBハブのコードが接触不良を起こしているらしい。

私の最軽量型のFUJITSUは、軽量化のためだろう、USBポートが一つしかない。

したがって外付けのデーターを取り入れるためにはUSBハブを使わなければならない。

それでヤマダデンキで新しくUSBハブを買ってきて、HDDを接続してみたら、やはりあっという間にデータを読み込んでくれた。

☆夕食は久しぶりに料理をして、おいしくいただく。



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