Back to toppage このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。 過去の日記 2025 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2024 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2023 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2022 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2021 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 |
2025 | 10月22日(水) ☆晴れ ☆昨夜から散々だった。 夜になってから近所でショベルカーの工事が始まり、大騒音。 夕食はなかなか届かず、私はビールだけ飲んで寝ようとしたら、ハレーすい星を見に行っていた邱さんが遅くに夕食を抱えて戻って来た。 私は夕食を摂る気分にもなれずベッドに入ったが、直に邱さんのもの凄いイビキで一気に眠りを醒まされる。 そして邱さんは何時ものように夜中にトイレに閉じ籠もったまま出て来ず、こともあろうかまだ早朝6時なのに台湾と携帯で大声で話し始める。 全く寝れないので、部屋の灯りを付けて珈琲を飲むがそれでも出て来ないので、顔も洗えず、ベランダでペットボトルの水で顔を洗う始末。 やっとトイレから出て来た邱さんを怒鳴りつけると、悪びれる様子も無く、共通の友人の張さんの作品が壊されたのでその対応を話していたとのこと。 そんな時間には文字通信で交信するものだろう。 ☆シンポジウム13日目。 朝一に、本体にサインを入れ、本体の補正作業をする。 午前のうちにクレーン車が来たが、オルガナーザーに聞くと心棒は一本で、それで回転を調整すると言うので、クレーン作業前にドリルを開け直す。 ランチ前にクレーン車で本体を立てる。 月部も完成しているので載せようと思ったが、心棒が明日に来るというので、作業は明日に廻す。 ☆午後は本体を建てたまま、月の雫の突起部を修正する。 ☆今日は陽射しがとても強かった。 アシスタントたちは年明けのアスワンシンポジウムにも出かかるそうだが、アスワンは40度だと言う。 ☆今夜もショベルカーの工事が始まった。 10月21日(火) ☆晴れ。 ☆シンポジウム12日目。 朝一に待望の日よけパラソルが届いた。 気温自体は高温の訳ではないので、パラソルの日陰で椅子に座っていると、吹き抜ける風がとても心地良い。 ☆今日はいちにち、月部の作業。 先日アシスタントが大失敗した部分をなんとかうまく是正して仕上げる。 こういう作業を臨機応変にきちんと処理できるのがプロであろう。 ☆午後はアシスタントたちにお願いして、人力で月部を起こしてもらう。 私からこっぴどく怒られたアシスタントに”ありがとう”の握手をしたら驚いていた。 夕刻までにはほぼ仕上がりまで持ってゆく。 ☆版画二人展、初日。 版画は売れなかったが、私の「月の雫」とマグネットが売れたと言うこと。 10月20日(祝・月) ☆晴れ。 ☆体力は回復しない。 それと言うのも、もう食事が限界でまったく体が受け付けない。 夜のビールだけでエネルギーを保っているだけである。 そこへ容赦ない陽射しの強さと、トラバーチンのハレーションで、限界状態で作業を続けている。 ☆そんな限界状態で、今日は本体の方の仕上げ作業をする。 作品はあと3日ぐらいで終了する。 予定では台座の作業があったので、ほぼ予定通りの進度だろう。 体が限界なので、作業が終わったら1,2日ゆっくりしたい。 ☆明日から妻との版画二人展。 今日は搬入・展示作業だった。 無事にうまく展示作業が進んだようだ。 10月19日(日) ☆晴れ。 朝夕はよく冷え込む。 日中は気温が高いというよりも、照り返しがきつい感じである。 ☆まだ体調はふらふら状態だが、今日は下痢も止まってくれて、なんとかやり過ごす。 ☆今日はアシスタントに月部の成形作業を指示し、私は本体の仕上げを進める。 アシスタントにはきちんと指示を出し、時々作業をチェックするとなんとか理解してくれているようで安心していた、 しかし次第に指示から外れた作業をして取り返しのつかないことをし始めたので、グラインダーを取り上げて”こうするんだ!”と作業して見せた。 ところがそうしているうちに、指示していたフォルム出しのラインがない。 何んと言うことか、作業工程を理解してくれていたと思ったら、何にも分かっていなかったのだ。 月の下部をふくらみなく削り取ってしまっている。 これでは表のフォルムとまったく合わない。 私は激怒して、彼を即刻首にした。 本体の方も昨日に側面を落してもらっていたが、こちらも切り込み過ぎたりで散々な状況になっていることが分かった。 こちらのアシスタントはきちんと指示されるのを厭がって、勝手に作業をする。 結局、アシスタントを使うと作品が駄目になってしまうのだ。 ☆作家たちと話していると、お腹を壊しているのは私と邱さんだけではないようだ。 やはりこんな食生活ではお腹を壊してしまうのは当たり前なのだ。 10月18日(土) ☆晴れ。 夜から朝にかけてはとても冷え込んだ。 ところが制作会場に着くと、照りつける太陽が何時もよりも暑い。 今日もひどい下痢状態で、朝食もあまり摂れなかったので、体力も落ちていてこの暑さがさらに体力を奪う。 ☆朝のうちにクレーンがやって来たので、本体を返してもらった。 本体の裏面の墨入れをしたり、窓枠のカッティングをするが、体力がない。 体が動かずぼんやり日陰で椅子に座っていたら、オルガナイザーのモハメッドが今日と明日はTANAKAの仕事はアシスタントがするので、ゆっくり体を 休めなさいという。 実際、ランチも全く摂れず、昨夜の夕食で出たリンゴを齧るが、リンゴを齧る体力も無い。 ☆午後はオルガナイザーがアシスタントを連れて来て、強制的に作業をさせる。 これから仕上げの作業だし、気分的に細かい指示をする気力もないが、止むをえす、月部の厚み落しをやってもらって、私は日陰の椅子に座って眺めるのみ。 他にも金属の作家が、強制的にアシスタントの仕事になってしまって、手持無沙汰で困った表情をしている。 邱さんも殆どはアシスタントが作業をしていて、本人は一日スマホで台湾とお喋りをしたり、他の作家の補助をしたりしている。 ☆確かにアシスタントはプロの職人だから、作業はとても丁寧であった。 ☆ホテルに帰ると、もう動く気力も無く、シャワーを浴びたらそのままベッドに倒れ込んだ。 夕食も摂れず、バナナを一本食べたきりである。 10月17日(金) ☆晴れ。 ☆今日は休養日なので、朝から作業ズボンや作業ジャンパーなどの洗濯をする。 ☆それから、台湾の張さんから台湾の某コンペの案内が来ていたので、要項を和訳する。 ☆同室の邱さんはヤン・リューや明日早々に帰国するナンドの奥さんと娘たちと海水浴に出かけたが、ほとんどの作家たちは自室で寛いでいた。 ☆韓国の李さんから、先日に案内のあった大邱の病院施設内の新しいギャラリーでの韓・日・中の作家による”秋の散歩”展の案内が届いた。 日本作家は今年の交流展後に作品を預けていた作家たちで、会期は今日10月17日から11月20日までである。 来年の交流展はこの新しいギャラリーで、来年の7月か8月に開催されるということであった。 しかし折り返しの新しい情報で、ギャラリーのマネージャーが来年の交流展は7月開催で、日本人作家は10名の招待と決めたと言う。 今年は日本人作家は5名の枠で、参加したくても参加できなかった作家が多かったので、参加枠が拡がって交流が楽しくなる。 ☆昨夜、コンビニにカップラーメンを買いに行って、ビルと一緒に夕食を摂ったら、久しぶりのカップラーメンは滅茶苦茶に不味くて、よくもこんなものを毎晩食べていた ものだと思った。 案の定、夜中からお腹を壊して、今日は一日ひどい下痢状態となった、 邱さんも先日からお腹を壊していて夜中に何度もトイレに閉じ籠もっている。 それで、邱さんに下痢止めの薬をもらって服用する。 ☆エジプトは空気が乾燥しているので、日陰に居るととても寒い。 部屋に居ても同じで、とても冷え込む一日だった。 10月16日(木) ☆晴れ。 ☆今日は本体の窓を完全に空け、本体の仕上げ作業をする。 仕上げに中国製のワンタッチ研磨を使ったら、喰いつきが悪く、何度やっても研磨パッドが飛んで行ってしまう。 これまではうまくいったのだが、グラインダーの回転が速すぎるのかもしれない。 ☆夕刻からは、月部の厚み落としに入る。 本体の厚みがオーダーよりも薄かったので、月部も厚みを落す。 ☆夕食後に、有志とビールの買い出しに行く。 エジプトはビール発祥の地なのに、イスラム国なので、同じイスラム国のマレーシアのようにガードの硬い酒類扱い所だった。 ☆体がバテて来ているので、そろそろ休日が欲しいと思っていたら、明日は金曜日でモスレムの休日なので、作業はお休みとなった。 10月15日(水) ☆晴れ。 朝方は肌寒いが、制作会場へ行くと陽射しが出て暑くなる。 ☆シンポジウム7日目。 今日は昨日にコアで本体の窓を開けてもらったので、窓を全開する作業。 ほぼ順調に進む。 ☆ランチの後にクレーン車が来たので、半身の形出しの終った月部を返してもらう。 ☆取り立てて暑くはないのだが、やはり作業でへとへとになる。 一日中、太陽の陽射しを浴びているので、疲れが体内に蓄積されてしまっているようだ。 そろそろ休日が欲しい。 ☆夜に宮日文芸の短歌を纏めて、3首投稿。 エジプトに来て、ニューカイロ、ニューアラメインともに街並みだけが出来上がって人が住んでいないという強烈な印象ばかりで、あまり良い歌は出来ていない。 10月14日(火) ☆晴れ。 朝は肌寒かったが、日中は穏やかな気候。 空気が乾燥しているせいか、雲の加減で暑くなったり寒くなったりする。 ☆シンポジウム6日目。 午前に本体の窓部のコア作業。 Evrimが丁寧に作業の指導をしてくれた。 今回のシンポジウムの参加作家は本当に気持ちの良い作家ばかりである。 コア作業もよく作業が進んで、美しい地中海のダイヤモンドグリーンの海を眺めながらの作業は極上のものであった。 ☆午後は、「月の雫」の月部の成形作業。 夕刻までにはほぼ月部半身の作業は終った。 10月13日(祝・月) ☆晴れ。 夜中は寒い。 ☆今朝の宮日文芸に吉川宏志氏の選で入選、と妻からの報告。 1週おきには採用されるようになって来た。 やはらかき秋陽を受けて壁にある鼻梁の清(すが)しレリーフ少女 この歌は、私の書斎にある、昔にアートアマネに入社したころに作ったテラコッタのレリーフを詠ったもの。 彫刻家らしい歌を詠もうとして、何度も何度も推敲した作品なので、吉川氏に認めて選んでもらったことはとても嬉しい。 吉川氏の選んでいただく私の歌は、私の感性を評価していただく傾向があって、心つけられる。 私は私の感性で詠んでいく。 ☆シンポジウム5日目。 最初にドリルで心棒穴を6本開ける。 ブレが無いように開けなければならないし、かなりきつい作業なのでヤン・リューとナンドに手伝ってもらう。 それからは「月の雫」の月部の成形作業。 ☆お昼前からかなり暑くなって、ヘナヘナに疲れてしまった。 たまらず、ランチを摂るカフェーの日陰で体を休める。 本当は何処かで横になっていたい。 荒い呼吸が納まらない。 隣で休んでいたエレーナが、彼女が食べる筈だったリンゴを1個恵んでくれた。 それで少し、元気が恢復した。 10月12日(日) ☆晴れ。 昨夜から強風が吹き荒れ、今日も一日中強い風が吹き続けた。 気温は低くはないのだが、朝夕は体感的に寒くなった。 ☆シンポジウム4日目。 今日は「月の雫」の月部の粗落し作業。 台湾製の粗めの電着ディスクとトラバーチンの相性が良いのか、苦手な垂直粗落しが綺麗な面で切れてくれた。 おかげで作業は順調に進む。 ☆ランチの後に作家たちが街へ出て、ワインやビールを買ってくると言う。 それで私もビールを頼む。 こちらはカイロで買った値段よりかなり高かった。 制作会場ではアルコール飲酒は厳禁なので、夜にホテルでシャワーの後までお楽しみ。 ☆昨日から午前中に胸やけがして来る。 今日は作業できない程にきつかった。 毎晩のように邱さんとカップヌードルを食べているので、家に居る時さえ夜にカップヌードルを食べると夜中に胸やけがして堪らないのだから、毎晩のように 食べていたら胸やけが酷くなるはずである。 ああ、健康的な食事がしたい。 ☆と言いつつ、今夜も久しぶりのビール片手にカップヌードルである。 胸やけがたまらない。 10月11日(土) ☆朝のうちは肌寒かったが、日中は好いお天気で気持ちよかった。 ☆シンポジウム3日目。 ☆昨日から「月の雫」の雫部分の突起を出す作業。 夕刻までには概ねのフォルムは出せて、上に載せる月部の成形作業に入る。 ☆みんなお昼寝をせずに、ランチを摂った後は直ぐに作業に入る。 2018年のハルガダの時はお昼寝をしたと思うが、あの時は昼からみんなビールを呑んでいたからか。 こちらにはちゃんと”シエスタ”というお昼寝の習慣があるのに、と思いながら、私だけ石の上に横になる。 海からの風がこんなに気持ち良いのに。 ☆今夜もカップヌードル。 ☆いつもの癖で、着替えをたくさん持って来た。 しかしここは空気が乾燥しているし、夜は風が強いので、夜のうちに洗濯してベランダに干しておけば、朝には完全に乾いている。 無駄な荷物をいっぱい持って来ている。 10月10日(金) ☆朝のうちは曇りで、作業ジャンパーを着る。 時々の小雨。 午後からは雲が切れて、何時もの気持ちの良い気候となった。 ふっと振り向いたら、真っ青なエメラルドグリーンの海が拡がっているインパクトは強烈である。 ☆作業は順調に進む。 ☆ところが作業が終って片付けに入ったところで、思いもかけないアクシデントが起きた。 今日の作業で大口径を使う作業は午前で終った。 しかし小雨の降る天気だったので、使わない大口径は工具倉庫に仕舞っておいた。 だがその仕舞ったはずの大口径が見当たらない。 ディスクは台湾製の粗めの電着だし、グラインダーは日本製のマキタだから一目でわかる。 けれどディスクの装着したグラインダーはいずれもBOSCHで、ディスクもいずれも私の物ではない。 そしてディスクの装着していないシンポジウム用の予備道具の中に私のマキタがあった。 誰かが私のマキタからディスクを外して使っている。 まだ作業をしている作家を廻って、それとなく私のディスクを捜した。 しかし本人のものかもしれないのに、それはお前のディスクか?とも聞けない。 それでオルガナイザーのモハメッドに状況を話して、作家に聞いてくれるようにお願いした。 だが多くの作家が作業しているのだから管理は自分でして、自分で捜せ、とそっけない。 そこへ私が目星を付けていたOscarが道具を仕舞いにやってきたので、そのディスクはお前のか?と尋ねると、モハメッドが貸してくれたと言う。 それで私のマキタを持って来て、このグラインダーから外したのか?と問うと、そうだ、モハメッドが使っていいと言った、と言う。 ちゃんとグラインダーには私の名前が書いてあるだろう、それにこのディスクは台湾製の特殊なものなのだと説明すると、申し訳ない、と恐縮していた。 ☆実は2018年のハルガダの時にも、私の工具箱の中から日本製のタンガロイノミが盗まれた。 だから今回はきちんと工具箱には鍵をかけるようにしているが、ディスクに名前を書いても使ったら直ぐに消えるし、いちいちディスクを外して工具箱に 納めるべきなのか。 ☆邱さんは、殆ど一日、制作会場でスマホをいじっているか、みんなの制作風景の写真を撮っていて、どうやら作品制作はエジプト人のアシスタントに まかせっきりだ。 キュレーターという立場の人はそういう感じなのかも知れない。 特に韓国やベトナムでは、大学の先生は一切制作をしない。 中国は大学の先生でも、シンポジウムではきちんと自分でしっかりした作品を作る。 台湾はどうなのだろう。 ☆今夜もカップヌードル。 ☆今日は金曜日でイスラムの休日なので、シンポジウム会場周辺も何時もより人が多かったし、このホテルも家族連れが多く泊まっていて、子供の声がうるさい。 10月9日(木) ☆晴れ。 ☆ようやくシンポジウム初日となった。 迎えに来たのは先日の市庁舎手配のVIPバスとはまるで逆で、いかにも季節労働者が乗せられるような埃まみれのオンボロバスだった。 でも気心の知れた作家たちとワイワイ言いながらバスに揺られるのは、遠足気分で楽しい。 ☆シンポジウム会場は、先日示された芝生では無く、海沿いのコンクリート広場だった。 暑いかと思ったが、風が気持ちよく、昨日のような冷え込みもなく、快適だった。 何より地中海の海のエメラルドグリーンの美しさに圧倒される。 ホテルの待遇と食事の最悪さを知らない人たちから見たら、天国の様な制作環境である。 ☆私は3つの石を組み合わせる「月の雫」のプランだったが、台座はコンクリートで作るので制作しなくて良いということになり、制作手間が一つ減ったので、 なんとか間に合うかもしれないとホッとした。 石も柔らかく彫りやすいトラバーチンなので作業は進みそうだ。 ただ私の指定したサイズよりも幅が狭かったので、アレンジし直した。 ☆それにしても食事の酷さには辟易している。 いつも同じ弁当で、今日のランチ時には胸が灼けて食事が通らなかった。 それにランチと夕食は兼ねていて、一日2食である。 ☆一日重労働してビールも呑めないなんて。 シンポジウム会場は海水浴場にもなっているようで、制作会場の床にはハイネケンビールの王冠が散乱している。 夕食が出ないので、昨日に近くのコンビニで買ったカップヌードルを食べる。 10月8日(水) ☆晴れ。 ☆昨夜は夜中2時過ぎから上の部屋でヒールで歩き回る音がしてきた。 上の部屋には一般のカップルが泊まっている。 部屋で靴を脱ぐのは東洋人だけだから、夜中に靴を履いたまま部屋の中を歩かれると、堪らない。 それにマレーシアでもそうだったが、海外の人は夜中でもホテルの中でずっと大声で喋り続けるし、走り廻る。 そこへ悪い夢でも見たのか、邱さんがうなされて叫びに近い寝言を発した。 やれやれ、だ。 ☆今日はシンポジウムの会場の諸設備の最終チェック作業で、一日フリーになり、作業は明日から開始となった。 ただでさえ会期中に間に合うかという作品なので、ぞっとなる。 邱さんも頭を抱えていた。 ☆何もすることが無いので、午前はホテルのプライベートビーチに出て、ビーチチェアに横になって寛ぐ。 海風がとても気持ちが良く、久しぶりにのんびりリラックスした時間を過ごす。 ここにビールでもあれば最高なんだが、と思っていたら近所に2軒のコンビニがあるのに気が付いた。 邱さんを誘って買い出しに出かける。 ビールはなかったが、ドイツ製のノンアルコールがあったので求める。 その他、カップヌードルとコーヒーを求める。 ビーチに戻ってノンアルコールを呑んだら、やたら不味いだけの飲み物だった。 ☆部屋に戻って、邱さんに彼がキュレーターをしていた2011年のBenQのビデオを見せてもらった、 私が久保健史君にも声をかけてエントリーしたら、私は選ばれず、私が紹介した久保君が招待された苦々しいシンポジウムである。 でも久保君の作品はとても良かった。 他の招待作家は殆ど私の友人知人ばかりだ。 おそらく花蓮に招待されてBenQに招待されなかったのは私だけだと思う。 そのキュレーターの邱さんとこうして同じ部屋に泊まっているのだから、おかしなものだ。 ☆午後に宮日文芸の投稿3首をまとめて、投稿する。 ☆今日は雲も出て風が強い。 夜になって急激に冷え込んできた。 シンポジウム会場も波打ち際なので、今日は風が強くて凍えたと言う。 空気が乾燥している分、風が吹くと冷え込むのだろうか。 考えてみれば、周囲は沙漠なのだ。 10月7日(火) ☆快晴。 ☆とんでもないホテルだ。 朝4時過ぎに、枕元で音がするのに気が付いた。 何の音だろうと思っていると、顔面に水しぶきがかかって来た。 真上のエアコンから水が降って来ている。 ベッドはびしょ濡れである。 その直後にスマホがベッドの隙間に落ちて、ベッドが重すぎて見つからない。 私の騒動に邱さんも起きてきてしまった。 さらに朝になって突然に水が出なくなってしまった。 こんな部屋に居れるか!部屋替えだ! ☆しかし聞いてみると、断水は全部の部屋だったし、エアコンのスイッチが切れず、一晩中強烈に冷たいエアーが吹き付けて来て眠れなかった作家もいた。 これでは、部屋を変わっても同じだ。 ☆ホテルなのに朝食はまたも弁当だった。 ☆10時半にバスでホテルを出る。 今日はシンポジウムの会場の下見をして、午後はプールで泳ぐという予定だと知らされていた。 しかし向かったのはニューアラメイン市の市庁舎の会見場であった。 ニューアラメイン市長、新都市共同体庁長官、オルガナイザーのモハメッドによる、今回のシンポジウムへの記者会見だった。 ニューアラメイン市はエジプトの夏の首都として、ニューカイロに次いでエーゲ海沿いの沙漠の中に建設されている街である。 ニューカイロ同様に殆どの建物は外観だけで、人が住んでいるのはごくわずかなエリアのみである。 人口600万人規模の街となるということ。 私たちはそのエジプトの国家プロジェクトの一環として彫刻を作るのである。 ☆記者会見の後は、またも外観だけ整っているシンボルタワーのGate Townに昇る。 このタワーは41階なので屋上はきちんと整備されていて、街並みが見下ろせた。 見下ろした海岸沿いの緑地が私たちのシンポジウム会場だと言うことだったが、結局は今日は立ち寄らなかった、 ☆その後は関係者一同とのランチだった。 こちらのランチは2時間以上もかかる。 結局、レストランを出たのはもう夕刻で、今日もランチと夕食が一緒だった。 ☆帰路にスーパーマーケットに寄って、必要なものを買ったが、もっとも重要なアルコールは売ってなかった。 10月6日(月) ☆快晴。 ☆今日はギザのピラミッドと新規オープンした大エジプト博物館の見学。 朝のうちにオルガナイザーから、チケットをネットで購入するようにとの指示があった。 しかし昨年のヨーロッパ周遊でとんでもない目にあったときと同じで、私の携帯番号を登録しなければならない。 それで最終のカードの支払いの段階で、カード会社からカードの認証番号が登録した携帯番号にショートメールで送られて来る。 当然、私の携帯番号へのショートメールは受信できない。 受信できるようにドコモのローミング設定をやってみたが駄目であった。 しかしネット購入が出来なくても、館の窓口ではカード払いが出来ると分かった。 ☆ホテルを出てしばらく旧市街を走っていると、突然に郊外の沙漠の中にピラミッドが3つ並んで出現する。 みんな歓声を上げるほどの感動であった。 入り口の受付でチケットを買って、周遊バスに乗って行く。 周遊バスはそれぞれのポイントで自由に乗り降り出来る。 私はピラミッドは全て御影石の組まれたものだと思っていたし、ピラミッド関係の資料でもそう書いてある。 しかし実際は御影石の使われているのは基壇部分や内部の棺を収めた石室だけで、後は良質のライムストーンと質の悪いライムストーンで組み上げられている。 ライムライトはとても柔い石なので、これまでの概念がひっくり返った。 勿論、巨大な御影石は現代の大口径切削ノコで切った様に、真っ直ぐな切り口で、紙一枚挟めない密度で組まれているので、石を彫っている私たちにとっては 全く信じられない技術の高さである。 だが昨年の世ロッパ周遊でも石造りの教会を見て回ってその技術の凄さに圧倒されたし、カンボジアのアンコールワットでも石の技術の高さに驚愕した。 従って全てを機械に頼っている私たちからみたら過去のそうした建造物の技術が信じられないが、日本のお城の石組だってものすごく巨大な御影石で石垣を 短時間に組んでいるし、ピラミッドだけが特別ではないという感覚が強くなって来た。 ピラミッドの石室に入れたが、途中の石組の様子を見ていると、内部はやはり小口の石と土で固められている部分がある。 ☆だが石室の狭い中を登って行くのは実に大変だったし、石室も巨大な御影石できっちり組まれていて、圧倒されながらクタクタになってしまった。 もう歩けないくらい疲労度だった。 ☆午後後半から話題の大エジプト博物館へ。 日本の旅行代理店でもこの大エジプト博物館ツアーが安くて出ているので、日本人の観光客も多かった。 しかし私はピラミッドの疲労で殆ど見て回る気力がなかった。 彫刻のレベルも他の多くの博物館でもっと優れたものをたくさん見ているし、修復技術が小学生のような稚拙なものが目立ってしまった。 建物も、昨日のニューカイロの外観だけ出来た施設の汚れや老朽化が目立ったので、全面オープンするときは汚れを落すのが大変だろうと思っていたが、 実際はこの大エジプト博物館も工事中の汚れや破損がそのままであった。 ☆今日もランチが午後6時で夕食は無し。 体力的にヘロヘロだった。 ☆そしてカイロから3時間ほど走って、シンポジウム会場のニューアラメインのホテルへ。 送られて来たビデオではものすごくリッチなリゾートホテルだったが、実際はもう廃業寸前のような最悪のホテルであった。 作家はみんな相部屋なのだが、コンセントは一か所しかないし、あちこち壊れたり剥げたり、こんなひどいホテルに泊まるのは昔のインド旅行以来だ。 ☆部屋の相棒は台湾の邱さん。 彼も疲れているのだろう、シャワーを浴びて昨日買ったブランデーをチビリチビリ呑んでいたら、もう鼾をかいている。 10月5日(日) ☆晴れ。 カイロの季候は最高でも30度までは上がらず、最低でも18度は切らない。 とても過ごしやすい。 昨夜は快く気持ちよく寝れた。 私とOscarは同室だがトイレとシャワーが共用だけで、部屋が完全に分かれていてほぼ個室である。 邱さんがOscarと同部屋になった。 ☆朝食は昨夜の夕食のように、一人一人のものが部屋に運ばれて来た。 珈琲もお茶も無いのが辛い。 ☆今日はカイロ市内の観光。 レセプションに降りると、早朝にジョージアのJikiaとLashaが合流していた。 Jikiaとはもう何度もシンポジムで一緒だし、Lashaとはインドのシンポジウムで一緒だった。 またウクライナのVasylが合流していて、会うのは初めてだと思っていたが、ウクライナのシンポジウムのときに会場に来てくれたことがあるのだと言う。 やはりウクライナは大変な状況で、空港が閉鎖されているので、ポーランドから飛んできたと言う。 またウクライナのシンポジウム会場だったカネフも今はとても危険な状況で、ホテルは閉鎖され、シンポジウムオルガナイザーのユーリは作品を全て他の街に 移動させたと言う。 ☆今日の午前はニューカイロの見学。 このニューカイロはカイロの郊外35kmに建設されている新しい街で、昨日も驚いたように沙漠のなかに建設中の夥しい建物が並んでいて、それらは殆ど まだ外観のみで、人は殆ど住んでいない。 開発を担当している新都市共同体庁のオフィスでお話をうかがい、オフィスの担当者に案内してもらう。 ☆先ずはランドマークとしての74階建てのタワーへ。 建設は中国建設が担当している。 外観は完成同様だが、中はまだ躯体のみである。 エレベーターで74階まで上がって、そこから建設中の街並みを見下ろす。 ☆次にセントラルパークを案内してもらう。 広大な公園で、公園の造園関係は完成して管理されているが、施設建物はやはり外観だけで、運営はまだまだ先になるのだろう。 ☆いったんホテルへ戻って休憩を取る。 午後4時から旧市街へ出て遅いランチということだったが、弁当が届いた。 おそらく今日はもう何も無いのだろうと思ってのんびりしていたら、夕刻になって突然にOscarが部屋に戻って来て、お前はカイロに行かないのか?という。 みんなバスに乗って私を待っていると言う。 私には何の連絡も無かったので慌てて下へ降りてバスに乗り込む。 バスの中でイタリアのElenaに声を掛けられる。 午後に合流したようだ。 2018年のハルガダ以来である。 ☆夕暮れて来たカイロの旧市街に這入ると、やはり長い長い歴史を持つカイロの街だ。 とても魅力的な街の雰囲気であった。 街というのは人が居てあらゆる騒音や雑踏があってこそ街である。 しかし旧市街では降りず、私たちが向かったのはギャラリーであった。 新しい展覧会のオープニングであった。 日曜日の夕暮れだと言うのに多くの人が次々にやって来る。 次に向かったのは両替所。 100リラが300円程だから、ドルから両替すると大変な札束になった。 その足で近くの酒店に寄って、私はビールとブランデーを買う。 そのまま市内観光は無くホテルに向かうが、途中のスーパーに立ち寄って、皆必要な食料を買う。 私は日本で便秘対策で毎日食べているバナナを買う。 結局、ホテルへ帰って来たのはもう11時前だった。 シャワーも浴びず、久しぶりに買って来たビールを呑んで床に就く。 10月4日(土) ☆イスタンブールは雨。 非常に寒い。 ☆0:00にならないと搭乗ゲイトが分からないので、延々と8時間15分の乗り継ぎ待ち時間を椅子に座って過ごす。 長い時間、硬い椅子に座っていると、お尻が痛くなってしまう。 ☆0:00を回って判明した搭乗ゲイトへ行くと、シンポジウム参加作家のトルコのEvrimから声をかけられた。 お互いには初対面だが、フェイスブック友だちなので、私のことは直ぐに分かったと言う。 同じトルコのSongulも一緒だった。 彼女の名前には覚えがあった。 二人は姓は違うがパートナー同士のようだ。 ほどなくしてキューバのOscarがやって来た。 Oscarとは2018年のハルガダで一緒だったし、行橋プロジェクトにも参加してくれた。 空港展の話題が出たので、作成したQRコードのカードを渡す。 今日はQRコードを読み込むと、きちんと空港展のURLが表示された。 ☆定刻より少し遅れて、午前3時過ぎにイスタンブールを発つ。 隣の席にスウェーデン生まれのアフリカイスラム女性が乗っていて、入国カードの書き方が分からなくて、ペンを貸して書き方を教えてあげたら、とてもフランクになって 食事の時もかいがいしく世話をしてくれるし、自分ことや私のことなどで楽しくお喋りをしてくれた。 ☆定刻より遅れて午前4時にカイロ空港へ到着。 ビザは一般観光客はパスポートと25ドルを提出すればあっという間にビザのシートを出してくれるのだが、私たちの前のフライトクルーのビザ発給が実に時間がかかって、 全く前に進まなかった。 どっちみち、バゲッジルームでは預け荷物が出て来るのに凄く時間がかかってしまったので、ビザ発給で手間取っても何の影響も無かった。 ☆空港にはオルガナイザーのモハメッドの息子が出迎えに来てくれていたが、なにしろシンポジウム作家の荷物がどれだけすごいかの計算抜きで来ているので、 荷物の積み込みに手も足も出ず車をもう一台呼ぶ手配を始めた。 しかし私たち作家の方が読みが出来るので、私たちが積み込んだらきちんと荷物も作家も納まった。 ☆カイロは初めてである。 郊外は夥しい数のマンション風の全てベランダ付きの建物が延々と建設中であった。 今日はその中の木賃宿みたいなホテルに泊まることになった。 今日は夕刻までは部屋で休むだけの予定しかない。 私はOscarと同宿となった。 ☆ほどなくして台湾の邱さんがやって来た。 邱さんとは台湾の嘉儀でお逢いしているが、台湾では高名な作家で東海大学の教授であり、BenQのオルガナイザーをされている。 邱さんとホテルのレストランで朝食を摂る。 ☆レストランに酒が置いていないのでオルガナイザーのモハメッドに確認すると、今回のシンポジウムはエジプト政府の主催なので、シンポジウム期間中は 一切の飲酒は禁止なのだと言う。 街で酒を買って、ホテルの部屋で呑むのは構わないと言うこと。 もっとも私も高齢化してきて、前回のように昼間から呑んでいたのでは体が持たない心配があったので、それくらいが良いかもしれない。 ☆しばらく仮眠を取ったが、何もすることはないので短歌の一日一首を考える。 今回のエジプト滞在で、面白い歌が詠めると良い。 ☆私が部屋で作業をしている間に、スペインのNando(今年の空港展作家)とブルガリアのLiliyaが合流。 (ホテルの部屋割りで、NandoとLiliyaが同室になっているので、何故と思ったらLiliyaはNandoの妻だった) そして夜までにフランスのXavier(ノルマンディーのシンポジウムでお世話になった)、メキシコのErnest、ポーランドのAnnaが合流した。 夕食は皆で屋上で弁当の会食。 ピラフは美味しかったがやたらとボリュームが多過ぎて、半分以上は残してしまった。 やはり夜になると、風が出て屋上はとても肌寒い。 10月3日(金) ☆成田は朝のうちは快晴。 しばらくして雲が出て来る。 ☆5時半に起床。 荷物をまとめて、6時からホテルで朝食。 6時半出発のリムジンバスを予約してあったので乗り込んだら、もう出発寸前だった。 ☆リムジンバスで第1ターミナルへ。 まずクロネコヤマトへ向かって、空港宅急便の工具を受け取る。 近くに預け荷物のパッキング台と計量機があったので、工具荷物のオーバー分を取り出して、スーツケースへ移動する。 ただ23kgの制限重量は23,999kgまでは大丈夫なので、クサビの小箱を戻したらクリアーしたので、重いクサビとリューターのみをスーツケースに移す。 ☆ターキッシュエアラインのカウンターへ向かうと、搭乗時刻3時間前より早かったが、もう自動チェックインをしている人たちが居るので、チェックインする。 そうしたら座席指定が出来たので、イスタンブールまでのフライトとカイロまでのフライトも通路側席に座席指定できた。 実はターキッシュエアラインは予約時には座席指定が出来ない。 出発24時間前からWEBチェックインが出来て、座席も指定できるので、昨日の朝にパソコンでチェックインしてみた。 座席指定は無料と有料の席があり、ほとんどの席は有料だった. だが苦痛な真ん中の席や窓席よりも、有料でも楽な旅をしたいと思って、カードでの支払い手続きをした。 しかし何度やっても、エラーが出て支払いが出来なかった。 ところが自動チェックイン機では無料で通路側席に変更できたのである。 やはりチェックイン開始3時間前より早めに来て、自動チェックインすべきだ。 ☆実にスムーズにチェックインも出国審査も終了する。 ☆ところが搭乗直前になって、カウンターから呼びだされた。 何事かと思ってカウンターへ行くと、私のスーツケースが置いてある。 さては工具箱から移した工具が引っかかったのかと思っていたら、私のチケットに貼ってある預かり証を点検している。 実は私のスーツケースと瓜二つのものがあり、どちらが私の物かの確認だったと言うこと。 ☆定刻より少し遅れて、11時に成田を出発。 今日はやたらとトイレが近くて困った。 よくぞ自動チェックイン機で通路側の席を確保したものだ。 前半はひたすら眠り、夕刻からはビデオを観る。 ライブで演奏している”City of Stars"が主題歌の”La La Land”を観る。 ☆ほぼ定刻の夕刻5時(日本時間11時)にイスタンブール着。 今年はイスタンブールは3度目。 入国審査時に搭乗券を置き忘れてしまった人がいる。 かくいう私もクロアチア旅行の時に搭乗口で搭乗券を落してしまったが、幸いにツアー仲間の人が気付いて大事には至らなかった。 カイロへの出発は明朝2時。 10月2日(木) ☆快晴。 夜中はかなり肌寒くなったが、日中はやはり強烈な陽射し。 ☆朝一に、宮日文芸の3首を投稿。 ☆午前はエジプトの荷造りのまとめ。 スーツケースが結構パンパンになった。 成田空港から工具の重量オーバーの3kg分をスーツケースに入れなければならないのだが。 ☆このパソコンの容量がパンパンで、エラーメッセージが頻繁に出る。 容量の空きを大幅に確保しておかないと、2カ月のエジプト滞在の画像を保存できない。 それで昨年のヨーロッパ周遊旅行と今年のクロアチア・ベネチィア旅行の画像データを外付けHDDに移すことにする。 ところがデータ移行に5時間という表示が出る。 実際に、1時間経っても2時間経っても一向にデータが移動しない。 そんな悠長なことをやっていたら午後の飛行機に間に合わない。 これはやはりUSBケーブルがおかしいのではないかと思い、HDDのUSBをパソコンに直接差し込んでみた。 そうしたら、あっという間にデータが移行した。 ☆次に、空港展のウェブサイトのQRコードを記載したカードを作る。 これを作家たちに渡せば、私は海外へ空港展のパンフレットを持って行く必要はないのである。 ところがQRコードを読み込んでみると、URLは空港展のURLなのに、私のこのHPが表示される。 ホームページビルダーの設定がおかしくなった時に、空港展のURLが私のHPを開く設定になってしまっていたようだ。 それで設定し直してQRコードも作り直すが、なぜかやはり空港展のQRコードを読み込むと、私のHPが表示される。 ☆そんな出発直前のバタバタで、午後1時に高鍋を出発して妻に宮崎空港まで送ってもらう。 ☆15時20分発のジェットスターで成田空港へ。 機内は冷房が効きすぎていて、寒くてたまらなかった。 機内持ち込みの荷物にはチャンと機内冷房対策のジャンパーを入れておいたのに、まったく思い出さなかった。 定刻の17時05分より少し早めに成田空港へ着く。 飛行機から降りると、寒い! 思わずジャンパーを着る。 ☆第2ターミナルへ移動して、ホテルのリムジンバスに乗る。 ホテルは成田空港を利用するときの定宿。 売店のインスタントラーメンとカンビールで夕食。 10月1日(水) ☆晴れ。 ようやく夜中はエアコンが不要で肌寒くなって来た。 しかし日中は相変わらずの陽射しの強さ。 ☆とうとう10月に這入ってしまった。 今月からはほぼエジプト便りとなる。 ☆朝一に国勢調査の回答をスマホでする。 スマホは簡単であった。 ☆今日はエジプト滞在でで2カ月間不在になるので、家廻りの整理作業。 まず午前は、庭の桜の枝落とし。 枝が伸びて、洗濯物の上に毛虫が落ちてきたりするようになったので、妻から枝落としを頼まれていた。 しかし桜の枝を落すのは11月が良いと言うのでそのままであった。 11月は不在なので、長脚立に乗って、ノコで枝を落す。 ここで落下して怪我でもしたらエジプトへ行けなくなるので、しっかりロープを張って安定を保つ。 おかげで庭の視界が開けた。 落した枝はアンジェラスの森へ運ぶ。 ☆午後からは自宅倉庫に溜まってしまっている段ボールの整理。 広い面の段ボールは木版画の湿しに使えるので、切り離しながら整理する。 紙源センターへ搬入して、倉庫はすっきりとなった。 ☆次に庭の草刈りと側溝の雑草取り。 それで日が暮れてしまった。 9月30日(火) ☆晴れ。 朝はかなり肌寒くなったが、日中はまだまだ陽射しが厳しい。 ☆午前は、版画二人展の準備。 色々と抜けや確認事項がある。 ☆午後からはエジプトのスーツケース荷造り。 現地の気候は冷え込まないので、夏物だけで良いのでかなり助かる。 おおよその荷造りは終る。 ☆夕刻に短歌の作業。 宮日文芸に投稿する3首を推敲する。 ☆そしてようやくエジプトへ発つ前に処理しておくべき雑務が片付いたので、懸案の叔母の13回忌に向けた寄稿集の原稿に取り掛かる。 これは来年の叔母の13回忌を機会に、叔母への想いを寄稿文集にしてまとめたいと言う四兄の意向で進められているものである。 叔母は父の下の妹で、若いころは高鍋三美人の一人としてその美しさを讃えられ、神戸の日赤の看護婦として多くの外国人との交流を重ねて来た人である。 凛としてとても知的な人だった。 春先に原稿依頼があり、夏までにはもう他の兄妹たちは原稿をまとめて送っているようだが、私は締め切りを過ぎてもなかなか筆を持てなかった。 というのは、叔母一家とは殆ど家族的な付き合いであったので、私個人的な叔母との交流は余りない環境で育ち、何を書いてよいのか分からなかった。 そういう記憶の中で、1,2の私個人的なエピソードを書き始めたら、一気に原稿が纏まった。 やっと肩の荷が下りる。 9月29日(月) ☆晴れ。 分厚い雲は多いものの、概ね晴れ。 しかし非常に陽射しがきつく、蒸し暑い。 もう10月が来ると言うのに、今年も暑い秋となるのか。 ☆今日の宮日文芸に伊藤先生と大口玲子氏の2名の選者から採用され、しかも伊藤先生方からは投稿を始めてから初の特選に選んでいただいた。 最近は自信の無い歌ばかり投稿しているので、まったく予想外だった。 クエンカに又木啓子を訪ねたり伊東マンショも立ち寄りし古都 去年の春に妻とクエンカに又木さんを訪ねた時に、実は私がブロンズ像を制作した伊東マンショが440年前にクエンカを訪れていて、マンショ一行は領主から心からの 歓待を受け馬車を贈られていたことを知り、何かすごい縁でクエンカに導かれて来たと感じた驚きを詠んだものである。 いつか特選を選んでもらえるようになりたいと願っていたが、それが又木さんと伊東マンショの力で実現できて心から嬉しい。 これも何かの縁なのか。 大口さんからも初めて選んでいただいた。 私は私の視点で詠んで行けば好い。 ☆午前はエジプトのビザで振り回された。 前回のエジプト滞在では空港でビザを取得したので、ゆっくり構えていた。 いまはネットでも取得できるのだが、作家たちが招待状や滞在中のホテルのアドレス等が必要だと慌てているので、ネットを開いてみた。 ところが、ネットでのビザ申請は入国7日前までには申請しなければならなかった。 私がエジプトへ這入るのは今日を含めて6日後なので、もう申請は出来ない。 それで空港での申請を調べてみたら、滞在は30日以内と限定されている。 色んなタイプのビザがあるが、いずれも滞在は30日以内であった。 しかし私は60日滞在なのだ。 ☆どうしたらよいのか、シンポジウムのオルガナイザーに問いあわせるが、しかし私は返事を待たずに決断した。 私の最初の10月だけ滞在予定でのチケットは、国内線も国際線もキャンセルしての変更も払い戻しも出来なかった。 つまり、購入したチケットはそのまま正常に使える。 それで成田からカイロまでの片道チケットを検索してみたら、エジプト航空が5万円台である。 それならこのチケットを購入して、いったん当初のスケジュールで帰国して、とんぼ返りでエジプトへ戻ろう。 直ぐにエジプト航空と国内線のジェットスターを予約購入した。 ☆実は先日から迷っていたことでもあった。 2カ月もエジプトに滞在すると、その間に私の銀行口座には1円も入って来ない。 銀行引き落としが一切できず、カード類が契約解除になってしまう。 それならば、いったん帰国して、10月のシンポジウムの報酬を口座に入れて、またエジプトに戻ると言う方法を真剣に考えていた。 ビザの問題でそう決断した。 ☆私が決断した後に、私と同じように2カ月間滞在する作家からの問いあわせに、オルガナイザーは”なんとかなる”、という返答をしている。 確かに何とかなるのかもしれないが、私の事情もあり、私は私なりに決断した。 9月28日(日) ☆くもり。 夕刻からお湿り程度の小雨。 蒸し暑い一日。 ☆午前は版画二人展の残りの準備。 おおよその準備は整った。 ☆午後はエジプトの道具の荷造り。 国際線飛行機の受託手荷物制限重量よりも3Kg少しオーバー。 国内線のジェットスターも受託手荷物は20kgまでなので、国際線のチェックイン前に工具箱からオーバー3kg分をスーツケースに移せば丁度よくなる。 7年前のエジプトの日記を読み返してみたら、200V180mmグラインダーはカーボンが直ぐに切れてしまうくらいのトラブル発生だったようだ。 今回はカーボンはたっぷり用意してある。 そして無事に空港宅急便の手配を済ます。 ☆いよいよエジプト目前となった。 工具は送ったので、次はスーツケースの準備だ。 10月と11月のエジプトの気候を調べると、1年中で最も良い気候で、暑くもならず冷え込みも無く、観光のベストシーズンだということ。 これで冬物は11月末に日本に帰国した時の防寒着だけ入れておけばよい。 ☆次いで、エジプト滞在中のeSIMを購入する。 やはりHolaflyが一番使い勝手が良いので、エジプト滞在56日間のeSIMを購入して、スマホに設定する。 7年前のエジプト滞在ではネット環境が悪く、苦労した。 ☆残るはビザだ。 ビザはカイロ空港で手続きできるが、招待状が10月のシンポジウム分しか届いていないので、11月のカイロのシンポジウムへの招待状が必要なようだ。 また滞在中のホテルの住所も必要で、作家たちからの問い合わせが相次いでいる。 オルガナイザーに問いあわせる。 9月27日(土) ☆くもり。 蒸し暑い一日。 夕刻から小雨がパラパラ。 ☆朝食後に急に腰に激痛。 来週からエジプトで過激な制作活動が始まると言うのに! あわてて整骨院へ走る。 いまは気候の変化で腰が痛くなる人が多いという。 電気治療と院長のマッサージで、ウソみたいに激痛が消えた。 ☆午前は版画二人展の作業。 ☆午後からエジプトの荷造り。 いつも大きな問題は飛行機の受託手荷物制限内の重量で荷物をまとめること。 近年の海外シンポジウムは230mmの大口径グラインダーは主催者で準備してくれるところが多くなって来たので、スーツケースに制限内の重量の工具を入れて 問題なく荷造り出来た。 しかしエジプトは前回も今回も230mmの大口径グラインダーは持参しなければならない。 この230mm大口径のグラインダーが結構な重さなのだ。 だから前回は日本国内で購入できる200V対応の180mmマキタグラインダーを購入して持って行った。 だが元々180mmの機動力のグラインダーに230mmのデスクを取りつけること自体が負担増だし、エジプトは220Vなのでパワーが10%不足してしまう。 やはり作業には支障はないが、負担が大きいので作業途中で故障が多くなってしまった。 手元にその時に使った200V180mmグラインダーが無いと言うことは、やはり使えなくなって破棄したということだ。 それで今回は作業効率のために中国で買った230mmのマキタの新品を持って行くことにして、荷造りしてみた。 だがやはりマキタの230mmグラインダーは重量が重すぎて、飛行機の受託荷物制限を5,5kgもオーバーしてしまった。 前回のオーバー分はわずかだったので、チックインの時にその超過分のクサビをスーツケースに移動したのだが、今回の5,5kg分の道具を取り出してみると、 相当な量の道具になり、これをチェックイン前にスーツケースに入れるのは大変だし、これから寒くなるのでスーツケースの荷物も軽くはない。 成田までの国内線はジェットスターで、預け荷物超過料金を払っても20kgまでしか預けられないので、超過分は空港宅急便で先に送っておかなければならい。 国際線の飛行会社のホームページで調べると、重量超過分は80ドル支払えば良いとある。 これで行こうと思ったが、帰路は中国の飛行会社である。 いろいろと考えてみたが、面倒臭くなり、前回のエジプト以降に新しく購入していた200V180mmグラインダーを持って行くことにした。 今回は2カ月の滞在で、作品を2点作らなければならないので、途中で200V180ミリグラインダーは使えなくなる。 その時はカイロでBOSCHの230mmグラインダーを買って、使い捨てにしよう。 そう決断して、新品の200V180mmマキタグラインダーのコンセントをCプラグに交換する。 これで重量オーバーは3kgになった。 多分、使わない道具もあるだろう。 明日にまた持参道具を再点検しよう。 9月26日(金) ☆午前は快晴。 全国的にそうだったように、宮崎もとても蒸し暑かった。 午後から分厚い雲が出て、夕刻から雨となる。 ☆午前は、新作木版画3作目の刷り。 なんとか見れるようになった。 注文した手漉き和紙がやっぱり届かないので、残りの和紙を工面して使ったのでマットに入るのがギリギリのサイズしか取れず、裏打ちをして紙幅を広げる。 これで今年の版画作業は終了。 ☆昼前からキャプション等をウッドラップパネルに貼る。 ☆午後半ばから、ようやくエジプトの道具の準備。 MAKITAの230mmグラインダーが中国で買って来たままの新品があった。 それを中国式のプラグを切り離してエジプト用のCプラグに取り替えたり、ディスクが全面で平らに掛けられるように軸を切って調整の作業をする。 工具箱への積み込みは明日の午前に廻す。 9月25日(木) ☆午前は雨。 日中は薄日の射す曇天で、天候は回復に向かう。 ☆午前に木版画の新作2作目の刷り。 引続いて新作3作目の版木彫りにかかる。 ☆午後は2階書斎で、短歌の作業。 宮日文芸の3首が全くまとまらず、どれもどうでも良いようなものばかり。 仕方なく以前に作ってまだ投稿していなかった歌をあれこれ推敲して、なんとか3首を投稿。 ☆その後は、木版画新作3作目の彫りの続き。 そして一度目の刷り。 これでどうにか予定通りの新作15点を展示できる見通しが立った。 9月24日(水) ☆夜中は激しい雨。 雨は一日続く。 やや蒸し暑い。 ☆夜中3時前に起きる。 やるべきことが山積している。 とりあえず溜まっている一日一首の短歌を考えるが、うまくまとまらず、あれこれ考えている間に眠くなって、5時前に再び寝る。 ☆午前は妻に水張りと裏打ちの作業を教える。 私は木版画新作二作目の版木を彫る。 ☆注文していた版画のマットが届いた。 先日には額も届いて居たので、午後は版画の額装作業をする。 額装しながら作品を手に取ると、なかなかに良い作品もある。 破棄しようとさえ思っていた作品が、ワンポイントの金箔を入れたことで、最も好きな作品になった。 木版画は、刷ってしばらくしてから絵の具が馴染んで来るので、時間をおいて味が出て来る。 ☆併行して、版木を彫った新作2作目の刷りを進める。 木版画の作業がてきぱきと早くなった。 妻に言わせると、短歌を一首考えている時間よりも早く、版画作業がスムーズに進む。 9月23日(祝・火) ☆雨。 日中は晴れたり降ったり。 夜になって激しく降る。 ☆午前は昨日版木を彫った新作木版画の刷り。 あまり残り時間がないので、16cm角の小作品。 同時並行で妻の薄い紙の版画とドローイングを水張り裏打ちする。 ☆晴れ間の出た午後に、”友愛の森”へ出かけて、気になっていた彫刻の汚れを落す。 ベンガラを塗った”再生”は、2年前に「心の花」宮崎歌会の皆さんの彫刻ツアーの時にベンガラを塗り直した。 美術館に置いてあった時には気にならなかったが、ベンガラがまだ生々しいところが残っているし、保育園の園庭に持ってくると子供たちが目線の高さで触れる。 ベンガラは洗濯しても落ちないので、園児たちが服にベンガラを付けて帰ったら、お母さんたちからのクレームが届く。 それで早いうちに洗い流して、エジプトへ発ちたかった。 もう1点の”希望の種子”も木枝の下にあったのでかなり汚れていて、先日の移動作業の時に造園業者が高圧洗浄機で洗ってくれたが、あまり落ちなかった。 今日はカビ取りスプレーを吹きかけたら少しは落ちてくれた。 カビ取りスプレーは塩素系なので、上天気の日よりも雨の合間の方が、雨で流れてくれて助かる。 ☆夕刻は新作版画2作目の版木彫り。 ☆先日の出来レースで門前払いされた某海外シンポジウムのオルガナイザーから突然に返事が届いた。 将来は是非会いたいという紋切り型の返事であるが、誠意は感じられるので、来年も募集があればまた応募してみるか。 9月22日(月) ☆くもり。 天候は下り坂で夜になって雨となる。 気温は上がらず、夕刻からは一気に肌寒くなる。 ☆7時過ぎにホテルをチェックアウト。 曇天で涼しいので、車の窓を全開で走る。 新富町に入ったところで、カーラジオから新富町で殺人未遂事件が発生し、犯人は包丁を持ったまま逃走中という物騒なニュース。 帰宅してしばらくして、高鍋町防災ネットワークでも、玄関に鍵を掛けるようにという連絡が入り、中学校の校内放送でも事件を知らせるアナウンスが 聞こえて来た。 幸い、犯人は宮崎市内で確保されたようだ。 ☆午前に墓参。 線香立てのところに蜜柑が1個置いてあった。 蜜柑の状態から、つい今しがた置かれたような感じだったが、三兄たちがお参りに来たにしては花は供えられていない。 昼に三兄夫婦が仏壇におはぎを供えに来たので聞いてみたが、墓にはこれから行くという。 最近の墓参にはミステリーが多い。 他の墓地にも蜜柑が上がっていたのなら状況はわかるが、我が家の墓地にだけというのは謎である。 ☆午後に”せいごろう亭”で石井記念友愛社の児嶋理事長と、「田中等彫刻公園」の協賛社打診の件で打合せ。 昨日頼まれた子供たちが私の彫刻と触れ合っている写真のデータをお渡しする。 ☆午後は10月の版画二人展のための追加作品の制作。 プランを考えて、版木を彫る。 しかし私はもう1週間ほどしか我が家にいない。 やるべきことが山積しているので、どこまで出来るのだろうか。 ☆今朝の宮日文芸には採用は無し。 私は最近は将来の歌集構成に向けて、詠う内容がバラバラで選者の方には戸惑いが多いと思うので、多分採用は無いだろうと思っていてあまり気にしない。 昨夜の2次会で呑んだ古川さんは特選だった。 9月21日(日) ☆晴れ。 お昼前からは分厚い雲が蔽って来て、陽射しを遮ってくれたので、酷暑は避けられた。 ☆今朝は消防の動きが無かったので、行方不明の方は見つかったのだろうと思っていたら、高鍋町の防災メールで無事発見の報告が届いた。 ☆石井記念友愛社の児島理事長から、先日の”のゆり保育園”と”友愛の森”の保育園児たちが私の彫刻と触れ合っている写真をプリントして欲しい、という 依頼があって、午前中はその作業。 これからの「田中等彫刻公園」の展開にはスポンサーの協賛が欠かせない。 そのスポンサーへの協賛交渉のために、”友愛の森”に設置された私の彫刻と保育園児たちとの写真が欲しくて、それで理事長は私がエジプトへ発つ前に その段取りをしておきたかったのであった。 それで児島理事長にインスピレーションを与えた、アメリカ・ブルーヒルの私の彫刻と地元の子供たちが触れ合っている写真も含めてデータを作成する。 私は過去のデータを保存していたHDDが壊れてしまったので、3年ほど前くらいから先のデータが消えてしまったのだが、ブルーヒルの画像は、幸いに古い パソコンの中に残っていた。 ☆今日は伊藤一彦先生の宮崎県民栄誉賞の授賞式。 私は「心の花」宮崎歌会の会員として祝賀会に出席することになったので、祝賀会会場の宮崎観光ホテルに宿を取って、3時にチェックインした。 「心の花」宮崎歌会の皆さんとは、11月の「心の花」全国大会・宮崎会場の打合せがあったので早めにチェックインした。 ☆午後5時から祝賀会。 最初の30分は伊藤先生の若山牧水賞の発足当初からのお話。 その後に懇親パーティー。 会場は大きな宴会場では無く、レストランを貸し切っての会場だったので、招待客は100名というキャパシティーであった。 伊藤先生自体がこうした祝賀会はお嫌いなので、主催の宮崎日日新聞社に押し切られてのギリギリでの許容範囲でのメンバーでの会となったようだ。 とまれ、伊藤先生のこれまでのご活躍は超・超・スーパーマンの歩みであった。 伊藤先生の先の展開を明晰に見越した企画力の凄さには圧倒される。 今の私があるのも伊藤先生からの影響が実に大きい。 奥さんにも久しぶりにお会いする。 ☆お開きの時間が早かったので、「心の花」会員の古川さんとホテル裏の居酒屋で軽く2次会をする。 9月20日(土) ☆晴れ。 朝のうちは和室の庄司硝子を開けると、庭からヒンヤリととても涼しい冷気が這入って来る。 ようやく秋の気配を感じられるようになって来た。 日中もまだまだ気温は高いが、真夏日にはならない。 ☆朝一に、”友愛の森”へ出かけ、明倫保育園の園庭で園児たちに私の彫刻と触れ合ってもらっている写真を撮る。 園児たちはとても楽しそうに彫刻に触れてくれた。 帰宅して早速フェイスブックに画像を上げる。 ☆エジプトまでもう残り10日しかない。 そろそろ旅支度をしなくては間に合わない。 近年はスーツケースに道具を入れて行くようになったので、やはりネットで買った安価なスーツケースは直ぐに壊れてしまう。 新しいスーツケースを買わなくてはならないと思っていたが、昨年のヨーロッパ周遊旅行の時に買った布製のスーツケースがあったことを思い出した。 今回のエジプトは大口径のグラインダーを持って行かなければならないので、道具は8年前のハルガダシンポジウムと同じSTANLEYの工具箱に収めて行く。 スーツケースには重い道具類は入れなくて済む。 ☆日中は10月の版画展DMの宛名印刷。 これまでの住所録から来てくれそうな人をリストアップして、新しい住所録に編集し直す作業に大きな時間が取られてしまう。 ☆今日と明日はラッパーのガドロの凱旋ライブが故郷の高鍋町で開催されるので、街中は賑わしい。 一方で、お隣の消防機庫も何やらせわしない。 ずっと無線の遣り取りをしている。 そうしたら高鍋町の防災メールで、2日前からこの近所で高齢者の女性が行方不明だという、発見協力依頼のニュースが流れて来た。 どうりで、昨日から女性刑事みたいな2人組が聞き込みで各戸を廻っていて、何事だろうと思っていた。 無線でずっと遣り取りをしている消防隊員は、ガドロと同じ年齢の若者たちだ。 消防隊員の多くは今日のライブのチケットを購入して、楽しみにしていたのではないのか。 しかし人命救助が優先だ。 9月19日(金) ☆朝のうちと午後半ばには雨になりそうな暗雲が立ち込めたが、雨にはならず、日中は暑い陽射しが降り注いだ。 夕刻には風が幾分涼しく感じられた。 少しづつ秋が近づきつつあるか。 ☆石井記念友愛社の児島理事長の描く、「友愛の森」の「田中等彫刻公園」が今日から動き出した。 昨夕に今朝早朝からの作業という連絡が這入り、私は何時もより朝支度を早めに済ませ、アンジェラスの森へ必要な道具を取りに行く。 久しぶりに上がるアンジェラスの森への里山の道筋は、蔽い繁っていた木枝や草むらが綺麗に伐採され、爽やかな道筋となっていた。 ☆8時半から、高鍋町美術館に置かせてもらっている作品2点の移設作業にかかる。 美術館に着くと、もうすでに友愛社の手配していた造園業者が作業にかかっていた。 美術館の職員にも昨夜のうちに連絡してあったので、立ち会ってもらった。 まずは2000日向現代彫刻展の出品作「再生」を、「友愛の森」の明倫保育園の園庭に移設する。 児島理事長の理念で、園児たちに体ごと彫刻を感じて欲しいと言う趣旨である。 ただこの「再生」はカッティングで荒らしてベンガラを塗った部分と研磨した部分とのマチエールの対比が見どころである。 子供たちが登ったら、カッティングのエッジで必ず怪我をする。 それで、園庭に置いたら、エッジを落してほしいと児島理事長から念を押されていて、仕方ないかなと思いながらも、実に気の重いことであった。 この作品のコンセプトが無くなってしまうからである。 美術館の小森副館長と青井学芸員も、危なくてもそれで物事を子供たちが接し方を体験的に学んでいくのが教育であり、そもそも作品のコンセプトが 失われてしまうと残念がっていた。 ところが、園庭に設置した「再生」のカッティング部分を手で撫ぜていた児島理事長は、大丈夫かな?という反応だった。 それで美術館サイドと私の意見を述べて、カッティング部分には手を入れないことに落ち着いた。 ☆次に、2002日向現代彫刻展出品作の「Seed(希望の種子)」を移設する。 この作品は園児がいくら登っても問題ない作品である。 ただ木枝の下に置いてあったので、汚れが酷く、設置後に高圧洗浄機で洗ってもらった。 ☆「友愛の森」の直ぐとなりは、火産霊神社の森で、大きな楠が繁っている。 その森を背景に、伸び伸びとした園庭に移設された彫刻は、20年以上を経て、ようやく最適の安住の地を得て、生命が甦って来た。 ☆次に、旧・明倫保育園に設置してあった小さなオブジェを、新しい明倫保育園に移設し、最後に街中の金物店倉庫角に置かせてもらっていた大理石の作品を、 明倫保育園の玄関に移設した。 この大理石作品は、2008年の高鍋町美術館での個展開催の時に制作した「The door of the wind」である。 大理石なので、屋根のある場所に設置した。 ☆午後には明倫保育園園舎に設置した2点の目地埋め作業をして、終ったのはもう夕刻だった。 ようやく動き始めた「田中等彫刻公園」。 これからどう展開してゆくか。 ☆今日の移設作業には地域起こし協力隊のアーティスト二人にも立ち会ってもらう予定だった。 彼らが赴任した初年度に、彼らの活動目的であるアートによる地域おこしの新しいムーブメントが始まるので、是非、彼らにその出発点から関わって欲しかったし、 彼らもそう望んでいた。 特に市川さんはランドスケープが専門であり、公園計画やアーバンデザインは専門分野なのだ。 しかし彼は数日前からアメリカのレジデンスに出かけてしまい、タイミングが合わなかったし、さいとうさんも昨夕の連絡だったので、もうすでに 今日の予定が這入っていた。 それで私がエジプトから帰国してから、「友愛の森」で児島理事長から理念をうかがい、夜は私のエジプト土産話を聞きながら、彫刻公園について意見を交わす酒席の場を 設けることになった。 9月18日(木) ☆晴れ。 朝のうちは雲が多かったので、いつもより涼しかった。 日中はまた青空が拡がって暑くなる。 ☆午前は版画展の準備。 額が全然足りないので、額を発注する。 何時もお願いするお店は、私たちが好んで使うサイズの白木の額が常に在庫が無く、注文の度に外部メーカーに発注になって取り寄せに時間がかかる。 それで今回は、同じような額をを扱っている別なお店に発注する。 ☆昼前に、1作目の木版画の金箔貼り作業。 何度色を重ねてもうまく行かなかった作品だが、金箔をポイントに使ったら、何んとか見られるようになってくれた。 ☆午睡の後、短歌の作業。 アンジェラスの森に上がらなくなってから、国が荒れているネパール題材の歌やインドの旅の歌など、題材がバラバラの歌しか読んでいない。 これらの歌は、将来出版するかもしれない歌集の構成のことを頭に置いて詠んでいる。 ようやく3首を推敲して、宮日文芸に投稿。 以前は短歌の表現は旧カナ使いの作品が好いと思っていた。 毎日のように目を通している短歌の本も、書棚に在る本は結婚前に読んでいた40年以上も前の歌集ばかりである。 だから5月から短歌を再開してからは、頭の中では”われ・・・ゆえに・・・ならざるか”といった体裁の歌を詠んでしまうのだが、最近になって、どうも今の自分の気持ちと 旧カナ使いの歌とが気持ちのずれを感ずるようになってきている。 若い世代のライトバースの軽すぎる世界にはついて行けないが、やはり今の自分の感性による表現というものがある気がしている。 9月17日(水) ☆午前は晴れ。 昼に急に雲が出て、一気に雷を伴った激しいにわか雨。 午後は再び陽射しの強い晴れ。 ☆一日、10月の版画二人展の準備。 先ずは昨日に作成した妻の作品一覧の修正作業を済ませて、キャプションを作成。 私はまだ作品が揃っていないので、準備できた分だけのキャプションを作成。 ☆それから、昨日にデータを作成していたマグネットを発注。 さらに、必要な版画マットの寸法を割り出して発注。 これが実に細かな神経を使う作業で、ヘナヘナになる。 ☆今日は妻の帯状疱疹予防注射2回目の日で、先日の私の健診で採取した血液検査の結果を聞いて来てもらった。 その結果は、データの数字の高さは高齢化によるもので、特に問題はなし、という結果であった。 これでエジプト長期滞在も問題はない。 ☆午前に届いた石井記念友愛社「ゆうあい通信」の、巻頭の児島理事長による”ここは地球のまんなかだ”に目を通す。 そうしたら、”田中等彫刻公園”について触れられた箇所があった。 ”(「南方熊楠」(鶴見和子著)を)読みながらアレコレ考えましたが、石井十次と田中等彫刻公園とつながった気がします。根っこ(もしかしたら熊楠風に 言えば萃点(?)は一緒なのだと言う直感、インスピレーションです。 「高鍋バンド」の若い青年たちが、世界の中心地なのだという強いプライドで、色んな分野に進出していきましたが、その一人が石井十次でしょう。 現在、色々と枝分かれしてしまっていますが、元をたどれば、萃点(すいてん)にたどりつくのだろうと感じます。 なぜ今私が田中等彫刻公園を作ろうとしているのか。彼はロシア、ウクライナ等20か国ほどの世界各地で彫刻を作って来ています。ここは世界の中心地なのだと アピールするのに、彼の作品ほどよい方法はないでしょう。石井十次も世界の偉人ですが、文字だけのアピール力は弱いのです。 私にとって福祉と芸術との間には壁はなく、石井十次の感性の具体化において、最も良い方法だと感じているのだと、今回気づかされた気がします。” 児嶋君がこういう考えで私の彫刻公園を真摯に考えているのだと初めて知った。 先日の児島魂太郎氏等との酒席で、実は画家・児島虎次郎はヨーロッパ滞在中に大原美術館収蔵の作品購入のためにエジプトを訪れており、虎次郎の描いた 絵が今でもエジプトの何処かのホテルに掲げてあるのだということを知った。 このタイミングで、エジプトに長期滞在するようになったことは、何かの啓示でもあるのかもしれない。 9月16日(火) ☆晴れ。 今日も蒸し暑い一日。 ☆一日、10月の版画二人展の準備。 妻の作品のスキャンデータ作成を頼まれたのだが、スキャナーの調子が悪く、直ぐに作動しなくなる。 その度にパソコンを再起動させなければならない。 結局、妻の30点の作品をスキャンするのに丸一日かかってしまった。 ☆そして版画展では毎回相当な売り上げになるマグネットも、妻の新作で何点かを制作するので、そのデータ作成もする。 ☆「心の花」全国大会の記念品となる”MOON DANCE”のマグネットも、早めに発注した方が良いという判断が出たので、夕刻に発注する。 ☆さらに私と妻の版画二人展出品作の、画像と作品データの一覧を作成する。 9月15日(祝・月) ☆晴れ。 今日も熱風の猛暑日。 風を入れようと窓を開けると、逆に熱風が家の中に這入って来る。 ☆木版画の刷り作業。 なかなか思うようにいかない。 もうそろそろ10月の版画二人展の額装とかの準備をしなければならないので、まだタイトルを決めていなかった新作にタイトルを入れ、スキャンしてデータにする。 今のところ今年の新作は12点しかない。 なんとか残り2週間で3点は加えたいが・・・。 ☆一方で、もうそろそろシンポジウムに持って行く道具の点検も始めないと間に合わない。 エジプトのシンポジウムは道具は全部作家持参なので、そういうスタイルのシンポジウムは久しぶりで、しっかり整備点検しておかないと大変なことになる。 ☆夕刻から中町公民館の、夏祭りの打ち上げ。 申し合わせでもう敬老会はしない(敬老の対象者の方が多いなどの理由で)ということだったが、何故か今年も年寄りは集められ、廃止になった筈の お祝い金までもらった。 祭りというもので、地域の老若男女がこうして楽しく過ごせるのは素晴らしいことだ。 ☆今朝の宮日文芸には掲載は無し。 先々週、先週と連続掲載だったので、3週連続は無い。 9月14日(日) ☆晴れ。 今日は朝のうちから30度近く、日中は熱風の熱暑。 非常に蒸し暑い。 そして今日の宮崎県内は、全国の最高気温上位11地点のうち7地点を宮崎県が占めたという。 さらに高鍋町は35,2度で、高鍋町で統計を取り始めてからの9月最高気温を更新したと言う。 どうりでこんな蒸し暑い9月は経験がないと感じたのだ。 ☆夜中からむかついて吐き気がして、きつくてきつくて眠れなかった。 とうとう早朝4時半にリビングへ降りて、胃薬を飲む。 しかし、朝食を無理して食べたら、腹部の膨満感は残るが、吐き気が全く無くなった。 何だったんだろう。 ☆昼前に、リンク先が正常に開けるようになった年明けの某海外シンポジウムのエントリー作業。 無事にデータを送ることが出来て、エントリーは完了した。 折り返し、エントリーナンバーが届く。 ☆午後からは版画の刷り作業。 1作目の刷りに這入る。 ☆併行してカイロのシンポジウムのプランを作成する。 夕刻までに添付メールで3つのプランを送付。 ☆もう2週間後には日本に居ない。 やるべきことが山積していて、毎日が必死である。 9月13日(土) ☆晴れ。 今日も非常に蒸し暑い炎熱。 ☆そして今日も一日、実に慌ただしかった。 ☆朝一に「心の花」9月詠草の一首を、今朝の新聞記事で気になったことを急ぎ詠みまとめて送る。 ☆次に、エジプトのカイロ・シンポジウムへの招待が決まったので、チケットを手配していた旅行代理店へチケット変更について問いあわせる。 電話はほとんど繋がらないということだったが、電話で相談しないとうまく伝わらないと思ってカスタマーに電話すると直ぐに繋がった。 状況を説明すると、私のチケットは有効期限が一カ月以内の条件のチケットで、滞在2カ月のチケットへの変更はできないということ。 新しい旅程に変更するには、まず今のチケットをキャンセルして新しいチケットを初めから講入するしかないが、キャンセル料金がかなり高額で、 キャンセルによる払い戻し金はごくわずかしかない、ということだった。 ☆それでカイロから成田までの片道チケットを検索してみたら、なんと信じられない4万円台のチケットがある。 つまり、今手元にあるチケットはキャンセルしないまま、新しくカイロからの片道切符を買った方が良い。 その格安チケットは中国・四川航空のもので、中国での長時間の乗り継ぎ時間はあるがずっと四川航空のフライトなので、乗り継ぎでの手荷物の預かりが無い。 しかも乗り継ぎ時間での、ラウンジ無料使用まで付いている。 私はこれまでに何度も中国のエアラインを使ってきているが、トラブルが生じたことは無い。 すぐに、チケットを手配し購入する。 ☆そして海外チケットを購入すると、東京での宿泊ホテルが35%オフで購入できる。 実はちょうど私がカイロから東京に帰国する日に、妻が息子たちに会うために上京することになっている。 ホテルを調べると、妻の宿泊するホテルも割引対象になっていたので、予約購入する。 また国内線はジェットスターを予約購入していたが、私のチケットはキャンセルによる払い戻しは無いことがわかったので、こちらも買い捨てにして、妻が搭乗する ソラシドエアーを予約する。 そして、妻の予約席の隣がまだ空いていたので、妻の席の隣を指定する。 妻は宮崎空港に車を留めているので、帰りは妻と一緒に帰宅することになった。 ☆これでカイロ滞在による諸変更は完了した。 ただ、カイロはカイロの作品プランを3案提出しなければならないので、20日までにそれをまとめることになる。 ☆一方、正月明けの某海外シンポジウムのエントリーリンクが開けない件については、夜になってやはりシステムの不具合が生じていたとのメールが届いた。 届いた案内メールのリンクを開いてみると、きちんと開けたので、明日にはエントリーを済ませよう。 ☆そんなことで、今日はずっとデスクワークに振り回されて、私の木版画の作業は出来なかった。 妻のほうは10月の版画二人展の出品作がほぼ刷りあがったので、私が出品作を選んであげた。 妻の作品は技術のうんぬんより、彼女独自の世界がとても面白い。 ☆「心の花」宮崎歌会事務局の福原さんとも、全国大会での記念品マグネットのことで打合せを進める。 会員の皆さんと相談をされながらの作業なので、なかなか先に進まない。 21日の伊藤先生祝賀会の日に、みんなで最終決定をしてマグネットを発注することになった。 9月12日(金) ☆晴れ。 山手の方は真っ黒い雨雲が蔽っていたが、町場はずっと晴れ。 しかしとても蒸し暑い。 ☆今日は色んな事が錯綜して、ばたばたと慌ただしい一日であった。 11月に開催される某海外シンポジウムの選考結果が気になっていた。 というのは、エジプトのオルガナイザーが最初に示していた11月のカイロのシンポジウムが、やはり予定通りに開催されることになった。 ニュー・アラメインのチケットコピー提出日までにカイロの詳細が明示されなかったので、私たちはみんなカイロ抜きのスケジュールでチケットを買ってしまっている。 それが今になって、引続いてカイロに参加できる作家を募集し始めた。 エントリーすればほぼ採用される。 しかしエジプトのカイロに参加するためには、購入済みのチケットをキャンセルして新しいスケジュールで購入しなければならない。 そのためにはかなりの手数料を取られるし、キャンセルしたチケット代金の払い戻しはかなり時間がかかるようだ。 そうなると、2カ月もエジプトに滞在すれば、新しいチケット購入代金を銀行口座に入れることができない。 だからいったんエジプトから帰国して、報酬を口座に入れてから別な国のシンポジウムへ出かけるのが効率がよいのだ。 ☆シンポジウムによってはエントリーしたっきり、何の選考結果の報告も無いシンポジウムが結構多い。 それで昨夜のうちに、某国のシンポジウムオルガナイザーに問いあわせのメールを送っていた。 ところが今朝になって、フェイスブックで選考作家が発表された。 作家の顔写真入りの発表だったので、選考結果はかなり前に出ていたのだろうし、フェイスブックでの発表ということはやはりエントリー作家には結果は送られない、 ということだ。 選考されなかったことは悔しかったが、選考された作家の顔ぶれを見たら、これはほぼ出来レースだったと察せられた。 情報では53ケ国の175名から300プロジェクトの応募があったとあるが、招待作家の顔ぶれを見れば、私たち作家にはこれは完全な出来レースだったことが 一目瞭然にわかる。 むしろ、あまりにも歴然とした出来レースだとわかり過ぎる人選である。 もし私が選考されていたら、私も同じ批判で見られてしまっただろう。 ☆ということで、急遽、エジプトへ打診をする。 チケットのキャンセルと新規購入等があるので、エントリーしたら直ぐに結果がわかるのと問いあわせたら、すぐに私はカイロの招待作家リスト一覧に這入った。 これで10月と11月は連続してエジプト滞在となった。 ☆一方の正月明けの海外シンポジウムのエントリーデータが揃ったので、昼にリンクから応募しようとした。 しかしエラーメッセージが出て、リンクに這入って行けない。 先日はきちんとリンク先が開けて、情報が入力できたのだ。 こちらは締め切りが17日で、もうあまり時間がない。 メールは通じたので、リンクから応募できなくなった旨を伝える。 ☆その間に、版画の摺り。 2作品目に金箔を使ってみる。 9月11日(木) ☆午前はくもり。 午後は晴れて陽射しが強くなる。 夕刻から雲が出て、夜に小雨。 ☆朝のうちに宮日文芸へ3首投稿。 そして滞っている一日一首を考える。 もう目の前の詠むべき題材が無いので、アンジェラスの森関係や旅行関係の歌を詠む。 ☆木版画の刷り。 2作目は色を重ねて、少しは見られるようになった。 ☆木版画の印刷の合間に、正月明けの海外シンポジウムエントリーの図面を引く。 ☆エジプトから、シンポジウム滞在中のホテルの情報が届く。 やはり海沿いのプールのあるリゾートホテル。 10月のシーズンは一般観光客には閉鎖されていて、私たち作家だけのリゾートホテルになるようだ。 ホテルは相部屋で、私の同宿作家はエジプトの作家。 9月10日(水) ☆午前は雨。 午後は陽射しの射す曇天。 ようやく宮崎県内は30度を下回った。 ☆午前と午後に木版画の刷り。 思うように行かない。 ☆午後に、高鍋町役場の税務課に納税相談。 なかなか思うように納税できないし、色んな事がこんがらがってしまっているので、状況の整理をお願いした。 そうしたら私宛に届いていた国民健康保険料の請求は妻が支払うべきものであった。 妻は今年から年金生活者となったので、妻の健康保険料が大幅にアップした。 そして、国民健康保険料の請求先は支払うべき対象者に対してではなく、世帯主に届くのだと言う。 そうと知らずに3期まで私が支払っていたが、支払わねばならないのは妻なのであった。 そんなこと、何の説明も無い。 きちんと考えれば、私は高額な後期高齢者医療費を払っているのだから、国民健康保険料の支払いは不要なのだ。 その他いろいろ、私の経済状況を説明する。 ☆夕刻に短歌の作業。 こちらもまったくまとまらず。 ☆第11回シルクロード国際美術展の招待決定が届く。 近年はデジタル画像での展示である。 9月9日(火) ☆晴れ。 今日も炎熱の酷暑。 ☆石井記念友愛社の児島草次郎理事長が描いている、友愛の森の元・明倫保育園跡地での”田中等彫刻公園”構想。 しかし中々協賛してくれる資金援助の動きがなく、一歩先に進めるためには町内にある移設可能な私の作品を設置することから始めたい。 それで先ずは高鍋町美術館に仮設置してある私の作品を移設することにして、朝一に児島理事長と高鍋町美術館へ挨拶に出向く。 この件は、先日のアーティストによる地域おこし協力隊員のお二人との酒席に同席してもらった美術館の小森氏にお話してあった。 それで美術館内で協議していただき、移設の承諾を得てあったので、今日はあらためての挨拶に出向いた。 私の作品は、日向現代彫刻展に出品した後に高鍋町美術館での”高鍋高校OB美術展”に出品展示した後、行先の無い作品を当時の石井美術館長の好意で 美術館に仮置き展示してもらっていた作品2点である。 ☆さらにもう一点、作業場であった田中石材店が廃業した時に、持って行く場所の無かった大理石の作品を我が家のお隣の松村金物店に仮置きしてもらってある。 しかし資材倉庫の角地に置いてあるので、搬入のトラックがぶつかったりしていて迷惑をおかけしている。 それでこの際、この大理石作品も新しい明倫保育園の玄関先に移設することにして、児島理事長と松村金物店に出かけ快諾してもらう。 ☆それから新しい明倫保育園を訪ね、園長に彫刻公園に向けて作品を移設することを伝える。 彫刻公園となる場所を下見して、移設作業を担っていただく造園業者に児島理事長が連絡を取ると、ちょうど高鍋町内で作業中だったので過ぐに来てもらえた。 来られた造園業者と再び美術館へ行き、移設する私の作品を確認していただき、友愛の森で設置場所を確認してもらう。 来週には移設出来そうである。 ☆11月の「心の花」全国大会・宮崎大会の参加者記念品に私の高鍋駅前”MOON DANCE”のマグネットを使っていただく。 そのマグネットと一緒に、私の紹介と”MOON DANCE”紹介のカードを添えて欲しいということだった。 それではがきサイズに両面印刷することにして、イラストレーターで原稿を作る。 事務局の福原さんにデータを画像にして添付メールを送り、確認をしてもらう。 ☆木版画の3昨目の刷りを進める。 2作面のゴマ刷りもする。 ☆短歌一日一首が全く進まない。 9月8日(月) ☆午前は晴れ。 午後に雷雨。 午後後半は再び晴れ。 ☆今朝の宮日文芸に吉川宏志氏選で私の歌が掲載された。 これで2週連続の掲載となった。 テヘランへ向かう機内でワイン出る酒気帯びのまま禁酒の国へ 最近はアンジェラスの森へ通わなくなったので、家の中での版画制作の日々であり、短歌の題材が何も浮ばない。 それでこうした海外での体験を詠んだりしている。 ☆午前は、年明けの某海外シンポジウムの案内が届いていたので、要項を和訳したりして過ごす。 過去の様子をネットで調べると、結構、私の知人作家たちが参加している。 ただ締め切りまで10日も無いので、新しいプランを考える時間がない。 ☆午後は木版画の刷り。 午睡の後に雷雨となったので、昨日のような脳みそが蒸される暑さは無く、作業は進む。 ☆夕刻に短歌の作業。 一日一首がもう1週間近く滞っている。 すぐに投稿日がやって来る。 将来に出版したい歌集のタイトルを「アンジェラスの森」に決めたので、伊藤先生のアドバイスに従って”アンジェラスの森”に関する歌を詠んでみる。 しかし、”アンジェラスの森”についての説明の歌は、57577の限られた語句の中ではとても難しく、まったくまとまらない。 9月7日(日) ☆快晴。 今日も残暑と言うには酷すぎる熱暑の一日。 外に出るとくらくらする。 真夏より暑い! ☆午前7時半にホテルをチェックアウト。 ホテルの部屋のエアコンはやはり効きすぎて、夜中はエアコンを切った。 朝食は昨夜の居酒屋のお持ち帰りの特大おにぎりとお茶で済ます。 ☆午前は版画の刷りの続き。 今日は絵の具の水の配分が悪くて、うまく刷れず。 ☆午睡の後に版画の刷りの続きをしようと準備をしたが、今日は2階の作業空間は余りにも暑くて、アトリエのエアコンの冷気を引き入れても作業する気にならず。 ☆「心の花」宮崎歌会事務局の福原さんから、全国歌誌「心の花」の地区会便りに、私の昨日の歌会での歌を載せるので、他の何かのコンクールに応募されたりする 予定はあるのか?という問い合わせがあった。 短歌は原則、未発表のものしか発表できない。 それで重複を避けるために、掲載してもよいかの確認の連絡であった。 地区会便りには、毎月のその地区会での歌会の様子が、出席者の名前や作家互選で多くの評の入った作品が掲載される。 手持ちの「心の花」を開いてみると、各地区の歌会報告記事には2首のみが掲載されている。 私の作品は1票しか入らなかったのだが、その2首の作品に私の作品を選んでいただき、まさか私の歌が本家の短歌誌「心の花」に載るなんて! 多分、他の会員の方たちの歌はこれまでに掲載されているので、今回の相互選で票の入った私の歌を採用してくださったのだろう。 これは私も来年は全国組織の「心の花」に入会しなければならないか。 ☆21日の伊藤先生の宮崎県民栄誉賞受賞祝賀会のため、祝賀会場となる宮崎観光ホテルの宿泊を予約する。 9月6日(土) ☆晴れ。 残暑が厳しく、午後に宮崎市へ出ると凄まじい熱風が街を吹き荒れていた。 ☆午前に4作目の木版画の刷り。 今のところはまずまず。 いつもこの先に色数を重ねる中で配色バランスが崩れてくる。 同時に3作目も1色目をゴマ刷りする。 ☆午後から宮崎市へ。 今日は「心の花」宮崎歌会の例会日。 準備の当番になっていたので、2時にはホテルにチェックインし、3時に会場の宮崎市中央公民館へ。 会場へ行くと、もう殆ど準備は終っていた。 事務局の福原さんから、11月の「心の花」全国大会・宮崎大会開催時の参加者へのお土産に、私の”MOON DANCE”マグネットを2点セットにしてもらうことになった。 全国からの参加者は160名になると言う。 エジプトへ発つ前に発注を済ませなければならない。 ☆例会は何時ものように会員相互の得票数の多かった歌から順に評をしてゆく。 私の選んだ歌が最高得点の6票を獲得していたので、いきなり私は選歌評をしなければならなかった。 出っ鼻なので、今回は手短く評をする。 ☆私の歌は、今回ようやく互選で1票が入った。 里村の鉄砲百合は人恋ふかなべて道辺に貌向けて起つ 選らんで下さった方は情景が鮮やかに浮び、一首から色や香が感じられる、と評してくださった。 歌評者の大口さんからは、”道辺”というのがよく分からないので、何か特定の場所を提示した方が良いのでは、という評。 伊藤先生からは、”里村”と”道辺”という単語は短歌では使わないので、”道辺”は”道の辺”が適正だろうということ。 この歌は、アンジェラスの森への行き帰りに目にした情景で、道沿いに咲く鉄砲百合がなぜか全て道路を向いて咲いていることが不思議で詠んだ歌である。 ”里村”という単語は適切な言葉が見つからず、私の造語に近い。 ただ伊藤先生は、”山”ではなく”里”でもなく、”村”にしたのは正しいということであった。 ☆例会の後は、何時ものように居酒屋で2次会。 超多忙な伊藤先生は、明日は福岡の筑紫歌壇賞贈賞式のシンポジウムに出席されるのにもかかわらず、2次会に参加してくださった。 伊藤先生の宮崎県民栄誉賞の祝賀会が9月21日に開催される。 ☆2次会の酒席で、きのうふと思いついたことを皆さんにお話した。 もし歌集を出すことがあったら、歌集のタイトルは「アンジェラスの森」にしたい、と。 アンジェラスの森での歌を中心にして、彫刻家としての歌、海外経験での歌などを織り交ぜた構成にしたい、と。 そうしたら、すぐさま伊藤先生からアドバイスがあった。 そのタイトルに向けて全体の構成を考えること、特にタイトルの”アンジェラスの森”の歌をしっかり多く読んでおくこと。 これで方向が決まった。 私と伊藤先生との共著「月の雫」も、伊藤先生の読売文学賞受賞パーティーの席で、佐々木幸綱氏から二人の合本作品集を出せと言われたことが発端だった。 よし、次は版画と短歌の合本、「アンジェラスの森」の出版を実現させよう。 ☆会員の皆さんと話していると、私のように短歌を始めたばかりで宮日文芸に頻度よく作品が入選することは無いのだと言う。 事務局の福原さんにも、私はとても良い歌を詠んでいる、と褒めていただいた。 ☆居酒屋を出て、ホテルの隣のコンビニで缶ビールを買って、部屋飲みする。 9月5日(金) ☆晴れ。 朝は涼しかったが、日中は台風一過の爽やかさとは真逆の非常に蒸し暑い猛暑。 宮崎市は36.4度で、全国トップの気温だった。 ☆木版画の刷りに這入る。 先ずは版画用紙の準備。 残っている手漉き和紙の版画用紙は大判の1枚のみだった。 それをカッティングして、春先の緊急個展の作品制作時の残った和紙を合わせると、3点くらいは刷れるか。 沢山刷っても全く売れないので、せいぜい1作品5枚程度の刷りに留める。 ☆また、版画を刷る作業場所を妻がエッチングの腐食作業で使っていたので、刷りは後回しにして版木の彫りの作業を進めていた。 ところがいざ刷りの作業に取り掛かろうと思うと、プランを考えていた時の配色が全く頭に残っていない。 それで午前は、配色のプランを考える。 ☆午後から久しぶりの刷りの作業。 久しぶりの刷り作業では、広い面の刷りムラが出てしまった。 ☆つらつらと全国誌の「心の花」を捲っていたら、全国各地にある「心の花」の地区歌会は東京の本会場に次いで宮崎の歌会が2番目に大所帯であることを知った。 これも伊藤先生のおかげだろう。 伊藤先生は今日は宮崎県民栄誉賞の授賞式であった。 私は昨日にやっと宮日文芸に投稿したばかりなのに、もう今日を含めて3日間、まったく歌が詠めていない。 こんな状態では全国組織の「心の花」には当分は参加は無理だ。 歌としての体裁を整えるだけで四苦八苦である。 そんなことをうつうつ考えていたら、もし私が歌集を出すことが出来るとしたら、「アンジェラスの森」というタイトル本にしたいなとふと思った。 9月4日(木) ☆夜中から激しい風雨。 そして台風15号の接近で、午後から激しい雨となる。 14時20分には大雨警報が出てレベル3となり、17時40分には河川洪水警報が発令されレベル4となる。 さらに18時には土砂災害警報、そして18時50分には高齢者等避難指示が発令された。 ところが高齢者等避難指示が出た直後に、あっという間に風雨が途絶えて、まったく無音の夜となった。 台風は日向灘を抜けて、四国へ上陸したようだ。 したがって、我が家は何も被害はなし。 ただ、宮崎県内や高鍋町内では雨による土砂崩れ等の被害は出ているようだ。 ☆夕暮れに一面がまっ黄色の世界になった。 まるでこの世の終末のような気持ちの悪い世界であったが、フェイスブックでは大分県の知人が同じ情景の画像をアップしていた。 九州全体が同じようなまっ黄色の夕暮れだったようだ。 ☆朝一番に、宮日文芸に短歌3首投稿。 ☆木版画4作目のプランをまとめ、版木彫りにかかる。 夕刻には版木を彫り終える。 9月3日(水) ☆午前の前半は晴れ。 午前後半から雨。 午後は晴れ間も出たが、夕刻から激しい雨。 熱帯低気圧が台風に発達して、接近しているようだ。 ☆朝一に、N・K内科へ血圧の定期健診。 どこも異常なし。 3カ月ぶりの健診だったので、血液検査もする。 検査結果は、後日に妻の健診日に伝えていただく。 ☆病院ではコロナ禍予防のためにマスク着用が義務付けられているが、やはり蓄膿症の私にはマスクは呼吸困難になる。 石を彫る時の防塵マスクは口元に大きな空間があるので快適なのだが、普通のマスクは口元と鼻腔を完全に塞いでしまうので、頻繁にマスクを外して呼吸を 整えなければならない。 ☆また待合室でテレビを見ていたら、画面の上の方に大きな字幕が出る。 おそらく聴覚障害の方たちのためのテロップなのだろうが、番組が切り替わっても前の番組のテロップが出続ける。 よくもこんな煩雑なテレビ画面をみんな毎日見ているのだろうかと思うと、今の時代のあまりにも多様性対応の五月蠅さに辟易する。 パソコンでも数日前から、ヤフーニュースを見ようと思ってクリックすると、いきなり広告が出るようになった。 画面に次々に広告が出て、それらをすべて消してしまわないと肝心のニュースが読めない。 スマホでは当初から情報欄をクリックすると強制的に広告サイトに引っ張られて行き、肝心の目的の情報には殆どたどり着けない。 ほんとうにつくづく厭でたまらない時代になった。 きちんと情報に接することの出来るのは新聞だけになってしまったが、この新聞も近年は廃刊が相次いでしまっている。 ☆木版画、3作目の版木彫り。 夕刻には終了して、4作目のプラン作成にかかる。 9月2日(火) ☆晴れ。 朝夕ははっきりと涼しく感じられるようになって来た。 しかし日中の暑さは相変わらずで、西都市は2日連続の猛暑日で、9月に猛暑日が2日連続するのは30年ぶりらしい。 受け止め方によっては、単なる観測史上でのことで30年前にも猛暑日が連続したのであれば、何もここ数年で一気に猛暑日が多くなったということでも無いのでは。 ☆木版画、3作目のプラン作成と版木彫り。 今回はすらすらと新しいプランが浮ぶ。 ひょっとすると、先日の保育園のオブジェが周囲から新しい展開だとの評価を受けていて、その流れでのプランが湧いてくるのかもしれない。 先日、妻から短歌と彫刻・版画のアイデアが浮ぶのはどちらが容易か?と問われた。 短歌は言葉の世界だから何か言葉が浮べばそれで展開できるが、彫刻・版画のプランは無から産み出さなければならないので、彫刻・版画のアイデアの方が困難だ、 と答えた。 しかし、今の私の状況は、短歌は全く何も浮かばなくて、言葉さえ掴み切れない。 だが版画はアイデアさえ浮べば次々に展開できる。 ☆増田常徳さんから、西風の会会報49号が10冊届く。 寄稿されている内容が、西風の会の身裡だけで共有されるだけなのはあまりに勿体なくて、多くの人に読んで欲しくて、10冊購入して送ってもらった。 9月1日(月) ☆晴れ。 朝夕は外に出るとかなり涼しくなってはきているが、日中は相変わらずの猛暑。 ☆今朝の宮日文芸に伊藤先生の選で採用された。 尾鈴山湯けむりのごと雲の湧く真夏の雨の遠景として 伊藤先生なら目に留めてもらえるかも、という期待のある歌であったので嬉しい。 毎日何も頭に浮かばないので、アンジェラスの森への往復中で目にした情景を歌ってきたが、もう作業場に通わなくなったので、ここ数日はばったり歌が 詠めないでいる。 ☆一日、2作目の木版画のプラン作成と版木彫り。 夕刻までには彫り終わる。 ☆夜は、先日に保育園のオブジェの作業を手伝ってもらった高鍋町アーティーストによる地域おこし協力隊のお二人と、彼らの担当窓口である高鍋町美術館の 小森氏を囲んでの私たち夫婦との懇親会。 妻はまだ市川さんとは直接にはお会いしていなったので顔合わせの意味もあったが、なによりこのアーティストによる地域おこしに私がどういう立場で関わっていいのか 皆目分からない。 その辺りのことを、担当の小森氏を交えてざっくばらんに話したかった。 私は昨年春に高鍋町役場に呼び出され、町長と担当課からこういう事業をやろうと進めているという説明を受けただけで、その後は何の打合せも事業内容のガイダンスも 全く無い。 私は私なりに、出来る範囲でのアーティスト支援をしているが、事業内容については何も把握していないので、アーティストたちから活動プランへのアドバイスを 求められても、何も対応できない。 実際のところは、役場も美術館も手探りの状態のようである。 アーティストのお二人からは、客観的に見た高鍋町の良い印象、問題点として感じた点などお話ししてもらい、高鍋町のまちづくりに関わって来た私からの アドバイスなどを伝えながら、酒のつまみ程度の意見交換をする。 アーティスト同士の酒席なので、とても楽しいひと時であった。 |
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