Back to toppage このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。 過去の日記 2025 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2024 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2023 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2022 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 2021 1-2 3-4 5-6 7-8 9-10 11-12 |
2025 | 8月31日(日) ☆晴れ。 夜明けてからは少し涼しく感じられるようになって来たが、日中はまだまだ酷暑が続く。 ☆とうとう今日であっという間に8月が終った。 今年は残り4か月(!)、たちまちに暮れ・正月が来る。 この先11月からの予定は何も無い。 ☆木版画、版木彫り作業。 夕刻までに彫り終わり、次の作品プラン作成に入る。 ☆画家・増田常徳氏の後援会の機関紙である「西風の会会報」というものがある。 今回の49号は特別号で、増田常徳氏が倉敷市の加計美術館で個展を開催されるにあたっての特集号である。 増田氏がこの9月13日から当美術館で個展を開催されるのに伴って、その開催に関わった私の三兄、石井記念友愛社の児島草次郎氏、加計美術館館長の 児島魂太郎氏、そして当の増田常徳氏それぞれからの寄稿が寄せられている。 午後に寄稿者の三兄から会報が届き、午睡前に目を通した。 そうしたら、増田常徳氏と石井十次の深い縁、その橋渡しの三兄と私の兄弟、今回中心となって開催実現に尽力された児島魂太郎、草次郎の御兄弟、それぞれの 関係性が実に濃密な縁で繋がっていて、胸が詰まってしまった。 私は全く知らなかったが、増田氏が高鍋町美術館館長だった三兄から高鍋町美術館での個展開催要請を受けたが、縁もゆかりもない高鍋町での個展開催を 断りに高鍋町美術館を訪れられた時、美術館ではちょうど私の個展開催中だったのだという。 そして、増田氏は私の個展会場を見て、高鍋町美術館での個展を即決されたのだという。 増田氏はその時から私の彫刻を観ておられたのだ。 さらに私の個展会場を観られた後に、三兄から石井記念友愛社を案内されて、衝撃の出会いをされたのである。 実は石井記念友愛社は日本で唯一、ベトナム難民を受け入れていて、五島出身の増田氏も五島列島に流れ着くベトナム難民に心を痛め、ベトナム難民を テーマにした個展を開催されていたのであった。 まったく縁もゆかりもない高鍋町と石井十次とに増田常徳氏が電撃的な縁を感じた瞬間であった。 それから、石井記念友愛社との関りから、大原美術館のある倉敷市へと繋がっていった訳である。 児島魂太郎氏の寄稿文の中に、”最初の縁は画家田中隆吉氏ではありますが、次の縁は彫刻家田中等氏です。”とある。 やはり魂太郎氏の頭の中では、次は私との縁を倉敷市に繋げて行きたいようだ。 私ののゆり保育園のオブジェ設置が、魂太郎氏の石井十次セミナーでの帰郷に合わせるタイミングになったのは、こうした何かの目に見えない縁だったのかもしれない。 8月30日(土) ☆晴れ。 午後からは雲が多くなったが、曇天にはならず。 今日も蒸し暑い酷暑。 やはりこうも2年連続して異常な暑さが続くのは、地球温暖化というのは確実なのだろう。 それでも宮崎は関東に較べると涼しいようだ。 いまや沖縄が避暑地になっているというのもうなづける。 常夏のマレーシアも朝夕はとても肌寒いほど涼しかったし、エアコンも必要ないくらいだった。 ☆朝のうちに”のゆり保育園”へ出かけて、設置したオブジェと園児たちが触れあっている様子の写真を撮る。 フェイスブックに投稿して、のゆり保育園が根白坂古戦場の跡地にあること、戦死した何千という兵士たちの魂が園児たちの命を大切に見守り育んでいること、 それらの背景から「いのち・ふくらむ」というタイトルと作品フォルムを考えたことなど報告する。 ☆午後は2階書斎で、短歌関係の本を読みながら、木版画のプランを考える。 夕刻から版木に下絵を写す。 来週からは10月の版画二人展の準備に没頭する。 8月29日(金) ☆晴れ。 酷暑が続く。 お盆を過ぎるといったん秋めいて来て、それから今時分に照り返しの暑い日が戻ってくるのだが、昨年からこのお盆の後の秋めいたワンクッションが無くなってしまった。 ☆ようやくとんでもなく不味い備蓄米が切れて、今日から義姉からいただいた新米での朝食となった。 備蓄米は、この酷暑の食欲減退の朝食にはお茶漬けでかき込むより無かったが、やはり新米だとおいしくおかずと一緒にいただける。 それで少し、食欲が増して秋の気配を感じた。 ☆HDDのデータ移行作業の続き。 午前中は順調だったが、午後からは移行速度が極度に落ちて、またもHDDからカシャカシャという異音がし始めた。 パソコンをいったん切って、休ませても同じであった。 このバッファローのHDDは、一度に大量のデータ移行が出来ないようだ。 ☆HDDの移行作業をしながら伊藤先生の「若山牧水全歌集」をチラ読みしつつ、同時に10月の版画二人展の作品プランを考える。 ☆今朝の宮日新聞のポータルサイト”くろしお”(論説委員のコラム)に、ワープロは死語?という文章があった。 コラム主は、”新聞記事を書く手段として、手書き原稿を知る最後の世代だろう、入社した35年前、先輩記者はすでにワープロ(死語?)で書いていたが云々”という 記事である。 やっぱり、私たちにとっては”ワープロ”は殆ど死語なのだと確認させられた。 というのは、数年前の高校同窓の花見宴で恥をかかされた苦い想い出がある。 同窓生が私との話の中で”ワープロ”という言葉を使った。 私はびっくりして、”おい、今どきワープロなんてことを言う奴がいるぞ!”と周りのみんなに嘲笑を籠めて言った。 ところが、同席した元町役場職員だったN君から激しい叱責を受けた。 今でもパソコンで文章を打つソフト(?)は”ワープロ”なのだと説教され、私は時代錯誤の自分が恥ずかしくてならなかった。 しかし今朝の新聞コラムを読んで、やっぱり私たちにとってはワープロは死語なのだよな、と思って安心した。 8月28日(木) ☆晴れ。 今日も酷暑。 外に出ると、猛烈な暑さでクラクラする。 ☆午前のうちに、10月の版画二人展のDM原稿を絞って、ネット発注する。 ☆昼前に眼鏡店へ出かけて、フレームのネジの外れてしまった常用眼鏡と作業用の度無し眼鏡にネジを取り付けてもらう。 ☆異常ランプの点滅し始めた外付けHDDと同時期に買ったもう一つのHDDがある。 こちらのHDDには、パソコンを使い初めてのころからデータを保存していたタワー型の旧式HDDに入れていたデータをコピ保存してある。 どのくらいの容量が入っているのだろうとチェックしてみたら、まだ4分の3の空き容量があった。 それで午後は異常ランプの点滅し始めたHDDのデータを、こちらのHDDに移す作業をする。 今日はまだまだ半分くらいしか移動できなかった。 今日は異常ランプの点滅は無かったので、ひょっとするとやはりUSBの接触が不良状態になっているのかも知れない。 ともかくも正常に呼び出せるうちに作業を終えておくべきだろう。 ☆注文していた伊藤一彦先生編集の、分厚い「若山牧水全歌集」が届いた。 これはこれまでの全歌集には若干の誤りや不備があって、それらを正したのと、歌集に収録されなかった歌集未収録の短歌を収めた全9600首を収録した 大変な労作である。 パラパラ目を通してみると、実に端正で明確な文章でまとめられている。 ただでさえ超人的に超多忙な伊藤先生なのに、そして今年は牧水生誕140年で頻繁にその記念のイベントがあり、酒聖牧水を偲ぶ会なので必ずイベントの後は 参加者たちと酒盛りをされるのに、よくもこんな膨大で精密な本が書けたものだと驚嘆する。 収録されている若山牧水論では、初めて目にした塚本邦雄の「この夜星降れー若山牧水論」がとても新鮮で興味深かった。 難解な前衛短歌の騎手であった塚本邦雄が、これほど牧水を愛していたのを初めて知った。 一方で、牧水の母校である坪谷小学校が、来年度から在校生がゼロになるので、本年度で閉校するという衝撃的なニュースが飛び込んできた。 ☆陽の落ちた夕刻に、草ぼうぼうの庭の草を刈る。 ☆コロナがまた再拡大している。 特に宮崎県は前週と較べて43%増の感染者数で、全国で最も多い。 なおかつ宮崎県内では高鍋管内が最多ということなので、高鍋管内は日本で最もコロナ感染者が多いと言うことである。 それで町内の病院では、再び入院患者との面会が禁止となった。 昨年も夏祭りで帰省した長男がコロナに感染したので、今年も多分感染者が多いだろうと思っていたが、お盆での帰省者による拡大が最大原因だと言うことである。 8月27日(水) ☆晴れ。 今日も猛暑日。 夕刻に激しい雷鳴が轟いたが、雨は降らず。 ☆妻は一晩中、熱が38度2分から下がらなかった。 朝起きてから、ようやく37度台に下がり、お昼には36度台まで下がる。 ☆午後に歯科医。 4月に虫歯を治療してからずっと疼いていた右上の奥歯を抜いてもらった。 この奥歯の周りには支える歯もないし、噛み合わせる下の歯もないので、何の役にも立っていない。 ただ皮一枚でぶら下がっているだけであった。 麻酔をしてあっという間に歯は取れた。 おかげで口の中がすっきりした。 すっきりはしたが、夜になると、口腔内の奥がぽっかり空いてしまって、喪失感に襲われる。 ☆外付けHDDがエラーメッセージが出ているので、まだ呼び出せるうちに新しいHDDを買って移してしまおうと思った。 しかしヤマダデンキへ行ったら、2年前に買った時の倍近い値段になっていて、手が出せなかった。 ☆夜9時50分にグラリ。 日向灘震源の震度2の地震。 8月26日(火) ☆晴れ。 午後に驟雨。 夕刻に遠雷が轟き渡るが、雨にはならず。 ☆午前は様々な支払い業務。 税務署で2年前の駅前モニュメントの消費税を納付。 1年ぶりの事業収入は、あっという間に流れて消え去る。 ☆そこへ、ようやく中国・恵安の報酬が入金した。 これで懸案のエジプト旅費の引き落としに対応できる。 作品の売上げ代金は含まれていなかったので、まだ作品は売れていないということだ。 前向きに考えてみれば、事業収入の全く無かった1年間、この中国の報酬しか収入の予定がなかったのだから、早めに支払われていればアッという間に 必要経費で消えてしまっていた。 耐えて耐えてヒモ男生活で出費が抑えられていたので、現時点での中国からの入金でいまこうしてエジプトの旅費が支払える。 長い人生経験のなかで、こういうことがよくある。 入金が遅れて、逆に助かったと言う経験である。 今回の中国の支払い遅延も、きっと神の思し召しでそうなっているのではないのかと感じていた。 ☆午後は10月の版画二人展のDM・フライヤーのイラストレーター原稿作成。 最終候補2点に絞って、しばらく検討する。 石の作業が終わったので、これからエジプトまでの一月は、溜まっていたデスクワークと版画二人展への準備の日々になる。 ☆妻は帯状疱疹の2回目の予防注射を打った。 一回目が酷い激痛に苦しんだので、今夜はお酒を呑まずに夕食後は早々に床に就く予定だった。 しかし今回は入浴中から倒れそうになり、38度5分以上の発熱が出て、早々に寝込んでしまった。 8月25日(月) ☆晴れ。 今日も酷暑の一日。 ☆午前に、”のゆり保育園”の台座の目地作業。 今日も暑くて暑くて、汗だらだらとなった。 本当は今日は園児たちがモニュメントと触れ合っている写真を撮りたかったのだが、設置場所の勾配がきつくて前面の目地の幅が大きく、そこへ園児たちが 群がってきたら、塗ったばかりの目地が壊されてしまうので、写真撮影は後日に廻すことにした。 園長からモニュメントの主旨を聞かれたので、根白坂古戦場の跡地という特殊な磁場の保育園なので、戦国武士たちの霊が逆に子供たちの命を育むように 見守ってくれているのだろう、それで「いのち・ふくらむ」という作品タイトルにした、というようなお話をした。 実際、直ぐ近くには慰霊の祠もあり、何かの大きな行事の時には必ず皆で祠にお参りし、石井十次墓地にも毎月参拝しているので、園児たちには自然に 祠やお墓に手を合わせる姿勢が身についていると言うことであった。 ☆保育園を出て、アンジェラスの森の作業場を片付け、電源も落す。 当分はアンジェラスの森での作業は無い。 ☆1年ぶりに仕事(保育園)の収入が這入ったので、午後は溜まっていた支払いをする。 銀行でお金を引き下ろして駐車場を出ようとしたら、見知らぬ女性が私に向かって何か叫んでいる。 彼女が叫んでいる方角には私しかいないので、何なのだろうと車を止めて、彼女が近づいてくるのを待った。 ”田中さんですか?” しかし、私は彼女を全く知らない。 ”カードを忘れています!” ”えっつ? あっつ!!!!” なんと私はカードをATMに忘れていたのだ。 私自身はATMに忘れてあるカードを見つけたことは何度もあるが、まさか1年ぶりに収入が這入った途端にATMにカードを置き去りにしてしまうなんて! ☆午後は夕刻まで短歌の一日一首を考える。 なんとか今日の分までを詠み終えた。 今朝の宮日文芸の採用は無かった。 精進あるのみ。 ☆夕刻から西都市の”入船”に妻とウナギを食べに行く。 去年の9月から無収入の私の”ヒモ男”生活を支えてくれた妻への感謝と、夏バテ寸前の私への栄養補給で、おいしいウナギを食べる。 やはり”入船”のウナギが最高に旨い。 大満足で帰宅する。 8月24日(日) ☆朝のうちはくもり。 お昼にかけて雲が切れて来る。 ☆日曜日なので、休養日。 昨夜の酒宴では日中の苛酷な猛暑の疲れも取れたかに思えたが、やはり起きてみるとかなりの疲れが出てしまった。 朝食も摂る気力がせず、珈琲とバナナを口にしたのみ。 ☆午前は、明日が締め切りの某海外シンポジウムのエントリーデータをまとめる。 お昼までにはエントリーを済ませる。 夜になってキュレーターからデータ受理の返信。 また私のスケジュール調整から、選考結果発表の時期への問いあわせについても丁寧な返答があった。 こういう丁寧な対応のシンポジウムは殆ど無い。 膨大な数の応募者に対して、特に締め切り日直前は駆け込み応募が殺到する中で、こうした個人的な問いあわせに応じる余裕は無いのである。 知人たちからの情報でもとても作家対応の優れたシンポジウムだと言うことである。 ☆午後は妻の版画作業の手伝いと短歌の作業。 もう1週間近くも短歌を詠んでいない。 ちょっと気を抜くとこんな有様である。 一日一首は大変な作業だ。 まったく何も浮ばない。 8月23日(土) ☆午前のうちは曇天で異常な蒸し暑さ。 午後からは晴れて来る。 風のない猛暑の一日。 ☆今日はようやく大理石作品の保育園への設置作業。 私の作業場を見たいと言っていた高鍋町のアーティストによる地域おこし協力隊員の市川さんとさいとうさんにも、手伝いをお願いする。 9時半に我が家で待ち合わせをしてアンジェラスの森へ上がり、作品の積み込み作業をする。 ☆作品を設置するのは、石井記念友愛社に隣接する”石井記念 のゆり保育園”。 この”のゆり保育園”の場所は、かつて九州の関ケ原と言われる高城合戦で、九州征伐における豊臣軍と島津軍が壮絶な闘いを行った根白坂古戦場の跡地である。 藤堂高虎や黒田官兵衛などのそうそうたる戦国武将が闘った古戦場の跡である。 私が設置するモニュメントのタイトルを「いのち・ふくらむ」としたのも、この地に眠る何千という戦死者の霊に守られた園児たちが命の大切さに育まれていくことを 願う思いからである。 ”のゆり保育園”の園内にその根白坂の戦いの説明図があるので、私が台座設置の下準備をしている間は、園長さんからアーティストの二人に説明をしていただいた。 ☆無事に台座の設置が終って、お二人に手伝ってもらって軽トラからモニュメントを降ろそうとするが、これが想定外の困難さだった。 私はアーティストの市川さんが屈強な肉体の持ち主なので、二人でモニュメントを道板に載せて、道板の上を滑らせて作品が降ろせると判断していた。 それで作品を吊る三脚を短いものを準備してきたのだが、やはり体力はあってもこうした作業は初体験の市川さんには、作品を抱え上げることは出来なかった。 しかも今日はものすごく暑く、殆ど熱中症の感じで頭から何度も水道水を被りながら作業するが、頭の中はほぼ思考停止状態であった。 午前中で終了する予定だった作業がお昼を廻っても全く進まない。 ☆保育園が用意してくださったお昼を摂った後に、自宅へ帰って長い方の三脚を持ってくる。 長い三脚はチェーンブロックを下げるのがとても困難なのだが、なんとか軽トラから作品を吊るして降ろし、無事に台座の上に設置することが出来た。 作業が終わったのはもう午後の半ばになってしまった。 ☆作業を終えて、アーティストのお二人を近くの教会と石井記念友愛社の資料館へ案内する。 高鍋町の地域おこし協力隊の活動には、石井十次と石井記念友愛社への共感と理解が欠かせない。 お二人に作品設置のお手伝いをお願いしたのは、作業は口実で、実際は私の作業場と石井記念友愛社へ案内したかったからである。 ☆帰宅したのはもう夕刻であった。 急ぎ片付けをして、6時から近くの”おざわ別館”へ。 明日は石井記念友愛社の石井十次セミナーが開催され、それに合わせて児島理事長の兄・児島魂太郎氏、大原芸術財団の森川正典氏が岡山から来られたので、 その酒席に招待していただいた。 多忙な黒木・高鍋町長も乾杯の時に参加されたので、今日の私の作業を高鍋町の地域おこし協力隊のアーティストお二人にお手伝いしていただき、石井記念友愛社も 案内したことを町長に報告する。 酒席には私の三兄も参加した。 ☆児島魂太郎氏と杯を交わすのは昨年に引続いて2度目だが、今日は魂太郎氏と様々に話が弾んだ。 私が保育園のモニュメント設置を今日に強行した理由は、魂太郎氏が今日帰って来られるのに合わせたいからであった。 魂太郎氏は 高梁市成羽美術館(設計 安藤忠雄)の理事長をされており、私の彫刻家としてのデッサン類の作品展は出来ないかという打診があった。 私のアイデアデッサンは落書きみたいなものだから見せられるものは無いが、スマホに保存してある毎日描いていた葉書絵を見せると関心を抱いていただいた。 なにか展開が出来るかもしれない。 色々と学ぶことの多い酒宴であった。 8月22日(金) ☆台風は何んということもなく、夜明け前には日向灘へ抜けてしまっていた。 午前中は青空も見える曇り空。 昼から雨雲が出て小雨となったが、午後には雨や止む。 ☆午前にアンジェラスの森。 保育園のモニュメント台座に心棒穴を開けアンカープラグを埋め込んで、ボルトを切る作業。 これで本設置への下準備は整った。 ☆午後は10月の版画二人展の準備。 今年に制作した木版画のタイトルを決めていなかったので、タイトルを考える。 10月は私が不在なので、9月のうちに全ての下準備を整えておかなければならない。 ☆夜は山本恵理さんのニューヨーク・コネクション・トリオの南町ジャズナイト。 昨夜の宮崎市内でのライブには、宮崎のジャズ奏者がジョイントされているので、私への打診もその流れだったのかもしれない。 しかし昨夜の宮崎のジャズミュージシャンはアメリカにジャズ留学されているし、宮崎ジャズ協会の会長なので、私とは比較になりません。 いつものようにワインとおつまみを持参して妻と出かける。 ☆会場の入り口でばったり山本恵理さんと会い、”MOON DANCE”のハーモニカジョイントを来年は是非、とお願いされてしまった。 ライブの1部のラストは”MOON DANCE”だった。 山本さんも自画自賛されるように、やはり素晴らしい曲だ。 会場の皆さんも歌詞カードをみて口ずさんでいただいた。 来年の大きな目標が出来た。 ☆宮崎彫刻グループの山田夫妻も来てくれていたが、山田は制作中に左指に木彫ノミが突き刺さり、4針縫ったということ。 出血がひどく、腕を動かせなかったので、この夏休みは何も出来なかったということである。 8月21日(木) ☆朝のうちは晴れ。 昼前から遠雷がして小雨。 午後には雨は上がる。 しかし何んと鹿児島の薩摩川内の沖合でいきなり台風が発生して、明日は宮崎は台風直撃だと言う。 やはり夜になって雨となる。 ☆午前にアンジェラスの森。 本体を横に倒して、底面の加工と心棒を取りつける。 作業が終わったところで遠雷がして雨となった。 ☆午睡中にモニュメントの依頼主から携帯に電話。 朝のうちに設置日について問いあわせていたのである。 依頼主は超多忙な人なのだが、設置場所さえ立ち合いで確認しておけば大丈夫なので、今なら時間があると言うことなので眠気を振り切って設置場所の保育園へ 駈けつける。 依頼主と保育園園長と立ち合いで打合せをする。 台座はコンクリートで留めるだけで大丈夫だと思っていたが、やはり保育園児の動きは予測不可能なので、台座に心棒を入れて床と固定して欲しいという事。 明日は台風のようだが、台座への心棒の取り付け作業は出来るだろう。 設置は土曜日に行う。 8月20日(水) ☆午前のうちは晴れ。 昼前から雲が出て、正午すぎてから雨となる。 雨は午後半ばには上がる。 ☆午前は明後日から搬入の某コンクールの作品梱包作業。 昼食後に宅急便で送る。 ちょうど雨が降り始めたが、小降りのうちに送ることが出来た。 ☆午睡から目覚めるとまだ小雨模様だったので、しばらく様子を見てアンジェラスの森へ上がる。 今朝一番に銘板と心棒が届いていたので、銘板の取り付け加工場所の仕上げをする。 そして台座に全面的に手作業でビシャンをかけ、園児たちの手脚に擦り傷が出来ないように砥石を掛ける。 ☆「心の花」宮崎歌会9月例会のために宿を予約しようとしたら、何時ものホテルはすでに満室だった。 仕方なく、近くの少し割高なホテルを取る。 ☆”MOON DANCE”の曲を作ってくださったニューヨーク在住の山本恵理さんから、とんでもないメッセンジャーが届いた。 現在、国内ツアーに入られたのだが、明後日に高鍋町の南町ジャズナイトに出演される。 その時に、私に”MOON DANCE”のハーモニカ演奏をして欲しいというのである。 そんなあり得ない申し出に仰天したが、私は5月のライブ以来、まったくハーモニカを吹いていない。 たとい練習していたとしても、世界ツアーをやっておられるプロのジャズミュージシャンの方たちとジョイントするなんてあまりにもおこがましい。 丁寧に共演をお断りした。 そういうお話をいただいたというだけでも、好い冥途への土産話になるか。 8月19日(火) ☆晴れ。 天気予報では低気圧の接近で、所によってはにわか雨の激しい所もあったようだ。 里山を走っていると、確実に秋の気配を感じる。 しかし今年も10月までは夏日が続き、突然に冬がやって来るらしい。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 今日は体調がすぐれず、気圧のせいかじっとり汗ばむ不愉快な気候であった。 最初に台座の上にモニュメント本体を載せて、バランスを見る。 台座のサイズには問題ないことを確認して、台座の仕上げ作業にかかる。 先ず心棒用の穴を開けていたら、ドリルの刃が抜けなくなってしまった。 ☆午睡の後に、抜けなくなったドリル刃の周囲を彫って引き抜いたら、ドリルの刃が欠け落ちていて、それでドリル刃が回転しても上昇運動が出来なくなっていたようだ。 HILTIのドリルの刃は最大20mmのものしか持っていないが、心棒が20mmサイズなので、ドリルを斜めに当てて心棒穴を拡大して馬鹿穴にする。 次に台座の角を落して、エアーコンプレッサーを使ってエアーチッパーでビシャンを掛けて行く。 しかしビシャンは見栄えは柔らかい表現になるが、手触りはざらつきが酷く、これでは保育園児が手脚に擦り傷を負う。 明日はこの仕上げ作業をしなければならない。 ☆銘板と心棒を注文して会社からの返事で、銘板が今日届くので、今日のうちに発送し明日には私へ届くということ。 これで明日には本体への心棒取りつけと、銘板取付位置の調整をして、設置への準備が整う。 ☆高校の同級生E君から、先日の宮日短歌はお前か、という問い合わせがラインで届いた。 選んでくれたのが伊藤先生でなくてよかったな、という返事が帰ってきたが、投稿歌の選考過程を伊藤先生に尋ねたところ、宮日文芸は作品に作者名は付いてくるという。 しかし、選考過程で私や私の同窓生が投稿してくれていることは分かるが、なにしろ毎週届く1000首ほどの中から11首を選ぶ作業では、一々作品と作家名を確認する 時間的余裕は全く無いということであった。 実際に、私の同窓生が特選で選ばれたときには、選んだ本人の伊藤先生はその作者が教え子の同窓生だったということにまったく気付いておられなかった。 8月18日(月) ☆晴れ。 今日も炎熱。 しかし雲の形が真夏よりも変化してきた。 ☆今朝の宮日文芸に吉川氏の選で1首掲載された。 陰の濃き夏雲の下茶畑に防霜(ぼうそう)プロペラ今日も煌めく この歌は、アンジェラスの森を出ると目の前に、茶畑の防霜ファンのプロペラが真夏でもキラキラ輝いて旋回している姿が美しくて詠んだものである。 とても魅力的な情景なので、何度も何度も推敲した歌である。 しかしなかなか採用にならないので、毎日のように目の前の景色を観ながら、どうして選者はこの景観を分かってくれないのかと不満であった。 しかし吉川氏はきちんと目に留て下さった。 とても嬉しい。 今回は添削も無かった。 ☆朝の涼しいうちに、昨日に描きかけていた某海外シンポジウムエントリー用の図面を仕上げる。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 モニュメント台座の斜め角落し作業。 保育園に設置なので、園児たちが躓いて怪我をしないような対応が必要である。 今週中には設置に持って行けるのだが、注文している銘板と心棒が一向に届かない。 見積もりも返ってこないし、納期の連絡もない。 8月17日(日) ☆晴れ。 今日も炎熱の一日。 ☆朝6時13分に日向灘を震源とする激しい地震。 最近は妻の方が私より先に地震を感知する。 かなりの激しい揺れのなかで、妻は”震度3!”と言う。 スマホも町の防災無線も何も反応がないので、リビングに降りてパソコンを開いたら、やはり震度4の地震ではあったが、高鍋町は妻の言う通り震度3だった。 幸い、その後の余震もなく、落ちたり倒れたりしたものは皆無だった。 アンジェラスの森の制作中のモニュメントが倒れたら大変だと思ったが、大丈夫だっただろう。 ☆今日は日曜日なので、休養日。 ☆午後からは某海外シンポジウムのエントリーデータ整理。 ☆異常信号の出ている外付けHDDの添付説明書を読んだら、その症状が出る原因にUSBの差し込みの接触不良があるので、それらを点検しても直らなければ 修理に出した方が良いとあった。 これまでにも何度か接触不良ではないかと思われる症状があったので、点検してみると、今日は異常信号は出らず、きちんとHDDを開くことが出来た。 これは修理に出す前に、新しいHDDを購入して今のうちにデータを移し換えた方が修理代もかからずに済む。 8月16日(土) ☆晴れ。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 今日は森の中も蒸し暑くて、防塵マスクが汗で滲んでとても不快だった。 それに起き抜けはまだ腰が痛いし、体の調子も悪く、午前はまた黄疸になったときの苦しさが出て来てしまった。 こうなると体に全く力が入らないし、じっとしているだけでもきつくてたまらない。 ほとんど仕事にならない感じだったが、なんとか台座の面出し作業を進める。 ☆午後から体を休めようかと思ったが、昨夜の同窓会で意気投合した妻の教え子たちが、妻の版画作品を観に午後から来ることになっていたので、寝ている訳にも いかず、午睡の後は再びアンジェラスの森へ。 午後からは体調も恢復して、作業は進んだ。 ☆妻の教え子たちは妻の作品を気に入ってくれて、何点か買ってくれていた。 妻は臨時収入でニンマリであった。 ☆このパソコンの容量が限界になって来たので、外付けHDDにいくつかのデータを移そうと思ったが、HDDに異常表示が出て作動しなくなった。 このHDDは以前のHDDが破損して、データ取り出しも出来なかったので2年前に新しく買ったものなのだが、またも読み込み不能になってしまうのか。 2年前のHDDの損壊で、それまでのデータがすべて消えてしまった。 さらに新しいHDDが読み込めなくなってしまうと、昨年までのデータも消えてしまう。 ☆夜に玄関先で送り火を焚く。 8月15日(金) ☆快晴。 酷暑。 ☆もう8月が中旬なんて信じられない。 つい先日に8月に這入ったばかりだった気がする。 世の中お盆休みだが、私には全く関係ない。 作業場の森の周辺の農家の皆さんも、作物の収穫の時期なのだろう、盆休みも無くこの炎天下の下で必死に働いておられる。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 台座と本体を位置合わせしてみたら、大きさは問題ない感じだったので、そのまま作業を進める。 ただドリルが喰い込んでいるので、1cmほど厚みを落す。 ☆妻は、最初の赴任校の卒業生の同窓会に呼ばれて、今夜は宮崎泊まり。 8月14日(木) ☆快晴。 酷暑。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 下界と較べるとかなり涼しいが、やはり作業帽子や防塵マスクが汗っぽくなって不快である。 今日から台座の制作にかかる。 白御影石だが、大理石よりはるかに作業が楽である。 大理石は柔すぎて、ダイヤモンドのディスクのかかりが悪い。 硬い御影石のほうが切れが良い。 ☆昨日に割った石が、割り残した方の石のサイズで充分な気がしたので、今日はそちらで厚みを出していった。 だが最終の厚みを出したところで、やはりドリルの喰い込みが深くて、厚みが不足する。 また明日、やり直しだ。 ☆今日は妻のボーカルレッスン日だったが、講師の片貝さんのスケジュールでお昼からのレッスンになった。 それで早めに昼食と午睡を取り、午後直ぐにアンジェラスの森へ戻った。 従って、午後は何時もの倍近く作業をしたので、帰宅したらヘロヘロであった。 ☆お昼前に帰宅しようとしたら、高校同級のIさんから電話があり、彼女からの用件に対応していたら、最後に思いもかけないことを知らされた。 なんと、この春に余命が迫っていたので緊急に個展を開催してあげた浅田君から電話が這入ったという。 あれからどうなったのか、皆な気になって居て、もうすでに鬼籍に這入ってしまっていると思っていた。 ところが電話があったのは、つい最近で、先週のことだと言う。 電話の内容が緊迫したものでは無く、自宅で療養しているが、お風呂に這入れないので同居している息子さん2人に体を拭いてもらっているという。 余りにも日常的な情況で、あの世からの霊的な交信ではない感じで驚いた。 何年か前には、やはりすでに亡くなって居る筈の高校同級のK君から私にラインの友達申請が来て、同窓会の直前だったのでみんなで驚愕したことがあった。 もちろん、それから私の返信に対してのK君からの反応はない。 なんだか不思議なお盆の出来事である。 ☆また私が日向市で勤務した中学校の卒業生から、11月の同窓会への出席打診が届いた。 私が延岡市在住のころの独身時代に通った最後の勤務校だったので、とても懐かしい。 だがまだ11月のスケジュールは白紙である。 先日に短歌甲子園で日向市に行った時に、その当時の学校前を通ったが、グラウンドが残っているだけで学校の建物は消失し、単なる更地になっていて驚いた。 8月13日(水) ☆快晴。 灼けつく夏日。 ☆今日はお盆の入りなので、午前は仏壇のある和室の片付け。 ☆午睡もお盆の間は和室を避けて、2階の寝室でとる。 ☆午睡の後、アンジェラスの森へ上がろうと思っているところへ、やはり三兄夫妻が仏壇に線香を上げに来た。 兄夫婦も墓地に行って、墓地全体の茫々たる雑草の余りの凄まじさに、もう日本は滅びる!と驚愕したそうだ。 昨年の樹脂液のような付着物の件も知っていた。 本当に日本はどうしたっていうのだろう。 ☆午後の陽射しの強さに覚悟して、アンジェラスの森へ向かう。 酷暑で車のエアコンの効きが悪いが、しかし森へ這入った途端に、冷気の爽やかさに迎えられる。 今日は本体のペーパー800#の仕上げ作業。 これで本体の仕上げは完了した。 明日からは台座の制作にかかる。 ☆夜に迎え火を焚く。 8月12日(火) ☆晴れ。 久しぶりの晴れで、くらくらする。 ムッとする蒸し暑さ。 ☆お盆の入りは明日だが、明日になると供花が品切れになるだろうという妻の判断で、午前に墓参をする。 昨年の墓参の時に、我が家の墓地周辺に大量のべっとりとした樹脂のようなものが撒かれていた。 地面にも真っ黒な油のようなものが溜まっていたので、何者かが意識的にやったものだと判断したのだが、被害に遭ったのは我が田中家と南隣の墓だけだった。 そして田中家の両隣は墓仕舞いしてあって、その作業が実に乱雑で、見るも無残な有様になっていた。 そのこともあって妻は今年は新燃岳の降灰が墓にも蔽っているのではないかと案じていたので、掃除用の水とたわしを持参したが、目立った降灰は確認されなかった。 しかし周辺の墓仕舞いはさらに進み、また墓参りする人も居ない墓地ばかりになって、雑草だらけの見苦しい墓地になってしまっていた。 さらに、妻が車のエアコンのつまみを間違ってHI設定(最高温度)の最大風力設定にしていたので、車の中が殆ど炎熱地獄で、帰宅した時には2人共ヘロヘロだった。 ☆午前は作業を休んで、墓参以外の時間はデスクワーク。 11月の某海外シンポジウムの案内が来ていたので、要項をプリントアウトして、データを整理する。 ☆午睡の後、午後からアンジェラスの森へ上がる。 今日はアンジェラスの森も蒸し暑かった。 作品本体の研磨仕上げは後回しにして、台座用の石をドリルとセリ矢で割る。 8月11日(祝・月) ☆午前は雨。 午後は曇り。 九州は鹿児島、熊本、長崎と大変な水害が出ているが、幸い宮崎では大事には至らず。 ☆ただ宮崎は、新燃岳の降灰が酷く、昨日は高鍋町、川南町まで降灰と硫黄臭の被害が出ていたようで、妻の車も灰が積もっていた。 それに気付いた妻が夕刻に手作業で灰を除去していたが、その直後からアレルギー炎症が出た。 妻は火山灰でアレルギー炎症が出ることを知らなかった。 ☆世の中3連休だが、フリーランスの私には無縁。 昨日からの腰痛、脇腹の傷みで辛くて、雨が激しかったら作業は休もうかと思ったが、そうも言っておられず、アンジェラスの森へ上がる。 そろそろモニュメントが仕上がるので、今のうちに台座に使える石を確保しておかなければならない。 雨の中を作業場の端材を再点検して、なんとか使えそうなサイズの石を決める。 内側の天井をまだ仕上げていなかったので、天地を逆にする。 上部は突起があるので、傷つけたり倒れたりしないようにクッションを当てて作業するのは、独りでは大変な作業である。 無事に内側天井を下にして、砥石手磨きからの仕上げ作業をする。 ☆午睡の後、再びアンジェラスの森へ。 内側天井のペーパー800#までの仕上げを済ませ、再び起こして、ペーパー800#の仕上げ作業にかかる。 ☆今日は涼しかったからか、アンジェラスの森では蝉の鳴き声が蜩とツクツクボウシに変った。 立秋とお盆が過ぎると急に秋めくのだが、昨年は何時まで経っても暑い夏が続いた。 今年も暑い夏が続くのだろうか。 ☆作業中は、奥歯の痛みも腰痛も大腸憩室炎らしい横腹の鈍痛も全く感じない。 ということは、心配することでも無いということである。 ☆今朝の宮日文芸には掲載は無し。 8月10日(日) ☆曇り。 曇りだが、一日中パラパラと雨が舞い降りる。 ☆今日は休養日。 備蓄米でおにぎりを作って、日向市中央公民館で昨日から開催されている第15回牧水・短歌甲子園へ出かける。 今日の午前中は準決勝と決勝が行われた。 審査員は、俵万智、大口玲子、笹公人というそうそうたる歌人たち。 結果は初出場の宮崎北高校が優勝。 しかしレベル的にはこちらも初出場の名古屋高校が勝っていた感じがして、審査員の方たちもかなり判断を迷っておられた。 ディベートでの応答が宮崎北高校が勝っていたという判定だったようだ。 それにしても俵万智さんらから直に講評をしてもらえるなんて、高校生にとっては夢のような短歌経験である。 この短歌甲子園からは優秀な歌人が多く育っている。 いまや賞を総なめの宮崎の久永草太さんも、この大会で準優勝に終り、そのリベンジで今に至っている。 ☆午後からは、”牧水・短歌甲子園×アイドル歌会”。 アイドル歌会は短歌研究社が2021年7月6日(サラダ記念日)に始めたもので、これまでに東京で16回開催されていて、東京を離れて行われるのは今日の 日向市が初めてである。 アイドル歌会に対抗するのは、牧水・短歌甲子園のOBOGである。 アイドルと言っても、その歌の内容はかなり深く、広い世界で、短歌甲子園のOBOGたちもタジタジであった。 伊藤先生は、日常的にこういう若い作家たちと交流されているので、実に精神的に若い。 最後の締めの挨拶でも、牧水が生きていたら自分もこのアイドル歌会との対決に臨みたかっただろう、と言われた。 ☆今日の模様はユーチューブで配信されていて、妻も自宅で観ていた。 途中で、私の真ん前の席の男が突然に大声で叫び始めて(司会の話す言葉が理解できず、日本語で話せ!と激高していた)、その音声はそのままユーチューブで 流れて、妻も聞いていた。 こんな失礼なことをするのは概ね頑固老人だが、立ち上がって席を離れて退出したのはまだ50代前後くらいの男だった。 ☆信じられないくらいに多忙で超人的な伊藤先生も、壇上の姿はかなり足取りも弱まっておられた。 私と5歳しか違わない年齢なので、私が4年後の80歳までは石を彫りたいと思ったことが、なんだか危うく感じられてしまった。 ☆夜中に奥歯の痛みで眠れなくなり、痛み止めを飲まざるを得なかった。 また夕食後には腰痛がぶり返し、脇ばらも痛くなってきて(大腸憩室炎か?)テーブルに座っておれず、早々に床に就く。 8月9日(土) ☆午前は小雨。 午後からは曇り。 今日も気温は上がらず。 ☆朝一に整骨院。 今日の電気治療は、何時もの臀部から太もも裏側に走る激痛がなかった。 良くなって来たのだろうか。 そして今日はローラー治療も無く、院長のマッサージも短かった。 土曜日は午前中のみの診療で、患者が多いせいなのか。 ☆整骨院の後、アンジェラスの森へ。 雨は小降りで、作業に影響は無し。 ☆午睡の後、再びアンジェラスの森へ。 ペーパー400#研磨まで行く。 来週には台座を制作して本設置まで持って行けるが、やはり今日も適切な端材を捜して見たが、台座にちょうど良い大きさの石が見つからない。 8月8日(金) ☆夜中から雨。 日中は殆ど曇り。 鹿児島の霧島市は記録的な大雨で、今日の降水量は8月いっぱいの降水量の倍以上だったと言う。 宮崎県内でも都城市が大雨だったようだが、高鍋町では日中の雨は少しぱらついた程度であった。 夜に這入って、再びの雨。 ☆朝一に整骨院。 まだまだ起き抜けは腰が痛くて、何も出来ない。 ☆整骨院から帰って、アンジェラスの森へ。 大雨を覚悟していたが、雨はパラパラ程度で、作業には全く支障は無し。 ☆午睡の後に再びアンジェラスの森。 今日は涼しくて、車のエアコンは不要だった。 水磨き作業を進める。 8月7日(木) ☆朝のうちは晴れ。 次第に雨雲が出て、午後から雷雨となる。 雨は夕刻には上がる。 ☆起き抜けから腰が痛くて、朝の炊事も何も出来ない。 それで朝一番に整骨院へ行く。 やはり寝ている間に筋肉が固まって、朝が一番痛いのだそうだ。 今日も電気治療とローラーの後に、院長に背中から全身をマッサージで解してもらった。 ☆整骨院の後はアンジェラスの森へ上がる。 水磨きの準備をして、水磨きに這入る。 ☆午睡の間に町場では雨になったが、午後にアンジェラスの森へ上がると、作業場周辺はまだ雨にはなっていなかった。 ほどなく雷雨となり、雨は次第に激しくなった。 午後半ばにはテントの中は暗くて手元が見えなくなり、作業を中断。 土砂降りでずぶ濡れになって、夕刻前に帰宅する。 ☆帰宅して、短歌の作業。 推敲をして、宮日文芸に3首を投稿。 8月6日(水) ☆晴れ。 今日も炎熱の猛暑。 宮崎県内では、私の作業場の在る西都市が県内最高の37,4度を記録。 ☆昨日夕刻からの腰痛が酷くなって来たので、午前に整骨院へ。 腰というより、何時もの右臀部の腰近くの痛みである。 このままではぎっくり腰になって動けなくなるという院長の判断。 電気治療、ローラー、バイブレーターで徹底的に解してもらった。 背中もパンパンに張っている。 治療の後は、信じられないくらいに体が軽くなった。 ☆帰宅してからお昼までは、溜まっていた短歌一日一首の作業。 一首をまとめるのでさえ四苦八苦なのに、毎日一首という作業は本当に苛酷である。 ☆午睡の後に、午後からアンジェラスの森へ上がる。 西都市内は県内最高気温でも、森の中ははるかに涼しい。 腰の痛みが軽くなったので、内側の砥石磨き作業を進める。 8月5日(火) ☆晴れ。 暑い暑い炎熱。 ☆アンジェラスの森で作業。 今日は森も暑かった。 反対面の成形作業と手磨き作業を進める。 ☆午後からは森にも風が出てきたが、いつもの涼しさはない。 反対面の手磨き作業をほぼ終えて、夕刻に起こす。 明日には水磨き作業に這入りたい。 しかし次第に腰が痛くなって来た。 ☆先日の「心の花」歌会2次会で、初めて私と2次会で同席された会員の方たちが、私に彫刻の歌を詠んで欲しいと言われた。 例えば、著名な人形作家の方がおられて、その方はやはり著名な歌人で、人形の歌しか詠まれないという。 私は即座に、私は彫刻で真摯に表現活動をしているので、短歌では彫刻のことを詠みません、と答えた。 彫刻活動で言い切れないことを、他の表現活動で表現したいのである。 例えば私の大学4年時に、高校短歌会の仲間だった友人から短歌を再び始めようと言う手紙をもらった時に(彼はその6年後にヨーロッパアルプスの雪崩で 夭折してしまった)、私は日記にこう記している。 ”この前に会った時も、趣味が本業になってしまった、と寂しくぼやいていた彼だが、実際、ぼくもいつも詠もうと思っては失望してしまっている。 芸術家は語るなかれ、と人は言うがぼくにとって矢張り、彫刻に託すものとは別なものをいつも言いたいとウズウズしている。 ” この春から短歌を再開したのも、この友人との約束を思い出したことも1つのきっかけであった。 私に彫刻の歌を詠んで欲しいと言う要望は、先月の歌会2次会でも話に出た。 それで宮日歌壇に伊藤先生が選んでいただいたイランの題材を基に、海外体験の話を詠んでいこうかと提案したら、皆さんから強く同意された。 過去の海外滞在の日記を読み返しながら、私なりの短歌が詠めるのではないのだろうか。 8月4日(月) ☆朝のうちは晴れていたが次第に雲が出て、午前中ににわか雨。 午後もすっきりしない蒸し暑い一日。 ☆ホテルで寝ると、なぜかぐっすり眠れる。 ぐっすり眠れたのだが、エアコンが寒くて夜中2時に目が醒めてから眠れなくなり、とうとう午前3時に起きる。 ホテルのエアコンは温度が全館統一されていて、各部屋の温度調整が出来ない。 寒さに震えながらデスクワークをする。 ☆早朝5時過ぎて、少し寝ようとベッドに横になっていたら、妻からラインが這入った。 ”新聞に、短歌が2首載っていたよ。” そしてスマホで撮った宮崎日日新聞文芸欄の紙面の画像が送られて来た。 伊藤先生と吉川宏志氏からそれぞれ別の歌が選ばれていた。 昨夜は伊藤先生から褒められて嬉しい夜だったので、思わず”やったあ!”と妻に返信する。 ☆伊藤先生の選んでいただいた短歌。 水溜まる作業場に舞う蝶の群れ嗅覚ならぬ水覚あるか この歌は私なりに好きな歌だったのでうれしい。 ☆吉川さんの選んでいただいた短歌。 われ森で岩を彫りおり妻画室で版画摺る幸充つるいま こういう日常の歌も良いかなと思って送った歌である。 ただ吉川さんは”石を彫りおり”を”岩を彫りおり”に添削してあった。 私たち彫刻家にとっては、岩という表現は使わない。 だが世間の人達には彫刻家、特に石を彫る彫刻家の存在は画家のようにはイメージが掴めないという。 おそらく吉川さんにも”石”を彫るというイメージが想像困難だったのだろう。 ☆満ち足りた気持ちで、朝風呂を浴び、7時前に朝食を摂ってホテルをチェックアウトする。 ☆しかし帰宅すると、夜中に起きたせいで眠くなり、雨も降って来たので和室で横になって午前を過ごす。 ☆午後からアンジェラスの森へ。 反対面の成形作業。 だが今日は風もなくとても蒸し暑くて、防塵マスクや作業帽子が不快でならない。 そして次第に胃のあたりがきつくなって、作業困難になり、早めに森を出る。 帰路には頭痛がしてきた。 ホテルのエアコンの寒さで風邪を引いたのかもしれない。 帰宅したら直ぐに寝室に上がって夕食の時間まで寝る。 ☆中国・恵安は契約書締結からもう15日は経つ。 しかし契約書にある契約締結日から15日以内に報酬を支払うと言う約束は果たされない。 8月3日(日) ☆雲一つない全き灼熱の快晴。 ☆今日は休養日。 午前にエジプトへの国内線・ジェットスターの予約。 および成田でのホテルの予約。 ☆午後から宮崎市へ出て、定宿となったホテルへチェックイン。 午後3時半から、「心の花」宮崎歌会8月例会。 ☆今日はなかなかに面白い例会となった。 私の歌は今回も1票も這入らなかった。 だが私の選んだ1首への私の選歌理由が思わぬ反響を呼んだ。 私が選歌した歌は、”でもだって別にどうでも面倒な日々にそれでもこんな夕焼け”という歌であった。 私は自分の日常、特に森の中で独りで石を彫りながらも一日色んな思いに悶々としながら過ごしているが、夕刻に森を出ると開けた畑の上に満月が出ていたりすると、 とても嬉しくて、それで様々な煩雑さから一気に解放される。 その解放感は、日常での入浴後の美味しい夕食とお酒で一日を快く閉めるという解放感とはまた別な大きな自己肯定感に繋がる。 この作者にとっての夕焼けも、日中はどんなに神経をまいらせる苛立ちの中に在っても、夕焼けという地球的な、宇宙的なゆるぎない姿には絶大なる自己肯定感が 得られるのだろう。 そんな話をした。 そうしたら、司会の方が”ずっとお話を聞いていたい”と言われたのである。 私は若いころは自他共に認めるスピーチの名人だった。 それが甦って来て、とても嬉しかった。 ☆そして例会が終って、二次会の居酒屋へは伊藤先生と2人で歩んで行った。 ☆2次会の席で、伊藤先生も私の選歌理由の語りを、司会の方がもう一度聞きたいと言われたことをほめていただいた。 さらに嬉しかったのは、私の歌を伊藤先生は評価していただいていて、先生の5首選の候補作で〇印をされていた。 先月は酷評されて落ち込んだし、今回もなかなか纏まらなくて結句が良くなかったので、思いもかけないことだった。 私の歌である。 ”スリッパを急ぎ突っかけ歪みたる青き横縞わが身のごとし” 会員の方たちはスリッパと横縞が別物だと解釈されて、”歪み”がどちらにかかっているのかよくわからないという評が多かったのだが、伊藤先生はきちんと スリッパの横縞模様が歪んだと理解していただいていた。 結句は、人生とはこんなものだと言う締めで一般的な人生の例えにしたかったのだが、うまく纏まらず、自分の身に置き換えてしまった。 伊藤先生は、”わが身のごとし”を一度否定表現して、その中から肯定感が出てくるような表現をするとよいかも、とアドバイスをされた。 先日の宮日歌壇の私のイランの歌も、とても評価していただいた。 2次会も色んな話が出来てとても楽しかった。 8月2日(土) ☆晴れ。 灼熱の一日。 ☆アンジェラスの森で作業。 もう体がヘトヘトになってきた。 この再びの猛暑入りのせいだろう。 何時もは涼しいアンジェラスの森も、朝のうちはとても蒸し暑く、体にまったく力が這入らない。 水道設備があれば、頭から水を被りたい。 気合を入れるために森の中で叫ぶ。 森の中で叫ぶのは鳥たちと私だけなので、思い切り叫んで気合を入れる。 昼前からようやく涼しい風が通り始めて、手磨き作業を進める。 ☆午睡の後、再びアンジェラスの森へ上がろうとすると、疲れきっている私を見て、妻が午後からは休んだら?と言う。 先日、あれだけ怠け者だと罵られたのだ、休む訳には行かない。 午後のアンジェラスの森はとても涼しかった。 もう一度フォルムの修正を済ませ、石の裏返しの作業をして、反対面の成形作業に這入る。 ☆このアンジェラスの森で石の作業をするのも、もう残りは4年間だろう。 80歳になったら、石を彫るのは止めようと思う。 そんなことを考えながら、森の中で独り石を彫る後期高齢者の私である。 ☆先日、長男が我が家に帰ってきた途端に、元気なうちに工房の片づけをやっておいて欲しいと言った。 私たちの世代は、妻や子供たちからそうせかされる日々である。 ただ現役で仕事をしている間は、作業場の片づけは出来ない。 80歳になったら、きっぱり断捨離にかかろう。 もっとも、80歳まで生きていたら、の話だが・・・。 ☆日に日に体重が落ちて行き、とうとう60kg台を切った。 しかし妻の記憶では、昨年のヨーロッパ周遊では56,5kgまで落ちていたそうで、それでもあんなに毎日元気に歩きまわていたのだから、当分は大丈夫だ。 8月1日(金) ☆晴れ。 朝早くから狂ったようにクマゼミが鳴く。 セミは鳴くのはオスのみで、求愛のために限りなき絶叫をするらしい。 ☆アンジェラスの森で作業。 午前は色んな鳥の声が行き交っていたが、いつもより蒸し暑かった。 午後は幾分涼しくなったが、蚊取り線香の効果は無く、やたらと蚊に刺されまくった。 ☆フォルムの取り直しをしながら、砥石を掛けて行く。 夕刻にはかなりフラフラになった。 水を呑むと逆に胃に負担がかかって苦しくなるので、口の中を湿らせる程度の水を少し含む。 しかし若いころは泣きそうになりながら砥石を掛けていたので、別に高齢化のせいで作業がきつい訳では無いと思い当たる。 ☆だが作業を始めてから、とっくに1カ月を超えている。 妻は、私が短歌を始めてから自室に何日も籠ったりしているから作業が遅れているのだと叱責する。 目途に考えていた7月内の作品設置と入金の予定が無くなったので、また妻に多大な経済的負担をかけてしまったからだ。 だが、そういう日々を過ごしたのは制作の石が届く一月以上も前のことである。 彫刻制作に這入ってからは、滝のような大雨で作業が出来ない時と夏祭り以外は、真面目に作業をしている。 今回も見積もりミスで、作業オーバーとなってしまったに過ぎない。 しかし、妻のおかげで私は今日も生き延びているので、妻に叱責されても”はい・・・”とうなだれるしかない。 知友の彫刻家が己のことを”超酷家”と書いた色紙が、お世話になった石材店の事務所に掲げてあったが、まさしく金と楽に縁のない彫刻家である。 そういう私を支えてくれている妻には、感謝以外にない。 7月31日(木) ☆晴れ。 ☆宮崎県内の津波注意報はお昼前に解除されたが、今朝は宮崎港で60cmの津波が観測されたようだ。 ☆アンジェラスの森で作業。 上部の砥石手磨き作業の後、石を横倒しして、上部と下部のフォルムを合わせる。 今日のアンジェラスの森はとても快く涼しい風が吹いて、一気に秋に近づいたような気持ちの好さだった。 ☆しかし砥石の手磨き作業(フォルムの整えとダイヤカップの傷取り)はやはり堪える。 いくら柔らかい大理石でも相当に体力を奪う。 そのせいだろう、入浴後に体重を計ったら今日一日で700gも減っていた。 おそらくこの秋のエジプトが、体力的には最後の海外シンポジウム参加になるのではないのだろうか。 ☆今日で7月もあっという間に終った。 今月も無収入のままに過ぎてしまった。 中国・恵安に契約書通りに報酬の支払いが行われるのか、何度問いあわせてもまったく返事はない。 7月30日(水) ☆晴れ。 作業場の森は涼しいが、町場は灼けつく暑さ。 ☆朝8時37分に、突然にリビングの防災無線からけたたましい津波注意報。 今年は我が家は行政事務連絡員担当なので、防災無線の機器が設置されている。 あわててパソコン画面を見るが、何の情報も無い。 ようやく全国の太平洋側海岸沿いに津波注意報が出されていて、カムチャッカ半島で大きな地震があったのだと分かった。 スマホのアラートが激しく鳴ったのはしばらくしてからだった。 宮崎県内の情報は次々に津波警報、避難指示に変って行った。 海外沿いの高鍋町も同様であった。 結局、宮崎県内でも30cmほどの津波が3回到達している。 それでも暢気に青島へ海水浴に出かけて、海辺は無人でお店が全て閉まっていて驚いたというヤカラもいたようだ。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 今日もアブや蚊がとても多かった。 背中をあちこち虫に刺される。 今日から石の嵩上げをして下部の作業をやり易くし、ようやく一部の砥石作業に入った。 ☆今朝の宮日新聞一面に、伊藤一彦先生が宮崎県民栄誉賞受賞のニュース。 伊藤先生の活躍は毎日のように新聞に載る。 こんな先生と「月の雫」を出版できたなんて、まったく教え子冥利に尽きる。 また「心の花」宮崎歌会の月例会で、毎月のように伊藤先生と呑めるようになった。 ☆妻が新聞記事で、また別の記事を見て驚いている。 なんと宮崎空港発着で福岡空港経由のエジプト旅行ツアーが26万円で出ていると言う。 私が予約購入したばかりの成田ーカイロ便とあまり変わらない料金だ。 観光してホテルに泊まって、しかも宮崎空港発着なのでびっくりである。 フライトは中国東方航空で上海経由である。 私も今回のフライトで調べたなかでは中国東方航空便が最も安かったのだが、スケジュールがうまく合わなかった。 それに一昨年のポルトガルのシンポジウムフライトで福岡空港発の便を購入したら、福岡発羽田経由の便で、無駄な大きな出費をした失敗があったので、 今回は最初から福岡発のフライトは検索しなかった。 中国東方航空なら福岡発で良かったのだ。 昨年の妻とのヨーロッパ周遊も一番安い中国東方航空を使って、何のトラブルも無かった。 7月29日(火) ☆晴れ。 再びの灼熱の夏。 ☆朝一に、オブジェの銘板と心棒を発注。 ☆午前は短歌の作業。 溜まっていた一日一首の作業。 本当にこの一日一首は至難の業だ。 ところで今日まで気が付かなかったが、先日に伊藤先生が採用してくださった宮日歌壇の私の作品は、一部が添削してあることに気付いた。 確かに私の原文より良い表現になっている。 こうした所が、超初心者の私にはまだまだ歌になりきっていないのだ。 ☆和室で午睡をしていたら、あちこちを小蟻に噛まれて痛くて目覚める。 ☆午後からアンジェラスの森の作業に復帰。 今日はやたらと蚊や虫に刺されて、ずっとチクチクと不愉快な気分。 上部の成形作業。 今月中に設置したかったが、まだまだ手間がかかる。 7月28日(月) ☆晴れ。 これからしばらくは真夏の暑い晴天が続きそう。 クマゼミが狂ったように鳴き始めた。 ☆今日の宮日文芸にも私の短歌は影も形も無い。 これで5回の投稿で5戦1勝の成績。 地道に頑張ろう。 ☆今日は一日、エジプトのチケットの検索。 色んな角度から検索してみるが、なかなかタイミングの良いチケットはない。 それにネットでの価格はあっという間に変動して、数分間の間に10万円も上昇したりする。 最初は羽田からの便だけのフライトを検索していたが、成田からの方が便利なターキッシュエアラインの便があり、ジェットスターを使えば国内旅費が かなり抑えられることに気付いた。 ようやく夕刻近くになって、エアトリサイトで成田からの他社航空の乗り換えのないターキッシュエアラインでチケットを予約した。 ターキッシュエアラインだと、8年前のエジプトのようにイスタンブールでの乗り継ぎ時間が長い。 しかし工具類の荷物が重いので、同じターキッシュエアラインでの乗り継ぎなら、乗り継ぎ時に荷物を預け直す必要が無くて助かる。 今回のエジプトも旅費補助はなく、報酬から支払わなければならないので、すこしでもチケット代は安く上げないと大変である。 ☆夕刻に、制作中のオブジェのプレート原稿を作成。 発注先にタイトルについて打診していたのだが、先方も超多忙で、今日になってやっと連絡が取れた。 私が仮に付けていたタイトルで好い、ということになった。 ☆中国・恵安から、あれから入金の案内が全く無い。 きちんと契約内容は守ってくれるのだろうか。 7月27日(日) ☆晴れ。 しかしまだ天候は不安定で、時折のにわか雨が襲って来た。 ☆帰京する長男を、妻と宮崎空港まで送る。 長男とは空港前の乗降口で降ろして別れ、その足で”ギャラリー石蔵”へ向かう。 ☆”ギャラリー石蔵”は画家で知人の徳丸晃さんが、2年前に農家の石蔵を買い取って始めたギャラリーで、妻が宮崎市内での版画個展会場を捜していた時期に、 気になっていて一度訪ねてみようと思っていた。 ネットで地図を確認したが、空港からだといったん宮崎市内へ戻ってからでないと経路がわからず、途中でギャラリーに電話を入れたりしてようやくたどり着いた。 場所は長男が通っていた第一高校のすぐ近くで、隣町の清武町に隣接した農村地帯であった。 徳丸さんは以前は清武町に住んでいたが、不動産ネットでこの農家の物件を見つけ、石蔵と農家の家屋と広い敷地に一目惚れして手に入れられたという。 清武石で作られた石蔵は築80年、家屋は築100年ということで、家屋の方は住まいとアトリエ・教室に改装されている。 ☆石蔵では知人の増田常徳氏の作品を中心とした企画展が開かれていた。 またアトリエでは、今日はコスチュームモデルさんを使ったデッサン会が開かれていて、覗いて見るとなんと友人の河野富夫君や知人が数名参加していて驚いた。 このデッサン会では東京からモデルを呼んでの裸婦デッサン会も開催しているそうで、ベテランの作家たちにとってもモデルが使える貴重な楽しい会だという。 ☆”ギャラリー石蔵”を出て、途中で目にした私のタヌキファミーリー像を確認するために、まなび野の”ながの屋”駐車場に立ち寄る。 このタヌキファミーリー像は、平成11年(1999年)の宮崎県住宅供給公社の発注で、公共空間に設置した”タヌキシリーズ”の3つめの作品である。 ところがこの公共空間は後に民間に払い下げられ、私のタヌキファミリー像の建って居た敷地にはコインランドリーが建ってしまった。 そのコインランドリーの工事中に、タヌキファミリー像は工事現場の片隅に置かれ、近所の方が廃棄されるのではないかと心配されて、当時マレーシアに滞在中の 私に報告連絡があった。 その方が住宅供給公社に確認したところ、敷地はタヌキファミリー像と一緒に民間に売却したものなので、彫刻の処理については一切関知できないという つれない返事であったという。 だがその後の経過で、どうやらコインランドリーが建ったら、タヌキファミリーも再設置されるらしいと言う情報は這入って来たので、帰国したら確認に 行こうと思っていた。 しかし、なかなかタイミングがなく、今日の”ギャラリー石蔵”への道筋で偶然に目に這入って、思い出した次第である。 確認すると、タヌキファミリー像(4体)は丁寧に再構成されて設置してあり、苔も全く生えていなかった。 感謝であった。 ☆そのまま高鍋へ戻り、直接に帰宅はせずに、高鍋町美術館で開催中の「日本の美と人間国宝のわざ」(ますびコレクション)を観に行く。 以前に既述したようにこのコレクション展は、行橋市の「増田美術館」のコレクション展である。 「増田美術館」は実業家の増田氏の個人コレクションで、2017年に行橋市立美術館となったもので、私が行橋に通っていた時分に学芸員が採用されたと言う 情報だったので、私が行橋市と関わっていたころには私は「増田美術館」に行ったこともなかった。 もともと行橋市は非常に文化レベルの高い所で、あちこちに人間国宝級の作品が所蔵されている。 今回のますびコレクションも密度の高い作品ばかりで、1点1点の解説文を読んでいたら、午後からライブに出かける予定のあった妻に催促されて、 途中で出ざるを得なかった。 ☆高鍋町美術館の青井学芸員と小森係長に、夏祭りでの地域おこし協力隊員での負傷の件を伝える。 ☆午後はエジプトへのフライトを調べる。 しかしなかなか丁度よいフライトが見つからない。 ☆先日、増田常徳氏からメールが届いていたので、今日の”ギャラリー石蔵”での作品展示の写真を送る。 7月26日(土) ☆くもり。 今日も時々のにわか雨だったが、ほぼ曇天状態。 ☆火産霊神社夏祭り、2日目。 祭りの太鼓台担ぎ手で参加してもらった地域おこし協力隊の市川さんは、昨夜に太鼓台を担いでいる途中で転倒し、左手肘と右腕を強打してしまった。 それで今朝は痛くてたまらず、今日の祭り参加は見送りとなった。 長男が気付いた時にはすでに本部で患部を冷やされていたということで、いまのところ原因は分からない。 毎年、祭りではけが人が出る。 それで祭り参加者は全員が保険に加入しなければならない。 幸い打撲だったようで、骨折等の大怪我にならずに幸いだった。 今朝、妻が肩凝りで整骨院に行ったら、祭りで足腰を傷めた参加者で満杯だったと言うこと。 ☆午前に短歌の作業。 「心の花」8月例会の詠草から1首を選歌して送付。 例会日のホテルの予約をする。 ☆正午から中町公民館の出立て。 ☆夕刻に子供神輿の接待。 少子化は凄まじく、実に子供たちの少ないこと。 ☆お宮入り前に御神輿と太鼓台の接待。 担ぎ手が減少してしまっているのは大人の神輿も同じで、殆どの担ぎ手が祭りの経験のない人たちで、お囃子を全く知らない人ばかりだと言う。 そして夜になると神輿の担ぎ手がさらに減ってしまって、本来ならら祭りのクライマックスで太鼓台で思い切り暴れたい長男たちは神輿に廻されて、 意気消沈状態だった。 長男にとっては不完全燃焼の夏祭りとなったようだ。 7月25日(金) ☆一日、にわか雨の襲来する不安定な空模様。 雨脚が早くて、雨が真っ白な壁となって向かってくる。 こんなにわか雨の姿は始めてである。 ☆火産霊神社(通称 荒神様)夏祭り、初日。 早朝6時から地区の祭り装飾。 今日は雨の予報だったので、紙のハンヤは軒下にのみ取りつけて、ハンヤ装飾用の縄をめぐらす作業のみ。 我が家はそうとは知らずに家の前の縄にハンヤを取りつけていたが、案の定、作業が終わるころに激しいにわか雨が来て、ハンヤは殆ど落ちてしまった。 ☆午前は2階書斎で短歌の作業。 一日一首作歌と、それらを整理して宮日歌壇へ3首を投稿する。 ☆正午より中町公民館の出立て。 中町所属で祭りに参加してもらう地域おこし協力隊の市川さんを、皆に紹介する。 市川さんには我が家の長男と一緒に太鼓台を担いでもらう。 ☆祭りは3時30分からの神社での神事から始まったが、私はもう隠居の身なので、夕刻からの太鼓台と神輿の接待をする。 にわか雨が頻繁にやって来て、接待は大雨の中でずぶ濡れの作業だった。 そう言えば、私が小学5年生の時に、やはりにわか雨が激しく降り、三兄たちが地区の公園でお化け屋敷をやっていて、私も作業を手伝ったりしていたので、 雨の中をお化け屋敷に佇んでいたせいで気管支炎になってしまい、その後に呼吸困難になって苦しい思いをしたことがあった。 ☆夕食の後に、町中へ出てみる。 激しい雨の中でも祭り見物のお客さんは多かった。 長男も市川さんも祭りを満喫していた。 多くの高鍋町出身の青年たちが、この夏祭りのために帰省して祭りに参加する。 7月24日(木) ☆晴れ。 時々、激しい驟雨の不安定な天候。 ☆午前は、夏祭りのために帰省する長男のために、恒例の冷や汁を作る。 イリコを解して煎ったり、味噌を合わせて焼いたりと、結構手間のかかる料理である。 ☆午後半ばから、妻と一緒に宮崎空港まで長男を迎えに行く。 近年は空港駐車場が恒常的に満杯で、夏休みが始まったので今日も無理だろうと思っていたら、以外やスムーズに這入れた。 ☆夜は1年ぶりに、家族3人で楽しい夕餉となった。 7月23日(水) ☆晴れ。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 森は風が吹き、鳥が囀ってとても気持ちが好い。 空を見上げるとくっきりとした青空と緑の枝葉が綺麗で、思わず写真を撮ってフェイスブックに挙げた。 上部の成形と、下部内側の成形作業。 ☆お昼を摂った後に、空港ビル石尾さんから空港展の補助事業申請の最終書類案が届いていたので、チェックし、一部の修正と追加をして返信。 午後に無事にエントリーが完了した。 書類作成の過程で、宮崎彫刻グループの結成当時から現在の空港展までの流れをきちんと整理出来たことはとても大切なことだった。 特に空港展事務局の田村と空港ビルの石尾さんは、宮崎彫刻グループ結成の43年前からの流れは全く知らないことなので、彼らにとっても 現在までの流れをきっちり俯瞰出来て良かったと思う。 ☆夜は中町公民館の、夏祭りハンヤ切り作業。 いよいよ祭り本番である。 7月22日(火) ☆晴れ。 陰影のくっきりとした、絵に描いたようにぎらつく夏。 ☆昨夕から、ぐらついている奥歯の痛みで眠れず、夜明け前に起きて痛み止めを呑む。 ☆昨日の選挙公報で、今週も宮日文芸の掲載は火曜日に延びた。 今回は私は選外であった。 大口さんの選で、高校同窓のKさんが特選だった。 何しろ毎週千首近い投稿があり、その中から11首しか選ばれないのだから、やはり選ばれると言うのはかなりのアピール力があるものなのだろう。 私は私の世界で深めてゆくしかない。 ☆朝のうちに、先日にやりかけていた空港展の某補助事業への応募書類の修正作業。 明日が締め切りなので、突貫作業である。 ☆アンジェラスの森で作業。 森は涼しく、野鳥が囀っていて気持ちが好い。 ☆夕刻に、生い茂ってきた庭の草刈り作業。 ☆エジプトの参加作家のメッセンジャーへチケットに関する質問の書き込みをすると、やはりみんなはNew Alameinだけの日程でのチケットを購入している。 オルガナイザーも何も反応しないので、オルガナイザーの言っていたその後のカイロシンポジウムの自動参加は無いのだろう。 早急にチケットの手配をしなければならない。 ☆中国・恵安の契約書をよく見ると、中国側の押印欄に日付が這入っていない。 記載された日付から15日以内に報酬を支払うと言う契約内容なのだが、気になって中国の事務局にメールで確認しても返事はない。 7月21日(祝・月) ☆朝のうちににわか雨。 日中は晴れて、一気に真夏の蒸し暑い陽射し。 今日は祝日ということもあるが、この暑さもあるのだろう、町を歩く人影は全くなかった。 ☆アンジェラスの森で作業。 森は涼しいが、今日は一気に大量の蚊が出て来て、蚊取り線香を焚いても効き目が無かった。 今月中には完成して納めたかったが、なかなか思うように進まない。 ☆デスクワークが溜まっているので、夕刻は早めに帰宅したが、家に居るとすごく体がまいる。 アンジェラスの森で作業している方が全然体が楽だ。 多分、家に居るとエアコンで体調を崩すようだ。 ☆夜中になって、ようやく中国恵安の契約書が中国側の押印が押されて戻って来た。 これで15日以内に報酬は振り込まれるのだろうか。 また作品の売価も私の設定した売価の通りで記載されている。 こちらの方は売買が成立してからの支払いになるのだろう。 とまれ方向が見えて来た。 ☆一方のエジプトは、8月5日までにチケットのコピーを送るようにと言う案内が届いた。 参加作家の書き込みでも、カイロのシンポジウムまでを含めたチケットでは無く、New Alameinの10月4日から29日でのチケットを購入している。 7月20日(日) ☆晴れ。 昨夜は涼しくて、エアコンは不要だった。 今日も天気は不安定で、時々のにわか雨。 夜になって激しい雨。 ☆今日は休養日で作業は休む。 ☆妻が早めに帰宅したので、一緒に参議院選挙の投票に出かける。 ☆一日ずっと、短歌の作業。 一日一首がもう何日も滞っているので、短歌を考えるが、見事に何も浮ばない。 物事を表面でしか観ていないから、観たものから何か詩的なエスプリを見出す感性が基本的に欠如している。 なんとか夕刻までには今日までの分の一日一首を考える。 先日に送った宮日歌壇の一首に言葉の間違いがあった。 下書きは正しい表現だったのだが。 ☆一日、家でだらだらデスクワークをしていると、実に体がだるくなる。 まだ森の中で作業をしている方が健康的である。 7月19日(土) ☆晴れ。 雲の多い一日で、時折のにわか雨。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 上部の成形作業。 なかなか作業ははかどらない。 ☆夕刻のラジオローカル番組が、延岡市を訪ねるものだった。 延岡市は住んでいたこともあり、大好きな街である。 作業をしながら、ふと延岡時代のことが甦って、お世話になった延岡総合文化センターのA氏との或るやり取りを思い出していた。 するとパーソナリティーが訪問してインタビューをしていた虎屋の上田氏が、突然にA氏のことを語り始めて、びっくりした。 A氏のことなど、結婚してからは想い返したことも無いのに、思い出した途端にラジオから彼の名前が流れて来るなんて。 ☆今夜は妻はライブセッションがあって、宮崎市泊まり。 明るいうちからビールを呑んで、独りゆっくり過ごす。 ☆夜になって「心の花」宮崎歌会8月例会の詠草が届いたので、ざっと目を通す。 7月18日(金) ☆雨。 ☆朝にアンジェラスの森へ向かうと、ラジオで西都市と木城町は大雨警報、洪水警報が出た。 作業場は西都市にあり、木城町と高鍋町に隣接している。 しばらくは雨は小康状態だったので作業にかかったが、ほどなくして大雨になり、殆ど滝の中での作業になった。 あわてて片付けて、森を後にする。 ☆帰宅後は2階書斎で短歌の作業。 一日一首がまったくままならず、ここ数日分が一首も形にならない。 ☆午睡の後は雨も落ち着いてきたので、アンジェラスの森へ上がり、普通に作業をする。 しかし帰路は、小さな土砂崩れが起きていて、片側通行になっていた。 ☆エジプトはあれから何も返事がない。 カイロのシンポジウム情報は今週に公開予定ということだったが、何の情報も送って来ない。 これではチケットの手配も出来ない。 7月17日(木) ☆晴れのち昼前から雨。 夕刻からは本格的な雨。 ☆アンジェラスの森で作業。 注文していた25mm径の電着のコアドリルが届いたので、底部の心棒穴を拡大する。 あらかじめ20mm径のコアドリルで穴を開けておいたのだが、それだと18mm径の心棒しか這入らない。 作品が保育所に設置で、子供たちが作品を潜って遊ぶ設定にしてあるので、安全性確保のためには少しでも心棒を太くしたい。 無事に25mmのコアドリル作業を終えて、作品の天地を返す。 午後は、上部の成形作業。 ☆夕刻に日本生命来訪。 怪我保険の切り替えをする。 ☆今日は妻の色彩検定試験の結果発表の日で、無事に3級と2級の試験に合格通知が届いた。 それで今夜は妻の色彩検定合格祝いと、私の誕生日祝いを兼ねて、外食でお祝いをした。 ところが、先日にライブの打ち上げをして感動的な美味しさだったお店に出かけたが、今夜の料理は信じられないほどの不味さだった。 同じお店で、天と地の差ほどの味の落差があって、とてもではないが食が進まず、早々に店を出た。 こんなことなら我が家で私の手料理でお祝いをした方が良かった。 ☆帰宅して、宮日歌壇の3首を投稿する。 一日一首がままならず、その中から毎週3首を選ぶのは相当な負荷である。 どれも短歌にもなっていないようなものばかりなので、投稿しながらも推敲しなければならない。 7月16日(水) ☆晴れのち、くもり。 天候は下り坂で、夜に雨となる。 ☆涼しい朝。 遠くで(?)熊セミの鳴き声。 我が家の庭のニイニイゼミの合唱は全く聞こえないが、熊セミのワシワシは聞こえた。 ☆午前はアンジェラスの森で作業。 今日はアブが多くて、背中を刺された。 そろそろ台座の準備をしなければならないので作業場を当たってみるが、よい方法が思いつかない。 注文していたコアドリルが届かないので、作業が進まず、昼前に帰宅する。 ☆そこへ高鍋税務署から電話。 私は令和4年度の事業収入の消費税の納入が必要だと言う。 だが私は、INVOICE制度が始まった時に税務署に出かけて詳しい説明を受けた。 その時には私は消費税の納付義務は無いと言われた。 とりあえず、令和6年度の確定申告一式と領収書を持って来て下さい、という。 それで昨年度の領収書全てをまとめて、INVOICEの説明を受けた時のメモ書きと確定申告一式を持って、午後に高鍋税務署に出かける。 ところがやはり、私にINVOICEの説明をしてくれた担当者の説明が間違っていたということで、消費税の納入義務があるという。 しかしINVOICEが始まったので、お金を支払った業者がINVOICE登録業者とそうでない業者では消費税の税率が違うので、領収書を仕分けしてくれという。 昨年度は殆ど仕事が無かったので、領収書もあまりないし、大手のお店は殆どINVOICE登録業者だというので仕分け作業は簡単であった。 担当者はその領収書一式と、必要経費を概算した書類を持って部屋に上がって行った。 私は全ての領収書は保管しているし、経費を出す計算メモもきちんと保管している。 これまで税務署から領収書の提出を求められたことは無かったので、整理はしていないが保管はきちんとしている。 ほどなくして、担当者は消費税の振込用紙を持って下りて来た。 ああ、やっぱり消費税を納めなければならないのだ。 どうしてこんなに無収入の無一文の私から次々にむしり取って行くのだ。 夜逃げしたい! ☆愕然として帰宅すると、空港ビルの石尾さんから某補助金の申請書の下書きが送って来た。 目を通すと、私たちの活動の流れが私でないとうまく表記できない所があって、結局その書類の文章の推敲作業に没頭しなければならなくなった。 ☆夕食を摂りながら、今の極限状態に対して、どうしようもない無力感では無く、どっしりと構えている自分に気付く。 これまでにも何度も差し押さえに遭ったり、極限状況を経験してきているが、今日まで何んとか乗り切って来た。 今も遊んでいる訳では無く、毎日仕事をしているし、中国の入金を待っている状態だ。 どういう展開となるのかわからないが、なんとか乗り切れる策があるはずだ。 私への誕生お祝いメッセージを送ってくれた知人が、”ますます人生を楽しんでください。また、その極意を教えて下さい。”と書いていたが、確かに76歳にもなると、 人生を前向きに考えて行く生き方になっている。 何んとかする、なんとかなる、そう思うしかない。 妻が、”昨日はラッキーな日だったけれど、今日はアンラッキーな日だね”という。 そう、毎日が山あり谷あり、どんと構えておけばよい。 7月15日(火) ☆晴れ。 今日は風が出て、アンジェラスの森は涼しかった。 ☆76歳誕生日。 若いころに感じた76歳と、現実に76歳を迎えた今の気持ちとはずい分の乖離がある。 若いころは76歳なんて想像も出来ない老いの彼方の世界であったが、現実の76歳の私は30歳のころの私よりも健康的で前向きで若々しい。 今年も健康に留意して充実して生きれたら良い。 ☆そうして朝一に嬉しい誕生日プレゼントが届いた。 私が朝食の準備中に、朝刊を読んでいた妻が叫び声を上げた。 ”ええっ!あなたの名前がある!” 私の予感通りだった。 実は毎週月曜日が宮日文芸の掲載日なのだが、昨日は新聞休刊日だったので、ひょっとする今朝の朝刊に私の作品が載れば、絶好な誕生日プレゼントになる、 と期待していたのである。 ようやく3度目に投稿した歌が、伊藤先生の選で入選した。 選ばれた歌はイランを詠んだ歌である。 反米を翳すイランのテヘランのホテルテレビはアメリカ映画 今日の伊藤先生の選歌は戦争に関する物が多かったので、それで私の歌も採っていただいたのだろう。 とまれ初入選は嬉しいものだ。 精進を重ねよう。 ☆仕事に出かける前に、「心の花」8月例会の1首も担当者に送る。 ☆アンジェラスの森で作業。 昨日に引続き、外回りの成形作業。 ☆長男から、誕生祝に大きなタラバガニ脚が届いた。 今夜はささやかに、このカニで誕生祝をする。 7月14日(月) ☆晴れ。 朝のうちはまだ雨が残っていたが、次第に雲が切れ、久しぶりに晴天となる。 野山の緑の陰影がくっきりとして美しい。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 外部のアールを出す作業にかかる。 面を出す作業には度の這入ったメガネでは焦点距離が合わないので、度無しのメガネが必要だが、先日にフレームのネジが外れて使えない。 どうしたものかと思案したが、何んと言うことは無い、細い針金か糸で結んでおけば良いことに気付いた。 ☆今日から軽トラに短歌メモ用の小さなノートを積む。 一日一首がかなり継続が難しいので、常にメモをしておく必要があるし、短歌をされる皆さんはいつもメモ帳を所持されているようだ。 伊藤先生はスマホでも短歌を詠まれると言われるので、スマホに短歌アプリを入れてみたが、投稿の登録が必要なアプリで使えない。 また「心の花」8月例会の一首締め切りが明日なので、夕食後も推敲を重ねるが、とうとうまとまらなかった。 私はやはり言葉のセンスが無い。 ☆今日で無事に75歳を生き延びた。 ほとんど無収入の辛い辛い75歳だったが、経済面を除けば、健康で充実した75歳であったと思う。 7月13日(日) ☆雨が降ったり止んだりの不安定な気候の一日。 ☆今日は休養日。 背中がパンパンに張って来ている。 マッサージに行きたいが治療費も無い。 ☆一日、2階書斎で短歌の作業。 一日一首がままならない。 そして締め切り寸前の「心の花」宮崎歌会8月例会の一首も、推敲の繰り返しで全く纏まらない。 ☆短歌が行き詰まった合間に、植田幸子さんの「原田脩記念 ギャラリー稲童 建立記」の残りを読む。 植田義浩さんを取り巻く友人たちの人脈の凄さは行橋市で感じていたが、それにしてもそうそうたる人たちが実に適材適所で動いてくれている。 文中にふっと気になる記述があった。 原田脩氏の絵の表情について、”背景は脩さん特有の深い黒緑色、わたし達は「脩さんのグリーン」と呼んでいる。”と描写された部分がある。 実は私が短歌を再開したばかりのころの5月27日の夢で、私は自分が風景画を描いている夢を見た。 私は風景画が描けないので、私の感性では全くない風景画を描いていて、森の輪郭が丸みのある四角い黒緑色でぼかされていた。 その記憶を一日一首で詠んでいる。 夢の中風景を描(か)く私(わたくし)は森の緑をくぐもらせている あの夢の中の風景画は、まさしく原田脩氏の絵の世界だったのだ。 ☆エジプトが延期になった10月のシンポジウムの提出書類(招待状へのサイン、図面、パスポート、ポートレートなど)を求めているので、送る。 その提出書類の中に、エアーチケットのコピーが含まれるのだが、主催者は引続いてカイロのシンポジウムにも招待するので、チケットはカイロの期間までを 含んだチケットを買うように、という指示なのである。 しかしカイロはまだ正式決定ではない。 10月のNew Alamein終了から11月のカイロ開始までの期間の滞在はどうなるのか、不明なままである。 これではチケットは買えない。 7月12日(土) ☆雨。 ☆今日も朝の土砂降りの後にエアコンが故障。 雨なので蒸し暑い。 しかし、またも仕事に出る前には正常に戻った。 ☆アンジェラスの森へ上がる前にホームセンターへ立ち寄ったら、令和3年備蓄米が5kg1,880円で売っていたので、即購入した。 先日に一緒に呑んだM君が食品卸関係の会社をやっているので、備蓄米の品質について尋ねたら、国の基準できちんと温度と湿度の管理をしているので、 全く問題ないと言うことだったのである。 ☆自宅に戻って米を降ろして、アンジェラスの森へ。 今日も朝のうちはホーホケキョが鳴いていた。 午前は雨が止んでいたので、作業は順調に進む。 ☆午睡の後、再びアンジェラスの森へ。 夕刻近くなって再び雨が激しくなり、今日もびしょ濡れになった。 しかし内側の成形作業がかなり進んだ。 ☆今夜は近所の八坂神社の祇園夏祭りだが、大変な土砂降りである。 例年は梅雨明けしていて、八坂神社の夏祭りが雨だった記憶はない。 3日後が私の誕生日なので、誕生祝と言う行事等存在しなかった私の幼少時代は、この八坂神社の祇園祭でスイカが食べられるのが最高の誕生祝いだった。 7月11日(金) ☆雨。 今日も激しく降ったり小降りになったりの不安定な空模様。 ☆朝5時過ぎに起きて、短歌の作業をする。 ☆朝食後に突然、リビングのエアコンが故障してしまった。 本体のタイマーランプが赤点滅して、エアコンが作動しない。 取り扱い説明書を読むと、本体か室外機のいずれかの不具合なので、購入店に問いあわせて下さいとある。 フィルターを掃除したり、コンセントを差し替えたりするが変化はない。 こんな無収入の時に、と頭を抱えたが、これまでにも何度か同様の症状が出て、修理に出さずに元に戻ったことがある。 そうこうしているうちに、正常な動作に戻った。 朝のもの凄い雨の時から調子が悪くなっていたので、雨で何処かがおかしくなっていたのかもしれない。 ☆午前は雨が激しかったので、作業は見合せて、2階書斎で短歌の作業をする。 なんとか宮日歌壇に投稿できる3首が纏まったので、投稿する。 ☆昼前に雨も小康状態になったところで、行橋ビエンナーレ事務局長だった植田さんから、奥さんの上梓された「原田脩記念 ギャラリー稲童 建立記」が届く。 目を通し始めたら、状況を呑み込める内容だったし、読み易かったのでお昼までに半分ほど目を通す。 ☆午後は雨も小康状態だったので、午睡の後にアンジェラスの森へ上がる。 小雨の中を作業を進める。 しかし途中から雷雨となり、激しい土砂降りとなってしまった。 道具を片付けていたら、全身ずぶ濡れとなって寒さに震えた。 7月10日(木) ☆雨。 時折り激しく降る不安定な雨模様。 水冷で、何時もよりは涼しかった。 ☆今日は午前10時から、高鍋駅舎で高鍋高校探求科学科1年生による高鍋駅前モニュメントの取材が這入っていた。 しかし、待てど誰も来ない。 30分待っても何の音沙汰もないので、時間が勿体ないので帰る。 帰路に生徒から電話が這入り、時間を午後からだと勘違いしていたという。 午後は別な用事が這入っているので、他日に再度期日を設定してくれるように頼む。 ☆しかし帰宅して考えたら、今制作中の作品を1日でも早く仕上げないと収入にならない。 それで午後に這入っていた三兄からのパソコン作業のサポートを午前に廻してもらい、高鍋高校生徒には午後に取材を受けることを伝える。 その足で、三兄宅へ出かけ、パソコン操作のサポートをする。 ☆午後2時に再び高鍋駅舎へ出かける。 今度はきちんと4人の生徒と担当教諭が待っていてくれた。 探求科学科の授業の一環なのだと言う。 生徒の用意していた質問に答える形で、モニュメント”MOON DANCE”の制作に関するお話をする。 彼らは私が高鍋高校の先輩だと言うことも、高鍋高校に私のモニュメントがあることも知らなかった。 とまれ高鍋高校生が、駅前のモニュメントと高鍋町の今後の展開に強い関心を持ってくれることは心強い。 ☆時間が中途半端で作業にならないので、午後後半は2階書斎で短歌の作業をする。 一日一首が滞っているのだが、そんなに一気に何首も短歌を詠めない。 それに今日は私が定めている宮日短歌への投稿日なのだが、投稿する3首も揃っていない。 結局、今日の投稿は見送る。 7月9日(水) ☆午前は晴れのち雨。 午後には天候は恢復するが、夕刻からは激しい集中豪雨となる。 ☆アンジェラスの森で作業。 今日から天候は梅雨の戻り状態になりそう。 それでとりあえずテントの骨組みだけ組み立てておこうと思っていたら、作業中に雨となり、テントも覆う。 この中国大理石は、純白だけれど角砂糖のように組織が剥離し易い。 コア作業でアンカーを打った時のドリル作業で、欠けてはいけない部分が浮いてしまって剥離している。 注意して作業しないと大変なことになる。 ☆昨夜の飲み仲間から、独身時代に呑んでいた知人たちの近況が届く。 みんな癌で亡くなったり、闘病中だったり・・・。 それだからの昨夜の呑み方だったのだろう。 年齢的に、廻りの友人たちが倒れていく年代である。 私は経済的にはどん底でも、いつ死んでも好い覚悟で充実した生き方はしているつもりである。 7月8日(火) ☆晴れ。 天候は下り坂気味で、夜に小雨が降る。 ☆朝に洗濯物を干していた妻が、ようやく蝉が鳴き始めたという。 しかし私には蝉の鳴き声など全く聞こえない。 妻は桜の木を指して、こんなにうるさく鳴いているじゃあないのと言うが、私には全く聞こえない。 庭に出て桜の木を見上げるが、蝉が蜘蛛の巣にかかってバタつく羽音は聞こえるが、鳴いているのは全く聞こえない。 高齢化で高音が聞こえなくなっているのは確かなのだが、蝉の声が聴こえないとはショックである。 ☆午前10時から、唐木戸陶苑にて高鍋高校OB美術会の秋の焼き肉会の打合せ。 日程の予定も立たない秋のイベントの打合せを、こんな時期にと思うが大まかな打合せをする。 ☆打合せを終えて、その足でアンジェラスの森へ。 今日から成形作業に入るが、もうまともに使えるグラインダーが無くて、作業にならない。 無収入の今の私には新しくグラインダーを買う余裕など無い。 しかしこのままでは作業にならない。 ☆午睡の後、思い切ってホームセンターへ行って、マキタの125mmグラインダーをカードで買う。 マキタ製品が全品カタログ価格の35%引きだった。 帰宅してネットで調べると、ネットの最安値も35%オフの同じ価格だった。 これで作業は進む。 ☆夜は、昔からの飲み仲間から誘いを受けて呑みに出る。 今の無一文の私には呑みに出る余裕は無いが、みんな高齢化で、もうこのメンバーで呑む機会はないかも知れないと言うので出かける。 こうして声をかけて貰えるだけでも有難い。 久しぶりに2次会まで行って、したたかに呑む。 7月7日(月) ☆晴れ。 今日も猛暑で、宮崎県内では西米良村で38,4度を記録。 この先ずっとこの猛暑が続くのかと思うとうんざりだが、常夏のマレーシアに居ると思えば少しは気が楽になる。 ただマレーシアでは美味しいタイガービールとチキンを毎日摂っていたから良かったが、今の私は無収入地獄でビールなんて呑めない。 ☆夜中、寝入ってほどなくして右胸の鈍痛で目が醒め、痛くて眠れなくなった。 右胸なので肋間神経痛である。 夏バテでかなり体がきしんでいる。 リビングに降りて痛み止めの”EVE”を服用したら、何時の間にかぐっすり眠れた。 ☆午前に妻と宮崎市のイオンのセントラルシネマへ出かけて、いま評判の「国宝」を観る。 最近の日本の映画は矢鱈とバックの音響がうるさすぎて、辟易するものが多かったが、この「国宝」は正統派の映画で、きっちり映画の中の世界にはまりこむことが 出来た。 観た方たちが絶賛するように、久しぶりに映画らしい映画を観た思いがする。 こんな良質な映画を今の日本の映画界も作れるのだという安堵感。 妻に誘われて観てよかったと心から思えた。 背筋がしゃんと伸びる映画であった。 ☆午後半ばからアンジェラスの森で作業。 底面を上にして、心棒穴を開ける。 ☆宮日文芸の作品は、掲載作品として選ばれると、投稿して3週間後の紙面に掲載されると聞いている。 それで今日の宮日文芸は、私が最初に宮日歌壇に投稿して3週目になるので期待したのだが、どこにも私の作品は無かった。 やはりそんなに甘いものでは無かった。 殆どの歌人は新聞投稿から出発しているので、精進しよう。 しかし一日一首は相当にハードルが高い。 7月6日(日) ☆晴れ。 新燃岳の靄は消えたようだ。 ☆ホテルのエアコンが弱にしても寒かったので、エアコンを切って寝たら、久しぶりにぐっすり眠れた。 ☆ホテルの美味しい朝食を摂って、8時過ぎにホテルをチェックアウト。 ホテルを出て、ふと前を走る軽自動車のナンバープレートを見たら、なんと”00−01”。 1番のナンバープレートなんて見たことが無い。 何か縁起が良さそう。 そして佐土原町に這入ってバイパスと合流したら、今度は前を走る軽自動車のナンバープレートが”77−77”! ラッキーナンバーではないか。 昨年の空港展の時に、空港展初日に李さん、尾崎慎君、吉永さんと高鍋町に向かっている時に、前の車のナンバープレートが”77−77”で、 尾崎君がこれはラッキーナンバーで、自分がラッキーナンバーに出会ってから大きな仕事が這入ったと言う話をして、みんなで大盛り上がりをした。 ところが高鍋町から空港へ戻ると、その場で李さんの作品が売れて、みんなで”やっぱりラッキーナンバー!”と大騒動になった。 ひょっとすると、今日は私にも良いことがあるかと期待したが、何も起きなかった。 ☆帰宅すると、どっと疲れが出て、午前中は涼しい和室で横になって休む。 ☆午後は2階書斎で短歌の作業。 昨日の短歌会で、最後に配られる番号付きの会員名簿が、投稿された短歌の番号と符合する作家名一覧だと言うことに気付いた。 それで2次会でその一覧を確認すると、2次会参加者の半数近くが相互選で私同様に無得票だったことがわかって少し安心した。 ならば、前回参加した6月例会ではどうだったんだろうとチェックしてみると、なんと短歌賞総舐めの久永草太さんも、中村佳文宮大教授も、「心の花」宮崎歌会事務局の 福原美江さんも、新進気鋭の天才・重黒木俊陽君も、みんな私同様に会員互選で無得票だった。 なんだ、なんだ、そうなんだと、とびっくりすると同時に大きく安堵した。 やはりわかり易い歌が会員相互選では選ばれてしまうのだ。 だから歌会によっては、相互選で選ばれたいがために会員に受け入れやすく選ばれやすい傾向の歌ばかりになってしまうので、互選を廃止した会もあるようだ。 私は伊藤先生からの選をいただけることをのみにして、精進しよう。 ☆溜まっている一日一首の作歌と、8月例会用の一首候補をまとめてみる。 会員の皆さんは、私が彫刻を制作中の歌を読みたいと言われる。 そうすると私の作品だと直ぐにバレるではないですかと言うと、それでも構わないと言われる。 それで8月例会用の一首は彫刻家としての歌を詠んでみた。 7月5日(土) ☆晴れ。 早朝はこの世とは思えない不気味などす黒い靄。 昨日からの新燃岳の二酸化硫黄ガスである。 知人たちからもラインで宮崎市周辺の降灰や異臭の情報が届く。 九州に滞在している韓国人や中国人の方たちにとっては、噂の今日7月5日の日本大惨事が始まったと思わせるような気配であった。 しかし日中は霞も消えて、正常な晴天となった。 ☆午前にアンジェラスの森で作業。 大理石の角落しをセリ矢で落そうと思ったが、ドリルがなかなか彫れず、やはり大理石が逃げてしまった。 うまく行ったのは大きな部位のみ。 ☆午後から宮崎へ出る。 今日の「心の花」宮崎歌会7月例会の2次会のために、歌会会場の目の前のホテルにチェックイン。 お風呂に這入って作業の汚れを落とし、しばらく体を休めて、中央公民館の歌会会場へ。 歌会は通常は日曜日の午後からなのだが、明日は伊藤先生たちのイベントが這入っており、今回は土曜日の夕刻5時半からの開催となった。 今回も私の歌は会員相互の選に這入らず、伊藤先生からの選にも這入らなかった。 ☆2次会会場の居酒屋で、早速伊藤先生に私の歌について評価してもらったが、”田中君らしくない歌だ、上の句はいいが下の句が単なる情景説明になっていて、 歌の拡がりが無い”と酷評された。 今回の作品は自分でも気に入っていた作品だったので愕然となった。 短歌を再開してまだ2回目の歌会だ、やはりそんなに直ぐにうまく詠える訳はない、と自戒する。 ただ2次会に参加された会員のうち半数は、私同様に相互選に這入らなかったので、少しホッとする。 ☆一方、伊藤先生は空港展の私の作品を激賞してくださった。 ☆2次会もホテルの目の前だったので、今夜はホロ酔い気分でホテルへ帰る。 7月4日(金) ☆晴れ。 朝からとても蒸し暑い一日。 午後からアンジェラスの森は遠雷が轟きはじめ、次第に雨雲が出て雷雨となる気配だったが、雨には至らず再び陽が射す。 ☆しかし今日は朝から霞がかかって、尾鈴山は殆ど見えなかった。 原因は新燃岳の噴煙で、新燃岳の噴煙が瀬戸内海方面へ流れて行ったものが、県の北部から戻ってきてPM2.5の濃度が高くなっているということ。 そして小林市には二酸化硫黄ガスの注意報が出て、宮崎市周辺でも硫黄臭が漂っているようだ。 ☆午前10時に、高鍋町のアーティストによる地域おこし協力隊のさいとうさん来訪。 私が結婚前に公民館講座で陶芸を教えていた生徒さんが、高鍋町内に窯を構えていて、希望者には作業場と窯を解放しているという情報が這入ったので、 さいとうさんを案内する。 さいとうさんはまだ高鍋町内では自前の作業場を確保出来なくて、現在は唐木戸陶苑に通っている。 しかし唐木戸陶苑までは長い急峻な坂道を自転車で登らなくてはならず、車の無い彼女には大変な労力を強いられている。 それで高鍋町の町場で窯が使えれば、ずいぶん助かる。 窯主の宮本さんには自由に使わせてもらえることになった。 ☆宮本さんの作業場を出て、町内のホームセンターやショッピングセンターの場所を案内したり、先日の市川さん同様に”せいごろう亭”を案内したりする。 実はとても面白いことがわかった。 昨日の夕刻、私がアンジェラスの森からの帰り道で、赤いバッチョ傘を被って全身黒ずくめの異様な者(顔も黒い覆いをしていたので性別が分からなかった)が よろよろと自転車を漕いでいるのに出遭った。 周囲の里山の田舎道には不似合いなエキセントリックな風体だったので、何者だろうと不思議だった。 ところが、今朝我が家にやって来たさいとうさんは、その不思議な人物そのままだった。 昨日は唐木戸陶苑から帰るところだったのだそうだ。 ”あれは、さいとうさんだったの?!”とびっくり。 さらに”せいごろう亭”に入って食堂に這入った途端、調理のおばちゃんが奇声を挙げた。 ”あっ、昨日の夕暮れ、ホテル四季亭のところですれ違った人だ!男か女か分からなくてまじまじと顔を見たけれど分からなくて、でもあまりにも素敵に 格好良くて何度も見たの!” さいとうさん、あなたは今頃高鍋町内では、正体不明の超カッコいい謎の人物として、有名になっているよ! ☆さいとうさんと別れて、昼前にアンジェラスの森へ上がって、コア作業を少し。 午睡の後、再びアンジェラスの森でコア作業。 無事にコア作業が終わって、中抜き作業が終了。 230mmダイヤモンドディスクで側面の粗落しのカッティング。 試しに矢を入れてみたが、やはり大理石は御影石のようには素直に割れてくれず、逃げてしまう。 側面落としは明日に廻す。 7月3日(木) ☆晴れ。 うんざりする猛暑日。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 暑いと蚊も出て来ない。 コア作業の続き。 ポリタンク2つの水は2時間で使い切ってしまう。 それでお昼前に帰宅して水を補給する。 ☆午後も2時間で水を使い切ってしまう。 明日にはコア作業は終りそうである。 7月2日(水) ☆晴れ。 今日も猛暑日。 宮崎県内ではえびの市で37,6度の全国1位の暑さを記録。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 今日から裏面のコア作業に入ったが、予測はしていたが表面のコアと貫通すると水は抜けて溜まらない。 従ってコアに水が廻らず、まったく切れない。 表面の最初の作業のように、5mmほど彫ってコアドリルに詰まった大理石を除去し、作業を続けるといった非効率な作業になる。 午後にペットボトルの水をコアドリルの中に注入する工夫をしてみたが、うまく行かなかった。 ☆中町公民館の夏祭り参加者確認の回覧板が廻って来た。 やはり、ネットでの参加者登録では参加申し込みが洩れていた参加予定者が多数いた。 ☆イランのマジッドが昨日からフェイスブックで、イランの通常風景の動画を積極的に投稿し始めた。 またイスラエルからの攻撃時にイスファファンで開催されていた国際彫刻シンポジウムに参加していた国外作家が、無事に母国へ帰国できたと言う報告も届いた。 イランの情勢は落ち着いてきているようだ。 7月1日(火) ☆晴れ。 今日も猛暑日。 7月が始まったばかりでのこの暑さ。 まったく信じられない。 これから3カ月以上もこの暑さが続くのだ。 ☆一日、アンジェラスの森で作業。 アンジェラスの森ではホーホケキョが涼やかに鳴いていた。 蝉の代わりにホーホケキョが鳴くなんて、混乱してしまうが、ウグイスは7月半ばまでは繁殖期で鳴くのだそうだ。 午後半ばまでには表面のコア作業は終り、粗落しの230mm大口径のディスク入れ。 そしてリフトで裏返しの作業。 ☆今日から7月なのでこの日記も切り替わった。 ページが新しくなると、訪問者のアクセス解析を設定するが、どうやってやるのかまったく思い出せない。 こうやって老齢化とともにいろんなことが抜け落ちてゆくのかと、ぞっとなった。 |
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