Back to toppage このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。 過去の日記 2025 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2024 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2023 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2022 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2021 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 |
2025 | 6月30日(月) ☆晴れ。 今日も猛暑日。 ☆今日で6月も終り、今年の前半が終了した。 よくぞ昨秋からの無収入生活を耐えてきたものだ。 ☆午前10時に、高鍋町アーチストによる地域おこし協力隊の市川さん来訪。 市川さんは環境デザイナーで、横浜から赴任して来られた。 町に馴染むには祭りに参加するのが一番なので、この夏の火産霊神社の夏祭りに私たち中町公民館所属で太鼓台担ぎ手として参加してもらうことにした。 それで中町公民館長への挨拶と、祭りの法被の注文をしてもらった。 その後は”せいごろう亭”を案内する。 ☆市川さんと別れて、昼前にアンジェラスの森ヘ上がって少し大理石のコア作業をする。 ☆午睡のあと、再びアンジェラスの森へ上がって作業する。 作業中に、クワガタを捕り来た青年に声をかけられた。 この森でクワガタが捕れると聞いてきたということだが、私がこの森で作業を始めた時にはクワガタは豊富にいたが、いまは樹液の滴る木も無くなり、 もうクワガタもカブトムシも見なくなって久しい。 クワガタの代わりに大理石の破片をお土産に持って帰ってもらう。 ☆夜は中町公民館の夏祭り予算審議。 今年から祭りの参加者はネットで申し込むシステムになった。 保険の加入手続きの利便性のためだそうだが、そのネットでの申し込み期限が今日までと知って、慌てて息子たちにネットのURLを送って手続きしてもらう。 地域おこし協力隊の市川さんは、あれから公民館長が手続きしてくれたと言うことで、よくぞ今朝に公民館長と面談してもらったものだ。 ここで大きな問題が生じてしまう。 孫や娘婿の縁者が毎年祭りに参加している高齢者にとっては、スマホでの申し込みURLの送信なんて出来ない。 何時ものように祭り当日に帰省して来ても、ネット申し込みが成されていない人は祭りに参加できない。 またネットでの集約は本部でまとめられるので、地区で行われる祭り参加者への接待等の把握をまた別に紙資料で行わなければならない。 これでは祭り当日に大きな波乱が起きてしまいそうな気がしてならない。 ☆短歌一日一首がここ数日、完全に滞っている。 夏バテで体がまいっているので、夜中に起きて短歌を考えることも儘ならなくなって来た。 6月29日(日) ☆晴れ。 全てがほぼ真夏の有様なので、鳴いていない筈の熊蝉たちの合唱が遠くで聞こえるような錯覚の妙な塩梅である。 ☆午前5時前に起床。 ここしばらく夜中に眠れないので、体調は芳しくない。 おそらく昨日の空港展の受付で、エアコンの冷えで午後から鼻水タラタラだったので、風邪気味になってしまっているのか。 ☆空港展最終日。 何時もより早めに空港へ行く。 そして相変わらず、午前中に搬出にやって来るのは県外の作家ばかりである。 34回開催してきて、どうして宮崎の作家たちは午前のうちから顔を出さないのだろう。 自分たちが主催の展覧会ではないか。 やはり私か奥村の片方が倒れたら、空港展の開催持続は無い。 ☆作品の売れ行きは思わしくない状況が続いていた。 昨年はコロナ明けで一気に購買意欲が高まって来た感じだったが、今年は米騒動の余波で逆に一気に財布の紐が硬くなった。 ところが搬出直前と搬出作業中に海外作家2点と国内作家1点が売れた。 これで計6点が売買成立したので、米騒動の中では上出来の結果となった。 ☆30年前に伊東マンショのモデルをしてくれた南九州大学の卒業生が、地元の姫路の造園屋さんたちと高千穂観光にやってきて、たまたま開催していた空港展 で私の作品を目にして、搭乗前に会いに来てくれた。 ☆午後2時から搬出作業。 今回は出品作家が多かったので、1点1点の梱包作業は大変だったが、もうみんな作業に馴れて来たので2時間ほどで梱包作業は終った。 国内作品はゆうパックで、海外作品はEMSで送るので、夕刻までに郵便局への引き渡しが終った。 今回は実力作家たちが多様な作品を出品してくれて、過去最高の内容の空港展となった。 おそらく、来年はもっと出品作家が増える。 ☆今日は肉の日なので、妻が都萬牛を買って来てくれていた。 ほっと一段落の美味しい夕食であった。 6月28日(土) ☆晴れ。 真夏の暑さ。 ☆午前3時半起床。 空港展関係のデスクワークと短歌の作業。 ☆空港展、14日目。 今日は一日空港展会場。 土曜日だが思った程の来場数はなかった。 ☆来場された方のメッセージを読むと、東京在住の作家の作品を観るためだけに、初めて東京から宮崎に来たと言う女性がおられた。 凄い影響力である。 ☆私は受付をしながら、久永草太歌集「命の部首」を読了。 やはり若い作家だけに私たちの世代からは絶対に出て来ない軽みの歌、意味の分からない歌も多いが、しかし着想点や発想力は流石と唸らされた。 6月27日(金) ☆晴れ。 朝からカンカン照りでほぼ真夏。 これは梅雨が明けた、と思ったら、やはり南九州は70年ぶりの6月の梅雨明けとなった。 こんな6月は初めてである。 蝉の鳴き声がしないだけで、完全に夏の情景である。 去年は何時までも夏の暑さが続いたが、今年はもう6月から真夏である。 ☆午前に、高鍋町美術館で開催中の宮崎アーティストファイル”フェスティバル”を妻と観に行く。 今回のアーティストファイルは、民族性や土着性を表現に取り入れるアーティストに注目した企画である。 何よりも青井・学芸員の透徹した視線で繋がれた各作家への解説文が素晴らしく、感動的である。 むしろ、作家と言うのは表現の方向性は時代の中や経験値の中で変化してゆくものだから、必ずしも作家本人が青井さんの解説する作家姿勢で居るのか、 まだ持続してゆく世界なのかはまったく分からない。 今回の作家の中では、最近県内公募展で注目されているが、私は個人的には懐疑的であった大隣美香さんの世界が、思っていたより魅力的だった。 若くして大きく評価されると、殆どの作家は何時しか方向を見失って自滅してゆく。 そうならないように、青井学芸員には大隣さんを見守って欲しい。 ☆午後はアンジェラスの森で、コア作業の続き。 今日は昨日開けた穴に隣接して縁切りの作業をしたが、今日は昨日開けた穴に水が溜まるので、コアのダイヤモンドに水が廻り、普段のように 途中で目詰まりすることなくすいすいとコア作業が進んだ。 コアドリルの給水圧縮ポンプのパッキンが駄目になってしまって、いまは柄杓で水を掛けながら作業しているが、やはりコアの内側から水を流さないと コアに負担がかかってしまうのだ。 ☆妻は帯状疱疹の予防接種の跡がまだ赤く腫れていて、手に力が這入らないと言う。 1週間くらいはそういう状態が続くらしい。 6月26日(木) ☆雲は多かったものの、雨にはならず。 非常に蒸し暑い一日。 ☆アンジェラスの森で作業。 今日からコアドリルで、中抜きの作業にかかる。 初めに30mmのコアドリルを使ってみたら、直ぐに先に進まなくなる。 コアを外して見ると、この中国産大理石は結晶が外れやすく、コアの中に大理石が詰まってしまう。 それで50mmのコアを使ってみたら、結果は同じで5mmくらい彫ったら、すぐにコアが詰まる。 その度にドリルからコアを外して、詰まった大理石を除去しなければならない。 20cmの深さの穴を開けるのに50回くらいはドリルからコアを外して、詰まった大理石を除去しなければならず、結局午前に2本、午後に2本の穴を開けたのみ。 ☆アンジェラスの森は、午前はブヨも蚊も出らず、午後に少し蚊が出たのみ。 ☆宮日短歌の3首をまとめて投稿。 ☆今日、空港展に足を運んでいただいた知人から、私の作品について面白いコメントを寄せていただいた。 ”ムーンダンスのイメージと違い、自律した固さ(うまく言えない)を感じました。” 今回の作品のオリジナルは、カナダ・セントジョンのシンポジウムで小作品の販売のために作った掌サイズの作品で、小作品展に置いて鯨ウオッチングから 帰ってきたら、もう売れてしまっていた。 したがってどんな人が買ってくれたのかも分からないが、とても大好きな作品だったので、いつか拡大作品にしたいと思ってコンペ応募用に作った作品である。 6月25日(水) ☆午前に激しい雷雨。 午後もアンジェラスの森は雨。 町はカンカン照り。 ☆短歌の一日一首が滞っているので、夜中3時半に起きる。 それに宮日文芸に応募してもう1週間が経つ。 一日一首も、宮日短歌毎週3首も相当に厳しいハードルである。 ☆午前はアンジェラスの森で、大理石にベニヤ型を当てて墨入れ。 粗落しにかかろうと思ったところで、急に雷鳴が轟きわたり、雨となった。 妻が帯状疱疹の予防接種出かけた後、洗濯ものを干してきたのであわてて作業を止めて自宅へ帰る。 ところが高鍋町内に入りかかったところで、蚊取り線香を点けたままだったのを思い出した。 どうせ雨で消えるが、最近は山火事が多発しているし万が一ということもあるので、帰宅して洗濯ものは妻が取り入れていたことを確認して、再びアンジェラスの森へ戻る。 途中から凄まじい雷鳴の集中豪雨となった。 こんな激しい雷雨は久しぶりである。 アンジェラスの森で蚊取り線香が完全に消えているのを確認して帰宅する。 ☆お昼を摂る前から猛烈に眠くなって来た。 お昼を摂って、直ぐに午睡に就く。 ☆午睡から覚めると、天気は上天気に恢復していた。 道具を積んでアンジェラスの森へ向かうが、山手は雨雲がかかっている。 案の定、アンジェラスの森に近づくにつれ雨となり、コアの機械が雨で濡れてしまうので作業を断念して帰宅する。 ところが高鍋町へ下り始めると、町場はカンカン照りのままだった。 ☆仕方なく2階書斎に上がって、短歌の作業をする。 「心の花」宮崎歌会の7月詠草集が届かない。 例会は来週だし、詠草集から一首を選ばなくてはならないので、ひょっとしてと思って会員の方に確認してみた。 ところが詠草集はとっくに1週間前に届いているということで、コピーを送ってもらった。 コピーを開くと、きちんと私の作品が掲載してあったので安心した。 何かの手違いで私に届かなかったようだ。 今朝は11月の「心の花」全国大会(宮崎で開催)の案内も届いたと言うが、こちらも私には届いていない。 ☆帯状疱疹の予防接種をした妻は、直後から腕、肩、背中に激しい激痛の副作用が生じて、痛み止めの”EVE”を服用したということ。 最近、妻の廻りで帯状疱疹にかかって何度も入院したりする人が多くなっていて、政府も帯状疱疹のワクチンに補助金を出すようになった。 私は7年前にエジプトから帰国した直後に帯状疱疹にかかったが、主治医に相談したら、過去にかかっている人も予防接種をした方が良いと言われた。 6月24日(火) ☆夜中から雨。 日中は時々雨にはなるが、青空も見えるほぼ曇天。 ☆午前にアンジェラスの森へ上がり、軽トラに積んだ石をリフトで降ろし、作業台に据える。 昨夜はエンジンのかからなかったリフトだが、トヨタフォークリフトが給油管を開くために設置してくれていた針金が昨夜は機能しなかったようで、今日はきちんと 針金を引っ張ってエンジンがかかった。 アンジェラスの森の作業中は雨は止んでくれていたが、凄く蒸し暑く、おまけにブヨがまとわりついて敵わなかった。 梱包を解くと、美しい中国産の大理石だった。 ☆ちょっとバテ気味なので、今日から作業中は午睡を摂ることにした。 4月の台湾では私が午睡を摂らずに昼食後から直ぐに作業をしていたので、みんなびっくりしていた。 亜熱帯の台湾では一年中、午睡を摂るのかもしれない。 ☆午睡の後、作業に必要な道具をホームセンターで調達して、その後は自宅工房でベニヤ型の成形作業をする。 ☆図書館から、妻が久永草太さんの話題の歌集「命の部首」と、上野誠「短歌を楽しむ基礎知識」を借りて来てくれた。 短歌教室に行くように勧めてくれたのも妻だし、彼女も短歌に興味がないではないようだ。 様々な賞を総なめにしている久永さんの「命の部首」は大評判で、書店でも在庫切れが続いていると言うことだし、無一文の私も買いたくても買えないでいたので、 妻の心づかいが嬉しい。 ☆イランの状況を案じていたが、今朝にマジッドからメッセンジャーで状況報告が届いた。 ”こんにちは。田中さんへ。 今のところは大丈夫ですが、状況は日に日に悪化しています。 この戦争の未来がどうなるのか、正直分かりませんが、ここだけでなく世界中で平和と自由を祝える日が早く来ることを心から願っています。” そして、空港展作品の返却についても、 ”田中様、メッセージをありがとうございます。 はい、私も作品の返却条件を検討中です。 今のところは、可能であれば、状況が安定するまで作品はそちらで保管していただく方が安全だと考えています。 状況は変化しつつあり、平穏な日々が訪れてくることを願っています。” ☆と、その直後に、ネットニュースでトランプがイスラエルとイランの停戦が実現したと言うびっくりニュース。 どうなるのだろうか。 実際のところ、イスラエルとアメリカのイラン攻撃は核施設、宗教指導者排除がメインで、テヘランの一般市民への攻撃は行われていないのかも知れない。 6月23日(月) ☆朝のうちはほぼ曇天。 午後から雨となったが、夕刻からは陽が射す。 ☆ホテルをチェックアウトして、そのまま高鍋へ帰る。 夜中じゅう、ホテルの部屋のエアコンがきつくて頻繁に目が醒めてしまった。 そのせいか、早く床に就いたのに、高鍋に帰って来ると眠くてたまらない。 昨日空港展の会場でもエアコンがきつくて鼻水ダラダラになってしまったので、風邪気味で体がだるいのかも知れない。 午前中はベッドに横になって寝る。 ☆夕刻にアンジェラスの森へ上がる。 今夜は、石が届くことになっていたので、リフトがきちんと動くかの確認がしたかった。 エンジンはかかったが、タイヤが動かない。 あれこれやっているうちに、なんとか前進・後進が出来るようになった。 ☆石は午後8時に届くということだったが、午後7時前にトラックの運転手から近くに来ていると言う連絡があり、あわてて再びアンジェラスの森へ上がる。 しかし、リフトのエンジンがかからない。 スイッチは這入るがエンジンが動かない。 幸い、トラックはユニック車だったので、ユニッククレーンで軽トラに石を載せてもらった。 石の重量は318kgで軽トラの制限重量350kgを下回っているので、今夜は軽トラに石を積んだまま帰宅する。 ☆空港ビルからの連絡で、ようやく作品が1点売買成立した。 残りの期日であと何点かは売れて欲しい。 6月22日(日) ☆午前はくもり。 お昼に激しい雨。 午後は再び青空が拡がる。 ☆今日は妻が猛勉強してきた色彩検定の試験日だったので、朝に宮崎駅前の試験会場まで送る。 その足で宮崎空港へ。 ☆空港展8日目。 今日から後半に這入る。 しかし今日もまったく作品の動きは無し。 そして受け付けに顔を出した宮崎の作家は私と奥村、それに今年初参加の橋口のみ。 ☆ついにアメリカがイランの核施設への攻撃を始めた。 それで午後に宮崎日日新聞報道部から、空港展に出品しているマジッドに絡めた記事を書きたいと連絡があった。 私も実際にテヘランに滞在したことのある身として、多くの日本人が知らないイランの姿を語りたいと思っていたので、直ぐに申し出を受諾した。 だが記者が取材に来るまでの間に、受付の奥村から深刻なクレームが這入った。 実は先日に文化部の記者の書いた記事を持参した人物から、突っ込みが這入ったのだと言うのである。 おそらくイランを悪の権化と考えている右翼系の人物から、何故イランの作家が空港展に参加して、なおかつ記事でイランへの戦争を非難する記事を書くのか、 記事の書き方を注意しろと厳しく言われたのだと言う。 私たちにはコロナ前の2019年30回記念展の時に、出品してくれた韓国のKim-Jihyunの作品が反韓のシンボル”モルゲッソヨ”として右翼たちに攻撃され、 空港ビル全体を巻き込む大騒動となり、作品を撤去せざるを得なかった苦い経験がある。 今回もすでに空港展に展示されているイランのマジッドへの攻撃が生じてきているうえに、さらに新聞記事でイランを支援する内容で記事を書かれると再び右翼の 攻撃目標となり、宮崎空港ビルへ多大なダメージを与え、同時に私たちの空港展も継続できなくなると忠告する。 まったく考えていないことだったので、記事が到着するまでの間、どういう対応をすべきか頭を抱え込んで仕舞った。 取材に来た記者との会話は、最初は私とマジッドの関係などについての質問で、普通に進めた。 だが途中から、”モルゲッソ”事件の話をし、すでにマジッドと空港展の関係について右翼からの動きが出ている話をすると、担当記者は考えても居なかった事態に 度肝を抜かれ、本社デスクと電話で打合せ乍らどうしたら良いか混乱してしまった。 いったんは空港展での関係は外して、私とマジッドの関係でまとめようと言う方向に向かったが、今の恐るべき個人攻撃のSNSの時代、 今度は私が個人攻撃される怖れが出て来る。 こればかりは何とも言えない。 現実に、高鍋駅前モニュメントの制作を始める前に、私を非難する怪文書が私に届き高鍋町内にも出回った経験がある。 今回は政治的な右翼の動きが絡んで来ると、私がネット上で大変な目に合わないとは断言できない。 実はここ数日、湯呑が割れている。 今朝も湯呑が割れていたことを思い出して、やはりこの取材記事は中止しましょう、と申し入れて納得してもらった。 空港展も終了し、マジッドの件も外した状態で、テヘランに滞在経験のある私のコメント(何名かのインタビューの一人としての扱い)ならば、再度取材に応じても 構わないだろう。 ☆空港展の後半に入り、海外作家の返送の段取りに這入っている。 宮崎へ送る途中で破損してしまった中国の張さんの作品は、返送せずに私の預かりということになった。 それで適切な場所で預かってもらえるように手配することにした。 イタリア在住の日本人作家の作品は、輸出手続きが実に面倒で、ここに至ってようやく手続きが終った段階だと言うので、思い切り、参加は来年に廻してもらうことにした。 そして来年に再度輸出の手続きをすると同じ事態になるので、今回はそのまま作品を送ってもらって、1年間預かることにした。 ☆午後に、色彩検定の試験を終えた妻が空港展会場へ顔を出してくれた。 私が最近ずっと2階書斎で短歌の作業をしていたのは、妻がリビングで真剣に色彩検定の勉強をしていたからである。 そして昨日の結婚記念日にゆっくりお酒も呑めなかったのも、妻の今日の試験のためだった。 ☆従って、今夜は心置きなくイタリアンレストランで結婚記念日のお祝いをする。 レストランは山田の甥が始めたレストランで、店内の壁がコンクリート打ちっぱなしなので、版画の展示などは出来ないかと山田から相談されていたので、その下見も 兼ねて予約していた。 山田からは結婚記念日のお祝いで、イタリアンワインをプレゼントしてもらった。 量的にたっぷりなメニューで、会食後はチェックインしていた近くのホテルにそのまま戻って、早々に床に就く。 6月21日(土) ☆晴れ。 真夏の暑さ。 ☆夜中3時前に起きる。 空港展の海外作家への対応のデスクワークをする。 ☆空港展7日目 朝一にmrt宮崎放送の取材。 お昼と夕刻のニュースで流れたようだが、午後にはもうネットニュースで映像が流れたので、フェイスブックにアップする。 昨日には読売新聞の取材もあったようだ。 ☆取材の後は、例のウェブサイトの作品データのチェックをする。 やはりかなりの作品で、校正ゲラと印刷パンフレットとのデータ違いがあった。 中には、会期直前に出品作品が変更になったものも数点あって、印刷パンフレットも作品変更前のデータだったので、寸法を取り直す。 ☆今日は土曜日なので空港展への来場者は多かったが、空港駐車場が朝から満杯で、私の友人たちから駐車できずに帰ったと言う連絡が入り、申し訳なかった。 近年の諸物価の値上がりで、空港周辺の民間駐車場が全て値上がりしてしまい、その結果、空港利用者が便利な空港駐車場に車を入れるようになった。 また空港周辺の土地は地権者が複雑に入り組んでいて買収もままならない上に、空港周辺は海沿いの土地を埋め立てたもので、土地が軟弱で駐車場に整備するには なかなか難しいと言う事情があると言う。 ☆土、日には宮崎の作家たちは空港へ顔を出してほしいと思って作家たちにも伝えてあったが、やはり今年も土曜日に空港展会場に出て来たのは私と奥村だけだった。 34年間、毎回そう呼びかけてきたにもかかわらず、今年も何も変わらなかった。 やはり私と奥村のどちらかが動けなくなったら、この空港展は開催不可能だ。 ☆空港展は今日で前半を終了したが、昨年とは打って変わって作品売買の気配が全く無い。 この現象は売店でも同様で、空港ビル利用者の増加に比例した売店の売り上げになっていないと言うことである。 特に宮崎牛の売店は全く売れないと言う。 これでは彫刻が売れるはずがない。 ☆今日は38回目の結婚記念日。 外食は明日にすることにして、今夜は簡単にお祝いをする。 6月20日(金) ☆晴れ。 今日は風が無く、非常に蒸し暑い一日。 2階の書斎も風が通らず、蒸し暑い。 ☆今朝の宮崎日日新聞文化欄に、先日取材の空港展記事が掲載。 記事の片隅には、ユーチューブ動画のQRコードがついていて、会場の様子が動画で観れる。 ☆一日、2階書斎でデスクワーク。 短歌の本を読む。 ☆蒸し暑い中で本を読んでいると眠くなるので、午後に庭の伸びて来た草を草刈り機で刈る。 ☆午後半ばからは、空港展関係のデスクワーク。 空港展は開催6日目だが、今のところ作品の動きの様子は無い。 バブル期のように売買が成立した昨年とは打って変わった状況だ。 やはり今年に入ってのあらゆる物価の値上げラッシュが影響しているのだろうか。 6月19日(木) ☆晴れ。 来週の天気予報は晴れマークが続いてきた。 もう梅雨が明けるのではないのか。 ☆午前は中国・恵安の作業契約書を作成。 文書はPDFなので、ワードに変換して必要データを打ち込んで、再度PDFに変換して送る。 直ぐに担当者からデータ受信の返信が返って来た。 作品の販売価格は、恵安のサイズで作品を作ったことが無いのでよくわからないし、中国の彫刻価格の相場も分からない。 とりあえず、幾らかは私への利益が出るように価格設定した。 4月末に経理の担当者が事業の清算を始めると言うことだったが、全ての作家の制作実費の計算と、利益配分の協議等で今日まで時間がかかってしまったのだろう。 これでうまく行って欲しいが、全ての作家の契約書が揃わないと支払いは出来ないだろうから、報酬の支払いまではしばらくは時間がかかるだろう。 ☆午後に、宮日歌壇の投稿歌を3首選んで投稿する。 そして滞っている一日一首を考える。 今の私は何も訴える感性がないので、何を詠ったらいいのかさっぱり分からない。 したがってふいに思いついた言葉やフレーズを基に短歌を詠んでみる。 だがこれは、私が彫刻のプランを考える時と全く同じである。 6月18日(水) ☆午前は曇天。 午後からは雲が切れて晴れる。 蒸し暑い一日。 ☆一日、自宅の2階書斎でデスクワーク。 一日一首の短歌が滞っているので、短歌を考える。 しかし何を詠んでいいやらさっぱり手がかりが掴めない。 短歌関係の本を読むと、とても記載されているような深い精神性の歌など詠めない。 イラン関連の歌を数首作ってみる。 ☆そのイランの空港展参加作家・マジッドの状況について、海外作家担当の山田が問いあわせていたメールの返事がようやく届いた。 ネットが使えなくなることはあるが、仲間たちからの励ましのメールに支えられて無事でいる、ということである。 しかしイランがアメリカ基地への報復攻撃を明言したし、アメリカのトランプもイラン攻撃を認めた。 2011年に私がテヘランのシンポジウムに参加した時、マジッドは大学生チームの作家として私のとなりで制作していた。 そして高地のテヘランは12月は雪が降って、私たちは雪合戦を楽しんだ。 そのテヘランに、今は雪の弾丸では無くミサイルの弾丸が打ち込まれている。 ☆空港展のウェブサイトをアップしたら、作品データが去年のままだと言う作家からの連絡が届いた。 私は、出来るだけ早期にウェブサイトを更新して欲しいという事務局の依頼で、作家の顔写真と作品データは事前に打ち込んでいた。 作品データはパンフレットの校正ゲラを基に打ち込んだが、今年の校正ゲラは間違いが凄く多くて、私の校正担当部分の間違いは修正した。 しかし私が校正を担当しなかった部分の間違いについては、搬入当日に上がって来たパンフレットと照らし合わせなければ分からない。 空港展が始まってからは、会場作品や会場風景の編集が精一杯で、とても校正ゲラと印刷パンフレットの作品データの照合の時間など無かった。 おそらく、色々な展覧会に参加して、私たちの空港展のように全作品データ等を迅速にアップしてくれる展覧会なんて無い。 展覧会の主催者でありながら、こんな面倒なことをやっているのは世界中でも私くらいだろうと思う。 たといそういう展覧会があったとしても、こういう作業は専門のデザイナーが担当していると思う。 作家の皆さんが私のウェブサイトをとても喜んでいただくので、それで延々と続けている。 残念ながら、宮崎在住の作家たちにウェブサイトを作成できる若い作家がいないのである。 だが表記ミスのクレームは私に届く。 ☆ようやく中国・恵安から返事が届いた。 振込の案内か、と思ったが制作契約書であった。 契約書の内容を読んで、どうしてこれまで報酬の支払いが出来なかったのかが合点がいった。 今回のシンポジウムの作品は販売されるということは周知されていた。 しかしシンポジウム中のディスカッションで、この作品の販売の利益を業者が得るのか、作家が得るのかで議論があった。 結局、今日までこの販売利益配分についての協議が纏まらなかったのだ。 契約書には、シンポジウムの作品制作に要した制作実費(制作費、旅費、滞在費、石材費、職人人件費等)から判断して、作家が作品の販売価格を提示し、 作品が売れた場合は、販売価格から上記の制作実費を差し引いた額を実行委員会と作家とで50%ずつ受け取る、という内容が記載されてあった。 そしてこの契約書の契約日から15日以内に報酬は支払われる、と明記されてあった。 これで報酬支払いの時期が明確になった。 私が作品の販売価格を提示してから、中国側でその価格の適正について協議判断する、ということなので、契約書締結の日付はまだ先になると思うが、 契約書に締結日付が記載されれば、その日から15日以内には報酬が支払われる。 ☆夜の9時15分にユラリと震度2の地震。 最近は妻の方が直ぐに地震に気付く。 6月17日(火) ☆晴れ。 今日も猛暑の一日。 まるでマレーシアの暑さ。 ☆空港展3日目。 午前に宮崎日日新聞文化部の取材。 最近は動画も撮って流すようだ。 新聞掲載は20日の予定。 ☆取材では時事的にタイムリーなイランのマジッドのことを取り上げてもらった。 彼の現在の状況を問われたので、マジッドのフェイスブックを開いてみたら、空港展のDM画像をアップしたところで止まっている。 現在はテヘラン市内への攻撃も始まってしまったので、ネットどころでは無いだろう。 それにしても楽しかったテヘランでの日々が思い返されて、心が痛む。 ウクライナのコチュマルの場合も、共に楽しく過ごした彼らの生活が命を懸けた戦禍の只中に置かれてしまうなんて、なんともやりきれない。 ☆私は空港展のウエブサイトの編集を進めたが、空港展の会場に居ると知人たちがやって来て、その対応で作業に集中できない。 それで新聞取材も終ったので、午後は帰宅した。 帰宅して2階書斎に籠って作業を進める。 今日はとても蒸し暑かったが、窓を開けて風通しを良くして作業する。 夕刻までにはなんとか全ての作品データと会場写真の更新作業を終える。 事務局の田村と海外作家対応の山田に、URLを送る。 フェイスブックにもURLをアップする。 ☆10月に開催が延期されたエジプトシンポジウムの招待作家の作品プランの選考風景が届いた。 各作家は制作プランを3点提出しなければならなかった。 その画面で、私の作品はまだ拡大制作をしていない”MOON DROP”のプリント画像がテーブルの上に置かれてあった。 そしてほどなく、オルガナイザーからその”MOON DROPS”が選ばれた制作プランだという連絡が届いた。 6月16日(月) ☆晴れ。 宮崎県内は一気に気温が上がり、日向市は35,7℃、宮崎空港は34,9℃の猛暑日となった。 ☆空港展2日目。 穏やかな気配の一日。 ☆県外の作家の皆さんたちは、多くが今日まで高千穂観光や日南海岸観光でたっぷり宮崎を楽しまれて帰途に就かれた。 特に今回は昨年に引き続き東京藝術大学大学院卒業の方たちが多く参加された。 宮崎に来られるのは初めての方たちばかりで、宮崎への思い入れも何も無かったが、空港展のレベルの高さ、高千穂や日南海岸の素晴らしさに度肝を抜かれ、 大きな衝撃と感激を受けて宮崎を後にされた。 来年も必ず来ます、と皆さんは約束されていた。 また常連の参加作家の皆さんも、今年の空港展のレベルの高さに驚かれ、この展覧会に参加できることの幸せを口々に表明されていた。 ☆私は一日、空港展ウエブサイトの編集作業。 今日は上天気で会場が明るかったので、作品写真を撮り直した。 ☆今日の宮日文芸短歌部門で、伊藤先生選のトップ作品は、先日も選ばれていた高校同窓の女性だった。 伊藤先生に確認したところ、先日の選で彼女を選ばれていたことをまったく気付いておられなかった。 作者名は伏せての作品選考なのだろうか。 ここ数日の超多忙で、私は一日一首が滞ってしまっている。 6月15日(日) ☆朝のうちは晴れ。 日中は雨。 午後後半から晴れ。 とても蒸し暑い一日。 ☆ひどい宿酔いで8時前に目が醒めた。 朝食を摂って、9時にホテルをチェックアウトして、自宅に作品を取りに帰る。 ☆帰宅すると、長男から父の日の贈り物が届いていて、なんと”五百年蔵”と言う薩摩焼酎の甕酒であった。 ☆宮崎空港にはお昼前の11時に着いて、私の作品をようやく展示する。 県外の作家たちはレンタカーで高千穂に向かったり、JRの”海幸山幸”に乗って日南方面に行かれたりと、それぞれに宮崎の旅を満喫されていた。 ☆今年から、受付を外部の方たちにお願いした。 宮崎市のアートセンターでアルバイトをされている方たちで、アートの展示会には場慣れされている方たちである。 私は二日酔いのまま、ウェブサイト編集のために作品写真を撮って編集する。 今日は日曜日なので、お客さんがとても多かった。 海外作家には、担当の山田から作品展示の写真と会場風景の写真を送ってもらった。 ☆夕食は、長男から届いた甕酒を呑む。 私はまだ胸が灼けていて、あまり進まず。 6月14日(土) ☆朝のうち小雨。 日中はくもり。 蒸し暑い一日。 ☆午前8時45分から、mrtラジオ”バリ朝”のイベント紹介コーナーで、明日から始まる空港展の案内を生放送でお話しする。 こんなことがあったためか、後述するとんでもない失態をやってしまった。 ☆空港展搬入日。 ラジオ放送を終えて、9時に自宅を出て、宮崎銀行高鍋支店駐車場で、高鍋町のアートによるまちづくりの地域おこし協力隊員のさいとうさんに同乗してもらって 宮崎空港へ向かう。 高鍋町の地域おこし協力隊員のお二人には来年から空港展に参加していただくようにお話ししてある。 今回はすでに高鍋町に移住しているさいとうさんに、搬入の時からお手伝いをお願いして、懇親会にも出席していただく。 ☆ところが、空港に到着する寸前に、肝心の私の作品を軽トラに積み忘れて来たことに気が付いた。 朝のうちは小雨が降っていたので、本降りになる前に軽トラの荷台の道具箱の中にパソコン類と着替え類を収納しておいた。 作品は雨が降っても好いように、プラスチックのケースに梱包してあったので、出かける前に積み込む予定であった。 ラジオ出演でそのことをすっかり忘れてしまっていたのだ。 懇親会に参加する妻に持って来てもらってもよいが、妻には重すぎるので、明日の朝に取りに帰ることにした。 ☆午前10時から空港展の搬入作業。 届いた作品を開梱していくと、セラミックの作品が3点、壊れたりヒビが入ったりしていた。 中国の張さんの作品を含めると、セラミックの作品が4点も壊れて届いたことになり、こんなことはこれまでになかった。 しかしいずれも補修して、展示できることになった。 ☆最近は展示作業が実にスムーズで、午後の1時過ぎには殆どの展示作業が終了した。 今回は新規参加作家が多く、とてもレベルの高い展示となった。 出品作家同士が驚くほどの高レベルの空港展となった。 ☆県外からの搬入作家たちには3時過ぎにはホテルへ這入ってもらって、ゆっくり休んでもらう。 直接持参する作家たちの作品も揃って、午後4過ぎには私もホテルに這入る。 妻とはホテルの駐車場で合流する。 ☆午後6時から、お楽しみの大懇親会。 出品作家30名(国内作家26名、韓国作家3名、アメリカ作家1名)、宮崎空港ビル担当者2名、関係者5名の計37名の参加であった。 兎に角、底抜けに楽しい酒宴である。 ☆ところがここでも大失態が待ち受けていた。 韓国の李さんが、今年も最上級の53℃のお酒を持って来てくれて、各テーブルの上に1本づつ並べられた。 私たちは昨年の懇親会でそのお酒の旨さを知っているので、先ずは割らずにそのまま呑み始めた。 強いがとても呑み易いお酒で、私はぐびぐび呑み進めてしまった。 そして最後の集合写真を撮ったあたりから足元がふらついていた記憶と、店を出てふらついて道路上に倒れたところまでで記憶は途切れてしまった。 参加予約していた2次会へは行けず、そのままホテルの部屋で昏睡してしまった。 6月13日(金) ☆午前は雲が切れて、暑い陽射しの晴れ。 午後からは雲が出て、2階書斎に這入って来る風は次第に肌寒くなる。 夜には再び雨となった。 ☆朝一のニュースで、やはりイスラエルのイラン攻撃が始まった。 これで確実にイランによるバグダッド攻撃が展開されるだろう。 そしてイランからイスラエルへの反撃も始まり、テヘランの国際空港は飛行機の離着陸が禁止された、 実は今回の私たちの空港展には、イランの若手で最も力のあるマジッドが参加している。 テヘラン空港が閉鎖されたら、マジッドの作品は送り返されなくなる。 中東情勢が厳しくなって来た。 ☆一日、2階書斎で短歌の本を読む。 嶋岡晨「現代の秀歌」で気になった歌人を、「現代歌人250人」(1983年刊行 牧羊社)でさらに読み調べる。 ☆午後に妻と”せいごろう亭”へ出かけて、飯尾彪氏の個展を観る。 飯尾氏は私たちの宮崎市画廊喫茶”シベール”での二人展に来ていただいて、この春の”せいごろう亭”での浅田君の個展にも来ていただいた。 妻と飯尾氏の娘さんが職場の同僚だったことは分かったのだが、飯尾氏本人は宮崎市在住なので”せいごろう亭”との縁が分からなかった。 そうしたら飯尾氏は木城中学校に勤務しておられたことがあって、木城中学校には石井記念友愛社の子供たちが通学しているので、それで児嶋理事長とも 親交があり、児嶋理事長の依頼で個展を開催しているということであった。 ☆空港展は明日が搬入だが、今回の新規参加の韓国作家2人がすでに宮崎入りとなった。 海外作家担当の山田が宮崎空港で彼らを迎え、夕刻から青島の観光に案内したということ。 ☆夜中にエジプトから新しいシンポジウム日程の招待状が届いた。 会期は10月4日から10月29日まで。 ハルガダのシンポジウム同様、ホテルは相部屋である。 ハルガダの同室作家は友人のジョルジーだったが、ジェット機のような鼾が凄くて大変だった。 報酬の中から旅費を支払わなければならないので、あまり利益は無い。 オルガナイザーは引続き11月にカイロのシンポジウムに招待されると書いているが、そうなれば旅費は1回分で済むので助かる。 そのカイロの日程についてはまだ詳細はない。 6月12日(木) ☆午前は雨。 午後からは一気に雨が上がって、陽射しが出る。 夕刻からは雷雨となる。 ☆午前にアンジェラスの森に上がって、トヨタフォークリフトの担当者に動かなくなったリフトを点検してもらった。 アンジェラスの森に着いた時までは雨があがって晴れ間が出ていたのだが、担当者が着く前から再び雨になってしまった。 点検の結果、どうやらバッテリーに問題があるようだと、担当者はすぐにバッテリーの会社に電話を入れ、新しいバッテリーを持って来てもらった。 そしてバッテリーを交換したらエンジンがかかった。 リフトを動かしてみると、他には何處にも異常はなかった。 これで石が届いても降ろせるし、作業も楽になった。 だが私のリフトは大きいし、バッテリーも大きなものが2個なので、バッテリー価格は馬鹿にならない額である。 しかし、今の不況世の中、どこも経理が厳しいのだと言う。 これから制作するモニュメントが完成して、入金があっての支払いまでは待てないという。 どうしよう、そんなお金なんてビタ一文無い。 頭を抱えて意気消沈して森を出る。 ☆そこへ帰宅してネットニュースを見ていたら、こんなニュースが飛び込んできた。 ”イラク・バグダッドの米大使館の職員と家族らが、安全面でのリスクの高まりから、一部を除いて退避する予定となっていると、政府関係者らが11日、明らかにした。” どうやら昨年暮れから危ぶまれていたことだが、イランの核開発を巡ってイスラエルがイランへの作戦を開始する用意があると米政府職員らは知らされたらしく、 そうなるとイランがイラクにある米軍施設に報復攻撃する可能性があるとの見方を示したということである。 これは現実問題として、バグダッドは相当危険な状況になって来たのではないのだろうか。 9月のシンポジウム開催なんて不可能なのではないのか。 ☆夜になって、エジプトからあらたな情報が届いた。 どうやらシンポジウムは10月延期が確定のようだ。 理由は、8月は暑いこともあるが、何よりも現在建設中の巨大なエジプト博物館の開館準備で政府関係者が忙殺されていて、シンポジウム開催に手が回らないのだという。 そして、エル・アラメインの直後にカイロでのシンポジウムが予定されており、作家は両方のシンポジウムに招待されると言う。 それはそれで大変ありがたいことだが、そうなると収入はもう年末である。 ☆午後は2階書斎で短歌の本を読む。 昔の人たちの短歌を読んでいると、”さみしい”とか”かなしい”という言葉がとても多い。 貧しく苦しかった時代の人にとって、短歌はそうした思いを投げ捨てる表現の場であったのだろう。 今の私も少し前までは”さみしい”という感覚はあったが、いまは経済的極貧はあっても、さみしいと思うことは無い。 今日の一首を詠んでいたら、これまで詠んだ中から3首くらい選べそうなので、試しに宮日文芸欄に投稿してみることにした。 「心の花」宮崎歌会の会員の方の話では、今は宮崎は大変な短歌ブームで、この宮日文芸欄への応募は毎週千首近い歌が集まるのだという。 6月11日(水) ☆夜中に何度も遠雷。 日中の雨は小康状態。 午後からは室内はヒンヤリとしてくる。 ☆一日、2階書斎で短歌関係の本を読む。 読んでいた生方たつゑ「短歌への出発」は終盤が何が何やら分からなくなって来た。 次いで本棚から嶋岡晨「現代の秀歌」を引き出して読む。 この本も昭和57年出版だから「短歌への出発」と同じころに購入した本である。 結婚してからは新婚生活や育児、介護等の怒涛の日々で、短歌関係の本に目を通すことも購入することも殆ど出来なかった。 開いてみると、この「現代の秀歌」にも気に入った短歌には印が付けてあるので、全ページに目を通したようである。 ☆読んでみると、明治39年生まれの真鍋美恵子さん、昭和5年生まれの新井貞子さんらの鮮烈な官能性の歌にびっくりさせられる。 しかもお二人とも「心の花」会員である。 「心の花」という結社はどういう傾向があるのだろう。 藤井常世さんの”草のたてがみ”の歌もやはり大好きだ、すらすらと記憶していた歌が現れて来る。 ☆結局、一日一首は、昨日の分は何んとか詠めたが、今日の分はさっぱり何も浮ばず。 6月10日(火) ☆雨。 ☆昨夜(今朝)も夜中に目が醒めて、それから深い眠りに入れず悶々と浅い眠りのまま。 気持ちは眠いのだが、体が寝てくれない辛さ。 ☆そんな浅い眠りのなか、ふと目が醒めたときにこんなフレーズが頭の中を走った。 ”親族一同にとある銀行に口座を作らせて、銀行を乗っ取った” 私はそんな発想の出来る人間ではないし、そんなフレーズをテレビや本の中で見たことも無い。 明らかに私とは全く別の人格が私の中にいる。 いわゆる併行世界=パラレルワールドである。 ☆朝にゴミ出しに外に出ると、ムワーッとしたものすごい蒸し暑さ。 家の中はとても涼しい。 ☆午前に木版画の刷りを済ませ、保育園のモニュメントのベニヤ型を作る。 ☆午後は短歌の本を読む。 ☆夕刻4時から高鍋町美術館へ。 アーティストによる地域おこし隊員のもう一人の隊員が、住居の契約に訪れて来たので簡単な打合せをする。 これまでに何度かメールでの遣り取りをしているので、話が弾んでしまった。 着任は今月26日になると言うことで、空港展の会場にも顔を出してくれる。 6月9日(月) ☆雨。 ☆昨夜も夜中に目が醒めて、悶々として眠れなくなった。 エジプトの件や、短歌のことで眠れない。 4時に起きてリビングでデスクワークをする。 ☆すると、佐賀大学の後輩からメッセンジャーが届いた。 彼も朝4時にはすでに起きていると言うことなのか。 その大学後輩のメッセンジャー内容はこういうものだった。 ”オンライン インフルエンサー プログラムのアンバサダーに立候補しているのですが、投票していただけますか?” よく意味が分からないが、どうするのかと返事を返したら、”携帯番号を送ってもらえたら、認証コードを送ります”という返事が届いた。 えっ、こういう内容は殆どが詐欺である。 それでネットで調べてみると、全く同じ文章で友人から届いた内容に携帯番号を送ったら乗っとられた、という報告例が山ほどあった。 後輩も乗っ取られているのだろう。 ☆午前に、先月23日から今日までに書き留めた約20首の短歌の中から詠草一首を選んで、「心の花」宮崎歌会の担当者へ送る。 会員の方に伺うと、毎月50首は作られるのだそうだ。 今の私には一日一首でさえ大変な重圧である。 ☆午後にN内科医院へ血圧の定期健診へ。 どこも異常なし。 ☆先日に途中まで刷りかけていた木版画を刷る。 ☆今日届いた年金の支払い明細を見て驚いた。 後期高齢者医療保険料が今年の4月の保険料よりも2万円も上がっている。 無収入なのに一体どういうことなのだろう。 年金からこんなに差し引かれたのでは生きてゆけない。 6月8日(日) ☆夜中から雨。 九州北部と四国も梅雨に入り、本格的な梅雨入りとなって強く降る。 水冷で気温は上がらず。 ☆先週末から夜中に目が醒めてしまって、眠れない。 今朝も夜中の2時過ぎあたりに目が醒めてからに眠りに就けず、あちこち寝相を替えてみたりするが眠れない。 そして朝方になって疲れて寝入ってしまうので、起きてからが眠くてたまらない。 歳を取ると夜中に目が醒めてしまってから全く眠れないという話を良く聞くが、私はトイレに起きても直ぐに眠りに就くので他人事だと思っていた。 しかしこんなに1週間以上も夜中に目が醒めて眠れなくなるのは初めてである。 ☆妹から頼まれている銘板のデザインを午前に手直しする。 昨日よりは見易くなったので、とりあえず今日の段階のデザインを送って、納骨堂の担当者と打合せてもらうことにした。 ☆空港展のウエブサイトの「宮崎の現代彫刻展」をなんとか更新できないかと、あれこれやってみた。 やっているうちにFTPの設定エラーが出始めて、どうやら打ち込み直しなどしていない設定がこの1年間の間におかしくなったのかも知れない。 そう確信して何度もアカウント名やパスワードを打ち直しているうちに、ふいに転送できるようになった。 これで空港展のウエブサイトの更新ができる。 ☆空港展開催が一週間後に迫ったので、フェイスブックでアップし、ラインで告知する。 ☆今日は高鍋高校同窓会の東京支部の総会が開催されているようだ。 出席している下の妹から出席者名簿のスマホ画像が送られてきたが、見ると私たちの学年が一番多く出席していて、懐かしい同窓生の名前が並んでいる。 事務局長が同窓の小川君なので、みんに声をかけたのだろう。 妹を通して、同窓のみんなからよろしくの伝言が届いた。 ☆またもとんでもない事態になった。 エジプトからの正式な招待状が6日に届くので、それまではチケットを買わないでというオルガナイザーからの指示だったが、一向に招待状が届かない。 それで招待作家たちから、チケットの手配が出来ないので早く招待状を送ってくれという苦情が上がり始めた。 そこへ、夜になってオルガナイザーからとんでもない情報が這入って来た。 なんと会期の変更を検討していて、1案は10月4日から、2案は8月20日からで検討委中で、来週の金曜日までに正式決定されるというのである。 これで一気に収入が遠のいてしまった。 しかももしバクダッドが復活して9月開催で決定した場合、8月20日開始になるとバグダッドへ行けなくなる。 今回のエジプトへの招待作家の中には、私同様にバグダッドへの招待作家もかなり居る。 みんな慌てふためいているだろう。 また10月になると、10月は版画二人展開催を予定しているし、他にも予定があり、何と言っても収入がとんでもなく先送りされてしまい、絶望的な気持ちに なってしまう。 どうして今年はこんなことばかりが続くのだろう。 妻は”枇杷の木のせいだ、もっと早く撤去すべきだった!”と言う。 まさに、そんな気になってしまう。 6月7日(土) ☆晴れ。 午後からは雲が出てきたが、また恢復して晴れとなる。 ☆先日に今年のKAJIMA彫刻コンクールの案内が届いたので、応募登録していた。 今朝は拡大寸法を割り出して、作品情報登録フォームを送ろうとしたが、何度やっても作品タイトルの項目が”最大128文字以内で入力してください”とエラー表示が出て、 送れない。 私の作品タイトルは英文字で17文字なので完全にクリアしているのだが、送れない。 ☆妹から頼まれた納骨堂の銘板デザインは4案送っていたので、その中から1案を選んでもらって、午後に修正作業をする。 なかなかに手間取って、ようやく夕刻に修正案を送る。 ところが銘板には家紋も入れるし、”MOON DANCE”のタイトルも入れて欲しいという。 要望通りに構成をやり直す。 銘板は黒御影石で、そこにサンドブラストで彫っていくので、どこまでの表現が可能なのか納骨堂の担当者に確認してもらわねば最終稿まで行けない。 ☆「心の花」宮崎歌会の草詠一首の提出期限まであと1週間なので、そろそろ候補作を2点ほど選ぶ。 今の私には一月に一首の短歌を作るのが限界だ。 ☆空港展のウエブサイトが転送できない件は、昨年もそうだったのでこの日記を調べてみたら、パソコンを再起動したりネット環境をリセットして復活したとある。 ネット環境のリセットなんて、何をどうやったのだろう。 6月6日(金) ☆晴れ。 今日は室内でも蒸し暑く、体感的には今年一番の暑さ。 ☆午前にアンジェラスの森へ上がって、作業場に溜まっていた落ち葉を片付ける。 そしてガソリンスタンドで軽油を買って来てリフトへ補給してスイッチを入れてみた。 しかし矢張りバッテリーの灯りは点くが、エンジンはかからない。 ☆天気予報が日曜日からずっと雨で、明日から天候は崩れはじめるようだ。 空港展の搬入日は完全に雨の予報。 それで朝一に中国の張さんの作品の破損修復部の彩色を少しやり直して梱包し、午後に宮崎空港へ届ける。 作品が大きいので軽トラの荷台にしか積むことができず、雨だと運べない。 今日のうちに運べて助かった。 もう1点の韓国作家の破損作品は、発砲スチロール部分への接着なので、軽トラのバウンドでまた外れるので、接合は展示作業のときにやろうと思う。 張さんの作品と一緒に空港へ運ぶ。 ☆空港展のウェブサイトである”宮崎の現代彫刻展”の転送が全くできない。 エラー番号は出るのだが、その解決法をネットで検索しても、まったくどうすれば良いのかわからない。 それでサーバーへ問い合わせのメールを送る。 会期までに解決しておかないと、事前に打ち込みを済ませた意味がなくなる。 ☆もう間もなく「心の花」宮崎歌会の草詠一首提出期限がやってくる。 しかしまったく歌が出来ない。 夕刻からずっとひねってみるが纏まらない。 まるで小学生以下のレベルだ。 6月5日(木) ☆晴れ。 外に出ると暑いが、我が家のリビングは寒いほどにヒンヤリしている。 しかしどうも鼻水が止まらず、昨日から頭痛がする。 気温の変化が激しいので、みんな体調を崩している。 気象病というのだそうだ。 ☆上の妹が、嫁ぎ先のお墓を納骨堂に納めることになり、納骨用の厨子に銘板を取りつけるので、その銘板の模様に”MOON DANCE”を使いたいという。 それで今日は一日、銘板のレイアウト作業をやっていた。 しかし私の”MOON DANCE”は平面作品にするとうまく納まらない。 一度は木版画で”MOON DANCE”シリーズを制作しようと思っていたのだが、どうにも納まらずに断念したことがある。 ☆今日届いた”広報たかなべ”の表紙は”高鍋駅舎落成”の写真で、デザイン担当のストロールデザイン・古川君の写真は駅舎と”MOON DANCE”をとても 効果的に組み合わせた素敵な構図になっている。 ☆空港展のウエブサイトのサーバーが近年、とてもアップしづらくなっている。 それで今のうちにトップページの更新作業をやっておこうと思ったが、やはり何度やってもデータが転送できない。 6月4日(水) ☆晴れ。 室内はヒンヤリ肌寒いが、外に出ると車のエアコンが必要な暑さ。 県内各地は真夏日だったようだ。 ☆一日、空港展のウェブサイトの打ち込み作業。 パンフレットの校正ゲラを見ながら、作品画像以外の打ち込みを夕刻までに終える。 これで空港展が始まってから、会場の作品写真を入れ込めば直ぐにウエブサイトの公開が出来る。 ☆保育園のモニュメントの石が空港展開始と同時に届く。 私はこちらの制作にかからなければならないので、こうしたデスクワークは今のうちに片付けておきたい。 それで午後にトヨタフォークリフトに出かけて、リフトの修理をお願いしようと思ったが、担当者が留守だった。 留守用の連絡携帯に電話して、来週に見てもらえることになった。 ☆エジプトからの連絡で、当初はシンポジウム制作が終ってからのピラミッドやスフィンクスの観光予定だったが、まず皆がカイロ空港に集合してから観光し、 それから制作場所のアラメインに移動するということ。 スケジュールが確定するまではチケットは買わないように、ということ。 チケットは各自で事前に購入して現地で払い戻されるのだが、そんなチケット代なんてどこにある・・・。 6月3日(火) ☆朝のうちまで雨。 雨は午前の前半の裡に上がって、一気に晴れる。 ☆一日、空港展パンフレットの校正作業。 ゲラ刷りの文字が小さいので虫眼鏡を使って、実に根気のいる作業だった。 何んとか私の担当分を夕刻までに完了。 昨年に校正した経歴がまた元に戻ってしまっていたり、作品データがまったく白紙の作家があったり、昨年のデータのままであったり、いつもよりミスが多い気がした。 ☆短歌を毎日一首詠んでいくのはかなりの努力が必要だ。 とにかく、根気よく頑張っていこう。 なにごとも始めていかなければ展開はない。 版画もやってみてから、次第に私なりの世界が展開できている。 ☆「不幸をもたらす枇杷の木」は、まさかの冗談みたいな展開となるか。 今日は妻と二人で”ウッソー!まるで漫画の世界じゃないか!”と叫んでしまう出来事が立て続けに起きた。 6月2日(月) ☆雨。 午後からは激しく降る。 今日も梅雨冷え。 ☆今朝は5時過ぎに起きてシャワーを浴びる。 昨夜は結構な量の酒を呑んだが、それでぐっすり眠れたせいか、起き抜けには全く宿酔の重さは無く、とてもすっきりとした目覚めだった。 彫刻家は酒飲みばかりだが、歌人も酒飲みばかりである。 ☆朝食の後、ホテルを出ると雨が降って来た。 昨夜の宮崎駅裏の居酒屋まで歩いて、居酒屋の駐車場に留めておいた軽トラで高鍋へ帰る。 ☆帰宅すると、妻が何やら不愉快な表情でパソコンに向かっている。 何かあったのかと尋ねると、”すごく厭な話だ!”と怒っている。 というのは今回の絵画教室の四国・倉敷旅行で、一昨日の四国を廻った旅路で、道中に枇杷の木がとても目についたと言う。 今年は枇杷の成り年のようだ。 それで我が家にも数年前に知人から分けてもらった枇杷の苗木を植えてあるので、その話を妻がバスの中でしたところ、枇杷の木は民家の庭に植えるものでは無く、 枇杷を植えた家には不幸が訪れるとみんなに言われたのだという。 それで枇杷の苗木を分けてくれた知人に問いあわせたところ、枇杷の木を植えたら不幸になると聞いて、とっくに自分の庭に植えた枇杷は切って捨てたのだという。 実は我が家の枇杷の苗木はその知人に強制的に狭い庭に植えさせられたものである。 我が家に不幸の象徴の枇杷の苗木を植えさせておきながら、当の本人はとっくに自分の庭の枇杷は捨て去ってしまっておいて、そのことを我が家に何も言わなかった。 妻はあまりにも釈然としない怒りを抱えてしまった。 そして妻は、そんな不幸の象徴の枇杷を我が家に植えさせたから、私の仕事のキャンセルが続いて無収入のどん底生活に陥っているのだと思い当たった。 ”ねえ、見て!見て!”と妻が開いたパソコンの画面を見ると、枇杷を民家の庭に植えるべきではないというネット情報が溢れている。 ☆確かに我が家の庭に枇杷の苗木を植えてから、私は殆どの仕事が途中で消えてしまった。 長崎のホテルのモニュメント計画、宮崎市の某歴史的人物の胸像計画は途中で消えてしまい、その消失事業費は1,000万円を越す。 さらに中国・恵安の報酬未払い、バクダッドとトルコのシンポジウムのキャンセル、台湾のシンポジウムの無報酬! こうした一連の信じられない流れは、なるほど、枇杷の苗木を植えてから立て続けに起きている。 そして今年は、枇杷の苗木の周りにある桃の花も藤の花も咲かなかった。 ”すぐに枇杷の木を捨てて!そうしないと、またも保育園のモニュメントもエジプトのシンポジウムもキャンセルになってしまうよ!” ☆枇杷の木を植えるとその家は不幸になるというのが単なる民間風説であっても、今の我が家にはそういう不安材料は1つでも取り除きたい。 それだけ妻は無収入の私との生活が堪えている。 さっそくスコップで根こそぎ枇杷の木を取り除く。 ☆午後は今年の空港展のパンフレット校正作業。 校正の印字が小さくて、虫眼鏡で拡大しなければ見えない。 6月1日(日) ☆晴れ。 今日も午前は肌寒く、リビングには暖房を入れる。 陽射しは強く、外に出ると暑かった。 ☆昨夜も午前1時前には目が醒めてしまった。 それからウツラウツラと深い眠りには這入れず、またも午前3時に起きてリビングへ降りて来てしまった。 ☆午前は、昨日におおよそのエントリーデータをまとめていた某海外シンポジウムのエントリー作業をする。 ウェブサイトからのデータ添付のエントリーで、昼前までに無事に送信出来た。 折り返し、エントリー受付のメールが届いた。 ☆午後から宮崎市へ出る。 まず宮崎県立美術館で今日まで開催中の”さんさん会”「ん」展へ。 これは宮崎大学の名誉教授・清水先生の研究室の学生たちが開催しているもので、「あ」展から始まって今回の「ん」展が最終回展となる。 初期のころは何回か顔を出したことがある気がするが、殆どが二紀のメンバーで、二紀は全く興味も何も無いので途中から顔を出していない。 ただ妻との版画二人展を開催するようになって、二紀の友人たちが顔を出してくれるようになったので、お礼を兼ねて二紀展には顔を出している。 知っているのは一世代下くらいの後輩までで、若い後輩たちは全く名前も作品も知らない。 それにしてもみんな上手いのだが、殆どが似たような作品ばかりである。 今日は最終日で搬出前だったので、知人がたくさんいてあちこちで声を掛けられたが、寝不足でボーっとしていたので会話が辛かった。 ☆美術館を出て、「心の花」宮崎歌会6月例会の中央公民館へ。 草詠一首を提出しているので、どう評価されるか、殆ど入試の結果発表を見にいく心境でわくわく気分だった。 しかし受付で渡された選歌一覧を見たら、やっぱり私の短歌には一票も這入っていなかった。 私の短歌は短歌的にはあるレベルには達していると自負しているが、多分多くの方たちは素人なので、短歌のレベルよりも情景のわかり易さで選んでいるだろうから、 殆どの方は私の短歌がどういう情景を歌っているのか理解できなかったのだろう。 ところが事務局の福原さんが、”伊藤先生が選んでおられるよ”と耳元でささやかれた。 草詠一覧は作歌者名は無記名なので、どの歌を誰が歌ったのかはわからないのだが、私の短歌の言葉使いや構成から伊藤先生には私の歌だと分かるだろうと思っていた。 ☆例会は票の多かった順から、選歌した会員の選歌理由と、歌評者からのコメントと続いて、票が這入った歌は同じ様に選歌者と歌評者のコメントが述べられてゆく。 そして最後に一票も票が這入らなかった歌の中で、選者である伊藤一彦先生、大口玲子さん、俵万智さんが選歌した歌が紹介される。 今日は伊藤先生しか出席されなかったので、伊藤先生の選ばれた歌を伊藤先生が選評を述べられた。 伊藤先生は私の歌をとても高評価してくださった。 若山牧水が自然と自分の肉体とを同化して詠んでいるという例えを挙げられて、私の歌もそういう優れた自然詠だと高く評価していただき、とても嬉しかった。 ☆ところが会が終ったところで、伊藤先生はその高評価した歌が私の歌だということを福原さんから教えられて、”これは田中君の歌だったんだ!”ととても驚かれた。 つまり伊藤先生は私の歌だとは全く気付かずに選歌されていた。 ☆例会が終って、近くの居酒屋で2次会(懇親会)が始まった。 2次会ではそれぞれ自分の提出したのはどの歌かをお互いに明かしながら、お互いの意見を述べて行く。 伊藤先生は私の歌が私の作だとは全く分からずに選ばれていて、とても優れた歌だとほめていただいた。 やはり会員相互の選歌というのは、どうしてもわかり易い情景描写のものが選ばれ、それがこうした歌会の問題点だと伊藤先生も言われた。 そして会員から一票も票が這入らなかった作品で、選者である伊藤先生や大口玲子さんや俵万智さんの選ばれる歌が結構あり、会員としては選者に選ばれる方が 格段に嬉しいと言うことであった。 はからずも、私はゆくゆくは短歌と木版画の合本の歌集を出したいという夢を語ってしまった。 1年くらいは、「心の花」の全国組織には這入らずに(全国組織は毎月6首の歌を送らなければならないようだ)、宮崎歌会のみで研鑽を積んでいこうと思う。 ちなみに、今日の例会で提出した私の歌である。 夏の庭深きみどりに昏れてゆく我がまなうらゆ染まり始めて ☆2次会を終えて、今夜は私の歓迎会でもう一軒行こうと言う伊藤先生の提案で、街へ出る。 私は街中にホテルを取ってあったので、ホテルのチェックインを済ませて街へ出る。 私は寝不足で深酒は無理かと思っていたが、とても楽しい酒宴で目はらんらんと冴えて、酒もぐいぐい進んだ。 非常に楽しい夜であった。 5月31日(土) ☆晴れ。 今日も冷え込んで、朝は暖房を入れる。 ☆昨日は午前3時半に起きたので、昨夜は早めに床に就いた。 ところが夜中の午前1時前に目が醒めてしまって、独り寝は落ち着かなくて眠れなくなり、そのままリビングに降りてデスクワークをして過ごした。 そして4時前に床に就くと、なんということか、午前6時過ぎには隣の消防機庫が騒々しくなって起こされてしまった。 ☆午前はデスクワーク。 来年の某海外シンポジウムの案内が届いていたので、エントリーデータを整理する。 ☆午後は木版画の刷りをしながら、短歌の本を読む。 明日が「心の花」宮崎歌会の6月例会なので、どうしても気持ちが短歌に向いてしまって、版画の刷りに集中出来ない。 だが先日に皆さんから提出された草詠から一首選んだが、今日になって読み直すと、印象が違ってきている。 また伊藤先生の代表的な相聞歌”妻とゐて妻こふるこころおぐらしや雨しぶき降るみなづきの夜”の下の句が思い出せなくて、伊藤一彦歌集(現代短歌文庫)を開くと、 最初に開いたページにその歌があって、びっくりした。 この歌は歌集「火の橘」に収められた歌で、「火の橘」は伊藤先生が私のことを数首詠んでいただいた歌も収められた歌集であり、さらにこの歌は ”花晨”というタイトルの中で詠まれているのを知ってとても驚いた。 実は私も宮崎大学の学生時代に”花晨”というタイトルの作品を制作している。 この作品は私の作品の中でもとても思い入れの深い作品で、ブロンズ鋳造した数少ない作品のうちの1点である。 私が”花晨”というタイトルを付けたのは、多分当時は短歌歌集をずっと読んでいたので、短歌からの影響だと思う。 だが私の彫刻の”花晨”は1972年3月の制作で、伊藤伊先生の「火の橘」は1982年の刊行である。 私は伊藤先生の「火の橘」よりも10年前に”花晨”という作品を制作している。 だから、私は伊藤先生から”花晨”というタイトルのインスピレーションは受けていない。 ☆夕刻になって、エジプトのオルガナイザーから、シンポジウムの招待作家のリストをネットでシェアしてくれるようにというメッセンジャーが届いた。 URLを開くと、招待作家リストの最初の作家は私であった。 8月のエジプトのシンポジウム招待が決まった。 これでやっと八方塞がりな状況が打開できる。 今回はギザのピラミッドとスフィンクスの観光もある。 楽しみである。 招待作家には今年の空港展出品作家の、スペインのナンドも含まれているし、知人も多い。 ☆8月のエジプトなんて猛暑ではないのかと思ったが、シンポジウムが開かれるのはエジプトのドバイと称される”ニュー・エル・アラメイン”というエジプトの夏の首都で、 8月の最高気温は31℃、最低気温は24℃、海岸沿いなのでそよ風が吹いて宮崎の夏よりも涼しそうである。 私たちの作品はこの都市の海岸沿いに設置される。 5月30日(金) ☆雨。 雨は午後半ばから止み、一気に晴れる。 しかし今日は更に冷え込み、午前はリビングに暖房を入れる。 ☆妻が所属サークルの旅行で、四国と倉敷に出かけるので午前3時に起きた。 それで私も目が醒めてしまって、3時半に起きる。 ☆午前10時から、オブジェの依頼主との詳細打合せ。 設置場所が保育園なので、子供たちの動きなど判断して、プランを全面的にやり変えることになった。 私のプランでは子供たちの首が挟まってしまいそうで、それは私も懸念していた。 また先方が当初、台座に使って欲しいと言っていた自然石が重すぎて3トンユニック車が必要で、そういう経費も手間も余裕がないので、使用は断念した。 それで全面的にプランを考え直さなければならなくなった。 ☆午後に保育園のプランをやり直す。 オブジェに開ける穴のサイズは、ネットで調べると、以前にお世話になった保育園と幼稚園に遊具等を納めているジャクエツのゲームボックスの穴が、 直径33cmで統一されているので、それを安全基準にしてフォルムを出していった。 夕刻までに図面が上がったので、依頼主に送るとすぐにOKが出た。 石販店に見積もりを出してもらい、発注する。 石は6月中旬には届きそうなので、空港展の搬入以降に届けてもらうことにした。 ☆だが、大きな問題がある。 石の重さがかなりあるので、リフトで荷降ろししなければならない。 しかしリフトは昨年の春以降使っていないので、もう動かなくなっている。 運送会社にユニックを手配してもらうと、かなり割高になるようだ。 リフトの修理にどれほどかかるのだろうか。 5月29日(木) ☆雨。 昼前後に激しく降る。 今日もとても冷え込んで、夕刻に買い物に出ると外はセーターが必要なくらいの寒さだった。 妻は衣替えでタンスに仕舞ったばかりの、ヒートテック下着を引っ張り出した。 ☆今朝も夢ばかり。 今朝は車で坂道を進んでいると次第に坂道がせりあがって来て、殆ど絶壁状態になった。 何時の間にか私は車から出て、ボルダリングよろしく道の凸凹を掴んで絶壁をよじ登る。 見上げると、絶壁の上はビルの屋上になっていて、男が青い紐を垂らしてくれているので、必死でその紐に縋りついたところで目が醒めた。 やはり昨年秋からの無収入状態で、私は精神的に相当な限界状態に在るようだ。 ☆依頼されたオブジェの石が届くまでは時間が出来たので、木版画の刷りをする。 先日に金箔を貼った作品を、色違いで刷ってみようと思う。 石を彫り始めて、また夏の予定が這入って来ると、10月の版画二人展の準備は今しかできなくなる。 ☆短歌メモノートをつけ始めて、いまのところ毎日一首の短歌を詠んでいる。 内容は食べ物や夢の話、妻のことなど とにかく何でもいいから歌を詠む訓練である。 これを継続して行けば、「心の花」宮崎歌会の毎月一首の提出も苦にならなくなる。 5月28日(水) ☆晴れ。 今日もとても冷え込んで、妻はとうとう朝食時にリビングに暖房を入れた。 ☆昨夜はずっと色んな夢を見ていた。 何時もは目が醒めると、夢の内容は殆ど忘れてしまうのだが、今朝は幾つかの場面を強烈に覚えている。 ある夢では、何かを左わきに抱えて暗がりの道を急いでいる私の後ろ姿であった。 もう一人の私も同じ目的地に向かう軽トラの荷台に乗っていて、歩いている自分に一緒に行こうと声をかけるのである。 しかし顔は見えない。 こんな夢は初めてである。 気になってネットで夢占いを調べると、夢の中で自分の後姿を見るのは、自分自身を象徴しているとあるが、吉夢なのか凶夢なのかわからない。 ☆午前に唐木戸陶苑へ。 高鍋町のアーティストによる地域起こし協力隊のメンバーが正式に決まり、1人の作家が5月1日付で高鍋町に赴任してきた。 しかし絵画と陶芸を制作活動とする彼女には、高鍋町での作業場を確保するのが目下の課題である。 それで唐木戸陶苑で作業出来ないかという担当者の仲立ちで、担当者と一緒に彼女を案内した。 幸い、唐木戸陶苑では陶芸教室をやっていて、陶芸教室に通って自由に制作させてもらうことになった。 ☆午後は、某国の彫刻レジデンスのエントリーデータをまとめ直して、エントリーする。 ☆スマホを見ていたら、エジプトのシンポジウムはエントリー締め切り前なのに、もう招待作家の一人がアップされていた。 そう言えば前回のシンポジウムの時も、締め切り前に招待作家が発表されていた。 そして、みんながどうしたらエントリーできるのだとネット上で騒いでいる。 やはり指名作家にしか案内は行っていないようだ。 5月27日(火) ☆晴れ。 今日も朝夕はとても冷え込む。 ☆雑務の一日。 もう空港展も間近となり、ジュンブライトの6月は終末はいつもホテルが早期に満室になる。 ホテルの空きを検索すると、やはり空港展懇親会の夜は多くのホテルはすでに満室である。 早急にホテルを押さえないと宿泊できないので、とりあえず空室のあったホテルを予約する。 また6月1日は「心の花」宮崎歌会例会で、今回は夜の2次会(懇親会)に出席すると返事してあるが、もう目前になった。 それで空きのあるホテルを検索すると、日曜割でじゃらんポイントを使ってかなり安く使えることがわかったので予約する。 2次会の方は、初回の参加はゲスト扱いで参加費用は免除されるとのこと。 ☆某国のレジデンス募集が届いたので、エントリーデータを作成する。 なんとか超貧困から脱け出さないと。 ☆妻は受賞した”みやにち夢ひらく小品展”を観に出かけた。 妻の感想だと、作品のレベルも高く、来場された方たちも1点1点を丁寧に観ておられて、全作品を観るのにかなりの時間がかかったということ。 近年の県内公募展は全く観る気もせず、足早に会場を脱け出してしまうのとは裏腹の充実した時間だったと言う。 5月26日(月) ☆晴れ。 夜明け前から冷え込んで、日中もとても肌寒かった。 ☆午前は依頼されたオブジェのプランを考える。 石の価格が分からないと作品のサイズが決められない。 それで大まかなフォルムをデッサンして、石販会社へ粗見積もりを依頼する。 また6月中には制作にかかりたいので、そのための発注期限も出荷元の中国工場へ問いあわせてもらう。 午後に設置場所に出かけ、作品サイズの妥当性を確認する。 夕刻には見積もりが届いたが、ほぼ予想していた価格だったので、想定したサイズでプランを決めて行こう。 ☆午後は庭の草刈りとドクダミの除草作業。 5月25日(日) ☆晴れ。 梅雨の合間の晴天だが、室内の空気はとても肌寒い。 ☆午前にエジプトのエントリー図面作成の続き。 昼までに2案目の図面を引き、WhatsAppでエントリーを済ませる。 折り返し事務局から返事があり、”Soon invitation”という返事が来た。 このシンポジウムはネットでは告知しているが、エントリー方法は記載していないし、彫刻関係の情報サイトでも募集案内は上がっていない。 作家指定の案内で、よほどひどいプランでない限りは招待されるのだろうか。 とまれこの先に1つでもシンポジウムが決まってくれると有難い。 ☆午後に、妻と高鍋町美術館へ出かけ、開催されていた高鍋町美術展の妻の作品を搬出。 空港展の事務局から届いていた空港展DMを美術館担当者に渡す。 ☆午後は2階書斎で、一昨日に制作依頼のあったオブジェのプランを考える。 プランを考えながら、生方たつゑ「短歌への出発」を読む。 伊藤一彦先生が若いころは生方たつゑさんに師事されていた。 あとがきのメモを見たら、1984年6月1日に読んでいる。 6月1日は次の「心の花」宮崎歌会の例会日だ。 文中に頻繁に列記してある斎藤茂吉の短歌の凄さに驚く。 ☆お風呂に這入る前に、妻にバリカンで坊主にしてもらう。 無一文なので、散髪に行くお金がない。 ☆昨日から仕込んでいた五三竹を天ぷらにしてみたら、病みつきになる美味しさ! 5月24日(土) ☆日中は雨。 お昼前から猛烈な雨。 そして午後半ばからは一気に雲は切れて青空が拡がる。 ☆一日、エジプトの図面引き。 ”MOON DROP”の作品図面を2案描く。 トルコのマナフガットでは、図面を引いて送っていたプランの石が採取できず、開会式の当日に、会場に確保してあった3個の石を自由に使ってよいと言われた。 それで急遽、開会式のセレモニーの2,30分の間にまったく新しいプランを考えなければならなかった。 それが私の”MOON DROPS”の誕生のきっかけとなったので、図面は引いていないのである。 2案目もマケットは作っているが、まだ拡大制作の機会が無いので図面は引いていない。 ☆今日から短歌メモノートを始めることにした。 みなさん、毎日一首以上は短歌を詠む努力をされているようだ。 私にはそんな努力の力量は無いので、とりあえず毎日、その日に気になったフレーズをメモ書きすることにした。 時間があれば、短歌もどきのものを書いておくと、「心の花」の毎月例会の一首の歌がまとめやすいのではと思う。 例えば、昨日は「五三竹」と「ピザ」、今日は「浴室外庭」と「竹の子」といった具合である。 5月23日(金) ☆午前は晴れ。 午後からは雲が出て来て曇天となる。 午後からは空気はヒンヤリとして肌寒くなる。 ☆昨日描いた図面で、8月のエジプトのエントリーをする。 ところが直ぐに返事が来て、プロジェクトは3つのプランの提出が必要で、その中から選ばれるとある。 規定では高さについての条件が無かったので、私はずっと拡大制作したかったアーチ型の2022KAJIMAの優秀模型である”夏の記憶”でエントリーした。 しかし、オルガナイザーは作品は海岸沿いの道路に設置するので、前回のハルガダの作品のような作品が良い、と言ってきた。 ”MOON DROPS”シリーズである。 さらに2015年のトルコ・マナフガットの作品写真を添えて、この作品が一番良い、と言う。 このマナフガットの作品は”MOON DANCE”の最初の作品である。 マナフガットの作品は高さが320cm近くあって、かなり大きい。 はたしてどれほどの制作期間で制作したのだろうとマナフガットの記録を調べたら、役に立たない学生アシスタントと一緒に18日間で完成させている。 今回のエジプトも同じ18日間で、しかもきちんとしたアシスタントが付くので、この大きさで大丈夫だ。 明日に図面を引こう。 ☆キャンセルになったバグダッドシンポジウムのメールを読み直していたら、バグダッドは完全には中止になっていないことに気付いた。 可能性のある最後のオプションとして、今後数か月以内に石を買うことが出来れば(私たちの使う石はすでにオマーンの石材店で用意してある)、9月にシンポジウムを 開催し、その時はあらためて私たちに連絡する、と明記してある。 私は当面の入金予定だったバグダッドの報酬が無くなったことで、絶望的になってメールをきちんと読み込んでいなかったようだ。 それであらためて、オルガナイザーのAli宛に9月開催が叶うようにメッセージを送った。 そうしたら直ぐに、私もそう願うという返事が返って来た。 ☆昨日作成した2025シルクロード展のレジストレーションを、事務局に送る。 折り返し、日本語で「作品を受け取りました。ご参加ありがとうございます。」と返事が届いた。 ☆午後にようやく仕事の打合せ。 この先には何の仕事も無く、収入の予定も無いので、心当たりのある処に打診をしていた。 そうしたら、先方も私に依頼したいことがあったけれど、私が忙しくて日本には居ないと思って連絡しなかったことが判明した。 夏までに作品を1点納めことになった。 だが作品を納めての入金になるので、目前の収入のアテが無いことには変わりはない。 ☆妻がスポーツジムの仲間と先日の個展で親しくなり、五三竹(ごさんちく)を大量に貰って来た。 私は五三竹を子供たちの保育園保護者との酒宴でいただいたことはあるが、自分で料理して食べたことは無い。 ちょうど今夜はピザの下準備をしていたので、試しにさっそく湯がいてピザに乗せて焼いてみた。 ところが半信半疑だった妻が、”旨い!”と感激の声を上げた。 5月22日(木) ☆晴れ。 蒸し暑い一日。 ☆張さんの作品の補修作業。 昨日に目地に塗っていたモルタルパテをハンドグラインダーで削り、そこへ着色を試みる。 オリジナルがマットの塗料の吹付けなので、艶の出ない様にネオカラーに水彩絵の具とカラーチョークの粉を混ぜて塗ってみる。 やはり下塗りの色が出て来て、不透明なマット肌にはならない。 しかし時間を置いて見ると、それほどまでには気にならなくなった。 おそらく、展示台の上に置けば、彫刻展会場でもあまり違和感はないのではと思われる。 とりあえず、今日の状態の画像を、山田から張さんに送ってもらう。 ☆8月のエジプトのエントリー準備。 シンポジウム期間が18日なので、あまり大きな作品は作れない。 寸法を出して、図面を引く。 ☆今年の中国・西安のシルクロード展の案内が届いていたので、レジストレーションを作成する。 5月21日(水) ☆雨。 昨夜は強い雨だったらしく、庭の桜の枝が折れて落ちていたし、自宅工房も雨漏りが酷かった。 日中はそれほど強い雨では無かったが、夕刻に買い物に出ると、買い物を終えて出口に向かうと激しい土砂降りになっていた。 そして雨はいよいよ激しくなり、夜に這入って嵐のような雷雨となった。 ☆午前は張さんの作品の補修作業。 昨日に目止めした着色石膏は全く硬化していなかった。 それで石膏を拭き取り、合わせ目の段差をハンドグラインダーで削って滑らかにする。 石膏が駄目なら何で目止めをすべきか。 張さんの作品の吹付着色はマット状で、艶の出る目止め剤は使えない。 思案の末、以前にバグダッドのFRP模型を作った時の補修材で使ったモルタルパテの硬化したものをグラインダーで削ってみたら、艶消しで仕上がった。 それで、モルタルパテに着色剤を混ぜて塗ってみる。 ☆午後は8月のエジプトのエントリー準備。 ☆妻が応募していた”みやにち夢ひろがる小品展”の審査結果が、今朝の宮日紙上に発表されていた。 妻は努力賞だった。 5月20日(火) ☆雲の多い晴れ。 蒸し暑い一日。 ☆午前は庭の桜の木を中心に枝落としの作業。 半袖では虫にやられるので、長袖で作業したが、それでもやはりあちこち痒くなった。 枝類は午後にアンジェラスの森へ運ぶ。 ☆午後は、自宅工房で持ち帰った中国の張さんの作品の修復作業。 瞬間接着剤で繋ぎ合わせて行く。 材質がやはりセラミックのような硬質石膏のような感じである。 砥石で削ってみると削れるので、陶磁器ではない。 それで貼り合わせたラインの隙間に着色石膏で埋め戻しの作業をしてみる。 乾いたらどうなるのかを見て、これからの修復作業を考えよう。 ☆昨日にもWeChatに着信があり、案内を見たら、今日の午後から”第三回泉州人材節・恵安会場”というものが中国・恵安の彫刻芸術館で開かれる。 ネットで調べると、これは泉州の人材(才能のある人材)フェスティバルで、泉州各地で開催されているようで、恵安会場では彫刻家のフェスティバルである。 ポスター写真を見ると、例の恵安グランプリ作家のトルコ彫刻家をはじめ、彫刻家たちが出席してのオープンなディスカッションが開催される。 恵安のシンポジウム関係者が再び恵安に集まるのなら、全く音信のない事務局のLinkunも恵安に来ているかもしれない。 それで再度、Linkun宛に、報酬催促のメールを送った。 あなたたちのプロジェクトが彫刻家によって成り立っているものならば、まず第一に参加彫刻家に定められた報酬を支払うべきではないか、という一文を添える。 ☆夕刻に再びWeChatに着信が届いたので開くと、そのフェスティバルが始まってのネット中継で、例のトルコ作家が何か喋っていた。 この会議にはネット上でオープン参加出来るようになっていて、私が開くと同時に画面に”等参加”と表示され、次々にネットを開いた作家の名前が表示される。 それでハタと気付いた。 いまだにこんなことをやっているということは、まだ恵安のシンポジウムの事業は終了しておらず、事業決算は行われていないのだ。 これではいくら待っても、催促しても、報酬の支払い作業は行われない。 中国からの入金を待つことは意味がない。 早急に何かの収入の方法を探さなければならない。 ☆黒木・高鍋町長が、お願いしていたグッドデザイン賞のエントリー入力の下書きを持参。 問題なければこれでエントリーします、ということ。 夜に文書に目を通してみたが、問題はない。 ☆お風呂から上がって、夕食の準備を始めた途端にひどい立ち眩み。 立っておれず、キッチンの床に崩れ落ちる。 頭が上げられない。 こんな酷い眩みは初めてである。 しばらくはリビングの床に横になる。 最近は周囲に脳梗塞で倒れる知人が多いので、妻が心配するが、手足の痺れなどの脳梗塞の症状はない。 用心して、早めに床に就く。 5月19日(月) ☆雲が多いものの、雨は降らず、概ね晴れに近い曇天。 ☆朝のうちに、ライブの締め。 公民館の鍵の返却と使用料の支払い、そして役場担当課へ公園駐車場の鍵の返却。 ☆午前は、妻と、伸びて来た庭のドクダミの除草作業。 ☆午後から宮崎空港へ、破損した中国・張さんの作品を受け取りに行く。 海外作家担当の山田も来てくれた。 ところが梱包木枠は55×50×50cmのビッグサイズで、作品も大きい。 張さんは展覧会が終ったら私にプレゼントする予定だったと言うが、こんな大きな作品は我が家には持ち込めない。 材質は磁器土だと思っていたが、どうにもそうでもない。 磁土と陶土が混じったような感じで、硬質な石膏という感じである。 そして着色も釉薬ではなく、吹付け塗料である。 ☆実は今日は韓国から2点作品が届いて、そのうちの1点がやはり破損していたという連絡を受けていた。 届いた3点のうちの2点が壊れて届いたなんて、海外作家担当になったばかりの山田にとっては地獄の洗礼である。 だが作品を見てみると、梱包は木枠でしっかりしてあるのに、作品の一部が発砲スチロールの部分に接着材で貼り付けただけのもので、それが外れてしまっている。 こんなもの、ちょっと振動を加えれば簡単に剥げ落ちる。 したがって今回は破損事故でなく、私が再接着すれば済む。 作家にはその旨、山田から伝えて貰う。 結局、再接着のため、この韓国作家の作品も持ち帰った。 ☆昨日届いていた「心の花」宮崎歌会の草詠一覧から、最も気に入った一首を選んで担当者へ送る。 草詠一覧には次回の例会の案内と7月の例会に向けての次の一首の締め切り日など記載してあって、もう次の一首を考えなくてはならない。 午後に宮崎空港へ向かいながら、道行く風景から何か歌の題材になるものは無いかと目を凝らしている自分であった。 歌を詠んでいる方たちは、そうして毎日の出来事を細かに歌の題材に取り入れる努力をされているのだろう。 5月18日(日) ☆朝のうちまで雨。 日中は雨は止む。 暮れて、少しの雨。 ☆午前10時よりライブ会場の南町公民館の会場設営。 幸いにも機材を運び込む前には雨も上がり、軽トラの荷台にドラム一式等を積み込むことが出来た。 ☆11時過ぎからリハーサル。 アンプの接続や音量調整をしながら11時半からリハーサル。 ドラムの照沼さんのテンポが早すぎて、昨日に練習したハーモニカ演奏の成果が全く発揮できなかった。 ☆リハーサル中に私のメガネが壊れてしまった。 何時の間にかネジが外れてしまっていたようだ。 ライブ中はメガネは外すのでライブに影響はないが、車の運転が出来ない。 帰宅して、いつか庭の芝の中に落してしまっていたメガネを持ってくる。 ☆1時半に開場。 しかし今日は各地で色んな催し物が行われていて、雨も上がったのでライブに来ていただく方たちは過去最低の人数となった。 今日の来訪を口約束していただいた方たちは、殆ど来られなかった。 だが遠くは延岡市から来られたご夫婦もあり、有難かった。 ☆2時から開演。 ところが演奏が始まると、先日の我が家でのリハーサルとはまるで別物のように素晴らしい演奏が繰り広げられた。 私はベースの中村さんの鬼気迫る演奏とドラムの照沼さんの超絶フルート演奏に魂を奪われた。 すごい演奏の中に自分が居ることに感極まった。 妻のボーカルもとても良かったし、私のハーモニカもとても響きが良かった。 ☆演奏が終った途端に、ピアノ担当の片貝さんは”今日は感動的な演奏だったんでは?!”と思わずつぶやかれた。 来場者がとても少なかったのは残念だったが、私たちのバンドとしては過去最高の演奏が出来たのでは無いのだろうか。 ☆夕刻5時半から町内の”だいこん屋”で打ち上げ。 私は初めて這入ったお店だったが、口コミではとても評価の高い店で、”だいこんもち”は信じられない程の絶品だった。 酒が進み、色んな話で激高した論議となり、店内に響き渡る激しい口論となったが、お互い気心の知れた仲間なので終わりはとても楽しい会話に収斂した。 これが一般の人との酒宴なら、私一人が浮きたち、説教され、場合によっては乱闘殺傷にもなる気配であったが、私たちのメンバーでしかできない本音での トークであった。 ☆「心の花」宮崎歌会から、先日送った一首の一覧が届いた。 一覧の中で読み返すと、私の短歌も思った程悪くは無かった。 独りよがりな処はこれからの鍛錬で是正してゆくしかない。 ☆この夏のエジプトのシンポジウム案内が届いた。 前回参加したハルガダのシンポジウムと同じオルガナイザーで、今回はカイロのピラミッドとスフインクスの観光もある。 プラン締め切りが今月末なので、ライブの終わった明日からプランを考えよう。 なんとしてでも収入に結び付けなければ。 5月17日(土) ☆朝のうちは陽が射していたが、直に雨となる。 午後は小康状態で、夕刻からは青空が拡がる。 ☆一日、明日のライブのための準備。 午前は2階書斎で、昨日に引続きブルースハープの吹き方について。 入門書にDVDが付いていて、2年前はこのDVDを見たと思う。 しかし私のパソコンでも妻のパソコンでもまったく再生できない。 諦めかけたところで、入門書の注意書きを読んだらDVD-VIDEO対応のプレーヤーでないと再生出来ないとあり、ようやくポータブルのDVDプレーヤーで 再生していたことを思い出した。 そして2年前もそうだったが、入門書での奏法では実際のライブには全く何の役にも立たなかった。 ☆午後はメトロノームを使って、最初に演奏する曲をスマホのレコーディングアプリに録音して確認する。 とてもシンプルな曲なのだが、私はまったくリズムが取れない。 何度も何度も録音して、ようやく自分のハーモニカ演奏の悪い癖がわかって来た。 ☆夕刻に妻が所用先から帰って来たので、通しでリハーサル。 まだまだきちんと演奏できるように特訓しなければならない曲が幾つかある。 それで夕食の後に独りで練習していたら、本番前の夜なのにリラックスできないと妻にクレームをつけられてしまった。 ☆風邪を引きずっていて、鼻水が止まらないし、咽喉も痛くて気分も悪い。 しかしなんとか明日のライブは乗り越えないと。 5月16日(金) ☆日中は雲の多い晴れ。 次第に重い雲が立ち込めて来て、夕刻より強い雨。 天気予報では明日からずっと雨。 よもやと思っていたが、やはり九州南部は今日から梅雨に這入ってしまった。 なんと沖縄や奄美よりもはやく九州南部が梅雨に這入ったのは、1951年統計開始以来初めてのことだと言う。 ☆午前は2階書斎で、18日ライブのためのブルースハープの吹き方の調べ。 アンコールの曲でブルースハープを吹かなければならない。 2年前のライブで同じ曲を演奏して以来、まったくブルースハープは吹いていない。 前回の時も本を買ったりして、なんとか本番ではブルースらしく演奏できた。 ところがトレモロの練習で、首を振って演奏していたら次第に気分が悪くなって、お昼どころでは無かった。 まだ鼻水がタラタラ状態なので、風邪気味の状態のままなのだろう。 ☆午後は本番直前の講師の片貝さんとのレッスン。 やはり片貝さんとの演奏は緊張して、間違ってばかりである。 ☆今年の空港展にも参加してくれる中国のLi Zhaoから、今夫婦で日本に来ていて、明日は奈良・京都に行くと言うメッセンジャーが届いた。 尋ねると、万博に来て日本観光をしながら今月末まで日本国内を旅行するようである。 昨年も確か、北海道を二人で旅行していた。 ご主人も中国では著名な優れた彫刻家であり、二人は裕福なのだろう。 5月15日(木) ☆晴れ。 爽やかな五月晴れ。 ☆便秘はコーラックが効いて来て、ようやく夜中過ぎには解消した。 しかし歯茎の痛みで眠れず、とうとう夜中の3時半にリビングに降りて、歯科医院から処方してもらっていた痛み止めを呑む。 夜中に何度も起きていたので、今朝はなかなか起きれなかった。 歯茎の疼きは一日中続く。 ☆日中は2階書斎で短歌の推敲。 まったく纏まらず、ほとんどお手上げ状態である。 ☆午後2時から、高鍋町美術館で令和7年度美術館協議会の第1回会合。 今回から新年度になるので、最初に役員改選が行われ、私が会長に再任される。 副会長は巣山さん。 議長の私の議事進行で、令和6年度の事業報告と質疑。 昨年に開催された草間彌生展は、美術館開館以来初の入場者1万人超えだった。 ただ草間彌生の作品は報道機関でも作品の撮影は厳禁されていて、勝手に作品画像を撮ってネットに上げることは禁じられている。 しかし草間彌生の人気で、普段は美術館など行ったことも無い子連れ世代が、館員の注意を無視してスマホ撮影をしようとして、注意されたことにキレてすぐに 美術館を出てしまったというようなトラブルが多かったようだ。 今年は高鍋駅も新しくなり、アーティストによる地域おこし協力隊の活動も始まる。 ☆美術館から帰って、短歌の推敲。 結局全く纏まらず、無念の時間切れでの駄作一首を担当者に送る。 恥ずかしい限りである。 ☆中国・恵安からあいかわらず何も言って来ない。 ただひたすら待ちを続けるのみだが、先日のLi Zhaoとの遣り取りで、関係者から4月末から事業決算が始まると言うメッセンジャー届いていたので、そのメッセンジャー 画像をコピー添付して、事務局のLinkunに問いあわせのメールを送る。 しかし、やはり返事はない。 5月14日(水) ☆晴れ。 今日も爽やかな五月晴れだが、相変わらず室内は冷え込む。 手足がとても冷たくなる。 ☆今日は午前のうちに短歌をまとめて、午後からはライブの特訓練習に這入る予定だったが、計画がまるっきり狂ってしまった。 1年余ぶりにひどい便秘になってしまった。 昨年春までは頻繁にひどい便秘に苦しんでいたが、昨春にヨーロッパ周遊に出かけて以来、便秘はまったく止まってくれていた。 旅行中、ずっとバナナとヨーグルトを摂っていたし、その習慣で今も毎日バナナとヨーグルトを摂っている。 ところが1,2日前から小用を催したくてトイレに行っても、なかなか排尿しなくなった。 そして今日は酷い便秘で、浣腸をしても効果が無く、コーラックを摂っても効果が無い。 便秘のきつさで、何もできない。 ここ数日間ずっと風邪薬を呑んでいるので、その副作用なのかとも思う。 ☆結局2階の書斎に籠って、ボンワリした頭で少しずつ、短歌を推敲してゆく。 いくら推敲しても、原稿用紙に印字してみると、どうしようもないまとまりのない歌だ。 「心の花」宮崎歌会事務局の福原さんから送られて来た「心の花」5月号に目を通して、宮崎歌会の方たちの掲載短歌を読んでいると、みなさん気負いない感じで 歌を詠まれている。 それでいいのだ、と思うがなかなかその素直さが私にはむしろ難しい。 ☆便秘のきつさもだが、昨夜から今度は左奥歯上の歯茎も腫れてしまって、両奥歯の腫れと痛みで夕食はほとんど咀嚼できなかった。 踏んだり蹴ったりの一日となった。 今日はハーモニカの練習も出来ず、早めに床に就く。 ☆高鍋高校美術部OBの河辺一周先輩が亡くなった。 ずい分と闘病生活が長かったが、不自由な体で作品集も出版され作品も制作されていた。 宮崎のデザイン界をリードしてこられた方である。 5月13日(火) ☆晴れ。 相変わらず室内はとても空気が冷たい。 しかし爽やかな五月晴れ。 ☆今日も一日、2階書斎に籠って短歌を考える。 今朝の宮日文芸欄の短歌欄に目を通してみたら、皆さんとても気持ちを素直に詠んでおられる。 それでいいのだが、私は伊藤一彦先生の影響を受けて塚本邦雄などの難解な現代短歌を読んで育ったので、どうしても妙にいじくりまわしてしまう。 50数年たって再び短歌を詠もうとして、この傾向は50数年前と全く変わっていない。 結局、最後の七、七のまとまりがつかないまま、悶々と一日を過ごしてしまった。 ☆夜中から右上奥歯が疼いてたまらない。 午後には口の中が血だらけなってしまった。 これで歯科医院は全ての治療が完治しましたと言うのだから、どれほどのやぶ医者なのか。 夕食時には食事が咀嚼できなくて困った。 ☆張飛飛の作品破損の件は、山田と張さんとの遣り取りで、その原因が朧ながらわかって来た。 山田が送った作品開梱の写真と破損状態の写真を見た張さんからの返事で、作品が天地逆に梱包されていたようだ。 ただその天地逆になる状況が理解できなかった。 過去には送り返した作品が、到着国の輸入品通関で開梱され、その時に天地逆に再梱包されて作家に届くまでに破損してしまった事例はあった。 しかし中国から日本に送られてくる間に、中身の天地が逆になることは無い。 なぜなら、博多税関との打合せで、空港展出品の作品は通関で開梱検査されずに輸入されるからだ。 山田の話でも、外側の梱包を開けると、内側の作品梱包が逆に入っていたというし、写真で見る限り投げられたり落されたりの外からの強い圧迫を受けた形跡がない。 張さんのメールをよく読むと、梱包発送は業者に委託したようだ。 つまり、その業者が梱包時に中身の作品木箱を天地逆に梱包してしまったようだ。 張さんは、補修してそのまま空港展に展示されることを望んでいる。 私からも張さんにメールを送り、修復が可能ならばそのまま展示したい旨を伝える。 5月12日(月) ☆晴れ。 今日もとても冷え冷えとした一日。 ☆2階の書斎に籠っての短歌を考える一日。 昨日作った歌を何度も推敲したり、新しい歌を考えたり。 かつて大好きだった藤井常世さんの「草のたてがみ」(1980年発行)を読み返す。 しかしどうして心の細やかな襞と情景と言葉がこんなに多層的に絡んでゆくのか、やはり私にはこういう感覚は微塵もない。 私は詩歌は作る側の人間ではなく、読んで感動する側の人間でしかないと痛感する。 妻にどんな短歌を作ったのか見せてと言われて、見せると、ボロクソに言われた。 やはりこんな短歌は「心の花」の例会には出せない。 ☆午後に高鍋町役場へ。 行政事務連絡員としての提出書類を担当課へ届け、18日のライブのために児童公園の使用許可申請を担当課へ提出し、公園の鍵を預かる。 ☆なかなか風邪が抜けない。 鼻水が止まらないし、ライブ間近の妻は声がガラガラである。 ☆夜になって衝撃の出来事が届いた。 空港展出品の海外作家からの作品が届いたが、開梱すると破損していたという海外作家担当の山田からの連絡であった。 作品は、昨秋の中国・恵安のシンポジウムで一緒だった中国作家・張飛飛のセラミックの作品である。 梱包の写真を見ると、きちんと丁寧な梱包がされてある。 にもかかわらず足元が完全に折れてしまっている。 おそらく輸送途中で投げられたか落された衝撃による破損であろう。 いつだったか、中国の空港で搭乗して出発を待っている間に、隣に駐機している飛行機から荷物を運び出すのを眺めていたら、全ての荷物を運搬車に 放り投げているのを見てびっくりしたことがある。 補修できるものなら張の許可を得て、補修して展示したい。 明日にでも宮崎空港へ出かけて修復できるかを確認したいと思ったが、宮崎郵便局が明日の午前に査定のために破損作品を受け取りに来ると言う。 私の対応は郵便局の処置が終ってからになる。 とりあえず、張さんとは山田が連絡を取ってくれることになった。 5月11日(日) ☆午前はくもり。 午後半ばより雨。 雨は本格的になり、気温は冷え込んできて、とうとう暖房を入れる。 ☆今日は朝から2階書斎に籠って、短歌を考える。 昔よく読んでいた佐藤よしみさんの「海かがやけば」(1982年出版)を読み直してみたり、広辞苑を開いて思いついた言葉の意味を調べたり。 兎にも角にも、何を詠みたいという切羽詰まった思いも無いので、彫刻や版画のプランを考えると同じ様に、思いついたフレーズからイメージを 展開させてゆくしかない。 数首をまとめてWordの原稿用紙設定でプリントしてみるが、50数年ぶりの短歌なのでまとまりがつかない。 ☆ネット検索していたら、今年から2027年にかけての海外のシンポジウム募集一覧のページがあった。 なんとかして収入の道を捜さなければならないのでチェックしてみたが、殆どが開催期間が数日間のものばかりであった。 こういうシンポジウムは旅費も報酬も無い。 ☆久しぶりにWeChatに着信があったので、何事かと思って開くと、中国・恵安でグランプリを獲ったトルコの作家が再び恵安を訪れている。 一体何の用で再び恵安を訪れたのだろうか。 まさかようやく事業決算が始まって、賞金を受け取りに来たのかと思ったが、トルコからわざわざ賞金を受け取りに来るという無駄もない気がする。 それにしても、このトルコの作家のグランプリ受賞は余りにも出来過ぎていて、私はとても不愉快だった。 したがって私は彼におめでとうの声も掛けなかった。 大体、授賞式用に正装を持って来ているというのがあり得ないと思ったが、トルコ人はダンディーでおしゃれな民族なので、常にそういう正装は備えているのだろうから、 トルコを出発する前にあらかじめ大賞受賞が決まっていたと言う私の勘ぐりは、単なるやっかみに過ぎないと自分を戒めた。 しかし、やはり今日の様子を知ると、あながち私の思いは間違っていなかったのではないのだろうか。 5月10日(土) ☆雲が多いものの概ね晴れ。 ☆午後から来週開催のライブのリハーサルがあるので、それまでは妻と孟特訓。 何故私はうまくリズムに乗り切れないのか、妻と講師の片貝さんの言うことが全く理解できない。 最終的に、私は先天的にリズム感が全く無いということが判明した。 ☆午後3時半から、我が家でライブのリハーサル。 やはりドラムとベースが這入ると、リズムが取りやすい。 おかげで、いつもよりはうまく演奏できたと思っていた。 しかし妻の感想は厳しかった。 妻の感想では、ドラムもベースもノリが悪く、何時もの状態では無かったと言う。 今回の演奏曲は妻がジャズの名曲を中心にリストアップしたものだが、ドラムの照沼さんもベースの中村さんも演奏したことのない曲が多くて、戸惑って おられた。 5月9日(金) ☆雨。 本格的な雨。 ☆昨夜は夢の中で短歌を詠んでいた。 1,2首できてなかなかの秀作だった。 しかし目が醒めた途端に、どういう情景を詠んだものだったか、まるっきり記憶から抜けてしまった。 ☆今朝も体調が悪く、一晩中鼻水タラタラであった。 朝食を作る元気も無く、きつくてたまらない。 最近また宮崎県内でもコロナが拡がっていて、2度目に感染した人もいるようだ。 それで私がコロナだったら、ライブが近いので大変だから、買い置きしていた抗原キットで調べて欲しいと妻が言う。 別に発熱もないのでコロナではないと思うが、念のために調べたら、立派な陰性であった。 風邪薬を副用したら、次第に鼻水は治まってくれた。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 講師の片貝さんに、先日購入したエフェクターを接続してもらった。 やはりリバーブのかかったハーモニカはとても吹きやすい。 まだまだ全然リズムが取れないので、ライブ本番まで猛特訓をしなければならないが、短歌も詠まなければならない。 5月8日(木) ☆晴れ。 外に出ると陽射しが強く、夏日の暑さ。 しかし相変わらず朝夕の室内は冷え込む。 ☆午前は木版画3作目の金箔貼り作業。 ”あかし紙”を使ってもなかなかうまく貼れない。 2点は金箔なしのものも残しておく。 ☆午後から妻と宮崎市へ。 妻が”みやにち夢ひろがる小品展”に版画を出品するので、画材店へ搬入の委託をお願いする。 画材店なんて何10年ぶりだろうか。 木版画用に使いたい水彩絵の具を物色する。 ☆画材店を出て、イオンの島村楽器へ。 先日購入したエフェクターにACアダプターが付いてなくて、昨日にヤマダデンキに行ったら在庫が無かった。 それで島村楽器の担当者に電話しておいたので、買いに行く。 ☆帰宅して、行政事務連絡員の任務で届いていた週報を公民館員各戸へ配布。 ☆夕刻から伸びていたドクダミの除草作業。 今日の暑さで、蚊に悩まされた。 ☆「心の花」宮崎歌会事務局の福原さんから、次回の例会への一首締め切りの案内が届いた。 やっぱり次は単なる見学だけではなく、私も一首提出しなければならないのだ。 その方が絶対楽しいし、俵万智の5選もあるので、こんな場はない。 しかしいきなり何を詠もうかという当てもない。 今日も40年前(丁度、俵万智のデビュー時期)の短歌ノートに目を通すと、いよいよレベルが高すぎて萎えてしまう。 5月15日の締め切りまで1週間しかない。 しかも5月18日にはライブがあるので、とんでもなく緊迫した毎日になる。 なんとか頑張ってみるしかない。 ☆昼前から鼻水が酷くなり、鼻水を止める薬を飲む。 夕刻に帰宅してからはさらに鼻水は止まらなくなり、咽喉も痛くなってきた。 妻は黄砂が酷いらしいからではないかと言うが、黄砂で咽喉が痛くなるだろうか。 夕食後のハーモニカ練習では、鼻水がタラタラとハーモニカの中に染みこんでしまった。 5月7日(水) ☆晴れ。 やはり室内は冷え込む。 ☆昨夜は一晩中体調不良できつかった。 何もしていないのに、疲労がどっと一気に出て来た感じで、朝起きるのもかなり辛かった。 やはり5月病というものがあるように、季節の変わり目は体のバランスが取れないのかもしれない。 ☆木版画3作目の刷り。 この作品も金箔を使った作品にする。 注文していた”あかし紙”が届いていたので、”あかし紙”に金箔を貼り付けて、かなり大きな面積で貼ってみた。 しかしスプレー糊を使ったら、余分な部分の金箔がなかなかうまく除去出来ない。 そして、やはり金箔を貼った版画を妻に見せると、”?”という反応。 夜になって絵の具が馴染んで来ると、金箔を貼らない作品の方がよく見えて来たり・・・。 試行錯誤が続く。 ☆短歌を再び始めるにしても、特別こんな歌を詠んでみたいというものがある訳では無い。 それでモチベーションを高めるために、独身時代に作っていた短歌ノートを開いてみた。 これは私が詠んだ短歌を記した物ではなく、気に入った歌集から気に入った歌を書き写していたものである。 だから優れた歌人たちの歌なので、引き込まれると同時にこんな豊な感性と言葉巧みな歌は自分には詠めない、とお手上げな想いになってしまった。 5月6日(振休・火) ☆雨。 午後半ばから晴れ。 気温は上がらず、冷え冷えの一日。 ☆午前に妻と宮崎市へ。 宮崎国際音楽祭を聴くために宮崎県立劇場へ向かったが、駐車場が満杯になるので早めに家を出た。 幸いにもグッドタイミングで車を駐車出来て、まず宮崎県立美術館の常設展を観てから県立劇場へ。 今日のプログラムは幾つかの500円コンサートが催されたのだが、私がネットで予約する際に操作を間違って、妻の望んでいた清水和音のピアノ演奏ではなく、 宮崎市内の小中学生による吹奏楽演奏のチケットを購入してしまった。 しかしカード払いのチケットは払い戻しが出来ないということで、折角だからと足を運んだ。 ところが会場に着いてプログラムを見た妻が、驚きの声を挙げた。 なんと指揮者の一人が甥の田中龍史君(長兄の次男)だった。 しかも5人の指揮者のうち、龍史君だけが2度の指揮をする。 彼はジャズバンドでも活躍していて優れた音楽指導者である。 今日の吹奏楽団は宮崎市内の小中校の吹奏楽部員170名による大編成で、会場のオルブライトホールではかつてない大人数のステージだと言うことである。 龍史君の指揮は他の先生たちの指揮とは全く異なっていて、実に細やかでかつダイナミックで素晴らしい指揮だった。 思いがけない体験だった。 ☆県立劇場を出て、画廊喫茶”シベール”へ。 宮崎大学同窓の八田喜美子さんの個展を観る。 八田さんの作品は公募展会場での大作しか観て来なかったので、小作品は初めて観た。 大学時代のエピソードなど懐かしく楽しい話で時を過ごす。 今連載中の萱嶋先輩の宮日新聞”自分史”は、私も手伝った辻先生との協働作品の写真だった。 ☆”シベール”を出て、預かっていた電子ピアノをボーカル講師の片貝さんへ届ける。 その足で”イオン”の島村楽器へ。 我が家のアンプがリバーブがかからなくなってしまったので、片貝さんからギター用の安いリバーブエフェクターを買って欲しいと言われていたのである。 予定では片貝さんも一緒に島村楽器へ行ってもらえるということだったのだが、本人はそのことをすっかり忘れてしまって、ピアノを受け取るとそのまま部屋へ 戻られてしまった。 私も妻も音楽の機材のことなど全く分からない。 島村楽器の担当者も、ハーモニカやボーカルにギター用のエフェクターを使うのですか?と戸惑っている。 結局、片貝さんに電話して島村楽器の担当者と遣り取りしてもらって、不安なままエフェクターを購入した。 片貝さんは妻からの電話で、やっと私たちとの約束を思い出されたようだ。 片貝さんも妻が購入したエフェクターをネットで調べられ、良い買い物でしたと言う連絡が入った。 ☆今日はお世話になっている”SAKABar”が開店26周年日だと言うので、妻と出かける。 しかしあまり飲まないのに気分が悪くなって、帰宅すると気分が悪くて早々に床に就く。 この毎日の気温の変化で、風邪気味なのが影響しているのだろう。 5月5日(祝・月) ☆日中は晴れ。 午後半ばより雲が出て、夕刻より雨となる。 今日も屋外は陽射しが強いが、屋内はとても冷え込む。 ☆午前と午後に木版画3昨目の刷り。 以前と較べると、かなり刷りのコツがわかって来た。 ☆世の中はせっかくの連休なので、せめて温泉にでもと午後から西都市の高屋温泉に妻と出かける。 道中は新緑のいよいよ眩しい風景だが、妻に言われて気が付いたが、今日は節句なのにどこにも鯉幟が立てられていない。 少し前までは4月のうちからあちこちに鯉幟が立ち、勢いよく空を泳いでいたものだ。 一体どうしたというのだろうか。 ☆高屋温泉も連休なのに、温泉客は私たち夫婦のみ。 そのせいなのだろうか、今日は温泉がものすごく熱くて、足先を少し浴槽に入れるのが精一杯であった。 最近は入浴中のヒートショックで亡くなる方が多いので、とても無理して熱湯に体を沈める勇気は無かった。 5月4日(祝・日) ☆晴れ。 外は陽射しが強くて夏日となったが、屋内は相変わらず冷え込む。 咽喉を傷めた妻は、今日はとうとうガラガラ声であった。 私も午前中は体調不良で、風邪薬を服用する。 ☆昨日から、今年の空港展の懇親会への海外作家案内の文書案が担当の山田から送られてきていたので、午前はそれを基に簡略した案内文書に仕上げる。 過去の海外作家への懇親会案内文書を捜してみたが見つからなかった。 その作業で、私が事務局をやっていた時の文書ファイルを調べて、あまりの書類の多さにびっくりした。 当時は県内の後援申請に走り廻っていただけではなく、国際展になってからは各国の大使館への後援申請や、博多税関との輸入作品の取り扱いの協議、 海外作家作品のEMS発送、返送時に破損した海外作品の郵政との補償交渉等など、すべてが私独りでやらなければならなかった。 超・超多忙な毎日だった。 毎回、開催不可能の壁がたちあがって、空港ビルの渡邉課長と”もう止めよう!”と叫びながら、信じられない奇蹟を起こして継続してきた。 20回展で終了宣言したのも致し方ない。 つくづく、よくもこんなことをやっていたものだと思う。 ☆午後から宮崎市へ出て、宮崎市中央公民館で開催された短歌会「心の花」宮崎歌会の5月例会に見学者として参加する。 会の初めに伊藤一彦先生から見学者の私の紹介があり、今日に至った経過をお話しする。 こんな場所に参加するのは初めてなので緊張したが、「心の花」宮崎歌会の皆さんとは2年前の夏に私の設置モニュメントを巡る旅でご一緒しているので、 顔なじみの方も多く、自己紹介の後は緊張も解れてきた。 例会の進行は、あらかじめ会員全員から提出された無記名の短歌を、会員各自が最も気に入った短歌に投票し、最も得票集の多かった歌から、投票した会員からの 投票理由の説明、会員有志からの意見、そして伊藤先生始めベテラン歌人の歌評者からの評と展開されてゆく。 そうして最終的には票の全く這入らなかった短歌にも歌評者からの短評が行われる。 「心の花」宮崎歌会のメンバーは62名、中心メンバーは著名歌人の伊藤先生、大口玲子さん、先日に「日本歌人クラブ新人賞」と「現代歌人協会賞」のダブル受賞を果たした 新鋭の久永草太さんらである。(先年までは宮崎市在住だった俵万智さんもメンバーであった) 他のメンバーも歌集を出版されたり、宮日文芸欄の常連であったりのベテラン会員であるが、提出された会員の短歌のなかにはまだ短歌になっていないものも結構あり、 会員のレベルは多種多様であった。 提出された短歌は、会員相互の選だけではなく、伊藤先生、大口さん、そして先年まで宮崎歌会のメンバーであった俵万智さんによる5選もあり、会員の歌に対する 評価のバランスは保たれている。 そして最後まで、それぞれの短歌の作者の名前は伏せられたままであり、このスタイルだとどんな初心者でも恥をかくこともない。 他の短歌グループからもオブザーバーとして歌評者に加わっておられたが、その会では最終的には作者名が明かされるということで、「心の花」のスタイルに 興味を持っておられた。 こういう批評スタイルなら、私のような者でも会員になれそうだ、と感じた。 兎も角、そういう無記名の歌について、票を入れた方、一般会員の方、歌評者の方がそれぞれに自分の想いを語るスタイルがとても面白かった。 私も、心の中で、私ならこう思うという場面もあった。 伊藤先生が、イオンの初心者向け短歌教室よりもこの「心の花」例会に見学者で参加した方が勉強になる、と言われた理由に納得がいった。 会の締めで、再び伊藤先生から見学者の感想を求められたので、高校時代の国語の授業以来、自由な感想が述べられる場の楽しさをお伝えした。 ☆この「心の花」月例会は、会の終了後に毎回、懇親会が開かれる。 私も誘われたが、全くの無一文でホテル代も無いので、次回は必ずとお約束して帰路に就く。 ☆今年の11月に「心の花」全国大会が宮崎で開催される。 その時のお土産に、高鍋駅前「MOON DANCE」のマグネットを参加者に配りたいと、事務局の福原さんから申し出があった。 伊藤先生からも、その時に共著「月の雫」も売ろう!と提案された。 5月3日(祝・土) ☆晴れ。 室内はとても肌寒いが、外に出ると陽射しが強く、上着を羽織っての外出では暑かった。 ☆まだ夜中はとても冷え込む。 昨夜は寝室の窓を締め忘れていたら、起き抜けがとても寒かった。 おかげで妻は咽喉を傷めてしまったし、私もクシャミと鼻水が止まらない。 ☆午後は妻のボーカルレッスン。 来週10日に、今月18日開催のライブリハーサルの予定なので、共演のメンバーのために全曲の演奏を録音した。 それで午前のうちから妻と練習に励んだが、やっぱりいざ録音となると間違ってはいけないという緊張で、逆にミスをしてしまう。 何時もは何のトラブルも無い曲でつまずいてしまったり、散々なハーモニカ演奏であった。 妻も咽喉を傷めてのヴォーカルだったので辛そうだった。 5月2日(金) ☆晴れ。 陽射しは強いが、室内は冷え込む。 ☆朝一に生協高鍋店にコープ共済の相談に妻と出かける。 先日に打合せて見積もりを出してもらった民間保険会社の火災保険が、掛け捨ての5年間の保険料が高額で、妻の年金だけで支払うのはあまりにも負担が大きい。 それで第2候補として考えていたコープ共済の火災保険について説明してもらった。 実は保険料は年々見直しされて上昇し、近年は災害が多発しているので、昨年10月に保険料が見直され、約2倍の保険料になったのだと言う。 それでも見積もりを出してもらった保険会社の保険料は安い方だと言う。 そんな流れにはとても付いて行けないので、我が家で対応できるコープ共済で契約する。 ☆木版画3作目の下絵の修正。 午後から版木作業にかかる。 ☆妻が図書館から借りて来た作曲家の久石譲の新書版の本を読んでいたら、彼は50歳で音楽家をリタイヤーしようと思っていたが、50歳に近づくにつれ やりたいことが次々に出て来て、これからも可能な限り新しいことに挑戦したいと書いてあった。 私も若いころには50歳というのはとんでもない未来であったし、必死で生きていた当時の私にとって人生の終点は50歳だと定めていた。 それで25歳が人生の折り返し点と定め、25歳の誕生日に日本を飛び出してインド世界へ向かった。 インド以降の25年間が私の人生後半生の計画であった。 しかしインド以降の私の人生は方向を見失って、何をどうしたら良いのかまったくわからない暗黒の時代となってしまった。 そしてようやく50歳前になって、自分が何をすべきなのかが掴めてきた。 さらに60歳過ぎてからの私の人生は極めて豊なものになって来た。 今の私は毎日が多忙で年を取る暇がない、とみんなに語るほどだ。 これに近いうちに短歌への再挑戦が始まる。 お金とは無縁だが、とても私らしい生き方が出来ている。 5月1日(木) ☆日中はくもり。 気温は上がらず、冷え込んだ一日。 夕刻から雨となる。 ☆午前に、版画2作目の刷りの仕上げ。 一部に金箔を使った。 今回は金箔の面積が小さかったので、絵の具を刷った後に直ぐに金箔を置いてみた。 それはそれで良かったのだが、作品としては蛇足という感じになってしまった。 妻に見てもらっても、金箔を貼る前の方が良かったと言う感想。 ☆午後から3作目の版画のプランをまとめる。 プランを考えていたら、眠くて眠くて、ついテーブルに打ち伏して寝てしまった。 しばらく仮眠をとった後は、妻に促されて庭の草を刈る。 先日に手で抜き取った後に、あっという間に草ぼうぼうになってしまっていた。 ☆夕刻に3作目の版画のプランを纏めて、下絵を描く。 |
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